どうにも、僕には大人に対する憧れというものがないようだ。
たとえば、子供には禁じられているけど、大人には許されるものがある。お酒とか、車とか、煙草とか。
大人になった今にして思うと、そういったものに全く憧れがない。子供のころからそうだし、大人になってからもそうだ。
車を欲しいと思ったこともなければ、免許を取りたい、運転してみたいと思ったことすらない。
「大人になったらお酒を飲んでみたい」とか、「一度は煙草を吸ってみたい」とか、そんなこと、子供のころから一度も思ったことがない。
だって、子供の頃って、そんなものなくても楽しかったじゃない。
車なんてなくても、自転車でどこへでも行けたし、お酒もたばこもなくても、コーラとポテチがあれば、それだけでテンション爆アガリ。
そこにどうして、「大人になったらあれをやってみたい」をプラスするのかが、僕にはよくわからない。
僕は「大人になったらあれをやってみたい」よりも、「子供の頃に楽しかったことを、大人になっても続けたい」という想いの方が強いみたいだ。「子供の頃にやってたこと」で十分満足だから、「大人になったらあれをやりたい」というのが、ない。
たとえば、26歳の時に地球一周をしたけれど、「大人になったら地球一周をしたい」なんて思ったことは、一度もない。
むしろ、子供のころからワンピースが大好きで、地球一周の船旅は明らかにその延長である。
今は民俗学のZINEをせっせと作っているけれど、子供のころから妖怪マニアだったから、やっぱりその延長線上でしかない。
「大人になったらZINEを作りたいなぁ」なんて、思ったことない。そもそも、ZINEなんて単語、30歳になって初めて知った。
今まで夢中でやって来たことや、いま夢中でやってること、どれもこれも、子供のころからの遊びの延長線ばっかりだ。
たぶん僕は、「子供の頃の遊びを、大人になっても恥ずかしげもなくするには、どうすればいいか」にアタマを使っているのだろう。
さて、「大人になったらこれがしたいなぁ」というのは全くなかったんだけど、25歳くらいから「こんなおじさんになりたいなぁ」とは考えるようになった。
ちなみに、ここで言うおじさんとは40歳以上を想定している。
というのも、「こんなおじさんになりたいなぁ」とは具体的には「このおじさんみたいになりたいなぁ」という、要は「憧れの人」がいる形で、そのおじさんたちが軒並み40歳以上だからである。
そして、「こんなおじさんになりたい」とは、生き方の問題である。「あのおじさんみたいな生き方、いいなぁ」と憧れるわけだ。
でも、そうやって僕が憧れるおじさんたちは、やっぱり「おじさんなのに子供みたいに遊んでる人」ばっかりな気もする。
はたして人は、どこまで子供っぽく生きられるのだろうね。