新宿の歓楽街も上野のアメ横も、はぐくんだのは戦後の闇市だった

新宿と上野も、アジアンタウンと風俗店街が隣接している。なぜ、アジアンタウンと風俗店街は隣り合うのか。そして、なぜ、新宿と上野なのか。その理由を戦後の闇市という観点から紐解いていきたいと思う。新宿と上野は、いや、東京という町は、戦後の闇市から生まれた街なのだ。


これまで、このブログでは新宿と上野を歩きながら、以下のことを見てきた。

・風俗店街と外国人街が隣接、混在している。

・どちらの町も、江戸において中と外の境界、異界との入り口にあった。

風俗店街と外国人街の奇妙な関係 新宿編

風俗店街と外国人街の奇妙な関係 上野編

なぜ、外国人街と風俗店街が隣り合うのか。それを紐解くには、新宿と上野の歴史を見ていかなければならない。

その始まり、「戦後の闇市」の時代を。

戦後の闇市の姿

「東京の歴史を探る」という話をしたら、江戸時代から始まるのがふつうな気もする。

だが、残念ながら現代の東京に江戸の町並みはほとんど残っていない。江戸時代を彷彿とさせる建物が残っていたら、東京ももっと違った街になったろうに。

江戸時代はおろか、明治・大正の町並みすら残っていない。なぜだろうか。

いろんな要因があるだろうが、その一つが「第二次世界大戦」である。

東京大空襲をはじめとする空襲で、ほとんどの建物が焼けてしまったのだ。

新宿だ上野だといったターミナル駅の周辺も、終戦直後は建物なんてほとんどなかった。

もっとも、こういったターミナル駅の周辺は、火事になるのを防ぐために住民を疎開させて、先に建物をぶっ壊して更地にしておくという「交通疎開空地」と呼ばれる場所も多かった。

まあとにかく、終戦直後の東京は今の東京からは想像もつかない焼野原、「ほぼ更地」だったのだ。

さて、戦争が終わり、一抹の開放感はあったものの、何よりも大事なのは自分や家族の命、今日のご飯と明日のパンツである。なんとしても食糧を手に入れなければいけない。

そういった事情から、東京の駅という駅の周りには闇市が立った。露店やバラック小屋で、食料品や日用品を売っていたのだ。

しかし、なぜ「闇市」というのだろう。

「闇市」の夜「闇」とは、「非合法」という意味だ。

露天商にしてもバラック小屋にしても、不法占拠だった。法的にそこで商売する権利は何もない人たちが、勝手に居座って商売をしていた。

さらに、政府による食料統制もあったため、勝手に食料を売ってはいけないことになっていた。

闇市を取り仕切っていたのも、テキヤというアウトローな集団だった。

闇市は違法行為なんだけれど、それを取り締まっていたら、食糧が手に入らない。東京高校の教授だった亀尾英四郎や、東京地裁の判事だった山口良忠は、闇市での食料購入を拒み、餓死した。山口は日記の中で「食料統制は悪法だ」と断言しつつも、それでも法の順守を貫いた。

逆に言うと、法律を守っていたら食べ物が手に入らずに死んでしまう時代だったのだ。

警察も取り締まりを行っていたが、終戦直後の混乱期ではやはり警察機能の弱体化は否めない。

さらに言えば、警察は黙認どころか、裏で闇市を推奨していた。新宿西口の安田マーケットは、テキヤの「安田組」が取り仕切っていたが、安田組にマーケットを仕切るように依頼したのは、なんと警察署長だった。闇市は違法だが、このままでは第三国人に新宿を乗っ取られかねないと危惧した警察署長が、そうなる前にと安田組の親分に西口のマーケットを仕切るように依頼したのだ。もちろん、西口のマーケットも不法占拠だ。

それにしても、どうしてこうもホイホイ不法占拠ができるのだろうか。

いまの新宿でどこか空地があったとして、そこで勝手に商売を始めれば、必ず地権者がやってきてけんかになるだろう。

つまりは、地権者にばれなければ、不法占拠は継続できるのだ。

終戦直後、地権者はどこへ行ってしまったのかというと、たいていが疎開していた。

終戦直後の東京は誰もかれもが今日を生きるのに精いっぱい。更地になってしまった土地なんてどうでもよかった。そんなことよりも必要なのは今日のご飯、明日のパンツである。実際、新橋でマーケットを仕切っていた中国人が、新橋の土地の地権者に土地を譲ってもらえないかと頼みに地方へ出向いたところ、実にあっさりと譲ってもらえたという。土地を守るよりも、土地を売って食費に変えた方がいい、そういう時代だったのだ。服を売って、家財道具を売って、そうしてあるもの全部売って食費に替えることを「タケノコ」と呼んだ。

だいたい、東京の闇市で売られている食糧は地方から運ばれてきたものである。食事のことを考えると、わざわざ東京へ戻るくらいなら疎開先の地方にとどまったほうが、食糧が手に入りやすい。

そういった事情があるから、東京の地権者たちは戦争が終わってもすぐには帰ってこなかった。そこをこれ幸いとテキヤだの第三国人だの浮浪者だのが占領し、闇市を開いていた。

だが、それは戦後、警察機能が弱体し、地権者が帰ってこれなかった間、それまでの秩序が崩壊したつかの間にしか成立しない。闇市は昭和22年にはほとんど姿を消してしまう。このころになると警察は力を取り戻し、地権者たちも地方から帰ってくる。地権者が帰ってきて闇市を見れば、当然「出てけー!」という話になる。

そこで出ていく者もいれば、土地を買うなり借りるなり、ちょっと場所を移すなりしてそのまま残る者もいた。今の東京の繁華街の多くは、こうした闇市が残り、発展したものだ。

闇市とアメ横

上野のアメ横もそんな街の一つだ。

アメ横には終戦当時、関西からやってきた朝鮮人が多く集まっていた。また、「パンパン」と呼ばれる売春婦も多くいて、彼女たちは桜のマークに「Ueno」と書かれたバッヂを作り、連帯を深めていた。

朝鮮人たちを中心とする第三国人は、仲御徒町の線路沿いで石鹸を売っていて、その一帯は石鹸町と呼ばれていた。

この第三国人は日本人とのいざこざが多かった。上野一帯の第三国人は7割が学生だったという。

やがて、復員軍人や中国からの引揚者からなる近藤マーケットが第三国人をアメ横から追い出す。この近藤マーケットが、今のアメ横へと発展していった。

追い出された第三国人はどこに行ったのかというと、アメ横から大通りを挟んだ反対側にキムチ横丁という街を作った。

ここで重要なのは、終戦後の上野には外国人、特に朝鮮人が多かったこと、そして、彼らはアメ横から追い出されても、上野にとどまり続けたことである。

すなわち、上野は闇市の時代から、朝鮮人をはじめとするアジア人の集まる街になったのである。

闇市と新宿、歌舞伎町の始まり

「光は新宿から」。新宿の尾津マーケットを取り仕切ったテキヤの親分、尾津喜之助が掲げたスローガンだ。

新宿駅前では尾津組や安田組と言ったテキヤ集団が闇市を取り仕切っていた。

だが、戦後1~2年もすると、地権者たちが帰ってきて、闇市の時代は終わりを告げる。

さらに、小田急電鉄が新宿の開発に乗り出す。新宿は小田急の始発駅。始発駅のブランド価値を高めることによって、新宿発の小田急のブランド価値も高まる。こうした開発の波に小さな店は飲み込まれていった。

新宿西口線路沿いの思い出横丁は、レトロな雰囲気を残す場所として、連日多くの人が狭い路地に集まる。ここは、闇市の店が戦後、地権者から正式に土地を購入して残ったという、新宿でも非常にレアなケースだ。

さて、新宿、いや、東京最大の歓楽街と言えば歌舞伎町である。歌舞伎町もそうして闇市が発展したものだ。

……と言いたいところだが、実は違う。

もともと、今の歌舞伎町の一帯は武家屋敷の跡地、「大村の森」と言われる森だった。今の大久保病院の前には、池があり、花道通りは川だったという。なるほど、確かに花道通りは、まるで川のように蛇行しているし、歌舞伎町内には水の神様である弁天様が祭られている。

大久保病院自体がそもそも、コレラや伝染病を専門とする、隔離病院だった。歌舞伎町は、そういう病院を作るような、町はずれの場所だったのだ。

終戦後、この「大村の森」は駅から遠すぎて、闇市は立たなかった。一方、町会長だった鈴木喜兵衛は劇場や映画館を中心とした、浅草のような演劇の街をこの地に作ることを構想する。その中心となるのが、歌舞伎座の誘致だった。ゆえにこの地は歌舞伎町と名付けられ、開発が行われた。

だが、この計画は思うようにはいかなかった。歌舞伎座の誘致に失敗したのもあるが、やはり駅から遠すぎたというのが一番の難点だった。

一方、新宿駅前では地権者たちや警察の力がよみがえり、闇市の時代が終わった。そこであぶれた商売人たちが、新宿の北に新しい街ができたと聞きつけ、歌舞伎町で商売を始めるようになった。

やがて、1950年になると朝鮮戦争がはじまり、日本は戦争特需といって朝鮮半島で戦うアメリカ軍に物資やサービスを提供することで、景気が向上する。歌舞伎町もその影響でにぎわいを見せ始めた。

1951年には歌舞伎町内に東京スケートリンクが開業し、これがヒットする。

1952年には歌舞伎町のすぐわきに西武新宿駅が開業。さらに都電の停留所も二つ作られ、最大のネックだった「交通量のなさ」が解消された。

そして1956年には歌舞伎町の中心となる新宿コマ劇場(現在の東方の映画館)がオープン。

こうして、歌舞伎町は発展していくが、昭和30年代はまだ、今のような歌舞伎町とは違い、風俗店だやくざの事務所だといったものはなく、むしろとんかつ屋だ、お茶屋さんだ、パーマやさんだ、工務店だ、パン屋だ不動産だと、どこの町の商店街にもあるような店が並ぶ、庶民的な街だった。「ロボットレストラン」がある桜通など、職人街だったという。今でも歌舞伎町にはこういった店がまだ残っている。

このころは喫茶店ブームで、歌舞伎町にも多くの喫茶店があった。

この喫茶店の経営者には台湾人をはじめとする第三国人が多かった。彼らはもともと、西口の安田マーケットで店を構えていた人たちだ。

歌舞伎町の中では特に台湾人の果たした役割が大きく、花道通りには今でも「台湾同郷協同組合」のビルが建つ。

さて、昭和40年代になると、歌舞伎町の北側にホテルが建つようになったこの一帯は今でもラブホ街となっている。

どうしてホテルなのかというと、商品や技術がなくても、建物さえあれば商売できるから、らしい。

このころになると暴力団が歌舞伎町に増え、犯罪も増加する。ソープランドやストリップ劇場と言った、いわゆるいかがわしいお店も増えてきた。

1980年ごろになるとノーパン喫茶だののぞき劇場だのといった、もはやいかがわしさしかないお店が増える。こうして今の歌舞伎町になっていった。

歌舞伎町は鈴木喜平の想像を超える規模に発展したと思うが、たぶん、方向性は彼の想像とは全然違うと思う。

関東最大のコリアンタウン・新大久保

その歌舞伎町のすぐ来たのは新大久保のコリアンタウンがある。平日でも韓流大好き女子が集まり、遊園地のような賑わいを見せている。チーズダッカルビをはじめとした最新の韓国グルメがウリだ。

さて、どうして新大久保がコリアタウンになったのかについては、諸説ある。

そう、諸説あるのだ。東京のど真ん中、しかもここ数十年のことなのに、どうして諸説あってしまうのかわからないが、とりあえず諸説ある。

諸説その①

新大久保駅のすぐ北には1950年から2017年までロッテの工場があった。今では住宅展示場になっている。

ロッテの創業者は韓国人でロッテの工場にも多くの韓国人が集まっていた。彼らは工場の近くに住み、それがコリアンタウンのもととなった。

諸説その②

歌舞伎町には多くの韓国人が住んでいた。闇市からの流れを考えれば、歌舞伎町に多くの第三国人がいたことは不思議ではない。彼らが90年代になって新大久保に店を出すようになった。

さて、どっちの説が本当だろうか。

たぶん、どっちも本当なのだと思う。新大久保にロッテの工場があったのは事実だし、ロッテの創業者は韓国人だ。韓国人が始めた工場に韓国人が集まるのも自然なことだろう。

そして、彼らが工場の周りに住むのも自然なことだ。これが1950年代の話。

この時点で多くの韓国人が新大久保に住んでいたはずだが、今のようなコリアンタウンの姿とは程遠かったはずだ。

何せ彼らは工場の労働者であり、韓国料理屋をやっていたわけではないのだ。

そこに90年代になって、歌舞伎町内にいた韓国人たちが合流した。90年代の歌舞伎町と言えばすでに一大歓楽街となっていた。そこにいた韓国人たちは接客のプロだった可能性が高い。

彼らは新大久保に移り住み、そこに住む韓国人を呼び込むために、韓国料理の店を始めた。こうしてコリアンタウン・新大久保が完成したのだろう。

第三国人とは何か

さて、ここまで、わざと解説しなかったのだが、さかんに「第三国人」という言葉を使ってきた。

今日では耳慣れない言葉だが、これは終戦直後の在日朝鮮人・在日中国人・在日台湾人のことを指す。

彼らの大部分は強制連行で連れてこられた者たちだ。日本兵として出征した者もいる。

だが、必ずしも全員が無理やり連れてこられたのではなく、中には自分の意志で日本の学校に留学している学生もいた。アメ横の第三国人の7割は学生だったという。

さて、戦争が終わって日本人たちは、戦争は終わったけれど食べモノがない、と途方に暮れたわけだが、同じように途方にくれたのは第三国人も同じだ。

植民地支配が終わり、「祖国に帰る」という選択肢も出てきたが、そんなに話は簡単ではない。

何せ、羽田からソウルや北京に直行便が出ているような時代ではないのだ。国に帰るには船に乗らなければならない。船に乗るには汽車に乗って港に行かなかければいけない。そこまでの交通費や船代も、決してタダではない。

そうまでして祖国に帰っても、そこで楽に暮らせるという保証は何もない。終戦直後の韓国や中国も混乱していたのだ。そもそも、植民地が裕福だったら、日本はこんなに困っていない。日本が疲弊すれば、植民地も疲弊する。

加えて、第三国民は当時、日本で特権的な立ち位置にいた。GHQは第三国人を解放国民として扱った。これは、日本の法の外に置く、すなわち、「まあ、ある程度の無茶は目をつぶりますよ」ということだ。

無理して祖国に帰っても、まともに生活できる保障はない。ならばこのまま東京にとどまって、せっかく得た特権をフルに使おうじゃないか。

こうして、第三国人は一気に勢力を強めた。GHQの横流し品も優先的に手に入れられたので、商売でも日本人より有利な立場になった。特に数が多かったのが朝鮮人で、闇市の時代、日本には90万人もの朝鮮人がいたという(それでも、140万人は帰国している)。

混沌の時代、ヤミイチ

いまここで第三国人の話を詳しくしているのは、こういうことを言いたいからだ。

アジア系の外国人が日本で土地を持ち、店を構え、街を形成できる唯一タイミング、それが、あらゆる秩序が崩壊した闇市の時代である。

闇市の時代でなければ、こんなことはあり得ない。どの町にも古くからの住民がいる。そこに割って入って、あれだけの規模のコリアンタウンを造るのは不可能だ。

終戦直後、警察の力が衰え、違法である闇市が公然と開かれていた。すりやかっぱらい、強盗が横行し、町角にはパンパンと呼ばれる街娼が立っていた。そこでは、それまで虐げられていた第三国人が力を持っていた。

法律、国籍、常識、道徳、そういったあらゆる秩序が崩壊した、「生きるためなら何でもあり」のカオスな時代。

こういった時代だからこそ、本来ならよそ者であるはずの外国人たちが異国の地である東京で力を持つことができ、その後の「外国人街の形成」につながっていったのではないだろうか。

それはいわゆるアウトローたちも同様である。本来ならば警察に取り締まられるべき立場のはずが、この時代に力を持った。闇市のマーケットはテキヤの親分たちが取り仕切った。何せ、警察署長がテキヤの親分に「不法占拠で違法な品を売るマーケットをやらないか」と持ち掛けるような時代である。法律も警察も何もあったもんじゃない、しっちゃかめっちゃかだ。

こういったアウトローたちは、上野に根付き、歌舞伎町に流れ込み、やがて町が発展していくにつれて人が集まると、やくざの事務所や風俗店の経営などに乗り出していったのではないだろうか。

もともと、この記事は「なぜ、西川口に中華料理屋が増えているのか」から始まった。

西川口駅周辺に中華料理店が増えたのはなぜだ‼?

西川口に中華料理屋が増えたのも、「そこにカオスがあったから」という叙事的なセリフで説明がつく。

もともと、西葛西は風俗街として有名だった。だが、一斉摘発で多くの店が廃業に追い込まれた。その跡地に中華街ができた。

人口が多い街なら、駅周辺もにぎわうのが自然というものだ。人口が多いにもかかわらず、駅前に空き店舗、ゴーストタウンが生まれるというカオスな状況。このカオスがあったからこそ、西川口はチャイナタウンになったのだ。

……とまあ、まるでまとめみたいに話をシメにかかっているが、実はまだ、大きな謎が残っている。

それは、「なぜ、上野と新宿だけなのか」という謎だ。

何せ、闇市はそこら中にあったのだ。新橋にも、秋葉原にも、錦糸町にも、池袋にも渋谷にも、中野にも、高円寺にも、何ならとんで埼玉にも。

そして、第三国人がいたのも、アウトローだのパンパンだのがいたのも、どこも同じである。新橋のマーケットは中国人が仕切っていたし、有楽町はパンパンガ多くいた。

だが、アジアンタウンや風俗街で有名なのは、新宿を中心とする一帯と、上野を中心とする一帯ぐらいである。

数ある闇市の中で、この二つが最もカオスを色濃く残したまま現在に至っている。

なぜ、新宿と上野なのか。秋葉原や錦糸町じゃダメだったのか。

これには、「境界」が絡んでくるのだが、その答えはまた次回。

参考文献

猪野健治編『東京闇市興亡史』

戦後の闇市に関する資料として現存し広く流通した者の中には、もうこれ以上の資料は存在しないのではないかという代物。今回、なんと神保町で昭和53年に出版された初版本を発見するというミラクルに恵まれた。

七尾和晃『闇市の帝王』

新橋のマーケットを取り仕切ったある中国人を取材したもの。新橋に限らず東京全域の闇市の様子が描かれている。

石榑督和『戦後東京都闇市』

新宿・池袋・渋谷の闇市の攻防が描かれている。論文なので内容は堅め。

稲葉佳子・青池憲司「台湾人の歌舞伎町-新宿、もう一つの戦後史』

歌舞伎町の歴史と、街を支えてきた台湾人たちを取材した本。

小説「あしたてんきになぁれ」 第20話「冷凍チャーハン、ところによりカップラーメン」

あしなれ、前回までのあらすじ

ミチのカノジョ、海乃は実は既婚者だった。ミチとの交際が海乃の旦那にばれ、ミチは激しい暴行を受ける。その日の夜、舞の家で治療を受けるミチにたまきは、海乃が既婚者であることをミチは知っていたのではないか、知ってるのに「何も知らなかった」と嘘をついているのではないかとぶつける。


第19話「赤いみぞれのクリスマス」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです。

「海乃って人が結婚してるって、ミチ君、知ってましたよね!?」

たまきはいつになく強い目で、まっすぐにミチを見据えた。

暗い部屋の中、外の明かりに照らされたたまきの顔は、ほんのりと紅潮している。

「え……、知ってるって……」

ミチは半笑いをしながら、窓の外を見た。

「海乃って人が結婚してるって、ミチ君、知ってましたよね!?」

たまきはもう一度同じ言葉を、より語気を強めていった。

ミチはたまきの方を向くと、左手で鼻の下をこすりながら、ひきつった笑顔を見せた。

「し……知ってたわけないじゃん。俺だって今日初めて知って……」

「私は知ってました」

たまきの言葉にミチの指が止まった。そのまま左手はだらりと下がるものの、顔は硬直したまま、たまきを見続ける。

「え……」

「私は海乃っていう人が結婚してるって知ってました」

「いつ……」

ミチはそう言って唇をかんだ。

「……大収穫祭の次の日の朝、その……ホテルから出てきた二人にあった、あの時です」

たまきはミチの方を見ながらも、ときどき記憶をたどるように左上を見ながら、しゃべり始めた。

「あの海乃って人……、『ひきこもりはダメ』みたいなこと言って、私の頭なでたんです……。その時、私、はっきりと見ました。左手の薬指に、指輪してるの……」

たまきは言葉を選ぶように続けた。

「最初は……、見間違いじゃないかと思いました。左手っていうのは私の見間違いかなって……。でも、あの時、海乃っていう人の右手は、ミチ君と手をつないでました。私の頭を撫でたのは、指輪をしてたのは間違いなく左手だったんです……。それでも、ほんとに薬指だったかなって……。でも、あの人、別れ際に私にゆっくりと手を振ったんです。左手で。その時、指輪が見えました……。間違いなく薬指でした……」

ミチは気まずそうに、ドアの方に目をやった。

「私、もしかしてミチ君、このことに気付いてないのかなって思いました。でも、この前、ミチ君の働いてるお店に行った時、ミチ君、海乃って人とハイタッチしてましたよね……。その時も私、はっきりと見ました……指輪」

たまきは、一度下を向き、それから、ミチを再び見据えた。

「私が気付いているのに、お付き合いしてたミチ君が気付いてなかったわけないじゃないですか……!」

ミチは気まずそうに唇をなめると、たまきをちらりと見やったが、すぐにまた目線をそらした。

「知ってましたよね……!」

「……まあ」

ミチは窓の外を見ながら答えた。

「……知ってて付き合ったんですか?」

「俺が知ったのも……たまきちゃんと同じくらいのタイミングだよ」

ミチはようやく、たまきの方を向いた。

「大収穫祭の夜に海乃さんとホテルに泊まって、……そん時、海乃さんが誰かと電話してて、誰って聞いたらダンナって……。そん時まで、海乃さん指輪してるの隠してて……俺、そん時初めて、海乃さんが結婚してるって知って……」

「……じゃあ、その時、お別れすればよかったんじゃないですか?」

たまきは一度ため息をつくと、言葉を続けた。

「その時、海乃って人ときちんとお別れてしていれば、今日、こんなことにはならなかったんじゃないですか?」

ミチは、何かをあきらめたような笑顔を見せた。

「たまきちゃんってさ、誰かを好きになったこととか、ある?」

「……ありませんけど」

「じゃあ、わかんないよ」

ミチは再び窓の外を見ながら言った。

「人を好きになるってさ、なんつーか、そんな単純なことじゃねぇんだよ。そりゃ、確かに浮気はルール違反なのかもしれないけどさ、恋愛ってもっとなんつーか、尊いもんで、一度好きになっちゃったらもう、そういう次元じゃ……」

「……ごまかさないでください」

たまきはいつになく低い声で言った。その喉の奥に何か熱がこもっているのをミチは感じた。

「そんなに、恋愛って大事なんですか……?」

「そりゃ……、まあ……」

「何よりも?」

「……そりゃ、そうじゃない?」

ミチはあいまいにはにかんだ。

「そうですよね。大事ですよね。ミチ君、そういう歌うたってますもんね。志保さんや亜美さん見てても、私とそんなに年が違わないのに、二人とも大人で、やっぱりそういう経験の差なのかなって思います。そういう経験が大切なんだっていうのは、なんとなくわかります。でも……、だったら……」

時刻はすでに夜の十時を回っていた。暖房の風の音が重苦しく響いていた。

「だったら、なんでそれを、言い訳の道具に使うんですか?」

「……」

再び暖房の音。そして、たまきの声。

「そういう経験ないからわかんないとか、そんな単純じゃないとか、結局、ただの言い訳じゃないですか。自分を正当化しているだけじゃないですか。恋愛が、人を好きになることが、そんなに大切なんだったら、どうしてそれを都合のいい言いわけの道具に使うんですか? それって、大事なものの価値を、自分で貶めてるってことですよね?  おかしいですよね? おかしくないですか?」

たまきは、いつの間にか椅子から立ち上がって、ミチに詰め寄っていた。ミチはたまきから目を反らし、ぐるぐる巻かれた右手の包帯に目を落とした。

「私、ミチ君が不倫してるってわかって、なんだかもやもやして……。でも、不倫はイケナイことだけれど、私がとやかく言う事じゃないし……、それに、ミチ君がそこまであの海乃って人のこと好きなら、もうしょうがないのかなって思ってました……。もし、不倫が相手のダンナさんにばれた時、ミチ君は海乃って人をかばって、それでも、恋を貫き通すくらいの覚悟なんだって勝手に思ってました。だから、今日、ミチ君が殴られて……、『知らなかった』っていったとき……、ショックでした……。ああ、そういう覚悟はなかったんだ、って……」

「……勝手に人を、ラブソングの主人公とかにすんなよ……」

「だってミチ君、そういう歌、歌ってたじゃないですか……!」

たまきはミチの布団をぎゅっとつかんだ。

「ずっと大事にするとか、ずっと守り続けるとか……!」

「よく覚えてんな……」

「結局、そんな覚悟なんてなかったんですよね……」

たまきは、震える唇を前歯で軽く抑えた。

「ミチ君も、海乃って人も、結局、本当に大事なのは自分たちだったんじゃないですか。自分たちだけ楽しければそれでいい。今が楽しければそれでいい。それを恋愛って言葉で包んで、ふたをして……、ひきこもってただけなんじゃないですか?」

たまきはミチの目を強くにらみつけた。

ミチは目をそらしたかった。だが、そらせなかった。

「確かに、あの男の人がミチ君にやったことは、やりすぎだと思います。でも、不倫されれば誰かが傷ついたり、怒ったりするのは、当たり前じゃないですか。あなたたちもわかってましたよね? 私より経験豊富なんだから、当然わかってましたよね? 私、ミチ君も海乃って人も、それでも貫く覚悟があるって思ってました……。そう信じたかった……。でも違った……」

たまきの脳裏に、いつかの海乃の言葉が蘇ってきた。

『引きこもり?へぇ~、かわいい~』

『あれ、でも、この子ヒキコモリなの?だって、外にいるよ?』

『ダメだぞ、ちゃんと学校に行かなきゃ』

声帯がけいれんして嗚咽を繰り返す。そうやって、たまきのことばを喉の奥へ奥へ通し戻そうとする。

それでもたまきは言葉をつづける。前にもこんなことがあったような気がする。

「都合のいい言い訳をして、現実から逃げて、目をそらして、自分たちだけの殻に閉じこもって、ひきこもっているのは、あなたたちの方じゃないですか! そんな人たちに、私がひきこもりだからって、不登校だからって、なんで馬鹿にされなきゃいけないんですか⁉ 本当に逃げてるのは、本当にひきこもってるのは、あなたたちの方じゃないですか‼ なんで私がばかにされなきゃいけないんですか‼」

そこまで言って、たまきの目からポロリとひとしずく零れ落ちた。

「あなたのことも、あなたみたいな人が作る歌も、私は、大っ嫌いです!」

 

たまきは飛び出すように、寝室を出た。

蛍光灯が白い壁を照らす。たまきはソファをにらみつけると、クッションを手に取り、勢いよく寝転がった。

部屋の奥にあるキッチンでは舞が何やら作業をしていた。

「もう十時過ぎてるのでー、大声出さないでもらえますかー。近所迷惑でクレーム来ちゃうので―」

舞がわざと語尾を伸ばしていった。その言葉にたまきが飛び起きる。

「ご、ごめんなさい! 私、先生の迷惑とか、周りのこととか、全然考えてなくて……!」

「そんな必死で謝んな。大丈夫だよ、となり、空き部屋だから」

そう言って舞は笑った。

「……聞こえてました?」

「お前の声だけ、ほぼ全部」

たまきはバツが悪そうに下を向いた。

「お前あんな大声で、あんなにしゃべるんだなって、聞いてて結構面白かったぞ。録音して亜美と志保にも聞かせてやりてぇ」

「え?」

「いや、録音してないから、大丈夫だよ」

そういって舞はまた笑った。

ピーッという電子音が舞の後ろから聞こえてきた。舞は振り返ると、電子レンジのドアを開ける。

舞はテーブルの上にどんと、出来立ての冷凍チャーハンを置いた。

「さてと……、夜食のチャーハンができたわけだが、どうする? 気まずいってんなら、あたしが行こうか?」

「私が行きます。そのために、ここに残ってるんで」

たまきはそういうとチャーハンのお皿に手を伸ばしたが、すぐに

「あつっ……!」

といって手を離した。

「おいおい、気をつけろよ」

舞は笑いながら、たまきに鍋つかみを手渡した。

 

寝室のドアがガチャリと開いて、リビングの明かりが漏れこむと同時に、たまきが何かを持って入ってきた。

「お夕飯はチャーハンです」

舞がドアを閉めると、再び部屋は薄暗くなった。

たまきはチャーハンを化粧台の上に置くと、部屋の明かりをつけた。

薄暗かった部屋が一気に明るくなる。お皿からはチャーハンの蒸気が幽かに立ち上っている。

ミチは、何かを避けるかのように窓の外へと目をやった。

「……俺のこと、嫌いなんじゃなかったの?」

「大嫌いです」

たまきは即座に答えた。

「だったら、そんな奴の世話なんか……」

「それとこれとは話が別です」

たまきは椅子に腰を下ろした。

「誰かを見捨てる理由なんて、口にしたくありません」

その言葉から少し間があって、ミチが口を開いた。

「でも、さっき、海乃さんのこと、見捨てるっつーか、突き放すようなこと言ったじゃん……」

たまきはチャーハンにスプーンを突き刺したまま、まるで米粒の数を数えるかのようにじっと下を見ていた。

「……わかってる。あんなこと、言いたくて言ったわけじゃないし……」

「……たまきちゃん?」

「なんであんな冷たいこと言っちゃったんだろ……」

たまきはそのまま、石のように動かなかったが、気を取り直したかのように立ち上がると、チャーハンのお皿をミチの顔へと近づけた。

「だからミチ君は見捨てません。右手、使えないんですよね。ほら、こっち向いて口開けてください」

ミチはたまきの方を向いた。たまきはチャーハンをスプーンですくい、ミチの方に差し出す。

ミチはそれをじっと見ていた。

「食べてください。食べないと、治るものも治りません」

「海乃さんが一度だけ……、まかない作ってくれたことあるんだ……」

ミチはスプーンの先から目線を落とした。

「チャーハンを……」

「そうですか。早く食べてください」

「これ見てたら、そのこと思い出したっていうか……」

「これは違うチャーハンです」

「でも、思い出しちゃうっつーか……」

「じゃあ、牛乳でもかけますか? そうすればチャーハンじゃなくなります」

「……食うよ」

ミチはスプーンの先にかぶりついた。

「……熱っちぃ」

「知りません」

たまきは、無表情のまま、再びスプーンをチャーハンに突っ込んだ。今度は、ミチに差し出す前に、軽く息を吹きかけた。

 

写真はイメージです。

「さあ、バッターボックス、志保選手が入りました。右投げ、右打ち、打率はえーっと……」

「亜美ちゃん、ちょっと静かにしてくれない? 集中できない」

志保はバットを構えた。正面を難しそうににらみつける。

深夜のバッティングセンター。客の入りは上々で、あちこちからボールがネットに突き刺さる音や、バットによって高く打ち上げられる音が聞こえる。

志保と向かい合ったピッチングマシーンからボールが飛んでくる。そのたびに志保はぶんぶんとバットを振るのだが、当たるどころかかすりもしない。

後ろのベンチで亜美はそれを頬杖しながらじっと見ていた。

「あ~、むずかし~」

ヒットはおろか、ファウルすらあきらめた志保がベンチへと戻る。

「お前は腕だけ振ってるからダメなんだよ。こういうのはな、全身運動なんだよ。体全体でボールを前へはじき返すのがコツだ」

亜美がバッターボックスに立つ。ピッチングマシーンから、勢いよくボールが放たれた。

「せいやっ!」

亜美がバットを振ると、カンという心地よい音とともに、ボールが放物線を描いて飛んでいく。

「そいやっ!」

今度の打線は少し低めだった。

「はーい、どっこいしょ―!」

「ねえ、その掛け声、必要?」

ベンチで息を切らしていた志保が尋ねる。

「掛け声のタイミングで、バットにボールを当てるのがコツだ」

そういって亜美は、再びバットを構える。

「よいよい―よっこらせ―!」

今の掛け声は、長すぎて逆にタイミングが合わないんじゃないか。志保はそんなことを考える。一方、亜美は、志保の方を向いた。

「プロ野球選手もみんな打つときに掛け声言ってんだからな」

「うそだよ。聞いたことないよ」

「そりゃお前、スタジアムは客でいっぱいなんだ。歓声で聞こえてねぇだけだよ」

そういうと、亜美はバットをまっすぐに構えた。

「お前、知ってっか? 叫んだ方が力が出るんだぞ」

亜美はバットを持ったままぐるぐる回りだした。

「ハンマー投げの選手とかさ、こう、ハンマー振り回して、で、投げるときに思いっきり『あー!』ってさけん……」

「亜美ちゃん! バット!」

亜美は、志保が指さす方を見た。

斜め上のネットに的のようなものが設置されている。ここにボールが当たればホームラン、という事だ。

亜美が見たのは、その的に、掛け声と同時に亜美の手からすっぽり抜けたバットが、まさに突き刺さる瞬間だった。

「あー!!」

亜美が今日一番の大声を出した。

 

写真はイメージです

ミチが寝たいと言ったので、たまきは部屋の電気を消した。

たまきがカーテンを閉めるといよいよ真っ暗になったが、ミチがちょっと明るい方がいいと言ったので、たまきは再びカーテンを開けた。

薄暗い部屋の中で、イブの夜に10代の男女が二人きり、と書くと何かロマンチックなマチガイでも起きそうだが、包帯ぐるぐる巻きのミチと、毛並みを逆立てた猫のようにイスに座るたまきとでは、マチガイなんて間違っても起きそうにない。

「あのさ……」

ミチが口を開いた。

「寝るんじゃなかったんですか?」

「今日、いろいろあったから……寝付けなくて……」

「全部ミチ君のせいです。ちゃんと反省してください」

たまきはどこか無機質な声で答える。

「よくさ、母親が寝る前に子供に昔話聞かせるっていうじゃん……?」

「……そうですね。私やお姉ちゃんもお母さんに読んでもらいました」

「なんかさ、昔話知らない?」

「……知りません」

たまきはどこかあきれたように言った。

「じゃあさ、たまきちゃんの昔話聞かせてよ。っていうかさ、お姉ちゃんいるんだ? あれ、たまきちゃんってどこ出身だっけ? そういった話……」

ミチはわざと明るい口調で言ったが、それを水をかけて打ち消すようにたまきは、

「絶対に嫌です」

とだけ言った。

ふたたび静寂が部屋を支配する。

「……もしかして、私がいるの、気まずいですか?」

ミチはすぐには答えなかった。しばらく静寂を聞いた後、口を開いた。

「まあね……」

「私は舞先生から、ミチ君に何か異常があったらすぐに知らせるように頼まれてここにいます」

「でも、見られてると寝づらいっていうか……」

たまきは立ち上がると、ミチに背を向けて座りなおした。

「うん……まあ……ありがとう……」

 

電気を消してしばらくの間、ミチは横になっていたが、やがてトイレに行きたいと言い出した。たまきはその旨を舞に知らせ、舞がミチを連れてトイレに行く。

今のミチは一人でトイレに行けない。右手は包帯でぐるぐる巻きだし、満足に歩けない。

ミチはたまきが来る前から踏まれたり蹴られたりしていて、歩くたびに左足が痛いと言っていた。舞は「サイアク骨に亀裂入ってるかもだけど、まあ、しばらくおとなしくしてりゃくっつくから」とテキトーな診断をした。

ミチをトイレに連れて行った舞が戻ってきた。ミチに肩を貸しながら部屋に戻る。

「お前さぁ、いくつだよ?」

「……十七っす」

「何が見られて恥ずかしいだよ。あたしが気にしねぇっつってんだから、別にいいじゃねぇか。お前だってカノジョいんだろ? やることやってんだろ?」

ミチは少しさみしそうに、

「カノジョがいたのは……今日の夕方までっす」

とだけ言った。

「ああ、そうだったな。悪い悪い」

そいうと、舞はミチを投げ飛ばすかのように、ベッドの上に放り投げた。

「いたた……。先生、俺、けが人なんすから、もっと丁寧に……」

「けが人? 不慮の事故に巻き込まれたとかなら同情してやるけど、お前勝手に怪我して、勝手にウチ来て、あたしの仕事邪魔してんだからな。言っとくけど、あとで5000円くらいもらうからな」

「え?」

「バカ! ちゃんとした病院に入院してたら、この3倍くらいかかるからな、お前」

そういうと、舞はドアの方へと向かう。たまきは、申し訳なさそうに舞を見た。

「ごめんなさい。私が、その、おトイレの世話できないから、先生に代わりにやってもらって……」

「お、じゃあ、次はお前がミチのパンツ下ろす?」

「次もよろしくお願いします」

たまきは間髪入れずに頭を下げた。

「じゃ、あたし、隣にいるからなんかあったら言って。たまき、ミチが寝たらこっち来ていいぞ」

そういって舞は部屋を出ようとしたが、振り返ってたまきの方を向くと、

「けんかするなよ」

と言ってニッっと笑った。

「私、けんかなんてしてません」

ドアが閉まった後、たまきが不満そうに、珍しく口を尖らせた。

「先生にも聞こえちゃったのかな、さっきの話」

「全部聞こえたって言ってました」

たまきが淡々と答えた。

「そっか……知られたくなかったなぁ……」

「知りません」

たまきはミチから目をそらしてそういった。やがてミチの方を向き直ると、

「自業自得です」

とだけ付け足した。

ミチはたまきの顔をじっと見ていた。

たまきはミチの視線から逃げるように立ち上がる。

「寝るんですよね。電気、消しますね」

部屋の入り口にあるスイッチへとたまきは向う。

不意に、ミチの声がたまきの背中へと投げかけられた。

「……その目だ」

「え?」

たまきは壁のスイッチに手を触れたまま、押すことなくミチの方へと振り返った。

「海乃さんってさ……、なんつーか、ちょっとのことでは物おじしない人なんだよ……。それが何であの時、引き下がったのか不思議だったんだ……」

「あの時って……いつですか?」

「たまきちゃんが『地獄を見ればいい』っていった時」

スイッチに触れていたたまきの手が、だらりと下がった。

「あの時、海乃さん、何かにおびえるような目をして、逃げるように去ってったんだ」

「……よく覚えてますね」

たまきは下を見ながらつぶやいた。

「海乃さんらしくないなって思って、何がそんなに怖かったんだろうって。でも、わかった。その目だ。たまきちゃんのその目が怖かったんだ……」

「……そうですか」

たまきはそれだけ言うと、電気を消した。

 

写真はイメージです。

「やっぱさ、スジ通んなくね?」

亜美が缶ビールのプルタブを開けながら言った。

「城」で開かれていたクリスマスパーティは、たまきからの緊急通報でお開きになった。志保は「城」に帰ってきてからパーティの片づけを始めたが、亜美はもったいないからと言って、手を付けられることのなかった缶ビールを飲み始めた。

「何が?」

志保がごみ袋に紙コップを放り込みながら聞き返す。

「だってさ、ダンナいるのに不倫したのはあのオンナだろ? やっぱり、あいつが無傷っておかしいだろ」

「まだその話?」

志保があきれたように言う。

「そもそもさ、不倫するんなら結婚すんなよな、って話じゃん」

志保は聞き流すかのようにせっせと片づけを続けていたが、不意に手を止めた。

「……その理屈、ヘンじゃない?」

「は?」

「いやそれだと、最初から不倫するつもりの人が結婚するのがよくない、って言い方じゃない。そんな人いないでしょ? 結婚してるのに不倫するのがいけないんでしょ?」

「いや、どうせ不倫するのに、結婚するのはスジ通んねぇだろ」

「いやだから、『どうせ不倫する』っていうのが変じゃない? 最初から不倫する前提っていうのが。まず結婚して、それから不倫するのであって……」

「だから、どうせ不倫するのに結婚すんなっつってんじゃん」

しばらく、二人は見合っていた。

「……合わねぇなぁ、ウチら」

「合わない」

「たまき、早く帰ってこねぇかなぁ」

「明日にならないと帰ってこないよ。もう夜遅いし」

「誰だよ、たまき、先生の所に置いてきたの」

「亜美ちゃんだよ」

志保は再び片づけを始めた。

「……あたしはちょっぴりわかるけどな」

志保は目線を上げることなくつぶやいた。

「何が?」

「不倫しちゃう人の気持ち」

「へぇ!」

亜美が何か珍しい生き物でも見つけたかのように身を乗り出した。

「お前が? おいおい、優等生の志保ちゃんはどこ行ったんだよ」

「……そんなの、だいぶ前に死んだよ」

志保は相変わらず目線を上げずに、ごみ袋を縛り始めた。

「何? 浮気とか不倫とかしたことあんの?」

「ないけどさ……、でもさ……、『やっちゃだめ』って言われていることってさ、やりたくならない? なんて言うんだろう。背徳は甘美の味っていうか……」

亜美は、志保の話を聞きながら、煙草を灰皿に押し付けた。

「たとえそれが自分の身を亡ぼすとわかっていてもさ、背徳そのものが快楽っていうかさ、いっそ背徳に身をゆだねたくなるっていうか……」

「ハイトクうんぬんはよくわかんねぇんだけどさ」

亜美は缶ビールの残りを喉の奥に押しやる。

「夜中に太るってわかってんのに、カップ麺食いたくなるようなもんか?」

「かもね」

志保は少し寂しげに笑った。

「……もしかしてお前さ」

「ん?」

「……いや、何でもない」

亜美は空き缶をそっとテーブルの上に置いた。

「アー、なんか、マジでカップ麺食いたくなってきた」

「この時間に? 太るよ?」

亜美は立ち上がると、志保の忠告を無視して「城」を出ていく。二、三分でカップ麺の入ったビニール袋を提げて帰ってきた。

「お湯、沸かしてあるよ」

「さすが、気が利くねぇ」

亜美はカップ麺のふたを開け、お湯を注ぐ。

三分後には、湯気とともに醤油スープの刺激的な香りが、ふたを開けたカップ麺から部屋の中へと飛び出した。

この上なく愛おしそうに亜美は持ち上げた麺を眺め、ずるずるとすする。

「あ~、旨い。深夜のカップ麺ってなんでこんなに旨いんだ? 昼間のカップ麺と中身はおんなじはずなのに」

「だから、そういうことだよ。背徳は甘美なの」

「ん?」

亜美は麺をすすりながら曖昧な返事をする。

「昼間のカップ麺も深夜のカップ麺も、味は一緒。なのに深夜のカップ麺の方がおいしそうに感じるのは、背徳だから。『深夜のラーメンは太るから食べちゃだめ』って思うほど、おいしく感じちゃうんだよ。禁忌と背徳。『やっちゃだめ』って言われていることに手を出す、それ自体が快楽なんだよ……」

志保はどこかさみしげに、亜美を見ていた。

「ハイトクの意味は何となくわかったけどよ、カンビってどういう意味だよ」

「甘くておいしい、って意味」

「甘い? バカ、お前、これ、醤油ラーメンだぞ。甘いわけねぇだろ」

「フフッ、そうだね」

と志保は微笑んだ。

 

夜の十二時を回った。舞はメガネをかけ、パソコンに向かっていた。

ドアがガチャリと開いて、誰かが部屋に入ってきた。

クリスマスの夜に部屋に入ってくるのはサンタクロースだと相場が決まっているが、舞が振り向いた先にいたのは白いお髭のおじさんではなく、たまきだった。

「ミチ君、寝ました」

たまきが眠そうな声でつぶやいた。

「そうか、悪かったな。面倒な役割押し付けて」

「いえ、ミチ君を、舞先生のところに連れてきたのは、私たちですから」

「テーブルの上に菓子鉢あるだろ? そこにあるお菓子は食っていいから」

舞はたまきを見ることなく、パソコンに向き合ったまま言った。

だが、たまきはテーブルの方ではなく、舞の傍らにやってきた。

「ん? どうした?」

「あの……」

たまきは、少し下を見てから、舞の方を見た。

「今日、私とミチ君がここでしゃべってたことは、その……、みんなには、ないしょにしてもらえませんか?」

「なんで?」

舞はたまきの目を見たが、すぐにふうっと息を吐いた。

「安心しな。あたしは口が堅いことでこの辺じゃ有名なんだ」

それを着て、たまきもふっと息を吐くと、笑みを浮かべた。

「ちょっと待ってな」

舞は椅子から立ち上がると、ソファのわきへと向かった。

「最近、簡易ベッド買ったんだ」

「簡易ベッドですか?」

たまきの視線が、舞が向かっていった先に、部屋の隅っこに置かれた物体に向けられた。

「ああ、最近、トイレで倒れてたり、ベンチで泣いてたりして、そのままうちに泊まるやつが増えたからな。あたしの寝床を確保しておかないと」

そういって舞は笑った。一方、たまきはテーブルの上にメガネを置くと、ソファの上にころりと横になった。

「おい、お前はこっちだ。あたしがソファで寝るから」

舞が準備した簡易ベッドを指さす。

「いえ、私はこっちでいいです。慣れてるので」

「そんな狭いところで寝てたら、いつまでたっても背が伸びねぇぞ」

「べつにいいです」

たまきは静かに目を閉じた。

 

なかなか寝付けない。目をつむっても、どうにも寝付けない。

心のもやもやは一向に晴れない。

ミチがいつまでも嘘をついているのを見て、たまきは心がもやもやした。

もやもやしたから、思いのたけをぶつけた。

思いのたけをぶつければすっきりすると思ったのに。

なのに、なぜだろう。

さっきよりも、もやもやは深まって、しばらくは眠れそうにない。

つづく


次回 第21話「もやもやのちごめんね」

お正月を迎えたたまき。だが、クリスマスの一件が頭から離れず、もやもやしたままだった。たまきの心を悩ます一番の理由は、「なぜクリスマスの一件が頭から離れないのか、その理由がわからない」ことだった。

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

泣き声を聞いただけで虐待を疑って児童相談所に通報した結果……

児童虐待の問題が連日ワイドショーをにぎわせている。学校や教育委員会、児童相談所の対応も問題になっている。だが、児童相談所ばかり責める前に、ふと考えてみたい。虐待に対して、自分は何ができるんだろう、と。何もできることはないかもしれないが、「通報すること」が何かのきっかけになるのではないかと思い、自分の通報体験談を書くことにした。

 

児童相談所に通報した結果

「素人が虐待問題と向き合うにはどうすればいいんだろう」と考えた結果、「通報することなのではないか」という結論に行き着いた。

むしろ、通報することぐらいしかできないのではないか。

そして、実は僕は児童相談所に通報した経験がある。

児童相談所に通報するとはどういうことなのか。

通報した結果どうなるのか。

通報にデメリットはないのか。

そのことを経験者として書くことが、物書きとしての僕なりの「虐待への向き合い方」なのではないか、と思い、今回筆を執った次第だ。

というわけで、僕の体験談を話そう。

ある昼下がり、家でのんびりしていると、どこからか男の子の泣き声が聞こえてきた。

「ああ、子供が泣いているなぁ」と思ったものの、子供は泣くものだし、と気にも留めなかった。

驚いたのはその子供が泣きながら親に助けや赦しを求めたときである。

ええ、これは尋常じゃないぞ⁉ と驚きつつ、窓を開けて声の出所を探す。だが、我が家は集合住宅。「かなり近い」ということしかわからず、具体的に何階の何号室かなんてさっぱりわからない。隣のアパートかもしれない。

そのうちに泣き声はやんでしまった。「今のってもしかして虐待じゃ……通報したほうがいいのでは?」と思いつつも、「もし違ってたら、相手の家に迷惑をかけることになるし、児童相談所だってそんな暇じゃないだろうし……」と通報するのをためらって、結局何もしなかった。

「いや、その時に通報しろよ! 何ためらってんだよ!」と言われれば、言い訳のしようもない。

そして、二、三日したある日の朝。

まったく同じことがもう一度起きた。

男の子の泣き声に始まり、数日前と全く同じセリフを泣き叫ぶ。

いくら何でも二回目はさすがにアウトだ! と思った僕は、意を決して児童相談所に通報することにした。

……が、相変わらず、どこの家から聞こえてくるのかがわからない。家の外に出て場所を確かめてやろう、と思ったが、靴を履いているうちに泣き声がやんでしまった。

これではどこの家から声が聞こえてきたのかはわからない。このまま通報しても「うちの近所から泣き声が聞こえたんです。いえ、どの家かはわからないんですけど、とりあえずうちの近所です」というクソあいまいな情報しか伝えられない。

そんなクソあいまいな情報だけ通報しても、児童相談所も迷惑なんじゃなかろうか。「その程度で通報すんじゃねぇ! こっちは忙しいんだ!」と怒られるのではないだろうか。

だが、そうやって「通報しない言い訳」を重ねる自分がみっともなくなってきた。何より、男の子の尋常じゃない、泣きながら助けを求める声が頭から離れない。

もしこれを放置して、数日後に「うちの近所の○○君が虐待の末に死亡!」なんてニュースが流れた日には、悔やんでも悔やみきれない。メシものどを通るまい。

あれだけはっきり聞こえたのだから、僕以外にも近所の人が通報しているかもしれない。情報一つ一つはあいまいでも、いくつかの通報をつなぎ合わせれば、家を特定できるかもしれない。

もし、通報して児童相談所から「その程度の情報じゃどうしようもありませんね。その程度でいちいち通報しないでください」と言われても、僕が怒られれば済む話だ。

意を決して、今度こそ意を決して、児童相談所に通報した。

なんのことはない。自分が後悔したくないから通報しただけである。

電話口には若い女性の相談員さんが出た。僕は自分が見聞きしたことと、実際には何が起きているかもどこから声が聞こえたかもわからないことを伝えた。

だが、情報があいまいだからと怒られることもなく、むしろかなりいろいろ細かく聞かれた。何歳ぐらいの子供だったとか、どのあたりから聞こえたのか。

「いや、姿を見たわけじゃないんで、何歳ぐらいかと言われても、僕の想像でしかないんですけど……」と断りを入れても、「それでもかまいませんので」とのことだったので、「声を聴いた感じからすると……」と情報を伝えた。

そうして一通り自分の知っていることを話し、「もしかしたらまた連絡するかもしれません」と言われ、「ええ、かまいませんよ」と言って電話を切った。

3時間ほどして、再び電話がかかってきた。「もう少し詳しい話を聞かせてほしい」とのことだった。「ですよねー。あの程度の情報じゃどうしようもありませんよねー」と思いつつも、「これ以上知ってることないですよ」と思いつつも、何かの力になれれば、と児童相談所からの質問に答えた。

その時の印象を言えば、非常に丁寧な対応をしてもらえたため、好感を抱いている。

その後、児童相談所から連絡が来ることはなかったし、我が家の近所で虐待事件があったという話も聞いていない。あの子の泣き叫ぶ声も聞いていない。虐待ではなかったのかもしれないし、あの情報では家を特定できなかったのかもしれない。

じゃあ、通報に意味はなかったのかというと、そんなことはない。

通報をしたおかげで、僕の心のもやもやはなくなった。とりあえず、現状できることはやったわけなのだから。

「お前の心のもやもやなんかどうでもいいんだよ!」としかられそうだが、さっきも書いたとおり、最初から「自分が後悔しないため」にやったのであって、結果自分が後悔しなかったのであれば、それで目的は果たせている。

おまけに、「児童相談所に通報する」という経験が手に入った。そして、「超あいまいな情報でも、怒られることはない」ということもわかった。

だから、ほったらかしにして心がもやもやするくらいなら、通報して楽になればいいと思うし、逆に言うと、どれだけ気張っても通報することしかできない。

その時、できることがあるのなら、できることのすべてをやるべきだ。自分が後悔しないために。

児童相談所に通報するのは迷惑なことなのか

さあ、みんな、後悔しないために、怖がらずに児童相談所にどんどん通報しよう!

……とは簡単にはいかないのがこの世の中の常のようだ。

調べてみると、「泣き声を聞いた」だけで通報することを「泣き声通報」と呼ぶらしい。わざわざ名前が付くあたり、こういった通報は多いのだろう。

一方で、こんな記事も見つかった。

「泣き声通報」と児童相談所の訪問が招いた家庭崩壊の悲劇

ある日突然、「虐待」で通報された親子のトラウマ

これらの記事は「虐待なんてしていないのに、虐待を疑われて通報された結果、家庭がめちゃくちゃになった」という内容で、「不用意な通報はしないように」「大事でないなら通報しないように」という結論を暗にほのめかしているように思える。

こういう記事を読むと、「泣き声を聞いた程度で通報しちゃいけないんじゃないか」なんて気にもなってしまう。

だが、これらに記事にはいくつか問題点もある。

二つの記事はいずれも「虐待なんかしていないのに通報された」とされている。

……本当にそうなのだろうか。

もしこの記事に出てくる親が本当に虐待をしていた場合、二つのパターンが考えられる。

パターン1 「虐待していない」と嘘をつく

仮に本当は虐待をしていたとして、「まあ、ぶっちゃけ、本当に虐待してたんですけどね」と正直に答える親がどれだけいるだろうか。

野田市の事件では、父親が虐待の事実を認めなかったという。上の2つの記事の、本当は虐待していたのに正直に言っていない可能性がある。

だが、記事を読む限り、僕は次のパターンのほうが可能性は高そうな気がする。

パターン2 「虐待をしている」という認識がない

暴力をふるってはいたけど、あくまでもしつけの範囲内。そう考えていたら、「虐待をしている」という認識は生まれない。

また、「虐待とは子供に暴力をふるうことのみを指す」と思い込んでいる場合もある。

虐待とは必ずしも子供に暴力をふるうだけではない。子供を精神的に傷つけることも虐待だし、子供を放置・無視することも虐待だ。

だが、「虐待=暴力のみ」と思っていれば、このような「目に見えづらい虐待」をしていても、「虐待をしている」という認識が生まれない可能性がある。

「虐待していないのに、虐待を疑われた」というセリフの信ぴょう性は、意外と薄い。

よしんば、本当に全く虐待をしていないのに虐待を疑われたとして、その後の児童相談所の対応によって不利益が生じたとして、

それは、通報した者の責任なのだろうか。

たとえば、夜中に悲鳴を聞いて警察に通報したとしよう。ところが、警察の捜査がずさんで、冤罪事件を生み出してしまった。

これは、通報した者の責任なのだろうか。ずさんな捜査をした警察の責任であって、通報者に責任はないのではないだろうか(ただし、通報者が虚偽の通報をしていなければ、という前提だが)

そもそも聞いた悲鳴が実はテレビのドラマだったとしたら? 勘違いした通報者にも責任はありそうだが、「悲鳴を聞いた」と正直に通報しただけで、それが通報者の勘違いだと見抜けなかった警察がやはり責任を持つべきだろう。

嘘の通報でもしない限り、通報者が責任を持つ理由などない。

通報した後に起きる問題は、すべて対応に当たった児童相談所の問題のはずだ。児童相談所が、理不尽な対応をしないように改善していくべきであって、「通報するかしないか」で悩む必要など全くない。

ところが、上記の記事の中に出てくる「自称・虐待を疑われたかわいそうな」夫婦はあろうことか「誰が通報したのか」と犯人探しを始める。いじめを先生にチクられて、チクったいじめられっ子をシメるいじめっ子と発想が一緒である。

誰が通報したのか、と言えばこう答えるほかあるまい。

お宅のお子さんだよ、と。

「泣き声通報」の本当の通報者は、泣いている子供本人である。

暴力を振るわれたか、性的虐待を受けたか、精神的苦痛を受けたか、育児放棄をされたか、とにかくその子供にとって「耐えられないこと」があったから、あらん限りの声で泣き叫んだ。助けを求めた。赦しを乞うた。

そして、親はそれを受け止めなかった。

その代わり、近所の人が子供からの「通報」を耳にして、児童相談所に届けた。それだけの話である。

泣き声通報の真の通報者は、ほかでもない、子供本人なのだ。

子供の泣き声を聞いた側も「これは尋常ではない」、そう思ったから、通報したのだ。

そう思わなければ、通報なんてしない。

なぜなら、虐待の相手は近所の人間である。万が一通報したのが自分だとばれたら、どんなご近所トラブルになるかわかりやしない。できれば、厄介ごとにはかかわりたくない。そう思うのが普通ではないだろうか。

それでも、通報せざるを得なかった。それはその人の「これは尋常ではない」というレベルに引っかかるほどの泣き声だったから。

尋常じゃないくらいボリュームがデカかったのかもしれない。尋常じゃないくらい長時間だったのかもしれない。「痛い」や「助けて」「やめて」「赦して」といった、虐待を連想させる言葉を言っていたのかもしれない。

そもそも、この2つの記事の事例はいずれも、複数の通報があって動いている。たった一人のうっかりさんが勘違いで通報したのではない。複数の人間が「これは尋常じゃない」と思って通報したのだ。それを本人たちだけが「虐待じゃない」と言い張っているだけである。何をもって信用しろというのだ。

こういった「当人の言い分」だけを信用して、「安易な通報はしない方がいい」などという記事を書くことは、虐待の片棒を担ぐどころか、担いだ棒を罪のない子供に向けて打ち下ろすような行為である。

安易に「通報しない方がいい」なんて言わない方がいい。

通報することを悩む必要なんて全くない。そもそも、虐待の通告は国民の義務だ。

みっともない言い訳を積み重ねて後悔をするのはほかでもない、あなただ。

尋常じゃない泣き声を聞いた。虐待かもしれないし、勘違いかもしれない。

だが、唯一できることは通報することだけだ。逆に言えば、通報することしか僕たちはできない。

そして、通報しなければ何も始まらない。

どんなに優秀な児童相談所だって、通報がなければ虐待を発見することができないのだ。通報がなければ何もできないのだ。

虐待だと確信が持てないのなら、通報時に正直にそういえばいい。

あいまいな情報しかないのなら、通報時に正直にそういえばいい。

知っていること、知らないこと、聞いたこと、見たこと、想像でしかないこと、すべてを正直に話せば、何も恥じることなんてない。

逆に、通報時に嘘をついたり、想像でしかない部分をさも見てきたように言うと、トラブルとなった時、通報した者の責任になってしまう。正直に、とにかく正直に話すことが大切だ。

いくつか、児童相談所への通報に対して面白い記事のリンクを張る。特に、「反貧困」で知られる活動家の湯浅誠さんの体験記が面白い。僕と同じような事例で、同じように「こんな程度で通報していいのか?」と葛藤している。

児童虐待 はじめての189通報とその後に起こること

近所の家から子どもの激しい泣き声が。これって虐待…? 通報していいの?

すべての子どもを救うだけの枠組みは既にあるのだ。あとはそこに勤めるもの、そして、僕ら一人一人がどれだけ一つの命に向き合えるかである。どれだけシステムがしっかりしていても、どれだけ児童相談所の人たちが頑張っていても、僕ら一人一人が一つ一つの命と向き合うことをおろそかにしていたら、だれ一人救えやしない。

最後に、僕の好きな漫画のセリフを引用して、締めくくりとしよう。

子供に泣いて助けてって言われたら!!! もう背中向けられないじゃない!!!!(ONE PIECE 第658話より)


2020/3/22追記

千葉県野田市で起きた虐待事件の第一審の判決が出た。懲役16年の実刑判決。虐待事件の判決としては極めて重い。

判決文では被告である父親を厳しく断罪しつつも、彼もまた子育ての中で孤立していたのではないかと指摘していた。

この記事に対するコメントの中でもまれに、子育てをしている親の孤立が垣間見れることがある。

周囲のだれにも悩みを語れない。どうしたらいいのかわからない。誰に相談したらいいのかわからない。

そういった方は是非、自分から児童相談所に相談してほしい。

本来、児童相談所とは魔女狩りのように虐待を通報する場所ではない。ましてや、虐待を取り締まる場所でもない。

地域の子育てを支援し、子育ての悩みに対する相談に応じる場所、それが本来の児童相談所の役割である。

また、児童相談所以外でも、各自治体で様々な子育て支援を行っている。児童相談所以外にも子育ての相談に応じてくれる施設もある。

ぜひ、そういった施設や支援を活用してほしい。

もしかしたら、ヘンにプライドが邪魔して、そういった場所に自分から相談しに行くのはなかなか難しいかもしれない。

だが、本来の子育てとは親だけでなく、親せきや地域で行うものだ。親だけに、ともすれば片親だけに重責がのしかかることの多い現代社会の方が、長い歴史の中では異常なのだ。

誰にも相談せずに、誰にも頼らずに、親だけで子育てするというのは、俗な言葉であるが「無理ゲー」なのだ。

助けてほしい時に堂々と助けを求めることができるということ、それは弱さではない。本当に大切なもののためにプライドを捨てられるのは、その人の強さである。

どうか、誰かに通報されるような事態に発展してしまう前に、自分から勇気をもって相談してみてほしい。

僕はピースボートのエコシップ新造船を面白く思ってなかった

ピースボートのエコシップ新造船が頓挫したらしい。頓挫と言っても就航が伸びただけなのだが、事前に風潮していた計画通りにはいかなかったことには変わりない。普段ピースボートに関する記事を書いている以上、僕にはエコシップ新造船に関して何か言う責務があると思い、今回筆を執った次第だ。


エコシップに興味がない

ある日、このブログの閲覧数が2倍に跳ね上がった。

ピースボートについて書いた記事の閲覧数が跳ね上がったのだ。

「ついに私の時代が来たか!」と思ったのだが、アクセスが跳ね上がった原因はすぐに分かった。

この記事だった。

ピースボート 570億円「豪華客船」計画が“座礁”

かねてより2020年の就航を目指していたピースボートの「エコシップ」が、計画が2年延びているよ、という記事だ。なんてことはない。「他人の炎上」の恩恵を受けていただけだったのだ。「他人の炎上商法」は火元が所詮は他人だけあって、収束するのも早い。2日後にはいつも通りのアクセス数に戻っていた。アーメン。

助けると思って、もう一度炎上してくれないか、ピースボート。

さて、ピースボートが文春砲を食らった形だが、ピースボート界隈でうろちょとしている人間からすれば、実は1年ほど前からこう言ったうわさがちらほら聞こえてきていて、何ならエコシップの計画が発表された時から、なんとなくこういう落ちになりそうな気がしていたので、「どうせそんなこったろうと思った」が僕の偽らざる本音だ。

とはいえ、すでに2020年のエコシップに申し込んでいる人からすれば、「そんなこったろうと……」なんてのんきなことを言っている場合ではない。以前にも、僕のブログに「エコシップについて何か書かないのか、いや、書くべきだ」といった感じのコメントが寄せられた。

その時にはっきりと書いたのだが、僕はエコシップに興味がないから、何か語るほどの知識がない。

ところが今回、このような報道が出た。報道が出た以上、普段ピースボートに関する記事を書いているからには、いよいよもってエコシップについて何か書く責務があるのだろう。

ところが相変わらず、エコシップに興味がないから、語るほどの知識がない。上にリンクを張った記事に書かれていた以上のことは知らない。

どうしてそんなに興味がないのか。

正直に言えば、僕は、エコシップの計画がうまくいくのが面白くなかった。面白くなかったから、無意識のうちに情報をシャットアウトしていたのだ。

エコシップが面白くない

話は3年前にさかのぼる。

2015年の9月だったか10月だったか、船の中で大々的にエコシップの計画が発表された。

オーシャンドリーム号よりも大きく、豪華で、それでいてエコなのだというエコシップ。その完成想像図を見た時は、「なんだかおばけクジラみたいな船だなぁ」と思ったものだ。

これだけ豪華な船なら、今まで通り「地球一周99万円」とはいかないだろう。オーシャンドリーム号と併用するという話だったから、お金のない若者はオーシャンドリームへ、お金のある人たちはエコシップへ、というすみわけでもするのだろうか、などと考え、たぶん自分は乗ることはないだろうなぁ、と思った。

と、同時に、ある疑惑が頭の中に浮かんできた。

「もしかして、大宮ボラセンがつぶれたのって、このエコシップのせいじゃないのか?」

大宮ボラセン。僕が仲間たちとポスター張りにいそしんだ、ピースボートの支部の一つである。

2015年当時、全国に9か所のピースボートのセンターがあった。その中でも大宮はちょっと変わっていて、事務所と言いつつもマンションの一室を借りているという小規模なものだった。スタッフ二人で回していて、所属しているボランティアスタッフも少人数だった。

何より、不思議と社会で何か躓きを経験した人が集まっていた。戯れに自分の心の闇を語る回というのをやってみたら、全員何かしらネタを持っていたのだから笑えない。

大宮ボラセンは、ピースボートの出先機関や、ポスターを貼るためのというよりも、社会で躓きを経験したものの、駆け込み寺、居場所という役割が大きかった。

だが、そんな大宮ボラセンも、僕が船に乗っている2015年10月31日をもって、閉鎖してしまった。

閉鎖の話を聞いたのは、初夏の土曜日だった。大宮だけでなく船橋と札幌のボラセンも閉鎖になるとの話だった。

常々スタッフからは「いつまでも大宮ボラセンがあるとは限らない」と言われてはいた。実際、その半年ほど前に神戸のボラセンが閉鎖されていた。

だが、当時の大宮ボラセンはマンションの一室という小規模な事務所にしてはかなりの人数が在籍していた。地元の埼玉県に住む人だけでなく、東北や北陸からも、地球一周を目指すボランティアスタッフがやってきていた。

何より、ポスターの枚数的にも結果を出していた。

「いつか閉鎖になるかもしれない」ということはわかっていたが、そうならないように結果を出していたつもりだった。だからこそ、閉鎖の話は寝耳に水だった。

閉鎖の話を聞いたとき、「ピースボートも色々あって、東京の高田馬場にある本部にスタッフを集中させるため」という説明を受けた。

ピースボートの細かい内情については聞いても教えてくれないと思ったし、閉鎖のことについて文句を言う気にはなれなかった。全く納得していなかったが、誰よりも悔しいのは、大宮でボラセンをやることにこだわり続けていたスタッフの方だとわかっていたから。

ただ漠然と「やむにやまれぬ事情があって、地方のボラセンを閉鎖せざるを得なかったのだろう」と考えた。もしかしたらピースボートは存続の危機にあるのではないか、とも考えた。

だからこそ、エコシップの話を聞いたときに、椅子から転げ落ちるんじゃないかと思うくらいびっくりしたのだ。結構余裕あるじゃないか、ピースボート、と。

大宮ボラセン閉鎖とほぼ同時期に飛び込んできた、エコシップ新造船の話。

もしかして、このエコシップを造るために、大宮ボラセンは閉鎖されたんじゃないか。僕はそう考えた。

はっきり言わなければならないのが、これは僕の憶測であり、それを裏付ける根拠は何一つない、ということだ。大宮ボラセンの閉鎖と、エコシップの新造船の因果関係を、僕は証明できない。

ただ、この二つのタイミングがあまりにも近かったので、何か関係があるんではないかと思った、そして、今でもそう思っている、という話だ。

客観的に考えれば、別に問題行為ではない。ピースボートが新たな目玉となる船を造るため、地方の支部を閉鎖して、スタッフを東京に集中させた。別に何も問題ではない。ピースボート内の人事の話だし、ピースボート内の人事をどうしようがそれはピースボートの勝手である。

不利益を被ったのは我々地方のボラセンに通うものとそのスタッフぐらいだ。だが、何度も言うがピースボートの支部をどうしようがピースボートの自由である。

ただ、一方で、もっとやむにやまれぬ事情があったのならまだしも、こんなシロナガスクジラのおばけみたいな船を造るために大宮ボラセンが閉鎖されたのではないか、と考えると、なんだかばかばかしいと思ってしまったのだ。

正直に言う。面白くなかったのだ。

ピースボートがエコシップの計画を大々的に宣伝する裏で、「くっだらねぇ。頓挫すればいいのに」と割と本気で考えていた。

だから、無意識化にエコシップの話をシャットダウンするようになった。船内でエコシップの話が出るたびに、心の中で舌打ちをしていた。

自分からエコシップについて調べるとか、ましては何かを書くとか、そういう発想はなかった。エコシップについて考えるだけで腹が立ち、面白くなかったのだ。

だから、僕はエコシップについて、何にも知らないのだ。

何度も言うが、ボラセンの閉鎖にエコシップが関係しているというのは、僕の憶測である。人から見たら妄想に近いものかもしれない。

つまりは、逆恨みみたいなものである。

エコシップは頓挫したけれど……

さて、そうして僕は無意識のうちにエコシップの話題に触れることを避けてきた。

そこに来て、今回のこの報道である。

すでにエコシップ乗船の申し込みを始めてしまっていたにもかかわらず、肝心のエコシップが完成しないため、問題となっている。せめて完成のめどが立ってから乗客を募集すればよかったのに、どうして青写真描いてる段階で募集始めちゃったかなぁ、バカだなぁ、というのが率直な感想だ。

さて、エコシップ計画がうまくいくことが面白くなかった僕は、この状況にさぞかし高笑いしていることだろう。「は~はっは! 考えが甘いんだよ、バカめ! ざまぁみろ! 迷惑かけた人たちに謝れ! 土下座して土をなめろ!」と指をさしてゲラゲラ笑っていることだろう。

……それが意外にもそうではないのだ。自分からしてもこれは意外だった。

エコシップがうまくいかないならいかないで、それはそれで面白くなかったのだ。

「わざわざ大宮ボラセンつぶしてまでして作ろうとしてる船(個人的な憶測です)なんだから、やるんならきちんと完成させろよ! こんな体たらくじゃこっちも浮かばれねぇだろ!」と思ったのだ。

料理される前に廃棄される豚肉ってのは、きっとこんな心情なのだろう。

殺されて食べられてしまうのは不本意だし受け入れがたい。だが、どうせ食べられるのなら、せめておいしく食べてくれ。殺しといて料理しないなんてそりゃないだろう、という話だ。

エコシップがうまくいくのは面白くない。

かといって、エコシップがうまくいかないのも面白くない。

何のことはない。どっちに転んでも面白くなかったのだ。

どっちに転ぼうが、大宮ボラセンはもうないのだから。

どっちに転ぼうが、この事実が変わることはなかったのだ。


「大宮ボラセンがなくなる」と聞かされたのは、初夏の土曜日だった。

その日は岩槻にポスターを貼りに行った。

不思議なもので、「ボラセンがなくなる」と朝に聞かされた時点では、情報としては理解していたが、感情としては理解していなかった。

感情の理解が追いついたのはその日の昼、カレーを食べていたときだ。急に泣きたくなって、「カレー屋で泣いたら絶対ヘンな人に思われる」と必死にこらえた。

その日丸一日、ポスター貼りのために岩槻を歩きながら考えてたどり着いた結論は、「大宮ボラセンをつぶすわけにはいかない」だった。

前述の通り、大宮ボラセンは僕らにとっては、単なるピースボートの出先機関、以上の意味があったのだ。埼玉のあそこに、ああいう事務所があって、ああいう人たちが集まる場所がある。そのことに意味があったのだ。

埼玉から、そのような場所をなくすわけにはいかない。

ピースボートに抗議する、というのもほんの一瞬頭をよぎったが、すぐにその考えを捨てた。ピースボート側は、ボラスタから不平不満が出るのは承知のうえで、「閉鎖」という結論を出したはずだ。今更文句を言おうが、抗議をしようが、覆ることはないだろう。

それならば、せめて「大宮ボラセン」の記憶を、名前を、強烈に残そう。そう考えた。

「88回クルーズの大宮は熱かったな。なんか、閉鎖だなんてもったいないことをしたな」

ピースボートにそう思わせてやろうと思った。いつか、「地方のボラセンを復活させよう」となった時に、大宮の名前がそこに必ず入るように。

僕が船の中でやってたことの7割は、そういった理由によるものだ。

それでいて、僕は「いつか大宮ボラセンが復活しますように」と仏壇に毎日手を合わせて拝むだけの人間では無い。

自分が動かなければ。

重要なのは、どんなかたちであれ「そういう場所」があることだ。それは必ずしもピースボートでなくてもいい。

そしてそれは必ずしも三次元な空間でなくてもいい。自分の言葉一つが、社会に躓いた誰かの力になれれば、居場所になれれば、そう思ってこの3年を生きてきた。

……つもりなのだが、ここ最近、「本当にできているのか」と考えさせられることが多い。

去年の年末、ラブライブのアニメを見ていた。

好きな声優さんが出てるから、という理由だけだったのだが、その物語がかなり自分と重なった。

主人公たちはスクールアイドルといって、要は学校の部活のような感じでアイドル活動をしているのだが、その肝心の学校が閉鎖になってしまう。

だったら、そのアイドルの大会「ラブライブ」で結果を出して、学校の知名度を上げて入学者を増やせば、閉鎖を免れるのではないかと考え、主人公たちは奮闘する。

その結果、彼女たちはラブライブの決勝に駒を進めることとなる。

だが、それでも入学者は増えず、閉鎖という結論が覆ることはなかった。

いよいよ閉鎖が確定した時、主人公たちは「閉鎖が覆らないのなら、せめてラブライブで優勝して、学校の名前を残そう」と決意する。

もう、どんなに輝かしい結果を残そうとも、閉鎖と言いう結論が覆ることなどないのに。

なんだか、3年前の自分を見ているようで、気が付いたら泣いていた。クッソ~、ラブライブで泣く予定なかったのに~。

だが、あまりにもそっくりだったのだ。主人公たちが置かれた境遇も、「せめて名前を、記憶に残そう」と決意するところも。

同時にふと思う。

あれから3年、自分はあの日の決意に何か報いているのだろうか、と。

やるべきことはやっているつもりなのだが、本当に前に進んでいるのだろうか、と。

こういうことは不思議なめぐりあわせで、そんなことを考えた矢先に今回の報道が出てきて、また3年前のことを思い出す。

おまけに、私の20代は残り1か月をすでに切っている。人生の節目とやらを迎えることを意識すると、余計に考えてしまう。

あの日の決意に、何か自分は報いているのだろうか。

前に進めているのだろうか。

もっとできることがあるんじゃないだろうか。

もっと向き合わなければいけないことがあるんじゃないだろうか。

24歳で仕事を辞めた時「30才までは好きなことをやる」と決めた。そして、あと1か月でその30歳がやってくる。

そして、20代のラスト半年になって、3年前の自分を思い出させるような出来事が重なる。

これはもう、30代の初めは、「大宮ボラセンをなくすわけにはいかない」というあの日の決意に向き合って生きていけ、という神の啓示、と書くと大げさだが、なんだかそんなめぐり合わせな気がする。

そう考えると、「何がエコシップだよ、面白くねぇなぁ」とぶーたれてる暇なんて、実はなかったんじゃないか、などと考えてしまう。

だって、エコシップがうまくいこうが、ダメになろうが、どっちにしても「大宮ボラセンはもうない」という事実は覆らず、どうせどっちに転んでも面白くないのだから。

現状が覆らないのであれば、無理に覆そうとするのではなく、覆らない現状を前提としたまま、少しでも自分にプラスになるように持っていく。今までもそうやってきたし、そうやって生きていくしかないじゃないか。

覆らない現状に文句言う脳みそがあったら、もっと自分のやるべきことに向き合った方がいいんじゃないだろうか。

だから、僕がエコシップについてぶーたれるのは、今回が最後だ。そして、これも何かのめぐりあわせだと考え、自分のやるべきことに向き合っていこうと思う。

あと、ピースボートは迷惑かけた人にちゃんと説明して、謝りなさい。やらかしてしまったという事実も覆らないんだから。

「つまらない」と言われたアニメ『サクラクエスト』が起こした奇跡

正直、驚いている。

2017年の4月から半年間放送されていた深夜アニメ「サクラクエスト」。

その最終回に合わせて、「『サクラクエスト』がつまらないと言われ続けた本当の理由」という記事を書いた。

当時、SNSなどで「つまらない」と言われていたことに対して、「そんなことないべ」と一言いいたくて。

記事をアップした当初は意外と反響があったが、正直、放送が終わったら閲覧数も落ちるだろうと思っていた。

3か月たっても閲覧数が落ちず、「意外と持つなー」と思った。

6か月たっても閲覧数が落ちないどころが、気づいたら100以上あるこのブログの記事の中でも、閲覧数トップ3圏内を不動のものとしていた。

最終回から1年たって、さらに驚くべき現象が起きた。

「私もサクラクエスト見ました。サクラクエスト大好きです」というコメントが寄せられるようになったのだ。

もう一度言う。最終回から1年が過ぎている。

この1年、物語の舞台・間野山のモデル、富山県城端町ではいろいろと活動してはいるが、大々的なメディア展開はほとんど行っていない。

名作だと思うが、人気作でも話題作でもないと思っている。

にもかかわらず、みんなどこから発掘してくるのか、サクラクエストを見て(全25話と、アニメとしては結構長い)、サクラクエストが好きになる。

気付けばグーグルの検索にも、「つまらない」よりも上位に「続編」が来るようになった。

「つまらない」と言われたアニメが、1年たっていまだ愛されるという奇跡。その理由を探るため、1年ぶりにサクラクエストについて筆を執ることにした。

「サクラクエスト」のおさらい

まずは、アニメ「サクラクエスト」のあらすじを駆け足でおさらいする。「知っとるわい」という人、ネタバレ絶対ダメという人は読み飛ばして構わない。

物語の舞台は富山県の架空の田舎町、間野山。ここには「チュパカブラ王国」という閑古鳥のなくハコモノ施設があり、そこの「国王」、いわば観光協会の旗振り役に、とある手違いから東京のごく普通の女子大生・木春由乃(こはるよしの)が就任してしまう事から物語が始まる。

由乃は当初、東京へ帰ろうとするが、いろいろあって、間野山で出会った仲間たちとともに1年間「国王」の仕事を全うすることを決意する。

メンバーは由乃のほかに、観光協会に勤めるしおり、東京で役者の修行をしていたが夢がかなわず間野山に帰ってきた真希、しおりの幼馴染でひきこもりの凛々子、東京からやってきたITに強い早苗の5人。

5人の仲間たちが、町おこしの活動を通して、時に壁にぶつかったり、悩んだり、自信を無くしたり、様々な困難にぶつかり・乗り越えていきながら、成長し、自分の居場所を確立していく物語である。

最終回は何度見ても泣ける。泣いてしまう。

どうしてサクラクエストは「つまらない」と言われるのか

さて、ここからが本題。「つまらない」と言われたサクラクエストが、なぜ放送から1年以上たっても愛され続けるのか。

そのためにはまず、なぜ、サクラクエストは「つまらない」と言われたのかを考えよう。

その理由を探るのは意外と簡単だ。今や年間100本以上の深夜アニメが作られている(と思う)。

つまり、今や、アニメを研究する上でのサンプルには事欠かない。人気作・話題作と呼ばれるアニメをサンプルに、サクラクエストと比較していけば、答えは見つかるはずだ。

さて、様々な要因があると思うが、「つまらない」と言われた一番の原因はこれではないだろうか。

登場人物の年齢設定が高め。

ここまで年齢設定が高いアニメはそうそうない。

人気作・話題作と言われるアニメ、とくに女の子たちが主人公のアニメを見ていると、登場人物はほとんどが年齢設定が低く未成年、女子中高生だ。

そう、若い・幼い女の子の方が人気が出るのだ。だって、その方がかわいいじゃん。

だが、サクラクエストはメインキャラ5人がしょっちゅう酒盛りしている時点で、全員成人しているとみて間違いない。

この中で年齢が明かされているのは20歳の由乃だけ。ほかのキャラは推測するしかないが、1話目でしおりが由乃に対して「同年代」だと言っていたから、しおりも20~21くらいだろう。しおりの同級生である凛々子も同い年のはずだ。

そして、真希は凛々子と同じ小学校を卒業していて、凛々子曰く「たぶん1年かぶってる」。そう考えると、真希は20代後半と見るのが妥当だろう。弟の年齢から考えると、真希は25歳。その5歳下だとしおり・凛々子は20歳、由乃と同い年になる。

早苗の年齢を示唆するものは特にないが、その話しぶりからして、おそらく大卒だろう。大学を卒業してある程度社会人経験があるとなると、やはり真希と同じくらいの年齢ではないか。

他のキャラクターはほとんどが中高年。未成年のキャラなんて数えるほどしかいない。

これが、これが田舎の現実か……

しかし、いくらサクラクエストがリアリティあるアニメだから年齢設定は高めなんだと言っても、このままでは人気が出ない。ここはひとつ、地元の美少女女子中高生5人を主人公にしよう。きっと人気が出るぞ!

……とはならなかったのである。そうはしなかったのである。なぜだろう。

それは、キャラクターの性質に大きく関係していると僕は考えている。

サクラクエストの年齢設定が高いわけ

メインキャラの5人は、皆それぞれ、挫折やコンプレックスを抱えている。そのことが、年齢設定に関係しているのだ。

ひとりひとり見ていこう。

主人公の由乃は東京での就活に失敗し、間野山にやってくる。彼女は自分が「ふつう」であることに大きなコンプレックスを抱いている。個性に対して挫折しているわけだ。

由乃はもともとは田舎の出身だったが、田舎は嫌だと東京に出てくる。しかし、東京では就活に失敗してしまう。故郷を拒絶し、都市からは拒絶されたのである。

真希は間野山を出て役者の夢をかなえるため東京に行くが、夢がかなわずに帰ってくる。典型的な夢に対しての挫折だ。また、東京で夢を追うもかなわなかったことで都市から拒絶された形となる。

真希と同じ、東京からやってきた早苗だが、真希が間野山出身であるのに対し、早苗は東京出身だ。東京の会社で働いていたが、自分が病欠しても問題なく回る会社や東京の町を見て虚無感を感じ、逃げるように間野山へとやってきた。早苗は仕事に対する挫折と、都市空間に対する喪失感を抱えている。

一方、凛々子は東京には特に縁がない。彼女の場合は学校になじめず、高校卒業後はひきこもるようになる。人間関係に対して挫折を抱え、故郷から拒絶された形だ。

この4人と比べると、しおりはこれといったコンプレックスはない。彼女は間野山が大好きで、大好きな間野山をもっと知ってもらおうと、観光協会で働いている。だが、問題があるのは間野山の方だ。大好きな街なのに、どんどんさびれ、廃れ、街としての機能を失っていく。故郷がその機能をなくし、喪失していくのだ。

表にするとこんな感じだ。

挫折・コンプレックス 空間とのかかわり方
由乃 個性に対する挫折 都市からの拒絶

故郷への拒絶

真希 夢に対する挫折 都市からの拒絶
凛々子 人間関係に対する挫折 都市に対する喪失
早苗 仕事に対する挫折 故郷からの拒絶
しおり 特になし 故郷の喪失

しおりだけコンプレックスが「特になし」なのだが、これにはちゃんと理由があって、それについては後述するので、今は流しておいてほしい。

これを見るとわかる通り、それぞれのキャラクターが何らかの挫折を経験しており、さらに都市や故郷といった空間に対して、何らかのネガティブなつながりがある。

つまり、この5人の中に、視聴者に近いキャラクターが、ほぼ確実いるというわけだ。

個性に対して悩みがある人は由乃に共感するし、夢に挫折した経験がある人は真希に惹かれる。都市の中で自分はいなくてもいいと感じた人は早苗に共感するし、人見知りは凛々子に共感する。さびれた田舎に住む人ならしおりに共感するだろう。

こういうキャラクターを作ろうとなると、「美少女5人組」というわけにはいかなくなる。

田舎から東京に行くも東京から拒絶された由乃、東京で夢を追うも敗れた真希はあるていど年齢設定を高くしないと成り立たないし、仕事に対して挫折した早苗はそれなりの社会経験が必要である。

ゆるかわ美少女5人組では、サクラクエストは全く成り立たなくなってしまうのだ。

なぜそこまで「挫折」を経験しているキャラクターが必要なのか。

それこそが、サクラクエストが愛され続ける理由である。

サクラクエストのキャラクターの秘密

もう一度、いわゆる人気作・話題作の美少女キャラクターについて見ていこう。

彼女たちは単に「若い」以外にも、人気が出る要素を持っている。

かわいいのだ。

「かわいい」をより具体的に言うと、「視聴者の理想のキャラクター」という意味になる。

ビジュアル面では、美少女キャラ、セクシー系、ロリっ娘、ボーイッシュなど、性格面ではツンデレ、おしとやか、天然系、そのほかにも姉属性、妹属性と、視聴者の「見たいキャラクター」を見せる。

だからこそ、物語を離れてもキャラとして独立して売ることができる。動きもしゃべりもしない美少女フィギュアが人気なのは、そのキャラクターが買い手にとっての理想であり、その人にとっての「見たいもの」だからだ。

俗な言い方をすれば、キャラクターが物語から独立した「商品」として機能する。

だからこそ、人気が出る。

ところが、サクラクエストはそのようなキャラ展開ができない。

キャラクターのつくりからして、それができないのだ。

サクラクエストのキャラクターは、挫折を経験している。

その姿は、見る者にとっての理想・見たい姿ではない。

先ほど、挫折を経験することで、共感しやすくなると書いた。

つまり、同じ挫折を経験しているキャラクターは、まるで鏡に映った自分の姿のように見える。

これは、必ずしも「見たい姿」ではない。むしろ、挫折を経験した自分の姿、コンプレックスを抱えた自分の姿など、「もっとも見たくないもの」なのではないだろうか。

そう、サクラクエストのキャラクターたちは、アニメとしては珍しい「見たくない姿」なのだ。

なぜわざわざ「見たくない姿」のキャラクターを描くのか。

サクラクエストのキャラクターたちは、アニメの中に映し出された自分の姿そのものである。自分の分身である。

視聴者は、挫折やコンプレックスを手掛かりに、彼女たち5人のうちの、自分に近いキャラクターに自分を投影することで、サクラクエストを「自分の物語」として見ることができる。

「まるで自分の分身だ。見たくない」という思いを乗り越え、その一歩先へ、そのキャラクターを自分の分身だと認め、自分を重ね合わせることで、サクラクエストは「自分の物語」となるのだ。

実際、凛々子がメインとなる第10話・第11話を見た時は、「あれ、この脚本、僕が書いたんだっけ?」と錯覚するほど、自分を投影した。

だから、彼女たちは普通のアニメキャラと違い、物語から独立することができない。彼女たちは視聴者を物語の中に引き込み、視聴者の物語の中での分身として機能して初めて、その真価を発揮する。

そして、彼女たちが直面する困難も、決して非現実的なものではない。怒られたり、自信を無くしたり、抗いがたい力に流されたり、それは、今自分が直面している問題や、明日自分が直面するかもしれない問題とどこか共通点がある。

自分が分身が、自分と同じように困難にぶつかり、乗り越え、居場所を作っていく。自分の分身が頑張る姿に励まされ、自分本人もがんばれるようになる。自分の分身が発した言葉に、自分本人が救われることがある。

そうして、このサクラクエストというアニメは、見ている人それぞれにとって、「自分の物語」となる。自分が投影された、自分の想いや自分の人生が描かれた、自分の物語。

だから、愛されるのだ。

サクラクエストは人気作ではない。話題作でもない。

だが、名作である。愛される作品である。

サクラクエストにおける四ノ宮しおりの役割

そう、だからサクラクエストは愛されるのだ。

めでたしめでたし。

……と話を終わらせるわけにはいかない。一つ、置き去りにしていたことがある。

四ノ宮しおりだ。

メインキャラそれぞれが何らかの挫折を経験しているのに、しおりだけ「特になし」

その理由に言及しなければいけない。

なぜ、しおりだけ挫折・コンプレックスが「特になし」なのか。

ここまで書いてきたように、サクラクエストのキャラクターのほとんどは物語の中で見る者の分身となることで初めて機能をする。

ただ一人を除いて。

そう、サクラクエストの中で唯一、物語から独立できる、見る者の理想・見たいものとして機能するキャラクターこそが、四ノ宮しおりなのだ。

そもそも、深夜アニメを見る層の多くは、アニメに対して、自分の見たいキャラクターの提供を求めている。そのニーズにたった一人で応えるキャラクターこそがしおりなのだ。

実際、ファンの中でもしおり人気は高い。ゆるかわ・おしとやか・巨乳・方言女子と、物語から独立し、商品として機能する属性を備えている。

もちろん、由乃のねんどろいどがあったりと、他のキャラクターも「商品」としての機能を果たせるが(ちなみに、私が一番好きなキャラは凛々ちゃんです)、これまで見てきたように、それがキャラの本質ではないし、本来は向いていない。

そんな中で、見る者の分身ではなく、理想として、アニメオタクに向けた「商品」という役割を担えるのほぼ唯一のキャラクターこそがしおりなのだ。

だから、彼女は挫折を経験していない。挫折を経験したキャラクターは、人によっては自分の分身に見えてしまうから。

そうではなく、「理想のキャラ」に特化したほぼ唯一のキャラクター、それが四ノ宮しおりである。

もちろん、彼女一人で世のアニメオタクの人気を総取りすることなんてできない。人それぞれ、好みが違い、しおりのようなキャラが好きなオタクもいれば、特にそうでもないオタクもいるからだ。彼女一人で賄える人気には限度がある。

それでも、彼女はサクラクエストの作品とオタクの間を取り持つとりもち大臣として、ただ一人、他のキャラとは違った役目を担っているのだ。

重責だろうか。

それでもきっとしおりさんは、「だんないよ」と笑ってすますことだろう。

小説 あしたてんきになぁれ 第19話「赤いみぞれのクリスマス」

クリスマスイブの夜、「城」ではパーティが開かれていた。だが、ミチが姿を見せない。亜美にせかされてミチを探しに言ったたまきが遭遇した光景とは……?

あしなれ、第19話。衝撃のクリスマスがやってくる!


第18話「労働と疲労のみぞれ雨」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

「たまきちゃんはさ、クリスマスに何かするの?」

そう尋ねたミチを、たまきがきょとんとした目で見た。

「くりすますっていつですか?」

「え? クリスマス、知らないの?」

「いや、クリスマスくらい知ってますけど……、そうじゃなくて、クリスマスって今から何日後ですか?」

たまきがあほの子みたいな質問をしたのは、別にくりすますを知らなかったからではない。

たまきには日付の感覚がない。今日が何月何日なのかわからない。なのでクリスマスは今から何日後なんだろう、という意味で「くりすますっていつですか?」と聞いたのだが、ミチにはたまきがクリスマスが何月何日かをを知らない、とんでもなく世俗に疎い子のように映ったようだ。

「今日が十二月十四日だから、ちょうどあと十日後だよ」

「そうですか」

どうやら、いつの間にか十二月になっていたようだ。道理で寒いと思った。しかし、十日後は二十四日、それはクリスマスイブで、あくまでもクリスマスの前日ではないだろうか。それくらい、たまきだって知っている。

たまきはいつもの公園に絵を描きに来ていた。いつものように階段で歌うミチと同じ段に腰を掛ける。木々はいつの間にか葉を落とし、夏場はおしりが焼け付きそうなくらい熱かった地面もすっかり冷たくなっている。

ミチは座布団のようなものを敷いていた。自分もああいうのを買おう、とたまきはひそかに心に思った。

「予定ですか。特にないです」

たまきはミチを見ることなく言った。

「俺はね、海乃さんとデート」

ミチが聞かれてもいないのにしゃべり始めた。口から白い吐息が、蒸気機関車の煙のように現れては、消える。

「二人で映画見た後、食事に行って、で、そのあとは……、まあ、ねぇ?」

「そこまで聞いてないです」

たまきが雪のように真っ白なスケッチブックに、うすい灰色の線を引きながら答えた。

「……まだあの海乃って人とお付き合いしてるんですか?」

たまきは、少しミチを視界に入れながら尋ねた。

「え、なにその、早く別れちまえ、みたいな言い方。あ、もしかしてやきもち焼いてる?」

「そんなわけないです」

たまきがすかさず答える。

クリスマスの予定なんてたまきにはない。これからクリスマス、年末年始、バレンタインと一年の行事の中でも特に浮かれやすいイベントが集中してやってくるが、たまきに何かが関係あったためしがない。せいぜい小学校の頃に父親にバレンタインのチョコレートを渡したぐらいだ。たまきにも父親が好きだった時代があったようだ。

毎年この時期は外に出ることなく、誰かと触れ合うことなく、できるだけ静かに、できるだけ厳かに過ごしたいと思っている。うかつにイベントごとに触れてみても、自分が惨めなのを確認するだけだ。

その一方で、なんだか嫌な予感がする。いつかのお祭りみたいに、無理やりイベントごとに巻き込まれそうな、いやな予感が。

少し鳥肌が立ってきたのは、きっと冬の寒さのせいではないはずだ。

 

写真はイメージです

「田代さんって、クリスマスって何かするんですか?」

喫茶店「シャンゼリゼ」の休憩室。志保が休憩でやってくると、十五分前に休憩に入った田代が何か本を読んでいた。今は志保と田代の二人っきり。

田代は本に目を通しながらも、志保とたわいもない雑談をしていた。その中で、志保が思い切って田代ののクリスマスの予定を尋ねてみた。

もしも「カノジョとデート」なんて言葉が出てきたら、その瞬間、なんだか試合終了のホイッスルが鳴らされたような、絶望的な気分になるだろう。ドーハの悲劇のように立ち上がれない志保がそこにいるはずだ。

「24日は昼間ではシフトに入ってるけど、夜から旅行に行くんだ。北関東に二泊三日でスキー」

「誰と?」という質問を志保は下の上で転がして、ぐっと飲みこんだ。

それを尋ねてしまったら、答え次第ではいよいよもって試合終了のホイッスルかもしれない。そう思って、一度は飲み込んだのにもかかわらず、

「誰と……行くんですか?」

と尋ねてしまった。

志保はこの想いを終わらせたいのかもしれない。

と、同時に、強く思っているのだ。まだ夢を見ていたい、と。

「大学の連中。男7人で行くんだぜ。華がないよね。むさいにもほどがあるでしょ」

クリスマスの日に女性との予定が一切ない、ということは田代は今、いわゆる「フリー」なのだろうか。

いや、もしかしたら遠距離恋愛、というのもあり得る。少なくとも、可能性はゼロではない。

志保の中で、「このまま夢を見続けていたい」という気持ちよりも、「0.1%でも可能性があるなら、つぶしておきたい」という気持ちが天秤にかけられ、そして、一方に大きく傾いた。

「いいんですか? クリスマスにカノジョさん放っておいて」

大きな賭けだ。この答えのイエスかノーかで、田代にカノジョがいるかどうかがはっきりとする。返答次第では試合終了だ。

言ってしまってから、田代が口を開くまでのほんのわずかな間に、志保は激しく後悔をした。ここにきて急に「このまま夢を見続けていたい」という気持ちが強くなり、一度傾いたはずの天秤が再びぐらぐら揺れる。

「そんなのいたら、男同士でスキーなんて行かないよ」

その答えは、志保が望んでいたものだった。望んでいたものだったからこそ、最初、志保は自分が自分に都合の良い聞き間違いをしたのかもしれない、と思った。

その言葉が都合の良い聞き間違いではなく、確かに志保の鼓膜を打った、現実の存在だと確信した時、思わずカズダンスを踊りたくなる自分に志保は気づいた。「カズダンス」なんて言葉の存在しか知らないのだけれど。

「志保ちゃんは、クリスマスなんか予定とかないの?」

「ありません。カレシとか、いないんで!」

クリスマスの予定がないことも、カレシがいないことも、こんなに誇らしく言えることはそうそうないだろう。

どうやら、休憩時間が終わっても立ち上がれそうだ。立ち上がるどころか、走り出したい気分だ。

 

写真はイメージです

 

「お前ら、クリスマスなんか予定あんのか?」

たまきと志保が「城(キャッスル)」でごろごろしていると、どこからか帰ってきた亜美が帰って早々尋ねてきた。

おととい感じたイヤな予感がどうやら的中しそうだ、とたまきはうんざりした思いで顔を上げ、

「あるわけないじゃないですか……」

と力なく答える。

「志保は?」

「ないよー」

志保が小説をを読みながら答えた。

「バイト先のヤサオとどっか行ったりしねぇの?」

「ヤサオって……、田代さんのこと? あのね、まだ亜美ちゃんが思ってるような関係じゃないから。それに、田代さん、クリスマスはスキーに行くからいないよ」

「ふーん、ちゃっかり予定聞いてるんだ」

亜美の言葉に、志保は頬を赤らめて、本で顔を隠した。

「く、クリスマスになんかするの?」

志保が本で顔を隠しながら尋ねた。

「パーティに決まってんだろ」

たまきは嫌な予感が的中して、頭をもたげた。

「トモダチいっぱい呼んで、パーティするからな。そうだ、ミチも呼ぼうぜ。あいつ、ギター持ってるから、たまきの誕生日の時みたいに、また弾いてもらおうぜ」

「ミチ君、カノジョさんとデートするみたいですよ」

たまきが口をはさんだ。

「なんだよ、お前もちゃっかり予定聞いてるんだな」

「……むこうが勝手にしゃべったんです」

「あれ、ミチって今日、下のラーメン屋でバイトしてる?」

「そんなこと知りません」

「まあいいや。ちょっと、ミチんとこ行ってくるわ」

そういうと亜美は「城」を出ていった。

ものの数分して、亜美は戻ってきた。

「ミチ、映画見た後カノジョと一緒に顔出すってさ」

たまきは、亜美がどんな脅しを使って、ミチに承諾させたのかと思うと、ミチがカワイソウに思えてきた。

「ミチ君、休憩中だったの?」

志保が訪ねた。

「いや、元気にバイトしてたぜ」

志保は、亜美がラーメン屋に入って、勤務中のバイトに話しかけただけで何も食べずに出てきたのかと思うと、お店の人がカワイソウに思えてきた。

 

写真はイメージです

そんなこんなでクリスマスイブがやってきた。

「城」の中には亜美の「トモダチ」の男7~8人がやってきて、いつもより賑やか、そして、いつもより男臭い。男たちの何人かは亜美の客でもあるらしい。とにかく、みんなチャラい。

テーブルの上にはだれのものかわわからないがパソコンが置かれ、そこから音楽が流れている。クリスマスソングでも流せば雰囲気が出るのだろうか、どちらかというと夏を想起させるようなダンス音楽がどむっどむっっと流れている。

傍らにはギターが置かれていた。ミチのものだ。ミチが午前中に置いていったのだ。亜美の話では、夜にカノジョと映画を見た後、ここに顔を出すらしい。

テーブルの上には志保が作った簡単な料理や、コンビニで買ってきた小さなケーキや酒のつまみが並べられていた。

一方、亜美はというと、コンビニで買ってきたフライドチキンをほおばりながら、男たちと談笑している。志保が思わずほほを赤らめてしまうような卑猥な言葉も平気で飛びっている。

たまきはどうしているのかというと、この部屋にはいない。

パーティが始まる前から、ドア一つ隔てた衣裳部屋に引きこもって、出てこない。

「ほら、たまき、出て来いよ。楽しいから」

亜美が衣裳部屋のドアに向かって話しかける。いつからか、たまきは返事をしなくなった。

「お前らだって、たまきの顔、見たいよなぁ」

亜美が男たちの方を見てそう言うと、男たちも

「見たい見たい」

とニヤニヤしながら言う。クラスに何人か、ああいった、おとなしい子をからかって楽しむ男子いたなぁ、と志保は思い出していた。

「それ! たーまーき! たーまーき! たーまーき!」

酒の入った亜美が頭の上で両手をたたき、囃し立てる。それに合わせて調子のよさそうな男が数人、亜美に乗っかって囃し立てる。

そんな風にあおったら、ますますたまきは出てこれなくなるんじゃないか、志保はそう感じていた。

思い返せば、大収穫祭の時にたまきをパレードに誘っても、たまきは静かに首を横に振るだけだった。

志保はトレイにケーキを二つのせ、ジンジャーエールの入った紙コップと、いくつかのお菓子を追加すると、衣裳部屋の扉をノックした。

「あたし。そっち行っていい?」

ドアがゆっくりと開き、まるで塹壕から戦場をうかがう兵士のように、たまきが顔を出した。

たまきは無言でうなづくと、志保を中に招き入れた。

「なんだよ、お前までそっち行くのかよ」

亜美が不満そうな声を漏らすと、

「あ~あ、華がなくなる」

と男たちがあからさまにがっかりしたような声を上げる。

「なんだよお前ら! ウチがいるだろ!?」

「てめぇなんか女のうちにカウントしてねぇよ!」

「んだとてめぇ! てめぇだってウチとヤッたことあんだろうがよ!」

「あんときはカノジョに振られたばっかで、どうかしてたんだよ!」

品のないやり取りも、ドアを閉めると静かになった。

「となり、いい?」

またしてもたまきは無言でうなづき、ソファの右端に腰かけた。志保は空いたスペースに腰を下ろす。

「……こっちに来て、よかったんですか?」

たまきが申し訳なさそうに尋ねた。

「ああいう男子、タイプじゃないから」

そういうと、志保はトレイをテーブルの上に置いた。

「たまきちゃんの分のケーキ、持ってきたよ。まだ食べてないでしょ? あたしも」

そういうと、ジンジャーエールの入った紙コップを持った。

「メリークリスマス」

「めりー……、くりすます」

紙コップが触れ合っても、きれいな音は鳴らなかった。

 

午後八時になった。

「ミチの奴、遅くねぇか? 七時半に映画終わったらすぐ来るっつってたのに」

亜美が時計を見ながらイライラしたように言う。

「オンナと一緒なんだろ? そのまま、メシでも食いに言ったんじゃねぇか?」

とヒロキが答える。

「あ? ウチが来いっつってんのに来ないとか、あいつふざけんなよ?」

亜美はそういうと立ち上がった。

「ちょっと、探させてくるわ」

「あ、そこは『探してくる』じゃないんすね」

シンジという痩せてひょろひょろした男が言った。

亜美は衣裳部屋の扉を勢いよく蹴飛ばした。

「たまき! そこにいるのはわかってんだ! 出て来い!」

ドアがゆっくりと開く。顔を出したのは志保だった。

「そんな大声出さなくても聞こえてるって。あと、ドア、乱暴にしないで。壊れるから」

奥ではたまきが、硬直したように志保の背中を見ている。

「たまき、お前、ちょっと映画館まで行って、ミチいねぇか探してこい」

「あたし行こうか?」

と志保が言ったが、亜美は

「いや、たまきに行かせる。こいつ、クリスマスだっていうのに引きこもってうじうじしやがって。ちょっとは外に出て、クリスマスの空気を吸ってきなさい!」

と玄関を指さしながら言った。

「そんなのたまきちゃんの勝手じゃん、ねぇ?」

そういうと志保は後ろを振り返ったが、たまきはおもむろに立ち上がると、ニット帽を頭にすっぽりとかぶって、

「……行ってきます」

と衣裳部屋を出た。

「いいの? 大丈夫?」

「……まあ」

「映画館の場所、わかる?」

「……まあ」

今のたまきには、チャラい男ばかりのこの「城」より、外の方がまだましな気がした。

「たまき」

亜美は靴を履こうとするたまきの肩に手を置くと、

「これで好きなもん買っていいぞ」

と百円玉を三つ手渡した。

たまきはぺこりと頭を下げると、「城」を出ていった。

 

写真はイメージです

外に出てからものの一分で、たまきは三つの間違いに気づいた。

一つは、クリスマス・イブの夜は、薄手のジャンパーではどうにもならないほど寒かった、という事。

一つは、外の方がまだましだろうと思って出てみたけれど、中も外も大して変わらなかった、という事だ。

若いカップルだったり、大学のサークルかなんかの集団だったり、そこかしこにクリスマスを満喫している人だらけだ。

大体、クリスマスに歓楽街に来るなんて、誰かと食事やお酒を楽しむという、素敵なクリスマスの予定がある人なのだ。

たまきは下を向きたくなった。こんな風に下を向いてしまう人も、今の歓楽街ではたまきぐらいなものだ。

そして三つ目の間違いは、クリスマスの歓楽街には、あまりにも人が多すぎるという事だ。

この中から、ミチを探し出すだなんて、絶対に無理だ。

そう思いつつも、たまきはとりあえず映画館へと足を進めた。映画館は「城」のある太田ビルから見て、歓楽街のちょうど反対側にある。

映画館に向けてとぼとぼと歩く。案の定、ミチは見つからないし、海乃っていう人は会ったことはあるはずなんだけれど、顔が思い出せない。

数分経って、映画館に着いてしまった。

映画館には当たり前だが映画のポスターがあった。ポスターには

「愛し合う二人。だが、彼女の命の終わりが近づいていた……。クリスマスに起きた奇跡の実話を感動の実写化!」

と書いてある。

「命の終わり」という文言にひかれて、あらすじを読んでみたが、どうやらヒロインは病魔に侵されていて余命いくばくもない、という設定らしい。

こういった映画で悲劇のヒロインになるのはいつだって病人だ。

たまきは映画に全然詳しくないが、「自殺してしまうヒロイン」というのはあまり見ない気がする。

病気だろうが自殺だろうが、死は死だ。若くして死んでしまうことには変わりない。

病気で死ぬのはカワイソウだけど、自分から死ぬのはカワイソウじゃない。きっと、そういう事なんだろう。

 

写真はイメージです

たまきは3分ほど、そこに立って映画館から出てくる人を見ていた。吐いた息が白いもやとなってメガネをくもらせ、指でこすってそのくもりを取る。そんなことを何度も繰り返すが、一向にメガネのレンズにはミチの姿は映らない。

もしかしたら、こことは違う場所にも出口があるのかもしれない。そう思ったたまきは、映画館の入っているビルの周りをぐるっと回ってみることにした。何より、じっとしていたら凍えてしまう。

映画館があるのは比較的に人通りが多い場所だが、その周りをぐるっと回ろうとすると、映画館のわきにあるとてつもなく狭い道を通ることとなった。いや、道というよりも隙間に近いかもしれない。

そこを抜けると、さっきまでたまきがいた通りとは映画館をはさんで反対側の道路に出る。少し広くなったが、人通りはない。

たまきは右折してその路地を歩き始めた。しかし、ビルとビルのはざまにあるようなこの道は人通りが全くなく、この道沿いに映画館の入り口などないことは明白だった。

室外機のファンの音がたまきの鼓膜を軽く揺らす中、突如、耳慣れない鈍い音が冷たい空気を打つように響いた。

たまきははっとして振り返る。

先ほどたまきが曲がってきたところのもっと奥に、人影が見えた。

立っている人影が二つ。一つはスーツを着ている。もう一つは茶色いロングヘアー。きっと女の人だろう。

スーツを着ている方が足をぶんと振ると、さっきの鈍い音が聞こえた。

人影の足元に何かが転がっていた。

たまきは目を凝らす。どうやら、転がっているのも人間のようだ。

「てめぇ、わかってんのかぁ!」

スーツを着た男か大声を出しながら、うつぶせに転がっている人間を蹴り飛ばす。また鈍い音が響いた。

人がけんかをしているのを見るのはたまきにとって初めてだった。いや、けんかと呼ぶにはあまりに一方的かもしれない。

こんな時、通りすがりの人はどうすればいいんだろう、そんなことを想いながらたまきは遠巻きにけんかを見ていた。

ふと、その様子をわきで見ている女性がこちらを向いた。女性は離れたところから見ているたまきに気付かなかったようだが、たまきはその顔に見覚えがあった。

海乃だった。ほんの一瞬、たまきにその表情を見せただけだったが、たまきに海乃がどんな顔だったかを思い出させるには十分だった。

再び、鈍い音が響く。倒れている方のうめき声も聞こえる。たまきの口からは、真っ白い吐息があふれ出る。

たまきは、気が付いたらけんかの方へと歩みを詰めていた。近づくたびに、革靴が肉を打つ音が、より大きくたまきの鼓膜にを震わす。

蹴られた拍子に、倒れている方がごろりと反転した。

左目は青くうっ血し、右頬は赤く腫れあがっている。それでも、たまきはそれが誰であるのかがわかった。

「ミチ君……」

たまきのつぶやきよりももっと小さい声で、ミチは

「知らなかったんです……」

と、蚊の羽ばたきのように言った。

「てめぇ、知らねぇで済むと思ってんのかよ!」

「ごめん……なさい……」

「ごめんで済むと思ってんのか、ああ!?」

スーツの男がミチの右腕を強く踏みつけたミチは悲鳴を上げる力すらないのか、声帯が石臼にすりつぶされたかのようなうめき声を出すだけだった。

たまきはその様子をじっと見ていた。

そうはいっても、決して傍観していたのではない。

頭の中では、今すぐ飛び出して暴力をやめさせようとする正義感のあるたまきと、男の暴力がやむまで物陰に隠れようとする臆病なたまきと、戻って亜美やヒロキに助けを求めた方がいいと考える冷静なたまきが、目まぐるしく入れ替わっていた。

結局、何をどう決断したのかはたまき自身にもわからない。たまきがわかっていることは、一歩前に進み出て、声を発したことだった。

「あの……、ぼ、暴力はよくないと……思います」

言葉を発した瞬間、冬の冷え切った空気が、いっそう張り詰めるのをたまきは感じた。

最初に反応を見せたのは海乃だった。言葉を発することはなかったが、「なんでこの子がここにいるの?」と言いたげな驚いた表情を見せた。一方、地面に転がっているミチは、たまきに気付いたのか何か声を発したが、よく聞き取れないかすれたうめき声でしかなかった。

一方、男はたまきをにらみつけた。視線がたまきの心臓を貫いたかのような痛みに襲われる。ここまで人から敵意を向けられるのも、初めての経験だった。

「おい、こいつ誰だ。知り合いか?」

男が海乃の方を見た。

「……たまきちゃんっていう、……彼の知り合いの、ひきこもりの子」

海乃が口を開いた。その声にはいつもの張りはなく、どこか震えているようにも聞こえる。

「ひきこもり? ひきこもりが何で外にいるんだよ?」

どうしてこんな時にまでひきこもりがついて回るのかたまきにはわからなかったが、今はそのことを抗議してもしょうがない気がする。

「あ……あの……」

たまきは自分でも心臓が恐怖で高鳴っているのを感じた。

「ミ、ミチ君が何をしたのかは知りませんけど、やっぱり、その、暴力はよくないんじゃないかって……。ちゃんとその……、落ち着いて話し合って……」

けんかの止め方の教科書があるとしたら、きっとたまきのやり方は模範解答なのだろう。だが、そんな教科書があったらこうも書いてあるはずだ。模範解答通りのことを言っても、うまくいかないことの方が多い、と。

「てめぇ、こいつのオンナかなんかか?」

「あ、いえ、そういうわけじゃないんですけど……」

「じゃあ、黙ってろ」

男はミチをつま先で軽く蹴飛ばした。

「こいつはな、年端も行かないくせに、人の嫁に手を出したんだ。だとしたら、何されても文句は言えねぇよな!」

男は再びミチを強く蹴り飛ばした。

「……知らなかったんです」

と再びミチは小さくつぶやいたが、

「知らねぇで済むわけねぇだろ!」

男がさらにミチを強く蹴る。

「海乃って人の旦那さんですか……」

たまきは海乃を見た。海乃は困ったような表情をしているが、だからと言って自分から何かをするような雰囲気はない。

海乃のダンナによる何発目かの蹴りがミチの脇腹に入った時、たまきは自分でも驚いたのだが、駆け出し、ミチと男の間に入るように立った。

「もう、や、やめてください!」

「あ?」

海乃のダンナが背の低いたまきを憎悪のこもった眼でにらむ。

「確かにその、不倫、なのかな、はいけないことだと思います。でも、もう、十分じゃないですか。これ以上はもう……」

「十分? 何が十分なんだよ。どけよてめぇ!」

海乃のダンナはたまきの肩を払いのけた。そのままたまきは地面に倒れこむ。メガネがアスファルトに強くぶつかり、衝撃が走った。

どさっという鈍い音がしたが、その直後に、再びミチが蹴られる音をたまきは聞いた。今度はミチが絞り出すようにうめいた。

たまきは立ち上がると、メガネのずれを直し、ミチに背を向けて走り出した。

突き当りを右に曲がってしばらく走ると、映画館のある通りに戻れた。町全体はネオンやイルミネーションで彩られ、待ちゆく人の顔も笑顔で輝いている。すぐ近くで暴力沙汰が起きているなんて嘘みたいだ。もしかしたら、それこそ映画の世界の出来事だったのかもしれない。

だが、男に突き飛ばされた方の感触と、地面にぶつけたほほの痛みは確かに本物だった。

たまきは「城」に向けて走り出した。

途中、何度も人にぶつかる。そのたびに「ごめんなさい」と小さくつぶやき、再び走り出す。が、クリスマスの夜、多くの人でにぎわう歓楽街は人の波が邪魔して、なかなか思うように走れない。おまけにまじめに走ったのなんか中学2年の体育以来で、息も切れてきた。

ふと、わきを見るとそこにコンビニがあった。

たまきは思い出した。以前にもこのコンビニの公衆電話を使ったことがある、と。

携帯電話全盛の時代になってもなお、緑の公衆電話は、たまにそこを訪れる誰かのために待ち続けていた。

たまきは受話器を手に取り、亜美からもらった百円玉を入れる。

たまきは、志保の携帯電話の番号を思い出す。確か、前に志保が語呂合わせで教えてくれた。最初が090、そのあとは確か……。

ピポパというボタンを押す音が、粉雪のように小さく鼓膜を打つ。

 

たまきが「城」を出て行ってもう十分くらいたつだろうか。

そろそろ帰ってくる頃なんじゃないかと思ったとき、志保の携帯電話が鳴った。

携帯電話を開いて確認してみると、メールが一通届いていた。

差出人は田代。

志保の心臓は驚き、高鳴っていた。少し震える指でメールを開く。

メールの内容は、ゲレンデに雪が降り積もっているというなんてことないメッセージと、辺り一面真っ白な、ゲレンデなのか豆腐なのかよくわからない写真だった。

なんてことのないメッセージなのだけれど、志保は口元を緩ませた。

“スキー楽しんできてくださいね”となんてことのないメッセージを返す。

送信して携帯電話を閉じ、テーブルの上に置こうとした瞬間、着信音が鳴った。

いくらなんでも返事が早すぎると思い携帯電話を開くと、今度はメールではなく電話だった。

「公衆電話」と書かれた着信先を見る。公衆電話からだなんていったい誰だろう。志保は警戒しつつも、通話ボタンを押した。

「もしもし……」

電話の向こうからは激しい息遣いが聞こえる。ほかにも、がやがやと町の喧騒が漏れてくる。

「あの……、どちら様で……」

「……ミチ君が……!」

「え?」

「ミチ君が死んじゃうよー!」

 

写真はイメージです

たまきは受話器を置くと、来た道を引き返した。

白い息が口から御香の煙のように出ては、消える。

十二月の冷たい空気はたまきの肌を引きはがすかのようだったが、たまきは意に介せず走り続けた。

映画館のわきの細い路地に再び入っていく。遠ざかるたびに街の喧騒が小さくなっていく。

再びさっきの裏通りに戻ってきたたまきは、左に曲がった。

そこには、先ほどまでとさして変わらぬ光景があった。地面に転がっているミチと、ミチを蹴り続ける海乃のダンナ。それをただ見ているだけの海乃。違うところがあるとすれば、ミチはもう、うめき声も上げないという点だろうか。

再びたまきはどうしたらいいのかわからなくなって、ただ見ているしかなかった。暴力を止めなきゃという正義感の強いたまきが、何度もたまきの背中を押そうとするが、冷静なたまきがそれを押しとどめる。自分が行ってどうなる、さっきだって何もできなかったじゃないか。

ミチがあまりにも痛々しそうなのと、自分があまりにも無力なのとで、たまきは泣きたくなっていた。

そうこうしているうちに、海乃のダンナはミチを蹴るのをやめ、裏通りのさらに奥へと向かった。

もう終わったのかと思ったたまきはミチのところに向かおうとしたが、海乃のダンナはすぐに戻ってきた。

手にはビール瓶が握られていた。それを海乃のダンナがどう使うつもりなのかは、すぐにわかった。

「ダメ……それは……ダメ」

走って体力をすっかり使い果たしたたまきだったが、余力で何とか駆け出すと、ミチと海乃のダンナの間に割って入った。

海乃のダンナはたまきを一瞥すると、

「なんだよ、まだいたのかよ。どけよ」

とだけ言った。一方、たまきは

「それはダメです……それは……」

と半ばうわごとのように言った。

「ミチ君が悪いことをしたっていうのはわかります。でも、もうこれ以上は……」

いつもより少し早口になっていることに、たまき自身が気が付いていない。

一方、海乃のダンナは、部屋に散らかったゴミでも見るかのようにたまきをにらみつけた。

「うるせーな、てめーにかんけーねーだろ。どけよ。殺すぞ!」

「どうぞ」

間髪入れずにたまきはそういうと、海乃のダンナの方を見た。

海乃のダンナはビール瓶を持った右手を振り上げたが、たまきと目があい、一瞬、腕が硬直したかのように固まった。が、

「どけよ!」

と怒鳴ると、左手でたまきを払いのけた。たまきはよろけて、冷たいアスファルトの上に座り込む。

それでもたまきはすぐに起き上がり、再び、ミチと海乃のダンナの間に割って入った。

たまきは海乃の方に目をやった。海乃は相変わらず困ったような顔をしていたが、たまきと目が合うと、目線をそらした。

「どけっつってんだろ!」

と、海乃のダンナが再びたまきの肩に手を置いたとき、

「たまきに何してんだてめぇ!」

という、たまきには聞きなじみのある声がその鼓膜に飛び込んできた。と同時に、何かがこちらに駆け寄る足音。

声のした方にたまきが目を向けると同時に、足音が消えた。足音が消えたのは、足音の主が地面をけって宙に飛び上がったからだ。

たまきの視界に飛び込んできたのは、スニーカーのつま先だった。それがたまきの視界の右端を掠めた。スニーカーからは、細い足がすらり伸びている。

スニーカーは海乃のダンナの脇腹をほぼ正確にとらえた。海乃のダンナがうめき声をあげて黒い道路に倒れこむ。ほとんど一瞬の出来事だったが、たまきにはなんだかスローモーションに感じられた。

「たまき、大丈夫か!? お前、血ィ出てるじゃねぇか!」

スニーカーの主、亜美はたまきの肩に手を置いた。亜美に言われて、たまきはさっきから軽い痛みの走る右の頬に手を置いた。手のひらを見てみると、うっすらと血がついている。そういえば、最初に突き飛ばされた時に、地面に顔をぶつけた。その時、擦ったか何かで切ったかしたらしい。

「おい、てめぇ誰だ! なにす……」

海乃のダンナが起き上がりながらそう怒鳴りかけたが、亜美の後ろを見て、口をつぐんだ。

亜美の後ろには、なんともガラの悪い男たちが数人立っていた。「ナントカ組の人たち」と言えばそのまま信じてしまいそうである。

一番最後に路地裏に入ってきたのは志保だった。志保は息を切らせながら、誰かと電話している。

ヒロキがしゃがみこんでミチの様子を見ていたが、しゃがんだまま口を開いた。

「こいつミチって言って、俺の中学の後輩なんすけど、なんか粗相しましたかね?」

口元には営業マンのような笑みを浮かべているが、目は笑っていない。

「……そいつが人の嫁に手を出したから、仕置きしたまでだよ。も、文句あるかよ。悪いのはそいつだろ?」

たまきは海乃のダンナを改めて見た。さっきまで、凶暴な人間のように思えたが、こうしてヒロキたちと見比べてみると、普通のサラリーマンのようにも見える。

「本当なのか?」

ヒロキがミチに尋ねた。

「……知らなかったんです」

ミチが油の切れかかったロボットのように答える。

「……そうか。たとえ知らなかったんだとしても、人の嫁に手を出したんだ。お前が悪いよな」

「……はい」

ミチの言葉を確認すると、ヒロキは立ち上がった。

「とりあえず、ウチの後輩が失礼しました。こいつにはあとで俺からもよく言っておくんで、もうお宅の嫁さんとは会わないってことで、今日のところは勘弁してもらえないっすか?」

相変わらず、ヒロキの目は笑ってなかった。そして、口元も急に引き締まる。目線は海乃のダンナから、彼が手に持つビール瓶の方に向けられる。

「それともあれっすか? これだけボコボコにしといて、まだ足りないっすか? それだと、俺らも態度変えなくちゃいけないんすけど?」

海乃のダンナは半歩後ろに下がると、手にしていたビール瓶をそっと地面に置いた。

「い、いや、そのガキがもう嫁と会わねぇっつーなら、それでいいんだよ。おい、帰るぞっ!」

海乃のダンナは何か焦ったように海乃に言うと、その場から立ち去ろうと路地の奥へと向かった。海乃はヒロキたちを一瞥した後、ミチの方を見ることなく、旦那の後についていこうとした。

だが、海乃がちょうどたまきたちに背を向けた時、

「納得いかねーんだけど」

という亜美の声が路地裏に響き、海乃とその旦那は足を止めた。

「ミチがボコボコにされてる理由はわかったよ。やりすぎなんじゃねぇかって気もすっけど、まあ、今は置いといてやるよ。でもよ……」

そういうと亜美は海乃を指さした。

「不倫はイケナイっていうんだったら、その女も同罪だろ? それに、ミチはこいつが結婚してるだなんて知らなかったっていうなら、一番悪いのはこの女じゃねぇかよ。だったら、こいつをミチと同じくらいかそれ以上にボコすっていうのが、スジなんじゃねぇの? それともなにか? まさか、『自分が結婚してたなんて知らなかったんです~』とかいうつもりか? あ?」

そういうと、亜美は今度は海乃のダンナの方を見た。

「てめぇもおかしいだろ。なんでミチはボコしてんのに、てめぇの嫁には手ぇだしてねぇんだよ」

「うるせぇな、てめぇには関係ねぇだろ!」

「関係ねぇだと?」

ちょうど志保は電話を終えて亜美を見た。亜美の周囲の空気が変わったことが一目でわかった。

「ふざけんじゃねぇぞ、おい! こっちはミチだけじゃなく、たまきまでケガさせられてんだぞ! 関係ねぇっつったら、たまきが一番関係ねぇじゃねえかよ!」

海乃とその旦那につかみかかろうとする亜美を、志保がすんでのところで後ろから抑えた。

「ダメだよ亜美ちゃん! 手を出しちゃ!」

「じゃあお前、納得してんのかよ! なんでこのオンナだけ無傷なんだよ! おかしいだろ!」

「納得してないけど……、でも、いろいろ事情があるんじゃない? 奥さんケガしてたら近所や親戚にDV疑われるとか……、よくわかんないけど……」

「はぁ? くだらねぇ。それだけのことしたんだろ、このオンナは」

「とにかく、こっちから手を出すのはダメだよ。さっき、むこうの通りからこっち見て何か話してる人がいたの。もし、この騒動に気付いて警察に通報されてたら、警察来たとき亜美ちゃんが暴力ふるってたら、もう言い訳できなくなっちゃうよ。あたしたちのうちだれか一人でも問題起こせば、三人ともあそこにはいられなくなっちゃうよ!」

「じゃあお前はたまきがケガさせられたの、赦せんのかよ?」

「それは、……赦せないけど……」

志保の力が少し緩んだ。亜美は志保を振りほどくと、海乃に近づいた。

「おい、なにすんだてめぇ。余計なことすんじゃねぇよ!」

海乃のダンナが怒鳴った。

「何、このオンナ、かばうの? 裏切られてんのに? もしかして、まだこの女に惚れてんの? だから殴れないってわけ? 中学生かよ」

そういうと亜美は指の間接をぱきぱきと鳴らす。

「オンナだから顔は勘弁しといてやるよ。近所が気になるっつーなら、ちゃんと服で隠せるところにしといてやっからよ。ガキの頃に空手で鍛えた中段蹴りを見せてやるよ」

ああ、それで飛び蹴りとか得意なんだ、とたまきは妙に納得した。

一方、志保は焦ったように、亜美の肩に手を置いた。

「ダメだって亜美ちゃん!」

「じゃあ、このままこのオンナ無傷で帰せっていうのか? そんなの、筋が通らねぇじゃねぇかよ!」

亜美が志保の方を見る。その一瞬のスキをついて海乃のダンナは

「おい」

と海乃に声をかけた。二人が、再び亜美に背を向けて路地の奥に消えようとする。

「おい、逃げんのかよてめぇら!」

亜美が叫んだ時、

「いいんじゃないですか?」

という声が、背後から聞こえた。

抑揚のないその声に亜美と志保だけでなく、ヒロキたち、そして立ち去ろうとしていた海乃とその旦那も声の主を見た。

声の主であるたまきは、大勢の人間から注目されるという、苦手な状況にもかかわらず、淡々と話した。

「いいんじゃないですか? このまま帰ってもらっても。もし志保さんの言う通り警察でも来られたら、いろいろ面倒ですし」

「何ってんだよ。お前、こいつらにけがさせられたんだぞ! なのに、無傷で帰るって、そんなスジの通らねぇ話……」

「こんなの、けがのうちに入りません」

たまきは右の手首を左手で軽く握った。

「それに、その人たちが無傷だとも思えませんし」

「何言ってんだよ。どう見てもこいつら、無傷じゃねぇかよ」

「あ、もしかして、すぐに傷にはならないけど、あとでじわじわ効いてくる技を使ったとか……」

と志保が言ったあと周りを見渡して、

「そんなわけないよね……。ごめん、今のは忘れて……」

と恥ずかしそうに下を向いた。

「確かに、その人たちはけがはしてません。でも、その海乃っていう人は、旦那さんを裏切ったんです。その傷って一生残るんじゃないですか?」

たまきは、海乃たちとは、そして誰とも目線を合わせることなく言った。

「このまま帰ったって、もう今まで通りってわけにはいかないと思います。旦那さんは海乃っていう人を疑いながら生きていくことになると思うし、海乃っていう人は疑われながら生きていく。そうなると海乃っていう人はさみしくなって、きっとまた同じことすると思います、どうせ」

たまきの吐息が白く浮かび上がる。

「でも、二回目はこうはいかないと思います。ずっと深く、もっと痛く、決して治らない傷がつくと思います。一生その痛みに苦しみ続ける。もう遅いけど、その時になって初めて……」

その時になって初めて、たまきは海乃の目を見た。

「地獄を見ればいいんじゃないですか?」

冬の空気が凍り付いたかのような静寂が一帯を襲った。

亜美は右手をそっと、ジャンパーのポケットにしまった。志保は目を見開いたまま動かなかった。

亜美が連れてきた男たちは、たまきから少し距離を取った。

海乃のダンナはバツの悪そうにたまきから目をそらした。

海乃はそれまで困ったような表情だったが、たまきの言葉を聞くと急に眼を釣り上げて、小柄なたまきをにらみつけた。

「なに? あんたなんかに何がわか……」

そう言いかけた海乃だったが、ふいにおびえたような目になった。

「やめてよ……そんな目で見ないでよ……」

そう言うと海乃は踵を返して、路地の奥へと足早に歩いて行った。

「おい、待てよ!」

海乃のダンナがそのあとを追いかけていく。

十二月の冷たい風が、夜空の闇と、町明かりの間の隙間を縫うように吹き渡った。

 

ミチはヒロキに背負われて、舞のマンションに担ぎ込まれた。志保が電話をしていた相手は舞だったらしい。地理的に、病院に行くよりもその方が近かった。

舞は手慣れた調子でミチの手当てをする。舞によると、このようなけんかによるけが人の治療をするのは半月に一回くらいあるらしい。ただ、ミチがこんなけがをしてきたのは初めてだという。

舞は、けがの治療に必要な情報をミチや、ヒロキや亜美たちから聞いていたが、どういう経緯でミチがこうなったかについては尋ねなかった。

ミチの治療が一通り済むと、絶対安静という事で、ミチは舞の家に一晩泊ることになった。ミチの治療が終わると、ヒロキたちは「クリスマスの続きをしに行く」と言って出ていった。寝室にミチは寝かされ、リビングルームには女子だけが残った。

「しかし、先生がクリスマスだってのに家で仕事してて助かったよ」

「お前、イヤミか」

舞が亜美をにらみつける。

「でも、電話してきたときのたまきちゃん、いじらしかったなぁ」

志保がソファにもたれながらそう言った。

「いじらしい?」

亜美が首をかしげる。

「電話の向こうからすごい焦った感じで『ミチ君が死んじゃうよー!』って」

「私、そんな子供っぽい言い方してません」

たまきが口を尖らせた。

「いやいや、してたって。いやぁ、あの時のたまきちゃん、いじらしかったなぁ」

たまきは「いじらしい」という言葉の意味がよくわからなかった。よくわからなかったが、きっと今、自分はいじらているのだろう。

「じゃ、ウチらもそろそろ帰ろうぜ」

そういって亜美が立ち上がったが、

「待て待てお前ら」

と舞がそれを制した。

「お前ら、勝手にけが人運び込んできて、あたしに全部押し付けて帰る気か。誰か一人残って、手伝え」

「じゃあ、たまき置いてくよ」

と亜美が言ったので、たまきは驚いて亜美を見た。

「な、なんで私なんですか?」

「だって、ウチらの中じゃお前が一番ミチと仲いいだろ」

「べ、別に仲良くなんかないです」

たまきは顔を赤くして否定した。

「亜美さんの方こそ、私よりも長い知り合いじゃないですか」

「いや、確かにそうだけど、なんかいつもヒロキの後ろついてきてただけで、これと言って深い知り合いでもなかったしな。ちゃんと話すようになったのは、たまきが来てからだぜ」

そう言うと、亜美はたまきの肩に手を置いた。

「というわけで、よろしく」

「……わかりました」

たまきはどこか納得いかないようだ。

「なんだよ、あいつの看病、いやか?」

「いやじゃないですけど……、その……、私が一番ミチ君と仲がいいっていうのが、納得いかないというか……」

「ふふ。そう思ってるの、たまきちゃんだけだよ、きっと」

志保が手を後ろに組んで笑った。

「あの人のこと、嫌いだし……」

「はいはい、わかったわかった。じゃあ、志保、帰るぞ」

そういうと亜美と志保は玄関へと向かった。

「あ~、まだイライラするなぁ。おい、志保、帰りにバッティングセンター寄って乞うぜ」

「バッティングセンターってあそこ? こんな夜中にやってないでしょ」

時計はもうすでに十時を回っていた。

「知らねぇのか。あそこ、朝までやってんだぜ?」

「うそ?」

そういいながら、二人は舞の部屋から出ていった。

「まったく、あたしにも仕事かあるってのに。今度から大けがするときは事前に予約してくれ」

舞がパソコンに向かいながらぼやいた。

舞の部屋に残った、というか、残されたたまきは舞を不安げに見た。

「あの……看病って……私は何をすれば……」

「ん? まあ、そんな難しいことは頼まないさ。そうだな。あたしここで仕事してるから、とりあえずミチのところに行って、夜食くうかどうか聞いてきて。あとは、基本的にはミチのところにいて、あいつの様子になんか変化あったら、例えば、頭痛いとか気分悪いとかいったら教えてくれ。ま、ないと思うけど念のためだな。あたしが見ててもいいんだけど、ちょっと集中して仕事したいんで。頼めるか?」

たまきはこくりとうなずいた。

「あとはトイレか。あいつ、右手今使えないから、たぶん一人でトイレとか無理だな。教えてくれればあたしが世話するから。あ、それともお前やる? 何事もけいけ……」

「舞先生にお願いします」

たまきは即座に頭を下げた。

 

寝室のドアをそろりと開ける。

部屋の中は暗かった。

だが、窓から月明かりなのか歓楽街の明かりが漏れてくるのか、うっすらと光が差し込んでいて、窓際のベッドに寝かされているミチの顔がほのかに青白く照らされていた。

顔の腫れたりうっ血になったりしたところにはガーゼが貼られている。少しはましになったが、痛々しいことに変わりはない。

右手は包帯でぐるぐる巻きにされていた。舞によると、ひねって捻挫をしたあとで踏まれたらしい。ミチは殴られて倒れた時に、手のつき方を誤ってひねってしまったと言っていた。

ミチはたまきが入ってきたのに気づくと、右手を見せて

「……お揃い」

と言って力なく笑った。お揃いと言っても、たまきは手首だけに巻いているのに対し、ミチは右腕の肘から先全体がぐるぐる巻きだ。

たまきはドアの向こうから顔を出したまま尋ねた。

「舞先生が、夜食たべますかって……」

「……食う」

たまきは振り返ると、舞にそのことを伝えた。そうして、たまきは部屋の中に入ってきた。化粧台のいすに腰掛ける。

「……具合はどうですか? 気分が悪いとか……、頭が痛いとか……」

「腕が痛い」

「知ってます」

たまきの言葉にミチは笑ったが、すぐに顔をしかめて、右腕を見た。

「いってぇ……。あのおっさん、やりすぎだろ。確かに、俺もまあ、悪いことしたなと思うけどさ、知らなかったっつってんだからさ、ここまでやることないじゃん、ねぇ」

たまきと話して少し元気が出たのか、ミチは再び笑みを浮かべてたまきを見た。

だが、化粧台のイスに腰かけたたまきは、ミチをまっすぐに見ていた。

それは、いつだったかたまきがミチをにらみつけた時の目に近かったが、にらみつけるというよりは、何かを訴えかける、そんな強い目だった。

「なに……どしたの?」

「……みたいなこと言ってるんですか……」

「え?」

「いつまで被害者みたいなこと言ってるんですか?」

静かだが、それでいてどこか怒りのこもったたまきのこれまでにない口調に、ミチはたじろいだ。

「え、いや、なに言って……、俺、被害者……」

「知ってましたよね?」

たまきの肩と口は、少し震えていた。

「海乃って人が結婚してるって、ミチ君、知ってましたよね!?」

つづく


次回 第20話 冷凍チャーハン、ところによりカップラーメン

それでは、ここで問題です。たまきはいったいいつ、「海乃は結婚している」と気付いたのでしょうか。

①第11話、初めてたまきが海乃に会ったとき

②第13話 「大収穫祭」の会場で海乃を見かけた時

③第14話 ラブホの入り口で海乃に会ったとき

④第18話 ラーメン屋で海乃を見た時

ヒントはすでに書いてあります。答えこちら


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

風俗店街と外国人街の奇妙な関係 新宿編

今まで、このブログでは西川口と上野を歩き、「風俗店街と外国人街はなぜか近い場所にある」という事を検証してきた。そのことについてもう一つ見ておきたい場所が東京にある。そう、日本最大の風俗街・新宿歌舞伎町と、コリアンタウン・新大久保の一帯だ。新宿から新大久保にかけて歩いて、食べてきた。

日本最大の風俗街・歌舞伎町

新宿・歌舞伎町。言わずと知れた日本最大の歓楽街・風俗街だ。

日本はおろかアジア最大の歓楽街だとか、日本で最も暴力団の事務所が集まっている場所だとか、黒い噂は後を絶たない。

しかし、どれだけ探しても暴力団の看板はない。そりゃそうか。表立って「○○組事務所」なんて書いてあるわけがない。

でも、表に出ないだけで、その手の事務所はあるのだろう。以前、総武線に乗っていたとき、明らかにガラの悪い男が電話で怒鳴っているのを見たことがある。その男が

「てめぇ、あとで歌舞伎町の事務所に来い!」

と怒鳴ったのを聞いて、

「うわっ、本物だ! 本場の人だ!」

と肝を冷やしたことがある。

一方、歌舞伎町の北側はホテル街となっている。

しかし、「歌舞伎町」というのだけれど、歌舞伎に関する施設はない。落語の見れる末広亭の方が近い。

元々は名前の通り歌舞伎が見れる施設を造る予定だったのだが、結局実現しなかった。「大泉学園」みたいなものだ。

歌舞伎は見れないけど、映画とゴジラなら見れる。

東京を代表するコリアンタウン・新大久保

歌舞伎町のホテル街を抜けた北側、大通りを渡ったところから新大久保駅までの一帯は、日本有数のコリアンタウンとして知られている。

韓国料理屋や、韓流スターのグッズのお店などが並ぶ。お店からはK-POPが流れる。

 

ハングル文字のドン・キホーテもある。ドンキは歌舞伎町にもあるのだけれど。

 

韓国語カラオケもある。以前、西川口で中国語カラオケの店を見かけたけれど、韓国語カラオケならKARAとか歌えそうな気がする。日本語の歌詞でなら、だが。

 

今、新大久保一帯ではやっているグルメがこれ。

チーズとジャガイモを油で4分揚げたやつだ。注文を受けてから揚げるので、4分は意外と長い。韓国人らしきお兄ちゃんたちが揚げてくれる。

さて、新大久保駅から、今度は大久保駅の方に向かって歩いていく。

 

このあたりにまで来ると、韓国以外にもいろんな国のお店が出てくる。

 

霊界都市・新宿

さて、日本最大の風俗街・歌舞伎町と、日本有数のコリアンタウン・新大久保が隣接している、というのは東京に住んでいる人からすれば、わざわざあらためていう事ではないだろう。

しかし、この一帯にはもう一つの顔がある。

それが「霊界都市」「東京の端」という側面だ。

世界一の乗降者数を誇り、都庁がある「大都会」新宿が、「東京の端」と言われてもピンとこないだろう。

だが、江戸時代には「内藤新宿」は、東京と外の世界の境界の町だった。ここから甲州街道を通って西へと旅立っていく。

上野編でも言及したので繰り返さないが、こういった境界線上には寺社仏閣が多く建てられる。

そして、新宿は寺社仏閣が多い。

たとえば、新宿2丁目は今はゲイバーの町として知られているが、この町には正受院、成覚寺、太宗寺と3つものお寺がある。新宿2丁目の公園に立って、ぐるっと360度一周すれば、3つのお寺全てが視界に入る。

四谷に行くとさらに寺が密集している。これらの寺は江戸時代の初期に、麹町から移設されてきたものらしい。

江戸時代、新宿一帯は江戸の端、異界の入り口だったのである。

実際、江戸時代にはこのあたりの怪談話が多かった。

有名な四谷怪談。これは創作だが、「四谷だったら幽霊が出てもおかしくないよね」と思われているからこそ、あの話は受け入れられたのではないか。これがもし「日本橋怪談」だったら、「うそつけ、あんなところに幽霊なんかでないよ」と突っぱねられていたかもしれない。

まとめ

前回の上野、今回の新宿、その共通点をまとめてみよう。

・風俗店街と外国人街が隣接、混在している。

・どちらの町も、江戸において中と外の境界、異界との入り口にあった。

なぜ、風俗店街と外国人街は密接しているのか。

その謎ときについては次回に譲ろうと思う。

僕は、「第二次世界大戦」がかかわっているのではないかとにらんでいる。

オカルト!?ピースボートの船が海上で消滅した恐怖体験の噂と真実

海では科学の常識を超えたことが起きる。生活の痕跡は残っているのに誰もいない船、全員が何かにおびえるようにして死んでいた船、などなど……。そしてこれから話すのは、「海上でピースボートの船が丸1日消滅した」という、世にも奇妙な体験談。ただのオカルトなどではない。まぎれもない真実である。

ピースボートのだれも覚えていない1日

僕が乗っていたピースボート第88回クルーズ。108日をかけて地球を一周した。

ところが、11月21日、船がどこで何をしていたか、一切の記録が残っていない。

ピースボート88回クルーズは11月19日にタヒチの楽園、ボラボラ島を出発し、11月24日には最後の寄港地、サモアに到着した。

11月20日は間違いなく太平洋の南半球側を航海していたはずだし、11月22日も太平洋上にいた。事実、この日については船内新聞などの記録が残っている。

11月21日の記録だけがどこにもない。

記録がないだけではない。

記憶もないのだ。

11月21日だけ、誰も覚えていないのだ。

その日、船はどこにいたのか、船内で何をしていたのか、船内で何が起こっていたのか、

誰一人覚えていない。

僕自身、まったく覚えていない。

その日、ピースボートの船は完全に海上から消滅したのである。

そして、翌日、まるで何事もなかったかのように、再び姿を現した。

姿を消していた24時間もの間のことは、誰も覚えていない。

まるで「サンチアゴ航空513便」だ。

サンチアゴ航空513便とは、1989年にブラジルの空港に、35年前に消息を絶った飛行機が突然着陸した、という事件だ。中を調べてみると、なんと92人の乗客は全員白骨化していたという……。

サンチアゴ航空513便は帰ってくるのに35年もかかったが、ピースボートは1日で帰ってこれた。幸い、乗客は白骨にならなかったが、その間のことをだれも覚えていない。

いったい、どういう事なのだろうか……。

怪奇!ピースボートの船内は1日が25時間ある

この奇妙な謎を解くカギはピースボートの船内にある。

なんと、ピースボートの船内は1日が25時間あるのだという。

前々からピースボートについて、やれ左翼洗脳だのカルトだのピンクボートだの海上のビジネスホテルだの海上の老人ホームだの船室がまるで雑居房だの、怪しい噂がささやかれているが、もはやそんな次元ではない。そう、次元が違う。異次元だ。ピースボートの船内は通常とは時間の流れが違う、異次元空間なのだろうか。精神と時の部屋なのだろうか。悪の力が3倍になる魔空空間なのだろうが。

……おふざけはこのあたりにして、そろそろ種明かしをしよう。

国によって、地域によって標準時間が違う。だから、時差がある。

飛行機で旅をすると目的地の標準時に合わせて、飛行機の中でいきなり時計をずらすわけだ。「目的地のロンドンは日本より9時間遅いので、時計を9時間遅らせてください」といった感じに。

一方、船旅は一気に何時間も時計をずらすことはない。海の上でも港でも、今いる場所の標準時間に時計を合わせる。

船内には「時差調整日」という日があって、文字通りこの日に時差を調整する。前いた場所の標準時間との時差はわずか1時間。ピースボートの船はほとんどが西へ西へと進むので、地球上を西へ約1500万キロ進むと、標準時間が1時間遅れることになる。なので、時差調整日の深夜12時になったら、時計の針を深夜11時に巻き戻す。

結果、1日が25時間になるのだ。なんか、得した気分である。「わーい! 1日がもう1時間増えたぞ!」と、ちょっとだけはしゃぐ。

それを時差を乗り越える分だけ繰り返す。日本に帰ってくる頃には計、24時間分増えているわけだ。

ところがこのまま日本に帰ってくると、非常に困ったことになる。

例えば88回クルーズが帰ってきたのは12月6日なのだが、ピースボートの船内のカレンダーは12月5日になっているのだ。

このずれを直すため、日付変更線をまたぐタイミングで、丸一日無かったことにするのだ。24時間増えちゃった分、24時間消すのだ。これを「消滅日」という。なんだか、ツタヤで借りられるSF洋画の日本版タイトルみたいだ。

88回クルーズでは11月21日が消滅日、つまり、なかったこととなった。

「日本時間11月21日」なら、たしかにピースボートの船は存在していた。だが、「船内時間11月21日」はどこにもないのだ。

これが、「ピースボートの消えた1日」の真相である。

ちなみに、サンチアゴ航空513便の真相であるが……、

あれ、ただのホラ話である。ハイ終了。

不可思議!ピースボートは同じ1日を繰り返す……

以上は、「西に向かっていった時」の話である。

勘のいい人なら、もう気付いているだろう。

東に向かっていったら、逆の現象が起こる。

時差を乗り越えるたびに、1時間ずつ減っていく。1日23時間。なんだかちょっと損した気分だ。

そして、日付変更線を乗り越えると、

そう、昨日と同じ1日を繰り返す。

みんな大好き、タイムリープである。

神秘!タイムスリップするピースボート

船内で新年を迎える冬クルーズではこういうことをする、らしい。

大みそかの夜、日付変更線をまたぐ形で、船を南下させるというのだ。

つまり、船の真ん中を日付変更線が貫く形になる。

すると、船の片側は新年、船の片側は前の年、という状況が発生する。

船の右から左を行ったり来たりするだけで、新年と前の年を行ったり来たりできるわけだ。まさに、夢のタイムスリップである。

風俗店街と外国人街の奇妙な関係 上野編

以前、西川口を訪れた時にあることに気付いた。外国人街があるところには、なぜか風俗街がある。偏見かもしれない。だが、確かにこの二つは、少なくとも東京近郊においては、同じような場所にあるように思える。なぜだろう。その謎を解き明かすために上野一帯へと足を延ばしてみた。


北の玄関口、上野

上野はかつては「北の玄関口」と呼ばれていた。

 

「上野発の夜行列車降りた時から」で始まる石川さゆりの歌を知っているだろうか。僕は子どものころ、この歌は上野の歌だと思っていたが、タイトルもサビも「津軽海峡冬景色」。上野ではなく津軽の歌である。

その出だしでどうして「上野発の~」とうたっているのかというと、「上野発=東北行きの列車」というイメージが強いからだ。

上野の町には石川啄木の歌碑も残っている。

「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」

上野は啄木の時代から「北の玄関口」だった。上野の停車場の周辺には、東北からやってきた人、東北へ帰っていく人であふれていた。岩手県出身の啄木は、東京で暮らしながらも故郷の方言が聞こえやしないかと上野駅にやってきたわけだ。

ちょっと前までは、宇都宮線も高崎線も上野発だった。上野は、北の玄関口なのである。

それは、東京にとって「境界」部分にあたることを意味しているのではないか。

東京都心でありながら、東京と東北の境界部分にあたる街、それが上野である。

こういった村や町の境界部分は、異界との接触部分とされ、昔から妖怪などが多く出ると言われていた。

いや、別に東北と異界だと言っているわけでも(いつの時代の話だ)、外国人街や風俗店街を妖怪扱いしているわけではない(どこの差別主義者だ)。ただ、境界部分は中心部とは明らかに違う雰囲気をたたえる、という事を言いたいのだ。

境界の町、上野

実際問題、上野から日暮里あたりまでは、江戸の中でも境界にあたる街である。

上野で有名なお寺が寛永寺だ。もっとも、最寄り駅は隣の鶯谷なんだけど。

このお寺は陰陽道マニアにはちょっとたまらないお寺だ。

このお寺は江戸城から見て北西の方角、鬼門の方角に建てられ、霊的な守護を担っているのだ。

こういう例的な守護を担うとお寺や神社いうのは、だいたい境界に建てられる。お寺なのに「キョウカイ」とはこれいかに、とツッコんではいけない。

地方の村に行くと、お寺や神社が街のど真ん中にあるというのは、よっぽど大きな町の目玉となるようなところぐらいで、山の裾にひっそりとたたずんでいるのが大半だ。

どうして山の裾なのかというと、里は人が住む世界、山はモノノケやカミサマが住む世界、そして山のすそ野はその境目にあたるからだ。そういった場所には、不思議とお寺や神社がある。神様やご先祖様と接する場所である宗教施設を置く場所として、境目が一番ふさわしかったのであろう。

思えば、鎌倉も市街地にお寺はほとんどなく、たいがいが山のすそ野である。京都だって清水寺なんかは山の入り口にある。

長々と書いたが、要は、江戸城を例的に守る役目で建てられた寛永寺がある上野一帯というのは、江戸の境界部分にあたるのではないか、という話だ。

厳密には、江戸の北限は南千住あたりだと言われている。

しかし、この上野一帯も一つの境目だったと思う。いろいろと見逃せないことが多いのだ。

たとえば、地形。上野駅の北側、線路の西側は断崖となっており、東側とはかなりの標高差がある。

この写真は線路の西側から南東を向いて撮った写真である。目線の高さから標高差があることがわかってもらえると思う。

そして、上野駅と鶯谷駅の間には、小さなお寺が多い。お寺の隣に別の寺。一種の寺町だ。

この一帯は寛永寺の山内寺院というらしい。

さらに、寛永寺の北側には、東京都心を代表する墓地、谷中霊園がある。

谷中霊園ができたのは明治初期だ。江戸自体から明治にかけて、この一帯は寺や霊園を置く場所として知られていたのだ。

上野とは、江戸の中心部から見て、江戸の内と外の境目の一つだったと思われる。今でも、東京都心と下町の境目にあたる街だろう。

むしろ、境目にあったからこそ、北の玄関口として上野が選ばれたのではないだろうか。

アジアンタウン上野

そんな境目には中心部にはない何かがある、ような気がする。

その一つが、アジアンタウンとしての上野だ。

上野名物アメ横の、とくに御徒町寄りのところは今、中国系や韓国系、トルコ系の料理屋台が並び、東京のど真ん中でありながら異国情緒の溢れるところとなっている。

また、このすぐ近くには、外国人向けの食材を売る店もある。面積としてはけっして広くはないが、密度の濃いアジアンタウンが形成されているのだ。

また、中央通りをはさんだ反対側に行くと、やけに焼き肉屋が多い。ハングルの看板もちらほら見受けられ、このあたり一帯は小規模なコリアンタウンなのではないかと思わせる。

エロの町、上野

一方、上野の中町通りには、キャバクラやストリップ劇場など、エロいお店が密集している。

今日日キャバクラなんぞはどこの町にもあるものだが、ストリップ劇場はなかなか珍しい。

さらに、この少し北、不忍池沿いには、ピンク映画専門の映画館がある。これなんか今日ではさらに珍しい。

その近くには下町風俗資料館が……、ってこれは風俗違いか。

だが、これだけに終わらない。

上野駅の北、鶯谷駅。

鶯谷周辺は寛永寺や谷中墓地があるのはさっき見てきたが、この一帯は東京有数のラブホテル密集地帯としても知られている。

そして、ここから小竹通りを1km北上すると、三河島駅だ。この一帯はコリアンタウンとして知られている。

御徒町駅から三河島駅までの南北約3kmの直線状に、上野駅を中心としてアジアンタウンと歓楽街、ラブホ街、コリアンタウンが連なっている。

これは、偶然なのだろうか。

まとめ

結論はまだ書かない。

というのも、もう一つ見ておきたい町があるからだ。結論を書くのは、その町を見てからだ。

とりあえず、今回は以下のことにもう一度言及して終わりにしよう。

・上野は、北の玄関口であり、寺や霊園が多い「境界」に当たる。

・アメ横がアジアンタウンと化している。

・上野を中心とした、御徒町から三河島までの南北に延びる約3kmのラインに、アジアンタウン、歓楽街、ラブホ街、コリアンタウンが連なっている。

小説 あしたてんきになぁれ 第18話「労働と疲労のみぞれ雨」

喫茶店「シャンゼリゼ」でバイトを始めた志保。自分一人、お金を稼いでいないたまきは焦りを感じ、仕事についていろんな人に聞いて回る。

クソ青春冒険小説改め、ニート完全肯定小説「あしなれ」第18話スタート!


小説 あしたてんきになぁれ 第17話「ガトーショコラのち遺影」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

「じゃーん!」

志保はそういいながら衣裳部屋から出てくると、ソファとテーブルの間の狭いスペースをモデルのようにすました顔で歩く。足先に力を入れながらたまきと亜美の前まで来ると、くるっと回ってみせた。

志保が「シャンゼリゼ」でバイトを始めて4日目。制服を洗濯するために持ち帰ったついでに、「城(キャッスル)」での一人ファッションショーが行われた。

「シャンゼリゼ」のホールスタッフの女性用制服は白いブラウスに黒いズボンという清潔感があふれるいでたちだ。エプロンのような前掛けをスカートのように腰から垂らしている。

「なんかさ、思ったより、フツーだな」

亜美が少しがっかりしたように口をとがらせる。

「もっとメイドっぽいのを想像してたよ」

「いや、シャンゼリゼ、そういう喫茶店じゃないから」

志保が制服のままソファに腰かけた。

「でも、似合うと思います」

たまきがそういうと、亜美と志保の視線がたまきに集中した。

「似合う? メイド服が? あたしに?」

「お、たまき、お前メイド趣味か? 志保、ちょっと『おかえりなさいませ。ご主人様』って言ってみろよ」

そういって二人はけらけらと笑う。

「あ、いや、そういう意味で言ったんじゃなくて、その、今の制服が志保さんに似合ってるっていう意味で……」

たまきは弁明しながら、顔を赤らめて下を向いた。

「ふふ、ありがと」

志保はそう言って優しく微笑むと、

「でも、メイド服はあたしより、たまきちゃんの方が似合うと思うなぁ」

と、たまきにとっては余計な一言を付け足した。

「え? それってどういう……」

たまきが顔を赤くしたまま志保を見る。

「たまきちゃんてさ、いつもどちらかというとふんわりとした、もこもことした服着ること多いじゃん。メイド服もそんな感じだし、小柄で童顔でかわいい系だから、あたしよりもメイド服に合うと思うよ」

「お、確かにそうかもな。ほら、『モエモエキュン』って言ってみろよ」

たまきは今度は、顔を赤めるとそっぽを向いた。そんな何の意味もなさそうな言葉、絶対にいうもんか。

 

十一月の冷たい風がガタガタと窓ガラスを揺らす。それが目覚ましの代わりであるかのように、たまきはのそのそと起き上がった。

とある日のひるすぎ。志保はバイトに行ったらしく、いない。亜美はどこかに行ったらしく、いない。そういえば夕べもいなかったから、「仕事」に出かけたまんま帰ってきてないのかもしれない。

たまきはやることもなく、「城」の中をぼうっと眺める。

そう、たまきはやることがない。

今までは、亜美の「稼ぎ」を三人でやりくりしていた。だが、志保がバイトを始めると、いよいよもって働いていないのはたまきだけになってしまった。まあ、亜美を「労働者」に含めていいのか疑問が残るが、お金を稼いでいるのは間違いない。

志保がバイトの面接に受かった、という話を聞いた日から、たまきはどことなくいたたまれなさを感じていた。シブヤで感じた場違いな思いとはまた違った、自分はここにいてはいけないかのような何とも言えないいたたまれなさ。

自分も何か働かなければ。そんな焦燥感がたまきの心にまとわりつくように離れなかった。

でも、とたまきは遠くを見る。遠くを見るようで、実は自分の眼鏡のレンズを見ているのかもしれない。

たまきにできる仕事なんて、果たしてあるのだろうか。

まだ眠気の残る頭を回転させてみても、「絵を描く」以外にできそうなことが見つからない。

でも、絵を仕事にできる人なんて、きっと一握りだろう。ゴッホも生前は絵が1枚しか売れなかったという。

そもそも、たまきはどうしたらバイトを見つけられるのかを知らない。「ハローワーク」という言葉を何となく聞いたことがあるが、何か関係があるのだろうか。

そんなことをぼんやりと考えていると、ぐぅうとたまきのおなかが鳴った。

たまきは死にたい。

なのにおなかが減る。

だから、ご飯を食べに行く。

たまきに弁証法はまだちょっと早いみたいだ。

 

写真はイメージです

太田ビルの階段をこつこつと下る。2階のラーメン屋のドアを開ける。券売機にお金を入れていると、

「いらっしゃいませー!」

という店員の大声が聞こえ、たまきは帰ろうかと思ったが、もうお金を入れてしまったので、仕方なく「ミニチャーハン」のボタンを押した。

午後二時過ぎのラーメン屋は都心の歓楽街とはいえ人はまばらだ。

食券を持ってカウンターのいすに腰掛ける。カウンターの向こうから見慣れた顔がたまきを覗き込んだ。

「いらっしゃい、たまきちゃん」

ミチがにこっと微笑むと、たまきの前に水の入ったコップを置いた。。

「……こんにちわ」

たまきが目線を合わせることなく答える。

「ひとり? 珍しいね」

「まあ……」

ミチはたまきの食券を手に取ると厨房へと向かっていった。直後に会社員風の男性が入ってくると、ミチは再び、

「いらっしゃいませー!」

と声を張り上げ、笑顔で接客に向かう。

たまきはミチの姿を、羨望とあきらめのまなざしで追いかけた。

あんなの、私には無理だ。

人から見られる場所にずっといて、楽しくないのに笑顔を見せ、知らない人と話す。

それができないからたまきは学校に行けなくなったのに、ミチにとってはきっと何でもないことなんだろう。

世の中にはたまきにとっては苦痛でしかないような仕事を、「楽しい」と言ってのける人がいる。志保も「あたし、接客業好きかも」なんて楽しそうに話していた。

たまきは「接客業」と書かれた紙を、頭の中でごみ箱に捨てた。

ミニチャーハンが運ばれてきた。軽い絶望感をチャーハンの味でごまかすように、たまきはレンゲを口へと運ぶ。

控室らしき扉から女性が一人出てきた。その顔にたまきは見覚えがあった。ミチのカノジョの海乃という人だ。ラーメン屋の制服に身を包み、ウェイブのかかった髪を後ろで結んでいる。海乃はたまきと目が合うとたまきを指さし、

「あ、ひきこもりのたまきちゃん!」

と声を上げた。

どうしてわざわざ「ひきこもり」をつけるのだろう。だったら、「会社員の田中さん」に会ったら、「あ、会社員の田中さん!」というのだろうか。きっと、いや、絶対に言わないだろう。

「みっくん、休憩入っていいよ」

海乃はミチに声をかけると、両手を開いて胸の前で構えた。ミチも同じようにして海乃に近づくと、

「イエーイ!」

と両手をタッチした。その様子をたまきはぼんやりと眺める。

あの二人はいつもあんなことをしているのだろうか。

 

写真はイメージです

「4番テーブルのお客様、コーヒー二つとモンブラン、あとチーズケーキです」

志保はそういうと伝票をキッチンに置こうとした。洗い立ての制服が「シャンゼリゼ」の照明の光の粒子をやさしく反射している。

「志保ちゃん」

そう言って近づいてきたのは田代だった。

「注文、本当に『チーズケーキ』だった? 『レアチーズケーキ』じゃなくて?」

「え……あ……確認してきます……!」

田代に言われて自信がなくなった志保は、もう一度注文を聞きなおしに客のいるテーブルへと戻っていった。

「すいません……! 『チーズケーキ』じゃなくて、『レアチーズケーキ』でした。本当にごめんなさい!」

キッチンへ駆け寄ると志保は深く頭を下げた。

頭を上げようとすると、何かが志保の髪に触れた。それは、志保の頭をやさしくポンポンと叩く。

「気にしなくていいよ。俺もさ、新人の頃よく間違えたからさ」

志保の髪にやさしく触れていたのは、田代の右手だった。志保は田代の腕を見上げる。

色は白く、細く、欠陥が浮き出ている。しかし、細いながらも、筋肉の質感を確かに感じさせる。

優しくも、見た目には表れないたくましさがある、そんな腕だった。

「ん? どうしたの、志保ちゃん?」

いつの間にか田代は腕を引っ込め、ぼうっとしている志保を不思議そうに眺めている。

「あ、いえ、その……、大したことじゃないんです。あ、あたし、ホール戻りますね」

そういうと志保はキッチンとホールの境にあるのれんをくぐってホールへと戻った。戻ったところで、一回、深く深呼吸をする。

チーズケーキとレアチーズケーキ、メニューに紛らわしいのがあるから気を付けること。これは、研修の最初の段階で言われていたことだ。こんなの、かつての志保だったら一回で覚えられたはずだ。志保は暗記、記憶力には絶対の自信を持っていた。

ところが、実際ホールに立ってみると、研修の時に聞いた忠告を忘れて二つのメニューを混同し、指摘されるまでそれに気づかなかった。

まだバイトに入りたてだから、という言い訳も考えたが、実は志保はここ1年ほどで記憶力が徐々に落ちていることを痛感していた。

記憶力だけではない。体力も確実に落ちている。「城」へと続く階段を上がるたびに息が切れている。

これも薬物の影響なんだろうか……、と思考がそっちに切り替わりそうになるのを、志保はすんでのところで食い止める。

今は、バイトに集中! そう自分に言い聞かせた志保だったが、直後、髪の毛に田代の腕が触れた感触が蘇る。

鼓動が高鳴るのを確かに感じた志保は、田代の方をちらりと見る。

田代は若い女性客を接客していた。その姿に、志保は言いようのない嫉妬を覚える。

今はバイトに集中! 集中! そう志保は自分に言い聞かせた。

 

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次の日、たまきは一人でいつもの公園を訪れていた。

シブヤで買った黒いニット帽をかぶり、同じくシブヤで買った黒いセーターを着こみ、誕生日にもらったリュックサックを背負っている。

いつの間にか公園の木々はすっかり葉を落とし、細い枝のみを空に向かって伸ばしている。

たまきは「庵」の前にやってきた。樹木が葉を落としたことで、前よりも「庵」は外から見やすくなっている。

庵の前に置かれた椅子に仙人が腰かけ、カップ酒を飲んでいる。

たまきはぺこりと頭を下げて仙人にあいさつすると、「庵」の方へと近づいていった。

「やあ、お嬢ちゃん」

仙人がたまきを見て目じりを下げる。

「……こんにちは」

たまきはそういうと、仙人の隣に腰かけた。

リュックサックからスケッチブックを取り出すと、無言で仙人にそれを見せる。

「どれどれ……」

仙人はスケッチブックを眺める。その様子を、たまきは恐る恐る横から見る。仙人は無言のままスケッチブックの絵を眺めているが、表情からしてけっしてつまらないわけではなさそうだ。

仙人は厚手のジャケットを着ている。これからどんどん寒くなるのに、こんなところで生活していて大丈夫なんだろうか。

「よかったよ」

そういって仙人はスケッチブックを返した。

「実にお嬢ちゃんらしい、いい絵だった。技術も初めて会ったころよりは上がっておる」

「でも……、売り物にはならないですよね……」

たまきはスケッチブックをリュックサックにしまいながら、伏し目がちにそう尋ねた。

「まったく売れんわけではないとは思うが……、金もうけをしようと思うんだったら、話は別だな。お嬢ちゃんの絵は、いわゆる商業的な絵とは少し違う」

つまりは、よほどの物好きではないと買おうとは思わないということだろう。

「そうだな……、お嬢ちゃんの絵だけを売るとなると少し難しいかもしれんが……、例えば、本の挿絵とか、お嬢ちゃんの画風を生かせるものと一緒に売るなどという方法はあるかもな」

仙人はそういうと、カップ酒をぐびりとあおる。

「その……、ゴッホみたいに……、ものすごい値段で売れるなんてことは……」

「絵に何万も何億もの金を出すやつなんて、絵の価値がわからん奴だ。価値がわからんから金額に置き換えるんだ。考えてもみなさい。絵なんて、キャンバスに絵の具を塗って、額縁で囲っただけ。原価二万円くらい。だとすれば、どんなに高くても絵の値段なんて10万くらいが本来の値段だ。それが『芸術性』とやらでウン千万にもウン億にも跳ね上がるわけだが、芸術性を金額であらわそうとする時点で、そもそも芸術がわかっとらんということではないのかね」

そういうと、仙人は再びカップ酒を口に含む。

「同じ芸術でも本やレコードは、中にどんなことが書かれていようが、どんな曲が入っていようが、それで値段が変わることはまずない。まあ、中古なら多少の変動はあるかもしれんが、芥川の小説は文庫でも何十万とか、ビートルズのレコードは何千万とか、そんな馬鹿な話はない。誰の作品だろうと、本はみな同じ値段だし、レコードはみな同じ値段だ。要は、『芸術性』に値段なんて最初からついちゃおらんのさ。それを買い手が勝手にやれ希少価値だなんだと、芸術とは関係のないところで値段を釣り上げた結果、フィンセントの絵は何億という値段になってしまった。ばかばかしい」

「あ、あの……」

芸術論を語る仙人に水を差すのはなんだか申し訳ない気がしてきたが、たまきは勇気を振り絞って質問をぶつけた。

「仙人さんは……、普段どうやってお金を稼いでいるのですか……?」

たまきの問いかけに仙人はにやりと笑う。

「はっはっは。『稼いでいる』、か。稼いどったら、こんなとこにはいないなぁ。まあ、それでもいいなら話してやろう。」

仙人は空になったカップ酒の便を傍らに置いた。

「わしは主に空き缶を拾って生活しとる」

「空き缶……ですか?」

「そうだ。道に落ちとるのもそうだし、ごみ箱に捨てられてるものもある。それを拾っておる」

「拾ってどうするんですか?」

「売るのさ。空き缶をつぶしてリサイクルしとる業者にな」

「その……空き缶拾いって……、一人でするんですか?」

「ん? ……ああ、そうだな」

たまきの質問の意図がわかりかねたのか、仙人は少し怪訝そうな顔を見せた。

たまきは、少し体を、仙人の方に傾けた。

「わ、私にもできますか?」

今度は仙人は驚いたようにたまきを見た。

「お嬢ちゃん、空き缶拾いがしたいのか? お嬢ちゃんはまだ若い。そんなホームレスの真似事なんぞしなくても、もっといい仕事はたくさんある。空き缶拾いの話なんか聞いたって、お嬢ちゃんの役に立つとは思えんがなぁ」

「それでも……いいので……」

たまきの言葉に何か切実なものを感じ取ったのか、急にまじめな顔つきになって、あごのひげを触りながら、

「そうだな……」

とつぶやいた。

「まあ、基本は体力勝負だ。丸一日自転車を走らせ、町中のごみ箱をめぐり、ごみ袋がパンパンになるまで拾う。一袋、2キロぐらいかな」

「にきろ……」

「その袋を二つ、三つと一気に運ぶ」

そんな重いもの、持ったことあるかな、とたまきは不安になってきた。

「パンパンになった袋が二個か三個ぐらいになるまで集めるのが普通だな」

「それで、いくらくらいになるんですか……」

「そうだな……、缶の種類によっても違うんだが……、大体1キロ100円以内だな」

重いごみ袋を持って一日中駆けずり回って、千円にもならない。

いや、そもそも、稼げる稼げない以前に、たまきにこういった仕事はできない可能性の方が高そうだ。ジュースの缶を一人じゃ開けられないのに、その缶を何キロも担いで街を回るなんて。

たまきは「力仕事」と書かれた紙も、頭の中のごみ箱に入れた。

 

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それから何日かして、たまきはまたリストカットをした。前に切った時から十日経っていた。

たまきは亜美に連れられて、舞の家を訪れた。

たまきの手首に包帯を巻きながら、舞は亜美に向かって話しかける。

「どうしてたまきを連れてきた」

「だって先生が、たまきが切ったら必ず見せろって……」

亜美が舞の冷蔵庫から勝手に拝借したチョコを食べながら答える。

「だからって血がどろどろ流れてるのに連れてくる馬鹿がいるかよ。電話すればこっちから行った。傷口から雑菌が入って炎症を起こすことだってあるんだぞ! タオルがガーゼ当てて、傷を高く掲げて、あたしが来るまでおとなしく待ってろ!」

「先生、なんか医者みたい」

「医者だバカ! 今まであたしのことを何だと思ってたんだ!」

舞が亜美をキッとにらみながら言った。

「でも、医師免許はもう捨てちゃったんでしょ?」

「いやいや、病院勤務を辞めただけで、医師免許はちゃんとまだ持ってるぞ」

舞は深いため息をつくと、たまきの腕の包帯をぎゅっと縛った。

「よし、終わりだ」

たまきは舞にぺこりと頭を下げる。

「大体、今回の傷は結構深いぞ。その状態でお前らここまで歩いてきたのか? よく通報されなかったな」

舞が余った包帯を救急箱にしまいながら言った。それに対して、亜美があっけらかんとして答える。

「あ、歩いてきたんじゃなくて、ビデオ屋の店長がビルのわきに自転車止めてたから、それ借りて後ろにたまき乗せて……」

「アウトだバカヤロー!」

救急箱を片付け始めた舞が声を上げた。

「アウト? なんで? あ、さっき言ってた、バイキンがウンタラとかそういうの?」

「二人乗りが普通にアウトだって言ってんだよ!」

「え? なんで?」

「そういう法律だバカ!」

舞が救急箱を乱暴に戸棚に押し込めながら、がなる。

「でも、たまき、血ぃ出してんだよ? ほら、救急車ってそういう時、何でもありじゃん?」

「救急車は何でもありじゃねぇし、そもそもお前は救急車じゃねぇ!」

「じゃあ、走ってくればよかったの?」

「連れてくんなって最初から言ってるだろ!」

舞はソファの上にどさりと体を投げ出すと、深々とため息をついた。

「もうやだ……、疲れた……」

「たまき、先生疲れたってさ。ちゃんと謝んな」

「ごめんなさい」

「たまきにじゃねぇよ! 亜美、お前との会話に疲れたんだよ!」

「え、なんで?」

意味が分からない、と言いたげな亜美の顔を見て、舞はまたため息をつく。

「ねえねえ、なんでウチと話してると疲れるの?」

「たまき……、助けてくれ……」

舞はゾンビにでも襲われたかのようにげっそりとした顔でたまきの方を向いた。急に話を振られてたまきは驚く。

「え、わ、私ですか? た、助けるってどうやって……」

「なんでもいい。話題を変えてくれ。あたしはもう、コイツとの会話に疲れた……」

そんなこと言っても、すぐに思いつく話題なんて……。

「ら、ライターのお仕事ってどういうのなんですか?」

たまきの言葉に、亜美も舞も驚いたような目でたまきを見た。

「お前、急にどうした?」

「え、だって、舞先生が話題変えろって……」

「いや、そうだけど、お前の口から仕事の話が出るとはな……」

「変ですか……?」

たまきは少しうつむきがちに尋ねたが、舞は、

「大丈夫だ。お前はもともとヘンだから」

と、どう解釈したらいいのかわからないことを言った。

「お、たまき、仕事にキョーミがあるのか?」

亜美が身を乗り出して尋ねる。たまきは、

「……いえ……その……」

とこれまたどう解釈したらいいのかわからないことを言った。

「じゃあさ、今度、ウチのシゴトバに社会科ケンガ……」

「絶対に嫌です」

今度はたまきははっきりきっぱり言葉にした。

「ライターの仕事か……、そうだな……」

舞は少し天井を見つめるようなしぐさを見せた。

「少なくとも、病院に勤めていたころよりは気が楽だな。朝、電車乗らなくていいし、あまりに人に会わなくていいし、ある程度の融通は効くし」

「わ、私にもできますか?」

たまきはまた、舞の方に体を傾けて尋ねた。

「なに書くのさ?」

「え……!」

舞の言葉に、たまきの顔が少しこわばる。

「日本は識字率が高いから、『文章を書く』程度だったら、ほとんどの人ができる。だからこそ、何か突出した才能や個性が必要になってくる。あたしの場合は医者だったから医療系に特化した記事を書くようになったけど、お前はどうするつもりだ?」

「どうする……?」

そんなこと言われても、人に話せるような引き出しがたまきには何もない。

やっぱりたまきは何の役にも立たない、「ひきこもりのたまきちゃん」のようだ。

「せんせー、ウチもしつもーん」

「疲れないやつにしてくれ」

舞が亜美を見ることなく言った。

「先生さ、ライターやめようと思った事あんの?」

「ん? 何度もあるぞ」

舞が、亜美が机の上に散らかしたチョコを食べながら言う。

「へぇ、いつ?」

「最近だとおとといくらいだな」

「ついこの前じゃん。なんかあったの?」

亜美もチョコをほおばりながら言う。

「よく仕事もらってた雑誌の廃刊が決まって、そうなると収入面で結構打撃でな、そろそろ廃業して、病院勤務に戻ろうかな、って頭によぎったよ」

「ライター辞めちゃうんですか?」

たまきが心配そうに舞を見た。

「ま、三か月に一回くらい、『廃業』の二文字は頭にちらついてるからな、この程度はよくある話だ。ライターに限らず、あたしみたいなフリーランスの欠点はとにかく不安定なところだな」

そういうと舞はたまきの目をまっすぐに見て、

「ちょっとは参考になったか?」

と言ってほほ笑んだ。

「……まあ」

「たまきにできる仕事はなさそうだ」と結論付けるのには、役に立つ話だった。

そんなたまきの肩を亜美がポンと叩く。

「ま、いきなりライターみたいな働いてんのか働いてないのかよくわかんない仕事よりはさ」

「お前に言われたくねぇよ!」

舞ががなる。

「とにかく、まずは簡単なバイトから始めてみたらいいじゃん」

「……亜美さんは私にアルバイトができると思いますか?」

「さあ、ウチ、やったことないからわかんない」

亜美は白い歯をにっと見せて笑った。その後ろで舞が深くため息をつく。

「何のバイトをやるにしてもたまき、まずは面接に受からんといけないぞ」

「はい……」

たまきがさみしげにつぶやいた。

それが問題なのだ。どんなアルバイトをするにしても、大体が面接で決めるという。

人と話すなんて、たまきが一番苦手なことなのだ。

「自信なさそうな顔してんな」

舞はそういうと微笑んだ。すると亜美が

「じゃあさ、コンビニで履歴書買ってきてさ、先生相手に練習すればいいじゃん」

どこか他人事のように言った。

「なんであたしがやらなきゃいけないんだよ」

「だって、先生、仕事なくなっちゃって暇なんでしょ?」

「……悔しいけど、暇だ!」

舞は本当に悔しそうに言い放った。

 

亜美がコンビニで買ってきた履歴書に、たまきが鉛筆で記入する。

「ほんとはボールペンの方がいいんだけどなぁ」

履歴書に書き込むたまきのつむじを見ながら舞が言った。

「さて、設定どうするかな……。あたしが学生の頃、ドラッグストアでバイトしてたから、それでいいか」

「……はい」

たまきが力なく答えた。

「……できました」

たまきは顔を上げると、自信なさげにそういった。

「じゃあ、はじめっか。えー、次の方どーぞー」

舞は病院の診察室の呼び出しみたいな感じで言った。

「……よろしくお願いします」

たまきはぺこりと頭を下げると、履歴書を舞の方におずおずと差し出した。

「たまき、こういうのは相手の読みやすい方向で渡した方がいいぞ」

舞が履歴書をくるりと上下反転させた。

「あ、ご、ごめんなさい」

たまきが力強く、メガネがずれるんじゃないかという勢いでぶんぶんと頭を下げる。

「ま、本番でやらなければいいから」

そういって舞は履歴書に目を通す。

氏名の記入欄にはひとこと「たまき」。

ご丁寧に、ふりがなの欄も埋めてある。ふりがなももちろん「たまき」。

「お前、名字はどうした?」

たまきは答えない。

「名字はどうした。家に置いてきたのか?」

たまきは下を向いたまま答えない。

「……ま、練習だしな」

舞はそう呟くと次に住所欄を見る。

今度は何も書いてない。

「ま、練習だしな……」

舞は自分に言い聞かせるようにそう言った。

「では、なぜうちのバイトを志望したのですか?」

「……え、えっと、なんて答えれば……」

「まあ、バイトだからな、そんなたいそうな動機じゃなくても大丈夫だよ。お金が欲しいからとかでもいいし、ウチから近かったからでもいいさ。ただし、はっきりと答えること」

「え、えっと、その、お金が欲しくて……、それで……」

たまきはまるで初めて日本語を話すかのような困惑した顔をしている。

「……たまき」

舞は、なるべく威圧しないように、声色を選んで話した。

「お前がそういうの苦手なのはわかるけど、面接の時ぐらいはちゃんと相手の目を見て話さないと、印象が悪くなるぞ」

「……はい」

たまきは申し訳なさそうにうつむくと、

「ありがとうございました……」

と言って履歴書を手に取って下がった。

その時、少し堅苦しい空気を、打ち壊すかのように亜美が手を挙げた。

「せんせー、ウチも履歴書できたから、面接してー」

「は? なんで?」

舞が心底イヤそうな顔をして亜美を見た。深く深くため息をつくと、

「次の方どーぞー……」

とやる気なく言った。

たまきが座って居た席に、今度は亜美が座る。亜美は片手で履歴書を

「ほい」

と舞に差し出した。舞は無言で受け取る。

氏名欄にはただ一言「亜美」。

何を気取っているのか「ふりがな」のところには「ami」と書いてある。

「だから、お前ら、名字を書け!」

舞があきれたように言った。

「えー、名字、必要なくない?」

「本名書かない履歴書なんかあるか、バカ」

「でもさ、ほら、キャバ嬢とかって、本名と違う名前で働いてるじゃん」

「おい、ドラッグストアって設定だろ……。それにな、キャバクラとか風俗だって、履歴書にはさすがに本名書くぞ」

「詳しいじゃん。先生、そういうのやってたの?」

「一般常識だ、バカ!」

舞はだんだんイライラしているかのように顔をしかめていくが、亜美はあっけらかんとにこにこしている。

「でもさ、先生、まだ若いし、スタイルいいし、キャバクラとかまだまだいけるんじゃない? 仕事なくなっちゃったんでしょ? キャバクラだったら稼ぎもいいし、この町だったら通いやすいじゃん。週末とか、シフト入れる?」

「面接してるのはあたしだ! お前は面接される方!」

舞が机の上の履歴書をバンバンと叩いた。

舞は深い深いため息をつきながら、住所の欄に目を通す。

住所欄には「東京都、城」。

もう、これにはツッコまないことにした。いちいちツッコんでいたら、寿命が縮まりそうだ。

舞は脚を組みなおすと、履歴書を見ながら言った。

「大体、お前の方こそ、いまみたいな暮らしをするくらいなら、キャバクラでも風俗でも、どっかの店に入った方が、まだましなんじゃないのか。十九歳が働けるのかどうか知らんけどさ」

すると亜美はあっけらかんとして、

「ウチ、人に雇われるの嫌いなんだよねー」

「じゃあ面接なんかやめちまえ!」

舞は亜美の履歴書をぐしゃりとつかむと、ごみ箱にたたきつける。

「ちょっと、捨てることないじゃん!」

亜美がごみ箱からしわしわになった履歴書を拾う。一方、舞はソファの上にごろりと横になった。

「もうやだー! 疲れたー!」

「たまき、先生疲れたってさ。カワイソウだから帰ってあげようぜ」

「は、はい。お、お邪魔しました」

「またねー」

「とっとと帰れー!」

舞がソファに寝転がったまま怒鳴った。

部屋のドアがばたりと閉じた。

 

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志保が息を切らせて階段をのぼり、「城」へと帰ってきた。ドアの前で呼吸を整えると、軽くノックしてから中に入った。

中では亜美がソファに腰かけて、携帯電話をいじくっている。一方、たまきはその反対側のソファの上で、ひざを抱えて横になっていた。

「ただいまー」

「お、おかえり」

と亜美が反応した。少し遅れて、

「……おかえりです」

とたまきが力なく答えた。

「どうしたの? 元気ないね」

と志保が、いつものように声をかける。

たまきは返事をしなかった。その代わり、答えたのは亜美だった。

「たまきは今、仕事について悩んでるんだってさ」

「しごと?」

「ああ、自分にできる仕事がないつって」

志保がたまきの方を見る。たまきも志保の方をちらりと見ると、目線を下の方に外して、

「けっきょく私は、何の役にも立たない『ひきこもりのたまきちゃん』なんです……」

とつぶやいた。

「ちゃん?」

「あ……、いえ……、その……、ひきこもりちゃんなんです」

なんだか、言い直さない方がよかったような気もする。

「何の役にも立たないなら、私は何のために生まれてきたのでしょうか……」

「……なんだか哲学的だね」

「ウチらは何のために生まれてきたのだろうか。ウチらはなぜ生きてるのだろうか。ウチらはどこへ向かって歩いていくのだろうか」

と亜美がガラにもなく哲学的なことを言った。

「亜美ちゃんまでどうしたの?」

「たまにはテツガクしたくなる夜だってあるさ」

今はまだ夕方である。

「たまきちゃんが何の役にも立ってないなんて、あたしは思わないけどなぁ」

志保はそう言ってほほ笑むと、たまきのすぐ隣に腰を下ろした。

「でも、私は亜美さんみたいにお金稼いでないし、志保さんみたいに働いているわけでもないし……、料理ができるわけでもないのに……、本当にここにいてもいのかなって……」

まるで亜美はお金は稼いでいるけど働いていないかのような言い方だが、幸いにも、亜美はそのことに気付かなかったらしい。

一方、実は志保は「その言い方じゃ、亜美ちゃん働いてはいないみたい……」ということに気付いていたが、あえて気づかないふりをして話を進めた。

「わすれちゃった? たまきちゃんがいなかったら、今頃あたしは、ここにはいないんだよ?」

「え?」

たまきがうつむいた顔を上げて、志保を見る。

「あたしがライブハウスで財布盗んだとき、たまきちゃんが引き留めてくれなかったら、あたしは今頃ここにいないんだよ。みんなでシブヤでカラオケすることもなかったし、たまきちゃんの誕生日を祝うこともなかった。全部、あの時たまきちゃんが引き留めてくれたからだよ。本当に感謝してる」

たまきは、言葉が出なかった。

「だから、たまきちゃんが何の役にも立っていないなんて、そんなことないんだよ。ただ、ここにいる。それだけでたまきちゃんは十分あたしの、ううん、みんなの役に立ってるんだよ。ただ、ここにいる、それだけでいいんだよ」

「……そうなんですか?」

何もしなくても、そこにいるだけでだれかの役に立つ。本当にそんなことあるのだろうか。

「だいたいなぁ」

そういって亜美が携帯電話を置いて立ち上がった。

「役に立たないからここにいちゃいけない、生きてちゃいけないなんて考えてるのがそもそものマチガイなんだよ。『ただ、ここにいる、生きている』って当たり前のことしてんのに、どうして誰かの役に立ったり、誰かの許可を得なければいけないんだよ。役に立たなくたって、許可が下りなくたって、生きてくしかないじゃん。生きてんだから」

そういうと亜美は胸の前で腕を組んだ。

「だから、ウチらが家賃を払わなくたって、ただ、ここにいるだけなんだから、誰かの許可なんて必要ない!」

「それ言いたいだけでしょ、亜美ちゃんは~」

志保が苦笑した。

「でも……」

とたまきはまたうつむきがちに言った。

「やっぱり、私はいつも役に立っているわけじゃないし……」

志保はまだどこか不安げなたまきを見ると、少したまきの方に詰め寄った。

「たまきちゃんは、いまでもちゃんと役に立ってるよ。言ったでしょ? たまきちゃんがいるから、あたしは今、ここにいるんだって」

「でも、ただここにいるだけでいいっていうのはさすがに……」

「そんなことないよ。たまきちゃんはここにいるだけで、十分なんだから。例えば……」

そういうと、志保は亜美の方をちらりと見て、

「前々から思ってたんだけどさ、あたし、あの人と合わないんだよねぇ。たまきちゃんがいなかったら、今頃、自分から出て行ってるかも」

と言ったので、たまきは驚いて、志保と亜美の顔を交互に見比べた。

志保と亜美が合わないなんて、そんなことないだろう。だっていつも、二人で話してて、たまきはいつも話に入るタイミングを見計らって、結局は入れない。話題も学校の友達の話とか、恋愛話とか、メイク道具の話とか、テレビの話とか、たまきには縁遠いことを二人で話している。二人が性格合わないなんてそんなこと……、

「同感だね」

亜美がそういったので、たまきはますます驚く。

「ウチも前々から思ってたんだけどさ、ウチら、合わないよ」

「え? そうなんですか?」

たまきが大きく目を見開いて、志保の方を見た。

「だってさ、たまきちゃん、信じられる? あの人、誰とでもエッチできるんだよ?」

「おい! 今の言い方はゴヘイがあるぞ! 別に『誰とでも』ってわけじゃねーよ。ウチにだってオトコの好みぐらいあるわ!」

「でも、別にカレシ以外の人とも平気でエッチできるでしょ? そういうのを『誰とでも』っていうんです!」

「だってさ、毎回おんなじオトコとヤッてたらさ、飽きない?」

「飽きないよ! 何言ってるの⁉」

「でもさ、いくらカラアゲ好きでも、毎日カラアゲ食ってたら飽きるだろ? それと一緒だよ」

「恋愛とから揚げは一緒じゃないよ!」

そういうと、志保はたまきの方に向き直り、詰め寄った。

「わかったでしょ? あたし、あの人と合わないの。たまきちゃんが一緒にいてくれるから、何とかやっていけてるんだよ」

「そ、そうだったんですか……」

そんなに自分の存在が大事なのか、とたまきは不思議に思う。

「確かに、たまきの存在は大きいかもなぁ」

そういって亜美が、すぐ近くのソファに腰を下ろした。

「たまきの存在は何つーか、ウチら二人の間に入れる……ほら……」

「緩衝材?」

志保が亜美の方を見て尋ねる。

「そうそう、それ。コンドームみたいなもんだよ」

「え⁉」

たまきの表情がこわばり、志保が

「全然違うよ!」

と素っ頓狂な声を上げた。

「え? ちがうの? 似たようなもんだろ? だって、コンドームって、アレとアソコの間に……」

「もう、この人やだー! 疲れたー!」

志保はたまきの方を向くと、ぬいぐるみでも抱くかのように、勢いよくたまきに飛びついた。

「ふええ!」

慣れないことをされて、たまきが変な声を上げる。

「ねえねえ、なんでみんな、ウチと話してると疲れるの?」

「たまきちゃん助けてぇ!」

亜美が志保の体を揺さぶる。同時に、志保が抱きついているたまきの体も揺れる。

ゆっさゆっさと揺れながら、たまきは考えた。

こんな私でも、誰かのそばにいるだけで、抱きつかれるだけで役に立つのなら、

こんなに幸せなことはない。

……のかな?


次回 第19話「赤いみぞれのクリスマス」

クリスマス、何も起きないわけがない。

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クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」