本屋が好き

先日、本屋についていろいろと語り合う機会がありまして。その時思ったんですけど、さいたま市って、実はめちゃくちゃ本屋や図書館に恵まれている場所なんじゃないかと思うんですよ。

なにせ、浦和駅前に紀伊国屋と蔦屋書店、さらに地元の古い本屋と、3つも大きな本屋があるのですよ。

さらに、浦和では毎月一回古本市が開かれているんです。ここがもう、宝の山。毎月何かしら買ってしまいます。

さいたま市でもだんだん本屋は少なくなってきてるんですけど、それでも、「本屋のない自治体がある」なんて言われると、恵まれてる方なのかな、と思っちゃうんです。

図書館を見てみると、横浜市が図書館が18個なのに対して、さいたま市は25個。

しかも、横浜市は人口20万人に対して図書館1個なのに対して、さいたま市は人口5万人に対して図書館1個。どおりで、図書館がいっぱいあると思った。

まあ、千葉市も似たような感じみたいなので、横浜が特別少ないのかもしれません。

文化行政がアレでおなじみの大阪市ですら、11万人で図書館ひとつだからなぁ……。

一方で、やっぱり本屋が少なくなってきてるのも事実。

ネットの普及だったり、アマゾンの侵食だったり、電子書籍の普及だったり(電子書籍は当初言われてるほど普及してない気も……)。

それでも、僕はやっぱり本屋さんに行くのが好きなのです。

「東京の面白い本屋さん」というのを探し歩くのが好きだし、地球一周の旅をして一番好きな場所はどこかと聞かれたら迷わず「神保町と秋葉原、ついでに中野ブロードウェイ」と答える始末。

神保町に通えない場所には住みたくない、というのが僕の持論です。

ところが、神保町に近すぎると今度は毎日のように散財してしまうだろうから、あんまり近くには住みたくない、というのも僕の持論。

以前に友人があの近くで働いてると聞いて「いいなぁ」と思った数秒後に「いや、だめだ! あんなところで働いたら、仕事終わりの度に散財してしまう!」と思い直しました。

そんな僕なんですけど、アキバや御徒町で働いていたこともあります。アキバは見てるだけで楽しいから散財しなくていいんです。

旅先でも面白い本屋がないかどうか調べ、その近くに宿をとる。いい本屋がある街に言うと、ワクワクします。

粋な居酒屋やしゃれたバー、おしゃれなカフェが好きな人がいるように、僕にとっては面白い本屋が大事なんです。

そんな本屋がさいたま市にもできないかなぁ。

と思ったら、この前、大宮で見つけたんですよ。取次ぎに頼らず、独自の選本でやっている面白い本屋!

おもしろくなってきましたよ。

山梨の旅

1泊2日で山梨に一人旅してきました。2年ぶりの旅行、自由気ままな一人旅としては、もっと久しぶりでしょうか。

ちなみに、実は意外と「男子だけで旅行」というのをやったことがありません。2回くらいしかないかな、というさりげない自慢。

立川の特急列車からいざ甲府へ。山梨では富士山が見れるかな?

と期待に胸を膨らませていたところ、まさかの、立川から発車5分で富士山が丸見え。

いや、東京から見えてもいいけどさ、早いのよ。出番、まだなのよ。ちょっとしゃがんでてよ。

ちなみに、山梨で見えた富士山は、ほかの山からちょこっと頭を出してるだけで、なんだか焼き肉屋のシメで出てくるアイスクリームみたいでした。せっかく来たんだからもうちょっと背伸びしてくれよ。

電車の中で読む旅のお供は、四角大輔アニキと本田直之さんの本「モバイルボヘミアン」。5年前に買った本だけど、旅の列車の中は「もう一度読み返す」にもってこいの場所です。

しかし、近場のつもりで山梨を選んだんですけど、特急の1時間もしっかり遠いですね。地球は広い。

山梨は、真ん中に甲府盆地があって、その周りを山々が囲むという、ポンデリングみたいな形をしています。甲府を拠点にすればいろいろと動きやすい。

初日の目的地は「鰍沢」。「かじかざわ」と読みます。甲府盆地の南の端で、今では富士川町の一部ですが、かつては一つの市でした。

甲府盆地は東を笛吹川、西を釜無川が流れていて、その二つの川がこの鰍沢で合流して、富士川となって太平洋へと流れ出る。そのため、鰍沢は水運の拠点として発展したのです。

鰍沢をウロチョロした後は、甲府に戻ってその日はおしまい。

宿代をなるべく安くして、ホテルはほんとに眠りに行くだけ。食事とお風呂は、甲府の街中のレストランや銭湯に行く、「街そのもの」に泊まるスタイル。「銭湯からホテルに戻る前に、スーパーに寄ってきたい」なんて感じで街を歩いていると、ちょっと生活者になった気分に浸れます。

この日の歩数は39598歩。さすがに疲れて、銭湯に熱いお湯につかりながらあ~う~うなってました。

二日目の予定はなんとなく決まってたんだけど、完全に予定変更して、中央本線を鈍行で帰りながら、気になった駅で降りていくスタイル。

気になった駅が「塩山(えんざん)」と「四方津(しおつ)」。「よもつ」ではなく、「しおつ」。

日本の塩は海でしか取れないはずなのに、なぜ山梨に「塩」の地名があるのか?(さらに、甲府の西には「塩崎」という駅もあるのです)。

これは「なぜ、山に囲まれているのに『やまなし』なのか」に匹敵するレベルの謎です。

あと、「山梨」はなんだかかわいらしいうえに甘くて美味しそうだけど、「甲斐の国」って書くと途端に強そうになるのも、不思議です。

なぜ、山梨なのに「塩」の名がつくのか。結果的に、次のZINEのページが3分の1は埋まるんじゃないか、ってくらいのネタを仕入れることができました。

帰ってからもなおワクワクしている、これぞ最上の旅!

ちなみに、二日目の穂数は42687歩でした。そのうちの2000歩はたぶん、夜に新宿で「夕飯どうしよう」と歌舞伎町をうろうろした時のものです。

あと、乗り換え失敗して、トータルで1時間足止め食らいました。

電車が少ないのはまだいいとして、来たと思ったら鈍行じゃなくて特急なのよ。

推しキャラ引き運

おととしのこと。旅行中に男子三人で「好きな女性のタイプ」という鉄板すぎるネタで盛り上がったことがありました。

鉄板すぎるネタなんですけど、唯一、「一般的」と違う部分があるとすれば、現実の女性の話じゃなくて、人気アニメ「ご注文はうさぎですか?」の登場人物の中で、という条件が付いていたこと。まあ、些細な問題です。

友人の一人は「ココアさん」と答え、もう一人の友人は「リゼ先輩」と答え、僕は「チノちゃん」と答える。見事にかぶりませんでした。

「好きな女性のタイプ」というと、なんだか仰々しいしいやらしいけれど、「推しキャラ」と言い換えることもできます。

そして僕はこの推しキャラのグッズを引き当てる確率が高いんです。

「ごちうさ」関連のくじ引きをやれば、かなりの確率で僕はチノちゃんを引き当ててきました。

この「推しキャラ運」の強さはこれだけにとどまらず。

僕の一番好きなアニメが2018年に放送された「刀使ノ巫女」で、そのアニメをもとにしたゲームもかなり熱心にやりこみました。

そのゲームのシステムは、使えるキャラクターをくじ引きでゲットする、いわゆる「ガチャ」というやつです。

さて、ゲームにログインして初めての記念すべきガチャ。僕のお目当ては、推しキャラ「糸見沙耶香」! キャラの数から考えて、引き当てる確率は16分の1。6.25%。

よーし、沙耶香を引き当てるまで、ガチャを回すぞ~!

……1回目で引き当てました。

その日はじめてログインしたばっかりなんだから、僕が沙耶香推しであることなど、どれだけ優秀なAIが搭載されていたとしても、ゲーム側が知るはずありません。

ちなみに、後に実装された推しキャラ「岩倉さん」も数回のガチャで引き当てました。

さらにさらに、2番目に好きなアニメとして公言してはばからない、2017年のアニメ「プリンセス・プリンシパル」でも引きの強さは健在。

コラボカフェに行って、缶バッジを2個買ったんです。中身がどのキャラなのかは、買って開封するまで分からないシステム。

これまた、1回で推しキャラ「ベアトリス」を引き当てました。

しかも、買ったバッジが二つとも「ベアト」だったんです! バッジは5種類なので、2つとも推しキャラを引き当てる確率は4%!

さらに、このアニメの映画を見に行った時も、入場者特典としてポストカードがもらえるのですが、それまたベアトが描かれたものでした。

ただ、この「推しキャラ引き運」、あまりやり続けると、確率が下がってしまうんですけどね。推しキャラ引き運は、鮮度が大切です。

ラジオリスナーの憂鬱

相変わらず、毎日ラジオばっかり聞いています。今もラジオを聴きながら書いています。そんな日々をもう17年ほど続けているので、「趣味:ラジオ」でいいのでしょう。

とくに、つい先日、お気に入りのラジオDJの子が2週間のコロナ療養から復帰したので、改めてラジオの楽しさを噛みしめている日々ですね。

やっぱり、ラジオの一番大事なところって、「いつもの人が、いつもの時間に、元気にしゃべってる」、これにつきます。2週間の間、代演のラジオDJが日替わりで登場して、それはそれで面白かったんですけど、やっぱり「いつもの人が、いつもの時間に、元気にしゃべってる」のが一番。

おもむろにラジオをつけていつもと違う人がしゃべっていると、不安になるわけです。「え? どうしたの? いつもの人は? 病気?」って。

なかには、大人の事情で表には出せない理由を「体調不良」ってことでお茶を濁してて、そのまま二度と帰ってこない、なんてことが、まれにあるんですよ。ごくまれに。

だったらまだ、「コロナです! 2週間出れません! 確定です!」って言われた方が、ほっとするというもの。出れない原因がはっきりわかってるんだから。

原因不明の体調不良が、一番怖い!

だからこそ、番組が始まり、「いつもの人」が第一声の挨拶をした瞬間に、安心するわけです。ああ、今日も元気だなぁ、と。

ラジオは、生活の一部なんです。生活の一部だから、「いつも通り」が一番大事。

だから、生活の一部であるラジオ番組が終わる、というのはラジオリスナーにとって一大事なんです。テレビ番組の最終回なんかとはわけが違います。

ラジオでは4月と10月に大きな番組改編があります。だから、「番組終了のお知らせ」は3月と9月に集中するんです。そこが、ラジオリスナーにとっての鬼門。だいたいみんな、ナーバスになりながらラジオに耳を澄ませています。

この時期になると、「もしや、そろそろそういうお知らせが来るのでは……」と肝を冷やしています。

そして、「番組の最後に重大発表があります」「番組から大事なお知らせがあります」なんて言われると、もう生きている心地がしないんですよ。

そしていざ、重大発表の時間がやってきます。

「20ⅩⅩ年に始まったこの番組ですが……」

だいたい、番組が終わるときはこういうしゃべりだしです。

「3月の放送を持ちまして……」

ああ、ついにこの時が……。

「放送時間が拡大します!」

ズコーっ!!

……ホントにたまに、そういうフェイントかけられることがあります。

そして、改変期を無事に乗り越えると、少なくともあと半年ぐらいは平気だろう、っとほっとしてラジオを楽しむわけです。

だから今、一番ラジオが楽しいわけですね。愛してるぜ、ラジオ!

岡本太郎に憧れて

今、僕の中で何度目かの岡本太郎ブームがきてます。まあ、絵と言うよりは、彼の著作を読み漁る形なんですけどね。

特に、岡本太郎が民俗学にも造詣が深かったって聞いたんで、『神秘日本』っていう本を読んだんです。

岡本太郎が日本のいろんなところを旅行して、青森の恐山や東北の修験道、沖縄の御嶽などを目の当たりにするという本。

日本の民俗を、芸術家ならではの視点で観察し、表現してるんです。

岡本太郎って人は、パリにいたときに今でいうところの文化人類学を学んでて、日本の歴史や民俗に対しても知識が豊富な人です。

でも、そういった知識や理論を十分に知ったうえで、それに頼らずにおのれの感性のみでぶつかり、表現する。

読みながら、あっこれだ、って思ったんですよ。僕がやりたいのも、こういうことなんじゃないか、と。

知識や理論よりも、目の前の光景をどう切り取り、どう解釈し、どう表現するか。

最近、僕は知識を増やすことや、理論が正しいかどうかってことよりも、そういうことの方をよく考えてるんです。

もちろん、知識や理論も大事なんですよ。いい写真を撮るには、いいカメラが必要だし、カメラの使い方やテクニックなど、いろいろと知ってなきゃいけない。

でも、どんなにいいカメラを使ってても、どんなにカメラに詳しくても、レンズを向ける方向がおかしかったら、いい写真は撮れないんですよ。

で、最近の僕は、そのレンズの向け方のことをずっと考えているわけなんです。

いま、『民俗学は好きですか?』の第7集の制作が大詰めになっているんですけど、今回は「知識や理論よりも、レンズの向け方が大事」って意識が、今まで以上に出てる、って我ながら思うんですよ。

理論的に正しいと思ったことよりも、「こっちの方がロマンあってよくない?」ってことを強調しちゃったり。

数百年前の景色を、さも見たことがあるかのように書こうとしたり。

「自分が面白いと思ったことを、いかに他人におもしろく伝ええるか」、それがずっと、僕の中でのテーマなんです。

やっぱり自分は、学者や研究者じゃなく物書きなんだなぁ、とつくづく思いますね。

さっき例えでカメラの話を出したけど、最近は写真にも興味がありまして。

世の中には民俗学で扱うようなもの、古い風習とか、祭りとか、地蔵とか鬼の面とかを専門に撮る写真家、っていう人もいるんですよ。

彼らは、被写体に対しての知識はもちろんあるんだけど、やっぱり知識や理論だけでは表せない「なにか」を表現したくて、レンズを向けるんじゃないか。

そして、僕も同じなわけですよ。知識や理論だけでは説明しきれないなにかを表現したくて、筆を走らせるのです。実際にはキーボードをたたいているわけなんですけど。

電力会社から節電してくれと頼まれたから節電したけど、普段とさほど生活が変わらなかった件

電力会社から節電してくれと頼まれたから節電したけど、普段とさほど生活が変わらなかった件、です。

いやぁ、普段からあんまり電気、使わなかったんですね、僕。

カネさえ払えば電力を湯水のごとく使っていい、なんて許されるのは、小学生までだよねー!

まず、10年で2回パソコンが壊れているんで、パソコンやスマートフォンを信用してないんですね。だから、スケジュールなどはアナログで管理しています。

つまり、パソコンを開かないとできないってことが、日常生活の中であんまりないんですよ。

いま、この文章をパソコンで書いてるじゃないかって? こんなの、電力に余裕がある時に書けばいいんです。

何なら今、現在進行形でスマートフォンの調子が悪いんだけど、普段から生活がスマートフォンに依存してないので、ほとんど支障をきたしていません。

「自分で直せない道具に、生活のすべてを委ねない!」

計算も足し算引き算はそろばん使ってますし、加湿器を使わずに、霧吹きを部屋で散布しています。

you tubeはほとんど見ないし、SNSを見る時間も意識的にセーブしてる。「ひまつぶしにネットやSNSを見てる」ということは、僕の日常で30分くらいしかないのです。だから、見れなくなってもそんなに困らないんですね。

じゃあ、何やってるのかと言うと、節電の日は一日中ラジオ聞いてました。

ラジオはいいぞ。ラジオこそ、災害時における最強のメディアです。今もラジオを聞いて書いてます。

なんたって、電池一本で数十時間持ちますから。最悪の場合、人力で発電できるラジオだってあるし。

スマートフォン、人力で発電できますか?

そして音だけのメディアだから、節電や停電で部屋の中が真っ暗でも、影響なし!

むしろ、ジャズやR&Bなんかは、部屋が暗い方がムードが出ますね。

あと、怪談話。明るい部屋で聞くより、暗い部屋で聞いた方が、背筋が寒くなります。

日が落ちても電気をつけず、薄暗い部屋の中でラジオを聴きながら、むかーしむかし、まだ電気がなくて囲炉裏しかなかったころのことに思いを馳せます。もちろん、生まれてませんけどね。

テレビもネットもない時代。そして、囲炉裏の灯では薄暗くて、夜では読書もままならない。

そうなると、昔話や怪談話などの音のエンタメが、一番のエンターティメントなんですよ。テレビなどのメディアの普及で、そういった話が家で語られなくなったっていうけど、メディアの普及だけでなく照明の問題もあるかもしれないですね。

なるほど、民俗学の道というのは、テレビの電源プラグを引っこ抜き、文明を一つ捨てるところから始まるんですね。当時の暮らしぶりを自ら体感して、はじめて気づくことがある。書を捨てて、電気を消そう。

「昔は、囲炉裏端でのお話が最大の娯楽でした」と、知識では知ってるんだけど、いざ薄暗い夕闇の中に身を置いて初めてわかる、「音しか、楽しみない……」。

でも、音だけで十分楽しい!

書を捨てよ、そして、電力を捨てよう。

ノンバズル企画3周年!

ノンバズル企画の活動が3周年を迎えました。

3年と言うと、体力づくりのためにバスケを始めた木暮君が、「バスケが好きなんだ」と言えるくらいの年月が経ってますね。

ここまでの3年を振り返ってみると

1年目:ZINEを作り始めるため、いろいろと勉強。半年かけて1冊完成させる。

2年目:コロナ禍に突入して即売イベントが激減するも、何とか活動を進める。11月には初めて文学フリマに出店。

3年目:リアルやオンラインで、少しずついろいろなイベントに出るようになる。

ここまで、「民俗学は好きですか?」をvol.6まで発行。現在、vol.7の制作も大詰め!

こうやって振り返ると、「スタートの3年」って考えると、決して悪くはないなぁ、と思いますね。謙遜はしないです。

考える限りいちばん最悪な状況が「誰にも見向きされない」「さっぱり売れない」だけど、ありがたいことに、そのルートにはなってないわけで。

さて、4年目はどうしよう。

販路拡大、と言うのも考えるんだけど、やっぱりノンバズル企画に「成長路線」と言うのは似合わない。

いまや、何でも何でも数字じゃないですか。フォロワー何人とか、いいねが何個とか、再生回数が何回とか。どれだけそれに中身が伴ってるんだか。

振り返って自分に置き換えると、「成長路線」とか「販路拡大」という言葉が似合うほどに中身が伴っているんだろうか。

そもそも、中身とは何だ。

ノンバズル企画を立ち上げた時に掲げたのが、「量」より「質」であって、それは「バズることが正義」となっている現代社会への反骨なんです。だから「ノンバズル」という名前なんです。

となると、質が伴っていないのに、量の拡大ばかりに気が向く、と言うのはちがうでしょう。

まず、質が高いものをしっかりと作って、その質の高さが容れ物からあふれ出して、量を増やしていく、というのがスジじゃないですか。

じゃあ、質の高さをどうやって確認するのかだけど、まずは自分が満足できるものを作ること、そして、人からの反響がしっかりと返ってくることかな、と思うのです。

もちろん、そこに至る道はあまりに険しい。いつも「正解がわからない!」と言いながら作ってますから。「こうすれば質が上がる!」っていう確実な道があるなら、ぜひ教えてください。

正解はわかんないけど、「こういうものを作りたい!」っていう理想はあって、ただ、そこに至るための「正解がわからない!」。

でも、正解がわかんないからモノ作りは面白いんですね。「こうすればうまくいくよ」なんて方法論が開拓されているんだったら、やる意味がない。正解がわからない道を歩いていくからこそ、冒険なのです。

まだまだまだまだ止まんないよ!

小説 あしたてんきになぁれ 第34話「モノレールのちブレスレット」

ケンカしたり仲直りしたりのお泊りの翌日、ミチはたまきを外に連れ出すことに。二人でお出かけ、と言ってもミチとたまきの場合は……。あしなれ第34話、お待たせしました!


第33話「柿の実、のち月」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


目覚めると、朝だった。

ミチは昨日の買い物で、朝ごはん用に菓子パンを二つ買っておいた。二人でそれをモチャモチャと食べる。

ミチもたまきも、何もしゃべらない。

朝、目が覚めた時、たまきはふとんを独り占めして寝ていた。ゆうべ、たしかにたまきは、ミチにもふとんがかかるようにとふとんを横にしたのに。

そして、ミチはとっくに起きていて、テレビを見ていた。

つまり、ミチはたまきより早く起きて、またふとんの位置を変えたということである。

ということは、たまきが夜中にふとんの位置を変えたことにミチは気づいたはずだ、ということであり、さらに突っ込んでいえば、「ミチが自分のふとんをたまきに使わせて、自分は腹を出して寝ていたことに、たまきが気づいた」ということに気づいたはずなのだ。

そのことに関して、ミチは何も言わないし、たまきも何も言わない。

男子というのは、女子に柿の実をぶつけて痛がるのを喜ぶような野蛮なサルであり、その中でもミチというサルは、優しくパスを出したつもりで思い切り柿の実をぶつけてくるような奴である。力のさじ加減がわからないようなヤツなのだ。

だからこそ、稀に、そして、急に、やさしく柿の実をパスされると、どうしたらいいのかわからず、困る。

ただでさえおしゃべりが苦手なうえに、こんな時に相手にかける言葉なんてたまきは持ち合わせていないのだ。

むしろ、ミチが何も言わないのは、不自然じゃないか。いつも、大した用もないのに話しかけてくるくせに。「俺がふとんかけてあげたこと気づいた?」って自分から自慢したっておかしくないくらいだ。

なのに、どうして、今朝に限って黙っているんだろう。

たまきはミチの方に目をやった。ミチは二つ目のコロッケパンの袋を開けていた。

「その……」

たまきは、パンの袋をくしゃりと潰しながら言葉をつづけた。

「……なんかないんですか?」

「……なんかって?」

ミチは怪訝な顔をした。

「あ、パン二個じゃ足りなかった?」

「……いえ……別に……」

これ以上考えるとおなかが痛くなるので、たまきは考えるのをやめた。きっとふとんが勝手に動いたんだ。そうにちがいない。「ミチがこっそりふとんをかけてくれた」と考えるより、まだこっちの方が現実的だ。

「それでさ、たまきちゃんはこの後、どうするの?」

「えっと、夕方の六時に『城』に集合、って約束になってます」

「六時まで、どうしてるの?」

今は朝の八時だ。

「えっと……いつもの公園に行って、絵を描いたり、ぼうっとしてたりしようかなと……」

「十時間も?」

「はい」

たまきは、特に深く考えずに返事をしたが、しばらくしてミチの顔を見て、

「……ヘンですか?」

と聞き返した。

「さすがに十時間はおかしいって。そんなに長く公園にいたら、補導されちゃうんじゃないの?」

「……たしかに」

たまきとしてみれば、公園で十時間ぼうっとしてるくらい、たいしたことないのだけれど、フツウの人が見れば、子供が公園で十時間もぼうっとしてたら、やっぱり警察を呼びたくもなるのだろう。社会的にはたまきは、家出中の不良少女なのだ。不良と言っても家出してぼうっとしてるだけなのだけど。

太田ビルの屋上でぼうっとするのはどうだろうか。だけど、万が一、オーナーが屋上にやってきたら面倒だ。たまきみたいな子が屋上でぼうっとしてたら、それこそ、思い詰めて飛び降りようとしているようにしか見えないだろう。

誰にも迷惑をかけずに、ただぼうっとしていたいだけなのに、それすらできないなんて、なんて理不尽な世の中なんだろう。

それにしても困った。困った、困った。これから十時間、どこでぼうっとしたらいいんだろう。

そんなことを考えながら、食べかけのパンをじっと見ていたたまきだったが、そこにミチが口を開いた。

「特に予定ないならさ、今日一日、付き合ってよ。ちょうど行きたい場所があって」

「ほへ?」

不意の申し出に、たまきはパンを落としそうになった。

「予定、ないんでしょ?」

「ないですけど……なんで……わ……」

そう言って、たまきは口を閉じた。しばし、沈黙が流れる。

「……ムリです」

「無理って何が? 俺と一緒に行くのが?」

「あ、そういうんじゃなくて……」

たまきはそういうと再び黙り込んだ。それから、ごくりとつばを飲み込んだ。

「……行きたい場所って、どこですか?」

「オダイバのモール」

だからそれはどこだ、と聞こうとしたけど、やめた。

「……一人で行けばいいじゃないですか」

「いや、一人じゃいけない場所なんだよ」

そんな場所などあるのだろうか。二人で石の上に手を置いて呪文を唱えないと開かないとか、そんな場所なのだろうか。

さっぱり気が進まないが、どうせ他に行く場所もないし、何より、一晩お世話になったんだから、ここは多少気が進まなくても、ミチのいうことを聞くべきなのではないか。

「……じゃあ……行きます」

「よし、行こう」

そういうことになった。

 

写真はイメージです

お昼近くになってから、二人はミチの家を出た。

電車に乗って、東京の東の方に向かうにつれて、たまきは不安になってきた。東京の東側にはいい思い出がない。「オダイバノモール」という所もきっと、おしゃれ警察どころかおしゃれ軍隊が跋扈するような、恐ろしい場所に違いない。

電車の中では、ミチがずっと話しかけてきて、たまきはただただ曖昧な返事をするだけだった。ゆうべもずっと一緒にいたのに、よくもまだ話すネタがあるもんだ、と妙に感心した。

やがて、モノレールの始発駅にやって来た。ここで乗り換えのようだ。

たまきは、モノレールに乗るのは始めてだ。正直、電車との違いがよくわからない。電車はレールが二本で、モノレールは一本だ、なんて話を聞いたことがあるけど、だからなんだというのだろう。

乗り換えで移動している時も、ホームでモノレールを待っている時も、ミチはずっと話しかけてきた。この男が、今朝に限って何も言わずにパンを食べていたことが、本当に不思議でならない。

モノレールがやって来た。モノレールの中は電車に比べると、どことなく未来っぽい。二人は、窓側の席に並んで腰を下ろした。

ドアが閉まり、モノレールは静かに動き出す。ガタンゴトンいわないのも、未来って感じだ。

たまきは、ミチが座っている方とは反対側、モノレールの進行方向に首をねじって、窓の外を見ていた。ミチにはたまきの後頭部が見えているはずなのだけど、かまわずに彼はしゃべり続けている。もしかして、たまきの背後霊にでも話してるんじゃないか、とちょっと不安になった。

モノレールはホームを抜けて、東京の街中へと滑り出す。

窓から見える景色は、たまきが今まで見たことのないものだった。

地面よりも高いところを、モノレールは走っていく。周囲には、さらに高いビルばかり。まるで森の木々の間を飛ぶ鳥のように、モノレールは高層ビルの立ち並ぶ東京を滑走していく。

そう、モノレールから見える景色は、まるで空を飛んでいるかのようだった。「モノレール」なんだから、レールの上を走っているはずなんだけど、窓から見える景色は、「空を飛ぶ不思議な乗り物」のそれだった。ガタンゴトンという音すら聞こえないので、本当にレールの上を走っているのか、疑いたくなる。

飛行機から見える景色というのもこんな感じだろうか。いや、飛行機はこんな低空を、それもビルとビルの間を縫うように飛ぶことなんてできない。

音のない乗り物に乗って、ビルとビルの間を縫うように飛ぶ不思議な乗り物。まるで自分が、鳥か幽霊にでもなったかのようで、たまきにはとても新鮮だった。

やがて、ビルやマンションが立ち並ぶエリアから、物流倉庫が目立つエリアへと入っていった。と同時に、倉庫の後ろには海が広がっているのがわかる。たまきにとって、海を目にするのは久しぶりだった。

さらに進むと、大きな橋が現れる。橋は海の上を渡り、対岸の島へと続いている。島にはこれまた未来っぽい建物。たしか、どこかのテレビ局だったはずだ。

この時、たまきは初めて、ミチが言っていた「オダイバノモール」が「オダイバのなにか」であることに気づいた。

 

写真はイメージです

 

もちろん、たまきがオダイバに来るのは初めてだ。

駅の外に出て振り返ると、高いところにあるレールの上を、モノレールが走っている。なんだか、枝の上をもにょもにょ動くイモムシみたいだった。

オダイバのことなんて、ほとんど知らない。海の上にあるということと、テレビ局があるということぐらいだ。

「オダイバはね、昔、大砲が置かれた場所なんだって。だから『オダイバ』っていうらしいよ」

と、ミチが携帯電話の画面を見ながら言った。なんのことはない。こいつも調べながら話しているだけだ。そうまでしても、おしゃべりのネタが欲しいのだろうか。

オダイバは島のはずなんだけど、ぜんぜん島にいるという感じがしない。道路の上は何かの宣伝カーがワンワンとけたたましく通り過ぎ、おしゃれな人たちが歩道の上を行きかう。周りを見渡すと、どこか直線的で、近未来っぽい無機質なビルが見えた。きっと、ここが「おしゃれ軍隊」の基地に違いない。

ほかには、どこかのお店のロゴマークを多く連ねる巨大な建物がある。ロゴマークも、シンジュクの居酒屋のような主張の強いものではなく、スタイリッシュなものばかり。ビル、というよりは、横に長い。こっちはきっとおしゃれ要塞に違いない。

そうだ、オダイバには大砲がある、とミチが言っていたではないか。きっとたまきみたいな子は、このおしゃれ要塞から大砲を撃たれて死んでしまうのだ。いかに死にたがりのたまきと言えど、「おしゃれ軍隊に殺される」は、「絶対にイヤな死に方ランキング」のトップを狙えるだろう。

ところが、こともあろうにミチはそのおしゃれ要塞に向かって歩き出したのだ。

しばらく歩いてから、たまきがついてこないことに気づいたミチは、立ち止まった。

「どうしたの、たまきちゃん。こっちだよ?」

「その……行きたかった場所というのは……」

「ここだよ。オダイバのモール」

きらびやかなモールに、若者たちが次々と吸い込まれていくのを尻目に、まるでそこに張り付いた貝のように、たまきは動こうとしない。それが、ミチには奇妙に映る。

「どうしたの? 行こうよ」

「……一人で行けばよかったじゃないですか。なんで、二人じゃないといけないんですか……?」

「え、だって、一人で入るのは、なんかイタいじゃん?」

ああ、やっぱり。

場違いな人間が入ってきたら、即座におしゃれ軍隊に囲まれて銃弾の雨を浴びせられ、ハチノスにされてしまうのだろう。さぞかし痛いに違いない。

それならば、たまきみたいな子は、やっぱり入ってはいけない場所じゃないか。たまきみたいな子は一人で入ろうが二人で入ろうが、たとえ団体ツアーでやって来たって、銃殺されるに決まってる。

「ほら、せっかく来たんだから、行くよ」

そういうと、ミチは先に進んでしまった。

おしゃれ要塞の中に入っていくのは嫌だけど、おしゃれ要塞を目の前にして、一人でポツンと待っているのは、心細すぎる。そうだ、シブヤのスクランブル交差点で一人、亜美と志保を待っていた時も、心細かった。あそこだって、おしゃれ戦場ヶ原だったじゃないか。

たまきは意を決して、深くため息をつくと、ミチの後についていった。

 

写真はイメージです

服屋。チョコ屋。服屋。服屋。靴屋。

かばん屋。メガネ屋。服屋。なんかよくわかんない店。

おしゃれ要塞の中は、シブヤで入ったおしゃれ摩天楼によく似ていた。

たまきにとってはなじみ深いメガネ屋ですら、SF映画に出てきそうなつくりだ。たまきみたいに地味メガネの子が入ったら、ビームの出る剣で斬られてしまうに違いない。

だいたいどうしてこんなに服屋さんばっかりなんだろう。シブヤも、シンジュクも、ギンザも、どこへ行っても服、服、服である。服なんてめったやたらには破れたりしないんだから、服屋さんなんて何個もなくたっていいじゃないか。

かばん屋さんもやたらに目立つ。驚いたことに、かばん屋さんの正面に、別のかばん屋さんがあるのだ。ケンカとかにならないのだろうか。

たまきはミチの後ろをとぼとぼとついていく。すれ違う他の若者たちとのおしゃれ勝負にすっかり負けている気がするので、たまきは下を向きながら歩いた。

ミチの靴が見える。たまきの前を歩いている。

ミチの靴を視界の端にとらえながら、たまきは床のタイルを見ていた。

普段はこういうお店に入らないし、入ったとしても床のタイルなんて気にしたことなかったけど、注意して見てみると、意外と模様が色とりどりで面白い。幾何学的な規則にのっとって図形が描かれていたり、不規則に線が走っていたりで、思ったより飽きない。

それでいて、商業施設の床のタイルってやつは、主張しすぎない。それはそうだろう。お店の主役はなんていっても商品なのだ。床のタイルの方が目立ってはいけない。あくまでも、背景でなくてはいけない。

ところが、改めて床のタイルを見てみると、意外と美しいのである。デザインした人間のこだわりと、それでいて目立ち過ぎてはいけないのだという美学を感じる。床のタイル専門の美術館があったっていいくらいだ。

区画ごとに変化していくタイルを目で追っていると、不意に、たまきは何かにぶつかった。

顔を上げてみると、すぐそばにミチがいて、たまきの方を向いている。どうやら、立ち止まったミチに気づかずに、ぶつかってしまったみたいだ。

「ご、ごめんなさい」

「たまきちゃんさ、どうしてとなり歩かないの?」

「……?」

そんなこと言ったって、たまきは行き先もわからず、ミチについてきただけなのだから、ミチの後ろを歩くに決まっているじゃないか。

「となり歩かないと、恋人感が出ないだろ?」

相変わらずこの男は、言ってることがわからない。

「私……、ミチ君の恋人じゃないです」

「いや、そうだけどさ……、ほら、せっかく来たんだし……」

そういうと、ミチはまわりをきょろきょろと見渡す。

「ほら、この店、カップル率高いしさ……。せっかく二人で来たんだしさ、カップルっぽく見えた方が、恥ずかしくなくない?」

「……私は、ミチ君とカップルに見られることの方が、恥ずかしいんですけど」

「いや、でもそれじゃ、なんのためにたまきちゃん連れてきたのか……」

たまきは、半歩、ミチに近づいた。

「なんのために私を連れてきたんですか?」

「え、いや、それは、……たまきちゃんに楽しんでもらおうと……」

「……じゃあ、私のことは、ほっといてください」

そういうと、たまきは、半歩、ミチから離れた。

 

ミチが行きたかったという靴屋に二人は立ち寄った。

あれこれ靴を選ぶミチを、たまきはちょっと離れたところから見ている。

限定のスニーカーがどうのこうのと言っていたが、だいたいどうして、靴なんて欲しいのだろう。靴なら今、履いてるじゃないか。今ある靴の何が不満だというのだろう。

「このモデル、欲しかったんだよねぇ。でも、色で迷っちゃってさ」

買ったばかりの靴の入った紙袋をぶら下げながら、ミチが言う。

靴を履いているのに新しく靴を買うのも不可解だけど、靴を買うためにわざわざオダイバに来るのも意味が分からない。靴屋だったらシンジュクに大きなお店があることぐらい、たまきも知っている。どうして、わざわざオダイバなんだろうか。

「たまきちゃんはさ、なんかほしいものないの?」

前を歩くミチが、たまきの方を振り向きながら言った。

「……特には」

「せっかく来たんだから、なんか買ってあげるよ」

欲しいものなんてない、と言ったのに、どうして「買え」というのだろうか。

そういえば、さっき、大きな本屋さんを見かけた。たまきには興味のない服屋さんばっかりの場所だからか、いつもよりも本屋さんに立ち寄りたいような気がしてくる。

「あの、じゃあ、さっき見かけた本屋さんに……」

「本屋さん? そんなの、どこにでもあるじゃん。そうだ、なんかアクセサリーとか買ってあげるよ」

どうしてこの男は、たまきが欲しいものを勝手に決めるのか。

 

ミチとたまきが訪れたテナントは、アクセサリーをはじめとする小物を売る雑貨店だった。アクセサリーと言っても、宝石をあしらったような高額なものではない。髪飾りとか、ブレスレットとか、数百円か、高くても数千円で買えるような安価なものがそろっている。

「なんかほしいものないの?」

とミチは言うが、とくにはない。

たまきはとりあえず、店の中をうろうろしては見たものの、別にこれと言ってほしいものはなかった。

耳につけるタイプのアクセサリーをぼんやりと眺めていた時だった。

「なにかお探しでしょうか~」

とつぜん背後から声をかけられ、たまきはビクッとなって振り返った。

女性の店員さんがニコニコしながら立っている。おしゃれ戦闘力は明らかに高い。

「イヤーアクセサリーをお探しですか~」

え、えっと、それ、私に話しかけてます?

見れば、店員さんはまっすぐたまきの方を見ている。たまきに話しかけているのだ。

「こちら、今月入荷の新作でして、お客様の髪型でしたらこの辺りのカラーがオススメでして……」

「あ、あの、じ、自分で探すんで、だだだ、だいじょうぶです」

たまきは、殺虫剤でもかけられたかのようにその場を離れた。

黙って買い物させてくれればいいのに、どうして話しかけてくるんだろう。

同じ売り場の、別の場所で、さてどうしたもんかと佇むたまき。

すると背後から

「お客様、なにかお探しでしょうか~」

「ふぁっ!」

まるでお化け屋敷にいるかのような声を出して、たまきは振り返った。

見ると、そこにはさっきとは違う女性店員が、やっぱりニコニコ微笑みながら立っていた。

「こちら、今月入荷の新作になってまして~」

そ、それはさっき、聞きました。

「どういったものをお探しですか~」

「ま、ま、まみむめ……」

もうだめだ。ころされる。

たまきが何かに絶望しかけた時、横からミチが現れた。

「あ、あの今っすね、この子ににあうアクセサリー探してるんっすよ」

そういってミチはたまきの肩に手を置いた。

たまきは身をよじってミチから離れる。

「だから、私は別にいらないって言ってるじゃないですか。ミチ君が勝手に買わせようとしてるだけです」

「でも、アクセサリーつけたら、女子力上がるよ」

「……別にいいです」

「えー、女子力あげて、もっとかわいくなった方がいいと思わない?」

ミチは店員の方を見ると、

「ブレスレットなんてどうっすかね。頭じゃなくて腕とかにつけるようなやつだったら、恥ずかしがりの子でもつけやすいと思うんすよ」

「それでしたら~、こちらの商品などは、色あえいが控えめですので、シャイな方にも良いかと……」

「わ、私、別に恥ずかしいわけじゃありません。ほんとにいらないんです……」

「いいじゃんいいじゃん、買ってあげるって言ってるんだから。じゃあ、これひとつください」

そういうとミチは、緑色の千円そこらのブレスレットをレジに持って行った。

「だから、いらないって言ってるのに……」

というたまきを横目に、レジでミチは財布を開く。

「プレゼントですか~」

店員さんがバーコード片手に尋ねてきた。

「まあ、そういうことになるんすかね。ハハハ」

「後輩さんにプレゼントなんて、素敵な先輩さんですね~」

「センパイ……」

ミチはなぜか、ちょっとがっかりした表情を見せた。

 

二人は、商業施設の中にあるカフェでお昼ご飯を食べることにした。

ご飯をあらまし食べ終え、たまきは残ったアイスカフェラテを飲んでいる。

たまきは買ってもらったブレスレットを手にしていたが、身につけずに、リュックの中にしまった。

「つけないの、それ? せっかくなんだから、つけなよ」

「……いらないって何度も言いましたよね」

そういうとたまきは、アイスカフェラテのストローに口をつけた。

コップの中にはブクブクと茶色い泡が立っては消える。

ミチはそんなたまきを、何か不満げに見ていた。

「……たまきちゃんさ」

「なんですか」

「敬語、やめてみない?」

ミチは、左手で頬杖しながら話し始めた。

「俺らさ、出会ってもうそこそこ経つわけじゃん。昨日から、ずっと一緒にいるわけだし。それに年だって一個しか違わないんだしさ、もうそんな気を使わなくていいっつーか、もっとラクにしていいと思うんだ。亜美さんや志保ちゃんにも敬語なんでしょ? 一緒に暮らしててさ、疲れるでしょ。だからさ、敬語やめてさ、タメで話してみない?」

そういってミチはたまきの反応を見た。いいこと言うもんだと感心しているか、驚いているか、はたまた、照れくさそうにしているのか。

だから、ミチの「タメ口提案」に、たまきが心底嫌そうな顔をしているとは、全くの予想外だった。

たまきは、すごくイヤそうにミチの方を見た後、何も言わずにストローに口をつけた。

「……えっと、タメ口でいいんじゃない、って話んなんだけど……」

「……どうしてそんなこと言うんですか?」

え、えっと、オレ、なんかマズいこと言いました?

「私はこういうしゃべり方がいちばん楽だから、そうしてるんです。なのに敬語をやめてため口で話せとか、なんでそんなひどいことを言うんですか?」

「ひ、ひどくはないでしょ? 俺は別に、たまきちゃんもタメ口で話した方がラクかなって思って……」

「だから、私は今の話し方のほうが、楽なんです。なのに、私が気を使ってるとか、疲れてるとか、なんで勝手に決めつけるんですか? おかしいですよね? おかしくないですか?」

え、オレ、怒られてるの、これ?

「でもさ、俺ら、ほらさ、一夜を共にした仲じゃん」

「ヘンな言い方しないでください。たまたま一緒にいただけです」

そういうとたまきは、ふうっとため息をついた。

「むしろ、私の心に土足で入ってこようとするミチ君こそ、ため口やめて敬語で話すべきです」

……解せぬ。

たまきはストローに口をつける。ブクブクと泡が湧いては消える。なんだか、この場の空気に出したくはない感情を、アイスカフェラテの中に閉じ込めているかのようだ。

「……ミチ君は」

たまきは、ミチの目を見ずに切りだした。

「ほんとは海乃って人と、ここに来たかったんじゃないですか?」

カフェのテラス席への入り口を誰かが開けた。少し冷たい海風が一瞬、店内に入ってきた。

「……あの人の代わりに私をここに連れてきたんですよね」

ミチは何も言わず、目をそらした。

「……なんとなくですけど」

そういうと、たまきはアイスカフェラテを飲み干した。

「……わかりました。いいですよ」

「……えっと、いいっていうのは?」

「今日一日、あの人の代わりをしてもいい、ってことです」

「え?」

きょとんとするミチにたまきは

「そろそろ行きません?」

とミチを促して立ち上がった。

ミチが会計を済ませてカフェを出ると、たまきがその横に立った。

「えっと、横に並んで歩けばいいんですか?」

「え、あ、うん」

「『それだけ』ですからね。それと……」

たまきはリュックの中から、先程しまったブレスレットを取り出すと腕につけた。

「……敬語をやめればいいん……だよね?」

 

つづく


次回 第35話「ねこのちネコ、ところにより猫」

第35話目にして、「タメ口たまき」、爆誕!つづきはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

「あしなれ」第34話のアップが大いに遅れてる言い訳

お待たせしております。

お待たせしすぎているかもしれません。

えー、小説「あしたてんきになぁれ」の第33話をアップしたのが去年の9月。

第34話の公開予定としていたのが12月。

……今、3月です。

つまり、「あしなれ」が中途半端なところで止まったまま、半年たってしまった、と言うわけです。まったく、ふざけてんじゃないよ。

原因は二つありまして。

まず一つは、純粋に書くのに手間取った、ということです。

なにせ、第34話の初稿の段階で2万字を越えてまして。

さすがに長すぎる、ということで、原稿を半分に折りまして、「第34話」の予定だったものを、第34話と第35話に分けて掲載することにした、ってくらい長くなってしまったのです。

ハリポタが4巻目あたりから上下巻に分かれてるようなものです。

そして、もう一つの理由が新型コロナです。

第34話はこれまで「あしなれ」では出てきてない町が舞台なんです。移動距離だけだったら、今までで一番遠いです。

ところが、年明けからのオミクロン株の流行で、その町に僕が行くチャンスがなかなかなかったんですね。

ロケハンもしたいし、写真も撮りたいのに。

まあ、過去に何度か行ったことのある街だったんで、記憶とネットを頼りに原稿を書き上げたんですが、

やっぱり、ロケハンしたいし、写真も撮りたい。で、アップするのをちょっと待ってたんです。

で、感染が少しだけ落ち着いてきて、「いくらオミクロンと言えど、何も電車に乗っちゃいかんということはないんじゃないか。別にお台場でパーティするわけじゃないんやで。一人で写真撮ってくるだけやで」ということで、先日、その街に行ってきたんですね。

正直、「もうロケハンとかしないでアップしちゃっていんじゃね?」と頭をよぎったことがあったのですが、

行ってみて気づきました。「ロケハン、大事」。

「ああ、ここからはこんな風に見えるんだ」

「あれ、こことここ、意外と近いぞ」

「ああ、実際にはこんな風に見えるんだ」

「あれ、ここ、思ったより活気ない……」

「ああ、このシーン、必要だな」

というわけで、無事にロケハンと写真撮影を終えたので、3月15日に「あしたてんきになぁれ」第34話「モノレール、のちブレスレット」を公開します! そうです! 舞台はモノレールが走ってるあの街です!

感動なんていらない!

よく、スポーツとかで「感動をもらった!」「勇気をもらった!」って言葉を聞くんですけど、あれを聞くたびにいつも首をかしげるんですよ。

他人から「感動をもらう」「勇気をもらう」、そんなことはあり得るのか、って

僕は他人から、感動とか勇気とか元気とやらをもらったことは、一度としてないです。

だって、感動も勇気も、要は感情でしょ?

たしかにそのきっかけとなる出来事は他人にあるのかもしれないけど、感情である以上は、結局は自分の内側から湧き上がってくるものでしょ?

それを「人からもらう」なんてことはあり得るのか?

人からもらえるものなのならば、「いらないよ!」って返すこともできるはずです。捨てることだってできるはずです。

できないということは、それは人からもらったものではなく、自分の中から湧き上がってきたものなんです。

きっかけは確かに他人だったのかもしれない。でも、スポーツや映画を見ただけで感動するんじゃなく、それを自分の経験と照らし合わせて、何かリンクするものがあって、初めて人は感動したり勇気が湧いてきたりするわけです。

【自分が】感動してるんです。

【自分が】元気にしてるんです。

それを人のせいにするんじゃない!

何でもかんでも人のせいにしてるんじゃない! まったくもう!

逆に「見てる人に元気を与えたい」みたいなことを言う人がいると、イライラするわけです。

何様のつもりだ!

逆に俺がお前に元気を送り返してやる!

ワハハハハ! おまえもハイテンションにしてやろうか!!

「元気を与えたい」なんて言っていいのは、オロナミンCを売ってる人だけです。

まあつまり、あんまり自分を卑下するもんじゃないよ、と言う話です。

「感動をありがとう!」

いや、おまえが感動してんねん! おまえがおまえの人生に照らし合わせて感動してんねん! おまえがお前のがんばったこととかを思い出してリンクして、感動してんねん!

もっと自分に自信を持て! あの時の俺よ、感動をありがとう!

「元気をもらいました!」

いや、おまえが元気になってんねん! おまえがおまえの夢とか目標とかに照らし合わせてリンクして、元気になってんねん!

もっと自分に自信を持て! 未来の俺よ、元気をありがとう!

「見てる人に勇気を届けたいです」

「見てる人に夢を分け与えたいです」

施しはいらん! 返す! 着払いで返す!

なぜなら、勇気も夢も、すでに誰しもの心の中に持ってるものだからです。持ってるものを届けられても困ります。

まあつまり、あんまり人間というものを卑下するんじゃないよ、と言う話なんですか?