小説 あしたてんきになぁれ 第39話「お葬式、ところによりバスケ」

 

お寺でバイトを始めた志保、そして、あいかわらずラクガキ探しをするたまき。あのキャラの過去にも少し触れるかも? 「あしなれ」第39話、スタート!

第38話「地図ときどき異界、ところにより二丁目」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


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「それじゃ、今までカレシがいたことないの?」

ミチのお姉さんの問いかけに、たまきは無言で頷いた。

「付き合うまでいかなくてもさ、デートしたりとかさ」

またしてもたまきは無言で、首を横に振った。

「じゃあ、このまえミチヒロと出かけたのが、ほんとに初めてってこと?」

たまきは頼りなさげに、うなずいた。

ここはスナック「そのあと」、いまはランチタイムである。

ランチの焼きそばを食べに来たたまきに、ミチのお姉ちゃんは彼女の恋愛遍歴を聞いていた。まじめでおとなしそうな印象だけれども、同年代の男の子の家にいきなり転がり込んでお泊りする度胸を持っている。見た目に反して、実は意外と男を手玉に取る魔性の女なのではないか……。

と思って聞いてみたのだけれど、さっきからたまきは、申し訳なさそうな返事ばっかり。

「クラスの男子からさ、かわいいとか、言われなかった?」

「とくには……」

「え~? たまきちゃんのクラスの男子、見る目ないなぁ」

見る目があるどころか、たまきが彼らの視界にはたして入っていたのかどうか、疑わしい。

「片思いとか、それくらいあるでしょ?」

「……別に」

「……この人かっこいい、とかさ?」

「かっこいい……?」

「クラスの男子じゃなくてもさ、芸能人とかでさ、いない?」

「かっこいい……」

たまきはしばらく、宙を見つめていたが、

「……ライオン……とか?」

ダメだこりゃ。

「たまきちゃんぐらいの年ごろだったら、ふつうはもっと男子に興味あるんじゃないの?」

「私は……ふつうじゃないので……」

なんだか尋問しているみたいで、ミチのお姉ちゃんは気が引けてきた。

話題を変えようと、たまきの荷物に目を向けてみた。グレーのリュックサックの中から、丸めた白い紙が飛び出している。

「その紙は何? 宝の地図か何か?」

と半ば冗談めいていってみた。それに対してたまきは、

「まあ、それみたいなものです」

と、少し意外な返答をした。

「え、ほんとに宝の地図なの?」

「まあ、地図であることは間違いないんですけど……」

「へえ。見せて見せて」

たまきはカウンターの上に地図を広げた。例の「鳥のラクガキ」の場所を示した地図である。

その横にたまきはスケッチブックを置くと、たまきが模写した鳥のラクガキの絵を見せながら説明した。

「へぇ。こんなところにそんなものあったかなぁ?」

ミチのお姉ちゃんは地図の中の自宅に近い部分を見ながら言った。

そこにドアが開いて

「姉ちゃん、メシ~。あ、たまきちゃん来てるの」

とミチが入ってくる。

「……こ、こんにちは」

「……何してんの? 二人とも」

ミチはカウンターの上の地図を見て、次にたまきと姉を見て、首をかしげる。

「あ、わかった。これ先輩たちのナワバリの地図でしょ?」

なんか前にもそんなことを言われた気がする。

いま、ミチのお姉ちゃんにした説明を、もう一回ミチにするのは面倒だな、とたまきが思った時に、お姉ちゃんのほうがスケッチブックを手に取り、

「なんかね、こういうラクガキ、探してるんだって」

「ラクガキ?」

ミチがスケッチブックの鳥をのぞき込み、もう一度首をかしげる。

「そ。あんた、見たことない?」

「えー、ないけど」

そういうとミチはたまきの方を向いた。

「ラクガキなんて探して、どうするのさ」

「どうする……?」

どうすると聞かれても、困る。

返事のないたまきに、ミチも興味を失ったのか、たまきのすぐ隣のイスに座ると、

「姉ちゃん、メシー」

とだけ言った。

「ちょっと待って」

「待ってるから、メシー」

「イヤそうじゃなくて、この絵、よく見せて」

お姉ちゃんは再びスケッチブックを手に取り、鳥の模写を見つめる。

「姉ちゃん、メシー」

「うるさい。そこら辺の草でも食ってなさい」

お姉ちゃんは弟を軽くあしらうと、たまきの方を向いて、

「もしかしたらこれ、見たことあるかもしれない」

と言った。

「ほんとですか?」

「うん、変なところにラクガキあるなぁ、って思ったやつが、こんな絵だった気がしてきた」

ミチのお姉ちゃんは、今度は地図の方を向く。

「この地図で言うとね~……」

と、地図の下の方を指でなぞっていたが、

「あ、これ、地図の外側だ」

と、お姉ちゃんは、地図からはみ出して外側を指さした。

「このへんの線路沿いにね、線路をまたぐ道があってね、その下に公園があるのよ。そこに階段があってね、そこの天井にこんな絵があった気がするのよ」

説明を受けたけど、たまきにはいまいち、場所の状況がわからない。

「ミチヒロさ、知らない。線路沿いにあっちの方に行くと、橋の下に公園があるの」

「えー。知らねぇけど」

いまだ空腹のミチは口をとがらせながら答える。

「橋はわかるでしょ。線路をまたぐ道路のやつ」

「二つとなりの駅にある、あれ?」

「そーそーそーそー。あんたさ、いまからそこにたまきちゃん連れてってあげなよ」

「え?」

「は?」

ミチとたまきが、同時に互いを見て、それからお姉ちゃんの方を見る。

「やだよ。オレ、これからメシなのに。姉ちゃんが連れてってあげなよ」

「あたし、これから夜の営業に備えて寝るんだもん。そんなとこまで行ってる暇ないって」

「俺のメシ、どうすんのさ」

「だから、そこら辺の草でも食べてなさいって」

「あ、あの、私、迷惑になるんで、もう帰り……」

「いーのいーの気にしないで。どーせこいつ、今日は何の予定もないし、自分の部屋にこもって、エロ本読むくらいしかやることないんだから。だったら、リアルな女の子と一緒にいる方が、まだ健全でしょ」

エロ本読む代わり扱いされるのは、たまきにとってメーワクなのだが。

 

線路沿いにあるんだったら線路沿いに歩いて行けばいいんだから、案内されなくたってわかる。と思っていたたまきだったが、それは少し考えが甘かったようだ。どうやらまず線路沿いに道が続いていないらしく、確かにミチに道案内してもらわないとたどり着けなさそうだった。ミチは家の近くで買ったハンバーガーの包みを抱えて、むしゃむしゃとハンバーガーを食べながら歩いている。たまきはその少し後ろを、うつむきがちにとぼとぼと歩いていた。

「そうだ、もっかい地図見せて」

ハンバーガーを食べ終わったミチが、口のケチャップを拭きながらたまきの方を向く。たまきは少し不服そうに、リュックから地図を取り出して見せた。

「なんかさ、小学校の授業でさ、こういう地図作らなかった?」

たまきの反応はない。

「たまきちゃん、小学生みたいなことやってるよね。かわいい」

こいつケトバしてやろうか、とたまきはミチをにらみつけた。

 

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行真寺は都心のど真ん中、何車線もの車が走る大通り沿いにある。境内は木々に囲まれ静けさに包まれ、騒がしい都市の中での一つのアジールになっている。

ところが、今日に関しては少々騒がしい。多くの人が出入りしている。どうやら、誰かの葬儀が行われているらしい。

志保がこの寺でバイトを始めてから十日ほどが経った。これまでに三回ほど、簡単な掃除や片付けのバイトをしていたけど、お葬式の対応は今日が初めてだ。

人と接すること自体は、普段の喫茶店のバイトでやっているので問題はない。むしろ、得意分野である。ただ、お葬式となると少し勝手が違う。

喫茶店の時は「明るく笑顔で」が基本中の基本なのだけど、お葬式の受付でニコニコ笑っているのは不謹慎だろう。かといって、仏頂面というのも礼儀に欠ける。住職からは「涼しげな笑みでお願いね」といきなりハードルの高いことを言われた。とりあえず、喫茶店での営業スマイルをかなり水で薄めた、そんな顔をしている、つもりだ。寺の備品にあった女性ものの喪服を借りて、髪を後ろで束ねて、志保は受付の応対をしていた。

お葬式の主役、という表現が正しいのかはわからないけど、遺影で見る故人はけっこうな年のおじいさんらしい。「西山家葬儀」と書かれているので、きっと西山さんなんだろう。参列者は家族以外にも仕事関係と思われる人がかなりいる。

それにしても、ずいぶんこわもての人が多い気がする。もちろんお葬式なのだからにこやかにというわけにはいかないけど、悲しいから神妙な顔をしているというよりも、もともと眼光鋭い人ばかり集まってる、そんな気がするのだ。遺影の中の故人にしても、一応笑っているのだけど目が笑っていない。その眼光の鋭さを隠しきれていない、そんな感じがする。

今は住職の読経も終わり、出棺前の休憩時間、といったところだろうか。志保のもとに住職がやって来た。

「この後の確認、いいかしら?」

「あ、はい」

「このあと出棺したら、お片付けね。祭壇は業者の方が片付けるから、志保ちゃんはイスやテーブルの方をお願いね」

「はい」

「よかったわぁ。やっと3日以上続いてくれるバイトさんが見つかって」

そんな会話をしているとき、寺の入り口に黒い車が横づけるのが見えた。中から喪服姿の男が数人おりてきて、こちらに向かってくる。

もう出棺間近なのに、今ごろ弔問客だろうか、と志保が受付の準備をし始めた時、住職がそれを手で制した。

「ここはもういいから、片付けの準備に入ってちょうだい」

「え、でも、いま参列の方が……」

「いいから」

住職はそれこそ涼しげな笑みでそう言った。わけがわからないが、とりあえず志保はその場を離れる。

だけど、やっぱり気になる。少し歩いてから志保は振り返った。

「住職、久しぶりじゃな」

新たに現れた参列客もまた、眼光の鋭い壮年の男だった。鼻の下の髭がまたなんとも言えない威厳を醸し出している。

「お久しぶりでございます。そろそろ出棺よ?」

「その前に、死んだオヤジさんに最期の挨拶でもと思うてな」

やけに声の大きい男である。その声量だけで相手を威圧する。おまけに、コワモテだ。確かに、志保が受付をしていたら、それだけでビビってテンパってしまったかもしれない。

とその時、寺の事務所の入り口が、ガラガラとけたたましい音をたてて開いた。そして、中にいたはずの参列客が数人、雪崩のように志保の横を通り、受付の方へと押し寄せた。

その中の一人が怒鳴る。

「東野、貴様、どの面下げてきたんだ!」

これまたとんでもない声量で、驚きのあまり志保は数センチ飛び上がった。怒鳴った男は四十代ぐらいだろうか。赤っぽい色付きのメガネをしている。例にもれず、眼光は鋭い。

一方、怒鳴られた方のコワモテヒゲおじさんは、全く臆することなく、メガネの方をにらみ返した。

「なんじゃ、わしかてオヤジさんには世話になったんじゃ。最期にあいさつにっていうのが礼儀じゃろ」

「おんどれ、何が礼儀だ! 貴様が裏切ったせいで、親父は死んだんだ!」

『おんどれ』だなんて日本語が生で使われる場面を、志保は初めて目撃した。

気づけば境内は、コワモテヒゲおじさんの一派と、コワモテメガネおじさんの一派が睨み合う、まさに一触即発という状態になった。戦国時代ならこれから互いに名乗りを上げるところだけど、名乗りどころが銃声が響き渡りそうな雰囲気である。

志保はそばにあった松の木の後ろに隠れて、なるべく自分の気配を消すように努めた。亜美の持つ「トラブルをおもしろがる才能」か、たまきの持つ「気配を完璧に消す才能」のどっちかが欲しいところだ。

そこに響く「パンッ!」という甲高い音。一瞬だけまさか!と思ったけど、それは住職が手をたたいた音だった。

「まあまあみなさん。故人さまもそりゃ生前はいろいろございましたけど、すでに拙僧による読経も終わり、あらゆる煩悩を捨て去り、これから仏様の御元へと旅立たれる時よ。残された方々がこのようにいがみ合っていたら、故人さまも安らかな成仏ができないわ。みなさん、いろいろ遺恨はございましょうけど、故人さまを思う気持ちは一緒ということで、ここはひとつ穏便に……」

「住職、これはわしらの問題じゃ! あんたはひっこんどれ!」

ヒゲおじさんが住職をにらみつけた。

「そうだ、あんたが口出しする問題じゃないんだよ!」

メガネおじさんが同意する。いがみ合ってるわりに、ヘンなところで意見は一致するらしい。

そしてメガネおじさんは住職に一歩詰め寄ると、

「だいたい、オカマのボウズなんて、キモいんだよ! バケモノが!」

と吐き捨てるように、それこそ、噛んでいたガムやたばこをそのままポイ捨てするかのように、言い放った。

志保の立っている場所からは住職の顔は見えなかった。松の陰に隠れているので、その松の木が邪魔してたのだ。だから住職の表情はわからないけど、さすがにこれはマズいんじゃないか、と肝が冷えた。

木の陰から志保はそっと住職の顔をのぞき込む。住職の横顔は最初、志保にはひきつっているように見えた。

だが、次の瞬間、住職は笑い始めた。最初は笑いをかみ殺すように。そして、次第に声を上げて笑い始めた。引きつっていたのはどうやら、笑いを耐えている表情だったようだ。

「な、何がおかしい。男のくせに女みたいにしゃべったり、不自然で気持ち悪いと思うのは当然だろ! みんなそう思ってるんだよ!」

メガネおじさんはさらに悪態をついたけど、それを聞いても住職はますます声を上げて笑うだけだった。

「ごめんなさい。ごめんなさいね。だけど、おかしくて……」

どうして住職が謝るんだろう、と志保は思った。

「だけど、ここまでストレートに言われたのも久しぶりで、まあたしかに、みんな口に出さないだけで心のどこかでは思ってるんだろうけど……」

そう言いながら住職は、メガネおじさんの真正面に立った。

「いいかしらボウヤ。『みんなそう思う』ってことはね、アタシだって自分を客観的に見たらそう思う、ってことなのよ。自分はふつうじゃない、ほかの男子と違う、おかしい、異常だ、バケモノ、キモチワルイ。悪いけどね、あなたが思いつく程度の悪口なんて、アタシがアタシ自身に何千回も自問自答してきたことなの。何度も何度も自分を否定して否定して否定して否定して、それでも答えが出なくて、そういう月日を積み重ねて、アタシは今ここに立ってるわけ。なのにいまさら、レベル1みたいな悪口を、さも会心の一撃みたいな顔してぶつける人がいるんだって思うと、おかしくてね。レベル1なのに」

住職は笑いながらそう言った。意地でも、皮肉でもなく、本当におかしくて笑っているように見えた。

「相手のプライドをへし折りたかったらね、もっとウィットにとんだ悪口を言わないとダメよ。相手が何度も自問自答してきたような言葉じゃなくて、相手がずっと耳を塞いできたような痛烈な一言を、ね」

そういうと住職は、メガネおじさんにそっと耳打ちするように言った。

「だからボウヤはいつまでもボウヤのままなのよ」

メガネおじさんはすでにプライドをへし折られたような顔をしていた。今言った住職の言葉のどれかが、おじさんがずっと耳を塞いできた言葉なのだろう。

「それと、あなたは『不自然で気持ち悪い』っていうけど、この街のどこに自然があるのかしら。地面はアスファルトに覆われて、木よりも高いビルに囲まれて、車が排ガスを撒き散らして走る、こんな不自然な街で暮らしてて、気持ち悪くないのかしら、ボウヤ」

メガネおじさんはもう、言い返す気力はないらしい。

 

やがて棺は霊柩車という排ガスを撒き散らす乗り物に乗せられ、アスファルトの道路の上を走りながら、ビル街の彼方へと消えていった。一触即発状態だった弔問客たちも、少し頭が冷えたのか、出棺と同時にほとんどが無言のまま寺を後にした。

「ふぅ~」

片付けが終わると志保はようやく緊張が解け、本堂の壁によりかかった。

「だいじょうぶかしら?」

と住職が尋ねる。

「ま、まあ、何とか……」

「そう。コワいところに居合わせちゃったから、またバイトさんにやめられちゃうのかと思ったわ」

「まあ、あたしもそれなりに修羅場はくぐってますから……」

志保は去年のクリスマスのことを思い出しながら答えた。

「でも、さすがに本物のヤクザの人たちを見たのは初めてだったから……」

「え?」

とそこで住職がしばらく何も言わなかったが、やがてさっきのように声を上げて笑い始めた。

「え?」

今度は志保が怪訝な顔をする番だ。

「だってあの人たち、歓楽街の暴力団とかじゃ……」

「ちがうちがう。あの人たちは都議会議員よ」

「え?」

「亡くなった西山先生っていうのが5年くらい前まで議員やってて、あそこにいた人のほとんどが、そういう関係の人たちよ」

「え? だって、あのメガネの人が『オヤジ』って……」

「だから息子さんよ。もともと父親の秘書をやってたんだけど、今は後を継いで都の議員をやってるわ。でもまあ、あのくらいの言い争いに勝てないんじゃ、大成しそうにないわねぇ」

志保はてっきり、杯を交わした「オヤジ」だと思っていたのだが、どうやら本当の親子だったらしい。

「でもだって、さっきの人が裏切ったせいで西山さんは亡くなったって……?」

志保の頭の中に、西山とかいう人に東野とかいう人の撃った銃弾が当たって倒れこむ、「仁義なき戦い」みたいなシーンが浮かび上がる。ちなみに、志保は「仁義なき戦い」を見たことは、ない。

「西山先生と東野先生は同じ党に所属していたのよ。それで、どこかの区長選の時に、その党からは西山先生が推薦した人を出馬させることになったの。ところがそこに東野先生も出馬を表明したのよ。つまり、同じ党で票を奪い合うことになったってわけ。結果、有利と思われてたその党は表を分け合う羽目になって、二人とも落選。別の党の人が区長になったわ。そのことで西山先生と東野先生は大揉めして、それから体調が悪くなった、らしいのよ」

「え、じゃあ、あの人たち、政治家だったんですか?」

「だからそう言ってるじゃない。まあ、都議会議員じゃ、若い子は知らないわよねぇ。地盤もこの辺りじゃないし」

「だって……その……、目つきが悪かったというか、顔がコワかったというか……」

住職もコワモテだけど、そういう生まれついてのコワモテと言うよりは、彼らはなんだか銃弾の雨を潜り抜けた末のコワモテ、そんな風に志保には見えていた。

「あら、品性がなくたって選挙には受かるわよ」

住職はさもありなんといった感じで答えた。

「でも、政治家の人にも……ああいう差別的な考え方の人っているんですね」

「逆よ逆。政治家なんて、あんなのばっかりよ」

住職は、もうすっかり慣れた、とでも言いたげな表情をした。

「そうなんですか?」

「そうよー」

住職は後片付けの手を止めることなく答える。

「志保ちゃんはそれなりに勉強ができる子と見たわ。だったら日本で、民主主義の国で政治家になるのに必要な要素って、何だと思う?」

「え、えーと……」

志保は答えあぐねた。質問の答えがわからないのではない。いくつか答えが思いついて、絞り込めないのだ。

「じゃあ、聞き方を変えるわ。政治家になるには、選挙に勝たなければいけない。選挙に勝つためには何が必要かしら?」

「そ、それは、やっぱり一票でも多く票をもらうことじゃ……」

「そうね。より多くの人に、この人の考え方がいいって共鳴してもらうことね」

住職は優しく微笑みながら、志保の方を向いた。

「つまり、多数派であること。これが絶対条件よ」

確かにそうなのかもしれない。志保も政治に詳しいわけではないけど、たぶん、同世代の子よりもニュースを見る方だ。確かに、オネエの総理大臣も、耳の聞こえない官房長官も、見たことがない。

「多数派の人が、私はみんなと同じ多数派です、って宣言して、やっと当選できるの。もちろん、少数派の立場から議員になる人もいるけど、でもよくテレビに出るような有名な先生たちって、だいたいが『多数派のおじさん』なのよ」

それにね、と住職は続けた。

「政治家の仕事なんて、急速に変わってく社会がこれ以上変わらないようにブレーキかけることなんだから。むしろ、頭が固くないとやってけないのよ」

志保には、住職の言ってることがよくわからなかった。社会を変えていくのが政治の仕事だと学校では教わったのだが。

「もしそうだとしたら……、社会はいつまでたっても変わらないってことですか?」

「でもね、社会は変わるわよ。かってにどんどんね」

住職はふと、どこか宙を見るような眼でつぶやいた。

「志保ちゃんは携帯電話持ってるかしら?」

「あ、はい」

「どう?」

「……どう、ってえっと……?」

「携帯電話持ってて、どう?」

「……どう?」

どうと言われても、困る。みんなが持ってるから持ってる。それだけだ。

「あたしが子供の頃は携帯電話なんてなかったわ。でも、いつの間にかみんな持ってるのが当たり前になってる。この世は諸行無常。色即是空。誰か偉い人が変えるわけでも動かすわけでもない。常に水のように移り変わっているのよ。もちろん、携帯電話は誰かが作ったものなんだろうけど、でも、それを持たなきゃいけないって政治に強制されてるわけじゃない。みんながケータイ欲しいなぁ、便利だなぁ、って思ってたら、いつの間にか持ってるのが当たり前になってた。そんなもんよ」

いつの間にか、本堂は葬儀仕様のモードから、普段通りの様子に戻りつつあった。

「いまから十年くらいしたらきっと、アタシみたいな日陰者でももうちょっと住みやすい社会になってるわ。でもそれは、誰か偉い人が変えるんじゃない、みんなが少しずつそうなったらいいなって思って、少しずつ変わっていくのよ。こうやってしゃべりながら作業してる間に、すっかり片付けが終わってるみたいに、ね。さてと、今日のバイト代を渡さなくちゃね」

そういって住職はパンッと手を叩いた。

 

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たまきとミチは十五分ほど歩いていた。下り坂だ。線路から離れたところを歩いていたのだけど、坂の下に再び線路がまた見えてきた。駅舎があるのもわかる。

その駅舎のさらに奥に、線路をまたぐ大きな橋が架かっていた。

「姉ちゃんが言ってたの、あの橋だよ。あの下に公園があるんじゃないかな」

「……そうですか」

ふだんあんまり歩かないたまきはもう疲れ始めていた。そもそも、スナック「そのあと」に行くまでにけっこう歩いているのだ。帰りはお金を払ってでも電車に乗ろう、とたまきは考えていた。

たしかに、橋の真下には金網に囲まれた小さな公園があった。公園の中には階段があって、どうやら橋の上の歩道に出られるらしい。遊具は子供が乗るのかゾウとパンダの置物がある。あとベンチがいくつかと、バスケットのゴールがぽつんと立っているだけ。

「でさ……」

公園の中に足を踏み入れながらミチが言った。

「姉ちゃん、どこにそのラクガキあるっつってた?」

「えっと……」

どこだっけ?

公園にたどり着くことばっかり考えながら歩いていたら、いつの間にか、公園のどこでミチのお姉ちゃんはラクガキを見たと言っていたのか、すっかり忘れてしまっていた。

たまきはとりあえず周りをきょろきょろと見渡したけど、それらしきものは見つからない。だいたい、これまでのラクガキもそんな簡単には見つからないところにばっかりあったのだ。今回だってちょっと見渡して見つかるような場所にあるはずがない。

とはいえ、モノがごちゃごちゃとあるような公園でもない。少し気合を入れて探せば、すぐに見つかるだろう。

たまきはベンチの後ろに回り、下から覗き込み、バスケットのゴールの周りをぐるぐる回り、パンダのおしりを覗いて、ゾウの鼻の下をうかがって、それから階段の周りをぐるぐる回った。一方のミチはたまきよりも背が高いので、もっぱら天井、つまり橋の裏側の部分を注意深く探した。

「ありました?」

たまきがミチのそばによって尋ねる。

「いや。つーか、あそこはさすがに届かねぇよ」

天井はミチの身長のさらに倍以上ある。

「でも、いつもそういう場所にあるんです」

「そんなの、どうやって描くのさ」

たまきは、少しだけ黙った後、答えた。

「魔法でも使ったんじゃないですか?」

半分は冗談のつもりである。

たまきは公園の中をもう一度ぐるぐるとまわる。ミチもそのあとにくっついて歩く。

それから、たまきは階段を上り始めた。足元を注意深く見るけれども特にそれらしきものは見つからない。

やがて橋の上に出た。橋の上はけっこうな大通りらしく、車がバンバン通る。

エンジン音があまり好きではないので、たまきはすぐに引き返した。ミチのお姉ちゃんは「公園」と言っていたのだ。橋の上の大通りは対象外と見ていいだろう。

階段の一番上からもう一度公園全体を見下ろすけど、やっぱり何も見つからない。

そうして今度は天井を見上げる。天井はミチがさっき探していたはず……。

「……あっ」

見つけた。

例の、鳥のラクガキである。

階段の真上にある天井に描かれていた。ミチのいた場所からはちょうど階段そのものの陰になって見えなかったのだろう。

たまきは手を伸ばしてみた。全然届かない。ここにラクガキするにはやはり脚立が必要だろう。

次に足元を見る。階段の中ほどだ。こんなところに脚立を立てて、果たして安定するのだろうか。

たまきはもう一度天井を見上げて、ラクガキを見た。少し煤けていて、ほかのラクガキよりも古い印象を受けた。

「あの、ミチくん、ありました……!」

たまきはそう言いながらミチの姿を探した。

たまきのいる場所から、踊り場を挟んでさらに下の段から、ミチはぼんやりと公園のバスケットがある方を眺めていた。

「あの……、ラクガキ、ありました」

たまきはとててと階段を駆け下りてミチのいる段の近くまで行った。

「あ、そう。見つかったの。よかったね」

ミチはもうすっかりラクガキへの興味を失っているようだった。いや、そもそもミチはここに来ること自体乗り気じゃなかった。もともとラクガキに興味なんてなかったはずだ。一生懸命探してるたまきの方がヘンなのだ。ミチがラクガキに興味を持たないのは別に不思議じゃない。

たまきにとって不思議だったのは、ミチの興味が公園にあるバスケットのゴールへと注がれていたことだった。

「その……バスケのゴールがどうかしたんですか?」

そう言いながらたまきは、どうかしてるのはラクガキなんかを追いかけまわしてる自分のような気がしてきた。

「いやさ……」

そこでミチは少し言葉を切って、一息ついてから続けた。

「姉ちゃん、ここで何してたんだろうなぁ、って思って」

「はぁ」

ミチの言ってる意味がたまきにはいまいちわからない。

「姉ちゃんさ、たまに原付で出かけるんよ。で、三十分ぐらいして帰ってくるんだけどさ、何か買ってくるわけでもねぇし、どこ行ってるんだろう、とは思ってたんよ」

「……はぁ」

「もしかしてさ、ここでバスケの練習とかしてたんじゃないかな、って思って。だって、姉ちゃんがこの辺に来る用事なんて、ほかにないもん。買い物はだいたい家の近くのスーパーで済ませてるし。スクーターの座席の下なら、小さめのボールだったらしまっておけるだろうし。」

たまきは、頭上のラクガキを見やった。たしかに、ちょっと通りがかったぐらいではなかなか見つけられないだろう。バスケの練習をしててみつけた、というのはありえない話ではない。

「そういえば……」

と、たまきは切り出した。

「お姉さんのお店って、バスケットに関するものがけっこう置いてありますよね」

「姉ちゃん、バスケやってたんよ。小中で。けっこうすごくてさ、キャプテンやってて、県大会でベスト4に入ったんだぜ」

「ふ、ふーん」

それがどれだけすごいことなのか、たまきにはピンとこなかったけど、とりあえずわかっているふりをした。

「試合も何回か見に行ったけど、姉ちゃん、めっちゃ活躍してたんよ。あのまま高校に行って続けてたら、もしかしたらいいとこまで行けたんじゃないかなぁって思うんだよ」

「どうしてやめちゃったんですか?」

「だって、高校いかなかったんだもん。中学出てすぐ働き始めたから」

ミチは、バスケのゴールを見つめながら言った。

「俺は高校いきなよって言ったし、施設も高校までの学費は出してくれるんだけどさ、姉ちゃんは早く働いてお金を稼ぎたいからって、就職したんだよ」

ミチは、ゴールから目線を落とした。

「……もしかしたら、俺のせいなのかもしれない」

「え?」

「そん時、オレ、まだ小学生だったから。姉ちゃん一人だけならもしかしたら高校いってバスケ続けてたかもしれないけど……。施設だって金持ちの道楽でやってるわけじゃないからさ、いつ潰れて俺ら放り出されるかもわかんないじゃん。それにさ、スポーツってカネかかるんだよ。部費だ、合宿費だ、遠征費だってさ……。施設のお金をそういうことに使うんだったら、俺や下の世代の子供たちのためにって考えてたのかも……」

ミチは、階段を降りて歩き始めた。たまきもその後ろをついていく。

歩きながらも、ミチの視線はバスケのゴールへと投げかけられていた。

「姉ちゃんはさ、バスケのことはもういいって言ってんだけどさ、店の中にバスケのグッズ置いたりしててさ、もういいっていうふうには俺には見えねぇのよ。……やっぱここでシュート練習とかしてたのかもなぁ」

たまきもゴールに目をやった。バスケットボールが放物線を描きながら、リングの真ん中に吸い込まれていく光景を思い浮かべながら。

でも、ミチのお姉ちゃんが一体どんな顔をしてシュートを打っているのかは、どうしても思い浮かべることができなかった。

 

帰りのたまきは電車に乗った。

ほんの十分ほどでいつもの駅に着いた。

駅の中は色んなキラキラしたものであふれている。

どこかの女優さんを起用したポスター。

映画の宣伝ポスター。

本屋さんに置いてある漫画の最新刊。

これらの後ろで、一体どれだけの「あきらめた人たち」がいるのだろうか。それも、自分ではどうしようもない理由で。そもそも、その人たちは本当にあきらめることができたのだろうか。

つづく


次回 第40話「ファミコン、ときどきバイト」

たまき、初めてバイトに行く!? 続きはこちら


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

アニメ「ヴィンランド・サガ」について語りたい!

久々に熱く語りたいアニメに出会いました。

それが「ヴィンランド・サガ」

1と2で半年ずつ、1年間続けて見ました。これはヘタしたら人生観が変わるアニメです。

「ヴィンランド・サガ」がどんなアニメかというと、

舞台は千年前のイングランド周辺。「海の向こうにはヴィンランドという名の手つかずの大地が広がっている」という伝説があって、そこを目指す主人公トルフィンを描く物語なんだけど、

これが全然ヴィンランドに行かないの。

1クール目 トルフィン、バイキングの少年兵として戦場に立ち、秒速で闇堕ちする。ヴィンランドに行く気配まったくなし。

2クール目 トルフィンより、トルフィンが父の敵と狙う海賊アシェラッドに重点が置かれ、トルフィンは殺気と憎悪をにまみれた10代を送る。ヴィンランドのことなんてすっかり忘れている。

3クール目 アシェラッドへの復讐に失敗し、奴隷に身を堕としたトルフィン。殺気も生気もすっかりなくなって無気力な状態に……。

いつヴィンランドに行くんだよ。

奴隷に身を堕としたトルフィンだけど、森を切り開き麦を育て、奴隷仲間で初めての友達ができて、戦場にいた頃に比べればまっとうな生活を送ることで、まっとうな人としての感覚を取り戻していきます。

そうして感じはじめるのが、これまでの戦場での行為に対する「罪の意識」。夢の中で自分が殺してきた人たちがわらわらと現れ、トルフィンは「すまない……」っていうんだけど、命を奪ったことに対する「すまない」じゃないんですよ。

殺し過ぎて「あなたたちがどこの誰なのか思い出すことすらできない」ってことに対する「すまない」なんですよ。

そこから自分の犯した罪を背負って生きると決めたトルフィンは、「もう二度と暴力を振るわない」と誓い、「この世界から戦争と奴隷をなくすことはできないか」と考えるようになるんです。

でも、どこに行っても海賊が襲ってきて、戦争になる……。

そこで思い出すのが、幼き日に聞いたヴィンランドの伝説。海の向こうには海賊たちも知らない大地が広がっている……。

そうだ、ヴィンランドに行こう! そこに戦争も奴隷もない国を作るんだ!

ここまで第1話から9か月! 長かった!

昨今の「イントロをとばして聞く」とか、「映画をコマ送りで見る」みたいなせっかちな人たちを容赦なくふるい落とすアニメです。タイパなんて言葉、北海に沈めました。

こうして迎えた4クール目だけど、「二度と暴力は振るわない」と誓ったトルフィンの身に、次々と「戦わなければ生き残れない!」という試練が訪れます。まるでその信念を試すかのように。何せこの時代は「強い奴が殺して奪うのが当たり前」という世の中なのです。

それでも、「暴力は最後の手段。それに代わる最初の手段を見つける人になりたい」「戦わない。逃げる」という信念を貫こうとするトルフィン。その信念を貫き、いよいよヴィンランドへ向かう!

ここでアニメは終わります。続きはマンガでお楽しみください。僕も原作読みたい!

「ヴィンランド・サガ」には大きく二つの魅力があります。

一つが、トルフィンの考え方の変化を楽しむということ。殺気立った10代から、無気力な奴隷、罪への後悔を経て自分の使命を見出すまで、トルフィンという人間はその人生の中で少しずつ価値観を積み上げていくのです。彼の心情の変化を読み解き一人の人間の人生を追体験する楽しみがあるんです。

そしてもう一つが、「戦わない、逃げる」という生き様を定めてからの、過酷な時代の中でその生きざまを貫こうとする魅力。困難を前に兵士だったころの殺気を放ちながら「暴力は絶対に振るわない」という覚悟を決めているのがかっこいいんですよ。

偉大な何かを成し遂げる英雄というよりも、混沌とした時代の中でおのれの生きざまを貫こうとする男の生涯を描いたアニメ、それが「ヴィンランド・サガ」なのだと思います。

バズらない、突き刺され

先日、とあるイベントに出店した時のお話。

その日は10時間っていう長丁場だったんですよ。

会場は吉祥寺のパルコの地下一階。お客さんも文学フリマの時とは少し違う客層。あまり民俗学に興味なさそう。

つまり、アウェーなんです。

とはいえ、このイベントに参加するのは3回目なのでアウェーなのは百も承知だし、アウェーだけどそれなりに売れることもわかってるんです。

それでもやっぱり苦戦しました。さっぱり売れない、売れても1,2冊、そんな時間が後半は続きました。

今日はダメだなぁ、まあいい、アウェーでも学ぶことはあるさ、と半ばあきらめていた最後の1時間。そう、10時間の最後の1時間。いきなりこんなお客さんが現れたんです。

「ここに置いてあるのぜんぶ買うといくらになりますか?」

全部!?

その時は「民俗学は好きですか?」シリーズのうち、vol.5を除いた8種類がブースに並んでたんです。

「3200円です……」と答える僕。

「じゃあ、ぜんぶお願いします」

とお客さん。

ホントに全部っすか!? 今言ったとおり、3000円しますよ!?

MJじゃん! マイケル・ジャクソンの買い方じゃん!

3000円もあったら、ここからだったら特急で長野まで行けるよ?

3000円もあったら、ちょっとした飲み会に出席できるよ?

3000円もあったら、上手くやりくりすれば映画2本ぐらい見れるよ?

その貴重な3000円を私のために使うというのか?

こうして、最後の最後にして在庫は一気にはけたんです。

そして、思うんですよ。

僕が目指すべきものはこういうことなんじゃないか、と。

「より多くの人に」とか「ひとりでも多くの人に」みたいな作り方・売り方じゃなくて、「ひとりの人に深く突き刺さるものを作って、売る」なんじゃないかって。

「民俗学エンタメZINE」なんて銘打ってる時点で、興味ある人しか買ってくれないわけですよ。いきなり間口を狭めているわけですよ。マニアックなわけですよ。だったら、「より多くの人に」じゃなくて「たった一人に突き刺さる」を目指すべきでしょう。

今の世の中、やれ「フォロワー数何万人」とか、「チャンネル登録者数何万人」とか、人数の多さばかり取りざたされて、この「たった一人突き刺さるものが作れたか」は評価されにくいんじゃないでしょうか。

たしかに、「1万人の人が見たくなる動画」を作るのは大変です。

でも、「誰か1人が1万回見たくなる動画」を作るのはもっと大変。

さらに言えば、家族や友達など好みをよく知ってる特定の人に向けたものではなく、「見ず知らずの誰か1人が1万回見たくなる動画」なんて、もっと大変!

だけど数字の上ではどっちも同じ「1万回再生」です。

さらに言えば、「なんとなく見た人が1万人いたよ再生」とか、「熱心に見た人が100人いたよ再生」とか、見た人がどれだけの熱の入れようかを測る術はないわけで。

何でもかんでも数字で表せる時代だからこそ、数字では表せない価値ってものにもっと注目してモノづくりをしていきたいと思う今日この頃です。

「バズらない、深く突き刺され」をこれからのテーマにやっていこうかしら。

ちなみに、そのイベントは「吉祥寺ZINEフェスティバル」というのですが、明日もあってまた出店します。

畑は遠くなりにけり

畑を借りて二月ほどです。農園からもらったテキストとにらめっこしながら、野菜を育ててます。わからないことは農園のアドバイザーに聞いたり、ネットで調べたり……。

大人がテキストを見ないと野菜ひとつ育てられないって、それってどうなんですかね……?

だってしょうがないじゃないか。野菜作りなんて習ったことないんだから。

そう、「野菜作りなんて習ったことがない」んですよ。

小学生の時、ナスやプチトマトを育てたことはあるんですけど、2年生の時にやったっきりなので、もちろんほとんど覚えてません。

そもそも、義務教育で「技術」も「家庭科」も「音楽」も習うのに、「農業」という教科がないなんて、おかしくないですか?

もちろん、音楽を学ぶことも大事です。NO MUSIC NO LIFE。音楽なくして人生なし。

でもそれ言ったら、NO FARM NO LIFEじゃないですか。農業なくして生命なし。

学校の部活でも、演芸部とか農業部とか、あるところにはあるんだろうけど、少なくとも僕が通った学校にはなかったですよ。

ウチの中学はやたらとデカい校庭のほかに、体育館があって、球技コートがあって、武道場まであったんですよ。一個ぐらい潰して畑にしてもかまわないと思うんですけどねぇ。「プロサッカー選手がいない国」よりも、「プロ農家がいない国」の方がヤバいんだから。

それでいて、「日本の食料自給率が低い」ってぼやいてるんですよ。

だってしょうがないじゃないか。学校で農業を教わってないんだから。縁遠い職業が選択肢に入るわけないじゃないか。畑は遠くなりにけり。

畑だけじゃなくて、海もなんだかどんどん都会から遠ざかってる気がします。

浦安の方に行くと、埋め立てられて海岸線が何キロも遠くなってる上に、海岸沿いは工場だディズニーランドだで全然海にたどり着けない。「浦安物語」を読むと、あの時代はもっと海が身近に感じるんだけどなぁ。

民俗学を少しかじって思うのは、都市生活ってめっちゃ「不自然」なことをやってるんじゃないか、ということです。都市のマンションで暮らしたり、独り暮らししたり、電車に乗って通勤通学したり。歴史的にはたかだか数十年ぐらいしかやってない生活スタイルのはずなのに、なんかそれが常識みたいな感じになっちゃってる。

でも、「近所に畑がない」「ふつうに生活してると、土にも植物にも触らない」「仕事場に歩いていけない」、これってよくよく考えると、不自然なことなんですよ。

不自然だからよくない、東京は野原に帰れ! とは言わないけど、不自然なことはやっぱり不自然で、それを常識みたいな顔して生きてるのも、やっぱり不自然なことなんじゃないでしょうかね。

畑を借りました

畑を借りたんですよ。

2畳ほどの小さな区画を、月6500円で借りてます。

うちの近所にはいくつかこういう貸農園がありまして、いろいろ比較してたんですけど、地元だとここが一番安いです。

どうして安いのかと言うとその理由はカンタンで、

どの駅からも遠いんですよ。

3つある「最寄駅」、どの駅から歩いても30分以上かかるんですよ。バスを待っても30分に一本。

ただ、ウチからは自転車で10分ちょっとで行けちゃう。

これはいい場所を見つけたぞ。

もう少し探す範囲を広げればもっと安いところもあるけど、そこだと交通費やらお昼ごはんやらが通うたびにかかって、結局お金がかかっちゃう。

今度借りた畑なら、自転車でも歩きでも行けるから交通費はかからないし、うちでで昼ご飯を済ませてからでも十分作業できる。おまけに指導員の人までいるので、基本は自分の自由にやりつつも、不安なところは相談できる。この前は肥料の撒き方を教わりました。

そもそも、地元に貸農園がいくつかあって、比較して選べるって時点で恵まれてるなぁ、と思います。

都心だとたぶんこうはいかない。貸農園どころか、畑そのものがないんだから。

ウチの地元は首都圏のベッドタウンとしてかなりの人口を抱えてるけど、少し郊外へ行けば農地がたくさんあるんです。

とくに、畑に行く途中で大きな道路を二つ横切るんですけど、二つ目を横切ると景色は一気に畑だらけになって、心も自然と農作業ムードに切り替わるんですね。

おまけに、家から畑まで行く道中にコンビニもスーパーもあって、郵便局まであるので、なにかと便利。

あろうことか農園の目の前はホームセンターなんです。もはや、便利オブ便利。欲しいものは全部ここで買えちゃう。

まあ、いまのところは、農園の備品で間に合ってるんですが。

そんなこんなで、いまはスナップエンドウくんとイチゴちゃんを育ててます。

畑に行くのは週に一度。2畳ですから。

葉っぱの状態をチェックして、余分なつるが伸びてきたらちょん切って、雑草が生えてきたらひっこ抜いて、土が乾いてきたら水を撒いて。害虫に悩まされて。アリが這い回り、蜘蛛が顔をのぞかせる。空を見上げれば白い雲があり。

農園からもらったテキストとにらめっこしながらやってます。

どうも僕は、「次の作業工程がある」というのが楽しくてたまらないみたいです。これはZINE作りも一緒です。

子供のころから畑仕事をやってみたいなぁ、って気持ちはどこかにあって、今日まで潰えることがなかった、そういうことです。

正直な話、欲しいのは野菜や果物よりも、それを育てる技術の方なんです。「農地さえあれば、何とか生きていけるよ」と言えるくらいの。お稽古事を始めた、と考えれば、月6500円は安いものです。

「数年後に畑を処分したい。タダでいいから引き取ってくれ」という都合のいい方がいらっしゃいましたら、是非ともご連絡を。

小説 あしたてんきになぁれ 第38話「地図ときどき異界、ところにより二丁目」

前回登場した謎のコワモテおじさんこと「ママ」。はたしてその正体とは? 「あしなれ」第38話、スタート!


第37話「イス、ところにより貯水タンク」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


画像はイメージです

「よっ、ただいま」

「おかえりー」

「……おかえりです」

亜美が外出から帰ってきて、志保とたまきが返事をする。「城」のいつもの光景だ。

「今日はどこ行ってきたの?」

と、志保が本を読みながら訪ねる。

「ん? まあ、隣町の床屋だよ」

と、亜美はたまきの方に目をやった。

いつもなら、かなりの高確率でたまきはタオルケットをかぶって寝っ転がっているのだけど、今日はほとんど顔を上げることなく、何かかきものをしてる。テーブルの上にはスケッチブックよりも少し大きめの紙。その上にたまきは鉛筆で、絵というよりはなにか図面を描いている。

「ん? おまえ、なに描いてんだ? スゴロクでも作ってるのか?」

「……まあ」

亜美はたまきの描く図面をのぞき込んだ。改めてみてみると、何かの地図のようだ。ところどころ、地名も書かれている。

「これ、この辺の地図か?」

「……まあ」

たまきは地図を描きながら言った。「城」のある歓楽街とその周辺、半径一キロほどの範囲の地図だ。もちろん、正確な地図ではない。小学生が町探検の授業で作るような、簡素なものである。距離感も適当なのだろう。

亜美はたまきの描く地図をしばらく眺めていたが、やがて、地図の中にところどころバツ印が書かれていることに気づいた。

「へぇ~、おまえもだいぶ、この辺のことわかってきたじゃねぇか」

「どうゆうこと?」

「このバツ印はな、ウチらのグループのナワバリの店を指してんだよ、ちがうか?」

「違うと思うけど」

と答えるのは、描いている当人ではなく、志保だ。

「たまきちゃんがそんな地図作るわけないじゃん。それにさ、歓楽街からだいぶ離れた線路上にもバツ印があるけど、そこもナワバリなの? 違うでしょ?」

「じゃあ、何なんだよ」

志保は読みかけの本を置いて立ち上がった。

「バツ印は全部で七個あるから、この七つのポイントをすべてまわると、何か願いが叶うとか」

「マズいじゃねぇか。コイツの願いなんて、死なせてくださいの一択だろ。却下だ却下」

「じゃあ、印を線で結ぶと図形が現れて、呪文を唱えると封印された恐怖の大王が現れるとか……」

「おまえ、頭いいんだからさ、もっとジョーシキで考えろよ」

常識のない奴に常識を諭されたのが気に食わないのか、志保は黙ってしまった。だが、そこでたまきが突然立ち上がり、

「それ、いいアイデアです」

というと、鉛筆でバツ印同士をつなぐ線を描き始めた。

「ほら、あたしの言った通りじゃん!」

「いや、どっからツッコめばいいんだ、これ……?」

もちろん、たまきはナワバリの地図を作っているわけでも、禁断の魔法陣を描いているわけでもない。地図に描きこまれたバツ印は、ここ数週間でたまきが発見した、「鳥のラクガキ」である。

歓楽街のビルの隙間に一つ。

歓楽街から離れた高架下に一つ。

ビルの屋上に二つ。

そして、歓楽街のそばを通る大通りに一つ。

さらに、大ガード下の天井に一つ。

最後に、線路をまたぐ大きな橋の橋げたに一つ。

ほかにもまだまだまだ未発見のラクガキがあるのかもしれない。

ラクガキの場所に何か意味があるのではないか、と思ったたまきは、地図を書いてそこにバツ印を打ってみたわけだ。さらに印と印をつなげてみたりしたのだけれど、今のところ、特に法則らしきものは見つからない。

共通してることがあるとすれば、どれもこれも、「よりにもよってなんでこんな場所に」と思うような場所にばかりあるということだ。

ラクガキするには狭すぎるビルの隙間だったり。

3メートルあるフェンスの向こう側だったり。

ビルの屋上の、立ち入るのが難しい場所だったり。

そこからさらに十日ほどかけて、たまきにしては珍しく、たまきにしては本当に珍しく、毎日外に出てラクガキを探し回った。そして、たまきは3つのラクガキを見つけた。

ひとつは、駅前と歓楽街の間を通る、十車線くらいある大通りだった。地下道に入る階段の壁に描かれてあったのだ。

問題は、その壁がその十車線ぐらいある車道に面していた、ということだ。

車がバンバン通る中で、ラクガキをするのはかなり難しいんじゃないだろうか。

その次に見つけたのは、大ガード下の天井だった。

歓楽街を出てすぐのところに、線路の下をくぐる大きな通路がある。そこの天井を見上げたところに、鳥の絵が描かれていた。

これまた、どうやって描いたのかわからない。もちろん、脚立でも持ち込めば可能だけど、人通りの多いこの通路でそんなことしたら目立ってしまう。

この二つのラクガキは、「不可能ではないけど、描こうとしたら目立つよね」という問題がある。ラクガキは誰にもバレずにこっそり描くものだ。

一番不可解なのが、線路をまたぐ大きな橋の、橋げたに描かれていたものだ。つまり、鉄道会社の完全な敷地内である。高架下のフェンスのむこう側とはわけが違う。そこに誰か入り込んでいるとバレれば、怒られるでは済まない。電車が止まってしまう。電車を止めてしまうと、みんなに迷惑がかかるだけでなく、とんでもない損害賠償を請求される。とくに、ラクガキのあった駅は日本の鉄道の大動脈だ。そこに立ち入って電車を止めたとなると、請求される金額はきっと、目玉が飛び出て帰ってこないくらいのレベルだろう。

世俗に疎いたまきが何で電車事情にだけ詳しいのかというと、もちろん、「線路に飛び込んだらどうなるのか」いろいろと調べてみたことがあるからである。駅のホームに立って電車が来るたびに、「いま、飛び込んだらどうなるんだろう」とぼんやりと考えてみるのだけれど、調べた範囲では、どうやらスマートな死に方ではないようなので、なるべく線路には飛び込まないようにしよう、とたまきは思っている。あと、たまきを跳ね飛ばすことになる運転手さんにも、なんか申し訳ない。

わからないことだらけの「鳥のラクガキ」だけど、わかっていることもある。

それは、すべて同じ人が描いたんじゃないか、ということだ。もっとも、絵のタッチからたまきが何となくそう思っているだけなのだが。根拠は、と聞かれても、お絵かき好きのカン、としか言いようがない。

もうひとつ、たまきはこのラクガキは女性が描いたような気がしているのだけど、それもやっぱり、なんとなくそう思ってるだけである。

 

画像はイメージです

喫茶「シャンゼリゼ」の扉が開いた。

「いらっしゃいませー」

と笑顔で応対した志保はすぐに、

「あれ、先生?」

と驚きの声を上げた。扉を開けた客は、舞だったのだ。舞は「よっ」と片手を上げた。カジュアルな格好で、リュックサックを背負っている。

「どうしたんですか?」

「いやなに、仕事で近くに来たついでに、そういやおまえのバイト先はこの辺だったと思い出して、立ち寄ってみたのさ」

「あ、席、案内しますね」

志保は舞を席へと案内する。

舞は席に座る前に、椅子をしげしげと眺めていた。

「あの……椅子がどうかしましたか?」

「あ、いや、イスを片手でぶっ壊した知り合いのことをちょっと思い出してな」

「え?」

「いや、そんなことより、おまえさ、バイト終わるの、何時だ?」

「えっと、あと1時間ほどですけど」

志保は時計を見ながら言った。もう夕方である。

「そのあと、なんか予定ある?」

舞はメニュー表に目を落としながら訪ねた。

「買い物して帰りますけど……」

「じゃあさ、1時間、この店で待ってるからさ、バイト終わったら一緒に買い物行かないか? ちょっと話したいことあるんだよ」

「話?」

「……悪い話じゃないよ。ちょっと頼み事っていうかさ、ま、おまえまだ仕事中だろ。その話はあとで。あ、とりあえず、紅茶よろしく」

志保は怪訝な顔をしながら、キッチンに注文を伝えに行った。悪い話じゃないというけど、用件が見えてこないのはやっぱり不安だ。

「あのお客さん、知り合い?」

と尋ねてきたのは、田代である。

「うん、お世話になってるお医者さんなんだ。なんか、あたしに用事があるみたいで、バイト終わったら一緒に帰らないかって」

「え?」

田代が不安そうな顔をした。志保の事情を知ってるだけに、知り合いの医者が用があってわざわざ訪ねてきたとなると、表情も曇る。それを察した志保は付け加えた。

「お医者さんって言ってもね、体のこととかだけじゃなくて、生活のこととか、メンタルのこととか、いろいろお世話になってるの。あたしだけじゃなくて亜美ちゃんもたまきちゃんも。ここのバイト受けるときも協力してもらったし、ほかにも、まあ、いろいろと。まあ、先生も悪い用事じゃないっていうし」

と言いながら志保は、こんなにお世話になってるんだから、そろそろ舞に何かお返しでもしないとまずいような気がしてきた。

「悪い話じゃなきゃいいんだけどさ……」

と田代。

その様子を、舞は水を飲みながら横目で見ていた。

「ふーん、あれかぁ……」

舞は田代のもじゃもじゃ頭を見つめ、志保の顔に目をやった。

 

画像はイメージです

志保たちや舞が暮らす歓楽街は、南北を大きな道路に挟まれている。その北側の大通りに近い場所に、韓国をはじめとしたアジアの食料品を売るスーパーマーケットがある。スーパーと言っても、コンビニより少し大きいくらいなのだけど。

舞はバイトの終わった志保を連れて、その店に来ていた。それぞれの夕食の買い物である。

「このお店、よく来るんですか?」

志保が周りをきょろきょろしながら聞いた。志保にとってこの店は来るのが初めてだ。それどころか、今さっきまでこんな店があることすら知らなかった。

「ああ、近いからな」

確かに、舞の家からは歩いて5分もかかるまい。

「まあ、あたしもそんなしょっちゅうは来ないけどな。でも、何にも献立が思い浮かばないときとかは、ここに来て、なんじゃこりゃ! ってものを買ってみるんだよ」

そう言いながら舞は唐辛子のような木の実が描かれた袋を手に取り、

「なんじゃこりゃ?」

と言いながら、カゴに入れた。

「それ、どんな味がするんですか?」

「さあ、知らない」

「……知らないのに買うんですか?」

「海外のレストランとか行ったら、全く聞いたことのない料理をわざと注文するのが、好きなんだよ。いったいどんな料理が出てくるんだろう、ってな。肉料理だろうと思って頼んでみたらパスタだった、とか、そういうことが起こるしな。あと、日本じゃぜんぜん知られてない家庭料理が出てきたりとか」

「それで口に合わなかったらどうするんですか?」

志保のカゴにはまだ、一つも商品が入っていない。

「それはそれで、海外のいい思い出だ」

そういうと舞は、香辛料らしき瓶を無造作にカゴに放り込んだ。

「先生って、海外によく行くんですか?」

「そうだな、仕事で行くこともあるけど、プライベートでも年に一回は行ってるな。友達と行くことが多いけど、アジアとかだと一人でフラッと行くこともあるな。ああ、そうだ、新婚旅行もドイツだった。そんで、離婚した時の傷心旅行が韓国だ」

「いいなぁ。あたしも海外行ってみたいなぁ」

「海外行ったことないのか。意外だな。留学とかホームステイとかしてそうな感じだけど」

「興味はありますけど……」

志保はそこで黙ってしまった。

思い返せば、海外どころか、家族旅行の思い出すらほとんどないのだ。

「あの……先生……それで話って……?」

「ん?」

舞はしばらく、何を聞かれたのかわからないような顔をしていたが、

「そうだった。お前に用があるんだった。すっかり忘れてたよ」

と笑いながら言った。

「忘れるような話題なんですか?」

「まあ、あたしに直接関係のある話じゃないからなぁ」

舞はポリポリと頭をかいた。

「知り合いに頼まれてさ、誰かバイトしてくれる奴いないかって頼まれたんだよ」

「バイト、ですか?」

「そうそう。なんでも、簡単な事務と、簡単な接客と、ちょっとした力仕事。まあ、雑に言えばお手伝いってやつだな」

「あたしに、力仕事……ですか?」

志保は怪訝な顔をしながら、自分の腕を見た。少し骨が浮き出ている細い腕は、一般的な十代の少女よりも明らかに華奢に見える。

「いや、最初はな、男子を何人か紹介してやったんだよ。でもな……」

そこで舞は一度言葉を切った。

「バイトを探してる知り合いってのが、ゲイバーのママやってたやつなんだよ」

「え、ゲ、ゲイバー?」

「おまえさ、『二丁目』って聞いて、何のことだかわかるか?」

「は、はい。聞いたことくらいは……」

歓楽街の中で『二丁目』と呼ばれる区画は、なぜかゲイバーが多い、という話は聞いたことがある。お店にも、『二丁目』にも行ったことはないけれど。志保たちが住むところとは少し離れているのだ。

「ママ、ああ、その知り合いのことな、ママはずっと二丁目で働いてて、まあ、今もそうなんだけどさ、力仕事があるっていうから男子を何人か紹介したんだけど、みんな三日でやめてくんだよ。ママにビビって。別にママが何かしたってわけじゃねぇ。ハナッからゲイとかに偏見持ってるんだ。別にゲイだからって男ならだれでも見境ない、なんてことないのにな」

「……それで、あたしなんですか?」

「だって、男子を紹介しても、三日以内で逃げてくんだもんよ。これがホントの三日坊主ってやつだな!」

そういって舞は笑ったが、志保がぜんぜん笑ってないのを見て、笑うのをやめた。

「で、男子がだめなら女子で、というわけだ。ママに聞いたら、ちょっとした力仕事ってのは、部屋の掃除や片付けの手伝いらしいから、まあ女子でもイケるだろ。ということでおまえら三人を思い浮かべたんだけどさ、亜美に『簡単な事務』が務まるとは思えないし、たまきが『簡単な接客』をしてるのは想像がつかねぇ。それでもう、おまえしか残ってないのよ」

「あ、あの……」

「お、なんか質問か?」

「あたし未成年なんですけど、そのお店ってあたしが働いても大丈夫なんですか……?」

志保は不安げに尋ねたのだが、舞は

「ああ、だいじょーぶだいじょーぶ」

とあっけらかんとして答えた。

「年齢、性別、学歴、前科、一切問わずだ。お仕事ができる体力があればそれでよしだ。宗派も問わねぇってさ」

「しゅうは?」

「キリスト教徒だろうが、イスラム教徒だろうが、無宗教だろうが、一切不問だ。おまえ教会が主宰する施設に通ってるけど、それでもぜんぜんオッケーだとよ。むしろ、ふだん仏教と関わりのない人ほど来てほしいってさ」

舞はインドの香辛料を手に取りながら言った。

「仏教? え? 宗教施設なんですか?」

「え?」

舞が手に取った香辛料をいったん置いた。パッケージには、ゾウみたいな姿をしたカミサマが描かれている。

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「ゲイバーのママだとしか……」

「そうだよ。ゲイバーのママが、店をやめて出家して、寺の住職やってるんだよ。で、お手伝いが欲しいからって」

「お寺? でも、二丁目で働いてるって……」

「そうだよ。二丁目にある寺だよ」

舞は、いったん置いた香辛料を、やっぱりカゴの中に入れた。

「あれ? 最初に言ってなかったっけ?」

 

写真はイメージです

駅から大通り沿いに東に向かって十分ほど歩くと、「二丁目」と呼ばれる区画に入る。この一角は、いわゆるゲイバーやオカマバーと呼ばれる店が集まることで知られている。どうしてこの一角にそういうお店が集まるのかについては、志保は何にも知らない。ただ、そういう場所があるということだけは知識として持っている。

舞に連れられて志保が二丁目にやって来たのは、翌日の午後だった。ゲイの人向けの雑誌が置いてあるお店を見かけたときは、なるほど、ここがウワサに名高い二丁目か、とちょっと感心した。

ただ、テレビのバラエティで見るオネェタレントみたいな人たちが街を闊歩している、というわけでもない。怪しげな看板が多いわけでもない。志保の印象としてはいたって「ふつう」の街だ。夜になったら少しは風景が違うのだろうか。

ただ、昼間に訪れるとなんだかこの街はまだ眠っている、そんな印象を受けた。やっぱりいわゆる「夜の街」って奴なのだろう。

それよりも、志保の印象に残ったのは、寺の多さだった。

ビル街の中にいくつかお寺が立っている。東京の都心では、すっかり近代的なビルにお寺の看板がついていて、え、ここが寺?と思うことも多いのだけれど、二丁目には昔ながらのお寺が、狭い区画の中に数軒残っている。墓地も健在だ。

二丁目の中心にある公園に差し掛かった時、志保は少し足を止めて、あたりを見渡してみた。志保の周りを、ビルに囲まれて三軒ほどのお寺が取り囲んでいる。周りをお寺に囲まれるなんて、京都とかに行かないとないことだと思っていたけれど、こんな都心の真ん中で見れるとは。

「おーい、なにしてる。こっちだ」

その中の一つの寺の、裏口らしき門の前に舞が立って、手招きしていた。門の脇には控えめに「行真寺(ぎょうしんじ)」と書かれている。

 

行真寺の裏口から志保は境内に入った。この裏口というのは墓地の脇にあるもので、昼間だけ解放している。基本的には墓参りに来る人用の出入り口なのだけど、中には大通りへの抜け道としてこの裏口から入って墓地を通り抜けていく不届き者もいる。

並ぶ墓石は見たところ、どれもある程度は風化していて、この墓地とお寺の年月の古さを感じさせる。中には、刻まれた文字が完全に風化してしまって読み取れないものもあった。

「昨日も話したけど、おまえの事情であたしが知ってることは、ぜんぶママにきのう電話で話したから」

「あ、はい、わかってます」

昨日の別れ際に、志保は舞から、事情を「ママ」にすべて話すことの許可を求められた。舞いわく、ウソや隠し事が通用する相手ではないので、最初から志保の事情を伝えておいた方がいい、というのだ。

「大丈夫だ。ママはおまえの事情を知ったって、悪いようには扱わないから。むしろ、味方になってくれると思うぞ」

「は……はい」

志保は話題を変えようと、あたりを見回した。墓地の出口が近いのか、墓参りに使う手桶が並んだ台がすぐ横に見える。

「この辺りって、ビルも多いのに、お寺もいっぱいありますよね。なんでなんですか?」

「寺?」

今度は、舞があたりをきょろきょろと見まわした。

「そういや、この辺、やけに寺が多いな。気にしたことなかった。なんでなんだろうな」

その時、前方から下駄の音がした。

「ここはあの世とこの世の境目なのよ」

見ると、そこに袈裟姿の住職が立っていた。舞の言う「ママ」に違いない。

スキンヘッドの頭はいかにも僧侶っぽいのだけれど、なんだかごつごつしていて岩肌みたいだし、顔も眼光鋭く、見る者を威圧する。

「コワモテおじさんだ」と、志保は心の中でつぶやいた。

「ママ」こと住職は、かつかつと下駄を鳴らしながら二人の方へ近づいてくる。そして、舞の方を見ると、

「ヤダー! 舞ちゃん、久しぶりじゃなーい!」

と、さっきよりも1オクターブ高い声で話し出した。

「……先週も会ったじゃねぇかよ」

「そうだったかしら」

「そっちは忘れてても、ママが片手で椅子をぶっ壊した衝撃映像、あたしは一生忘れないからな」

「ああ、そんなことあったわね。そうそう、あれで十万も払ったのよねぇ」

住職はなんだか遠い過去を懐かしむような眼をしている。

「それに、おとといも昨日も、電話で話してるじゃねぇか」

「そうだったわね。それで、その子が話してたバイトの子?」

「そうそう。名前は志保。名字は、ええっと、神林だったっけ?」

「神崎です。神崎志保です」

「志保ちゃんね。アタシ、ここの住職をしてる知念厳造よ、よろしくね」

「すごい名前……」と志保は心の中でつぶやいた。

「まあ、お店やってた時の『キャサリン』って名前で呼ばれることも多いけどね。そっちで呼んでくれてもいいわよ」

「それもまたすごい名前……」と、志保は危うく声に出しそうになった。

「あ、あの、それで、バイトの面接とかは……」

「ああ、いらないいらない」

知念住職がにこやかに答えた。

「舞ちゃんの紹介、っていう時点で、それなりに信用ある子だろうから、面接はパスよ」

「その全員が逃げ出してるけどな」

と舞が笑った。

「あ、あの、舞先生と住職さんは、はどういうお知り合いで……?」

その問いかけに、知念住職がクスリと笑った。

「舞ちゃん、『先生』って呼ばれてるの?」

「別に、おかしくないだろ?」

「ふーん」

と、知念住職は再び、遠い過去を懐かしむような眼をした。

「関係性はカンタンよ。アタシがお店やってた時に、舞ちゃんがお客として通ってた時からよ」

「え?」

志保が舞を見る。

「職場の先輩に連れられてたまに行ってた、だ。通った覚えはない」

と舞は発言を一部否定した。

「あら、何年か前に、仕事も結婚生活もやめちゃったときは、一人で通ってたじゃない」

「そ、それで、仕事内容なんですけど……!」

なんだかそれ以上聞いちゃいけない気がして、志保は話題を変えた。

「週に何回か、お掃除とかしてもらうわ。境内の落ち葉を掃除するだけでも大変なのよ。それと、月に何回か、お葬式とかお通夜とか法事とかあるから。そのお手伝い。弔問客の対応だったり、お香典の管理だったり、葬儀場の設営だったり。頼むのは簡単なお手伝いばかりだから、慣れれば大丈夫よ」

「全員が慣れる前に逃げ出したけどな」

そういって舞が笑う。

「お給料は日給で三千円。お葬式の時は手当とかつけるつもりだけど、あんまり出せなくて、ごめんなさいね。その代わり、短時間だし、日にちも志保ちゃんの都合優先でいいから。ほかにもバイトしてるって聞いてるわよ」

「あ、はい、大丈夫です」

「他に質問は?」

「え、えっと……その……」

志保は一瞬ためらったが、続けた。

「さっきの『あの世とこの世の境目』というのはいったい……」

もしかしたら、ここは現実世界と異世界の境界線で、このお寺があることで異世界からの侵略を防いでいるんじゃ……、という考えがほんの一瞬だけ志保の頭をよぎったけど、そんなわけないかとすぐに打ち消した。

「この街はね、江戸の西側の玄関口なのよ」

知念住職は周りを見渡した。境内の木々のむこう側に、少し遠くのビルの色鮮やかな看板が見える。

「江戸の街=今の東京都、というわけじゃないのよ。江戸の町はもっと小さいわ。今の23区よりも小さかったの。だいたい山手線沿線と同じくらいかしら」

「え、そうだったんですか?」

江戸と東京は一緒だとなんとなく思っていた志保にとって、江戸の町の範囲なんて、考えたこともなかった。

「『江戸っ子』なんて江戸城が目で見える範囲で生まれ育ってないと名乗れないのよ。この街よりも西側は、江戸じゃないの。ふつうの農村よ。今では住宅街だったり商店街だったりデパートが建ってたりする場所が、ただの農村だったなんて、想像つかないでしょ?」

「はい……。のどかな場所だったんですね」

志保が生まれ育った町も、位置的にそういう場所だったのだろう。

「昼間はのどかでいいけれど、夜は怖いわよ。街灯とか全くないんだから。家はまばらにしかないし、荒れ地や沼地、雑木林なんかもあるの。そういう場所におばけが出るかもしれない、と昔の人が考えても、全然不思議じゃないわよ」

「確かに……」

「江戸という都市の外側は、自然は豊かだけど、夜になったら怖い場所。だから、江戸の玄関口であるこの場所は、あの世とこの世の境目ってわけ。そういう場所には、お寺や神社が多いのよ。ご先祖さまや神様を祀るには一番いい場所だったんでしょうね。ここに来れば、亡くなった人に会えるかも、って。新しいものばっかりの街だけど、意外とね、昔の人の想いの残滓がどこかに残っているものなのよ」

志保は周りを見渡した。大都会の中で、ここだけ時間が止まっているようにも思える。

 

画像はイメージです

気づけば五月も半ばである。

いつもの都立公園も先月は桜が咲き誇っていたが、すっかり花も散り、地に落ちたハナビラすら姿を隠した。木々の葉っぱは日々その青さを色濃くし、一方で足元に目を向ければ、色とりどりの花々が、桜の次の主役は私たちだと言わんばかりに咲き乱れる。

たまきが「庵」の前を訪れると、仙人が椅子に腰かけてカップ酒を飲んでいるのが見えた。

「あの……」

たまきが声をかけると、仙人もすぐに気づいた。

「おや、お嬢ちゃん」

仙人はたまきを見た後、その背中にあるリュックに目をやる。

「また絵を見せに来たのかい?」

「まあ、そうなんですけど……、今日はちょっと違って……」

たまきは申し訳なさそうに、仙人の横に置かれた椅子に腰かけた。

「あの、この絵なんですけど……」

そういってたまきはスケッチブックの一番最後のページに描いた絵を見せた。

仙人は一瞥して、すぐに口を開いた。

「これは、お嬢ちゃんの絵ではないな」

そこに描かれていたのは鳥の絵だった。たまきが模写したあの鳥のラクガキだ。

「これは、ほかの人が描いた絵を、私が描き写したやつで……、その、仙人さんはこの絵をどこかで見たことはないですか?」

「どこかというのは?」

「……この公園だったり、町の中だったり……壁とか電信柱とか、その……」

「なるほど、ラクガキというわけか」

「……まあ」

たまきの返事を聞くと、仙人は静かにかぶりを振った。

「見たことはないな。すくなくとも、記憶にはない。ラクガキならあちこちで見るが、こういう絵があったかどうかはちょっと思い出せんな」

「そうですか……」

「ところで、そっちの紙は何だい?」

仙人は、たまきのリュックから飛び出した、丸まった紙の筒を指さした。

「これは……」

たまきは紙を広げた。それは「城」の中で描いていた、ラクガキを見つけた場所の地図だった。

「ほう、これは面白い」

と仙人がのぞき込む。

「この辺りはよく通るが、こんなラクガキがあったかどうかは覚えてないな。わしが気付かんかったものをお嬢ちゃんがこんなに見つけたということは、この絵とお嬢ちゃんの間には、何か通じるものがあるのかもしれんな。きっとこの絵は、お嬢ちゃんのことを選んだんだよ」

そう言って仙人は笑い、カップ酒に口をつけた。

 

画像はイメージです

とぼとぼと歩いて、たまきは歓楽街に帰ってきた。いつもの薄群青のパーカーを羽織っているけど、だいぶ暖かくなってきたから、そろそろいらなくなるかもしれない。

いつぞやのゲームセンターの脇の道を歩いている時だった。不意に小さななにかが飛び出し、たまきの前を横切った。

ネコだった。白地に黒のぶち猫が、道路の脇で立ち止まり、たまきの方を見ていた。

野良猫だろうか。歓楽街で野良猫を見るのは珍しいことだ。

「こ、こんにちは……」

と、たまきは話しかけてみた。

ネコはじっとたまきを見ていたが、

「みゃお」

と鳴くと、建物と建物のわずかな隙間の間に入ってしまった。

たまきはネコの後を追って、隙間をのぞき込んだ。

人一人がギリギリ通れそうな隙間があり、壁にはラクガキがびっしりと描かれている。

そこは、例のラクガキをたまきが初めて見た場所だった。猫はちょうど、鳥の落書きの真下にたたずんで、たまきの方を向いていた。そうしてたまきの姿を確認すると再び

「みゃお」

と鳴いて、隙間のさらに奥に、ねこねこと歩き出した。

「ついてきな、お嬢さん」

そんな風に言われた気がした。

たまきは、猫の後をついて隙間の奥へと歩き始めた。なんだか、どこかの童話みたいだ。

 

東京の街はまるでお城みたいだ、と言ったのは誰だっただろうか。

でも、たまきにとって東京の街のイメージは、それはシンデレラ城のようにきらびやかなお城ではなく、ジャングルの奥地に取り残された廃墟の城だった。百万の人が住む廃墟、それがたまきにとっての東京だ。

そして、今歩いているような建物の隙間は、まさに人が暮らす廃墟そのものだった。光はわずかだけ。目に映るもののほとんどが灰色だ。空き缶、ポリ袋、何かの配管、室外機。どこかの工事の音。ほんの数十歩引き返せばいつもの場所に戻れるのに、この世の果てに迷い込んだ気分だ。

「みゃお」

ネコの鳴き声が聞こえて、たまきは立ち止まった。

だけど、猫の姿は見れない。

その代わり、たまきの目に映ったのは、あの鳥のラクガキだった。

たまきは思わず息をのみ、ラクガキに軽く触れた。

少しひび割れている。今まで見つけたラクガキの中で一番古いのではないか、なんだかそんな気がする。

もしかしたら、誰かがここにラクガキを描いてから、たまきが見つける今この時まで、誰の目にも触れることがなかったのではないか。それこそ、ジャングルの奥地でひっそりと眠り続ける古城のように。

『きっとこの絵は、お嬢ちゃんのことを選んだんだよ』

先ほどの仙人の言葉がふと、たまきの耳の奥をくすぐった。

 

つづく


次回 第39話「お葬式、ところによりバスケ」

お寺でバイトを始めた志保、そして、あいかわらずラクガキ探しをするたまき。あのキャラの過去にも少し触れるかも? 続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

「買い替える」なんて考えない

どうも僕は「やめる理由が見つかるまで延々と続ける性格」のみたいです。

たとえば、中学生の時に初めて携帯電話を買ってもう20年近くになるんですけど、

これまで持った携帯電話の台数は、3台。つまり、機種変は2回だけ。

今のスマートフォンが使い始めて3年だから、その前の2台は平均して7,8年使った計算になります。

どうしてそんなに機種変しないのかと言うと、「壊れなかったから」「使えたから」、つまり、「機種変しなきゃいけない明確な理由がなかったから」

逆に、じゃあなんで機種変したのか。1回目の時はなんで機種変したのかもう覚えてないけど、2回目はつい3年前なのではっきりと覚えてます。ガラケーの通話機能が使えなくなったからです。電話なのに電話できないのはさすがにマズいと思って変えたんです。

そういえば、小学校の頃は1年生の時に買ってもらったスーパーマリオの筆箱をずっと使ってました。理由はもちろん「まだ使えたから」。

そしてなんと、そもそも今この文章を書くのに使ってるテーブル、これが小学校に入るときに買ってもらった学習机なのです。なんと、もう四半世紀使っているということに、今気づきました。

今使ってるベッドは中学校に入るときに買ってもらったやつだから、これまた20年以上同じベッドで寝起きしていることになります。

どちらも、いまだに立派に原形をとどめてます。買い替えるための明確な理由がないから、買い替えない。それだけ。

趣味はラジオを聴くこと。ラジオを受信できるウォークマンをスピーカーにつないで聞いてます。まさに今も、ラジオを聞きながら書いてます。

10年前に買ったウォークマンなので、あちこち壊れ始めていて、実は移動しながら使うと接触が悪くなって音楽がよく聞こえません。

動かすとまずいんだけど、ずっとテーブルの上に置いていればちゃんと使える、ということでウォークマンなんだけどウォークすることなく使ってます。

いつ買い替えるんだと聞かれればもちろん、「完全に音が出なくなった時」。

新機種が出たとか、新商品が出たとか言われても、「へぇ~」と聞き流してます。

こうやって振り返ってみると、そういえばそもそも買う時に「いつか買い替える」ということを前提にしていないなぁ。

ボールペンや消しゴムのような明らかな消耗品は、さすがにそのうち買い替えるだろうと思って買うのだけれど、そうでなければまず「買い替える」という発想がそもそもない。

とはいえ、別に一生使い倒してやろう、という覚悟があるわけでもない。

本当にただただ、「買い替える」という発想がないだけなのです。

やめる理由が見つからない

ZINE作りを始めて、今月で5年目に入りました。

でも、文学フリマに初めて出店したのは2020年の11月(コロナ禍まっただ中!)だったので、実感としては「デビューしてまだ3年たってない」って感じです。

この一年で、僕のことを知ってくれる人も少し増えたように思います。「縁ができたな!」というやつですね。

ちなみに、去年一番驚いたのは、文学フリマで、ファンだという女性から差し入れでカールをもらったことです。カールはもう、関東では手に入りづらいのよ……。

なんだかんだで4年間、飽きもせずやって来たことで、見えてる景色が少しずつ変わってきてるのかな、とちょっと実感しかけているいるところです。

ホントにちょっとずつですけど。

そしたらこの前、学生時代の友人が僕のことを「続けてることがスゴイ」と言ってくれたんですよ。

なるほど。確かにそうかもしれない。

続けている、続けられる状況にあるっていうのは、確かにそれだけですごいことなのかもしれない。

僕の実感としては「やめる理由がなかった」と言うのが正直なところ。1冊作るたびに「次も作ろう」と思えるし、文学フリマなどのイベントに出ればちゃんと反響がある。売上も、実力と工夫次第でまだまだ伸びていくという実感がある。

なにより、ZINEを置いてるお店や、ZINEを売るイベントをいくつかまわっていくうちに、それまで行かなかった町、知らなかったお店、出会わなかった人に会うようになる。

「ネタ切れ」とか、「反響がない」「全然売れない」「ここが限界だろう」、みたいなやめる理由がいまのところ見つかってないから続いている、って感じです。

すくなくとも、カネになるならないはあまり関係ないですね。儲かったってやめる人はやめるだろうし。もうやめたいんだけどカネになるから続ける、っていうのもなんだかなぁ。

ZINEにかぎらず、僕の場合なんだってやめる理由が見つからないうちはずっと続ける性格なのですが、その性格が「続ける才能」ってヤツなら、案外そうなのかもしれません。

続けることもまた一つの才能。そういえば、地球一周に向けてポスター貼りをしていた時も、そんなことを言われました。一度は地球一周を志しても、船に乗るまで半年ぐらいある中で、その意思を継続できる人って意外と少ないんだ、と。確かに僕は一度も「やっぱり地球一周はやめよう」と思ったことはなかった。「ポスター貼りもうヤダ!」は何回かあった気がするけど(笑)。

さて、その友人が、この春から海外に出向することになったんです。それも、数年間。

その話を聞いて、思ったのです。

「私も、まだまだ暴れ足りない」と。

もっともっとワクワクすることをしたい。

友人は海外に行く。僕も負けてられない。ワクワクに関しては負けたくない。謎の意地の張り合いです。

きっと僕は、どんな人生を歩んでいたとしても、必ずこう思うのでしょうね。「もっとワクワクすることをしたい」と。

だから、まだまだまだまだ止まんないよ。

スマホを捨てよ、海に潜ろう

ゼンカイのあらすじ

ゼンリョクゼンカイでスマートフォンを忘れたノックさん。気づいた時には時すでに遅し。電車はドンブラコと最寄り駅から離れていく。しかし、スマートフォンがないことで、日常のちょっとした考える時間、すなわちシンキングダイムの重要性に気づくのだった!

「考えること」の大切さを繰り返し説いてきた哲学者で文筆家の池田晶子さんは生前、テレビもネットもやらなかったそうです。インターネットで世界中がつながっても、ガラクタのような情報が増えるだけだ、と。たしかにそうかもしれないですね。

それよりも、思索の世界に入り込めば何時間でも楽しめる。だから彼女にはテレビもネットも必要なかったのだとか。

なーんとなくわかる気がしますね。彼女の場合「自分とは何か」「善悪とは何か」「宇宙はなぜ存在するのか」なんて哲学的なテーマをいくつも持っていて、それについて考えることでいくらでも時間を費やせた。いわば、頭の中に膨大な「思索の海」を抱えていて、どこまでもどこまでも潜っていけた。

問題はこの「思索の海」は日ごろから「考えること」をしていかないと、水が溜まっていかないということ。

ふだんから考えることをしないで、テレビやスマートフォンばっかり覗いていると、水が全然たまりません。プールぐらいの浅さのところを潜って、すぐに底をついておしまいです。

そんなんだから急に「おうち時間」なんて言われると何していいかわからなくなるわけです。

意識的にオフラインの時間を作って、何か考えてみたり、逆に無心になって何も考えなかったり、そういう時間が必要なんです。四六時中スマートフォン片手に、社会情勢やらトレンドやらの最新情報をチェックしてる人が賢くて偉い、なんてことはないんですよ。むしろ、「思索の海」に水が溜まってないのにバカスカ情報だけ取り入れてる人の方がバカなのかもしれないですよ? 水槽に水が全然ないのに魚を放流しまくってるようなものですから。

だいたい、ネットでデマに踊らされてる人ってのは、むしろ普段からスマートフォンをいじくって色んな情報を見てるはず、の人ですから。知識や情報量の多さが人を賢くするわけではないんです。

まあ、テレビやスマートフォンに比べると、読書やラジオはそういうオフライン時間にオススメかもしれません。映像がない分、想像力を働かせる必要があるから、知識や情報を吸収しつつ、ちゃんと考える時間も取れる。

テレビが普及し始めた時に「一億総白痴」なんて言われて、そんなことあるまいと思ってたけど、イヤあんがい、少しずつそうなっていたのかもしれませんね。

スマホを忘れただけなのに

スマートフォンを忘れて家を出てしまった。気づいた時にはもう遅い。駅の改札をくぐってしまったうえ、駐輪場に自転車を入れてしまったから、いまから出すと100円かかってしまう。

仕方ないので、そのまま電車に乗った。夜まで帰れない予定だし、今日はこちらから電話だのLINEだので連絡を取る用事があるのだけれど、いまから取りに帰るとお金も時間もかかるのだから、仕方ない。

それに、令和になった今でも、駅前を中心に意外と公衆電話は残っている。問題ない。

しかしこうやってスマートフォンを手放してみると、その分、スマートフォンをのぞき込む人の姿が目に付く。歩きスマホだったり、スマートフォンで音楽を聴いてたりで、こちらに気づかずにぶつかりそうな人もいる。2台同時に操る猛者まで見た。

それに引き換え、こちとらちょっとのスキマ時間にSNSを見ることもできない。いや、普段からあまりスマートフォンを触らないようにしているのだけど、それでも日ごろけっこう触ってしまっていたんだなぁ、と気づく。

いったい、僕たちは一日にどれほどの時間をあのうっすい板切れごときに費やしているというのだ。ほんの10年前まで存在もしなかったくせに。

スマートフォンに触れないとなると、暇な時間は「考えること」しかできない。作りかけの新作の原稿を考えたり、前に読んだ漫画の内容を思い出したり、保留にしていたことを考え出してみたり……。

けっこう楽しいじゃないか。人間は考えるアシなのである。考えることは楽しいのだ。

もしかして、人類はスマートフォンによって、こうした日常のちょっとした「考える時間」を奪われているんじゃないのか。

ネット検索ができないから、気になったことはずっと気になっている。

グーグルマップが見れないから、自分で道を思い出すしかない。

天気予報が見れないから、空模様から予測するしかない。

ところがスマートフォンがあると、こういう「ちょっとした考える時間」がどんどん奪われていく。

よくない。これはよくない。特に、大人になると、ほかにいろいろ考えなければいけないことが出てきて、ただでさえ「自由に考えられるちょっとした時間」が減っていくというのに、残った時間までも板切れごときに吸い上げられるなんて、時間のピンハネじゃないか。

最近、回転ずしやでの迷惑行為が世間を騒がしていて、「こんなことして動画をネットに挙げれば炎上するって、ちょっと考えればわかるでしょ?」と思うけど、もしかしたら今の子供たちはその「ちょっと考える」ための時間を、大人が作ったスマートフォンに奪われているんじゃないか。大人が子供たちから時間を吸い上げておいて、『よく考えろ』もないもんだ。

そんなことを考えながら、お昼ごはんを買おうとファミリーマートに入る。

するとなんと、レジの上にモニターがあって、そこで映像が延々と流れされていたのだ。

レジを並んでいる十数秒間を退屈しないように、なんだろうけど、冗談じゃない。「レジを並んでいる十数秒間にちょっと考える時間」まで奪うつもりなのか!

実際、映像が流れて、音まで出ていると、どうしても思考を止めてそっちを見てしまう。よくない。これは実によくない。

これからどんどんデバイスが発達してどんどん便利になると、そのぶん、どんどん「ちょっとした時間」が奪われていくんだろうなぁ。

人間は考えるアシだ。だったら、考えなかったら、ただのアシじゃないか。これを俗に「悪しきこと」というのです。