リア充だと確認しないと気が済まない

新型コロナウイルスの影響で、緊急事態宣言が出て、外出自粛要請が出て、半月近くがたった。

都心はすっかり人がいなくなった。正月だってそこそこの数の人がいたのに。

一方で、神奈川の湘南・江の島は、なぜか大勢の観光客でにぎわい、地元の人たちは戦々恐々としているらしい。どうも、神奈川県外からの観光客が多いという噂。

……それにしても、なぜ江の島? 九十九里浜や高尾山じゃダメなのか?

調べてみると、九十九里浜や高尾山に行く人もいるにはいるみたいだが、江の島ほど問題にはなっていない。

なぜ湘南? なぜ江の島?

そもそも、なぜそんなに外出したいんだろう? これほどネット技術が発達した現代、家で引きこもって遊ぶ方法なんていくらでもあるのに(それも、外出するよりはるかに安上がり)。オンライン飲み会なんておもしろいじゃないか。

家にずっといるのがストレスだというなら、歩いて行ける川や公園にでも行けばいい。散歩は自粛を求められていないし、いい運動になる。なのになぜ、わざわざ県外から車に乗って湘南・江の島に行くのか。

ここで一つの仮説を提示したい。

彼らは外出したいのではない。遠出がしたいのではない。旅行がしたいのではない。

「自分はリア充である」と確かめたいだけなのではないか。

なぜ、ずっと引きこもってられないのか。

なぜ、近所の川や公園では満足できないのか。

それでは自分が「リア充である」と確かめられないからだ。

だからわざわざ、家族や友達、恋人と連れ立って、湘南や江ノ島に行って、観光したりサーフィンしたりおいしいモノ食べたり写真撮ったりするのだ。湘南・江の島エリア。関東地方でこれほどリア充のにおいがするスポットがあるだろうか。

……と書くと、なんだか唐突な気もする。なんでいきなりリア充の話やねん、と。

だけど、「人は自分がリア充だと確かめないと生きていけない」というのは、僕にとっては唐突でも何でもなく、数年前から考えていたことだ。

なぜ、あちこちでいろんなイベントが開かれているのか。

なぜ、わざわざお金や時間を費やしてまで、イベントやパーティに参加するのか。

なぜ、自撮り写真や集合写真を撮るのか。

なぜ、自撮り写真や集合写真、食べたランチやディナーの写真をSNSにアップしたくなるのか。

なぜ、他人に「自分はリア充である」とアピールしたくなるのか。

その答えはただ一つ!

彼らは、他人に向かって「私はリア充です」とアピールしているのではない。

自分に向かって「私はリア充なんだ。私はリア充なんだ」と確かめて、言い聞かせているからだ。

どういうわけか人は、自分はリア充であると、自分自身に言い聞かせ、確認しないと気が済まないらしい。

へたしたら、「なぜ友達を作るのか」「なぜ恋人を作るのか」「なぜ結婚するのか」「なぜ家を買うのか」「なぜ車を買うのか」なんて言うことも実は、「自分でそう望んだから」ではなく、「自分はリア充だと確かめたいから」なのかもしれない。少なくとも、「友達を作る」「カレシ・カノジョを作る」というときの「作る」という表現に僕は違和感を感じる。人はプラモじゃねぇぞ。

人は、自分がリア充だと確かめないと気が済まない。自分がリア充ではないという現実に耐えられない。

だから、家でじっとしていることに耐えられない。誰とも会わず、どこにも行かず、週末を家でじっとして過ごす。こんなリア充からかけ離れた生活には耐えられないのだ。

というわけで、人は湘南や江ノ島に殺到するんじゃないか。その根底には「人は自分がリア充であると確かめないと気が済まない」という、どうしようもない性が隠れているのではないか。

あくまでも個人の見解、仮説です。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。