小説 あしたてんきになぁれ 第39話「お葬式、ところによりバスケ」

 

お寺でバイトを始めた志保、そして、あいかわらずラクガキ探しをするたまき。あのキャラの過去にも少し触れるかも? 「あしなれ」第39話、スタート!

第38話「地図ときどき異界、ところにより二丁目」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


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「それじゃ、今までカレシがいたことないの?」

ミチのお姉さんの問いかけに、たまきは無言で頷いた。

「付き合うまでいかなくてもさ、デートしたりとかさ」

またしてもたまきは無言で、首を横に振った。

「じゃあ、このまえミチヒロと出かけたのが、ほんとに初めてってこと?」

たまきは頼りなさげに、うなずいた。

ここはスナック「そのあと」、いまはランチタイムである。

ランチの焼きそばを食べに来たたまきに、ミチのお姉ちゃんは彼女の恋愛遍歴を聞いていた。まじめでおとなしそうな印象だけれども、同年代の男の子の家にいきなり転がり込んでお泊りする度胸を持っている。見た目に反して、実は意外と男を手玉に取る魔性の女なのではないか……。

と思って聞いてみたのだけれど、さっきからたまきは、申し訳なさそうな返事ばっかり。

「クラスの男子からさ、かわいいとか、言われなかった?」

「とくには……」

「え~? たまきちゃんのクラスの男子、見る目ないなぁ」

見る目があるどころか、たまきが彼らの視界にはたして入っていたのかどうか、疑わしい。

「片思いとか、それくらいあるでしょ?」

「……別に」

「……この人かっこいい、とかさ?」

「かっこいい……?」

「クラスの男子じゃなくてもさ、芸能人とかでさ、いない?」

「かっこいい……」

たまきはしばらく、宙を見つめていたが、

「……ライオン……とか?」

ダメだこりゃ。

「たまきちゃんぐらいの年ごろだったら、ふつうはもっと男子に興味あるんじゃないの?」

「私は……ふつうじゃないので……」

なんだか尋問しているみたいで、ミチのお姉ちゃんは気が引けてきた。

話題を変えようと、たまきの荷物に目を向けてみた。グレーのリュックサックの中から、丸めた白い紙が飛び出している。

「その紙は何? 宝の地図か何か?」

と半ば冗談めいていってみた。それに対してたまきは、

「まあ、それみたいなものです」

と、少し意外な返答をした。

「え、ほんとに宝の地図なの?」

「まあ、地図であることは間違いないんですけど……」

「へえ。見せて見せて」

たまきはカウンターの上に地図を広げた。例の「鳥のラクガキ」の場所を示した地図である。

その横にたまきはスケッチブックを置くと、たまきが模写した鳥のラクガキの絵を見せながら説明した。

「へぇ。こんなところにそんなものあったかなぁ?」

ミチのお姉ちゃんは地図の中の自宅に近い部分を見ながら言った。

そこにドアが開いて

「姉ちゃん、メシ~。あ、たまきちゃん来てるの」

とミチが入ってくる。

「……こ、こんにちは」

「……何してんの? 二人とも」

ミチはカウンターの上の地図を見て、次にたまきと姉を見て、首をかしげる。

「あ、わかった。これ先輩たちのナワバリの地図でしょ?」

なんか前にもそんなことを言われた気がする。

いま、ミチのお姉ちゃんにした説明を、もう一回ミチにするのは面倒だな、とたまきが思った時に、お姉ちゃんのほうがスケッチブックを手に取り、

「なんかね、こういうラクガキ、探してるんだって」

「ラクガキ?」

ミチがスケッチブックの鳥をのぞき込み、もう一度首をかしげる。

「そ。あんた、見たことない?」

「えー、ないけど」

そういうとミチはたまきの方を向いた。

「ラクガキなんて探して、どうするのさ」

「どうする……?」

どうすると聞かれても、困る。

返事のないたまきに、ミチも興味を失ったのか、たまきのすぐ隣のイスに座ると、

「姉ちゃん、メシー」

とだけ言った。

「ちょっと待って」

「待ってるから、メシー」

「イヤそうじゃなくて、この絵、よく見せて」

お姉ちゃんは再びスケッチブックを手に取り、鳥の模写を見つめる。

「姉ちゃん、メシー」

「うるさい。そこら辺の草でも食ってなさい」

お姉ちゃんは弟を軽くあしらうと、たまきの方を向いて、

「もしかしたらこれ、見たことあるかもしれない」

と言った。

「ほんとですか?」

「うん、変なところにラクガキあるなぁ、って思ったやつが、こんな絵だった気がしてきた」

ミチのお姉ちゃんは、今度は地図の方を向く。

「この地図で言うとね~……」

と、地図の下の方を指でなぞっていたが、

「あ、これ、地図の外側だ」

と、お姉ちゃんは、地図からはみ出して外側を指さした。

「このへんの線路沿いにね、線路をまたぐ道があってね、その下に公園があるのよ。そこに階段があってね、そこの天井にこんな絵があった気がするのよ」

説明を受けたけど、たまきにはいまいち、場所の状況がわからない。

「ミチヒロさ、知らない。線路沿いにあっちの方に行くと、橋の下に公園があるの」

「えー。知らねぇけど」

いまだ空腹のミチは口をとがらせながら答える。

「橋はわかるでしょ。線路をまたぐ道路のやつ」

「二つとなりの駅にある、あれ?」

「そーそーそーそー。あんたさ、いまからそこにたまきちゃん連れてってあげなよ」

「え?」

「は?」

ミチとたまきが、同時に互いを見て、それからお姉ちゃんの方を見る。

「やだよ。オレ、これからメシなのに。姉ちゃんが連れてってあげなよ」

「あたし、これから夜の営業に備えて寝るんだもん。そんなとこまで行ってる暇ないって」

「俺のメシ、どうすんのさ」

「だから、そこら辺の草でも食べてなさいって」

「あ、あの、私、迷惑になるんで、もう帰り……」

「いーのいーの気にしないで。どーせこいつ、今日は何の予定もないし、自分の部屋にこもって、エロ本読むくらいしかやることないんだから。だったら、リアルな女の子と一緒にいる方が、まだ健全でしょ」

エロ本読む代わり扱いされるのは、たまきにとってメーワクなのだが。

 

線路沿いにあるんだったら線路沿いに歩いて行けばいいんだから、案内されなくたってわかる。と思っていたたまきだったが、それは少し考えが甘かったようだ。どうやらまず線路沿いに道が続いていないらしく、確かにミチに道案内してもらわないとたどり着けなさそうだった。ミチは家の近くで買ったハンバーガーの包みを抱えて、むしゃむしゃとハンバーガーを食べながら歩いている。たまきはその少し後ろを、うつむきがちにとぼとぼと歩いていた。

「そうだ、もっかい地図見せて」

ハンバーガーを食べ終わったミチが、口のケチャップを拭きながらたまきの方を向く。たまきは少し不服そうに、リュックから地図を取り出して見せた。

「なんかさ、小学校の授業でさ、こういう地図作らなかった?」

たまきの反応はない。

「たまきちゃん、小学生みたいなことやってるよね。かわいい」

こいつケトバしてやろうか、とたまきはミチをにらみつけた。

 

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行真寺は都心のど真ん中、何車線もの車が走る大通り沿いにある。境内は木々に囲まれ静けさに包まれ、騒がしい都市の中での一つのアジールになっている。

ところが、今日に関しては少々騒がしい。多くの人が出入りしている。どうやら、誰かの葬儀が行われているらしい。

志保がこの寺でバイトを始めてから十日ほどが経った。これまでに三回ほど、簡単な掃除や片付けのバイトをしていたけど、お葬式の対応は今日が初めてだ。

人と接すること自体は、普段の喫茶店のバイトでやっているので問題はない。むしろ、得意分野である。ただ、お葬式となると少し勝手が違う。

喫茶店の時は「明るく笑顔で」が基本中の基本なのだけど、お葬式の受付でニコニコ笑っているのは不謹慎だろう。かといって、仏頂面というのも礼儀に欠ける。住職からは「涼しげな笑みでお願いね」といきなりハードルの高いことを言われた。とりあえず、喫茶店での営業スマイルをかなり水で薄めた、そんな顔をしている、つもりだ。寺の備品にあった女性ものの喪服を借りて、髪を後ろで束ねて、志保は受付の応対をしていた。

お葬式の主役、という表現が正しいのかはわからないけど、遺影で見る故人はけっこうな年のおじいさんらしい。「西山家葬儀」と書かれているので、きっと西山さんなんだろう。参列者は家族以外にも仕事関係と思われる人がかなりいる。

それにしても、ずいぶんこわもての人が多い気がする。もちろんお葬式なのだからにこやかにというわけにはいかないけど、悲しいから神妙な顔をしているというよりも、もともと眼光鋭い人ばかり集まってる、そんな気がするのだ。遺影の中の故人にしても、一応笑っているのだけど目が笑っていない。その眼光の鋭さを隠しきれていない、そんな感じがする。

今は住職の読経も終わり、出棺前の休憩時間、といったところだろうか。志保のもとに住職がやって来た。

「この後の確認、いいかしら?」

「あ、はい」

「このあと出棺したら、お片付けね。祭壇は業者の方が片付けるから、志保ちゃんはイスやテーブルの方をお願いね」

「はい」

「よかったわぁ。やっと3日以上続いてくれるバイトさんが見つかって」

そんな会話をしているとき、寺の入り口に黒い車が横づけるのが見えた。中から喪服姿の男が数人おりてきて、こちらに向かってくる。

もう出棺間近なのに、今ごろ弔問客だろうか、と志保が受付の準備をし始めた時、住職がそれを手で制した。

「ここはもういいから、片付けの準備に入ってちょうだい」

「え、でも、いま参列の方が……」

「いいから」

住職はそれこそ涼しげな笑みでそう言った。わけがわからないが、とりあえず志保はその場を離れる。

だけど、やっぱり気になる。少し歩いてから志保は振り返った。

「住職、久しぶりじゃな」

新たに現れた参列客もまた、眼光の鋭い壮年の男だった。鼻の下の髭がまたなんとも言えない威厳を醸し出している。

「お久しぶりでございます。そろそろ出棺よ?」

「その前に、死んだオヤジさんに最期の挨拶でもと思うてな」

やけに声の大きい男である。その声量だけで相手を威圧する。おまけに、コワモテだ。確かに、志保が受付をしていたら、それだけでビビってテンパってしまったかもしれない。

とその時、寺の事務所の入り口が、ガラガラとけたたましい音をたてて開いた。そして、中にいたはずの参列客が数人、雪崩のように志保の横を通り、受付の方へと押し寄せた。

その中の一人が怒鳴る。

「東野、貴様、どの面下げてきたんだ!」

これまたとんでもない声量で、驚きのあまり志保は数センチ飛び上がった。怒鳴った男は四十代ぐらいだろうか。赤っぽい色付きのメガネをしている。例にもれず、眼光は鋭い。

一方、怒鳴られた方のコワモテヒゲおじさんは、全く臆することなく、メガネの方をにらみ返した。

「なんじゃ、わしかてオヤジさんには世話になったんじゃ。最期にあいさつにっていうのが礼儀じゃろ」

「おんどれ、何が礼儀だ! 貴様が裏切ったせいで、親父は死んだんだ!」

『おんどれ』だなんて日本語が生で使われる場面を、志保は初めて目撃した。

気づけば境内は、コワモテヒゲおじさんの一派と、コワモテメガネおじさんの一派が睨み合う、まさに一触即発という状態になった。戦国時代ならこれから互いに名乗りを上げるところだけど、名乗りどころが銃声が響き渡りそうな雰囲気である。

志保はそばにあった松の木の後ろに隠れて、なるべく自分の気配を消すように努めた。亜美の持つ「トラブルをおもしろがる才能」か、たまきの持つ「気配を完璧に消す才能」のどっちかが欲しいところだ。

そこに響く「パンッ!」という甲高い音。一瞬だけまさか!と思ったけど、それは住職が手をたたいた音だった。

「まあまあみなさん。故人さまもそりゃ生前はいろいろございましたけど、すでに拙僧による読経も終わり、あらゆる煩悩を捨て去り、これから仏様の御元へと旅立たれる時よ。残された方々がこのようにいがみ合っていたら、故人さまも安らかな成仏ができないわ。みなさん、いろいろ遺恨はございましょうけど、故人さまを思う気持ちは一緒ということで、ここはひとつ穏便に……」

「住職、これはわしらの問題じゃ! あんたはひっこんどれ!」

ヒゲおじさんが住職をにらみつけた。

「そうだ、あんたが口出しする問題じゃないんだよ!」

メガネおじさんが同意する。いがみ合ってるわりに、ヘンなところで意見は一致するらしい。

そしてメガネおじさんは住職に一歩詰め寄ると、

「だいたい、オカマのボウズなんて、キモいんだよ! バケモノが!」

と吐き捨てるように、それこそ、噛んでいたガムやたばこをそのままポイ捨てするかのように、言い放った。

志保の立っている場所からは住職の顔は見えなかった。松の陰に隠れているので、その松の木が邪魔してたのだ。だから住職の表情はわからないけど、さすがにこれはマズいんじゃないか、と肝が冷えた。

木の陰から志保はそっと住職の顔をのぞき込む。住職の横顔は最初、志保にはひきつっているように見えた。

だが、次の瞬間、住職は笑い始めた。最初は笑いをかみ殺すように。そして、次第に声を上げて笑い始めた。引きつっていたのはどうやら、笑いを耐えている表情だったようだ。

「な、何がおかしい。男のくせに女みたいにしゃべったり、不自然で気持ち悪いと思うのは当然だろ! みんなそう思ってるんだよ!」

メガネおじさんはさらに悪態をついたけど、それを聞いても住職はますます声を上げて笑うだけだった。

「ごめんなさい。ごめんなさいね。だけど、おかしくて……」

どうして住職が謝るんだろう、と志保は思った。

「だけど、ここまでストレートに言われたのも久しぶりで、まあたしかに、みんな口に出さないだけで心のどこかでは思ってるんだろうけど……」

そう言いながら住職は、メガネおじさんの真正面に立った。

「いいかしらボウヤ。『みんなそう思う』ってことはね、アタシだって自分を客観的に見たらそう思う、ってことなのよ。自分はふつうじゃない、ほかの男子と違う、おかしい、異常だ、バケモノ、キモチワルイ。悪いけどね、あなたが思いつく程度の悪口なんて、アタシがアタシ自身に何千回も自問自答してきたことなの。何度も何度も自分を否定して否定して否定して否定して、それでも答えが出なくて、そういう月日を積み重ねて、アタシは今ここに立ってるわけ。なのにいまさら、レベル1みたいな悪口を、さも会心の一撃みたいな顔してぶつける人がいるんだって思うと、おかしくてね。レベル1なのに」

住職は笑いながらそう言った。意地でも、皮肉でもなく、本当におかしくて笑っているように見えた。

「相手のプライドをへし折りたかったらね、もっとウィットにとんだ悪口を言わないとダメよ。相手が何度も自問自答してきたような言葉じゃなくて、相手がずっと耳を塞いできたような痛烈な一言を、ね」

そういうと住職は、メガネおじさんにそっと耳打ちするように言った。

「だからボウヤはいつまでもボウヤのままなのよ」

メガネおじさんはすでにプライドをへし折られたような顔をしていた。今言った住職の言葉のどれかが、おじさんがずっと耳を塞いできた言葉なのだろう。

「それと、あなたは『不自然で気持ち悪い』っていうけど、この街のどこに自然があるのかしら。地面はアスファルトに覆われて、木よりも高いビルに囲まれて、車が排ガスを撒き散らして走る、こんな不自然な街で暮らしてて、気持ち悪くないのかしら、ボウヤ」

メガネおじさんはもう、言い返す気力はないらしい。

 

やがて棺は霊柩車という排ガスを撒き散らす乗り物に乗せられ、アスファルトの道路の上を走りながら、ビル街の彼方へと消えていった。一触即発状態だった弔問客たちも、少し頭が冷えたのか、出棺と同時にほとんどが無言のまま寺を後にした。

「ふぅ~」

片付けが終わると志保はようやく緊張が解け、本堂の壁によりかかった。

「だいじょうぶかしら?」

と住職が尋ねる。

「ま、まあ、何とか……」

「そう。コワいところに居合わせちゃったから、またバイトさんにやめられちゃうのかと思ったわ」

「まあ、あたしもそれなりに修羅場はくぐってますから……」

志保は去年のクリスマスのことを思い出しながら答えた。

「でも、さすがに本物のヤクザの人たちを見たのは初めてだったから……」

「え?」

とそこで住職がしばらく何も言わなかったが、やがてさっきのように声を上げて笑い始めた。

「え?」

今度は志保が怪訝な顔をする番だ。

「だってあの人たち、歓楽街の暴力団とかじゃ……」

「ちがうちがう。あの人たちは都議会議員よ」

「え?」

「亡くなった西山先生っていうのが5年くらい前まで議員やってて、あそこにいた人のほとんどが、そういう関係の人たちよ」

「え? だって、あのメガネの人が『オヤジ』って……」

「だから息子さんよ。もともと父親の秘書をやってたんだけど、今は後を継いで都の議員をやってるわ。でもまあ、あのくらいの言い争いに勝てないんじゃ、大成しそうにないわねぇ」

志保はてっきり、杯を交わした「オヤジ」だと思っていたのだが、どうやら本当の親子だったらしい。

「でもだって、さっきの人が裏切ったせいで西山さんは亡くなったって……?」

志保の頭の中に、西山とかいう人に東野とかいう人の撃った銃弾が当たって倒れこむ、「仁義なき戦い」みたいなシーンが浮かび上がる。ちなみに、志保は「仁義なき戦い」を見たことは、ない。

「西山先生と東野先生は同じ党に所属していたのよ。それで、どこかの区長選の時に、その党からは西山先生が推薦した人を出馬させることになったの。ところがそこに東野先生も出馬を表明したのよ。つまり、同じ党で票を奪い合うことになったってわけ。結果、有利と思われてたその党は表を分け合う羽目になって、二人とも落選。別の党の人が区長になったわ。そのことで西山先生と東野先生は大揉めして、それから体調が悪くなった、らしいのよ」

「え、じゃあ、あの人たち、政治家だったんですか?」

「だからそう言ってるじゃない。まあ、都議会議員じゃ、若い子は知らないわよねぇ。地盤もこの辺りじゃないし」

「だって……その……、目つきが悪かったというか、顔がコワかったというか……」

住職もコワモテだけど、そういう生まれついてのコワモテと言うよりは、彼らはなんだか銃弾の雨を潜り抜けた末のコワモテ、そんな風に志保には見えていた。

「あら、品性がなくたって選挙には受かるわよ」

住職はさもありなんといった感じで答えた。

「でも、政治家の人にも……ああいう差別的な考え方の人っているんですね」

「逆よ逆。政治家なんて、あんなのばっかりよ」

住職は、もうすっかり慣れた、とでも言いたげな表情をした。

「そうなんですか?」

「そうよー」

住職は後片付けの手を止めることなく答える。

「志保ちゃんはそれなりに勉強ができる子と見たわ。だったら日本で、民主主義の国で政治家になるのに必要な要素って、何だと思う?」

「え、えーと……」

志保は答えあぐねた。質問の答えがわからないのではない。いくつか答えが思いついて、絞り込めないのだ。

「じゃあ、聞き方を変えるわ。政治家になるには、選挙に勝たなければいけない。選挙に勝つためには何が必要かしら?」

「そ、それは、やっぱり一票でも多く票をもらうことじゃ……」

「そうね。より多くの人に、この人の考え方がいいって共鳴してもらうことね」

住職は優しく微笑みながら、志保の方を向いた。

「つまり、多数派であること。これが絶対条件よ」

確かにそうなのかもしれない。志保も政治に詳しいわけではないけど、たぶん、同世代の子よりもニュースを見る方だ。確かに、オネエの総理大臣も、耳の聞こえない官房長官も、見たことがない。

「多数派の人が、私はみんなと同じ多数派です、って宣言して、やっと当選できるの。もちろん、少数派の立場から議員になる人もいるけど、でもよくテレビに出るような有名な先生たちって、だいたいが『多数派のおじさん』なのよ」

それにね、と住職は続けた。

「政治家の仕事なんて、急速に変わってく社会がこれ以上変わらないようにブレーキかけることなんだから。むしろ、頭が固くないとやってけないのよ」

志保には、住職の言ってることがよくわからなかった。社会を変えていくのが政治の仕事だと学校では教わったのだが。

「もしそうだとしたら……、社会はいつまでたっても変わらないってことですか?」

「でもね、社会は変わるわよ。かってにどんどんね」

住職はふと、どこか宙を見るような眼でつぶやいた。

「志保ちゃんは携帯電話持ってるかしら?」

「あ、はい」

「どう?」

「……どう、ってえっと……?」

「携帯電話持ってて、どう?」

「……どう?」

どうと言われても、困る。みんなが持ってるから持ってる。それだけだ。

「あたしが子供の頃は携帯電話なんてなかったわ。でも、いつの間にかみんな持ってるのが当たり前になってる。この世は諸行無常。色即是空。誰か偉い人が変えるわけでも動かすわけでもない。常に水のように移り変わっているのよ。もちろん、携帯電話は誰かが作ったものなんだろうけど、でも、それを持たなきゃいけないって政治に強制されてるわけじゃない。みんながケータイ欲しいなぁ、便利だなぁ、って思ってたら、いつの間にか持ってるのが当たり前になってた。そんなもんよ」

いつの間にか、本堂は葬儀仕様のモードから、普段通りの様子に戻りつつあった。

「いまから十年くらいしたらきっと、アタシみたいな日陰者でももうちょっと住みやすい社会になってるわ。でもそれは、誰か偉い人が変えるんじゃない、みんなが少しずつそうなったらいいなって思って、少しずつ変わっていくのよ。こうやってしゃべりながら作業してる間に、すっかり片付けが終わってるみたいに、ね。さてと、今日のバイト代を渡さなくちゃね」

そういって住職はパンッと手を叩いた。

 

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たまきとミチは十五分ほど歩いていた。下り坂だ。線路から離れたところを歩いていたのだけど、坂の下に再び線路がまた見えてきた。駅舎があるのもわかる。

その駅舎のさらに奥に、線路をまたぐ大きな橋が架かっていた。

「姉ちゃんが言ってたの、あの橋だよ。あの下に公園があるんじゃないかな」

「……そうですか」

ふだんあんまり歩かないたまきはもう疲れ始めていた。そもそも、スナック「そのあと」に行くまでにけっこう歩いているのだ。帰りはお金を払ってでも電車に乗ろう、とたまきは考えていた。

たしかに、橋の真下には金網に囲まれた小さな公園があった。公園の中には階段があって、どうやら橋の上の歩道に出られるらしい。遊具は子供が乗るのかゾウとパンダの置物がある。あとベンチがいくつかと、バスケットのゴールがぽつんと立っているだけ。

「でさ……」

公園の中に足を踏み入れながらミチが言った。

「姉ちゃん、どこにそのラクガキあるっつってた?」

「えっと……」

どこだっけ?

公園にたどり着くことばっかり考えながら歩いていたら、いつの間にか、公園のどこでミチのお姉ちゃんはラクガキを見たと言っていたのか、すっかり忘れてしまっていた。

たまきはとりあえず周りをきょろきょろと見渡したけど、それらしきものは見つからない。だいたい、これまでのラクガキもそんな簡単には見つからないところにばっかりあったのだ。今回だってちょっと見渡して見つかるような場所にあるはずがない。

とはいえ、モノがごちゃごちゃとあるような公園でもない。少し気合を入れて探せば、すぐに見つかるだろう。

たまきはベンチの後ろに回り、下から覗き込み、バスケットのゴールの周りをぐるぐる回り、パンダのおしりを覗いて、ゾウの鼻の下をうかがって、それから階段の周りをぐるぐる回った。一方のミチはたまきよりも背が高いので、もっぱら天井、つまり橋の裏側の部分を注意深く探した。

「ありました?」

たまきがミチのそばによって尋ねる。

「いや。つーか、あそこはさすがに届かねぇよ」

天井はミチの身長のさらに倍以上ある。

「でも、いつもそういう場所にあるんです」

「そんなの、どうやって描くのさ」

たまきは、少しだけ黙った後、答えた。

「魔法でも使ったんじゃないですか?」

半分は冗談のつもりである。

たまきは公園の中をもう一度ぐるぐるとまわる。ミチもそのあとにくっついて歩く。

それから、たまきは階段を上り始めた。足元を注意深く見るけれども特にそれらしきものは見つからない。

やがて橋の上に出た。橋の上はけっこうな大通りらしく、車がバンバン通る。

エンジン音があまり好きではないので、たまきはすぐに引き返した。ミチのお姉ちゃんは「公園」と言っていたのだ。橋の上の大通りは対象外と見ていいだろう。

階段の一番上からもう一度公園全体を見下ろすけど、やっぱり何も見つからない。

そうして今度は天井を見上げる。天井はミチがさっき探していたはず……。

「……あっ」

見つけた。

例の、鳥のラクガキである。

階段の真上にある天井に描かれていた。ミチのいた場所からはちょうど階段そのものの陰になって見えなかったのだろう。

たまきは手を伸ばしてみた。全然届かない。ここにラクガキするにはやはり脚立が必要だろう。

次に足元を見る。階段の中ほどだ。こんなところに脚立を立てて、果たして安定するのだろうか。

たまきはもう一度天井を見上げて、ラクガキを見た。少し煤けていて、ほかのラクガキよりも古い印象を受けた。

「あの、ミチくん、ありました……!」

たまきはそう言いながらミチの姿を探した。

たまきのいる場所から、踊り場を挟んでさらに下の段から、ミチはぼんやりと公園のバスケットがある方を眺めていた。

「あの……、ラクガキ、ありました」

たまきはとててと階段を駆け下りてミチのいる段の近くまで行った。

「あ、そう。見つかったの。よかったね」

ミチはもうすっかりラクガキへの興味を失っているようだった。いや、そもそもミチはここに来ること自体乗り気じゃなかった。もともとラクガキに興味なんてなかったはずだ。一生懸命探してるたまきの方がヘンなのだ。ミチがラクガキに興味を持たないのは別に不思議じゃない。

たまきにとって不思議だったのは、ミチの興味が公園にあるバスケットのゴールへと注がれていたことだった。

「その……バスケのゴールがどうかしたんですか?」

そう言いながらたまきは、どうかしてるのはラクガキなんかを追いかけまわしてる自分のような気がしてきた。

「いやさ……」

そこでミチは少し言葉を切って、一息ついてから続けた。

「姉ちゃん、ここで何してたんだろうなぁ、って思って」

「はぁ」

ミチの言ってる意味がたまきにはいまいちわからない。

「姉ちゃんさ、たまに原付で出かけるんよ。で、三十分ぐらいして帰ってくるんだけどさ、何か買ってくるわけでもねぇし、どこ行ってるんだろう、とは思ってたんよ」

「……はぁ」

「もしかしてさ、ここでバスケの練習とかしてたんじゃないかな、って思って。だって、姉ちゃんがこの辺に来る用事なんて、ほかにないもん。買い物はだいたい家の近くのスーパーで済ませてるし。スクーターの座席の下なら、小さめのボールだったらしまっておけるだろうし。」

たまきは、頭上のラクガキを見やった。たしかに、ちょっと通りがかったぐらいではなかなか見つけられないだろう。バスケの練習をしててみつけた、というのはありえない話ではない。

「そういえば……」

と、たまきは切り出した。

「お姉さんのお店って、バスケットに関するものがけっこう置いてありますよね」

「姉ちゃん、バスケやってたんよ。小中で。けっこうすごくてさ、キャプテンやってて、県大会でベスト4に入ったんだぜ」

「ふ、ふーん」

それがどれだけすごいことなのか、たまきにはピンとこなかったけど、とりあえずわかっているふりをした。

「試合も何回か見に行ったけど、姉ちゃん、めっちゃ活躍してたんよ。あのまま高校に行って続けてたら、もしかしたらいいとこまで行けたんじゃないかなぁって思うんだよ」

「どうしてやめちゃったんですか?」

「だって、高校いかなかったんだもん。中学出てすぐ働き始めたから」

ミチは、バスケのゴールを見つめながら言った。

「俺は高校いきなよって言ったし、施設も高校までの学費は出してくれるんだけどさ、姉ちゃんは早く働いてお金を稼ぎたいからって、就職したんだよ」

ミチは、ゴールから目線を落とした。

「……もしかしたら、俺のせいなのかもしれない」

「え?」

「そん時、オレ、まだ小学生だったから。姉ちゃん一人だけならもしかしたら高校いってバスケ続けてたかもしれないけど……。施設だって金持ちの道楽でやってるわけじゃないからさ、いつ潰れて俺ら放り出されるかもわかんないじゃん。それにさ、スポーツってカネかかるんだよ。部費だ、合宿費だ、遠征費だってさ……。施設のお金をそういうことに使うんだったら、俺や下の世代の子供たちのためにって考えてたのかも……」

ミチは、階段を降りて歩き始めた。たまきもその後ろをついていく。

歩きながらも、ミチの視線はバスケのゴールへと投げかけられていた。

「姉ちゃんはさ、バスケのことはもういいって言ってんだけどさ、店の中にバスケのグッズ置いたりしててさ、もういいっていうふうには俺には見えねぇのよ。……やっぱここでシュート練習とかしてたのかもなぁ」

たまきもゴールに目をやった。バスケットボールが放物線を描きながら、リングの真ん中に吸い込まれていく光景を思い浮かべながら。

でも、ミチのお姉ちゃんが一体どんな顔をしてシュートを打っているのかは、どうしても思い浮かべることができなかった。

 

帰りのたまきは電車に乗った。

ほんの十分ほどでいつもの駅に着いた。

駅の中は色んなキラキラしたものであふれている。

どこかの女優さんを起用したポスター。

映画の宣伝ポスター。

本屋さんに置いてある漫画の最新刊。

これらの後ろで、一体どれだけの「あきらめた人たち」がいるのだろうか。それも、自分ではどうしようもない理由で。そもそも、その人たちは本当にあきらめることができたのだろうか。

つづく


次回 第40話「ファミコン、ときどきバイト」

たまき、初めてバイトに行く!? 続きはこちら


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。