「売れる本」と「面白い本」

趣味はと聞かれると、「面白い本屋めぐり」と答えます。その店独自のチョイスで選んだ本を棚にならべる、面白い本屋めぐり。

逆に言うと、わざわざ巡らないと面白い本屋には出会えない、巷の本屋の大半は面白くない、ってことです。

たとえば、本屋の目立つところには、ビジネス本や自己啓発本が置いてあることが多いですよね。目立つところにあるということは、売れてる本なんでしょう。

ただ、売れてる本だからといって、面白い本かというと、そうでもないんです。

もちろん、ビジネス本や自己啓発本で面白い本はあるんですけど、繰り返し読みたくなる本なんてのはそうそうない。だから、すぐブックオフに書類送検されるわけですね。

そんなことを考えていたある日の雨の昼下がり、いつものようにイチオシのラジオ「山崎怜奈の誰かに話したかったこと」を聞いていると、ゲストが金八先生こと武田鉄矢さんだったんですよ。

武田さんの読書術の話をしていて、その時に武田さんが言っていたのが、「上から下へと知識や情報を一方的に教えようとする本は面白くない」って話だったんです。

そういう本は、わかりやすいように作られているんだけど、面白くはない。面白い本というのは対話なんだ、と語っていました。著者の言うことをそのまま受け止めるんじゃなくて、「それ、ほんとなの?」とか、「それ、ちがうんじゃないの?」などと反芻しながら、著者との対話を楽しむのだ、と。

僕が抱いている「売れてる本」への違和感も、そういうことなのかしら。わかりやすく作られているから、売れるんだけど、「わかりやすい=おもしろい」ではない。

そう思って本屋に行ってみると、なんか、「売れてる本」は「書かされてる感」が強いのかなぁ、なんてことを思うんです。

本というのは、著者が「こんな本を書きたい! 書きます!」といって生まれるんじゃなくて、編集者が企画して「こんな本を書いてください」と著者に依頼して生まれるもの。

でも、実際に本にするときには、さも著者が自発的に書いて自腹はたいて出版したかのような熱量がないと、「面白い本」にはならないんじゃないか。

ビジネス本や自己啓発本の本棚を見ていると、やっぱり「企画に書かされてるなぁ」「編集者のしたり顔が目に浮かぶわぁ」みたいな本が多いんです。

で、実際に読んでみても大して面白くなくて、すぐブックオフに売り飛ばす。企画が当たってるから売り上げはあるんだけど、中身が伴わない。

本の帯の「30万部突破」の隣に、「うち25万部がブックオフ送り!」みたいなことも書くべきです。実質5万部じゃねぇか、と。がっかり度80%じゃねぇか、と。

そんなビジネス本や自己啓発本の中でも面白い本の著者ってどんな人だろう、って思い返すと、「自分の芯がしっかりしてる人」「我が強い人」。要は、「さも自分で自腹切って出版してるかのように思わせる人」なのです。

それまでの経歴とか実績とか、成功者かどうかとか、そんなのはあまり関係なく、文章の上手い下手もあまり関係なく、企画の空気を振り切って、自分を突き通せる人の本が面白い。ある意味、「空気を読まない」ってヤツなのかもしれません。

空気を読まない人の本が、面白く読める本、とはこれいかに。

そんなことを考えていると、今度はネットで山下達郎のインタビュー記事が話題になってまして。そこで山下達郎は拡大志向ではなく、曲の耐用年数を考えて作ってきた、という話が出てきました。楽曲を広く浸透させることより、長く聞いてもらうことを考えてきた、と。

さて、はたして、いま「耐用年数」を考えて作られてる本がどれだけあるか。本なんて、それこそ千年残りうる媒体なのに。

本屋が好き

先日、本屋についていろいろと語り合う機会がありまして。その時思ったんですけど、さいたま市って、実はめちゃくちゃ本屋や図書館に恵まれている場所なんじゃないかと思うんですよ。

なにせ、浦和駅前に紀伊国屋と蔦屋書店、さらに地元の古い本屋と、3つも大きな本屋があるのですよ。

さらに、浦和では毎月一回古本市が開かれているんです。ここがもう、宝の山。毎月何かしら買ってしまいます。

さいたま市でもだんだん本屋は少なくなってきてるんですけど、それでも、「本屋のない自治体がある」なんて言われると、恵まれてる方なのかな、と思っちゃうんです。

図書館を見てみると、横浜市が図書館が18個なのに対して、さいたま市は25個。

しかも、横浜市は人口20万人に対して図書館1個なのに対して、さいたま市は人口5万人に対して図書館1個。どおりで、図書館がいっぱいあると思った。

まあ、千葉市も似たような感じみたいなので、横浜が特別少ないのかもしれません。

文化行政がアレでおなじみの大阪市ですら、11万人で図書館ひとつだからなぁ……。

一方で、やっぱり本屋が少なくなってきてるのも事実。

ネットの普及だったり、アマゾンの侵食だったり、電子書籍の普及だったり(電子書籍は当初言われてるほど普及してない気も……)。

それでも、僕はやっぱり本屋さんに行くのが好きなのです。

「東京の面白い本屋さん」というのを探し歩くのが好きだし、地球一周の旅をして一番好きな場所はどこかと聞かれたら迷わず「神保町と秋葉原、ついでに中野ブロードウェイ」と答える始末。

神保町に通えない場所には住みたくない、というのが僕の持論です。

ところが、神保町に近すぎると今度は毎日のように散財してしまうだろうから、あんまり近くには住みたくない、というのも僕の持論。

以前に友人があの近くで働いてると聞いて「いいなぁ」と思った数秒後に「いや、だめだ! あんなところで働いたら、仕事終わりの度に散財してしまう!」と思い直しました。

そんな僕なんですけど、アキバや御徒町で働いていたこともあります。アキバは見てるだけで楽しいから散財しなくていいんです。

旅先でも面白い本屋がないかどうか調べ、その近くに宿をとる。いい本屋がある街に言うと、ワクワクします。

粋な居酒屋やしゃれたバー、おしゃれなカフェが好きな人がいるように、僕にとっては面白い本屋が大事なんです。

そんな本屋がさいたま市にもできないかなぁ。

と思ったら、この前、大宮で見つけたんですよ。取次ぎに頼らず、独自の選本でやっている面白い本屋!

おもしろくなってきましたよ。

ラジオリスナーの憂鬱

相変わらず、毎日ラジオばっかり聞いています。今もラジオを聴きながら書いています。そんな日々をもう17年ほど続けているので、「趣味:ラジオ」でいいのでしょう。

とくに、つい先日、お気に入りのラジオDJの子が2週間のコロナ療養から復帰したので、改めてラジオの楽しさを噛みしめている日々ですね。

やっぱり、ラジオの一番大事なところって、「いつもの人が、いつもの時間に、元気にしゃべってる」、これにつきます。2週間の間、代演のラジオDJが日替わりで登場して、それはそれで面白かったんですけど、やっぱり「いつもの人が、いつもの時間に、元気にしゃべってる」のが一番。

おもむろにラジオをつけていつもと違う人がしゃべっていると、不安になるわけです。「え? どうしたの? いつもの人は? 病気?」って。

なかには、大人の事情で表には出せない理由を「体調不良」ってことでお茶を濁してて、そのまま二度と帰ってこない、なんてことが、まれにあるんですよ。ごくまれに。

だったらまだ、「コロナです! 2週間出れません! 確定です!」って言われた方が、ほっとするというもの。出れない原因がはっきりわかってるんだから。

原因不明の体調不良が、一番怖い!

だからこそ、番組が始まり、「いつもの人」が第一声の挨拶をした瞬間に、安心するわけです。ああ、今日も元気だなぁ、と。

ラジオは、生活の一部なんです。生活の一部だから、「いつも通り」が一番大事。

だから、生活の一部であるラジオ番組が終わる、というのはラジオリスナーにとって一大事なんです。テレビ番組の最終回なんかとはわけが違います。

ラジオでは4月と10月に大きな番組改編があります。だから、「番組終了のお知らせ」は3月と9月に集中するんです。そこが、ラジオリスナーにとっての鬼門。だいたいみんな、ナーバスになりながらラジオに耳を澄ませています。

この時期になると、「もしや、そろそろそういうお知らせが来るのでは……」と肝を冷やしています。

そして、「番組の最後に重大発表があります」「番組から大事なお知らせがあります」なんて言われると、もう生きている心地がしないんですよ。

そしていざ、重大発表の時間がやってきます。

「20ⅩⅩ年に始まったこの番組ですが……」

だいたい、番組が終わるときはこういうしゃべりだしです。

「3月の放送を持ちまして……」

ああ、ついにこの時が……。

「放送時間が拡大します!」

ズコーっ!!

……ホントにたまに、そういうフェイントかけられることがあります。

そして、改変期を無事に乗り越えると、少なくともあと半年ぐらいは平気だろう、っとほっとしてラジオを楽しむわけです。

だから今、一番ラジオが楽しいわけですね。愛してるぜ、ラジオ!