クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」第27話にして、ついに主人公の一人、志保の過去が明かされます。なぜ、志保は薬物に手を出したのか。「あしなれ」第27話スタート!
シブヤの大型家電量販店の中のゲーム売り場、最新のレースゲームのお試しプレイ用コントローラーを、志保は握っていた。
1Pのコントローラーは友人が握っている。志保は2Pのコントローラーを握り、画面の向こうにある緑の車を操っている。
神崎志保。星桜高校1年生。
画面の中の車は猛スピードで高速道路を走り、何台もの車を追い抜いていく。現実の高速道路と違うのは、いくらスピードを出してもパトカーが現れないこと、いやがらせかと思うくらいに曲がりくねっていること、そして、高速道路にもかかわらず、壁がないことだ。
コントローラーの操作を誤ると、あっという間にコースアウトしてしまう。道路の向こうい広がる暗闇に車が飛び出し、三回繰り返すとそのままゲームオーバーだ。
制服である紺色のブレザーを身にまとった志保は、表情を変えることなく、コントローラーを握りしめていた。
隣では友人の赤い車が、ヘアピンカーブで大きくコースアウトして暗闇を舞った。直後に現れる真っ赤な「GAME OVER」の文字。
「あ~!」
友人がため息にも似た叫びを漏らし、その後ろで別の友人たちが口々に
「惜しかったよ~」
「いや、あれ、ムズいって」
と笑いあっている。
一方の志保は、相変わらず硬い表情を崩すことなく、コースに車を走らせていた。友人たちの視線も志保に注がれる。
「志保っちうまいじゃん。ゲームとかやるイメージなかったけど」
「これは操作がシンプルだから」
志保は画面を凝視したまま答えた。
そう、こういうのは要領を抑えればいいのだ。
そもそも、自動車レースというのは、速く走ればいいわけではない。単に自動車の速さですべてが決まるのであれば、ドライバーなんて誰でもいい。
ドライバーの腕の見せ所はハンドルさばきである。トップスピードで走りつつ、高速で迫りくるコースの変化に対して、的確なハンドル操作をミスすることなく繰り返すことが、トップレーサーの才能だ。
もちろん、志保にそんな才能はない。
だから、志保はスピードを出すことを控えた。
志保たちがプレイする前にこのゲームを体験していた人たちはいずれも、トップ近くまで加速し、コースアウトや激突を繰り返し、ゲームオーバーとなっていた。後ろで並びながらその様子を見ていた志保は理解した。このレースゲームはコースの難易度が高く、トップスピードを出してしまうと、よほど慣れていない限りクリアできない。初心者が完走したければ、スピードを抑えることが重要だ。
スピードを抑えることは、レースとしては邪道かもしれない。
それでも、コースアウトしてゲームオーバーになってしまったら、何にもならないじゃないか。
志保はスピードを捨て、正確さに徹した。
そうなると後はもう、要領の良さの問題である。車をずらしたり、方向を変えたり、必要なタイミングで必要な操作をするだけだ。
志保は無事完走した。画面に「FINISH」の文字が踊り、背後から友人たちの歓声が聞こえる。
「志保っち、すごいじゃん!」
「あ、でも、順位は17位だって」
このゲームは30台もの車でレースを競う、という設定だ。第30位から始まり、一台ずつ車を抜いていく。
志保は早々に順位を捨てた。順位を気にしていたら、完走できない。どれだけ早かろうと、ちゃんとゴールできなかったら意味がない。
「でもさぁ、ミカのあれ、マジウケたよね」
ミカというのは、志保の隣でプレーして、早々にゲームオーバーとなった友人だ。
「あれねぇ。他の車に二回連続でぶつかって、そのままコースアウトってヤバすぎるでしょ」
「しかも、そのあと復活したけど、5秒でまたコースアウトして、ゲームオーバーでしょ? 下手すぎ」
そう言って、友人たちはゲラゲラと笑う。
会話の中心にいるのは、完走した志保ではなく、ゲームオーバーになった友人の方だった。
志保にはその理由がわかっていた。
志保のプレーは、ゲームとして面白くなかったのだ。
なにより、志保自身がプレーしていても、面白くなかった。
完走しても、ちっともうれしくなかった。
ゲームをしていたはずなのに、いつの間かそれが作業となり、楽しめなかった。
いっそコースアウトしてゲームオーバーしてしまった方が、ゲームとしては楽しめたのかもしれない。
焦げ茶色のレンガを積み上げたような巨大なマンションに、志保は入っていった。志保は物心がついた時から、このマンションの9階で家族と暮らしている。
「ただいま……」
薄暗い部屋の中から返事はない。だが、そもそも返事を期待していたわけではないので、志保は表情を変えることなく靴を脱ぐ。
共働きの両親は今日も帰りが遅い。夕食に間に合うのであれば何か連絡があるはずだが、神崎家の食卓に二人以上の人間が並ぶことは稀だ。休日でさえ、志保はひとりで食事をとることが多い。一人っ子なので、志保は家でのほとんどん時間を、一人で過ごしている。
そういえばさっきメールが来ていた。もしかしたら、とチェックする。
メールの主は両親ではなく、違う学校に通うカレシだった。ゴールデンウィークに入る少し前に、友達が開いた合コンのような感じの食事会で出会った相手だ。内容はたわいもないようなこと。志保もたわいのないようなことを打ち込んで返信する。
携帯電話をテーブルの上に置くと、着替えを済ませ、一息つくと、夕食の準備に取り掛かった。
最初は母の手伝いとして料理を始めたのだが、いつの間にか自分一人のために料理をするようになっていた。
料理をし、食事をし、片付ける。ここまでを志保は、まるで機械化された工場のように淡々とこなした。
夕食後はテレビを一時間ほど見る。番組が終わると自室へと向かい、机の上に参考書を置いた。一学期の期末テストもそう遠くない。ちゃんと勉強しておかなくては。
そこで携帯電話が鳴った。母親からのメールだった。
用件は二つ。帰りが終電近くなるということと、ちゃんと勉強しておくようにとのこと。
他にないのか、と志保は少し寂しく思った。
年頃の娘が一人で留守番をしているのである。「戸締りをしっかり」くらい書いてあってもいいんじゃないだろうか。夕飯にちゃんと栄養のあるものを食べてるのかとか、そういうことは気にならないのだろうか。
もっとも、昨日も一昨日も母親からのメールは同じ文面だった。どうせ、前に送ったメールをコピーしているのだろう。
志保も昨日母親に送ったメールをコピーする。ただ、それだけではさすがに物足りないので、絵文字を一つ追加した。「わかった。大丈夫。ちゃんとやってるよ」という味気ない文面も、そのひと工夫でだいぶ印象が変わる。
新しいメールを一から作成するよりも、そういう機能を使う方が、効率が良く、要領がよい。
そう、世の中の大抵のことは要領である。
料理を作るのも、勉強するのも、要領だ。傾向と対策を把握し、あらかじめいくつかのパターンを想定しておいて、状況に合わせて、用意しておいた対処法をこなしていけば、大抵のことはうまくいく。昼間のゲームがそうだったように。
人間関係だって、結局は要領だ。どういう話題を押さえておけば、友達が喜ぶか。どういう返事をメールで送れば、カレシと良好な関係が保てるか。どういう子供を演じておけば、両親が安心するか。
神崎志保という少女のもっとも秀でた部分は、その要領の良さと言える。
そもそも志保は、基本スペックからして高かった。勉強は人並み以上にでき、運動もそこそこできる。おしゃれにも気を使い、わりとモテる部類に入っている。手先も器用で、料理もできる。苦手なことと言えば、歌うことがちょっと苦手なくらい。
基本スペックが高いうえに、志保は要領がよいため、大抵のことは何でもこなせた。何でもできる子だったし、できないことがあっても、どうすればできるようになるかはすぐに分かった。そして、少し練習すればすぐにコツをつかみ、うまくなれた。
頭が良くて、かわいくて、何でも要領よくこなせる子。志保は小学校の頃から、そういうポジションだった。
子供の頃はそれでよかったのだ。勉強ができれば、両親や先生が褒めてくれる。おしゃれに気を遣えば、お友達から一目置かれ、男子にもモテる。
進学校に入り、多くの友達を作り、カレシを作る。青春のリア充要素を、その持ち前の容量の良さで志保は次々と揃えていった。
それはそれで、幸福だった。
だが、いつからだろうか。志保の幸福と背中合わせの場所に、得体のしれない恐怖が居座り、無数の見えない針で背中に痛みを与えるようになっていったのは。
勉強も友達もカレシも、要領よくこなしていけば、大抵のものは手が届く。多少の障害やハプニングが起ころうとも、その要領の良さでうまく切り抜けてしまう。
今まで、ずっとそうしてきた。
そして、たぶん、これからも。
進学、就職、出世、結婚、子育てと、たぶん世の多くの人がそうしているように、自分もそつなくこなしていけば、多少の障害はあれど、そう苦労することなく手にできてしまう。そんな予感が志保にはあった。それは驕りでも慢心でもなく、自分を客観的に分析したうえでの答えだ。
その予感が志保に、得体のしれない恐怖を与えていた。なんだかもう自分の人生が数十年先まで決まっているのではないかという得体のしれない恐怖に、志保は感触のない水の中でおぼれているかのような息苦しさを感じていた。
そして行きつく先は、両親と同じような大人になっている自分である。そういう未来が、容易に想像できた。
別に両親の人生を否定しているわけではない。大きな企業で重責を担っている両親のことは、素直に尊敬している。
それでも、結局は両親と同じような人生を歩んでしまうことは、なんだか歪んだ時空の無限ループに陥っているような気がして、それが志保にはとてつもなく怖かった。
たしかに自分の意志で選んでいるはずなのに、何か陰謀めいた力によって自分の意志を操作されているかのような、言いようのない恐怖感。実は自分が人間ではなく、プログラム通りに動くロボットなのだと突きつけられたかのような絶望感。
志保を操る陰謀めいた力。おそらく「常識」と呼ぶものがそれだろう。
その常識に逆らうことなく、淡々と従ってしまう自分と、そこからもたらされるわかりきった明日、未来。それが何より、怖かった。
勉強して、お風呂に入って、気が付いたら夜の十一時を過ぎていた。両親はまだ帰ってこない。
志保は自分の部屋の電気を消すと、ベッドに入った。
昼間とたがわぬ明るさを保っていた部屋だったが、灯りを消すと、部屋は夜本来の暗闇に包まれた。
「変わってんな、お前」
志保のカレシであるタカユキはそう言って笑った。
「やっぱりヘンかなぁ」
志保はパスタをフォークに巻き付けている。
シブヤの商業施設の中にあるパスタの店で、志保はタカユキとともにランチを食べていた。
何でもそつなくこなせてしまうと、先のことが見えてしまい、結局予定通りの人生しか歩めそうになくて、それが怖い。
そんなことをタカユキに話したのだが、返ってきたのは「変わってんな、お前」という言葉だった。
変なやつだと言われることもうすうす予想できていたのだが、志保は普段はそんな風に言われることがないので、改めて他人から変だと言われると、少しイラっとした。
だが、客観的に見ればやっぱり志保の考え方は変なのであろう。それもわかるから、志保は感情のささくれをそっと直して、タカユキの話を聞く。
タカユキはパスタを巻いたフォークを頬張り、メロンソーダを飲んでから、続きを話し始めた。
「だってさ、勉強も、ファッションも、料理も、人間関係も、何でもできるにこしたことないじゃん。その結果さ、欲しいものが手に入って、やりたいことがうまくいく。充実してんじゃん。それが怖いっていうのが、よくわかんねぇんだよなぁ」
もう一口、タカユキはパスタを口にした。
「それってさ、贅沢じゃね?」
そういわれることも、志保は予想していた。むしろ、そういわれることがわかっていたから、今まで誰にもこの話はしていなかった。
「何、ヤなの? 今の学校とか。あ、もしかして、俺と付き合ってるのがヤとかいうなよ?」
「ちがうちがう! そういうんじゃない。今の学校好きだし、そもそも、自分で志望して入ったんだし。タカくんのこともちゃんと好きだって」
そう言ってから志保は、「好き」という前に2秒ほど空白を開けるべきだったかな、と思った。それもやっぱり、持ち前の容量の良さで、恥じらいを演出したほうがタカユキはかわいいと思うだろう、というあざとい計算からくるものであった。
だが、もう一つ理由があった。何の臆面もなく、戸惑いもためらいも恥じらいもなく、「好き」と息を吐くように言ってしまう自分に、何か違和感を感じてしまったのだ。
「でしょ? 俺にとってお前は、かわいくて頭いい自慢のカノジョなんだから、ヘンな心配しなくていいんだよ」
自慢のカノジョと褒められると、やっぱり悪い気がしない。志保は少し顔を赤らめて下を向いた。
だが、またもや志保の左側に、要領が良くて客観的な志保が現れ、問いかける。
「自慢のカノジョ」というが、一体誰に自慢するというのだろうか。
そもそも好きだから付き合うのであって、誰かに自慢したりうらやましがれれるために付き合うのではない、はずである。
「自慢のカノジョ」というけれど、本当に自慢したいのはカノジョのほうじゃない。「自慢のカノジョを持っている俺ってスゲェ」なのではないか。
それは、ブランド物のバッグや高価なアクセサリーを見せびらかすのと大して変わりないのではないか。
でも、その自慢癖は、おそらく志保にもある。
タカユキはおしゃれな方ではあるが、決してギャル男というわけではなく、派手な遊び人でもない。志保の第一印象も「大人びててやさしそうな人」だった。実際、やや軽いところもあるが、一方でやさしくまじめな一面も持っている。
そんなタカユキは志保にとっても「自慢のカレシ」であった。
実際、タカユキの写真を友人たちに見せたときの、「え~! カレシ、かっこいい!」「やさしそー!」「いいなぁ」という羨望の強い驚嘆を浴びたときは、間違いなく優越感を味わっていた。
結局のところ、志保も一番かわいいのは自分ではないか。
要領よく何でも手にしてしまう自分の人生に言いようのない怖さを感じている一方で、そうやって常識的な欲望を満たすことを自ら欲し、手に入れている。
「常識」に従うことに恐怖を感じながらも、結局のところ志保は、「常識」を踏み外して生きることができないのだ。
もしかして、自分は本当の意味でタカユキのことを好きなのではないんじゃないか。ふとそんなことを志保は考えてしまう。
志保が欲しかったのは、「自慢のカレシを演じてくれる誰か」であって、それがたまたまタカユキだっただけなのではないか。
「さて、そろそろ行こうぜ」
タカユキが立ち上がり、志保も後に続く。
「あ、あたしも払うよ」
志保はバッグの中の財布に手をかけたが、タカユキは
「いいよいいよ、おごるって」
と言って一人でレジに行ってしまった。
二人で食事するときは、いつもタカユキがおごってくれる。志保は何度も自分も払うと申し出るのだが、タカユキは財布にかなり余裕があるらしく、いつもその申し出を断る。
そのたびに志保は引き下がる。ここはしおらしく、タカユキに「カノジョにおごるカレシ」を演じさせておけば、すべて丸く収まるという計算のもとに。
「でも、タカ君っていつもお金に余裕あるよね」
タカユキは学年でいえば志保の一個上、高2である。バイトの経験も志保よりあるのだろうが、だからと言って毎回おごってくれるとなると、その財源が気になる。
「販売系のバイトって言ってたよね。何売ってるの?」
店を出た志保は、タカユキの横に並びながら尋ねた。タカユキのバイトについてはこれまで、「販売系」としか聞いていない。服か何かを売ってるのだろうと勝手に思っている。
タカユキは少し何かを考えるようなそぶりを見せてから、口を開いた。
「……アイスだよ。あと、チョコとかかな」
「なにそれ? スイーツ屋さん? なんか似合わない」
志保はそういって笑った。それにしても、よっぽど人気で儲かっているアイス屋さんで働いているに違いない。
この世には、とっくにバランスを失っていて、今にも崩壊しそうであるにもかかわらず、外から見てもとてもそんな風には見えないものがある。
たとえば風船。外から見るとまんまるで愛らしいが、その実態は空気が内部から圧力をかけ、ゴムがはちきれんばかりに膨張したとても不均衡な状態だ。わずかな穴ひとつで簡単に破裂する。
志保の家庭もそのような状態だった。両親は仕事でほとんど帰らず、たまに顔を合わせても会話と言えば「勉強はどうなんだ」くらい。次第に志保もカレシや友達との時間が増え、家に寄り付かなくなった。家族それぞれの時間が、家の外を軸に回り始め、家は、思い出の写真を飾るだけの箱となった。
志保の両親が離婚したのは、高校一年生の夏休みに入ってすぐだった。母親の方が家を出ていき、志保は父と暮らすことになった。名字も父方の「神崎」のまま。
実は、離婚の原因は、志保にもよくわからない。少なくとも、不倫だとか暴力だとか、何か決定的なものがあったわけではない。
一方で、何がきっかけになったのかはわからないが、その根底には「家族が家族でなくなっていた」ことがあるということを、志保は確信していた。
おそらく、きっかけはまるで風船に刺さった針のような小さなものだったのだろう。普通の家庭ならば、日常の小さな棘として見過ごされるようなものだったのかもしれない。
だが、志保の家庭は違った。その何ともわからぬ小さなきっかけで、それまで確実に存在していたにも拘らずまるで存在しないかのように扱われてきた家族のほころびが、一気に破滅へと広がった。ちょうど、風船が何に触れて穴が開いたのかもわからずに破裂するかのように。
そのことは、志保の心にもちろん、影を落とした。
だが、それ以上に志保の心を曇らせたことがあった。
それは、両親が離婚したにもかかわらず、志保の生活も人生も、何も変わらなかったということだった。
両親の離婚が決定的になった時、志保はもちろん悲しかった。だが、その一方で、自分が少し胸躍っていることを否定できなかった。
両親の離婚という大事件で、自分の人生も何か変わるのではないか、と。
レースゲームに例えれば、突然コントローラーが故障してどう操作すればいいのか全く分からない、そんな状況が訪れるのではないかと、少し期待していたのだ。
要領の良さとか、スペックの高さとか、そういうものとは違う、もっと人間的な何かが試される大きな試練が訪れるのではないか、と。
常識通りに生きることに違和感を覚えつつも、けっきょく常識を踏み外せない志保は、何か常識はずれなトラブルが起きて、常識通りの人生を無理やり変えてくれないかということを期待するしかなかった。
だが、離婚後最初の一週間で、そんな試練は訪れないことを志保は悟ってしまう。
家に帰ってもだれもおらず、自分で自分のご飯を作り、夏期講習やデートに出かける、それまでと変わらない日々。
もともと家にいなかった両親が半分になったところで、志保の生活に変化はなかったのだ。ゼロに2分の1をかけてもも、答えはゼロのままである。
おそらく、神崎家の破綻は志保が思っていたような大事件ではなく、とっくの昔に破綻していた家族に、「離婚」という名前がようやく付いた、たったそれだけのことだったのかもしれない。
だが、そのことは、両親が離婚した以上に、志保の心に大きな影を落とす。
家庭が破綻して、両親が離婚しても、自分の人生は何も変わらない。
じゃあ、一体何が起きれば、志保の人生は変えられるというのだろうか。
「志保っちのカレってさ、青柳第二高だっけ?」
八月に入ったある日のことだった。友人たちと四人で、カフェで時間をつぶしていた志保に、友人の一人が尋ねた。
「そうだけど?」
志保は答えたが、そこから先の会話が続かなかった。
尋ねといてなんなんだろう、と友人の顔を見ると、なんとも微妙そうな表情をしている。
「なに? どうかしたの?」
「……塾で聞いた話なんだけどさ……」
そう言って友人は、何か申し訳なさそうに切り出した。
「この前、青柳第二の生徒が二人、覚醒剤で逮捕されたんだって……」
その話を聞いた時、最初の反応として志保は思わず笑ってしまった。
「覚醒剤? あはは、ないない。ガセだよ、そんなの」
評判の悪い不良高校ならいざ知らず、青柳第二高校は偏差値も少し高めの、普通の高校である。
そこの生徒が覚醒剤で捕まるなんて、ありえない。まず、接点がないはずだ。覚醒剤なんて代物、どこから入手するというのだろうか。
「誰から聞いたの、そんな話」
志保は半ば笑いながら尋ねた。
「だから、塾の友達だって。その人の友達の先輩って言うのが、青柳第二の人と付き合ってて……」
つまり、「友達の友達から聞いた怪談話」のようなものだ。取るに足らない、信憑性に欠ける話だ。
「それでね、ママにその話したら、ママが高校の頃にも、そんな噂があったんだって」
志保は友人の話す噂話よりも、「ママとたわいのない話をした」という部分の方が引っかかった。母親とそんな、取るに足らないような噂話をしたなんて、いつが最後だっただろうか。
そこで、別の友人が口をはさんだ。
「あたしもガセだと思うけどなぁ。青柳第二でしょ? ないって」
「でも、ママの話だとね……」
友人はそういうと、ドリンクを一口すすって、話しはじめた。
「ママが高校の頃の青柳第二って、不良高校ってわけではなかったみたいなんだけど、それでも何人かの不良グループがいたんだって。その人たちがやばい大人と繋がってて、校内でクスリとか売りさばいてたんだって」
やはり、どうにも信憑性に欠ける話である。
「それって、三十年くらい前の、うわさ話でしょ?」
志保はドリンクをすすりながら、さほど気にしてないように言った。
「だからママが言うにはね、その時の密売グループみたいなのが今でも校内に裏のパイプみたいなのを持ってて、そこを通じて麻薬を売ってるんじゃないかって」
「それって、ママの想像でしょ? 刑事ドラマかなんかの見過ぎぎじゃないの?」
志保はもはや、気にしないのを通り越して、呆れかえってしまった。
「とにかく、志保っちも気を付けてよ?」
友人は心配そうに志保を見た。
「気をつけるって何を?」
「だから……、ヘンなクスリを売りつけられないように……」
「タカ君はそういうんじゃないし」
「あ、いや、志保っちのカレシがそうだって言うんじゃなくて……」
友人はそういうとバツの悪そうに、ドリンクのストローに口をつけた。
「まあ、志保は大丈夫でしょ」
それまで黙って話を聞いていた別の友人が口を開く。
「志保は頭いいし、しっかりしてるもん。そういうクスリに手を出す人って、『いつでもやめられると思ってた』とか、『自分は大丈夫だと思ってた』とか、そういう風に考えてるんでしょ? 志保はそういうタイプじゃないって」
「でも、もしカレから勧められたりしたら断わりづらいんじゃ……」
「だから、タカ君はそういう人じゃないって」
志保は怒るでもなく、明るく言った。
まったくもってばかばかしい話だ。青柳第二がどうとか、志保のカレシがどうとかいう話もばかばかしいが、仮に噂が事実だったとして、志保のカレシがクスリに関わる人物だったとして、志保がそんなものに手を染めるなどありえない。志保は友人たちとの会話をそう頭の中で片づけ始めた。
薬物の恐ろしさくらい、志保だってわかっている。そういう授業もあったし、テレビでも見たことがある。
一度使ってしまえばやめられなくなる悪魔の薬。意志の強さでどうにかなるレベルではない。
友人が言う通り、『自分はやめられる』『自分は大丈夫』、そんな甘い考えは通用しない。意志の強さや体質などに関係なく、万人に等しく破滅をもたらす薬、それが覚醒剤である。
そう、覚醒剤は、万人に等しく破滅を与える。
……その一言だけが、どうにも志保の心から離れてくれなかった。
自分の部屋で一人、パソコンの画面をスクロールさせて、志保は文字を追って行った。
「薬物 恐ろしさ」で検索して出てきたのは、警察や市役所などが作った、薬物がいかに恐ろしいかを伝えるホームページなどだった。
薬物がもたらす快楽についても書かれていた。薬物に手を染める人はきっとそういうのに魅かれる人がほとんどなのだろうが、正直、志保はそこには特に興味がない。
志保が知りたかったのは、薬物がいかに人を破滅させるか、という点だった。
勉強の合間の息抜きに調べ始めたのだが、気が付けば読みふけっている自分がいた。
覚醒剤を一度でも使えば、肉体だけでなく、精神も破壊し、さらに依存度が強く、一度使ったら抜け出せない。このサイトを書いた人はきっと、薬物に興味を持った人にその恐ろしさを伝えることで踏みとどまらせようと思って書いたに違いないのだが、志保はその文章に妙な期待感を抱いている自分を否定できなかった。
次に志保は「青柳第二 覚醒剤」で検索をしてみた。
いわゆる掲示板のようなものに、「青柳第二の生徒が覚醒剤で捕まった」とか、「昔もそんな事件があった」とか、友人から聞いた話に近いものが書かれていたが、いかんせん、掲示板というのが嘘くさく、信憑性に欠ける。
その中で一つ、志保がまだ聞いたことのない話があった。どこまでも信憑性に欠ける話ではあったが、覚醒剤の売り子についての話だ。
志保は不良というと髪を金に染め上げ、タバコを吸ってノーヘルでバイクを乗り回す、そんなヤンキー漫画に出てくるようなイメージしかなかったが、今、青柳第二で売り子として暗躍している不良たちは、そんなステレオタイプな連中とは違うのだという。
外見は普通の生徒と変わらない。どちらかと言えばちょっと遊んでいる風ではあるが、校則を逸脱するような派手さはなく、校則の範囲でおしゃれをしているといった感じだという。
「……なんか、タカ君みたい」
思わずそう口にしている志保がいた。
売り子の少年たちは、生活態度も目立った素行不良などはない。
だが、学校にばれないところで悪事を働く。見た目の派手さやケンカの強さではない、狡猾さのある不良なのだという。
つまりは、「いかにもなワル」ではなく、教師から見ても親から見ても友人から見ても、そんな悪人には見えない、それでいて、隠れて悪事を働く狡猾さと、それを罪だと思わない倫理のなさ、そういった子に密売グループは目を付けるのだという。
そんな若者は、わりと多いんじゃないか。そんな風に志保は考えていた。バレなければ多少ズルをしたって構わない。ルールを真面目に守るよりも、どうすれば他人より優位に立てるか、どうすればより多くのお金が手に入るか、そっちの方が大事という若者は。
そして、志保はあることに気づいていた。
クリックをするたびに、画面をスクロールするたびに、志保の中に「自分の人生を壊したい」という、何色ともつかない願望が芽生え、大きくなっているということに。
いや、本当はもっと前から抱いていたものだったのかもしれない。それまでは、人生を「壊す」ための手段など思いもよらず、そんな願望があること自体を自覚していなかった。だが今、その「手段」があることに気づいてしまい、同時におぞましい願望を自分が抱いていたことにも気づいてしまったのだろう。
そんなおぞましい願望を抱いたのは初めてだった。「願望」自体を抱いたことが、志保にとっては初めてだったかもしれない。
それまでの志保は、「常識」に従って生きてきた。
そう、何かを自分で望んだのではない。ただ常識に従い、常識的に有利な方へと自分の駒を進めてきただけだ。
毎日勉強するのも、自分がそう望んだんじゃない。「勉強しないと将来に影響する」という常識に従っているだけだ。
進学校に入ったのも、自分がそう望んだんじゃない。偏差値の高い学校に行けば将来に有利だという常識に従っただけだ。
友達付き合いも、自分で望んだんじゃない。「友達は多い方がいい」という常識に従っただけだ。
タカユキと付き合ったのだって、自分では「彼のことが好きだから」と思っているけれど、本当は自分でそう望んだのではなく、「カレシがいた方が幸せだ」という常識に従っているだけなのかもしれない。
そう、何一つ自分で望んでなんかいない。何一つ自分で選んでなんかいない。ただ常識に従っていて生きていただけだ。
「常識」と言うとまっとうなものに見えるけど、「どこのだれが決めたかも定かではない価値観」だ。「自分の意志」ではない。
自分の願望を抱かず、自分にとって何が幸せか考えもせず、ただ常識が決めた幸せに向かって駒を進めるだけの人生。
それが「自分の人生」と言えるのか。
そんな人生を歩む自分は、本当に「自分」と言えるのか。
その人生を歩むのは、別に自分じゃなくてもいいんじゃないか。
「神崎家の一人娘」も、「星桜高校の志保っち」も、「タカユキのカノジョ」も、志保じゃない別の誰かが成りすましても、誰も気づかないんじゃないか。
だって、志保がこれまでやってきたことは、「一人娘」や「優等生」、「明るい友人」、「自慢のカノジョ」という役割を常識的に演じることだったのだから。
求められていたのは志保ではない。与えられた役割を、常識ってやつが書いた脚本にしたがって、要領よくこなしてくれる「誰か」。
要領よく役をこなしてくれるのであれば、別にそれは、志保じゃなくてもよかったのだ。
それでも、志保は与えられた役に縋りつき、そつなくこなすことしかできない。
役をうまくこなせば、その先にあるのは銀幕の中のような、誰もがうらやむ幸せな光景だ。キャンパスライフを楽しむ志保。スーツを身にまとい会社で活躍する志保。ウェディングドレスを着て教会で祝福される志保、赤ん坊を抱いて幸せそうな志保、年老いて子供や孫に囲まれる志保……。
でも、そこに写っているのが志保じゃない別の誰かと入れ替わっても、たぶん、誰も気づきやしないのだろう。
誰もがうらやむ幸せを手にする人間が誰かだなんて、本当は別に誰でもよいのだ。
だって、ただ常識に従って生きてきただけで、本当に自分が望んで手にした幸せではないのだから。
同じように、志保の周りの人たちが、違うだれかに入れ替わっても、たぶん志保は気づかないのだろう。母親がいなくなっても、生活が大して変わらなかったように。家族が、友人が、カレシが、別の誰かと入れ替わっても、志保は何事もなく生きていくのだろう。
何一つ実体を伴わない空っぽの人生。誰もがただ役割をそつなくこなしていくだけの人生。まるで自分という存在が顔も名前もない靄でしかないような気がして、志保にとってそれはたまらない恐怖だった。
そんな恐怖が、志保にある願望を抱かせた。
それまで願望を抱かず、常識が求める役割を願望とすり替えて生きてきた志保が、はじめて抱いた願望。
それが「自分のこの人生を壊したい」というものだった。
自分のこの人生を壊して、常識にただ従うだけの人生を変えたい。
親の離婚や家族の崩壊よりもさらに強烈な、今いる場所にはもう二度と戻ってこれないくらいに、何もかも、徹底的に、完膚なきまでに、壊したい。
そうすることでしか、「自分」というものがつかめない。志保はそう思うようになっていた。
ふと、要領の良い志保が、どす黒い破壊願望を抱く志保をいさめるようにささやきかける。そんなことしてもろくな結末にならない。もっとよく考えろ。もっとうまい方法があるはずだ。
志保が最初に壊したのは、そんな要領の良い自分だった。そうやって要領よく最善のやり方を求めても、何かが変わったようで結局今までと何も変わらないような気がしたのだ。
後先考えずに壊す。きっと、それくらいのことしないと、また「ここ」に戻ってしまう。後先考えずに壊すことでしか、この恐怖からは逃れられない。
なにより、はじめて抱いた心の底からの願望、それも、計算高さとは真逆の感情を前に、「要領の良さ」はあまりにも無力だった。
黒い願望を抱いたまま検索を続ける日々が、何日か続いた。
その間も志保の変わりない日常が続いた。夏期講習に行って、家事をして、カレシにメールして、勉強するだけの日々。そこには、志保の人生を変えるなにかは転がっていはいなかった。ブレーキのない列車に乗り続けるかのような恐怖感は、日に日に強くなっていく。いや、元から抱いていた恐怖を、日に日に実感しているのだ。
ただ一つ、ネットの中に書かれた、悪魔の薬についての話だけが、志保が望む破滅をもたらす唯一の扉に見えた。
そして、「壊したい」はいつしか、「壊そう」へと変わった。
観覧車は志保とタカユキを乗せて回る。上る。
東京から少し遠出しての遊園地デート。志保が最初に乗りたいと言ったのは、絶叫マシーンでもお化け屋敷でもなく、観覧車だった。
タカユキはもっとスリルがあるアトラクションが良かったらしいが、志保がどうしても乗りたいというので、折れた。
「でも、観覧車ってさ、たしかに景色はスゴイいいけど、地味じゃん」
観覧車に乗る前、タカユキはそうつぶやいた。
そう、観覧車は、地味だ。
大騒ぎすることもなく、黙って座っていれば、眺めの良い所へ行ける。
そこから見える景色を見て「きれいだねー」とつぶやく。ほんとは予想通りの景色でしかないことは隠して。
そうして、また同じ所へと戻ってくる。そうしたら、また別の客が乗り込むだけ。
観覧車に誰が乗ってるかなんて、どうでもいいことだ。
だが、観覧車がほかのアトラクションより優れているところを挙げるとすれば、それは気密性の高さだろう。
中でだれがどんな話をしてようと、決して外に漏れることはない。
志保はタカユキの手をぎゅっと握りしめる。高度が増すにつれて少しずつその力は強くなり、志保の鼓動も早くなる。
だが、それは高いところが苦手なわけではない。ましてや、恋のドキドキなんてものではない。
下を歩く人たちが、ピーナッツぐらいの大きさになった時、志保は切り出した。
「……なんかまたおごってもらっちゃって、ごめんね」
「いいって別に。余裕あるし」
「そんなに時給いいの? アイスとかチョコとか売るバイト」
「時給か……。時給で考えたことねぇから、わかんねぇや」
「ふーん」
志保は下を見た。ピーナッツよりさらに小さくなった人影と、自分の膝と、腰まで垂れた自分の髪が同時に見えた。
「それってさ……、今持ってる?」
「……ん?」
タカユキが志保の方を見たが、志保は下を向いたまま、彼を見なかった。
「アイスとか……チョコとか……」
志保とタカユキは、園内に入ってから、何も買うことなくこの観覧車に乗った。もしかしたらタカユキが板チョコを隠し持っててもおかしくはないが、アイスクリームなど持ってるはずがないのは、一目瞭然である。
それでも志保は尋ねた。「アイスかチョコは持っているか」と。
それが、志保が扉を開けるために用意したカギだった。もし、志保の推測が正しければ、タカユキは何かを察するはずだ。それで鍵があく。
志保のような常識を踏み外せない人間でも、ちょっと目をつむっている間に、確実に人生を破壊してくれるクスリの入った宝箱の鍵が。
「そっか……」
タカユキは志保の隣でため息にもつかない息を漏らした。
「ここにはないよ。センパイに電話すれば用意してもらえると思うけど……。でも、高いよ?」
そういってからタカユキは、一度言葉を切る。
「まあ、最初だけなら、俺が金払ってもいいけど……」
「またおごってくれるんだ……」
そういって志保は笑った。
最初はおごっても、どうせ依存から抜け出せず、何度も買い求めるすることになる。最終的には儲かるという計算なのだろう。
もしかしたら、最初から絶好のカモだと目をつけられていたのかもしれない。いや、今はそんなことはどうでもいい。
そうすることを決めたのは、まぎれもない志保自身だ。
青柳第二高校で脈々と、ドラッグの密売が受け継がれているという噂。
売り子の姿にタカユキがぴたりとあてはまるという推測。
そして、「アイス」が覚醒剤を、「チョコ」が大麻を意味する隠語である、というネットで簡単に出てくる事実。
「お菓子」や「スイーツ」ではなく、「アイス」や「チョコ」という言い方をしたタカユキの選択。
それだけでタカユキがそうだと決めつけるには確証が足らなかったが、鍵が開くかどうかを試してみるには十分だった。
なにより、「人生を壊す」という目的において、こんなチャンスはもう訪れないだろう。
そして、鍵は開いた。
志保の胸には、今まで感じたことのない充足感が広がっていた。
親や先生、常識に従うのではなく、はじめて自分の意志で何かを望み、何かを選択したのだという充足感。
それがたとえ「自分の人生を破滅させる」という決断だったとしても。
一つ一つを田代の前で言葉にしながら、志保の眼はいつの間にか涙にぬれていた。
なに、泣いてるんだろ。
全部、自分で決めたことなのに。
望み通り、観覧車のようにただ上って降りるだけだった志保の人生は、根元から壊せたのに。
きっと、田代が志保への失望を表情に浮かべるのを、見たくなかったから、目が涙でぬれるんだろう。
いつかのトクラの言葉が蘇る。破滅と背徳は甘美なのだ、と。
破滅を自ら望む人なんているわけない、そんな風に志保は考えていた。
でも、ちがった。クスリがもたらす想像を絶する快楽と絶望の狭間にもまれて、そもそものきっかけを志保は忘れていた。
誰よりも志保が、自分の破滅を望んでいたということを。
観覧車のように高い塔の上で、ラプンツェルが長い髪を垂らして待ち望んでいたのは、すてきな王子様なんかじゃない。
高い塔も、長い髪も、お姫様という役割も、何もかも壊してくれる、破滅そのものである。
「サイテーだよね……。意味わかんないよね……」
涙が志保の目からぽろぽろとこぼれる。おかげで、田代が今どんな顔をしているのか、志保にはわからない。
いい。わからなくていい。どうせ失望と幻滅と軽蔑といったところだろう。
でも、それは仕方ない。
志保はみずから破滅を望み、その道へと進んだのだから。その代償は甘んじて引き受けるべきだ。
そもそも、志保が徹底的な破滅を望んだのは、もう「あそこ」には戻らないようにするためだ。
それなのに、人並みに恋をしようだなんて。
恋をして、結ばれて、幸せになって、そんな甘い夢を描いてしまった自分がいた。
でも、その先にあるのは、きっと志保が恐れていた「常識に従うだけの人生」なのではないか。
そして「そこ」に戻ってしまった志保はきっとまたこう思うだろう。
「これが自分の人生なのか」
「こんなの、自分じゃなくてもいいんじゃないか」
「自分はただ役割を演じているだけなんじゃないか」
「本当に自分で選んで決めたのか」
本当に恐ろしいのは、悪魔のクスリなんかじゃない。
恐ろしいのは、空っぽの人生をまた歩んでしまうこと。
その先にある幸せが空っぽであると気づかずに、流されるままに追い求めてしまうこと。
そして、そんな人生を破壊したいという衝動をまた抱くであろうこと。その甘美な衝動からは逃れられず、どんな背徳的な手段を使っても、また自分の手で壊してしまうということ。
人は時に、自ら望んで手に入れたはずの幸せを、自ら壊してしまう。不倫だったり、DVだったり、虐待だったり、このような悲劇の不可思議なところは、それが望んだ幸せと祝福の延長線上にあるということだ。
幸福になることを望んで、望み通りの幸福を手に入れたはずなのに、なぜか自分の手でそれを壊す選択をしてしまう。
こんなはずじゃなかった。
私が望んだ幸せは、こんな形じゃなかった。
こんな現実が待ってるなんて、思っても見なかった。
それがもし、自分で望んだ幸せだったら、そのための選択と行動の結果だったら、きっとどんな代償にだって人は耐えられる。だって、自分で望んで、自分で選んだのだから。
耐えられなかった、壊したくなったということは、きっとそれは、実は自分で望んだものではなかったということなんだろう。自分で選んだように思えて実は、どこの誰が描いたともわからない「常識的な幸せ」に自分を落とし込み、そこで求められる役割を演じてきただけ。
それが積み重なると人は、「これは私の望んだ幸せではない」と、自ら壊してしまう。
今の志保にはまだ、自分にとって何が幸せなのかを自分で見つけ、自分で選び、自分で手に入れていくことができない。何が自分にとっての幸せなのか、今思い描いている幸せな未来は本当に自分で選んだものなのか、今の志保にはまだわからない。
なのにこのまま田代と一緒にいても、また目先の快楽と常識に引きずられてしまう気がした。そしてまた空っぽの人生を歩めば、きっとまた、自分の手で壊してしまう。
そんな未来が、そんな明日が怖い。
湧き上がる何かを押さえつけ、志保は言葉を発した。だが、もうその言葉も志保の耳には届いていない。田代の言葉も、顔も、もう志保には届いていない。
覚えているのは一番最後に「さようなら」と告げ、田代に背を向けたことだけだった。
つづく
次回 第28話「こうした方がいい、時々、こうしたい」(仮)
第26話から続く「志保ちゃん三部作」の最後のエピソードです。続きはこちら!