小説「あしたてんきになぁれ」 第42話「ジャングルのちライオン、ところにより鳥」

ミチに連れられて絵コード店へと行くたまき。そこでついに、たまきは落書きの作者と「出会う」……。「あしなれ」第42話、スタート!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

第41話「ローラーのちハケ、ところにより筆」


画像はイメージです

東京にも梅雨が訪れた。とはいえ、カエルが喜びの歌をケロケロ歌うこともなく、ただしとしとと濡れたアスファルトがイヤな匂いを発するばかりだ。

昨日から降り続いていた雨が午後になってようやく止んだ。公園の「庵」の前に、仙人が椅子に腰かけてカップ酒をぐびぐびと煽っている。

桜の木の枝から雨粒がしたたり落ちる。その向こうから、少女が仙人の方に近づいてくるのが見えた。

「やあ」

仙人はそう声をかけて笑った。

「久しぶりだね、お嬢ちゃん。元気にしとったか」

仙人の問いかけに、たまきは無言で頷いた。

「その……ちょっと……バイトをしてました」

「ほう、アルバイトか……」

「そのことで、ちょっと相談があって……」

 

「ふむ……」

仙人は難しい顔をしながら、スケッチブックをめくる。そこには、仏像が鉛筆でいくつもいくつも描きこまれていた。

「その……どうでしょうか……?」

「悪くはないんじゃないか?」

仙人はメガネのずれを直しながらそう言った。よく見ると、仙人のメガネには少しひびが入っている。

「その……なにか足らないところとか……」

「そう言われてもなぁ……。その住職さんには見せたのかい?」

「ええ、まあ」

「なんと言ってた?」

「いいんじゃないかしら、と……」

「ならそれでいいじゃないか」

そう言って仙人は笑う。

「わしはその住職さんではないからな。住職さんが何を求めてお前さんに絵を任せているのかわからんから、勝手なことは言えん。すくなくとも、技術的にはまあよく描けてる方だと思うぞ」

「そうですか……」

たまきは、なにか納得いかないみたいだ。

「この中の一体をお寺の塀に描くわけか」

「いえ、その、お寺の塀は横に長いので、いくつかの仏像の絵が横にずらりと並ぶ形になるかな……と……」

「はっはっは。まるで三十三間堂だな」

たまきは首をかしげる。

「京都にそういう場所があるんだ。金色の仏像がずらりとならんどってな、その中に必ず知り合いに似た顔があるという、有名な場所だ」

たまきは京都に行ったことがなかった。中学の修学旅行で行く予定だったみたいだけど、修学旅行には参加しなかった。

「ふむ、足りないところか……」

仙人はまたメガネの位置を直しながら、しげしげと絵を眺めた。

「確かに、よく描けているが……」

仙人はたまきに目線を写した。

「お嬢ちゃんは、どうして仏像を描いているんだい?」

「え、えっと……それは……アルバイトで、住職さんに頼まれて……」

「それだけかい?」

「え、まあ、はい……」

たまきには、今一つ仙人の質問の意図がつかめない。

「お嬢ちゃんは、仏様に祈ったことはあるかい?」

「……え?」

たまきは、胸の前で両手を合わせた。

「いのり……ですか……?」

神様や仏様に祈るだなんて、そんなこと、考えたこともない。

たまきはそれを言葉にすることはなかったが、そのたたずまいから仙人には十分に伝わったらしい。

「足りないところがあるとすれば、それは祈りだな。祈りが足りない」

「いのり……」

たまきは胸の前で合わせた両手を見つめる。

正直、仙人の言っている意味は全く分からない。でも、感想を求めたのはたまきであり、きっと「祈り」の意味を自分でしっかり考えることが、仙人からたまきに出された宿題なんだろう。

 

写真はイメージです

翌日からまた、雨はしとしとと空を覆い、地面を濡らした。

たまきがまどろみから目を開ける。

薄暗い「城」の中では、亜美がソファに寝転がりながら暇そうに携帯電話をいじっていた。一方で、志保は忙しそうにバタバタと出かける準備をしている。

「ヨコハマの天気は曇りときどき雨だってよ」

「なに、その微妙な天気。サイアク~」

志保が手櫛で髪を整えながら、げんなりしたように言う。

「土砂降りよりましだろ。ってゆーか、梅雨の時期にデートに行く方が悪いんじゃね?」

「しょうがないでしょ。あたし、六月生まれなんだから」

この日は志保の誕生日の前日。今日と明日、志保は田代とヨコハマで初めてのお泊りデートをする予定なのだ。もちろん、ヨコハマに泊まりに行くことは、主治医である舞の「まあ、一日くらい、いいんじゃね?」という許可をもらってある。

「あ~も~、どーしよー! 間に合わないかも~! いってきます~」

と、志保は大急ぎでヒールの高い靴を履くと、駆けだすようにドアの外へと消えた。

扉が完全に閉まったのを確認してから、亜美は

「ちっ!」

と、舌打ち、ではなく、はっきりと口で言った。

その様子をたまきは、ソファの上に横たわりながら見て、ころりと亜美に背を向けた。

志保が恋人と外泊することの、何がそんなに気に入らないのだろうか。むしろ、亜美の方がよっぽど外泊が多いじゃないか。

とはいえ、たまきの中にも、なにかもやもやとした、釈然としないものが凝り固まるかのように存在しているのを、たまきはうすうす気づいていた。

誕生日には友達よりも恋人と一緒にいたい。そう思うのは、きっと当り前のことなんだろう。

でも、「トモダチ」よりも「コイビト」の方がえらいだなんて、誰が決めたんだろう。

一緒にいると楽しい。トモダチとコイビトで何が違うというんだろう。

「亜美さん……」

「ん?」

「たとえば……からあげがあるじゃないですか」

「……ああ」

「みんなで食べようと思ってせっかく作ったからあげを、知らない人につまみ食いされたとしたら……どう思いますか?」

「ムカつくね!」

亜美はたまきの方を見ることなく答えた。

たまきはのそのそと起き上がると、着替えて、顔を洗って、鏡で髪を手櫛で整えるという、たまきなりに頑張って身だしなみを整える。

「出かけてきます……」

と、リュックを背負いながらたまきは言った。

「お、何だ? おまえもデートか?」

と言いながら亜美は上半身を起こしたが、すぐに

「んなわけねぇか。雨降ってるのに、どこ行くんだ?」

たまきは少し考えてから、

「隣町の……床屋さんです……」

と答え、「城」を出た。

 

雨の中たまきは青い傘をさして北へと向かう。

繁華街を抜けた北側はいわゆるコリアンタウンだ。韓国料理のお店だったり、韓流スターのグッズのお店だったりが並ぶ。

たまきが普段この辺りを歩くことはない。以前にお花見に行くときに通ったくらいだ。

影のように黒いアスファルトに雨水がしみわたり、たまきが歩くたびに跳ね上がるしぶきが鈍く煌く。

次第に雨は弱まっていき、歩き始めて二十分ほどたつと、すっかり雨はやんでいた。

たまきは大通りに出た。この辺りはコリアンタウンの中心地らしく、右も左もそれっぽいお店が並んでいる。

そして、両側の歩道には、制服を着た女子高生が大勢行きかっている。平日だというのに、遊園地と見まごうくらいだ。時間的にはまだ正午を過ぎたあたりであり、たまきが言えた義理ではないが、彼女たちは学校はどうしているのだろうか。きっと、たまきと違って「適度に」学校をさぼったりできる人たちなのかもしれない。

女子高生の群れの間を縫うようにしてたまきはコリアンタウンを歩く。コリアンタウンの景色よりもハングル文字の看板よりも、制服を着た学生の中にいることの方が、たまきにとっては違う国に迷い込んだような感覚に陥るのだった。

やがて、大通りをまたぐように走る高架が見えてきた。駅だ。駅前には大きな工場があって、ミントの香りが漂ってくる。きっとお菓子工場か何かだ。

たまきは改札の前に立つと、キョロキョロと周りを見渡した。ここが待ち合わせ場所なのだ。

不意に肩を暖かれ、振り返ると、ミチがそこに立っていた。

「よっ。おつかれ」

「……どうもです」

たまきは軽く頭を下げた。

ミチがたまきに「レコ屋の店長が、『鳥のラクガキ』を描いた人を知ってるらしい」と告げてから、一週間近くがたっていた。これから、ミチの案内でそのレコード屋に行くのである。

もしかしたら、あのラクガキを描いた本人に会えるかもしれない。「作者の知り合いに会える」ということは、本人に会える可能性だってゼロじゃないはずだ。

でも、いざ会えるとなった時、何を話していいのかわからない。ただでさえ人見知りなうえに、聞きたいことが多すぎて、逆に何も質問が思い浮かばない。

本人に会ってみたいけど、できるなら会いたくない、そんな風にたまきは考えていた。

「迷わなかった? 別に迎えに行ってもよかったのに」

とミチは言ったが、冗談じゃない。ミチとどこかに出かけるところなんて、絶対に知り合いに見られたくなかったから、わざわざ待ち合わせ場所を『城』から遠ざけたのだ。それこそ今日みたいな日にミチがたまきを迎えに『城』に来ようものなら、亜美に何を言われるかわかったものじゃない。

ミチと合流したたまきは、彼の後をとぼとぼとついていく。二人は高架の反対側の路地裏を歩く。

そこはさっきのコリアンタウンとは違い、タイだのネパールだのスリランカだの、いろんな国のお店が並んでいた。さっきのように女子高生がぞろぞろと歩いているわけでもなく、むしろアジア系の外国人が多いようにも感じる。

東京の都心のいかにも「東京でござい」みたいな場所よりも、こういうもはや国籍不明な場所の方が、たまきは歩いていてよっぽど居心地がよかった。

ふと、店と店の間の狭いスペースに、スプレーのラクガキがあるのが目に留まった。

そういえば、ここは歓楽街から歩いてこれるような場所だ。

そして、これから行く先には鳥のラクガキの作者を知っている人がいるという。

だったら、このへんも「作者」の活動範囲の中なんじゃないだろうか。

繁華街では見つけられなくなったラクガキも、ここにならあるかも。

「ああ、着いた着いた、ここだよ」

とミチが指さしたのは、駅から少し離れたところにある青い塗装の建物だった。一階は古着屋で、外階段を上った二階をミチは指さす。そこが目的地のレコード店なのだろう。

ところが、たまきに話しかけるつもりで後ろを振り向いたミチだったが、視線の先にたまきがいない。

「あれ?」

ついさっきまで後ろをついてきてたのに、と当たりを見渡すと、道路を挟んではす向かいの雑居ビルの前にたまきが立っていた。

「そっちじゃないよ」

とミチが声をかけるも、たまきはビルの前を右に行ったり左に行ったりしている。そして、隣のビルとの間にある狭い隙間に入っていってしまった。

ミチがあとを追っかけていくと、隙間に入り込んだたまきが、ビルの上の方を見上げていた。

「どうしたの? なにがあるの?」

「あれです、あれ!」

たまきの声は心なしか弾んでいるように聞こえた。たまきが指さす方へとミチも視線を向けた。

灰色のコンクリートの壁のかなり上の方に、白いなにかが付着していた。目を凝らすと、以前にたまきと一緒に公園で見つけた鳥のラクガキと同じものに見えた。

「これ、たまきちゃん探してるやつ?」

「はい……!」

やはりたまきの声はどこか弾んでいる。

「よく見つけられたね」

「このビルならなんかありそうな気がして。やっぱりあった……」

ミチは周りを見渡す。

「このビルならって……、ほかのビルと何か違うの?」

たまきはその質問には答えずに、レコード屋のある青いビルの前に立った。

「ここですか?」

「そうそう。ここの二階ね」

ミチは外階段を上っていった。そして、二階のドアの前に立って振り返った。

またしても、たまきは視線の先にいない。

「あれ?」

ミチがきょろきょろと周りを探す。数十秒して、ようやく自分の真下、外階段の下にたまきがいるのを見つけた。

「今度は何?」

ミチが階段を降りてたまきのもとに向かう。

外階段のあるビルの側面は駐車場に面していて、視界はかなり開けている。たまきは駐車場の中に立って、青いビルの壁を見つめている。

その隣にミチが立ち、同じように壁を見つめた。

青く塗装されたコンクリートの壁に、絵が描かれていた。黒い線、黄色い線、赤い線、オレンジの線。たぶん、ペンキだろう。色とりどりの線が壁の上を縦横無尽に走っている。

正直な話、ミチにはこれが何を描いたものなのか、さっぱりわからなかった。子供が画用紙にクレヨンでぐちゃぐちゃと描いた絵を、大人がビルの壁で再現したような感じにしか見えない。

「この絵が……どうかした?」

たまきは何も言わず、ただ絵を見つめていた。

人目につかない場所に描かれている鳥のラクガキと違い、この絵は道を駐車場の方から来れば、すぐに目に入る。どうぞ見てくださいと言わんばかりだ。

たまきにも、この線の塊が何を描いたものかはわからない。いや、そもそも形ある何かを描いたような絵ではないのかもしれない。

ただ、壁いっぱいを使って無数の線が、壁からはみ出してしまいそうなぐらいダイナミックにほとばしる様に、たまきは強く惹かれていた。

 

写真はイメージです

ようやく二人はレコード屋の中に入った。店の名前を「ハンペンレコード」という。

「ヘンな名前だよな」

と、ドアを開ける前にミチが言ったけど、少なくともミチのお姉ちゃんのスナックよりはまだまともな名前のようにたまきには思えた。

「こんにちわー。店長、いますかー」

ミチの後ろからたまきがおずおずと中に入った。

と同時に、たまきの鼓膜に音楽が飛び込んできた。

図太い太鼓の音だ。でも、和太鼓の音でもなければ、前にミチのライブで聞いたドラムの音でもない。乾いた大木をたたきつけたような音が、部屋中に鳴り響いている。

メロディも、ギターのようでもあり、ピアノのようでもあり、ヴァイオリンのようでもあり、そのどれでもないようであり、とにかく、たまきには判別できなかった。

たまきの乏しすぎる音楽知識の中で、一番近いと思えるのが、ゲームの音楽だった。お姉ちゃんがやっていたRPGの戦闘中に流れる音楽になんだか似ている。

そして、歌、というよりも外国の人の声、がいっしょに聞こえてくる。早口で何かをまくしたてるようであり、たぶんこれが「ラップ」というものなのだろう。

たまきは店内を見渡した。

店の中に所狭しと並ぶ棚には、真四角の絵がたくさん飾られている。とはいえ、ここは絵ではなくレコードを売る店のはずなので、これらはきっとレコードの入れ物なのだろう。サングラスをした黒人男性の写真だったり、たぶんどこかの外国の路上だったり、何かよくわかんないイラストだったり。

狭い店内にジャングルのように屹立する棚。天井のスピーカーからは音がスコールのごとく降り注ぐ。

ミチと一緒じゃなかったら、そして鳥のラクガキがなかったら、たまきはこんな店に入ろうとすら思わなかっただろう。

「店長~!」

ミチが雄たけびのように店長を呼ぶと、店の奥から

「あいよ~」

とけだるそうな返事が聞こえた。ガタリ、と、たぶん椅子から誰かが立ち上がった音。

ジャングルの奥から出てくるのは、トラかライオンか、はたまた恐竜か。

棚と棚の間から、店長と思しき男性が姿を見せた。

何よりもたまきの目線を惹きつけたのは、その男性の髪型だ。毛が太い。いや、太いってもんじゃない。まるでロープである。ロープのごとく太く長い黒髪なのだ。

一瞬、カツラなのかと思ったけれど、毛の根元に目をやると、数本、いや数十本の髪の毛を束ねて、一本の太いロープのようにしているのがわかった。

あとでたまきはミチからこの髪型のことを「ドレッド」と呼ぶことを教えてもらうが、今はまだそんな名称は知る由もない。口元は黒いひげでもじゃもじゃと覆われている。目つきはけだるそうでもあり、どこか鋭さも感じる。年は四十歳を越えたくらいだろうか。

ライオンおじさんだ。レコードジャングルの奥に住まう、極太たてがみのライオンおじさんである。

「なんだ、ミチか。どした? その子は?」

ライオンさんがけだるそうに、ミチとたまきに視線を送る。

「この子たまきちゃんっていうんすけど、この前言ってた鳥のラクガキの人について、たまきちゃんに話してほしくて」

「ああ、その子がお前のカノジョ?」

とたんにたまきがミチをぎろりとにらむ。

『私のこと、そんな風に説明したんですか?』

と言葉にしたわけではないけれど、そうとしか読み取れない表情をしている。

一方のミチは

『イヤ、違うって!』

と言いたげに、両腕で大きな×しるしを作った。それからライオンさんの方を指さして、

『店長が勝手にそう言ってるだけだって!』

と口にしたわけではないけれど、そう言いたそうな顔をした。

その様子をライオンさんはにやにや笑いながら見ている。

「で、その子が鳥の絵を探して回ってるんだって?」

ライオンさんの問いかけに、たまきは無言で頷いた。

「たまきちゃんさ、なんか地図作ってたよね」

ミチに促されて、たまきはリュックから鳥のラクガキが描かれた場所を記した地図を取り出した。

その地図を見たライオンさんは、声を上げて笑った。

「ははは! マジか! ホントにいるんだそんなヤツ! サキが聞いたらぶっ飛ぶぞ!」

ライオンさんは手を叩いて大笑いする。何がそんなに面白いのだろうか。

あと、サキって誰だろう?

本当に何がそんなに面白いのか、ライオンさんは笑いすぎて涙目になっている。

「はぁ、悪ぃ悪ぃ。で、何の話をすればいいんだっけ?」

「えっと……その……」

たまきはミチに視線を送った。どうしても、知らない人の前では、声帯が上手く動いてくれない。

「その鳥のラクガキを描いた人について、教えてほしいんすよ」

と、ミチがたまきの「通訳」をしてくれた。

「ん? サキについて話せばいいの?」

再び、「サキ」という名前が出てきた。

それまで、ミチの後ろに少し隠れるみたいに立っていたたまきだったが、再び「サキ」という名前を耳にした途端、勢いよく一歩前に出た。

「あ、あのラクガキを描いた人は、サキっていうんですか!」

「ん? ん、ああ」

それまで黙っていた子が急にしゃべり出したので、ライオンさんは戸惑いながらも返事をしてくれた。

「その……、サキさんって、女の人ですよね?」

「ん、ああ」

「いくつぐらいの人ですか?」

「んと、二十歳ちょい過ぎだったんじゃねぇかな?」

たまきの中で次第に、おぼろげだった作者像の輪郭が見え始めた。

そしてたまきは、あれ?っと思う。

「ミチ君、あのラクガキを描いた人はセナって名前だって言ってませんでした?」

たまきは後ろにいるミチの方を見た。ミチはぽかんとした表情で、

「俺そんなこと言ったっけ?」

と歯の抜けたような声で答えた。どうも、自分がたまきになんて名前を伝えたかなんて忘れてしまっているようだ。

なんていい加減な人なんだろう。一方のたまきは、この一週間まだ見ぬ「セナ」像をあれこれと考えて、一体どんな人なんだろうと想像を膨らませていたのに、そもそもの名前がちがっていたなんてあんまりだ。

「それで……その……せ……サキさんって人は、どこにいるんでしょうか。……会えますか?」

ライオンさんは、少したまきから視線をそらした、ようにも見えた。

「そこの階段降りて駐車場の方から見ると、このビルの壁に絵が描いてあるの見えるんだけど、見た?」

「え? あ、はい……」

「あれ描いたのもサキだぜ」

「え?」

たまきは後ろを振り返った。振り返ったところで、あの絵が見えるわけではないのだけれど。

「サキは俺がクラブで皿回してる時によく来てくれる客の一人だったんだよ」

人とは見かけによらないものだ。どうやらライオンさんは大道芸クラブか何かに所属して皿回しの芸を見せているらしい、とたまきは解釈した。

「うちの店にもよく来てくれたし、ラップやってるヤツで共通の知り合いも多くて仲良くなったわけよ」

「……はぁ」

ここで言う「ラップやってるヤツ」というのは、音楽のラップのことだろうか。それともサランラップか何かを使った大道芸のことだろうか。

「俺も昔はグラフィティをやってたからさ、知り合いの中にグラフィティやってるやつは何人かいるけど、サキは飛びぬけてうまかったね。センスが光ってた」

とうとうたまきはライオンさんの言葉についていけなくなって、すがるようにミチを見た。

「ミチ君……、その……、ぐら……ぐら……」

「ぐら? ああ、グラフィティっていうのはね、ヒップホップの言葉で言うラクガキのことだよ」

だからそのひっぷほっぷっていうのは何なんだ、とたまきは聞きたかったけど、うまく言葉にならない。

でもこれで、ライオンさんの話が少しわかった。つまり、ライオンさんの知り合いにもラクガキをやってる人が何人かいて、その中でもサキって人は特にセンスが良かったということだ。だったら最初からそう言えばいいのに。

気づけば、ライオンさんは店の少し奥の、レジが置いてある机の横に座って、パソコンを操作していた。

「あの絵は俺がサキに頼んだんだよ。あの壁にもラクガキされてさ。それも暴走族がやるような、とびっきりセンスねぇやつ。だからサキ呼んでさ、センスねぇラクガキされるくらいなら、おまえがこの壁にラクガキしてやれっつったわけよ。ほかのラクガキをもう寄せ付けないようなラクガキを頼むよって。ああ、あったあった」

ライオンさんはたまきを手招きした。たまきは恐る恐るライオンさんに近づく。

「これがそん時の写真。もう二年も前になるか。このペンキのブラシ持ってるのがサキだ」

たまきは画面をのぞき込んだ。写真はさっきの駐車場でこの建物を背景に撮ったものだ。壁にはさっき見た絵が描かれているが、まだ描きかけのようだ。写真にはライオンさんと、その他に男性が数人。そして一番真ん中で笑顔を浮かべる女性が映っていた。

まず目についたのが、髪が鮮やかなピンク色だということだ。服装はいつも亜美が着ているようなものに近く、露出度の高めな服を着て、頭にはキャップをかぶっている。

左手にはペンキのブラシ。右手はピースサインを作っている。亜美と同い年か年上ぐらいのはずなのだけど、幼さの残る顔立ちは、たまきと同い年と言われても納得してしまうだろう。

「その……この人が……」

「……ああ、サキだ」

ライオンさんは、画面を見ることなく答えた。

「あの、店長、それでそのサキって人はどこに行けば……」

「実際大したもんだったぜ。サキのグラフィティは」

ライオンさんは、ミチの質問を遮るように話し出した。

「ここの壁に描いてもらって以来、ラクガキがぱったりなくなった。このビルだけだ。ほかのビルはけっこうやられてて、たびたび町内で問題になってんだけど、ここだけあの絵ができて以来、全くラクガキがないんだぜ」

「それってやっぱり、それだけあの絵がスゴイってことなんすか?」

と尋ねたのはミチである。

「ミチさ、たとえばさ、おまえがスゴイって思ったバンドのライブに割り込んでさ、無理やり自分がマイク握って歌って、ライブをぶち壊しにしたいなんて思うか?」

「……思わないっすね」

「そういうことだよ。たぶん、気が引けるんだろ。この絵の上にラクガキするのはちょっと……みたいな感じでな」

なんだか今自分がやってるバイトに似ている、とたまきは思った。でも、ラクガキしたくなくなる絵なんてたまきに描けるのだろうか。壁の塗装の段階でさっそくラクガキされてしまっているというのに。

「それでなんスけど、店長、そのサキさんに会えないのかなって思ってきたんすけど……?」

と尋ねたのはミチの方だった。

しばらく、沈黙が流れた。もっとも、店内には爆音で音楽が鳴り響いてるのだけど、ふしぎと静寂しか感じられない時間が数秒つづいた。

ライオンさんは、ふうっと息を吐くと、たまきの方を見た。

たまきは思わず視線をそらそうとしたけれど、思い直して、ライオンさんの視線を受け止めた。

ライオンさんの目に、なにかを決意したかのような兆しを感じたからだ。たまきも、人の目線が苦手だなんて言ってていいような場面ではないような気がした。

ライオンさんはたまきの目をまっすぐ見つめて、告げた。

「……もう会えない」

「え?」

と聞き返したのはミチの方だった。一方のたまきは、ライオンさんの言葉ですべてを察したかのように深くうなだれると、ゆっくりと息を吐き出した。

「え? え? どういうことっすか? なんで会えないんっすか? 引っ越したんすか?」

ライオンさんは無言でミチをにらみつけると、舌打ちをした。ミチはなんでライオンさんが苛立ってるのかわからない。

「あの…」

とたまきは切り出した。

「その……サキって人のこと、質問してもいいですか……。嫌なこと聞いちゃうかもしれないけど……」

「……いいよ」

ライオンさんはたまきの目を見て答えた。

「その……サキって人は……いつ……」

そう言いながらも、たまきはそれ以上聞いてはいけないような、知ってはいけないような気がして、うまく言葉を続けられない。そんな様子を察したのか、ライオンさんの方から話し出した。

「……サキが死んだのは二か月くらい前だ」

「え! 死んだ! サキって人、もう死んでるんすか!」

ミチが驚きのあまり爆音の音楽よりも大きな声を出した。

「え? いつ死んだんすか?」

「いま二か月前っつったろ!」

ライオンさんが噛みつかんばかりにミチをにらんだ。それからライオンさんは、たまきの方に視線を戻す。

「二か月前、歓楽街の路上でサキは倒れて死んでた。たぶん、近くのビルの屋上から飛び降りたんだろうな」

「飛び降り……、ですか……」

たまきがつぶやいた。落っこちたのではなく、自分から飛び降りた。

「現場にいたヤジウマの中にたまたま知り合いがいてな。そいつが言うには、サキの顔は見えなかったっていうんだ。顔は見えなかったけど、サキ、派手な髪してたからすぐわかったって。それってつまり、顔は地面の方を向いていたから見えなかったってことだろ?」

たまきは、頭の中でいつかの鳥のラクガキを探しに屋上に上ったことを思い出した。貯水タンクに描かれたラクガキを見上げながら、もし作業中にうっかり足を滑らせたら、落っこちて死んでしまうとたまきは思った。

でも、もし作業中に足を滑らせて落ちたのなら、きっと背中から落ちることになる。顔は上を向いているはずだ。

サキって人がうつぶせで死んでいたというのなら、いつもたまきが屋上から下をのぞき込むときと同じような体勢で落ちていったことになる。

うっかり落っこちたんじゃない。自分から飛び降りたんだ。

「アンタ、サキがもう死んでるって、最初からわかってたって感じだな」

「……べつに、わかってたってわけじゃないですけど……」

たまきは、手に持ったラクガキの地図に視線を落とした。

鳥のラクガキを追っかけているうちに、なんとなく感じていたことがあった。

鳥のラクガキの中にはビルの屋上の危険な場所など、そこに行く途中や絵を描いている途中で、一歩間違えればケガをしたり死んでしまったりするような危ない場所がいくつかあった。

最初は、すごく勇気のある人なのかと思った。命知らずの無謀な人なのかと思った。

でも、ラクガキを追っかけているうちに、だんだんとたまきは、なんだかこのラクガキを描いた人は自分に近い人のように思えていた。

絵を描いているときに、足を滑らせたり脚立が倒れたりして、うっかり死んでしまっても、それはそれで別にいい。

怖くないわけでもなく、スリルが楽しいわけでもなく、ただただ、自分の命に興味が持てない。

店内に重苦しい空気が流れ、それをごまかすかのようにやけにノリのいい音楽がスピーカーから吐き出されていた。

「あの……店長……聞きたいんすけど……」

ミチが申し訳なさそうに手を挙げた。

「サキって人は……なんで死んだんすか……?」

「だから、ビルから飛び降りたっつっただろ。少しは人の話聞けよ」

「あ、いや、そうじゃなくて、自殺なんすよね? なんで自殺なんかしたんすか?」

ライオンさんは舌打ちをして、ミチをにらみつけた。

「知らね……」

「ダメです、ミチ君!」

ライオンさんの言葉を遮るように、たまきが強く言った。たまきが急に大きな声を出したので、ライオンさんもびっくりしている。

「それは……聞いちゃダメです、ミチ君」

「なんで?」

「なんでって……その……」

さっきの大声で力を使い果たしたかのように、たまきの声はどんどん小さくなっていく。何か言ったような気もするけど、はっきりとは聞き取れない。

「え、なんて? 聞こえない」

ミチがたまきの声を聞きとろうと近づき、たまきは目線をそらす。

ふと、たまきの背後からライオンさんのくっくっくという笑い声が聞こえてきた。

「あの……私、何かヘンなこと言いました……?」

「いや、こういう子がサキの絵を探して回ってるのかと思ってな」

ライオンさんは笑っていたけれど、その目はどこかさみしそうだった。そして

「ほんとは、まだサキの話なんてするつもりはなかったんだ」

と、ぽつりとつぶやいた。

「気持ちの整理がまだついてないってのと、まだ実感がないってのと……、だから正直、あいつの話はまだしたくなかったんだけどな、ただ、あいつの絵を探し回ってる子がどんな奴なのか、会ってみたくもなったんだ。で、会ってみてわかった」

ライオンさんはたまきの目を見つめた。

「アンタ、あいつとよく似た目をしてる」

そういった後、ライオンさんは、

「キャラは全然違うけどな」

と付け足した。

たまきは、仙人に言われた言葉を思い出していた。

『きっとこの絵は、お嬢ちゃんのことを選んだんだよ』

鳥のラクガキがたまきのことを選んだわけ、そしてたまきがこの絵を選んだわけが、少しわかった気がした。

そして、ちっとも「新作」が見つからない理由も、わかってしまった。

 

レコード屋を出ると、再び雨が降り出していた。二人は歓楽街の方に向かって歩き出した。ミチは、最初は傘なんかいらないと歩いていたけれど、途中で雨脚が強くなり、しぶしぶ傘を差した。

ふたりに会話は、ほとんどない。

ミチはたまきになんて声をかけていいのかわからなかった。ここしばらくずっと追いかけていた人が、とっくに死んでいたのだ。顔にはあまり出さないけれど、たまきはショックを受けているに違いない。もっとも、ショックが顔に出てないというよりは、普段から身内に不幸があったかのような表情をすることが多いだけかもしれない。

「城」まで残り数分のところだった。たまきは急に

「じゃあ、私はここで。ありがとうございました」

というと、「城」とは違う方向に向かって歩き出した。

「あれ? 帰らないの? 俺もこれからバイトだから、ビルのところまで送るけど……」

「……用事があるので」

そういうたまきの声は、元気がないようにも聞こえるし、いつもこんな感じだったようにも聞こえる。ミチにはよくわからない。

 

雨の中、たまきは行信寺の塀の前に立った。

目の前にはたまきが数日かけて塗装した青い壁がある。幸い、まだラクガキされていないし、雨の中で塗装も剥げてはいない。

たまきは、自分でも思ったほどショックを受けていないと感じていた。

サキって人のこと、驚きがなかったと言えばうそになる。それでも、うすうすなんとなく、そうなんじゃないかという気はしていた。ずっと追いかけていたとはいえ、一度も会ったことのない人のために涙を流して悲しむような情緒も持っていない。

サキって人は、もういない。とっくにいない。

それでも、あのレコード屋の壁に描かれた絵はほかのラクガキを寄せつけず、町中に描かれた鳥のラクガキはたまきのことを振り回し続けた。

そんな絵が、自分に描けるんだろうか。

でも、そんな絵を描いてみたい。挑んでみたい。

サキって人に挑んでみたい。

今まで考えたこともなかったような感情が、たまきの中に芽生えつつあった。

 

つづく


次回 第43話「「雨のち極楽、ところにより『最期のラクガキ』」

たまきが追い続けてきた「鳥のラクガキ」の作者、サキはすでに自ら命を絶っていた……。「死にたがり」のたまきが、はじめて「死んだ人」と向き合う。つづきはこちら


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち

あてのない旅

「あてのない旅」ほど難しいものです。

「あてのない旅に出ます」といってはみるものの、実際はある程度の「あて」がないと、ちっとも動けない。

ホントのホントにあてのないまま旅に出たところで、立ちはだかる問題が「今夜、どこに泊まるか」です。

あてのないままふらりとどこかの田舎を旅して、日が暮れたからさあ泊まる場所を探そう、と思っても、空きがなかったり、そもそも近くにホテルがちっともなかったりすると、絶望です。あてのない旅から一転、宿のない旅になっちゃいます。

そうならないためには、事前にホテルを予約しないといけない。

するとその時点でもう、「あて」ができてしまうんですね。

予約する時、チェックインの時間を入力しなければいけません。あてのない旅なんだから何時に到着するかなんて知らねぇよ、と思いつつも、「必須」と書いてあるので仕方なしに時間を入力する。

さらに言えば、せっかく予約したのに万が一にでもたどり着けないとキャンセル料をとられてしまうから、当日の新幹線の席も押さえちゃう。

新幹線のチケットを買うと、現地への到着時間もだいたいわかってきます。そんで、この街だとやっぱここははずせないよね、で、ここの施設の営業がこの時間までで、で、チェックインがこの時間だからそれまでに夕飯をだいたいこのへんで食べ……、

あてだらけじゃないか!

くっそ~。宿を予約しただけなのに、ドミノ倒しのようにほかの予定まで決まってしまった。不条理だ。納得できない。

「あてのない旅」を邪魔するトラップはまだまだあって。

電車に乗るとき、「あてのない旅」なので途中で気になった駅に降りてみることもあります。

だから、料金が前払いの切符よりも、後払いのICカードの方が都合がよい。

そんで、途中で気になった田舎町の良さげな雰囲気あふれる駅でいきなり降りちゃう。これぞまさに、憧れのあてのない旅!

でも、「田舎町の良さげな駅」は、けっこうな確率で無人駅だったりします。

そして、無人駅はけっこうな確率で、ICカードで乗り降りする設備がない!

つまり、ICカードで乗っちゃうと、改札から出られない! おまけに次の電車も全然来ない。

無人駅だから、誰も対応してくれない!

……無人駅なんだから、勝手に出てもバレないバレない。どうせまたこの駅に戻って電車に乗るんだから、無銭乗車には……。

と思って天井を見上げると、ちゃっかり防犯カメラなんてものがあって、こっちを睨んでいるのです。その予算をさ……ICカードの設備の方に……。

こうして、「あてのない旅」は「出られない駅」、そして「電車来ない時間」へと様変わりするのでした。

街道をゆけ!

少し前から、司馬遼太郎の「街道をゆく」を読みはじめてます。

きっかけは何げなく見てたNHK BSの番組。そういえば、「舟を編む」もBSだったなぁ。

で、その番組は女優さんが「街道をゆく」を片手に現地を旅する、というものでした。

今まで司馬遼太郎は長編小説のイメージが強くてちょっと手が出せなかったのだけど、紀行文なら読みやすかろう、と手に取ってみることに。

とはいえ、シリーズが始まったのは50年前。本屋さんに行ってもなかなか手に入らないだろうなぁ。ということで地元の図書館に通ってコツコツと読んでいました。

内容は、日本や海外のいろんな場所を司馬遼太郎が歴史ウンチクを交えながら旅するというもの。

いや、「ウンチクを交え」どころじゃないな。7割ウンチク3割現地、といった感じです。「早く現地へ飛べよ!」と思いながら読んでます。

それでも、歴史オタクの知識自慢みたいにならないのがさすが。思うに、司馬遼太郎はただ歴史の知識を並べてるんじゃなくて、その向こうに「人間とは何ぞや」「人の歴史とは何ぞや」という問いかけが見えるのですよ。

さて、そんな図書館通いをしていたある日。

神保町の古本まつりに出かけた時のこと。なんとその「街道をゆく」の50年前に出たハードカバーがずらりと並んでいたのです!

50年前の本なのに、すっごく状態がいい! それも一個200円!

でも、ぱっと見シリーズ十数冊以上が並んでいて、全部買うと本棚が大変なことに……。我が家はワンピースだけで100冊以上あるんや……。

というわけで、最初の1巻と2巻だけ買って帰りましたとさ。もしも神保町で「街道をゆく」の1巻と2巻だけない歯の抜けたコレクションを見かけることがあったら、抜き取った犯人は私です。

そのあとも、久々に椎名誠の紀行文を読んだり。

読みながら、こういう紀行文エッセイを書く人減ったなぁ、としみじみ。

旅に出て、その内容を発信する人はいっぱいいるんだろうけど、発信の仕方はブログだったり、SNSだったり、動画だったりで、一冊の本にまとめる人が昔より減った気がします。映える写真もいいけれど、文章だけでじっくり旅路を書くっていう作家さんで新しい人があんまり出てきてないんじゃないか。時代が求めてないのかしら。

あと、旅情ミステリーを見なくなったなぁ、と思うのです。浅見光彦シリーズの内田康夫とか、十津川警部シリーズの西村京太郎とか、ああいう旅情ミステリーの新しい作家さんっていうのをあまり聞かない。

ミステリー作家はいっぱいいるし、「このミステリーがすごい!」みたいなのもいっぱいあるけど、なんか奇をてらったようなものばっかで、旅と歴史を絡めたストレートな旅情ミステリーを見なくなったなぁ。「みちのく温泉旅殺人事件」とか、「熊野古道殺人事件」とか、「近江琵琶湖殺人事件」とか、みたいな、もうちょっとひねったらどうかねといった感じのタイトルで、「東京~京都~長崎を結ぶ、愛と殺意の逃避行! 八つ橋とカステラが解き明かす親子の愛!」たいなダサいサブタイトルがつく感じのやつ。

あー、でも、いま、乗り換えとかすぐ検索できちゃうから、西村京太郎の時刻表トリックみたいなのはもう使えないのかなぁ。

画像検索なんてしないぞ

少し前にBSでやってたテレビドラマ「舟を編む」にハマって、

ドラマの中で描かれた「辞書作りにかける情熱」にほだされて紙の辞書を本屋さんで買ってきて、

原作小説も買って読んで、

で、今、図書館で原作者の三浦しをんさんのエッセイ本を借りて読む、というところまで来ました。

それにしても、「舟を編む」もだいぶ肩ひじ張らずに読める小説だったけど、エッセイの方はなんというか……文体がぶっ飛んでるなぁ。小説家っていうよりも、芸人さんの文体なんですよ。ゲラゲラ笑いながら読みました。

読んでるうちに気になったことがあって。

三浦さんはエッセイの中でちょくちょく自分のことを、身もふたもない言い方をすれば「デブキャラ」扱いしてるんですね。

その頻度がけっこう多いので、こりゃ本当にふくよかな体形なのかな、と思ったり。

いや、ほんとはちょっとぽっちゃり、程度のものを話をおもしろくするために大げさに盛ってる可能性もあるな。

そのへんのことは、たぶん画像検索をすればすぐわかることなんですよ。

でも、そこはちょっと謎にしておきたいので、あえて調べない。

僕はエッセイとかラジオとか、「発信者にシークレットな部分がある媒体」が好きなのです。

you tubeみたいに、発信者がカメラの真正面に立って、何なら自分の部屋の中まで晒して、おまけに家族まで一緒に映って、「はいどーも!」って出てくるのは、どうも慣れない。部屋とか家族とか、その辺は別に「謎なのだ」でいいじゃない。

そうじゃなくて、エッセイみたいに「文章を通して」とか、ラジオみたいに「音だけ」とか、なにかしらの壁がある方が、なんか安心するんです。

そして、その容姿についてはちょっと謎にしておきたい。エッセイにしても、ラジオにしても、声優さんにしても、自分から画像検索をすることはまずないのです。

ただ、「徹底的に姿を隠すアーティスト」に関しては、さすがにちょっとやりすぎでは?と思うこともあります。そりゃ、日本の古来の神様のやり方だ。そこまでやっちゃうとちょっと人間味が……。

別に容姿非公開なわけじゃなくて、たぶんちょっと検索すればすぐわかるんだけど、ただ、僕が無理に検索しない、ってだけです。

今時、好きなラジオとかアニメとかのSNSをフォローしてれば、ラジオDJや声優さんの写真なんてタイムラインにゴロゴロ出てきますからね。それをいちいち「わー! 俺は絶対に見ないんだぁ! スワイプ! スワイプ!」とかそんなことしてないです。「積極的に調べることはしないけど、どこかでお顔を拝見することぐらいあるだろさ。人間だもの」ぐらいの軽い気持ちです。

なんなら、生で会えるイベントにだって行っちゃう。ちょうどこのまえ、ラジオのイベントのチケット申し込みをしたところです。「イベントなんて行かないぞ! 絶対に顔は見ないんだ!」とかそんなめんどくさいこと、しない。

ただ、「気になったから、即、検索!」はしない、それだけのことです。

とりあえず、当分は三浦しをんさんの検索はしないぞ。でも、なんかの本の著者近影とかでうっかり写真見ちゃったら、それはそれでしょうがないか。

アニメというよりも、ライブ

今期のアニメは豊作じゃ! 始まる前から面白そうなアニメが多いなぁ、とは思ってたけど、今期はかなりの豊作! 大豊作! 左門豊作!

「夜のクラゲは泳げない」、「怪異と乙女と神隠し」このへんもなかなか面白い。

「終末トレインどこへいく?」は僕にもなじみのある西武沿線が舞台で、好きな声優さんもそろってて、毎週楽しみに見てます。内容がカオスすぎて見終わった後の感想が「あれは一体なんだったんでしょうか……」しか出てこなくて困ってるのですが。

ただ、今期で一番ハマってるアニメはやっぱりこれかな。

「ガールズバンドクライ」

私の周りでも、毎週のように話題です。しかし今期は、10文字前後のタイトルのアニメが多いなぁ。

タイトルにある通りガールズバンドのアニメなんだけど、一話目を見てなかなか良かったなぁ、とエンディングのクレジットを見ていたら、なんと脚本が花田十輝先生だったんです!(僕は原則として、アニメを見る前の下調べは一切しない)

花田脚本のアニメはいっぱいあるけど、僕は「宇宙よりも遠い場所」と「ラブライブ!サンシャイン!!」が大好きです。ラブライブサンシャインは二回見て、「よりもい」はもはや数えきれないほど見てます。

そして今度の「ガールズバンドクライ」もさすが花田脚本な内容。

まずやっぱりチームの書き方が上手いんですよ。最近のアニメは、とりあえず癖の濃いおもしろキャラクターを並べとけばいいだろってだけで、キャラの関係性を描くことができず、チームを描くということができない作品が多い中で、花田脚本は「この4人の関係性がいいなぁ」「このグループいいなぁ」「このバンドいいなぁ」としっかりチームの良さを描いてる。

また、「よりもい」や「ラブライブ!サンシャイン!!」のように、特別な才能を持つ主人公が活躍するような話じゃなくて、ごく普通の何物でもない女の子が、何者かになろうとして必死でもがく、そんな話なんです。

「ガールズバンドクライ」でも主人公の仁菜はバンドのボーカルなんだけど、「天性の歌声」とか「唯一無二の歌声で人を魅了する」みたいな天才っぽい描写はない。もちろん、ちゃんと歌の上手い人をキャスティングしてるんだけど、劇中での彼女の歌の評価は「心の中のダークな部分をロックにぶつけるところ」とか、「承認欲求で歌ってるわけじゃないところ」など、才能とか技術とかではなく、歌への向き合い方を魅力として描いています。

性格ははっきり言ってメンヘラ。「厄介」とか「正論モンスター」とか言われてる。

でも、それもネットで話題になるだろうとかネタとしてウケるだろうとかそういう計算で書いてるんじゃなく(実際にはだいぶネットで話題だけど)、やっぱり仁菜という人間をしっかりと描こうという想いを感じるんですよ。つまりは、ネットやオタクに媚びてない。

毎回の進め方もすごくいいです。ガールズバンドクライはバンドのアニメなので、たまにEDの代わりに演奏シーンで締めくくることがあるんだけど、その演奏シーンがかっこよくなるようにお話が進められていくんです。

特に、第8話は圧巻だった。冒頭から積み重ねられてきた感情がクライマックスで一気にぶつかり合う。アニメじゃなくてバンドのライブを見てたんじゃないかっていう高揚感でした。

ガールズバンドクライ、いろいろ書いたけど、その魅力を一言で言うならばまあ、ロックなんです。

小説「あしたてんきになぁれ」 第41話「ローラーのちハケ、ところにより筆」

たまきのはじめてのアルバイト。そして「鳥のラクガキ」探しにも新たな展開が……。「あしなれ」第41話、スタート!


第40話「バイト、ときどきファミコン」 

クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」


画像はイメージです

六月も半ばになった。

たまきは、青いジャージを着て、行信寺の塀の前に立っていた。足元には青いペンキの缶と、バケツ。バケツの中には、塗装に必要な用具がいくつか入っている。塀には脚立も立てかけられている。

本格的な梅雨が来る前に、このラクガキだらけの壁を青いペンキで塗りつぶす。それがたまきのバイト初めての大仕事だ。

それと同時に、壁に描く仏像のデザインも進めておかなくてはいけない。

理想のスケジュールとしては、今週中に壁を青いペンキでで塗りつぶし、梅雨が来たらデザインの方を進めていき、梅雨明けには青一色となった壁に仏像を描いていく作業に入れるようにしたい。

デザインの第一案は、この日の午前中に住職に渡していた。たまきは仏教の知識が全くないので、お寺にあった仏像の写真がいっぱい載っている本を借りて、それを見ながらスケッチを描いた。

ラフなスケッチだったけど、自分で思っていたよりもうまく描けた。スケッチを後ろから覗き込んでいた亜美も

「なんだ、ちゃんと描けてんじゃん」

と、若干つまらなそうにぼやいた。もっとおどろおどろしくなるものと期待していたらしい。

そのスケッチを先ほど住職に見せたわけだ。住職は「なるほどなるほど、さすが上手ねぇ」とは言ってくれたが、

「でもたまきちゃん、これってペンキで描けるのかしら?」

と首をかしげた。

確かに、たまきのスケッチは鉛筆で描いたもので、曲線のうねり具合、影のつけ方、模様の細かさ、全てが鉛筆ならではのものだった。

そして今、たまきはペンキ用具一式をもって、本番のキャンバスとなる壁に向かっている。

こうやって見てみると、部屋でスケッチしていたときとはかなり条件が違う。絵を描く壁の材質は紙ではなくブロック。鉛筆ではなくハケや筆を使い、どろりとしたペンキで描く。さらに、部屋でスケッチしていた時は水平なスケッチブックに描いていたのに対して、垂直な壁に重力に逆らって絵を描かなければならない。

下絵のスケッチで上手に描けてもダメなのだ。「硬い壁にペンキで描く」ということを意識しながら、スケッチを描かなければならない。スケッチはそれ自体が作品なのではなく、壁にペンキで描くための設計図なのだ。

そうなると、「そもそも、ペンキで仏像なんて描けるのだろうか?」とたまきは首をかしげてしまう。もっとも、住職も別にどうしても仏像を描いてほしいわけではなく、お寺だからとりあえず仏像でも描いておいたら、ぐらいのものなので、何か他にいいデザインが思い浮かべば、別に無理に仏像にこだわることもなさそうだ。

具体的なデザインはまだ決まっていないけど、「背景は青一色」というオーダーがすでに住職から出ていた。それも何か仏教的な意味があるのかと聞いてみたところ、

「あら、青って爽快感があるじゃない?」

という返事だった。

 

さてと、とたまきは道路の上に新聞紙を敷き、その上に自分の身長の倍近くの高さがある脚立を立てて上った。3メートル近くの高さがある塀の上の部分に目線が来るように座る。右手には青いペンキの缶が握られ、脚立の下の段を使って重さを支えている。

缶の中にはすでに、ローラーが青いペンキの湖に沈められていた。このローラーを使って壁を一気に青一色で塗りつぶす。脚立を上り下りしたり、脚立や新聞紙を動かしたりするのが面倒だけど、まあ今日一日で作業は終わるだろう。

作業に入る前に、たまきは塀をじっと見降ろした。

例の鳥のラクガキはこの塀には見つからなかった。だが、そもそもこの塀はラクガキが多すぎる。たまきが見落としているだけかもしれないし、ほかのラクガキに上書きされて隠れているのかもしれない。ペンキを塗る前に、視点を変えて上から、もう一度ラクガキを探してみることにした。

横幅が十メートル近くある墓地の塀の、一番左の端にたまきはいる。とりあえず、今いる場所から見える範囲には、それらしきラクガキは見つからなかった。

それじゃあ、とたまきはペンキの缶からローラーを取り出すと、ペンキが下に垂れないように余分なペンキを落してから、ブロックの壁にあてがった。

ローラーがコロコロとまわり、ラクガキだらけの薄汚れた塀が、空のようなブルーに染まっていく。

が、ほんの三十センチほど動かしただけで、たまきの手は止まった。

たまきの想像と違い、ところどころペンキが塗れていない部分が目立つのだ。古いブロック塀はところどころ欠けていたり削れていたりでくぼみがあって、ローラーではそのくぼみにペンキが全然届かなかったのである。

たまきは、ジャージの上着のポケットを探った。そこにはハケと筆が入っている。ハケは今回の作業のために住職が買ったもので、筆の方は書道用のものが古くなって使わなくなったとのことで住職がたまきに渡したのだ。

たまきはハケの方を手に取ると、ペンキをちょんちょんとつけた後、ブロック塀のくぼみにあてがった。

だが、ここでもまたたまきの想定外のことが起こる。

ハケを使っても、くぼみの中にペンキが届かないのだ。ハケの横幅に対してくぼみの方が小さい。それでもハケは一本一本の毛のようなものの集まりなのだから器用にくぼみの中に入っていけると思ったのだが、どうやらそういうものでもないらしい。

仕方なしに、たまきはポッケの中の筆を手に取った。ハケに残ったペンキを筆につけて、くぼみの中でちょこちょこと動かす。これでようやく、ひとつのくぼみが青に埋まった。

だが、くぼみは何も一つだけではない。全然くぼみのないブロックもあれば、無数のくぼみがあるブロックもある。この無数のくぼみ一つ一つを、筆で青に塗りつぶさなければいけない。この手間を考えると、どうやら今日一日で終わる作業ではないかもしれない。

ラクガキ探しをするときによく見る「ラクガキするな!」と書かれている看板がたまきの頭の中をかすめた。なぜラクガキをしてはいけないのか、たまきはようやく理解した。ラクガキを上から青一色で塗りつぶすだけで、こんなに大変でめんどくさいんだ。

 

画像はイメージです

結局その日は、壁全体の四分の一ほどしか作業は進まなかった。

くぼみの中を塗る作業に手間取ったうえ、常に重たいペンキの缶を右手に持ったまま、脚立を上ったり、脚立を動かしたり。ペンキを塗るときも、支えはあるとはいえずっと缶の取っ手を握りっぱなし。これがたまきの体力をみるみる奪い、どんどんペースが落ちていった。時間の見積もりが甘く、午後から作業を始めてしまったため、時間がそもそも足りなかったともいえる。

そのうえ、根気よく鳥のラクガキを探しては見たものの、結局見つけることはできなかった。

「まあ、明日から梅雨入りってわけじゃないから、今週いっぱいかけて少しずつ進めていきましょ。作業が増えた分のお給料は、ちゃんと考えとくわ」

と住職は笑いながら言った。今日は火曜日で、天気予報だと梅雨入りは来週のどこか、と言っている。確かに、今週中に終わらせれば問題はなさそうだ。しかし、壁全体を塗るのにあと3日はかかるだろう。3日間をこの重労働に費やすのかと思うと、たまきは憂鬱になってきた。

今日の作業を終えて、たまきはとぼとぼと歩いて『城』へと戻った。

学校にも行けずバイトもしてないたまきが、これならたまきに向いていると太鼓判を押されて始めたバイトだったけど、今のところ、ちっとも自分に向いているとは思えない。

「ただいまです……」

たまきは左手で『城』のドアを押し開けた。今日はもう、右手には何も作業をさせたくない。かといって、左手もローラーを動かしたり筆を動かしたりと使い続けていたので、右手とは別種の疲労がたまっていて、極力動かしたくない。つまりたまきは、今日はもう何もしたくないのだ。

「お、おかえりー」

『城』の中には亜美が一人でいて、相変わらずゲームをしている。

「バイト、どうだった?」

「……疲れました」

「まあ、そうやって働いて、みんな大人になってくんだよ」

と、ろくに働きもしない亜美が言った。そして亜美は立ち上がり、ゲーム機に二つ目のコントローラーをいそいそとつける作業をしながら、

「よし、この前のリベンジしようぜ」

と言った。

「……リベンジ?」

「この前のゲームの続きだよ。ほら」

と、亜美はたまきにコントローラーを差し出す。

リベンジしようと言われても、リベンジしたいのは負けた亜美だけで、たまきにリベンジするつもりは全くないのだが。

今日はもう手を動かしたくないんだけどな、と思いながら、たまきは仕方なくコントローラーを手に取った。

 

翌日、たまきは頑張って早起きして、朝の九時に目覚めた。

頑張って起きたはいいものの、頭がぼうっとして、エンジンのから回った車のように、うんともすんとも言わずにただ座っている。そんな状態が一時間ほど続いた。

十時になって、行信寺にバイトに行く志保にくっついて『城』を出た。まだ頭の半分は眠ったまんま、ゾンビのようにふらふらと志保の後をついていく。

寺までの十数分の移動距離で、まるで氷を溶かすかのように、たまきは少しずつ目が覚めていった。寺につき、倉庫から脚立とペンキをがたがたと出して、昨日の続きの場所にセットする頃には、脳みそは八分咲きと言ったところか。

たまきはペンキの缶をもって脚立の上部に座り、大あくびをして、ローラーを壁にあてがった。頑張って早起きをしたから、昨日より二時間ほど作業時間は増えてるはずだ。

お昼休憩を挟み、午後からもまた壁に向かい合う。

途中で一度、志保が様子を見に来た。壁面を一目見るなり、

「すごい。ちゃんときれいに塗れてるじゃん」

と手を叩いて喜ぶ。たまきが壁にローラーをあてがって転がすと「すごいすごい」、ペンキの届かなかったくぼみを筆で埋めていくと「すごいすごい」、挙句の果てには、脚立を移動させてよじ登っただけで「すごーい」。

志保にそんなつもりはないのだろうけど、ここまで一挙手一投足を誉められると、一周まわってバカにされてるような気がしてくる。

まあ、これまで何もせず、ただ寝転がるかお絵描きするかだった奴が、ろくに面接もなかったとはいえ、一応バイトをしてるとなればそれだけで「すごーい」なのかもしれない、とたまきは思い直した。

 

画像はイメージです

二時間だけ労働時間が増えたのに、なんだか昨日の倍疲れている気がする。たまきはゆっくりゆっくりと、太田ビルの階段を上っていった。手の疲れに加え、脚立の上り下りのせいで足にまで疲れが出ている。

二階のラーメン屋の前まで来た。ここまで、階段を上り始めてから二分かかった。

ふう、っとため息をついてラーメン屋の方を見ると、廊下の奥、従業員が休憩するベンチに、調理服を着たミチが腰かけてタバコを吸っていた。たまきの姿を見るなり

「お、お疲れ」

と声をかける。

たまきは無言でペコリとお辞儀だけして、ミチに背を向けて階段を上るとした。するとミチが

「あれ? 今日、なんかいつもと違くない?」

と言うと、ベンチから立ち上がり、たまきの方へと寄ってきた。

ミチが言う「いつもと違くない?」と言うのは、たまきの態度のことではないだろう。むしろ、ここでミチに会った時のたまきの対応としては、かなりいつも通りだ。ミチが「違くない?」と言うのは、たまきの服装のことだろう。いつも上から下まで黒一色か、ミチからもらった薄群青のパーカーを着るかぐらいのたまきが、住職が用意してくれた上下グレーのジャージを着ているうえ、ところどころ青いペンキが付着している。おまけに、顔にもちょっとペンキがついている。服装に無頓着なたまきの見た目がいつもと違うのは、それだけでとんでもない変化なのだ。

「どしたの、その格好?」

「……まあ……その……」

ミチにあまり詮索されたくない気持ちと、照れくささと、ちょっとだけ自慢したい気持ちがないまぜになったまま、たまきは

「……バイトで」

と答えた。

「……バイトって、あのバイト?」

ほかにどのバイトがあるのだろうか。まさか、メガバイトだのギガバイトだのの話をしてるとでも思ってるのだろうか。

次の瞬間、ミチの口からは

「ウソぉ!!?」

という失礼極まりない言葉が飛び出した。

「え、たまきちゃん、絶対バイトなんかしないと思ってたのに」

ふつうにバイトをしてるだけで、どうしてそんな裏切られたかのようなことを言われなければいけないのか。

「え、何のバイトしてるの?」

「まあ……、その……」

たまきはミチから目線を外した。

「絵を描くバイトを……」

実際のところは、まだ絵を描く段階に至っていない。ひたすらブロック塀を塗装しているだけだ。じゃあ、塗装のバイトだと胸を張って言えるかと言うと、別にそんなにうまく塗装しているわけでもない。

「あ、それでペンキまみれなんだ」

と、ミチはたまきの全身をじろじろ見た。たまきはさらにミチから目線をそらす。

ふいに、ミチの右手がたまきの視界に入ってきた。そして、

「髪にもペンキついちゃってんじゃん」

と、たまきの髪の毛を手に取った。

たまきはとっさに体を激しくよじってミチの手を振りほどいた。

「か、勝手に触らないでください!」

ミチの方を見ることなくそういうと、

「……言いつけますよ」

と付け足した。

そう言ってから、一体誰に言いつけるんだ、とたまきは自分の言葉を反芻した。一方でミチは

「あ、ごめん」

と、バツの悪そうに後ずさった。おそらく、たまきとミチの共通の知り合いの中での「言いつけられたら困る人」の誰かの顔が浮かんだのだろう。どうやら、この文言は割と効果があるようだ。今後も使っていこう、とたまきはひそかに思った。

 

画像はイメージです

ペンキ塗りの作業も三日目に入った。一生終わらないように思えたけれど、昨日までの作業で半分が終わった。この調子で行けば、明日までにはすべての作業が終わるだろう、と思いながら、たまきは今日の仕事の準備を始める。ペンキ塗りはただの下準備であって、本当の仕事はまだ始まってすらいない、ということにたまきが気付くのはもう少し先の話、この日の夕方になってからだ。

お昼過ぎ、たまきは相変わらずペンキのローラーを転がしていた。そこに、

「お、ここか」

と、聞きなれた声がきこえてきた。

声がした方を向くと、亜美が立っていた。右手に火のついたタバコ、左手にはビールの缶を持っている。

亜美はたまきの顔を見るなり、

「マジか! ホントにバイトしてんじゃん! マジウケる!」

といって大爆笑した。

志保には赤ちゃんのように褒められ、ミチには仰天され、亜美には大爆笑される。もしかしたらこの人たちもミチのお姉ちゃんみたいに、たまきをペットのネコか何かだと思っているのだろうか。なるほど、ネコが一丁前にバイトを始めたら、ただそれだけで褒められるし驚かれるし笑われるだろう。いつか何かで見返してやる、とたまきは心に誓った。

たまきは返事をすることなく、黙々と作業を進めた。

「ここ? オカマのボウズがいる寺って?」

「……まあ」

少し間を開けてからたまきは、

「住職さん、今日はお寺にいるけど、会ってきますか?」

と尋ねた。

「いや、パスするわ。そのオカマでガタイのいいボウズってのがいまいちピンとこないんだよなぁ。ホントにいるのか、そんなやつ?」

亜美の言うことは一言一言が甚だ失礼である。こんな人は住職さんには会わせられないな、と思いながら、たまきは黙々と作業を進めた。

「そうそう、おまえに言いたいことがあったんだよ」

「そうですか」

「なんだったっけなぁ~?」

というと、亜美は缶の中のビールを一気にグイッと飲み干した。

「そういや、さっきここ来る前に下のラーメン屋でミチにあったから、あいつにもこの寺のこと教えておいたぞ」

「え?」

たまきは危うくペンキの缶を落としそうになった。

「な、何でミチ君に教えるんですか?」

「あいつが、たまきちゃんのバイト先ってどこっすか~?って聞いてきたから、ケータイで地図見せながら教えといたぞ。なんだよ? 見られて恥ずかしいようなバイトじゃねぇだろ?」

「ま、まあ、そうかもしれませんけど……」

たまきにとって、人に見られて恥ずかしくないものの方が少ない。

「い、言いたかったことっていうのは、そ、それですか?」

「いや、それじゃなくて今のはついでで、ほかになんかあったんだよなぁ」

と亜美は煙草を空になったビール缶の中にねじ込む。

「そうそう、思い出した。さっき先生から電話あったんだよ」

「舞先生から……ですか?」

「そうそう。たまきが寺でバイト始めたって聞いたけど、ちゃんとやってんのか? って。そうそう、それでウチが様子を見に来たってわけよ。先生言ってたぞ。しばらくたまきの顔見てないけど、元気なのか、って」

たまきの作業の手がふと止まった。言われてみればここしばらく、舞に会っていない。

「そういやおまえさ、ここんとこリスカしてないんじゃね? だから先生とも会ってないんじゃねぇの?」

「え?」

いよいよたまきの手は完全に止まり、上半身を亜美の方に向けた。

「私、最近リスカしてなかったんですか? いつから?」

「いや、おまえの手首の話だよ。ウチに聞くなよ。まあ、確かにここしばらくないよなぁ」

たまきは作業の手を止めて、右手首の包帯をじっと眺めた。

確かに、言われてみればここ最近はリストカットをしていない。いったい、いつからだろう。

記憶を掘り返してみるけれど、最後にリストカットしたのがいつだったのかあまりはっきりしない。

でも、なんとなく確信の持てることがあった。

たぶん、鳥のラクガキを探し始めてからは、リストカットをしていない、そんな気がするのだ。

それと同時に、急に不安になってきた。ここしばらくは鳥のラクガキを見つけられていない、ということに。

ふと気づくと、たまきの左手からペンキのローラーがなくなっていた。

どこかに落としたかとあたりを見渡してみると、すぐ目の前で亜美がローラーをブロック塀にあてがっていた。いつの間にかたまきの手から奪い取ったらしい。

「な、何してるんですか?」

「見りゃわかんだろ。手伝ってやってんだよ」

そういうと亜美はガーガーとローラーを転がす。

だけど、その塗り跡が地面に対して垂直ではない。微妙に傾いている。そのため、たまきの塗ってきた箇所から次第に離れ、塗り残しが広がっていく。

たまきはその都度ローラーを止めてもう一回塗り直すなり筆で塗り残しをつぶすなりしていたのだけど、亜美は塀の上から下までノンストップで一気にローラーを転がす。そして、あらゆる塗り残しを一切無視して隣の場所からまた上から下までローラーを転がす。

「なんだよ、こんなの、カンタンに終わるじゃん」

仕方がないので、塗り残しの部分はたまきがあとから筆で塗りつぶしていった。どうせ手伝ってくれるのなら、めんどくさい方をやって欲しかった。

亜美は三分ほど作業をした。いや、たまきから見ればただ適当にローラーを転がしていただけで、断じて「作業」と呼べるようなものではない。

亜美は急にぴたりと立ち止まると、

「なんか、飽きた」

というとたまきにローラーを返した。

そして、片手に握っていた空き缶を、全く無造作に放り捨てた。

「じゃあなー。あ、手伝った分のバイト代はいらねーからなー」

たまきは、路面にからころと転がる空き缶を見た。飲み口から中にねじ込んだ吸い殻が顔を出した。

次に、余白だらけのペンキの塗り跡を見ながら、しばらく立ちすくんだ。

やがて脚立によじ登ると、亜美の作った塗り残しをつぶす作業を始めた。

世の中には自分よりもバイトに向いていない人がいる。それがわかっただけでもよかった、ということにしておこう。

 

四日目。前日までに壁の八割を塗り終わった。作業に慣れたこともあってスピードも少し早くなった。この調子なら今日の昼過ぎにはすべての作業が終わる。

はずだった。

午前中、たまきがお寺の裏口につくと、すでに住職が立っていた。

「たまきちゃん、がっかりしないでね」

たまきが住職と一緒に「仕事場」に行ってみると、青いペンキで塗りつぶしてきたスペースの3分の1ほどに、黒いスプレーで新しいラクガキが描かれていた。何かの文字を崩したような形だけど、何なのかは判別できない。

「夜中にやられちゃったみたいねぇ。塗り直しの追加のバイト代はちゃんと考えておくから」

「……はい」

この日の作業は、ラクガキされた箇所の塗り直しから始まった。

壁の大部分を塗りつぶされたわけでなく、スプレーでにょろにょろと黒い線を描かれただけなので、そこまで厄介な作業ではない。しかし、青いペンキをバケツごとぶちまけて消せるのならばどんなにラクか。

ふと、たまきはいつか見た張り紙を思い出した。

『落書き厳禁! 迷惑してます!』

思い返してみると、たまきはこれまで「鳥のラクガキ」探しに、いかに無責任にはしゃいできたことか。じぶんちの壁にラクガキされて嬉しい人などいないのだ。それが、誰のどんなラクガキであっても。たとえ天才画家といわれる人だったとしても、ラクガキはあくまでラクガキなのだ。

よくよく考えてみればたまきは、人の建物に勝手に住んで、壁に勝手に描かれた落書きを探して回ってる。ちっともほめられたことじゃない。

だからこそ、少しでも褒められる人間になりたくて、たまきは今日もローラーをあてがうのだった。

 

一時間ほどで塗り直しを終え、いよいよ最後の作業に入った。余計な時間を使ってしまった分、たまきは作業のスピードアップを図ることにした。

これまでは、ローラーをあてがう前にまず、その一帯をよく確認して、例の鳥のラクガキがないか、ほかのラクガキに潰されていないかをチェックしていた。その時間を削ることにした。

もう、いちいち確認などしないで、さっさと作業を進める。もしも鳥のラクガキがあったとしても、お構いなしに塗りつぶす。それがたまきの仕事なのだ。

 

お昼休憩を終えてさらに作業を進める。

たまきはふと、人が近づいてくる気配を感じて、そっちの方を向いた。

道路の奥から、ミチが近づいてくるのが見えた。そういえば、亜美がここでたまきがバイトをしてると余計なことを教えたのだった。

絶対、笑いに来たに決まってる。

ミチは両手をズボンのポケットに突っ込んで、ガムをくちゃくちゃとかみながら近づいてきた。たまきはギリギリまで知らない人のふりをしようと決めた。

案の定、ミチはたまきに近づくなり、

「うわ、マジでバイトしてんじゃん!」

と大きな声を上げた。亜美のように爆笑しなかったのは少し意外だったけど。

笑わないのはいいことだったけど、こともあろうにミチは、携帯電話を取り出して、カメラをたまきに向けた。

「え……な、何してるんですか?」

「いや、姉ちゃんに見せるだけだからさ」

「や、やめてください」

たまきは右手を精一杯持ち上げて、ペンキの缶でなるべく顔を隠した。

「ちょっとぐらいいいじゃん。ホントに姉ちゃんに見せるだけだって。見せたらすぐ消すから」

そう言って、前にも「消す」と言ってた写真を消さなかった前科がある。信用できない。

「やめてください。言いつけますよ」

たまきは、ペンキの缶越しに、ミチをにらんだ。

「わ、わかったよ。ごめんって」

ミチは携帯電話をしまった。どうやら、魔法の呪文「言いつけますよ」はまだコイツに対して効果があるらしい。

たまきは、顔を隠していた右手を降ろした。でも、相変わらずミチをにらんだままだ。

「用が済んだら帰ってください。その……仕事の邪魔です」

ここでは魔法の呪文は使わない。魔法というものは乱発したら効果が薄れるのだ、きっと。ここぞという時に取っておかないと。

「いや、まだ用事終わってねーし」

これ以上どんな邪魔をするというのか。

「たまきちゃんさ、なんかヘンな鳥のラクガキ、さがしてたじゃん?」

たまきは返事をしなかった。「鳥のラクガキ」なら探してるけど、「ヘンな鳥のラクガキ」を探してる覚えはない。

だいたい、ミチはこの前、鳥のラクガキに興味なさそうだったではないか。

「でさ、知り合いのレコ屋の店長がさ、むかしストリートアートをやってたって話思い出してさ、鳥のラクガキのこと話してみたらさ、描いた人のこと知ってるって言ってさ」

「……え?」

たまきは、うっかりペンキの缶を落としそうになった。

「……あのラクガキ描いた人のこと、知ってるんですか?」

「そうそう。俺もまだ詳しくは聞けてないんだけど」

「知ってるって……、名前とか……」

「えっとね……、セナっつってたな」

「せな……」

たまきはその名前を反芻した。

「女の人……ですか……?」

「そんな名前だったと思うけど。うん、女の人の名前だったなぁ」

やっぱり。なんとなく、そんな気がしていたのだ。

たまきの仕事の手は、完全に止まっていた。仕事どころではない。聞きたいことがいっぱいあるのだ。

「その人って、今、どこにいるんですか?」

「ごめん、俺もそこまでは聞いてないんだ」

「そうですか……何歳ぐらいの人なんですか?」

「それも詳しくは……。ただ、レコ屋の店長は四十才ぐらいなんだけど、それよりも若いんじゃないかな?で、その店長さ、セナって人がラクガキ描くところとかも見ててさ、それこそ、俺らが公園で見つけたラクガキあったじゃん。あれ、どうやって描いたかっていうと……」

「ま、待ってください!」

たまきにしては少し強めの声で、ミチの話を遮った。

「そ……その話は……いいです」

「……え?」

「だから……その……どうやって描いたかって話は……別に……」

「え、だって、気にならない? っていうか、そういうの知りたくて探してたんじゃないの?」

たまきは首を横に振った。

聞きたいことはいっぱいあった。でも、その話だけは聞きたくない。

どのラクガキも、たしかに描くのが難しそうな場所にある。

でも、絶対に不可能というわけではない。

どうやって描いたのか、正直、ある程度の予想はできている。

でも、だからこそ、「どうやって描いたのか」だけは知りたくなかった。あれは魔法か何かで描いたんだ、たまきはそういうことにしておきたかった。

ミチとしては、話を遮られてしまって、釈然としない感じだ。

「ま、まあ、とにかくさ、その店長さんにたまきちゃんのこと話したんよ。その、鳥のラクガキを探して回ってる子がいるって。そしたら、直接セナって人の話をしてもいいっていうんだけどさ」

「……その店長さんが、私に……ですか?」

「そう」

「その……もしかしたら……セナって人にも会えますか?」

「あ、そこまでは聞いてない」

「そうですか……。あの……その……」

「なに?」

「……どうしてミチ君がそこまでしてくれるんですか?」

「……どうして?」

どうしてと聞かれても、困る。

「……とにかくさ、たまきちゃんが話聞きたいって言うなら紹介するけど、どうする?」

「えっと……その……」

たまきはうつむきがちに言った。

「……お願いします」

「オッケー。じゃ、あとで話しとおしとくわ」

「それと……その……」

そのあとにたまきは何かを付け足したが、ミチにはよく聞き取れなかった。

たまきは、ローラーをしっかりと握ると、壁に向き合った。

ラクガキは見つからなかったけど、その代わり、思ってもなかった話が降ってわいてきた。

でもまずは、このバイトをしっかりと終わらせよう。たまきは、壁にローラーをあてがった。

つづく


次回 第42話「ジャングルのちライオン、ところにより鳥」(仮)

ミチに連れられてレコード屋の店長に会いに行くたまき。「鳥のラクガキ探し」もいよいよ佳境か? つづきはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

ピーマンの日々

ピーマンに生活を左右されてます。

夏野菜を植え付ける時期になって、先週の土曜日、畑にピーマンを一株植えたんです。

農園からの説明だと、ピーマンは水を多めにやらなきゃいけないみたいで、特に植えてからしばらくは週に二回のペースで水やりをしなければいけないとのこと。

週二はなかなかに難しいなぁ、と思いながら天気予報を見ると、水曜木曜と雨の予報。

雨が降るなら、わざわざ水やりに行く必要もないでしょう。むしろ、水のやり過ぎはよくないというものです。「週二回」のうちの一回は自然の雨に任せて、次の水やりは週末にしよう、と、水曜日は畑とは反対方向の駅前でいろいろと仕事をしていたわけです。

……雨なんか降らないじゃないか!

予報では「昼過ぎから大雨」と言っていたから、畑にはいかなくていいやとこっちに来たのに、昼下がりまでカンカン照り。

雨雲レーダーを見てみると、よその地域は土砂降りだというのに、僕の地元だけ巧妙に雨雲が避けているんですよ。

週末まで畑に行かない、ということで予定を立てていたのに、この後も雨が降らなかったら、予定を立て直して木曜日に畑に行かなきゃいけない。木曜日に畑に行くということは、木曜日の予定を他の曜日にずらすということで、木曜日の予定を他の曜日にずらすということは、ほかの曜日の予定をまた別の曜日にずらすということで、中にはずらしようのない予定もあって……。

ピィ~~~~~! ピーマン、ピィ~~~~~~~~!

そんなことを考えながら、水曜日の空模様を見つめていると、次第に水墨画のように黒い雲がモクモクと沸き立ち、世界の終わりかと思わんばかりに空は雲に覆われ、夕方から一気に土砂降りになりました。

良かったよかった。これで予定を立て直ししなくて済む。土砂降り土砂降り、ランランラン♪

畑には他にも、ナス、ミニトマト、エダマメ、バジル、サンチュ、マリーゴールドを植えています。わずか二畝だけど、野菜と葉っぱとお花でいっぱいです。

ミニトマトを植えるのは二回目で、わきにはバジルを植えています。これはミニトマトが水を嫌う一方で、バジルが水を好むので、近くに植えておけばバジルが余分な水を吸ってくれるからだそうで。

それでもなお、ミニトマトはデリケートです。去年もいくつかひび割れたミニトマトがあって、どうやら水の与え過ぎが原因ではないかと……。

さっき、土砂降りが降ったがね。そこまで降らなくてもいいよってくらいに。

ピィ~~~~~~! ミニトマト、ピィ~~~~~~~~~~!

諏訪の旅々

諏訪を旅してきました。15年ぶりです。

学生の頃、民俗学の先生が「諏訪の民俗は他と違う!」というのを力説していて。

そのうえ、先生いわく「諏訪の人は顔立ちもよそと違う!」

それはさすがにないだろう、炎上案件ですぜ先生と思いながらも、「諏訪がほかとは違う」というのがずっと記憶に残ってました。

調べれば調べるほど、あの周辺は歴史がとても深い。それも、数万年単位で。

まず最初に行ったのが、富士見町にある井戸尻考古館

もともと、縄文時代のすごい史料館が「井戸尻」というところにあるという噂は耳にしていたんだけど、少し前に大宮の博物館で縄文の企画展をやっていた時に、すごいと思う土器の多くが井戸尻考古館から借りてきたものだと書いてあって、おまけにそれが諏訪の近くだと知って、いつか行ってみたいと思っていた場所です。

今回の諏訪と歴史を巡る旅は、この縄文の扉がある町から始まるのです。

駅の名前は「信濃境」という山梨から長野に入ってすぐの、まさに長野県の玄関口にあたる駅です。山の斜面に作られた駅で、駅を出て考古館までは15分ほどただひたすら下り坂。

自然豊かな場所で、きっと縄文の時代からそんなに風景が変わってないのでしょう。

さて、井戸尻考古館を見学してきたのですが、驚いたのがその出土品の量。バスケのコートぐらいの広さの部屋にずらりと並べられた土器、土偶、石器。「県内各地から集めました」って感じの量なんだけど、出土したのは全部信濃境駅の周辺だというのだから、驚きです。たった一つの地域からこれだけの量の遺物が出土したのか、と。まさに、縄文の都。

そんな信濃境から電車に揺られてさらに山の奥へ。諏訪湖の近くのゲストハウスで一泊しました。

長野県のど真ん中。周囲を2000m3000mクラスのの山に囲まれ、もしかしたら日本で一番海から遠い場所かもしれない。

そんなところに、海と見まがうばかりの巨大な湖があるのです。険しい山々を越えた先の標高750mのところにあるまさに「天上の一雫」

古代人が山を乗り越えた先にこの諏訪湖を見つけた時、どれほど驚いただろうか。

船旅をしていた時は、何もない海の上を見て、今まで自分が生きていた世界は何て狭かったんだ!と価値観がぶっ壊れたわけです。

一方で、この諏訪は周囲を山に囲まれ、真ん中には海のような湖があり、その周りを囲む街の規模もかなり大きい。まるで世界の縮図みたい。

ここに来ると逆に世界というのはこの山々に囲まれた湖のある一画だけで、あの山の向こうにはもう何もないんじゃないかと錯覚を起こすから不思議です。

そして、諏訪はそう思わせるだけの説得力があるんですよ。諏訪湖全体が、諏訪大社の祭神であるタケミナカタなんじゃないか、この湖とそれを囲む町全体が一つの聖域なんじゃないかと思わせるだけの力が。

タケミナカタは蛇や竜の姿で描かれることが多い神様ですが、諏訪の街中も無数の川が蛇のように走り、諏訪湖めがけて集まっていきます。

そしてそれはやがて天竜川として、浜松の遠州灘めがけて山々を駆け下りる。

この諏訪湖と天竜川の境目も見てきたのですが、諏訪湖の方が、天竜川よりも水位が高いんですよ。それを水門で調整して、天竜川に少しずつ水を流している。

ということは、水門ができる以前の天竜川には、もっととんでもない量の水が流れていたことに……。

まさに、山の上の天から駆け下りる竜そのものです。

諏訪は長野県のほかの場所に行くにも起点にしやすい場所なので、また近いうちに訪れたいものです。

やっぱり大好き「宇宙よりも遠い場所」

アニメ「宇宙よりも遠い場所」(通称「よりもい」)の再放送が終わりました。

6年前にリアタイで見てから、もう3回4回と見てるんだけど、何度見てもいいアニメ。

僕のアニメの見方は、視聴するタイトルを絞って、気に入ったおなじアニメを繰り返し繰り返し見るタイプです。「ヤマノススメ」「プリンセス・プリンシパル」「刀使ノ巫女」と、おなじアニメを繰り返し繰り返し見ています。

「よりもい」も僕にとってはそんなアニメの一つ。何度見ても飽きない!

脚本が花田十輝先生なんですよね。やっぱり花田先生の脚本は、キャラの見せ方がいいし、描き方が丁寧。いろいろやってる人だけど、ほかの作品だと「ラブライブサンシャイン」が好きです。

世の中似たようなアニメが多い中で、「女子高生たちが本気で南極を目指す」という、どこともかぶらないお話です。

女子高生が南極になんてホントに行けるの? ってところから始まり、周りにばかにされながらも南極行きの切符をつかみ、パスポートなくしかけたり、船酔いに悩まされたりしながら、南極にたどり着く、そんなお話です。

僕にとっての「よりもい」の魅力は何だろうって考えると、やっぱり「どんなにバカげた夢でも、全肯定してくれる」ってところだと思います。

宇宙よりも遠い場所・南極に女子高生が行くという、途方もなくばかげた夢を全肯定しているアニメですから。それも、特別な才能があるわけでも、想像を絶する努力をするわけでもない、ホントにごく普通の女子高生たち(一人中退してるけど)が南極に行くのだから、これ以上バカげた夢はないです。それを全肯定しているアニメなのだから、見てる側がどんなにバカげた夢を胸に秘めていても、「突き進め!」と肯定してくれるわけです。

むしろ夢というのは人に言ったらバカにされて笑われるくらいじゃないとおもしろくない。

あと、南極には行ってないけど(寒いの嫌いだから行きたくもないけど)船旅をしてた僕にとっては、荒唐無稽どころかものすごくリアルな話だというのも好きなポイントです。

海外でパスポートなくしかけるとか(焦りで軽く死ねますね。経験者は語る)。

船酔いでグロッキーになるとか(マジで軽く死ねますね。経験者は語る)。

出発の日の朝の何とも言えない雰囲気とか、帰国して普通に電車に乗って一気に現実に帰ってくる気持ちとか。

つまりまあ、一つ一つの描き方が丁寧なのです。

そして実はお話の構成がものすごくシンプル。

舞台は群馬からシンガポール、船に乗って南極へと世界単位で移動し、登場人物も毎回いっぱい登場する。でも、基本は「四人の女の子が南極を目指してからたどり着くまで」を描いたお話で、キマリ、報瀬、ひなた、結月の4人さえ覚えておけば、十分お話を楽しめる。

名作と呼ばれる作品ほど、余計な脱線をしないで、シンプルに話を進めるものです。

そして今回、全話録画したので、もういつでも「よりもい」が見れる! やったね!

「よりもい」放送から6年、ついに「いつでもよりもいが見れる生活」がはじまります。軽く死ねますね。

「舟を編む」を見る

久々に連ドラを見てます。

NHK BSで日曜日に放送しているドラマ「舟を編む」

小説を原作とした、出版社の辞書編集部を舞台とする物語です。

前から興味はあったんだけど、小説も映画もなかなか手を出すのはおっくうで。

で、今度連ドラでやるというので、とりあえず初回だけでも見てみようかなと。見続けるかどうかはそれから考えるということで見始めたんですけど、一話目がしっかり面白くて、見続けてます。

辞書作りに没頭する馬締さんの役を、RAD WIMPSの野田洋次郎が演じてるっていうのがいいです。

稀代の作詞家である野田さんが、言葉を探求する辞書編集者を演じるというのは、説得力があります。

RADの時の野田さんはどこかクールな印象があったので、その野田さんがさえないけどキマジメで、言葉と真摯に向き合う辞書編集者を演じてるというのはなかなか面白い。RADの曲を聴いてても、「この歌を歌ってる人が、『舟を編む』の馬締さんを演じてるんだっけ?」と、どうしても頭の中でつながらない。

キャスト的には、かっこいい刑事役のイメージが強い柴田恭兵さんが、紳士的な国語学者を演じているというのも、なかなか面白いです。

キャストだけでなく、ストーリーももちろん面白い。「SHIROBAKO」もそうだけど、僕はこういうモノづくりをテーマにしたお話が好きみたいです。

特に面白いのが、辞書のソフト面である「言葉」だけじゃなくて、ハード面である「紙」へのこだわりも描かれているところ。他社よりも軽い辞書にしたいと考える馬締さん。だけどそのオーダーを受けて製紙会社の人が持ってきたサンプルをチェックした馬締さんは首を横に振る。

「ぬめり感がなくなっています」

以前のサンプルにはあった「ページをめくるときに手に吸い付いてめくりやすくなる感覚」が新しいサンプルにはないのだそうで。おまけに、紙を軽くするということはつまり薄くするということで、そのぶん強度が弱くなることでもあるのです。

本当に、モノづくりを始めると、ソフトだけでなく、ハードの部分にもこだわり始めます。沼です。

ここで言う「沼」とは辞書的に言えば「俗用」というやつで、「一度はまると奥が深くて抜け出せなくなる状態」というやつですね。

でも、僕はこの言葉はあんまり好きじゃなくて。

だって、沼にはまったらもう死ぬしかないじゃないですか。ヤダよ、そんなの。

「沼にハマる」よりも「森に迷い込む」の方が僕はしっくりきます。森なら生きていけるし、沼よりも視界は開けてるし。

イヤぁ、言葉って面白い。

そして、言葉を詰め込んだ辞書作りを描く「舟を編む」も面白い。

ただ、ひとつ心配事があって。

今回のドラマ、原作にかなり変更を入れているらしいんですよ。

ドラマと原作の関係が何かと言われている昨今、原作にだいぶ手を加えているみたいだけど、大丈夫なのかな。

と思ったけど、番組のホームページで原作者・三浦しをんさんのコメントがあって、「脚本を笑いながら読ませていただきました」と書いてあったので、大丈夫なのかな。

まあ、『舟を編む』は2011年の作品で、これまで映画化されたりアニメ化されたりしている小説ですから、それをいま改めてドラマ化するとなると、「原作とは少し違う形で」というのがベストなのかもしれません。