感覚でとらえる民俗学

ここ最近は、「日本の民俗の世界を、感覚でとらえることはできないか」なんてことを考えています。

どこの学問もそうだと思うけど、日本民俗学は学問だから、知識と論理をもとに語られるんですね。知識をもとにして論理的に考察を進める。結論には根拠が必要で、そのためには知識が必要で、根拠となる知識は、多ければ多い方がいい。

だけど、僕は学者ではなく、物書きなのです。あんまりそういった「知識と理論」に偏り過ぎるのもどうなんだろう、なんて考えるのです。ちょっと堅くないかな、って。

もっと感覚的なとらえ方をしたっていいんじゃないかしら。「これ、おもしろい」「美しい」「ワクワクする」「なんか怖い」、そういった、感覚的なものを中心にして文を書きたい。

いわば「それってあなたの感想ですよね?」ってやつですね。

……感想で悪いか!

でも、僕が作っているZINE「民俗学は好きですか?」は論文でも教科書でもなく、「読み物」です。「正しい」よりも「おもしろい」を重視して作っているわけです。

それに、昔の人たちは身の回りの世界を、知識や理屈ではなく、もっと感覚的にとらえていたはずなのです。「この神社にはこんな祭神がいて、こんな歴史があって」なんて堅苦しいことは考えずに、「なんかここ、めっちゃ神々しい!」という感覚で拝んでいたはず。

そんなことを考えながら、この前、某刑場跡を訪れました。

場所を具体的に書かないのは、僕がそこに対していい印象を持っていないからです。

駅を降りたってから、「その場所」に近づくにつれて、なんだか空気がひずんでいるような感覚を覚えました。

空気がひずんでいて、なんだか一刻も早くそこを離れたい、そんな気持ち。歩くだけで、なんだかげっそりと疲れる、不思議な感覚。そこに住んでいる人からすれば、すごい失礼な話。

……たしかに僕は、「日本の民俗の世界を、知識や理屈ではなく、感覚でとらえたい」とは言いました。

……「霊感が欲しい」とは言ってない!

まあ、これはいわゆる「霊感」とは違うと思うけど。

なぜなら、うちの地元にも「処刑場跡」はあるんだけど、そこへ行っても特に何も感じないからです。

地元の処刑場跡って場所は今はすっかりおしゃれな街なのです。

霊感がついたのならば、地元の処刑場跡を自転車で通るたびに、霊に憑りつかれて眩暈だ吐き気だに襲われてないと、おかしい。

つまり、これは霊感なんてたいそうなものではなく、ただ街になんとなく漂う当時の「雰囲気」をオーバーに感じてしまってるだけなのでしょう。

でも、これこそ「感覚でつかむ民俗世界」ってヤツなのでは?

昔の人たちは知識や理屈ではなく、「この辺、なんか不気味な場所だなぁ」と何となく感じて、処刑場だの墓場だのを作ったはず。

僕もそんな風に、民俗の世界を感覚でとらえていきたい。

でも、そうやって感覚でとらえた世界を、ほかの人にも伝わるように表現するためには、それこそ知識や理屈が必要なのです。

やっぱり、ちゃんと勉強しないとなぁ。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。