スマホを捨てよ、海に潜ろう

ゼンカイのあらすじ

ゼンリョクゼンカイでスマートフォンを忘れたノックさん。気づいた時には時すでに遅し。電車はドンブラコと最寄り駅から離れていく。しかし、スマートフォンがないことで、日常のちょっとした考える時間、すなわちシンキングダイムの重要性に気づくのだった!

「考えること」の大切さを繰り返し説いてきた哲学者で文筆家の池田晶子さんは生前、テレビもネットもやらなかったそうです。インターネットで世界中がつながっても、ガラクタのような情報が増えるだけだ、と。たしかにそうかもしれないですね。

それよりも、思索の世界に入り込めば何時間でも楽しめる。だから彼女にはテレビもネットも必要なかったのだとか。

なーんとなくわかる気がしますね。彼女の場合「自分とは何か」「善悪とは何か」「宇宙はなぜ存在するのか」なんて哲学的なテーマをいくつも持っていて、それについて考えることでいくらでも時間を費やせた。いわば、頭の中に膨大な「思索の海」を抱えていて、どこまでもどこまでも潜っていけた。

問題はこの「思索の海」は日ごろから「考えること」をしていかないと、水が溜まっていかないということ。

ふだんから考えることをしないで、テレビやスマートフォンばっかり覗いていると、水が全然たまりません。プールぐらいの浅さのところを潜って、すぐに底をついておしまいです。

そんなんだから急に「おうち時間」なんて言われると何していいかわからなくなるわけです。

意識的にオフラインの時間を作って、何か考えてみたり、逆に無心になって何も考えなかったり、そういう時間が必要なんです。四六時中スマートフォン片手に、社会情勢やらトレンドやらの最新情報をチェックしてる人が賢くて偉い、なんてことはないんですよ。むしろ、「思索の海」に水が溜まってないのにバカスカ情報だけ取り入れてる人の方がバカなのかもしれないですよ? 水槽に水が全然ないのに魚を放流しまくってるようなものですから。

だいたい、ネットでデマに踊らされてる人ってのは、むしろ普段からスマートフォンをいじくって色んな情報を見てるはず、の人ですから。知識や情報量の多さが人を賢くするわけではないんです。

まあ、テレビやスマートフォンに比べると、読書やラジオはそういうオフライン時間にオススメかもしれません。映像がない分、想像力を働かせる必要があるから、知識や情報を吸収しつつ、ちゃんと考える時間も取れる。

テレビが普及し始めた時に「一億総白痴」なんて言われて、そんなことあるまいと思ってたけど、イヤあんがい、少しずつそうなっていたのかもしれませんね。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。