映画「タイタニック」の史実と違うところとは?

映画「タイタニック」は史実に忠実だという。監督のジェームズ・キャメロンも「ジャックとローズの部分以外は史実に忠実です」と胸を張っていた。でも、それって本当なのだろうか。これまでこのブログでは映画「タイタニック」をもとにタイタニック号沈没事故を検証してきたが、今度は「史実」という観点から事故を検証しようと思う。


タイタニック号が沈むまでの流れ

まず、タイタニック号が氷山に衝突してから沈むまでの大まかな流れを見ていこう。

1912年4月14日

23時40分 タイタニック号、氷山と衝突

1912年4月15日

0時15分 SOSをほかの船に向けて発信する(SOSという信号が使われたのは世界初)

0時45分 最初の救助ボートをおろす

2時5分 最後のボートをおろす

2時20分 完全に沈没

4時00分 カルパチア号が現場に到着、救助が始まる

これがタイタニック号沈没までの大まかな流れだ。タイタニック号が氷山に衝突してから完全に沈没するまでの時間は2時間40分。映画でも「2時間40分」だと言われていた。

衝突から沈没までのおおまかな流れは映画とそんなにたがわない。タイタニック号は16区画のうち4区画まで水が浸水しても耐えられるように作られているのだが、船長らが把握した時点で浸水は5区画にまで及んでいて、あと1時間ぐらいしか持たないということは早い段階で分かっていた。

船長は船体放棄を決断し、避難が始まるが、救助ボートに乗るのは女性と子供が優先としたために夫婦や家族が離れ離れになることとなり、混乱を生む(ただし、「女性と子供が先」というのは当時の船では当たり前のことだったらしい)。

ところが、そもそも乗客2200人に対して救命ボートは1100人分しかなく、そのうえ、救命ボートが満員になるのをまたずして海に出していたので、1500人もの人がタイタニック号に取り残され、そのまま船と運命を共にすることとなった。

これは映画「タイタニック」の後半で描かれてていたことであり、ここは実に史実通りである。

映画タイタニックはここまで史実通りだった

映画「タイタニック」ではタイタニック号は事前に氷山があることをわかっていたにも関わらずスピードを上げていた、とされているが、これも史実通りだ。

また、先ほど書いたとおり、「女性と子供優先」というのも史実通りなのだが、映画では右舷と左舷でこの扱いに差が出て、「何が何でも男性は乗せない!」という船員もいれば、「余裕ができたら男性も乗せる」という船員もいた。そのため、船内でも「あっちはもう男も乗せてるみたいだぞ!」といった情報が錯綜する。

実は、これも史実通りなのである。

また、映画の中で船員が「てめぇら、指示に従え!」と発砲し、乗客を射殺するという衝撃的なシーンも登場する。このシーンについてはモデルとなった船員の遺族や、乗客からも抗議の声が上がっている。一方で、「そういうことがあった」と記述された乗客の書簡も見つかっている。

そのほか、タイタニック号を運航していたホワイト・ライン社の社長、ブルース・イズメイが最後の最後になってこっそり救助ボートに乗り込むシーンや、タイタニック号の建造者であるトーマス・アンドリュースが、逃げれたにもかかわらず船と運命を共にしたのも史実である。イズメイは社長なのに生き残ってしまったことに負い目を感じ、タイタニック号から帰った後は会社を辞め、隠遁生活を送る。

また、氷山衝突直前のシーンで見張りの船員が「俺は氷山のにおいがわかる」などと冗談を言うシーンがある。

これはさすがに創作だろうと思ったら、実は見張りの船員が「氷山のにおいがしてきた」という発言をしており、実はそれをもととしたセリフだったのだ。

こうやって見ていくと、映画「タイタニック」は意外と細かいところまで史実通りの部分が多い。やはり「タイタニックの映画は史実に忠実」という評判は本当だったらしい。「ほんとに史実通りなの?」と変な言いがかりをつけてしまって申し訳なかった。今度、ジェームズ・キャメロンにお詫びのメロンを送らないと。

映画「タイタニック」の史実と違う部分

とはいえ、映画「タイタニック」はドキュメンタリー映画ではない。ちょっとぐらい史実と違うところもいくつかある。

たとえば、映画の冒頭で、船が沈む前に自重で真っ二つに折れたことがCGで説明されているが、実際は三つに折れている。

タイタニックは三つに折れたが完全に切り離されたわけではなく、すでに海中に没した船主に引きずられて船尾も沈んでいく。

映画の中では取り残された人たちが船と一緒に沈んでいくシーンが描かれるが、実はこの時、何人かの人たちはすでに覚悟を決めて自ら海に飛び込み、泳いで沖に浮かぶ救助ボートに乗り込んだ。

映画の中ではまるで絶叫マシーンのようなスピードで船が海中へと消えていくが、生存者の一人は「エレベーターに乗っているようだった」と語っている(当時のエレベーターが絶叫マシーンのようだというなら話は別だけど)

もう一つ史実と異なるところがあるとすれば、三等客室の乗客のシーンだろう。

映画の中でも三等客室の乗客が船の外へ出ようとするが柵で閉じ込められてしまい、椅子をぶん投げて柵を壊して外に出るというシーンがあった(史実)。逆に言うと、実は三等客室についての描写はこれくらいしかない。実際にはこのシーン以外にもドラマがあった。三等客は男女別の部屋だった。夫婦であっても、だ。そのため、避難しなければならないとなって、まずは家族のもとへ向かわなければならない。だが、男子部屋と女子部屋が結構離れていて……、などというドラマがあった。

映画で描かれなかった、カルパチア号とカルフォルニア号の物語

映画ではほとんど登場しないのだが、タイタニック号の沈没事故にはあと2隻の船が登場する。それがカルパチア号とカルフォルニア号だ。

同じ事故に関わったにもかかわらず、この2隻はその後の評価が大きく分かれている。

カルパチア号はタイタニック号の救命ボートに乗っていた人たちを救助した船だ。映画の中でもちょこっと登場する。氷山衝突から約1時間後にタイタニック号のSOSを聞いたカルパチア号はすぐさま事故現場へと急行する。全速力で進みながら船長は船員たちに、タイタニック号の乗客たちを救助・介抱するための準備を進めさせる。

氷山が無数に浮かぶ海を全速力で突き進むカルパチア号。それでも、到着までには3時間30分を要した。午前4時に現場に到着したカルパチア号は救命ボートに乗る人たちを救助し、ニューヨークへと向かう。この時の迅速な対応で、カルパチア号のロストロン船長はヒーローとなった。

これと真逆の評価を受けたのが、カリフォルニア号だ。カリフォルニア号は事故当時、氷山に囲まれて停泊していた。そして、タイタニック号のすぐ近くにいた。どのくらい近いかというと、タイタニック号の明かりが目で見えるくらいに。

それどころか、タイタニックからのろしだロケットだが飛ばされているのも見ている。見ているのだが「なんかやってるねぇ」くらいにしか思わなかった。カリフォルニア号が事故現場に到着したのは、カルパチア号による救助が終わった後で、来たはいいものの特にやることがなかった。

事故後、カルパチア号は今でいう「大炎上」をした。「のろしだのロケット弾だの見てたんだろ!? どう考えても救難信号だろ!『なんかやってるねぇ』じゃねぇよ!」という批判の嵐にさらされたわけだ。

カルパチア号とすれば「氷山に囲まれてた」という言い訳はあるにはあったが、やはり問題なのは「見える位置にいたのに、助けようともしなかった」という点だろう。証言を見ていくと「助けたいけど氷山に囲まれて動けない!」と葛藤したようにも思えない。色々見ていたにもかかわらず、「助けに行こう」とすら思わなかった。事が目の前で起こっているにもかかわらず、「なんかやってるけどあれなんだろうね」ぐらいにしか思わなかったことが問題なのだと思う。

その後、事故の原因を調査する査問員会にカリフォルニア号の船長たちが召喚された。船長はメディアに向かって、「ちょっと状況説明をするだけで、10分もあれば終わる」と豪語していた。しかし、査問委員会でカリフォルニア号側の主張(例えばそもそものろしもロケット弾も見てないよ、といったこと)は全部棄却された。査問委員会は「カリフォルニア号はタイタニック号の近くにいて、いろいろ見ていたにもかかわらず、人としてするべきことを何もしていない」と断じた。

なぜ、タイタニック号の事故は1500人もの死者を出したのか

タイタニック号にはそもそも2200の乗客に対して1100人の救命ボートしかなかった。つまり、最初から半分しか助からなかったのである。

映画の中ではその理由として「救命ボートが多すぎると見栄えが悪いから」という、ふざけんなおい!という理由が述べられていた。

それも正しいのだが、もう一つ理由があった。

タイタニック号の事故が起きた当時、どこの船も救命ボートは満足に載せていなかった。

だが、当時はそれで十分と考えていた。

船は事故を起こして穴が開いたからって、いきなり沈んでしまうわけではない。タイタニックの場合は2時間40分かかったが、もっと長い時間保っていることもある。それまでにほかの船が救助に来てくれる。救助ボートは沈みかけの船と、救助に来てくれた船の間を往復する渡し船として考えられていた。一つの船が何往復もするという考え方だった。だから、何も全員分乗せる必要はない、という考え方だったのだ。

また、査問委員会は犠牲者が拡大した理由として、乗組員たちが救命ボートの扱いに慣れていなかった点を挙げている。

1100人助かるはずの救命ボートに合わせて700人しか乗っていなかったのだ。船員たちは、ボートが定員になる前にボートを海におろしている。

だが、これはどうやら、全部船員が不慣れなせい、というわけでもなさそうだ。

脱出は女性と子供が先、ということで、夫婦の場合妻が夫を遺して先に脱出する、というパターンが多かった。夫と離れ離れになるのを妻が嫌がり、夫がそれを説得してボートに乗せる、というシーンがデッキの随所で見られた。当然、こんなことをやっていては時間がかかる。船員としては「いいからとっとと乗れよ! 一刻を争うんだぞ!」といらだって、定員になる前に船をおろしたくもなるかもしれない。

だが、「一刻を争う」という認識は、最初の方はあまりなかった。

何せタイタニックは「不沈船」と呼ばれていたのだ。事故を起こしたと聞いても、大丈夫だろうと思った乗客も多かったし、沈むにしても8時間は大丈夫、なんて説もでていた。「あんな粗末なボートに乗るくらいなら、穴の開いたタイタニック号の方がまだ安全だろう」、そう考えてなかなかボートに乗らない人さえいた。

そして、それはどうやら船員側も一緒だったらしい。船長たちは「残り1時間から1時間半」ということを把握していたが、それがすべての船員に知らされていたわけではなかった。「船があとどれくらい持つか」という予想は、船員それぞれで様々だった。

ここからは僕の推論なのだが、

①当時の救助ボートは、沈む船と助けに来た船の間を往復するのが前提だった。

②タイタニック号の残り時間の予想は人によりさまざまで、8時間は持つ、という人までいた。船員の間でも「残り1時間しかない」ということを知っている人は限られていた。

この二つから、

「船員たちは『タイタニック号はまだ数時間持つ』と考え、救助に来た船との間を往復させることを前提としてボートを出していたのではないか」という説は考えられないだろうか。

避難しろという指示が出ている以上、救助ボートを出さなければいけない。だが、タイタニック号が簡単に沈むわけがない。数時間は持つだろう。それまでに救助の船が来てくれるだろうから、タイタニック号と救助船の間をボートで往復させればいい。なぁに、あせることはない。だって、タイタニックは「不沈船」なのだから。

もちろん、全員がそうだったわけではないだろう。船員たちの事態の把握具合はまちまちだったのだから。事態を正しく把握していた船員もいたはずだ。

「史実」とは何か

以上、「史実」に基づいてタイタニック号の事故を見てきた。

ところで、「史実」って何だろう。

実は、タイタニック号の生存者の証言というのは、必ずしもすべてが整合性のとれるものではない。

たとえばスミス船長の最期にしても、「船長室にいて、船とともに沈んでいった」という人もいれば、「船が沈む直前に海に飛び込んだ」という人、さらには「海に沈んだ乗客を救助ボートに乗せた後、『皆さんお元気で』と言い残して自身は海に消えていった」なんていう証言もあり、どれが本当かわからない。

ノンフィクション作家の保坂正康氏は、こういったた証言者のうち、正しいことを言っているのはわずか1割に過ぎないという。証言者のうちの1割は悪意のあるうそつきであり、鵜呑みにしてはいけない。そして残り8割の証言者は、正しい証言をしているつもりなのだが、勘違い、記憶違い、思い違いが混ざっていて、結果的に不正確な証言になってしまうのだそうだ。

結局のところ、何が史実かだなんてそんな簡単にはわからないのだ。

最後に、細野晴臣氏の言葉を引用して終わりたいと思う。

細野晴臣。はっぴぃえんどやYMOで知られるミュージシャンだ。どうしてその人がタイタニック号に言及するのか。細野晴臣の祖父こそ、タイタニック号に乗ってい生還した唯一の日本人だからだ。

タイタニック号を扱った映画や小説、(中略)どれも、事実を扱っているにしてもそこに扱われなかった事実の方が大事だと思うんです。どれもある事実だとは思いますが、そこで起きたこととは違うんです。事実が編集されているわけですから。どの視点から事件を見ているか、ということなので。僕にとっては祖父が伝えたことが事実なんです。


参考文献

ウォルター・ロード『タイタニック号の最期』(訳:佐藤亮一)

高島健『タイタニックがわかる本』

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。