小説「あしたてんきになぁれ」 第22話「明け方の青春」

初詣に向った亜美と志保。二人はそこである人物に合う。そして翌朝、たまきを加えた三人は「二日目の初日の出」を見るために早起きしたのだが……。「あしなれ」第22話スタート。


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

この町が今のような繁華街として発展し始めたのは、戦後の闇市からだ。何もかもなくなった焼け野原の中、露天商やバラック小屋が駅前に集まり、食べ物や日用品を売っていた。

そういった店のほとんどがいわゆる不法占拠だった。もっとも、地権者にお伺いを立てようにも、地権者は地方に疎開してしまっている。

不法占拠のお店はいけないことだけれども、いちいち取り締まっていたら食べ物が手に入らず、せっかく戦争が終わったのにみんな飢え死にしてしまう。

だから闇市は数年のあいだ見逃されてきたし、時には警察が率先して闇市を用意することすらあった。

そんな歴史がある街だからか、今でも闇市を彷彿とさせるような雑多な街並みがこの町には多い。昭和のノスタルジーを感じさせる飲み屋が集結し、飲みに来る客だけでなく、街並みを楽しみたい、そんな人もこのあたりを訪れる。近年では外国人も多いようだ。

歓楽街を出てそんなレトロな飲み屋街を抜けると、小さな階段と神社の鳥居が見える。

現代の不法占拠者たる亜美と志保はその階段を昇って行った。

階段をのぼり、鳥居をくぐると、神社の裏手に出る。

決して大きい神社ではない。ここからだったら明治神宮にだって歩いて行ける。明治神宮と比べたらこの神社はほんの箱庭程度の広さだ。

それでもそこはその町を代表する神社であり、元旦たるこの日は、多くの初詣客が参拝のために並んでいた。行列のことをよく「アリの行列」などというが、列を短くするために4,5人ごとに並ぶその形は、むしろ巨大な蛇を彷彿とさせる。

「すごいねぇ」

志保は階段で切らせた息を整えながら言った。

「ああ、すげぇな」

亜美はそう答えたが、目線は志保と違い、神社の周囲に向けられていた。

本殿の後ろに、いくつものビルがそびえたつ。

「こんなビルだらけのところにも神社ってあるんだな」

「でも、都内にはそういうところいっぱいあるよ?」

「でも、東京の連中ってあくせくしてるじゃん。なんかさ、ムダがないっつうか。なのにさ、神社ってぶっちゃけムダなスペースじゃん。そんなのつぶしてビルとかマンションとか建てちゃいそうなのにさ、ちゃんと残してんだなぁ、って思ってよ」

「無駄ってことはないんじゃない? こんなに参拝客来てるんだから」

「え、何、お前、カミサマとか信じてんの?」

「いや、信じてないけどさ、でも、一応教会に付属する施設のお世話にはなってるし……」

「ああ、そういやそうだったな。あの施設って讃美歌みたいなの歌うの?」

「それはないけどシスターが聖書を読んでくれる時間はあるよ」

「聖書って何書いてあんのさ?」

「う~ん、あたしも詳しく読んだわけじゃないけど、キリスト教の歴史とかかな」

「歴史?」

「そう。キリストが生まれる前とか……」

「ちょい待って。キリストってカミサマだろ? カミサマが生まれる前に歴史なんかあんの?」

「あるよ。聖書には旧約と新約ってあってね……」

なぜか神社でキリスト教の話をしながら、二人は歩いていく。

神社の本殿は境内よりも高いところに建てられている。二人はその本殿の裏にある階段から入り、いま境内を見下ろしている格好だ。

本殿のわきには何やら透明な箱が置かれている。中を覗き込むと、赤い小さな紙がくるっと丸められて、筒状にしてたくさん入っていた。箱には「おみくじ200円」と書かれている。

「変わってんな、このおみくじ」

亜美がしゃがみこんでおみくじの箱を覗き込む。

「うちの近所の神社は、普通に白い紙が中に入ってたよ」

「そうなんだ。あたしんとこじゃ、筒の中に木の棒が入ってて、そこに書いてある番号のおみくじがもらえたよ」

二人は小銭入れに200円を入れ、それぞれおみくじを引いた。

赤い包み紙を外してそれぞれおみくじを読む。

「なあ、志保、『半吉』ってなんだ?」

「はんきち?」

「そう。半分の吉」

「それって、中吉とどう違うの?」

「知らねーよ。おまえはどうだった?」

「えっと……『ショキチスエキョウ』って読むのかな?」

「は? 今、なんつった?」

亜美が不思議そうに志保を見た。

「だから、『初吉末凶』だってば」

「なにそれ?」

「あたしだってわかんないよ」

志保が難しそうな顔をしておみくじをにらみつける。

「あ、でも、縁談のところ『よき縁あり』だって。やった!」

志保が小さくガッツポーズした。

「旅行もよしって書いてある。東がいいんだってさ」

「お、いいな。東っていうと、千葉じゃん。千葉行こうぜ、千葉」

「なんでそんなに千葉に行きたがるの?」

志保が首をかしげる。

「バカ、言わせんなよ」

亜美はいったん志保に背中を向けると、くるりと振り向いて、

「千葉には太陽があるんだぜ」

と言ってにっと笑う。志保はあきれてため息をついた。

「亜美ちゃんはどんなのだった?」

志保が亜美のおみくじを覗き込む。

「あ、待ち人来ないって書いてあるよ。残念でした~」

「別に誰も待っててねぇし」

亜美が口をとがらせる。

「旅行は北がいいってさ」

「北ねぇ。北……。北海道にでも行くか」

「北海道には何があるの?」

「北海道には雪があるんだぜ」

今度は亜美はたいしてひねりも面白みもないことを言った。

「そうだ。せっかくだから、たまきにもおみやげ持って帰ろうぜ」

そういうと亜美は再び財布から200円を出した。

「ちょっと待って。おみやげって、おみくじのこと?」

「そうだよ」

「たまきちゃんのおみくじを、亜美ちゃんが引いて渡すの?」

「そりゃそうだろ。あいつ、来なかったんだから」

「そのおみくじって……当たるの? だって、本人が引いたものじゃないんだよ?」

志保がそう尋ねると、亜美はあっけらかんとして、

「バカ、こんな紙クズが当たるわけねぇだろ」

と元も子もないことを言い出した。

ふたたび200円を入れて、亜美はおみくじの山の中に手を突っ込む。

それと同時に志保は、自分のおみくじをそっとポケットにしまった。

そこには「病気:油断すべからず。過信すべからず。」と書いてあったのだが、志保はそれを亜美には伝えなかった。

こんな紙屑が当たるわけない、そう自分に言い聞かせて。

 

本殿から境内の入り口の方まで、参拝の行列が伸びている。軽く100人は超えていると思うが、それ以上は数える気にもならない。

「おい、あっちに屋台あるぞ。行こうぜ」

亜美が行列の向こうにあるいくつかの屋台を指さして言った。

「じゃあ、なにか食べ物買ってから並ぶ?」

「並ぶ? どこに?」

「いや、これに」

志保は参拝客の行列を指さした。

「ヤだよ。並ぶわけねぇじゃん。うち、並ぶの嫌いだし」

亜美は行列を一瞥すると、そういって通り過ぎて行った。

「あれ? 参拝しないの?」

「別にカミサマとか信じてないし」

「え? でも、初詣に来たんでしょ?」

志保が本殿の方を指さした。

「そうだよ。初詣に来たんだよ」

亜美は屋台を指さして言った。

「じゃ、あたしもなんか買おうかな……」

志保も参拝客の列を通り過ぎて屋台へと向かう。

「あ、クレープある。じゃ、あたし買ってくるね」

志保がそう言いながら亜美の方を向くと、亜美はフランクフルト屋の前にできた行列に並んでいた。

「おう、じゃ、その辺で待ってて。ウチも買ったら行くから」

「あれ、並ぶの嫌いなんじゃ……」

志保はしばらく亜美を見ていてが、

「ま、いっか……」

とクレープ屋の前に立った。

志保は並ぶことなくクレープを買えた。

クレープを食べながらちらりとフランクフルト屋の行列を見ると、亜美はまだ列の中ほどに並んでいた。

志保が再びクレープに目線を戻した時、

「よっ」

と言いながら誰かが志保の肩をたたいた。

声からして女性だ。だが、亜美はまだ列に並んでいるはずだ。とっさに志保はその列の方を見たが、亜美はまだ列の中で暇そうにしていた。

「カンザキさん、あけおめ」

志保は驚きで硬直しつつも、声のした方を振り返った。

トクラがそこに立っていた。真っ黒なコートを着込み、サングラスをかけていた。服から小物までの一つ一つがいかにもセレブと言わんばかりの高級さを漂わせている。

「ど、どうも、……あけましておめでとうございます……。トクラさんも初詣ですか?」

「ん? まあ、そんなとこ」

トクラはサングラスを外してにっと笑った。

「あっちの金髪の子と一緒? 今日はメガネの子はいないんだ」

「誘ったんですけど、たまきちゃん、こういうの苦手みたいで……」

「ふうん」

トクラは自分で話題を振っておきながら、あまり興味がないようだった。

「カンザキさん、あっちの歓楽街でご飯食べてきたの?」

「え、別にそういうわけじゃないですけど」

「ふうん。駅じゃなくて歓楽街の方から来たから、あっちで遊んでから来たのかなぁって思って」

「今日はお正月だからお店あまりやってませんよ……。あれ、なんであたしたち、あっちから来たってわかるんですか?」

「ああ、だって、ずっとつけて来たから」

「ええ?」

つけてきた?

あまり聞きなれない言葉に、志保は戸惑う。

つけて来たっていったいどこから? まさか、「城」から? 不法占拠がばれやしないだろうか。

いやいや、雑居ビルから出てきたのを見られたところで、なにかお店に用があったと思うのが普通。よもや不法占拠で暮らしてるなんて思わないだろう。

そもそも、舞のマンションを経由してからここにきている。

いや、気にすべきはそこじゃない。つけてきた、とはいったいどういうことだろうか。

混乱のあまり言葉が出ない志保を見ながら、トクラは志保がなにを聞きたいのか先回りしてわかっているらしく、勝手に答え始めた。

「何分か前に歓楽街の中をカンザキさんがあの金髪の子と歩いているの、たまたま見かけたんよ。で、あとをつけてみた、ってわけ」

そう言うと、トクラは志保の耳に顔を近づけ、囁くように言った。

「カンザキさんさ、自分じゃ気づいてないかもだけど、けっこう挙動不審だったよ」

「え、それどういうことですか?」

志保は意味が分からない、といった風にトクラを見た。

「あっちこっちキョロキョロキョロキョロ、金髪の子と比べても、だいぶ挙動不審だったよ」

「そんなこと……」

そういいながら、志保はふと、思い当たることがあった。

確かに、外を歩いている間、誰かに見られてる、そんな感覚が何度もした。

でもそれって……。

「それって、トクラさんが後をつけて来たからじゃないですか? ずっと誰かに見られてる気がしましたもん」

志保は少しムッとした感じで答えた。

「あ、そう。カンザキさん、気づいてたんだ」

そういうとトクラはクスっと笑う。

「その割には、こっち一回も見なかったけど。全然違うとこ見てたよ。本当に気づいてた?」

「そ、それは……」

志保は言いよどみ、トクラから視線を外した。

「カンザキさんさ、今日以外でも、誰かに見られてるって思う時ない? 町の中とか、家の中とかさ」

志保は答えなかった。

トクラの言うとおり、町の中でも、「城」にいる時でも、誰かに見られてる、そう思うことがよくあった。外はまだしも、屋内にいる時に誰かに見られていると強く感じる、それが志保には不可解だった。もしかして隠しカメラで盗撮されているのではないかと、一人でいる時に「城」の中を大捜索したこともある。何も出てこなかったが。

「あたしもね、誰かに見られてるって思うことよくあるのよ。部屋の中で監視カメラ探したり、盗聴器探したり、あと、窓の向こうから誰か盗撮してるんじゃないかって、窓開けて外に怒鳴ったこともあったよ」

トクラはそう言いながら志保の肩に手を置いた。志保はそれを払いのけようとしたが、なぜかできなかった。

「カンザキさんも聞いたことあるでしょ。ハッパだのクスリだのやってると、そういう妄想抱くようになるって。誰かに見られてる、聞かれてる、つけられてるって」

「あたし、今はクスリなんて使ってません」

志保は体をよじって、トクラの手を振るい落とした。

「使ってなくてもふとしたきっかけでそういう症状が戻ってくることがあるの。フラッシュバックって言ってね。それがひどくなると、またクスリに手を出すようになるの」

トクラは、志保が払いのけた手を再び志保の肩に置いた。そこに、

「お待たせ~」

と亜美がフランクフルトをほおばりながらやってきた。トクラは手を離すと、

「じゃ、カンザキさん、またね」

と言って去って行った。

「ん? 知り合い?」

「……施設の人と、偶然会って……」

「ふうん」

亜美はそれ以上は興味のなさそうにフランクフルトにかぶりつく。

黒いコートを着たトクラの背中を追いながら、志保はふと思った。

トクラは歓楽街の中から、志保たちをつけていたという。

元旦の歓楽街に一体何の用があったのだろう。

 

写真はイメージです

初詣を済ませた亜美と志保は、「城」へと帰ってきた。もっとも、参拝はしていないのだから本当に初詣を済ませたといっていいのか、疑問が残るが。

「城」の中ではたまきはソファに腰掛け、ゴッホの画集を眺めていたが、志保が

「ただいまぁ」

と声をかけると背筋を伸ばし、

「おかえりなさい」

と返事をした。

「おい、たまき、風呂行くぞ。早風呂だ。準備しろ」

亜美の声掛けにも、

「はい」

とはっきりと返事をする。志保はそんなたまきをまじまじと眺めていた。

「たまきちゃん、なんかいいことでもあった?」

「え?」

志保の問いかけにたまきが戸惑いを見せた。

「ど、どうしてそう思うんですか……」

「いや、何となくなんだけど、いつもより元気があるなぁ、って思って」

「……そう見えますか」

たまきは志保から視線を外しながら答えた。

「そういえばさあ」

と亜美がお風呂セットを用意しながら声をかける。

「ウチは早く風呂入って早く寝て、二日目の初日の出も見るつもりだけど、お前らはどうすんだ?」

「だから亜美ちゃん、それ、もう初日の出じゃないって」

志保はそう笑いつつ、

「日の出って何時?」

と亜美に尋ねた。

「う~んと、ちょっと待ってな」

亜美は携帯電話をいじりだした。

「4時半だってさ」

「4時半かぁ。早いなぁ」

志保がけだるそうな声を出す。

「一度起きて初日の出見て、それからまた寝りゃいいじゃねぇか」

「じゃあ、あたしも“二日目の初日の出”見ようかな。たまきちゃんはどうする?」

「あ、じゃあ、私も見たいです。“二日目の初日の出”」

そう言って笑うたまきを見て、志保は再び尋ねた。

「たまきちゃん、やっぱりなんかいいことあった?」

「べ、別に……」

そこで亜美が、

「そうだ、たまきにおみやげがあったんだ」

と言って、買ってきたおみくじを渡した。

「おみやげ、ですか」

たまきはおみくじの中を見た。亜美と志保も後ろからのぞき込む。

運勢は「凶」だった。

「凶だってよ。お前、くじ運ねぇなぁ」

「え、亜美ちゃんが引いたんでしょ?」

たまきはまじまじと「凶」の文字を見つめる。

「凶」というのはあまりよくないやつのはずだ。

死のうとしたけれど死にきれない、とかかな。

「あ、たまきちゃん、縁談よしって書いてあるよ」

「お、旅行悪しだってさ」

年上二人は、たまきが見るより先に見ていってしまう。

「あ、でも、方角は西がいいってさ。だから、西に旅行に行けばいいんじゃない? 亜美ちゃん、西には何があるの?」

「西か? 西にはたこ焼きがあるんだよ」

亜美もだんだん適当になってきた。いや、元から適当だったのかもしれない。

「西ですか……」

たまきはぼんやりと自分の左側を見た。もっとも、そこは北なのだが、たまきには知る由もない。

恋愛運とか旅行運とか、たまきに縁遠そうなことよりも、たまきは「ともだち運」を知りたかったのだが、たまきみたいな友達のいない子のことまでは、カミサマも考えていなかったようだ。

 

その日、たまきは久々にすっきりと眠れた。

別にこれまでも不眠症だったわけではないのだが、寝ようと目を閉じても心がざわざわしてなかなか眠れなかった。そんなことが一週間続いたのだが、その日は久々にすぐに眠りに落ちた。

夢の中で、たまきは森を歩いていた。

木々は複雑に入り組み、奥まで見通すことを拒んでいるかのようだ。

上を見上げても今度は枝がたまきの視界を遮り、太陽の光を細切れにする。

なんだか、たまきの絵に出てくるような木を集めて作った森、そんな印象を受けた。

そんな森の中を歩いていく。たまきは奥へ奥へと向かって行ったつもりだったのだが、いつの間にかアスファルトで舗装された大きな道に出てしまった。

道の上をたくさんの人が歩いている。セーラー服を着た女の子たち、なにやら楽しそうな若者の群れ、スーツを着たサラリーマン。

たまきもしばらく人の流れに沿って歩いていたが、なんだか息苦しくなり、たまきは道を外れて再び森の奥へと向かっていった。

森の奥へ奥へと向かっていくと、今度はどんどん心細くなる。

木の根っこに躓かないようにと下を向いて歩いていたが、頭に何かがぶつかった。顔をあげてみると、スニーカーが見えた。

さらに目線を上に上げる。スニーカーを履いた女の人が、木の枝からぶら下がっているらしい。学校の制服を着ている。女子高生、もしくは、中学生だろうか。

ぶら下がるといっても、鉄棒のように腕からぶら下がっているのではなく、木の枝からロープが伸びていて、それを首に括り付けてぶら下がっている。

要は、首つり自殺の死体だったのだ。

不思議と、怖くはなかった。どこかで、これは夢だと気づいているのかもしれない。

それよりも、スニーカーに何か見覚えがあるのが気になり、たまきは目線の少し上にあるスニーカーをしげしげと眺めた。

見覚えがあるはずだ。そのスニーカーは、たまきが今使っているものだった。

目線をあげてもう一度死んだ女の子を見てみる。

よく見るとその子の制服も、たまきの中学校のものだった。

眼鏡をかけていないが、その女の子はたまきだった。

ぽたっ、と水が生きてる方のたまきの顔に零れ落ちた。死んでる方のたまきのスカートの奥から、足を伝って滴っている。

そういえば、首を吊って死ぬと、お漏らしをすると聞いたことがある。

たまきは急に怖くなって、走り出した。木の根っこが地面の上に複雑に生い茂っているはずなのだが、躓くことなくたまきは走り続ける。夢は変なところでリアルなくせに、変なところで設定がご都合主義だ。

やがて、開けたところに出た。森の中でそこだけぽっかりと公園のように開けて、電話ボックスが置いてある。たまきは電話ボックスの中に入ってドアを閉めると、息を落ち着かせた。

受話器を取って「城」へと電話をかける。よくよく考えると「城」に固定電話などないし、もちろん電話番号もないはずなのだが、夢というのはこういう違和感になぜか気づけない。

呼び出し音を聞きながらふと見上げると、視線の先に大きな山があった。

青い山のてっぺんに白い雪が積もっている。富士山だった。

ああ、富士山だ。そういえば、おみくじに、西に行け、と書いてあったっけ。

そう思ったときに電話の向こうから亜美の声が聞こえてきた。

「おい、たまき、起きろ。二日目の初日の出、見に行くぞ」

そこで、目が覚めた。

 

写真はイメージです。

1月2日の午前4時15分、三人は太田ビルの屋上に立った。空は真っ暗だが、屋上から下に目をやれば、街灯の明かりと看板の明かり、店から漏れる明かり、お店から漏れる明かりが街を煌々と照らしていた。

夜のない街、不夜城。確かにそうなのかもしれない。

たまきは眠い目をこすりながら、鉄柵に寄り掛かる。冬の夜の冷気を思いっきり吸い込んだ鉄柵は冷たい。

一番眠そうなのは志保だった。大きなあくびを一つ二つ。

「四時半だっけ? 初日の出」

亜美がうんと答える代わりにうなづいた。

「志保、なんか初夢とか見た?」

「ううん、見てない。亜美ちゃんは?」

「なんか見た気がするんだけど、起きたら忘れちゃった」

「あ~、あるよね~、そういうこと。すごい楽しい夢だったとか、すごい怖い夢だったとか、そういうのは覚えてるのに、肝心の中身を全然覚えてないってこと」

志保が眠そうに眼をこすりながら言う。

「たまきちゃんは初夢見た?」

「はい」

「へぇ。どんなの?」

たまきは、なんて答えるか少し迷った。たまきの場合、見た夢をはっきりと覚えていた。

はっきりと覚えていたから、少し迷った。

「その……森の中を歩いていたら……山が、富士山が見えました」

「富士山? それ、初夢で一番いいやつじゃん!」

「え? そうなんですか?」

「そうだよ。昔から、『一富士二鷹三茄子』って言って、富士山と鷹とナスの夢を初夢で見ると縁起がいい、って言われてるんだよ」

「はあ……」

たまきは初めて聞いた、と言わんばかりにきょとんとしている。

「え? 富士山は日本一だからわかるけど、鷹はなんで?」

亜美が鉄柵にもたれながら口をはさんだ。

「さあ……かっこいいからじゃない?」

志保も適当に答える。

「じゃあ、ナスは?」

「ナスは……」

志保はなんとか答えを探そうとしたが、言葉が出てこなかった。

ただただ、ナスのように真っ黒な空が、三人の頭上に広がっていた。

 

1月2日午前4時25分。依然として空は真っ暗で、空気は刺すように冷たい。

最初に違和感に気づいたのは志保だった。

「ねえ、おかしくない?」

真っ暗な空を見上げながら志保が言う。

「何が?」

「あと5分で日の出のはずでしょ? いくらなんでも、空、暗すぎない?」

亜美とたまきは空を見上げた。相変わらず、宇宙の深淵まで覗けそうな真っ暗な空が広がっている。

「亜美ちゃん、昨日、初日の出見たんでしょ? どうだった? こんなに暗かった?」

「え~、どうだったっけなぁ……」

亜美は額に手を当ててしばらく記憶を探るように目を閉じた。

「そういや、もっと空が青っぽかったような……」

「もしかして、世界はとっくに終わってて、もう二度と太陽は昇ってこないんじゃ……」

志保はそう言ってからほかの二人の顔を見て

「そんなわけないよね……。ごめん、今のは忘れて……」

と恥ずかしそうにうつむいた。

「あの……本当に4時半なんですか?」

たまきが不安そうに亜美を見た。

「えー、4時半って書いてあったよ」

亜美は携帯電話を取り出して操作した。

「ほら、ここ、1月2日の日の入りは4時半って書いてあるじゃん」

「ほんとですね」

たまきは亜美の携帯電話を覗きこんで言った。だが、志保は

「ちょっと待って!」

と大きな声を出すと、亜美の携帯電話をかっさらった。

「日の入りが4時半!?」

「ああ、そう書いてあるだろ?」

「亜美ちゃん、日の入りって、日没、夕方のことだよ!?」

「へぇ、そうなん……」

亜美はぼんやりと携帯電話を見つめていたが、顔を見上げて空を見て、

「は?」

と声をあげた。

「日の入りって、初日の出のことなんじゃねぇの?」

「逆だよ。朝は日の出、夕方は日の入り」

「でもよ、プロレスとかで選手入場っつったら、選手がロープ越えてリングの中に入ってくる事だろ? じゃあ、太陽が地面越えて入ってくるのだって『日の入り』じゃねぇのかよ? 太陽は朝に入ってきて、夜に出ていくもんだろ? なんで夕方が日の入りなんだよ、おかしいだろ!」

「あたしに文句言われても、朝が『日の出』なんだから、夕方は逆に『日の入り』じゃん」

「それがおかしい、つってんだよ。太陽は朝に入ってきて、夜に出てくもんだろ!」

「だからあたしに言われても……」

「あの……」

たまきが申し訳なさそうに口をはさんだ。

「それじゃ、日の入りが4時半っていうのは、今日の夕方4時半に日が沈むってことなんですか?」

「……そうだね。ほら、ちゃんと”PM4:30″って書いてあるよ。亜美ちゃん、見落としてたんでしょ。」

「じゃあ、日の出は結局、何時なんですか?」

亜美と志保は同時に携帯電話を覗き込んだ。

「朝の……7時……」

「なんだよ! 2時間半も先じゃんか! ふざけんなよ!」

「亜美ちゃんが間違えたんでしょ? そもそも亜美ちゃん、昨日、初日の出見たんでしょ? なんで時間違うって気づかないの?」

「起きてテレビつけたら初日の出がどうこう言ってったから見に行っただけで、初日の出見たらすぐまた寝たから、時計なんか見てねぇよ」

気づけば時間は朝の4時33分になっていた。相変わらず空は漆黒の渦がとぐろを巻いている。

「……どうする? 寝る?」

志保が一気に疲れたような顔を見せた。

「いまから戻っても、寝れる気がしねぇよ。体冷えてかえって目がさえちまったよ……」

「たまきちゃんはどうしたい? 寝たい?」

「別に……」

たまきも体が冷えて寝れる気がしない。

「とりあえず寒いし、部屋戻ってそうだな……テレビでも見ようぜ……」

亜美はそういうと、階段に向かって歩き出した。

 

午前4時45分。3人はテレビの通販番組をぼんやりと見ていた。

「なあ、ほかに番組ないのか?」

亜美が志保を見て、志保はチャンネルを回す。

ニュース、ニュース、ニュースとチャンネルを回すもニュース番組が続き、そのたびに志保は亜美の顔を見るが、亜美は顔をしかめて首を振るばかり。

最後にたどり着いたチャンネルはただひたすらとどこかの清流の映像を流し続けていた。

「つまんねー!」

亜美はそういうと勢いよく立ち上がった。

「ちょっと出かけてくるわ」

「え、出かけるってどこへ?」

志保が驚いたように亜美を見る。

「この辺だよこの辺」

亜美はソファの上に無造作に投げ出されていたジャケットを羽織った。

「この辺って言ったって、お店なんかやってないでしょ?」

「でも、寝れねーし、テレビつまんねーし、ここにいたってしょーがねーから、ちょっと散歩してくる」

「でも、朝の5時だよ? もし、おまわりさんとかに見つかって補導されちゃったら……」

「大丈夫だよ。あれじゃね、警察も今日くらいは正月休みなんじゃね?」

「そんわけないでしょ」

志保はあきれたようにため息をついた。どうやら、説得は無駄らしい。

「わかった。じゃあ、あたしも行く」

そう言うと志保は立ち上がった。

「一人で歩いてるより二人で歩いてる方がまだ、不審にみられないかもしれないでしょ。わかんないけど」

志保も外出の準備をする。

「じゃあ、その理屈だと三人の方がいいだろ。たまき、お前も来いよ」

「え……」

たまきは座ったまま、二人の顔を見上げた。

「うーん、どうだろ……、たまきちゃんって背もちっちゃいし、夜中に出歩いてたらかえって怪しいんじゃ……」

「いや、わかんねぇぞ。うちら二人歩いてたら夜遊びっぽく見えるけど、たまき一人増えるだけで、印象変わるかもしれねぇ。たまき、絶対夜遊びしそうじゃねーもん」

「まあ、確かに……」

二人の視線がたまきへとむけられる。

「たまきちゃんはどうしたい?」

志保が優しく問いかける。

「えっと……その……」

「昼間と違って人なんかいねぇから、大丈夫だろ。来いよ」

「あの……そうなんですけど……その……」

たまきは心配そうに、亜美と志保を見つめた。

「この辺って悪い人もいっぱいいるじゃないですか。夜中に歩いてたら、悪い人に撃たれて死んじゃうかも……」

それだけ言ってたまきは、恥ずかしそうに下を向いた。

亜美と志保はいったんお互いに顔を見あい、それからたまきに視線を戻し、大爆笑した。

「いくらなんでも、そこまで治安悪くないよ、たまきちゃん」

「だいたい、いつも死にたい死にたい言ってるやつが、なに『撃たれて死んじゃうかも』って心配してんだよ」

「そうですけど……撃たれるのはなんか……」

たまきはバツの悪そうに、亜美の方を見た。

 

写真はイメージです

コンビニの前の冷たいアスファルトの上に三匹の野良猫がたむろしていた。亜美たちが太田ビルの階段がら降りてくると、驚いたのかネコたちは道を空けてくれた。

亜美たちはコンビニを覗き込む。店員さんが掃除をしているほかには、二人ほどの男性客が雑誌を立ち読みしている。

「……で、どこ行くの?」

「そんなん決めてねぇよ。一人でその辺ぶらぶら歩いてくつもりだったからなぁ。どっち行く?」

亜美は道のあっちとこっちを指さして、志保とたまきに尋ねた。

「そっちは交番が二つもあるから、やめた方がいいんじゃない?」

「じゃあ、駅の方行くか。でも、駅前にも交番あるぞ?」

「そこまでいかなくてもいいでしょ。ほどほどのところで引き返せば」

「じゃあ、行くか。いいかたまき、常に周りを見渡して、警察を見かけたらすぐに知らせるんだぞ」

なんだか、散歩に行くというより、戦争に行くゲリラ部隊みたいだ。たまきはそんなことを考えながら、二人のあとについていった。

 

ものの2~3分で大通りにたどり着く。

昼間は車が絶えず行きかい、途切れることなどないが、真夜中ともなると車はたまに何台か通るくらいで、さながら音のない川のようだ。

「なんか、こういう真夜中のさ、誰もいない東京の大通りを、車でぶっ飛ばしたくねぇ?」

大通り沿いに歩きながら、亜美が口を開いた。昼間は喧騒に飲み込まれてなかなか声が届かないのだが、今はとてもよく聞こえる。

「ちゃんとスピード守ってよ、亜美ちゃん」

「たまきはどうだ?」

「私は別に……」

たまきが少し不安げに道路を見ながら答えた。

 

三人は映画館の前にやってきた。当たり前だが、今は上映時間外で、誰もいない。

海外のアクションもの、日本の恋愛もの、サスペンスもの、シリアスでグロそうなもの、なんだかよくわからないものと、様々な映画のポスターが並んでいる。

「あ、今度これ見に行くんだ」

志保がポスターの中の一つを指さした。

青い空にうっすらと雲がたなびく。それを背景に、セーラー服を着た女の子が一列に並んでいる。何か楽しいことでも語りあっているのか、誰もがはじけんばかりの笑顔だ。

キャッチコピーには「青春、それは誰もが必ず通る道」と書かれていた。

「誰と見に行くんだよ、こんな映画」

亜美が笑みを浮かべながら尋ねる。

「別に誰とでもいいでしょ」

志保が少しそっぽを向いて答えた。

「っていうかこれ、何の映画?」

「青春映画だよ」

「面白いの、それ? こっちの方がおもしろそうじゃね?」

亜美は暗くてグロそうな映画のポスターを指さした。

「あー、でも、デートにはこういうの向かないかぁ」

そう言って亜美はにやっと笑う。

「その映画、マンガ読みましたけど、あまり面白くなかったです」

たまきがぼそりと、それでいてはっきりとつぶやく。

「へぇ。どんな内容?」

「……人が死ぬんです」

「それだけ?」

たまきは小さくうなづいた。

「じゃあ、デートには合わねぇなぁ。やっぱこっちじゃねぇと」

亜美はわざと「デート」を強調し、志保も少し顔を赤らめる。

たまきは「青春映画」のポスターをじっと見た。

どうして、こういう映画のポスターは、青空が背景に使われるんだろう。

まあ、「青春」というくらいだ。青空のようにさわやかで、晴れ渡って、どこまでも突き抜ける。それが「青春」という言葉のイメージなのだろう。

それが青春だというのならば、私は青春なんて知らない。

たまきがそんなことを考えていると、いつの間にか亜美と志保は歩きだしていたらしく、少し離れたところで立ち止まって、たまきを手招きしている。

たまきはとぼとぼと歩きながら、空を見上げた。

ビルとビルの間の地割れのようなスペースに、真っ黒な空が濁流のようにあるだけだ。これで満天の星でも輝いていれば、これはこれで青春だと胸を張れそうだが、ただただ真っ黒な空があるだけだ。

誰か、真っ黒な青春映画や、灰色の青春映画も作ってくれればいいのに。

 

写真はイメージです

お正月の真夜中の歓楽街は、お店がたくさんあるところはしばしば人がいるが、路地裏ともなるとほとんど人がいない。三人は人目につかないようにと道を選んで歩く。でも、あんまり人目につかない場所も怖いので、そういうところは避けて歩く。また、誰かが道端で殴られてるところにでも出くわしたらたまったもんじゃない。

そうこうしているうちに、昼間に亜美と志保が訪れた神社の入り口に来た。

「せっかくだからお参りしてかない?」

と志保が鳥居の奥を指さす。

「昨日来たじゃん」

と口をとがらせる亜美。

「昼間はすごい行列でちゃんとお参りできなかったでしょ? 今ならすいてるって」

「別にいいけど、まだ並んでたりして」

「まさかぁ」

亜美と志保は笑いながら境内へと入り、たまきもそれにとぼとぼとついていく。

昼間の大行列も、今は霞のように消えていた。それでも何人かは人がいて、初詣なのだろうか、お参りをしている。夜の闇の中でうっすらと明かりがついた真っ赤な社は、昼間に見るよりもなんだか神々しかった。

石段を上り、社の前に立つ。志保がお賽銭を入れると、たまきもそれを見てお賽銭を入れた。

柏手を叩く構えを見せて、志保が固まる。

「……どっちだっけ? 叩く? 叩かない?」

「神社は叩く」

そう答えたのは亜美だった。パンパンと二回たたき、志保とたまきもそれに倣う。

両手を合わせて祈りをすますと、亜美は

「行くか」

と言ってきた道を引き返した。

「亜美ちゃん、よく神社のお参りに仕方なんか知ってたね」

「オヤジがうるせぇんだよ、こういうシキタリとか。それよりお前ら、なにお願いしたんだよ」

「え、あたしは……」

志保が口を開きかけたが、亜美は

「ま、どうせお前は色ボケしたこと考えてたんだろ」

と、両手を後ろに組んで言った。

「べ、別に……その……ちゃんとその、治療のこともお願いしたもん」

「治療のことも、ねぇ……」

亜美は「も」をやけに強調してにやりと笑う。

「たまきは何お願いしたんだ。まさかカミサマに『殺してください』とかお願いしてねぇよな」

「してません」

「じゃあ、何お願いしたんだ?」

「別に何も……」

「まさか、お前も色ボケたことを……」

「ほんとに何も……」

たまきはほんとに何もお願いしなかった。亜美の真似をして手を叩いて合わせてみたものの、お願いしたいことは特には思い浮かばなかった。

「そういう亜美ちゃんは何お願いしたの?」

「え? カネだよ、カネ」

「夢がないなぁ」

「何言ってんだよ。カミサマよりカネサマの方が願い叶えてくれんだろ」

亜美は胸の前でパンパンと二回手を叩いた。

 

そのあとも歓楽街を当てもなく三人でうろついた。

酔っ払い以外にほとんど人がいなかったが、次第に車の量も増え、スーツ姿の人もちらほらと目に入るようになった。

太田ビルの前に戻ってきた時には、三人の頭上には、群青の絹を敷いたような空が広がっていた。

三人はコンビニで買い物をしてから、「城」へと戻ったが、亜美は荷物だけ置くと、

「屋上にいるから」

と言った。

「まだ日の出には時間あるよ?」

「いいよ、待ってるよ。4時半からずっと待ってるのに比べたらましだろ」

「じゃあ、あたしも屋上で待ってようかな」

そう言って志保も亜美のあとを続く。たまきは少し眠かったが、せっかくなので屋上に行くことにした。

屋上から見た空は、さっきと同じ群青のようだが、それでいて、さっきからほんの数分しかたっていないにもかかわらず、少し明るくなったような気もする。

4時半の時はまだ空が真っ黒で、屋上から見えるビルも、輪郭も壁の色もわからず、窓の明かりでとりあえずビルがあるとわかる程度だった。だが、今は群青の空を背景に、ビルの輪郭がぼんやりと、壁の色彩がはっきりと見える。

明け方の空の群青は、昼間の青空に近い色なのかもしれない。

だが、青空それ自体が輝きを放つのに対し、明け方の群青の空は深みのある暗さをたたえている。

そのため、群青の空に包まれた町明かりは、その深みのある暗さに引きたてられ、不思議と夜中に見るよりも輝いているように見えた。

その空はとっておきの絵の具で塗りたくったかのようにきれいで、朝と夜の狭間の不安定さを持ち、少しずつその色味を変えていく。町明かりはまるで真珠のようにほのかな輝きを放ち、ちりばめられていた。

「あのビルとビルの間、ちょっと空が明るくなってない?」

「ああ、あそこから初日の出が入ってくるんだよ。二日目の初日の出」

志保が指さした方角から、少しずつ空が白く、明るくなってきている。あと二、三十分もすれば、誰もが知っている青空へと変わるのだろう。

だからこそ、たまきにはこの群青の空が、なんだかいとおしいもののように思えた。

たまきは、青空の青春なんか知らない。

でも、青空のもとで青春を謳歌する人たちは、きっとこの群青の空を知らないのだろう。

群青の空は青空よりもどこか暗く、それでいてきれいで、儚い。

そんな空を、友達と三人で見ている。

それがどれほど奇跡的で、どれほどかけがえなくて、どれほどいとおしい瞬間なのか、きっと青空の下で青春を過ごす人たちには、わからないだろう。

「青春、それは誰もが必ず通る道」、そう書かれた映画のキャッチコピーを思い出す。

誰もが必ず通るはずの青春を、たまきは通っていない。そこを通る前にわき道にそれ、いまだやぶの中だ。

それでも、こんなにきれいな青い空が広がっていた。

たまきは昼間の、青空の青春を知らない。

知らなくていい。

この群青の夜明け前の空が、きっと私の、私だけの青春なんだ。

つづく


次回 第23話「あたりまえ、ときどき、あたりまえ。ところにより、あたりまえ」

田代と一緒に映画を見に行く志保。3人はばらばらの行動をとることに。行く当てもなくいつもの公園を訪れたたまきだったが、あるミスを犯したことに気づいてしまう。続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」