民藝館に行ってきた

目黒区にある「日本民藝館」というところに行ってきたんですよ。

いまから100年ほど前に、作者の名前もわからない民芸品に美を見出してせっせと集めた柳宗悦っていう変人がいて、その人が集めた民芸品を展示する美術館です。

少し前からこの柳宗悦についていろいろ調べてまして。白樺派の一人として、ゴッホをはじめとする西洋の芸術家を日本に紹介していた彼が、どうして名もなき民芸品に美を見出すようになったのか。

この人はどうやら、美術評論家よりも、宗教学者・思想家に近いみたいです。彼が民芸品に見出した美というのも、何か宗教哲学に近いものだったみたいで。宗教思想などを専門としている人が、なぜ民芸品に美を見出したのか。

やっぱり現物を見るのが一番、ということで民藝館に行ってきたんです。

入場料1200円……。たけぇ……。

まあ、民間の美術館だしなぁ……。

展示されているのは、焼き物のお皿とか壺とか、木の机とか、服とか、タンスとか。どことなく、おばあちゃんちのにおいがしました。

そのほとんどが作者不明で、もちろんアート作品じゃなく日用品として作られたものばかり。まさか美術館に展示されるなんて、作った本人すら夢にも思わなかったでしょう。

でも、柳宗悦がこの民芸品に美を揺さぶられた、というのも何となくわかってきました。

たしかに、どれもアートとしても面白いです。釉薬の模様がユニークだったり、緻密な装飾が施されているものも多いです。

いっぽうで、言葉は悪いんですけど、どこか稚拙というか、不格好というか。

たとえば、一つだけ写真おっけーなツボがあるんですけど、このツボもよく見ると形がなんかアンバランス。

一つの民芸品のなかに、緻密さと、稚拙さが、同居している不思議な感じです。

たとえば、木でできた小さなタンスが展示されてたんですよ。まあ、だいたいタンスってのは木から作られるんですけど。

その形も、どこかいびつなんです。今の家具屋で売ってるようなきれいな直線を描いているわけじゃなくて、なんとなく曲がってて、いびつな形に見える。

でも、じゃあほんとに稚拙なのか、技術が足りないのか、って言ったら、たぶんそんなことないんですよ。だってそのタンス、すっごい緻密な装飾が施されてたんだもん。

木でつくるタンスであれ、粘土で作る焼き物であれ、布で作る服であれ、材料は自然物、生モノです。それを、機械を使わずに、手作業だけで民芸品を作っていく。

そのとき、生ものである材料が持つエネルギーを殺しきれてない、殺さないまま作っている、それが稚拙さの正体なんじゃないか。

現代のものづくりの技術は完璧です。この完璧っていうのは、「材料の持ってるエネルギーを殺して、完璧に道具として仕立てる」という意味で。たとえば、木製の家具はいっぱいあるけど、普段ほとんど「これは、木である」と意識することはないじゃないですか。

プラスチック製品にいたっては、もうプラスチックの原型を思い浮かべることなんてない。そもそも、プラスチックの原型って、何?

それに対して民芸品は、緻密な技術を持つ一方で、材料の持つ生命力を殺しきらない稚拙さを併せ持ってるように感じました。芸術品としての美と、日用品としての粗末さが同時に存在する、不思議な物体。それが民藝だ、と考えると柳宗悦が美を揺さぶられたというのもわかるのです。

うん、よくわかんないだろ。よくわかんないのなら、一度、民藝館に行ってみなさい。1200円取られるけど。

追伸:古本市で柳の書いた「美の総門」って本を見つけたんですよ。この本は彼の民芸運動の集大成らしいです。欲しいなぁ。

……古本なのに2200円。……たけぇ。

ほんとにリコリコの一人勝ちなのか

この夏は面白いアニメがいっぱいでした。

ただ、ネットの反応を見てるとなんかリコリコの一人勝ちみたいになってるんですけど、僕は決してそうだとは思ってないですね。

確かに、リコリコの面白さは頭一つ抜けてるかな、とは思うんですけど、ほかのアニメを大きく引き離してる、とも思わないんですよ。ほかのアニメもかなりの粒ぞろいでした。

ただ、オリジナル作品の中では、「徹底的に作りこんだ物語を、シンプルにテンポよく見せる」、これが一番できていたのが、リコリコだったのかな、とは思いますね。

雑に作ったお話を、雑に見せる。それだとあたりまえだし、それじゃダメじゃないですか。

複雑なお話を、いかにも難しそうに見せる。それもまた、当たり前。

雑に作ったお話を、いかにも難しそうに見せる。「特撮界のちむどんどん」との呼び声高い仮面ライダーリバ〇スがやらかしたことですね。

そうじゃなくて、

凝りに凝って、練りに練って、徹底的に作りこんだお話を、そうとは思えないぐらいシンプルに見せる。無駄な部分、わかりづらい部分は、ばっさばっさと切り落とす。でも、大事な部分はしっかり残す。

これがきっとかなり難しいことなんじゃないかな。徹底的に作りこむのも大変だけど、作りこんだら作りこんだで、それをシンプルにテンポよく見せるのがさらに大変。難しい部分は削ぎ落すけど、奥深さは失わない。

今期のアニメの中でそれが一番できていたのがリコリコだったんじゃないか、それがあのヒットの理由かな、と僕は思いますね。

「犯罪者を裏で始末しているリコリスという少女たちと、それを束ねる組織がある」っていう設定と、「リコリスでありながら敵も味方も殺さないやり方を貫く千束」と「これまでリコリスとしての生き方しか知らなかったたきな」というキャラだけ頭に入っていれば、なんとな~く見てても十分楽しめるんです。

すくなくとも、僕はそうでしたよ。

設定にしても、作りこんでるんだろうけど世界観の描写とか設定の説明とか、あんまりしてない。

キャラクターも、必要最低限のキャラしか出していない。

作りこんだ世界観と物語を、可能な限りシンプルに見せていたと思うんです。

ジブリとかもそうですよね。ネットとかで「もののけ姫の裏設定」みたいな話がよく出てくるけど、そういうネタがあるのは、ジブリ映画が設定や世界観を徹底的に作りこんでいて、歴史ネタとか民俗学ネタとかふんだんに盛り込んでいて、それでいてやたらと細かい描写はしないでシンプルに見せてほとんど説明しないから。

「緻密な伏線回収!」とか「大どんでん返し!」とか「まさかの展開!」とか、「いかにも難しいことやってます!」って感じは、リコリコにもジブリにもあまりなくて、強いメッセージとキャラクターの魅力による直球勝負、そんな感じがします。

そういうアニメは実はリコリコのほかにもいっぱいあるんだけど、リコリコほど注目されてないものがほとんど。リコリコ以外にも、直球勝負アニメがもっと評価されたらいいのにな、と思います。

そうじゃないと、バランスとれねぇよなぁ!

リコリコと選択とエゴイスト

今期の最注目アニメ「リコリス・リコイル」がついに最終回を迎えました。毎回、SNSで深夜アニメとは思えないほどの盛り上がりっぷり。それも、原作のないオリジナルもので、ですよ。

確かに面白いんだけど、正直ほかのアニメと比べても鼻先一つ抜けてるぐらいで、頭一つ飛びぬけてる感じまではないかなぁ。過大評価じゃないの?

……と思ってたんですけど、最終回を見て、感想を上方修正しました。なるほど。確かに頭一つ飛びぬけたアニメです。

今期はほかにも面白いアニメはあったんだけど、たしかに「キャラの描写は丁寧に、物語・設定・世界観はシンプルに」を一番うまくやれていたのは、リコリコだったかなぁ。

それに、メッセージが一貫してぶれなかった。「運命や使命、持って生まれた才能が何であれ、自分の生き方は自分で選んで決める」というメッセージが一貫していたうえに、それを説教臭く語るのではなくて、主人公・千束(ちさと)の生き方を示すことで視聴者に語りかける。

最後まで見て、「ああ、このアニメはこういうことを伝えたかったんだなぁ」というのがはっきりすると、もう一度見たくなります。きっとまた新しい発見があるはず。優れたアニメとは、ネタバレしていてもなおおもしろいアニメです。

こういうアニメが、リコリコ以外にももっと評価されないとアカン!

僕自身、「選択肢はたくさんあってなんぼ」と思って日々生きてるので、「自分で選んで決める生き方」というメッセージはとっても共感できましたね。

逆に言うと「勝手に選択肢を狭めてくるやつ」が嫌いなんですよ。「お前はAとB、どっちなんだ!?」って聞かれたら、「え、なんでCないの? Dでもいいじゃん」と、勝手に選択肢を増やすのが僕ですね。

あと、最終回ですごく響いたセリフがあって。

千束が敵対しているテロリストの真島の話を聞いて「あんたも結局、自分が正しいと思ってるんだね」と言った後の、「本当の悪者なんて映画の中にしかいない。現実は、正しい人同士が殴り合ってる」というセリフ。

これがまさに、最近僕が考えてたこととドンかぶりで。何とかしてこの話をマイルドに書けないかと、試行錯誤していたのです。

今の世の中、「とにかく自分は正しい! そして、他人も、社会も、国も、自分の考えと同じであるべきだ!」っていうエゴイストが多すぎるんです。

自分とちがう意見は、絶対に認めない。なぜなら、自分と違うことを言うやつは、自分のエゴを踏みにじる敵だからです。「世界は自分と同じじゃなきゃいけない! 自分と違うやつは、敵だ!」という考え方です。

それだけじゃなくて、中立的なものの見方も認めないんです。「俯瞰して物事を見る⇒誰の味方もしない⇒俺の味方じゃない⇒敵だ!」という考え方です。厄介ですね。

もっと厄介なことに、エゴイストは「政治への関心が強い」が結構多いです。「世界は俺と同じでなければならない!」というエゴイストにとって、政治という手段はとっても相性がいいうえに、「政治に関心があります」と言っておけば、「実は自分にしか興味がない。国とか社会とかほんとはどうでもよくて、とにかく自分にしか興味がない」という本性を、巧妙に隠すことができます。

今の政治家は「エゴの代弁者」になって、こういったエゴイストの力を借りないと当選できないのかもしれません。

リコリコで描かれた悪も、自分の考えを他人や社会にも押し広めようとする「エゴイスト」だったのかな、と思います。自分で生き方を選ぶ自由は、裏返せば他人の選択を尊重することでもあるんだけど、その「他人の選択を尊重する」「他人と自分は同じじゃない」ということがわかっていなくて、自分の選択を他人にも力づくで押し付けようとする人が、悪として描かれていたのかな。

とりあえず、リコリコ、もう一周したいなぁ。さかなぁ~。ちんあなご~。

小説 あしたてんきになぁれ 第36話「ナワバリ、ところによりラクガキ」

街中で落書きを見つけた三人。「ウチらのナワバリで勝手なことしやがって。と憤る亜美に対し、たまきはその落書きに妙に魅かれて……。あしなれ第36話、スタート!


第35話「ねこのちネコ、ところにより猫」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


画像はイメージです

「はっ! はっ! おらぁ!」

奇声を発しながら、亜美が太鼓をたたいている。

本物の太鼓ではない。ゲームセンターにある、ゲームの和太鼓だ。

「どどどどーん!」

口でそう叫びながら、亜美は太鼓を連打した。

一曲終わり、亜美はバチを置いてふうとため息をつく。

「亜美ちゃんさ、叫ばないと太鼓叩けないの?」

横で見ていた志保が尋ねた。

「掛け声と一緒に叩くと、パワーが3倍になるんだぞ」

太鼓を叩くのに、3倍ものパワーが必要なのだろうか。そもそも、亜美が叩いていたのは厳密には太鼓ではなく、ゲームのコントローラーである。常人の3倍ものパワーでたたいたら、壊れてしまうのではないだろうか。

「祭りで太鼓叩いてるやつも、全員言ってるんだからな」

「嘘だよ、聞いたことないよ」

「そりゃ、太鼓の音がでかいから、聞こえないだけだよ」

ほかに客はいない。亜美は百円を投入し、再びプレイし始めた。

「よっ! はっ! たっ! たぁ! とんとととん!」

でたらめな掛け声だけど、叩く姿はなかなか様になっていた。

「ほら、たまきもやってみろ」

亜美は次のプレイのための百円を片手に持ちながら、もう片方の手にバチを持つと、たまきに差し出した。

「私は別に……」

「亜美ちゃん、そうやって強要するのはよくないって」

「べつに強要してねぇだろ! な、ボウリングやバッティングセンターみたいなスポーツってわけじゃねぇ。ほんとにただのゲームなんだから、軽い気持ちでやればいいんだよ」

じゃあ、やっぱり3倍のパワーなんて必要ないんじゃないだろうか。

たまきは亜美からバチを受け取ると、太鼓の前に立った。ゲームが始まり、音楽が流れる。

「よっはったったぁとんとととん」

小さな声で亜美の掛け声を忠実に模倣しながら、たまきは太鼓をたたいた。まあ、いちばん簡単なモードなので、ふつうにやればふつうにクリアできる。いかに「ふつうに」が苦手なたまきでも、これくらいの「ふつうに」はこなせる。

「どうだ、たまき。やってみた感想は」

「えっと、棒をもって、太鼓をたたいて、曲が終わって……」

たまきは亜美の方に振り替えると、困ったように言った。

「それで、どうすれば……」

どうすればと聞かれても、困る。

「おまえ、ゲーセンでゲームやっても楽しくないって、それはもうビョーキだぞ」

とうとう病気呼ばわりされてしまった。まあ、ゲームの楽しさがわからないたまきの方がおかしいのだ、ということくらいは、たまきも理解している。

「あ、じゃあ、つぎ、あたしやる!」

志保が手を挙げた。たまきからバチを受け取ると、百円を入れて太鼓の前で構える。

志保は無言で太鼓をたたき続ける。

「お前、掛け声言えよ」

「絶対ヤダ」

画面を凝視しながら、志保はバチを動かした。曲が終わると、かなりの高得点がマークされた。

「どう? すごいでしょ?」

「すごいけどさ……」

亜美は少し言いにくそうに言葉を続けた。

「なんか楽しそうに見えねぇっつーか、ゲームしてるっていうより、そういう作業をこなしてるように見えるっつーか……」

「そ、そんなこと……」

「だいたい、おまえの場合、太鼓の音が小さいんだよ」

「べつに、大きな音を出すゲームじゃないでしょ。本物の太鼓じゃないんだし」

「だから、リズムよく太鼓を叩いてるっつーよりは、黙々と太鼓にバチを当ててる作業してるように見えるんだよ」

「そんなの……き、気のせいだよ……」

それ以上、志保は反論しなかった。

 

画像はイメージです

ゲームセンターで少し汗を流した後、銭湯に入ってさっぱりして、帰りにコンビニに寄ってから帰る。3人のいつものルーティンだ。

4月に入り、だいぶ暖かくなったので、日が沈んでからもお風呂に行くようになったし、銭湯帰りにぶらぶら寄り道しても湯冷めしない。

三人は、コンビニで買い物を済ませたものの、すぐには帰らずに、買ったお菓子をつまみながら街をぶらぶらしていた。

少しばかり、冬の時よりも町はにぎわっているように見える。歓楽街にはグループで入れる居酒屋が多い。大学の新歓コンパや、会社の歓迎会が多いのだろう。中には、明らかに羽目を外してしまった姿も見られる。

たまきはいつも、亜美と志保の少し後ろを歩くのだけれど、ちょっと不安になって、その距離を少し詰めた。

ふと、亜美が足を止めたので、思わずぶつかりそうになり、たまきは足を止めた。

「どうしたの?」

志保は亜美の目線の先を追った。

通りの脇にある、ビルとビルの間の隙間。人が一人ギリギリ通れるような間隔しかなく、配管が無数に走り、地面にはポリ袋だの煙草の吸殻だのが散乱している。

そんな隙間の壁の一部に、スプレーのラクガキがあった。緑のスプレーで何やらアルファベットのようなものが書かれている。英単語なのだろうが、文字を崩してあるのか、なんて書いてあるかはわからない。

それがちょうど亜美の顔の高さの場所にあって、その下にもいくつか小さいラクガキがあった。配管にもステッカーが貼ってある。

亜美はしばらくそのラクガキを眺めていたが、

「ちっ」

と舌打ちして、顔をしかめた。

「へー、意外」

様子を見ていた志保が笑う。

「あ?」

「亜美ちゃんもそういう町の美化意識があるんだぁ、って」

「ビカイシキ?」

亜美は、志保の言ってる意味が理解できていない。

「ラクガキ見て顔をしかめるんだから、街をきれいにしたいっていう意識があるんだなぁ、って思って」

「は? ウチがそんな学級委員みたいなこと考えるわけねぇだろ?」

そういえばつい先週、道端に亜美が煙草をポイ捨てして、志保が咎めたばかりだった。

「ここは、ウチらのナワバリなんだよ」

「……どゆこと?」

今度は志保が、亜美の言ってることを理解しかねている。

亜美は、向かいのビルの上階を指さした。

「あそこにヒロキが経営してるバーがあんだろ」

「え? ヒロキさんってバーの経営者だったの?」

志保の驚きを華麗にスルーして、亜美は続ける。

「で、その2号店がこっち。その下がシンジの働いてるホストクラブだ」

志保は「シンジ」とやらの顔が思い浮かばなかった。

「で、あれがケイタの店だろ? そんで、リョウジの働くクラブがあれ」

顔は思い浮かばないけれど、どうやら亜美のクリスマスパーティや花見に集まるような連中のことだろう。亜美はその後も、夜空の星座案内かのように、周りのビルの店を示しては、誰それの店だと解説している。

「『城』の下の階にあるビデオ屋あんだろ? あそこのオーナーもウチらのグループの一人」

「え、あのおじさん?」

「あれは店長。そうじゃなくて、オーナー。ヒロキが、たまにビデオや手伝ったりしてんのも、オーナーがダチだからだぜ」

ほかにも、志保と出会ったクラブとか、ミチがライブをしたライブハウスとか、さっきまでいたゲーセンとか、ぜんぶ亜美のいう「グループ」のメンバーが何らかの形でかかわっているらしい。どうやら、たまきと志保は知らないうちに亜美の「ナワバリ」の中で生活していたようだ。

「つまり、この辺り一帯は、ウチらのナワバリなんだよ」

亜美は証明終了という顔をしているが、たまきはそもそも何の説明をされたのかすらよくわからない。困ったように志保の方を見た。

志保は、頭の中に碁盤を思い浮かべていた。囲碁のルールは確か、自分の石で周りを固めてしまえば、そこが自分の陣地になるはずだ。同じ理屈で、自分たちの仲間の店で囲まれた領域が、亜美の言う「ナワバリ」なのだろう。

とすると、亜美がラクガキひとつで怒っているのも何となく理解できた。自分の陣地にどんと相手の石を置かれた、そういうことなんじゃないか。

「つまり、亜美ちゃんたちのナワバリに、知らない誰かが勝手にラクガキしたから、怒ってるってこと?」

「さっすが! よくわかってんじゃねぇか!」

こんなことでホメられてもうれしくない。

「最近、これとおんなじラクガキが、歓楽街のあちこちで見つかってんだよ。ウチらのナワバリの、中でも外でも。誰かが、ここは自分のナワバリだって言ってやがんだよ。クソ腹立つ」

なるほど。どうやら、碁石の代わりにお店とラクガキで囲碁をしているようなものらしい。囲碁というより、犬のマーキングに近いのかもしれない。

だけど、そもそも亜美の言う「ナワバリ」も、別に土地を買い占めているわけでも、法律で決まっているわけでもない。自分たちの行動範囲を「ナワバリ」と言い張っているだけだ。要は、町を丸ごと不法占拠しているようなものである。

そんな志保の考えを見透かしたのか、亜美は不満そうに口を尖らせた。

「なんだよ、そのキョーミなさそうな顔は」

「興味ないもん。あたしに関係ないし」

「なに言ってんだ? おまえらも、ウチらのグループのメンバーに入ってんだからな」

「え?」

「ええ!」

志保もたまきも、そんな不良グループと契約書や杯を交わした記憶なんて、ない。

「あたりまえだろ。ウチと一緒につるんでるんだから」

たまきが「そういうものなんですか?」と言いたげに志保を見上げ、志保は「そんなルールない」と言いたげに首を横に振る。

「そんなグループに入ったおぼえ、ないんだけど? 勝手に入れないでよ」

「は? おまえら、どうして今までウチらの不法占拠がばれなかったか、わかんないのか?」

「え?」

志保は亜美の説明を思い返してみた。『城』の下の階のビデオ屋のオーナーは、亜美の「グループ」のメンバーだという。

つまり、その真上にある『城』も、すっぽりと「ナワバリ」に入ってしまっている、ということだ。

亜美はそれ以上説明しなかったが、不法占拠が今日までバレていない理由は、きっとそういうことなんだろう。

そもそも、野良猫同然の暮らしをしていた亜美が、太田ビルの『城』と言うキャバクラの廃墟に転がりこめたのも、もともとそこがナワバリの中だからではないか。

つまり、志保もたまきも全く無自覚のうちに、亜美の「グループ」と「ナワバリ」に守られていた、ということではないか。なんだか、非核三原則を持ちながらもアメリカの核の傘下で守られてる日本みたいだ。

亜美は、もう説明は終わったという感じで志保に背を向け、再びラクガキをにらみつけていた。

「たまき」

「は、はい」

「おまえさ、この辺で絵を描く道具が買える店、知ってる?」

「ま、まあ」

「ソコ行ったらさ、こういうスプレーも売ってっかな?」

亜美はスプレーで書かれたラクガキを指さして言った。

「さ、さあ。見たことないですけど、あるかもしれないです」

「そんなの買ってどうするの、亜美ちゃん」

「いや、このラクガキの上から、スプレーで別のマークでも書いて、ここはうちらのナワバリだって示そうかなって」

「ええ?」

どうやら亜美は、ラクガキの上に新たにラクガキを塗り重ねるつもりらしい。

「なんでもいいんだけどさ、そうだな、うちのイニシャルの『A』を赤ででっかく書く、ってのどうだ。ナワバリのほかの場所も、ラクガキされる前になんか書いとくか」

「なに言ってるの亜美ちゃん!」

志保はラクガキをのぞき込む亜美に近寄った。

「落書きは犯罪なんだよ?」

だが亜美は、ハハハと笑うだけだった。

「お前、不法占拠とかいろいろやっといて、いまさらラクガキぐらいでなにいってんだ?」

「いや、そうなんだけど……、だからって何やってもいいってことにはならないでしょ! むしろ、そういう目立つようなこと、やめてよ!」

「だってお前、ウチらのナワバリに知らないヤツがなんか描いてんだぜ? 悔しくないのか?」

「ない!」

志保はきっぱりそう言うと、たまきの方を見た。たまき本人にその自覚はないけれど、こういう時に落としどころを作れるのがたまきである。

たまきも自覚はないなりに、このタイミングで志保がこっちを見るということは、何か言ってほしいんだな、と察する。

とはいえ、何を言ったらいいかなんて、わかるわけがない。そもそも、何を言ったらいいかがわからないからこそ、黙っていたのだ。そんな急に、今この場をうまく収める言葉なんて、思い浮かぶわけがない。

ただ、さっきの亜美と志保の会話の中で、一つだけ気になっていたことがあった。他に何も思い浮かばないので、それを口にしてみることにした。

「えっと、ラクガキって、やっちゃダメなんですか?」

しばしの沈黙。そして、

「え? そこから? 落書きはダメって知らなかったの?」

たまきは無言で頷く。

「そうか、このラクガキ、おまえが描いて回ってるって可能性あったな。おまえ、絵が好きだもんな」

「え? まさかたまきちゃん、外で落書きしてないよね?」

たまきはプルプルと首を横に振る。

「でも、ラクガキしてるのがたまきだったらよかったのにな。お前もグループのメンバーだから、おまえがウチらのナワバリでラクガキしてるってなら別にいいもんな」

「メンバーじゃないし、メンバーでもダメなものはダメだから!」

そこでまた、しばらく沈黙があった後、亜美はふーっ吐息をついた。

「ま、上から書くにしても、このラクガキよりセンスあるもん描かないと意味ないしな。ウチが描いても、センスねぇなって笑われるだけか。……帰っか」

亜美は太田ビルの方に向かって歩き出した。とりあえず、明日にでもスプレーを買ってラクガキするようなことはなくなったらしい。

ただ、一度立ち止まり、たまきの方を見て、

「おまえ、センスあるやつ描けるんだったら、描いていいんだぞ?」

「だからダメだって!」

亜美は再び歩き出し、志保が後に続く。

だが、しばらくして、志保はたまきがついてこないことに気づいた。

振り返ると、たまきはまださっきの場所で、ラクガキを見つめていた。

「たまきちゃん?」

志保の呼びかけにも反応しない。「たまきちゃん、行くよ?」

「は、はい!」

ようやくたまきは呼びかけに気づき、二人の後を追った。

 

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「まったく、我が弟ながら情けないよ」

ミチのお姉ちゃんが呆れたようにつぶやいた。

「で、そのままたまきちゃんを帰しちゃったわけ?」

ミチのお姉ちゃんが十日ぶりに海外旅行から帰ってきたのが昨日の昼。「そのあと」というヘンな名前のスナックは、今日の夜から営業再開である。

今は営業前の肩慣らしにと、店で弟に昼飯を作ろうと準備していたところだった。そこで「なんか変わったことはなかった?」という質問に明らかに言いよどんだ弟に、たまきとのことの顛末を洗いざらい白状させたところである。

「そういうのをね、『据え膳食わぬは武士の恥』っていうの」

ミチには意味がさっぱり分からないが、姉が言わんとしていることはなんとなくわかった。

「女の子がわざわざ泊りに来たのよ? 向こうだってそういう展開を期待してたってことでしょ?」

お姉ちゃんは、ミチの携帯電話に保存されている、猫と戯れるたまきの写真を見ながら言った。

「いや、俺も最初はそうかもって思ったりもしたんだけどさ、とにかくさ、その、たまきちゃんはなんつうか、ちがうんだよ」

「なにがちがうのさ」

「その、姉ちゃんとは違うんだよ」

「ちょっと! 実の姉を尻軽女みたいに言うとは、許さないよ!」

ミチはしまったと、心の中で軽く舌打ちをした。

だが、とにかく姉の想像しているようなパリピな女子にたまきは当てはまらないのだ。ズレているどころか、重なるところが見つからない。

おまけに、ミチはたまきからはっきりと宣言されているのだ。「期待にはこたえられない」と。それこそ、たまきが姉の言うようなことを何一つ期待していなかったということではないか。

なんとかそのことを姉に理解してもらわないと、このままふぬけ呼ばわりされたのでは、昼飯がマズくなる。

「そのさ、姉ちゃんはまだたまきちゃんと何回かしか会ってないんでしょ? だから、まだあの子のことをよくわかってないんだよ」

「ほーう、まるで自分はたまきちゃんのよくわかってる、みたいな言い方ですな」

お姉ちゃんはちょっと茶化すように言ったが、ミチはそこで黙り込んでしまった。

はたして、自分はたまきのことを理解しているのだろうか。

正直、泊まりに来た夜、なぜ怒られたのか、どこに地雷があったのか、今でもよくわかっていない。

オダイバでのあれこれも、いまだにわからないことだらけだ。

ただでさえ女心はわかりづらいというのに、たまきの思考と感性は一般的な女心とは外れたところにあって、輪をかけて理解できないのだ。

ふいに、店のドアが開き、ドアの上につけられたベルが鳴った。

「すいません、今日はランチやってなくて……」

と言いかけたお姉ちゃんだったが、入ってきた人物の顔を見て、

「あら、ウワサをすれば。いらっしゃい」

と笑顔を見せた。その言葉で、ミチも誰が来たのかがわかり、ドアの方に振り返った。

「あの……ミチ君、いま……すよね」

ミチと目が合ったたまきは、軽く会釈をした。

「なに、今日はどうしたの? もしかして、またデートのお誘い?」

お姉ちゃんの言葉にたまきは一瞬、背中をビクッと震わせた。

「ち、ちがいます別に……」

と言い淀みながらたまきはミチの方を見た。

いかにミチがたまきのことをわかっていない、といっても、さすがに今のたまきが睨むようにミチを見て、何を言おうとしているかぐらいは察しが付く。おおかた「この前のこと、勝手にしゃべったんですか?」って感じだろう。ミチも、「だってしょうがないじゃん」と言いたげに、たまきから視線を逸らす。

「あ、あの……この前の写真を見せてもらおうと思って……」

「この前のって、猫をなでたりしてるやつ?」

お姉ちゃんが聞き返す。

「えっと……そっちじゃなくて……」

たまきが見たいのは、アキハバラの駅で見た夕日の写真だ。

「ああ、あれね。せっかくだから、プリントアウトしてあげるよ。姉ちゃん、ケータイの写真って、プリントできる?」

「パソコンに転送すればできるんじゃない? あたしのパソコンに添付してメールを送ればいいんじゃないの? あとで印刷しとくから」

「あ、ありがとうございます」

たまきはぺこりと頭を下げた。

そして、そのまま動かない。

しばらくしてたまきが顔を上げると、お姉ちゃんに尋ねた。

「……お姉さんは、私が猫と遊んでる時の写真を、見たんですか?」

「うん、見た見た。かわいく撮れてたよ」

「……何枚ですか?」

あの時、十枚くらい写真を撮られた気がするが、たまきはミチに、「猫を抱っこしている写真」一枚を残して、あとは消すように頼んだはずなのだ。

それなのに、お姉ちゃんは「猫をなでたりしてるやつ」の写真を見たというのだ。これはおかしい。おかしくないですか?

「うーん、十枚くらい?」

お姉ちゃんの答えを聞くやいなや、たまきの目線はミチの方にぶつけられた。それが何を意味するか、ミチにもはっきりとわかる。間違いなく、睨んでいるし、怒っている。

「見せてください」

「え、えっと……」

「携帯電話のその写真、見せてください」

ミチが携帯電話を操作し、件の写真の画像を出す。たまきは、ひったくるようにそれを奪い取ると、慣れない手つきで操作しながら、ほかの画像も確認した。

「……私、消してくださいって言いましたよね。ちっとも消してないじゃないですか」

「……いや、だって、もったいないなぁ、って思って。せっかく撮ったのに」

「消してください、って言いましたよね」

「いや、でも、俺のケータイのデータをどうしようが、俺の勝手じゃん?」

「写ってるのは、私です」

まっすぐにミチをにらみつけるたまきと、目線を合わせようとしないミチ。お姉ちゃんはその様子を、何やら楽しそうににやにやと見つめながら、

「いいじゃない。かわいく撮れてるんだから」

と口をはさんだ。

「……そういう問題じゃないです。……そもそも、私はかわいくはないです」

「そんなことないって~」

とお姉ちゃんは、たまきの手にある携帯電話の画像をのぞき込む。

「ほら、このしっぽをピンと立ててる姿、なかなか様になってるよ」

「それは私じゃなくて、ねこです」

「ああ、ごめん。似てるから間違えちゃった」

そんなわけない。ツッコミどころがありすぎるが、絶対にまちがえるわけない。

「……ほら、姉ちゃんのパソコンに写真送るから、ケータイ返して」

ミチが携帯電話を取り戻す。

「余計な写真も消しておいてください」

「わかったわかった、消しておくから!」

ミチが送信を終え、お姉ちゃんは印刷のために、いったん自分の部屋へと戻った。

お店の中にはミチとたまきの二人だけ。しかし、たまきはまだ怒っているのか、ミチと目を合わせようとせず、店の中を見渡している。

ふと、たまきは店の中にバスケットボールにまつわるものがいくつか置いてあることに気づいた。アメリカ人(たぶん)のバスケの選手の写真がテーブルの上の写立てにあり、壁の高いところにはバスケのユニフォームが飾られている。バスケットのゴールをかたどった小さな置物もみつけた。

お姉さんはバスケが好きなのだろうか。しかし、お店の雰囲気とは何だか合っていない気もする。こういうのはスナックよりも、ハンバーガー屋さんとかステーキ屋さんとかの方が似合いそうだ。

そんな風にきょろきょろと店の中を見渡していたら、ミチと目が合ってしまった。たまきは慌てて視線を外す。

「たまきちゃんさ」

ミチは不満げに口を開いた。

「どうして、今日は笑わないの?」

「べ、別に……」

「なんかさ、この前よりもよそよそしくない?」

「き……気のせいです」

「俺ら、一夜を共にした仲じゃん」

「たまたま同じ部屋にいただけです……」

そのまま、たまきはうつむきがちに言った。

「笑顔が見たいんだったら……」

そこに、ミチのお姉ちゃんが戻ってきた。手には写真が握られている。

「プリント終わったよ~」

たまきはイスから立ち上がると、たまきとは思えないほどしなやかな動きでお姉ちゃんの方に駆け寄った。そのまま写真を奪い取るかのように手にすると、

「私、帰ります。ありがとうございました」

と早口に告げ、たまきとしては信じられないスピードで店を出ていった。一連の動きはまるで、一流のバスケプレイヤーが相手選手からボールをかっさらい、そのままコートを駆け抜けて、鮮やかにダンクシュートを決めたかのようだった。

「ミチヒロ、あんたまたなんか怒らせたんじゃないの?」

「……わっかんねぇなぁ」

ミチは、ドアの上にあるベルが揺れるのをただ見ていた。

 

写真はイメージです

たまきは、スナックのドアを閉めると立ち止まり、ふうっと大きなため息をついた。

一息つくと、ゆっくりと歩き出す。

高架沿いの坂道をたまきは、とぼとぼと上っていった。

長い坂道の中ほどあたりで、ふと、たまきは足を止めた。

高架下の一角。フェンスで区切られ、中に入ることはできない。フェンスのむこうには2メートルほど先にコンクリートの壁があり、それ以外には何もない。

フェンスには「不法投棄禁止」という看板が貼り付けられていた。コンクリートの壁はそこだけ「コ」の字型にくぼんでいて、きっと、ポイ捨てにちょうどいい場所で、ほっといたらゴミがたまってしまうから、フェンスをつけてポイ捨てできないようにしたのだろう。

そのフェンスのむこう側の壁に、鳥の絵がラクガキされていた。

おそらく、ペンキで書いたのだろう。だけど、絵のサイズは普通の写真くらいでしかない。ハケではなく絵筆にペンキをつけて描いたのではないか。

白い鳥が、羽ばたくポーズを描いたものだ。くっきりとした黒い輪郭線と、どこか灰色が混じったような白。翼は特に細かく描きこまれている。

たまきがこのラクガキに気づいて足を止めたのは、これと同じものを前にも見ていたからだ。

つい昨日、銭湯帰りに亜美が見つけたスプレーのラクガキ。あのラクガキの周りには他にも、小さなマークが描かれていたり、ステッカーが貼られていたりしたのだけど、その中にこれと同じ鳥の絵があった。

ぼんやりとその絵を見ているうちに、たまきはあることに気づいた。

この絵、どうやって描いたんだろう?

鳥の絵は、フェンスのむこう側にあるのだ。

フェンスにドアのようなものはない。となると、フェンスのむこう側に行くには、フェンスをよじ登り、乗り越えなければならないはずだ。

たまきは視線を上へと投げた。フェンスはたまきの背よりもはるかに高く、3メートル以上の長さだ。ちょうど同じくらいの高さでコンクリ壁のへっこみも終わり、コンクリ壁が道路のそばまで大きくせり出す。せり出したコンクリ壁はフェンスとぴったりっついているわけではなく、隙間が空いている。やっぱりフェンスを乗り越えればむこう側に行けそうだ。

でも、それは「不可能ではない」というくらいの話でしかない。実際にむこう側に行くのは、かなり難しそうだ。

まず、3メートル以上あるフェンスをよじ登らなければいけない。まあ、たまきには無理だけど、世の中にはそういうのが得意な人もいるだろう。

問題は、フェンスを乗り越えるとき、フェンスとせり出したコンクリ壁の、わずかな隙間を通り抜けなければならないことだ。

たまきはその隙間に目をやる。これまた、通り抜けることは不可能ではない。だけど、やっぱり狭い。小柄なたまきですら、どこかをすりむかないと抜けられないのではないか。

そうやって苦労して通り抜けたら、今度は3メートル以上の高さを安全に降りていかなければならない。

しかも、手ぶらでフェンスを登ればいいのではない。ペンキをはじめとした絵を描く道具も持っていかなければならないのだ。

そんな苦労を重ねて、フェンスのむこうにたどり着き、ラクガキをしたら今度は全く同じ苦労をして、フェンスを上って道路に戻らなければいけない。

その間、もしもお巡りさんなどに見つかったら、とてもめんどくさいことになる。

……何のためにそこまでしてラクガキするのか?

ラクガキするだけなら、何もそんな手間と危険を冒す必要はない。この近くなら、高架の下を抜ける、人目につかない通路なんていくらでもある。そこでいいじゃないか。だいたい、フェンスのむこう側にラクガキしても、気づく人はかなり少ないのではないか。

そんな風に考えると、昨日みつけたラクガキも、ラクガキするには適していない場所だったのではないかと思えてくる。

ビルとビルの間の隙間は、かなり狭い。一人くらいなら入ることはできるけど、そこで細かい作業をするのは、無理ではないけど、かなり面倒である。人通りも多い場所だ。通りかかれば誰かが気付くだろうし、やっぱりおまわりさんに見つかったらひどく怒られるだろう。

たまきの目には、スプレーの落書きの方は、少し歪んでいるように見えた。おそらく、描いた人はビルの隙間に入ったわけではない。隙間の外から、スプレーを吹き付けて描いたのだ。壁面に対して斜めに吹き付けたので、少し歪んでしまったのだろう。

あの壁にはステッカーもたくさん貼られていたけど、それなら人目を忍んで隙間に入って、貼り付けたらすぐに出ればいい。

だけど、鳥のラクガキは筆で書かれているように見える。となると、スプレーやステッカーと違い、何分かのあいだ狭い隙間に入って、肘を満足に動かせないような状況で器用に描かなければならない。

……何のためにそんなことを?

たまきは、フェンスのむこうの鳥の絵をふしぎに見つめていた。それはさながら鳥かごの中の鳥のようでもあり、一方で、実は鳥かごに囚われているのはたまきの方なのではないかという、奇妙な錯覚を起こさせる、そんな絵だった。

つづく


次回 第37話「イス、ところにより貯水タンク」

次回、新キャラ登場?続きはこちら


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

そんなに話題に合わせたいのか?

・若い世代の人はいろんなものを倍速で見る。

・映画もファスト映画で見る(違法)

・音楽はイントロをとばして聞く

・スポーツは結果だけ知ればいい

・短時間で楽しむ、タイムパフォーマンス重視

そういった話を聞くたびに、何をそんな生き急いでんねん、理解できねぇなぁ、と思っていたのだけれど、ここはひとつ、視点を変えてみることにしました。

「スポーツは結果だけ知ればいい」とは、日本で最もサッカー観戦文化が根付いている町で生まれ育った身としては、承服できる話じゃないけど、要は、試合の過程を楽しむというよりは、情報として知っておきたい、ってことですよね。

ファスト映画(違法)も、映画館でじっくり映画の世界に入り込むのではなく、情報として映画の結末が知りたい。

たかだか数十秒のイントロをとばすのも、楽曲を歌詞とメロディだけの情報として聞いている。

じゃあ、なんでそんなに情報が欲しいのか。

そんなことを考えながらラジオを聴いていると、令和キッズの意見として、「ゲームは別に自分でやるより、実況動画を見てる方が、友達とだらだらゲームで楽しんでるみたいで、好き」という話が出てきました。

これだ!

いままで、人がゲームしてるところなんか見て何が楽しいんだろうと思ってたけど、「人がゲームしてるところが見たい」んじゃなくて、そもそもゲームが見たいわけでもなくて、「ゲームしてる時の会話の空間が好き」なんじゃないか。

そう、彼らが重視しているのは「コミュニケーション」。SNSもコミュニケーションのツール。you tubeも「動画投稿サイト」ではなく、コミュニケーションと話題のための情報を提供してくれるツール。

どうしてyou tuberの人は毎日毎日動画投稿してるのか疑問だったんだけど、彼らは「昨日の○○見た?」「見た見た!」というどこの学校でも毎朝繰り返されているあのやり取りの、「〇〇」に入る部分を毎日毎日せっせと作っているわけです。

要は、話題作りですね。you tuberとはつまり「みんなが話せる話題を作る人」なわけです。

コミュニケーションが何より大事、そのための話題づくりが大事、となると、倍速文化もある程度理解ができます。

彼らは、映画を見たいわけでもなく、音楽を聴きたいわけでもなく、「あれ知ってる?」と話題をふられた時に「うん、知ってる」と答えられる回数を一回でも増やしたいから、「話題作」を一通りチェックしたいのです。なんだか、テスト勉強みたいですね。

……なんでみんなそんなにまでして、周りと話題を合わせたいんだろう?

僕は「周りと話題を合わせたい」「みんなの話題についていきたい」って思ったことが、一度もないんですよ。

たとえば、友人同士の会話で、みんなが僕の知らないことの話題で盛り上がっている時、いつも僕は「それ、知らないや、ふーん」で済ませます。僕はその話題について調べることすらしない。

「みんな見てる」とか、「いま、大人気」とか、「なにかの記録を更新」とか、そういったことは僕にとって、何のきっかけにもなりません。

鬼滅の刃、呪術廻戦、スパイファミリー、君の名は。

このへんは、名前しか知りません。どれだけ話題になろうが、記憶を塗り替えようが、まったく興味がない。

むしろ、「いま、話題!」と言われた時点で、見る気をなくします。

音楽に関しては、ラジオばっかり聞いてるので、「話題の曲を知らない」ということはないです。

一方で、ラジオばっかり聞いているので、いわるゆyou tuberさんの動画、全く見たことがありません。もちろん、何の興味もない。

僕がまともに流行に乗ったのは、ポケモンとワンピースぐらいです。無理して周りと話題を合わせようとは思わない。

みんな、何で話題を合わせようとするんですかね。

モノを売るって難しい

「真夏のノックフェス」と勝手に銘打ったイベント2日間が終わりました。もちろん、そういうイベントを主催したわけではなくて、たまたま出店予定の二つのイベントの日にちが並んでいたので、勝手に一人で盛り上がっていただけです。

イヤぁ、モノを売るって難しいですね。

用意した部数の70%以上が売れて、売り上げとしては1万5千円以上なのでまずまずの結果なんですけど、1日目のイベントは売れ残ってしまったり、2日目も最初は全然売れなかったりで、改めて「モノを売る」ということの難しさを痛感しました。

作品を買ってもらうには、手に取ってもらわないといけない。

手に取ってもらうには、ブースの前で足を止めてもらわないといけない。

足を止めてもらうには、ブースの前を通ってもらわないといけない。

ブースの前を通るには、そもそもイベントに来てもらわなくてはいけない。

これらの壁を突破して、初めて作品は評価されるのです。この幾重もの壁を突破して、「クリエイター」と呼ばれる人たちは初めて「作品を評価される」というスタートラインに立てるのです。

1つ作品を買ってもらうには、その何倍の数もの立ち読みが必要なんですね。

何人もの人に立ち読みしてもらうには、その何倍もの数の人に足を止めてもらわなきゃいけません。

より多くの人に足を止めてもらうには、その何倍もの人に前を通ってもらわなきゃいけません。

逆に言うと、人通りが少ないと、足を止める人の数も少なくなります。

足を止める人の数が少ないと、立ち読みが少なくなります。

立ち読みが少ないと購入につながらない、という理屈なんです。

購入に至るまでの段階の、どこかの数が少なくなれば、購入される数も少なくなるんです。

さて、イベントの集客力とブースの前の人通りはもうこちらではどうしようもないので、出店者ができる努力と言えば、いかに自分のブースの前で足を止めてもらうか、いかに手に取ってもらうか、です。

イベントの最中、全然足を止めてもらえない時間がありまして。通る人がみんなスルーしていく。目線が引っかかりもしない。だから、ちっとも売れない。

このままではまずい、と商品の見せ方を変えた瞬間、とぶように売れていきました。

商品自体はみじんも変わっていないのに、見せ方を変えただけで売り上げが10倍違うんです。

足を止める数、立ち読みの数からして、がらりと変わりました。

どんなにいい作品を作っても、売り方を間違えれば、さっぱり売れないんです。

そして、どんなにいい作品を作っても、売れなかったら評価の対象にすらならない。

売上以上に、販売に関して色んな事を気づき、学んだ二日間なのでした。

真夏のノックフェス2DAYS!!

夏フェスやります! 真夏のノックフェス、2DAYSです!

8月に、2日続けて、それぞれちがうイベントに出店します。

まずは8月13日(土)、中野サンプラザの「未知しるべ」に出店!

続いて、8月14日(日)、大崎駅前の「おもしろ同人バザール」に出店!

あちらのイベントからこちらのイベントへ、こういうことをやりたかったんですよ。

もっとも、そのための準備が大変なんですけど。それなりの部数を用意しなければならないので。

まあ、イベント設営に使う道具は、前回の文学フリマでだいぶそろったから、今回はそこまで気は使ってないんですけどね。

8月13日の「未知しるべ」の方は、オカルトとかスピリチュアルとかのグッズ販売のイベントだそうです。まんだらけさんが主宰していて、今回が初めてなのでふたを開けてみるまでどんなイベントなのかわからない。

だけど、オカルト好きと民俗学は相性がいいんです。

何を隠そう、私も大のオカルトマニア。

小学生の頃に妖怪の魅力に取りつかれ、

中学生の頃に怪談サイトを読み漁り、

中学を卒業することには、陰陽道について詳しくなり、

高校の時に高等エノク魔術の本を買うけど、あまりにも難しくて手放す。何言ってるかわからなかった。

いまも本棚には、呪術とか、錬金術とか、超能力とか、UFOとか、クトゥルフ神話の本が並んでます。生粋のオカルトマニアなのです。

オカルトが好きなやつに、悪い奴はいない!

……いや、結構いる! 残念!

場所は、来年で閉館することが決まった中野サンプラザ。ラスト1年初めて行きます。光栄です。

そして、8月14日の「おもしろ同人バザール」!

お台場でおこなわれるコミケの休憩場所、を勝手に名乗ってるイベント「大崎コミックシェルター」の一環として行われるイベントです。主催はJR大崎駅!

去年の大みそかにも僕は参加してたんですけど、

大崎駅改札前の広場で、屋外だったので、あまりの寒さに死にかけたんですよ……。

あれから8か月。

今度は暑さで死にかけそう、いや、死にそう……。

販売するZINEよりも、用意するお水とか暑さ対策グッズの方が多いかもしれません……。

日傘、いや、パラソルを用意した方がいいかもしれない。

こちらは、去年よりも出店者が多くて、かなり大掛かりなイベントになりそうな予感がします。

まあいずれにしても、文学フリマは5月と11月なので、ちょうどその間で、東京で、二日間も、客層の異なるイベントに出れるっていうのは、ほんとにありがたいことです。

そのうち、東京から離れたところを旅しながらイベントを巡る、みたいなこともやりたいなぁ。

これを読んだ人はこれでもう縁ができた! みんな、この夏は中野サンプラザと大崎駅で、僕と握手!

ZINEの表紙の色が決まらない

ZINEの表紙の色が決まりません。

「民俗学は好きですか?」のvol.8の執筆作業もそろそろ終わりを迎えられそうです。

今回の特集は「都市と怪談の四百年(仮)」。怪談がテーマということで、全体的にもおばけ関連の記事が多いです。

その作業も半月遅れで順調に進み(?)、そろそろ表紙について考えなければならないところ。

その表紙の色が決まらないんです。

怪談、ホラーというと、やっぱり黒っぽい表紙にするのが鉄板です。

……黒はvol.3とvol.4で使ってるんですよねー。

シリーズ8冊中、3冊が黒って、どうよ。

ちなみに、かのワンピースの場合、表紙に黒を使っているのは、5回です。102冊中、5回です。5%です。

こちとら、8冊中3回、40%黒ってどうよ。

どうして僕がここまで色かぶりを気にしてるかというと、いざ売ろうって時に、自分のブースに並べることを考えると、「同じ色ばっかり」になることを避けたいからなんですよ。「最新刊です!」つっても、同じ色のZINEがほかにもあったら、気づいてもらえないかもしれない。

何より、僕が整理するときに、同じ色が並んでたらややこしい!

ということで、今回は黒はナシで行きたいんです。

ちなみに、第二候補はミステリアスな紫だったのですが、

……vol.6で使ってるんですよねー。

8冊中2冊、25%紫ってどうよ。

ちなみに、ワンピースだと紫は7回、7%紫です。

で、いま、僕の頭の中にあるのが、グレーを表紙で使う、っていう案。

ただ、これはこれで問題が。

グレーが表紙の本って、売れるのかな。

GLAYが表紙なら売れるけど、グレーが表紙だと売れないんじゃないか。

なぜ、ここまで表紙の色で頭を悩ませているのかというと、色でそのZINEのイメージが決まるし、そうなると手に取る人の数も変わるし、買ってくれる人の数も変わる。

内容は面白いのに、表紙で損をしてる、ってことも当然あるわけです。

なので、どんな本がどんな表紙を使っているか、常にチェックしているんですけど、グレーが表紙の本や雑誌をあんまり見たことないんです。

ちなみに、ワンピースだとグレーはなんと第13巻のたったの1回! 22年前に一度使ったきり!

なんでこんなにワンピの表紙に詳しいかって? ウチに全巻あるからです。

ちなみに、平成ライダーの場合は主人公ではグレーは一人もいません。赤が八人、黒が一人、紫とピンク(マゼンダ)が二人ずつ。

昭和ライダーだとスーパー1がグレー、いや、あれはシルバーか。

とりあえず、やっぱりグレーは人気がないみたいです。GLAYは人気あるのに。

とりあえず、作ってみるしかないかー。

長野がオレを呼んでいる。

……ああ、長野に行きたい。

正確に言うと、「行きたいところ、気になるところが、長野に集中してる」

この前、大宮の博物館でやってた縄文土器の展示を見に行ったんですよ。そしたら、そこに長野の井戸尻博物館の土器が貸し出し展示されてたんです。

井戸尻って名前は前々から知ってたんですけど、どういう場所なのかちゃんと知るのは初めてで。どうやら、縄文土器のメッカみたいな場所らしいんです。

地図で見るとそのすぐ近くに、「高遠」って場所があって、それは僕が研究している野仏を作った石工たちの故郷なんですよ。ここの石工があちこちに散らばって、野仏を作っていった。たぶん、関東の野仏も彼らなんじゃないかな。だって、素人が彫ったとは思えないレベルのやつがいっぱいあるんだもん。野仏マニアとしては、ぜひ一度訪れてみたいですね。

さらにこれまた近くに、辰野町って町がありまして、ここは野仏・道祖神がたくさんある町として知られているんです。

で、そこから北に行くと、諏訪湖と御柱祭りで有名な諏訪があるんです。諏訪は学生の時に一度行ったことがあります。

学生の時、民俗学の先生が、「諏訪の文化はほかとは全然違う!」って力説してたんです。たとえば、家の作り方とか、全国のどこにもない形式の家なんだそうです。

さらに、先生が学生と諏訪に調査に出かけて、電車に乗っていた時、先生は周りの人の顔を見比べて、「諏訪の人って、ほかの地域とは違う顔立ちをしてない?」って思ったんだとか。

……そんなアホな!? いくらなんでも、顔立ちまで違うって、柳田國男が追い求めた「山人」じゃあるまいし。

あくまでも先生個人の感想です。

とにかく先生は「諏訪は他と違うんだ!」って力説してました。

そんなこんなですわで、ブラタモリで諏訪を特集していた時に、気になって見てたんです。

「顔立ちが違う!」って話はさすがにしてなかったけど、諏訪は良質な石が取れたらしくて、各地から人が石を求めてやってくる、古代人にとっては聖地だった、みたいな話をしてました。

各地から人が集まって来たんだったら、いろんな文化が混ざって独自の文化になったのかもしれない。

逆に、そこから全国各地に散らばっていったのかもしれない。諏訪神社って全国の分布がえげつないし。

そして、諏訪の北には塩尻があります。

長野の山の中には、海から塩を運ぶための「塩の道」が静岡、愛知、新潟からそれぞれ伸びていて、その三つの「塩の道」の終点が塩尻。「塩の道」の最後だから「塩尻」、まさに最果ての地。

さらに、その北には安曇野があります。

安曇野というのは、海の民だった安曇系の海人族が開拓した土地。海のない長野の山奥なのに、海人族が開拓したという、これまた神秘の地域なんですよ。

長野、特に諏訪湖周辺に、こうしたスポットが集まってるんです。御柱祭り、縄文土器、野仏、海人族……。

ああ、長野に行きたい。

行きたいなら行けばいいじゃないか、という話なんだけど、一泊二日の観光旅行じゃちょっと足りない気がする。しっかりどっしり腰を据えて回ってみたい。そのためには、お金と日にちをしっかり確保して、しっかり計画を練っていかないと。

そうだ、諏訪で合宿がしたい。いや、誰とだよ。

大学で一緒に民俗学をやってた仲間ですら、ここまでコアな好みに付き合ってくれるかどうか疑問なので(まあ、諏訪もそいつらと行ったんだけど)、一人で行くしかないかなぁ。ほぼ、観光する気はないし。

先日、「井戸尻に行きたいなぁ」とツイッターでつぶやいたところ、井戸尻考古館(公式)アカウントからいいねがきました。やはり井戸尻が、長野がオレを呼んでいる……。

絶対役に立つ、カルト宗教の嘘のみやぶり方

安倍さんの事件以降、カルト教団が話題になってます。

人をだましてたぶらかしていいように利用しよう、ってのは宗教だけじゃなくて、いわゆるねずみ講とか、マルチ商法とか、つまりは相手の思考力を奪って、お金を巻き上げよう、って輩ですね。

僕自身、マルチ商法の勧誘を受けたことがあります。その場で断って帰ったけど。

だって、話が長かったんだもん。5分で済む話を30分もかけてたんだぜ。

「すぐに本題に入らない奴の話は信用しない!」、これは僕の嘘を見破るポイントの一つです。

いきなり宗教だ商法だの話を始めると警戒されるから、まずはそれを隠して、「もっといい生活がしたいと思わないか!」「いまの自分を変えたいと思わないか!」みたいなところから入って、次第に本題へとシフトしていく。だから、話が長くなる。

人をだまそう、たぶらかそうとしてるやつは、そのためのワナを会話にちりばめるから、どうしても長くなるんです。長々としゃべってたけど、要約すれば半分以下の長さで済むんじゃないか、ってなった時は、じゃあ半分以上は何の話をしてるのかというと、相手をだますためのワナに時間を使っているわけです。

とまあ、こんな感じで、「話の内容」よりも「話し方」の方に警戒心を向けると、ウソは見破りやすし、カルトまがいに引っかかることも少なくなります。

実際、「話の内容」の方で矛盾を指摘して、ウソを見破って論破するっていうのは難しいんですよ。

ウソを内容から見破るには、かなりの知識が必要です。たとえば、「昨日のお昼は東京にいた」って言われても、「彼は昨日のお昼、大阪で目撃されている」と知っていればウソだとみ破れる。でも、そんな都合のいい情報を知ってることなんてそうそうないわけです。

「この薬にはこんな効果があります」「ウソだ! その薬に使われている○○という成分にそんな効果はない!」とできればかっこいいけど、ふつうは「〇〇なんて物質、聞いたことはあるけどよく知らない」なんて感じです。

内容からウソを見破ろうと思ったら、知識がいくつあったって足りない。

だから、相手の話し方から見破るんです。

人って面白いもので、言葉だったらどんなウソでもつけるけど、話し方やしぐさ・態度はウソをつけない。すくなくとも、言葉に比べるとかなり正直です。

さっきの「すぐに本題に入らない」「やたらと話が長い」もそう。

ほかにも、「イエスかノーで答えられる質問を、イエス/ノーで答えない」というのもあります。これまたやっぱり相手に自分の言うことを何とか信じさせようとあれこれ言葉を足していくから、イエス/ノーという淡泊な答え方ができないんですね。

なかには、話してる本人もそれがホントだと信じ込んでいて、だまそうというつもりが全くないからウソのサインが出ない、って場合もあります。そんな時、僕は過剰な「陶酔」「敵意」「分断」に注目しています。それこそカルトなんて教祖・教団・教義への「陶酔」「敵意」「分断」の典型です。相手の言葉の内容よりも、「陶酔」「敵意」「分断」が含まれていないかの方に注意して耳を傾けます。

あとは、しぐさからウソを見破る。よくあるパターンとしては、

唇をなめる(ウソをつくとのどが渇く)

顔を触る(嘘をつくと汗をかくのでかゆくなる)

やたらと身振りが大きい(相手に話を信じ込ませようとする結果、身振りが大きくなる)

姿勢が傾いている(嘘をついているので、この場から早く離れたいという表れで姿勢が傾く)

手や腕を組む(防御姿勢、内面を見透かされたら困るという表れ)

この辺の合わせ技でも、ウソを見破れます。しぐさは、言葉よりもはるかに正直です。

「口をなめる」なんてのは、マスクをしてしまえばバレません。逆に言うと、「なにかの会見でマスクをしてるやつ」はもうそれだけで信用できません。「あ、口元見られたくないんだな」と。

先日の旧統一教会の会見では、幹部の人が唇をぺろぺろ舐めていたから、「あ、この人たち、真っ黒だ」と判断しましたとさ。

とにかく、その場でウソだとはっきり見抜けなくても、「ウソのサイン」があったら絶対に信じない、警戒心を解くことなく、話半分で聞くべきです。