飲み会がしたい。
思い返せば、コロナが始まるよりもさらに前からもう、満足のいく飲み会をやれてないんじゃないか。
別にお酒が飲みたいわけじゃない。そもそも、もう何年もお酒を飲んでない。禁酒しているんじゃなくてお酒に全く興味がないだけ。そんなくだらないものに費やすお金があるなら、僕は一個でも多くのから揚げを食べたい。
どんちゃん騒ぎして記念写真を撮りたいわけでもない。僕はほとんど自分の写真を残さない。過去の写真を全く見返さないから、撮るだけ時間の無駄と思ってる。「記念写真とろーよー」という声がかかったら、僕は確実に逃亡する、っていうか、逃亡したことがある。
思い出話に花を咲かせたいわけでもない。これまた、記念写真を見返すことと同じくらい時間の無駄だと思ってる。せっかく久しぶりに会って、今この時ではなく昔の話をしてるってなんなんだそれは。
恋バナに花を咲かせる、もあんまり興味がない。人のプライベートには首を突っ込まない主義だ。いま目の前にいる本人の話が聞きたいのであって、いま目の前にいない恋人の話なんてどうでもいい。
オタク話はまあ面白いんだけど、ちがうんだ。そういう飲み会をしたいんじゃないんだ。
これから何をやりたいか、何を企んでいるか、何に今ワクワクしているか、そういうお互いの頭の中にある設計図、宝の地図をぶつけ合う、そういう飲み会を、もう何年もやってない。
別に、実現できそうもない夢でもいいの。「宝の地図」なんて、どうせそんなもの。簡単に手に入りそうなら、それはもうお宝じゃない。
どんなに忙しくても、どんなに貧乏でも、余命いくばくもなくても、「宝の地図」を描くだけなら自由です。
ドデカすぎて実現まで10年近くかかりそう、そんな途方もない夢をぶつけ合って笑いあう、そんな飲み会がしたいんだ。いや、飲み会じゃなくていい。酒に興味がないから、食事会でいい。からあげの店でいい。
やっぱり、一番聴いてて楽しいのは、人の愚痴でも、のろけ話でも、思い出話でもなく、
今の冒険の話、次の冒険の計画、やっぱこれに尽きるでしょ。
冒険のさなかの失敗話、冒険のさなかに出会った人、冒険の自慢話。聴いてて楽しいのも、話してて楽しいのも、やっぱりそれだろ。
頭の中の宝の地図をぶつけ合う、そういう飲み会がしたいのです。