昔の人はUFOを目撃しなかったの?

前回、「オカルト!UFOを妖怪として民俗学してみた」という記事の中で僕は、「UFOは人類の科学力が発展したからこそ出てきた妖怪」と結論付けた。だが、同時に疑問が浮かんだ。本当に昔の人はUFOを目撃しなかったのか。UFOを目撃したという伝承は残っていないのか。


UFO目撃の2パターン

UFOという妖怪(ここでは妖怪とする)の伝承は、近年では動画が主流である。そう言った動画を見てみると、UFO目撃には2パターンあることに気づく。

それは、昼間に見るか、夜に見るか。

アニメ映画のタイトルみたいだ。「空飛ぶ円盤、昼間に見るか、夜中に見るか」。米津玄師に曲を作ってもらおう。

昼に見るのと夜に見るのとどう違うのかというと、見えてる映像が違う。

昼間だと、こういったUFOの姿がそのまま見えるはずである。

帽子ではない。UFOである。誰が何と言ってもUFOだ。

一方、夜になるとこんなにはっきり見えない。

はっきり見えないのになぜ「あ! UFOだ!」とわかるのかというと、光っているからだ。

「空を飛ぶ謎の発行体を目撃する」、これが夜中のUFOの見え方である。

つまり、UFOの伝承を追いかけるには、「昼間に空飛ぶ乗り物を目撃した」という話と、「夜中に謎の光が飛ぶのを見た」の二つの伝承を探せばよい。

日本は燃えているか

さて、まず「夜中に空飛ぶ光を目撃する」パターンを考えよう。

実は、このパターンは結構多い。

「空飛ぶ火の玉」という奴だ。

奈良県には「蜘蛛火」と呼ばれる妖怪がいる。火の玉が空を飛び、それに当たったものは命を落とすと言われている物騒な妖怪だ。

その正体は蜘蛛であると伝えられている。蜘蛛が何で火の玉になるのかは謎だが、この正体は大槻教授でおなじみのプラズマ、球電の類な気がする。蜘蛛火にさわると命を落とすと言うが、球電もなかなか殺傷力が高い。

まあ、蜘蛛火の正体が蜘蛛なのかプラズマなのかは今はどうでもいいことで、問題は蜘蛛火とUFOが「空飛ぶ発行体」という共通項を持っていて、実は同じ現象なのではないか、ということ。すなわち、現代人が蜘蛛火を見て「あ! UFO!」という可能性はあるし、昔の人が現代のUFOを見て「蜘蛛火じゃ!」と声を上げる可能性がある、ということである。

こういった「空飛ぶ火の玉」系の妖怪はかなり多い。ちょうど手元に水木しげるの『妖怪大百科』という本があるので、空飛ぶ火の玉系の妖怪を上げてみると、

・姥ヶ火(近畿)

・くらべ火(広島県)

・シャンシャン火(九州・高知県)

・つるべ火(福岡県)

・ワタリビシャク(京都府)

偶然なのか関西地区を中心に、火の玉の妖怪がたくさんいる。他にも石川県の「くらげ火の玉」なんて言うのもいる。鬼火、狐火なんていった伝承は全国各地に伝わっている。

火の玉が飛ぶのは関西だけではない。埼玉県には「火の玉不動尊」なる野仏がある。

場所はさいたま新都心駅前、中山道。この一帯は今でこそ人通りや車どおりが多くにぎやかだが、かつては処刑場が置かれ、大宮の宿場の端っこ、さみしい場所だった。そこに夜な夜な火の玉が飛ぶというウワサが出て、侍があらわれた火の玉を斬ってみたところ、このお不動様に傷がついた。さてはこの不動が火の玉の正体だったのか、というお話。

このような「空飛ぶ火の玉」が20世紀に入って「UFO」と呼ばれるようになったのだ!

……と勢いよく断言したいところなのだが、火の玉の伝承を見ているとあることに気づく。

火の玉が飛ぶ高度、低くないかい?

だって、侍の間合いに入れるくらいの高さだぜ?

姥ヶ火に至っては、「顔に当たった」なんて伝承が残っている。

よくよく考えると、蜘蛛火が「当たったら死ぬ」と言われているということは、要は人に当たるくらい低空を飛んでいる、ということである。

現代のUFO動画のような、はるか上空を飛ぶ怪しい光の話はなかなか聞かない。

昔の人たちは、「はるか上空を飛ぶ謎の飛行物体」を目撃しなかったのか、それとも、目撃してはいたけど、別に何とも思わなかったのか。

もちろん、今も昔も空に謎の発行体が現れれば、騒ぎになったはずだ。

一方で、現在われわれが「彗星」「隕石」「流れ星」と呼んでいる科学的な現象でさえも、昔の人から見れば怪奇現象だったはずである。かつては彗星が現れると何かの前触れではないかと陰陽師を読んで占わせていた。

UFOのような空飛ぶ発行体もこういった「夜空の怪異」の中にいっしょくたにされているのではないだろうか。

現代の私たちが「空飛ぶ発行体」を見て「あ! UFOだ!」というのは、それが彗星や隕石、流れ星といった「既知の科学現象」とは明らかに違う動き、違う光り方をしているからであって、これらの現象がまだ「未知」だった時は、UFOもこれらと一緒に「何か凶事の前触れではないか」と扱われていたのではないだろうか。「流れ星の一種」としてとらえられていたのかもしれない。

つまり、流れ星や彗星などにまつわる伝承の中に、現代で我々がUFOとよぶものも一緒にされている可能性がある。

流れ星を見るというのは確かに珍しいが、一生に何回かはあることだ。「流星群」などという流れ星が多い時期もある。珍しいが、決して怪奇現象の類ではない。昔の人もそう捉えていたのではないだろうか。

だからたまに、ジグザグに飛ぶ流れ星があったり、急に停まったりする流れ星があっても、「変な流れ星があるなぁ」と思う程度だったのかもしれない。

ところがわれわれ現代人は、「流れ星の正体は宇宙の塵が地球の引力に引っ張られて落ちてきて、大気圏内で空気摩擦により発火したのもである」と知っている。基本、真っ直ぐ落ちてくるものであり、ジグザグに飛ぶとか、途中で止まるとかはあり得ない。

だからこそ、そう言った発光体を見ると、「あれは流れ星ではない! UFOだ!」と騒ぐのではないだろうか。

だとしたら、UFOはやはり、「人類の科学知識が増えたからこそ生まれた妖怪」と言える。

流れ星を昔の人がどう思っていたのかは、今後改めて明らかにしていきたいと思う。

UFOの奥ゆかしさ

もう一つのパターン、昼間にUFOを目撃する場合について考えよう。

西洋の絵画や、古い壁画なんかに、UFOっぽい乗り物が描かれていることはあるが、UFO目撃談のような伝承は調べた範囲では見つからなかった。

ただ一件、ウィキペディアにこんな話が乗っている。9世紀のフランスで起きたと伝えられる話だ。

草原に空から球状の物体が下りてきて、中から4人の男女が出てきたという。村は「魔術師が来た」と大騒ぎになったが、その4人は「我々は地球人です」と言った、かどうかはわからないが(当時、「地球」なんて概念はないはず)、自分たちはごく普通の人間だ、という趣旨のことを説明した。彼らもまた野原でUFOに出会い、乗せてもらっていただけだという。

これが9世紀のフランスで起きたUFO事件である。

だが、昔のUFO目撃例はこれくらいで、あとは20世紀に入ってからのものばかり。他にはこんな話はほかにはないのかと「昔のUFO」で検索をかけてみても、「昔のUFO焼きそば」の話しか出てこない。

さて、現代の昼間のUFO動画を見ていると、一つのパターンがあることに気づいた。

いつもと変わらぬ平和な空を眺めている、はずが何かが飛んでいるのに気付く。鳥か、それとも飛行機かとズームしていくと、明らかな人工物であることに気づく。だが、その形状は飛行機やヘリコプターとは程遠く、どんな原理で飛んでいるかも不明。ここで「オーマイゴッド! UFOだ!」と驚くわけだ。

僕はこの「ズーム」という行為に注目した。

ズームすることで初めてUFOだとわかる。

つまり、肉眼では何なのかよくわからない、ということだ。

これでは、UFOに関する伝承が残らないのも当然である。肉眼では鳥と大差ないのだから。ズームして拡大して、はじめてUFOだと気づくのだ。

つまり、「ズーム」という機能を手に入れたことで、我々は初めてUFOを発見できるようになったのだ。

少なくとも、映画「インデペンデンスデイ」のような、肉眼でもはっきりとUFOだとわかるサイズが飛んでいる動画はネットでは見つけられなかった。

一方、写真だと「肉眼でもはっきりと見えるUFO」はいくつか見つかった。

おわかりいただけるだろうか……。

UFOが明らかに太陽の光らしきものを反射しているにもかかわらず、その影がどこにもないのだ……。

影は光源に近いほど大きくなる。まあまあの上空を、まあまあの大きさのものが浮いているのだ。太陽の位置からして、UFOの少し後ろにまあまあの大きさの丸い影ができていないとおかしいのだ。

まさに、物理学の常識を超越した怪奇現象だ。まるで、まるでもともと上空には何もなかった、と言いたげな写真である。

続いてこちらのお写真。

おわかりいただけるだろうか……。

UFOの底が見えないのだ……。

ちなみに、こちらは私が西葛西で撮ってきた飛行機の写真。かなり低空を通っていたので、面白くて撮影した。

この通り、地上から飛行物体を撮影すれば、底の部分がよく見える形となる。

ところが、このUFO写真は、上空に浮いているUFOをどういうわけか正面からとらえているのだ。

UFOは家の上空を飛んでいるように見える。写真にぼんやり写っているドアが地上から数えて3mの高さだとすると、UFOが飛んでいるのは上空10m。写りこんでいる車の長さが5mだとすると、UFOの真下の地点までなら、目算だがこの車は2台止められそうである。ということは、UFOはカメラから10m離れたところで、10m上空を飛んでいるということだ。

直線距離にして約14m。角度はななめ45度。

ためしに、自分の腕をななめ45度に伸ばして、手のひらを水平にして見てほしい。自分の手相がよく見えるはずだ。

そう、ななめ45度のところにあるUFOなら、もうちょっと底の部分が見えていないとおかしい。具体的には、円を少しへこました程度の楕円形に底の部分が見えていないとおかしいのだ。

ところが、この写真はカメラに対してUFOが正面から写っている。影のように見える部分を実は底の部分なのだと好意的に解釈しても、こんな細い線の様にしか見えないことは考えられない。

結論から言うと、このUFOはななめ45度に傾いた状態で浮いていた、ということになる。どうしてそんな不安定な状態で浮いていたのか。UFOも整備不良だったのだろうか。

さて、気になるのがこの肉眼でもはっきりと見えるUFOはいずれも、60年代アメリカ、といった感じの画質だということだ。古い写真である。

一方、最近のUFO動画を見ていると、ズームして初めてわかるくらい上空を飛んでいるのが多い。

写真全盛の時代は、UFOも低空を飛べたのだ。

ところが、動画全盛の時代はそうはいかない。UFOが出現してから飛び去るまでの一部始終が記録される。

肉眼で見えるくらいの高さを数十秒間にわたって飛んでしまうと、「ほかに目撃者はいなかったのか」「ほかに同じものを撮影した動画はないのか」「マスコミが話題にしないのか」と、写真の時は気にならなかった様々な「不都合な」疑問が出てきてしまう。

なので、UFOはより上空を飛んでもらわなければならなくなった。「はるか上空を飛んでいて、ズームしたから初めてわかったんだすよ。肉眼じゃよくわからないから、他の目撃者がいないのも納得でしょ?」というわけだ。

低空を飛ぶといろいろと「不都合」なので上空を飛んで、ズームして見つけてもらう。UFOという妖怪はなかなか奥ゆかしいやつだ。

また、UFO写真には一緒に写ってくれる背景が不可欠だ。UFO単体だけ撮っても「模型を撮ったんじゃないの?」と疑われてしまう。一緒に家とか森とかが写っていて、その上空を飛んでいるところを移して初めて「UFO」と認識してもらえるのだ。

ところが、動画全盛の時代になって、背景と一緒に映る必要はなくなった。家とか森とかの上に何かが飛んでいる。ズームしていくとそれがUFOだとわかる。はるか上空を飛んでいるのでズームすると家とか森とかは映らなくなるが、最初のシーンには写っていて、そこから連続した動画なので、「模型だけズームで撮ったのでは?」なんて疑われずにすむ。

まとめ

昔の人はUFOを見ていたのか。

夜の場合は見ていたとしても「変な流れ星」程度にしか思わなかったのではないだろうか。それがUFOであると考えるようになったのは、流れ星の正体がわかってからだ。

昼間のUFOに関しては、低空を飛ばれるといろいろと不都合がある。昔の人が村の中で「こんなのを見たよ」と言っても、「いやいや、俺たち近くにいたけど、誰もそんなの見てないよ」と言われておしまいである。ズーム機能のあるカメラが出てきたことにより、「はるか上空を飛ぶ肉眼では見えないUFOをわざわざズームして見つけました」ということができるのだ。

そして、一つだけ疑問が残る。

今回、「火の玉妖怪」の伝承が多く残っていることを検証した。彼らはかなり低空を飛び、人に触れることもあったという。

彼らは現代では、一体どこに行ってしまったのだろうか。

オカルト!UFOを妖怪として民俗学してみた

現代のオカルトの代表格と言えるのがUFOだ。今回は、そんなUFOを「現代の妖怪」として、民俗学の立場から分析してみた。空からやってくる現代の妖怪、UFO。日本人と、いや、地球人とUFOのかかわりを民俗学的に分析してみよう。


UFOは存在する!

UFOは、います!

しかし、UFOは宇宙人の乗り物ではない!

どういうことかというと、UFOは「未確認飛行物体」の略称であって、別に宇宙から来たものでなくても、「空を飛んでいたよくわからないもの」をUFOと呼ぶよ、という意味である。

空を飛んでいて、正体が不明ならば、それはもうUFOである。

巷には数多くのUFOの写真や動画が出回っているが、その95%は何かの見間違いか、科学で説明のつく現象であるという。

しかし、それでも5%は何なのかわからない。

これこそがUFOである!

別に宇宙人が乗っていようが、宇宙から来てなかろうが、UFOの定義を十分に満たしている。たとえその正体が風で飛ばされたビニール袋でも、誰にもその正体がばれなければ、それはUFOである。

さて、ここからはみんな大好き、『宇宙人の乗り物』としてのUFOについて見ていこう。

最初のUFO

一体、人類はいつからUFOと遭遇していたのか。

その起源はわからない。へたしたら、人類が初めて空を見上げた日から、人類はUFOと遭遇しているのかもしれない。

一方で、UFOの一般的なイメージである「空飛ぶ円盤」ならば初出がはっきりしている。

それが、ケネス・アーノルド事件である。

1947年アメリカ・ワシントン州。そう、ビッグフットが住むことで有名なワシントン州である(ワシントンD.C.とは別物。高校生の僕はそうとは知らず、ホワイトハウス前で「この辺にビッグフットがいるのか」とあほなことを考えていた)。

ある日、ワシントン州でケネス・アーノルドという人物が昼日中から空を飛んでいた。もちろん、飛行機を操縦して。

すると、正体不明の飛行物体を目撃したのだ!

この目撃談をマスコミは「空飛ぶ円盤」として大々的に報じた。以後、UFO=空飛ぶ円盤というイメージが世界的に定着する。

だが、ここでひとつ残念なお知らせ。

ケネスは実は一言も「空飛ぶ円盤を見た」なんて言っていない。

ケネスが言ったのは「水面をはねるお皿のような飛び方をしていた」であり、形状に関してはむしろ「三日月のような形」と言っていたのだ。ところが、マスコミ発表ではそれが「空飛ぶ円盤」になってしまったのだ。

さて、不思議なことに、UFOに関する伝承はあまり聞かない。古い絵画に空飛ぶ円盤のようなものが書いてある、というパターンはあるが、UFOを見たという昔話はとんと聞かない。目撃談もほとんどが20世紀以降のものなのだ。

江戸時代のUFO

さて、UFOに関する伝承はほとんどないのだが、UFOと言われる絵なら実は日本にも残っている。それが「うつろ舟」と呼ばれるやつだ。

うつろ舟に関する伝承は全国各地に残っている。海岸に見慣れぬ船が流れ着き、その中には異国の人間が乗っていた、という伝承だ。

画像がこちら。

確かに、我々が抱くUFOのイメージによく似ている。

この画像の船は1803年に茨城の海岸に流れ着き、中には異国の女性が乗っていたらしい。

この絵が特に話題なのが、船の中に書かれていたという文字だ。画像の右上にある、記号のようなものがそうだという。

これが宇宙の文字みたいだということで、うつろ舟=UFO=宇宙人の乗り物、などと言われている。

ここで一つ聞きたいのだが、

……誰か「宇宙の文字」の実物を見たことがある、という人がいたら、ぜひ名乗り出てほしい。

そう、「宇宙の文字」の本物を見たことがある地球人は、いない。

誰も「ホンモノ」を見たことがないのに、何をもって「宇宙の文字みたいだ」なのだろうか。

むしろ、これは「今も昔も、日本人が思いつく『まったく見たことない文字』は似たような形である」ことを意味しているのではないだろうか。

さらに言えば、うつろ舟は厳密にはUFOではない。

UFOとは「未確認飛行物体」である。うつろ舟は漂着物であって、飛行物体ではない。うつろ舟が空を飛んでいるところを見た人はいないのだ。

現代のUFO

さて、UFOを妖怪として考えた時、他の妖怪とは決定的に違うことがある。

普通の妖怪は「噂話」として伝えられる。カッパを見たとか、天狗を見たとか、口裂け女に追いかけられたとか、全部噂話、口承文芸だ。

ところが、UFOの場合、「目撃談」もあるのだが、近年では「動画」が主流になっている。

UFOは動画で撮影されている数少ない妖怪の一つともいえる。

そういったUFO動画を見ていると、本当に驚く。

夜、真っ暗な夜空に突如煌々と輝く謎の飛行物体。この映像を見た時は本当に驚いた。

何の必要があって、夜中にピカピカ光っているのか、と。「見つけてくれ」と言わんばかりに。

そもそも、機体の外があんなにピカピカ光ってる意味が分からない。「機内の光が窓から漏れてる」なんてレベルではない。機体の外に明らかに発行体があって、何が目的なのかピカピカ光っているのだ。エネルギーの無駄遣いだと思う。

他にも、UFO動画は不可解なものばっかりだ。

空を飛んでいるのに、どういうわけか真横から光を受けているUFO。ちなみに、映像を見る限り真横に太陽があるようには見えない。いったい、あのUFOは上空で何の光を反射していたというのか。

逆に、真っ赤な夕焼け空に浮かんだ巨大UFOが、全く夕日を反射しない、という不可解な画像も見たことがある。この場合、沈みゆく太陽の方がUFOより下にあるのだから、下からUFOを見上げれば、夕日を反射していないとおかしい。

他にも、飛ぶのにも着陸するのにも、明らかに不向きとしか思えない形状のUFOもある。そこがとがってたるやつとか、どうやって着陸するのだろうか。

いずれにしても、現代の物理学では解明できない、不可解な存在だ。

伝承としてのUFO

さて、先ほども書いたのだが、UFOの目撃談は20世紀以降に集中している。

これまた不可解だ。

人類はほぼ毎日、誰かしら空を見上げている。なのに、UFOを20世紀にはいるまで見なかったというのか。

さらに、飛行機やヘリコプターが登場する前の時代は、空を飛んでいるものは鳥や虫以外は即UFO認定されるはずだ。

にもかかわらず、UFOの伝承は20世紀以降に集中しているのだ。

なぜだろう。

そこで僕は、「UFOの目撃者は飛行機乗りが多い」ということに注目してみた。

特に、ケネス・アーノルドをはじめとする1940~1950年代のUFO目撃者は、飛行機のパイロットに多い。このころからUFOの伝承は数を増す。

飛行機という乗り物は、第一次世界大戦時に大きく発展した。

つまり、UFOは飛行機が空を飛ぶのが当たり前になってきた時代に登場し始めた、ということだ。

思えば、UFOは大体結構でかい。重量もあるはずだ。

そんなものが空を飛ぶ、というのはかつては考えづらいことだった。

空を飛ぶ妖怪は古くからいた。羽を持つ日本の天狗、箒にまたがる西洋の魔女、いずれも、ほとんど身一つで空を飛ぶ。

僕が思い浮かぶ限り、飛行機登場以前で「空を飛べる」とされたもので最も重いのが、太陽の神ヘーリオスの馬車だろう。

ただ、これは誰かが空飛ぶ馬車を目撃したわけではなく、「太陽ってなんで空を飛んでるんだろうね?」「馬車で運んでるんじゃね?」的な発想で飛んでいたんだと思う。「馬車は空を飛べる」と思われていたのではなく、「なぜ太陽は上ったり下りたりするのか」の理由づけとして「神様が馬車で運んでいる」という風に考えられたのだ。

まあ、何が言いたいのかというと、飛行機が登場するまで、「空飛ぶ妖怪」は盛んに考えられても、「空飛ぶ乗り物」はあまり考えられなかったのである。

とはいえ、一部例外はある。岩手県には船が空を飛んだという話がある。竹取物語には月からやってきた「空飛ぶ牛車」が登場する。

だが、一般的には、人間の体一つ飛ぶので精いっぱい。「乗り物クラスの重量のものが空飛ぶわけない」と考えられていたのだ。

ところが、飛行機が「人体よりはるかに重いものでも、空を飛べる」ということを証明してしまった。

そこでようやく、空飛ぶ乗り物、すなわちUFOの伝承が生まれたのだ。

UFOは、人間の科学力が「乗り物でも空を飛べる」というレベルに追い付くまで、ずっと待っていたのだ。

きっと、地球人は、宇宙人に人間の科学力の一歩先を行っていてほしいのだ。人間が空飛ぶ乗り物を自在に操るなら、宇宙人にはどう考えても空を飛びそうにないフォルムの乗り物に乗っていてほしいのだ。反重力とかいう謎の動力で空を飛んでほしいのだ。突然消えるみたいな、物理の法則を完全に無視した飛び方をしてほしいのだ。テレパシーみたいな超心理学的な能力を持っていてほしいのだ。

UFOとは、科学時代の妖怪なのだ。

かつて、河童や天狗は神通力を持っていると思われていた。人間にはない魔術的な力を持っていると考えられていた。タヌキやキツネは人間にはできない「化ける」という行為ができると考えていた。

こういったものが信じられていた時代は、魔術が科学よりも強かった。

やがて科学が発展し、いつしか魔術は迷信として退けられ、科学こそが確かなものとして扱われるようになった。

それでも、人間は「自分たちにない、未知の能力を持つ妖怪」を追い求めた。

それこそがUFOであり、宇宙人なのだ。魔術ではなく科学の時代である現代に現れた、人間よりも優れた科学力を持つ妖怪、それがUFOであり、宇宙人なのだ。噂話ではなく、「動画」という科学技術で記録され、伝えられた妖怪なのだ。

UFOはまさに、科学の子、そんな妖怪なのだ。

宇宙民俗学の幕開け ~民俗学は宇宙を舞台としうるか~

宇宙。それは人類に残された最後の秘境。あらゆる科学の分野が宇宙開発や宇宙の研究に通じている。あらゆる科学が、宇宙をフィールドとしうるならば、日本民俗学も宇宙に飛び出してもいいのではないだろうか。ここに、宇宙民俗学の幕開けを宣言しよう。果たして、日本民俗学は宇宙をフィールドとしうるのか。

民俗学が宇宙を舞台にする

そもそも、民俗学とはどういった学問だろうか。

日本民俗学の父、柳田國男によれば、農村をフィールドとして調査をし、文字に残らなかった常民の歴史を明らかにすることである。今日ではこの「常民」の定義も議論の余地があるが、要は、農村や漁村に行って、ごく普通の人々の歴史や文化を調べる学問である。

ということは、民俗学が宇宙をフィールドにするということは、宇宙に行って、ごく普通の宇宙人の歴史や文化を調べるということであろうか。

無理だ!

そこで、視点を変えよう。

日本に住むごく普通の人々は、宇宙をどのようにとらえているのか。どのような宇宙観を持っているのか。

今より科学が未発達な時代、人々は宇宙に対してどのようなイメージを抱いていたのか。

これを明らかにする、それが宇宙民俗学である。そう考えたら、宇宙民俗学もできそうではないか。

例えば、宇宙を「他界」と考えてみたら、その研究は民俗学の領域ではないだろうか。

最後の他界、宇宙

他界、というと現在では死んでしまうことを意味するが、民俗学における「他界」とは、文字通り他の世界、つまり、別世界を意味する。

と言っても、異次元とか異世界転生とかそういった「他界」ではない。

今よりも交通の便がずっと悪く、インターネットなんてない時代、一人の人間が把握できる世界というのはとてもとても狭かった。その外はもう「別の世界」なのだ。

民俗学では、具体的に次の4つの他界がある。

天上他界……空の上に違う世界がある、という考え方だ。空まで行かなくても、木の上という考え方がもある。「天女の羽衣」なんて話がまさにそれだ。現代風に言えば、「天空の城ラピュタ」である。

海上他界……海の向こうには別世界が広がっている、という考え方だ。「常世の国」とか「ニライカナイ」などと呼ばれている。かの有名な竜宮城や鬼が島も海上他界の一種だ。

地下世界……地面の下には別の世界がある、という考え方だ。地底人である。「おむすびころりん」などが地下世界の代表例だろう。

山上世界……山の上、さらに言えば山の向こうには異世界があるという考え方だ。例えば、「遠野物語」を読むと山にまつわる怪異の話はとても多い。

さらに、国家レベルで考えても、国境の向こう側は別世界だった。「別の国」ではない、「別世界」だ。鬼が跋扈するバケモノの世界と考えられていた。

例えば、かつての平安京の貴族たちにとって、遠く東北の地やその先の北海道などは、鬼の住むところと恐れられていた。

もちろん、現代の世で「東北や北海道は人の住むところではない!」などと言ったら、訴えられてもおかしくない。交通が発達し、情報が発達し、「あそこに住むのは、鬼ではなく人である」とわかったからである。

科学の発達でどんどん他界はなくなっていった。空を飛べるようになったが、天女はいなかった。海の向こうにはいろんな国があったが、ニライカナイはなかった。

人類の活動領域が増えるにつれ、どんどん「他界」はなくなっていった。人間が夢を見ていい場所はどんどん奪われていった。

しかし、科学は人類に新たな、そしてとても広大な他界の存在を教えてくれた。それこそが宇宙である。

日本人と宇宙

人類が宇宙に行けるようになったのは、歴史上ごく最近のことだ。

しかし、宇宙に行けなくても、ずっと人類は宇宙を見てきた。

88ある星座のほとんどはギリシャ神話に基づいたものだ。古代ギリシャの遊牧民たちが、夜空の星に神々の物語を重ねた。これは何もギリシャ人だけがやっていたわけではなく、どこの国にも星にまつわる神話はある。

さて、日本人は宇宙をどのようにとらえていたのだろうか。

一番大切な星はやっぱり太陽だろう。日本国旗「日の丸」も名前の通り太陽をデザインした旗だ。また、天皇家も太陽の神である天照大神の子孫だと言われている。

農業国である太陽は日本人にとって、生活とは切り離せないものだった。

一方、月も大事な星だ。日本は幕末まで太陰暦、月の満ち欠けを暦に使っていた。そのため、月の欠け具合30パターン全てにちゃんと名前がある。

もちろん、ちゃんと月の神様もいる。ツクヨミノミコトである。セーラームーンではない。

月を舞台にした有名な物語と言えば、やはりかぐや姫だろう。正確には舞台はどこかの竹林で、月はヒロインの出身地なのだが、それは逆に「月に誰か住んでいるのかも」と日本人は昔から考えていたことを意味する。ウサギは月に住む霊獣だと考えられていた。

一方で、宇宙のあらゆる現象は「凶事の前触れ」とか「天帝がいまの政治に怒っている」という風にとらえられていた。これは中国の思想の影響もある。そのため、陰陽寮という役所には天文博士という役職があり、毎晩夜空を観測しては、その夜空が何を意味するのかを占っていた。この天文博士の代表格が、ファンタジーでおなじみの安倍晴明である。

人類が宇宙に行くようになったのはごく最近だ。しかし、人はずっと昔から、宇宙を見てきたのだ。

他界としての宇宙

さて、科学の発展で「他界」はどんどん失われてきた。その一方、科学は宇宙という新たな他界を生み出した。

宇宙には、この地球と同じような星がいくつもある。地球のように水と空気と気温に恵まれた星はまだ見つかっていないが、星という大地が宇宙に無数にあることはわかっている。

かつて、海の向こうにニライカナイや竜宮城を夢見たように、「宇宙の向こうにも、別の世界、未知の文明があるのではないか」と考えるようになった。

そして、「怪異」も宇宙を由来とするようになった。

「山で妖怪にあった!」なんて話はその数を減らし、そのかわり「UFOを見た!」とか「宇宙人にさらわれた!」なんて話を聞くようになった。昔だったら人をさらうのは山から来た天狗と決まっていたが、今では宇宙人によるアブダクションだ。

日本のいたるところにかっぱのミイラがある。しかし、いまどきかっぱのミイラを見つけても流行らない。今のはやりは宇宙人やUFOの写真である。

宇宙という新たな他界は、今やオカルト界の一番人気だ。

例えば、何年か前、イギリスが「英国政府は宇宙人を確認していない」と正式発表した。するととあるオカルト評論家がこんなコメントを出した。

「この発表の何が恐ろしいかというと、宇宙人がいないというのなら、今まで我々が宇宙人の写真だと思ってきた、あそこに映っていた奴らは宇宙人でないとしたらいったい何なのでしょうか」

なるほど。今まで宇宙人だと思ってきたものが実は宇宙人ではなかった、そう言われるとなんだかぞっとする。だが、同時に僕はこうも思った。

「……宇宙人でなければ妖怪じゃないの?」

そう、今我々が「宇宙人」だと思っているものを昔の人に見せたら、おそらく「妖怪」というはずだ。思えば、よくオカルト番組に出てくる「宇宙人の写真」も、別に本人が「ワレワレハウチュウジンダ」と名乗ったわけではない。写真を見せる側が「これは宇宙人の写真です!」「宇宙人を捕まえました!」と言っているにすぎない。

今まで「妖怪」だと思われていたものが、「宇宙」という他界の存在を知ったために、単に「宇宙人」と呼ばれるようになっただけではないのか。

さらにこんな話もある。とある雑誌でかっぱの特集をしていた。

その雑誌では「かっぱは妖怪ではなく、実は宇宙人だった!」という斬新な説を紹介していた。それを読んで僕はこう思った。

「……妖怪と宇宙人はどう違うんだろう? っていうか、どっちでもいいや」

そう、妖怪と宇宙人は本質的には一緒なのだ。「川底という他界からやってきて、妖術を操るかっぱ」と、「宇宙という他界からやってきて、超科学を操る宇宙人」は、実は本質的には一緒なのだ。

それまで「妖怪」と呼ばれてきたものが、「UFO」とか「宇宙人」と言いかえられているだけなのではないだろうか。だとしたら、民俗学がでしゃばる余地はある。

現代の他界 ~宇宙・デジタル・幻想郷~

繰り返しになるが、科学の発達でこれまで「他界」とされてきたものは急速に減っていった。

しかし、現代は他界のないつまらない世界なのかと聞かれればそうではない。

例えば、海底はまだまだ他界である。かつては海の底は竜宮城があると考えられていたが、今では海の底にはゴジラが棲んでいると考えられている。地球上で体長50mを越えるバケモノを隠せる場所と言ったら、もうそこしか残っていない、実際、海底はまだまだ未知の生物の多い場所だ。

そして、科学や情報の発達は、それまで存在していなかった新たな他界を生み出した。

例えば、デジタル世界がそうだろう。1978年のインベーダーゲーム、1983年のファミリーコンピューター発売。スーパーマリオやドラクエ、ポケモン、モンハンと様々なゲームを生み出してきた。

昔のゲームは白黒の上8ビットと画質は粗く、おまけに移動は縦と横しかなかった。僕が子供のころにはさすがにゲームもカラーになっていたが、まだまだ画質は粗かった。

だからこそ、96年の任天堂64と「スーパーマリオ64」の登場は衝撃的だった。立体的なマリオが立体の世界を冒険するという、今では当たり前となった光景がCMで流されたとき、当時小学生だった僕はぽかんと口を開けてみていた。あの衝撃は今でも忘れない。「ゲームの向こうに世界がある」、本気でそう思ったものだ。

時は流れ、ライトノベルや深夜アニメなんかを見ると、「ゲームの世界」を舞台にした作品は多い。ソードアート・オンラインやアクセル・ワールド、あ、どっちも川原礫だ。他にも「現実世界の人間がゲームの世界を冒険する」という話は多い。

一方で、ゲームをモチーフとした「仮面ライダーエグゼイド」は、ゲームの中から出てきたウイルスと戦う話だ。こちらはゲームの世界が現実の世界を侵食していく。

他にも「リング」や「着信アリ」など、デジタルの他界をモチーフとした話は多い。

また、近年、ラノベで「異世界転生もの」がふえている。本屋のラノベのコーナーに行けば、右も左も「異世界に転生して、変な職業につくんだけれども、チートの強さを誇る話」だ。

どうしてみんな異世界転生ものばっかり書くのか。ラーメン激戦区にわざわざラーメン屋を出店するようなものではないか。

という「異世界転生もの」の是非は置いといて、ここでいう「異世界」とは、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーに出てくるような、中世ヨーロッパ的な世界観を土台にしいた、いわゆる「剣と魔法の世界」である。

日本人として生まれてしまった以上、中世ヨーロッパのような世界観で暮らすことはなかなか難しい。お金の問題、言語の問題、文化の問題、クリアすべき問題は実にたくさんある。

おまけに「魔法がある世界」に至っては完全に無理である。

しかし、ゲームの台頭により、そういった世界観は身近なものになった。かつて、人類が行くあてもない宇宙を眺めて憧れたように、今の子供たちは「剣と魔法の幻想郷」という「絶対に行けない世界」を画面越しに眺めて暮らしてきたのだ。

デジタル世界と剣と魔法の幻想郷、そして宇宙。この三つが、現代になって現れた「他界」と言えよう。

民俗学における他界の条件

こうやって見ていくと、「他界」として認識されるのは大きく二つの条件があることがわかる。

一つは「簡単にはいけないこと」。

山の向こうも海の向こうも、かつては簡単にはいけないところだった。そして現代、宇宙には簡単にはいけないし、ゲームの世界にも、剣と魔法の世界にも行けない。

他界には簡単にはいけない。しかし、他界は常に人間のそばに、見えるところになくてはいけない。これが二つ目の条件だ。

例えば、遠野物語にはニライカナイの話は登場しない、はず。遠野の人たちにとって、海の向こう以前にまず、海が身近ではなかったからだ。その代わり、山の不思議な話は山ほど出てくる。

デジタルの他界も、ゲームやパソコン、携帯電話が身近だから成立するのだろう。

「剣と魔法の世界」という、ヨーロッパの人からすれば今更感のある場所がいま、日本で高いとして注目されているもの、ゲームによってこれらの世界観が日本人の身近なものとなったからに他ならない。

そして、宇宙。僕らはまいにち宇宙を見ている。宇宙に行った人は数少ないが、宇宙を見た人ならたくさんいる。窓を開けて、月を見ればいい。一番近い宇宙だ。

一方、漠然とした「異世界」や「異次元」は他界とはなりえない。なぜなら、漠然と「異次元」と言われてもさっぱりイメージがつかないからだ。見えるところにあるからこそ、他界としてイメージしやすいのだ。

見えるところにあるけれども、簡単にはいけない場所。それが他界の条件だ。

だとすれば、「デジタル」と「幻想郷」は、近いうち他界ではなくなってしまうかもしれない。VRの登場でゲームの世界に入り込めるようにもなったし、ということは剣と魔法の世界にも行ける、ということだ。

しかし、宇宙は別格だ。

宇宙に行きたい人に宇宙のVRを見せたところで満足しないだろう。むしろ、本物の宇宙への欲求をさらに高めるだろう。

もちろん、宇宙に行くことは不可能ではない。実際に人類はもう宇宙に行っている。

ただし、宇宙に行ける人間は限られている。宇宙飛行士は選ばれた人のみの職業だし、民間の宇宙旅行もまだまだ億万長者のものだ。

よしんば、海外旅行の間隔で月に行ける時代が来たとして、宇宙は広い。広すぎる。宇宙全てをくまなく探検することは、不可能だ。

だから、宇宙は他界であり続ける。

 

いろいろと書いたが、そもそもの話は「民俗学は宇宙を舞台にできるか」である。

宇宙も竜宮城も「身近だけれど簡単にはいけない他界」という意味では本質的一緒だ。宇宙人といじめられているしゃべるカメも本質的には同じものだし、玉手箱と半重力発生装置も本質的には同じものである。

だとしたら、宇宙だって民俗学の領域である。