政治に興味があるヤツがえらいのか?

選挙が終わりました。衆議院選挙の話です。

選挙期間中、あちらこちらで「選挙に行こう!」「投票しよう!」と、もううるさいったりゃありゃしない。

どうしてこうもしつこくしつこく言うんですかね。

だって、人ってしつこく言われるほど、反発したくなるものじゃないですか。

「勉強しなさい!」「うっせーな! 今やろうとしてたのに、やる気なくなったんだけど!」という、アレですよ。

人はしつこく言われれば言われるほど、反発したくなるものなんですよ。でないと、「うっせぇわ」なんて曲、流行ったりしません。

なかには「投票しろ!」などと言う、もはや脅迫じゃないかという物言いのポスターもありました。そういう高圧的な言い方をしたら、むしろ足が遠のくのではないかと、なんで考えない?

しつこく言いすぎると逆効果。じゃあ、どうしたら投票率が上がるのか。

……行きたくないものはムリしていかなくていいんじゃないかな。この国には「自由」があるんだから。

そもそもの話、他人を自分の思い通りに動かそう、という発想自体が、ちょっとズレてると思います。たとえそこに、選挙とか投票とか政治のような大義名分があったとしてもね。

選挙期間中、これまたよく聞いた言葉が「政治に関心を持とう」。

……政治に関心を持つ奴がそんなに偉いのか。

政治に関心あるやつがやってることって、右も左も口汚い罵りあいと貶めあいばっかりじゃないですか。「#国会中継」みたいなツイッターなんて、ほんとに子供に見せられるようなものじゃない。

はっきり言って、人として、「下品」なんですよ。どんなに立派なことを言っていても、その言い方や振る舞いは、「下品」なんです。

人は話の内容よりも、その話し方や立ち振る舞いに品があるかどうかを重視するんです。

たとえば、街頭演説している男がいて、とても立派な主張をしていたとしましょう。

でも、その男が全裸でパンツすら履かずに演説をしていたとしたら? 演説の内容がどんなに立派なものだったとしても、誰一人耳を傾ける者はいないはず。なぜなら、「下品」だからです。

若者に政治に関心を持ってもらいたかったら、政治に憧れを持ってもらえばいいんです。憧れの力は強いです。ヒーローに憧れて変身ポーズをまねし、サッカー選手に憧れてサッカー部に入り、ロックスターに憧れて歌い方やファッションをまねする。いくつになっても、人は憧れで動きます。

ところが、「政治に関心ある大人」に若者は憧れない。なぜなら、彼らは「下品」だからです。

「下品」なヤツには憧れないし、「下品」なヤツとは関わりたくない。人として、当然の発想です。

そして、「下品」なヤツが、「下品」なくせに「俺は政治に関心があるから偉いんだ」と言わんばかりに「投票しろ!」などと言う。

人間が見えていないんだなぁ。「人間とは何か」がわかっていない。

しつこく言い続けたら、人間はどう思うか。

高圧的な言い方をされたら、人間はどう動くか。

罵りあいを見せられたら、人間はどう動くか。

「下品」な人間が、周りからどう見えているか。

だから僕は、「政治に関心を持て」とは言いません。「人間に関心を持て」と言う。「人間とは何ぞや」と問い続けろ、と言う。

人間に関心を持つとはどういうことか。もちろん、生の人間と触れ合うのが一番いいけど、優れた文学や、歌の歌詞、芸術、歴史や文化に触れることでも人間は学べます。他人が苦手な人でも、自分の内面と向き合う、と言う学び方もあります。

政治に関心を持つ前に、まずは人間に関心を持とう。むしろ、人間に関心がないのに、何を勘違いしたのか偉そうに政治に関心を持つヤツ、これが一番めんどくさいんです。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。