諏訪の旅々

諏訪を旅してきました。15年ぶりです。

学生の頃、民俗学の先生が「諏訪の民俗は他と違う!」というのを力説していて。

そのうえ、先生いわく「諏訪の人は顔立ちもよそと違う!」

それはさすがにないだろう、炎上案件ですぜ先生と思いながらも、「諏訪がほかとは違う」というのがずっと記憶に残ってました。

調べれば調べるほど、あの周辺は歴史がとても深い。それも、数万年単位で。

まず最初に行ったのが、富士見町にある井戸尻考古館

もともと、縄文時代のすごい史料館が「井戸尻」というところにあるという噂は耳にしていたんだけど、少し前に大宮の博物館で縄文の企画展をやっていた時に、すごいと思う土器の多くが井戸尻考古館から借りてきたものだと書いてあって、おまけにそれが諏訪の近くだと知って、いつか行ってみたいと思っていた場所です。

今回の諏訪と歴史を巡る旅は、この縄文の扉がある町から始まるのです。

駅の名前は「信濃境」という山梨から長野に入ってすぐの、まさに長野県の玄関口にあたる駅です。山の斜面に作られた駅で、駅を出て考古館までは15分ほどただひたすら下り坂。

自然豊かな場所で、きっと縄文の時代からそんなに風景が変わってないのでしょう。

さて、井戸尻考古館を見学してきたのですが、驚いたのがその出土品の量。バスケのコートぐらいの広さの部屋にずらりと並べられた土器、土偶、石器。「県内各地から集めました」って感じの量なんだけど、出土したのは全部信濃境駅の周辺だというのだから、驚きです。たった一つの地域からこれだけの量の遺物が出土したのか、と。まさに、縄文の都。

そんな信濃境から電車に揺られてさらに山の奥へ。諏訪湖の近くのゲストハウスで一泊しました。

長野県のど真ん中。周囲を2000m3000mクラスのの山に囲まれ、もしかしたら日本で一番海から遠い場所かもしれない。

そんなところに、海と見まがうばかりの巨大な湖があるのです。険しい山々を越えた先の標高750mのところにあるまさに「天上の一雫」

古代人が山を乗り越えた先にこの諏訪湖を見つけた時、どれほど驚いただろうか。

船旅をしていた時は、何もない海の上を見て、今まで自分が生きていた世界は何て狭かったんだ!と価値観がぶっ壊れたわけです。

一方で、この諏訪は周囲を山に囲まれ、真ん中には海のような湖があり、その周りを囲む街の規模もかなり大きい。まるで世界の縮図みたい。

ここに来ると逆に世界というのはこの山々に囲まれた湖のある一画だけで、あの山の向こうにはもう何もないんじゃないかと錯覚を起こすから不思議です。

そして、諏訪はそう思わせるだけの説得力があるんですよ。諏訪湖全体が、諏訪大社の祭神であるタケミナカタなんじゃないか、この湖とそれを囲む町全体が一つの聖域なんじゃないかと思わせるだけの力が。

タケミナカタは蛇や竜の姿で描かれることが多い神様ですが、諏訪の街中も無数の川が蛇のように走り、諏訪湖めがけて集まっていきます。

そしてそれはやがて天竜川として、浜松の遠州灘めがけて山々を駆け下りる。

この諏訪湖と天竜川の境目も見てきたのですが、諏訪湖の方が、天竜川よりも水位が高いんですよ。それを水門で調整して、天竜川に少しずつ水を流している。

ということは、水門ができる以前の天竜川には、もっととんでもない量の水が流れていたことに……。

まさに、山の上の天から駆け下りる竜そのものです。

諏訪は長野県のほかの場所に行くにも起点にしやすい場所なので、また近いうちに訪れたいものです。

終わりなき旅!

久々に横浜に行ってきました。

横浜のハンズで行われた、ZINEの販売を委託するイベントに参加していたので、せっかくだからひさびさに横浜に行ってみるか、と。

前に横浜に行ったときは、鎌倉に行ったついでに立ち寄って、夕飯にラーメンだけ食べて帰ったので、そういえばガッツリとした横浜観光を久しくしていない。今回はガッツリと横浜を堪能します。

しかし、横浜駅前って意外と横浜家系ラーメンのお店ないんですよ。逆に札幌ラーメンのお店が目立ってたよ。

むしろ、埼玉の駅前の方がまだ横浜家系を見つけやすい。横浜家系とはいったい……。

そしてひさびさに訪れました、大桟橋。

イヤぁ、懐かしいなぁ。

……という言葉は嫌いです。

「懐かしい」と言ったとたんにもう、「懐かしい」の対象は過去形じゃないですか。

「思い出話に花を咲かせる」なんて、ちっとも興味がありません。超どうでもいい。

僕にとっての「旅」や「冒険」は過去形ではありません。現在進行形です。

旅の定義が、目の前の景色を次々と変えて刺激を得ることなのだとしたら、ぼくにとってZINE作りは旅そのもの。

巻を重ねるごとに、自分の興味だったり、モノの見方だったりが、少しずつ変わっていっていることを実感します。

そして、作ったからには売らないといけない。でないと、誰も読んでくれない。

ZINEを売るために、今まで行ったことのない町に行って、入ったことのないお店に入って、会ったことのない人に会う。まさに、旅です。

ここ最近は、中央線沿線を攻めています。ヘン……ステキな街が多いんですよ。

作品だけなら、もっと行動範囲が広い。北は北海道から、南は長崎まで、僕がまだ行ったことのない都道府県や知らない町にも、作品が届いて行っています。まあ、北海道も長崎も、行ったことはあるんですけど。

そう、モノづくりは旅なのです。船旅をしていた時は、船が世界中どこへでも連れてってくれた。今は、作ったZINEが知らない土地へと連れてってくれる。

だから、僕にとって旅はまだ終わっていないんです。

「旅に出て価値観が変わりました! 君もパスポートをとって旅に出よう!」としたり顔で言う人を見るたびに、「別に旅人だけがえらいわけではなかろう。海外に行くのがそんなにえらいんか」と思ってきた僕なのですが、それってやっぱり、別に移動するだけが旅じゃないとどこかで思ってるからかもしれません。

たしかに、海外を旅するのはとても楽しいし、刺激的。

でも、「旅に出て価値観が変わりました!」と言う人に限って、「これまでに100か国以上を訪れ……」みたいなのを経歴に書いたりして、「いや、数でマウントとるんかい!」と呆れかえることなんてしょっちゅう。それのどこが「価値観が変わった」と言えるんだい。

旅がもたらす刺激や感動と同じものが旅じゃないなにかでも得られるんだったら、それはそれでいいじゃないか、と思うのです。別に旅することや海外に行くことにこだわらなくていい。旅の日数や行った国の数でマウントとるよりもよっぽどマシ。

いや、海外に出向した友達とか、旅に出た友達とか、マジでリスペクトですよ。ただ、「自分が動き、景色を変える」という意味では、ZINE作りと旅は何ら変わらない、そう思っているのです。

Be “stay foolish”

マイメン・ゲバラがついにやってくれました。

「蒸風呂兄弟」なるユニットを組んで、車にサウナをのっけた「サウナカー」をかついでこの8月に世界を巡る旅に出たんです!

あ、ちがった。サウナカーに乗って旅に出ました。車かついでない。

いまごろモンゴルの空の下だとよ。

数か月前に連絡が来て、これこれこういう活動をしてるから、応援してくれないかと聞いた時、僕は素直にうれしかったんですよ。

30歳過ぎてこんなバカなことを純粋にやってるやつがいるのか、と。

僕も「民俗学のZINEを作って、売る」というバカなことをやっているという自負があるんですけれど、だからこそ思うんですよ。30歳を過ぎたたりから、「おバカ」を実践する人が少なくなってるなぁ、と。

体感では20代の頃の5分の1ぐらいですかね。

飲み会に行っても、話題が「仕事」「家庭」「投資」の話が増えてきた気がします。

そんな中でサウナカーに乗って旅に出るというおバカなことをゲバラが本気でやっている、というのが嬉しかったんです。

でも、それと同時に、なんだか悔しかったんですよ。

僕もゲバラとはベクトルが違うけど、「自分で紙媒体を作って、自分で売る」というおバカなことをやっているという自負があります。

だからこそ、この「おバカ」や「ワクワク」という領域で負けたくない。

いや、勝ち負けじゃないのはわかってます。っていうか、別にゲバラに勝とうとは思ってないし、「おバカ」の領域でゲバラに勝てるとも思ってない。

ただ、負けたくはないんです。

肩は並べていたいんです。

次にあいつに会えた時に「お前はすごいなぁ。俺にはもうあんなことはできないや」なんてことだけは言いたくないんです。

最近はそんなことばかり考えてますね。もっとワクワクできるはずだ。どうすればワクワクでゲバラに勝てる、と。

ZINEを作って売るという活動に少し慣れてきたところもあって、だからこそ思うんですよ。まだまだ、もっともっとワクワクできるはずだ、と。

今年の春にもそんなことがあって。

学生時代からの友人が、仕事でメキシコに引っ越したんです。

もちろん、彼は遊びに行ったわけではないけど、それでもやっぱり見知らぬ国に移住するのは、挑戦であり、冒険です。

彼の話を聞いてるうちに、こうしちゃいられない! と前々から考えていたシェア畑をレンタルしました。そっちが海を渡るなら、こっちは土を耕してやるぞ!と。

これまたやっぱり、友達が何かに挑戦しているさなかに、ぼんやり椅子に座って「応援してるよ~。頑張ってね~」と言ってるだけ、というのがイヤなんです。むしろ、張り合うことが僕なりの応援です。

旅をしてる人がえらい、海外に行く人がえらい、とは思わないけど、やっぱり旅をしてる人は偉いです。

さて、先日、寝転がってぼんやりラジオを聴いてたら、どこかで聞いたようなイントロが。秒で跳び起きました。その曲は88の出港曲「HOME」だったのです。

で、HOMEをラジオで聞きながら思ったのです。

そうか、僕が本当に負けたくないのは、船旅をしていた時の自分だ、と。あいつなんだ、と。

まだ10年もたっていないのに、「冒険はもうやめたよ。大人になったのさ」とだけは言いたくない。

あいつに、あの頃の自分に、勝ちたい!

とりあえず、当面はいま作っている「民俗学は好きですか?」のvol.10を、もっと面白く、もっとワクワクするものに仕上げることですね。

10冊目になってZINEの方向性もだいぶ固まってきたようにも思えるし、ここらでそろそろぶっ壊したくもあるし、これもまた冒険です。

自分が面白いと思えることをやって、それを見て面白がってくれる人がいたら、最高です。

山梨の旅

1泊2日で山梨に一人旅してきました。2年ぶりの旅行、自由気ままな一人旅としては、もっと久しぶりでしょうか。

ちなみに、実は意外と「男子だけで旅行」というのをやったことがありません。2回くらいしかないかな、というさりげない自慢。

立川の特急列車からいざ甲府へ。山梨では富士山が見れるかな?

と期待に胸を膨らませていたところ、まさかの、立川から発車5分で富士山が丸見え。

いや、東京から見えてもいいけどさ、早いのよ。出番、まだなのよ。ちょっとしゃがんでてよ。

ちなみに、山梨で見えた富士山は、ほかの山からちょこっと頭を出してるだけで、なんだか焼き肉屋のシメで出てくるアイスクリームみたいでした。せっかく来たんだからもうちょっと背伸びしてくれよ。

電車の中で読む旅のお供は、四角大輔アニキと本田直之さんの本「モバイルボヘミアン」。5年前に買った本だけど、旅の列車の中は「もう一度読み返す」にもってこいの場所です。

しかし、近場のつもりで山梨を選んだんですけど、特急の1時間もしっかり遠いですね。地球は広い。

山梨は、真ん中に甲府盆地があって、その周りを山々が囲むという、ポンデリングみたいな形をしています。甲府を拠点にすればいろいろと動きやすい。

初日の目的地は「鰍沢」。「かじかざわ」と読みます。甲府盆地の南の端で、今では富士川町の一部ですが、かつては一つの市でした。

甲府盆地は東を笛吹川、西を釜無川が流れていて、その二つの川がこの鰍沢で合流して、富士川となって太平洋へと流れ出る。そのため、鰍沢は水運の拠点として発展したのです。

鰍沢をウロチョロした後は、甲府に戻ってその日はおしまい。

宿代をなるべく安くして、ホテルはほんとに眠りに行くだけ。食事とお風呂は、甲府の街中のレストランや銭湯に行く、「街そのもの」に泊まるスタイル。「銭湯からホテルに戻る前に、スーパーに寄ってきたい」なんて感じで街を歩いていると、ちょっと生活者になった気分に浸れます。

この日の歩数は39598歩。さすがに疲れて、銭湯に熱いお湯につかりながらあ~う~うなってました。

二日目の予定はなんとなく決まってたんだけど、完全に予定変更して、中央本線を鈍行で帰りながら、気になった駅で降りていくスタイル。

気になった駅が「塩山(えんざん)」と「四方津(しおつ)」。「よもつ」ではなく、「しおつ」。

日本の塩は海でしか取れないはずなのに、なぜ山梨に「塩」の地名があるのか?(さらに、甲府の西には「塩崎」という駅もあるのです)。

これは「なぜ、山に囲まれているのに『やまなし』なのか」に匹敵するレベルの謎です。

あと、「山梨」はなんだかかわいらしいうえに甘くて美味しそうだけど、「甲斐の国」って書くと途端に強そうになるのも、不思議です。

なぜ、山梨なのに「塩」の名がつくのか。結果的に、次のZINEのページが3分の1は埋まるんじゃないか、ってくらいのネタを仕入れることができました。

帰ってからもなおワクワクしている、これぞ最上の旅!

ちなみに、二日目の穂数は42687歩でした。そのうちの2000歩はたぶん、夜に新宿で「夕飯どうしよう」と歌舞伎町をうろうろした時のものです。

あと、乗り換え失敗して、トータルで1時間足止め食らいました。

電車が少ないのはまだいいとして、来たと思ったら鈍行じゃなくて特急なのよ。

間違えて映画「タイタニック2012」を見ちゃった

『タイタニック』。言わずと知れた歴史に残る映画である。一方、『タイタニック2012』という映画がある。「タイタニック2」と呼ばれることもあるが、あのタイタニックとは全くの別物。続編でも何でもない。今回はその「タイタニック2012」を見てしまった感想である。


どうして「タイタニック2012」を見ようと思ったのか。

『タイタニック2012』を知ったのは、ビデオ屋で「タイタニック」のビデオを探していた時。

なかなか見つからずに、なにを間違えたか「アクション映画」の棚を探す僕。

するとそこに「タイタニック2012」が置いてあったのだ。

「えー! タイタニックってアクション映画のくくりだったの―!?」と驚きつつ、よくよくタイトルを見ると「タイタニック2012」。

2012? タイタニックは1997年の映画のはず。

どうやら、名前のよく似た、というか、あの映画に便乗してるとしか思えない全くの別物のようだ。

パッケージは沈む船と抱き合う男女という、どこかで見たようなデザイン。

明らかにパチモン感、B級感が漂うのだが、せっかくだ。見てみよう。

『タイタニック2012』のあらすじ

注意!映画のネタバレがありますが、結末を知っても特に問題ない映画だと思います。

映画はまず、一面の銀世界から始まる。雪と氷に閉ざされた世界……。

あれ、借りる映画を間違えたかな?

と思ったのもつかの間、今度は海岸警備隊のシーン、そして、港のシーンへと移行する。どうやらちゃんと「タイタニック2012」のようだ。

2012年。それはタイタニックが沈没してちょうど100年の年だ。

その年にお金持ちの男性ヘイデン(どういう事業でお金持ちなのかは不明)は「タイタニック2」を建造し、タイタニックが出航した4月10日に同じように大西洋横断を企画する。

……つけんなよそんな名前。するなよそんな企画。

船乗りというのはずいぶん迷信にこだわると聞く。そんな沈んだ船の名前なんて……。

と思ったけど、よくよく考えたら我が国は宇宙に飛び立ちイスカンダルに空気清浄機を取りに行く宇宙戦艦に、撃沈した船の名前を付けるような国だった。

しかし、わざわざタイタニックと100年後の同じ日に合わせて航海を企画するなんて不謹慎だ!

……と思ったけど、実はタイタニック沈没直後に姉妹船であるオリンピック号に乗って、タイタニック沈没を検証する航海が行われている。

タイタニックと構造の似ているオリンピック号に乗って、「ここで沈んだのか」「ここで○○さんはこんな行動を……」などと検証して楽しんだ。不謹慎もへったくれもありゃしない。

しかしこのタイタニック2、見た感じめちゃくちゃでかい。さすが、あのタイタニックを再現しただけはある。

見た目はタイタニックによく似ているが、設備は最新鋭だ。

なんと、今回は全員分の救命ボートを乗せているという。あのタイタニック号は半分しか積んでいなかったというのに。

まあ、当たり前なんだけどね。タイタニック号の事故を契機に、救命ボートは全員分を乗せるということが義務付けられた。

それまでは救命ボートは「沈む船と、救助に来た船の間を、往復するもの」と考えられていた。だから、別に全員分の救命ボートがなくても、往復すればいい、そう考えられていたのだ。タイタニック号の時も「8時間は沈まないだろう」などという楽観的な意見もあったが、実際は2時間40分でタイタニックは沈み、それまでに救助船は間に合わなかった。

だが、オーナーのヘイデンは言う。

「デッキに積んである救命ボートはただの飾りさ。本物は船底にある」

え、船底?

救命ボートって、船底に積むものなの?

自分が船に乗っていた時のことを思い出してみても、避難訓練の終わりはいつも甲板にある救命ボートの前。船底に連れて行ってもらったことも、船底にボートがあるという話や船底に避難しろという話を聞いたことも、ない。

タイタニック号は船底から徐々に浸水していったはずなのに、そこに救命ボートを置いて大丈夫なのか?

さて、船にはヘイデンのかつての恋人で看護師のエイミーも乗っていた。このエイミーが主人公だ。

タイタニック号の出航からちょうど100年後に出航したタイタニックⅡだが、100年前とは造船技術が全然違う。レーダーで氷山も見つけられる。そもそも今回は氷山のあるような地域にはいかない。

だから大丈夫だ、と船の速度をグングン上げる船長。

100年前の事故の原因の一つじゃないかと言われてるのが、「船長が調子乗って船の速度を上げ、よけきれなくなった」なのだが……。

一方そのころ、カナダのグリーンランドではエイミーの父でヘリで海上の安全を守っているメイン大佐が、グリーンランドの大規模な氷山崩落による津波の発生の情報をつかんでいた。

とはいえ、船は実は津波に強い。東日本大震災の時も、漁船があえて沖に出ることで津波をぷかぷか浮かんでやり過ごした、などという話がある。津波の威力が増すのは浅瀬、つまり沿岸部。入江の奥に行くとさらに威力が集約されて危ないが、沖で遭う津波はそんなに怖くない。

だが、問題は津波が押し流すであろう氷山の方だという。すごいスピードで氷の塊が海の上を転がってくるわけだ。

この情報はタイタニック2にも伝えられ、船は津波を避けようとする。まず乗客たちに船底に避難するように指示が出て、次に船内放送で乗客に救命胴衣を着るようにアナウンスが流れ、パニックに陥る乗客たち。悲鳴をあげながら走り回り、転ぶ人が続出する。

いや、パニクりすぎだ! 「救命胴衣を着ろ」と言っただけで、まだ船体を放棄するとか、沈没するとか、そんな話してない。

そもそも、この時点で船にはまだ何も起きていない。これから津波が来て、運が悪かったら氷山と激突するかもしれないから、一応救命胴衣を着ておいてください、というだけの話だ。

なのに蜘蛛の子を散らしたかのように逃げ惑う人たち。

う~む、避難訓練をうけていれば「やばい事態なのかもしれないけれど、パニックを起こすほどのことではない」とわかりそうなものだが……。

さてはこいつら、避難訓練を受けてないな?

そんなはずはない。タイタニックの事故以降、24時間以上船に乗る場合は、「まず最初に避難訓練を受ける」というのは義務となったはずなのだから。やってないなんてまさかそんなことは……。

そして、ついに津波が到達し、津波に押し流された氷山がタイタニック2と激突。船底に穴が開き、浸水を始めてしまう。

沈没までのタイムリミットは3時間。だが、もしタービンが吹き飛べば、30分しか持たないという。

そしてここでとんでもない知らせが。

「船底に積んでいた救命ボートが、浸水の影響で全部壊されました!」

全部!? 全部だめになったの!?

ほらぁ。だから言ったじゃん。船底になんて積んでおくから……。

でもまだ、甲板の方の救命ボートがあるはず……。

ヘイデン「あんなのは飾りだ」

えー!? 飾り!? 役立たず!?

さて、このままでは船が沈む、となって船底に避難を始める乗客たち。

なぜ船底? どうやら、まだ使える救命ボートが船底にあるらしい。そしてやっぱり甲板にあるボートは飾りらしい。

パニックになり押し合いへし合いする乗客たち。「女性と子供を優先しろ」という、100年前と全く同じアナウンス。

このパニックっぷりを見る限り、やっぱりこいつら、避難訓練受けてないな。

ああ、なんということだろう。ヘイデンも船長も「100年前の悲しい歴史を乗り越える」と息巻いていたのに、100年前の悲劇の教訓をないがしろにしていたのだ。これじゃ初代タイタニック号も浮かばれない。いや、沈んだんだけどさ。

一方、主人公のエイミーはヘイデンとともに仲間を助けに行ったりしているうちに逃げ遅れる。

救命ボートで脱出できた乗客たち(船底がぱかっと開いて、そこから救命ボートで脱出できるのだ!)は、100年前の乗客たちがそうしたように、沈みゆくタイタニック2を見る。船はもう半分ほど水につかっている。

結構早いな。こりゃ、3時間もかからずに沈むかも。

と思った矢先、タービンが爆発! 恐れていた事態が起きたわけだ。その様子を察したヘイデンも、あと30分しか持たないとエイミーに告げる。

脱出しようとするエイミーとヘイデンだったがさまざまなアトラクション、じゃなかった、障害が待ち受けていて、なんだかSASUKEを見ている気分だ。だが、二人して身動きできない状況の陥り、そこでメイン大佐からの通信が届く。

それはより大きな津波が迫っており、この規模では救命ボートも役に立たない。むしろ、タイタニック2に残っていた方がまだ安全だ、というもの。

なんてこった! もう救命ボートは出ちまったぜ。

そうとは知らない救命ボートの乗客たちは、沈みゆくタイタニック号を見つめる。船はすでに半分ほどが水につかり……。

待って! さっきから結構な時間がたっているのに、全然船が沈んでない!

あれ、案外この船、大丈夫かも。う~む、みんなが大慌てでボートに乗り込んだ意味とは……。

そして、津波が直撃し船は転覆。そしてどんどん水が入ってくる。

ヘイデンは一つしかない潜水スーツと酸素ボンベをエイミーに渡す。自分は死ぬと覚悟して。

二人のいた部屋は完全に水没。エイミーはなんとかヘイデンを連れて脱出し、メイン大佐のヘリへと乗せるが、すでにヘイデンは帰らぬ人となっていた……。

おしまい。

……ここで終わり!? もうちょっとさあ、感傷に浸る時間とか、余韻に浸る時間とかないの!? それとも、船が沈没する映画で「浸る時間」とかNGなのか?

だが、ヘイデンは助かっても、「生きててよかったねぇ」といえる結末になったかどうかはちょっと疑問だ。

初代タイタニック号の社長、イズメイはタイタニックに乗船していたが、生還した。しかし、一番の責任者がおめおめと生きて帰ってきたということを快く歓迎する人は少なかった。

イズメイ自身も後ろめたさがあったらしく、早々にタイタニックを運航していたホワイト・ライン社の社長を辞め、隠居してしまう。イズメイの婦人いわく、イズメイの人生はあの事故で終わってしまった、とのこと。

タイタニック2も事故自体はしょうがなかったとはいえ、ヘイデンも生きて帰ったとしてもオーナーとして同じような運命をたどっていたと思う。

だって、避難訓練やってないんだもん。

「タイタニック2012」の感想

「ダメな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく」

Mr.Childrenの「HERO」という曲の歌詞だが、まさにこの映画のためにあるような言葉だ。

あまり筆舌尽くして「こんなのは駄作だ!」と吠え立てるのも悪趣味でどうかと思うが、1点だけ。

アクション映画の棚にあったのだが、アクションが薄い。

もっとも、この映画は決して予算が高くはない。制作費は50万$。日本円にして約6500万円ほど。映画には詳しくないが、一説には日本映画の製作費の平均は5000万円ほどといわれている。

ハリウッドの超大作は300億円。本家のタイタニックはこれよりも高い。泡吹いて倒れたくなる金額だ。

ハリウッドの超大作と比べて予算がないのだからアクションが薄いのはしょうがないとして、もう少し緩急があったほうがいいのかな、と思った。「息つく暇もない」というが、息つく暇はあったほうがいい。

たとえば、「天空の城ラピュタ」だと、手に汗握るアクションシーンと、ほっこり一息つくシーンが交互に繰り返されていて、それによりアクションシーンにメリハリが生まれている。

ちなみに

なんと、実際に「タイタニック2号」を建造して、同じルートを航海するという計画があるらしい。世の中には物好きがいるものである。とりあえず、避難訓練はしっかりと。

映画「タイタニック」の史実と違うところとは?

映画「タイタニック」は史実に忠実だという。監督のジェームズ・キャメロンも「ジャックとローズの部分以外は史実に忠実です」と胸を張っていた。でも、それって本当なのだろうか。これまでこのブログでは映画「タイタニック」をもとにタイタニック号沈没事故を検証してきたが、今度は「史実」という観点から事故を検証しようと思う。


タイタニック号が沈むまでの流れ

まず、タイタニック号が氷山に衝突してから沈むまでの大まかな流れを見ていこう。

1912年4月14日

23時40分 タイタニック号、氷山と衝突

1912年4月15日

0時15分 SOSをほかの船に向けて発信する(SOSという信号が使われたのは世界初)

0時45分 最初の救助ボートをおろす

2時5分 最後のボートをおろす

2時20分 完全に沈没

4時00分 カルパチア号が現場に到着、救助が始まる

これがタイタニック号沈没までの大まかな流れだ。タイタニック号が氷山に衝突してから完全に沈没するまでの時間は2時間40分。映画でも「2時間40分」だと言われていた。

衝突から沈没までのおおまかな流れは映画とそんなにたがわない。タイタニック号は16区画のうち4区画まで水が浸水しても耐えられるように作られているのだが、船長らが把握した時点で浸水は5区画にまで及んでいて、あと1時間ぐらいしか持たないということは早い段階で分かっていた。

船長は船体放棄を決断し、避難が始まるが、救助ボートに乗るのは女性と子供が優先としたために夫婦や家族が離れ離れになることとなり、混乱を生む(ただし、「女性と子供が先」というのは当時の船では当たり前のことだったらしい)。

ところが、そもそも乗客2200人に対して救命ボートは1100人分しかなく、そのうえ、救命ボートが満員になるのをまたずして海に出していたので、1500人もの人がタイタニック号に取り残され、そのまま船と運命を共にすることとなった。

これは映画「タイタニック」の後半で描かれてていたことであり、ここは実に史実通りである。

映画タイタニックはここまで史実通りだった

映画「タイタニック」ではタイタニック号は事前に氷山があることをわかっていたにも関わらずスピードを上げていた、とされているが、これも史実通りだ。

また、先ほど書いたとおり、「女性と子供優先」というのも史実通りなのだが、映画では右舷と左舷でこの扱いに差が出て、「何が何でも男性は乗せない!」という船員もいれば、「余裕ができたら男性も乗せる」という船員もいた。そのため、船内でも「あっちはもう男も乗せてるみたいだぞ!」といった情報が錯綜する。

実は、これも史実通りなのである。

また、映画の中で船員が「てめぇら、指示に従え!」と発砲し、乗客を射殺するという衝撃的なシーンも登場する。このシーンについてはモデルとなった船員の遺族や、乗客からも抗議の声が上がっている。一方で、「そういうことがあった」と記述された乗客の書簡も見つかっている。

そのほか、タイタニック号を運航していたホワイト・ライン社の社長、ブルース・イズメイが最後の最後になってこっそり救助ボートに乗り込むシーンや、タイタニック号の建造者であるトーマス・アンドリュースが、逃げれたにもかかわらず船と運命を共にしたのも史実である。イズメイは社長なのに生き残ってしまったことに負い目を感じ、タイタニック号から帰った後は会社を辞め、隠遁生活を送る。

また、氷山衝突直前のシーンで見張りの船員が「俺は氷山のにおいがわかる」などと冗談を言うシーンがある。

これはさすがに創作だろうと思ったら、実は見張りの船員が「氷山のにおいがしてきた」という発言をしており、実はそれをもととしたセリフだったのだ。

こうやって見ていくと、映画「タイタニック」は意外と細かいところまで史実通りの部分が多い。やはり「タイタニックの映画は史実に忠実」という評判は本当だったらしい。「ほんとに史実通りなの?」と変な言いがかりをつけてしまって申し訳なかった。今度、ジェームズ・キャメロンにお詫びのメロンを送らないと。

映画「タイタニック」の史実と違う部分

とはいえ、映画「タイタニック」はドキュメンタリー映画ではない。ちょっとぐらい史実と違うところもいくつかある。

たとえば、映画の冒頭で、船が沈む前に自重で真っ二つに折れたことがCGで説明されているが、実際は三つに折れている。

タイタニックは三つに折れたが完全に切り離されたわけではなく、すでに海中に没した船主に引きずられて船尾も沈んでいく。

映画の中では取り残された人たちが船と一緒に沈んでいくシーンが描かれるが、実はこの時、何人かの人たちはすでに覚悟を決めて自ら海に飛び込み、泳いで沖に浮かぶ救助ボートに乗り込んだ。

映画の中ではまるで絶叫マシーンのようなスピードで船が海中へと消えていくが、生存者の一人は「エレベーターに乗っているようだった」と語っている(当時のエレベーターが絶叫マシーンのようだというなら話は別だけど)

もう一つ史実と異なるところがあるとすれば、三等客室の乗客のシーンだろう。

映画の中でも三等客室の乗客が船の外へ出ようとするが柵で閉じ込められてしまい、椅子をぶん投げて柵を壊して外に出るというシーンがあった(史実)。逆に言うと、実は三等客室についての描写はこれくらいしかない。実際にはこのシーン以外にもドラマがあった。三等客は男女別の部屋だった。夫婦であっても、だ。そのため、避難しなければならないとなって、まずは家族のもとへ向かわなければならない。だが、男子部屋と女子部屋が結構離れていて……、などというドラマがあった。

映画で描かれなかった、カルパチア号とカルフォルニア号の物語

映画ではほとんど登場しないのだが、タイタニック号の沈没事故にはあと2隻の船が登場する。それがカルパチア号とカルフォルニア号だ。

同じ事故に関わったにもかかわらず、この2隻はその後の評価が大きく分かれている。

カルパチア号はタイタニック号の救命ボートに乗っていた人たちを救助した船だ。映画の中でもちょこっと登場する。氷山衝突から約1時間後にタイタニック号のSOSを聞いたカルパチア号はすぐさま事故現場へと急行する。全速力で進みながら船長は船員たちに、タイタニック号の乗客たちを救助・介抱するための準備を進めさせる。

氷山が無数に浮かぶ海を全速力で突き進むカルパチア号。それでも、到着までには3時間30分を要した。午前4時に現場に到着したカルパチア号は救命ボートに乗る人たちを救助し、ニューヨークへと向かう。この時の迅速な対応で、カルパチア号のロストロン船長はヒーローとなった。

これと真逆の評価を受けたのが、カリフォルニア号だ。カリフォルニア号は事故当時、氷山に囲まれて停泊していた。そして、タイタニック号のすぐ近くにいた。どのくらい近いかというと、タイタニック号の明かりが目で見えるくらいに。

それどころか、タイタニックからのろしだロケットだが飛ばされているのも見ている。見ているのだが「なんかやってるねぇ」くらいにしか思わなかった。カリフォルニア号が事故現場に到着したのは、カルパチア号による救助が終わった後で、来たはいいものの特にやることがなかった。

事故後、カルパチア号は今でいう「大炎上」をした。「のろしだのロケット弾だの見てたんだろ!? どう考えても救難信号だろ!『なんかやってるねぇ』じゃねぇよ!」という批判の嵐にさらされたわけだ。

カルパチア号とすれば「氷山に囲まれてた」という言い訳はあるにはあったが、やはり問題なのは「見える位置にいたのに、助けようともしなかった」という点だろう。証言を見ていくと「助けたいけど氷山に囲まれて動けない!」と葛藤したようにも思えない。色々見ていたにもかかわらず、「助けに行こう」とすら思わなかった。事が目の前で起こっているにもかかわらず、「なんかやってるけどあれなんだろうね」ぐらいにしか思わなかったことが問題なのだと思う。

その後、事故の原因を調査する査問員会にカリフォルニア号の船長たちが召喚された。船長はメディアに向かって、「ちょっと状況説明をするだけで、10分もあれば終わる」と豪語していた。しかし、査問委員会でカリフォルニア号側の主張(例えばそもそものろしもロケット弾も見てないよ、といったこと)は全部棄却された。査問委員会は「カリフォルニア号はタイタニック号の近くにいて、いろいろ見ていたにもかかわらず、人としてするべきことを何もしていない」と断じた。

なぜ、タイタニック号の事故は1500人もの死者を出したのか

タイタニック号にはそもそも2200の乗客に対して1100人の救命ボートしかなかった。つまり、最初から半分しか助からなかったのである。

映画の中ではその理由として「救命ボートが多すぎると見栄えが悪いから」という、ふざけんなおい!という理由が述べられていた。

それも正しいのだが、もう一つ理由があった。

タイタニック号の事故が起きた当時、どこの船も救命ボートは満足に載せていなかった。

だが、当時はそれで十分と考えていた。

船は事故を起こして穴が開いたからって、いきなり沈んでしまうわけではない。タイタニックの場合は2時間40分かかったが、もっと長い時間保っていることもある。それまでにほかの船が救助に来てくれる。救助ボートは沈みかけの船と、救助に来てくれた船の間を往復する渡し船として考えられていた。一つの船が何往復もするという考え方だった。だから、何も全員分乗せる必要はない、という考え方だったのだ。

また、査問委員会は犠牲者が拡大した理由として、乗組員たちが救命ボートの扱いに慣れていなかった点を挙げている。

1100人助かるはずの救命ボートに合わせて700人しか乗っていなかったのだ。船員たちは、ボートが定員になる前にボートを海におろしている。

だが、これはどうやら、全部船員が不慣れなせい、というわけでもなさそうだ。

脱出は女性と子供が先、ということで、夫婦の場合妻が夫を遺して先に脱出する、というパターンが多かった。夫と離れ離れになるのを妻が嫌がり、夫がそれを説得してボートに乗せる、というシーンがデッキの随所で見られた。当然、こんなことをやっていては時間がかかる。船員としては「いいからとっとと乗れよ! 一刻を争うんだぞ!」といらだって、定員になる前に船をおろしたくもなるかもしれない。

だが、「一刻を争う」という認識は、最初の方はあまりなかった。

何せタイタニックは「不沈船」と呼ばれていたのだ。事故を起こしたと聞いても、大丈夫だろうと思った乗客も多かったし、沈むにしても8時間は大丈夫、なんて説もでていた。「あんな粗末なボートに乗るくらいなら、穴の開いたタイタニック号の方がまだ安全だろう」、そう考えてなかなかボートに乗らない人さえいた。

そして、それはどうやら船員側も一緒だったらしい。船長たちは「残り1時間から1時間半」ということを把握していたが、それがすべての船員に知らされていたわけではなかった。「船があとどれくらい持つか」という予想は、船員それぞれで様々だった。

ここからは僕の推論なのだが、

①当時の救助ボートは、沈む船と助けに来た船の間を往復するのが前提だった。

②タイタニック号の残り時間の予想は人によりさまざまで、8時間は持つ、という人までいた。船員の間でも「残り1時間しかない」ということを知っている人は限られていた。

この二つから、

「船員たちは『タイタニック号はまだ数時間持つ』と考え、救助に来た船との間を往復させることを前提としてボートを出していたのではないか」という説は考えられないだろうか。

避難しろという指示が出ている以上、救助ボートを出さなければいけない。だが、タイタニック号が簡単に沈むわけがない。数時間は持つだろう。それまでに救助の船が来てくれるだろうから、タイタニック号と救助船の間をボートで往復させればいい。なぁに、あせることはない。だって、タイタニックは「不沈船」なのだから。

もちろん、全員がそうだったわけではないだろう。船員たちの事態の把握具合はまちまちだったのだから。事態を正しく把握していた船員もいたはずだ。

「史実」とは何か

以上、「史実」に基づいてタイタニック号の事故を見てきた。

ところで、「史実」って何だろう。

実は、タイタニック号の生存者の証言というのは、必ずしもすべてが整合性のとれるものではない。

たとえばスミス船長の最期にしても、「船長室にいて、船とともに沈んでいった」という人もいれば、「船が沈む直前に海に飛び込んだ」という人、さらには「海に沈んだ乗客を救助ボートに乗せた後、『皆さんお元気で』と言い残して自身は海に消えていった」なんていう証言もあり、どれが本当かわからない。

ノンフィクション作家の保坂正康氏は、こういったた証言者のうち、正しいことを言っているのはわずか1割に過ぎないという。証言者のうちの1割は悪意のあるうそつきであり、鵜呑みにしてはいけない。そして残り8割の証言者は、正しい証言をしているつもりなのだが、勘違い、記憶違い、思い違いが混ざっていて、結果的に不正確な証言になってしまうのだそうだ。

結局のところ、何が史実かだなんてそんな簡単にはわからないのだ。

最後に、細野晴臣氏の言葉を引用して終わりたいと思う。

細野晴臣。はっぴぃえんどやYMOで知られるミュージシャンだ。どうしてその人がタイタニック号に言及するのか。細野晴臣の祖父こそ、タイタニック号に乗ってい生還した唯一の日本人だからだ。

タイタニック号を扱った映画や小説、(中略)どれも、事実を扱っているにしてもそこに扱われなかった事実の方が大事だと思うんです。どれもある事実だとは思いますが、そこで起きたこととは違うんです。事実が編集されているわけですから。どの視点から事件を見ているか、ということなので。僕にとっては祖父が伝えたことが事実なんです。


参考文献

ウォルター・ロード『タイタニック号の最期』(訳:佐藤亮一)

高島健『タイタニックがわかる本』

映画「タイタニック」を船旅経験者が見るとこう映る・後編

世界的に大ヒットした映画「タイタニック」にもし自分がいたら、果たして生き残ることができるのだろうか。前回は映画の前半を検証した。映画「タイタニック」の前半は単なる「船上のロミオとジュリエット」だが、後半部分は一気にパニック映画の様相を呈してくる。もし、この船に自分が乗っていたら、果たして生き残れるのだろうか。


青い海は雄大だ。

陸地から見るのと船の上から見るのでは、海というのは全く違う。

船から見る海は360度、一面の青い海。それ以外何もない。

遥か遠く、何キロも先まで見渡せるのだが、海の青と空の青、あとは波しぶきの白と雲の白。それ以外の色はなく、陸地はおろか船の姿もない。

海は常にうねり続け、そのリズムはまるで地球の鼓動そのものだ。

それは青一色の単調なものであるにもかかわらず、ずっと見ていても飽きることがない。飽きる飽きないという次元を超越した、地球の雄大さそのものである。

海は雄大だ。だが、たまにぞっとすることがある。

もし、この海に投げ出されたら?

まず、足がつかない。よく「足のつかないプール」なんてのがあるが、あんなものの比ではない。場所によっては海底は何キロも下、山すらもすっぽりと飲み込んでしまう深さである。

そして、周りにすがるものは何もない。周囲は何キロにも、何十キロにも渡って陸地は存在しない。誰もいない。

川や浜辺でおぼれたって恐ろしいというのに、見渡す限り水しかないこんな海の真ん中に万が一投げ出されたら?

いくら歴史が流れようとも、海の上の景色は決して変わらない。古代ローマの軍艦も、コロンブスも、カリブの海賊も、ジョン万次郎も、みな同じ景色を見て来たのだ。

そして、あのタイタニック号も。

映画「タイタニック」後半のあらすじ

映画「タイタニック」の後半は、それまでのメロドラマから一転、パニック映画の様相を呈する。

そのきっかけとなったのが氷山との衝突だ。タイタニック号は氷山に衝突したことで船底に穴が開き、そこから水が侵入、沈没する。

映画では海の上にひょっこりと氷の塊が現れ、正面衝突は回避されたものの、かするように衝突してしまう。

氷の塊は見た目こそ大したことないが、氷山の一角とはまさにこのこと。水面下には見た目からは想像のつかない氷の塊が沈んでいるのだ。飲食店でもらうお冷で、氷が水面からちょっとしか出ないのと一緒だ。

どうしてタイタニック号は氷山とぶつかってしまったのか。映画の中でも「氷山の情報はつかんでいたのに何ぜぶつかったんだ?」と疑問を呈している。

wikipediaを見ると、操船ミス説、なにかの陰謀で実はわざとぶつかった説、スピードの記録を狙っていた節、果てには呪いのミイラを積んでいたからだという月刊ムーに書いてありそうな説まである。

映画の中では、タイタニック号の性能を過信し、氷山を発見してから急旋回しても十分避けられると思っていた、とされている。

氷山にぶつかり、すごい衝撃が船内を走ったわけだが、衝突からの最初の十数分はまさか沈没するとは思えない緊迫感のない状況が続く。

しかし、船長たちは実はこの時点ですでに、もはや沈没するとわかっていた。

船内をいくつかの区画に仕切った時、浸水が4区画までなら船は浮いていられるのだが、すでに5区画浸水しているため、もうだめだという。

船長は船体放棄を決意し、乗客は救命胴衣を着て避難を始める。

とはいえ、氷山衝突からあれよあれよあっという間に船が沈んで行ってしまったわけではない。映画の冒頭で、氷山衝突から完全に沈没してしまうまで2時間40分かかったという。

つまり、船室にいたまま取り残されてそのまま沈んでいった、という人は、ゼロではなかったと思うが、少数派のはずだ。

船室から脱出し、上階へと逃げることはそこまで関門ではない。

問題は船から脱出する段階である。

まず、そもそもタイタニック号に積まれていた救命ボートは、乗客の半分しか乗れなかった。しかも、その理由が「ボートが多いと見栄えが良くない」というクソみたいな話だ。

さて、当然ながらオープンデッキに乗客は殺到する。クルーは女性と子供を優先的に救命ボートに乗せる。

さすがレディファーストの国、などと言っている場合ではない。これによって起きてしまうのが家族の分断だ。

船が沈没し、救命ボートで脱出するという状況で、パパと引き離されてしまった子供たち。助かったとしても、なんと心細い状況だろうか。

デッキの上はパニックだ。救命ボートが足りないとなればなおさら。「あっちにはまだボートがあるぞ!」とか「あっちは男性客もボートに乗せているぞ!」とか様々なうわさが飛び交い、人々は右往左往する。

やがて船内の浸水が進み、多くの人が取り残されたまま、とうとう船が前方に向かって大きく傾く。滑り落ちていく人たち。船はどんどん海に沈み、ついに足場がなくなる。

が、水の入った前方の重みに船が耐え切れなくなり、ぼっきりと折れる。一時的に船の後方は浮上し、向きも平らになるが、後方と前方は完全に分離したわけではない。やがて沈む前方の引っ張られて後方も徐々に垂直に傾き始める。

傾く船体にしがみつく人たち。もはやボートは残っていないのか、あっても準備できる状況でないのか。牧師が聖書の言葉を唱えているがその声は震えている。彼もまた、天国の入り口から逃れられないサダメなのだ。

これを悪夢と呼ばずして何と呼ぶ。

そして、船は徐々にスピードをつけて海の中へと沈んでいく。主人公であるジャックとローズは船体の一番上にしがみつく。最後まであきらめないと、海面との衝突に備えるジャックとローズ。「なんか、ディズニーランドのカリブの海賊ってこんな感じだったよなぁ」と不謹慎なことを想う私。

こうして、2時間40分をかけてタイタニック号は完全に沈没してしまう。

だが、それで取り残された乗客がみな死んでしまったわけではない。海中に投げ出されるも、救命胴衣を着ていたおかげで海面に浮かぶ人たち。

だからと言って助かったわけではなかった。彼らは市民プールにいるのではない。カナダに近い北大西洋沖、氷山が浮かぶような冷たい海の中にいるのだ。それも、時刻は真夜中。冷たい海にどっぷりつかって、しがみつくものも何もない。冷たさが徐々に体力を奪っていく。

救助のボートが戻ってくるが、いくらなんでも遅すぎた。死屍累々とはまさにこのこと。冷たい海水に熱を奪われて死んでしまったのだ。

ヒロインであるローズはその中の数少ない生存者だった。彼女の言葉によると、海に投げ出されたのは1500人。そのうち生存者はローズを含めてわずか6人だという(ローズは架空の人物です、念のため)。

検証:なぜこれほどまでの死者を出したのか

タイタニック号がこれほどの死者を出した最大の要因は、やはり絶対的に救命ボートが足りなかったことだろう。最初から半分しか助からなかったのだ。

救命ボートが足らないとなると、必然的に椅子取りゲームが始まる。お遊びの椅子取りゲームですら押し合いへし合いするのに、それが命がけともなればなおさら。パニックが起きるのはもはや必然だろう。

現代の客船では救命ボートが足りないなんてありえない!……と言い切れると信じたい。

だが、それでも気になることがある。

救命ボートは半分しかなかった。

それでも半分は助かったはずである。

タイタニック号の乗客は2200人。半分なら本来1100人は助かったはずだ。

だが、実際ボートに乗れたのは700人。あとの1500人は海に投げ出され、助かったのはわずか6人だ。本来乗れるはずの400人が乗り遅れたことになる。

ちなみに、この数字は映画の中で語られているものだ。今回の記事ではこれをもとに検証する。もしこの数字そのものが間違っているというのなら、文句は僕にではなくジェームズ・キャメロンに言ってくれ。

1100人乗れるはずのボートに700人しか乗っていなかったのだとしたら、もし2200人分のボートがあったとしても、1500人しか助からなかったという計算になる。

なぜ、ボートに定員ぎりぎりまで乗れなかったのだろうか。

映画の中ではクルーが救命ボートの転覆を心配して定員から大幅に少ない人数しか乗せず、船の責任者から「定員65人のボートに70人乗せてテストしてるんだ! 定員ぎりぎりまで乗せろ!」と一括されるシーンもある。

また、デッキの上はパニックを起こしていた。これから船が沈むとなればパニックになるのも当然だが、この混乱が避難を遅らせたのではないか。

おそらく、タイタニック号の乗客は避難訓練を行っていなかったのだろう。

だから、いざ沈没となっても、これからどういう行動をとればいいのかわからない。どこに逃げればいいのかわからない。どのボートに乗って逃げればいいのかわからない。誰から順番にボートに乗り込めばいいのかわからない。

その結果、デッキの上で押し合いへし合い、ボートを求めてあっちこっちを右往左往。乗客はもちろん、クルーも冷静ではいられない。

こうやって考えると、避難訓練って大切なのだなぁ、とつくづく思う。

何が一番大事って、緊急事態が起こった際に「どうすればいいのか」を知っているということだ。

現代社会ではなんでもネットでググればすぐに出てくる時代である。都市で生活する分には知識をため込むことになんてもはや価値がない。

しかし、こういったサバイバル的な状況となれば話は別だ。しっかりとした知識を持っていることが重要になる(そもそも、海上ではネットがほとんど通じない)。

とはいえ、「知っている」だけではだめだ。いかにちゃんとした知識を持っていても、いざ一大事となった時にパニックになって「わー、どうしようどうしよう!」と言って肝心の知識が出てこないのでは意味がない。よくクイズ・タイムショックで「いやぁ、この席に座ると、普段なら答えられる問題も答えが出てきませんねぇ」などという言葉を聞くが、事故だ災害だの時の緊迫感はタイムショックの比ではないだろう。

迅速に、正しい知識を脳みそから引き出さないと、死ぬ。

正しい知識を知っているだけでなく、それを冷静に引き出すことが大切である。

客船の避難訓練

ピースボートの場合、「24時間以上船に乗る場合は乗船後すぐに避難訓練を行う」と義務付けられている。この義務がピースボートのオーシャンドリーム号だけなのか、なにかの条約で決まっているのかは、調べても見つからなかった。

避難訓練は、船に乗って一番最初にやることだ。その後も1か月に一回のペースで避難訓練が行われている。

そもそも、こういう海上の安全対策が重視されたのは、タイタニック号の事故がきっかけと言われている。

避難訓練ではどのようなことをするのか。

まず、船長から「船体放棄を決意しました」との旨のアナウンスが流れる。それを聞いたら救命胴衣を身に着けて避難場所へと向かう。

タイタニックが沈没まで2時間40分かかったように、船に穴が開いて浸水が始まったからと言って、あっという間に沈むわけではない。必要な荷物を準備し、身支度を整え、トイレをすますくらいの余裕はある。決して、走ったりしないこと。

さて、ピースボートのオーシャンドリーム号の場合、船内に3か所の避難場所、というよりは緊急時の集合場所がある。これのどれに行ってもいいわけではなく、よほどのことがない限り原則として船室ごとに割り振られた集合場所へと向かう。

集合場所に向かうとクルーがいて、学校の出欠確認のように一人一人名前を読んで、ちゃんと来ているかどうかを確認する。

そして、外のデッキに出る。目の前には救命ボートがあり、これに乗り込んで逃げるわけだが、訓練ではそこまではしない。デッキに3列になるように並んで「では、この後ボートに乗ります」というところで訓練はおしまいだ。

ちなみに、不真面目に訓練中に友達とぺちゃくちゃしゃべっていても怒られることはない。本人この身で実証済みだ。

不真面目でも避難訓練を受けておけば、映画「タイタニック」の中で描かれた「どう行動したらいいかわからない」や「どこに行けばいいかわからない」といった不安から生じるパニックは回避できるはずだし、客室ごとにボートに乗り込む場所が決まっているので、ボートを求めて右往左往する混乱も避けられるはずだ。


映画「タイタニック」のラストシーンでは、事故から84年たち101歳となったローズが、夢の中でジャックと結ばれるシーンで終わる。傍らにはその後のローズの人生を映したものと思われる写真が飾られている。旅先でだろうか笑顔を見せるローズの姿に、タイタニックの事故に巻き込まれたからと言ってローズの人生は決して悲劇的なものではなく、ジャックとの出会いを機に退屈な上流社会と決別できたローズのその後の人生は幸福なものだったことが示されており、「タイタニック」という悲劇・悪夢の中でそれが救いである。

タイタニック号の悲劇は映画の中で散々語りつくされているが、意外と忘れがちな悲劇の一つが「この惨劇には墓標がない」ということかもしれない。

事故のあった海に行っても、「ここでタイタニック号が沈みました」などという墓標はない。ただただ、青い海が広がっているだけである。

映画「タイタニック」を船旅経験者が見るとこう映る・前編

映画「タイタニック」は1997年に公開された、世界的に大ヒットした映画だ。実際の豪華客船沈没事故を描いている。子供のころにタイタニックは一度見ているが、「船旅を経験した今、この映画を見たらどう映るんだろう?」と興味を持って、ビデオ屋で借りてきた、前編195分とあんまりにも長い映画なので、今回はその前編だ。


タイタニック号沈没事故の基礎知識

映画「タイタニック」は貧乏な青年ジャックと、お嬢様のローズの恋を描く映画であるが、その舞台となるタイタニック号は実在した船で、この船が沈没してしまうというのもまた、実際にあった事件である。以前に監督のインタビューを見たときは、「ジャックとローズの恋物語以外はすべて史実に沿っている」と胸を張っていた。

タイタニック号は1912年4月10日に、イギリスのサウサンプトンをアメリカに向けて出航した。今から100年以上前の話だ。

1912年がどういう年かというと、中華民国が誕生し、夏目漱石が存命で、通天閣が完成し、「いだてん」の金栗四三がオリンピックに参加した年である。日本では明治が終わり、大正が始まった。

さて、タイタニック号である。当時は世界最大の豪華客船で、「絶対に沈まない船」と言われていた。それが1週間もたたずに沈んでしまったというのだから、笑えない。

その重さは46328t。ピースボートのオーシャンドリーム号が35000tだから、結構でかい。100年前の船だと思うとなおさらだ。飛鳥Ⅱが50000tだから、あの飛鳥Ⅱとそんなに変わらない。

100年前にこんな船が出てくれば、まさに「夢の船」である。

乗客は1500人ほど。一説には2000人以上が乗っていた、とも言われている。

その速度は23ノット。オーシャンドリームがだいたい17ノットぐらいだったから、かなり早い。

この当時、船こそが国と国とを、大陸と大陸を移動できる唯一の大型の乗り物であり、船会社はどこもそのスピードを競っていた。タイタニック号はその競争から一線を画していたというが、それでも結構早い。

タイタニック号が沈没したのはカナダ沖。オーシャンドリーム号がジブラルタルからメキシコまで2週間近く擁していることに比べると、わずか6日でカナダ沖までたどり着けるのは、結構なスピードである。

タイタニック号はこのカナダ沖の北大西洋で、氷山に衝突して穴が開き、沈没した。

衝突してすぐに沈んだわけではない。徐々に水が入って行って、映画の中では2時間40分で沈没したと語られている。映画「タイタニック」の上映時間とほとんど同じだ。

映画の中の説明では、船の前方に穴が開き、そこから水が入ってくる。おそらく3等の客室があったであろうと思われるフロアは壊滅的なぐらい水に埋まり、その水がどんどん後方へと流れていく。前方が水で満たされてしまったため、重さで前方だけ水に沈み、後方は持ち上がり、タイタニックはまるで水泳選手が飛び込んだその瞬間かのように縦になる。だが、そもそも船は縦になるように作られてなどいないのでその重さに耐えられず、ぽっきりと折れる。もう助からない。

「タイタニック」って何の映画だろう?

さて、では実際に映画「タイタニック」を見てみようとビデオ屋に足を運ぶ。

タイタニックほど有名な映画ならすぐ見つかるだろう、と高をくくっていたが、あることに気づく。

ビデオ屋では古い映画はジャンルごとに分類されている。

「タイタニック」のジャンルってなんだ?

「タイタニックはどんな映画ですか?」と聞いたら10人中8人くらいは「船が沈む映画です」と答えるだろう。

だったら、パニック映画だろうか。と思ったけど、そもそも近所のTSUTAYAには「パニック映画」というジャンルの棚はなかった。

そもそも、「タイタニック」を「お化けトマト大襲撃」みたいな映画と一緒にしてはいけないような気もする。

じゃあ何だろう。アクション映画? いや、船は沈むけど、派手なアクションで乗りり切るとかそういう話じゃなかったと思う。

それでもまさかとは思うけど、と探してみるとなんと、アクション映画の棚に「タイタニック2012」が置いてあるじゃないか!

えー、あれ、アクション映画だったのか⁉ と思ってよく見てみると、「タイタニック2012」。タイタニックは97年の映画のはず。そっくりな名前の別の映画のようだ。

ならばサスペンス映画? 確かにタイタニック号の事故にはいくつか謎はあるけれど、その謎がメインの映画じゃなかったと思う。

恋愛映画? 確かに、ジャックとローズの恋を描いた映画であり、恋愛要素は強い。

実際、恋愛映画の棚にタイタニックはあった。

ただ、タイタニックを「恋愛映画」と認識している人がどれだけいるだろうか。10人中8人はやっぱり「船が沈む映画」だと思ってるんじゃないだろうか。

映画「タイタニック」の前半部分

物語はタイタニック号の沈没から84年後の1996年、海底に沈むタイタニック号から1枚の絵が引き上げられ、それが報道されたことから始まる。

この絵をテレビで見た101歳の老婆が、タイタニック探索チームのもとを訪れる。

なんと、ローズというこの老婆は84年前、17歳の時にタイタニック号に乗っていた生き残りだという。物語は彼女の思い出話として始まる。

1912年4月10日。「世界最大の豪華客船」「不沈船」「夢の船」と様々な称号で呼ばれたタイタニック号がイギリスはサウサンプトンを、ニューヨークに向けて出港する。

その5分前、この映画のもう一人の主人公、貧乏画家のジャックが慌てて船に飛び乗る。

今だったら「5分前に飛び乗る」なんて絶対に無理だろう。新幹線じゃないんだから。

船に乗る前にパスポートの確認とか、手荷物検査とかあって、乗ったら乗ったでまずは避難訓練がある。その後出航の準備が整ってようやく出航するのだ。

ジャックは3等船室に案内される。そこには2段ベッドが二つあるだけ。ちなみに相部屋だ。

この辺はオーシャンドリーム号によく似てる。

オーシャンドリーム号の安い船室は、船室にシャワー室があるぶん、もうちょっと広いが、二段ベッドしかない相部屋、といういいではほとんど変わらない。

3等の乗客が乗るスペースではほかにも、夜に音楽とダンスでバカ騒ぎする描写などが描かれており、どことなくピースボートでの船内生活を思い出させる。

さて、映画を見て気になったのが、

船酔いで苦しむ人の姿が見えない、ということ。

僕が船に乗っていた時は、1日目は船酔いに悩まされた。

僕の感覚では、乗客の3分の1は船酔いに苦しめられていた気がする。

ところが、映画の中ではジャックもローズも、その周りの人たちも、まるで丘の上のホテルにいるかのようにくつろいでいる。

「初日」はそんな生易しいもんじゃないぞ!

もちろん、個人差があるが、酔う人は酔う。体が船に慣れていない分、症状はよりひどい。

23ノットというハイスピードで進んでいたら、登場人物の25%くらいは船酔いにやられて、死んだ魚のような眼をしていておかしくない。食事ものどを通らない。

大西洋はそんなに揺れないんじゃないか、とも考えたが、決してそんなことはない。

むしろ、大西洋は、揺れる。

ジブラルタル出航の日、地中海から大西洋に出た瞬間にいきなり揺れが大きくなったくらいだ。僕が船に乗っていた108日間の中で一番大きな時化に出会ったのも大西洋だった。船が大きく揺れ、一瞬浮いたんじゃないか、と錯覚したほどだ。

大西洋は揺れるはず。そして、初日はもっとみんな死んだ魚のような眼をしているはず。

ちなみに、僕の船酔い対策は意外にも「動き回ること」である。

じっとしていた方がよさそうな気がするが、じっとしていても船は揺れるのを止めてくれない。

自分の意志とは裏腹にゆらゆら揺れているから気持ち悪くなるのである。こういう時は歩き回ったり、音楽に合わせて踊ったりすると、自分のペースで動くため、次第に酔いが治る。科学的根拠はないが、身をもって実証済みだ。

また、映画の中ではジャックが乗船早々にイルカを発見しているが、そんな簡単にイルカは見つからない。

さて、物語はジャックとローズの出会いへと移っていく。ローズは上流社会の令嬢だったが、家は没落寸前で、そんな家を救うために親の決めた相手と結婚することに。上流社会での数十年先まで見通せる日々は退屈を通り越して絶望的で、ローズは船から身を投げようとするがそこをジャックに救われる。

次第に惹かれていく二人だが、二人の間には身分の違いという越えがたい壁が……。

要は、船上の「ロミオとジュリエット」である。確かに、「身分差のある恋物語」というのは面白いが、少々使いまわされてる感も否めない。

そしてスタートから1時間20分で、あの有名なシーンが訪れる。

セリーヌ・ディオンの歌う主題歌が流れる中、船の一番前で、ローズが両手を広げ、ジャックがそれを支えるという、タイタニックを代表するシーンだ。当時、多くの人が屋上とか遊覧船とかでこれを真似した。

客船に乗るのなら、一度はやってみたいシーンである。

だが、残念ながら、現代の客船ではこれをやることは難しい。

船の一番前には行けないのだ。

僕自身、船の一番前で「野郎ども、島が見えたぞー!」と叫ぶのが夢だったのだが、残念ながら、地球一周の108日間の中で一度もこれをすることはできなかった。

船の前方、特にブリッジ(操縦室)よりも前のスペースに行けるのは、作業員の人だけである。

スエズ運河とかパナマ運河とか、航海の中でも見どころとなるところでは船の前方がちょっとだけ開放されるが、それでも、「一番前」には近づくことすらできない。

ちなみに、この船の一番前というのはブリッジから丸見えなので、「船長にばれないようにこっそりと忍び込む」など絶対に無理だ。一歩足を踏み入れた時点で絶対にばれる。

船長をはじめクルーが居眠りでもしていれば話は別だが、そんな船は早晩沈むので、乗らない方がいい。

よしんば近づけたとして、ここでもう一つ残念なお知らせがある

船は、前方の方が揺れる。

当然、一番揺れるのは、一番前である。

そう、タイタニックのあの名シーンに必要不可欠な「船の一番前」は、船の中で一番揺れるのだ。

穏やかな波の日ならいいが、さっきも書いたように、大西洋は結構揺れる。

おまけに船の先端は波をかき切るため、波しぶきがかかる。

時化の日など、水が地上6階に相当する高さまで跳ね上がる。

これはもう、びしょぬれになる、程度では済まない。下手したら揺れと水で足を滑らせて頭を打ってあの世行きだ。

それでも、タイタニックに乗ってみたい!

さて、かの有名なシーンのところで、映画の時間軸は96年の時点へと戻る。上映時間もちょうど折り返し地点だ。

ローズが船の一番前で両手を広げてからわずか6時間後に、タイタニック号は氷山にぶつかってしまう。ここからが映画の見せ場なのだが、長いので今回はここまで。

最後に、僕のここまでの映画の感想を記そう。

ぶっちゃけ、ここまでの話は「船上のロミオとジュリエット」である。既視感が強く、どうしてこの映画がヒットしたのかいまひとつわからない。

ただ、既視感が強いのだけれど、やはり映画に引き付けられてしまう。「身分差のある恋物語」はやっぱり強い。

そして、船オタクとしてはこうも思う。

タイタニック号に乗ってみたい!

ただでさえ客船というだけで心躍るのに、20世紀初頭のアメリカの空気をたたえた船である。

1等客室はローズでなくても息が詰まってしまいそうだが、3等客室の飲めや歌えやのバカわさぎっぷりは、ピースボートで「船に終電はない!」とバカ騒ぎしていたころにそっくりだ(終電はないけどあまり騒ぎすぎると苦情が来ます)。

ああ、一度でいいから、タイタニック号に乗ってみたい。

たとえその船が6日後に沈む運命だとしても!

さて、次回はいよいよ、船が沈むクライマックスである。「船が沈む」とは一体どういうことなのか、どうすれば助かるのか、船旅経験者の目線で見ていきたい。

旅好きな人の性格は意外と不寛容なんじゃないかというブログ

ピースボートの乗客に話を聞くと、よく「世界を回って、多様な価値観を知った」という。世界一周などを経験してる旅人は大体そういう。多様性が大切だ、と。……本当にそうだろうか。いや、実際、世界にはいろんな価値観の人間がいる。僕が問いたいのはそこではなく、「本当に世界を旅すると多様な価値観が身につくのか」という点である。


日本のパスポートは最強なのだから日本人は旅をするべき! なのか?

船を降りてまだ1年もたっていないとき、ピースボート主催のささやかなイベントに出席した。

その時のテーマは確か「日本人は恵まれてるんだから、旅に出ない理由はない!」とかそんな感じだったと思う。

どういう意味で「日本人は恵まれている」のかというと、「日本のパスポートは最強である」という理由らしい。

基本、日本のパスポートはどこの国へ行ってもすんなりと入国できる。こんなに信用度の高いパスポートを持つ国はそうそうないらしい。日本人は恵まれているのだ。

確かに、ネットで「日本 パスポート」と検索すると、サジェストに「威力」とか「最強」とか、なんだかドラゴンボールみたいな単語が出てくる。それだけ日本のパスポートはすごいのだ。

ところが、そんな世界最強のパスポートを日本は発行しているにもかかわらず、日本国民のパスポート所持率はわずか25%(2017年)。

ちなみに、アメリカ人は約4割がパスポートを持っていて、イギリス人はなんと7割がパスポートを持っているのだから、どうやら日本のパスポートの所持率は低いらしい。

20代に至ってはなんとパスポートの取得率は5%だという。なんと、消費税よりも低い。

ちなみに、僕は、「パスポートを持っている珍しい20代」である。地球一周の船旅が3年前なのだから、当然と言えば当然だ。

世界最強のパスポートを持っているのに、日本人が世界を旅しないのはもったいない! みんな、もっと世界を旅しよう! こんなに恵まれた国にいて、旅に出ない理由なんてない!

……というのがその時のイベントの趣旨だった。

その時はうんうん、もったいないなぁとうなづいていたのだが、3年たった今、ふと思う。

こんなに恵まれた国にいて旅にでない理由なんてない! 日本人はもっと旅をするべきだ!

……本当にそうなのだろうか。本当に、旅に出ない理由はないのだろうか。

旅をする人、旅をしない人

このことを考えるにあたり、自分の友達でよく海外に行く人と全く行かない人を思い浮かべて比較してみた。

毎年夏になると必ず海外に行く友人がいる。「その時期は日本にいない」なんて言われると、ああ、もうそんな時期か、なんて思う。

一方で、生まれてこの方海外なんて行ったことないんじゃないか、という友人もいる。

海外旅行によっく行く人と、まったくいかない人、彼らで何が違うのだろうか、と考えてみた。

さっきのイベントだと、なんだか行動力の差、もっと言えば勇気があるか、度胸があるか、積極的か消極的か、みたいな論調だった。みんな、もっと積極的になろう、海外に行こう、視野を広く持とう、と。

だが、周りの友人たちを比べても、海外に行くやつが特別度胸があるとか、海外に行かないやつが消極的で視野が狭いとか、そんな印象はない。語学力だって同じくらいだと思う。経済力も違いはないだろう。

果たして、海外によく行くやつと、全然いかないやつ、その差はいったい何なのか。

両者を比べてみて、一つの可能性に行きついた。それは、

海外によく行くやつはアウトドア趣味であり、海外に行かないやつはインドア趣味である!

というよくよく考えれば当たり前のことだった。

そう、海外によく行く友人は、アウトドア趣味なのだ。海外に限らず、普段からよくいろんなところに出かけている。

一方、海外に行かない友人はインドア趣味なのだ。普段から家の近くで過ごしている。

これはもう、趣味の問題である。

もちろん、すべての人間がこれに当てはまるわけではない。

だが、海外に行く人と行かない人の差は、度胸がないとか、視野がどうこうとかそういうのではなく、ただの趣味嗜好である、という可能性がある。

日本人は4人に一人しかパスポートを持っていないという。

それはそのまま、アウトドア派とインドア派の比率が1:3である。ということを表しているだけなのかもしれない。

20代の場合はパスポート所持率は5%しかない。さすがに20代の95%がインドア派である! とまではいわないが、今の20代はインドア派が多いのではないだろうか。

でなければ、秋葉原があんなに発展するわけがない。あの町は漫画とかゲームとかフィギュアとかアニメグッズとかパソコンの部品とか、「おうちで楽しむもの」を中心に売って今の姿となったのだ。。

そう、外に出ないでも、20代は結構楽しんでいるのだ。

僕らが旅に行かない理由

なぜ、今の若者は海外に行かないのか。

それはあれが足りないとか、これを知らないとか、今の20代に何かが不足しているわけではない。それは、「旅に出ることが正義」という旅人の中だけで通用する、意外と視野の狭い考え方である。

なぜ今の若者は海外に行かないのか。

別に行こうと思わないからである。

日本のパスポートは世界最強である。そんな恵まれた国に生まれた僕たちが、旅に出ない理由なんてない?

理由なんて腐るほどあるさ。

興味がない。

つかれる。

めんどくさい。

別に旅が好きじゃない。

そんな時間があったら家でアニメを見たい。

そんなお金があったら、日本のお寺やお城をめぐりたい。

そもそも、家から出たくない!

知らない人コワい!

旅に出ない理由なんていくらでもある。

旅に出ない理由が、「本当は世界を旅してみたいけど、親が反対していて」とか、「お金がなくて」とか「幕府に禁じられてて」といった外的な抑圧が原因だった場合、それはなんとしても排除し、旅に出られるようにするべきだ。

ただ、性格、趣味嗜好の問題で、「別に行かなくてもいい」と思っているのであれば、

無理に海外を旅しなければいけない理由なんてない。

「そんなことない! 世界を旅するのは楽しいよ。旅に出れば考えは変わるって!」

というポジティブ旅人の声が聞こえてきそうだが、

「楽しいから行こう」はあまり勧誘の決め手にはならない。

こんな経験はないだろうか。相手にひたすら自分の趣味の話をして、あわよくば相手も同じ趣味に引きずり込もうとするのだが、「またその話か……」とうんざりされることを。

そう、いくら熱心に「楽しいよ!」「面白いよ!」と進めても、「そう? じゃあ、やってみるか!」と相手がなるのはごくまれで、それこそ95%はうんざりされて終わるのだ。

ちなみに、僕がこのブログでよくピースボートの話をするのは、「ピースボートは楽しいよ! 面白いよ!」と人に薦めたいから、ではなく、単にピースボートについての記事は閲覧数が高い、というデータに基づいてである。

日本のパスポートは世界最強である。なのに、なぜ日本の若者は海外に行かないのか⁉

そんなの、人それぞれである。無理強いはよくない。

旅好きの「国内蔑視」

そもそも、どうして「海外を旅すること」にこだわるのか。別に国内旅行だっていいじゃないか。

確かに、海外を旅することは楽しい。言葉の通じない国、まったく違う文化、食べたこともない食べ物。海外を旅することは刺激的だ。確かに、国内旅行よりは刺激が多い。

だが、日本国内も十分刺激が多い。

同じ日本でも都会と田舎は全然違うし、北と南も全然違う。山村と漁村も全然作りが、風景が違う。

土地によっていろんな郷土料理があるし、時には方言が全く聞き取れないときもある。

地球一周をして思ったことが「世界にはやばい国がたくさんある」ということだった。

そして、こうも思った。「日本だって同じくらいやばいはずだ」と。

別に僕は、「日本が世界で特別な国」だなんて思っていない。

それは「日本は世界で特別すごい国ではない」と思っていると同時に、「日本は世界で特別しょぼい国でもない」ということだ。日本には日本の魅力がある。

「世界を旅すること」というのは、世界のいろんな国の魅力を発見していくことだ。

その視点があるなら、日本の魅力だって見つけられるはずである。旅をする前は当たり前すぎて見逃していた日本の魅力に、世界を旅して養ってきた視点があれば、気づけるはずである。

ところが、どういうわけか日本の旅好きは「国内蔑視」がはなはだしいように感じる。「地球一周」を掲げるピースボートは団体の特性上、海外の話ばかりするのはしょうがないのかもしれないが、ピースボートとは本来直接関係のない人だったり団体だったりイベントだったりもみな、「海外へ行こう!」の一辺倒。

国内旅行がそんなにいけないのだろうか。もしも、「国内を旅したって、海外のような体験は得れない。やっぱり海外じゃなきゃダメだ」と考えているのだとすれば、

それこそ視野が狭いんじゃないだろうか。

「やらない理由」に愛をくれ

どうも、旅好きの多くは「やらない理由」に対してあまりにも不寛容なのではないか。最近、そんなことを考えている。

旅に行っていろんな国を見て回ることが正義であって、なんだかんだ理由をつけてやらないのはよくない、そういう風潮を感じる。

僕も昔は、それこそ船を降りた直後はそんな風に考えていた。

だが、最近こう考えるようになってきた。

「やらない理由」にその人らしさが出るのではないか、と。

「〇〇したいけど、××だからしない、やらない、できない」といった話を聞いた時、僕たちはつい「〇〇」だけがその人の本音であり、「××」の部分は本音を邪魔する障害だと考えてしまう。

その結果、「〇〇したいけど××だからやらない」という話を聞くと、「気持ちに素直になって」とか、「動かなきゃ何も変わらないよ」とか、「後悔してからじゃ遅いよ」とか、「男ならどんと行け!」とか、どっかのラブソングの焼き直しみたいなことを言って、「〇〇」を実行させようとする人が出てくる。「××」は完全な悪者だ。

だけど、違うのではないか。

「〇〇」が本音であって「××」は障害や言い訳なのではない。

「〇〇したいけど××だからやらない」、ここまでがセットとなってその人の「本音」なのではないだろうか。

「海外に行きたい!」「お店を持ちたい!」「結婚したい!」、こういったポジティブな「〇〇したい!」はその人の人間性がよく表れている。

一方で、「怖いから無理」「自信がないからやらない」「めんどくさいからいい」といったネガティブな「でも××だから……」にもその人の人間性が色濃く反映されているのではないだろうか。

「〇〇したい!」がその人の人格の光りの部分なら、「でも××だからやらない」は影の部分である。

そして、光と影の両方を理解することが大切なんだと思う。

「怖いけど勇気をもってやってみよう!」とか、「自信なんてなくたって大丈夫!」とか、「めんどくさくても動かないと始まらないよ!」という励ましの言葉は一見いいこと言っているようにも見える。

いいこと言っているように見えて実は相手の人格の影の部分を完全に無視している。

怖いとか、自信がないとか、めんどくさいとか、そういったネガティブなセリフをその人が吐くようになったのには、その人の人生に基づいたそれなりの理由があるはずだ。そこにその人の人生や価値観がもしかしたら凝縮されているのかもしれない。

もしかしたら、「でも××だから……」の部分にその人が大切にしているものが隠れているのかもしれない。

そして、ネガティブやコンプレックスがあってこその人間なのではないだろうか。

君が好きだと叫びたい。けど言えない。

会いたくて会いたくて震える。でも会いに行かない。

海外を旅してみたい。でもいかない、いけない。

こういう矛盾をはらむから、人間は面白いのだ。愛らしいのだ。

なのに、「でも××だから…」の部分を、あまりにも僕らはないがしろにしているのではないだろうか。

「世界を旅するといろんな価値観に気付く」「多様性が大事」だというのならば、「やらない理由もその人の個性」であることを認め、尊重しなければいけないはずだ。

もっと「やらない理由」を愛してやってもいいんじゃないだろうか。

みんながみんな旅をしなくたっていいじゃないか

日本のパスポートは世界最強なのに、日本人は75%がパスポートを持っていない。それでいいのか⁉

いいんです。むむっ!

旅に出る理由が人それぞれであるように、旅に出ない理由もまた人それぞれである。どちらを取るかは人それぞれだ。

海外のいろんな国を旅することが素晴らしいように、日本国内を旅することもまた素晴らしい。どちらを取るかは人それぞれだ。

「旅をしたい!」と思う気持ちにその人の個性が現れるように、「けどやらない、できない」という言葉にもまた個性が現れているのだ。どちらがより大事かは人それぞれだ。

そもそも、みんなが旅に出なきゃいけない理由なんかない。

旅をする楽しみは、わかるやつにだけわかる、マイナーな趣味、それでいいじゃないか。

「それじゃいけない! 旅をすることでいろんな価値観に気付ける! 人生が変わる! みんな、旅をするべきなんだ!」

でも、家でアニメを見て人生が変わることだってある。家で小説を読んで価値観が広がることもある。

何が人生を変えるのか。何が価値観を広げるか。

そんなの、人それぞれだ。

この、「そんなの、人それぞれ」という視点が欠けている旅好きがあまりにも多いんじゃないか。

そう思って今回、筆を執った次第である。

高橋歩の本に、もう一度だけ向き合ってみることにした

自由人・高橋歩と言えば旅人のカリスマだ。僕は「ここがヘンだよ旅人たち」という記事の中で、「旅は好きだけど、高橋歩の本は好きではない」という話をした。特に反響はなかったが(ないんかい)、やっぱり食わず嫌いはよくない、ということで、3年前に挫折した高橋歩の本をもう一度読んで、もう一度高橋歩に向き合ってみることにした。

夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。

高橋歩の名言で真っ先に思いつくのがこの言葉だ。

「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」

「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。だから逃げるな」といった感じでとらえられる言葉のようだ。

ところが、僕なんかが読むと、どうもこの言葉は人を追い詰める言葉に聞こえてしまう。

別に逃げたっていいじゃないか。あんまり思い詰めると、かなう夢もかなわない。

一度逃げて、再び夢を追いかけたくなったら、同じ場所に戻ってくればいい。だって「夢は逃げない」のだから。ならば「自分」が逃げようがどうしようが、同じ場所で待っててくれてるはずだから、辛くなったら逃げればいいと思う。

「夢は逃げない。だから、またあとで戻っておいで」みたいな方が僕は好きだ。

と、ここまで考えて、ふと思う。

この言葉の初出はどこだ?

よもや半紙に習字で「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。 あゆむ」とだけ書かれて、蕎麦屋のトイレに飾ってあったわけではあるまい。

もしかしたら、元々はそれなりに長い文章の一部分で、インパクトのあるこのフレーズだけが独り歩きしているのかもしれない。

だとしたら、元々の文脈がわからないままにこの言葉を論評するのは反則ではないか。もしかしたら、元の文章にはめ込んでみると、すごく納得のいく言葉なのかもしれない。

これを機に、かつて挫折した高橋歩の本に、もう一度だけ向き合ってみよう。そういえば、ちゃんと最後まで読み通したことがない。ちゃんと読んだら、「なんだ、高橋歩、面白いじゃん」となるかもしれない。

そう思ったら、本を手元に置けばいい。「やっぱり、高橋歩は好きになれない」と思ったらブックオフに売り飛ばせばよい。

よし、もう一度だけ、高橋歩に向き合ってみよう。

高橋歩は逃げない。逃げるのはいつも……自分だ。

本が見つからない。探すのはいつも自分だ。

まず、地元の図書館に行き、「高橋歩」で検索をかける。

何種類か見つかったが、どれも部数は一冊ずつ。おまけに、どれも貸し出し中。

僕はさいたま市全体のデータベースに検索をかけている。さいたま市は合併に合併を繰り返した結果、市内に数えるのがイヤになるほどの数の図書館がある。

にもかかわらず、高橋歩の著書は一冊ずつ。数えるのがイヤになるほどの数の図書館の中で、同じ本は一冊しかない。案外、高橋歩は人気がないのかもしれない。

その一方で、本はすべて貸し出し中。やっぱり高橋歩は人気があるのかもしれない。

次に、近所のブックオフに行ってみた。

ところが、ここでも見つからない。

ブックオフに一冊もないとは、案外、高橋歩は人気がないのかもしれない。

一方で、ブックオフにないということは「買った人が著書を手放さない」ということだ。やっぱり高橋歩は人気があるのかもしれない。

そして、二件目のブックオフでついにこの本を見つけることができた。

「『夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。』、この言葉には初出があるのではないか。このフレーズだけが独り歩きしているのではないか」

初出は、本のタイトルだった!

そりゃ、独り歩きしますわ。だって、タイトルだもの。

ちなみに、表紙に写っている男の子は高橋歩、ではない。

高橋歩は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。

プロローグにこう書かれている。

この本は、高橋歩が、これから夢をかなえようとする仲間、後輩、読者たちとの飲みの場で、本気で語ってきた様々な言葉、エピソード、アドバイス、ユーモア、考え方を一冊にまとめた語録集だ。

重要なのは「飲みの場で」というフレーズだ。

どうやら、これから読む言葉は酒の席での言葉らしい。

なるほど、これまで高橋歩の文章は「距離が近い」と敬遠してきたが、「酒の席での言葉」だという前提なら、ある程度は納得できる。

さて、ページを進めていこう。

オレらが何かを始めるとき、世の中は必ずというほど「理由を説明しろ」と言ってくる。でもそんなもん、自分がただ「カッケェって思う」とか「鳥肌が立つ」とか「ああいう風になりてぇ!」とかで十分じゃね?

僕もそう思う。人生において重要な選択をするときほど、理由が他人にうまく説明できないというのは何回か経験している。

ただ、最後の「じゃね?」というのが非常に引っかかる。

この一言が、なんか全部を台無しにしているように僕には感じ取れてしまう。

もちろん、こういった口調がいい! という人もいるのだろう。

一方で、僕はこういった口調の本はちょっと受け入れられない。友達でもない人が急に「じゃね?」と話しかけてきたら、はっきり言って腹が立つ。

わかってる。これは「飲みの席での言葉」だということは。飲みの席の言葉なら別に語尾が「じゃね?」でもいいんじゃね?(せっかくなのでちょっと真似してみました)

しかし、まさか飲みの席の言葉を全部録音して、一字一句そのまま書いているわけではあるまい。本人や周囲の記憶に基づいて「こんなこと言ってたよね」と思い出して、本に収録しているはずだ。

だとしたら、語尾は果たして「じゃね?」でいいのか。「本に収録するんだし、語尾は『じゃない?』に変えようよ」という発想はなかったのだろうか。

本気さで勝つ、

アツさで勝つ、

バイブスで勝つ!

「新しいフィールドで挑戦しようとすると、」という出だしで始まる文章の一説。要は「初挑戦で実績なんてあるわけないのだから、やってみなきゃわからないに決まってる。初めてやるときは、本気さ、アツさ、バイブスくらいしかよりどころがない」ということらしい。

言っていることはわかる。初挑戦に実績なんてあるわけない。そりゃそうだ。

だが、いくら何でも考えがなさすぎないか? たぶん、「初挑戦で失敗していった人」の多くは「精神論でなんとななると思ってた」のではないだろうか。

あと、僕のように「何事も7割投球」というスタンスの人間は、こういうこと言われるともうどうしていいのかわからなくなる。

才能があろうがなかろうが、できるまでやれば絶対にできちゃうわけだからね。

人には向き不向きがあり、世の中にはどんなに頑張っても努力してもできないことがたくさんある。

BELIEVE YOUR 鳥肌

言いたいことはわかるんだけど……、「鳥肌」だけ日本語なのが中途半端に見えて、この言葉の良さを損ねている気がしてしょうがない。「鳥肌」も英語にするか、「鳥肌」をもっと簡単な英単語で置き換えるか……、

そもそも、わざわざ英語にしなくても「鳥肌を信じろ!」でいいんじゃね?(せっかくなのでもう一回真似してみました)。

日本の政治家に不満? ハイ、そう思う人は政治家になりましょう。

政治家になっちゃったらそれこそ高橋歩が嫌いそうなよくわかんないしがらみとかで身動き取れなくなってしまう。政治を変えたかったら、政治家にはならない方がいい。

あと、「政治家にならなくても政治に参加できるのが民主主義」っていうのを聞いたことがある。「政治に不満があるなら政治家になれ」っていうのははっきり言って視野が狭いと思う。もっとほかに道はいくらでもある

まず、やり過ぎる。そして気付く。自分なりのバランスはそれからで十分だべ。

「十分だべ」。

……どこ弁だ?

プロフィールには「東京生まれ」と書いてある。「だべ」について調べてみると、「だべ」は実は東日本で割と広く使われている方言らしい。

この本にはほかにも「だべ」という言葉がよく出てくる。

それまで特に訛りなど感じさせていないのに、たまに「だべ」という言葉を使われると、どうも文章のバランスが悪くなって引っかかる。訛るなら全部訛ってほしい。

本全体を通して、言っている内容はわかる。ツッコみどころもあるが、賛同できる個所もある。

だが、文章の細かい表現とかがどうしても気になってしまう。

「じゃね?」とか「だべ」とか「即〇〇」とか「最強!」とかこういったフランクな文体が、少しずつ僕の体力をそいで行く。僕の周りにこう言う言葉遣いをする人はいないので、慣れていないだけなのかもしれないが、「またこのフランク表現か……」と頭を抱え、気づけばページをめくる手が重くなっていく。本を読んでいてこんなにも体力を消耗したのは初めてだ。

読むのをやめようかとまで考えたが、今回のテーマは「もう一度だけ高橋歩に向き合ってみる」だ。最後まで読み通せば何か考えも変わるかもしれない。

高橋歩は逃げない。逃げるのはいつも……自分だ!

それに、そもそも僕が細かい表現とかを気にしている方がおかしいのかもしれない。表現などは些細な問題で、ところどころツッコみどころもあるが、「覚悟を決めろ」とか「まずは行動しろ」とか「直観を信じろ」とか、賛同できる個所は多い。

「僕が細かいのか? 僕がおかしいのか?」

そう思いながら本を読んでいた。135ページ目までは。

誰も矛盾を指摘しない。指摘するのはいつも僕だ。

135ページにはこう書かれていた。

本当に好きなようにやるなら、自腹でやれって想うよ。

この言葉を読んだとき、僕に衝撃が走った。高橋歩風に言えば「脳みそスパーク」……とはちょっと違うかもしれない。

なぜなら、この衝撃とは、「さっきと言ってることが違う!」という衝撃だったからだ。

わずか7ページ前にこう書かれていた。

友達から金を借りるのはイケナイことか?

この後、高橋歩がサラ金に手を出し、友達からお金を借りたエピソードが続く。この2ページ前には

とりあえず借金ぶっこいてとにかく始めちゃって、1年後にはもう店つぶしちゃって、(中略)ヤツの方が、絶対にアツい。

要は、高橋歩は「やりたいことがあるなら貯金なんてしてないで、借金してでもやれ」と言っているのだ。

にもかかわらず、7ページ後に「自腹でやれ」。さらにその次のページでは

オレは、他人の金で自分の夢を追うようなまねはしない。

とまで言い切っている。借金をしたエピソードはいったい何だったんだろう。

果たして、高橋歩は、「とりあえず借金ぶっこいて」と「自腹でやれ」が矛盾していることに気付いていないのか、どちらかの発言を忘れてしまったのか。

それとも、借金を「他人の金」と認識していないのか。友達から借りようがサラ金から借りようが銀行から借りようが親から借りようが、借金はあくまでも「他人の金」だと思うのだが。

断わっておくと、僕は「矛盾」そのものは嫌いではない。人は矛盾をはらむ生き物だと思うし、時にその矛盾が「いやよいやよも好きのうち」のような人間らしさを醸し出す。

また、人は考えが変わるものである。このブログだって、1年前の記事と今の記事ではたぶん、言ってることが違う(笑)。

それでも、わずか7ページでころっと変わってしまうのはあんまりだ。

とはいえ、たった一か所の矛盾をついて鬼の首を取ったように「高橋歩の言うことはでたらめだ!」と叫ぶほど僕は小さい人間ではない。

しかし、これまで「この表現どうなんだろ?」とか「この内容には賛同できないなぁ」といった細かい違和感の蓄積を重ねた状態でこの矛盾した個所を読むと、もはやとどめの一撃。

この時、僕は駅のホームで電車を待ちながら読んでいたのだが、もし僕が超人ハルク並みの剛腕を持っていたら、「もうこんな本読めるかー!」と本を真っ二つに引き裂き、線路に投げ捨てていただろう。

もちろん、本を傷つけるのはよくないし、そんなことしたらブックオフに持っていけないし、そもそもそんな腕力がない。あと、線路に物を捨てるのもよくない。

そして、思い出す。

3年前に僕が途中まで読んでやめた「高橋歩の本」も、まさにこの本だったということに。

そして、まったく同じ個所で、同じように「さっきと言ってることが違う!」となって、同じようにそれまで貯めていた違和感が爆発し、読むのをやめたのだ。

正直、もうこれ以上読みたくないのだが、今回のテーマは「もう一度高橋歩に向き合ってみる」。ここでやめたら3年前の繰り返しだ。最後まで読み通せば、また考えが変わるかも。

高橋歩は逃げない。逃げるのはいつも……自分だ(泣)。

とはいえこんな状態で読んでも、もう何が書いてあっても全く響かない。全部空寒く感じてしまう。

最後まで読んで、げっそりとした気持ちで本を閉じた。

高橋歩は「人間」を語らない。語るのはいつも「オレ」だ。

この本を読んで引っかかっていたことの一つが、「オレはこうする」「オレはこうした」という話が多すぎることだった。

その都度「僕はあなたじゃない」と思いながら読んでいた。

だが、例えば岡本太郎なんかもよく著書で「僕はこう生きてきた」みたいな話をしている。だが、不思議とそれには引っかからない。

なぜだろう。高橋歩と岡本太郎、何が違うんだろう。

そう考えた結果行きついたのが「人間」というワードだった。

岡本太郎の場合「僕はこうして生きてきた」の根拠に「人間とはこういうものだ」という考えが横たわっている。「人間とはこういうものだと思っている。だから、僕はこうして生きてきた」という話を語っている。

高橋歩のような「一言メッセージ系」の先駆者である相田みつをも「にんげんだもの」というフレーズが有名だ。

「人間とは何か」、そこを突き詰めているから、「自分はこうだ」を「人間とはこうだ」までに突き詰めているから、その言葉は広く人の心に刺さる。どんな人が読んでも、その人が「人間」である限り、「ああ、わかるなぁ」という箇所があるのだ。

しかし、高橋歩の場合、たぶん「人間とは何か」と突き詰めていない。あくまでもどこまで行っても「オレの話」。「オレはこうしてきた」「オレならこうする」という話が多い。もちろん、自分の話をすること自体は悪いことではない。(何なら、この記事自体「僕の話」だ)。だが、「オレの話」で話が止まり、「人間の話」までに昇華されていない。

世の中には自分とは違うタイプの人間、違う考え方の人間がいて、そういった人には「オレの話」は通用しないんじゃないか、ということを考えていないのではないだろうか。

結果、読む人を選ぶ。「どんな人間」にも通用する話ではない。「オレ」に近いタイプの人間にしか共感できないのだ。

そして、どうやら僕は「オレ」から遠い人間らしい。

高橋歩にネガティブの気持ちはわからない。語る言葉はいつもポジティブだ。

もう一つ、僕が強く感じていたことだ(ああ、また「僕の話」だ)。

たとえば、友達がどうとか、仲間がどうとか、家族がどうとかいう話が出てくる。

そういった話を読むたびにこう思う。

それは、友達を作れる人の話、家族に恵まれた人の話だ……、と。

こういうところでまたじわじわと小さな違和感が蓄積されていく。

読み進めるたびにこう思うようになった。

「この人はネガティブな人の気持ちがわからないんだろうな……」と。

実際の高橋歩がどういう人物かはわからない。もしかしたら、本来の彼はとてつもないネガティブを抱えているのかもしれない。

だが、この本からそういったことを感じることはなかった。そういうタイプの人間に対する理解を感じ取れることはなかった。

人見知り、ひきこもり、死にたがり……、そういった人間に対してこの本は「やさしくない」、そう感じてしまった。

闇を抱えた人間にとって、栄養ドリンクが何よりもの毒となるときがあるのだ。

高橋歩だけが悪いのではない。自己啓発本はいつもこうだ。

もっとも、こういった「ネガティブな人にやさしくない」というのは、何も高橋歩だけの話ではない。いわゆる自己啓発本は大体こうだ。

たとえば、自己啓発本にはよく「やりたいと思ったことは、あれこれ言い訳せずにやれ! まず行動!」といったことが書かれている。

いつも思うのだが、

「やりたいこと」が「死にたい」だった場合、彼らは何て答えるのだろうか。まさか「死にたいと思ったら、あれこれ言い訳せずに死ね!」と答えるのだろうか。

たぶん、こういった本を書く人は、「世界一周をしたい!」「カフェを開きたい!」「好きなことして生きていきたい!」といったポジティブな人のみのことを考えていて、「死にたい」「消えたい」「切りたい」「殺したい」「壊したい」といったネガティブな「やりたい」を抱く人がいるなど、想定してないのだろう。

そういう人の言葉は、「死にたい」のようなネガティブなワードに置き換えると、途端に破綻をきたす。

たとえば、「これといった夢はないけど、しいて言えば自殺すること」だった場合、自殺をしたいんだけれどなかなか踏ん切りがつかない、そんな人だった場合、「夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ。」の「夢」を「自殺」、もっと言えば「死」に置き換えれば、「死は逃げない。逃げるのはいつも自分だ」という、自殺幇助ととられかねない言葉に変わってしまう。

だから、「ネガティブにやさしくない」のだ。「死ぬことが夢」なんてネガティブなことを考える人間が読むかもしれないということを、全く考えていないのだから。

「ネガティブな人」のことを最初から想定していない。存在しないものとして扱われている。これほど絶望的な扱いはないだろう。

まとめ

いろいろ書いたが、僕はけっしてただ単に高橋歩をディスりたかったわけではない。

以前にも書いたが、「旅人=高橋歩好き」というイメージが強すぎるように感じている。「旅が好きな人はみんな高橋歩が好き」と思われていて、そのように扱われている。「いや、俺、旅は好きだけど、高橋歩はあんまり……」と心の中で思っていても、「ノックも旅が好きなら、当然高橋歩のこと、尊敬してるよね」みたいなスタンスで決めてかかられ、「旅好きは高橋歩も好き」が大前提のように話が進む。

正直、肩身が狭い。旅好きのみんながみんな、あの雰囲気が好きなわけではない。あの雰囲気にあこがれているわけではない。

「旅好きはみんな高橋歩が好き、というわけではない。肩身が狭いのはいつも嫌だ」。結局僕が言いたかったのはこの一言だ。

さて、明日、ブックオフに行こう。