コロナの情報をあさらない

「コロナ疲れ」という言葉があるらしいけど、その実態はもしかしたら、ネット疲れ・SNS疲れの延長ではないのか。

そもそも、感染も発症もしてないウイルスに「疲れる」というのも変な話じゃないか。

みんな、実はコロナウイルスに疲れたのではない。コロナウイルスに関する「情報」と、それを調べるためのパソコン、SNS、スマートフォン、テレビのニュースに疲れているのだ。

そんなコロナ疲れしたそこのあなた、もしや丸一日、コロナに関する情報を漁ってやいませんか?

不安からいろいろ調べたくなる気持ちもわかるけど、むしろ逆効果じゃないかしら。

コロナが不安だからいろいろ調べる。でも、調べたところで不安を煽るような情報しか見つからない。結果、ただ不安が大きくなっているだけ。その不安を解消したくてまた調べる。悪循環だ。

だったらいっそ、勇気をもって情報を遮断したほうがいい。

コロナに関する情報を漁ってないと不安になるかもしれないけど、漁ったって不安が大きくなるだけだ。

そして、不安なんていくらため込んでも、なんの役にも立ちやしない。

大事なのは不安じゃない。警戒心だ。

コロナに全く不安を抱いていなくても、警戒心をMAXに働かせておけば、冷静に的確な対処ができる。

ならば、不安を煽るような情報は遮断しよう。

そして、最大の警戒心を持って、正確な情報を必要な量だけチェックする。必要以上の情報には触れない。

そうやって情報を制限することで、デマにも踊らされなくなる。

デマというのは巧妙に信じ込ませようとするから、一度出くわすと見抜くのはなかなか難しい。

でも、触れる情報の量を制限すれば、そもそもデマが回ってこない。触れる情報の絶対数が少ないのだから。

たとえば、「10の情報のうち1つがデマである」という状態と、「100の情報のうち10個がデマである」という状態を比べてみよう。

どちらも、デマが含まれている割合同じ。前者は注意すればたった1つのデマが見抜けるかもしれない。だけど、問題は後者。90の真実と10のデマを完璧に見分けることはまず無理だ。

触れる情報の量が増えれば、デマに行き当たる数も増える。デマの数が多くなれば、見抜くのは困難になる。

情報を漁る前に、まず落ち着いて考えてみよう。大量の情報を漁ったところで、自分にそれを処理する能力があるのか、と。

あなたが毎日、新聞を5紙取って読み比べてる、そんなレベルの「情報猛者」なら、大量の情報を漁っても適切に処理できるかもしれない。

でも、一般人は違う。大量の情報から真贋を見極めるスキルも、専門知識も、情報を処理して本質を見抜く眼も持っていない。

僕は、どれも持っていない。だから、自分の処理能力を超える量の情報には触れない。制限をかける。僕のように情報処理に疎い人間こそ、実は触れる情報量に制限をかけるべきである。

そうやって情報に制限をかけることで今度は、「なら、少ない情報の中で必要な情報を補うには、どこを見ればいいか。何をチェックすればいいか」という方向に頭が働く。

では、少ない情報でも必要量を的確に補うには、どんなメディアが良いのか。

ネットはダメだ。ネットにはチェック機能がない。大半のデマはネットで出回る。

信頼置けるニュースサイトもあるが、今度は記事の後ろに「あわせて読みたいニュース」なんて余計なものが出てくる。こんなのいちいち目を通していたら、不安が増すだけだ。

テレビはネットと違って正確なな情報を提供してくれる。

だけどテレビは、話が長い。

「本日の感染者は何人です」とだけ言ってくれればいいのに、町の様子とか、海外の様子とか、深刻そうな出演者の顔とか、不安を煽るような追加情報を延々と流している。テレビを見るなとは言わないけど、見る時間はある程度制限しないと、不安が増すだけだ。

そしてラジオ。ラジオも公共放送であるため、信頼できる情報を教えてくれる。

そして、ラジオのニュースは時間が短い。

局によって違いはあるけど、基本は1時間ごとに2~3分だけ。その中で4,5個のニュースが伝えられるわけだから、1つのニュースは1分以下。正確な情報が簡潔にまとめられている。

しかも、テレビのニュースと違い、同じニュースを繰り返したりしない。2時のニュースでいった内容は、3時のニュースでは言わない。常に最新情報しか流さないのだ。

ネット、ラジオ、テレビ、便利なメディアは数々あれど……「正確」「簡潔」「最新」の条件を満たすのはラジオの特性…。

おまけに天気予報と交通情報までついてくる。

災害においてラジオこそが最強のメディアだ!

「フォロワー数=ファンの数」ではない

100日後にワニが死ぬ漫画が、最終回後に炎上してしまったらしい。

それも内容とは関係なく、終了後の商業展開が露骨すぎて、さらにブラック企業で有名な電〇通が絡んでいたともうわさされたのが原因らしい。作品の内容とは関係ないところで、というのが何とももどかしい。

たしかに、商業的な展開とは無関係と思っていた作品が、終了後にこれ見よがしに商業展開を始めたら、興ざめするのも気持ちはわかる。

とはいえ、人気が出たものに尾ひれはひれがつくのは当然のことだし、電〇通の噂はあくまで噂だし、何か確固たる理由があって炎上したというよりは、どうにも感情論でしかないような気もする。

気にする人は気にするけど、気にしない人は気にしない。気にしない人は気にしないけど、気に食わない人は気に食わない。そういう微妙な問題。

一説には100日で200万人ほど、作者のフォロワーが増えたのだというが、今回の騒動を見てみると、このフォロワー数を人気のバロメーターだと考えるには、いささか疑問が残る。もしも彼らがファンであるならば、はたしてこんなに批判されるだろうか。

今回の騒動で言えること。

ツイッターのフォロワー数や、you tubeのチャンネル登録者数、それは決して「あなたのファンの数」ではない。

ましてや、何をやっても誉めてくれる「あなたの信者の数」でもない。

「あなたを監視する人の数」である。

「登録者数10万人」は「10万人に人気がある」ではない。「10万人がお前を監視している」である。

「フォロワー100万人」は「100万人がお前の一挙手一投足を監視している」という意味だ。

監視だから、監視する側の意にそぐわない行動をとった時は、ただでは済まさない。

たとえるなら、株主が一番近いのかもしれない。

SNSをフォローしたり、動画を見たりするのは株を買うようなもので、株主に利益を出している限りは、応援してあげる、というものだ。

その代わり、不利益を出したらただじゃすまさない。引きずりおろしてやる。そういうものである。

スポーツのファンとか、そういうのが露骨かもしれない。勝っているときは声を涸らして応援するけど、負け続けると怒れる暴徒と化す。

ただ、スポーツの場合は、勝つか負けるか、結果がはっきりしているから、「何をしたらファンが怒るか」もわかりやすい。要は、負けなきゃいいねん。

だが、マンガとか、SNSとか、you tubeとかと言ったコンテンツは、「何をやってはいけないか」がわかりづらい。

わかりづらいけど、どこかに地雷があって、知らずにその地雷を踏んでしまうと「お前、何やっとんねん!」と炎上してしまう。

なぜなら、フォロワーは「良い作品を作ってくれるなら、多少のことは目をつぶろう」というファンではない。

「作品の良し悪しはもちろん、その周辺状況も含めて採点し、満足させてくれるなら称賛するけど、満足できなことをしたらただでは済まさない」と、監視をしている人たちなのだから。

「監視する者たち」を満足させるには、「自分が何をしたいか」「自分が何を作りたいか」ではなく、「どうしたら監視する者たちを満足させられるか」「どうしたら監視する者たちを黙らせられるか」を考え、そのための行動をし続けなければならない。さらに、どこかに隠れている地雷を探して、踏まないように注意しないといけない。地雷を踏んだとたんに、監視する者たちは、脱走兵を見つけたかのごとく牙をむく。

だから、「フォロワー数が増える」「登録者数が増える」というのは、「お前を監視する者が増える」という事であり、あまり手放しで喜べる話ではない。

小説 あしたてんきになぁれ 第25話「チョコレートの波浪警報」

今回はバレンタインデーのエピソード、バレンタインデーに真剣な志保と、バレンタインデーを含めたあらゆるイベントごとが苦手なたまき、バレンタインデーに興味があるのかないのかよくわからない亜美、それぞれのお話です。それではあしなれ第25話、スタート!


第24話「お姉ちゃん、ときどき黒猫」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

昼間のスナックほどおかしな空間はない。

スナックとは本来、夜に営業するつもりで作られている。だから、窓がない店が多い。窓をつけたって、どうせ日の光は入ってこないのだ。

さらに、店内の照明がうすぼんやりとしている店も多い。都会の夜の闇に溶け込み、夜の闇を楽しむための空間。それがスナックだ。

だからなのか、絵に描いたような青空が広がる昼間にスナックを訪れると、そこが「昼間」という時間から隔絶された空間であるかのように思える。ドアをくぐった瞬間、空間が歪むのだ。

「そのあと」というヘンな名前のスナックも、そんなうすぼんやりとした影をたたえた店だった。

「東京は城のようだ」と誰かが言ったが、東京を代表する大きな駅から坂道を下り、まるで東京という城のお堀のような閑散とした住宅街の中に、スナック「そのあと」はたたずんでいる。

「ランチタイムやってないの? 昼間もママの料理食べたいよ。絶対繁盛するって」という常連のおじさんにそそのかされた若き雇われママさんが、週に二回、ランチタイム営業をやっているのだが、これがさっぱり人が来ない。

やっぱり、周囲にオフィスが全然ないという立地が悪いのかしら、と若きママは考えているのだが、ママの弟に言わせると「全然宣伝とかしてないからじゃねぇの?」。

「だったら、ミチヒロがうちのCMソング作ってよ。で、その辺の路上で歌って宣伝してきてよ」

と若きママは、「プロのミュージシャンになる」と豪語する弟に提案するのだが、弟は「オレ、そういう商業的な歌は歌わないの」とずいぶんと生意気なことを言っていた。

時計は午後一時を回り、店のわきに置かれたテレビの中では、ライオンの着ぐるみがサイコロをぶん投げている。若きママは誰もいない店内で、大きなあくびをした。

その時、ドアがかちゃりと開いて、ちりんちりんとドアのベルが鳴った。

「いらっしゃい」

わずかに開いたドアの隙間から、誰かが中をうかがうようにのぞき込んでいる。

「あ、営業してますよ。大丈夫ですよ」

ドアはきい……と、風に揺らされているかのように開いた。外の光がこぼれてくるのと同時に、中学生くらいに見える、背丈の低い女の子が入ってきた。

「あ、たまきちゃん! いらっしゃい!」

若きママが女の子の名前を呼ぶと、そのたまきという女の子は、ロボットのようなぎこちなさと丁寧さで

「こんにちは……」

と言って頭を下げると、カウンターの一番左端の席を指さして、

「あの……ここ……座って大丈夫ですか?」

と若きママに尋ねた。若きママがにっこりとほほ笑むと、たまきはスカートのすそを引っ張りながら、その椅子に腰かけた。

そのしぐさがどうにも、子どものころにかわいがっていた黒猫にそっくりで、若きママは思わず笑いそうになった。「クロ」と名付けてかわいがっていた黒猫が、若きママが弟と一緒に暮らしてた施設の敷地に初めて迷い込んできた時も、ちょうどこんな感じだった。

たまきは五百円玉をカウンターの上に置いた。

「あの、焼きそばお願いしても大丈夫ですか?」

「焼きそばね、了解。お金は食べ終わってからでいいからね」

若きママの言葉に、たまきは恥ずかしそうに五百円玉を引っ込めた。

若きママは少しからかうように

「お酒は何にする? ハイボール?」

と尋ねる。

「え?」

たまきは困惑して、それこそ猫のように目を丸くした。

「あ、あの、私、その……」

「冗談だってば」

若きママは歯を見せて笑うと、冷蔵庫から焼きそばの袋を取り出した。

ものの数分でほかほかのソース焼きそばがたまきの目の前に置かれた。

たまきは割り箸を手に両手を合わせると、

「いただきます」

とつぶやいた。力を入れて割りばしを割る。たまきは割りばしがしなって割れる瞬間が、本当に苦手だ。どうせ箸を作るなら、割ってから出荷してくれればいいのに。

ソース焼きそばを口へと運ぶ。なんだか、昔、たまきのお姉ちゃんが作ってくれた焼きそばを、数年の時を経てようやく口をつけているような気がした。

ふと、顔をあげてみると、カウンターの中に若きママことミチのお姉ちゃんの姿がなかった。

どこかに行ったのかとあたりを見渡してみると、背後に気配を感じ、たまきは驚いて振り返った。

ミチのお姉ちゃんは、たまきの真後ろにいた。ニコニコしながら、たまきを見ている。

もっと正確に言えば、たまきのお尻あたりをニコニコと眺めていた。

「あ、あの……私の、その、おしりに、なにかついてますか……」

「いや、何もついてないんだよねぇ~」

そう言いながらミチのお姉ちゃんはたまきのお尻、特に尾骶骨あたりをしげしげと眺めた。

「ネコみたいだから、黒いしっぽでもついてるんじゃないか、と思ったんだけどねぇ」

そんなわけない。たまきはそう思った。

「知ってる? ネコって、しっぽで気持ちがわかるんだよ。ピンと立てている時はうれしい時、しっぽを丸めてるときは怖がってる時、しっぽをばたばた振ってるときは嫌がってる時、昔飼ってたクロはねー、なでるとよくしっぽをばたばた振ってたんだよ」

だから、嫌がってる、とわかっているのに、どうしてなでるのだろう。

「ネコってしゃべらないけど、ちゃんと気持ちは表現してるんですね」

「ね、たまきちゃんそっくり」

「え?」

たまきは驚いたように、ミチのお姉ちゃんの目を覗き込んだ。

「ほら、今も、すごい驚いたような顔してる。あんまりしゃべんない子だなって思ったけど、その分、顔にすごい出るよね、たまきちゃん。だから、見てて面白いよ」

そんなわけない。そんなわけない。

たまきは、強くそう思った。

今まで、人からそんな風に言われたことなんてない。

むしろ、「表情が乏しい」といったようなことをよく言われてきた。

親からは「何考えてるかわかんない子」と言われ、亜美からは「それで笑ってるつもりなのか?」と呆れられ、志保にご飯の感想を「おいしいです」と告げれば、「本当に? 無理しておいしいって言わなくていいんだよ?」と疑われる。

ミチに至っては、たまきが怒っている時も、恥ずかしい時も、しょんぼりしている時も、それを態度に反映させようという姿勢が全くない。たまきが怒っている時にさらに怒らせるようなことを、たまきが恥ずかしがっている時にさらに恥ずかしがるようなことを、たまきが落ち込んでいる時にさらに傷つけるようなことを平気で言う。

それが、たまきの気持ちをわかっていてわざと嫌がらせをしている、というのであれば、もうこんな人とは関わらない、で済むのだが、そうではないから始末が悪い。

あの人はきっと、たまきが何考えているかなんて、これっぽっちもわかっていないのだ。たまきが怒っている時も、恥ずかしい時も、しょんぼりしている時も、全部いつもとおんなじ表情に見えているに違いない。たぶん、ミチはそのクロっていうネコが嫌がっていることをそもそも気づかずに撫でていたんだろう。

そんなだから、そのミチのお姉ちゃんがたまきのことを「顔にすごい出る」と評したのは、意外としか言いようがなかった。

そう言えば、以前にも同じようなことを一度だけ言われた気がする。誰だったっけ。

「私……あんまり顔に出ないって言われます……」

ミチのお姉ちゃんに表情を読み取られたことが少し恥ずかしくなり、たまきはうつむきがちに言った。

「そんな恥ずかしそうに言わなくても」

またしても心を見抜かれ、たまきはますます恥ずかしくなった。もしかしたら、ミチのお姉ちゃんには超能力でもあるんじゃないか。ばかばかしい考えだが、その方が「たまきは顔に出やすい」という説よりも現実味がある気がする。

たまきは五百円玉を差し出し、二十円を受け取って、お店を出た。

空には雲一つない冬の青空が広がる。さっきまでのうすぼんやりとした空間なんて、まるで存在しなかったかのようだ。

たまきは、歓楽街へと帰る坂道を、とぼとぼと登り始めた。

坂道を登りながら、たまきの頭の中で、なにかがぐるぐると回る。

この前は「ネコに似てる」と言われ、今日はさらに「顔に感情が出やすい」と言われた。

あの店に行くと、ミチのお姉ちゃんに合うと、たまきが思ってもいなかったたまきを突きつけられる。

でも、もしかしたら、「自分が思っている自分」の方が間違っているのかもしれない。

何せ、普段は自分で自分の顔を見ることができないのだ。自分が人からどう映っているのか、わからないのだ。

よくよく思い返せば、たまきは自分の「笑顔」を知らない。鏡の前で笑顔の練習をしてみたことならあるが、そこに映っていたのはあくまでも「練習している笑顔」でしかない。

そうではなく、亜美や志保との暮らしの中で、ごく自然に出る笑顔、亜美や志保が見ているであろうたまきの笑顔を、たまき自身は知らないのだ。せいぜい、誕生日の時に撮ってもらった写真に写る、ちょっとカタい笑顔を見たくらいだ。

そんなことを考えながら、一つ思い出したことがあった。

『たまきってすぐ顔に出るから』

昔、たまきにそういったのは、たまきのお姉ちゃんだった。

たまきのお姉ちゃんも、もしかしたら「たまきが思っているたまき」とは全然違うたまきを見ていたのかもしれない。そして、ひょっとしたら、そっちの方が本当のたまきなのかもしれない。

たまきは踏切で足を止める。目の前を列車が轟音をあげながら通過する。クリーム色に近い白の車体に、青いラインが走っている。走り去る列車を見つめながら、ふと思う。

たまきの姉やミチの姉が見ているたまきが実は本当のたまきなのだとしたら、ここにいるたまきはいったい誰なのだろう。

 

写真はイメージです。

たまきは冬が苦手だ。

別に、寒いから苦手なわけではない。むしろ、気候で行ったら冬よりも夏の方が苦手だ。

たまきが冬を苦手とするのは、クリスマス、お正月、バレンタインデーと、たまきの苦手な「イベント」が目白押しだからだ。最近ではハロウィンもある。どうしてみんな、あんなにもイベント好きなんだろう。何も楽しいことなんてないじゃないか。

そして、たまきの嫌いな「イベントの冬」ももうすぐ終わる。最後のイベントであるバレンタインデーが間近に迫っていた。一か月後にはホワイトデーがあると言えばあるが、どういうわけか、そっちはあんまり盛り上がらない。

亜美、志保、たまきの三人は、デパートで行われていた「チョコレートフェア」なるものを見に来ていた。

正直、たまきはチョコに全然興味がない。チョコをあげたい男の子もいない。そもそも、甘いものは別に好きじゃない。

だが、あんまりイベントに背を向けすぎると、かえってみじめになる気がしてついてきたのだが、やっぱり興味がないものは興味がない。

一方、志保は、興味があるを通り越して、もはや切実な問題とでも言いたげにチョコを見て回っている。

数日前、田代とともに映画を見に行った志保は、ものすごい上機嫌で帰ってきた。

「どうした。コクられたのか?」

と茶化す亜美に対して、

「そうなの! 聞いて聞いて!」

と、じゃれつくウサギのように志保ははしゃいだ。

「なに!? マジで!?」

と、亜美もしっぽを振る子犬のように飛びつく。たまきだけが、まるで水槽の中の熱帯魚でも見るかのように、少し離れた場所から二人を見ている。

「映画見終わって、食事して、そのあと街を歩いてたら、田代さんが……」

そこで志保はいったん言葉を切った。

「『なあ、俺たち、付き合わない?』だって!」

と志保は顔を赤らめて、亜美の肩をバンバンと叩いた。

「で、お前はなんつったの?」

「『うん、いいよ』って!」

「で、その後どうしたんだ? ヤッたのか?」

「やだもう! 亜美ちゃんと一緒にしないで!」

志保は再び、亜美の肩をバンバンと叩いた。

その様子を、たまきは少し離れたところからぼんやりと眺めている。

『付き合わない?』

『いいよ』

お互いに、好きだとは言ってないし、好きということを確かめてもいないけど、それでいいのかな。そんなことをぼんやりと考えながら。

 

時は戻って現在。志保はチョコ売り場の中をウロチョロしながら、チョコを品定めしている。

「なんだ、まだ決めてねぇのか。ま、『本命』チョコだから、仕方ねぇか」

亜美はわざと「本命」を強調した。それから、口の横に手を当てると、

「みなさ~ん! この女、本命チョコえらんでますよ~! おい、リア充がいるぞ~!」

「もう! ちょっと黙っててよ」

と志保が亜美の方に近づいてくる。

「あれ? 亜美ちゃんもチョコ買ったの?」

「あ? ああ、友チョコだよ、友チョコ」

亜美が手にしたお店の袋を無造作に振り回した。

志保は陳列されていた、ハート形のチョコを手に取る。

「これまた、あからさまな本命チョコですなぁ」

と笑う亜美と、口をとがらせる志保。亜美は今度はたまきの方を向いた。

「お前はチョコ買わないの?」

「……別に」

「ミチにあげたりしねぇの?」

「なんでですか?」

たまきは心の底から不思議そうに、亜美の方を見た。

「いや、別に、本命チョコじゃなくても、義理チョコでもあげとけば、あいつ、しっぽ振って喜びそうじゃん」

「……あげる義理がないです」

そう言ってたまきは、視線を志保の方へとむけた。志保はまだチョコを選んでいる。右手と左手、それぞれにハート形のチョコを手に持ち、見比べている。

たまきは正直、どっちでもいいような気がしてきた。

 

写真はイメージです。

それから数日後、たまきは例によって、いつもの公園のいつもの階段に腰を下ろして、絵を描いていた。

ふと、背後に人影を感じる。

「お、たまきちゃん来てるな?」

ミチの声だ。

「来てますよ」

たまきはミチの方を見ることなく答えた。

ミチは階段を降りると、たまきのすぐ横に腰掛ける。たまきはすっと体をスライドさせ、ミチとの距離を開けた。

いつもならミチがギターケースを置き、ギターを取り出す音が聞こえてくるものだが、それが聞こえない。代わりに聞こえてくるのは、紙袋をがさがさと広げる音。

ちらりとミチの方を見ると、珍しくギターケースを持ってきていない。

「今日は歌わないんですね」

とたまきが言うと、

「この後バイトだし、そのあとは先輩たちと飲みに行くから」

ミチの年齢だと、飲みに行ってはいけないはずなのだが、たまきは面倒くさいのでそこはスルーした。

「じゃあ、何しに来たんですか?」

「何しにって、たまきちゃんからチョコを貰いに来たんだよ」

あれ? とたまきは思った。そんな約束、してたっけ?

絵を描く手を止め、大急ぎでたまきは頭の中に検索をかける。ミチにチョコをあげるなんて約束をしたかどうかを調べるが、そんな記憶は全くない。念のため、なにか勘違いさせるようなことを言ったのではないかとも考えたが、そちらも全く心当たりがない。

「そんな約束、してないと思うんですけど……」

「え? だって今日、バレンタインデーだよ?」

そこでたまきは初めて、今日が二月十四日であることを知った。なるほど、だから今朝、志保が妙にうきうきしていたのか。

だが、バレンタインデーだからなんだというのだろう。

「バレンタインデーだと、なんで私がミチ君にチョコをあげなければいけないんですか?」

「え? だって、たまきちゃん、女の子じゃん」

もしかして、この男はバレンタインデーのことを「女子が男子を見るや否や、無差別にチョコをばらまく日」とでも勘違いしているのではないだろうか。

「……その紙袋は何ですか?」

まさか、たまき一人から紙袋が埋まるほどのチョコを期待しているとでもいうのだろうか。たまきは二木の菓子ではない。

「いや、この後バイト先でもらって、先輩たちと飲みに行った先でもらうからさ」

「……貰うって、それはもう決まってるんですか?」

「え? だって、今日、バレンタインデーだよ?」

どうも会話がかみ合わない。「バレンタインデーを忘れるほど興味のない女子」と「バレンタインデーに過剰な期待をする男子」が会話をすると、こういうことになるらしい。

たまきは、絵を描く作業に戻った。しばらくの間、沈黙が続く。

「たまきちゃん、チョコは? まだ?」

「……持ってません」

これまでの会話の流れから、たまきがチョコなんか用意してないことくらい、気づかないのかな。

「え? だって、今日、バレンタインデーだよ?」

ミチの返事は、たまきの予想と一言一句同じだった。隣からはあからさまに、紙袋をがさがさと広げる音がする。

「チョコこじき」、そんな言葉がたまきの頭をかすめた。

 

写真はイメージです。

バレンタインデーの起源は、ローマ帝国にあるという。

ローマ帝国では兵士の結婚を禁じていた。故郷に恋人や妻がいれば士気が下がるからだという。確かに、「俺、この戦争が終わったら田舎に帰って結婚するんだ」と語る兵士に限って、戦争が終わるまで生き延びることがない。

だが、キリスト教の司祭だったバレンタインは兵士たちのために隠れて結婚式を執り行っていた。しかし、そのことがばれんた、いや、ばれたために処刑されてしまう。その処刑された日が二月十四日だった。

バレンタインデーの正体は、実はバレンタインさんが処刑された命日だった。そんなことを語るシスターの話を、志保はぼんやりと聞いていた。起源がどうあれ、重要なのはその後の歴史、そして、今日を生きる志保たちがバレンタインデーをどうとらえているからだ。バレンタインさんは恋人たちのために尊い犠牲になったのだ。それは二千年前も今も変わらない。合掌。

シスターによる簡単な講義が終わった後は、チョコレート交換会が始まった。志保が通う施設は、何も四六時中「依存症とは何か」などと暗い顔をしているわけではない。むしろ、イベントごとをみんなで楽しむことを更生への一環として、積極的に取り入れている。

各自それぞれ、箱サイズのチョコを持ち寄ってテーブルの上に置き、みんなでつまみあう。ただし、アルコール依存の人もいるので、ウイスキーボンボンのようなタイプのチョコはNGだ。

「これ、神崎さんの?」

トクラが志保の持ってきたチョコを手に取る。

「はい」

「ふうん」

トクラはそのチョコをしげしげと眺める。

「本命は別にちゃんといる、ってことか」

そう言って、トクラは包みの銀紙からチョコをはぎ取り、口に放り込んだ。

「え、なんでわ……」

そこまで言って、志保は自分の反応がほぼ「イエス」と言っていることに等しいと気づいた。別にカレシがいることを隠すつもりはないが、トクラに知られると、なんだか後々面倒な気がするのだ。

トクラは志保にそっと近づくと、耳打ちするように言った。

「お相手はどこまで知ってるの?」

そう言ってトクラは悪戯っぽく微笑んだ、ような気がした。実際には見てないけど、そんな気がした。

志保は何も答えなかった。答えられなかった。

沈黙。

それだけで、トクラは大体のことを察したかのようだった。

志保は、田代に対して「現在」を何も教えていない。田代の中での志保は、都内の高校に通う女の子、という認識のはずだ。

嘘、とも言い切れない。少なくとも一年ほど前までは、志保は「都内の高校に通う女の子」だったのだから。

そこから先のことを語っていないだけだ。嘘をついているのではない。沈黙を貫いているだけだ。

そうな風に自分に言い聞かせようとする自分自身が、志保は嫌だった。

彼のことを騙してる。

そして、自分のことも騙してる。

そんな自分が嫌だった。

でも、だったら、「自分のことを騙そうとする自分」とはいったい誰なのだろう。騙される方の自分とは、いったい誰なのだろう。

そして、そんな自分が嫌になる自分とは、いったい誰なのだろう。

「ちょっと……いいですか……」

志保はトクラに、部屋の隅に来るように促した。チョコの置かれたテーブルから少し離れる二人。

「トクラさんだったら……どうします……? 付き合ってる人に、自分の『病気』のこととか、正直に言いますか……」

「それ訊いてさ……」

トクラは少しいぶかしむように志保を見た。

「あたしの言ったとおりにしてさ、それでうまくいかなくなったらあたしのせいにする、っていうなら答えないよ?」

「あ、いえ、そういうつもりじゃ……」

「まあ、あたしだったら、言うか言わないかは相手次第だけど、なるべく長持ちする方を選ぶよね」

「長持ち……?」

志保はトクラが言っていることが、ちょっとよくわからなかった。

「だから、相手がクスリとか依存症とかにあまり縁がない人、理解のない人だったら、言わないかな」

「でも、いつかバレるんじゃないですか? そうなったら、なんで言わなかったんだ、嘘ついてたのか、って余計にややこしいことになりませんか?」

志保の言葉は、まるで自分で自分をいさめているかのようだった。だが、そんな自分をいさめる自分とはいったい誰なのだろう。

「まあ、バレたらオワリだよね」

「だったら……」

「あのね神崎さん」

トクラは志保の肩にポンと手を置いた。

「すべての恋はね、いつか必ず終わるんだよ?」

その言葉に、志保は再び沈黙した。だがそれは、さっきの沈黙とはまた少し違ったものだった。

「出逢い、結ばれることが恋の始まりなら、その終わりは等しく『別れ』。結婚したって、離婚する人も多いし、いつかは死に別れる。それが嫌なら心中するしかないけど、心中って破滅だと思わない?」

トクラはもう一度、志保の肩を軽く叩いた。

「未来はコントロールできない。でも、今現在はコントロールできる。どういう終わり方を迎えるかはコントロールできないけど、今、この恋愛をどう楽しむかはコントロールできるの。だったら、今が楽しければそれでいいんじゃない? で、それを少しでも長く引き伸ばすの」

「でも、今が楽しければその後どうなってもいいなんて、そんなの、待ってるのはそれこそ破滅じゃないですか……」

「あら、破滅じゃ嫌?」

トクラは微笑んだ、ような気がした。実際は見ていないのでわからない。

「さっき言ったでしょ。すべての恋は必ず終わる。それは別れるか破滅するか。それに『別れ』も喧嘩したり浮気したり憎しみ合ったり、大半が破滅。多くの恋の結末は破滅なの。神崎さん、なんでだと思う?」

志保はまたしても沈黙した。この沈黙は単に、答えがわからないゆえの沈黙である。

「恋を燃え上がらせるのは、破滅と背徳なの。破滅的で、背徳的な恋ほど盛り上がるの。だから人は、破滅は嫌だ、背徳はいけないと言いながら、知らず知らずのうちに破滅と背徳に向かって突き進む。不倫なんてそのいい例じゃない。明らかな背徳で、その先に待っているのは明らかな破滅。なのに不思議と後を絶たない。なんでだと思う? それは、明らかな背徳で、向かう先が明らかな破滅だから。破滅と背徳、それに勝る快楽はないから」

トクラはテーブルの前に戻ると、チョコの包みに手を伸ばした。

「どうせ恋の行きつく先が破滅なら、何も恐れることなんかないじゃない。いつか破滅するとわかっててなお、今を楽しまないと。太ると知っててついついチョコを食べちゃう。虫歯になると知っててついついチョコを食べちゃう。それとおんなじ。バレンタインさんもそのことを知ってたのかもね。これから戦場に向う兵士の結婚式なんて、すぐに戦死しちゃうかもしれないから、せめて式だけでも、ってことでしょ? 破滅に向かう恋が一番美しい、バレンタインさんはそれがわかってたんじゃないかしら」

そう言って、トクラはチョコを口の中に放り込んだ。

 

写真はイメージです。

「じゃあ、たまきちゃんは結局、チョコを買わなかったの?」

公園から駅へと向かう地下道の途中で、紙袋を手にしたミチがたまきに尋ねた。

「……亜美さんと志保さんとお金を出し合って、三人で食べる用のチョコは買いました」

「でもそれってさ、誰かにあげたわけじゃないじゃん」

「……まあ」

たまきはミチの少し後ろを歩きながら、うつむきがちに答えた。

「誰かにチョコ、あげないの?」

「別に……」

「だって今日、バレンタインデーだよ?」

さっきから、こういう会話の繰り返しである。たまきはいい加減にうんざりしてきた。

「今までだれかにチョコあげたことないの?」

「ありません」

「男友達とかは?」

「そんな人、いません」

「じゃあ、女友達。学校で友チョコあげたりしなかったの?」

「……そんな人、いません」

ミチはそこで少し考えてから

「じゃあ、父親とかは?」

と尋ねた。たまきも少し考えてから

「お姉ちゃんとお金を出しあって……、でも、あれもお姉ちゃんが選んで、渡してたから……」

と答える。

長い地下通路も終わり、タクシーの入るロータリーに差し掛かった。二人は階段を上って地上へと出る。

日本、いや、世界で最も利用者数が多いなどと言われるその駅前は、時間としてはまだ夕方にもかかわらず、すでに夜の帳が降りきったように真っ暗だ。だが、仕事帰りのサラリーマンやOLらしき人でごった返し、むしろ昼間以上の混雑を見せていた。

「じゃあ、私はこっちなんで……」

たまきは駅の北側を指さすと、くるりとミチに背を向けて、歩き出した。

だが、ミチも

「いや、俺もこっちだから」

とついてくる。

「あれ、ミチ君の家あっち……」

とたまきは駅の南の方を指さしたが、

「この後バイトだから」

と、たまきの横に並んで歩きだした。

そうだった。この男は、たまきが暮らす太田ビルの2階のラーメン屋でバイトをしているのだ。

すなわち、たまきが「城」に帰るまで、ずっと一緒なのだ。

「じゃあ、今まで一度もチョコあげたことないの? なんで? 今まで十何回もバレンタインデーあったのに?」

つまり、このうんざりするチョコ尋問も、太田ビルに着くまでの十数分間、ずっと続く。

ちょうど、右手にコンビニが見えてきた。

たまきは、コンビニンの前で立ち止まると、ミチの方を向いて

「ちょっと待っててください」

と言うと、コンビニの中へと入った。

二、三分ほどして、たまきはコンビニから出てきた。手には百円ちょっとで売られている、赤いパッケージのチョコのお菓子を持っていた。

たまきはそのチョコレートを、不機嫌そうに、ミチの前に突き出した。

「これ、あげます」

ミチはぽかんと、たまきが突き付けた赤いパッケージを見る。

「え? いいの?」

たまきは相変わらず不機嫌そうに赤いパッケージを突き出したまま、ミチをにらむ。

この男の口に石ころを詰め込んで黙らせる労力を考えれば、チョコを買って渡すことくらい、大したことない、はずだ。

「……義理チョコです」

一応、たまきは念を押しといた。

ミチはたまきの手から赤いパッケージを受け取ると、待ってましたとばかりに紙袋の中に放り込んだ。

「やった。たまきちゃんの『はじめて』、もらっちゃった」

「そ、そういうヘンな言い方、やめてください!」

たまきは慌てたように、恨めしげに、紙袋の中へと消えた赤いパッケージを見ようとした。それが完全に紙袋の中へと入ったのを確認すると、たまきは再び、「城」の方へと向かって歩き出す。

「ところでさ……」

たまきの横を歩きながらミチが口を開いた。

「今月末、俺の誕生日なんだよねぇ」

「知りません……!」

たまきは深くため息をついた。

 

写真はイメージです。

「来年こそは手づくりしようかなぁ」

志保は「城」のキッチンを見ながら言った。

「まだ手作りチョコって作ったことないんだよねぇ。ここの設備しっかりしてるから、頑張ればイケそうな気がする」

冬の夜、三人は「城」でまったりと過ごしていた。暖房の効いた部屋の中にいると、こういう場所があることにありがたみを感じる。もちろん、家賃は払っていないのだけれど。

「志保さんならできると思います」

ゴッホの画集を読んでいたたまきが、志保の方に目をやって告げた。

「まあ、来年もあたしがここにいれば、だけどね……」

志保はそうやって自嘲気味に笑う。

「そもそも、来年もカレシがいるかどうかわかんねぇもんな。あ、別のオトコに変わってたりして!」

亜美は悪戯っぽく笑いながら、テーブルの上に置かれたチョコの包みに手を伸ばした。3人で千円ずつ出し合って買ったものだ。

「もう……!」

志保は不満げにチョコに手を伸ばす。

「ところで、たまきは誰かにチョコあげなかったのか?」

「え? ま、まあ……」

たまきは、どうとでも解釈できそうな言葉でお茶を濁した。

「そう言えばさ、亜美ちゃん、いっぱいチョコ買ってたじゃん。なんかケースのやつとかさ。あれって男友達にあげたりしたの?」

亜美のチョコを咀嚼する口が止まった。

「いや……あれは……女友達にあげたから。友チョコだよ」

「男友達にはあげなかったの?」

「はっ。アイツらにやるチョコなんてねぇよ。まあ、チョコ代立て替えてくれるっつ―なら、渡してもいいけどな」

「えー、でも、あげようかなって思ったりしないの? バレンタインデーだよ?」

あれ、さっき、どこかでそんなこと言われたぞ、とたまきは思った。

「ほら、ヒロキさんとか、付き合い長いんでしょ?」

そういうと、志保は亜美の方ににじり寄る。ヒロキとは、亜美の客の中で、特に付き合いがある男の名前だ。たまきも、亜美とヒロキが二人で街を歩いているところを見ている。

「ここだけの話、あたし、亜美ちゃんとヒロキさんちょっといいかんじなんじゃないか、なんて思ってるけど、そこんとこどうなの?」

にやにやしながら亜美に尋ねる志保。だが、亜美は眉一つ動かすことなく、あっけらかんと答えた。

「ヒロキ? あーないない。そもそも、あいつヨメもコドモもいるし」

「なんだそうなの。じゃあしょうがないか……」

さらっと受け流してから、志保とたまきは、亜美がとんでもないことを言っていることに気づいた。

「えぇ!!」

志保が、壁が破れるんじゃないかってくらいの大声を出す。たまきは大声こそ出さなかったが、目を丸く見開いて、て亜美を見た。

「ん? どした?」

亜美だけがぽかんとしたように、チョコをポリポリかみ砕きながら、二人を交互に見ている。

「ちょっと待って? ヒロキさんって、奥さんも子供もいるの?」

「ああ、いるいる。それがマジウケることに、ヒロキの嫁って、うちの一個下なんだぜ。それでガキいるって、じゃあ何歳の時に結婚して、何歳の時に産んだんだよ、そもそも、何歳の時に手ぇ出したんだよ、ってハナシじゃん? ウチもそれ聞いた時はさすがに『こいつらやべぇな』って思ったよ」

「ちょっと待って? ちょっと待って?」

志保は頭が追い付いていないのか、亜美の話を制した。たまきは、あまりにも自分とかけ離れた世界の話なので、もう理解することをやめた。

「え? それ、不倫じゃん!」

「それってどれだよ」

「亜美ちゃんとヒロキさんの関係!」

「は?」

亜美は亜美で、いま志保に言われたことが理解できないらしい。

「不倫じゃねぇだろ。お互い、本気じゃないんだし」

「亜美ちゃん、結婚してる人とその……エッチすることは悪いことだ、ってのはわかってる?」

「あのな……」

亜美はまるで人の道でも説いて聞かすかのような顔で話し始めた。

「いくらからあげが好きだからって、毎日からあげ食ってたら、たまにはテンプラが食いたくなるだろ?」

前にもこんな話を聞いた気がする。

「あれ……ちょっと待って……あたし……思い出してきたんだけど……」

志保がより一層戸惑ったような表情になった。

「亜美ちゃんさ、クリスマスの時、『不倫はスジが通んない』って言ってなかった? そうだよ、不倫してた女の人、殴ろうとしてたじゃん! っていうか、ヒロキさんも『不倫した奴が悪い』みたいなこと言ってなかった?」

「そりゃそうだろ。不倫は悪いに決まってんじゃねぇか」

「でも、自分が不倫してんじゃん!」

「だから、お互い本気じゃねぇから不倫じゃねぇってば。っていうか、あんとき、お前の方こそ、不倫するやつの気持ちわかるみたいなこと言ってなかったっけ?」

「『気持ちがわかる』と『不倫してもいい』は別の話でしょ!」

志保は手ごろなクッションをソファにたたきつけた。

「相手の奥さんの気持ちとか考えたことあるの、亜美ちゃん!」

「相手の気持ち? 相手の気持ちねぇ……」

亜美はしばらく考え込むようなしぐさを見せた。

「ヒロキのヨメは何も知らねぇんじゃねぇかな」

「だから……そういうことじゃなくてさ……、相手の奥さんが傷つくんじゃないかとか……」

「何も知らねぇんだから、傷つくわけねぇだろ。そもそも、本気じゃないんだし」

「だから……そうじゃなくて……」

「あのさ……」

亜美はうんざりしたように志保を見た。

「嘘ついてオトコと付き合ってるような奴に、とやかく言われたくねぇんだけど」

亜美の声には、温度がこもっていなかった。

「嘘って……」

「あのヤサオに、なんも言ってねぇんじゃねぇの?」

「それは……」

志保が下を向く。

「自分のカノジョが嘘ついてて、実はクスリやってて、しかもそれずっと黙ってましたって、お前こそ相手の気持ち考えたことあんのかよ。あ、これも相手はなんも知らねぇから、別にいいのか」

「それは……わかってるけど……」

志保は沈黙した。唇が少し震えているようにも見える。

亜美は、「なんか文句あるか」と言いたげに椅子にふんぞり返っている。

たまきは、少し離れたところで画集を膝の上において、それを見ているだけだった。

亜美と志保の周りに、真冬の朝の冷気のように落ち着かない空気が漂っていた。一触即発、というのとはちょっと違う。むしろ、重苦しい何かで押さえつけられたような感じだ。

たまきはなんとなく、ゴッホが描いた、麦畑の上をカラスが飛んでいる絵を思い出した。ゴッホなら、今のこの部屋の空気を何色で書くだろうか。

何か言わなきゃ、たまきはそう思った。

以前、志保はたまきが亜美と志保の間をつないでいる、たまきはそこにいるだけでその役割を果たしてくれる、と言っていた。だったら、不穏な空気が漂う今こそその力を使うときなんじゃないのか。コンド―……、じゃなかった、緩衝材としての役目を果たすときなんじゃないのか。

だがしかし、何を言えばいいのだろう。普段でさえ何をしゃべればいいのかわからないのに、こんなに落ち着かない状態の時に言うべき言葉なんて、思い浮かぶわけがない。

亜美か志保、どっちかのフォローに回ろうかと思ったが、たまきの乏しい会話力では、フォローしきれそうにないし、どっちかの味方をしたらどっちかを怒らせてしまうかもしれない。そして、それをなだめる会話力も、やっぱりたまきは持ってない。

だったらいっそ、全然違うこと、意表を突くようなことを言って、場の空気を変えるという作戦がいいのではないか。だけど、今この状態で、二人が不穏な空気を忘れてノッてくるような話題なんてたまきにあるはずも……。

「あ、あの……」

たまきはそっと立ち上がると、たった今、必死で考えたフレーズを口にした。

「私、チョコレートあげました、ミチ君に……!」

その言葉を聞いた途端、凍り付いた空気が一気に蒸発したかのように、亜美と志保は驚いた様子でたまきの方に振り向いた。

「はぁ!?」

「えぇ!?」

「……義理チョコですけど……」

急に恥ずかしくなって、たまきは下を向く。

「なんで? そういうの興味ないって言ってたじゃん!」

志保がまるで裏切り者を問い詰めるかの如く、たまきに迫る。

「さっき会ったとき、あまりにもチョコをあげないのかとしつこかったから……チョコくらいいいかなと思って……」

「ダメだよたまきちゃん!」

志保がたまきの両肩をつかんだ。

「ダメだったんですか……?」

「ダメだよ、そんな簡単に男の子に押し切られちゃ!」

「でも……別にチョコレートをあげるくらい……」

「そういう小さいことを積み重ねていくと、だんだん押し切られるのが当たり前になっちゃうよ! もしエッチなことをさせてほしいとか言われたらどうするの?」

「それとこれとは話が違うんじゃ……」

「一緒だよ一緒! 亜美ちゃんからも何か言ってよ!」

志保が、さっきまで口論していたはずの亜美に助言を求める。

「志保の言うとおりだぞ、たまき」

亜美は腕を組んでたまきに言った。

「だいたいお前は、そういうチョロいところあるからな。いやだいやだ言いながらも、押し切られれば何となく従っちゃうところが」

そう言われると、そんな気もする。そもそも、たまきがこの「城」で暮らすようになったのだって、亜美に押し切られたからだったような気もする。

「だからいっそのこと、そのまま押し切られてオトナの階段を上るってのもありなんじゃね?」

「何言ってるの亜美ちゃん!」

志保は今度は亜美の肩をつかんだ。

「そうでもしねぇと、こいつは自分からオトナの階段上ったりしねぇって」

「だからってそんなやり方……傷つくのはたまきちゃんなんだよ?」

「お前さっき、そういうこと繰り返してけば、それが当たり前になるっつったじゃねぇか。押し切られるのはこいつにとって当たり前のことなんだから、当たり前のことやってなんで傷つくんだよ?」

「だから……そうじゃなくて……」

 

夜中。太田ビルの屋上で志保は電話をかけていた。街の明かりが志保のブラウンの髪を照らす。

「あ、チョコ、食べてくれたんだ。どうだった? おいしかった?」

そのあと、二言三言言葉を交わす。

「うん、あたしも。大好きだよ」

そう言って志保は電話を切ると、振り返った。

そこには亜美が立っていて、ジャケットのポケットに手を突っ込んだまま、にやにや笑っていた。

「熱いねぇ」

「うわっ! 亜美ちゃん、いつからいたの?」

「ん、今来たとこだけど?」

本当はもっと前からいて、黙ってそこに立ってたんじゃないか、そんな気がしてきた。

「じゃ、じゃあ、あたし、部屋ん中戻るから……!」

志保が顔を赤らめて、そそくさと屋上を後にしようとする。志保の背中越しに、亜美が声をかける。

「大好きだよー!」

「やめて~!」

そんな叫びとともに、志保は階段を下りて行った。

「熱いねぇ……」

亜美はポケットから何かを取り出した。

紺色の包装紙に包まれた、ハート形のチョコレート。

亜美は軽くそれを上に向って放り投げ、落ちた来たそれをキャッチする、

そのままチョコを手に、亜美は屋上の柵にもたれかかった。

このまま、屋上から落としてチョコを粉々に砕いてしまおうか、とも思ったけど、怒られそうなのでやめにする。

亜美は無造作にビリビリと包装を破って中のチョコを取り出すと、かじりついた。

ガリッという音がして、チョコがちょこっと砕ける。

チョコは見た目に反して、少し苦かった。

自分で買ったチョコを自分で食べて、誰かに渡したつもりになる。

その「誰か」というのは、一体どこにいるのだろう。

つづく


次回 第26話「恋のち破滅、ときどき背徳」(仮)

田代と付き合い始めた志保。だが、そこには大きな障害があった。そう、「本当のことを打ち明けるべきか否か」という問題が……。5月公開予定!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

情報をとりすぎない

現代は情報氾濫の時代で、情報の取捨選択が大事だと言われる

情報が氾濫しているのはわかる。

……「情報の取捨選択」って何だよ。

子供のころから何度も「情報の取捨選択が大事」と言わた気がするが、それが何かはあまり教えてもらっていない。

たまに、フェイクニュースの話に触れて「情報の取捨選択が大事で……」みたいなことは聞くが、それは「情報の取捨選択」というよりもむしろ、「嘘情報に騙されるな」ではないか。

「情報の取捨選択」とは何か。それは「情報をとりすぎない」ということなのではないか。

評論家の外山滋比古は、知識をとりすぎてかえって考えが凝り固まり、思考力が落ちてしまうことを「知的メタボリック」と批判した。情報をとりすぎるとかえって思考力が落ちてこの知的メタボリックになってしまう。それを避けるために必要なのが「情報の取捨選択」ではないだろうか。

「知的メタボリック」とはよく言ったもので、知識や情報はカロリーと同じで、行動につなげて消費しないと、どんどん太って、不健康・不健全になってしまう。

例えば、SNSなんぞを見てると、政治の話しかしない人がいる。そういう人の文章はほぼ例外なく、物事を0が100か、正義か悪か、敵か味方かの二項対立でしかとらえていない。

自分と同じ意見は正義。違う意見は悪。悪は徹底的に叩く。グレーゾーンとか、折衷案とかがない。

頭が固い知的メタボリックに陥っているのだ。

たしかに、政治の知識や情報を身につけることは良いことだし、おもしろい。知れば知るほど、自分が賢くなったような錯覚に陥る。

いわば、「政治の話」は高カロリーな情報だ。ラーメンやとんかつ、甘いお菓子のようなものだ。好き好んで摂取して、どんどん太っていく。情報の暴飲暴食だ。

だが、食べたぶんは動いて痩せなければならない。

情報は取りすぎるとどんどん太って、知的メタボリックになってしまう。その分、その情報をもとに行動につなげて、動いていかなければならない。これまた、カロリーと同じだ。

ところが、「政治の情報」を行動につなげられる機会というのは限られている。

大半の人はたまにあるかないかの投票に行くぐらいだ。

投票は寄り集まれば国を動かす大きな力、民主主義の根幹だ。だが、一人の行動に還元すると、投票所に行って名前を書いて表を入れるだけ。実はたいした行動をしていない。

そう、「政治の情報」は高カロリーなうえ、それを行動につなげて消費する機会が、とても少ないのだ。

結果、高カロリーな情報をどんどんため込んで、どんどん知的メタボリックになっていく。そうなると、SNSで政治ネタをつぶやいて、賢いふりでもして発散するしかない。

では、知的メタボリックにならないためにはどうすればいいのか。

一つは政治家になったり活動家になったりして、情報をどんどん行動につなげることだ。もちろん、誰でもできることではないし、むしろ、おすすめしない。

そして、もう一つは、高カロリーな情報をとりすぎないように注意することだ。

これこそが、情報の取捨選択である。

高カロリー・ハイリスクな情報はなるべく避け、自分の行動に繋がっていく、栄養価の高い情報を選んで取り込んでいくのだ。

政治・芸能・スポーツのニュース、SNSのトレンド……、これらは高カロリーな情報なので、おもしろかったり、賢いつもりになれたりするが、ちゃんと自分の行動につながるかどうか、しっかりと注意したほうがいい。

だから、僕がニュースを見ていて何よりも重要な情報だと一番注目しているのは、「明日の天気」である。明日の自分の行動に直結する情報なのだから。

スマートフォンに時間を渡さない

長年ガラケーを使い続けてきたが、2020年問題に引っ掛かった。通話ができなくなってしまったのだ。

携帯電話なのに電話できなくなってしまったら、さすがに携帯電話ではない。とうとう買い替えることにした。

買い替えるからには、何か一つ機能をアップデートさせようと思い、前からやろうと思っていたウーバーイーツを始めることにした。

ところが、ウーバーイーツのようなアプリは、ガラケーやガラホではダウンロードできないのだという。

ということで、やむを得なく、初めてスマートフォンを購入した。

さて、初めてスマートフォンを手にしてわかったのだが、

これはさほど便利なものではない。

というのも、30年近くスマートフォンを使わない生活を、より正確に言えば「スマ―トフォンがなくても困らない生活」を送っていたので、いまさらスマートフォンにしたところで、ウーバーイーツ以外に頼らざるを得ない機能がほとんどない。

ウーバーイーツのほかには、LINEでの待ち合わせができるようになったのと、外で地図が見れるようになったくらい。

そのLINEでさえ、待ち合わせのような連絡以外では外では使わない。基本的には家のパソコンで見ている。

SNSは家でやればいい。

動画は家で見ればいい。

テレビは家でのんびり見ればいい。

ニュースは家で見ればいい。

ゲームは家でゆっくりやればいい。

このあとの天気がどうなるかなんて、空模様見ればだいたい見当がつく。

地図なんて目的までに3回見れば十分だ。

ガラケーを使っているときは、みんな何をそんなに夢中になってスマートフォンを見ているのだろう、と不思議でしょうがなかったが、いざスマートフォンを手にしても、やっぱり何をそんなに夢中になっているのか、さっぱりわからない。

みな、スマートフォンに時間を奪われすぎだと思う。

そもそも、そんなに情報を取得して、一体どうするつもりなのだろうか。

ネットにある情報のうちのいったい何割が、自分の行動に影響を与えうるのか。

配信されるニュースのうちのいったい何割が、自分の行動に影響を与えうるのか。

そう考えると、四六時中情報を取得する必要などなく、適度な時間に適度な情報をとればそれでいいということになる。

政治とか、芸能とか、スポーツとか、おもしろいけど実は自分にはほとんど無関係、という情報はたくさんあって、そういうのに時間を費やすのは、時間の無駄である。

SNSでそれらの話題に時間を割くなど、愚の骨頂だ。

しかも、こういった話題に対するコメントは大抵が「こいつ嫌い」だの「こいつはバカだ」だの「こいつをクビにしろ」だのと、みんなだいたい同じ意見で、実はたいしたことは言っていない。

わざわざ1万分の1でしかない意見を書くのに時間を費やすのは、実にもったいないと思う。

そうやって、みんなスマートフォンに夢中になっている。腕を伸ばしてスマートフォンを持つのは疲れるので、みんな、顔のすぐ前にスマートフォンをかざす。

そうすると、視界の大半が覆われて周りが見えなくなる。そのまま歩くと、何かにぶつかったり、躓いて転んだりする。

それでケガをしたり、けがをさせたりしたら、その元凶たるスマートフォンで救急車を呼んだり、病院を調べたりしなければならない。

こういうのを「端末転倒」、じゃなかった、「本末転倒」というのだ。

別に長生きしたくない

とある宗教学者の本にこんなことが書いてあった。

その本の著者は無理に長生きするのではなく、五穀断ちなどをしてなだらかに、命を終わらせる準備をしていきたいと語っていた。著者はもともとお寺の生まれらしいので、仏教的な考えが根底にあるのかもしれない。

そんな文章を読んで、「ああ、そういうのもいいなぁ」と思ったのである。

50歳か60歳くらいになったら無理に長生きしようとするのではなく、少しずつ自分の命を終わらせる準備に入るのも悪くない、と。

とはいえ、別に還暦になったら自殺したい、と言いうわけではない。もちろん、命の価値を軽んじているわけでもない。

還暦になるころまでには、自我を軽くし、生への執着のない、そんな人間になりたいということだ。

人はいつか必ず死ぬ。年をとればとるほど、死に近くなる。

ならば年をとればとるほど、生への執着も減らしていくべきだ。

だって、100歳にもなっていよいよ大往生というときに「やだ! やだ! 死にたくない!」と子供みたいに泣きわめくのは、みっともないじゃないか。100歳にもなったら自分の死すらも泰然と受け入れて、孫やひ孫や看護師さんを「見事な臨終だ」と感心させたいものだ。

どこまで長生きしても死から逃れられない以上、年と共にそれを受けいられる人間になっていかなければいけないのだ。

ところが、僕に言わせれば近頃のクソジジイクソババア、失礼、人生の諸先輩方は、年に反して自我が強いように思える。

昨今、高齢者ドライバーによる事故が問題となり、免許返納が話題となっている。

ところがテレビを見ていたら、「高齢者に頭ごなしに『免許を返納しろ』というと自尊心を傷つけてしまうので、高齢者の方の自尊心を傷つけずに免許を返納できるよう、言い方に工夫をしましょう」と言っていて、それを聞いて僕はひっくり返った。

60歳70歳にもなって、自分の老いを受け入れられないほど自尊心が高い、というのがそもそもの問題じゃないのか。なぜ、それまでの数十年間で自尊心を減らす努力をしてこなかったのか。

僕の世代は年配の方から「さとり世代」などと呼ばれているが、この言葉には「まだ若いのに何悟ったようなこと言ってるんだ」という揶揄が込められているように思う。

それは裏を返せば、人間、60歳70歳くらいにもなったら、いい加減悟ってくれないと困る、ということではないだろうか。

だのに近頃の高齢者は、もう年だから免許を返納したらどうかと諭しても、自分の老いや衰えを受け入れられず、逆ギレするという。

そのような状態で、自分の死を受け入れられるのだろうか。それこそ100歳の大往生で「いやだいやだ」とみっともなく泣きわめくのではないだろうか。

まったく、近頃の年取った奴らときたら。

僕が「別に長生きしたくない」というのは、今から「残りの人生はあと20~30年くらい」と、死ぬことを意識して生きていかないと、自我を減らすことができず、自尊心の高いクソジジイになってしまうのではないかという焦りと恐れからくるものなのだ。

10年後なんてわからない

面接の質問でよくあるものの一つに、「10年後の自分はどうなっていると思いますか」というのがある。

これの模範解答が未だによくわからない

調べてみると、いかにキャリアプランをしっかりと考えているかを聞くための質問らしい。ということは、10年のキャリアプランを具体的に語ると、高評価を得るのだろう。

この質問に対する僕の答えは決まっている。

「死んでるかもしれないのでわかりません」

10年もあったら、途中で重い病気になるかもしれない。事故に遭うかもしれない。事件に巻き込まれるかもしれない。災害に遭うかもしれない。何もかもいやになって自殺してしまうかもしれない。政治情勢が変わって戦争が起きるかもしれない。

死んでるかもしれない。だから、10年後のことはわかりません。

ネガティブな考え方だろうか。

だが、僕にとってこれはネガティブな発想ではない。

死に敬意を払っているのだ。

死は誰も避けることができないうえ、いつ死ぬかをコントロールできない。どれだけ健康に気を使って長生きを試みても、明日トラックが突っ込んでくるかもしれない。

人類は「死なない」も「死んでから生き返る」も達成できていない。死は絶対的なものであり、明らかに人間の手に余るものである。

だから、死ぬ可能性を無視して10年後をお気楽に語ることなど、人の傲慢さ以外の何物でもない。だから僕は、死という絶対者に敬意を払い、こう言うのだ。「10年後は死んでるかもしれません」と。

思えば、これまでほとんど「人生の目標」ってやつを立てたことがないし、計画を立てる人の感覚もよくわからない。

それでもたった一度だけ、「何歳までに」という目標を持ったことがある。

それは、24歳で会社を辞めたときに思った「30歳までは好きなことをする」という目標。

もちろん、「30歳までに死んでしまうかもしれない」は織り込み済みだ。

もし、「30歳までに店を持ちたい」「30歳までに結婚したい」というタイプの目標だと、それを果たすことなく30歳前に死んでしまうとすごい残念な感じだ。

だが、「30歳までは好きなことをする」だと、例えば28歳ぐらいで死んでしまっても、それまでの間は好きなことができていればそれで充分である。

さて、30歳を越えてしまったので、新たな目標を立てなければいけない。

僕にはあこがれている大人がいるので、40歳くらいになるときは、その人たちみたいな生き方をしてたらいいな、と思う。

もちろん、そういった生き方に向かって歩み続けているのであれば、35ぐらいで死んでしまっても、それはそれで構わない。

どこかの偉い人も言っている。明日死ぬように生き、永遠を生きるように学べ、と。

この「永遠を生きるように学べ」というのがミソだ。

要は、人の成長や学習に「完成はない」ということだ。「理想の自分」や「理想の生き方」に近づくためには、生涯かけて学習と成長を続けなければいけない。そこにゴールはない。

ゴールがないのならば、近道も存在しない。

こればっかりは、死をいったん棚に上げて、永遠に生きるつもりで、永遠にに完成しないものをそれでも完成させるつもりで成長し続けるしかない。

その途中で死んでしまったとしても、成長を止めなかったのであればそれはそれでいいと思う。そもそも、はじめから永遠に完成しないのだから、「成長途中で死ぬ」以外のエンディングはあり得ないのだ。

「暗黙の了解」なんてない

仕事中のトラブルの大体は、自分と相手の間に「暗黙の了解が成立する」と勘違いすることにある。

こんなこといちいち言わなくても伝わる。

ここは省略してもわかってくれる。

そう思い込んで、相手が思い通りに動かなかったり、指示を誤解したりすると「なんで言われた通りに動かないんだ!」とか、「もっと自分で考えろ!」と逆ギレを起こす。

だが、暗黙の了解というのは簡単には成立しない。

基本的に暗黙の了解が成立するのは、家族、恋人、親友くらい。仕事仲間だったら「相棒」とでも呼べる域にまで達しないと、暗黙の了解なんてありえない。

むしろ、そういう関係でもないに暗黙の了解なんてものが存在すると思い込むことはキモチワルイ。

どのくらいキモチワルイことかというと、「俺はお前が好きだ! だから、お前も俺を好きだろ? そうに決まってる!」と思い込むくらい、キモチワルイことだ。

「こんなこと言わなくてもわかるだろ!」とあなたが怒鳴った時、相手は「俺とお前の間に暗黙の了解なんてあるわけねぇだろ! 俺のカノジョ気取りか! キモチワルイな」くらいに思っているのかもしれない。

家族や恋人だって暗黙の了解があるかどうか怪しいものだ。感謝の気持ちを態度で示していたつもりでも、相手からすれば「全く感謝の気持ちが見えない!」とけんかになる。子どものために思った行動が子供からは「親がウザい、しつこい」と言われる。

家族や恋人ですらこういうことは多々ある。なのにどうしてただの仕事仲間で「暗黙の了解」が成立すると思い込めるのか。

それでも、業界にはその業界の常識があるし、毎日一緒に仕事をしてれば、自然と暗黙の了解が生まれるものだと思うだろ?

そう思う人はぜひJリーグの試合を見てほしい。できれば、残留争いをしているような、うまく機能していないチームの試合を。

パスをしてもミスをする。うまくつながらない。相手の強いのではなく、自滅という形で負けていく。

こういったチームはよく「イメージを共有できていない」と言われる。どんな形でボールをつないで、どんな形で点を取って、どんな形で勝つのかというイメージが。

つまりは、暗黙の了解がないのだ。

だが、彼らは幼いころからサッカーをし、人生の半分以上をサッカーに費やし、プロとして生活のほぼすべてをサッカーに費やし、チームメイトとして毎日同じ時間を共に過ごし、コミュニケーションをとっている。

それでも、暗黙の了解が生まれないのだ。「この業界の常識だ」とか「毎日一緒に仕事をしてる」とか「よく飲みに行く」は、「暗黙の了解があるはずだ」ということを証明してくれない。

相手との間に暗黙の了解が生まれたら奇跡、それくらいに思ってもいい。

だから、何か指示を出すときは、これ以上ないほど細かい指示を出すべきだ。別の解釈など絶対にありえないくらいに。

特に、メールなど、相手と直接やり取りができないときは特に。

別の解釈が成り立ってしまう指示は「悪い指示」である。それで何か問題が起きたら、それは「悪い指示」を出した方が悪い。

逆に、解釈間違いが起こりようがないほどの「良い指示」をして、それでも相手が指示通りにしなかったら、それは相手のせいだ。勘違いや聞き逃し、見逃しがあったということだ。

めんどくさいかい?

めんどくさいよね。

暗黙の了解があって、以心伝心でわかってもらった方が、仕事はスムーズにいくよね。

だが、何度も言うように、暗黙の了解なんてない。あったら奇跡だと思っていいし、あると思い込むことはキモチワルイことだ。

だったら、「暗黙の了解」に頼らず、ない前提で誤解の出ない指示を出す。その方がよっぽどスムーズに仕事が進むはずだ。

小説 あしたてんきになぁれ 第24話「お姉ちゃん、ときどき黒猫」

ミチの家で夕飯をごちそうしてもらうことになったたまき。そこで、たまきは初めて、ミチの家族のことを知り、ある後悔の念に駆られる。「あしなれ」第24話、スタート!


第23話「あたりまえ、ときどき、あたりまえ。ところにより、あたりまえ」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


 

駅の南側に行ってみたのは、たまきにとって初めてだった。

駅の西側を南に向って歩いていくと、大きな通りにぶつかる。たまきもミチも知らないが、この道は遠く山の中へと続く街道だ。

その街道は今、大きな橋となっている。たまきは最初、橋の下には大きな川が流れているんだと思った。だが、ミチによると、橋の下にあるのは川ではなく、線路だという。

「こんな太い線路ってあるんですか?」

たまきは驚いてミチに聞き返した。この橋のサイズだったら、下には幅50mほどの大きな川が流れていると思っていたのだが、川ではなく線路だとすると、とてつもなく太い線路が走っていることになる。ということは、その線路の上をこれまた見たこともない巨大な列車が走っているということに……。

「ちがうよ」

たまきの少し前を歩いていたミチが、笑いながら振り向いた。

「何本もの線路がこの下に集まってるんだよ」

ちょっと考えればわかることだった。たまきは自分のバカみたいな妄想が恥ずかしくなってきた。

たまきは今、ミチの家に向って歩いている。生まれて初めて、男の子の家にお邪魔する。

 

夕飯を外ですまさなければいけないのに、財布を忘れてきてしまったたまき。たまきは最初、ミチにお金を借りようとした。

勇気を振り絞って生まれて初めて借金の申し込みをしたのだが、ミチの答えは非常にあっさりとしたものだった。

「あ、ごめん。俺もカネ、持ってない」

ミチは家を出るとき、「まあ、今日はそんなに長くいないし」と、百十円だけポケットに入れて出てきた。途中の自販機にその百十円を入れて、コーラと交換してしまったので、ミチも今、一円も持ってないのだという。

どうしようと途方に暮れるたまき。またしてもぐうとおなかが鳴る。この調子でおなかが鳴り続けたら、あと2時間ぐらいしたら空腹で倒れてしまうんじゃないか。そんな妙な不安が、空腹感と一緒に、たまきの胃の奥から喉元を締め付けてくる。

飢え死には、なんかヤだなぁ。

どうしようかとあたりをきょろきょろと見渡すたまき。だが、いくら見渡したところで都合よくお金や食べ物が落ちているわけでも、また、答えが書いてあるわけでもない。

そんなたまきにミチがかけた言葉は、これまたあっさりとしたものだった。

「あ、じゃあさ、ウチくる?」

「え?」

ミチの思いもかけない提案に、たまきの体は一瞬硬直した。

たまきにとって「初めて会う人」は最大の敵の一つなのだが、同じくらい「初めて行く家」も苦手である。男の子の家ともなればなおさらだ。

そもそも、ミチの家にはミチの家族がいるのではないか。知らない人に囲まれてご飯を食べるなんて。「気まずい」とはまさにこのことだ。

それに、ミチが一人暮らしならそれはそれで、女の子としてちょっと警戒しておかなきゃいけないような気もする。

「あ、あの、ダメです。そんな急に知らない人が行っても……、ミチ君の家族も迷惑だと思いますし……」

「あ、ウチっつっても、家じゃないんだ」

じゃあ、どこだ。

「俺の姉ちゃんが店やっててさ。スナック。まあ、俺が住んでるアパートの一階だから、ウチと言えばウチなんだけどさ。家にいるときはいつもそこで夕飯食ってるんよ。姉ちゃん、どうせ仕事でずっとキッチンにいるんだし、急にもう一人増えたからってそんな困んないよ」

「でも……私、お金持ってないし……」

「いいよいいよそんなの。この前、たまきちゃんに助けてもらったお返し、俺、まだ何にもしてないんだもん。そろそろなんかしねぇと、今度は姉ちゃんにボコボコにされるから」

「でも……」

「でも」といったはいいものの、そのあとに続くセリフがたまきには見つからなかった。セリフの代わりに、再びおなかがぐうと鳴った。

「じゃあ、決まり。ここから歩いてそんなかかんないから」

そういうとミチは歩きだしてしまった。たまきも仕方なしにその後ろをとぼとぼとついて行く。

こんな簡単に男の子に押し切られてしまうのは、女の子としてよくないんじゃないか、そんなことをちょっと思いながら。

 

画像はイメージです。

ミチとたまきは線路沿いのテラスを歩いている。地形からも、古い町並みからも自由なテラスの上は、完全な人口の空間だ。左側を見ると、削りたての鉛筆のようにとんがった建造物が見える。

一歩一歩と歩みを進めるごとに、緊張でたまきの鼓動が少しずつ高まっていく。知らない場所に行き、知らない人に会う。たまきが一番苦手なことだ。

「その……これから行くところって……ミチ君の実家なんですか?」

「ちがうよ。俺、出身、ヨコハマだし」

「……そうなんですか」

二人はテラスの階段を降りていく。すぐに踏切にぶつかるが、ちょうどいいことに、遮断機は上がっている。二人は線路を渡ると、右に曲がって線路沿いを歩いていく。

「姉ちゃんがさ、ちょっと歳はなれてるんだけど、ずっと水商売しててさ。それで、こっちでお店持たないかって話になって。雇われママさんっつーの? オーナーの人が店やってくれる人探してて、姉ちゃん、その人と知り合いだったみたいで、姉ちゃんに店やらないかって話になって」

ミチはたまきの前を歩きながら、ちらちらとたまきを振り返って話を続けた。

「それがちょうど俺の中学卒業の時期と重なっててさ。で、姉ちゃんと一緒にこっち来ないかって話になってさ」

「じゃあ、今、お姉さんと二人暮らしなんですか」

「二人暮らし……、なんつったらいいのかなぁ。そのスナックの二階がアパートになってて、スナックのオーナーがそのアパートの大家でもあるんよ。で、俺と姉ちゃんはそこに住んでんだけど、部屋は別々なんだよね。オーナーのご厚意、ってやつでちょっと安く貸してもらってるんだよ。だから、姉ちゃんには毎日会ってるんだけど、二人暮らし……ってわけじゃないかな」

ミチの話を聞きながら、たまきはひとつ気になっていることがあった。

さっきから、ミチの家族は「姉ちゃん」しか話の中に出てこない。

「じゃあ、お父さんとお母さんは、ヨコハマの実家にいるんですか?」

「お父さん? 誰の?」

「ミチ君のです」

「いや、俺、親いないし」

「え?」

たまきの足が止まった。

東京の家々の間を縫うかのような細い路地は下り坂になっている。空はすっかり暗くなり、いくつかの街灯が足元を照らしている。

ミチは少ししてから、たまきの足が止まっていることに気づいた。

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「……初めて聞きました」

たまきは、息をのみ込んだように驚いた顔をしていた。

「……親は二人ともいないってことですか?」

「そうだよ? あれ、ほんとに言ってなかったっけ?」

たまきは無言でうなづく。

「そっか。言ったような気がしてたんだけどな。そういや言ってなかったかもなぁ」

ミチはぼりぼりと頭をかいた。

なんで親がいないんですか、とたまきは聞こうとした。だけど、そんな立ち入ったこと、聞いてもいいのだろうか。

そんなたまきの逡巡を察したのか、口を開いたのはミチの方だった。

「父親は最初からいないんよ。母親も俺がちっちゃいころに、俺と姉ちゃん置いてどっか行っちゃって。俺と姉ちゃんはずっと施設で育ったんだよね」

二人は、再び坂道を下り始めた。

「だから、『家族』ってよくわかんねぇんだよね。特に、『親』って何なのかさ。父親は知らないし、母親のこともほとんど覚えてねぇし。俺にとって家族とか親っていうのは、いねぇのが当たり前だからさ。姉ちゃんいるけど、まあ、姉ちゃんは家族っていうよりは姉ちゃんだし」

ミチは手を頭の後ろで組んだ。

「でもさ、テレビとか見てるとさ、家族の絆がどうとかさ、親の愛がどうとかさ、そういうドラマとか多いじゃん。だから、家族は仲が良くて、子どもは親が好きっていうのが、当たり前なのかなぁ、って思ってたんだけど、たまきちゃんの話聞いてると、そうじゃない人もいるんだね」

そう言ってからミチは最後に付け足した。

「まあ、よくわかんねぇんだけどさ」

ミチの話を聞いて、たまきは夕方に言った自分の言葉を思い出していた。

『ミチ君みたいな人にはわかんないですよ……きっと……』

もしかして自分は、とてつもなく失礼なことを言ってしまったのではないだろうか。

たまきは家族が苦手だ。両親が嫌いだ。

それでも、たまきにとって、それは当たり前にいる存在だった。

でも、ミチにとってはそうではなかった。

「あ、あの……」

たまきは駆け出すと、ミチの横に並んだ。

「さっきはごめんなさい。私、すごい失礼なことを……」

「いいよいいよ。親いないって言ってなかったんだし。普通はみんな、親いるわけだから、言わなきゃ普通わかんねぇって話だよな」

ミチの「普通」という言葉が、たまきにはどこかの別の国の言葉のようにも聞こえた。

「でも、知らなかったとしても、ミチ君は親がいないのに私、すごい失礼な……」

「っていうよりさ、むしろ、『親のいないかわいそうな子』って扱われることの方が嫌なんだよね」

「……ごめんなさい」

「だってかわいそうもなにも俺にとって親は『いない』のが当たり前なんだから。まあ、俺は姉ちゃんがいたから、そう思えるだけなのかもな。施設には荒れてるやつもいたし」

そういうと、ミチはたまきの方を見た。

「俺こそなんかさっき、いやなこと言っちゃったかも。ごめんね。悪気はないんよ。たまきちゃんの言う『家族』の話がさ、俺の聞いてた話と違うなぁ、って思って」

そう言ってから、ミチは少し照れ臭そうに笑う。

「なんか最近、謝ってばっかだな、俺ら」

「……ですね」

たまきも少し寂しそうに下を向いた。

 

写真はイメージです。

坂を下り続け、線路はいつの間にか高架へと変わっていた。高架をくぐる道におろされた柱に、駅名が書かれた看板が取り付けられている。どうやらここは駅らしいが、見たところ、駅舎らしき建物は見当たらない。

あまり大きな駅ではないみたいだが、それでも駅前はちょっとした商店街になっていた。ふと、わきに目をやると、さっきのとんがった建物が目に入る。

その商店街からちょっと路地に入ったところに、スナックが立ち並ぶ一角があった。ミチはその中のビルの一つの前に立った。すすけたビルで、2階はアパートになっているのだろうか、窓がいくつかあって、物干し竿がかかっている。

1階はお店になっていて、路上に看板が置かれていた。

看板にはひらがなで「そのあと」と書かれていた。

なんだろう、と思ってたまきはその看板を見つめていたが、どうやら、お店の名前らしい。

スナック、「そのあと」。

ヘンな名前。たまきはそう思ったが、言葉には出さなかった。

「ヘンな名前だろ? 姉ちゃんが店もらう前から、この名前だったみたいだぜ?」

そういうと、ミチは店の扉を開けた。

「ただいまぁ。姉ちゃん、友達連れて……」

ドアがバタンと閉まった。

たまきは、中に入らずにお店を見つめていた。暗い色の扉はなんだかものものしく、なんだか異世界の門のように来るものを拒んでいる。

再び扉が開いて、ミチが顔を出した。

「たまきちゃん、何やってるの? はいんなよ」

たまきはふうっとため息をつく。同時におなかがぐうっと鳴った。

 

お店の中は薄暗く、やっぱり違う世界に迷い込んでしまったかのようだ。

細長いお店の中にカウンターがあり、口紅のように真っ赤な椅子が並んでいる。カウンターの中のキッチンには、エプロン姿の女性が立っていた。

スナックのママ、という言葉の持つイメージに比べると、幾分か若い。亜美や志保よりも、たまきの姉よりも年上だと思うが、舞に比べるとずいぶんと若い気もする。

鮮やかな長い茶髪で、少しウェーブがかかっている。メイクは少し濃いめだが、厚化粧というわけでもなかった。

たぶんこの人がミチのお姉ちゃんなのだろうが、年が離れているせいか、目もと以外はあんまりミチに似てない気もした。

ミチのお姉ちゃんはたまきの方を見ると、にっこりと笑顔を見せた。

「いらっしゃい」

「こ、こんにちは……」

たまきは、自分がそこにいることそのものが申し訳ないかのように、うつむいてあいさつをした。

「あなたがミチヒロのお友達?」

「ミチヒロ」って誰だろう? とたまきはあたりを見渡したが、どうやら今まで「ミチ君」と呼んできた彼が、「ミチヒロ」らしい。

「ま、とりあえず座って」

 

ミチのお姉ちゃんに促され、たまきとミチはカウンターの前にある椅子に腰かけた。

椅子の上のたまきは、石像のように固まっている。

自分から名乗ったほうがいいのだろうか。いや、自分から名乗るべきなのだろう。

わかっているんだけど、どうしても言葉が出てこない。代わりにおなかがぐうと鳴る。

自己紹介ができずに今にも泣きだしそうなたまきだったが、先に声をかけたのはミチのお姉ちゃんの方だった。

「もしかして、あなたがひきこもりのたまきちゃん?」

どうして初めて会うのに自分の名前を知っているのだろう、という疑問より、どうして引きこもりだってばれたんだろうという疑問の方が、たまきの頭をもたげた。とりあえずたまきは無言でうなずいた。なんだが引きこもりであることも認めたようで少々腑に落ちないが、事実なのだからしょうがない。

「へ~。聞いてたイメージ通りだ~」

ミチのお姉ちゃんはそう言って笑った。たまきは横にいるミチを見ると、「私のこと、どういう話したんですか?」と言いたげににらんだ。

ミチのお姉ちゃんはミチの方を向くと、

「なんか、今までミチヒロが連れてきた女の子たちと比べると、この子、全然雰囲気違うね」

「ちょっ! 姉ちゃん!」

ミチは困ったように姉を見て、そのあとでたまきの顔色を窺った。今度はたまきは「今までに何人の女の子連れてきてるんですか」と言いたげににらんでいた。

「ミチヒロも人妻なんかと不倫してないで、こういう真面目そうな子と付き合いなさいよ」

どうやら、一連の顛末をミチのお姉ちゃんは知っているらしい。

「私は……真面目じゃないです……その……学校行ってないし……」

たまきは渡された原稿をただ読んでいるだけのようなたどたどしさで答えた。

「へぇ~。聞いてた通り、すごい人見知りなんだぁ。ふふ、かわいい~」

そういうとミチのお姉ちゃんはカウンターから手を伸ばし、ニット帽の上からたまきの頭を撫でた。

撫でられる、なんてあまり慣れないことをされて、たまきは身をよじって今すぐ店の外に駆け出したい衝動にかられたが、そうしたい、と思っただけでそれを実行できないのもまたたまきらしさである。椅子に座ったまま、されるがままに撫でられる。

ニット帽越しに撫でられる感触を感じ取りながら、たまきは前にもこんなことされたな、と思い出していた。

「で、ミチヒロ、なんだっけ? お夕飯用意すればいいんだっけ?」

「そうそう、二人分」

「焼きそばでいい?」

「たまきちゃん、それでいい?」

ミチはたまきの方を向き、たまきは無言でこくりとうなづいた。

「じゃ、作るね~」

ミチのお姉ちゃんは冷蔵庫から焼きそばの麺を三袋取り出した。

「ミチヒロは大盛でいいよね?」

「うん、お願い」

ミチとお姉ちゃんのやり取りを見ながら、たまきは自分の姉のことを思い出していた。

 

たまきの姉は、当たり前のことが当たり前にできる人だった。

やさしくて、おしゃれで、友達も多くて、勉強も運動もそこそこできる。人一倍優秀というわけでもないが、何でもそつなくこなせる人だった。

たまきはそんなお姉ちゃんが大好きだった。生来の人見知りだったたまきは、外に出るときはいつもお姉ちゃんの手を握り、お姉ちゃんの後ろを引っ張られるようについて行った。

たまきが学校に行けなくなって以来、父と母は時に腫物のように、時に邪魔もののように、時にわるもののようにたまきを扱った。でも、たまきの姉がたまきに接する態度は変わらなかった。

父も母も出かけたある土曜日、姉がたまきのひきこもる部屋にやってきた。

「お昼に焼きそば作ったよ」

たまきの目の前に焼きそばが盛り付けられたお皿が置かれた。

焼きそばから立ち込める湯気の向こう側に、姉の笑顔があった。

それがたまきにとっては、たまらなくまぶしかった。

どっか行ってくれないかな。

そう思った。

たまきは結局、焼きそばに手を付けなかった。姉はたまきの部屋を去る時、初めて悲しそうな顔をした。

別に、お姉ちゃんのことが嫌いになったわけじゃない。お姉ちゃんがたまきに冷たくしたわけでもない。

ただ、その存在がまぶしかった。

たまきのことを気にかけてくれたお姉ちゃんを、たまきはみずから遠ざけた。

さっきだってそうだったではないか。お金と食べるものがなくて困ってるたまきを、ミチは家まで連れてきて、ご飯を用意してくれた。

そのミチを、たまきは自分から遠ざけようとした。ミチがまぶしかったという理由で。

どうして、自分のことを気にかけてくれる人を、自分に手を差し伸べてくれる人を、自分から遠ざけてしまうんだろう。

どっか行っちゃえばいいのに。

それはミチに向けた言葉でも、お姉ちゃんに向けた言葉でもなかった。

たまきがたまき自身に向けた言葉だった。

つまるところ、たまきはお姉ちゃんのことが嫌いになったわけでも、ミチのことが心底嫌いなわけでもない。

自分のことが嫌いなのだ。

 

ミチとたまきの目の前に、ソース焼きそばの盛り付けられたお皿が置かれた。湯気がたまきの眼鏡を曇らせる。

たまきは割り箸を手に取ると、両手を合わせた。

「い、いただきます」

両手に力を込めて割り箸を割る。しなった割りばしが割れる瞬間が、あまり好きではない。

隣を見ると、ミチがすでに焼きそばにむさぼりついていた。

たまきはふうふうと息を吹きかけると、湯気に絡みつくソースのにおいと一緒に、焼きそばを口の中へと入れた。

空腹の極みに達してからの焼きそばは、無条件においしかった。

ふと、ミチが

「俺ちょっと、トイレ行ってくるわ」

と言って立ち上がる。

「え……?」

店の奥にあるトイレへと立つミチを不安げに見送るたまき。ミチがいなくなったら、今日、初めて会った人と二人きりになってしまう。

「ちょっと、食事中にそういうこと言わないの。黙っていきなさい」

ミチのお姉ちゃんはぶぜんとしたようにミチの背中に向けて投げかけた。トイレのドアがバタンと閉まる。

「全く、我が弟ながらデリカシーのない奴よ」

そういうとミチのお姉ちゃんはたまきの方を見た。

「どう? おいしい?」

たまきは慌てて焼きそばを飲み込んだ。

「は、はい。おいしいです。ありがとうございます。あ、あの、お金は後で必ず……」

「いいって、そんなの」

「でも……」

たまきはカウンターの上に掲げられたメニュー表を見た。焼きそば480円と書いてある。

「いいっていいって。たまきちゃんでしょ、ミチヒロのこと助けてくれたの。そのお礼よ」

ミチのお姉ちゃんは白い歯を見せた。

「こんなにちっちゃいのに、ミチヒロのこと、盾になって守ってくれたんだぁ」

たまきはなんて返事していいのかわからず、下を向いて黙々と焼きそばを食べ続けた。

しばらくして顔をあげると、ミチのお姉ちゃんはまだたまきを見てニコニコしている。

こういう状況が、本当に苦手だ。

どっか行ってくれないかな。

そんな言葉がまたたまきの頭をもたげたが、もうそんな風に考えることはやめよう、そう思った。

いきなり来て、お金も持ってないのに、お夕飯を作ってくれなんてぶしつけなお願いをしたにもかかわらず、ミチのお姉ちゃんはたまきのことを歓迎してくれている。

もう、そういう人を自分から遠ざけるのはやめよう。

たまきは顔をあげると、ミチのお姉ちゃんの目を見て、もう一度、

「おいしいです」

と言って、たまきにしては精いっぱいの笑顔を見せた。

すると、ミチのお姉ちゃんはたまきにグイっと顔を近づけた。たまきは少しひるんだが、逃げることなくこらえた。

「たまきちゃんてさ、ここ来るの初めてだっけ?」

「は……初めてです」

「だよね。いや、なんか見たことあるっていうか、誰かに似てるっていうか……。誰か芸能人とかに似てる、って言われたことない?」

「な、ないです……」

たまきみたいに影の薄い芸能人、いるわけない。

「そっかぁ……誰かに似てるんだよねぇ……」

ミチのお姉ちゃんがそう言ったタイミングで、トイレのドアが開いてミチが戻ってきた。

「あ~、すっきりした」

「ほんとデリカシーのない奴よ」

ミチのお姉ちゃんが弟をぎろりとにらむ。

ミチが帰ってきたことでたまきは少しほっとして、焼きそばをほおばった。焼きそばは少し冷めて、たまきの舌にはちょうどいい温度だ。

ミチのお姉ちゃんはその様子を見ていたが、突然、

「わかった!」

と声をあげた。

「なんだよ、姉ちゃん」

「この子なにかに似てる、って思ってたんだけど、わかった! クロだ! クロに似てるんだ!」

くろって誰だろう? とたまきはミチを見る。ミチも何のことかわからないらしく、

「クロって?」

と姉に聞き返していた。

「ほら、あんたが小学生ぐらいの時だからもう十年前か。施設に黒猫が迷い込んできてさ、みんなで『クロ』って名前つけてエサやってかわいがってたじゃん。この子、そのクロに似てるんだ!」

そんなわけない、とたまきは思った。たまきは人間である。ちょっと小型だけど人間である。いくらなんでも、ネコに似てるわけがない。

たまきはぶぜんとしたまま、焼きそばを口に運んだ。

ミチも、

「うーん、似てはないんじゃない。確かに、たまきちゃん、黒い服着てるけど、さすがにネコに顔が似てるってことは……」

「いやね、顔が似てるっていうんじゃなくて、なんていうのかな、雰囲気が似てるのよ。動き方とか、たたずまいとかさ」

そう言って、ミチのお姉ちゃんはたまきを指さし、

「ほら、この焼きそば食べてる姿もさ、なんかクロに似てるんだよねぇ」

そんなわけない、とたまきは思った。そのクロというネコは左の前足で割り箸を持って、焼きそばを食べていたとでもいうのだろうか。

「クロって最後どうしたんだっけ」

ミチのお姉ちゃんは弟の方を見て尋ねた。

「たしか……急にいなくなっちゃったんだよ。それで、自分の死期を悟って姿を消したんじゃないか、みたいなこと言ってなかったっけ」

「そうだったっけ。じゃあ、もしかしたら、この子、クロの生まれ変わりかも!」

そんなわけない、とたまきは思った。たまきはいま十六歳。そのクロというネコがいなくなったのが十年前なら、たまきはその時すでに六歳だ。生まれ変わりなわけがない。

「いやぁ、見れば見るほど、よく似てるなぁ」

そう言ってミチのお姉ちゃんは再びたまきの頭に手を伸ばして撫でた。

「ほら、この撫でてる時の嫌そうな表情とか、ほんとそっくり」

嫌そうだとわかってるなら、やめてくれればいいのに。

 

焼きそばを食べ終えて少し休憩すると、たまきは立ち上がった。そろそろ帰らないと、たまきみたいな年の女の子がこういう店に夜遅くまでいてはいけない気がする。

「あの、私、帰ります。焼きそば、ごちそうさまでした。おいしかったです」

たまきはぺこりと頭を下げた。

「またご飯食べに来なよ。水曜と金曜は、ランチタイムやってるから」

ミチのお姉ちゃんは、フライパンを洗いながら答えた。

「ああ、あの、あまりお客さんが入らないランチタイム?」

「うるさいな」

ミチのお姉ちゃんは弟をにらみつけた。

「じゃあ、帰ります」

「うん、またね」

そう言ってミチが片手をあげたとき、ミチのお姉ちゃんがフライパンをミチの頭の上に振り下ろした。ガンという鈍い音が聞こえて、たまきも何事かと振り返る。

「いってぇ! 姉ちゃん、何すんだよ!」

「『うんまたね』じゃないでしょ! ちゃんと送ってあげなさい!」

「あ、あの、私、大丈夫です。一本道ですし……」

たまきは申し訳なさそうに言った。

「ダメダメ。もうすっかり暗くなってるし、人通り少ないからあぶないよ。ミチヒロ、送っていきなさい。その不法占拠してるビルまでとは言わないから、駅の近くの明るいところまで」

たまきは「不法占拠とか勝手に話さないでくれますか」と言いたげに、ミチをにらんだ。

 

写真はイメージです。

行きはひたすら下っていたが、その分、帰りは上り坂が続く。ミチのお姉ちゃんが言うとおり、あたりは深夜と見まがうほどに暗くなり、街灯が寂しく灰色のアスファルトを照らしている。行く手には鉛筆みたいなビルがそびえたつ。とんがった先端がやけに明るくライトアップされ、なんだか空に向かってビームでも放ちそうだ。

二人はほとんど会話することなく歩いていたが、たまきの歩く姿を横目に見ていたミチが口を開いた。

「でも、たしかにたまきちゃんって、ネコっぽいかも」

「え?」

「いや、今歩いてる感じも、なんかネコっぽいんだよねぇ」

たまきは自分の足元を確認した。

そんなわけない。たまきはちゃんと、二本足で歩いている。

「なんですか、二人そろって。人のことを動物みたいに」

「え、でも、ネコってかわいいからいいじゃん」

「動物じゃないですか」

たまきは口をとがらせながら言った。

「似てると言えば……」

そう言ってから、たまきはそこから先を言っていいものかどうか、ちょっと迷った。でも、さっき、ミチのお姉ちゃんもその話題を口にしていたので、別にいいかと、たまきは言葉をつづけた。

「ミチ君のお姉さん、誰かに似てるって私も思ってたんですけど……」

「へぇ、だれだれ?」

「……海乃って人に似てる、って思いました」

ミチは何も答えなかった。

「……ミチ君のお姉さんの方が、やさしいかんじでしたけど」

たまきはミチの方を見た。ミチは口を真一文字に固めて、少しこわばったような表情をしていた。

それを見たたまきは珍しく笑みを、それこそ、ネズミを捕まえた子猫のような笑みを浮かべた。

「もしかして、海乃って人が好きだったのは、お姉さんに似てたからですか?」

ミチはしばらく何も言わなかった。やがて、恥ずかしそうに一言だけつぶやいた。

「おかしい……?」

「いいえ」

たまきは少し微笑んでいった。

「私も私のお姉ちゃんのこと、大好きですから」

「あれ? 家族きらいなんじゃなかったっけ?」

「お姉ちゃんは……お姉ちゃんです」

街灯に照らされた二つの影は、つきそうでくっつかない、微妙な隙間を開けながら、坂道を登って行った。

つづく


次回 第25話「チョコレートの波浪警報」

次回はバレンタインのエピソードです。2020年2月14日、バレンタインに公開します! 続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

スマートフォンはいらない

僕は、スマートフォンを持っていない。

なぜなら、欲しいと思ったことがない、すなわち、いらないからだ。

人は欲しいものが欲しいのであって、いらないものはいらない。

たしかに、スマートフォンがあれば便利だと思う。

だが、「便利なもの」は「なければ困るもの」ではない。

携帯電話なら持っている。わざわざ、新たにスマートフォンを買う理由はない。

スマートフォンがあれば外でもインターネットができるが、外出時にインターネットを見ることなどない。地図はどこの駅前にも置いてあるし、乗り換え検索ならガラケーでもできる。

SNS、you tube、ネットニュース、ワンセグのテレビ。そんなのは家で見ればいい。どうしても外で見なければいけない理由など、ない。

つまりは、スマートフォンは「なければ困るもの」ではないのだ。その証拠に、どうしてもスマートフォンが必要だった場面は、今まで、一度としてない。

スマートフォンは「なくても困らないモノ」なのだ。

「なくても困らないモノ」は「必要ではないモノ」である。

「必要でないモノ」は「いらないモノ」である。

「いらないモノ」はいらない。

だから、スマートフォンはいらない。

僕の中でこの公式はわかりきったものである。

だから、世の中の人がなぜスマートフォンという「いらないモノ」を欲しがるのか、さっぱり理解できない。

スマートフォンはなくても困らないモノであり、必要ではないモノであり、いらないモノだから、いらない。この文章の何をどういじれば「スマートフォンが欲しい」なんて話になるのか、とんと理解できない。

もしかしたら、スマートフォンを持つことによって、手間が省けるのかもしれない。なるほど、いちいち駅前で地図を探して覚えるより、スマートフォンで地図を検索したほうが、手間が省ける。

1日でトータル5分の手間を省けば、そのぶん5分の余裕が生まれる。

1か月もあると150分も時間が生まれる。

1年間で30時間も余裕が生まれる。それだけあれば、何か作品の一つや二つ、できてしまうかもしれない。人より30時間多く勉強すれば、そのぶん賢くなれる。

では、そうやって省いた時間でみんな何をやっているのだろうか。

そう思って街の中を見渡してみると、なんのことはない。みんな、余った時間でスマートフォンを覗き込んでいたのである。

スマートフォンで手間を省き、そうして生まれた時間で、スマートフォンを覗き込む。

これは何かの呪いか? 彼らは片時もスマートフォンから目が離れないように、悪い魔女に呪いでもかけられたのか?

スマートフォンで手間を省き、そうして生まれた時間でスマートフォンを覗き、どうでもいいようなネットニュースやSNSに時間を費やしてたら、結局、プラスマイナスゼロじゃないか。

スマートフォンを覗き込む時間を確保するために、スマートフォンを使って手間を省く。だったら最初からスマートフォンなんてなくてよかったのだ。やっぱり、何かの呪いにかけられているように映る。

そもそも、手間をかけるから人は賢くなれるのだと思う。電卓を使うより暗算したほうが、手間はかかるが賢くなれる。

「賢い電話」と書いてスマートフォンだ。なるほど、最新機能を使いこなすのには確かに賢さが必要だろう。人類は便利な道具でサルからヒトへと進歩してきた。

だが、一番賢いサルは、道具を使いこなすサルではない。

何もないところから道具を生み出したサルだ。

より正確に言えば、「道具がない状況でも、自分の工夫ひとつでなんとかできるサル」である。