「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち

クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たちです(第12話時点)。「城(キャッスル)」で暮らすメインの3人はもちろん、彼女らの周囲の人々も基本情報はココで確認できます。これを見ておけば第1話じゃなくても、「あしなれ」をどこからでも楽しむことができます。


亜美

第1話から登場する、「城」で暮らす少女。「明日なんかどうでもいい」と援助交際で生活している。右腕に青い蝶の入れ墨が入っている。

志保

第2話から登場する、「城」で暮らす少女。「明日が怖かった」と覚せい剤に手を出し、薬物依存と戦っている。右腕に無数の注射針の痕がある。

たまき

第1話から登場する、「城」で暮らす少女。「明日はいらない」と自殺未遂を繰り返す。右手首に白い包帯を巻いている。

京野舞

第1話から登場する、元医者の医療ライター。「城」で暮らす少女たちの面倒を見ている。

ヒロキ

第1話から登場する、亜美の「客」。

ミチ

第2話から登場する、ミュージシャン志望の少年。ヒロキの後輩にあたる。

 仙人

第8話から登場する、ホームレス。たまきの絵を絶賛する一方で、ミチの歌に対しては辛辣な評価を下す。

トクラ

第10話から登場する、志保と同じ施設に通う女性。危険ドラッグに手を出したらしい。

海乃

第11話から登場する、ミチと同じラーメン屋で働いている女性。ミチのカノジョだったが、クリスマスの夜に破局。

田代

第12話から登場する、大学生の青年。志保がバイトする喫茶店「シャンゼリゼ」で働いている。

ミチのお姉ちゃん

第24話から登場する、ミチの姉。スナックの雇われママさん。

 

知念厳造

志保がアルバイトする二丁目にある行真寺の住職。前職はゲイバーのママ。

小説:あしたてんきになぁれ 第2話 夜のち公園、ときどき音楽

「明日なんてどうでもいい」と援助交際で生計を立てる亜美と、「明日なんていらない」と自殺未遂を繰り返す少女・たまき。二人の家出少女がつぶれたキャバクラを不法占拠して共同生活を始めた。だが、たまきは人に話しかけられるのも、人に見られるのも大の苦手。そんなたまきに亜美はコミュニケーションをとろうとするが……。

「あしなれ」第2話、スタート!


第1話「命日のち明日」

登場人物はこちら! ⇒「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


吸い込まれそうな曇り空。たまきは屋上からビルの下を覗き込んだ。長く息を吸うと、大きく吐いた。そんな呼吸を数回繰り返す。小柄な体に肩まで伸びた黒い髪。メガネをかけているが、レンズの左半分はほぼ前髪に隠れている。右手首には白い包帯が巻きつけられてある。蒸し暑いのにもかかわらず、長袖を着ている。

たまき、十五歳。

「たまき!」

たまきの背後で大声がする。たまきは振り返らなかった。声の主は二週間ほど一緒に暮らしている相手でよくわかっているし、そもそもこの屋上に出入りする人間は自分と彼女を置いてほかにいない。

「なにやってるの!」

長い金髪を後ろで束ねた薄着の少女。胸元は谷間を強調するようにあいている。ノースリーブの右の二の腕には青い蝶の入れ墨が見える。

亜美(あみ)、十八歳。

「大丈夫です」

たまきは亜美に聞こえるギリギリの音量で言った。

「今はそういう気分じゃないので」

たまきは振り返らずに、下を見たまま答えた。亜美はたまきに近づくと、包帯のまかれた方の手首を握った。一週間前、「城(キャッスル)」のトイレで切ったばかりの傷口がちくりと痛む。

亜美はたまきの手を握りながら、一週間前のことを思い出していた。あの日は雨が降っていて、今日のようにたまきは終始具合が悪そうだった。朝からほとんど何も食べず、ソファの上で横になっていたが、ふと立ち上がると、トイレへと入っていった。

一、二分後だっただろうか。トイレから出てきたとき、たまきの手首からは血が流れていた。

「またやっちゃった」

そういうと珍しく、彼女にしては本当に珍しく、にこっと笑ったのだった。

そんな前科があるから、亜美はたまきの腕を強く握った。

「大丈夫ですって。」

たまきは振り向きもせずに答えた。

「ちょっと気分悪いだけですから。乗り物酔いみたいなもんです」

そういうと、たまきは静かに目を閉じた。

 

写真はイメージです

その町はシンデレラ城のようだ、といったのは誰だっただろうか。

なるほど、遠くから見ると、東京の街並みの中に突如として現れる高層ビル群は、西洋の城郭を彷彿とさせる。その中は人々の夢、欲望、怨念が渦巻くまさに魔法の国、歓楽街が広がっている。

食欲、性欲、金銭欲。澄ました顔をしたオトナたちがそこでは獣と変わる。

いや、獣に戻ると言った方がいいのかもしれない。

そんな街にあるからなのか、その店は名前を「城(キャッスル)」という。

正確にはもう店ではない。一年ほど前に潰れ、店としての設備と機能を残したまま、店主はどこかへ消えた。

今、ここには二人の少女が住んでいる。たまきと亜美はともに家出中の身だ。ビルのオーナーはこのことを知らない。いわゆる、不法占拠だ。

部屋の内装はキャバクラそのものだが、亜美が援助交際で稼いだ金で、生活に必要なものを買い足してある。

テレビもその一つである。小さいが、ちゃんと映る。

亜美は今一人でバラエティ番組を見ていた。傍らではたまきがソファの上で丸くなっている。

「見ないの?」

亜美が画面を見たまま訪ねた。

「あまり好きじゃないんでいいです」

亜美はたまきの方を向いた。

「じゃああんたさ、何してれば楽しいの?」

 

この二週間、亜美はいろいろ試してきた。

「城」はビルの5階にあり、すぐ下はビデオ屋である。亜美はそこでDVDを数本借りてきた。どこで買ったのかDVDプレーヤーで再生させる。

何か楽しいことがあれば、死のうなんて気はなくなるだろう。という考えからだった。

最初に見せたのは恋愛もので、名作の呼び声高い。

その映画を見る間、たまきは一言もしゃべらなかった。

そして、映画が終わった後、ポツリと言った。

「彼氏作れる人っていいですよね」

その「いいですよね」は憧れではなく、諦めだった。

それだけ言うとたまきは、毛布を頭からかぶり、ソファの上に丸くなって寝てしまった。

それ以後、亜美はたまきに恋愛ものを見せなくなった。

ならばと借りてきたのがホラーものだった。殺された女の霊が襲い掛かるというものだ。

ホラーの大好きな亜美は、映画の途中にちらりとたまきを見た。口では「問題ないです」といっていたが、実際のところ、大丈夫なのだろうか。

たまきは泣いていた。最初、それが怖さのあまり泣きだしているのかと思った。

だが、違った。それにしては静かなのだ。泣き叫ぶのではなく、泣く。聞こえるのは悲鳴ではなく嗚咽だった。

「どしたの?」

亜美はたまきに尋ねた。

「この人、死んだのに楽になれずに現世をさまよい続けてる。自分が死んでもこうなのかなってふと考えたら、なんだか悲しくなってきて……」

そういうとたまきはメガネをはずし、ハンカチで目頭を押さえた。

それ以来、亜美はたまきにビデオを見せなくなった。

いろいろな場所にも連れ出そうとした。

「たまき、ゲーセン行かない?」

たまきはソファの上でいつものごとく寝っころがっていたが、上体だけ起こすと、

「雨が降ってるんでいいです」

「雨なんていいじゃん。すぐそこじゃん。」

亜美はそういったが、たまきはそのまま毛布を頭からかぶると、

「いいです」

とだけ言った。

この二週間、たまきの外出といえば、買い物と銭湯くらいである。それも、積極的に出かけているというよりは、「居候の身なのだから、買い物ぐらいしなくては」と考えているように見え、自ら積極的に出かけることはなかった。

 

時は戻って今、たまきはぼんやりとテレビの画面を見つめていた。

「楽しい、ですか……」

たまきはうつむいたまま答えた。

「あまり思ったことないですね」

「嘘?」

亜美は驚いたようにたまきを見た。

「え? 友達と話してるときとか」

「友達ですか」

たまきは顔を上げずに答えた。

「あんまりいたことないんで……。人に話しかけられるのが嫌いなんです」

「そう……」

それを言われると、亜美は何も言うことがない。

「……ウチは話しかけても大丈夫……?」

亜美は恐る恐る尋ねた。

「……あまり話しかけて欲しくないんですけど……」

たまきはそう前置きしつつ、

「一緒に住んでるのに話しかけるなっていうのもあれなんで……、ちょっとくらいなら……」

そしてたまきはボソッと付け足した。

「でも、亜美さんのそういうズカズカしてるところ、嫌いじゃないです」

「ウチってそんなにズカズカしてる?」

亜美の問いかけに、たまきは無言で頷いた。

「なんでそんなに、話しかけられるのが嫌いなの?」

たまきは口を閉じたまま、亜美をにらんだ。

「そういうのがズカズカしてるっていうんです」

 

亜美は非常口を兼ねたキッチンの窓のカーテンを開けた。今は、「城」の中に日差しが入り込むわずかな時間だ。日の光が当たったたまきは、ドラキュラよろしく毛布を頭からかぶる。

「たまき、メイクを教えてあげようか」

亜美が日の光を眩しそうに見ながら言った。

「結構です」

たまきは毛布の中から答えた。

「もう!」

亜美はたまきの毛布を掴むと、一気にはがした。

「そんなんだからね、自殺とかするんだよ! 少しはおしゃれしたら!」

亜美はソファの上でにらんでくるたまきを見下ろしながら言った。夏が近いというのに長袖にロングスカート、見せれるところは全部見せてる亜美とは(別にビキニを着ているわけではない)対照的だ。

「ほっといてください」

たまきは上体を起こしながら反論した。

亜美はたまきに近づくと、たまきの髪を真中から分けた。普段は前髪で隠すことが多いたまきの顔があらわになる。

「お、かわいいかわいい。ついでにメガネも取っちゃおうか。」

そういって亜美はたまきのメガネを顔から外した。しかし、ほんの少し放したところで、たまきがひったくるようにメガネを取り返すと、再びかけた。まるで自分にとってメガネはメガネとしての本来の役割以上に、防具だとでも言いたげなように。

そして、髪の毛をくしゃくしゃとやると、前髪を垂らした。メガネの左側のレンズの大半が髪の毛に隠れる。

「……私はこれでいいんです」

そういうとたまきはそっぽを向いた。

亜美はため息をついた。

亜美としてはたまきとコミュニケーションを取りたいし、たまきのことを知りたいのだが、たまきは一定の距離を取ろうとしている。

 

写真はイメージです

雨上がりの夏の日差しは、もう梅雨明けが近いことを知らせている。日の光は濡れたアスファルトで反射し、海原のようにきらめいている。

亜美はファーストフード店の紙袋を片手に、汗を拭きながら「城」のある太田ビルへと向かっていた。

太田ビルの一階、コンビニのわきに「城」へと続く階段がある。そこに、二人の男が椅子を並べて座っていた。彼らは、そばを通る男性を見つけるたびに、

「DVDどうっすか?」

と声をかけている。

「お疲れ」

亜美は二人に声をかけた。

「おう、お疲れ」

二人のうち、年上らしき方が答える。派手なシャツに金髪、髪型は坊主に近い。サングラスにひげ、ビビるなという方が無理な風貌だ。

ヒロキ。亜美の客の一人である。

「何、今日はミチも一緒?」

亜美はもう一人の方を見ながら言った。

「お疲れ様っす」

ミチと呼ばれた茶髪の少年が返事をした。高校生ぐらいだろうか。ワルっぽい恰好をしているが、顔にはまだあどけなさが残る。

「あんたまだ十六でしょ。いいの? こういうバイトやって?」

「お前に言われたくねぇよ、なぁ」

ヒロキが笑いながらミチを見た。

「呼び込みぐらいいいんじゃねぇの?」

「ふーん、ウチんとこに迷惑かけないでよね」

「それはそうと亜美、今晩もよろしく頼むぜ」

ヒロキがにやりと笑った。

亜美とヒロキ、ミチが談笑をしていると、階段を下りる音が聞こえてきた。

階段の入り口から黒い長袖の少女が現れた。たまきである。

「たまき、どこ行くの!」

亜美はたまきに声をかけた。

「買い物です」

たまきはそれだけ言うと、駅の方むかって歩いて行った。

「やれやれ、4日ぶりの外出か」

亜美がたまきを見送りながら言った。

「センパイ、今のがこの前言ってた子っすか」

「ああ」

ヒロキがミチの質問に答えた。

「へぇ、かわいいっすね。ああいうの、タイプっすよ」

「なにミチ、あんた、ああいうのタイプなの?」

亜美がミチの方を向いて言った。

「ああいう地味でおとなしそうな子ってタイプっすよ」

「ふーん」

亜美が何かを思いついた顔をした。

「じゃあさ、あんたに頼みがあるんだけどさ……」

 

写真はイメージです

東京では欲しいものは何でもそろうと誰かが言っていたが、たまきはそれはウソだと思う。

確かに、流行りの洋服や、知る人ぞ知るインディーズバンドのCDとか、東京の方がよその町より手に入りやすいものも多いだろう。

だが、野菜や本など、日用品は東京の都心では手に入りにくい。

文房具などもその一つだ。

たまきは、先週リストカットした時に治療のために会った、元医師の医療ライター京野(きょうの)舞(まい)からもらった、文具屋のチラシを持っていた。これが手に入らなかったら、どこで買い物をすればいいかもわからなかったに違いない。

たまきは鉛筆と画用紙だけ買って店を出た。雨上がりの東京の町には、いろとりどりの服を着た人が歩いている。

この人たちはきっと自分より楽しく生きているのだろう。普通に学校に通い、普通に仕事し、普通に恋をして、友達に囲まれ……、そう考えると吐き気がしてうずくまりたくなる。呼吸は、毒ガスでも吸ってるんじゃないかってぐらい苦しく、なんだかふらふらする。

早く「城」に帰ろう。そして横になろう。そうすれば、楽になれる。

本当につらい時、涙なんて出ない。あるのは吐き気である。

 

「城」へ戻ってからというもの、たまきはずっと横になっていた。

別に、横になったからといって体調が良くなるわけではない。だが、これ以上気分が悪くなっても大丈夫という点では、街中を歩いているよりは楽だ。いくらでも鬱になれる。どんなに鬱になっても、寝床で寝ていれば、これ以上歩いたりする必要もない。

今や、「城」はたまきの小さな世界、「城」の中がたまきのすべてだった。

亜美という同居人がいるが、亜美と共に暮らすのは、家族と暮していた時よりも気が楽だった。亜美はズカズカとたまきに関わってくる。だが。今までの二週間で、亜美に傷つけられたことはなかった。

家族は違った。父も母も姉も、たまきに関心を示さなかった。そのくせ、たまきの心を傷つける。

亜美との生活はそんなころと比べると楽だった。だが、亜美と一緒にいるのが楽なだけで、極度の人見知りが治ったわけではない。

だから、亜美の客に「顔見せ」をするのが非常にいやだった。

この「顔見せ」がたまきの唯一の収入のための手段である。亜美の客が来ているとき、顔を見せる。こんにちわとあいさつする。ただそれだけである。

亜美曰く、たまきが顔見せをするようになってから、仕事の量が増えたそうだ。客の数が増えたわけではなく、同じ客が来る回数が増えたらしい。

「ウチの客ってさ、ウチみたいなタイプの女としか付き合わないんだよ。だからさ、たまきみたいに地味でおとなしくて、オトコとあんま話したことないって子がウケるんだよ」

亜美はそう言っていた。

「いいじゃん、顔見せるだけでお金になるんだから。アイドルみたいだし、楽でいいじゃん」

などと言って亜美は笑っていたが、楽どころか、苦痛以外の何物でもない。たまきは、「人に見られる」というのが大嫌いなのだ。

だが、居候になっている以上、苦痛でもやらねばならない。

現在、亜美は一晩二万円で客を取っているらしい。そのうちの八千円が亜美の取り分、四千円がたまきの小遣い、残りの八千円が食費や、二人で使うお金だ。だが、亜美の八千円なんて、お酒や洋服や美容院などで瞬く間に消えていく。

客は週に一、二回やってくる。一人だけの日もあるし、五、六人を相手にしていた日もあった。不法占拠のため家賃はかからず、光熱費や水道代も払っていないので(ただ、電気や水道が使えるということを考えると、誰かが代わりに払っているのだろうけど、その「誰か」が誰なのかは知らない。ビルのオーナーが気付かないうちに、オーナーの口座から引き落とされているという説が濃厚である。)何とかやっていける。そもそも、たまきは小食で、一日二食(朝は食べない)の上、一回の量も少ないので、かなり安上がりで済む。

 

午後十時。先ほど「顔見せ」に行ったところ、亜美は四、五人の男性とお酒を飲んでいた。「顔見せ」も果たしたし、そろそろ寝ようとたまきはソファの上に横になった。

 

たまきがいる部屋は、亜美が使っている店のスペースとは、ドアを隔てて奥にある。「城」がキャバクラだった時、キャバ嬢たちの控室として使われていたらしい。今は亜美とたまきの衣裳部屋として使われている。亜美の色とりどりの服たちと、たまきの数少ない、地味な服。

部屋の真ん中には白いソファが置かれている。四人ぐらい座れそうだ。たまきの小柄な体なら、十分横になれる。

たまきは真っ暗な部屋でソファーの前のテーブルにメガネを置くと、横になった。少しだけ気分が楽になる。

横になって2,3分ほどだろうか。まだ、寝付くには至らず、たまきはただただ無心で横になっていた。

 

ドアの開く音がし、電気がついた。亜美が入ってきたのだろうか。

「あー、いたいた」

全く予期していなかった男性の声に、たまきは目を開いた。たまきには似合わない素早い動きで起き上がると、メガネをかけ、ドアの方を見た。

ドアの前には、二人立っていた。先ほど、亜美と一緒にいた少年、その奥には亜美がいた。

亜美は男より一歩前に出ると、口を開いた。

「たまき、こいつ、ミチさ、今日、ここで寝るから」

「え?」

亜美はそういうと、今度はミチの方を向いた。

「万が一たまきを泣かせるようなことがあったら、殺すからね」

「やですねぇ。泣かしたりしませんよー」

そういうと亜美は、部屋を出て行ってしまった。

なんだ、このエロ漫画みたいな展開。

まあ、あまり深く考えない亜美のことである。おそらく、たまきも彼氏ができれば自殺など辞めるだろうと考え、しかし、ほっといたら絶対彼氏なんかできないと判断し、このような強引な行動に出たのだろう。

安直だ。安直すぎる。女と男を一晩ほっといたら、恋愛感情が生まれるなんて、いくらなんでも安直すぎる。

しかも、よりによってチャラい。

たまきはミチの方をちらりと見た。ニヤニヤ笑っている。対して楽しいこともないのに、笑っている人がたまきは嫌いだ。年は同じくらいだろうか。茶髪にピアス。色黒。黒地に、でかでかと銀のドクロが描かれたTシャツを着ている。見ようによってはかっこいいのかもしれないが、自分がじろじろ見られるのが嫌いなたまきは、人の顔を長いこと見ることもないので、正直、どうでもいい。ただただ、チャラそうだという印象だけが残る。

ムリムリムリムリムリムリムリムリ。

ミチはたまきの隣に座った。小さなソファなので、密着度が高い。

「たまきちゃんか。よろしく」

男にちゃん付されると、背中がぞわっとなる。

「俺、バンドやってるんだ」

ミチは、聞いてもいないのに勝手にしゃべりだした。

「今度ライブ来てよ」

バンドのライブなんて、行ったことがない。人ごみも、ロックンロールも大嫌いだ。

今すぐこの部屋を飛び出したいたまきだったが、隣の部屋では亜美が「仕事」を始めているかもしれない。

「たまきちゃんてさ、彼氏いるの?」

ミチのその言葉に、たまきの鼓動がほんの一瞬止まった。

もし彼氏なんて人がいたら、こんな私にならなかったのかな。いや、恋人なんてたいそうなものでなくていい。友達、いや、もっと近い人たち。

家族。そう、家族の一人でも、父でも母でも姉でも、誰か一人でも、たまきのことを好きだと言ってくれたら、こんな自分にならなかったのではないか。

ふと、涙が出てきた。本当につらい時、やっぱり涙が出てくるようだ。

焦ったのはミチの方である。たまきがなんか知らないけど泣いている。このままでは亜美に殺される。

「たまきちゃん、大丈夫?」

声をかけてみるも、涙は止まらない。

ただただ泣き続けるたまきと、ただただオロオロするミチという、密室の中はおかしな構図になった。

 

目を覚ますともうミチはいなかった。泣いたところまでは覚えているのだが、そこから先が覚えてない。すぐに寝てしまったようだ。

たまきはドアを開け、接客スペースに入った。亜美がタオルをかぶって、ソファの上で寝ている。たまきは、机の上に置いてあった、昨日買った画用紙と鉛筆を取った。

「ん~。たまき、どっか行くの?」

亜美が毛布の中から顔をのぞかせた。

「……公園行ってきます」

「公園ってどこの?」

「……都立公園……」

「都立公園! 遠いよ? 十五分くらい歩くよ? 大通り渡るよ? 大丈夫? 飛び込まない?」

「今日は大丈夫です」

そういうとたまきは「城」を出た。

 

写真はイメージです

都立公園は緑にあふれていた、都会のオアシスである。様々な人が思い思いの時間を過ごしている。

昼寝。ジョギング。お絵かき。ホームレス。その中でたまきは絵をかいていた。

別に好きで書いているわけではないし、とりわけ上手いとも思っていない。

ただ、絵を描いているときは、目の前のことに集中できる。たまきは鉛筆で風景を描いているのだが、その時だけは、余計なことを考えず、目の前のことに集中できるのだ。

左手に持った鉛筆を走らせ、三十分ほどで絵を書き上げた。書き上げてしまったのが何か残念だ。また、見たくもない現実と、考えたくもない明日に目を向けなければならない。

たまきは立ち上がると、公園の中を歩き始めた。

公園の中には、たまきと同様に絵を描いている人がいた。小さなスケッチブックに鉛筆で描くたまきと違い、その人は大きなカンバスに、水彩絵の具で描いていた。

とてもきれいな絵だった。同じ風景を描いているのに、どうしてこうも違うんだろう。

たまきは自分の絵を見た。木々の間から見える高層ビルを描いたのだが、なんだかおとぎ話に出てくる魔女の城みたいにおどろおどろしい。見たままに描いているはずなのに不思議だ。いや、そういう風に見えているのか。

たまきは広場に出た。広場は周りとは低いところにあり、四角い。一方は壁。反対側は大通りに面していている。残りの二面には階段があった。

広場へと続く階段を下りていくと、歌声が聞こえた。声のする方を見ると、階段の真ん中あたりで、男性がギターを弾きながら歌っていた。たまきに向けて背を向けて歌っている。

たまきはその歌声の方へ近づいて行った。高めのキーである。芯がしっかりしているというのだろうか。力強い歌声だ。上手い。

歌詞も明るく、力強いものだった。

――僕の歩く今が未来になる

――夢もいつか「今」に変わる

――明日を変えなければいけないんだ

――未来が僕を待っている

どこかで聞いたようなありきたりの歌詞だが、彼の歌声にはどこか希望を感じた。

歌を聴いて、いい歌だと思ったのは久しぶりだった。たまきは階段を下り、彼の横、少し離れたところに立った。

腰を下ろし、彼の顔を見た。

短い茶髪にピアス。どこかあどけなさの残る顔。

ミチだった。昨夜、至近距離で見たのだ。間違いない。

ギターをはじく手が止まり、弦の余韻を指で止めると、ミチは喋り出した。

「ありがとうございました。今の曲は『未来』というタイトルです。」

そういうと、ミチは弦をいじり、チューニングを始めた。

「……こんにちわ」

たまきにしては珍しく、本当に珍しく、声をかけた。

ミチがたまきの方を向いた。

「……たまきちゃん?」

ミチは立ち上がると、たまきの方に歩み寄った。

「昨日は、ほんと、ごめんね」

「……いえ、私の方こそ、失礼しました」

たまきはうつむきながら答えた。ミチも視線を落とす。

ミチはたまきのスケッチブックに目が留まった。

「絵、描いてたんだ。見せて。」

そういうと、ミチはたまきが右手に持っていたスケッチブックを取った。と、同時に、たまきの右手の包帯に目が言った。たまきはあわてて右手を体の後ろに回すと、ミチをにらんだ。

「返してください」

「いいじゃん、減るもんじゃないし。見せてよ」

そういうと、ミチはスケッチブックを開いた。

死ぬほど恥ずかしい。早めに死んどけばよかった。

 

帰るなりたまきは横になり目を閉じ、気が付いたら夕方だった。

公園でスケッチブックをひったくったその足でたまきは「城」へと戻った。途中二、三回、赤信号を無視して道路に飛び出してしまおうかと考えたが、何とか思いとどまって帰ってきた。

一方、亜美は椅子に深く腰掛け、対に置いてある椅子の上に足を投げ出し、携帯電話をいじっていた。やがて、携帯電話を閉じると、死んだように横になっているたまきの方を向いた。

「たまき、今夜、クラブに行くから」

「……行ってらっしゃい……」

「あんたも行くんだよ」

亜美の言葉に、たまきは大して驚かなかった。どうせまた、たまきに楽しいことを教えて、自殺をやめさせようという魂胆だろう。

「……行きません……」

たまきは、亜美に背を向けたまま答えた。

「……行かないなら、ご飯抜きだよ!」

「……構いません……」

餓死か。苦しいだろうけど、死ねるのならば、ちょうどいい。

「もう、そんなこと言わないで、行こうよ! 下に車来てるから!」

亜美は、たまきのかぶっているタオルを引きはがすと、たまきを立たせ、腕を引っ張って、外へ連れ出そうとした。たまきは、されるがままに動く。行きたくはないが、抵抗するのもめんどくさい。

 

写真はイメージです

たまきは生まれて初めてクラブに入った。そして、死ぬ前に来た最後のクラブなんだろうなぁと、次の自殺の予定もまだ立ててないのにぼんやりと考える。

DJブースにはDJが立っていて、そこからドムドムッてビートが流れ出す。その音に合わせて多くの人たちが躍り出す。決まった踊りはなく、思い思いの踊りを踊っている。ブースの反対側はちょっとしたバーになっていて、女の子が数人、椅子に腰かけながらお酒を飲んでいる。未成年を簡単に入れてしまうあたり、たぶん、まともなクラブじゃない。闇営業というやつだろうか。

なんだか子供のころ行った盆踊りの会場に似ている。やぐらがあって、その上には太鼓がある。そこから繰り出されるリズムや、流れる音楽に合わせてみんな踊っている。会場には屋台もある。

そういえば、あの祭り、苦手だったな。浴衣を着せられ、お姉ちゃんといったけど、苦手だった。

亜美は、フロアの真ん中で、知らない男性と一緒に踊っている。亜美曰く、このクラブの場は、楽しいのはもちろん、客の新規開拓の場でもあるらしい。

亜美と一緒に来たヒロキは、バーで酒を飲みながら、やはり、知り合ったばかりの人とトークで盛り上がっている。

どうして、知らない人とあんなに盛り上がれるんだろう。どうして、知らない人の間で踊れるんだろう。

たまきは、集団から少し離れたところからそれを見ていた。一度、亜美に手を引っ張られ、フロアには出たが、踊りのステップもわからず、本日二度目の外出で、かなり体力を消費しているのもあり、2,3分でフロアから出ると、バーでジュースを頼み、集団から離れた。今はジュースも飲み干し、本当にやることがない。

トイレ行って休もう。そう思っていると、タイミングよく、亜美が男とハイタッチを交わして戻ってきた。

「たまき、楽しんでる? そんなところに突っ立ってないで、こっち来たらいいじゃん?」

「……結構です……」

たまきはうつむいたまま答えた。

「……トイレ行ってきます……」

そういうと、たまきは亜美に背を向けて歩き出した。その後ろを、亜美がついてくる。

「あたしも行くよ」

「……場所わかってるんで、大丈夫です」

たまきは、トイレの場所を示す看板を指しながら言った。

「あんたはこのクラブのトイレをなめてる!」

そういうと、亜美はたまきの横に並んだ。

「このクラブはね、ただのクラブじゃないんだよ。このあたりのヤバいやつらのたまり場なんだから!」

「……何でそんなところに連れてきたんですか? どうせ連れてこられるなら、安全でまともなクラブに連れてって欲しかった……」

「ばか! 安全でまともなクラブに十五才連れていけるわけないだろ?」

だれもクラブに連れてってくれなんて頼んでない。

「ここはね、よそのまともなクラブから締め出されたようなやつしか来ないんだから」

亜美はそういうと自嘲的に笑った。

「それに、アブナイ方が楽しいじゃん」

なに言ってるんだろう、この人。

「でね、特に危ないのがここのトイレ。前にトイレ行った時なんか、トイレでセックスしてるやつらいたんだからね。もうね、よそのクラブじゃありえないぜ」

亜美の言葉に、たまきは驚いたように目を見開いて尋ねた。

「それって、どっちのトイレですか?」

「女子トイレに決まってるだろ! 何でウチが男子トイレ入んだよ!」

「でも、セックスってことは、男性が女子トイレにいたってことに……」

「いいんだよ、細かいことは」

そんな話をしながら、二人はトイレの方へ歩いて行った。

「それに、あんたまた自殺するかもしれないし」

亜美はたまきの目を見ずに言った。

「……今日はカッター持ってないので大丈夫です……」

カッターナイフはたまきのお守りだ。これさえあればいつでもこの世からエスケイプできる。基本肌身離さず持ち歩いているのだが、刃物の持ち込みがNGな場所へ行く時は当然持っていかないし、今日のように、急な外出の時も持っていない。

「わかんないよ。蛇口の水がぶ飲みして死ぬかも」

「……そんなテンションの高い死にかたしません……」

「そもそもね、あんたがトイレに行くって、ウチの中ではトラウマなんだからね。ウチが関わった2回とも、トイレで切ってるんだもん。もう、トイレ行くたびに、もしかしたらあんたが倒れてるんじゃないかって……」

そういいながら、亜美はたまきに先立ちトイレのドアを開けた。

 

ドアが奥に開かれるとともに、何かが二人の足元に倒れこんできた。

亜美は最初、それが骸骨だと思った。

だが、よく見ると違った。形状は骨に近かったが、薄い皮膚を纏い、欠陥が浮き出ている。人の腕のようだ。腕の付け根には当然体があり、それは布に覆われている。おそらく、服であろう。その服の上には、茶色く長い毛髪がかぶさっている。

毛髪は頭から伸びている。頭は顔を下にしており、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返していた。

それは、一人の少女だった。

 

続く


次回 第3話「病院のち料理」

倒れていた少女を元医師の舞とともに病院へ連れて行った亜美とたまき。少女は意外な病気に侵されていた。そして、二人の生活に大きな変化が訪れる。

「順調だけど、順調だから、明日が怖い。 」

第3話 病院のち料理


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小説:あしたてんきになぁれ 第1話 命日のち明日

明日なんかどうでもいい。明日が来るのが怖い。明日なんかいらない。そんな3人の少女が、大都会の片隅でそれでも生きていく、そんな小説です。人と出会い、人と話し、共に暮らす。彼女たちにとって、それは都会の片隅の大冒険のはず。なので、「クソ青春冒険小説」と名付けました。伝説の秘宝も、モンスターも、宇宙船も出てこないけど、これは冒険小説なのです。「あしたてんきになぁれ」、略して「あしなれ」!


器用に生きられないすべての人へ。

 

008
写真はイメージです

町が歪んで見える。

アスファルト。ビル。空。雨。みんな灰色だ。

灰色の上を、色とりどりの服を着た人が、傘をさして笑顔を浮かべながら歩いている。

少女は、スクランブル交差点を、傘も差さずに歩いていた。

小柄で、地味な服装に地味なメガネ。右手首には包帯。肩にかかる程度のセミロングで、前髪を垂らしている。まるで、自分の顔を見られたくないかのように。

大通りを渡り、歓楽街に入った。鬱陶しいぐらいにネオンがまぶしい。少女は目的もなく歩き続ける。

彼女は今、死に場所を求めている。

やがて、少女の足は、一つのビルの前で止まった。少女は灰色のビルを見上げる。

一階はコンビニ。二階が飲食店。その上に雀荘があり、さらにその上にビデオ屋がある。その上にはキャバクラかなんかだろうか、「城」と書かれた看板がある。

人間の抱く、たいていの欲望がこのビルで叶いそうだ。ならば、私の欲望もかなうかな、少女はそう考えた。

少女の欲望。速やかにこの世からエスケープすること。

少女はビルの階段を上り始めた。四階のビデオ店のドアには、AV女優たちの写真が並ぶ。

この人たちは、体を売って、性を売り物にして、幸せなのかな。いや、作り笑いでもなんでも、笑顔ができる分、きっと、私より幸せなんだろう。

少女はそう考えながら、さらに階段を昇り、鈍色の空へと近づいた。なんだか、天国への階段を上っている気分だ。あのどんよりとした雲の向こうに、まぶしいほど開けた世界があるのだろう。

五階。だいぶ地上から離れた。ここから飛び降りてもいいんだけど、どうせならより高いところから飛びたい。その方が確実だろう。

五階の「城」というのは、「キャッスル」と読むらしい。看板にルビが振ってあった。キャバレーかなんかのようだが、午後三時にもかかわらず、すでに明かりがともっている。開店準備をしているのかもしれない。

そのさらに上へ行くと、屋上へ通ずる扉があった。さながら、天国の門だ。

扉に手をかけると、ドアノブが回り、開いた。少女は、屋上へと足を踏み入れた。

屋上には、空調関係と思われる機械が置かれていたが、それを差し引いても結構なスペースがあった。ポールが二本立てられ、誰が使うのか、物干し竿がかかっている。その物干し竿には、取り込み忘れの洗濯物がかかっていて、びしょ濡れになっている。色とりどりの洋服に、下着類。いずれもレディースだ。

色とりどりの洗濯物を少女は見つめていた。死を前にしてか彼女の視界はかなり歪んでいて、ぐにゃぐにゃである。色とりどりの洗濯物が、彼女には三途の川のお花畑に見えた。

少女は屋上の道路側のへりまで来た。柵はあるが大した高さではなく、難なく乗り越えられた。少女は屋上のへりに手をかけて、下を覗き込んだ。相変わらず視界は歪んだままで、灰色のなんだかわからないものが広がっている。これなら飛び降りても恐怖を感じずに済みそうだ。

さようなら、私。今日が私の命日。

ぼんやりと下を覗き込んでいると、後ろから声が聞こえた。

「何してんの?」

女の声だった。少女は振り向いた。そこに人らしきものがいるのはわかるが、視界が歪みきってて、顔はよくわからない。かろうじて、金髪らしいというのがわかる。

「いや、ちょっと……」

少女は下を向いた。金髪の女と目を合わせられない。合わせたくない。

「ちょっと、びしょびしょじゃん」

金髪の女が少女に近づいた。

「ほっといてください」

少女は、金髪の女に聞こえるか、聞こえないかぐらいの大きさで行った。

少女は金髪の女に背を向けると、屋上のへりに立った。

「さよなら」

少女は重心を前に、重力に身を預けた。

雨粒と同化する。

その瞬間、少女の腕を、金髪の女がつかんだ。

「ちょっとアンタ、何考えてるの!」

金髪の女は少女の腕を思いっきり引っ張った。

「ここで死なれたらウチ、困るんだけど」

屋上の外に出かかっていた少女の体は、内側へと大きく傾き、屋上に尻もちをついた。

少女は半ば呆然と、雨雲を見つめていた。

 

少女にとって、自殺するにはかなりのエネルギーが必要で、未遂に終わってもそのエネルギーは発散され、また自殺をするには、ある程度の充電期間を要する。

見知らぬ女に手を引っ張られ、少女の飛び降り自殺は未遂に終わった。そこでエネルギーを使い切ったらしく、女の手を振りほどいて自殺するほどの力はなく、雨に濡れた屋上にぺたんと腰を下ろしたまんま、雨雲を、雨粒を見つめて動かなくなった。

また失敗しちゃった。

そのまま、金髪の女性に手を引かれ、下の階の「城(キャッスル)」に連れ込まれた。そこでぬれた服を全部脱がされ、バスタオルが投げ渡された。金髪の女性はどこかに行ってしまい、少女は一人残され、今に至る。

バスタオルで拭こうとメガネをはずすと歪んでた視界がぼやけ、拭いたメガネを再びかけると、視界が正常に戻った。どうやら、視界が歪んでたのは、メガネについた雨粒のせいらしい。

小さな体をバスタオルでくるむと、少女はあたりを見渡した。

やはり「城(キャッスル)」は何かの店のようだ。マンションの一室ぐらいの広さの部屋で、壁に沿うようにして青いソファーが並んでいる。部屋の中央には二つのテーブル。窓はない。部屋の奥にはバーカウンターに似たキッチンがある。いわゆるキャバクラやスナックの類なのだろう。

ただ、その割には散らかっている。いや、もっとおかしいのは、ソファの上にいくつか転がっているぬいぐるみだろう。

少女は今、裸の上にバスタオルでくるんだだけの、決して人前、特に男性の前には出られない格好でソファーに腰かけているのだが、部屋は暖かく、あまり寒くない。

カウンターの左側にあったドアが開いて、金髪の女性が帰ってきた。レインコートを着ていた。

「ひゃーっ。曇りって言ったから洗濯物干してたのに、だまされた!」

金髪の女性はぐしょぐしょに濡れた洗濯物を抱えていた。それを持って少女の方へ向かった。

少女のすぐ背後にドアがあった。金髪の女性はそこを開けて中へ消える。

しばらくして、女性は服を抱えて戻ってきた。

「ちょっと大きいかもしれないけど、これ着な」

金髪の女性は少女に服を投げ渡した。少女は困惑した。渡された服が、少女が着たことのない、派手、かつ、露出が高いものだったからだ。

金髪の女性は、少女が外したブラジャーを眺めていた。

「このサイズは……、持ってないな。買ってこなきゃ」

少女は女性を眺めた。確かに、向こうの方が少女よりずっとスタイルがいい。あの女性の持ってる下着は、少女の体には合わないだろう。

「あたしは亜美。アンタ、名前は?」

金髪の女性こと、亜美はそういうと、少女に笑いかけた。高校三年生ぐらいだろうか。胸元の谷間を強調するかのようなタンクトップ、太ももを見せつけるかのような短パン、異性を誘惑するためのファッション、といった感じである。長い金髪を、後ろで縛っている。今どきのギャルって感じだ。右側の二の腕には、青い蝶の入れ墨がしてある。

「名前は?」

亜美は再び訪ねた。少女は下を向いたまま答えた。

「……たまき……」

「玉置かぁ。玉置なに?」

「え?」

「下の名前だよ」

亜美は少女の向かいのソファーに座り、足を投げ出して、煙草に火をつけながら尋ねた。

「いや、『たまき』が名前なんですけど……」

少女こと、たまきが申し訳なさそうに答えた。

「ああ、たまきって名前なんだ。名字は?」

たまきは下を向いた。

「名字は?」

亜美の繰り返しの問いかけに、たまきは下を向いたままだ。

「まあ、言いたくないんなら、言わなくていいよ。ウチもしばらく名字なんか名乗ってないし」

亜美はテーブルの上の灰皿に吸いかけの煙草を置くと、ごろんと横になった。

「あの」

たまきが謝るかのように尋ねた。

「何? 早く服着ちゃいなよ。ああ、ブラは後で買ってくるから、しばらくノーブラで我慢して。まあ、ウチとあんたしかいないから、平気平気」

たまきはまだ、バスタオルにくるまったままだ。

「ここってなんなんですか? お店?」

「ここ? ここはね、ウチの城」

亜美は立ち上がると、嬉しそうに語り始めた。

「もともとはキャッスルっていうキャバクラだったらしいんだけど、一年くらい前に潰れちゃって、オーナーは椅子とかテーブルとか全部置いたまんま店閉めちゃったのね。そこをウチが今借りてるの」

「借りてるって、家賃、どうしてるんですか」

驚いた目で見つめるたまきを、亜美は笑った。

「こんな店、借りられるわけないでしょ。貸す側だって、店として使ってほしいと思うから、ウチみたいに住みたいってやつに貸すとは思えないね」

「えっ……じゃあ……」

「まあ、いわゆる不法占拠ってやつだね」

亜美は、初対面のたまきに悪びれるでもなく言った。

「このビルのオーナーは関西に住んでいて、関西にもいっぱいビルを持ってるらしいの。そっちで手一杯で、東京なんてめったに来ないの。だからばれないばれない。それに、オーナーが来るときは、ビデオ屋の店長が教えてくれることになってるし。その間だけよそに泊まってればいいの」

そういうと亜美はたまきの座っているソファの前のソファに腰を下ろした。右手の指には、さっき置いた煙草が挟まれている。

「だからさ、ここで飛び降り自殺とかされてさ、オーナーがすっ飛んでくるってことになったら、ウチは困るの。わかる?」

たまきは静かにうなずいた。

「……ごめんなさい」

「まあ、そんなことより……」

亜美は立ち上がると、今度はたまきの隣に座った。

「あんたいくつ?」

「……十五ですけど……」

「中学生?」

「……卒業しました、一応……」

「じゃあ、三つ下か……」

亜美は煙草をくわえ、煙をふうっと吐き出すと、たまきの方を向いた。

「ねぇねぇ、何で死のうとしたの?」

「えっ……」

たまきは戸惑った。自分の内面に迫ろうとする、一番困る、一番答えたくない質問である。

「まだ若いんだからさ、いくらでも楽しいことなんてあるじゃん。友達作ったり、彼氏作ったり」

「はあ」

どちらもたまきには縁遠い話だ。

「ねぇねぇ、何で死のうとしたの?」

「……なんでそんなこと聞くんですか。関係ないじゃないですか」

たまきが迷惑そうに答えた。

「だってさっぱりわかんないんだもん。死にたいって気持ち」

「わかんないほうがいいですよ」

興味本位で聞かれるのも、親切心とやらで聞かれるのもたまきは嫌だ。

というより、誰にも言いたくない。

そもそも、できるだけ、誰とも会話したくない。

「わかんないなぁ。死にたいって気持ち。だって、毎日楽しいじゃん」

亜美はたまきから目を放し、カウンターを眺めている。

「そりゃ楽しいでしょうね。友達たくさんいて、彼氏もいれば」

「いや、ウチだって、彼氏って呼べるオトコはいないし、友達もそんなに多くないよ。それでも毎日楽しいよ。今日も楽しいし、昨日も楽しかったし、明日もきっと楽しいし」

「明日……」

たまきは伏し目がちにボソッと言った。

「明日なんていらない」

「え?」

その言葉に亜美は、驚いたようにたまきの顔を見た。

しばらく沈黙が流れた。

 

一度外に出た亜美が、どこで手に入れたのかたまきにあう下着を買って帰ってきた。

「もう五時か」

六月とは言え、外はだいぶ薄暗くなっている。雨が降っていればなおさらだ。

「もう、帰ったほうがいいよ。おうち、どこ?」

亜美は立ち上がり、煙草を灰皿に押し付けて、消した。

たまきは下を向いて答えない。

「言いたくない、か」

そういうと、亜美は窓の外を見た。

「まあ、この雨の中に放り出すのもあれだな」

そういうと、亜美はたまきの方を向いた。

「今日、泊まってくかぁ」

「え?」

たまきは亜美を見上げた。

「いいんですか?」

「今日だけね。修学旅行みたいでいいじゃん」

そう言って、亜美は笑った。

 

午後八時。外はもう真っ暗だ。

亜美は下のコンビニに食事を買いに行き、たまきは一人、店に残された。亜美が用意したワンピースを着ている。全く袖がないのを着るのは初めてだ。若干、サイズが大きい。

たまきは、「城(キャッスル)」の中を再び見回した。入り口には足ふきマットと靴、そしてスリッパが置かれている。店の中には小さなテレビがある。それだけではない。携帯の充電器、女性ものの雑誌、毛布などなど、生活に困ることはなさそうだ。

どこに、これだけのものを買いそろえるお金があるのか。

「ただいまぁ」

亜美が帰ってきた。コンビニの袋をぶら下げている。

「はい、おにぎり。ホントに2個だけでいいの?」

たまきは力なく頷いた。たまきの前におにぎりが2個置かれる。

亜美は、カウンターのテーブルにカップラーメンを置くと、カウンターの中に入り、やかんでお湯を沸かし始めた。

 

午後八時半。亜美はソファの上に転がってテレビを見ていた。たまきも、首はテレビに向けている。亜美はゲラゲラ笑っているが、たまきはちっとも面白くない。

インターホーンが鳴った。

「誰?」

亜美は入口の方へ歩いていくと、大声を出した。

「だーれ?」

「俺だよ」

男の声だった。

亜美は扉を開けた。

ドアの外には、男が二人立っていた。派手な服装に、派手な髪型。品行方正でないことは見ればわかる。

「今日だったっけ」

亜美は二人を見ていぶかしんだ。

「今日だぞ」

男のうちの一人が言った。派手なシャツに金髪にサングラス。あまり関わり合いになりたくないなとたまきは思った。

亜美は店の奥に行くと、カバンの中をあさり始めた。

男の一人がたまきと目があった。

「誰?」

目があったほうの男がたまきを見ながら言った。ヒップホップな格好に強面、ひげにピアス。こちらも関わり合いにはなりたくない。

「今日の昼間にね、屋上で自殺しようとしてたの。雨の中ほっぽり出すわけにもいかないから、泊めてるの」

「自殺?」

男たち二人はたまきの方に近寄ってきた。たまきは、男たちから逃げるかのように後ずさった。いつもなら絶対に着ない、露出の高い服を着させられているので、余計に恥ずかしい。

「かわいいな。怯えてるよ」

ヒップホップの方の男が笑った。

「ああ、今日だったね」

亜美は、カバンの中から引っ張り出したピンクの手帳を見ながら言った。

「ほらほら、いじめない」

亜美は男二人の間に割って入ると、たまきに言った。

「悪い、たまき。今夜、ここで仕事するから、奥の部屋で寝てくれない?」

「……いいですけど……」

こんな夜中に、何の仕事だろう。

 

真夜中、たまきは目を覚ました。

この部屋は、もともとはキャバクラのキャバ嬢たちの控室だったらしい。接客スペースの三分の一ぐらいの広さだろうか。中には白いソファーが並び、テーブルが一個ある。今は、亜美の衣裳部屋と化しているようだ。クローゼットの中にある服の量、派手さ、共ににすごい。どこに、こんなに服を買うお金があるのだろうか。

たまきは喉が渇いた。無駄に生きるつもりがないのに、生きるための欲求がわき、それを満たそうとする自分がいる矛盾。

カウンターに冷蔵庫があったはず。水かなんかをもらおう。

ドアノブに手をかけて、たまきはふと思った。

亜美が仕事をしているんじゃないだろうか。

もう、客は帰ったかもしれない。しかし、たまきは時計を持っていないので、今の時間がわからない。

たまきは、ドアを少しだけ開けて、中を覗いた。もし、仕事中なら我慢すればいい。場合によっては、断りを入れれば、冷蔵庫ぐらい、使わせてくれるかもしれない。

たまきは、ドアを少し開けて、その向こうを見た。

うすぼんやりした部屋の中で最初に見えたのは影だった。次第に、その影の色がわかる。

3つの影は揺れていた。

そういう経験のないたまきでも、そこで何が行われているかは分かった。

たまきはあわててドアを閉めると、自分が寝ていたソファのところまで歩いた。

汗が額を滑る。

「仕事」ってそういうことか。

考えてみれば、いくらでも推測できた。亜美はたまきを「三個下」と言っていた。亜美は十八歳だろう。

二十歳にもいかない女性が、テレビや大量の服を買えるほど稼げる仕事。

夜に訪ねてきた、ガラの悪い男たち。

これらを考えれば、答えはおのずと決まる。

たまきはソファの上に横になった

自分の鼓動と、吐息がやけに耳につく。

 

翌朝。たまきがドアを開けると、「城(キャッスル)」の入り口に、亜美と昨日の男二人がいた。

「ねぇねぇ、次はいつ来るの?」

亜美が甘えるように上目づかいで訪ねた。

「来週の水曜日なんてどうだ?」

「わかった」

そういうと亜美は、金髪の方の男と軽くキスをした。

「じゃあね」

扉が閉まった。亜美の手には、一万円札が複数握られている。

そこでようやく亜美は、たまきが起きてきたことに気付いた。

「あ、おはよう。朝ごはん、買ってくるね」

 

亜美は下のコンビニで菓子パンを二つ買ってきた。

「あの……、お仕事って儲かるんですか?」

たまきが菓子パンを頬張りながら尋ねた。

「ん?」

「……売春ですよね」

たまきは恐る恐る尋ねた。

「なんだ、見たのか」

たまきは無言でうなずいた。

「売春じゃないよ。援助交際」

「一緒です」

亜美は菓子パンの残りを口の中に放り込んだ。

「儲かるか、か……。儲かるどころじゃないよ。お金もらって、気持ちいいことできるんだから」

「でも……、その……、妊娠の危険性とか……」

それを聞いて、亜美はハハハと笑った。

「そんな起こるかどうかもわかんないこと考えたってしょうがないじゃん」

そういうと亜美はたまきの方を向いた。

「今が楽しけりゃ、それでいいじゃん。明日のことなんて、どうでもいいじゃん。何が起こるかわからないんだから、もっと楽しまないと」

亜美は笑いながら立ち上がると、煙草に火をつけた。

 

たまきは「城(キャッスル)」を出た。傘も服も、亜美にもらったものだ。

階段を下りると、ビデオ店の、AV女優のポスターが見える。

「今が楽しけりゃ、それでいいじゃん」

案外、この人たちもそうなのかな。だとしたら、私よりも前向きだ、とたまきは思った。

外はまだ灰色の雨が降っている。階段を下りたたまきは、亜美にもらったビニール傘を指して、駅の方に向かった。

帰ろう、帰りたくもないあの家へ。

 

010
写真はイメージです

「城(キャッスル)」のあったビルを出てしばらく歩くと、大通りにぶつかる。危険な歓楽街と、人気の高い駅前との境目である。たまきにはこの大通りが三途の川に見えた。

渡りたくない。

帰りたくない。

視界が歪む。傘をさしているから、雨粒のせいではない。

吐きそうになって、たまきはその場にうずくまった。

信号が青に変わる。

人々が横断歩道を渡り始めた。うずくまっているたまきからは、人々が地面を踏むたびに舞い上がる雨粒が良く見える。

うずくまっている間に、信号は赤に変わった。

たまきはよろめきながら立ち上がると、大通りに背を向け、再び歓楽街の中へと消えた。

 

亜美は部屋で一人煙草を吸っていた。

雨粒が窓にあたり、ザラザラ音を立てる。

たまきか。ウチと真逆の子だったな。

死にたい、か。

思ったことないや。

たまきは言っていた。明日なんていらない。

先のことなんか考えるから、死にたくなるのだ。人生何が起こるかわからない。計画通りには進まない。どうせ人生、行き当たりばったり。明日のことなんて考えるだけ面倒だ。

亜美はふと思った。

たまきは「仕事」に興味を持っていたのではないか。

儲かるのか、って聞いていた。

亜美はソファに寝転びながら考えを巡らす。

たまきを「仕事」に誘ってはどうだろうか。

何から何まで、亜美とは反対の子である。

地味で、人と目を合わせようとしない。

世の中には、そういう子の方が好みの男性もいるだろう。

たまきを「仕事」に誘うことで、客層が広がる。

帰したのは失敗だったな。

そう考えると亜美は、傘を手に取り、たまきを探しに外へ出た。

 

013
写真はイメージです

たまきは昨日と同じように、歓楽街を徘徊していた。

傘は、気が付いたら、なかった。ふらふらと当てもなくさまよい続ける。

公園がたまきの目に入った。

公園の中には、きれいなトイレがあった。

トイレ。たまきが初めて、自殺未遂をした場所は、自宅のトイレだった。

たまきはふらふらと、トイレの中に入っていった。外見はきれいなトイレだが、雨空もあり、中は薄暗い。

トイレの洗面台の前に立つ。

目が死んでいる、自分でもわかる。

たまきは目を閉じた。

 

昔から、人と話すのが苦手だった。人に見られたくない。学校では常にその思いが付きまとった。

ゆえに友達ができない。学校生活はちっとも楽しくなかった。

中学二年の六月、たまきはついに不登校になった。

その日、朝起きると雨が降っていた。

もういいや。今日は休もう。

その日以来、たまきは学校に行かなくなった。

家の中に閉じこもるのは楽だった。誰とも話さなくて済む。部屋の中の小さな宇宙が、たまきのすべてだった。

しかし、家族がそれを許さない。みっともないから学校へ行けという。

久しぶりに学校へ行っても、そこはもう、たまきのなじめる場所ではなかった。いや、もともと学校はたまきのなじめる場所ではなかった。

そしてまたひきこもりに戻る。何日かひきこもった後、家族にどやされて学校へ行き、吐きそうになりながら帰ってくる。そんな日が続いた。

夏休みを挟んで、完全に学校へは行けなくなった。

夕方、自宅の部屋の窓から外を眺めると、夕焼けに映されて下校途中の生徒たちが見える。

みんな、楽しそう。

どうして自分だけ、うまく生きられないんだろう。

母親が部屋の中に入ってきた。鍵は以前、たまきが学校へ行っている間にはずされてしまったので、締め切ることができなくなった。

そのことがたまきの心を圧迫していた。

母は、窓の外の中学生たちを見た。

次にたまきを見た。恥ずかしいものを見るかのように。

「ただいまぁ」

二歳上の姉が帰ってきた。

「お帰りなさい」

母は嬉しそうな声を出すと、姉を出迎えに下の階へ降りて行った。

たまきはベッドの上に横になった。

めまいがする。ぐるぐる回る。

お姉ちゃんばっかり。もういい。私なんか、いらないんだ。

死のう。

たまきは机の上のカッターナイフを取ると、唯一、完全に閉め切れるところ、トイレに向かった。

トイレのドアを閉め、鍵をかける。

カチカチカチとカッターの刃を出すと、手首でそっと触れた。

ギュッと目をつぶり、刃を手首に押し当てる。

思ったより痛くはなかった。赤い線が流れる。

たまきは、流れるに任せた。

数十分後、いつまでもたまきがトイレにこもるので、不審に思った母親が誰に頼みどうやったかは知らないが、ドアをこじ開け、血に濡れるたまきを発見した。

 

003
写真はイメージです

失敗したな、と亜美は思った。雨が降ってるのだから、何か羽織ってくればよかった。薄着ではさすがに寒い。

大通りを渡り、駅まで歩いたが、たまきには会えなかった。もう、電車に乗ってしまったのかもしれない。そう思って歓楽街に帰ってきた後、亜美はぶらぶらと散歩をしていた。

亜美は、このネオン煌めく欲望にまみれた町が大好きだ。食欲、性欲、人々はこの町では欲望を隠さない。普段は性欲などないかのようにふるまうオトナたちが、この町では獣に変わる。

歓楽街の奥地まで歩いた。色とりどりの、それこそ城のようなラブホテル街を抜けると公園が亜美の目に入った。

公園にはきれいなトイレがあった。

なつかしいな、と亜美は思った。この町に来た時、最初の何週間かは、このトイレで寝泊まりしていた。このトイレで、援助交際をしていた。人気のないトイレは身を隠すと同時に、イケナイことを行うには絶好の場所だった。

 

亜美が勉強をつまらないと感じるようになったのは、中学生のころだった。

こんなこと、何の役に立つんだろう。

そんな亜美にオトナたちは言った。いつか役に立つ時が来る。

いつかっていつ?

亜美は勉強をほとんどしなくなり、仲間や彼氏との遊びに熱中した。

それでも、高校には何とか入れたが、どんどん生活が乱れていった。

彼氏などというものは作らず、不特定多数のオトコと快楽を貪った。家に帰らず、学校をさぼり、朝から晩まで、そして、夜中までゲームセンター、クラブ、ラブホテルに入り浸った。

なまじスタイルが良く、男の性欲を刺激しやすい容姿だったため、遊びの金を男の方が出してくれることが多かった。

やがて、体を売ってお金を得るという発想に行きついたのは、自然のことだった。

この町に流れ着いたのは1年ほど前だ。

最初はこのトイレで寝泊まりした。

やがて、公園の近くにたむろする若いオトコたちや、性欲に飢えたホームレスを相手に、援助交際をするようになった。

「城(キャッスル)」に住むようになったのは、半年近く前のことだ。

その日は大雨だった。亜美は、「城(キャッスル)」のある太田ビルの一階のコンビニで雨宿りをしていた。

雨具が欲しかったのだが、突然の大雨であいにく売り切れだ。仕方なく、ファッション誌などを呼んで時間をつぶしていたが、雨は一向にやみそうになく、立ち読みももう限界だ。

日暮れが近くなっている。亜美は宿を探すことにした。

普段はマンガ喫茶に泊まるのだが、傘なしでそこまで行くのはキツイ。どこか適当な男をひっかけて、ラブホテルに誘い込むというのもあるが(もちろん金は向こう持ち)、この大雨で、外は誰も歩いていない。

このビルの中に何かないだろうか。屋上の物置とかでもいい。

そう考え、亜美はビルの階段を上り始めた。

二階のラーメン屋、三階の雀荘、四階のビデオ店、いずれも泊まるのは無理そうだ。

亜美は五階まで登った。白い看板に「城(キャッスル)」と書かれてあった。看板の右下は割れて、中の蛍光灯がむき出しになっている。

直そうよ、そう考えた時、亜美は思った。

看板を直さないってことは、もしかしたら空き店舗ではないのか。

亜美は、店のドアノブをゆっくりと回した。

鍵はかかっていなかった。薄暗い店内は店としての設備を備えていたが、その散らかり具合から、空き店舗であることは明らかだった。

鍵が開いていたことや、設備がそのまま残されていることを考えると、夜逃げ同然で閉店したに違いない。

とりあえず、今夜はここに泊まろう。亜美はそう考えると、ソファの上に横になった。

しかし、これだけのいすやテーブルが残されているのに、使っていないのはもったいない。

亜美は天井に目をやった。何か機械らしいものが見える。

もしかしてエアコンだろうか。

雨で体がぬれて冷えてるし、時期も冬だし、暖房が欲しいところだ。

あちこち探した結果、空調や照明を調整する操作盤が見つかった。亜美は照明をつけ、暖房を入れる。数分もすれば、部屋は快適になった。

ソファーの上に亜美は寝転ぶ。

「天国じゃぁ~」

寝ころびながら亜美は思う。

ここ、住めるんじゃないか。

女のノラ暮らしは危険が大きい。だが、ここなら鍵がかけられる。

何より、亜美は援助交際で稼いだ金を持て余していた。儲かるのだが、それを預ける場所を亜美は持たない。今、かなりの金額を持ち歩いているのだが(といっても、アパートの部屋を借りれるほどではない)、「鍵のかかった部屋」にお金を置いておけるメリットは大きい。そして、お金をかければ、今よりも住みやすくなるだろう。

決めた、ここをウチの「城」にしよう。

 

時は戻って今、亜美は、なつかしさからトイレの中に入っていった。雨音が背後に響く。

洗面台の前に、一人の少女が倒れていた。少女の手首からは、一筋の赤黒い線が流れていた。

黒く、頭を覆う髪の毛。そばに落ちている、黒いメガネ。何より、彼女の着ている、彼女の体に似合わないサイズの大きな服は、亜美がたまきにあげたものだった。

「たまき……」

亜美は駆け寄り、少女を抱き起した。

眠っているような少女の顔に、亜美は落ちていたメガネを重ねた。

たまきだった。

「たまき!」

亜美の声が、トイレにこだました。

 

たまきは目を開けた。

視界はかなりぼやけている。なんだか白っぽい。

この感覚は覚えがある。

たまきは、左手を横に伸ばした。

台らしきものに触れた。

たまきは、そのあたりを探った。

だいたい、いつもこの辺にある。

たまきの左手が何かに触れる。たまきはそれを目の前にもってくると、両手で触れた。

私のメガネだ。間違いない。

たまきはメガネをかけた。ぼやけた視界が近寄るように鮮明になる。

どこかの部屋らしかった。雑誌の入った本棚や、CDラックが立てかけてある。

たまきは足元を見る。ふとんがある。ふとんが体の上にかけられている。

たまきはベッドの上に寝かされていたのだと自覚した。

深く、ため息をついた。

また失敗しちゃった。

初めて手首を切ったときも、目覚めたらこんな感じだった。だから、うすうす気づいていた。まだ死ねてないということに。

あの時は、周りを家族、すなわち、母と父と姉にかこまれていた。投げかけられる罵声。

恥ずかしい。みっともない。迷惑だ。

だれも本気で心配してない。

だれも本気で叱ってくれない。

その日から、たまきは自宅と病院の往復生活となった。自宅で手首を切っては病院に担ぎ込まれ、しばらく入院し、退院してもしばらくするとまた手首を切る。学校にはほとんど行かなかったが、ギリギリの出席で卒業できた。

何度目かのリストカットの後、たまきは気づいた。

家で自殺するから、失敗するのだ。家族は、あの人たちは、私なんかいてもいなくてもいい、と思っているのに、自殺をすると病院に連れて行く。そして、お説教。その中で一度たりとも、命を粗末にしたことへの叱責はない。救急車が来て恥ずかしいとか、そんなのばっかりだ。

私のことなんてどうでもいいのなら、死なせてくれたらいいのに、本当に死んでしまうとそれこそ世間体が悪いみたいで死なせてくれない。

だからたまきは家を出た。親には出かけてくるとだけ言って。

それが昨日、亜美に出会う少し前の話だ。

 

たまきは部屋の中を見渡した。病室ではなさそうだ。

たまきは部屋のドアを開けて外に出た。

ドアの向こうには机があり、机の上にはパソコン、コーヒー、そして大量の本。

机の前の椅子には白衣の女性が座っている。部屋の奥の窓側の小さなソファには、金髪の少女が座っていた。

「たまき!」

亜美だった。たまきを見た亜美はたまきに近づくと、肩をバンバンたたいた。

「いやー、トイレで倒れてるのを見つけた時は、ほんとびっくりしたよー」

「……亜美さんが見つけたんですか……?」

「感謝しなよ」

「……別に助けなくてよかったのに……」

たまきはぼそっと言った。

「……あの……亜美さん……ここは?」

たまきはあたりを見渡した。テレビにソファ、食器棚。病院でないのは明らかだ。

「あたしんち」

たまきの後ろで声がした。振り返ると、白衣の女性が立っていた。三十歳前半ぐらいだろうか。黒髪のストレート、「姉貴」という言葉が似合いそうな女性だ。モデルのように背が高い。

「家?」

「そ、あたしんち」

そういうと、白衣の女性は椅子に腰を下ろした。

「あの……お医者さんじゃ」

「医者だよ、一応」

そういうと、女性はたまきに名刺を渡した。

 

医療ライター 京野(きょうの)舞(まい)

 

「ライター……? あの……、お医者さんじゃ……?」

不思議そうな目で尋ねるたまきに、舞が答えた。

「もともと医者やっててさ、いろいろあって辞めて今は医療系の記事を専門に書いてるライター」

「へぇ」

「まあ、初めの方は医療系だけじゃ食っていけなくて、いろんな記事書いてたね。ヤクザの記事とか。この町に住んでるのも、そういうのを書いてた時、この町に住んでた方が情報が入りやすかったから。そしたら、そこで知り合ったヤクザが治療をアタシに頼むようになって、気が付いたら副業でわけあり専門の医者やってるってわけ」

「先生、口堅いから」

亜美が口をはさんだ。

「面倒に巻き込まれたくないだけだ」

そういうと、舞はたまきの方に歩みよった。

「出血もたいしたことなかったから、命に別状はないんだけど、とりあえず今夜はここ泊まってきな」

舞はそういうと、壁にあるフックに鍵をかけた。

「あたし、これから出かけるから。合鍵、ここにかけとくから、使ったらここに戻しとくよーに」

「はーい」

亜美の返事を聞くと、舞は部屋を出て行った。

たまきは、亜美の隣に腰掛けた。ソファが少しへこむ。

「あの……治療代ってどうすれば……」

たまきが亜美に訪ねた。

「大丈夫。うちが払っとくから」

「そんな……悪いです……」

「いいのいいの。ウチはあんたに用があるんだから。」

「そういえば……」

たまきは顔を上げた。

「なんで助けてくれたんですか?」

「そりゃあんた、トイレで血ィ流して倒れてたら、普通だったら救急車呼ぶよ。でも、普通の病院だったら、あんたのこと家族に連絡するかもしれないでしょ。あんた、なんか家に帰りたくなさそうだったから、家族呼ばれるのまずいと思って。先生なら口堅いから」

「……どういうご関係なんですか」

「前に、援交でオトコともめたことがあって、ぶん殴られて、アザできて、その時ヒロキ、あ、昨日の金髪のやつね、あいつが教えてくれたの。ヒロキは彼の先輩から教えてもらったって。口堅いから、やんちゃな奴から信頼されてるの」

「……で、なんで助けてくれたんですか?」

「だから、トイレで血ィ流してたら……」

「そうじゃなくて、何であのトイレにいたんですか?」

たまきはうつむき加減で言った。

「あぁ、何であの場にいて助けられたのかって? たまたまだよ。あのトイレには思い入れがあってね。散歩したら目に入って、フラッとよったらあんたが倒れてて」

「雨の日に散歩ですか?」

「いや、あんたを探しに行ったついでだよ」

「……私を? そういえば、私に用があるって言ってましたけど」

たまきは亜美の目を見た。

「そうそう。ねぇねぇ、ウチと組む気ない?」

「はい?」

たまきは亜美の顔を覗き込んだ。

「あんたと組めばさらに儲かると思うんだよねぇ」

「あの……儲かるって……まさか……いっしょに売春をしようってことじゃ……」

「うん」

亜美の返事に、たまきは座ったまま後ずさった。

「たまきってさ、ウチの真逆のタイプじゃん。あんたと組めばうちも客層広げられるかもしれないんだよ」

「あ、あの、お断りさせていただきます……」

「なんで?」

「いや、そういうの、経験ないですし……」

たまきの顔は真っ赤だ。

「何事も経験だよ?」

「いや、結構です」

たまきはぶんぶんと手を振った。

「じゃあさ、やんなくていいから、組もっ」

「や、やんなくていいからって、どういうことですか?」

たまきは怯えるように尋ねた。

「別に、いるだけでいいから」

「なんで私にそんなに固執するんですか?」

「……なんでだろ?」

亜美は上を向いた。

「あんたがウチに似てるからじゃない?」

「……似てる? さっき、真逆だって言ったじゃないですか」

「でも、『家に帰りたくない』っていうのが似てるなぁと。だからほっとけないのかもしれない」

亜美はたまきに詰め寄った。

「どうせどこにも行くとこないんでしょ。自殺するんなら家にも帰せないじゃない。ウチに泊まればいいじゃない。あそこ、一人暮らしには広すぎるんだよ」

「……どうしてこうずかずかと私の中に入ってくるんですか」

たまきは顔をそらした。

「面白いんだよ。だって、死にたいだなんて全然理解できないんだもん」

「面白がらないでください」

「目の前の今を楽しまなきゃ」

「全然楽しくないです」

亜美はくすくすと笑った。

「面白いなあ、たまき」

「私は面白くないです」

「で、どうするの? 帰るの? うち来るの? それとも、自殺するの?」

「帰りたくはないけど……。」

たまきは手首の包帯を見た。また自殺するほどの力は残ってない。

「じゃあ、しばらくお世話になります」

「そう来なくっちゃ。よろしく」

そういうと亜美は笑った。

たまきは自分でも不思議だった。なぜ、亜美の申し出を受け入れたんだろう。

きっと、亜美のずかずかと入ってくるところがうれしかったんだろうとたまきは思った。初めて、人にちゃんと見てもらった気がした。

窓の外からは、夕焼けが差し込んでいた。

これからしばらく、この人と暮らすのか。

窓から差し込む日の光はまぶしかった。たまきは目を細めた。

昨日、屋上に立った時には、こんな展開になるとは思ってもみなかった。

「何が起こるかわからないんだから、もっと楽しまないと。」今朝の亜美の言葉を反芻する。

確かに、何が起こるかわからない。亜美の言う通りだ。

久しぶりかもしれない。明日がちょっとだけ楽しみなのは。

たまきは静かに目を閉じた。

この人と過ごす明日が、いい天気でありますように。たまきは心の中でそっとつぶやいた。

つづく


次回 あしたてんきになぁれ 第2話「夜のち公園、ときどき音楽」

一緒に暮らすことになった、亜美とたまき。しかし、ずかずか入ってくる亜美と、距離をとりたがるたまきの間の溝は埋まりそうにない。そんな中、さまざまな出会いが二人の明日を変えていく……。

「本当につらい時、涙なんて出ない。あるのは吐き気である。 」

第2話「夜のち公園、ときどき音楽」