小説 あしたてんきになぁれ 第16話「公衆電話、ところによりギター」

10月のある日、たまきは「城」を追い出されるように公園にやってくる。どこに行っても馴染めないと仙人に話すたまき。だが、「城」に帰ってきたたまきの身に、思いもよらない事態が待ち受ける!

「あしなれ」第16話、スタート!


小説 あしたてんきになぁれ 第15話「クラゲときどきハチ公、ところによりネズミ」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


十月二十一日 午後三時半 曇り

写真はイメージです

秋が深まってきて日に日に気温が下がっている、らしい。

しかし、シブヤに買い物に行って以降、たまきはほとんど「城(キャッスル)」に引きこもっていたので、天気の変化を実感できない。銭湯に行くのもおっくうで、最近は厨房で頭を洗い、体を洗ってている。

今日もやけに明るいピンクのソファの上でごろごろ寝転がって過ごす。昨日もそうだった気がするし、おとといもそうだった気がする。

このまま自分はごろごろ転がったまま死んでいくのだろうか。

たまきは右手首の包帯に触れる。指で少し触れるだけでじんわりとした痛みが手首に走る。

同居人はというと志保は本を読んでいた。依存症のナントカと表紙には書かれている。志保の通っている施設の図書室から借りてきたものらしい。

一方、亜美は何とも退屈そうに携帯電話を眺めていた。あんなに小さな携帯電話の向こうっていったいどんな世界が広がっているのだろうか。

今日もこうしてごろごろして日が暮れていくのだろう。明日もそうだし、明後日もきっとそうなんだろう。

そんな明日なんか、いらない。

ふと、亜美と目があった。亜美は一回、志保の方を見て、それからもう一回たまきを見ると、立ち上がった。

「たまき」

ちょっと強めの言い方だ。

「お前、いつまでごろごろしてるんだ!」

なんだか、心の中を読まれたような気がする。

「毎日毎日ごろごろして、不健康だと思わないのか!」

たまきも不健康だと思う。だが、健康とは長生きしたい人間が求めるものであり、たまきは別に自分が不健康でも気にしない。

「どっか行って遊んできなさい!」

『きなさい』という口調はいつもの亜美とはちょっと違い、なんだかおかしかった。たまきは口元を緩める。

「笑う元気があるなら、遊んできなさい!」

どうして遊ぶことを強要されなければいけないのか。

「行くところなんかないです……」

たまきは寝っころがりながらそう答えた。

「ミチのところにでも行ってくればいいだろ。あいつ、いつも公園にいるんじゃねぇの?」

「私、あの人、きらいです」

そういうとたまきは亜美に背を向けた。

「じゃあ、前言ってたホームレスのおっさんいるだろ、お前の絵をほめてくれた人。そのおっさんのところに遊びにけばいいじゃねぇか」

そういえば、もうひと月ぐらい仙人にあっていない気がする。

どうしてるだろうか。公園に戻っているのだろうか。これから冬になっていくというのに、寒くないのだろうか。

たまきはのそりと起き上がると、テーブルの上に置いてある肩掛け式のカバンを手に取り、黒いニット帽をかぶった。カバンからはスケッチブックがはみ出ている。

「お前、前から思ってたんだけどさ、スケッチブック、入りきれてねぇじゃん」

「……これしか持ってないんで」

そういうと、たまきは玄関で靴を履き、ドアノブを押して出て行った。

「……行ってきます」

「死なずに帰ってこいよー!」

「死ぬ気分じゃないです……」

ドアが閉まり、内側にかけられたネームプレートが揺れる。

ドアが閉まったことを確認すると、亜美は志保の方を振り向いた。

「ちょっと乱暴だったんじゃないの?」

志保が本を傍らに置いて言う。

「ああでもしねぇと、あいつは外に出ないって」

亜美は志保の方に近づいた。

「っていうか、ほんとに大丈夫なんだろうな。あいつ、いつも通り元気ないぞ?」

「大丈夫だよ。ちゃんと、メモ取ってるもん。間違いないよ」

志保はそう言うと立ち上がった。

「じゃ、はじめようか」

 

 

十月二十一日 午後三時四十五分 曇り

写真はイメージです

秋が深まって日に日に寒くなっているというのは、どうやら本当だったらしい。

たまきはとぼとぼと公園に向かう。道沿いには何人かのホームレスが段ボールを砦のように重ねて家を作っている。彼らに気を配るものは誰もいない。

歩道橋を渡って公園に入った。いつの間にか木々は黄色に染まっている。

冷たい空気をかき分けてたまきは公園の奥の方へと進んだ。

半月ほど前はここで大きなイベントをやっていたのだが、今は跡形もない。もしかしたら、あの時の屋台もステージも全部、砂でできていたのかもしれない。

鬱蒼と繁る木々の向こうにたまきは目を凝らした。

青い何かが見えた。たまきは、落ち葉を踏みしめて林の中へと入っていく。

そこには、青いビニールシートに包まれた、ベニヤ板のお化けのような小屋だった。夏に見たものよりは一回り小さいが、「庵」で間違いない。

「久しぶりだね、お嬢ちゃん」

聞きなじみのあるハスキーな声がして、たまきは振り向いた。

ジャンパーを着て、キャップをかぶった仙人がそこにいた。椅子に腰かけている。

たまきは何も言わず、ただ、ぺこりと頭を下げた。

「うん、その帽子は似合っとるな」

仙人はそう言ってほほ笑んだ。

 

 

十月二十一日 午後四時 曇り

 

たまきは、仙人が差し出した椅子に腰かけた。椅子の上から、小さくなった庵を見る。

「なあに、毎年のことだ」

そう言って仙人は笑った。

「毎年毎年作って、少しずつ大きくして、祭りの時期が来たら取り壊しだ。また一からやり直し」

「せっかく作ったのに……」

「仕方はあるまい。わしらはここにいてはいけないのだからな」

風に吹かれた木の葉がはらはらと舞い落ちる。

「それに、居場所というのはそういうものだ。大切に築き上げたものが、ある日ぷっつりと消えてなくなる」

そういうと仙人はカップ酒を口に運んだ。

「お嬢ちゃんは祭りには行ったのか?」

「……はい」

「どうだった?」

「……まあ」

仙人はそれ以上、祭りについて聞くことはなかった。

「あの……」

そう言ってたまきはスケッチブックを仙人に差し出した。

「お嬢ちゃんの絵を見せてもらうのも久しぶりだ。どれどれ」

仙人はやさしくも真剣な目つきでスケッチブックをめくる。

「これはシブヤだなぁ」

「この前……、友達と一緒に行ったんです。帰った後で思い出しながら描いたんですけど……」

「なるほどなぁ。お前さんにはこういう風に見えとったかぁ……」

そういうと仙人はたまきにスケッチブックを返した。

「大冒険だったな。そんなに怖かったか」

たまきは仙人の言葉にドキッとした。

「怖かったというか……、その……、私はここにいてはいけないんだなって思って……」

たまきは視線を落として答えた。

「昔から……、どこ行ってもなじめなくて……」

「でも、いっしょにシブヤに行ってくれる友達はいるんだろう?」

たまきは地蔵のように動かなかった。

「……友達になれたのかなって思ってたけど……、二人とも私に似たところがあるのかなって思ってたけど……、でも二人とも、やっぱりあっち側の人で……」

「あっちっていうのはどこだい?」

仙人のハスキーな声が優しく尋ねる。

「……どこと言われても……」

あっちはあっちだ。

「お嬢ちゃん。順番が違うんだよ」

仙人は少し身を乗り出し、優しい口調でたまきに言った。

「友達だと思ってた人が実はあっち側の人だったんじゃない。わしはお嬢ちゃんの友達がどんな人かは知らんが、お嬢ちゃんの話を聞くかぎり、『あっち側』の人なんだろう。あっち側の人だったはずの子たちと、お嬢ちゃんは友達になれたんだ。あっち側だったはずの子にも、お嬢ちゃんに似たところがあったんだ」

「でも……二人は私のことをわかってくれません……。今日だって追い出されるような感じでここに来たし……」

「じゃあ、お嬢ちゃんはその友達二人のことをよくわかっているのかい?」

「それは……」

たまきは言葉に詰まった。

「お嬢ちゃん、ちがうから友達になるんだ。わからないから友達になるんだ」

雑木林は少し薄暗くなってきた。たまきは確認するようにあたりを見渡す。

「……ありがとうございます。少し……すっきりしました。……帰ります」

たまきは立ち上がろうとしたが、仙人はそれを制した。

「おお、ちょっと待て。久しぶりにきたんだ。もう少しゆっくりしていったらどうだ。そうだ、お菓子があるぞ」

そう言って仙人は柿ピーの袋を取り出した。

 

 

十月二十一日 同刻

 

「城」の玄関を開けて舞が入ってきた。

「おっす、やってるな」

「城」の中を見渡して舞が言う。舞が来たことを知ると亜美は作業をやめ、舞の元へと駆け寄った。

「お疲れっす。先生、あれ、持ってきてくれた?」

「ああ」

舞は手に提げた二つのビニール袋を見せた。それは、以前に亜美と志保がシブヤで買った本屋の包みと、それより二回り大きな包みだ。

「なんか悪かったっすね。買ったはいいけど、ここに置いとくわけにはいかなくて」

その言葉を聞いて、舞はきょとんとした目で亜美を見た。

「なんか、はじめてお前の口から、『遠慮』を聞いた気がする」

「エンリョ? ウチ今、『エンリョ』なんて言いましたっけ?」

「ああもういい。忘れろ」

そういうと舞は厨房へと向かった。厨房では志保が作業をしている。

「手伝おうか?」

「あ、お願いします」

そこに再びドアの開く音が聞こえた。

「お疲れっす!」

ミチがギターケースを担いで入ってきた。

「いやぁ、めっきり寒くなりましたね。うわぁ、だいぶ進んでるッすね。なんか手伝いましょうか?」

ミチはギターケースを下ろしながらそう言った。亜美はそんなミチの肩に手を置く。

「いや、ミチ、お前には重要な任務を任せたい」

「なんすか?」

亜美の改まった口調にミチも身構える。

「見張りで外に立ってろ」

「え……外……?」

ミチの脳内でさっき彼自身が言った「めっきり寒くなった」がリフレインを始めた。

 

 

十月二十一日 午後四時四十五分 曇り

 

やっぱり、自分はどこに行っても場違いだとたまきは改めて思う。

たまきの前には幾人かのホームレスがいて酒盛りを始めていた。何人かは見覚えもあるが、それでもどこかいたたまれないような気持ちがぬぐえない。

この公園にいてはいけないホームレスたち。彼らの中でさえ、たまきは場違いだった。

学校に行っても場違いで、家に引きこもっていても場違い。あの家にとって、たまきのようなおかしな子は場違いだったのだ。だからと言って家出をしてみても、やっぱりどこへ行っても場違いらしい。

どこへ行ってもなじめないのなら、死ぬしかないじゃないか。

しかし、死んでそれで終わりならいいけど、万が一死後の世界なんてものがあったらたまったもんじゃない。きっとあの世ですらたまきはなじめないのだろう。たまきみたいな手に負えない悪い子はきっと地獄に落ちるのだろうが、もしも天国に行けたとして、天国になじめないかもしれない。天国でたまき一人、地獄のような日々を送るのだ、きっと。

柿ピーをポリポリつまみながらそんなことを考えていると、隣に座わる仙人が優しく笑った。きっと、たまきがどうせまた暗いことを考えているなんて、見透かされているんだろう。

「お嬢ちゃんは、人より繊細なんだよ」

やっぱり見透かされているようだ。

「だから、普通の人が気にしないようなことを気にして、普通の人が怯えないようなことにおびえてしまう。それはとても息苦しいことだ」

自分が繊細なのかどうか、たまきは自分ではよくわからなかった。でも、仙人の言う「息苦しい」はわかる。

「私は……、『生まれてきてよかった』とか、『生きていてよかった』とか、思ったことありません」

三億個もの精子が卵子を目指し、受精できるのはたったの一個。人は生まれて来ただけで奇跡なのだという。

生まれて来ただけで奇跡だというのなら、たまきはきっと生まれて来ただけで運を使い果たしてしまったに違いない。

そんなたまきを見て仙人はまた優しく笑う。

「まあ、『とても幸せだ』なんて鈍感な奴の言うセリフだからな」

仙人の言葉に、たまきは訝しむように仙人を見る。

「世の中には見たくないもの、都合の悪いものもたくさんただよってる。お前さんみたいな子は繊細だから、そういうものに気付いてしまう。『毎日が楽しくて幸せだ』なんて笑顔で言える奴は、鈍感だからそういうマイナスなものに気付いていないだけさ。本物の幸せは、そういうマイナスなこともちゃんと肌で感じていて、それでも自分は幸せだって言えるときのことを言うのさ」

たまきはよくわからない、といった顔で仙人を見る。

「例えば、お嬢ちゃんの年じゃまだ縁がないだろうが、覚醒剤とかに手を出す奴がいるだろう」

友達がそうです、とはたまきは言えなかった。

「ああいった薬は繊細な人間が鈍感になるのにはもってこいだ。余計なことは忘れて快楽を得られるからな。もっとも、あとあとやってくるマイナスがおぞましいわけだが」

仙人はたまきのメガネの奥の瞳をじっと見据える。

「お前さんもそのうち、そういう幸せではなく、ちゃんとした幸せを感じれる時が来るさ。生まれてよかったとは思えないけど、それでも自分は幸せだってな。それは、マイナスなことに目をつむって感じる薬のような幸せじゃない。マイナスをちゃんと肌で感じて、そのうえで幸せを感じとるんだ。自分にはこんなマイナスがある。でもこんなプラスもあるから幸せだってな。お前さんなら大丈夫。あんなにいい絵が描けるんだから」

気づけば、もう太陽はビルの向こうに沈んでいた。

「さあ、そろそろ暗くなる。おうちへおかえり」

 

 

十月二十一日 午後五時 曇り

写真はイメージです

信号が青になった。たまきは大通りを渡り、歓楽街に入っていく。たまきの後ろでトラックのけたたましい音が聞こえる。

「そのうち幸せと思える」なんて、仙人も案外とあいまいなことをいうものだ。たまきはそう感じていた。大人が言う「そのうち」や「いつか」なんてやってきたためしがない。

とぼとぼと歩きながら太田ビルが見えてきた。たまきはふと上を見上げる。

太田ビルの階段から見慣れた顔が見えていることに気付いた。ミチだ。まあ、二階のラーメン屋でアルバイトをしているのだから、いても不思議ではない。

たまきは太田ビルの階段を上る。五階まで昇るのはしんどいのだが、この運動が無かったらたまきみたいな子はいよいよ不健康になるのだろう。

ふと、たまきはあることに気付いた。ミチがいたのは二階のラーメン屋ではなく、もっと上の階だった気がする。まあ、どうでもいいことだ。

5階まで登り切り、たまきは「城」のドアをコンコンとノックすると中に入った。

中は真っ暗だった。ただでさえ日当たりが悪いうえ窓は厨房にしかなく、もうこの時間帯は電気を消せば「城」の中は真っ暗だ。

でも、どうして真っ暗なんだろう。今まで、「城」に戻ってきたら誰もいなかったなんてことは一度もなかった。そもそも、たまきは鍵を持っていないのだから、誰かいないと「城」に入れないし、亜美と志保が開けっ放しにして「城」を離れたことも一度もなかった。

たまきはとりあえず靴を脱いだ。頭の中にこの前見た忠犬ハチ公の銅像を思い出して不安になる。

足元を触ると自分のもの以外の靴があることがわかった。誰かがここで靴を脱いで中にいることは間違いない。もしかしたら、また泥棒が入ったのかも。

たまきは不安で胸が締め付けられていた。強盗に襲われるのが怖いのではない。何が起きているのかがわからないのが怖いのだ。たまきは不安げにか細い声を出す。

「亜美さん……? 志保さん……?」

とりあえず、電気をつけよう。そう思ってスイッチを探そうとしたたまきの目に、オレンジの明かりが映った。

暗闇の中で煌々と輝き、はかなげに揺れ、それでもひときわ明るく輝いている。それが何かが燃えている様だと気付いた時、たまきは反射的に火事だと思った。刹那、仙人の言葉が脳内再生される。

「居場所というのはそういうものだ。大切に築き上げたものが、ある日ぷっつりと消えてなくなる」

自分が焼け死ぬことよりも、この「城」という場所がなくなることの方がたまきには恐ろしいことのように思えた。

ふと、冷静になり、見えている炎が思ったより大きくないということに気付いた時、急に視界が明るくなった。そして何かの破裂音と火薬の匂い。

ああ、いよいよもって死ねるのか。

「ワン、ツー、スリー、フォー!」

たまきの死への渇望をかき消すかのように、アコースティックギターの音に乗せてミチによく似た男の明るい声が聞こえた。

「はっぴばーすでーとぅーゆー♪」

ギターの伴奏に合わせて何人かの歌声が聞こえる。ほとんどが女性のようだが、さっきのミチのような少年の声も聞こえる。それにしても、この歌、なんの歌だっけ。

「ハッピバースデートゥーユー♪」

ほとんど同じフレーズを繰り返す。たまきはこの歌が、誰かの誕生日を祝うために世界中で歌われている歌であることに気付いた。とはいえ、歌ったことも、生で誰かが歌うのを聞いたこともないので、気づくのが遅れてしまった。気づくのが遅いと言えば、火事だと思っていたのはろうそくの炎で、それがケーキに刺さったろうそくだということにも気づいた。明るい中で改めてみると、普通に安全なろうそくの火だ。

どうやら、今日は誰かの誕生日らしい。誕生日を祝ってもらえるなんて、何ともうらやましい限りだ。

「ハッピバースデーディアたまきちゃ~ん♪」

唐突に自分の名前が出てきてたまきはパニックになった。

え? わたし? なんで? だって、私の誕生日は十月のにじゅういち……、

あれ?

「ハッピバースデートゥーユー♪」

ミチがギターをじゃかじゃかとかき鳴らす。たまきは部屋の中を見渡した。ギターを弾くミチ、ケーキの両脇には亜美と志保がいて、みんな笑顔で歌っている。少し離れたところには舞もいて、軽く口ずさむという感じだが、顔には笑みがこぼれている。

「たまきちゃん、お誕生日、おめでと―!!」

パン! という破裂音とともに紙テープが宙を舞った。再び、火薬のにおいが鼻につく。どうやら、さっき聞いた破裂音とにおいもこのクラッカーだったらしい。

たまきは、空が落っこちてきたかのような戸惑った顔をして、不安げに口を開いた。

「今日って、二十一日ですか?」

「そうだよ」

志保が答える。

「十月の?」

「ずっと十月だったぜ」

亜美がそう言って笑う。

「誕生日でしょ、今日?」

「……はい」

たまきは戸惑っているのが恥ずかしそうにうつむきながら答えた。

十月二十一日。それはたまきにとって最大の黒歴史、つまり何を間違えたのかこの世に生まれ落ちてしまったことを記念する日である。

「な、なんで私の誕生日知ってるんですか?」

「亜美ちゃんの誕生日の時、たまきちゃんの誕生日いつなのか聞いたじゃない」

志保が笑いながら答える。

「覚えてくれてたんですか?」

「あの後すぐ手帳にメモったよ」

志保の言葉に、たまきは心臓がひときわ高鳴るのを感じた。

「お前、いつも通り元気ねぇんだもん。ほんとに今日、誕生日なのかと疑ったよ」

「亜美ちゃん、三回ぐらい疑ってたよね。ほんとに今日なのかって」

そんな話を聞きながら、たまきの頭の中にいつかの仙人の言葉がよみがえる。

「誕生日を祝うということは、生まれてくれてありがとう、出会ってくれてありがとうというメッセージを伝える、ということだ」

ふと、ケーキに目をやると、まだろうそくの火がゆらゆらと燃えている。

「ほら、たまき、お前が吹き消すんだぞ」

亜美が笑いながらたまきの背中をそっと押した。たまきはケーキの前に立つと、少し腰を落として、炎に息を吹きかけた。ふうふうと吹きかけるのだが、16本のろうそくのうち3本の火が消えただけで、あとはたまきの息にゆらりと揺れるだけ。肺活量が足らないらしく、いくら吹きかけても消えやしない。

すると急に亜美が横から顔を出し、一息で10本近く消してしまった。

「あー!」

そう言って声を上げたのは志保だった。

「なんで亜美ちゃんが消しちゃうの!? これ、たまきちゃんのバースデーケーキだよ?」

「こいつにやらせてたらいつまでたってもきえねぇだろ」

「もう……」

そういうと志保は腰をかがめ、残ったろうそくの炎を吹き消した。

「あ……」

今度はたまきが声を上げた。

「お前だって消しちゃったじゃないか」

亜美がそういうと、志保が悪戯っぽく笑った。

ふと、たまきの隣にミチが来る。

「本当はさ、仙人のおっさんも呼ぼうと思ってたんだけどさ」

「仙人て、たまきが言ってたホームレスのおっさんだっけ?」

亜美の言葉にミチがそうそうとうなづく。

「でも、おっさん、『わしのようなフンコロガシが行ったら、お嬢ちゃんの誕生パーティが汚れてしまう』ってどうしても行かないっつって」

ミチは少し低くハスキーな感じで仙人の声を真似した。たいして似てなかったが、真似しようとしていることだけは何となくわかった。

「だから来る代わりに準備ができるまで、たまきちゃんを足止めしてくれるように頼んだんだ」

「じゃあ、今日、遊んでくるように言ったのは……」

「バカ、お前がここにいたら、サプライズパーティの準備ができないだろ?」

たまきは改めて部屋を見渡す。色とりどりの折り紙で飾り付けをしてある。

仙人は今日、たまきが誕生日であることも、誕生日パーティがあることも知っていたのだ。「そのうち幸せと思える」の「そのうち」がすぐ来ることを知っていたのだ。

「じつは、たまきちゃんにプレゼントがありま~す」

志保がそういうと、舞が衣裳部屋から何かの包みを二つ持ってきた。一つは本屋の包み。もう一つはそれより二回り大きな包み。

「みんなでお金出しあったんだよ」

志保が笑顔で言ったが、

「おい、あたしが半分出して、お前ら三人で残り半分だからな」

と舞が付け足した。

「どっち先に渡す?」

「たまきに決めさせようぜ。たまき、どっちがいい?」

舞の問いかけに、たまきは大きい方の包みを指さした。いったい何が入っているのだろうか。

志保から大きい方の包みを手渡される。

「開けてみて」

がさがさと音を立てて、たまきは包みを開けた。

中には布製品が入っていた。灰色の布でできたそれは、リュックサックだった。全体的に洋服を作るのに使いそうな布でできていて、ふにゃっとしている。

たまきは試しに背負ってみた。軽い。

「いつもカバンからスケッチブックが飛び出たまんま外に出てただろ? これなら、スケッチブックも入るぞ」

「……ありがとうございます」

プレゼントそのものよりも、ちゃんと自分のことを見ていてくれていたことの方に、たまきは吐息が熱くなるのを感じた。

「もう一個の方も開けてみて」

志保が本屋の包みを渡す。がさがさと音を立てながら、たまきは中身を取り出した。

案の定、本である。表紙に男の顔が描かれている。油絵だ。

空色の背景に髭の生えた西洋人の男が描かれている。絵筆の後がはっきりとわかる独特のタッチだが、荒々しい画風とは裏腹に、繊細に描かれた男の顔は彼の人間性を深く醸し出している。

その本は「ゴッホコレクション」と題されていた。雑誌ていどの厚さの本で、ぱらぱらとめくるとひまわりの絵だったり、夜景の絵だったり、ゴッホの絵が何枚も収録されていた。

これがゴッホなんだ、とたまきは魅入られたかのようにページをめくる。

「たまきちゃん、絵が好きだし興味あるかな~、と思って」

志保が悪戯っぽく微笑む。

「あ、ありがとうございます」

たまきは一通りページをめくり終えると、4人の方に向いて頭を下げた。そのままうつむきがちにぽつりとしゃべり始める。

「私、生まれてきてよかったとか、生きててよかったとか思ったことないんです。でも、こんな風に祝ってもらえて……」

たまきははっきりと顔を挙げた。

「私、死なないで……よかったです」

たまきの言葉に亜美は明るく笑い、志保はやさしく笑った。

「よかった、喜んでもらえて」

「じゃ、ケーキ食う前に記念写真撮るぞ」

舞がカメラを手にそう言った。

「たまき、お前、今日はちゃんと映れよ。メガネ星人はなしだぜ」

亜美がたまきの肩をバンバンと叩きながら言った。

「今日は……たぶん大丈夫です」

「なんすか、メガネ怪人って?」

ミチが横から口を出す。

ケーキを持って立ったたまきの後ろに、亜美と志保が立つ。たまきの右斜め後ろに志保、左斜め後ろに亜美。志保の隣には舞が立ち、亜美の隣にはミチが立つ。5人は舞が持ってきた三脚の上のカメラを見つめる。

カメラのライトが点滅し、フラッシュが光った。舞はカメラを確認する。

「見てみるか?」

立ち上げたノートパソコンに舞はカメラを繋いだ。写真が画面いっぱいに拡大される。

「たまきちゃん、いい笑顔してるじゃない」

志保が声をあげると、たまきは顔を赤らめた。

「いやぁ、まだ堅いって」

「えー、この前よりいい笑顔じゃん」

「まあ、メガネ星人よりはましだけどさ」

たまきも画面を覗き込む。

……こんな表情、私もできたんだ。

「よし、手作りケーキ食おうぜ! 志保、ケーキ切り分けてよ」

亜美が勢いよく言った。

「えっ! これ、手作りなんですか?」

たまきが驚いたようにケーキを見て、そのあと厨房を見る。いくら何でも、ケーキを焼くような設備なんてあったっけ?

「手作りと言っても、買ってきたスポンジに生クリームぬって、フルーツ乗せただけだよ」

志保が笑いながら傍らのナイフを手に、ケーキを切り分け始める。

「来年はもっと派手にやろうぜ」

亜美が馬鹿みたいに明るく言う。

「ほら、レストランとか言ってさ、よくあるじゃん。お店が急に暗くなって、ケーキが運ばれて、お店みんなで祝うやつ。あれやろうぜ」

「……やめてください。はずかしいです。そうなったら私、逃げます」

たまきが少し目線を落としていった。

 

 

十月二十一日 午後七時 晴れ

バイトがあるから、とミチが「城」を出た。なんだか宴に一区切りがついたかのような雰囲気だ。

ケーキはすっかり平らげられ、テーブルの上には下のコンビニで買ったお菓子やお総菜、ジュースの缶が置かれている。

志保は使い終わった道具を洗い始め、亜美はソファの上にごろごろ転がりながら携帯電話を見ている。洗い物の音を聞きながら、たまきはぼうっとしていた。

私の人生にも、こんなこと、起きるんだな……。

お皿に付いた生クリームを人差し指ですくってぺろりとなめる。舌先に広がる甘い風味の余韻を味わうように息を吸う。

ふと、舞がたまきのすぐ横に腰を下ろした。

「いくつになったんだ、お前」

「……十六です」

「女子の十六つったら、もう結婚できる年だぞ」

「……相手がいません」

たまきが少し笑みを見せる。

「どうだった、今日は」

「たのしかったし……、うれしかったです」

たまきは、そういうと皿に残った生クリームの跡を眺めた。

「そこにパソコンがあるぞ。ネットにつながってる」

舞はテーブルの上のパソコンを指さした。

「ネットに書き込むか? 私はリア充ですって」

「言いません、だれにも」

たまきはやさしく微笑みながら、首を横に振った。

「誰かに言ったら、幸せが逃げちゃう気がするから」

「そうか」

舞は終始笑顔だ。

「でもさ、お前の家族には言ってもいいんじゃないか?」

「え?」

たまきは舞の目を見た。

「まだ、一度も連絡してないんだろ? 心配してるぞ。生きてるってことぐらい教えてやれ」

「……私なんかいなくなったって、どうせ心配なんかしてないです」

「だったら、見せつけてやれよ。あんたらのいないところでそれなりに楽しくやってるって」

たまきはゆっくりと立ち上がると、黒いニット帽をかぶり、もらったばかりのリュックを背負った。さっき、中に財布を入れたばかりだ。

たまきは立ち上がると、玄関のドアを開けた。吊るされたネームプレートが静かに揺れる。

 

十月二十一日 午後七時十分 月夜

写真はイメージです

いつの間にか雲は晴れ、お月様が顔を出している。

夜の歓楽街は多くの人が闊歩している。サラリーマン、学生らしき若者のグループ、客引きなどなど。闇の中でネオンサインが煌々と輝き、むしろ夜の方がきらびやかに感じる。その中を縫うようにたまきはとことこと歩いていく。背中に背負ったグレーのリュックがたまきの歩調に合わせて揺れている。

コンビニの前でたまきは足を止めた。

今どき珍しい、緑の公衆電話がある。誰もが携帯電話を持って当たり前の時代になっても、相変わらずそこにあり続ける。

公衆電話を必要とする人なんて、公衆電話に目を向ける人なんてほとんどいないだろう。

それでも、必要としてくれるほんのわずかな誰かのために、公衆電話はずっとそこにいる。

たまきは受話器を持って十円を入れると、自宅の電話番号を押した。

ぴぴぽ、ぴぽぱぽ。

呼び出し音が鳴るたびに、心臓が少しずつ締め付けられていく。

おそらく、父親はまだ会社のはずだ。高校生の姉も部活でいないだろう。出るとすれば母親だが、最近、お爺ちゃんの介護でたびたび家を空けることがあったから、いないかもしれない。

『ただいま留守にしております。ピーとなったら、ご用件をお願いします』

自宅の留守電音声なんて初めて聞いた。たまきは安堵で胸をなでおろすと、秋空の吐息と一緒にか細い声でしゃべり始めた。

「……私です」

なんだか、オレオレ詐欺みたいな喋り出しになってしまった。

「……とりあえず、生きてます。……十六才になりました。友達に……、祝ってもらいました」

十円で話せる時間には限りがある。たまきは何を言おうかと言葉を詰まらせ、だいぶ時間を使ってしまった。

「まだ……帰らないから」

ぷーっと音が鳴り、通話時間が終わった。

受話器を握りしめたまま、たまきは通りに目をやる。

たまきより少し上の世代の人たちのグループが談笑しながら歩いていく。男女入り乱れ、おしゃれに身を包み、明るく、笑顔で。

笑い声がたまきの耳の奥に響く。

たぶん、たまきは、ああいう風にはなれない。

誕生日を祝ってくれた人が仙人を含めて5人。きっと、ああいう人たちから見れば笑ってしまうくらい少ない数なのだろう。

たまきは友達が少ない。

でも、友達に恵まれている。今、たまきはそう強く感じていた。

それって、もしかしたら幸せなことなのかもしれない。

たまきは公衆電話の受話器をそっと元に戻した。

みんなに必要とされなくなっても、それでも必要としてくれるごくわずかな誰かのために、公衆電話は今日もそこにある。

つづく


次回 第17話「ガトーショコラのち遺影」

たまきの誕生日の写真が破かれるという事件が発生する! こんなひどいことをする犯人はいったい誰だ! まあ、だいたいわかる気もするけど。

犯人はこいつだ!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。