平和や多様性の重要性について考えさせられる平成仮面ライダー5選

平成仮面ライダー20作目を記念する「仮面ライダージオウ」の放送が始まった。そこで、今回は趣向を変えて、「平和」とか「多様性」といったテーマにフォーカスした仮面ライダーについて5作品を紹介していこうと思う。「仮面ライダーって子供番組でしょ?」と思っている人も、この5作品のうち一つでも見れば、きっと考えが変わるはずだ。


仮面ライダークウガ(2000年)

「こんな奴らのために、誰かの流す涙は見たくない! みんなに笑顔でいてほしいんです! だから、見ててください! 俺の、変身!」

作品概要

2000年に放送された、記念すべき平成仮面ライダー第1作。主演はオダギリジョー。昭和のテイストを残しつつも、「改造人間ではない仮面ライダー」、「二話完結のエピソード」、「強化フォームの登場」などの新たな試みに挑み、のちの平成仮面ライダーシリーズの礎となった。

あらすじ

長野県の遺跡からグロンギ族と呼ばれる殺戮集団が蘇った。次々と人々を虐殺し、恐怖に陥れるグロンギを警察は「未確認生命体」と呼び対抗するが、その力の前に歯が立たない。しかし、遺跡から蘇ったのはグロンギだけではなかった。未確認生命体第1号が暴れる現場に遭遇した冒険家の青年、五代雄介は遺跡から発掘されたベルトを手にした瞬間、戦士のイメージが頭の中に流れ込む。イメージに従いベルトを身に巻いた雄介は、仮面ライダークウガに変身し、グロンギに立ち向かう。

チェックポイント

この作品で見てほしいのは「暴力への向き合い方」である。仮面ライダーに限らず、ヒーロー番組は「暴力」をもって悪を排除することが前提である(たまにまず保護から入ろうとするウルトラマンコスモスみたいなのもいるけど)。

御多分に漏れず、クウガもグロンギを暴力をもって排除するのだけれど、クウガに変身する五代雄介自体は、実は暴力をふるうことが嫌いな人間であり、第2話ではヒロインの桜子に変身して戦った感想を求められて「あまりい気分のものじゃない」と答えている。

そんな雄介だったが、グロンギのボスであるン・ダグバ・ゼバによって殺された人の葬式に居合わせ、遺族の女の子の涙を見て、グロンギと戦う決意を固める。

それでも、雄介はやっぱり暴力を好きになれない。物語の終盤には「俺は、いつもこれ(暴力)で嫌な思いをしている」と吐露している。

一方で、グロンギ族が人々を虐殺する理由も明らかになる。

それは、ゲーム。彼らは「誰が一番人間を狩れるか」を競って、遊んでいたのだ。

あまりにも身勝手な理由に、雄介の相棒である一条刑事は「彼らとは価値観が違いすぎて、対話は不可能」と結論付ける。

暴力をふるいたくないのに、暴力をふるうことでしか平和を守れないジレンマを抱えたヒーロー、それが仮面ライダークウガなのだ。

そのスタンスは最後まで変わることはなかった。ダグバとの最終決戦で、互いに変身が解け人間の姿のまま殴り合う。暴力をふるって相手を壊すことを楽しむように笑みを浮かべるダグバに対し、泣きそうな顔で拳をふるう雄介。いや、すでに泣いていたのかもしれない。「ああ、雄介は本当に暴力をふるいたくないんだな」ということがよく伝わってくるシーンだ。

正義のために暴力をふるっていいのか。暴力でしか正義は守れないのか。

たとえ暴力でしか正義を守れないのだとしても、それでも暴力を否定する。否定しながら、泣きながら拳をふるう。それが仮面ライダークウガである。

その他の見どころ

クウガは徹底したリアル志向である。実在の地名を使い、「もしも、現実社会に怪人が現れたら」「もしも、現実社会に仮面ライダーがいたら」どうなるかを詳細に描いている。クウガは警察と協力してグロンギと戦う。警察は毎週のようにグロンギ対策の会議を行い、クウガである雄介は一条刑事から情報をもらってグロンギと戦う。一方で、警察も初めからクウガに協力的だったわけではなく、クウガを「未確認生命体第4号」と呼び、一条刑事以外はクウガの正体を知らず、「未確認同士の仲間割れ」ではないかと議論する。

そして、クウガは被害が平成仮面ライダーの中でもひときわ重いのも特徴だ。毎回の犠牲者は数十人規模。ラスボスのダグバに至っては3万人近くが殺されている。もはや大災害である。

殺し方も朝からグロく、空から脳天めがけて針を打ち込んだり、トラックで壁際に追い込んでつぶしたり、すれ違いざまに首を斬り落としたり、飛行機という逃げ場のない空間で虐殺したり、犠牲になるのはその場に居合わせただけの罪もない人々。まるでテロだ。いや、グロンギにはテロリストのような「信じる正義」などなく、ただ虐殺を楽しむだけ。当時も番組に苦情が来たという。

ちなみに、僕が一番怖かったのはハリネズミ怪人、ゴ・ジャラジ・ダだ。標的の脳に小さな針を打ち込み、相手にタイムリミットを予告。そのリミットが来ると……、ああ、思い出しただけで背筋が寒くなる。標的の選び方も含めて、本当に怖い。

徹底したリアルな描写は、なにもグロ描写だけではない。被害者遺族の感情、雄介の周りの人たちの想い、そして、雄介の想いなど、人間の描写もリアルで繊細だ。

このリアルさがクウガの魅力であり、「平成仮面ライダーシリーズ」の根幹をなすものである。

仮面ライダー龍騎(2002年)

「そこに正義などない。あるのはただ純粋な“願い”である」

作品概要

名前の通り、ドラゴンと騎士をデザインのモチーフにした仮面ライダー。仮面ライダー同士が戦いあう「ライダーバトル」を主軸とした作劇や、10人近くの仮面ライダーが登場する作風など、その後の平成仮面ライダーシリーズに与えた影響は大きい。特に、トレーディングカードのようにカードをを使って戦うというスタイルは、のちに仮面ライダー剣、仮面ライダーディケイド、さらには仮面ライダーだけでなく天装戦隊ゴセイジャーに受け継がれた。さらに、収集系の変身アイテムを使って変身する仮面ライダーへと繋がっていく。まさに、平成仮面ライダー初期の、伝説の作品だ。

あらすじ

OLEジャーナルの新米記者、城戸真司はある日、鏡の向こうから現れるモンスターと、鏡の中で戦う戦士、仮面ライダーの存在を知る。最後の一人になるまで戦いあう仮面ライダーたち。仮面ライダー龍騎の力を手に入れた真司は、ライダー同士の戦いを止めるため自らも戦いの中へ、鏡の世界へと身を投じていく。

チェックポイント

この作品で見てほしいのは「人によって正義は変わる」ということ、さらに、「戦いを止めることは本当に正義なのか」という点だ。

龍騎が放送されたのは2002年。企画段階だった2001年9月にニューヨークで同時多発テロが起きた。企画会議では「こんな時代だからこそ、子供たちが最初に正義に触れる仮面ライダーだからこそ、『真の正義』を示すべきだ」という意見と、「こんな時代だからこそ、子供たちが最初に正義に触れる仮面ライダーだからこそ、『正義は一つじゃない』ということを伝えるべきだ」と二つの意見に分かれた。

結果、仮面ライダー龍騎は「正義は一つじゃない」を描く。

仮面ライダー同士が最後の一人になるため戦いあうということを知った城戸真司は、ライダー同士の戦いを止めるために仮面ライダー龍騎に変身する。

だが、ほかのライダーからは「余計なことをするな!」と邪見にされ、時には殴られる。それでも真司は「戦いあうなんて間違ってる! 戦いを止める!」と自ら信じた正義のために龍騎に変身する。

ところが、物語の中盤で真司は、ほかのライダーが「なぜ戦うのか」を知って愕然とする。

最後の一人になった仮面ライダーには、どんな願いもかなえられる力が授けられる。

仮面ライダーナイトに変身する秋山蓮は、事故で眠り続ける恋人を目覚めさせるために戦っていた。

仮面ライダーゾルダに変身する北岡秀一は、不治の病で余命いくばくもなく、永遠の命を手に入れるために戦っていた。

それぞれにそれぞれの戦う理由があった、ということを知った真司は、「戦いを止めることが正義」と言い切れなくなって、考え込んでしまうのだ。

これはまだ中盤の展開であり、その後、さらに真司を悩ませる事態が待ち受けるのだが、それは是非本編を見てほしい。平成仮面ライダーを見るなら絶対に抑えてほしい作品の一つだ。

最終回ではライダーバトルをこんな言葉で締めくくる。

「そこに正義なんてない。あるのはただ純粋な”願い”である」

その他の見どころ

「カードを使って戦う」というのは前述の通り、その後の作品に大きな影響を与えた。カードからモンスターを召喚したり、武器を取り出したり、トレカをモチーフとしたアニメが実写化されたらこんな感じなのかな、などと考えると興奮する。

さらに、鏡の中で人知れず戦いあうライダーたち、というのも従来の作風と異なり、なんだか深夜アニメの異能力ものを見ているかのようだ。

当時も、そして今も、異色の作風であると同時に、もう一度言うが絶対に抑えておかなくてはいけない作品の一つだ。

そして、仮面ライダー王蛇に変身する浅倉威。「脱獄した連続殺人犯」という、ガチの悪者である。「悪のライダー」のほぼ元祖にしていまだに最高峰に君臨する。悪にして今なお多くのファンを持つそのいかれっぷりもぜひ見てほしい。

仮面ライダー555(2003年)

「たっくん、オルフェノクがぁ!」

作品概要

「555」と書いて「ファイズ」と読む。携帯電話が一般に普及し始めた2003年に登場した、携帯電話を変身アイテムとして使う仮面ライダーだ。ファイズのベルトはそれまでのベルトと比べると変身へのハードルが割と低いほうで、そのため変身者がコロコロ入れ替わる。もちろん、メインで変身するのは主人公の乾巧なのだが、ここまで変身者が入れ替わる作品は他にはない。前50話の脚本は井上敏樹一人で書かれており(平成仮面ライダーで一人の脚本が全話を執筆したのは、555、エグゼイド、ビルドの3作品だけ)、緻密に伏線が張り巡らせ、謎が謎を呼ぶ、平成1期王道の展開が人気だ。

あらすじ

九州を旅していた青年、乾巧はある日、オルフェノクという怪物に襲われるが、その場に居合わせた少女、園田真理から渡されたベルトで仮面ライダー555に変身してこれを撃破する。真理とともに旅をしながらオルフェノクと戦う巧。一方、2年前に事故で眠り続けていた青年、木場勇治は死後に蘇り、オルフェノクとして覚醒してしまう。彼は、同じく死後にオルフェノクとなった仲間たちとともに共同生活を送るようになる。そして、巧と木場が邂逅する。

チェックポイント

この作品で見てほしいのは「異なるものとの共生」という点だ。このテーマを描いた作品は平成仮面ライダーシリーズに多いが、一番最初にそれを描き、なおかつ深く描いた、という意味では555を紹介しようと思う。

これより前の平成仮面ライダーシリーズの怪人はみな人間とは違う存在であり、言葉も通じない。クウガに出てくるグロンギは元は人間なのかもしれないけれど、価値観が違いすぎて対話ができない。

ところが、555の怪人、オルフェノクは死んだ人間が蘇生し、「進化した人間」として覚醒したもの。つまりは、元は普通の人間だったのである。

オルフェノクたちはあるものはその超人的な力で生前の復讐を果たして、あるものは人間からの迫害を受けて、人の道を踏み外していく。また、オルフェノクに殺された人間もまれにオルフェノクに覚醒することがあるので、オルフェノクの中には仲間を増やすために積極的に人間を襲う者たちもいる。

オルフェノクは「元人間」でありながら「人外の存在」でもある、非常に微妙な立場なのだ。

人間側にもオルフェノクは敵だ、悪だというスタンスを崩さないものもいる。オルフェノク側にも人間として生きようとして、人間を信じようとして、人間に裏切られてと、事態は一筋縄ではいかない。

555では主人公、乾巧とその仲間たちのほかにもう一つ、木場勇治を中心としたオルフェノク側からの視点で話が描かれている。「人間ではなくなってしまった悲しみ」を抱えながら、それでも人間らしく生きることはできないのかと模索する勇治。そして、互いが555とオルフェノクだと知らずに出会ってしまう巧と勇治。「異なるアイデンティティのものと共存できるのか」というテーマにおいて、やはり555が一番適任だろう。

その他の見どころ

作劇面に関してはもう十分語った気がするので、ここではCGの観点から。

実は、僕が平成仮面ライダーを見始めたきっかけは555である。たまたま見た555のライダーキック「クリムゾンスマッシュ」がかっこよすぎて、それがきっかけで平成仮面ライダーを見るようになった。

さらにバイクもかっこいい。555には3人のライダーが出てくるのだが、彼らのバイクがロボットに変形して、ミサイルをバカスカ打ち込む。まるで、戦争映画を見ているかのようだ。

仮面ライダーオーズ(2010~2011年)

「いけますって! ちょっとの小銭と、明日のパンツがあれば!」

作品概要

動物の力を宿した3枚のメダルで変身する仮面ライダーオーズ。タカの視力、トラの爪、バッタの跳躍力を持つタカ・トラ・バッタのタトバコンボを基本フォームとし、クワガタの頭部、カマキリの刃、バッタの跳躍力を持つ昆虫系のガタキリバコンボ、サイの角、ゴリラの剛腕、象の脚を持つ重量系のサゴーゾコンボ、タカの視力、クジャクの羽、コンドルの爪をもつ鳥系のタジャドルコンボと、様々な動物の力を組み合わせて戦う。それぞれの変身時には、クシダアキラによる謎の歌が流れ、耳から離れない。

あらすじ

ちょっとの小銭と明日のパンツしか持っていない無欲な青年、火野映司。今風に言うとミニマリストといったところか。ある日彼は800年の封印から解き放たれたグリードという怪人と、彼らグリードが生み出す怪物ヤミーの起こした事件に巻き込まれる。絶体絶命の状況に陥る映司を救ったのは、グリードの一人であるアンクだった。右腕だけしか復活できなかったアンクは、自身の体を取り戻すために必要なアイテム・コアメダルを集めさせるために、映司に仮面ライダーオーズの力を授ける。映司は人々を守るため、アンクは自分の欲望をかなえるため、時に利用し、時に協力し合う奇妙なコンビが誕生する。

チェックポイント

実は映司は「世界放浪中に内戦に巻き込まれた」という過去の持ち主。そんな映司だからか、オーズには戦争と平和、そして正義について考えさせられるエピソードが多い。

オーズの敵であるヤミーは人間の欲望から生まれてくる。ある回で登場したバッタヤミー(これが見た目がクソ気持ち悪い)は、「悪いやつを懲らしめたい」という欲望から生まれたヤミーだ。その欲望に従い、ひったくり犯を懲らしめて奪われたかばんを被害者の返してあげるヤミー。果たして、こいつは倒さなければいけないのか? 何も悪いことしていないじゃないか。っていうか、むしろ良いことをしているじゃないか。と悩む仲間に対し映司は「倒さなきゃ」と口にする。その理由を問われた映司はこう返している。

「正義のためなら、人間はどこまでも残酷になれるんだ」

その映司の言葉通り、ヤミーの行動はエスカレート。やくざの事務所や悪徳政治家のところに乗り込むまではよいものの、悪人とはいえ悲鳴を上げて逃げ惑う無抵抗な人間を捕まえて、ボコボコにぶちのめしていく。

「正義のためなら、人間はどこまでも残酷になれるんだ」

なるほど。だからきっと、世界から戦争がなくならないのだろう。

こんなエピソードもある。ある青年の「人の役に立つことをしたい」という欲望から生まれたクロアゲハヤミー。こいつが何をしたかというと、空から大量のお金をばらまくという行為。

そのお金がどこから来たのかというと、何のことはない、直前に銀行を襲って手に入れただけだった。

ただ、人の役に立ちたかっただけなのに、どうしてこんなことに……、と落ち込む青年に映司は自分の体験談を語る。

実は、映司は政治家の家に生まれ、親も兄弟も政治家というおぼっちゃま育ち。望めば何でも買ってもらえるというお金持ちだった。

そして、映司は「自分の力で世界をよくしたい」という大きな欲望を抱き、海外の貧しい国に多額の寄付を送った。

ところが、そのお金は映司の知らないところで戦争の資金に使われていたのだという。

この経験から映司は青年に向かって両手を広げて見せ、「正義感だとしてもこれくらい。これくらいなら、悪いやつに利用されることもなくなります」と語った。

要は、自分の手の届かないところにまで、目の届かないところにまで正義感を伸ばそうとすると、それがどう転ぶかわからず、責任が取れないから危険だよ、ということである。

世の中には、行ったことのない国のために一生懸命になる人、一生いかなそうな辺境の島のために声をからす人、あったこともない人を執拗にたたく人など、手の届かないところにまで正義感をふるおうとする人が結構いる。

その志自体は決して悪いことなのではないのだろうが、問題はやっぱり「手の届かないところに正義漢を伸ばそうとする」というところ、そして、「人間は正義のためならどこまでも残酷になれる」というところなのだろう。

その他の見どころ

オーズの敵は欲望から生まれた怪人グリードと、彼らが使役する怪物ヤミーだ。

しかし、欲望そのものを否定しない、むしろ「欲望は人間が生きるために必要なエネルギーだ! 素晴らしい!」と肯定するのがこの作品の大きな特徴だろう。

欲望そのものは決して悪くない。むしろ、必要な存在だ。問題は、それとどう向き合っていくか、である。

そして、先ほど触れた映司の「金持ちの家に生まれた」「内戦に巻き込まれた」という過去は、実はオーズの物語に大きくかかわってくる。

「世界を自分の手でよくしたい」という大きな欲望を抱いた映司は、旅先で内戦に巻き込まれる。そして、この時起きたある出来事が原因で、彼は「世界を変えたい」という欲望を失くし、無欲な人間になってしまう。

欲望がない。何も欲しがらない。何も持たない。聖人君子のようにも思えるがとんでもない、それは「生きるエネルギーを持っていない」ということで、終盤では映司の欲望を持たないが故の危うさがどんどんと浮き彫りにのなっていく。

映司と対照的なのがアンクの存在だ。まさに欲望の塊、自分の目的のためなら他人がどうなろうと「知ったことか!」と気にしない。オーズの相棒でありながら、実はかなりの悪党である。

しかし、アンクは腕しか復活できず、オーズの力がないと完全復活に必要なメダルを集められない。映司はアンクからメダルをもらわないと変身できない。これが、真逆な二人がコンビを組む理由だ。

欲望を失った映司はどこへ流れつくのか、映司の欲望はかなうのか、そして、映司とアンクのコンビはどんな結末を迎えるのか。ぜひ、本編を見て確認してほしい。

仮面ライダードライブ(2014~2015年)

「どうにも怒りが収まんねぇ! ひとっ走り付き合えよ!!」

作品概要

「仮面ライダードライブ」というタイトルを聞いた時、誰もが目を疑った。「ドライブって、ライダーなのに車乗るの? まさかぁ。CDドライブとかの『ドライブ』じゃないの?」と。だが、実際お披露目たなったドライブは真っ赤なスーパーカーとともに登場し、胸には駅伝のたすきのようにタイヤが収まっていたという、バイクに乗らずに車に乗る仮面ライダーである。ドライブは一度もバイクに乗ったことがない。一方で、主人公に刑事を据えた刑事ドラマでもあり、主人公である泊進ノ介は、仮面ライダーである前に警察官としての誇りを胸に戦う。また、主演の竹内涼真、ヒロインの内田理央、敵幹部役の馬場ふみかと、人気の俳優・女優を多く輩出した作品でもある。

あらすじ

機械生命体ロイミュードによる世界一斉蜂起が起きた。周囲の物の動きを極端に遅くすることができる「重加速現象」を引き起こせるロイミュードによって世界は崩壊の危機に陥ったが、ある戦士の活躍で世界は救われた。この事件は「グローバルフリーズ」と呼ばれた。

それから半年後、グローバルフリーズの時に相棒を誤射し、重傷を負わせてしまった刑事・泊進ノ介は、ロイミュード犯罪の専門部署「特殊状況犯罪捜査課」、通称「特状課」に異動になった。相棒を再起不能に追い込んでしまった事件以降やる気を失ってサボり魔となっていた進ノ介だったが、そんな彼のもとに謎のしゃべるベルトが現れ、彼に仮面ライダードライブの力を授ける。重加速の中唯一動くことのできる戦士、仮面ライダードライブとして、そして、刑事として、進ノ介は再起をかけて、ロイミュードによる犯罪に立ち向かっていく。

チェックポイント

ドライブで見てほしいのも555と同様、「違うものとの共生」だ。このテーマを描いた作品にはほかにも仮面ライダー剣、カブト、キバなど良作が多いが、平成2期からもう一つ挙げたかったので、今回はドライブを紹介する。

555のオルフェノクと違い、ドライブの敵ロイミュードは機械生命体。人間とは完全な別物である。しかし、人間の容姿をコピーし、知能も感情も人間と変わらない。

彼らの目的は人間の支配だ。ロイミュードを作った人間を支配することで、ロイミュードが人間よりも優れた種であることを認めさせる。

その中心となるのが「ハート」と呼ばれる彼らのリーダーなのだが、このハートがとにかく仲間思いなのだ。

仲間のロイミュードを「友達」と呼び、何よりも大切にする。ハートの知らないところでほかのロイミュードを捨て駒のように扱う作戦が実行されたときは、そのことを知ったハートは激高し、作戦を実行した幹部に制裁を加えた。仲間を捨て駒に使うなど絶対に許さないのだ。

極めつけは、ドライブに仲間の命を救われた時だ。ハートは宿敵であるドライブに頭を下げ、素直に感謝の礼の述べた。

ハート以外にも人間との静かな暮らしを望むロイミュードや、人間に協力するロイミュードなどが登場する。

「こいつらは本当に倒すべき悪なのか?」、回を重ねるごとに、見る者の胸にそんな思いが込み上げる。

そう思ったのは主人公・泊進ノ介も同じだったらしく、ある時、彼はハートに対して「お前ら本当に悪者なのかよ」とこぼす。

それに対してハートは「だろうな。もともとこっちは悪であるつもりがない」と返す。ほかにも、ロイミュード側の戦士を「悪の戦士」と呼ぶ人間に対して、「その考えこそが人間の驕りだよ」と鋭く指摘している。ハートとしてみれば悪事を働いているつもりはなく、ロイミュード側の正義に基づいて行動しているだけなのだ。

やがて、視聴者の「こいつらと戦わなくてもいいんじゃないか?」という思いがはち切れそうなタイミングで、進ノ介は再びハートに問いかける。「戦わずに済む方法はないのか?」と。

だが、これもハートは「ないね」と一蹴する。人間と戦って勝ち、支配し、ロイミュードを地球の新たな種であることを認めさせる。そのプロセスで「戦い」は必然なのだ、と。

どうしてハートはここまで戦って勝つことにこだわるのか。実は、ハートはロイミュード開発時期に実験と称して開発者から虐待されていた過去があった。「絶対に人間を見返してやる」という強い思いが彼の胸にはあったのだ。

やがて、終盤に人間・ロイミュード共通の敵が現れ、ドライブはハートと手を組み、これを撃破する。そして最終回で、ハートはともに戦ったドライブに、人類とロイミュードの運命を決める最終決戦を挑んでくる。

仮面ライダーの最終回というと、普通は「戦え! そして、勝て! 仮面ライダー!」とテレビの前で応援するものだが、仮面ライダードライブの最終回、僕はテレビの前でこう祈った。

「変身しないでくれ! 戦わないでくれ! 仮面ライダードライブ!」と。

進ノ介、お前だってハートと戦うことを望んでなんかいないはずだ! 戦い以外の決着を見せてくれ!と。

しかし、変身せずに一方的に殴られたら、進ノ介が死んでしまう。

果たして、進ノ介はドライブに変身してしまうのか? 戦ってしまうのか? 人間とロイミュードはどのような決着を見せるのか……?

ドライブの中でロイミュードは従来の怪人たちよりもより人間的に描かれている。だからこそ、期待してしまう。姿形が異なれど、価値観が異なれど、心を通わせることはできるのではないかと。戦う以外の道があるのではないかと。

その他の見どころ

ハートがらみでもう一つ。

ロイミュードの幹部の一人が、ドライブの変身者が特状課にいることを割り出す。変身者を特定しようとハートに持ち掛けるのだが、ハートはこう答える。

「変身前を暴いて叩くような、無粋な真似はしたくない」

仮面ライダーは人間の守護者であると同時に、人間の科学の叡智、強さの結晶。その仮面ライダーに変身した状態で戦って、勝つことに意味がある。だから、変身する前に倒してしまえなんてことはしたくないのだ。

このプライドの高さこそがハートの魅力である。

仮面ライダー側の魅力としては、自らの意思を持ちしゃべるベルト、ドライブドライバー、通称「ベルトさん」であろう。

なぜ「ベルトさん」と呼ぶのかというと、第1話でロイミュードに遭遇し「どうすりゃいいんだ、ベルト!」と問いかける進ノ介に対しベルトから帰ってきた答えがただ一言、

「呼び捨ては失礼だねぇ」

以後、「ベルトさん」である。

このベルトさんの声を担当していたのが、J-WAVEを、いや、日本のラジオを代表するラジオDJ、クリス・ペプラーである。あの渋く、セクシーな低音ボイスでベルトさんに声を当てていた。

ベルトさんはドライブの相棒として、作戦を指示したり、ドライブの能力を解説したり、ロイミュードの能力を分析したりと、よくしゃべる。開発者の意識をデータ化してダウンロードしたものであり、人間的な感情を持っているので、時に進ノ介の行動を心配したり、叱責したりする。

さらに、変身するときもベルトさんの「ドライブ! タイプ・スピード!」という音声が流れ、ライダーキックを放つときも「ヒッサーツ! フルスロットル!」の音声が流れる。

ドライブは胸部のタイヤを換装することで様々な能力が使えるのだが、このタイヤを換装するときの音声が「タイヤコウカーン!」。もちろん、クリス・ペプラーの声だ。

オープニングもクリス・ペプラーの「Start your engine!」の声で始まり、番組終わりもクリス・ペプラーのナレーション。さらに、玩具のCMのナレーションもクリスペプラーと、とにかくクリス・ペプラーづくしの30分だ。

さあ、平成仮面ライダーを見よう

今回は紹介しきれなかったが(この調子で全作品紹介していたら、1日あっても終わらない)、残り15作品もよい作品ばかりだ。

たとえば、仮面ライダービルドでは作中に戦争が勃発する。平和や多様性といったテーマで見てみるのも面白いだろう。

この記事を読んでもらえれば、平成仮面ライダー番組が単なる子供向け番組ではないことをわかってもらえたと思う。

それでもまだわからないというのであれば……、

もうひとっ走り付き合えよ!

西川口駅周辺に中華料理店が増えたのはなぜだ‼?

埼玉県の西川口駅というと、かつては県内有数の風俗店街として有名だった。ところが最近、西川口駅周辺は中華料理店が増え、テレビにも取り上げられている。そういえば、西川口は家から近いのに、中華料理店が増えた西川口に行ったことがない。どうして西川口は中華料理店が増えたのだろう。なぜだ? なぜだ!? なぜなんだ!!?

西川口の歴史

埼玉県の玄関口、川口駅。その北に西川口がある。北にあるのに何で西川口? その答えは、「川口駅自体がそもそも、川口市内の中で割と西のほうにあるから」である。

川口市は東京のベッドタウンとして発展した。夜の京浜東北線(下りに乗っていると、ターミナル駅でもない川口駅でたくさんの人がおりていくのがわかる。加えて、古くから鋳物の街として知られ、今でも線路沿いには鋳物工場が並ぶ。僕は鋳物工場のわきで鉄くずを拾ったことがある。本当に溶けた鉄が適当な形で固まっただけの、使い道のない純粋な鉄くず。

通勤通学に便利で、市内の産業も発展し、その上オートレース場があり、浦和の競馬場や戸田の競艇場も近い。

そんな人が集まる街だからだろうか、西川口は埼玉県有数の風俗街が発展した街でもある。埼玉県内では「西川口に行く=風俗店に行く」で通じてしまうくらいの知名度だった。

とはいえ、住んでいる人からすれば迷惑な話だ。

そんな声が増えていったからなのか、はたまた、全国的にそんな流れだったのか、2000年代半ばに西川口の風俗店は次々と摘発されていき、西川口駅前はゴーストタウンのようになってしまった。

その西川口駅前の風俗店の跡地に、中華料理店が入るようになったのは、それから10年ほどしてからだ。

西川口はおいしかった

というわけで、時は2018年。新興の中華街として注目を集める西川口の西口に降り立った。

駅を降りていきなりすれ違う中国人(たぶん)。明らかに日本語ではない言葉をしゃべっている。

さっそく中華料理店の看板が見える。

ほかにも、駅前にはいろんな看板がある。

外国人向けの電話屋さん。

 

中国料理屋と、よくわからない漢字の店。

 

街の南側をぶらりと歩いてい見ると、確かに中華料理店の看板が多い。

 

軒を連ねるのは中華料理店だけではない。中国人向けの食料品店、雑貨店なども多い。

こういう、「その町で暮らす外国人向けのお店」があると、いよいよもって本物だ。

他にもこんな看板があった。

中国語カラオケである。僕だったら何を歌おうか。女子十二楽坊ぐらいしか知らないなぁ。

……歌詞ねぇよ、女子十二楽坊。

さらにはこんな看板も。

何の看板かはわからないが、とりあえず見たことない漢字だ。

こうやって歩いてみると、なんだか日本じゃないみたいだ。

見てるだけではもったいないので、実際に中華料理店に入ってみた。

入ってさっそく驚く。客がみな中国人だ。本当にこの店入っていいのかな、とちょっと不安になる。

店員さんもおそらく中国人なのだろうが、そこは日本で商売しているだけあって、日本語での接客もばっちりだ。

ところが、席に座ってまたまた驚く。

なんと、店員さんは、カラのコップを置いたのだ。

テーブルの上には水の入ったポットがあるので、自分で注げということなのだろう。

日本ではなかなかないシステムだが、思えばヨーロッパに行ったときは、カラのコップと水の入ったボトルを渡された。案外、こっちのほうがワールドスタンダードなのかもしれない。

カニチャーハンを注文してみた。

なるほど。日本のラーメン屋や定食屋で食べるチャーハンとは違う。

具体的にどう違うのかというと、油が多い。

断わっておくけど、決して「無駄に油っこい」わけではないぞ。

僕史上一番おいしかったチャーハンは、中国・北京で食べたやつなのだが、日本で食べた中ではあれに一番近かったと思う。

つまり、この油多めのチャーハンのほうが、本場の味というわけだ。

ボリュームも結構ある。これでカニがついて700円以下ならば安い。

え、どこの店かって。

すでに紹介した写真の中に答えはあるぜ。

探してみな。チャーハンのすべてをそこに置いてきた!

風俗街・西川口は死すとも、スケベは死なず

さて、そんな西川口だが、風俗店はどこへ行ってしまったのだろうか。すべてなくなってしまったのだろうか。

男子諸君、ご安心を(?)。

風俗店は、生きている!

とはいえ、駅前の1ブロックを中心にわずかに残っているにすぎない。県内のよその町に比べれば確かに数は多いのかもしれないが、「風俗街」と呼ぶにはちょっと物足りない。

とはいえ、「風俗の街、西川口」はまだかすかではあるが生きている。

しかし、ネットの中ではもはや風前の灯火なのかもしれない。yahooで検索をかけると、トップで「中華料理屋」がサジェストに上がる。だが、風俗店に関するサジェストは出てこない。

もはや、「西川口に行く=中華を食べに行く」、そういう時代なのだ。

中華料理と風俗店

なぜ、西川口に中華料理店が多いのだろうか。

もともと、西川口の隣町、蕨駅周辺は外国人が多い場所として知られていた。チャイナタウンとなりつつある団地もあるという。そういったところにあった風俗街が摘発を受けてゴーストタウンとなった。空いた場所で在日外国人たちが商売を始めた。

こうして西川口は中華料理の街になりましたとさ。おしまい。

……と、ここで面白いことに気付いた。

「外国人街」と「風俗店街」の組み合わせが関東地方には多い、ということに。

たとえば、関東最大の風俗店街と言ったらやはり新宿歌舞伎町だろう。特に歌舞伎町の北側はホテル街となっている。

そこから職安通りを挟んだすぐむこう側は、新大久保のコリアンタウンだ。

コリアンタウンというと、東京の北東部、三河島近辺も有名だ。

三河島のすぐ南に行けば、鶯谷がある。ここは都内でも特にラブホテルが密集する場所だ。

鶯谷の隣は上野だ。上野のアメ横は近年、アジア系のお店が並び、異国情緒があふれている。

外国人街と風俗街がセットになっているのは、東京だけではない。

中華街といえばやっぱり横浜中華街が有名だ。ここから徒歩30分ぐらいのところにある黄金町は、かつての風俗街として知られている。

このように、外国人街と風俗店街は、距離の近いところにある。

もちろん、例外はある。例えば、インド人が多いことで知られる西葛西周辺に風俗店街はない。最近、西葛西ばっかり歩いてる僕が言うのだから間違いない。

西葛西に行ったら30人に一人がインド人だった

さて、今のところ、僕は「周辺」が関係しているのだと思う。

街の、都市の中心ではなく周辺。

西川口はベッドタウンだ。つまりは、「東京」という大きな経済圏の中心ではなく、周辺部に位置している。

新宿は今でこそ東京の中心の一つだが、戦後ぐらいまでは東京の「周辺部」だった。

上野は新宿よりも都心には近いが、あの町もまた「周辺」に位置している。これについては日を改めて詳しく書きたい。

そして横浜中華街と黄金町。ここもまた横浜の中心地ではない。周辺部だ。

こういった周辺部というのは、誤解を恐れずに言うと、昔から異質なものが集まりやすい場所なのではないか。

とはいえ、僕も日本国籍じゃない友人が何人かいるので、「外国人=異質なもの」と書いてしまうと、後で川にでも放り込まれそうな気がするが、決して差別的な意図で言っているわけではなく、「日本という枠組みの外から来た者、異なるアイデンティティを持つ者」という意味合いで使っている。

一方、風俗嬢の知り合いはいないので、そちらに関しては川に放り込まれる心配は全くしていない(実は隠れて……ってい人もいるかもしれないけど)。

さて、今のところ、外国人街と風俗店街が近いのがわかったのは関東だけだ。よその地域ではどうなのかはこれから調べていきたい。

この「周辺」という概念については、今後さらに研究していきたいテーマの一つだ。

それでも、やっぱりラジオが大好きだ!

テレビ全盛の時代が終わりをつげ、you tubeの動画が何億回も再生される、そんな時代がやって来た。さらに、showroomやVtuberといった、新たなメディアやコンテンツが次々と登場し、時代はどんどん変わっていっている。

それでも、やっぱりラジオが大好きだ!


ラジオの公開収録を見てきた

8月24日に池袋で行われた、FM NACK5「Nutty Radio Show THE魂(ソウル)」の公開収録に行ってきた。

THE魂 公式ブログ

当日は乃木ヲタ(乃木坂46のファンの皆さん)やスラッシャー(DISH//のファンの皆さん)が大勢訪れるのは想像に難くない。だって、レギュラー出演しているのだから。

そんな中、純粋なラジオファンの底力を見せてやるぜ! 妙に意気込んでいた私。

事前に優先観覧スペースの抽選をやるというので、ダメもとで応募してみたところなんと当選! これで、場所取りをする必要はなくなったと、余裕をもってサンシャイン60へと向かった。

さて、集合場所に行ってみると、どうやら抽選に当選した人は210人いるらしい。その中で僕の整理番号は43番。どうやら、相当今回は運がいいみたいだ。

整理番号順に並んで優先観覧スペースへと向かう。番号順に場所が決まってるのかなと思いきや、順番を守らなければいけないのは優先観覧スペースに入るまで。スペースに入ってからは自由に場所を選んでいい、というので、なるべく真ん中に行くことに。

2列目、というかほとんど1.5列目のど真ん中に陣取り、後ろを振り返った。

優先観覧スペースの後ろに、普通の観覧スペースがある。そこにも優先観覧スペースと同じくらいの数の人がひしめいていた。

優先観覧スペースと普通の観覧スペース、合わせて400人ほどがサンシャイン60の地下1階、噴水広場にひしめいている。

それだけではない。噴水広場は吹き抜けになっていて、1階、2階、3階からも観覧できる。そこも人で埋め尽くされていた。

数百人がイベントに集まったわけだ。一応言っておくが、「THE魂」は埼玉県のラジオ局、FM NACK5の番組だ。radikoを使えば全国で聞けるが、基本は関東地方、埼玉県を中心としたローカルな番組だ。

そのイベントに数百人が集まったわけだ。

テレビやyou tubeなど、様々なメディアが登場し、ラジオはすっかりレトロな存在となった。

にもかかわらず、ラジオのイベントにこれだけの人が集まったのだ。

さて、公開収録が始まる前に、優先観覧スペースをもう少し広げよう、ということになり、観覧スペースとステージの間にあった仕切りがちょっとだけ前に動かされた。それに伴い人も動く。

その動きの中で、なんと僕は、最前列のど真ん中に躍り出ることに成功したのだ!

ステージまでほんの数メートル。視界を遮るものが一切ない中で、間近でイベントを堪能できた。イベントは撮影禁止だったので、写真でこの近さをお伝え出来ないのが残念だ。

とりあえず、間近で見た月曜日担当・乃木坂46のゆったんこと斉藤優里は、異次元の可愛さだった、とだけ書いておく。

2時間のイベントを最前列で堪能して帰路に就いた。そして、こう思った。

やっぱり、やっぱりラジオが大好きだ!

ラジオ、最近どうだい?

イギリスが生んだ伝説のロックバンド、QUEEN。QUEENが1984年に発表した曲に「RADIO GAGA」という曲がある。ベーシストのロジャー・テイラーが作詞作曲を担当した珍しい曲だ。

タイトルの通り、ラジオのことについて歌った曲だ。

歌詞の内容は次のような感じだ。

テレビが全盛の時代となり、ラジオの時代はとうに終わってしまった。

それでも、やっぱりラジオが大好きだ!

そんな歌だ。

Radio what’s new?(ラジオ、最近どうだい?)

Someone still love you(まだ君を、ラジオを愛している奴がいるんだ)

ちなみに、この「RADIO GAGA」をもじって芸名にしたのが、かの有名なLADY GAGAだ。ウソのようなホントの話。

この歌が発表された80年代、ラジオは全盛期を終え、時代の中心はテレビだった。ラジオは廃れていくけど、それでも、やっぱりラジオが大好きだ! そういう歌だ。

それから30年以上の時が流れた。今度はテレビが全盛期を終え、時代はyou tubeだ。人気の動画は世界中で再生され、いつでも好きな時に見れる。

それに比べてラジオなんて、音しか出ないし、FMは一つの地域でしか聞けないし、放送時間決まってるし。最近はradikoプレミアムやタイムフリー機能があるが、radikoプレミアムは有料だし、タイムフリーは1週間しか持たない。you tubeに比べるとだいぶ不利だ。

だが、ラジオはなくならなかった。テレビ放送が始まって半世紀近くが過ぎ、ネット動画の時代になってもラジオはなくならず、ローカル番組のイベントに数百人が集まる。

なぜだろう。

その理由は“Someone still love you”、この一言に尽きるのではないだろうか。

ラジオとリスナー

ラジオはなぜ生き残っているのか。それは、ほかのメディアにはない「リスナーとともに番組を作る」という点にあるのではないだろうか。

もちろん、テレビでも視聴者の投稿を募集することはあるし、you tubeだって視聴者のコメントなどを反映させることはできるだろう。

だが、ラジオの「まずリスナーありき」「リスナー依存度」は半端ではない。

たいていの番組が毎回テーマを決めてリスナーからメールを募集する。リスナーのメールを読んで、DJがその話を膨らませていく、というやり取りがラジオの基本だ。DJが一方的にしゃべるだけ、という番組はないわけではないが(情報番組とか)、基本は「番組がテーマを決めてメールを募集する」⇒「リスナーがメールを送る」⇒「DJがメールを読む」⇒「リスナーのメールをもとに話が膨らんでいく」というのが、ラジオ番組の基本である。

そのため、どこのラジオ番組も「リスナーがいないと、まったく番組の進行ができない」というくらいリスナーありきの放送をしている。

さらに、番組からリスナーに電話してお話をしたり、クイズを出したりすることもある。これを「逆電」という。

そして時に、リスナーの人生まで垣間見える。恋の話、家族の話、病気の話などなど。

どこかの誰かの人生とほんの一瞬つながる瞬間。これこそが、ラジオの醍醐味だろう。

ラジオと音楽

ラジオは音楽との相性がいい。そりゃそうだ。音だけのメディアなのだから。逆に、写真とか絵画との相性は最悪だ。

いろんなラジオ番組があるが、特に音楽番組は多い。

最新のヒットチャートを紹介する番組、レコードをかける番組、アニソンに特化した番組、V系に特化した番組、リクエストをかける番組、いろんなタイプの番組がある。

何がいいって、リスナーはどんな曲がかかるかわからない、ということだ。

だからこそ、好きな曲や懐かしい曲のイントロが流れるとテンションが上がる。自分でウォークマンやiPODを操作して流すのとは、全然違う。

ラジオと投稿

ラジオの醍醐味の一つが、番組に投稿することだ。もちろん、サイレンとリスナーでも十分にラジオは楽しめるが、投稿が読まれた時の喜びはひとしおだ。

ただ、これが全然読まれない(笑)。

渾身のネタが読まれず、楽しい放送なのに一人がっかりする、なんてことはよくある話だ。

だからこそ、読まれた時の喜びはひとしおだ。自分のラジオネームが読まれ(ちなみに、僕の場合、ラジオネームも「自由堂ノック」だ)、自分の送ったメールが読まれる。僕のメールをもとにDJが話をする。

いつも聞いているラジオのど真ん中にいきなり自分が放り込まれるような感覚だ。

さらに、自分のメールから話がどんどん広がったり、DJの思い出話なんかを引き出せたり、ツイッターでほかのリスナーが自分のメールに反応をしてくれたりすると、さらにうれしくなる。

特に面白いメールにはノベルティが贈られる。こうなると喜びはMAXだ。町中を走り回って「皆さん、私の投稿がラジオで読まれ、ノベルティが当たりました!」と大声で叫んで回りたい気分だ(もちろん、投稿はすれど、そんな奇行をしたことはない)。

ラジオと災害

この記事を書いている2日前、北海道を震度7の地震が襲った。

翌日のニュースで札幌に住んでいる人がインタビューに答えていて、「ラジオを聴いている」と話していた。

ラジオは、あらゆるメディアの中でも特に、災害に強い。

それは、災害が起きても放送をしている、というだけではない。

例えば、東日本大震災の時の話だ。

地震直後、テレビをつけるとどこの局も、東北を襲う津波の映像を流していた。多くの人の命を奪った痛ましい津波だ。

だが、この時僕が欲していたのは、自分がいる埼玉県は安全なのか、という情報だった。

ところが、どこのテレビも東北の津波ばかりで、埼玉で何が起きているかは全くやってくれない。どこかで火災は起きていないのか。避難したほうがいいのか、しなくていいのか、遠くの津波の話ばっかりで、自分の身の回りの情報が全くない。

そこで、ラジオをつけた。地元埼玉のFM NACK5の人気番組、小林克也の「ファンキーフライデー」だ。

そこでは、「栗橋の交差点で信号が止まっています」といった、超ローカルな情報がリスナーたちによって寄せられていた。おかげで、自分の身の回りの情報を手に入れることができた。

ラジオは投稿してから読まれる前に、放送作家によるチェックが入る。「動物園からライオンが逃げ出した!」みたいな、SNSでよく見るトンデモデマ情報はまず読まれないだろう。

ほかにも、ラジオは緊急地震速報を流してくれる。気象警報を教えてくれる。

災害に限らず、電車の遅延や運転再開まで教えてくれる。

いつもはおどけたことを言っているDJが、こういうお知らせの時はまじめな口調になるのが、ちょっとおもしろい。

そして何より、災害時に笑顔を届けることができる。

「おに魂」の最終回で読まれた、「3.11の時、福島から避難する車の中で、おに魂を聞いて3時間笑いっぱなしでした」というメールがいまだに印象に残っている。

 

ラジオ、最近はどうだい?

テレビ全盛の時代を迎え、それすら過ぎ去り、時代はyou tubeだ。

さらに、showroomやVtubeなど、新しいメディア・コンテンツが次々と生まれていく。

音しか出ないラジオなんて、時代遅れなコンテンツなのだろう。

それでも、悪いけど、どのメディアも、ラジオの楽しさには及ばない。

Someone still love you.

Someone love radio from now on.

それでも、やっぱりラジオが大好きだ!

初心者のためのラジオ用語集

ラジオをあんまり聞いたことがないよ、という人のために、初心者向けのラジオ用語集を作ってみた。さあ、ラジオを聞こう!

AM・FM

電波の違いらしいのだが、まあ、一般的にはAMが全国放送、FMが地域放送、といった感じか。

AMは広範囲、それこそ日本全国規模で届くが、音質があまりよくない、と言われている。

一方、FMはAMに比べると届く範囲が狭く、例えば関東のFMだったら関東しか聞こえない。埼玉県入間市に基地があるFM NACK5だったら、神奈川県西部はちょっと厳しい。静岡ではかなり厳しい。

だが、東京湾では意外とばっちり聞こえる。東京湾を行く船の上で、NACK5を聞いた本人が言っているのだから間違いない。

FMは範囲が狭い分音質が良いとされ、音楽番組向きだといわれている。

改変

番組のDJが変わったり、番組そのものが入れ替わる時期。1月、4月、7月、10月に改編が行われるが、特に4月と10月に集中している。

改変の1か月前くらいに、「番組の最後に大事なお知らせが……」みたいなことを言い出したら、大好きな番組の終了を覚悟したほうがいい。

たまに、「大事なお知らせが……」といって、「何年何月に放送が始まった今番組ですが……」と神妙な面持ちで切り出しておいて、「来月から放送時間が変わります!」と発表するパターンがある。「びっくりした。終わるのかと思った。あ~、よかった」という安堵感と、「おい! 番組終わるかと思っただろ! 紛らわしいことするな!」という怒りが同時に胸中に押し寄せる。

カフ

DJの手元にあるマイクのスイッチ。このスイッチを入れることを「カフを上げる」という。カフを上げ忘れると、しゃべっても声が放送に乗らず、その後もカフを上げ忘れたことでしこたまいじられる。

逆電

番組からリスナーに電話をかけ、お話をしたり、クイズやゲームを楽しむ企画。大体が番号非通知でかかってくるので、非通知拒否設定を解除しないと、番組から電話がかかってこない。

公録

公開収録の略。

サイレントリスナー

投稿をあまりしないリスナー。

周波数

電波の周波を表した数字。単位は「MHz(メガヘルツ)」。埼玉県には、周波数が79.5MHzだから、「ナックファイブ」という社名をつけたふざけたラジオ局が存在する。

ジングル

CMに入る前後に挿入される音楽。音楽にのせて番組名を言う場合が多い。

たまに、ゲストのミュージシャンがお土産に番組のジングルを作ってきたり、遅刻のお詫びにジングルを作ったりする。

聴衆率調査週間

2か月に一回、偶数の月に行われる、番組聴衆率を調査する週間。この週になると、どこもスペシャル感を出し、プレゼントが豪華になったり、特別な企画を行ったり、動画配信を行ったり、ノベルティが当たりやすくなったりする。

トークバック

ディレクターが放送中にDJに出す指示。放送ブースの外からマイクを使って指示を出し、DJはヘッドフォンやイヤホンでこの指示を聞く。そのため、トークバックが放送に乗ることはない。

ハガキ職人

番組にせっせと投稿したり、面白い投稿を連発したりする人のこと。時代は流れ、ラジオへの投稿はハガキからFAX、そしてメールが主流となったが、「メール職人」という言い方はあまりしない。

ふつおた

「ふつうのお便り」の略称。番組が募集しているテーマとは関係ない内容のメールのことを指す。番組や放送局によって名称が変わることもあるが、「ふつおた」が一般的である。ふつおたを特に集中して紹介するときは「ふつおたまつり」と呼ばれる。

radiko

インターネットを通じてFMラジオを聴くアプリ。電波による放送に比べると、数秒から30秒近く遅れる。有料プログラム「radikoプレミアム」を使うと、電波が届かない地域のFMラジオを聴くことができる。さらに、タイムフリー機能があり、聞き逃した放送も1週間以内なら再生することができる。

ここがヘンだよ旅人たち

ピースボートなんぞに乗っていると、いろんな旅人と知り合う。世界のあちこちをめぐり、旅に生き、旅を愛し、自由を謳歌する旅人たち。最高である。最高なんだけれど、どうも違和感を感じてしまう時がある。今回はそんなお話。外国に行くのがえらいんですか? 何か国も行くのがえらいんですか?


今年は旅祭に行かなかった

去年、旅祭2017に参加した。2年続けての参加である。

旅祭2017 ~最果ての地、幕張~

この時もそれなりに楽しんだのだが、一方で「祭りになじめない」という思いを切実に感じていた。その当時の記事から抜粋してみた。

さもここまで旅祭を楽しんだかのように書いたが、僕には一つの違和感が付きまとっていた。

どうも、この場になじめない。

CREEPY NUTSの『どっち』という曲がある。「ドン・キホーテにも、ヴィレッジ・バンガードにも、俺たちの居場所はなかった」という出だしで始まる曲で、ドンキをヤンキーのたまり場、ヴィレバンをオシャレな人たちのたまり場とし、サビで「やっぱね やっぱね 俺はどこにもなじめないんだってね」と連呼する。

旅祭の雰囲気はまさにこの歌に出てくる「ヴィレバン」だった。やたらとエスニックで、やたらとカラフルで、やたらとダンサブル。

突然アフリカの太鼓をたたく集団が現れたり、おしゃれな小物を売るテントがあったり、やたらとノリのいい店員さんがいたり、なぜか青空カラオケがあったり。

なんだか、「リア充の確かめ合い」を見せられている気分だ。「私たち、やっぱり旅好きのリア充だったんだね~♡ よかったね~♡」という確かめ合い。

会場で何回かピースボートで一緒だった友人たちに会い、その都度話し込んだが、彼らがいなかったら、とっくに帰っていたような気がする。

とまあ、ひがみ根性丸出しの文章を書いている。

とはいえ、締めの文章では

旅祭2017を振り返って、「来年も旅祭に行きたいか」と問われれば、答えはイエスである。

僕みたいな「旅ボッチ」は旅祭に群がる「旅パリピ」が苦手なだけであって、旅祭そのものは刺激に溢れた祭だ。

と書いているから、この時点では旅祭2018も参加する気満々だったらしい。

そうして1年が過ぎ、5月ぐらいになると「今年も旅祭やるよ!」という告知が回ってくる。

なぜ、今年の旅祭は行かなかったのか。

この5月のときに前回の旅祭を思い返してみても、「全然なじめなかった」という記憶しか出てこなかったからだ。

正直、今回、この記事を書くかどうかは悩んだ。友人の中には旅祭を楽しみにしている人や、旅祭の運営に1枚かんでいる人までいる。「なじめなかったから今年は行かない」なんて書いたら、彼らを傷つけてしまうのではないだろうか、と。

だが、僕に限らず、お祭りやイベントごとになじめない人間というのは一定数必ず存在する。それは、僕自身ピースボートに乗っているときにイベントを運営する側に回ったことで痛切に感じたことだ。

そして、「なじめない人間」というのはあまり自分から声を発することはない。そういうのが苦手な人が多い。

そのため、イベントを運営する側にしてみればそういった「なじめない人たち」は「いないもの」、「存在しないもの」として扱わざるを得ない。

なので、「なじめない!」と声を上げることも必要なんじゃないか、と思って筆を執る次第だ。

旅ボッチと旅パリピ

去年の旅祭に参加して切に思ったのは、「旅人の中には『旅ボッチ』『旅パリピ』がいる」ということである。

旅ボッチと旅パリピ

旅ボッチと旅パリピはどういうことかというと、「旅の好きなボッチ」と「旅の好きなパリピ」である。読んで字のごとくだ。

よく、ピースボートなんかもそうなのだが、旅人の話を聞くと、「世界を旅すると、世界じゅうに友達がいっぱいできます」と語る人を見る。ぼくの身近にもいた気がする。

はっきり言わしてもらうと、

そんなのは嘘だ!

それは、「旅パリピ」に限った話である。

日本で友達が作れない奴が、旅先で、言葉も文化も宗教も違う奴と友達になれるわけがない。

私がその証明だ(笑)。

 

旅パリピというのは、テンションが高く、声がデカい。

その結果、常に注目を集め、いかにも旅パリピが多数派であるかのような錯覚を周囲に引き起こす。

 

確かに、誰かと行く旅は楽しい。

だが、それが旅のすべてではない。

時には、一人の方が気楽で楽しい。そんな旅だってある。

僕の実感では、やっぱり旅祭は旅パリピを対象にしたイベントであって、旅ボッチにはどうにも居心地が悪い。

いや、もしかしたら日本の「旅業界」全体が、旅パリピ向けなのかもしれない。

それは単にJTBみたいな「旅行業界」だけではない。例えば本屋やこじゃれたカフェにある「旅の本」なんかを見ると、大体カラフルな写真が並び、「絶景」というワードが入っている。

これは旅パリピ向けである。旅ボッチにとってはこういうのはちょっと手を伸ばしにくい。

今のところ、旅ボッチ向けの、白黒写真の「旅の本」はまだ見たことがない。

不思議である。旅パリピは大体口をそろえてこう言う。「世界を回るといろんな価値観に触れ、世界観が広がります。多様性が大事なんです」

ところが、現状「旅人業界」は旅パリピのことしか見ていない。旅パリピは自分たちの価値観が旅人代表であるかのように語り、旅ボッチのことは存在すら知らないらしい。

何が「世界観が広がる」だ。多様性が大事だというのなら、もっと旅ボッチの存在に目を向けるべきである。

ここがヘンだよ旅人たち① 旅人はフレンドリーじゃなきゃいけない?

旅パリピはよく「旅に出ると世界中に友達ができる」と口にする。

それは、旅パリピだけの話だ。

また、旅祭のようなイベントに行くと、顔見知りでも何でもないのにやたらフレンドリーに話しかけてくる関係者の人がいる。

なんだろう。「旅人はみなフレンドリーである。いや、フレンドリーでなければいけない」という不文律でもあるのだろうか。

旅ボッチの視点から言えば、知らない人がなれなれしく話しかけてくるのは、

迷惑である。なるべくやめていただきたい。

断言しよう。別に現地の人と話さなくても、旅は楽しい。旅人はフレンドリーでなければいけない、なんてことはない。

むしろ、人と接触しすぎるとかえってトラブルに巻き込まれる可能性だってある。

ここがヘンだよ旅人たち② みんな高橋歩が好きなのか?

旅好きで高橋歩の名前を知らない人はいないだろう。世界のあちこちを放浪し、若者たちに強く訴えかけるメッセージを発し続ける、旅人のカリスマである。僕の周りにも高橋歩が大好き、影響を受けた、尊敬している、そんな人が多い気がする。

僕自身も旅祭で何度か高橋歩を見ている。「おもろいおっさん」というイメージで、決して嫌いなわけではない。

だが、これだけは言わしてほしい。

全ての旅好きが、高橋歩の著書を後生大事に読んでいる、というわけではないことを。

高橋歩が苦手な旅人だっている、ということを。

どの辺が苦手なのかというと、「距離感が近すぎる」という点である。

旅パリピにとってはそこが魅力に映るのかもしれない。本を読んでいると、まるですぐそばで励ましてくれているような気がする、と。

ところが、同じ本でも旅ボッチが読むと、「距離が近い近い近い近い! 無理無理無理無理! 離れて離れて!」と感じてしまう。あの距離感が苦手なのだ。

だから、僕の本棚には、高橋歩と仲の良い四角大輔さんの本はいっぱいあるのだけれど、高橋歩の本は一冊もない。

ところが、旅人仲間の中では「高橋歩大好き!」「歩さんマジ神!」といった人が結構多い。

そしてそういう人たちはどういうわけか、「ノックも旅が好きなら、当然、高橋歩好きだよね⁉」という前提で話しかけてくることがある。

旅が好きなら当然、高橋歩も好き。

決して、そんなことはない。

そんなことはないんだけれど、話の腰を折るのが嫌で、「いや、俺、あんまり高橋歩好きじゃない」とかいうとなんか相手の尊厳を傷つけてしまう気がして、「ああ、うん……」と適当に話をごまかす。実際に著書に目を通したことはあるけど、それで感動したことは一度もない。だって、距離感が近すぎるんだもん。

多様性が大事だというのであれば、「誰だって本の好き嫌いぐらいある」ということも理解するべきだ。

ここがヘンだよ旅人たち③ 遠くへ行くほうがえらいのか?

この夏、南関東を制覇してきた。

静岡では伊豆に行き、天城山を歩いてきた。

神奈川では鎌倉に行った。帰りにちょこっとだけ横浜に立ち寄った。

東京では高尾山に登った。葛西臨海公園で海も見た。

埼玉では飯能に行き、アニメ『ヤマノススメ』の聖地を巡ってきた。

千葉では館山に行き、海のそばでバーベキューをした。帰りには海ほたるにも立ち寄った。

東京湾に浮かぶ海ほたるまで行ったのだから、「南関東完全制覇」を宣言しても差し支えないのではないか。

そして、思う。

旅をするのに、別に何も「遠くでなければいけない」ということはないんだな、と。

伊豆で見たのどかな田園風景、高尾山から見下ろす東京の街並み、館山の海岸、価値観を揺さぶるには十分だ。

だが、ピースボートなんぞに乗っていると、どうも、「より遠くに行くことが正義」という風潮があるように感じてしまう。

旅祭に関しても、「世界」にばかり目が行って、すぐ足元の「日本」の旅にあまり目を向けていない気がする。

だが、昔の人はいい言葉を残した。「灯台下暗し」。世界ばかり見ていないで、自分の足元にも目を向けるべきだ、ということだ。

大体、近所の景色のすばらしさに気づけないやつが、世界を旅したところで得るものなんて大してない。

ここがヘンだよ旅人たち④ 何か国も行くやつがえらいのか

旅祭2017に参加したとき、こんなイベントがあった。

100か国以上を巡った人たちが、ステージに上がってお話します、というものだった。その時、こう思った。

……何か国も行くやつがえらいのか?

そもそも、行った国の数を自慢している時点で、アウトなのではないだろうか、と。何かを学んだとはちょっと思えない。

プロフィールにはなるべく数字を入れないほうがいい。数字が語るのはその人の自尊心の強さだ。入れていい数字は生年月日ともう一個何かぐらい。だから僕はプロフィールに入れる数字は「地球一周」のみと決めている。これ以上数字を入れてしまうと、ただの自尊心の強い人になってしまうからだ。

そもそも、僕の感覚では世界を10か国ほど旅すれば、そこから先は何か国旅してもそんなに変わらない、と思っている。10か国行っても、20か国行っても、50か国行っても、100か国行っても、300か国行っても、そこまで価値観とか経験値の差は出ないと思っている(ちなみに、世界に300も国はありません)。

量ではない。大事なのは質だ。

僕が尊敬してやまない人物に民俗学者の宮本常一がいる。宮本常一は日本の各地をつぶさに歩いて回ったが、海外に行ったことはあまりなく、初めての海外旅行は還暦を過ぎてからだといわれている。

たぶん、行った国の数だけを比べたら、僕のほうが宮本常一の4倍の数、国を訪れている。さらに、宮本常一は東アフリカと東アジアにしか行っていない。地域にも大きな偏りがある。

じゃあ、僕のほうが宮本常一よりも、行った国の数が多い分見識が深いのかというと、断じてそんなことはない。「僕のほうが4倍多くの国を訪れているから、4倍見識が深い」なんて言ったら、全宮本常一ファンにぼこぼこにされるだろう。ちなみに、その「全宮本常一ファン」の中には当然僕本人もいる。自分で自分をぼこぼこににしたいくらいの、分不相応な問題発言である。

量より質なのだ。「100か国以上旅した」という旅人を46人くらい集めても、ほぼ日本1か国だけを旅し続けた宮本常一1人の見識の深さにはかなわないと思う。

ここがヘンだよ旅人たち

「世界を回ると、様々な価値観に触れ、世界観が広がります。多様性が大事なんです」

旅人は口をそろえてこう言う。

だが、その実態は旅ボッチの存在に目を向けることなく、自分の好きな本はみんな好きだろうと勝手に思い込み、世界ばかりに目を向け日本を、近所を旅する楽しさを知らず、行った国の数を自慢する。

要は、ほとんど何も学んでいないに近い人が多い。

人の価値は何を経験したかでは決まらない。その経験から何を学んだか、どれだけの経験値を得たかで決まる。

どこを旅したとか、何か国行ったとか、地球何周したとか、そんなことはどうでもいい。そこから何を学んだかである。

「地球一周した」とか「100か国以上行った」とかいうと、たいてい「へぇ~、すご~い!」といわれる。

勘違いしてはいけないのが、この場合すごいのは「経験」そのものであって、「経験した本人」がすごいのではない。

もっと言えば、「それだけすごい経験をしているのだから、お前がどんなに馬鹿でも、何かしらのことを学んでいるよね?」という期待値が込められた「へぇ~、すご~い!」である。

何を経験したかではない。そこから何を学んだか、それが人間の、旅人の価値を決めるのだ。

小説 あしたてんきになぁれ 第17話「ガトーショコラのち遺影」

前回、たまきは16歳の誕生日を祝ってもらい、人生で一番楽しい誕生日となった……。

で終わらないところが「あしなれ」である。その誕生日パーティの写真が破かれてしまうという事件が発生する。果たして、犯人は誰?

「あしなれ」第17話スタート!


小説 あしたてんきになぁれ 第16話「公衆電話、ところによりギター」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


「誕生日の写真? 写真だったら、このまえ渡したじゃねえか」

舞は振り返りざまにそう言った。

「ええ……、まあ……、そうなんですけど……」

志保は少し申し訳なさそうにはにかむ。

十月二十一日に行われたたまきの誕生日パーティ。その時の写真は舞のカメラで撮影し、そのデータは舞のパソコンに入っている。パーティーの翌日、舞はプリントアウトした写真を「城」に持っていったはずだった。

志保が再びその写真をプリントしてくれないかと頼みに来たのは、十一月に入ってからだ。志保は買ったばかりのベージュのコートと赤いマフラーに身を包んでいた。冬着に身を包むと、志保の細い手足も隠れ、健康そうに見える。

「パーティの次の日に渡した写真の画像しかないぞ? 同じ写真が欲しいのか?」

「……はい」

「前の写真はどうした」

またしても、志保はごまかすように笑う。しかし、そんなはにかみでごまかされる舞ではない。

「別に、お前らを監視したいわけじゃないんだけどさ……」

舞はエンターキーを勢いよくはじくと、パソコンの置かれたデスクから立ち上がった。仕事途中なので、今日はメガネをかけている。

「お前らがあの『シロ』ってキャバクラに勝手に住み着いていることを黙認している身としては、些細なトラブルでも把握しておきたいんだよ。わかるか?」

「……はい」

「一応聞いておくけど、……クスリがらみじゃねぇよな」

「それは違います」

志保はきっぱりと否定する。それを聞いて舞は安心したように微笑んだ。

「別に怒りゃしねぇから。言ってみな」

 

 

十月下旬 今から二週間ほど前

写真はイメージです

「シゴト」から帰った亜美が「城(キャッスル)」へ戻ると、たまきが一人でいた。志保は施設の集会に向かったらしい。

たまきはソファの上に寝転がりながら、本を読んでいた。誕生日プレゼントにもらったゴッホの本である。

雑誌ていどのサイズの本にゴッホの絵が掲載されている。

十六才になって最初の一週間を、たまきはこの本を繰り返し読むことで費やしていた。

見れば見るほど、ゴッホという画家は面白い。そして、知れば知るほど、なんだか自分と重なる。たまきはそんな気がしている。

驚くべきことに、ゴッホはたまきと同じで中学校を途中でやめている。そして美術商の会社に就職する十六歳までの間、何もしていない。たまきと同じように、部屋でごろごろしていたのだろうか。

その後、美術商の会社に勤めるが、7年後にクビになる。その後は父親と同じキリスト教の聖職者になるが、これまたクビになる。そうして本格的に絵を描き始めたのが27歳のころだった。

この頃のゴッホの絵は何というか、暗い。黒を使うことが多く、絵はどこかくすんでいる。こういったところも、たまきはなんだか他人の気がしない。

その後、ゴッホは故郷オランダを離れ、パリへと移る。そこで出会ったのが印象派と浮世絵だった。

特に、印象派の影響が強く、この頃、画風ががらりと変わる。青や白といった色が増え、画風が急に明るくなる。明らかに印象派の影響だろう。

もう一つ、ゴッホに影響を与えたものがある。浮世絵だ。浮世絵を通して日本に強い憧れを抱いたゴッホは、アルルという街に日本の面影を求めて移住する。アルルのどの辺が日本っぽいのかはわからない。移住の理由はそれだけではなく、どうもゴッホは都会になじめなかったらしい。

アルルに移住したゴッホの絵は、今度は黄色くなる。有名なひまわりの連作もこの頃にかかれたものだ。住んでいた家も「黄色い家」というらしい。

だが、同居人のゴーギャンとはケンカ別れをし、自分の耳を切り落とし、挙句の果てにアルルから追い出されるように精神病棟に強制入院となる。退院後もアルルに居場所はなく、サン=レミの療養院へと入院することになった。

療養院に移ってからのゴッホの絵は青くなる。一方、彼は死に魅入られたかのように発作を繰り返す。

そして退院からわずか二か月後にピストル自殺をするのだった。

死ぬ間際の作品として有名なのが「烏の群飛ぶ麦畑」だ。

麦畑の上を無数のカラスがはばたく。空は青空にもみえるし、漆黒の夜空にもみえる。黒、青、黄色、ゴッホが特にこだわってきた色が使われている。

カラスはまるでアルファベットの「M」の字のような形をしている。「線」と言い換えてもい。こんなの、美術の時間に描いたら「ふざけるな」と怒られてしまうだろう。ゴッホの絵は生前は1枚しか売れなかったというから、当時もふざけてると思われていたのかもしれない。

それでも、不思議とカラスにしか見えない。畑も正直な話、子供が黄色い絵の具をこすり付けただけのようにしか見えないが、それでも不思議と麦畑に見える。耳を澄ませば風になびく麦のざわめきの中に、カァカァというカラスの鳴き声が聞こえてきそうだ。仙人の言っていた「直感でやっているのか計算してやっているのかわからない」というのはこういうことを指していたんだろう。

そして、この絵は「極度の孤独」を表現したものらしい。麦畑とカラスのどの辺が孤独なのかよくわからないが、それでも、確かにこの絵からは孤独とか絶望とか死とか、そういったものが伝わってくる。

なんだかどこかでこの絵を見たことがある。そう思ってたまきは眺めていたが、一週間眺めてやっとわかった。

たまきが初めてこの太田ビルに来て亜美と会った日、雨にもかかわらず傘も差さずに歩いてたためメガネのレンズはぬれ、視界はぐにゃぐにゃに曲がっていた。そうだ、あの時に似ているのだ。

最近もどこかで見たと思ったら、「東京大収穫祭」の時に一人ベンチに座って泣いていた時に舞が目の前に立っていた、あの時に似ている。メガネをはずしていたうえ、目はなみだで滲んでいた、あの時に見た景色に。

死ぬ間際のゴッホには世界がこんな風に見えていたのか。ゴッホも泣いていたのかな。

ゴッホという画家はその絵1枚1枚もさることながら、時系列順にその絵を並べてみることで彼の人生そのものを表現している、「ゴッホ」という一つの作品らしい。

死にたがりなところとかどことなく自分に似ている。たまきはゴッホに親近感を沸くと同時に、自分とは違うところもいくつか見つけていた。

ゴッホもコミュニケーションが苦手だったらしいが、たまきのように喋らないのではなく、むしろすぐに人と口論になって嫌われてしまうタイプだったらしい。ゴッホが残した手紙にも、そんな自分に対して自分で嫌気がさしているかのような言葉が目立つ。

それでいて、ゴッホは自画像を多く描いた。

自分が嫌いでしょうがないたまきは自画像なんて描きたいと思わない。ゴッホは実は自分が好きだったのだろうか。

それとも、自分を好きになりたくて自画像を描いていたのだろうか。

たまきはのそりと起き上がると、厨房の方へと移動した。厨房の手前はちょっとしたカウンターになっていて、そこに安っぽい写真立てに収まった、誕生日の日の写真が飾られている。

写っているのは5人。後列は右からミチ、亜美、志保、舞。みな笑顔だ。

写真の中央、4人より少し前にたまきは座っていた。満面の笑み、とまでは行かなかったが、十分笑顔だった。

もし私が……、ふとそんなことを考えたとき、亜美が口を開いた。もちろん、写真の中の亜美ではなく、すぐそばにいる実物のほうの亜美だ。

「誕生日プレゼントを気に行ってもらえたのは嬉しいんだけどさ」

亜美は半ばあきれたように言う。

「お前、ずっとそれ読んで一歩も外出てないだろ」

「……お風呂と洗濯に行きました」

「それだけだろ。とにかく、ここ一週間ほとんど外出してないじゃないか」

と、声を張り上げた。

「そうですね」

「どっか行って遊んできなさい!」

先週もそんな風に言われた気がする。

「おそとに出るのがえらいんですか?」

「……べつにえらかねぇけどさ」

亜美はまだ何か言い足りなさそうにたまきを見ていたが、やがて、ふうっと息を吐くと、あきらめたかのようにたまきの頭を軽く、ポンポンと叩いた。

「ま、無理に外に出して、車道に飛びこんで死なれてもアレだからな」

「……アレってなんですか?」

「……アレはアレだよ」

たまきは怪訝そうに亜美を見上げていたが、やがてぽつりと、

「亜美さんは……、私が死んだら悲しいですか?」

と言った。

「は? そりゃ、カナシイに決まってるだろ。何か月一緒にいると思ってんだ」

「そうですか」

たまきは、亜美ではなく写真立ての方を見ながら、そう返事した。

 

 

十一月上旬 今から一週間ほど前

写真はイメージです

たまきの約十日ぶりの本格的な外出は、駅前の喫茶店に行くことだった。

志保が最近よく足を運ぶ喫茶店があるらしく、そこに行こうと誘われたのだ。

亜美もたまきも最初は断った。亜美は

「喫茶店ってジジイがコーヒー入れてババアがケーキ運んで、おばさんがベチャクチャしゃべりながら飲むところだろ?」

と随分凝り固まったイメージを喫茶店に持っているらしく、行くのを渋った。たまきはたまきで

「お茶なら下のコンビニで買えます……」

とだけ言ってそのまま昼寝しようとしたが、志保が

「友達連れてくって約束しちゃったの!」

と懇願したのだ。

最初にじゃあ行きますと言ったのはたまきの方だった。これまで友達らしい友達がいなかったから、「友達」という言葉を出されると、どうもむげに断れない。

たまきが行くというのを聞いて、だったらウチもと亜美が言い出して、三人で行くことになった。

十一月に入ったばかりの東京の町は、まだ午後二時だというのに空っ風が吹いて寒い。

これからどんどん寒くなっていくのだろう。あと2カ月もすれば、クリスマスに大晦日、お正月と世間が浮かれる1週間がやってくる。

それまで生きてられるかな、と漠然とたまきは考える。

歓楽街を出て大通りを渡ると、駅へと続く大きな歩道だ。色とりどりの看板が、客が来るのを首を長くして待っている。

足音。話し声。車の音。何かの音楽。

この町はシブヤと違って、たまきはあまり場違いな感じがしない。何が違うのかと考えてみたが、4カ月この町にいる、ということしか思い浮かばなかった。

「志保さ、一個聞きたいんだけど」

「なに?」

志保が振り返って、後ろを歩く亜美に返事をした。

「友達連れてくって約束したって言ってたじゃん」

「うん」

「誰と?」

志保の時間が一瞬止まった、ような気がした。

「だ、誰とって?」

「誰とそんな約束したんだよ」

「え……店員さんだけ……ど」

志保は亜美を見ることなく答えた。

「喫茶店の店員とそんな約束するか、フツー?」

「でも、施設行くときとか帰りにいつも寄ってるから、仲良くなっちゃって」

そう答える志保の後姿を、たまきはぼんやりと眺めていた。

喫茶店の店員と仲良くなれるだなんて、たまきには想像がつかない。いったいどうやったらそんなことができるのだろう。

仙人はいろいろとたまきに言ってくれたが、やっぱり志保は「あっち側」の人なんだ、そうあらためて思う。

「いつから通ってんの?」

亜美は振り返らない志保の背中越しに問いかけた。

「え~っと……、8月の半ばくらいかな……」

これは嘘である。本当は店に初めて行ったのは10月の頭、大収穫祭の翌朝である。

おそらくそのことを正直に言ったら亜美は「1か月で喫茶店の店員とそんな仲良くなれんの?」と聞き返してくるだろう。そう考えたら、とっさに嘘をついていた。

「亜美ちゃんってさ……」

志保は振り返ってそう言いかけたが、

「ごめん。やっぱ、なんでもない」

と言って再び前を向いた。

「なんだよ。気になるな。言えよ」

「なんでもないって。あ、ここ、左だから」

志保は袖でそっと額の汗を拭く。「亜美ちゃんってさ、おバカなのに、勘がいいよね」なんて失礼なセリフ、言えるわけがない。

 

写真はイメージです

「シャンゼリゼ」というおしゃれな店名から連想することは人それぞれ違う。

志保は、この看板を見るたびにレコードの時代のおしゃれな音楽が頭の中に流れだす。

一方たまきは、ゴッホもパリにいたころシャンゼリゼ通りを歩いたのかな、なんてことを考える。ゴッホがパリにいたのは確か、絵が青と白だったころだ。

亜美は「シャンゼリゼ」という看板を見たら、カップルのうちの男の方が壁にかけられた変な顔の彫刻の口に手を突っ込む、白黒の映画のシーンが頭に浮かぶ。ちなみに、その映画の舞台がパリではなくローマ、フランスではなくイタリアであることを亜美は知らない。

「シャンゼリゼ」の店内はなんだかレトロな蒸気機関車の座席みたいだ。とはいえ、三人のうちだれも機関車に乗ったことなんてないのだけれど。

「なんだか、ウチの知ってる喫茶店と違うなぁ」

亜美がはきょろきょろと店の中を見渡していたが、やがて興味を失った亀のように首をひっこめた。一方、たまきはふだんの猫背をさらにねこのしっぽのように丸めている。

店内はスーツを着たサラリーマンや、学生らしき若い男女で込み合っていた。曲名も知らないクラシック音楽の上に、食器の音や話し声が、ベートーヴェンの音楽のように流れていく。

「いらっしゃい、志保ちゃん」

ウェイターの青年が水の入ったコップを持って、三人のテーブルにやってきた。長身だがこれといった特徴のない顔をしている。どちらかというと、パーマのかかったもじゃもじゃの髪の方が印象に残る。胸には「田代」と書かれた名札がついている。

田代を見て、志保の顔に笑顔がこぼれる。

「田代さん、こんにちわ」

「……この子たちがこの前言ってた友達?」

「そうそう。こっちが亜美ちゃんで、その隣がたまきちゃん」

「どうも」

亜美が軽くあいさつし、たまきも無言で頭を下げる。

「なんか、二人とも、志保ちゃんと雰囲気ちがうね」

「よく言われる」

志保が笑いながら返す。

「どういう知り合い? 学校?」

「……そうじゃなくて、家が近いんだよね?」

志保は亜美とたまきの方を向く。たまきはどう話を合わせればいいのかわからなかったが、亜美は

「そうそう、家が近くて、昔からよくつるんでんの」

と話を合わせる。

「じゃ、オーダー決まったらまた呼んで」

そういうと田代は厨房の方へと向かって行った。

「なに飲む? あたしはもう決まってるから」

志保はメニュー表を広げて、亜美とたまきの方に渡した。

「酒とかないの?」

「ないよ」

「だろうな」

そう言いながら亜美はメニュー表を覗き込む。

「お、このナポリタンうまそうじゃん」

「え? 食べるの?」

「なんだよ。悪いかよ」

亜美が怪訝な顔をして聞き返す。

「だって、お昼、食べたじゃん」

志保も怪訝な顔をする。

「食えるって、これくらい。飲み物は……コーヒーでいいや」

「たまきちゃんは飲み物どうする?」

「え?」

たまきは戸惑った。飲み物ならすでにお水があるじゃないか。

もしかして、こういった店はたまきの知らない不文律があって、「お水は飲み物のうちに入らない」とか、「お水以外の飲み物を頼まなければいけない」とか、たまきにはわからないルールがあるのかもしれない。

たまきは無言で「リンゴジュース」と書かれた文字を指さした。

「ジュースだけ? ケーキとかは頼む?」

「おい、ナポリタン、食うか?」

二人の問いかけに、たまきは無言で首を横に振った。

「田代さぁん、注文お願いします」

志保の呼びかけに田代がやってくる。

「ミルクティーとガトーショコラとモンブラン」

「うん、いつものやつね」

「それからナポリタンとコーヒーとリンゴジュース」

「ハイ、かしこまりました」

田代は伝票にメニューを記入すると、再び厨房の方へと向かった。ミチがバイトしているラーメン屋のように、大声で注文を叫んだりはしない。

「お前、ケーキ二つも食うのかよ」

「ナポリタン注文した人に言われたくない」

志保は少しむっとしたように答えた。そして、壁の張り紙に目をやった。

そこには「バイト募集」と書かれていた。「女性大歓迎」とも書いてある。そういえば、この店には若い女性の店員がいない。

「今度、この店の面接受けようと思うんだ」

「面接ってバイトの?」

「うん」

志保は張り紙を見ながら答えた。

「いつまでも亜美ちゃんの……稼ぎにお世話になるわけにもいかないじゃない。この前のイベントも無事こなせたし、あたしもバイトしようかなって。まあ、先生に相談してみてだけど」

「ふうん」

亜美は厨房の方に目をやる。

ほどなくして、ナポリタン以外の注文の品が運ばれてきた。ナポリタンはやはり少し時間がかかるようだ。

志保の持つ銀のフォークが黒みを帯びたガトーショコラの中に沈みゆく。濃厚なチョコの香りが志保の鼻孔を刺激する。

「最近はどんな本読んでるの?」

田代は志保のわきに立つと、トレイを片手に話しかけた。

「これ読んでます」

志保はカバンから文庫本を出した。

「ああ、映画になったやつね。見たよ」

「原作読みました?」

「いや、原作はまだ……」

「読んだ方がいいですよ。ヒロインの細かい感情表現がとてもきれいなんです。あ、読み終わったら貸しましょうか?」

そんな話をしているうちにナポリタンが出来上がった。

 

たまきにはわからない。ごく普通のリンゴジュースである。コンビニや自販機で買えるものとそんなに違わない。いや、むしろ自販機のリンゴジュースの方がたまきの舌にあっている気がする。

店内を見渡すと、コーヒーや紅茶だけを注文している客もちらほらいる。

そんなの、わざわざこんなお店に来て飲まなくても、その辺で買って、帰ってゆっくり飲めばいいじゃないか。

それとも、すぐに帰りたがるたまきの方がおかしいのか。亜美が「どっか言って遊んできなさい!」というように、お外へ出たがる方が普通のなのかも。

そんなことを考えていたら、ナポリタンを食べ終わった亜美が口を開いた。

「志保、ウチら、さき帰るから」

亜美も帰りたがることがあるんだなぁと、ぼんやりと亜美のコーヒーカップをのぞきながらたまきは思う。カップにはまだ3分の1ほどコーヒーが残されていた。

あれ? 「ウチら」?

「ほら、たまき、帰るぞ」

そう言って、亜美はたまきの肩をたたく。

「あれ? 帰るの? だったらあたしも」

そう言って志保は立ち上がろうとしたが、

「いや、お前は残ってていいよ。もう一杯紅茶飲んだらどうだ?」

そういうと再びたまきの肩をたたく。

「ほら、たまき」

たまきは何が何だかわからない。

「え……帰るんですか?」

「なに、お前、残ってたいの?」

「いえ……」

帰りたいか帰りたくないかと聞かれれば、帰りたい。

志保は何かを怪しむように亜美を見る。心なしか、顔が紅潮している。

「亜美ちゃんってさ……」

「ん?」

「なんでもない! じゃあ、お言葉に甘えてもう一杯もらおうかな」

「あ、たてかえといて。あとで払うから」

そういうと、亜美はたまきの手をグイッと引っ張って店を出た。たまきも、なんだか無理やり散歩させられてる子犬のような足取りで外へ出る。

 

写真はイメージです

「フツーの味だったな」

亜美が口の周りのトマトソースをなめながら言う。すれ違うトラックのエンジン音が響く。

「……リンゴジュースも普通の味でした」

たまきが亜美の後ろをとぼとぼとついてくる。歩くたびに雑踏の中で黒いニット帽が揺れる。

「あれだったら別に、わざわざ行かなくてもよかったなぁって……。志保さん、なんでわざわざ通ってるのかなって……」

おしゃれ女子の考えていることはわからない。

「ま、そういうことだろ」

亜美は振り返ってにやりと笑う。

「紅茶なんてどこで飲んでも一緒だし、ケーキなんてもっとうまい店この辺だったらいっぱいあるだろ。それでも志保はあの店に通う。そういうことだよ」

「……どういうことなんですか?」

たまきはけげんな顔をして亜美を見つめた。

「いや、あの二人、デキてるだろ」

「……あの二人って?」

「志保とあの店員だよ」

「できてるって何が……?」

しばらくたまきは考えたが、そういうのに疎いたまきでも、流石にわかってきた。

「え? え?」

「まあ、お互い意識している段階っていうのが60パー、もう付き合ってるっていうのが20パー、まあ、どっちかは確実に意識してんだろ」

「なんで? なんでわかるんですか?」

珍しく食いついてくるたまきに気をよくしたのか、亜美は名探偵よろしく語り始める。

「フツーさ、喫茶店の店員と仲良くなるか? どっちかが意識して声かけたか、そうじゃなかったら、実は別の場所で知り合って、ていうのもあるな」

「でも、志保さん、施設行くときはいつもあの店寄るって言ってたから、それで仲良くなったのかも……」

「施設っつったって、毎日行ってるわけじゃねぇだろ。週に2回か3回だろ。それも、あいつの話がホントなら2か月ちょっと通ってるわけだけど、それでも仲良くなるかよ。結構混んでるぜ、あの店」

「確かに……」

「そもそも、志保の話もどこまでほんとかわかんねぇしな」

「え?」

たまきがまたまた驚いたように目を見開く。

「店に行く前にウチが質問したとき、明らかにキョドってたよ、あいつ。どの辺がウソなのかまではわかんねぇけどさ。とにかく、あいつには隠しておきたい何かがある。でもさ、そこにウチラ連れてくんだから、別に後ろめたいことしてるわけじゃねぇ」

「はぁ」

たまきは話についていくのに精いっぱいだ。

「そういうのは大抵オトコがらみだよ。あいつ、読んでる本を店員に見せてただろ。自分はこういうの読んでるって知ってもらいたいんだよ。ウチらが連れてかれたのもその延長。こういう友達がいます~って知ってもらうことで、志保について知ってもらいたいってことよ。だからウチラを連れて行った。でも、恥ずかしいからウチラにほんとのことは言わない。そんでもって、バイトしようかな~、だろ? 客としてじゃ満足できねぇってことよ」

「じゃあ、志保さんは、あの店員さんが……、その……、好きなんですか?」

「たぶんな。そんなはっきり意識してはねぇかもだけどな。そうか、あいつ、ああいうヤサオがタイプか」

「ヤサオ」の意味がたまきにはわからなかった。「野菜みたいな男」という意味だろうか。そういえば、あの店員のもじゃもじゃした髪は、どことなくキャベツっぽい。

それにしても、全然気づかなかった。自分の鈍感さにたまきはショックを通り越して半ばあきれてしまった。

「亜美さんって、おバカだけど、そういうとこ鋭いですよね……」

その言葉に亜美は足を止めた。呆れたように笑っている。

「お前、けっこう、失礼なこと言うな」

「え? ごめんなさい。褒めてるつもりなんですけど……」

「いや、『おバカだけど』は褒めてねーよ」

「でも、私、そういうの全然気づかなかったから、亜美さんすごいなぁって……」

「いや、だから、『おバカだけど』は余計だって。まあ、否定はしねぇけどさ」

そう言いつつも、亜美は笑顔だった。

 

 

十一月中旬 志保が舞の家を訪れる前日

写真はイメージです

志保が「城」で暮らすようになって気づけば4カ月がたっていた。

だいぶ慣れてきたな、志保は自分でもそう感じる。最初こそは異様に距離感の近い同居人と、全然しゃべらない同居人に戸惑うこともあったが、4か月一緒にいると、どう扱えばいいのかもなんとなくわかってくる。

ただ、ビルの5階にある、というのはいつまでたっても慣れない。毎回、階段を上ると息が切れてしまう。

やっぱり体力が落ちてるんだな。骨が浮き出るかのように細い自分の手を見つめながら志保は息を飲み込んだ。

それでも何とか登りきり、ドアの前で呼吸を整える。ビルの影に沈む直前の西日が志保の髪を照らす。

息が整い、志保は「城」へと入った。

「ただいまぁ」

特に返事はない。電気もついていない。

ただ、ドアが開いていたからには、誰かしらいるはずだ。

志保は電気をつけて、奥へと進んでいく。

ソファの上に、黄色い毛布にくるまったたまきがいた。もっとも、頭を向こうに向けているので顔までは見えないが、黒髪と、テーブルの上に置かれたメガネからして、たまきと見て間違いない。

「ただいまぁ」

ともう一度言ってみた。

「……おかえりです」

たまきがか細い声で答える。もしかしたら、さっきも返事をしていて、単に聞き取れなかっただけかもしれない。

「どうしたの。元気ないね」

たまきに向かって何回このセリフを言ったことか。志保にとっては英語で言うところの”How are you?”に相当するあいさつの定型句だ。

「……別に」

これまた、たまきにとってはお決まりの返事である。

だが、心なしかいつもよりも元気がないような気がする。

志保は、カバンをソファの上に置いた。片手には下のコンビニで買った履歴書を持っていて、厨房の手前のカウンターに置こうとする。

履歴書がカウンターに置かれたのと、志保が写真の異変に気づいたのはほぼ同時だった。

先月行われたたまきの誕生日会の写真。たまきたち5人が笑顔で写った写真。

その写真が引き裂かれていた。中央にいるたまきの顔は、真っ二つに裂けている。

「なにこれ?」

志保は息をのみ、目を見開いた。

写真を手に取った志保は、下腹部から何か熱いものが湧きあがってくるのを感じていた。その一方で、手先は熱を失ったかのように震えている。

写真たてに入っていた写真が、勝手に破けるはずがない。誰かが取り出して破かなかったらこんなことにはならない。

たまきがいつもより元気がない理由も、おそらくこれだろう。誰が一体、こんなひどいことを。そして、なんのために。

志保は厨房に入ると、水道水をコップに入れ、一気に飲み干した。

そのタイミングで、再びドアが開く。

「たっだいま~」

亜美ののんきな声が「城」の中にひびた。

「……亜美ちゃん」

志保はいつもよりも低い声を発した。

「これなに?」

志保は二つに裂けてしまった写真を亜美の目の前に付きだす。

亜美はしばらくその写真を見つめていたが、突如、

「はぁ!?」

と声を張り上げた。

「これ、たまきの誕生日会の時の写真だろ? なんで破けてんだよ。たまきのところ、真っ二つじゃねぇか。誰だよ、こんなひどいことするの。たまきがカワイソウじゃんか」

「……白々しい」

志保が、泥棒でも見るかのように亜美をにらむ。

「亜美ちゃんがやったんじゃないの?」

「はぁ!?」

亜美は、さっきよりも語気を強めた。一方、志保は亜美を睨んだままだ。

「イミわかんない。何でウチが写真破かなきゃいけねぇんだよ?」

「たまきちゃんばっかり注目されて、自分が主役じゃなかったのが面白くなかったんでしょ!?」

志保は糾弾するように亜美に詰め寄った。

「は? たまきの誕生日だったんだから、たまきが主役になるのは当たり前だろ? ウチが嫉妬? ばかばかしい。証拠あんのかよ、証拠!」

亜美は、写真をカウンターの上に乱暴に叩きつけると、尋問のように志保を睨みつけた。叩きつけたときの音が「城」の中で反響する。

「だって、あたしじゃないもん。そしたら、亜美ちゃんしかいないでしょ。誕生日の写真、こんなことされて、たまきちゃんがかわいそうだよ! たまきちゃんに謝りなよ!」

「なんだよその理屈。自分じゃないからうちが犯人だって、お前が犯人じゃないって証拠あんのかよ?」

「証拠はないけど……、でも、あたしには動機もないもん。たまきちゃんの写真にあんなことする動機ないもん」

「ハッ、どうだか。隠れてクスリやって、ラリって破いたんじゃないの?」

その言葉に、志保が目を大きく見開いた。少し充血気味だ。

「訂正して、亜美ちゃん」

明らかに言葉に怒りがこもている。

「あたしは7月にみんなに迷惑をかけた一件以来、クスリ一回もやってない! 正直、使っちゃえば楽になるかなって思った日もあった。でも、一回もやってない! 訂正して!」

志保は亜美に詰め寄ると、亜美の肩を強くつかんだ。

「触んじゃねぇよ!」

亜美は志保の手を勢いよく払いのける。

「訂正すんのはてめぇだろ? 何でウチが疑われてんだよ! 濡れ衣もいいとこだろ。ウチが今まで、誰かの写真破ったことあるかよ。てめぇ、前にクスリやって財布盗んでる前科者だろうがよ! てめぇの方こそ、よっぽど怪しいじゃねぇかよ!」

亜美は、志保の肩に手を当て、突き飛ばした。志保がよろけて、壁に背中を強打する。骨がぶつかる鈍い音が「城」の中にこだました。

「いったぁ……」

志保も負けじと、亜美を親の仇かのように睨みつける。

志保はソファの上に置いてあったクッションを手に取ると。亜美に向かって投げつけた。クッションは勢いよく宙を舞うが、亜美が片手で払いのける。

「お、やんのか? お前みたいなガリガリに負けねぇぞ? それとも、とっとと罪を認めて楽になるか?」

「……そんなこと言ったって、そんなこと言ったってあたしじゃないもん!」

志保が叫ぶ。その振動で窓ガラスが震える。

「あたしじゃなかったら、亜美ちゃんしかいないじゃない! 他に誰がいるの!? だったら何? たまきちゃんが自分で破ったとでもい……」

そこまで言って、志保ははっとしたように言葉を止めた。亜美の方も何かに気付いたのか、少し顔色が冷めてきたように見える。

そういえば、もう一人の同居人は、自分で自分の手首を切るような女だ。

それに比べれば、自分の写真を引き裂くぐらい、たぶんなんでもないことだろう。

志保は、カウンターに上に置かれた写真をもう一度見た。

縦に真っ二つに引き裂かれている。たまきの顔は左右に泣き別れだ。

一方で、たまきのすぐ後ろにいた亜美と志保の顔には傷がない。まるで、亜美と志保の間のわずかな隙間をうまく破くように、細心の注意を払ったかのように。

二人はゆっくりと、ソファの上に寝転がっていたまきを見た。

いつの間にかたまきは立ち上がり、二人のすぐそばにいた。小柄な体を小刻みに震わせて、目も少し赤い。

言い争いが収まり、「城」にはかりそめの静寂が訪れた。静寂の中でたまきは幽かに、それでいてはっきりと、ぽつりと言った。

「……ごめんなさい」

今にも泣きそうなたまきは、言葉を続ける。

「ちゃんと言わなきゃって思って……、でも、二人とも、声かけられるような雰囲気じゃなくなって……。私、怖くて本当のこと言えなくて……。ごめんなさい……。私が早く本当のことを言えば……」

「本当にこれ、たまきちゃんが破いたの?」

たまきは、うつむいたまま、ゆっくりとうなづいた。

「お前、なんでそんなこと……」

「たまきちゃん、誕生日パーティ、嫌だった? 楽しくなかった?」

志保は腰を落として、たまきに目線を合わせて尋ねた。たまきはぶんぶんとかぶりを横に振った。

「……楽しかったです。嬉しかったです……」

「だったらなんで……」

たまきは、ゆっくりと顔をあげた。

「誕生日の日は、……とても楽しかったです。でも、その時の写真を見るたびに、思うんです。いつか私が死んじゃった時に、こんな写真が残ってたら、あの時はこんなに楽しそうにしてたのに、結局、最期はあんな死に方をしてって、みんな悲しくなると思って……」

まるで自分がどういう死に方をするかわかっている、もしくは決めているかのような言い方だ。

亜美はおもむろに身をかがめ、たまきに目線を合わせると、

「バーカ」

と言ってたまきのメガネをデコピンではじいた。

「いたっ」

「ちょっと亜美ちゃん、メガネは危ないって」

「お騒がせした罰だよ」

亜美は呆れたように笑っている。

「写真があろうがなかろうが、お前が死んだらカナシイに決まってんだろうが、バカ。だいたいな、そんな自分が死んだ後のことなんかどーでもいいんだよ。どうせ自分はいないんだから、そんなんいちいち気にしてんじゃないよ」

そういうと、亜美は破れた写真を手に志保の方を向いた。

「……どうする? 先生に頼めば、写真くらいまた印刷してくれるだろうけど、どうせこいつ、また破るぞ?」

志保は天井の方を見上げてしばらく何か考えていたが、何かを思いついたのか、たまきの方を向いた。

「じゃあさ、こうしようよ。この写真は、たまきちゃんの遺影にしよう?」

「遺影?」

たまきがきょとんとして目で聞き返す。

「いつかたまきちゃんがその……死んじゃったら、この写真を遺影にするの。この子は最期は……結局死んじゃったけど、こんな楽しそうに笑ったこともあったんだよって。ならいいでしょ?」

「遺影……」

たまきはぽつりと同じ言葉を繰り返した。そして、

「悪くないです」

と言って珍しく、たまきにしては本当に珍しく、微笑んだ。

「お前、さっきたまきが言ってたこと、ひっくり返しただけじゃねぇかよ」

亜美が志保のそばに行き、小声でつぶやく。

「そんなもんだって。こういうのは、考え方次第だってば」

志保はそう言って笑った。が、急に真面目な顔つきになった。

「さっきは……ごめんね。根拠もないのに疑って」

「まったくだよ……。まあ、ウチも、言っちゃいけないこと言っちゃったかもなぁって……、思ってます……。すいませんでした……!」

亜美は志保から顔をそらして言った。だから、志保は亜美が顔を少し赤くしていることに気付かなかったし、亜美も志保が亜美のことばを聞いて呆れたように笑っているのを知らない。

「……ごめんなさい。そもそも、私が写真を破らなければこんなことに……」

「お前はもう、この件で謝んな! なんかもう、死ぬまで毎日謝ってそうだから」

亜美はたまきの方を向くと、笑いながらそう言った。

「でも、今思うと……、二人が私のために怒ってくれたのは、ちょっとうれしかったです」

たまきはぽつりとそういったが、その言葉に志保がおかしそうに笑う。

「今の言葉、なんか、魔性の女っぽいね」

「え?」

たまきは意味が分からず、志保の顔を見つめる。

「『やめて! 私のために争わないで!』って言いながら、本心では男子に自分を取り合わせて、優越感に浸る、みたいな」

「お、たまきの中の魔性がついに目覚めたか」

「ち、違います! わざとやったわけじゃないし、そもそも、二人が争っている間は、もうどうしていいかわかんなくて、あとになって少し落ち着いてから、そういえば二人とも、私のために怒ってくれてたんだなぁって思って、けっしてそういう争わせようとか……」

「わかってる、わかってるって。じょうだんだってば」

志保は笑顔で、たまきの方を優しくたたいた。

つづく


次回 第18話「労働と疲労のみぞれ雨」

シャンゼリゼでバイトをすることになった志保。一方、たまきは自分も何かバイトをしなければと焦り、周りの人に仕事について尋ねていく。

続きはこちら! 半分くらい、ギャグ回です。


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

ピースボートで行った寄港地危険度ランキング!

日本ほど治安のいい国はそうそうないという。すりや置き引きの警戒をする人もあまりいないし、女の子が夜に一人で出歩いているし、拳銃の規制も完璧だ。しかし、世界はそうはいかない。今回は、ピースボートで訪れた寄港地の危険度について話そう。ピースボートで訪れる街は観光地も多いが、危険な町も多い。


危険度レベル1 東京・南千住

夜の南千住。スカイツリーがよく見える。

世界の危険度について話す前に、まずは日本の「治安が悪い」とされる町について話そう。

先日、仕事で南千住の木賃宿に泊まる機会があった。夕方ごろに街を訪れ、宿を求めてふらふらと歩く。

ホームレスが堂々と道端で寝て、公園にはホームレス村ができている。なるほど、日本国内では確かに異質な光景なのかもしれない。

だが、不思議と「怖さ」を感じない。

世界の危険度はこんなんじゃない。

ホームレスに因縁をつけられることもなかったし、銃を突きつけられる可能性なんて皆無だろう。

だが、世界の危険度なんてこんなもんではなかったのだ。

危険度レベル2 ヨーロッパ

シチリア島の路地裏

ピースボートの地球一周の旅の中でも、やはりヨーロッパは治安がよく、旅をしやすかった。一人でふらふらと町を回れる。

ピースボートからもらった資料にもせいぜい「すりや置き引きに気を付けて」とか「人気のない通りに気を付けて」とあるが、この程度の注意書きは世界各国共通だ。

経済破たんしたばかりのギリシャも、別に治安の悪さは感じなかった。むしろ陽気な町だった。

シチリア島に行ったときはマフィアにカツアゲされるんじゃないかなんて冗談を言い合っていたが、もちろん、マフィアはそんなせこいことはしない。ネットで調べても「マフィアはカタギの観光客には手を出しません(笑)」と書いてあった。

とまあ、治安が良くて旅のしやすいヨーロッパだったが、僕が訪れた直後、パリでテロ事件があり、その後、ヨーロッパの都市部でもテロが頻発するようになってしまった。

危険度レベル3 アジア

ムンバイの街並み

アジアで訪れた町の中でトップクラスに治安が良いのはシンガポールとドバイだろう。どちらも、都市としての美しさを保っている。

最近のニュースで、ドバイ警察は「空飛ぶポリス」の導入を検討している、なんて言うのをやっていた。110番すれば巨大ドローンみたいなのに乗って空から警察官が助けに来てくれるのだとか。何とも頼もしい限りだ。

少しディープなところだとセブ島、ムンバイ、ドーハ、と言ったあたりだろうか。セブ島やムンバイにはスラム街があり、野良犬がうろついていたりと見た目あまり治安が良くなさそうではあるが、きちんと警戒していればそこまで恐れなくていいと思う。

ドバイとセブ島に至っては、夜も出歩けた。

東南アジアのもっとディープな場所だとまた勝手が違うのだろうが、大都市や観光地は比較的まわりやすい。

ムンバイで警戒しなければいけないのはむしろ縦横無尽に走る車の方だろう。「ひかれる方が悪いに決まってんじゃん」とでも言いたげに、歩行者をよけるそぶりなど全くない。

ただ、インドは性犯罪の発生も多い。警戒を怠らないことが大切だ。

また、イスラム圏はどうしても「イスラム国」と言って危険な集団がついて回る。外務省の渡航情報をよく確認しておくことが大切だ。

危険度レベル4 中南米

クリストバル。陽気な町並みに見えるが、治安のレベルは世界最悪クラスだ。

ピースボートから事前に寄港地をまとめた冊子が渡される。そこには各寄港地の治安に関してのコメントも載っているのだが、中南米に入ると「一人歩きはやめてください」「自由行動は控えてください」「貴重品は持ち歩かないで」と急に物騒な言葉が並ぶ。

中南米の中でもメキシコは比較的治安がいい。夜に出歩いても得に危険は感じなかった。

とはいえ、襲われないように男4人で固まっていたのだが。「いくら何でも成人男性4人組を襲うやつはおらんやろ」と考えて。

だが、隣の国、ベリーズは治安が悪い。

どれくらい治安が悪いのかというと、「ツーリストビレッジ」という、観光客向けの土産物が並ぶ一角があるのだが、ピースボートから言われたことは「そこから出るな。命の保証はできない」

ツーリストビレッジの外に出るには、ピースボートのオプショナルツアーに参加しなければいけない。自由行動は禁止だ。

理由はただ一つ。「命の保証ができない」。

いったいどのくらい物騒な場所だというのか。

パナマのクリストバルも同じように、「港から出たら命の保証はできない」と言われていた。

僕はツアーに参加していたので、大型バスに乗って港を出て、1時間ほど離れた「クナ族」という部族のコミュニティを訪問したのだが、

その帰り道の話。すっかり日も暮れて、バスはクリストバルに帰ってきた。

バスの窓から路地を除いたときのあの何とも言えない「底知れぬ闇」の不気味さと言ったら。具体的に何か見えたわけではないが、確かに生きて帰れないような雰囲気を湛えていた。

ペルーのカヤオも同じような場所だった。首都・リマの隣町で大きな港があるのだが、どこか殺伐とした雰囲気だ。

首都・リマはおしゃれな店が並び、どことなく東京を彷彿とさせる。地球の裏側で東京みたいな町に出会えるとは。

だが、路地はどこか「底知れぬ闇」があるようで、怖くて大通りしか歩けなかった。

そんなリマを丸一日かけて回って、カヤオの港へと帰ってきたのが夜の11時ごろ。そこで、驚愕の事実を知る。

船に戻るバスがない。

僕も、一緒に回った子も、「船に戻るバスは24時間営業」と勝手に思い込んでいたのだが、コンビニじゃあるまいしそんなわけない。バスに終了時刻があることをすっかり見落とし、帰ってきたときにはもうバスは終わっていたのだ。

「勝手に出歩くな」と言われたカヤオに取り残されてしまった。宿を探すにしても、うっかり危険な路地に踏み込んでしまったら……。

なんて途方に暮れていると、男が一人話しかけてきた。

いったい何者だ! と警戒していたが、なんと彼はピースボートの船のクルー。

なんと、クルー用のバスが残っていて、それに乗せてもらえることになったのだ。

そんなこんなで無事に船に帰ってくることができた。結論、門限はよく確認しよう。

「危ないところ行ったけど、無事に帰ってきたぜ」という武勇伝は、世界を旅したものなら一ネタぐらい持っていると思う。

一方で、「南米で日本人観光客が射殺された」なんて痛ましいニュースも聞く。そういったニュースを聞くたびに、本当によく生きて帰ってこれたなと背筋が寒くなる。

僕の場合、十分に警戒していた。だが、「うっかりミス」で危うく治安の悪い街に取り残されてしまうところだったのだ。

ピースボートで聞いた怖い話

ピースボートに乗っている時、とあるおじさんから「過去にピースボートの乗客でこんな人がいた」という話を教えてもらった。

その乗客は空手の有段者で、もし寄港地でからまれても、相手をボコボコにしてやろうと意気込んでいたらしい。

そして、実際に彼はチンピラにからまれた。彼は空手で鍛えた実力を遺憾なく発揮し、相手をボコボコにしてやった。

ところが、ボコボコにされたチンピラは仲間を大勢引き連れて戻ってきたという。いくら空手の達人でも多勢に無勢。彼はボコボコにされてしまったという。

その話をしてくれたおじさんはこう締めくくった。「どんなにケンカに自信があっても、土地勘や仲間がいる分、現地のチンピラの方が優位なのだから、勝とうとしてはいけない」と。

ピースボートに乗ると警戒心が強くなる

日本にいるとまず警戒しながら街を歩くことはないだろう。

だが、ピースボートに乗っている間、街を歩くときは常に財布をガードする形をとっていた。

今でも、日本の人ごみなどを歩いていると、ついつい財布をガードする。

以下、「寄港地でトラブルに巻き込まれない方法」をいくつか書く。

・財布をガードする

これは基本中の基本だ。英語のあいさつができなくても財布を守れるようにしよう。知らない間に財布をすられてた、なんてことがないように。

・人にむやみにカメラを向けない

これも、どの寄港地でも上陸する前に言われることだ。特に、スラム街なんかは観光気分で写真を取られたら怒る人もいるだろう。

・荷物は絶対に体から離さない

タクシーの中とか、喫茶店とか、ついついリラックスをして荷物をわきに置く、なんてこともあるかもしれない。

そのまま荷物を忘れて車や店を出てしまったら大変だ。

日本だったらタクシー会社やお店に連絡する、という手段もあるだろう。

だが、外国ではそもそもタクシー会社がどこかわからない。お店は動かないが、迷わず戻れる保証もない。

荷物は絶対に体から離さないこと!

財布とパスポートの入ったカバンをタクシーに置き忘れた本人が言っているのだから間違いない!(タクシーの運転手のご厚意で、奇跡的にカバンが帰ってきました)

・タクシーは常に進行方向を確認する

僕は常に方位磁針を持ち歩いていた。そして、タクシーに乗るときは常に進行方向の方角を確認していた。

これは、事前に「インドでタクシーに乗った日本人女性の観光客がそのまま拉致されて乱暴された」というニュースを聞いていたからである。別の方角に車が動き出していたら要注意だ。

ちなみに、インドでもタクシーに乗った時、最大限の警戒をしていたのだが、僕の置き忘れたカバンを届けてくれたのはタクシー運転手のおじさんだった。車に乗っている間中、彼を疑っていたことを心の底から謝罪した。

だが、すべてのタクシー運転手が彼のような善人ではない。「方角チェック」はやって損はない。やったうえで何事もなければ「おじさん、疑ってごめんよ!」と心の中で謝ればいいが、やらずに何か事件に巻き込まれたら一大事だ。

自分一人の時ならまだしも、特に、未成年を引き連れていて自分が最年長の時とか、女性だけで行動するときとか、女性と二人っきりの時とかは最大限に警戒するべきだ。

・大事なものは首から下げる

パスポートとかカメラとかキャッシュカードとか、特に大事なものは首から下げる。僕の友人をはそれを怠ったがためにカメラをなくしてしまった。

首から下げておけば、首をなくさない限り大丈夫だ。逆に、首をなくしてしまったら、もうカメラとかパスポートとかどうでもいい。

・言いつけは守る

「ここから先は言ってはいけない」とか、「この時間までに帰ってこい」とか、ピースボート側の言いつけはしっかりと守ること。

うっかり門限を見逃して、危険な町に取り残されると、本気で死を覚悟して冷や汗しか出てこないぞ。

 

「トラブルに巻き込まれたけどなんとかなった」「危険な目にあったけど帰ってこれた」、こういった武勇伝もまた旅の魅力なのかもしれない。

だが、「何事もなく無事に旅を終えた」、これ以上の武勇伝は存在しない。

矛盾を愛せ! ~矛盾と葛藤に意味をもとめよう~

矛盾することはよくない。言っていることとやっていることが違う、思っていることに行動がともなわない。とくもかくにも矛盾は嫌われる。だが、人とはそもそも、矛盾をはらんだ生き物なのではないのか。矛盾を抱えてこその人間なのではないだろうか。


村上春樹の矛盾を許せない人々

先日、こんな記事を読んだ。

村上春樹氏、オウム13人死刑執行に「『反対です』とは公言できない」

この記事の内容をまとめると、「村上春樹は死刑に反対しているが、オウム事件の被害者や遺族に会った経験から、オウム事件の死刑執行について、『反対です』とは簡単には言えない」とのことだった。

この記事に探するコメントで特に「いいね」を集めていたのはこんな感じ。

死刑執行の政治的な利用は困るけど、今回の件だけは死刑反対派でも容認するってこと?ダブルスタンダードだね。

 

ちょっとなに言ってるかわからない

 

それがダブルスタンダードって言うんです。
自分が関係を持った件では反対と公言できず、関係が無いところでは反対をする。
常に遺族の立場で考えられないなら、反対すべきでは無い。

要は、「村上春樹の言っていることには、一貫性がない!」ということだ。

こういった意見を読んで、僕は「あれあれ?」と思った。

死刑に対して、理屈としては反対だけれど、感情的には反対と言い切れない。確かに、村上春樹のこの発言は大いに矛盾している。

だが、こういった矛盾は人間としてはむしろよくあるもの、いたって普通のことなのではないだろうか。

理屈としては理解できる。だが、感情としては納得できない。

理屈としては理解できない。だが、感情としては納得できる。

当然である。人間は右脳と左脳があり、それぞれがある程度の独立性を持っているのだから。理屈と感情で違う答えが出てしまうのは、人としていたって自然なことであり、その矛盾に悩むのも実に人間らしい行為である。

村上春樹の「理屈の上では反対だけれど、感情的には反対しきれない」というのは、大いに人間的なことではないだろうか。

それを村上春樹は隠すことなく吐露している。「死刑反対なんて言ってませーん」などとごまかしたりせず、「自分は死刑に対しては反対なんだけど」と明かしたうえで、その矛盾とジレンマを正直に話している。

逆に、こういった人間の矛盾を認めず批判する人というのはいったいなんなんだろうか。確かに、言動は一貫している方が良い。しかし、人間はやはり矛盾を内包してしまう存在なのだと思う。そして、そのジレンマを村上春樹は正直に告白しているのだ。むしろ、じゃあ彼ら自身は矛盾をすることはないのだろうか、と首をかしげてしまう。

こういった「人間的な矛盾」を理解せず、許せない人たちはきっと、村上春樹の作品なんて読んだことないのだろう。

……と偉そうに語ってみる。僕も読んだことないのだけれど(ないんかい)。

人は矛盾する生きものである

人は矛盾する生きものである。思い返してみるだけでも、矛盾した人間の言動はたくさんある。

好きな女の子についつい嫌がらせをしてしまう。

かわいさ余って憎さ百倍

いやよいやよも好きのうち

心にもないことを言う

好きだと言いたいのに言えない

行きたくないのに会社や学校に行く

永遠の愛をを誓って離婚(日本の離婚率は約3割)

結婚してるのに不倫する

かわいい子に限って自分に自信がない

「全然勉強してな~い」と言って高得点を取る

ダイエット中なのに焼肉

暑い日にあえてのラーメン

「つまらない」と言いながらテレビを見ている

「韓国も中国も嫌いだ!」というくせに、やけに韓国や中国に詳しい。嫌いなものの情報ばっかり集めてストレスにならないのか?

好きでもない奴とエッチをする

……途中から大喜利やマル決みたいになってしまった。

人間の感情を描き出す歌の世界には、もっと激しい矛盾が描かれている。

 

別れても好きな人/ロス・インディオス&シルビア「別れても好きな人」

好きだったら別れなければいいじゃないか、などというのは野暮というものだ。「別れても好きな人」「好きなのに別れる」という矛盾に情緒があるのだ。

 

わかっちゃいるけどやめられない/植木等「スーダラ節」

ハイ!スース―スーダララッタスラスラスースース―!アソーレ!スース―スーダララッタスラスラスースース―!

「わかっているからやめました」でもなければ、「わかってないからやめられない」でもない。「わかっちゃいるけどやめられない」という矛盾に人々は人間性を感じた。だからこそこの歌は後世にまで残るのだろう。

「天下一の適当男」として知られた植木等だが、お寺で生まれ育った彼の素顔はとてもまじめで、テレビで演じているタレントとしてのイメージとのギャップに悩んでいたという。この「矛盾」もまた、大いに人間味のあるエピソードだ。

 

会いたくて会いたくて震える/西野カナ「会いたくて会いたくて」

震えるくらいなら会いに行け! っていうか、病院に行って検査して来い!

などと思ってしまうが、これもまた野暮というものだろう。

 

わかってる、きっと会うことないって だから言います「マタアイマショウ」 僕なりのサヨナラの言葉よ/SEAMO「マタアイマショウ」

会うことないとわかっていて、別れのあいさつに「マタアイマショウ」。これまた大いに矛盾した歌だ。だが、これがそのまま「サヨナラ」だったら、なんてことない歌になってしまう。二度と会わないと覚悟しての「マタアイマショウ」という矛盾がより一層失恋の悲しみを感じさせる。

 

もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対/牧原敬之「もう恋なんてしない」

これはちょっと解釈が難しい。「もう、恋なんてしないなんて言わない」のか「もう恋なんてしない、なんて言わない」なのか。前者の場合、一度は「恋なんてしない!」と言った、ということになる。

ただどちらにせよ、僕はこの歌の主人公は実は心の中で「もう恋なんてしない」と思っているんじゃないか、と思う。半分くらいはそう思ってるんじゃないだろうか。歌詞の中にも「もし君に一つだけ強がりを言えるのなら」と書かれている。

そう、「強がり」なのだ。矛盾なのだ。「もう恋なんてしないなんて言わない」と言いつつ、心の中では半分くらい「もう恋なんてしない!」と思っちゃってるのだ。

それでいて、残り半分は「もう一度恋をしたい」なんて思っている。だからこそこの歌は奥が深い。

これらの歌が人々を引き付けるのは、単に矛盾をはらんでいるだけではない。そのジレンマ、葛藤までもが透けて見えてくるからだろう。

例えば西野カナの「会いたくて会いたくて」。「会いたくて会いたくて会いに行った」だと、「あーそうなの、それで?」となってしまう。これじゃただの報告だ。「会いたくて会いたかって、でも会わなかった」だけだと、「いや、会いに行けよ!」となってしまう。

そうではなく、会いたくて会いたくて、でも会いに行かず、震えている」のである。「会いたい」と「会いたくない」の葛藤として震えているわけだ。ちょっと怖いけど。

二回も「会いたくて」というからにはよっぽど会いたいのだろう。

でも、会ってしまったら、何かが決定的に終わってしまうかもしれない。だから会いたくない。

でも、会いたい。

結果、震えているわけである。この「矛盾」と「葛藤」が人を惹きつけるのだ。

矛盾と葛藤に意味がある

映画の中で何か例はないかと考え、真っ先に思い浮かんだのが、「ルパン三世 カリオストロの城」のラストである。

「奴はとんでもないものを盗んでいきました。……あなたの心です!」

という日本アニメ映画師屈指のセリフのちょっと前のシーン。

ルパンの大活躍でカリオストロ公国のお姫様、クラリスは自由の身となった。クラリスはルパンに、そばに置いてほしい、泥棒の仕事もきっと覚えると懇願する。しかし、ルパンは「バカ言っちゃいけねぇよ」と、優しくクラリスの申し出を断る。クラリスは未来ある純粋なお姫様。一方、ルパンは泥棒、日陰の身だ。可憐な少女を闇の道に引きずり込むわけにはいかない。

ルパンとの別れを悟ったクラリスはルパンに抱き着く。ルパンもクラリスを抱きしめようとするが、苦悶の表情を浮かべながらそれをこらえ、クラリスのおでこに優しくキスをするのだった。

なんだよ! 男ならドンと行け! ドンと! チューくらいやっちゃえよ!

……などと言うのは野暮というものだ。

クラリスを抱きしめようとするルパンと、抱きしめてはいけないとこらえるルパン。矛盾する二人のルパン。その葛藤で苦悶の表情を浮かべる。この時のルパンが何を思っていたのかは見る側の想像に任されているが、矛盾と葛藤を見る側が推測することで、印象的なラストシーンになるのだ。

しかも、このシーにはもう一つ矛盾が隠されている。

クラリスのおでこに優しくキスをする紳士が、ルパン三世である、ということだ。

ハードボイルドな次元大介でもなければ、不器用な石川五ェ門でもない。ましてや、まじめな銭形のとっつぁんですらない。

かわいい女の子を見るとすぐ鼻の下を伸ばし、「不二子ちゃあん」と峰不二子の色香にやられていつも出し抜かれている、生まれついての女ったらし、あのルパン三世がとった行動なのだ。

あの女ったらしのルパン三世が、クラリスを抱きしめるのをこらえ、おでこにキスをした。

大いなる矛盾である。だからこそ、余計にこのシーンは印象深い。

そして、ルパンの矛盾と葛藤は相棒の次元にあっさりと見抜かれ、「お前、残ってもいいんだぜ」とルパンをからかっている。

そもそも、「ルパン三世」という物語自体、「泥棒なのにカッコいい」と、大いに矛盾した存在なのだ。

 

人は矛盾する生きものだ。仕方がない。頭の中に右脳と左脳があるのだから。

人は矛盾し、それゆえに葛藤する。矛盾と葛藤こそが人間らしさと言える。

矛盾し、葛藤し、それを吐露する。それを「一貫性がない」などと鬼の首を取ったかのようにあげつらうのは、野暮というものだ。人の性ってやつをわかっていない。人間はそんな完璧な存在ではない。

矛盾と葛藤には意味がある。

矛盾と葛藤は人生のスパイスなのだ。

だからもっと、矛盾を愛せ。

ピースボートに乗っても英会話ができるようにはならなかった

ピースボートに乗る際にはいろんな疑念があると思う。ヘンな団体なんじゃないかとか、アブナイ団体なんじゃないかとか、ヤバい団体なんじゃないかとか。そんな中で最も現実的な悩みが「英会話ができないとダメなんじゃないか」。結論から言うと、英会話ができなくても乗れる。そして、ピースボートに乗っても英会話ができるとは限らない。


ピースボートにおける英会話学習プログラム

昔、大学の後輩に「船内は英語ができないとダメなんじゃないか」と聞かれたことがある。

その辺の心配は全く必要ない。

なぜなら、船内の大半は日本人だったり、日本語がしゃべれる人だったりするからだ。

一方で、ハウスキーパーだったり、バーのマスターだったり、船内で従業員として接してくれるクルーは外国人、特にインドネシア人が多い。

とはいえ、簡単な英会話ができれば何とかなるし、接客系のクルーは日本語が結構しゃべれる。

さて、船内にはGETと呼ばれる英会話を学べるプログラムがある。英会話だけでなく、スペイン語もやっていた。ちなみに有料だ、たしか。

くわしくはぜひ資料を請求してほしい。GETの教室はは船内だけでなく、日本国内でも開かれている。

というのも、僕はやっていないので詳しくは知らないのだ。

では、そう言ったプログラムを受講しないまま、ぶっつけ本番で海外に繰り出すと、どうなるのか。英会話は身につくのだろうか。

英語が通じる国、通じない国

以下に、ピースボートで訪れた国のうち、英語・英会話にまつわるエピソードを書いていこう。

フィリピン/セブ島

フィリピンは公用語としてタガログ語という言葉が使われているが、英語も広く使われている。

街の看板は英語で書かれている場合が多い。簡単な単語が多いので、非常にわかりやすかった。

シンガポール

シンガポールも英語が通じる国だ。

シンガポールの港の売店でコーヒーを注文したところ、売店おおばちゃんの英語が早口で、全く聞き取れなかった。地球一周2か国目だった僕は「これがネイティブのスピードか……、さっぱり聞き取れねぇ……」と心を折られてしまった。

ギリシャ

ギリシャ文字は英語のアルファベットにかなり近い。

かなり近いんだけど、それが全く見たことのない配列で並んでいる。それが余計に混乱する。いっそアラブ文字のように全く見たことない文字だった方がまだましである。

読めそうで全然読めない、それがギリシャ文字だ。僕が唯一読めた単語は「博物館」を意味する「MUSEION」だった。

だが、それでも一人で町を歩いて帰ってこれたのだから、まあ、世の中なんとかなるものだ。

なんとかなるものだけれど、バスとか電車とかは「どこへ連れて行かれるか見当もつかない」ということで怖くて乗れなかった。

イタリア

大学でイタリア語をやっていたので、多少の単語が読めたりわかったりしてずいぶんと楽だった。

もちろん、話せるわけではない。「看板の意味がちょっと分かる」程度である。

フランス

言語において一番困ったのはこの国だったかもしれない。なにせ、僕はマルセイユで迷子になってしまったのだから。

ピースボートの船旅、外国でガチで焦った3大事件!

現在地を確認しようとバス停の地図を見ても、フランス語だからさっぱり読めない。

道行く人に「Where is sea?」と聞いても全く通じない

いまにして思うと、たぶん「Where is sea?」は文法的に間違っているような気もする。「Where is she?」だと思われたかもしれない。通じるわけがない。

ペルー

中南米はスペイン語圏だ。さっぱり英語が通じない。

特にペルーは、全く通じなかった。あらかじめタクシー交渉用の言葉を紙に書いておかなかったら、タクシーすら乗れなかった。

現地の子供たちと交流できるツアーに参加したのだが、「I left from Japan 70 days ago by the ship」という渾身の英語が通じなかった。今度は文法うんぬんの問題ではない。なんてったって、「day」という超簡単な英単語を相手は知らなかったのだから。

仕方がないので腕時計の前で指を一回くるっと回して、その後指を立てて数字の1を作り、「hour」。これでまず「1 hour=1時間」ということはわかってもらえたようだ。

指で数字の24を表した後、「hour」を示すジェスチャーをして、「day」と発音。これでようやく、「day=24hours=1日」ということを理解してもらえたみたいだ。

英語は世界の共通言語だと言われている、が、世界の半数近くは英語が通じなかった。

英会話はできなかったけど

さて、結局、ピースボートで地球一周したからといって英会話はできるようにはならなかった。なにせ、約半分の国はそもそも英語が通じないのだ。

むしろ、「世界共通語はジェスチャーだ」と強く感じた。

さて、地球一周後、変わったことが一つある。

街で外国人に声をかけられても、たじろがずに話を聞くという度胸がついた。ということだ。

もちろん、全体的には何言ってるのかわからない。

だが、一個決定的な単語が聞き取れればなんとかなる。

「smoking」という単語が入っていればほぼ間違いなく喫煙所を探してるわけだし、駅のホームで話しかけられて、その言葉の中に駅名が入っていれば、ほぼ間違いなくその駅に行きたいと話しているわけだ。

何回か会話を続ければ、自分の推論があっているか間違っているかぐらいはわかる。

もっとも、こちらもつたない英語しかしゃべれない。それでもなるものだ。

ひどい時には、僕も日本語しかしゃべっていない、なんてときもある。

相手は英語をしゃべり、僕は日本語をしゃべる。これでちゃんと相手を目的地に送り届けられたのだから、コミュニケーションは言葉だけではないということなのだろう。

僕が船旅で海外に行った(安全上の)理由

ピースボートに乗っていた時、船旅で1日かかる距離を、飛行機は1時間で飛ぶ、と聞いたことがある。船旅とはなんともアナログで時間がかかって非効率な旅だ。にもかかわらず、なぜ船旅で地球一周をしたのか。ロマンがあるし、仲間ができる。それも大きい。だが、僕にはもう一つ大きな理由があった。

どうしても飛行機に乗りたくない!


高所恐怖症な僕

基本的に僕は高い所が苦手だ。高所恐怖症である。

とはいえ、高所恐怖症を「重度」と「軽度」に分けるとすれば、まだ軽度の方なのかもしれない。僕よりも高所恐怖症な人間が世の中にはたくさんいる。

ダメな人はビルの上階とか、山の上の景色もアウトらしい。僕はマンションの上階で育っているので、そう言ったものはあまり怖くない。

さて、「飛行機に乗りたくない!」と言いつつも、飛行機に乗ったことは何回かある。

高校の修学旅行で飛行機に乗った時、隣の席は仲の良かったA君だった。彼はごりごりの理系で、特に工学系の分野に強く関心を持っていたようで、そういった本を読んでいたのだが、彼は僕よりも飛行機がダメな人だったらしい。飛行機の翼の一部がひらひらしているのを見て、「あそこから翼がどんどんはがれていって墜落するんじゃないか」と怯えていた。

「え、あれって、そういうヒラヒラする部品なんじゃないの? あれで抵抗を和らげてるとか。っていうか、絶対お前の方がそういうの詳しいだろ?」と思ったものだ。

A君ほどではないが僕も飛行機をはじめ高い所が苦手だ。

ビルの30階とかは全然平気なのだが、本屋やビデオ屋にある、高い棚からモノをとり出すときに使う脚立は怖い。僕がちょっとバランスを崩しただけで大惨事になりかねない。

あと、絶叫系とか高所アクティヴィティ系は全部アウトだ。絶叫嫌いが高じて、遊園地そのものがNGだったりする。

そして、僕は大学の卒業旅行を最後に飛行機に乗っていない(ちなみに、この旅行の時も僕は『東京から長崎まで陸路で移動する』を主張していたが、時間がかかりすぎると却下された)。

なぜ、飛行機が苦手なのか。

だって、落ちたら死ぬじゃん。

という話をしたら大学の後輩に「先輩、飛行機が落ちる確率より、地上にいるときに大地震が発生する確率の方が高いですよ」と言われた。

確かに、記憶をたどると飛行機事故よりも震災の方が確立は高い気がする。

だが、「怖い」という感情はそんな論理的なものではない。怖いものは怖いのだ。

先日も「どうしても飛行機に乗らなければいけない」という夢を見た。夢の中で飛行機に乗る直前まで「やっぱりやだやだやだ!」駄々をこねていた。

飛行機がダメなわけ

飛行機は落ちたら死ぬ。だから嫌だ。

とはいえ、事故を起こしても死なない乗り物を探すが難しい。

自動車だって高速道路でハンドル操作を誤れば死ぬ確率は高い。

電車だって何かのはずみで脱線すれば死者が出る。

乗り物の事故で死にたくないなら、もう徒歩を貫くしかない。

さて、僕は車に乗るし(運転はしない)、電車にも乗るが、飛行機だけは絶対に乗りたくないと思っている。

なぜか。

問題は「タイムラグ」にある。

例えば、車に乗っていてハンドル操作を誤って壁にぶつかり死ぬとしよう。

ハンドル操作を誤ってから激突するまでほんの数秒である(と思う)。

例えば、乗っていた電車が脱線して地面に激突して死ぬとしよう。

脱線してから地面に激突するまで、やっぱりほんの数秒である(と思う)。

では、飛行機の場合はどうか。

上空1万メートルを飛んでいた飛行機が突然地面にぶつかる、なんてことはない。自由落下だとしても激突まで45秒もある。

飛行機が墜落するときは、何らかの原因でコントロール不能に陥る(と聞いている)。

そして、機長からコントロール不能になったというアナウンスが流れる(と伺っている)。

そして、まっさかさまに落ちるわけでもないらしい。たぶん、アナウンスから激突まで数分の時間があるだろう。

激突するまでの数分間、乗客にできることはほとんどない。せいぜい頭を低くするとか遺書を書くかぐらい。「座して死を待つ」とはまさにこのことだ。

つまり、「どうせ事故で死ぬなら、手短に、ひと思いにやってくれ」というわけだ。この「座して死を待つ」というのが嫌だから飛行機に乗りたくないのだ。

では、船はどうなのだろうか。

船旅で事故にあった時はどう避難するのか

飛行機に比べて船は安全、なんてことはない。タイタニック号、セウォル号、沈んでしまった船は歴史上枚挙にいとまがない。

ただ、船は飛行機と決定的に違うところがある。

それは、事故にあったとしても、乗客の立場でも正しい知識を以って冷静に頭を働かせれば助かる可能性がぐんと上がる、ということだ。

船の場合も事故のプロセスは飛行機と一緒だ。もうだめだ、となれば船長から船体放棄のアナウンスが流れる。

船体放棄、すなわち、船を捨てて小型ボートで脱出しよう、というわけだ。

こういうアナウンスが流れるとすわ一大事とあわててしまう。人によっては取るものも取らず、はだしのままで逃げようとする人もいるという。

だが、船体放棄のアナウンスが流れた時点では確かに「もうだめだ」という状態ではあるが、一刻を争う、というほどのせっぱつまった状態ではない。落ち着いて靴を履いて、歩いて避難するくらいの時間は十分にある。

こういった非常事態には、普段はバーやイベントスペースとして使われている部屋が集合場所になる。そこに集まってもすぐに避難、とはならない。クルーが一人一人点呼してちゃんと来ているか確認を取る。この段階でも時間的余裕があることがわかってもらえるかと思う。

そうし点呼が終わって初めて「テンダーボート」というボートで避難する。

つまり、船長から「この船はもうだめです」とアナウンスが流れても、こちらが冷静に行動すれば、生存の確率はぐんと上がる。

どうして船の避難の話が書けるのかというと、船旅をしていた108日のあいだに4回も避難訓練を行っていたからだ。

まず、船に乗っていきなり避難訓練だ。地球一周の船旅最初のイベントは出港式ではなく避難訓練だ。

その後も月に1回のペースで避難訓練が行われた。また、航路説明会などで船の安全に関する話なんていうのもあった。

こうして何度も避難訓練が行われる。法律では24時間以上船に滞在する人間は避難訓練への参加が義務付けられている。訓練通りに、冷静に行動すれば、船が沈んでもちゃんと避難できるのだ。

じゃあ、何百人と死者を出したセウォル号の事件はどうだったのか。あの高校生たちは冷静じゃなかったのか。バカだったのか。死者を冒涜しているのか。

そうではない。彼らは船に関する知識を持っていなかったのだ。

当然である。修学旅行で船に乗っただけの高校生が、船に関する正しい知識を持っているはずもない。引率の先生だって持っていないだろう。僕だって最初は持ってなかった。ここに書く船の知識もすべて、僕が乗船後1か月ぐらいしてから知ったことだ。

報道では、セウォル号が90度に傾いて、高校生たちが「ヤバいことになった」と笑っている映像が公開されていた。よもや沈むなどと思っていなかったのだろう。報道ではこの時、「船室にいてください」とアナウンスされたと言われている。そうアナウンスされればみんな船室に留まって次の放送を待つだろう。

僕ならこの時点で、どうアナウンスされようが船室を出て、避難を始める。

船とはゆらゆら揺れているのが正常な状態だ。どれだけそのふり幅が大きくても、「揺れている」ということは「元の位置に戻ろうとする力がある」ということであり、それは正常な状態なのだ。

危険なのは揺れが止まった場合。つまり、傾いたまんま元に戻らない場合だ。この場合、すでに船は「元に戻ろうとする力」を失った状態である。そうなると、何万トンもある船が再び立ち上がる、なんてことは不可能だ。傾いたぶん水に浸かり、沈んでいく。

揺れている間は正常、傾いたまま止まったら異常。こういったことを知っていて、「あのアナウンスは当てにならない」と判断し冷静に行動できたら、セウォル号からでも避難できただろう。事実、最も船に関する知識が豊富なはずのクズ船長は避難できている。

一方、飛行機はどれだけ冷静だろうと乗客にはやれることがない。だから嫌なのだ。

さて、今回の記事は人命にかかわることなので、「これは間違ってるよ」という箇所があったら遠慮なく言ってほしい。みんなでつくろう正しいブログ。

昔の人はUFOを目撃しなかったの?

前回、「オカルト!UFOを妖怪として民俗学してみた」という記事の中で僕は、「UFOは人類の科学力が発展したからこそ出てきた妖怪」と結論付けた。だが、同時に疑問が浮かんだ。本当に昔の人はUFOを目撃しなかったのか。UFOを目撃したという伝承は残っていないのか。


UFO目撃の2パターン

UFOという妖怪(ここでは妖怪とする)の伝承は、近年では動画が主流である。そう言った動画を見てみると、UFO目撃には2パターンあることに気づく。

それは、昼間に見るか、夜に見るか。

アニメ映画のタイトルみたいだ。「空飛ぶ円盤、昼間に見るか、夜中に見るか」。米津玄師に曲を作ってもらおう。

昼に見るのと夜に見るのとどう違うのかというと、見えてる映像が違う。

昼間だと、こういったUFOの姿がそのまま見えるはずである。

帽子ではない。UFOである。誰が何と言ってもUFOだ。

一方、夜になるとこんなにはっきり見えない。

はっきり見えないのになぜ「あ! UFOだ!」とわかるのかというと、光っているからだ。

「空を飛ぶ謎の発行体を目撃する」、これが夜中のUFOの見え方である。

つまり、UFOの伝承を追いかけるには、「昼間に空飛ぶ乗り物を目撃した」という話と、「夜中に謎の光が飛ぶのを見た」の二つの伝承を探せばよい。

日本は燃えているか

さて、まず「夜中に空飛ぶ光を目撃する」パターンを考えよう。

実は、このパターンは結構多い。

「空飛ぶ火の玉」という奴だ。

奈良県には「蜘蛛火」と呼ばれる妖怪がいる。火の玉が空を飛び、それに当たったものは命を落とすと言われている物騒な妖怪だ。

その正体は蜘蛛であると伝えられている。蜘蛛が何で火の玉になるのかは謎だが、この正体は大槻教授でおなじみのプラズマ、球電の類な気がする。蜘蛛火にさわると命を落とすと言うが、球電もなかなか殺傷力が高い。

まあ、蜘蛛火の正体が蜘蛛なのかプラズマなのかは今はどうでもいいことで、問題は蜘蛛火とUFOが「空飛ぶ発行体」という共通項を持っていて、実は同じ現象なのではないか、ということ。すなわち、現代人が蜘蛛火を見て「あ! UFO!」という可能性はあるし、昔の人が現代のUFOを見て「蜘蛛火じゃ!」と声を上げる可能性がある、ということである。

こういった「空飛ぶ火の玉」系の妖怪はかなり多い。ちょうど手元に水木しげるの『妖怪大百科』という本があるので、空飛ぶ火の玉系の妖怪を上げてみると、

・姥ヶ火(近畿)

・くらべ火(広島県)

・シャンシャン火(九州・高知県)

・つるべ火(福岡県)

・ワタリビシャク(京都府)

偶然なのか関西地区を中心に、火の玉の妖怪がたくさんいる。他にも石川県の「くらげ火の玉」なんて言うのもいる。鬼火、狐火なんていった伝承は全国各地に伝わっている。

火の玉が飛ぶのは関西だけではない。埼玉県には「火の玉不動尊」なる野仏がある。

場所はさいたま新都心駅前、中山道。この一帯は今でこそ人通りや車どおりが多くにぎやかだが、かつては処刑場が置かれ、大宮の宿場の端っこ、さみしい場所だった。そこに夜な夜な火の玉が飛ぶというウワサが出て、侍があらわれた火の玉を斬ってみたところ、このお不動様に傷がついた。さてはこの不動が火の玉の正体だったのか、というお話。

このような「空飛ぶ火の玉」が20世紀に入って「UFO」と呼ばれるようになったのだ!

……と勢いよく断言したいところなのだが、火の玉の伝承を見ているとあることに気づく。

火の玉が飛ぶ高度、低くないかい?

だって、侍の間合いに入れるくらいの高さだぜ?

姥ヶ火に至っては、「顔に当たった」なんて伝承が残っている。

よくよく考えると、蜘蛛火が「当たったら死ぬ」と言われているということは、要は人に当たるくらい低空を飛んでいる、ということである。

現代のUFO動画のような、はるか上空を飛ぶ怪しい光の話はなかなか聞かない。

昔の人たちは、「はるか上空を飛ぶ謎の飛行物体」を目撃しなかったのか、それとも、目撃してはいたけど、別に何とも思わなかったのか。

もちろん、今も昔も空に謎の発行体が現れれば、騒ぎになったはずだ。

一方で、現在われわれが「彗星」「隕石」「流れ星」と呼んでいる科学的な現象でさえも、昔の人から見れば怪奇現象だったはずである。かつては彗星が現れると何かの前触れではないかと陰陽師を読んで占わせていた。

UFOのような空飛ぶ発行体もこういった「夜空の怪異」の中にいっしょくたにされているのではないだろうか。

現代の私たちが「空飛ぶ発行体」を見て「あ! UFOだ!」というのは、それが彗星や隕石、流れ星といった「既知の科学現象」とは明らかに違う動き、違う光り方をしているからであって、これらの現象がまだ「未知」だった時は、UFOもこれらと一緒に「何か凶事の前触れではないか」と扱われていたのではないだろうか。「流れ星の一種」としてとらえられていたのかもしれない。

つまり、流れ星や彗星などにまつわる伝承の中に、現代で我々がUFOとよぶものも一緒にされている可能性がある。

流れ星を見るというのは確かに珍しいが、一生に何回かはあることだ。「流星群」などという流れ星が多い時期もある。珍しいが、決して怪奇現象の類ではない。昔の人もそう捉えていたのではないだろうか。

だからたまに、ジグザグに飛ぶ流れ星があったり、急に停まったりする流れ星があっても、「変な流れ星があるなぁ」と思う程度だったのかもしれない。

ところがわれわれ現代人は、「流れ星の正体は宇宙の塵が地球の引力に引っ張られて落ちてきて、大気圏内で空気摩擦により発火したのもである」と知っている。基本、真っ直ぐ落ちてくるものであり、ジグザグに飛ぶとか、途中で止まるとかはあり得ない。

だからこそ、そう言った発光体を見ると、「あれは流れ星ではない! UFOだ!」と騒ぐのではないだろうか。

だとしたら、UFOはやはり、「人類の科学知識が増えたからこそ生まれた妖怪」と言える。

流れ星を昔の人がどう思っていたのかは、今後改めて明らかにしていきたいと思う。

UFOの奥ゆかしさ

もう一つのパターン、昼間にUFOを目撃する場合について考えよう。

西洋の絵画や、古い壁画なんかに、UFOっぽい乗り物が描かれていることはあるが、UFO目撃談のような伝承は調べた範囲では見つからなかった。

ただ一件、ウィキペディアにこんな話が乗っている。9世紀のフランスで起きたと伝えられる話だ。

草原に空から球状の物体が下りてきて、中から4人の男女が出てきたという。村は「魔術師が来た」と大騒ぎになったが、その4人は「我々は地球人です」と言った、かどうかはわからないが(当時、「地球」なんて概念はないはず)、自分たちはごく普通の人間だ、という趣旨のことを説明した。彼らもまた野原でUFOに出会い、乗せてもらっていただけだという。

これが9世紀のフランスで起きたUFO事件である。

だが、昔のUFO目撃例はこれくらいで、あとは20世紀に入ってからのものばかり。他にはこんな話はほかにはないのかと「昔のUFO」で検索をかけてみても、「昔のUFO焼きそば」の話しか出てこない。

さて、現代の昼間のUFO動画を見ていると、一つのパターンがあることに気づいた。

いつもと変わらぬ平和な空を眺めている、はずが何かが飛んでいるのに気付く。鳥か、それとも飛行機かとズームしていくと、明らかな人工物であることに気づく。だが、その形状は飛行機やヘリコプターとは程遠く、どんな原理で飛んでいるかも不明。ここで「オーマイゴッド! UFOだ!」と驚くわけだ。

僕はこの「ズーム」という行為に注目した。

ズームすることで初めてUFOだとわかる。

つまり、肉眼では何なのかよくわからない、ということだ。

これでは、UFOに関する伝承が残らないのも当然である。肉眼では鳥と大差ないのだから。ズームして拡大して、はじめてUFOだと気づくのだ。

つまり、「ズーム」という機能を手に入れたことで、我々は初めてUFOを発見できるようになったのだ。

少なくとも、映画「インデペンデンスデイ」のような、肉眼でもはっきりとUFOだとわかるサイズが飛んでいる動画はネットでは見つけられなかった。

一方、写真だと「肉眼でもはっきりと見えるUFO」はいくつか見つかった。

おわかりいただけるだろうか……。

UFOが明らかに太陽の光らしきものを反射しているにもかかわらず、その影がどこにもないのだ……。

影は光源に近いほど大きくなる。まあまあの上空を、まあまあの大きさのものが浮いているのだ。太陽の位置からして、UFOの少し後ろにまあまあの大きさの丸い影ができていないとおかしいのだ。

まさに、物理学の常識を超越した怪奇現象だ。まるで、まるでもともと上空には何もなかった、と言いたげな写真である。

続いてこちらのお写真。

おわかりいただけるだろうか……。

UFOの底が見えないのだ……。

ちなみに、こちらは私が西葛西で撮ってきた飛行機の写真。かなり低空を通っていたので、面白くて撮影した。

この通り、地上から飛行物体を撮影すれば、底の部分がよく見える形となる。

ところが、このUFO写真は、上空に浮いているUFOをどういうわけか正面からとらえているのだ。

UFOは家の上空を飛んでいるように見える。写真にぼんやり写っているドアが地上から数えて3mの高さだとすると、UFOが飛んでいるのは上空10m。写りこんでいる車の長さが5mだとすると、UFOの真下の地点までなら、目算だがこの車は2台止められそうである。ということは、UFOはカメラから10m離れたところで、10m上空を飛んでいるということだ。

直線距離にして約14m。角度はななめ45度。

ためしに、自分の腕をななめ45度に伸ばして、手のひらを水平にして見てほしい。自分の手相がよく見えるはずだ。

そう、ななめ45度のところにあるUFOなら、もうちょっと底の部分が見えていないとおかしい。具体的には、円を少しへこました程度の楕円形に底の部分が見えていないとおかしいのだ。

ところが、この写真はカメラに対してUFOが正面から写っている。影のように見える部分を実は底の部分なのだと好意的に解釈しても、こんな細い線の様にしか見えないことは考えられない。

結論から言うと、このUFOはななめ45度に傾いた状態で浮いていた、ということになる。どうしてそんな不安定な状態で浮いていたのか。UFOも整備不良だったのだろうか。

さて、気になるのがこの肉眼でもはっきりと見えるUFOはいずれも、60年代アメリカ、といった感じの画質だということだ。古い写真である。

一方、最近のUFO動画を見ていると、ズームして初めてわかるくらい上空を飛んでいるのが多い。

写真全盛の時代は、UFOも低空を飛べたのだ。

ところが、動画全盛の時代はそうはいかない。UFOが出現してから飛び去るまでの一部始終が記録される。

肉眼で見えるくらいの高さを数十秒間にわたって飛んでしまうと、「ほかに目撃者はいなかったのか」「ほかに同じものを撮影した動画はないのか」「マスコミが話題にしないのか」と、写真の時は気にならなかった様々な「不都合な」疑問が出てきてしまう。

なので、UFOはより上空を飛んでもらわなければならなくなった。「はるか上空を飛んでいて、ズームしたから初めてわかったんだすよ。肉眼じゃよくわからないから、他の目撃者がいないのも納得でしょ?」というわけだ。

低空を飛ぶといろいろと「不都合」なので上空を飛んで、ズームして見つけてもらう。UFOという妖怪はなかなか奥ゆかしいやつだ。

また、UFO写真には一緒に写ってくれる背景が不可欠だ。UFO単体だけ撮っても「模型を撮ったんじゃないの?」と疑われてしまう。一緒に家とか森とかが写っていて、その上空を飛んでいるところを移して初めて「UFO」と認識してもらえるのだ。

ところが、動画全盛の時代になって、背景と一緒に映る必要はなくなった。家とか森とかの上に何かが飛んでいる。ズームしていくとそれがUFOだとわかる。はるか上空を飛んでいるのでズームすると家とか森とかは映らなくなるが、最初のシーンには写っていて、そこから連続した動画なので、「模型だけズームで撮ったのでは?」なんて疑われずにすむ。

まとめ

昔の人はUFOを見ていたのか。

夜の場合は見ていたとしても「変な流れ星」程度にしか思わなかったのではないだろうか。それがUFOであると考えるようになったのは、流れ星の正体がわかってからだ。

昼間のUFOに関しては、低空を飛ばれるといろいろと不都合がある。昔の人が村の中で「こんなのを見たよ」と言っても、「いやいや、俺たち近くにいたけど、誰もそんなの見てないよ」と言われておしまいである。ズーム機能のあるカメラが出てきたことにより、「はるか上空を飛ぶ肉眼では見えないUFOをわざわざズームして見つけました」ということができるのだ。

そして、一つだけ疑問が残る。

今回、「火の玉妖怪」の伝承が多く残っていることを検証した。彼らはかなり低空を飛び、人に触れることもあったという。

彼らは現代では、一体どこに行ってしまったのだろうか。