ちょっと、じっくり、考える

今は畑でソラマメを育てています。

ソラマメを育てるのは、アブラムシとの戦いなんです。黒ゴマみたいなアブラムシがびっしりとソラマメに貼り付き、汁を吸っているんです。

収穫できるのはまだまだ先みたい。それまでは、ただひたすらアブラムシとの戦いです。

この前はジャガイモを植えたのだけど、こちらはまだ芽が出ません。まあ、周りの畑も同じような感じなので、気長に待つこととします。

野菜を育てたりモノづくりをしたりしてると、「じっくり待つ」という時間が生まれます。

どうも現代人はこの「じっくり待つ」ということが苦手に思えてなりません。

ちょっと検索したらすぐに最適解が出る、ということに慣れすぎちゃって、「じっくり待つ」「じっくり考える」ってことができなくなって、どんどん短絡的になってるんじゃないか、そんな風に思えるんです。

ついこの前、闇バイト事件の実行犯が「自分のようにならないでほしい」と獄中で書いた手記というのがタイムラインに上がっていて、少し目を通したのですが、「ラクに稼げるうまい話なんてない」「被害者やその家族のことを考えるべきだった」と、「そんなの、ちょっと考えればわかるだろ!」ということが書かれていました。

ということはやっぱり、その「ちょっと考えれば」ができなかった、ってことなんですよ。むしろ「ラクに稼げる仕事」とちょっと検索すれば、ネットが最適解を出してくれる、と思って、その結果出てきた「闇バイト」に疑うことなく手を出してしまったんじゃないか。

なにかと世間を騒がせる陰謀論も、やっぱりこの「ちょっと考える」「じっくり考える」ができない人が信じてしまうんじゃないかと思うんです。世界情勢だとか、政治だとか、歴史問題とか、こういうのは本来、うんとこさ勉強して、勉強して、それでようやく輪郭や断片がおぼろげにに見えてくる程度、そういうものだと思うんです。歴史なんて、知れば知るほど何がホントなのかわからなくなるものです。

ちょっと検索しただけで「これが答えだ! 真実だ!」みたいなのが出てきたらそれはもう100%アヤシイんだけど、やっぱり「自分でじっくり考える」ってことができずに、その手間を省いて、「正解や真実は誰かがすぐ教えてくれる、どっかに書いてある」と思いこんでるから、この手の陰謀論を信じちゃう。自分でなにかを考えたわけじゃなくて、誰かが言い出した「正解」とか「真実」とやらを、そうだそうだ!といいねしてリツイートしてるだけなのに、なにか高尚な思想でも持ったと勘違いしてやがる。

「ちょっとはてめぇで考えろ!」って思うんだけど、その「自分で考える」ができない人が増えてます。

そんでもって、AIの登場で「ちょっと聞けばすぐ最適解が得られる」という思い込みはますます強くなるんじゃないか、と危惧しているのです。

人の意見や考えを参考にするのも大事だけど、「参考」はあくまでも「参考」であって、自分の「思考」じゃない。ネットに書いてあるのもあくまでも「参考」であって、「正解」や「真実」などではなのです。

なにかの答えが知りたければ、知恵熱で倒れるくらい自分で考えろ!

……と思うんだけど、「ちょっと検索すれば最適解が出てくる」⇒「自分で考えずに、誰かがすぐに答えを用意してくれると思ってる」の流れはもはや時代の流れ、止めようがないのかもしれません。

だからこそ、たかだか24PのZINEを半年かけて作って、1枚ずつ印刷して、ホチキスで止めて、手売りするという「ひとつのモノをじっくり作る」という行為には、何か意味があるのかもしれません。

スマホって必要?

たぶん、いまのスマートフォンを使い始めて、5年になります。

あと5年くらい使いたかったんだけど、先日、仕事に必要なアプリの更新のお知らせが来て、いまのスマホでは推奨できない、とのこと。

まあ、それだけでスマホを替えちゃうのはもったいないかなと思ったんだけど、そういえば最近、電池の減りが早く、充電にも時間がかかるようになったような気がする。

これは本格的にスマホの調子が悪くなってお困りになる前に替えるのが吉ということなのかな。

というわけで、スマホ売り場をいくつか回ってみたのだけど、

……、高くない? スマホ。

10万近いのとかあるんだけど。え? 前からそんなに高かった?

じゃあみんな、10万近くするようなものを、毎日持ち歩いてるの?

怖っ!

「スマホを落としただけ」みたいな映画あったけど、「落としただけ」じゃ済まんよ。大損害だよ。

パソコンが10万ぐらいするのならまだわかるけど、持ち歩いて、落っことしたりなくしたりするリスクがあるスマホがそんなにするのは納得いかない。

そもそも、いま使ってるスマホ、10万もしなかったはず。物価高だと言ったって値上がりするにもほどがあるだろう、と思って探してみると、もっと安いのもちゃんと見つかりました。

10万と数万なら、そりゃ数万で済む方がいいだろう、と思う一方で、「安かろう、悪かろう」という言葉もある。やっぱり、ちゃんとお金をかけた方がいいのか。

ホントにスマホに10万円も必要なの?

高いスマホと安いスマホで何が違うのかというと、やっぱり、高いスマホの方が高性能なのでしょう。

ということは、僕がそこまでの性能を求めてないのなら、そんなに高性能じゃなくても、全然問題ないはず。

さて、僕はいま、どれくらいスマホを使っているのだろうと思ってスマホの容量を見てみると、32ギガのスマホを30ギガまで使って「あともうちょっとだけ容量があったらなぁ」とぼやいてる、くらいなのでした。きっと、40、50ギガもあれば十分なのでしょう。

一方、スマホのカタログを見てみると、250ギガとか書いてある。

使いもしない200ギガのために10万円も払うのならば、50ギガとか100ギガとかの安いやつでいいんじゃないか。

いや、そもそもの話。

どうしても必要なアプリがあるからスマホが必要なのであって、それさえなければ、僕にはスマホ自体がそもそも必要ないんじゃないか。

では、その30ギガを一体どんな風に使っているのかというと、電話をしたり、LINEを見たり、ツイッターを見たり、路線検索したり、地図を見たり、目覚ましをかけたり。それくらい。

スケジュール管理は、全て手書き。壊れたら手に負えないマシンに、日々のスケジュールなんてまかせないんですね。

なにかのアプリの類とか、ほとんどダウンロードしていない。

動画には1ギガも使っていない。なぜなら、ユーチューブを「どうせ、見ない」と、とっとと削除したのである。

つまりは、ガラケーの時代からほとんど変わってない。僕に必要なのは携帯電話であって、スマートフォンじゃなかったのです。

技術が進歩し、必要としてる人に必要な技術が届くのはけっこうなことだけど、そこまで必要としていない人もいるわけである。そういう人に最先端の技術を使え使え、使わなきゃ生活できないぞと押し付けるのも、一つのハラスメントなのかもしれません。

AIはホントに最先端なのか

最近、「AIによる要約」をよく見ます。

あれはよくない。本当によくない。

どこまで合ってるかどうかわからない要約なんて目にしたら、先入観ができちゃうし、「自分でちゃんと情報を確かめる」という癖がつかなくなっちゃう。

しかも、タチが悪いことに、グーグルでもツイッターでもこの「AIによる要約」を非表示にできないんですよね。

ツイッターはまだ隅っこの方に出てくるから、なるべく見ないようにしてるんだけど、グーグルはいの一番に出てくる。ああいうのが一番タチが悪い。

唯一、シークレットモードってやつにするとAIが出てこないので、スマートフォンで検索するときはわざわざそれを起動しています。

近年、ネットニュースの見出しだけ見て内容も読まずに拡散する奴が多いって問題になっているのに、「AIによる要約」なんてことをやってたら、余計に「勘違いや早とちりで拡散する奴」が増えますよ。

なんぼタイパ重視って言っても、省いちゃいけない過程ってありますよ。

しかも問題点はさらにあって、これ、あの悪名高いイーロン・マスクが「人類から思考力と判断力を奪って堕落させてやるぜ! げへへへへ!」と悪意に満ちてやってるわけではないんです。

『こっちの方が便利だろう』という100%善意でやってることなんです。

いまの世の中、なんでもそう。『こっちの方が便利だろう』と言って、どんどん新しいものを押し付けられる。パソコンのソフトとか、スマホのアプリとか、知らないうちに更新してるし。

でも、ゴーマンかましてよかですか?

便利かどうかを決めるのは作り手じゃない! 使い手だ!

ただ進歩すれば幸せになれるわけではない、と水木しげるセンセイもおっしゃっています。

むしろ、歴史を少しかじっていると、「最先端の技術だと思ってることが、実は太古の昔からあるものとそんなに変わらない」と思うことがよくあります。

古来より日本には「神がかりの託宣」っていうのがありまして、シャーマンにカミサマを降ろして、作物の出来だとか、災害や病気は起きないかとか、いろんなことを尋ねるんですね。

その様子を調べてみると、なんかAIにいろんなことを質問する最近の動向に似てる、と思うんですよ。託宣や占いに答えを求めるのと、AIに答えを求めるのは、実は大して変わんないんじゃないか。すくなくとも、答えを聞こうとする側の方は。

むしろ、占いとAIでいったい何が違うっていうのか。AIは学習して合理的に判断するって言っても、そのメカニズムを解説できる人間がどれだけいるのか。

「我々がいまAIだと思ってるやつは、ホントはキツネやタヌキの霊を機械におろしてしゃべらせてるんだぜ」と言われて、「そうじゃないよ。AIってのはね……」と理論立てて証明できる人間がどれほどいるか。

スマートフォンを分解しても、そこに「AI」はいません。じゃあ、なんでそれを何かの霊ではなくAIだと思ってるかというと、作った人が「最新AIを使っています」と言い張っているからに過ぎないんです。

開発者がAIだと言ってるから信じる。

霊媒師が神様だと言ってるから信じる。

どう違うんねん。

歴史を学ぶ意義って、最先端だ新時代だと思ってることが、実は太古の昔からあるものと大して変わらない、ということを学べるところにあるのかもしれません。世界には「最先端」「新時代」「近未来」、そんなうたい文句を掲げた「過去の遺物」が山ほどあるんです。

あんまりAIに頼っていると「AIなんてイタコと大して変わらないじゃないか」ということに気づく力も衰えていきます。

だから、「新しさ」の上にあぐらをかいてはいけないよ、ということですね。

脱ネット・脱エンタメ・脱情報生活

年末あたりから「脱ネット・脱エンタメ・脱情報生活」を掲げて、少しずつ実践しています。

いくつか箇条書きにしてみると

・ネットニュースやSNSを見るのは「8時間に1回」ぐらいのペースを保つ。

・テレビニュースも見る回数を減らす。「とりあえずニュース見とくか」はやめる。

・アニメは月5作品まで。

要は「無意識にスマホに触らない、無意識にネットを見ない、無意識にテレビを点けない」「見るときは時間を決めて、その時間になるまでは見ない」というわけです。

なんでそんなことを始めたのかというと、回転ずしのお皿みたいに情報やエンタメが次から次へと流れてくる、現代社会のこの状態はちょっとおかしくないか? と思い始めたからなんです。

テレビやネットを見るとそれこそ「○○を見逃すな!」「○○に乗り遅れるな!」みたいに煽ってきます。でも、そんな感じで次から次へと情報やエンタメを摂取するのは、おかしい。

だって、回転寿司に行って、レーンに流れてるお寿司を「見逃すなんてもったいない!」って片っ端から食べるようなマネ、しないでしょ?

焼肉食べ放題に行って、「すべての部位を食べないともったいない!」ってメニュー表の片っ端から注文することは、やらないでしょ?

でも、ネットニュースとかアニメとかだと、みんなそれをやってるわけです。「見逃すなんて、もったいない!」「片っ端から見ないと、もったいない!」って。対してお金も払ってないはずなのに。

ちょっとスマホを覗くだけで、ニュースだとか、トレンドだとか、アニメだとか、ドラマだとか、スポーツだとか、やたら見ろ見ろすすめてくるんですよ。

鬱陶しくって、仕方がない!

自分から検索したわけでもないのに、ニュースとかトレンドとか見せられたり、知らないドラマとかアニメとかすすめられたり、

そういうので時間を奪われるのが、発狂するくらい嫌なのです。

ネットニュースの見出しとか、you tubeのサムネイルとか、マンガの広告とか、内容が気になるように巧妙に作られてます。

ああいうのは、押したら負けだと思って日々生きています。毎日これ修行です。

他人の醜聞に興味を示さない。耳にしても気にしない。すぐに忘れる。情報を追わない。そうすれば、踊らされないしだまされない。

あと、つい最近、ここに「AIによる要約は見ない」が追加されました。あれは人から「自分の目でちゃんと確かめる」という習慣を奪うと思ってるので。要約があってようが間違ってようが、見ない。

こうしてスマホに触らずに空いた時間で、なるべく日常の中で楽しみを見つけようと思っています。

最近は、せっせとコーヒーを淹れて、こおろこおろとかき混ぜてます。

別にコーヒーはたいして好きじゃないんだけど、この「自分で味を調整する」という日常のちょっとした楽しみを大事にしたいんです。

あとは、読書やラジオのようなスローペースなメディアを楽しんだり。スローペースなメディアは、トレンドとかオススメとかをあんまり押し付けてきません。

やることがないならいっそのこと、お昼寝をしてしまうのもありです。「暇だからスマホ」「暇だからネトフリ」「暇だからSNS」は極力避けるようにしています。

こんなふうに、なるべくオフラインの中で楽しみを見出したいのです。

寝床改革

朝、起きると体がこわばって、なんともだるい。

前日の疲れが取れてないんだなぁ、と漠然と思ってたんですけど、それだけじゃなく寝てる間に筋肉が凝り固まってるんじゃないかと思い立ったわけです。

去年マッサージグッズをいろいろと買ったので、朝起きてそいつを使ってみるとほぐれるほぐれる。

やっぱり、寝てる間に筋肉にも負荷がかかっていたみたいです。

布団がよくないのかな。

どっか旅行でもしようかと貯めてたお金があったんですけど、そのお金を使って、いい布団、さらにはいいベッドでも買った方がいいのかもしれません。

そうだよ。一晩二晩くらいしか泊まらない宿の寝床に金を払うより、まずは毎日使う寝床にお金をかけようぜ。寝床は人生の3分の1を過ごす場所だというし。僕の場合はしょっちゅう昼寝をするので、5分の2ぐらいは寝床の上かもしれません。

そういえば、借りてる畑のすぐ近くに、ニトリがあったなぁ……。

道路挟んで反対側に、大川家具もあったなぁ……。なんだよ、家具屋紛争地帯かよ。

ただ、お金をかける前にもやることはあるようで。

ある日、布団に入って、あれ? と思ったことがあったんです。

寝るときのこの姿勢、もしかして、これが肩とか背中とかに負荷をかけてるんじゃないのか?

要は、体重を上半身だけで支えて寝ている、そんな気がしてきたんですよ。

試しに、もっとお尻とか足の方に体重が行くように意識してみると、やっぱり体重の乗り具合が違うんです。

ということはやっぱり、寝ている時の体重は背中とか肩とかに集中しているということじゃないのか。

人体の重心はおへそあたりだというから、それより上の部分で体を支えて寝ているというのは、やっぱりヘンなわけです。

体重が偏っていれば、敷布団の沈み込みが深くなり、薄くなる。そりゃ、背中が痛くなるわけだ。

どうもね、寝てる間に、足を伸ばさずに崩してるようで。

すると、上半身の方に体重が行ってしまうようです。

結果、肩と背中が痛い。

調べてみると、「体圧分散」という言葉があるそうなんです。

要は、寝ている時の体を全身でバランスよく支えよう、って話です。

後頭部、肩甲骨、お尻、かかとを布団やベッドにぴったりつけると、圧力がバランスよく分散されるらしいのです。

実際にやってみると、確かに負荷の偏りがなくなった、気がする。

とりあえず、肩甲骨はプロレスの「両肩をマットにつけて3カウント! 1! 2! 3!」のイメージで床につけてます。

お尻はさすがに意識しなくても床についてるので、かかとを意識して床につけてみる。それだけでもだいぶ違います。

そして後頭部。人間の頭は重いので、体を起こしている限り、首と肩の筋肉は頭を支え続けているそうです。だから、寝るときはそこから解放してやらねばならない。後頭部をしっかりつけて、なるべく首で支えないようにして見ました。

それともうひとつ。

敷布団のマットを触ってみたところ、長年使ってるせいで、やっぱり背中の部分が潰れて薄くなってるんですね。

なので、寝てるとベッドの硬さがじかに伝わってくる。

なので、使ってないバスタオルをそこに敷いて、厚みを補強してみました。これだけでも、背中の感触が全然違う。

今のところ、以前よりも起床時の凝りが少しマシになった、ような気もします。

結局、立ってる時も、歩いてる時も、座ってる時も、そして寝ている時でさえも、いい姿勢を保つというのが、一番疲れないんですね。

格安の貸農園を見つけたゾ

近所で畑を借りるようになってそろそろ2年がたつのですが、

その近くで、別の貸農園が募集を出してるのを見つけたんです。

なんと、年間契約で1万円!  ひと月いくらで考えると、今借りてる畑より、ケタ一つ安い!

今の畑だって近隣で比べると相当安いってことで、喜んで借りたっていうのに。

それでいて広い! 今借りてる畑より、12倍広い!

まあ、安いのにはちゃんと訳があって。

めちゃくちゃ、アクセスが悪いんですよ、そこ。

浦和の中のへき地もへき地。一番近い最寄駅からでも30分は歩くのです。

一番近いコンビニも、歩いて15分ほど。

そもそも、へき地すぎて人通りが少なくて、こんなところに貸農園があるなんてまず気づかないような場所なんです。

試しに見物に行ったんだけど、作業してる人もいないし、冬野菜を育ててる気配もないし……。

まあ、ということは、おそらくまだまだ畑は空いてるってことです。これはチャンスです。

浦和の中でもへき地だけど、私の家からなら自転車で30分。まあ、通勤すると思えば普通に通える距離です。

ここならば、いままでよりも約10分の一の値段で、10倍以上の作物が採れる。

つまり、元気100倍アンパンマンというわけです。

ただ、畑の面積が12倍になって、採れる作物も12倍になるということは、そこに使う労力も12倍になるというわけで。コスパはいいんだけど、リアルな体力的パフォーマンスはかなり増えちゃう。

あまり雑草も生えず、作業量もそこまでではない冬場だと、今の畑なら10日に一度、それも30分くらいで済んでます。

それが12倍ということは、一回の作業時間が6時間になるということ。「特にやることがそんなにない時」でこれなのです。

冬場だと4時半には日が沈んでしまうので、4時までにはすべての作業を終わらせるとすると、お昼休憩も挟んで朝の9時から丸一日作業をするわけです。

10日に一度くらいなんだと思ったそこのあなた。繰り返す。これは「特にやることがない一日」の場合。

夏場だとすぐ雑草がぼうぼうになるし作物もいっぱい実るから、今の畑ではだいたい週一で通い、炎天下のなか1時間近く作業をしています。

これが12倍になると、12時間作業をすることになります。到底、1日じゃ終わりません。

しかも、昨今の夏の暑さは危険なので、午後1時には作業を終わらせて帰りたい!

そうなると、一日4時間を3日間、なんてパターンもあり得るわけです。それが毎週続く可能性もあるわけで。

その間、現金収入は減るわけです。

つまりですね、畑の面積が12倍になると、今のライフスタイルの抜本的な見直しが必要になってくるんですよ。なので、「空いてんじゃん。ラッキー!」と気軽に手を出すわけにはいかないんです。

しかもそこ、無農薬はダメということで、無農薬でやりたい私としてはちょっと考えもの。

とはいえ、さいたま市は東京に近い政令指定都市でありながら、広大な農地を抱えているので、こういう貸農園はまだまだ増えるんじゃないかと予想しています。

刺激とエンタメの自家発電

ちょっと前に「情報と娯楽が多すぎる」って書いたんです。

で、少し前に「現代人の人生は、人生ゲームみたいだ」って書いたんです。

この二つはですね、僕の中では実はリンクしてる話なんですよ。

現代人の人生は、なんだか人生ゲームみたい。決まったようなコースの上を歩いているから、先のことも何となく見通せちゃう。止まったマス目を攻略して、マス目をどんどん進んで行って、お金を稼いで、いろいろ手に入れて……、最終的には「人生」そのものを攻略していく。「幸せ」ってやつももしかしたら、ゲームを攻略した報酬みたいなものかもしれません。

社会人に求められるスキルってやつは僕にはゲームを攻略するスキルに見えるし、ビジネス書や自己啓発本はなんだか攻略本みたい。栄養ドリンクとかもなんだかゲームに役立つアイテムみたいです。

そう、人生はまるでゲームみたい。

だけど、人生と人生ゲームには一つ、決定的な違いがあるんです。

人生って、ゲームっぽいわりに、つまんないんですよ。

だから、街中にも、ネットにも、情報と娯楽があふれてるんです。

だって、人生がつまんないんだもん。

テレビを見てもネットを見ても、誰それがホームランを打ったとか、誰それが熱愛発覚だとか、誰それが不適切で炎上したとか、言ってしまえばどうでもいい情報ばっかり。情報化社会なのに、もっとましな情報ないの?

役には立たないんだけど、刺激的。そんな情報ばっかりです。

そして、みんな刺激に飢えるかのように、情報に貪りつく。

娯楽も多すぎです。宮崎駿が40年も前にすでに「アニメが多すぎる」なんて言っていたのに、今やそのころのアニメの数の比じゃないですよ。

おまけにサブスクに加入すれば、ドラマもアニメも見放題。

ゲームも数多く作られ、ゲーム実況動画をはじめ、星の数ほどの動画がネットを埋め尽くす。

本屋さんにあるマンガだって読み切れないのに、ネットにもさらにマンガがいっぱい。

いくらなんでも、情報と娯楽が多すぎる。どうしてこんなに多いのか。

人生がつまんないからです。

「人生ゲーム」を攻略すればお金とか資産とかモノとかは手に入るんだけど、ゲームにおいて最も重要な「刺激」と「エンタメ」が決定的に欠けてるからなんです。

マジでクソゲーです。クソゲー・オブザ・ライフです。

自分の人生ゲームの中で刺激が得られないから、他人の記録とか、他人の熱愛とか、他人の炎上とかに刺激を求めて群がるんです。

自分の人生ゲームの中で「エンタメ」を感じられないから、他人が作ったゲームとか、他人が作ったアニメとか、他人が作った動画とかにエンタメを求めて群がるんです。

挙句の果てには、政治とか、事件とか、戦争すらも、エンタメとして消費されていく。

刺激とエンタメのクスリ漬け阿片窟です。

でも、「人生を楽しむ」って、そうじゃねぇだろ。いつだって、主語は「自分」であるべきだろうがよ。

そう思うようになったのは、つい最近です。

なので、とりあえず、「与えられる刺激」と「与えられるエンタメ」をなるべく生活から排除してみることにしたんです。

とりあえず、アニメは次のクールから「新作は5本以内」に絞ろうと思います。

スマホを触る時間、特にSNSを見る時間も、意識的にセーブするようにしました。

ニュースも、テレビであれネットであれ、見る時間を絞ってます。

この前、親からネットフリックスで面白いドラマやってると勧められましたけど、中指たてて断りました。

とはいえ、別に僕は禁欲して悟りを開きたいわけじゃないんです。むしろ、逆です。

「与えられた刺激」や「与えられたエンタメ」じゃあ、満足できないんです。

刺激もエンタメも、自家発電したいんです。

カップ麺や外食で済ませるより、自分で料理した方が、手間はかかるし味もそこそこだけど、楽しい。

アマゾンでネットショッピングするより、自分で買いに行った方が、楽しい。

AIに質問するより、自分で調べたり考えたりした方が、時間はかかるけれど、楽しい。

不便すぎるのも困るけど、便利さは時に日常から「刺激」と「エンタメ」を奪っていきます。

主語が「僕が」「私が」になれば、ちょっとめんどいけれど、きっと楽しい。刺激とエンタメの自家発電です。

5年前、「ZINE」という媒体の存在を知った時に、「ああ、これは一生遊べるやつだ」と直感しました。まだ飽きずに続けてるってことは、きっと、うまく自家発電ができているのでしょう。

人生ゲームのような人生

学生時代の就活で、一番答えに困った質問があるんですよ。

「10年後の自分はどうなってると思いますか?」

……し、しらねぇよ。

たぶん、キャリアアップがどうとか、スキルアップがどうとか、そういうことを答えればいいんだろうけど、どうしても「運が悪かったら、死んでるかもしれません」しか答えが出てこない。

だってだって、コロナ禍やウクライナ戦争を10年前に予言してたやつなんていたかよ。いたらそれこそ怪しい予言者扱いされてましたよ。

10年後のことなんて何が起きるかわかったもんじゃないのに、のんきに10年後のことなんて語れるかよ。

そう思ってるんですけど、どういうわけか頻繁に聞かれるんですね。「10年後の自分はどうなってると思いますか?」。なんなの? あいつら、予知能力者を採用したいの? エスパー発掘団体だったの?

ただ、最近になって、なんであんな質問をよくされたのか、そして、どうして僕が答えられなかったのか、なんとなくわかってきました。

なんか、都市文明の中の人生って、ある程度コースとステップが決まっっちゃってるような気が、最近してるんですよ。選択肢が多いようで意外と少ないというか、受験、就職、昇進、結婚、みたいなステップを一個一個クリアしていく、みたいな感覚。

なんだか、人生ゲームみたいだなって思います。「人生ゲーム」が「人生」に似てるんじゃなくて、「人生」がなんだか「人生ゲーム」に似てきちゃった。

でも、「人生ゲーム」だからこそ、「10年後、自分がどのマスに止まっているか」はなんとなく想像できるんですよ。だって、分岐点がいくつかあったとしても、人生ゲームなら先のコースがある程度は見えてるんだから。人生ゲームだからどんなコースであれ「ゴール」にちゃんとたどり着くことを想定しているわけで、「23歳で交通事故にあって死亡。ゲームオーバー!」みたいなマス目は想定してないわけです。

そして、なぜ僕が「10年後の自分」を問われると、答えに詰まったのか。

「人生ゲーム」をやるつもりが全くなかったからだと思います。自分がルーレットを回してコマを進めている姿が、どうしても想像できない。

高校の半ばくらいから、「大学受験」というマス目のゾーンに止まりました。そこには「受験勉強を頑張り、大学受験を突破すれば、大学のマス目に進めるよ」と書いてあるわけです。そのマスに止まったらみんな、「受験勉強」っていうミニゲームを始め、クリアすると次のマス目に進めるわけです。マリパみたいですね。

みんなが「せーのっ!」で受験勉強をやってる時に、僕は「なんでこのマス目に止まったら、こんなことしなきゃいけないの? っていうか、なんでこのマス目に止まらなきゃいけないの?」って首をかしげていたわけです。ゲームのやる気、ゼロです。

そして、全く同じことを、「就活」のマス目でも、「新社会人」のマス目でも、繰り返していたわけですね。

「このマス目に書いてあることは、絶対やらなきゃいけないのか?」

「そもそも、必ずこのマス目に止まらなきゃいけないのか」

「ほんとにこのマス目通り進まなきゃいけないのか」

「だれだよ、こんなマス目作ったヤツ」

挙句の果てには、「船旅」とか「ZINE作り」とか「貸し農園」みたいなマス目を、欄外に勝手に描いて、そっちに自分のコマ置いちゃう。

たぶん、僕に「人生ゲームをクリアしたい」という欲求は、全くないんですよ。

違うゲームやりたいんですよ、ずーっと。「これじゃない!」ってゲーム盤そのものをひっくり返したいんです。

情報と娯楽が多すぎる

この前、久々に、

ホントに何もやることがなくて。

布団の上で3時間ぐらい、夕方から、ただゴロゴロとしていたんですね。

最初は漫画を読んでたんですけど、それも読み終わって、ホントにただだらだらと。

パソコンもつけず、スマホも触らず、テレビも、大好きなラジオもつけず。

ああ、いい時間だなぁ。

そして、ふと、思ったんです。

スマホが普及して、いつでもどこでも情報が手に入る、世界と繋がれる。

そんな時代だからこそ、実は大事なのはオフラインの時間の方なんじゃないか。

オンラインの時代において、いかにオフラインの時間を確保するかが、人生を豊かにするんじゃないか、という仮説。

思えば、僕が子供のころにはすでに教科書とかに「これからは情報化の時代です。情報の取捨選択が大事なのです」と書いてあって、「いや、取捨選択ってなんだよ」と思ってたんですけど、それってつまり、「入ってくる情報をあるていど制限する」ということなんじゃないか。

だいたい、情報の量が多すぎるんですよ。それも、芸能人の熱愛とか、野球のホームランとか、誰それの炎上とかあいつを赦すなとか、どーでもいいニュースにかぎって、聞いてもないのに勝手に入ってきやがる。

そもそも、ニュースなんて実はそんなに見なくてもいいんじゃないか。

コロナの一番ひどかった時でさえ、朝のニュースで「いやぁコロナが大変ですねぇ」と言った後、昼のニュースで「コロナが大変ですねぇ」、夕方のニュースで「コロナが大変ですねぇ」、夜のニュースで「コロナが大変ですねぇ」。

その間、情報に特に変わりはなく、昼間と同じ映像が夜にも流されていました。

コロナ禍の半月目ぐらいで、僕は気づきました。「これ、テレビにかじりつかなくても、大丈夫なやつだ。だって、昼のニュースと夜のニュース、全く同じ内容じゃないか」

コロナの一番ひどい時ですらこんな調子なのだから、そうでもないときのテレビニュースとかSNSのトレンドとか、実はもっと見なくていいんじゃないか。

なに、ちゃんとニュースを見ないと、情報に取り残される?

いやいや、逆に情報に振り回されてるんですよ。情報のジャイアントスイングですよ。

むしろこれだけ反乱した情報の中から、「ホントに大事な情報」を見つけ出すのなんか、至難の業ですよ。

情報だけじゃなくて、娯楽も多すぎです。

この前、「いま、ネットフリックスのドラマが話題!」と聞いて、僕は首をかしげたんです。テレビ局が6つぐらいあって、BSもあって、それぞれがいっぱいドラマを流してる。TOKYO-MXは毎日数本アニメを流してる。映画館に行けば映画も見れる。

それなのに、まだ何か見たいのか?

もう、いいじゃん。

ヒマなら雲の流れとか川の流れとか炎の揺らめきとか夜空の星とかを見ればいいじゃない。虫の声とか鳥のさえずりとか風の音とか聞けばいいじゃない。

娯楽は隙間に楽しむもののはずなのに、いつの間にか、娯楽を追いかけるどころか、娯楽に追いかけられているんです。

疲れるわ。

どーでもいい娯楽の数が多すぎるうえに、その娯楽がまた世の中の情報量が増やしていく。

なので、最近、あえて情報や娯楽に触れないようにしているんです。

用のないときは、スマートフォンに触らない! 「とりあえずニュースを見る」というクセをなくす! マンガやアニメのような娯楽をむさぼらない!

情報に時間を振り回されず、娯楽に生活を追われずに、自分のハンドルは自分で握る。ブンブン! そんなオフラインな日々を送りたいなぁ、と思う今日この頃なのです。

ウンコを抱えて雨宿り

秋野菜・冬野菜の季節になりました。

ひと月前に茎ブロッコリーの苗を植えたのですが、そろそろ追肥の時期です。事前に畑にまいた肥料から、植え付け一月後に追加で肥料を根元に植えるのです。

というわけで、肥料をバケツに用意して、ブロッコリーの前に立った時のことでした。

雨が、ポツ、ポツ、ポツリ。

どうやら通り雨が降ってきたんですね。ようし、とっとと終わらせよう。

しゃがみこんで、位置を決めて、移植ごてを土に当てて、肥料を埋めるための穴を開けたところで、

雨が、ざぁー、ざざぁー。

これは、さすがにマズい。

とりあえず、肥料を濡らしちゃいかんだろう、ということで、肥料の入ったバケツを持って、畑の中の屋根がある東屋みたいな場所に避難しました。

傘持ってきてないし、もう肥料をバケツに入れちゃったし、仕方がないので、雨がやんで作業の続きができるようになるまで、雨宿りです。

さて、傍らに肥料の入ったバケツを置いて雨宿りしていたんですけど、

その肥料ってのが、鶏の糞なんですよ。

なにが悲しくて、鳥のウンコ抱えて雨宿りしなけりゃならんのじゃ。

ふーんだ!

まあ、鳥の糞と言っても、もちろん肥料用に処理されたものです。見た目はちっちゃい石ころ。臭いはまあちょっと変なにおいするけど、顔を近づけなきゃ別に気にするほどでもない。

そういう意味では、今日使う肥料が鶏の糞でまだよかったです。

この肥料が牛の糞だったらって思うと、悲惨です。

もちろん、これもまた肥料用に処理されたものなんだけど、

まず、見た目がアレ。ほぼ、まんま、アレ。

フレーク状になってるので畑の上にパラパラと撒くとよく効く肥料って感じなんだけど、バケツの中にたまった見た目はどうしてもアレを彷彿とさせます。

そのうえ、臭いもアレ。抑え気味の、アレ。

鶏の糞はまだ「ヘンな匂い」で済むんだけど、牛の糞の臭いは、ちょっとアレなのです。肥料を扱う日は、マスク必須です。臭うから。

おまけに、鶏の糞は40ccしか使わないからバケツにちょっとしか入ってないんだけど、

牛の糞の場合はバケツにどっさりと入れるんですよ。どデカい柄杓で三杯分。

見た目がアレで、臭いもアレで、量もアレな牛の糞を抱えて雨宿り。想像するとぞっとします。雨が上がる前に、こっちが腐ってしまいます。

でも、これを入れないと作物が育たない!

肥料を入れる土づくりをさぼったら、野菜は育たないんですよ。大事な仕事は実は、野菜を植える前に始まり、野菜を植える前に終わると言っても過言ではないんです。