検証:ピースボートで人生は劇的に変わるか?:フリーライター自由堂ノック編

前回に続き、「ピースボートで人生は劇的に変わるか」シリーズの第2弾である。今回は仕事につながる話だし、ちゃんと人生に変化はある。果たして、その変化が劇的なものなのかどうか。もちろん、前回に続き、主人公として登場してもらうのはこの私、自由堂ノックだ。


ピースボートの船内には、「船内チーム」という集団がいる。乗客の中から有志が集まって、船内を盛り上げる様々な仕事をするのだ。音響や照明を担当するPAチームや、映像チームなどがある中、僕は船内新聞を作成する「新聞局」に入った。

船内新聞とは読んで字のごとく、船内で発行される新聞を作るチームだ。とはいえ、記事の大半は船内のイベント情報で、そのイベントを担当するスタッフが書く。

ただ、参加者を紹介するコーナーがあり、そのコーナーは新聞局のメンバーが面白い人を見つけて取材し、記事にする。また、新聞が記事で埋まらないこともあり、そのスペースは新聞局の仲間がコラムみたいなものを書く。

僕はもともと文章を書くのが好きだったので、船に乗ったら新聞局に入ろうと思っていた。

ただ、「文章を書くのが好き」であって、「文章を書くのが得意」と思っていたわけではない。

大学のころ、自分の書いた文章にかなり修正を加えられたことがある。

大学では「民俗学研究会」という部活に所属し、そこで毎年、部誌を発行していたのだが、僕の文章は同期の仲間に「ふざけすぎだ」と言われてかなり修正されたのだ。その日は、めちゃくちゃ落ち込んだ。

これまで、取り立て文章で褒められることもなかった。浦和市が市内の小学生の文章を集めた「文集うらわ」に載ることもないし、何かの賞をもらったこともない。

だから、新聞局に入っても、記事は書かずに編集などをしようと思っていた。まったく自信がなかったからだ。

ただ、1記事だけ、僕が専属で書くことになった。

それが、寄港地の国旗について紹介する記事だった。

とはいえ、僕は船に乗るまでこれと言って国旗に詳しかったわけではない(今では国旗大好きだが)。

ではなぜ、国旗のコラムを書くことになったのか。

船に乗る前、事前に新聞局に入りたい人が集まる機会があり、そこでLINEのグループを作った。

そして、局長を務めるスタッフから、船内新聞で国旗に関するコラムをやりたいということ、国旗に関する本があったら持ってきてほしいことがLINEで伝達された。

その翌日である。僕がブックオフでたまたま、「国旗の世界史」という本を見つけたのは。

世界中の国旗がマイナーな国まで網羅されているうえ、それぞれの国旗に隠された歴史も書かれている。おまけに、本来1800円のその本が中古だったので500円。

奇妙なめぐりあわせで、僕はその本を購入した。いざ、船に乗ったら新聞局でそんな本を持っているのは僕だけだった。それがきっかけである。

国旗のコラムをいくつか書いていると、局長から「ノックは文章うまいから助かる」との言葉をいただいた。

とはいえ、例によって疑い深い僕である。お世辞ぐらいにしか思わず、全く本気にしていなかった。

そんな僕に、ある出会いが訪れる。

ピースボート88回クルーズでは、mすあき案内人としてフリーランサーの安藤美さんが乗っていた。僕らは親しみを込めて「ミッフィーさん」と呼んでいた。

そのミッフィーさんが、ツイッター用の140字のプロフィールを添削してくれるという。ぼくは文章力が上がるのではないかと思い、140字のプロフィールを作って店に行った。当時、ツイッターなどやってはいなかったが。

自分での感想は「ふざけすぎた」だった。学生時代に修正喰らったことが頭をよぎった。

だが、これから添削されに行くのだ。完璧なものを用意する必要はない。もしふざけすぎたのであれば、そう指摘されるだろう。

だから、ミッフィーさんから「どこも直すところがない」と言われたときは、頭が真っ白になった。「何も添削する必要がないなんてめったにない」とも言われた。もちろん、いい意味で、だ。

添削される気満々だった僕は、じゃあどこを改善したらいいのかと途方に暮れた。褒められなれていないのだ。

疑り深い僕でも、さすがにこれは信じざるを得なかった。ミッフィーさんが添削の場でお世辞を言う理由が全くなかったからだ。

この一件は僕の文章に対する自己評価をかなり変えた。「もしかして、自信を持っていいのか?」と考えるようになった(自信を持ったわけではない)。

ミッフィーさんから教わったことはほかにもある。

船内の講演会で、「今、ネットのメディアはライターをたくさん募集している」とミッフィーさんは教えてくれた。船を降りた僕はその言葉を当てに「クラウドワークス」や「ランサーズ」に登録し、今、フリーライターの仕事をしている。

ミッフィーさんと出会わなかったら、今、フリーライターをしていないかもしれない。そう考えると、わずか2週間ほどの交流だったが、実に不思議だ。今でも僕は、ミッフィーさんを師と仰いでいる。ライターとしての目標の一つは、「いつかミッフィーさんと仕事をする」だ。

ただ、ミッフィーさん一人の影響は大きいが、それがすべてではなかった。

船内新聞で書いた僕の記事の感想が、僕の耳にも入るようになったのだ。直接本人から「よかったよ」と言われたり、人づてにそう言ってたよと聞いたり。そのほぼすべてが、僕の本名の読み方を間違えていたが(笑)。だが、そういうことがきっかけで船内の企画に携わるようにもなった。シニアの方から船内新聞の記事のファンレターをもらったこともあった。

そんなこんなの影響で何を勘違いしたのか、今、僕はフリーライターをやっている。出版業界にいた経験は、ない。前職は警備員だ。

さて、では、僕の人生は劇的に変わったのだろうか。

僕自身は、劇的とは思っていない。

以前にも書いたが、やっぱり人生は複線回収で、過去にそうとは知らずにつくってしまった伏線を、後々回収するだけなのだと思う。

小さいころから本を読むのは好きだったし、文章を書くのも好きだった。就活の時も漠然と「文章を書く仕事がしたい」と考えていた。今思えば、そういった伏線を回収する機会を得ただけなんだと思う。

だが、複線回収の一方で、思いもよらない偶然の連鎖というものがある。

船に乗る前に「国旗の世界史」を買わなければ船内新聞で記事を書くことなんてなかったかもしれないし、88以外のクルーズだったらミッフィーさんに出会うこともなかった。

ラップに関しても、大宮ボラセンにたまたまラップ好きが集まってなければ、船でラップをしようなどとは思わなかった。

そして、僕がこの変化を「劇的」とは思わない理由がもう一つあって、

僕は、いまだに自分が文章を書くのが得意だと思っていない。

「人からそう言われるので、おそらく僕は文章を書くのが得意なのだろう」と認識しているだけで、自分で文章が得意だとは全く思っていない。「しゃべるよりは書く方が得意だろう」ぐらいの認識である。

他人の文章の良し悪しはわかる。同じ船内新聞の仲間の書いた文章は本当にうまいし、逆にネットでよくわかんない記事を見て、「文章下手だなー」と思うこともある。

だが、自分の文章に暗しては、とんとわからない。

「これでいいのかな?」と首をかしげながら日々仕事をしている。

何か月もやってクビになってないから、おそらく評価されているんだろう、という認識である(もちろん、不採用になった原稿もたくさんある)。

だいたい、僕は「フリーライターになれた」のではない。他の仕事が壊滅的にできないから、「フリーライターになるしかなかった」のである。「書く仕事がしたかった」とは言ったが、「いきなりフリーで」なんて一言も言っていない。いきなりフリーで仕事をし出したのは、かわいそうなくらい会社の仕事ができないからであり、かわいそうなくらい面接が苦手だからだ。

志望校に全滅して、滑り止めの高校に進学したら、意外と自分に合ってた、そんな感じだ。

ピースボートで人生は劇的に変わる、わけではない。これまでの伏線を回収するだけだし、相変わらず自信なんてない。

ただ、ピースボートは「選択肢」を提供してくれる場であったと思う。

船で出会った仲間や水先案内人、旅先の文化や風景などが、あなたに無数の選択肢を与えてくれる。「普通の」以外にも道はたくさんあるんだと教えてくれる。

そして、ピースボートは何かをチャレンジした人を応援してくれる人がとても多い。一般社会では「空気読めよ」と言われてしまいそうなことも、臆することなく評価してくれる。だから、どんどんチャレンジするといい。船は積極的じゃないと楽しめない」、これは僕が恩人からもらった言葉だ。

無数の選択肢の中から何かを選び取った時、それまでの人生にちりばめていた複線が、そして不思議な偶然が、最高の仲間が、ちょっと背中を押してくれる。たったそれだけである。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。