小説:あしたてんきになぁれ 第6話 強盗注意報と自殺警報

ライブハウスでの財布盗難事件も無事解決し、3人の新たな生活が始まった。依存症治療の施設へ通い出した志保。一方、留守番をしていたたまきのもとに、思いもよらない人物が現れて……。

「あしなれ」新章スタート!


第5話 どしゃ降りのちほろ酔い

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち

写真はイメージです

まだまだ暑い日が続く。日差しがアスファルトをフライパンのように焼き付け、蝉の声が調味料として降りかかる。立ち上る陽炎は、さながら料理から溢れる湯気のようだ。

少年は公園の階段でギターを奏でながら、オリジナルのラブソングを歌っていた。軽やかなリズムでギターをストロークする。はじける弦の感触がピック越しに伝わる。

少年は仲間内からは「ミチ」と呼ばれていた。

日差しに負けじと、蝉に負けじと、声を張り上げて歌う。

だが、それに耳を傾ける者は誰もいない。階段の下に広がる広場では、若者がスケボーに興じるが、距離からかんがみて、おそらく、ギターの音がかろうじて聞こえるくらいだろう。ミチのわきを通り過ぎる者もいるが、目を向けることはあっても、足を止めることがない。

正直なところ、ミチも何のためにここで歌っているのか、わかっていない。

練習、というわけでもない。かといって、ストリートライブ、というわけでもない。ストリートライブをするには、人通りが少ない。

何のために、誰に向かって自分はここで歌っているのか。

そう考えた時、ミチの頭に、以前、この場所である女の子としたやり取りを思い出した。

一曲終った後、何も考えずに「ありがとうございました」とつぶやいたミチ。その時、彼の隣にいた女の子に、誰に対していったのか問われたことがあった。

その問いかけにミチはすぐに答えを出せなかった。ふと、口をついて出た言葉が「世の中」だった。

それを聞いた女の子は、あきれたような顔をしていた。

あの時、「世の中」なんて言う変な答え方をしたのは、曲を誰かに聞いてほしかったからだと思う。

ただ、それが特定の誰かではないし、「通行人」ですらない。よくわからない「誰か」に聞いてもらいたい。それが「世の中」なのだろう。

「世の中」に聞いてもらいたいから、密室ではなく、かといって聞いてくれる人がいるわけでもない、だだっ広い公園で歌っているのだろう。

いや、たった一人、彼の歌に耳を傾けてくれる女の子がいた。

女の子の名はたまき。ごく最近出会った、同年代の女の子だ。

ミチの中学校の先輩にヒロキという男がいる。そのヒロキの知り合いの女性とたまきは一緒に暮らしている。

たまきは週に一度か二度、この公園にやって来る。彼女は決まってミチの隣に腰を下ろし、絵を描いている。

一度だけ彼女の描く絵を見たことがある。青春真っ只中の年頃の女の子の絵とは思えない、暗い絵だった。鉛筆で公園を描いたものだったのだが、何ともおどろおどろしいものだった。見られたことが恥ずかしいのか、たまきは少し涙目だった。

たまきは変わった少女だ。常に死にたい死にたいとつぶやき、右手首には白い包帯が目立つ。

ミチの周囲にいる女性は、派手な人が多かった。不良仲間を見れば、派手な髪型に派手なメイク、誰を誘惑するつもりなのか谷間を強調するファッション。音楽仲間に至っては、ピンク色の髪をした女性もいる。

おしゃべりが好きで、男に対して警戒心がなく、なれなれしい。そんな女性ばかりだった。

たまきは、それとは真逆だった。黒い服を好み、化粧もしないし髪型も作らない。ほとんどしゃべらず、目を合わせない。極力肌を見せたがらず、触られるのを拒む。彼女が常にかけているメガネ、左目を覆う前髪は、どこか「世の中」を拒絶しているようにも見える。

決して人になつかない黒い猫。それが、ミチがたまきに漠然と抱いた印象だった。

 

太陽をスポットライトにしてミチは歌う。汗がたらたらと流れ、湯気にならないのが不思議なくらいである。「何よりも大切な人」とか「君を守り続ける」とか、どこかで聞いたことがあるようなフレーズを繰り返す。

と、隣に小さな影が歩み寄り、日陰に腰を下ろした。顔は見ていないが、そのたたずまいからたまきで間違いないだろう。

「ありがとうございました。今歌った曲は、『ラブソング』でした。」

誰でもない、「世の中」に対しFMラジオのような曲紹介をする。自分でも呆れかえるほどひねりのないタイトルだが、他に思いつかなかったので仕方ない。

一曲終ったところで、ミチは横にたたずむ影を見た。

やはりたまきだった。

だが、いつもとは様子が違っていた。

いつもなら、たまきの視線はミチをかすりもせず。スケッチブックと前方の景色だけに注がれている。会話を交わすことはあっても、たまきはミチのことをほとんど見ない。目を合わせることもない。

だが、今日は違っていた。ミチの右側の日陰に座ったたまきは、首を九十度左に向け、まっすぐにミチを見つめていた。いつもは貧血気味の肌も、心なしか紅潮している。ミチも思わず見つめ返す。

若い男女が見つめ合う、といえばロマンチックだが、たまきはメガネの奥の大きな瞳を見開き、口をとがらせ、まっすぐに攻撃的な視線を飛ばしてくる。つまり、睨みつけているのだ。

ミチが思わず視線をそらす。心当たりがあるからだ。

「……やっぱり、怒ってる?」

ミチが気まずそうにたまきを見ながら言った。たまきは睨んだままうなづいた。

「どうして助けてくれなかったんですか」

数日前、ミチのバンドのライブ会場で、バンドメンバーの財布が盗まれるという事件が起きた。その時、たまたま楽屋に入ってしまったたまきは疑われたのだ。

その件については今日の午前中にメールが来た。「真犯人」が友人に付き添われて謝罪と返金のためやってきたらしい。誰が犯人かは書かれていなかったが、全額帰ってきたことと、本人が深く反省し、誠心誠意謝罪したことから、警察沙汰にはしないそうだ。これにて一件落着。

だが、ミチにはまだ問題が残っていた。ライブハウスの楽屋でたまきが疑われていた時、ミチは助けを求めるたまきから目をそむけてしまった。

「……もちろん、誰が一番悪いかと聞かれたら、自分の言葉ではっきりと潔白を証明できなかった私です……。きっと誰かが助けてくれるなんて、そんなこと当てにしてません」

たまきはミチから目を離し、うつむきつつ言った。

「でも、ミチ君は私ともバンドの人とも知り合いなんですから、あの時何か言ってくれてもよかったじゃないですか」

たまきはそういうと、再びミチをにらみつけた。

「それとも、ミチ君も私が犯人だと思ってたんですか?」

「ま、まさかぁ」

ミチが取り繕うように笑いながら言った。

「お、おれだって、たまきちゃんがそんなことしたなんて思ってないよ」

「じゃあ、あの時そう言ってくれればよかったじゃないですか」

たまきはずっとミチをにらんでいる。ただでさえ目に生気がないうえに、あどけない顔だけに、睨まれると怖い。

「……俺さ、あのバンドの中では下っ端でさ……。ほとんどサポートメンバーに近いっていうか……」

言い訳にしかならないとわかっていながら、ミチは続けた。

「こういう風に路上で歌いたくて。でも、アカペラだと厳しいんだよ。何ていうか、アカペラで路上で歌ってても、よっぽどうまいやつじゃない限り、イタイじゃん?」

たまきが睨んだまま、こっくりとうなづいた。

「だから、ギターを弾きながら歌えればと思って、知り合いでバンドのリードギターやってる人に教えてくれって頼んだんだよ。そしたら、教える代わりに、バンドメンバー足りないからサイドギターで入れって言われて……」

「私は別に、バンドメンバーに逆らってくれとは言ってないですけど……」

「なんていうか、意見しづらいっていうか……」

たまきの納得できなさそうな顔を見て、ミチは申し訳なさそうに尋ねた。

「俺のこと、ちょっと嫌いになった?」

たまきはミチから顔をそらして答えた。

「もともと嫌いですけど」

「あ、そう……」

その答えは、ミチにとって心の片隅で予想していたものだった。

そのまましばらく二人の間に沈黙が流れる。空気を読まずになくセミの声がうっとうしく感じられる。たまきはスケッチブックをかばんから出すと、いつものごとく黙々と絵を描き始めた。ミチは沈黙に耐えかねるようにギターのチューニングを始める。

「……下っ端だからあんなにつまらなそうにしてたんですか?」

たまきがポツリと発した問いかけに、ミチが振り向く。

「え?」

「この前のライブです」

「俺、つまんなそうだった?」

たまきは無言で、ミチに横顔を向けたまま、こくりとうなづく。

「そうかぁ。やっぱりつまんなそうに見えちゃってたかぁ」

ミチはチューニングをやめ、天を仰ぐ。途端に太陽のまぶしすぎる日差しが、容赦なく視界を襲う。

「確かに、楽しんではねえよ。でも、別に下っ端だからってわけじゃねえよ。たしかに、他の4人より年も下だし、ちょっと気まずいけど、みんないい人だよ」

日差しに目を細めながらミチは続けた。

「つまんなそうに見えたのはギターに必死だったってのもあるけど……」

ミチは下を向いた。

「やっぱ俺、歌いてぇんだよ」

ミチは気づかなかったが、たまきはミチを見つめていた。

「こういうこというとさ、本気でギターやってるやつはふざけんなって思うかもしれないけど、俺は歌を歌いたいんだよ。唄うためにギターを弾きたいんだよ」

そういうとミチは、再びチューニングを始めた。

二人の間を涼しい風がなびく。

 

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都心から車で二十分ほど走れば、閑静な住宅街が広がる。赤土のレンガを用いた洋風のこじゃれた家が立ち並び、街路樹の緑葉がアクセントをつける。お店もカフェや雑貨屋とこじゃれたものばかりだ。

そんな街中にひっそりと、教会が佇んでいた。そんなに大きくはない。面積は家三軒分といったところか。

この教会は、薬物に限らず、アルコールやギャンブルなど、依存症患者への支援が手厚いことで知られている。

教会が主催している支援施設では、多くの人が入所したり通院したりして、あらゆる依存症と戦っている。

その支援施設の中の一室に、志保と京野舞が並んで座っている。二人の前には長机を挟んで、シスターの姿をした年配の女性が微笑んでいた。

「それで……、ドラッグを始めたのはいつ頃になるかしら」

シスターは志保に問いかける。シスターは手に黒いバインダーを持ち、その上には「問診票」と書かれた紙が志保には見えないようにおいてある。それまではドラッグから引き起こされる症状の話が主だったが、そのドラッグに手を出した頃の話に移ってきた。

「……高一の夏休みです」

志保は伏し目で答えた。

「ドラッグは誰からもらったの?」

「当時の彼から……」

少し頭が痛そうに、志保は顔をしかめた。

「ドラッグをやったきっかけは?」

「きっかけ……」

言葉に詰まる志保を見て、シスターは微笑んだ。

「いいわ。今日はここまでにしましょう。だいたい、入会に必要な情報も聞けたことですし」

志保は無言でうなづく。

「それでは京野先生、神崎さんは通院という形でよろしかったですわね」

「ええ」

舞が応答した。

「神崎さんはご自宅から通院する、ということでよろしかったかしら」

自宅……。何て言えばいいんだろう。まさか「不法占拠」なんて言えないし……。

志保は言い淀んだが、すぐに舞が代わりに答えた。

「はい。自宅からの通院です」

その声に志保は目を見開く。

「ご自宅ということはご家族と一緒に暮らしていらっしゃるのかしら」

シスターの問いかけに、またしても舞は毅然として答えた。

「はい、姉が一人に、妹が一人です」

え? あたし、一人っ子……。その言葉を志保は飲み込んだ。おそらく、姉というのは亜美を、妹というのはたまきのことを指すのだろう。

家族……。その言葉はぴんと来ない。

「ご両親とは一緒ではないのね」

シスターの言葉に、志保の眉が不安そうにふるえる。

「両親と同居していなければ、『通院』は認められませんか?」

舞が凛として訪ねた。

「そんなことはありません。患者さんによっては、両親や家族と離れた方がいい、という方もいらっしゃいますから」

「志保は今、わけあって両親と一緒には暮らしていませんが、この子の姉や妹も、まあ、ちょっと頼りないけど、私は信頼しています。両親がいない分は、わたしが主治医として責任を持って、この子をサポートします」

「お医者さんが親代わりなら、心強いわね」

シスターはそう言って志保に微笑みかけた。志保は、あいまいな笑みを返すにとどまった。

 

施設内の食堂でお昼ご飯を食べ、午後は見学ということになった。正直、疲れているので「城(キャッスル)」に帰って寝たいところだが、わがままも言えない。

そもそも、疲れてるのもまた、志保が原因なのだ。

数日前、志保はどうしても今すぐにクスリが欲しくなってしまった。その時、たまたま財布を「城」においてバンドのライブに来ていた志保は、楽屋に忍び込み、バンドメンバーの財布を盗んでクスリを買った。今日は教会に来る前に朝早くから、亜美に連れられてバンドメンバーのアパートを訪れ、謝罪と返金をしてきたのである。

朝だというのに部屋のカーテンは閉め切られていた。

志保が正座し、亜美は体育座り。机を挟んだ反対側に、被害者のバンドメンバーが胡坐をかいている。誰もが黙りこくり、外の大通りを走るトラックのエンジン音だけが聞こえる。

まず、志保が財布を返し、頭を下げて謝罪した。口を真一文字に結んだバンドメンバーが、しゃべりはじめる。

志保はある程度覚悟していたが、バンドメンバーには相当口汚く罵られた。自分が悪いとわかっていても、わかっているからこそ泣きたいぐらいに。

バンドメンバーが、警察を呼ぶと言った時、事件は起きた。

亜美がテーブルを蹴り飛ばしたのだ。軽いプラスチック製のオレンジ色のテーブルは宙を舞い、壁に叩きつけられ、ドンガラガンと音が鳴る。その音よりも大きな声で亜美が怒鳴る。

「てめぇ、志保がこうして恥を忍んで頭下げてんだろうが! 悪かったつってんだろうが! 金は全部帰ってきたんだろうがよ! 丸く収めるってことが出来ねぇのか!」

「何だと、てめぇ!」

「何だとはなんだてめぇ!」

亜美とバンドメンバーが互いに怒鳴りあう。互いに服を掴んで引っ張りあうので、つかみ合う二人はどんどん動き、そのたびに床に積んである雑誌が崩れ、棚の上の小物が落ちる。

志保は、亜美が自分の気持ちを口汚くも代弁してくれたことは嬉しかったし、結局一番悪いのは自分なのもわかっているが、それでも、謝罪の付添人としてこの態度はよくないんじゃないか、という思いを禁じ得なかった。

「てめぇ、ホントにケーサツ呼ぶぞ!」

バンドメンバーが怒鳴る。

「ああ、呼んでみろよ! 全員ぶっ殺してやるよ!」

亜美が社会に挑戦しかねない言葉を吐く。

「亜美ちゃん、とりあえず、落ち着いて!」

志保は亜美の右腕の入れ墨にほほを押し付け、肘を引っ張り、何とか二人を引き離そうと骨のように細い両腕に力を入れる。それとは別に冷静に考えている自分がいた。

謝りに来たのはあたしで、亜美ちゃんはその付添いのはずだったのに。

 

結局、何がどうなったのか、わずか数時間前のはずなのに、よく覚えていない。幸い、暴力沙汰にならなかったことと、亜美が貫録勝ちしてこちらの要求が通ったことは覚えている。

 

施設の中の一室に志保と舞は通された。白い壁で囲まれた部屋の中には長机が円卓のように並べられ、ホワイトボードが一つ置かれていた。そのわきには進行役の職員が立ち、机のまわりには施設の利用者なのであろう人たちが座っていた。志保と同年代であろう少女や、志保の親ぐらいの年齢の男など、まさに老若男女だ。

「これから、ここでミーティングが行われるのよ」

終始優しく微笑むシスターが説明してくれた。

「ミーティング……ですか?」

志保が尋ねる。今ひとつピンとこない。いったい何を話し合うというのだ。

「ミーティング、といっても、一般的な会議とは違うのよ。うちの施設では、毎回テーマを決めて、そのことを話してもらうの。自分の生い立ち、家族、夢、いろんなことを話して、みんなに聞いてもらうの」

「……聞いてもらうだけ、ですか?」

「ええ。」

微笑みシスターが返事をした。

進行役の職員がホワイトボードに、今日の議題を書く。

『依存症になったきっかけ』。それが今日のテーマらしい。

三十歳くらいの男性が話を始める。彼はアルコール依存症らしい。仕事のストレスからアルコールを飲む量が増えていった、という話をしていた。

話を聞きながら、志保は考えていた。

あたしが、クスリを始めたきっかけってなんだろう。なんだか漠然として、はっきりしない。

以前たまきに聞かれた時も、はっきりとは答えられなかった。

ただただ、明日が怖かった。

何であたしは、クスリに手を出したんだろう。

 

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教会の駐車場に停められた、舞の赤い車に、志保と舞は乗り込んだ。エンジンをふかし、静かな住宅街の路に滑り出す。進路を歓楽街に向けてとる。

「シロで降ろすから」

舞はサングラスをかけ、煙草をふかしながらハンドルを握る。「シロ」というのは志保が暮らすつぶれたキャバクラ「城」(キャッスル)のことらしい。

「次からは電車で一人で行けるな? 本当はお前を一人で外出させたくないんだけど、こればっかりはなぁ」

「……はい」

車は住宅街を抜け、大通りを走る。頭上には高速道路が続いている。10分もすれば、歓楽街に着くだろう。

「あの、先生」

助手席の志保が少し顔を舞に向けた。

「どうした?」

「その……、あんな嘘ついてよかったんですか?」

「嘘?」

「自宅通いって言ったり、家族と同居してるって言ったり……」

「ほんとのこというわけにはいかねぇだろう」

舞は右手でハンドルを握りながら、左手でくわえたたばこをつまみ、灰皿の上に軽く押しつけた。そして志保の方を見やって、にっと笑う。

「あの二人はまだ家族とは思えねぇか」

志保は軽くうなづいた。

「まあ、一緒に住み始めて、半月ぐらいか? お前としては、この前の事件の負い目もあるだろうしな」

志保はまた力なくうなづく。

「でもな、志保。お前があいつらのことをどう思ってようが、あいつらがお前のことをどう思ってようが、あの二人は自分たちがお前を支えると決めたんだ」

舞の後ろの車窓に、陽を浴びた街路樹が流れていく。

「だったら、お前のことを家族だと思って扱ってくれなきゃ、困る」

赤い車の側面を、南西から太陽が照らし出す。前方に並ぶ車の列を見て、舞は舌打ちをする。どうやら渋滞にはまったらしい。カーラジオからは、夕方ごろから天気が急変し、ゲリラ豪雨の恐れがあるという予報が流れていた。

 

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「うひゃー!」

亜美が「太田ビル」を出ると、外はものすごい雨だった。雨粒が銃弾のようにアスファルトをたたく。

「んだよ。さっきまで晴れてたのに」

亜美の愚痴も雨音にかき消される。

傘をさすと亜美は小走りに動き出した。たまきにはやむまで待ったらどうかと言われたが、亜美は待つことが苦手な性分だ。

小脇には3人の洗濯物を入れたビニール袋。これよりコインランドリーに洗濯に行くのだ。

今、『城』の中には結構なものがそろっている。テレビやビデオは亜美の稼ぎやごみ捨て場で手に入れたし、元がキャバクラで、夜逃げ同然で使われなくなったので、調理系の家電もそろっている。空調も万全だ。

だが、洗濯機はない。ましてや、風呂場などあるわけがない。なので3人はコインランドリーや、小さな銭湯を利用している。コインランドリーは亜美とたまきの2人でローテーションを組んでやっている。だが、「志保を一人で外に出すな」という舞からの通達があるため、志保は料理専門として洗濯担当から外されているし、外出が苦手なたまきを考慮して、亜美が洗濯に行く場合が多い。

コインランドリーまでは歩いて5分ほど。雨の中、亜美は小走りで駆け抜ける。

途中、背広を着た中年の男とすれ違った。ふと、気になり、足を止める。

なぜ気になったのか、亜美にもよくわからない。すぐにまた、コインランドリーに向けて駆け出した。

昼間の歓楽街に背広の人間はあまりいない。オフィスなんてほとんどない。居酒屋、エッチなお店、ヤクザの事務所……。背広を着て通勤するような場所はあまりない。

お昼時や夜なら食事や飲み会、エッチな目的で来たサラリーマンをよく見るが、午後3時、しかも雨となると、なかなかいないものだ。

 

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「亜美さん、大丈夫かな」

『城』の中で窓をたたく雨粒を見つめながら、たまきがつぶやく。昨日も大雨の中、亜美は洗濯に行った。「今日は私が行きます」と言えなかった自分が情けなくて嫌になる。

一人で「城」の中にいるのは、なんとなく心細い。もともと店として活用されていた広いスペースに一人でいるのだ。空間を持て余してしまう。聞こえるのも空調の音と、ガラスの向こうの雨音だけだ。

たまきはソファの上に横になると、静かに目を閉じ、物思いにふける。

今日、ミチから聞いた話は、たまきをますますわからなくさせた。

世の中には輝いている人間がたくさんいる。ビジネスマン、芸能人、スポーツ選手などなど。特に、芸能人なんて、たまきと同じぐらいの年なのに、太陽のような輝きを放っている人がたくさんいる。

それに比べれると、たまきはちっぽけな月みたいなものだ。太陽の周りを回るちっぽけな地球。その周りを回る、さらに小さな月。

そんなたまきにとって、ミチは「地球」のような存在だった。青く、月より美しい地球。

以前、月から撮影された地球の写真を見たことがある。真っ暗な空に、青く大きく、丸く美しい、そんな地球が浮かぶ。

月から一番近いのに、穴ぼこだらけの月よりもずっと美しく、手を伸ばせば届きそうなのに、背伸びしても飛び跳ねても決して届かない。

月は、いつも地球にあこがれているのだ。その美しさにあこがれているのだ。

たまきは、そんなミチのそばにいれば、もっと正確に言えば、ミチの歌を聞いていれば、自分も少しは輝ける、と思っていた。

宇宙から見れば、月なんてちっぽけな石ころだ。でも、地球から見れば、美しく光り輝いて見える。

地球があるから、月は美しく見てもらえる。

だが、憧れであったはずのミチにも悩みがあった。彼は、もっと輝きたかった。

チャラい風貌は受け入れがたいが、夢に向かって毎日歌うミチは、たまきにとっては十分まぶしい存在だった。

だが、ミチは今よりももっと、太陽のように輝きたいという。

自分よりも友達作りスキルの高い亜美が学校というレールから外れ、自分よりも恵まれているはずの志保がドラッグに手を出し、自分より輝いているはずのミチがもっと輝きたいという。

地球は青く美しい。それで十分じゃないか。でも、彼らはもっと輝きたいと言ったり、輝きを捨てて月に近づこうとする。

一体どこまで行けば、ゴールにたどり着けるのか。友達ができれば、恋人がいれば、夢を持っていれば、たまきはゴールにたどり着けると思っていた。幸せになれると思っていた。

でも、二人の同居人やミチを見ていると、友達がいたって、恋人がいたって、夢があったって、悩みは尽きない。

だったら、きっとたまきみたいな人間は、どれだけ歩けどもゴールにたどり着けないんじゃないだろうか。

一体何がいけないのだろう。誰のせいなのだろう。

それとも、全部自分のせいでしかないのか。

『城』のキッチンの窓ガラスを雨粒が流れ星のように滑る。

雨の日はなんだか憂鬱になる。

 

あまりの大雨に、傘をさしていても、男の足元はどんどん濡れていく。濡れた裾が刺さるように痛い。

男はわきにあったビルを見た。ビルの一階はコンビニで、そのわきには上層へと続く薄暗い階段がある。男は傘をたたむと、階段に入って雨宿りを始めた。

コンビニの方に入らなかった理由は男にもはっきりとしない。明るいところを無意識に拒んだのかもしれないし、ただ誰かに顔を見られるような場所に行きたくなかっただけかもしれない。

男はスーツ姿だったが、薄汚れ、しわだらけで、「正装」とは言い難い。顔だけ見ると四十代半ばといったところだが、薄くなった頭はそれ以上に老け込んだ印象を与える。手には黒い、小さい、くたびれたかばんを持っている。

男は階段の入り口に掲げられた看板を見る。これを見れば何階に何が入っているのかがわかる。

一階はコンビニ。二階が飲食店。その上に雀荘があり、さらにその上にビデオ屋がある。その上にはキャバクラかなんかだろうか、「城」と書かれた看板がある。

人間の抱く、たいていの欲望がこのビルで叶いそうだ。ならば、自分の目的もはたせるかもしれない。男はそう考えた。

5階のキャバクラがいい。この時間なら、まだ人はいないかもしれない。

男はゆっくりと階段を昇って行った。甲高い足音がこだまする。

 

5階に着くと蛍光灯のカバーが割れた看板が男を出迎えた。「城」と一文字漢字で大きく書かれ、そこに「キャッスル」とルビが振ってある。

もしかしたら、この店はもうやっていないのかもしれない。そう思いながら男はドアノブに手をかけ、静かに回して引いた。カチャリ……、と小さな音を立ててドアが開く。

やはり、もうやっていないのか。それとも、ただただ不用心なのか。

中は薄暗い。小さな窓から灯りは差してはいる。だが、外は大雨。もともと外が暗いので、店の中はぼんやりとしか見えない。

男は、誰か来たらどうしよう、ということしか考えていなかった。店の人間に見つかったら、最悪の事態になりかねない、と。だから、ソファの上のぬいぐるみにも気づかなかった。

男は静かにドアを閉めて、歩き出した。レジスターらしきものは見当たらない。奥に行けば金庫ぐらいはあるだろうか。

もし、彼がこの時後ろを振り返れば、ドアにかかった「あみ しほ たまき」と書かれたカラフルなネームプレートが揺れているのに気付いたはずだ。

 

薄暗い店の中を男は探っている。背後には厨房らしきスペースがあり、右手に”PRIVATE”と書かれたドアがある。金庫があるとすればあそこの中だ。

と、ふと左に目をやったとき、ソファの上にクマのぬいぐるみが置かれていることに男は気づいた。

ぬいぐるみ? キャバクラの中に、ぬいぐるみ?

ぬいぐるみに気を取られていた男は、足元にあった何か固いものを踏んだ。不意を突かれてバランスを崩し、ソファに頭から突っ込んで鈍い音を立てた。右手から放たれた鞄と、左手から放たれた折り畳み傘が宙を舞い、派手な音と共に床へと落ちた。

幸い、顔から突っ込んだので、大したダメージはない。男はすぐに立ち上がった。と、ほぼ同時に、視界の隅で人影がゆっくりと動いた。

 

何かが倒れたり落ちたりする音で、たまきは目を覚ました。どうやら部屋でぼおっとしているうちに、眠っていたらしい。亜美か志保のどっちかが帰ってきたのか。こういう派手な音を出すのは亜美の方かな、と音のした方を見る。

見たことのない男がそこに立っていた。父親と同年代だろうか。頭の薄い、さえない印象を受ける。

本来、いるはずのない人間を見て、たまきは小さい叫び声をあげた。

だれ? なに? もしかして泥棒? どうやって入ったの?

そういえば、鍵を開けたままにしていたんだった。「城」のカギは、むかし亜美が店内で見つけたという一個しかない。たぶん、「城」のオーナーが夜逃げするときに置いていき、そのままになっていたのだろう。

そのカギは今、たまきの手元にある。亜美も志保も鍵を持たないまま外出したのだ。

もし、鍵を閉めてしまうと、今日のようにたまきがうっかり寝落ちした時に二人は「城」に入れなくなってしまう。

そんなことを刹那のうちに考えていると、男がたまきの方を向いた。

直後、男は

「うわぁ!」

とたまきの悲鳴より数倍大きなボリュームで叫んだ。

 

男は叫んだと同時に、後ろにのけぞり、腰を抜かした。そのままソファの上にばすんと尻を乗せる。

誰? 何? 店の人間? いつからここにいた?

相手の少女は小柄で、まだあどけない顔にメガネをかけている。おそらく、中学生か高校生といったところだろうか。冷静に考えれば、そんな年頃の地味な少女がキャバクラの店員なはずがないのだが、(中には法を犯して、中高生を働かせている店もあるかもしれないが)、この男、何せ生来の小心者。そんなことを落ち着いてかんがみる余裕はない。

どうする? 顔を見られた?

足元に目をやると、ビデオデッキと思われる物体が置いてある。どうやら、これを踏んづけてバランスを崩したらしい。

何で? 店の中にビデオデッキ?

目の前の少女は、怯えているのか、男の顔をじっと見つめている。

駄目だ。確実に顔を覚えられた。

どうする? 逃げるか? でも、顔を見られた!

パニックに陥った男は、あたりを見渡す。自分のかばんを見つけると、中に手を突っ込み、何かを取り出した。

それは包丁だった。店頭で売られていた時のまま、パッケージに入っていたが、男はぶるぶる震える手で乱暴にこじ開け、中の包丁を取り出した。まだ新品で薄暗い中でも、切っ先がほのかに光を放つ。その刃先をふるえる手で少女に向けると、男はあらん限りの声を振り絞って叫んだ。

「こ、殺されたくなかったら、言うことを聞け!」

言ってから、男は後悔した。なんてことを言ってしまったんだ。

いや、そもそも、最初から泥棒をするつもりで店に入ったのだ。もっとも、包丁を買ったのは、誰かに出くわしたときに殺すためではなく、包丁を購入することで、もう後戻りはできないと腹をくくるために、いわば景気づけのために買ったのだ。そのままお守り代わりにかばんに入れておいたのだが、まさか使うことになるなんて。

血の気が引いたのか、男は少し冷静に考えられるようになった。

もしかして、さっき一目散に逃げれば、大事にはならずに済んだのでは?

でも、もう遅い。刃物を女の子に向けて、あんなこと言って、これじゃもう脅迫、強盗、殺人未遂。

こうなったら。男は、悪い方向に腹をくくった。

こうなったら、とことんやってやる!

「か、金を出せ! 大人しくすれば命は助けてやる!」

上ずった声で叫びながら、頭の中で算段を立てる。

相手はたぶん、中学生か高校生。だとしたら、学生証なり身分を証明するものを持ってるはずだ。お金と一緒にそれを取り上げるんだ。そして「これでお前の身元は簡単に調べられる」とか、「しゃべったらおまえや家族を殺す」とか言えば、きっと黙っててくれるはずだ。

そうだ。俺はこの子を殺すために刃物を向けてるんじゃない。お互い、無事に事を収めるために刃物を向けているんだ。男は自分にそう言い聞かせた。

 

たまきは困っていた。

隣の部屋にはいくらあるのか知らないが、亜美がエッチであくどい事をして稼いだお金が入っている。お金を渡したら、きっと亜美に怒られる。

たまきは不思議と恐怖を感じていなかった。

どうも自分は、「恐怖」というものに鈍感なようだ。前に亜美にホラー映画を見せられた時も、あまり怖くなかった。きっと、中学の時、初めてリストカットした後に無理やり学校に行かされ、気分が悪くなって3時間目にさぼって吐いた女子トイレの便器の中に、恐怖心も一緒に吐き出してしまったんだろう。

そもそも、たまきはお金の場所を知らない。

亜美は普段はずかずかしているくせに、そう言ったことに関しては疑り深く、誰にもお金のありかを教えていない。何となく、隣の部屋にあるのだろうといった感じだ。

でも、お金を渡さないと殺されちゃう。男が持っている刃物は、おもちゃではなく本物のようだ。

あれ? でも、殺されたらそれはそれでいいんじゃない?

そうだよ。私、ずっと死にたかったんだから。

それでも、今日まで不本意ながら生き残ってしまったのは、どこかにためらいを感じていたんだろう。

きっと自分は、恐怖を感じていないんじゃなくて、恐怖を感じていることに気付いていないだけなのかもしれない。

たまきの右手首にまかれた包帯の下には、無数の傷の線が走っている。これを「ためらい傷」というらしい。

死ぬことが怖いのか、痛いことが怖いのか、自分でもわからないが、どこか恐怖を感じているのだろう。だからためらい、死にきれない。

だったら、殺してもらえばいいのだ。

奇特にも目の前にいる男は、たまきを殺すという。

たまきのような、毒にも薬にもならない女を殺してくれる人なんて、もうこの先現れないかもしれない。

よし、今度こそ、今日が私の命日だ。

たまきにしては珍しく、たまきにしては本当に珍しく、にっこりと笑った。

 

男は戦慄した。刃物を向けて殺すと脅した少女が臆するどころか、嬉しそうに笑ったのだから。

あどけない笑みはこういう状況でなければかわいらしいものだが、今は恐怖しか感じられない。

少女は男の方へ近づいてきた。男は怖くなって喚いた。

「おい! 来るな! 殺すぞ!」

「殺してください」

少女は臆することなく、笑顔で答えた。

「お金はあげられません。だから、殺してください。」

男と少女の距離は30センチぐらいだろうか。包丁の切っ先の、それこそ鼻先に少女の鼻がある。

少女の小さく白い手が男の手を包み込み、男の腕を降ろし、少女は刃先を自分の胸元へ向けた。少女の袖がめくれ、手首の白い包帯があらわになる。少女の指先はつめたかった。

何を考えているんだ、この娘は。

少女はしばらく考えていたが、やがて口を開いた。

「胸よりおなかの方がいいですかね?」

「え? え?」

「心臓を一突きにしてもらおうと思ったんですけど、でも、胸って心臓を守るための肋骨がありますよね。」

「え? あ、あるねぇ」

男は自分が何を聞かれて、何を答えたのかもよくわかっていない。

「だったら、胸よりおなかの方がいいですよね?」

「え? う、うん……」

少女は男の腕をさらに降ろし、刃先を自分のおなかに向けると、手を離した。

沈黙が流れる。

「あの……、まだですか?」

男より一回り背の低い少女が、男を見上げながら言った。

「え……、え?」

「早くしてください」

男の人生で、この先、こんな若い子に何かをせがまれることなど、もうないかもしれない。だからといって、さすがに殺すわけには……。

ちょうどその時、入口のドアが開いた。二人は同時にそっちの方を見る。

「あ、亜美さん」

さっきまでの黒髪の少女がそうつぶやいたのと、新たに入って来た金髪の少女が、

「たまきになにしてんだてめぇ!」

といって駆け出したのはほぼ同時だった。そのまま金髪の少女はテーブルを踏み台に飛び上がった。

男は、反射的に金髪の少女から顔をそらした。男のほほに少女の飛膝蹴りが突き刺さり、男の体は吹っ飛び、鈍く大きな音を立ててソファの上に落下した。


次回 第7話 幸せの濃霧注意報

強盗のおじさんと出会ったことで、「幸せってなんだろう」と考えるたまき。果たして、亜美に蹴り飛ばされたおじさんの運命はいかに?

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

検証:ピースボートで人生は劇的に変わるか?:フリーライター自由堂ノック編

前回に続き、「ピースボートで人生は劇的に変わるか」シリーズの第2弾である。今回は仕事につながる話だし、ちゃんと人生に変化はある。果たして、その変化が劇的なものなのかどうか。もちろん、前回に続き、主人公として登場してもらうのはこの私、自由堂ノックだ。


ピースボートの船内には、「船内チーム」という集団がいる。乗客の中から有志が集まって、船内を盛り上げる様々な仕事をするのだ。音響や照明を担当するPAチームや、映像チームなどがある中、僕は船内新聞を作成する「新聞局」に入った。

船内新聞とは読んで字のごとく、船内で発行される新聞を作るチームだ。とはいえ、記事の大半は船内のイベント情報で、そのイベントを担当するスタッフが書く。

ただ、参加者を紹介するコーナーがあり、そのコーナーは新聞局のメンバーが面白い人を見つけて取材し、記事にする。また、新聞が記事で埋まらないこともあり、そのスペースは新聞局の仲間がコラムみたいなものを書く。

僕はもともと文章を書くのが好きだったので、船に乗ったら新聞局に入ろうと思っていた。

ただ、「文章を書くのが好き」であって、「文章を書くのが得意」と思っていたわけではない。

大学のころ、自分の書いた文章にかなり修正を加えられたことがある。

大学では「民俗学研究会」という部活に所属し、そこで毎年、部誌を発行していたのだが、僕の文章は同期の仲間に「ふざけすぎだ」と言われてかなり修正されたのだ。その日は、めちゃくちゃ落ち込んだ。

これまで、取り立て文章で褒められることもなかった。浦和市が市内の小学生の文章を集めた「文集うらわ」に載ることもないし、何かの賞をもらったこともない。

だから、新聞局に入っても、記事は書かずに編集などをしようと思っていた。まったく自信がなかったからだ。

ただ、1記事だけ、僕が専属で書くことになった。

それが、寄港地の国旗について紹介する記事だった。

とはいえ、僕は船に乗るまでこれと言って国旗に詳しかったわけではない(今では国旗大好きだが)。

ではなぜ、国旗のコラムを書くことになったのか。

船に乗る前、事前に新聞局に入りたい人が集まる機会があり、そこでLINEのグループを作った。

そして、局長を務めるスタッフから、船内新聞で国旗に関するコラムをやりたいということ、国旗に関する本があったら持ってきてほしいことがLINEで伝達された。

その翌日である。僕がブックオフでたまたま、「国旗の世界史」という本を見つけたのは。

世界中の国旗がマイナーな国まで網羅されているうえ、それぞれの国旗に隠された歴史も書かれている。おまけに、本来1800円のその本が中古だったので500円。

奇妙なめぐりあわせで、僕はその本を購入した。いざ、船に乗ったら新聞局でそんな本を持っているのは僕だけだった。それがきっかけである。

国旗のコラムをいくつか書いていると、局長から「ノックは文章うまいから助かる」との言葉をいただいた。

とはいえ、例によって疑い深い僕である。お世辞ぐらいにしか思わず、全く本気にしていなかった。

そんな僕に、ある出会いが訪れる。

ピースボート88回クルーズでは、mすあき案内人としてフリーランサーの安藤美さんが乗っていた。僕らは親しみを込めて「ミッフィーさん」と呼んでいた。

そのミッフィーさんが、ツイッター用の140字のプロフィールを添削してくれるという。ぼくは文章力が上がるのではないかと思い、140字のプロフィールを作って店に行った。当時、ツイッターなどやってはいなかったが。

自分での感想は「ふざけすぎた」だった。学生時代に修正喰らったことが頭をよぎった。

だが、これから添削されに行くのだ。完璧なものを用意する必要はない。もしふざけすぎたのであれば、そう指摘されるだろう。

だから、ミッフィーさんから「どこも直すところがない」と言われたときは、頭が真っ白になった。「何も添削する必要がないなんてめったにない」とも言われた。もちろん、いい意味で、だ。

添削される気満々だった僕は、じゃあどこを改善したらいいのかと途方に暮れた。褒められなれていないのだ。

疑り深い僕でも、さすがにこれは信じざるを得なかった。ミッフィーさんが添削の場でお世辞を言う理由が全くなかったからだ。

この一件は僕の文章に対する自己評価をかなり変えた。「もしかして、自信を持っていいのか?」と考えるようになった(自信を持ったわけではない)。

ミッフィーさんから教わったことはほかにもある。

船内の講演会で、「今、ネットのメディアはライターをたくさん募集している」とミッフィーさんは教えてくれた。船を降りた僕はその言葉を当てに「クラウドワークス」や「ランサーズ」に登録し、今、フリーライターの仕事をしている。

ミッフィーさんと出会わなかったら、今、フリーライターをしていないかもしれない。そう考えると、わずか2週間ほどの交流だったが、実に不思議だ。今でも僕は、ミッフィーさんを師と仰いでいる。ライターとしての目標の一つは、「いつかミッフィーさんと仕事をする」だ。

ただ、ミッフィーさん一人の影響は大きいが、それがすべてではなかった。

船内新聞で書いた僕の記事の感想が、僕の耳にも入るようになったのだ。直接本人から「よかったよ」と言われたり、人づてにそう言ってたよと聞いたり。そのほぼすべてが、僕の本名の読み方を間違えていたが(笑)。だが、そういうことがきっかけで船内の企画に携わるようにもなった。シニアの方から船内新聞の記事のファンレターをもらったこともあった。

そんなこんなの影響で何を勘違いしたのか、今、僕はフリーライターをやっている。出版業界にいた経験は、ない。前職は警備員だ。

さて、では、僕の人生は劇的に変わったのだろうか。

僕自身は、劇的とは思っていない。

以前にも書いたが、やっぱり人生は複線回収で、過去にそうとは知らずにつくってしまった伏線を、後々回収するだけなのだと思う。

小さいころから本を読むのは好きだったし、文章を書くのも好きだった。就活の時も漠然と「文章を書く仕事がしたい」と考えていた。今思えば、そういった伏線を回収する機会を得ただけなんだと思う。

だが、複線回収の一方で、思いもよらない偶然の連鎖というものがある。

船に乗る前に「国旗の世界史」を買わなければ船内新聞で記事を書くことなんてなかったかもしれないし、88以外のクルーズだったらミッフィーさんに出会うこともなかった。

ラップに関しても、大宮ボラセンにたまたまラップ好きが集まってなければ、船でラップをしようなどとは思わなかった。

そして、僕がこの変化を「劇的」とは思わない理由がもう一つあって、

僕は、いまだに自分が文章を書くのが得意だと思っていない。

「人からそう言われるので、おそらく僕は文章を書くのが得意なのだろう」と認識しているだけで、自分で文章が得意だとは全く思っていない。「しゃべるよりは書く方が得意だろう」ぐらいの認識である。

他人の文章の良し悪しはわかる。同じ船内新聞の仲間の書いた文章は本当にうまいし、逆にネットでよくわかんない記事を見て、「文章下手だなー」と思うこともある。

だが、自分の文章に暗しては、とんとわからない。

「これでいいのかな?」と首をかしげながら日々仕事をしている。

何か月もやってクビになってないから、おそらく評価されているんだろう、という認識である(もちろん、不採用になった原稿もたくさんある)。

だいたい、僕は「フリーライターになれた」のではない。他の仕事が壊滅的にできないから、「フリーライターになるしかなかった」のである。「書く仕事がしたかった」とは言ったが、「いきなりフリーで」なんて一言も言っていない。いきなりフリーで仕事をし出したのは、かわいそうなくらい会社の仕事ができないからであり、かわいそうなくらい面接が苦手だからだ。

志望校に全滅して、滑り止めの高校に進学したら、意外と自分に合ってた、そんな感じだ。

ピースボートで人生は劇的に変わる、わけではない。これまでの伏線を回収するだけだし、相変わらず自信なんてない。

ただ、ピースボートは「選択肢」を提供してくれる場であったと思う。

船で出会った仲間や水先案内人、旅先の文化や風景などが、あなたに無数の選択肢を与えてくれる。「普通の」以外にも道はたくさんあるんだと教えてくれる。

そして、ピースボートは何かをチャレンジした人を応援してくれる人がとても多い。一般社会では「空気読めよ」と言われてしまいそうなことも、臆することなく評価してくれる。だから、どんどんチャレンジするといい。船は積極的じゃないと楽しめない」、これは僕が恩人からもらった言葉だ。

無数の選択肢の中から何かを選び取った時、それまでの人生にちりばめていた複線が、そして不思議な偶然が、最高の仲間が、ちょっと背中を押してくれる。たったそれだけである。

アニメ「サクラクエスト」から見る、今、町おこしが必要なあの町

我が家のテレビも東京MXが見れることがわかり、久々にいろいろアニメを見ている。その中で今期一番気になっているのが「サクラクエスト」というアニメだ。このサクラクエストは東京の大学生がとある田舎町の町おこしに携わる、というアニメなのだが、このアニメを見ていると今、町おこしが必要な町が見えてきた。


これまでの限界集落論

まずは、これまでの限界集落論について見ていこうと思う。

「限界集落」という言葉を提唱したのは、社会学者の大野晃氏である。定義としては、65歳以上の人が集落の半分を占め、特に一人暮らしの老人が多い。農地は荒れ果て、寄合や祭りなどは行われなくなり、ムラとしての機能を失いつつある集落である。

1980年代に提唱されたこの概念だが、ずいぶん人によって解釈に違いがあるようだ。

例えば、テレビ東京の特番などを見るとたまに、「限界集落の宿でのんびり過ごそう」みたいな企画があり、「限界」の意味わかってますか?と聞き返したくなる。

一方で、社会学者の山下祐介氏は、むしろ「限界集落」という単語が危機を煽る言葉として独り歩きしていると指摘する。「限界集落なんだから、この集落は問題があるに違いない」という論調が席巻しているらしい。

だが、山下氏は、実際の限界集落はメディアが煽るほど危機的状況ではないとしている。

「限界集落論」は「今目の前の危機を煽る」ものではなく、「いつか来るであろう危機への警告」だとしている。

そしてその「いつか来るであろう危機」に対して、集落自体が主体性を持って、②近隣の集落や都市を巻き込むことが大切だとしている。

特に、集落から都市へと移り住んでいった若い世代がカギを握っている。彼らも都市にずうっと住むつもりではなく、どこかに「いつかは帰りたい」という気持ちを抱いている。

そう言えば、僕の友人で地方移住をした人は多いし、地方出身者で大学は東京だったが、卒業後は地元に帰った友人も多い。

なぜだか、東京に人が根付かない。人は来るけど、根付かない。

さて、山下氏は、限界集落が問題なら、都市も問題があるはずと論じている。都市では生活上の問題が起きても、個人ではどうしようもない。東日本大震災の例を挙げて、都市での個人の無力さを描いている。限界集落同様、都市でもコミュニティが喪失していると論じている。

限界集落論で見逃されがちだが、問題があるのは田舎だけではなく、都市も同じなのだ。

東京と「木綿のハンカチーフ」

かつて、東京には人を引き付けて離さない「魔力」があった。

松本隆が作詞し、太田博美の代表曲となった「木綿のハンカチーフ」という歌がある。1975年に発売された歌だ。

構成が面白く、東京へと旅立った「僕」と、故郷に残した恋人の手紙のやり取りのように歌詞が進行していく。

1番では「僕」が進学か何かで東京へと旅立つ、列車の中の胸中がつづられている。都会で何か贈り物を探そうという「僕」に対し、恋人は「僕」が都会に染まらないことだけを願う。

2番では「僕」が東京に移り住み半年がたっている。「僕」は都会で流行りの指輪(都会って指輪が流行ってるの?)を恋人に贈る。それに対し恋人は、指輪よりも「僕」とのキスの方が煌くと返している。

3番では「僕」は見間違うようなスーツを着た写真を恋人に送っている。恋人のあか抜けない様子を懐かしむようでもあり、小ばかにしているようでもある。それに対し恋人は、スーツの「僕」より、田舎の純朴な青年だった「僕」が好きだったと返し、「僕」の体調を気にしている。

そして4番。「僕」こう歌っている。

「恋人よ、君を忘れて変わっていく僕を許して。毎日愉快に過ごす街角。僕は、僕は帰れない」

あまりにも身勝手な別れの言葉に恋人は、いや、元恋人は、最後に初めて贈り物をねだる。涙をふく木綿のハンカチーフをください、と。

はは~ん、女ができたな。

などとゲスな推測をする一方で、すごい引っかかるフレーズがある。

「毎日愉快に過ごす街角」だ。

果たして、今の東京で毎日愉快に過ごしている人など、どれくらいいるだろうか。満員電車に押しつぶされ、都会では四季の移ろいを感じられず、栄養ドリンクを流し込み日々を過ごす。それでもそれなりに楽しいこともあろうが、「毎日愉快」とまではいかないだろう。

そして、「僕」はこうまで言い切るのだ。「僕は帰れない」。

田舎は仕事がないから帰れないのではない。「毎日愉快だから帰れない」。

この歌が大ヒットをしたということは、この「僕」以外にも東京で毎日愉快に過ごしていた人がたくさんいた、ということではないだろうか。70年代の東京にはそれだけ、人を引き付けて離さない魔力があったのだ。しかし、今なお、その魔力はあるのだろうか。

アニメ「サクラクエスト」

さてさておまちかね。やっとこさ、サクラクエストの登場である。

物語のあらすじはこんな感じだ。

主人公は東京の短大に通う木春由之(こはるよしの)。就活で30社落ち、精神的にも落ちていたある日、とある手違いから縁もゆかりもない町「間野山」に1年間住みこんでアピールする「チュパカブラ王国・国王」という役職についてしまう。

「チュパカブラ王国」とは間野山にかつての文化創生事業で作られ、かつては10万人の観光客を集めたが、今は閑古鳥が鳴いている、いわゆる「ハコモノ」である。

はじめは東京に帰りたがっていた由乃だが、間野山の人たちと触れ合うにつれ、次第に真剣に「国王」としての仕事に打ち込むようになる。「町おこしに必要なのは、若者、馬鹿者、よそ者」というが、しかし、所詮はよそ者。そんな簡単にはいかない……。

実にリアルなアニメである。前番組が話題の異能系アニメ、後番組が老舗の魔法系アニメ(再放送)に挟まれいている中、実写でもよかったんじゃないかというくらい、リアル感が溢れている。特殊能力があるわけでもない、大事件が起きるわけでもない、普通の女の子の町おこし奮闘記である。

間野山のモデルは富山県南砺市だと言われている。車のナンバーは「富山」だし、作中では「だんない」という言葉が出てきて(どうやら「構わない」という意味らしい)、これは北陸の方の方言だそうだ。

作中の間野山は、田舎出身であるはずの由乃もびっくりするくらいの田舎である。駅前にはそこそこ大きな町があるが、シャッターが閉まっているお店も多い。郊外に出れば田んぼが無限に広がり、山が周囲を囲む。21時くらいに終電が終わる。

つまり、田舎である。

特産品は蕪(かぶら)。また、木彫り彫刻が文化財に指定されていて、よそからこの町に移りこんで修行する者も多い。

商工会の会長はかなり強引な性格で、「チュパカブラ王国」を使った町おこしに焼になっているが、周囲の反応はどこか冷ややかだ。

東京には何でもある?

このアニメには、東京から間野山に移り住んだ人や、東京から帰ってきた人が登場する。

まずは、主人公の由乃。彼女が間野山に来たのはとある手違いが原因で、当初は国王などやるつもりもなく東京に帰りたがっていた。

なぜそんなに東京に帰りたがるのかと聞かれると、「東京には何でもあります」。彼女自身、間野山と同じような田舎の出身らしく、母親から「就職できないなら帰ってくればいい」と言われても、「普通の田舎のおばさんなるのは嫌だ」と拒んでいる。

だが、「じゃあ、何でもある東京には具体的に何がるのか」という質問には言葉を詰まらせる。

サクラクエストの主要人物でもう一人、東京から移住してきた「よそ者」がいる。

由乃とともに町おこしをすることになった香月早苗(こうづきさなえ)は東京生まれ東京育ち。半年前に間野山に移住し、さも田舎暮らしを満喫しているかのようなブログを書いていたが、実際は誰とも交流がなく、古民家の虫に怯える日々。そんな中訪ねてきた由乃たちと町おこしをするようになる。

第4話では彼女の東京での暮らしが明かされる。残業続きの日々で体調を崩してしまうが、自分がいなくても仕事は代わりの誰かが入って回っていくことを知り、東京から逃げるようにしても間野山にやってきたのだという。

間野山出身で一度は東京に出ていったが、帰ってきたものもいる。

由乃とともに町おこしをする緑川真希(みどりかわまき)は女優を目指して東京に出たが、サスペンスドラマのちょい役しかできず、間野山に帰ってくる。地元ではその時出演した作品「おでん探偵」の名で有名だ(主役ではなくちょい役である)。第4話までではまだ、彼女の身の上はあまり明かされていないが、地元に帰ってきたものの実家には寄りつかず、由乃が止まっている宿舎?に勝手に管理人と名乗って住み着いている。

ここで、さっきの「木綿のハンカチーフ」を思い出してほしい。あのころの東京は、毎日愉快すぎてもう田舎には帰れない、そんな街だったのだ。

だが、サクラクエストで描かれている東京、21世紀の東京は少し違う。

確かに、由乃が言うとおり、東京には何でもある。コンビニ。居酒屋、ゲーセン、大学……。むしろ、多すぎるくらいだ。話題のパンケーキも食べれるし、日本初上陸のハンバーガーも、行列のできるラーメン屋もある。東京に憧れを抱き移り住む人も依然として多いのだろう。

一方で、就職先は決まらず、東京にこだわっていても、その理由がちゃんと答えられない。毎日仕事づめで体調を崩し、それでも社会は問題なく回っている。夢を追いかけるも、叶わない。毎日愉快どころか、出てくるのはため息ばかり。

東京に人を呼び寄せる「魅力」はいまだある。しかし、そこに留まらせ続ける「魔力」がもう、東京にはないのではないだろうか。

この記事のタイトルに書いた「今、町おこしが必要な町」。それはほかでもない、東京である。

東京は誰も待っていない。

東京は町である。そんなこと、いちいち言わなくてもわかっている。

わかっているのを承知であえて書くと、東京とは「首都圏」という日本最大の集落の中心部の名前である。

集落はふつう、「ムラ」と呼ばれる人が住む場所があり、その周りを「ノラ」と呼ばれる耕作地が囲んでいる。「ノラ」の周りを「ヤマ」が囲む。別にヤマは「山」である必要はなく、森でも川でも海でもいい。要は人の住まない自然だ。

少し集落が大きくなると、「ムラ」の中心にさらに「マチ」ができる。いわゆる、お店が立ち並ぶ場所だ。

この構図は、首都圏という集落にも面白いようにあてはまる。

まず、東京・横浜という巨大な町があり、その周囲に西東京、埼玉、千葉、神奈川、の住宅地が「ムラ」として存在する。

その周囲、北関東や埼玉北部、千葉頭部や神奈川西部には農村が広がる。これが「ノラ」だ。

そして、関東平野は周囲を「ヤマ」に囲まれている。箱根の山々、秩父、赤城山、日光の山々などなど。

東京は、日本一大きなマチなのだ。

「マチ」の語源は何かと問われたら、やっぱり「待ち」だろう。神社やお寺、宿場や港にお城など、人の集まるところに店を構え、客が来るのを「待ち」続ける場所。それが街であり、それが「僕」に「毎日愉快で帰れない」と言わしめた魔力だったのではないだろうか。

今の東京は、果たして来るものを「待って」いるのだろうか。

30社試験を受けても受からない。

夢を追いかけても叶わない。

体調を崩しても、どうせ代わりがいる。

一体、今の東京はいったい誰を待っているというのか。「日本の首都」という「魅力」にかまけ、ほっといてもどうせ人は東京にやってくると、どこか胡坐をかいているのではないだろうか。

限界集落をはじめとする田舎は、目に見えて人が少ないから問題と思われやすい。一方、東京はなまじ人が多いから、問題が発生していることを見過ごされやすいのではないだろうか。

3年後にはオリンピックだ。東京はいやでも世界中から注目を集め、ほっといても世界中から人はやってくるだろう。どうせ、ある程度経済は潤うはずだ。

世界規模での「呼び込み」には熱心な一方で、食を司る市場はトラブル続きで、保育園は足らない。満員電車は何かの格闘技じゃないかと勘繰るぐらい、体力を消耗する。

毎日愉快どころか、毎日不快だ。住んでいる人に全然やさしくない。だからイケダハヤト氏みたいに「まだ東京で消耗しているの?」などと言われるのだろう。

消耗するだけで、人を引きとどめる魔力がもうないのだ。「東京で生きていこう」と腹をくくらせるほどの力がもうないのだ。

これは、死活問題である、「集落」は「ここで生きていこう」という固い決意のもとに成り立つ。東京に住む人にその決意がないのであれば、やがてはすたれかねない。

それでも、東京は相変わらず莫大な人口を抱え、世界有数の都市なんだから、大丈夫だよ。そんな声もあると思う。

こう例えればわかってもらえるだろうか。行列ができるほど話題のお店で、確かにおいしいんだけど、一度行けばもういいかな、というお店。

それが、今の東京である。こんな店は、遅かれ早かれつぶれる。

また、東京を町おこしする、ということは、限界集落問題にもつながるはずだ。

人を引き付ける東京の魅力は田舎にはまねできない。しかし、人をその地に留まらせる暮らしやすさは、実は東京に限った話ではなく、田舎でも再現可能ではないだろうか。

むしろ、東京が魅力だけでむさぼるように人を呼び続けていたら、東京も地方も共倒れになりかねない。

かつての東京は、都会だから暮らしやすかったのだろう。なんてったって「毎日愉快」だったのだから。都会ならではのにぎわいやきらめきといった魔力が、人を引き付けて離さず、「帰れない」と言わしめた。

しかし、どうやらもう都会ののきらめきやにぎやかさにかつての魔力はないらしい。魔法が解けて見渡してみると、都心なんてスーパーもろくにない。保育園もろくにない。校庭は狭い。地下も家賃も高い。よくよく見れば、結構暮らしづらい。

もう、東京も「大都会」の憧れだけで勝負できる時代ではない。「暮らしやすさ」や、山下氏が東京にないと危惧した「コミュニティ」などが求められているはずだ。そして、それはそっくりそのまま地方にも当てはまる。東京が町おこしに成功すれば、むしろ日本中の良いモデルともなりうる可能性がある。

サクラクエストでは、「町おこしに必要なのは若者・馬鹿者・よそ者」だと言っている。幸い、東京には若者もよそ者もたくさんいる。あとは彼らが馬鹿者になったつもりで東京を変えようと思えば、これからの東京は面白いものになるかもしれない。

リンク:サクラクエスト公式ページ

参考文献:山下祐介『限界集落の真実 ――過疎の村は消えるか?』ちくま書房 2012年

検証:ピースボートで人生は劇的に変わるのか?埼玉のラッパー編

ピースボートにはいろんな人が、いろんな想いを持って乗船する。その中には、「何かを変えたい」そんな思いを持って乗ってくる人もいるだろう。地球を一周したら何かが変わるのか。そこで今回は、ある人物の事例を基に「地球一周で何か変わるのか」を検証していこう。ある人物。もちろん、他でもない僕自身だ。


ピースボートに乗ったら人生は劇的に変わるのか? 今回は「ピースボートで劇的な体験をしたら、その後の人生に何か変化があるのか」という視点から考えよう。

僕のピースボートにおける「劇的な体験」。それは、「人前でラップをしたこと」であろう。それも相手は一人二人ではない。数百人規模だ。

まわりがこのことをどう思っているのかはわからない。だが、二度とあるかどうかわからない、少なくとも本人にとっては劇的な体験だった。

どうしてこんなことになったのか、順を追って説明していこう。

きっかけは「グローバルスクール」というプログラムに参加したことだった。

グローバルスクール、通称GSとは、ピースボートが船内でたまにやっている有料プログラムである。ひきこもり・不登校・ニートだった人たちが参加するプログラムなのだが、別のその経験がなくても参加していい。事実、僕はどれもない。

僕がGSに入ったのは船に乗ってから10日して程だった。先にGSに入っていた友人らから「ノックみたいな人がいっぱいいる」と誘われたのがきっかけだった。

さて、せっかく5万円も払って入ったからには何かしたい(お金の問題?)。

この時、GSでは「ハーフアクション」を計画していた。もともと、クルーズの最後に発表会的な「ラストアクション」が毎回行われていたのだが、その前にクルーズの途中で一回発表会をやろう、というものだった。それが「ハーフアクション」である。

そこで僕は、「人見知りをテーマにしたラップを作って歌う」を提案した。何かインパクトがある出し物があった方がいいという話だったので、うってつけだった。

では、どうして「ラップをする」なんて言い出したのか。

これもまた、話すと長くなる。

まず、僕にラップを作った経験も、大々的にライブをした経験もない。

ただの日本語ラップ好きでしかなかった。

それがたまたま通っていた大宮ボラセンにラップ好きが集まっていて、「船に乗ったらラップしようぜ」などという話をしていた。

だが、たぶんそれだけでは「GSでラップをする」なんて発想にはいきつかなかったと思う。

もう一つ、決定的な出来事があった。

それが、僕が船に乗っている間に大宮ボラセンが閉鎖することが決まっていた、ということだ。

どうすれば大宮ボラセンを復活させることができるか。もっとも、こればっかりはピースボートの上の人たちが決めることなので、僕にはどうしようもない。

僕にできること、それは、「大宮ボラセンの名を88回クルーズで強烈に刻みこむこと」だった。それしか、思い浮かばなかった。

「88回の大宮、熱かったな」と多くの人に思ってもらう。そうすれば、いずれ地方のボラセンを復活させるときに、真っ先に大宮の名が思い浮かんでもらえるかもしれない。それしか、できることなんてなかった。

ならば、なるべく早い段階で何かアクションした方がいい。船内のイベント「スター誕生」に出演者として参加したのもそれが大きな理由だったし、GSでラップをするということを思いついたのも、やはり「何が何でも大宮の名を残す」ことを考えていたからだろう。

正直、「僕が目立つ」ことよりも「大宮が目立つ」ことが最優先だった。

奇妙な感情である。ボラセンは本来、地球一周のための準備をする場所でしかないはずだ。地球一周が目的。ボラセンが手段。それがいつの間にか、僕の中では地球一周が『ボラセン復活』という目的を成すための手段の場となっていた。でも、それでよかった。

今こうして振り返ると、よくよくできた話だったと思う。大宮の仲間と「船内でラップしようぜ」と話していたおかげで、僕はラップに使えそうなインストのCDを船内に持ち込んでいた。その音源を使って曲を作ることができた。

最初の曲、「ゲキヤク」は2日くらいでできたと思う。人見知り目線での世の中への恨みつらみをラップにした。

曲ができた後は、たぶんラップをいきなり聞き取れる人は少ないだろう、ということで歌詞カードの製作、外国人の乗客もいるので、歌詞の翻訳を人にやってもらった。僕が作った物を人にやってもらうという自体、なかなかない経験だった。

さて、本番。コーナーとコーナーの間にこっそり衣装に着替えた僕がとびだしてゲリラライブを観光する。自分で集客をしない、一番卑怯なパターンだ(笑)。

不思議な感覚だった。覚えてきた歌詞はすべて忘れた。

忘れたうえで、さも、いま思いついた言葉を叫んでいるような感覚で、歌詞カード通りのリリックをラップしていた。

終わった後は、舞台そででひっくり返っていた。

その反響は、想像以上だった。

とはいえ、僕は申し訳ないが、疑り深い性格のようだ。「よかったよ」とか「かっこよかったよ」と言われても、申し訳ないけど「どうせお世辞でしょ」程度にしか思っていなかった。

唯一信用したのは、大宮の仲間によるかなり長文の感想。「こんなに長いなら、きっと本心なんだろう」といった感じだ。どうしようもなく疑り深いのだ。

それが、だんだんと予想だにしなかった反応がやってくる。

最初に驚いたのが、ほとんど接点のなかったジャパングレイスの人が「良かったです」と言ってくれたことだった。顔見知りではなく、接点のない人たちがわざわざ感想を言ってくれたということで、「これは本当かもな」と思った。

さらに驚いたことがった。

ある日、夕飯を食べようとしたら、それまで会話をしたことなかった青年が「一緒に食べていいですか」と聞いてきた。断る理由などないので僕はうなづいた。

ご飯を食べながら話していると、彼がバスケットボールをしているということがわかった。文化部しかやったことのない僕は、運動部というだけで彼を羨んでいた。

彼は僕のラップを見て、僕に声をかけてくれたらしい。そして、彼はこう言った。

「自分で表現できるなんて、羨ましい」

「羨ましい」という言葉は、僕が全く想定していなかった感想だった。今まで人に羨ましがられることなんてなかったからだ。むしろ、常に他人を羨んできた嫉妬深い人生だったともいえよう。

「僕は人に羨ましがられることをしていたのか? この僕が?」と呆然とした。

これ以降、僕の船内生活は劇的に変わった。これまで話すことのなかった人たちとも話すようになった。

また、周りから「誕生日祝いにラップを作ってやってほしい」だの、「サプライズ用のラップを作ってほしい」だの頼まれるようになった。

クルーズの最後で行われたラストアクションでは、「ボーダーライン」という曲を作って歌った。

おそらくファイナルアクションはしんみりする内容になると思うから盛り上げ役が必要だと、アップテンポな曲を選んで作った。

今のところ、「少なくとも5人は泣いた」というのを把握している。泣かせるつもりは全くなかったのでうれしい半面、大変当惑している。

とまぁ、自分で振り返ってもなかなか劇的な体験をしたと思う。

そんな劇的な体験をした僕が、船を降りてどんな劇的な変化があったかというと、

……これと言って劇的な変化はない。

そんなに人に「ラップ作って」と頼まれるなら、と、「ココナラ」「ワオミー」で「ラップ作ります」というサービスを出店してみた。

今のところ、月に一回、何かの本を買うお金が稼げればいい方の収益しか上げていない。

別にメジャーデビューする話もないし、武道館ライブの話があるわけでもない。せいぜい、友人の結婚式で「ラップやって」と頼まれたくらい。

そもそも、ラップで有名になってやろうとかそういう欲は全くないのだ。趣味としてのんびりやって行って、いつかミニアルバムでも作れたらな、くらいにしか考えていない。

つまり何が言いたいかというと、

船の中で劇的な体験をしても、

人生が劇的に変わるとは限らない、ということである。

「ラッパー」としての僕自身を取り巻く状況はみじんも変化していないし、僕自身のハートに火がついて「ラップで天下とってやろう」みたいな野心もついぞ芽生えなかった。「趣味が一個増えたぞ」程度の感覚である。

だいたい、「大宮ボラセンを復活させる」という当初の目的すら達成されていない。現段階では大失敗もいいところだ。

ただ、これがきっかけで多くの人とつながれた。ちっぽけな奇跡というやつだ。

人見知りに友達ができた。これ以上の奇跡があるものか。

人見知りがマイク握った

俺の声がステージ響いた

でもいまだ自己嫌悪の塊

周りと比べ絶望し儚み

溜息のように「死にたい」とつぶやく

いつかきっと救われる日来るはず?

そんな劇的な変化なんかない

種をまかねば芽は出ない

芽吹いた何かを刈り取るだけ

その前にまずは種を蒔け

芽吹いた種を刈り取ってみたら

前よりちょっと友達増えたな

人生は複線回収だと思う。

船の中でラップという形で新たにばらまいた複線はきっと、今後の人生の中で、少しずつ回収していくのだと思う。

だから、そんな劇的な変化なんてものは、ありません。

むしろ、個人的には気持ちは完全にラップからクソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」に向かっている(もちろん、趣味としてラップは続けていくけど)。

でも、たぶんいまだに僕のイメージは、「88でラップやってた人」なんだと思う。

たぶん、これは誰しも抱えうる問題なのではないだろうか。今の自分の進みたい方向と、周りのみんなが抱いているであろうイメージに違いが生じる。船にの仲間でも同じようなことを口にしているのを見たことがある。

ピースボートの船内ではいろんなことをやるチャンスがある。バンド活動、お笑い、ダンス、絵画、自主企画などなど。みんな誰しも、二度と体験できないような劇的な体験をしていると思う。もちろん、人によって大小はあれど、だ。

何かに一生懸命になったりすると、それが周囲にはイメージとして定着する。それ自体はいいことだ。誰しも大なり小なり周囲に何らかのイメージを持たれているものだ。

だが、いつかそのイメージにサヨナラをしなければいけない時が来るのだと思う。何か新しいことをはじめようとするときだ。あるいは、すでにイメージが定着してしまった段階から自分の内面とのギャップを感じている人もいるだろう。

人間の承認欲求というやつは強い。そして人は常に「最新の自分」を評価してほしいのだ。「昔はかわいかったね」と「最近かわいくなったね」のどちらが言われて嬉しいかを考えればわかると思う。

たぶん、劇的な経験をすればするほど、周囲にはそのイメージが強烈に刷り込まれる。何か新しいことをはじめようとするとき、そのイメージとの戦いになる。

ミュージシャンが「ヒット曲の壁を越えられない!」という葛藤を抱えるのと同じだと思う。

自分の敵はいつだって自分なのだ。最も輝いていたころの自分。もっともダメダメだったころの自分。今の自分の敵は、いつだって過去の自分なのだ。

同時に、過去の自分は必ず今の自分の力となる。人生は複線回収。過去に蒔いた複線を一つずつ回収していく。

船内でのライブしたのも、「10年間ラップを聞いていた」という複線と、「大宮ボラセンが閉鎖になった」という複線を回収しただけにすぎないのだと思う。

ピースボートで劇的な体験はできると思う。大なり小なりはあると思うけど。ただ、劇的な変化はそんな簡単には起こらない。これまでの人生の複線回収をずっと続けていくだけなのだと思う。過去の自分と向き合って、過去の自分を掬い上げていく。その繰り返し。

昨日と向き合って、明日に向かって今日を生きる。ただ、それだけである。今日が昨日の続きで、明日は今日の続きなのだ。そんな劇的な変化などあるものか。

古市憲寿ピースボート乗船記「希望難民ご一行様」に感じた違和感

社会学者の古市憲寿氏の「希望難民ご一行様~ピースボートと『承認の共同体』幻想~」を読んでみた。新進気鋭の社会学者である古市氏が実際にピースボートに乗って何を見たのかが気になったからだ。僕もピースボートに乗っていたので、過去乗船者あるあるになると思いきや、意外にも感じたのは違和感だった。


「希望難民」とは?

「希望難民」とは古市氏の造語だ。経済的に豊かになった現代社会で、あらゆるものは手に入るのに、閉塞感は打ち破れず若者は「もっと輝けるはずだ」という希望を追い求める。そんな人たちを「希望難民」と呼んでいる。高橋優の「素晴らしき日常」のような世界観だ。

古市氏は本書を通じて、現代社会は「何かを諦めるのは悪いこと」という風潮が漂っていると指摘し、若者に諦めさせることが重要だと説いている。

若者に対して「諦めろ」というのではなく、社会に対して「若者が諦めるのを認めろ」という主張だ。

そんな諦めさせてくれない社会で、若者に諦めさせる装置としての一つがピースボートである、そう言った趣旨だ。

クルーズとピースボートへの違和感

古市氏が乗船したのは第62回クルーズ。2008年5月出航で、僕の乗った88回クルーズより7年も前の話だ。

このクルーズが、おそらくピースボート三十数年の歴史の中でも最悪の部類に入るものだった。よりによってこんな極端なクルーズに乗ったのかよ、といった感じだ。船のエンジンは壊れ、船体に穴が開いてアメリカで足止めを食らい、ピースボートにキレる老人とかばう若者が対立し、抗議運動まで起こった。船が日本にも着いたのは予定よりも10日遅れだった。

もっとも、違和感以前にまず、船が違う。88回クルーズで使われたのは「オーシャンドリーム号」。2012年からピースボートがチャーターしている。

古市氏が乗ったのは「クリッパー・パシフィック号」だ。

オーシャンドリームに関して何かトラブルがあったという話は聞いたことがない。ピースボートの船に関するトラブルは大体これより前の船たちだ。整備不良だったり、途中で乗り換えを余儀なくされたり、ご飯がまずかったりしたらしい。しっちゃかめっちゃかである。

さて、ピースボート史上まれにみるトラブル続きだった62回クルーズだが、ピースボート側の対応もちょっとお粗末である。抗議のための文章の印刷を断るなど、乗客の抗議活動を制限しようとしていて、お世辞にも褒められる行動ではない。旅行会社のジャパングレイスも度重なるトラブルに対する説明で「当社に責任はない」という、考えられる限り最悪の対応をしている。

一方で、88回でもしこのようなトラブルが起こったらピースボートは同じような対応をとるだろうか、と考えると、そこに僕は違和感を覚える。

完璧な対応、いわゆる「神対応」とまでは行かなくても、62回クルーズに比べればましなのではないか、という風に感じる。あくまでも日頃のピースボートスタッフやジャパングレイスの接し方から感覚的に推論したに過ぎないが、さすがに「うちに責任はない」は言わないだろう、と思う。7年前のこのトラブルを教訓にしているはずだし、していないのであればそれはとんでもないことだ。ここ数年、目立ったトラブルがないということは、多少なり学んで改善している、ということなのであろう。

乗客への違和感

だが、それ以上に違和感を感じたのが62回クルーズの乗客、特に若者に対してだった。

62回クルーズでは「9条ダンス」というよくわからないダンスの練習をしていた。9条護憲の理念をダンスで表現したらしいのだが、何度説明されてもこればっかりはわからない。僕がダンスに興味がないからなのか、ダンスで9条を表現しようという行為そのものが無謀なのかはわからない。

とはいえ、僕自身も実は船内の平和デーかなんかのイベントで9条をラップにして発表している。もっとも、護憲だのと言ったたいそうな理念があったわけではなく、イベント紹介の船内新聞に記事に「ラップ」の3文字があったのを発見して、「私を呼んだかぁ!」という勢いで参加しただけである。ちなみにこのラップは船を降りた後、護憲の立場だけの歌詞では不完全と考え、改憲派の立場に沿った歌詞を追加した。

さて、62回クルーズの若者たちはピースボートの不手際やトラブルに抗議の声を上げる老人に対し、不快感をあらわにしたり、すごい人に至っては涙を流したりしていた。

完全に理解できない。「キモチワルイ」というのが正直な感想である。何も泣くことはあるまい。この本を読んだ人が「ピースボートに乗る若者は頭の中がお花畑」だと思っても、当然の帰結だと思う。

古市氏はこの現象に対して、「自分たちと異質なものへの耐性が弱い」と評している。

これはなかなか興味深い分析だが、それを「若者全体」に言える傾向だと論じることに違和感を感じる。

もっとも、古市氏も若者がみんなこうだと入っていない。若者の4類型のうちの一つ、仲間意識の強い「セカイ型」と「文化祭型」の若者の特徴だと書いている。

古市氏はピースボートに乗る若者を4つの類型に分類していた。

セカイ型……船内での仲間意識が強く、ピースボートの理念への関心も強い。「意識高い系」と言い換えてもいいかもしれない。

文化祭型……ピースボートの理念に関心はないが、船内での仲間意識が強く、文化祭のノリでワイワイやっている若者。「パーリーピーポー」と言い換えてもよいかもしれない。

自分探し型……ピースボートの理念に関心を持つ一方、船内での仲間意識はそれほど強くない。こちらもいわゆる「意識高い系」なのだろうが、セカイ型が「みんなで世界を変えていこうぜ!」なのに対し、自分探し型は自問自答を繰り返す傾向がある。

観光型……ピースボートに理念に関心はないし、船内の雰囲気にも距離を置いている層。乗船目的も単純に観光旅行である。もちろん、友達がいないわけではなく、セカイ型や文化祭型が「みんなでワイワイ」なのに対し、観光型はいつもの数人で固まりがち。

この4類型は「船内での仲間意識が強いか」「ピースボートの理念への関心が高いか」で決められる。

「どちらでもない」という回答を禁止すれば、誰でもこの4類型のどれかに当てはまるはずだ。

だが、この4類型に違和感を感じる。

88回クルーズで考えると、全体的に文化祭型が多いのかな、と思う。

だが、この4つに分類できない層もいる。

例えば、僕は「グローバルスクール」という有料プログラムに所属していた。不登校や引きこもりの経験者が多く、船内では特定の人付き合いしかせず、ピースボートの理念への関心も薄い。

さっきの4類型だと観光型に当てはまるわけだが、「ただの観光旅行」をしていたわけではない。それぞれにいろいろな事情を抱えている。

また、船内では「ヤミメン」を自称する集団がいた。「ヤミ」が「病み」なのか「闇」なのかは聞いたことがないのでわからないが、傍から見るに文化祭型に対して「やってらんねぇ」的な態度をとっていた。

ただ、「ピースボートの理念への関心」という点では「人によって違う」という形になり、4類型のいずれにも当てはまらない。

もう一つ、僕が違和感を感じたことがあった。

88回クルーズは文化祭型が主流派だったと思うし、もちろんセカイ型もいた。

だが、彼らが同じトラブルに遭遇した時、果たして抗議活動する人間に不快感を表すか、果たして「争わないで」と涙を流すか、という疑問である。

88回クルーズは全体的に、62回クルーズよりはシニカルだったと思う。62回のようにピースボートへの帰属意識は強くなく、仲間意識は感じるしスタッフとの距離も近い一方、ピースボートという団体に対しては距離をとって接していたと思う。

要は、7年で若者の性質も変わってきたのではないか。それがピースボートという枠の中だけなのか、若者全体の話なのかは分からない。

ちなみに、僕自身はどうなのだろうか。

人付き合いについてだが、僕は大の人見知りである。それでも船内では広く人づきあいができていたが、基本は固定の人付き合いだったと思う。

次に、ピースボートの理念に対する関心だが、ないわけではない。

もちろん、関心はあるし、ニュースは毎日見る。だが、「政治?興味ないっすね」という若者よりは関心があるが、いわゆる「意識高い系」ほどではない。船内では社会問題や世界情勢に関する様々なイベントに顔を出したが、「この問題に特に興味がある」「この問題のために活動したい」と思える内容は見つからなかった。

世界平和や憲法9条に対する関心は薄いが、日本の「閉塞感」に対する関心は強い。そういう意味では、「ピースボートの理念にやや関心がある」という得るであろう。

おそらく、僕は「やや自分探し型」なのだと思う。

古市氏の視点への違和感

本書を通して感じていたことは、「古市氏がどの立場にいるのかわからない」という点だった。

理論上、ピースボートの若者は全員4類型に分けられる。それは、古市氏ももちろん例外ではないはずだ。

だが、古市氏の書き方はどの類型とも距離を問ているように感じられた。きわめて客観的である。

そんなことを考えながら読んでいたら、あとがきで古市氏自ら、「『クルーズを楽しめなかった陰気な東大生が腹いせに書いたように思われるんじゃない』と言われた」と明かしていた。このあとがきで明かされたフィールドノートの最後のページ、横浜帰港の前日に書かれたページは非常に共感できる、人間的な文章だった。

「だけど本書はエッセイではなくて、これでも一応『研究』のつもりだから、どうしても『彼ら』を俯瞰的に『分析』する必要があった」(277ページより抜粋)

ただ、ここにもまた違和感を感じる。

それは僕が民俗学を学んできた人間で、民俗学の研究には「文学的な表現」のスキルが不可欠だと感じているのもあるだろう。

また、人間である以上、主観というフィルターを通して物事を見ることは避けられない。客観的な分析をするためには、自分がどのフィルターから見ていたかをはっきりさせるべきだったと思う。

古市氏への見解への違和感

古市氏は船を降りた後の若者たちの動向も調査していた。

古市氏の調査では、自分探し型は帰国後も社会問題への関心は強まって、自分なりに行動しているという。なるほど、自分の掌をじっと見て、その通りだと思う(笑)。

観光型は旅行が終わり、日常に帰って行く。

一方、セカイ型と文化祭型は、ルームシェアをしたりと、船で築いた共同体のまま生活を始める人が多い。

しかし、セカイ型の特徴であった意識の高さは薄れ、政治活動だの社会活動だのへの関心が薄くなった人が多かったらしい。

古市氏はこのことについて、ピースボートは若者に諦めさせる「冷却装置」であったと論じている。

ここにも僕は違和感を感じる。僕は以前「ピースボートに洗脳・マインドコントロールは可能か?元乗客が検証!」において、「ピースボートで社会問題に安心を持っても、ピースボートを降りた後はピースボートは一切干渉してこないので、船を降りた後は関心を保てない」と論じた。この見解の相違が違和感を感じさせる。

違和感の原因

違和感だらけである。同じ地球一周の旅をしていたのに、どうしてこんなに違和感を感じるのか。

しかし、当然と言えば当然である。

人によって、見える景色が違うのだ。

おんなじ船に乗って、おんなじツアーに参加して、同じ時間を長く共に過ごした友人が、船を降りてから僕とは全く違う進路を進む姿などを見ると、どんなに距離が近くても、人によって見えている景色は違うんだな、と思う。たぶん、家族でも恋人でも同じことが言えると思う。「同じ景色を君とずっと見ていきたい」なんてありえない。隣で並んで夕焼けを見ていたって、見え方が違うのだ。

船を降りた後、同じ船に乗っていた仲間と一緒に飲んだ時も、同じ船に乗っていたはずなのに、ずいぶんと見えていた景色が違うんだな、と考えさせられることがあった。

同じ船に乗っていても、人によって見えた景色、感じたことが違うのだ。同じピースボートという枠組みであっても、違う船、違うクルーズに乗っていれば、見える景色は全く違うはずだ。

これが違和感の正体なのだと思う。違っていて当然なのだ。

時代が映り、船が変われば、ピースボートも変わる。若者の性格も変わる。それに対するとらえ方も変わる。当たり前のことだ。

さらば愛しのRADIO

先月、僕が13年間聴き続けたラジオ番組が終了した。その番組に対する思いをつづるとともに、「ラジオ」という電波空間に現れた不思議な「場」について考えていこう。テレビが廃れてネットが優勢の現代において、リスナーの日常の一部であり、さまざまな点を線で結ぶラジオの魅力を語りたい。

僕とラジオの出会い

2004年、高校1年の夏。当時はアテネオリンピックの真っ最中で、世間では日本の柔道の躍進が話題だった。

その日、普通に勉強してもつまらないと、僕は勉強しながらラジオを聞くことを思い立った。祖父母からもらったラジオで初めて、地元埼玉のFM局NACK5にチューニングを合わせた。

その日の夜の番組では「柔道で反則になることを考えよう」というお題ではがきやFAXを募集していた。当時はまだメールよりもはがきやFAXが全盛の時代だった。

番組ではお題に対して「畳を持って帰る」や、「自分はまだ半人前だからと、2人で戦う」といった、明らかなボケ回答ばかりが寄せられていた。いわゆる、大喜利のような企画がメインの番組だったのだ。

それまで、ラジオというのは日常の些細な小ネタを集めて紹介するものだとばかり思っていた僕は、「ネタを送っていい番組があるのか!」と衝撃を受けた。

翌日、またラジオをつけてみると、しゃべっている人は変わっていたものの、同じ番組をやっていた。

当時、世間ではハンマーを80m投げる室伏広治が注目を集めていた。

その日のお題は「びっくり人間ショーで視聴率が跳ね上がったびっくり人間を考えよう」。

そこで「室伏を80m投げる男」というボケが読まれ、ゲラゲラ笑いながら僕は、「この番組、面白い!」と衝撃を受けた。

それが僕とラジオ、そして、「The nutty radio show 鬼玉」という番組との出会いだった。

あれから毎日、当たり前のように番組を聞き続けて13年。そしてつい先月、この番組は長い歴史に幕を下ろした。

鬼玉、そして、おに魂の概要

The nutty radio show 鬼玉は2003年の4月に始まった。月・水曜日をバカボン鬼塚、火・木曜日を玉川美沙が担当していたので「鬼玉」。「マル決」というネタ募集のコーナーを軸に、全体的にリスナーからネタやボケを募集する番組だ。

この番組の最初の転機は2010年の秋。玉川美沙の産休にともなく降板によりパーソナリティの入れ替えがあり、番組名も「鬼玉」から「おに魂」となった(読み方はいっしょ)。

放送時間は月曜日から木曜日の夜8時半から11時15分まで。その後放送時間は何度か変わり、現在の8時から3時間というスタイルに落ち着いた。

その後、2013年に10周年を迎えるに当たり二度目の大リニューアル。その後も似合いほどパーソナリティの変更があったが、基本はめったやたらにパーソナリティを変える番組ではない。だいたいが産休だの、別の番組に異動だのの影響だ。現在は曜日ごとにパーソナリティが変わる8人体制だ。

14年の歴史の中では様々なことがあった。デビュー当時にコーナーで2年間レギュラー出演していた植村花菜はその後「トイレの神様」で社会現象を巻き起こした。のちに、子供を連れてゲスト出演していた時は「実家か!」とラジオの前で突っ込んだ。

2010年から火曜日を担当していた福田萌は、番組担当期間中にオリエンタルラジオの中田さんと結婚。記者会見後おに魂と中継をつないでいた。彼女は産休に入るまで2年9か月担当していた。

2010年から水曜日を担当している古坂大魔王は、2016年の春に行われたおに魂のイベントで、豹柄に身を包んだ男がテクノに乗せておかしな歌を歌う、という芸を披露した。

イベントに参加した僕は「くだらないけど面白いなぁ」とゲラゲラ笑っていたのを覚えている。

それから数か月後、その歌「PPAP」をyou tubeにアップしたピコ太郎及び古坂大魔王はあれよあれよという間に世界的スターになってしまった。おに魂水曜日もピコ太郎裏話から入るのが恒例となった。

14年の歴史の中では天変地異も起こる。2011年に起きた東日本大震災の影響で、当時テレビもラジオもすべて自粛モード。テレビはニュースばっかりで、ラジオも固い番組ばかり。いい加減、気が滅入ってきていた。

震災から3日後、震災後初のおに魂が放送された。冒頭でバカボン鬼塚は、「散々話し合った結果、こんな時だからこそ、いつも通りの放送をしようということになりました」と話した。

そこからは笑いっぱなしの3時間だった。本当に救われた。そう思ったのは僕だけではなかったらしく、最終回にはこのことに触れて感謝を述べるメールが読まれていた。特に、「福島から避難する車中で聞いて、3時間ゲラゲラ笑った」というメールが印象的だった。

世界を救うのは愛でも涙でも正義でもない、笑いである。

そんなラジオを僕は、2年目から13年間聴き続けられた。地元にこんな番組があったのは、本当に誇らしいし、幸運だと思う。

つまらない受験勉強の最中も聞いていた。

大学から帰る電車の中でも聴いていた。

くそつまらない会社に就職した時も、実は勤務中にこっそり聞いていた。

仕事を辞めてやることがなかった1年間も聞いていた。

ピースボートのポスターを貼って大宮に帰る電車の中でも聴いていた。

地球一周の旅から帰って真っ先に確認したのは「おに魂はまだ続いているか」「パーソナリティは変わっていないか」だった。

フリーライターとなってからの1年間も聞いていた。

鬼玉とおに魂は僕の青春であり、生活の一部であった。

だが、もう一方で残酷な現実も理解していた。人間が作るものである以上、いつか必ず終わる、ということを。

おに魂最後の2か月

その「いつか」がついに訪れた。

2017年1月末の火曜日、14年間番組を引っ張ってきたバカボン鬼塚の口から「2003年に始まりましたこの……」と語られた瞬間に、もうおに魂が終わることを理解した。

ただ、終わることには理由があった。

普通は番組が終わるということはつまらなくなったから、いわゆる打ち切りである。

だが、おに魂が終わる理由は打ち切りではなかった。

バカボン鬼塚がプライベートの事情で、活動拠点を実家のある静岡に移すことになったのだ。

そうなると、平日夜の関東での生放送は厳しい。それで、バカボン鬼塚の方からおに魂からの卒業を申し出たのだった。

おに魂の鬼も玉もいなくなる以上、「おにたま」という看板も下ろさざるを得ない。それが、番組終了の理由だった。

決して打ち切りではない証拠に、新番組はなんと、バカボン鬼塚とその相方、かかしのきっくんの担当していた火曜日以外は、現行メンバーのまま新番組に移行することが発表された。

つまり、新番組とはいえ、パーソナリティは75%一緒、ということだ。終了ではなくリニューアルという見方もできる。しかし、「おにたま」という看板がなくなることに多くのリスナーは寂しさを覚えた。

その後の2か月はすごかった。

2か月に一度、ラジオ聴衆率調査期間に行われていた「おに魂感謝祭」も、2月に「最後の感謝祭」と銘打って行われ、多くのリスナーを笑わせた。

3月にはさいたまスーパーアリーナのイベントスペースに500人を招待した、最後のイベントが行われた。なお、この様子はラジオとツイキャスで生中継された。おに魂のパーソナリティが8人全員そろった初めての場だった。

最終週もリスナーを死ぬんじゃないかってくらいゲラゲラ笑わせた。火曜日には放送の裏で、かつて水曜日を担当していた吉木りさがスタジオを訪問していたことが彼女のツイッターで明かされた。

最後の木曜日には、ツイッターに「#おに魂今までありがとう」というハッシュタグのもと、多くのツイートが投稿された。

木曜日の最後の5分には、8人のパーソナリティが全員そろった。世界的に今大人気の古坂大魔王や、乃木坂46のメンバーで1月に選抜入りした斉藤優里など、よく時間があったなと驚いたが、最後の5分に全員駆けつけ、さらに過去のパーソナリティも勝手に駆けつけ、わちゃわちゃしたまま「おに魂最高!」と叫んで14年の歴史に幕を閉じた。

番組終了後もおに魂に感謝を伝えるツイートがやまなかった。「おに魂は自分の青春だった」との投稿が目立った。僕もその一人だ。

最高の幕引きだった。演者に愛され、スタッフに愛され、リスナーに愛されたおに魂らしい終わり方だった。

ラジオってなんだ?

冷静に考えると、何ともおかしな現象だ。14年続いたとはいえ、一つのラジオ番組にここまで人が熱狂する。「青春」だと言い切り、感謝を述べる。僕のように10年以上聞き続けたリスナーも、ここ2,3年で聞き始めたリスナーも、みな感謝の言葉を述べる。

これはいったいなんだ?

テレビ番組でこんな話はほとんど聞いたことがない。よっぽど歴史が長い番組でも寂しがられることはあっても、青春だの感謝だのはあまり言われないのではないだろうか。

you tubeはどうなんだろう。そもそも、僕はいわゆるユーチューバーの番組を見たことがないので何とも言えないのだが、あれは個人でやっている以上、そもそも最終回があるのかどうかが疑問だ。

それでも、ラジオのようにはいかないのではないだろうか。

なぜなら、ラジオは最高の片手間メディアだから。

実は、この記事自体、ラジオを聞きながら書いている。

勉強しながら、仕事をしながら、車を運転しながら、歩きながら、ラジオは聞ける。何なら、テレビを見ながらでもイケる。

映像の場合そうはいかない。人によっては映像に気を取られて集中できない場合も多いだろう。スマホの発達で歩きながら映像を見れる世の中になったが、それでも歩きながらは危険だし、運転しながらなどもってのほかだ。

ラジオは片手間で聞ける分、生活に、日常に入りやすいのではないだろうか。手や足を止めてまでラジオを聞く必要はなく、ラジオを聞きながら仕事や家事、勉強、移動をすればいい。

そして、後になって人生の思い出を振り返ると、付属してラジオもついてくるのだ。逆に、ラジオの思い出を振り返ると、必ず「その時何をしていたか」も思い出す。「ああ、あの時勉強中だったな」、「あの時、ちょうどあそこへ向かう車の中だったな」といった具合に。

だから皆、口々に「おに魂は青春だった」と答えるのだ。おに魂そのものが青春だったというよりは、青春の1ページのそばに常におに魂があったのだ。

ラジオは聞く場所を選ばない。FMラジオであっても、生活圏にいればだいたい聞こえる。

しかし、ラジオは時間を選ぶ。毎週、もしくは毎日、決まった時間にやっている。

これにより、ラジオは「習慣」となる。「この時間になったらラジオを聞く」というのは、「生活を邪魔しない」どころか「生活の一部」へと変わるのだ。

さらにラジオ、特にFMはマイナーな存在だ。高校のころ、周りに鬼玉を聞いている人は一人もいなかった。それがまた、ラジオへの愛着を生む。

「誰もが知るマクドナルド」より、「地元の人しか知らない居酒屋」の方が愛着がわく理屈だ。

さらに、ラジオはリスナーからのメールが番組の構成上重要な立場を締めている。どの番組も「リスナーからの声を集め、パーソナリティはそれをもとに話を膨らませる」というスタイルだ。パーソナリティが一方的に発信し続ける番組はほとんどない(30分番組とかならあるけど)。

これは、他の媒体ではあまり見られないし、他の媒体でやれば「ラジオっぽい」と言われるであろう、ラジオの専売特許である。これまた、リスナーとの距離を縮める。

もちろん、サイレントリスナーでも楽しめる。僕もどちらかというと、サイレントリスナーだ。たまに投稿もするが。

さらに、ラジオの持つ力に、新たな趣味へとリスナーをつなぐ、というものがある。

例えば、おに魂は2010年から月曜日は乃木坂46の斉藤優里が担当している。これにより、2つの効果が起きた。

まず、おに魂リスナーで乃木坂に興味を持つ人が増えた、という効果だ。

さらに、乃木坂のファンがおに魂を聞くようになった、という効果もある。斉藤優里をきっかけにおに魂を聞き始め、そのままほかの曜日も聞くようになったというリスナーも多い。

他にも、出演したミュージシャンだったりと、おに魂きっかけで始まった趣味も多い。

何とも不思議な空間だ。「講」に似ているかもしれない。

昔は、「講」と呼ばれるサークル活動がどの村でもあった。庚申講は表向きは不動明王の信仰だと言われているが、実質は夜更かしワイワイサークルだったと言われている。この庚申講は60日に一回行われた。祭りよりもよっぽど日常的な光景だった。

庚申講の日にはみんなで集まってワイワイする。ムラの仲間同士が集まる、自分たちだけの宴だ。形は違えど、どこの村にもこのような集まりはあったはずだ。

よっぽど楽しかったのだろう。各地に「庚申塔」という石碑が残っている。わざわざどこかから大きな石を運んできて、庚申講の名前を刻みこむ。

庚申塔には村の入り口の魔よけの意味もある。そのため、不動明王の姿を掘られたものも多いが、魔除けだけなら「庚申講」の名前を刻む必要はない。

やはり、庚申講はかなり楽しかったのではないだろうか。だから、その名前を石に刻んだ。

おに魂の最後の日にハッシュタグが立ったのも、次々とリスナーが自分がもらったノベルティを写真にとって投稿したのも、そして、庚申塔があちこちに立っているのも、「俺たちはここで楽しく青春を過ごした」ということを、どこかに残したかったからではないだろうか。

あと1時間ちょっとで新番組「Nutty radio show THE魂(ザ ソウル)」が始まる。月曜日のメンバーはおに魂と一緒だが、おに魂の核であったマル決はやらないらしく、本当に新番組みたいだ。マル決をやらないというのは、おに魂に幕を引いたけじめの一つの表れなのだろう。

それでも、午後8時になれば僕はラジオを聞くだろう。なぜなら、ラジオは僕の青春であり、生活なのだから。

また、死ぬほど笑わせてくれ。

小説:あしたてんきになぁれ 第5話 どしゃ降りのちほろ酔い

ミュージシャンを目指す少年・ミチのライブに来た亜美、志保、たまき。ライブ会場で控室から志保が出てくるところを見たたまきは、深く考えずに控室に入ってしまう。しかし、ライブ終了後にある事件が勃発する……。「あしなれ」第一章完結?


第4話 歌声、ところにより寒気

登場人物はこちら ⇒「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち 


写真はイメージです

水曜日。夜。月夜。

「関係者控室」。そう書かれた部屋から志保(しほ)が出てきた。もちろん、志保はライブの関係者ではない。

だが、たまきはあまり深く考えなかった。単純に、「こっちにも出入り口があるのでは?」程度にしか考えなかった。

たまきはドアを開けて中を覗いた。中には机といすと鏡。机の上にはお菓子が散らばっている。

壁にはロッカーが並び、その一つは蓋が開きっぱなしだった。看板に偽りなし。中は本当に控室で、それ以上ではなかった。

たまきはあまり深く考える人間ではない。だから、志保がここから出てきた理由もこの時はあまり深く考えなかった。「間違えて入ったんだろう」ぐらいにしか思わなかった。たまきは部屋を出ると、ライブ会場へと戻っていった。

その後ろ姿を、トイレから帰ってきた女性二人に見られていたことを、たまきは気づいていない。

 

写真はイメージです

水曜日。さっきの少しあと。月夜。

すっかり暗くなった路上で、志保は車を待っていた。

夏だというのに、気のせいか少し寒く感じる。

道行く人は少し、志保を避けてるように思えた。美少女とは言え、いや、美少女だからこそ、少し目がくぼみ、痩せこけた少女が道行く人をにらむように見ている光景は、恐ろしいものだ。

左の角からライトが灰色のアスファルトを照らしながら、黒いワゴン車がゆっくりと曲がってきて、減速し、志保の前で止まった。

「乗れ」

運転手の男は、志保を見るなりそう言った。志保は車の左側に回り込み、ドアを開けて乗り込んだ。志保がシートベルトをしないまま、車は走りだした。

「クスリ」

志保が少し焦ったように聞いた。

「金は?」

男は志保を見ずに尋ね返した。

志保は何も言わずに、黒い財布を出した。男は何も言わずに受け取った。

 

写真はイメージです

水曜日。またまた少しあと。月夜。

ライブ会場の重いドアを開けたとたん、爆音にたまきは突き飛ばされそうになった。

元の位置に戻ると、亜美(あみ)が右手を振り上げて黄金(こがね)色の髪を振り乱し、ぴょんぴょん飛び跳ねている。天井からは赤、青、緑、黄色、白といったライトが雨あられと降り注ぎ、耳にも目にも五月蝿い。

たまきはステージ上の、ライトと爆音のどしゃ降りにあっている黒衣の五人、正確にはその右端の一人、ミチを見た。

相変わらず、つまらなそうにギターを弾いている。

やはり、そこに自分の姿が重なる。

姿が重なると言っても、ミチの姿にたまきの姿がダブって見えるわけではない。ミチの後ろからたまきの雰囲気やオーラといったものが、背後霊のようにまとわりついているというような、煙のように吹き出ているというような、そんな感じだ。

たまきが時間を押し流すための作業として絵を描いているのと同じように、ミチも音を出すために手を動かしている。「演奏」ではなく音を出すための「作業」、そんな風に見えた。

 

水曜日。ライブ終了後。少し曇り。

結局、志保は帰ってこなかった。だが、亜美もたまきもそれほど気にしなかった。理由は簡単だ。何も告げずにフラッといなくなるなど、亜美はよくやることで気にしなかったし、たまきは今現在「何も告げずに家からいなくなる」の真っ最中である。ライブ会場の雰囲気が合わずに、帰りたい帰りたいと思っていたたまきは、志保は先に帰ったんだ程度にしか思っていなかった。

「ただなぁ」

そう亜美は切り出した。さっきまで、殺人的な爆音に満ちていた部屋も、ライブ終了後は嘘のように静かで、殺人的なライトも消え、ごく普通の照明が部屋全体を照らす。

「なんかあいつ、おかしかったような。口数も少なかったし」

「確かに、息も荒かったような気もしますけど……、具合悪かったんじゃないんですか? 今頃『城(キャッスル)』で寝てるんじゃないんですか?」

具合が悪くなって黙って抜け出す、黙って帰る。たまきにしたらよくある話である。

「とりあえず、ミチんところ顔出そうぜ」

そういうことになって、先ほどの「関係者控室」のドアを開けた。

ドアを開けて聞こえてきたのは「どこにあんだよ!」という男の焦った声や、「警察に電話したほうがいいんじゃないの?」という女の心配したような声だった。

バンドメンバーの一人と思われる男が、しきりにあたりを見まわしたり、何度もかばんの中をかき回したりしている。その周りに群がる何人もの人。

二人の姿を見つけたミチがぺこりと頭を下げる。ただならぬ雰囲気を察した亜美が尋ねた。

「……なんかあった?」

「メンバーの一人の財布がなくなってるんです」

さっきまでステージで歌ってた男が、財布を無くした男の前に出た。

「最後にこの部屋出たのはおまえだろ。その時、部屋の鍵もロッカーも閉めなかったお前が悪い」

「そうだけど……、でも、盗まれるなん思ってねぇし……」

「ほんとに泥棒か? もっとよく探してみ」

「何度も探したよ! 黒い財布だよ。誰か見てない?」

そのやり取りをおよそ自分には関係ないことだとみていたたまきだったが、ある一言が、全員の注目を彼女に向けた。

「ちょっといい? あたし、あの子がこの部屋から出てくるのを見てたんだけど……」

そう言ったのは、茶色い長い巻き髪の女だった。彼女が指差した少女、すなわちたまきに注目が集まる。

予期せぬ自分の論壇への登場に驚いたが、それよりも多くの人間に見られて、委縮したたまきは思わず下を向いてしまった。

「おい! どういうことだ!」

怒号を響かせながら、財布を無くしたと騒いでいた男が、まるでたまきが犯人かのように詰め寄った。無理もない。明らかにたまきの挙動は不審なのだ。だが、それはたまきが犯人だからではなく、たまきが苦手な「視線」が向けられているからなのだが。

「違います……。わたしは……、……」

そこまで言って、たまきは「真犯人」に気付いてしまった。

気づいてしまって下を向く。ますます疑われる。

気づけば、バンドメンバーに囲まれていた。「被害者」の男が今にも掴みかかろうとするのを、ボーカルの男が落ち着けと押さえている現状だ。

「おい! なんか言えよ!」

本当のことを言えば、真犯人がわかってしまう。でも、うまくごまかす嘘も思いつかない。結局、黙るしかないという悪循環。

たまきは、少し離れたところにいるミチの方をちらりと見た。たまきとも、バンドメンバーとも顔見知りである彼なら、自分の味方をしてくれるのではないか。

だが、ミチはたまきと目が合うと、困ったように、申し訳ないように、目をそらした。

いよいよどうしよう。そう思った時、亜美のやや低めの声が部屋に響いた。

「たまきじゃねぇよ。ありえない」

今度は視線が亜美に集まった。たまきと違って亜美は視線を浴びても、余裕を見せる。

「あんた、こいつのツレか?」

被害者の男が尋ねる。

「ああ、そうだよ」

亜美は臆しない。

「なんでコイツじゃないって言える」

「こいつはな、欲とか何にもないんだ。食欲もないし、性欲もないし、将来の夢もなんにもない。欲しいものもなんにもない」

悔しいが、たまきもこっくりとうなづくしかない。

「そんなやつが財布盗んでどうするんだよ。何に使う?」

そういうと、亜美はたまきが肩からかけてるかばんを指差した。

「嘘だと思うなら、そいつのかばん見てみな。財布どころか、何にも入ってないぜ。たまき、見せてやれよ」

被害者の男が、たまきのかばんを無理やり奪おうとする。

「……やめてください……」

たまきは小さな声でボソッと言ったが、男はそれを無視して、たまきの肩からかばんをはずすと、ひったくるようにして中を見た。

かばんの中はほぼ空っぽだった。男の財布はおろか、自分の財布すら入っていない。ただ、たった一個、黄色く細長い物体が入っていた。

「何だこれ?」

男はそれをかばんから出した。たまきは恥ずかしくて、下を向いてしまった。

男がかばんから出したのは、カッターナイフであった。

「何だこれ。」

男はもう一度言った。

カッターナイフ。それは、たまきのお守りだった。いつでも速やかにこの世からエスケイプするための。

「財布はあったか?」

亜美が男に近づき尋ねる。

「……ねぇよ。」

「わかったろ。たまきは泥棒なんかする奴じゃない。そうだろ、ミチ」

亜美はミチの方を向いた。ミチは慌てたようにこっくりとうなづいた。

「……コイツが犯人じゃねーってのはわかったよ。じゃ、オレの財布取ったの誰だよ!」

男が怒鳴った。亜美は、何か思いを巡らすように顔をしかめた。

「……知らねーよ」

亜美はそうつぶやいた。

 

写真はイメージです

水曜日。夜道。

亜美とたまきは「城」に向かって帰り路を歩いていた。ビルに額縁のように切り取られた夜空には、月も星も見えない。

二人は無言だった。たまきは下を向いてとぼとぼと歩き、彼女の右を歩く亜美は、右側のやけに明るいネオンや看板を眺めていた。

「……志保なんだろ……」

亜美がポツリと言った。

「……いつ気づいたんですか?」

「一人いなくなりゃ、誰だってそう思うだろ……」

「……見ちゃったんです……。志保さんが、あの部屋から出てくるの……。私、何も考えずに志保さんの出てきた部屋に入っちゃって、たぶん、そこを見られたんだと……」

たまきは下を向いたまま答えた。

「でも……、なんで……」

「なんで?」

亜美が初めてたまきの方を向いた。

「クスリに決まってんだろ。思い返せば、あいつ今日の午後ぐらいから、なんか様子がおかしかった」

その答えにたまきも亜美の方を向いた。もうすでに「太田ビル」の前に着いていた。

二人は階段を昇って「城」の前に来た。扉の前に、長い髪の女が立っていた。

「志保っ! ……?」

長い黒髪の女が振り向いた。

「……帰るの木曜……明日って……」

「仕事が早く終わったんたからさっき東京に戻ったんだ。……一人足りねぇな。志保は? あいつに話があってきたんだが?」

京野(きょうの)舞(まい)は「八ッ橋」と書かれたビニール袋を持ちながら言った。

 

写真はイメージです

水曜日。夜。曇り。

蛍光灯は寿命間近なのか、明滅を繰り返している。

テーブルの上には色とりどりの八ッ橋が置かれている。

「どうした、食わないのか? お前の所望した変わり種八ッ橋だ」

「いや、『何でもいい』って言っただけすけど……」

亜美もたまきも口をつけない。決して、八ッ橋が嫌いなわけではない。

「ここ来るのも久しぶりだ」

舞はあたりを見回した。

「だいぶもの増えたな。これだけ稼いでいるんだったら、アパートぐらい借りれるんじゃないのか?」

「ウチはここ、気に入ってるんですよ。ウチの城すから」

「で、志保はどうした。いないのか?」

急に静かになった。

「……ちょと、お出かけ中です」

たまきが答えた。

「あいつを一人で外に出すなってお前らに行ったはずだぞ。どこに行った」

「さ、さあ」

舞が足を組み替えた。

「電話は? 呼び戻せ」

「でねーよ」

亜美が答えた。

舞はため息をついた。

「お前ら、何隠してる?」

たまきの背中がびくっと動いた。

「アタシはライターだ。取材も仕事のうちだ。人の話を聞き、それがウソかホントか判断して文章にする」

舞はそういうと、二人をにらみつけた。

「お前らのちんけな嘘を見抜くのなんて、朝飯前だ」

「別に嘘も隠しもしてねーよ」

亜美が言った。

「……志保のやつ……、ライブハウスで財布盗んで逃げたんだよ」

「……まだそうと決まったわけじゃ……。たまたまその部屋から出てきたってだけかも……」

「じゃあ、他に誰がいんだよ!」

亜美の突然の大声に、またたまきがびくっとなる。

舞はあまり以外ではなさそうな顔をしていた。

「……たぶん、クスリを買うために盗んだんだろうな……」

「でも……」

たまきが白いラインの入ったピンクの財布を手に取った。

「志保さんの財布はここに……」

「今すぐ欲しかったってことだろうよ」

舞が答えた。

「……あいつの行きそうなところは?」

舞の質問に、たまきは答えが思い浮かばなかった。亜美も無言で首を振る。

「志保が戻ってきたら、すぐ連絡しろ」

それだけ言うと、舞は「城」を出て行った。

 

写真はイメージです

次の日。木曜日。夕方。雨。

志保は帰ってこなかった。

たまきは、「城」に一人でいた。亜美は買い物に出かけている。

夏の雨が窓を激しく叩く。

昨日の光景が頭の中を回る。

財布を盗んでいなくなった志保。

つまらなそうにギターを弾くミチ。

濡れ衣を着せられたたまき本人より腹が立っている亜美に、ため息をつく舞。

たまきのかばんからカッターナイフを取り出したときのみんなの反応。

たまきはお守りであるカッターナイフを手にした。

かちっ。かちっ。かちっ。

カッターの刃先をぼんやりと見つめる。

ぴしゃりという雷の音が部屋の中に響き、青い光に照らされて、たまきの影がくっきりと浮かび上げられる。

たまきは右手首の包帯をするするするとほどいた。

醜い傷跡がくっきりと浮かび上がっている。

たまきは、左手でカッターを握ると、右手首に押し当てた。

ほんの一瞬、痛みが走ったが、それはほんの一瞬だった。

小さな赤い筋が手首に描かれ、そこから赤い血がにじみ出た。

たまきは経験上わかっている。この程度の傷では、天国はまだまだ程遠いということを。

 

写真はイメージです

また次の日。金曜日。夜。大雨。

志保が帰ってきた。雨の中、傘もささずに。

 

志保は何を聞かれても「ごめんなさい」しか言わなかった。志保の声より大きく、雨音がギターのリフレインのように奏でられていた。

 

――志保さん、どこ行ってたの?

 

――ごめんなさい……。

 

――どけ、たまき。おい志保! てめぇ、どこ行ってたんだよ!

 

――ごめんなさい……。

 

――バンドメンバーの財布盗んだのお前か!

 

――ごめんなさい……。

 

――認めるんだな?

 

――ごめんなさい……。

 

――何に使った? クスリか?

 

――ごめんなさい……。

 

――もうやらないんじゃなかったのかよ!

 

――ごめんなさい……。

 

――お前のせいでたまきが犯人だと疑われたんだぞ!

 

――……、ごめんなさい……。

 

――ごめんじゃねぇだろ! 他になんかねぇのかよ!

 

――亜美さん、私ならもういいから……。

 

――たまきもたまきだ。なんでコイツ許してんだよ!

 

志保の何度めかの謝罪を、雷の音がかき消した。

 

30分後。まだ金曜日。深夜。まだ大雨。

舞が「城」にやってきた。

蛍光灯の一つが切れ、薄暗い部屋の中にはいつもの三人がいつもと違う様子でいた。

心配そうに志保を見るたまき。

腕を組み、足を投げ出し、志保をにらむ亜美。

そして、バスタオルに包まれ、濡れた長い髪を前に垂らす志保。

髪に隠され、顔はほとんど見えなかったが、さらに痩せたように舞には見えた。

「……アタシの判断ミスだ」

舞はそう切り出した。その声はどこか毅然としていた。

「お前らと一緒にしたら、何か変わるんじゃないか。そう思っちまった、アタシのミスだ。廃業したとはいえ、医者としてあるまじき失態だ……」

そういうと、舞は志保に投げかけた。

「何か言いたいことはあるか」

「……ごめんなさい。」

志保は機械的にも聞こえる謝罪を口にした。

「お前は明日、予定通り、施設の方に連れて行く。ただし、『見学』でも『通院』でもない。『入所』だ。寮に入って、そこで暮らすということだ」

「……ここを出ていくってことですか」

たまきの尋ねに、舞はうなづきもしなかった。

「当然だろう。ここじゃ管理しきれないのだから」

管理。その言葉がたまきの脳に暗く響いた。

「……異論はないな。志保」

「……はい」

志保ははじめて「ごめんなさい」以外の言葉を口にした。

「で、こいつがくすねた金はどうするんだ?」

舞の尋ねに亜美が答えた。

「志保が弁償するみたいだからさ、ウチが返しとくよ。ウチが謝っとく」

「そうか」

そういうと、舞は一歩、真っ黒なドアに近づいた。

「荷物はそのかばんで全部か?」

志保はただうなづいた。

「とりあえず、今晩はうちに泊まれ。ちょうど徹夜で原稿書くつもりだったんだ。ついでに徹夜で監視してやる。ほら、行くぞ」

舞が出口に向けて歩き出した。志保も席を立ち、たまきと亜美に背を向ける。二人の黒い影がくっきりと壁に映し出される。

一瞬だけ見えたその顔は、ほほのくぼみを涙が濡らしていた。だが、それをすぐに長い髪の影が覆い隠す。

志保の背中をたまきは見つめる。『城』で築いた志保との思い出が走馬灯のように……。

……出て来なかった。志保との思い出は、たまきの頭に浮かばなかった。思い出は、まだなかった。

――そうだ。私は志保さんのことを、まだ何も知らない。

なぜ彼女がドラッグに手を出したのか。

彼女は何が好きなのか。

彼女は何が嫌いなのか。

やりたいことは何か。

なにで笑うのか。

なにで怒るのか。

たまきはまだ何も知らない。

なのに、……これで終わり?

そう思ったら、たまきは自然と立ち上がっていた。

「……待ってください」

消え入りそうな声でたまきはつぶやいた。

「……志保さんと、もうちょっと一緒にいちゃだめですか……。……この『城』で一緒に暮らしちゃだめですか?」

舞は振り返ると、あきれたように答えた。

「お前、何言ってるんだ?」

ため息をつきながら、舞は肩をすくめた。

「お前、こいつのせいでどんな目にあった?」

「ごめんね……たまきちゃん」

「……そのことはもういいです。気にしてないので。」

たまきにしてみれば、今まで、一番自分を傷つけたのは自分なのだ。今更他人にどんな目にあわされようが、大概のことは気にしない。志保とて、意図的にたまきに罪をなすりつけようとしたわけではない。

そんなたまきに、舞は冷たく言い放った。

「理解しろ。こいつはお前らの手に負えないんだ」

その一言は、たまきがずっと探していた、漠然とした思いの答えを、彼女に気付かせるものだった。

それと同時に、その言葉がたまきの中の何かに火をつけた。

「……手に負えないっていうのなら……」

たまきは囁くように言った。

そして、叫んだ。

「手に負えないっていうのなら私だって同じです!」

 

薄いガラスを破ったようなその声は、叫びと呼ぶにはちょっと、か細かったかもしれない。しかし、志保が足を止め、舞が目を向き、亜美の口を呆けたように開かせるのには十分だった。

「……た、たまき?」

当の本人だけが、まるで自分が叫んだことに気付いていないようだった。

「……私なんか、学校行っても友達いなくて……」

たまきはいつものようにボソッとしゃべった。

「……そのうち学校に行けなくなって……、家にも居場所がなくなって……。死のうとしてでも死ねなくて、そんなのを何回も繰り返して、挙句の果てには家出して、親からしてみれば、私、きっと、手に負えない娘だったと思います。だから、手に負えないのは、私も一緒なんです!」

たまきと違って志保は友達がいる。彼氏がいる。頭がいい。美人だ。何もかもたまきと違うはずだ。

でも、今は自信を持って言える。

志保はたまきと一緒だ。

だから、見捨てたくない。

自分の体に刃物を当てることができても、自分の命を終わらせることができても、

とどのつまり、人は自分を、自分と同じものを、見捨てることはできない。

たまきが言い終わると、舞がたまきに近づいた。

「……今回わかったはずだ。薬物の恐ろしさが」

舞は続けた。

「最初に志保に会った時、確かにこいつはクスリをやめようとしていた。それは嘘じゃないとアタシは思う。でも……、ダメだったんだよ。本人の意志の強さじゃどうにもならないんだ」

そういうと、舞はたまきにこう言った。

「またこいつがクスリを欲した時、お前に止められるのか?」

たまきの回答は、舞の予想より早かった。

「……止められないと思います」

「だったら……」

「でも……! そばにいるくらいはできます」

「ダメだ。そんなんでクスリがやめられるんなら、誰も苦労はしない」

「でも……! でも……!」

二人のやり取りを、いや、たまきの言葉を、亜美はなんだか真新しい気持ちで聞いていた。

たまきに出会ってまだ間もないが、彼女がこんなにも何かに、「死ぬこと」以外の何かに固執しているのを見るのは初めてだった。

「その施設っていうのは、志保さんみたいな人がいっぱいいるんですよね。そういう人たちの中で、治していくんですよね?」

「ああ」

たまきの質問に舞が答える。

「だったらここにいても……」

「なんでそうなる」

「……一緒だから」

たまきはそういうと、右腕の真っ白な包帯をはずした。無数についた切り傷。そのうち一つはまだかさぶたである。

それを一目見るなり、舞には分かった。

「また切ったのか?」

たまきは答えなかった。その代りにっこりと、たまきにしては珍しく、にっこりと笑った。

「私も志保さんと一緒だから」

たまきはそれだけ言うと、志保の方を向いた。

志保はうつむいていた。もしかしたら、たまきの新しいリストカットも、自分のせいではないかと思っているのかもしれない。

「志保さんはどうしたいんですか? 施設に行きたいんですか? ……こんな終わり方でいいの?」

「……それは、こんな終わり方はやだよ……」

志保は顔を挙げずに震え声で答えた。

「でも……、たまきちゃんにも、ミチ君のバンドにも迷惑かけて、もう、いられないよ……」

「私ならもう気にしてません。わざと罪をなすりつけようとしたわけじゃないんだし」

「でも……。」

「私だって、いっぱいいろんな人に迷惑かけてますし、たぶん、今も家族に迷惑かけてますし」

たまきも志保も似た者同士だから、施設に行くのもここにいるのも一緒。さて、その理屈を認めていいものか。

舞が、どうしようかと考えを巡らしていると、突如、亜美が声を上げた。

「思い出した」

そういうと、亜美は右腕の青い蝶の入れ墨がはばたくかのようにゆっくりと立ち上がった。

「中学のころさ、テレビで『親子間の窃盗は罪になんない』っていうのやってて、ウチ、ラッキーっつって、平気で親の財布から金くすねてたんだ。全部で四万ぐらいかな。あ、一回でじゃねーぞ。5千円ずつ抜き取って、ばれるまでやってたらそん位になったんだ。さすがにばれてさ、そんときウチ、妹のせいにして。でも、妹、ウチと違っていい子だから、そんなウソ通用しなくて、おやじに怒られて、でも、その後も懲りずに二万ぐらい抜き取ってたなぁ。」

亜美は笑いながら続けた。

「万引きもよくしたし。よくよく考えたら、志保なんかより、ウチの方が手に負えないサイテーのガキだったよ」

そういうと、亜美は舞に笑いかけた。

「ねえ、先生。こいついないと、ウチら、カップラーメンしか食うものないんだ。頼む! もうちょっとこいつ、ここに置いといてよ。施設に行くのも、ここにいるのも、手に負えない者同士って意味では、一緒、一緒!」

「お願いします!」

「頼むよ。ね?」

少し間をおいて、志保が口を開いた。

「先生……、お願いします」

舞は、頭を抱えるように抑えた。

「はあ……、なんてこった……。こいつら、三人ともアタシの手に負えねぇ」

舞はしばらく考えていたがやがて、

「……勝手にしろ。医者としての忠告はしたからな」

と言い放った。

それまで一つだけ灯りの灯っていなかった蛍光灯が、突然、ついた。急に部屋の中が明るくなる。

「いいんですか?」

「……とりあえず、志保、明日施設に行くことはかわんねぇぞ。『通院』するために『見学』するんだ。十時にうちに来い」

次に、亜美の方を向く。

「お前はちゃんと月一で性病の検査に来い!」

最後にたまきに向かい、

「次からは一人で傷の処置をするな。必ずあたしのところに来い」

というと、舞は、

「徹夜で仕事しなきゃならねぇから、帰る」

といって、出て行った。ドアを閉めると、つるされた「あみ しほ たまき」と書かれたカラフルなネームプレートが微笑むように揺れた。

 

30分後、日付は変わって土曜日。深夜。雨上がり。

たまきと志保は太田ビルの屋上に上がった。

太田ビルの屋上には、1メートルほどの柵がある。たまきは柵にもたれて、ビルの下の道路を見つめていた。深夜の繁華街はネオンが輝き、屋上から見ると、オレンジの夕日を反射してきらめく海のようだ。

「ごめんね、たまきちゃん」

柵に寄りかかった志保がそう言った。セリフは今までとそう変わらないが、声は心なしか晴れやかだった。いつもの愛くるしい笑顔だ。

「別にいいです。気にしてないんで」

たまきがいつものようにボソッと答える。

「それよりも頭にきてることありますし」

「え?」

「別に志保さんのことじゃないです」

たまきはそういうと、少し微笑んだ。

「お前ら、こんなところにいたのか」

階段を上がって亜美がやってきた。手にはビニール袋がぶら下がっていた。

「亜美ちゃん、それ、どうしたの?」

「貰ってきた」

亜美はビニール袋から、ビールの缶を取り出した。

「亜美ちゃん……、それ、お酒……」

「我らの変わらぬ友情を祝し、乾杯といこうじゃないか」

亜美はすでに酔っぱらってるんじゃないかというようなことを言い出した。

「いや、亜美ちゃん、あたしたち、未成年……」

「私、お酒、飲んだことない……」

「お前ら、不法占拠とか、リスカとかドラッグとかやっといて、いまさら何言ってんだ?」

そういうと亜美は、二人の手に缶を持たせた。

「さあ、乾杯! 乾杯!」

結局、たまきも志保も、缶ビールを持たされてしまった。

「亜美ちゃん、あのさ、あたし、普通のジュースとかがいいな……」

「何だよ、ノリ悪りぃな」

「いや、こういう酔っぱらっちゃう系は、なんていうか……」

「……酒でラリるとは思えねぇけど……、まあ、念のためってやつか」

そういうと亜美は、志保の手にある缶を受け取った。

たまきも缶を返そうとする。

「亜美さん……、私もお酒は……」

「おまえは特に理由ネェだろ」

「いや……、未成年……」

「大丈夫だって。気にすんな」

なにが大丈夫なのかわからなかったが、たまきは言われるがままに、プルタブに指をかけた。しかし、自分じゃ開けることができず、志保に開けてもらった。プシュッと音がする。

ジュースを買いに下のコンビニに行った志保が戻ってくると、三人は、それぞれが持った缶で互いの缶をたたいた。

「かんぱ~い!」

 

二十分後。土曜日。深夜。月夜。

「あははははは」

亜美の笑い声が屋上にこだまする。何が面白いのか志保には全く理解できないが、亜美はとにかく楽しそうに笑っている。いわゆる、笑い上戸というやつであろう。

志保は、横にいるたまきをちらりと見た。柵に顔をうずめるようにもたれかかっている。顔は赤い。

「たまきちゃん、大丈夫?」

「……なんかふわふわします」

たまきはいつになく甘ったるい声で言った。

「ちょっとやばいかも」

「お水あるよ」

ジュースと一緒に用意周到に志保が買っておいた水のペットボトルにたまきは口をつける。

「あははははは。おい、志保ぉ! あれ、この前見た都庁じゃないの?」

亜美が笑いながら志保に話しかけた。志保は亜美が指差す方向を見る。

黒い空に、より濃い黒さのビルが浮かぶ。ちらほらと、星のような窓の明かりがきらめく。

「うーん、どうだろう。方向はあっちの方だと思うけど、結構離れてたからなぁ」

「あっちなんだろ。じゃあ、あれでいいじゃねーか」

そういうと、亜美は歯を見せて、にっ、と笑った。

「青春ごっこしようぜ」

「……何それ?」

ちょっと言ってる意味が分からない。

「よく映画とかであるじゃん。海で夕日に向かって『バカヤロー』って叫ぶやつ」

確かにそういうシーンはよく語られているが、実際に使われている映画を志保は知らない。

「都庁に向かって叫ぼうぜ」

やっぱり言ってる意味が分からない。

志保が理解するよりも早く、亜美は口の横に手を添えて、都庁、らしき建物へ向けて叫んだ。

「バカヤロー!」

亜美の叫びが夏の湿った空気を震わす。

「遠くばっかり見てんじゃねーぞバカヤロー!」

柵にもたれていたたまきがふらりと立ち上がる。そしてふらふら歩きながら亜美の隣に立つと、同じように口に手を添えた。

「ばかやろー。」

たまきにしては精いっぱいの大声を出す。

亜美がさらに続ける。

「そんなところにウチらはいねーぞ!」

亜美は声の限り叫ぶ。

「ここにいるぞバカヤロー!。……ここに生きてんぞバカヤロー!」

亜美はふうっと息をついた。

「悔しかったら、こっち来てみーろ!」

叫ぶ亜美と、その隣のたまきの後ろ姿を、柵にもたれながら志保は眺めていた。

だが、急にたまきがバランスを崩したので慌てて駆け寄る。

バランスを崩したたまきを、亜美が抱き留めた。

「たまき!」

「たまきちゃん!」

亜美の腕の中で、たまきが言う。

「亜美さん、志保さん、あのね、私、今、ちょっと楽しいかも」

そういうとたまきにしては珍しく、たまきにしては本当に珍しく、にっこりと笑った。

 

土曜日。深夜。まん丸お月様の夜。


次回 第6話 強盗注意報、自殺警報発令中

雨の日、たまきが一人で留守番していると、「城」に強盗が入る。包丁を向けて震える声で「お金を出さなきゃ殺す」と脅す強盗に、たまきは「殺してください」と頼む?

「『おい! 来るな! 殺すぞ!」』『殺してください』 」

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クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

民俗学という文学 ~六車由実『驚きの介護民俗学』~

2012年に発表された六車由実さんの『驚きの介護民俗学』。民俗学者から介護士に転職した著者が、介護の現場で老人たちから民俗を聞き取ることをまとめた本だ。発表当時から民俗学界隈で話題となったこの本を読んでみると、これからの民俗学について考えさせられる驚きがあった。


『驚きの介護民俗学』の内容

著者の六車さんは民俗学者。大学で学生たちに民俗学を教える立場だった。

それがどういうわけか、大学を辞めて介護施設で介護士として働くようになる。

そこで出会った老人たちは、ふとした瞬間にそれまでの人生やバックボーンをにじませていた。

例えば、認知症の老人にありがちな「同じ話を繰り返す」。

介護する側からすれば迷惑な話だが、よくよく聞いてみると、人によって繰り返す話が違う。

そこで丹念に聞いてみると、「繰り返す話」の中には、その人が何に重きを置いて生きてきたかが現れていた。

そこで、著者は施設の許可を取って老人たちの話を聞き書きすることにした。それが「介護民俗学」の始まりだ。

通常、民俗学のフィールドワークというと、農村や漁村に入ってそこで生活する人たちにテーマに沿って話を聞く。

だが、介護民俗学では大きく二つの点が異なる。

まず、フィールドが違う。

介護民俗学の舞台は農村でも漁村でもなく、介護施設。文章から察するに、おそらく静岡の地方都市にあるようだ。

だが、そこに通う老人たちは、かつての村で生まれ育った人たちだ。彼らにはかつての村の暮らしの記憶が残っている。

むしろ、「農村から都市に出てきた人たち」というこれまで見逃されがちだった人たちの記憶を持っているのだ。

そしてもう一つが「聞き書きにテーマがない」

通常はフィールドに入る民俗学者には知りたいテーマがある。農具についてだったり、祭りについてだったり、昔話についてだったり。そういうのに詳しい人を探して、話を聞くわけだ。

ところが、介護民俗学では著者は聞きたいテーマを持っていない。相手が話したいことを話してもらうわけだ。

だが、それゆえに著者の想定していなかった話が聞けて、「驚き」をもたらす。この「驚き」が著者にも話す老人側にもいい効果をもたらすのだ。

実は、僕も大学で「自分の聞きたいことではなく、相手の話したいことを話させる」という風に教わった。

僕が教わった先生たちの世代の教訓なのだそうだ。

フィールドに入って話を聞くと、戦争の話をしたがる人が多かった。

しかし、こっちは民俗学の話を聞きに来たのだからと、先生たちの世代は戦争の話をさえぎって、「自分たちが聞きたいテーマ」を話させた。

だが、今になって思うと、当時の話者たちが話したがっていた「戦争の話」をちゃんと聞いてまとめれば、かなり重要な史料になったのではないか。

そんな後悔から、「相手の話したいことを話させなさい」と教えてくれたわけだ。

民俗学とは生きることと見つけたり

さて、「介護民俗学」の本の評判は前から聞いていたが、なかなか読もうとしなかった。

理由は二つ。

まず、「介護」という言葉がよくない。

「介護の本」と聞いて面白そうと思う人がどれだけいるだろうか。介護に携わっていない人じゃないと、まず面白そうとは思わない。

そしてもう一つ、決定的に面白くない単語が入っていた。

その単語とは「民俗学」

大学で民俗学を専攻していた僕すら、「民俗学の本は面白くない!」と認識しているのだ。

何と言うか、無味乾燥なのだ。

そう思ってほとんど期待することなく「驚きの介護民俗学」を読んでみた。

すると、驚いたことに面白かったのだ。

「テーマのない聞き書き」を行っている著者は、細かい「民俗」にとらわれることなく、話者の人生を聞き取り、生き生きと描いている。

これは、僕にとっても発見だった。

祭りだの農具だの信仰だの、個々の民俗自称にフォーカスして書いてしまうとちっとも面白くない。「無味乾燥な学術書」で終わってしまうのだ。

だが、この本では個々の民俗事象にとらわれることなく、相手の人生を描いている。

言い換えれば、個人の人生自体が一つの「民俗」である。

民俗学とは「生きること」、「その人がどうやって生きてきたか」を描くことだともいえるわけだ。

民俗学は文学だ!

個々の老人たちの「生きること」を、著者も実に生き生きと描いている。

この「驚きの介護民俗学」が民俗学の雑誌ではなく、介護・看護に関する雑誌で連載された、というのもこの本を堅苦しいものにしなかった理由の一つだろう。

もしかしたら、民俗学は「学問」という堅苦しいスタイルよりも「文学」というスタイルの方が似合うのかもしれない。

それぞれの「生きること」を文学として描く。

例えば、宮本常一の代表作「忘れられた日本人」は、そこに登場する人たちがどのようにして生きてきたかを文学的に描いている。「土佐源氏」に至っては文学的に高く評価されている。

柳田國男もかつては文学を志していた。

民俗学にとって、「文学のスキル」は重要なことなのかもしれない。

そう思わせるこんな話がある。

大学のころ、口承文芸、すなわち、昔話に関する講義をとっていた。

これが評判だった。

どういう評判かというと、「つまらない」という評判なのだ。

ある先輩が、そのつまらない講義に対してこんな解説をしてくれた。

「あの先生は口承文芸を研究している割には、話し方が下手なんだ」

民俗学の知識を文学的に語るスキルが、その先生にはなかったわけだ。

民俗学とは人の「生きること」を描くことである。それが無味乾燥な学術用語で描けるわけがない。

民俗学はもっと文学的に、「生きること」に向き合い、「生きること」を描くべきなんじゃないだろうか。

そんな驚きの発見を、この本はもたらしてくれた。

海賊警戒水域に行った僕が映画「キャプテン・フィリップス」を見た!

海賊に襲われた船長の実話をもとにした「キャプテン・フィリップス」という映画を見た。以前、僕は「ピースボートの海賊水域で自衛隊護衛の矛盾を参加者がツッコんでみた」という記事で、「どうやってぼろ船が客船を攻略するのか教えてほしい」と書いた。今回はこの映画を見ながら、どうやって海賊が客船を攻略するかを考えてみよう。


貨物船と海賊の戦いを描いた実録映画「キャプテン・フィリップス」

「キャプテン・フィリップス」が公開されたのは、2013年。主演は「ダ・ヴィンチ・コード」のロバート・ラングドン役などで知られるトム・ハンクスだ。

あらすじ

リチャード・フィリップスは貨物船「マークス・アラバマ号」に乗って、ソマリア沖を航海していた。そこは「アフリカの角」と呼ばれる海賊多発地域。マークス・アラバマ号は海賊たちが乗るボートに付け狙われてしまう。

1度は追跡を振り切ったマークス・アラバマ号だったが、海賊たちは翌日も現れる。リチャードたちはホースによる放水などを試みるも、4人の武装した海賊たちは船に接近し、とうとう乗り込んでしまう。果たして、リチャードと船員たちの運命はいかに?

コンテナ船、海賊船、小型ボート、救命ボート、軍艦と、船好きにはたまらない船のオンパレードだ。

ストーリー自体も緊迫感がありとても面白い。また、海賊側も単なる悪者ではなく、貧しいソマリアで暮らす彼らの事情が描かれている。特に、アメリカ海軍が解決に乗り出してからの彼らの追い詰められっぷりにも緊迫したものがあった。

また、トム・ハンクスが名優と謳われるのも納得の演技を見せる。終盤、いよいよ命の危機に瀕して「家族に合わせてくれ!」と叫ぶシーンは鳥肌もので、とても演技を見ているものとは思えない。

一方で、モデルとなったリチャード・フィリップ氏本人が「自分はこんなヒーローではない」と評しているように、あくまでも実話をもとに虚飾織り交ぜた映画であることを忘れたはならない。実際はもっとひどかったらしい。

とはいえ、ここで描かれた内容が海賊対策の参考になるのは間違いないであろう。

海賊警戒水域とは?

世界の海における海賊警戒水域は、実は意外と広い。ピースボート88回クルーズでは、インドのムンバイからスエズ運河に至るまでの約2週間が海賊警戒水域だった。ここにいる間は、夜間は外に一切明かりが漏れないようにする。

このうち、日本の海上自衛隊が護衛してくれるのは、ソマリア沖のアデン湾水域というところだ。距離にして1100㎞。護衛艦がついてくれるのは2日間。意外と短い。

ソマリア沖・アデン湾における海賊対処 防衛省・統合幕僚監部

ところが、この事件が起きたのはソマリア南東沖。自衛隊の護衛のない海域なのだ。

マークス・アラバマ号が最初に海賊と遭遇したのは「北緯2度2分・東経49度19分」の地点。アデン湾水域などとっくに通過し、ソマリア半島を回ってソマリア沿岸からそろそろ抜けようという場所だ。

つまり、よく「ピースボートは海賊が怖くて自衛隊に泣きついた」などという話を聞くが、

自衛隊がいない海域も十分危険であり、ピースボートはそんな海域を護衛なしで航海している。

では、実際に映画の内容から、海賊にピースボートの「オーシャンドリーム号」を占拠できるのか、検証してみよう。

検証① 海賊に襲われるまで

この映画は、船オタクとしても興味深いものだった。舞台が貨物船だからだ。オーシャンドリーム号から世界のいろんな貨物船を見て、一度は乗ってみたいものだと思っていた。

なぜなら、客船と貨物船は、構造が全然違うのだ。

ピースボートのオーシャン・ドリーム号がこちら。

以下にも船といったフォルムである。

一方、実際のマークス・アラバマ号がこちら。

この写真の船からコンテナを消すと、相当平べったい船だということがわかるはずだ。船を操作するところを「ブリッジ」と呼ぶのだが、オーシャンドリーム号のブリッジは船の前方にある。一方、マークス・アラバマ号のような貨物船のブリッジは後方についているのが一般的だ。船の後方に、ブリッジのある白い建物があり、前方の約9割はコンテナを乗せる広大なスペースとなっている。

それは、船の甲板から海面までの距離が、オーシャンドリーム号よりもマークス・アラバマ号の方が圧倒的に短いことを意味している。映画の中でリチャードが甲板を歩くシーンがあるが、それを見た僕の感想が「海が近い」だった。オーシャンドリーム号は8階の甲板から海を見ることが多く、海面ははるか後方に見える。一方、マークス・アラバマ号は、建物の2~3階から地面を眺めるような感覚で海が見えているのである。

さて、最初に海賊船に狙われた際、マークス・アラバマ号は次のような行動をとった。

レーダーで確認⇒目視で確認⇒スピードアップ⇒海軍に通報

おそらく、オーシャンドリーム号も海賊に遭遇したら同じような行動をとるだろう。もっとも、「スピードアップ」したマークス・アラバマ号の速度は17ノットである。これは、普段のオーシャンドリーム号の速度とそんなに変わらない。

一方、映画の中で貨物船の乗組員たちは、「海賊のボートは26ノットも出してた!」と言っている。小型ボートの方がスピードが速いのだ。

その結果、2日目の遭遇でマークス・アラバマ号はとうとう追いつかれてしまう。

検証② 海賊たちはピースボートの船に乗り込めるのか?

翌日、再度現れた海賊たち。銃を撃ってくる海賊に対し、マークス・アラバマ号はホースからの放水で対抗する。

この放水機能がオーシャンドリーム号にあるかどうかは、残念ながら僕は知らない。そんなものを使うような危機に陥らなかったからだ。

しかし、海賊たちは放水にめげず、マークス・アラバマ号の横に船をつける。ああ、海賊侵入の危機……。

この時、僕はあれれと思った。

マークス・アラバマ号が全速力で動いている割には、船の横の波が少ないのだ。

僕の感触では、世界で一番波が穏やかなのが地中海で、一番波が荒いのが日本近海だ。ソマリア沿岸は決して荒くもないが決して穏やかではない。そんな海を航行するとき、オーシャンドリーム号の甲板から海面を見下ろすと、常にひときわ大きな波が上がっていた。

しかし、映画では実際にマークスアラバマ号を走らせているにもかかわらず、ほとんど波が出ていない。船の動いた後に彗星の尾のように現れる「澪」があるので、動いていることは確かなのだ。

もしかして、マークス・アラバマ号って軽い? マークス・アラバマ号の重さがわからないので何とも言えないが、先ほど見せた2隻の写真をよーく見比べてみると、確かにコンテナを積んだ状態でもなお、マークス・アラバマ号の方が小さく見える。

さらに、乗っている人の数も、オーシャンドリーム号が1000人近いのに対し、マークス・アラバマ号は20人。体重の平均が60㎏ぐらいだとすると、この時点で120トン軽いわけだ。

もしかしたら、マークス・アラバマ号はオーシャンドリーム号よりずっと軽かったのかもしれない。

だとしたら、重い方のオーシャンドリーム号の横はマークス・アラバマ号よりも波が強く、近づくのは映画よりもはるかに困難だということになる。

ただ、「撮影用のため、コンテナの中身は全部空っぽだった」ということも考えられる。いずれにしても、「映画よりも波が荒いはず」というのは確かである。

さて、映画ではマークス・アラバマ号に接近した海賊たちが鉄のはしごをかけて侵入してくる。はしご一本では足らず、夜中のうちに溶接して2本のはしごをつなげている。何度かのトライの末はしごが船に引っかかり、一人ずつ乗船してくる。

オーシャンドリーム号に接近することが難しいとはいえ、決して不可能ではない。オーシャンドリーム号もこんな感じで侵略されてしまうのだろうか。

だが、ここでさっき述べた、「甲板までの高さが決定的に違う」という事実が効いてくる。

映画では海面から甲板までの高さは大体、2階建ての家の屋上ぐらいの距離だ。

一方、オーシャンドリームの場合、最も低い甲板でも4階建てビルの屋上ぐらいの高さがある。

すると、海賊たちにとって問題がいくつも発生する。

問題① 小型ボートで「ビル4階建て分の長さ」のはしごを運ぶことは可能か。

そんな長いはしご、ボートのどこに置くのか。うまく置けたとして、かなり邪魔になるはずだし、航海中も不安定でしょうがない。だいたい、そんな重いはしごを乗っけたら船の重心がくるって転覆しかねない。

そもそも、「ビル4階建て分の長さ」のはしごはいったいどのくらいの重さがあるのだろうか。

そこで、いろいろなものの重さを計算できるサイトの力を借りた。

ちょこっと重量計算

これによると、直径30㎜、高さ3mの鉄パイプの重さは16.69㎏。

「はしご」はこの鉄パイプ3本を使って作れるとすると、その重さは約50kg。

十分人一人分の重さであり、よくこんなの持ち上げたな海賊、と感心するが、

これはあくまでも「建物1階分の高さ」である。

ということは、海賊が持ち上げた「建物2階分の長さのはしご」の重さは約100kg! にわかには信じがたいが、世の中400㎏を持ち上げる人もいるからなぁ。

もっとも、映画で見る限り、はしごは2階分の中さより少し短いようだ。

誤差も考えて実際は83㎏ぐらいだったのではないか。

オーシャンドリーム号の壁を昇ろうとしたら、長さはさらに倍近く必要になる。11mとすると計算してみると、約180㎏。これを持ち上げるにはプロレスラーのチャンピオン並みの体力が必要である。

海賊がオーシャンドリーム号を占領するには、長さ11m、重さ180㎏の鉄梯子をボートに乗せて海を渡る必要がある。重さは乗組員3人分以上だ。荒波を渡る中でどっちかの舷にはしごがよれば、船が転覆しかねないし、前後のバランスを間違えれば、やっぱり船が転覆する。本当に厄介な代物だ。

そんな邪魔なはしごを乗せて波をちゃぷちゃぷかき分けてオーシャンドリーム号のわきに来た海賊たち。さあ、はしごをかけるぞ!

ここで新たな問題が浮上する。

問題② どうやって180㎏のはしごを船にかけるのか。

持ってくるだけでも大変なはしごである。これを持ち上げてオーシャンドリーム号にひっかけなければならない。

同じ180㎏でも相手がダンベルだったらまだ楽だった。両手でつかんで垂直に持ち上げれば、常に重心が自分の足元に来るからだ。

しかし、この長さ11mのはしごの端っこを持って持ち上げようとすると、どうしても重心は数m先になる。これを持ち上げるのは大変だ。

そもそも、「はしごの端っこを持つ」ということは、「はしごのもうかたっぽが海に大きく突き出ている」ということであり、相当バランスが悪い。

転覆を防ぐためには、海賊たちが力を合わせる必要がある。映画の中で海賊たちは4人、はしご50㎏だったが、今度のはしごは映画のものより130㎏重いので、乗組員は2人にした方がいいだろう。

2人で力を合わせて重心の調節をして、力を合わせて持ち上げなければならない。何せ、今度のはしごは「重い」だけでなく「長い」のだから。

はしごの真ん中を持って、ぐるっと回して立たせる、という方法もある。それでも、180㎏ある長いはしごを持ち上げ、海の浮力に逆らって90度まわし、さらにはしごをひっかけるため5.5メートル持ち上げる。その間ずっと、はしごは持ち上げたまま。

これはいったい、何の拷問だろうか。

2人で協力すれば少しは楽になるのだろうが、その場合、海賊たちが隙だらけになってしまう。オーシャンドリーム号から海賊めがけて、いらない椅子とかテーブルとか落っことすには絶好の機会だ。

それでもがんばって何とかはしごを垂直に立たせた海賊たち。あとはひっかけるだけなのだが、ここで最後の関門が待ち受ける。

問題点③ どうやって揺れる船にはしごをひっかけるのか。

船は揺れる。海賊たちのボートも揺れるし、オーシャンドリーム号も揺れる。足場も目標物も不安定だ。

さらに、長さ11mにもなるとちょっとの誤差が命取りだ。手元が5度狂っただけで、12m先のはしごの先端は5mもずれるのだ。

これは、手元が5度狂うと、重心が1.4mもずれることを意味する。

どう考えても、はしごをうまくひっかけられるより早く重心が傾き、はしごは倒れる。

はしごが傾き始めたら、なるべく遠くまで180㎏あるはしごを放り投げることをお勧めする。はしごが海に沈む際に端っこが船のヘリに激突したら、船も道ずれにしかねない。

甲板からの侵入はかなり腕力と集中力を使う。

では、窓からの侵入はどうだろうか。窓ならはしごの長さは3m位で済むはずだ。それならば重さは50㎏位で済むだろう。

と考えた人に、この写真を見てもらいたい。

オーシャンドリームの窓には、あまりとっかかりがない!

これでは、ゆらゆら揺れる船に50㎏のはしごをかけても、すぐに外れてしまう!

この場合、5度手元がずれると、40㎝はしごがずれ、10㎝重心がずれる。やっとこさはしごをかけても、すぐ外れる。


これでもまだ、海賊が怖いだろうか。

結論:どうやって海賊がこのオーシャンドリームを攻略するのか、逆に教えてほしい。

ピースボートに洗脳・マインドコントロールは可能か?元乗客が検証!

今回は、以前に書いたピースボートで本当に洗脳されるのか、元参加者が検証してみたの続編である。ピースボートに乗客を洗脳・マインドコントロールする力があるのか、専門書をもとに検証していきたい。前回は「洗脳」という視点のみだったが、今回は「マインドコントロール」の視点からもっピースボートを見ていきたいと思う。


西田公昭『マインド・コントロールとは何か』

今回は、立正大学心理学部教授の西田公昭氏が1995年に出版した『マインド・コントロールとは何か』という本をもとに検証していこう。

洗脳とマインドコントロールは違う!

まず、この本を読んでわかったのが「洗脳とマインドコントロールは別物」ということだ。

「洗脳」とは、相手を長期にわたり拘束し、拷問・暴力・脅迫・薬物などを用いて、相手の思考を支配する方法である。

一方、「マインド・コントロール」はこれらの手段を用いない。そこに違いがあり、両社は別物、むしろ対極の存在だ。

ピースボートは洗脳しているのか?

元乗客という経験から言わせてもらうと、

洗脳に関しては絶対にありえない。

ピースボートのスタッフから拘束されたり、拷問・暴力・脅迫・薬物の類を受けたことはない。

「ピースボート」「洗脳」で検索してみるといろいろ出てくるが、本当に洗脳されていると思うのであれば、それは「ピースボートの船内で拷問・暴力・脅迫・薬物投与が日常的に行われている」と認識しているということである。

本当にそう思うのであれば、ネットでギャースカ言ってないで、物証をつかんで警察に情報提供するというのが良識ある人間のすることだろう。ネットで騒ぐだけの人は、「洗脳とマインドコントロールの区別もつかない」無知な人間の妄言であり、そんなものに耳を貸す必要はない。

問題は、マインドコントロールだ。

ピースボートはマインドコントロールをしてくるのか。これに関しては時間をかけて検証しなければならない。

ちなみに、Twitterで「ピースボート」「マインドコントロール」で検索すると、「洗脳」の時と比べて極端にツイート数が減る。ヘンなの。

マインドコントロールへの道① 情報の偏り

左翼側に偏った情報を刷り込まれる。これがピースボートが洗脳だのマインドコントロールだの言われるゆえんだろう。

マインドコントロールをしようとするときは、その団体の主張に相手を注目させる必要がある。

どのような情報に人は注目するのかというと、

・弁別性のある情報=目立つ情報

・一貫性のある情報=繰り返しだされる情報

・合意性のある情報=みんなが「そうだそうだ」という情報

が挙げられる。

確かにピースボートでその手の話題は目立つし、賛同者も多い。つまり、ピースボートの船内は左翼的な情報に注目しやすい環境だ。

だが、これだけは企業のCMやネット右翼のツイートをを見ているのとそう変わらない。これらの特徴は、僕らが毎日見ているテレビCMとそう変わらないのだ。

マインドコントロールへの道② ようこそ、ピースボートへ

参考文献には、カルト勧誘の手口として次の5つが挙げられていた。いずれも、相手の冷静な判断力を奪う方法だ。

①返報性

人はサービスを受けると、お礼をしたくなる。カルト教団などはこれを利用してターゲットに親切にして、「話くらい聞いてもいいかな」と思わせる。

ピースボートにおいては説明会が考えられる。無料で行われてはいるが、不自然に親切、というわけではない。そもそも、説明会に来ている人は最初から話を聴くつもりで来ているのだ。

②コミットメントと一貫性

いきなりハードルの高いことをさせず、ハードルの低いことからさせて、少しずつ要求のハードルを上げていくことで組織の主張を信じやすくさせる。

ピースボートのボラスタが最初にやる活動と言えばポスター貼りだ。

ぼくは初日から30枚ポスターを持ていき、最初の10枚は「ベテラン」と呼ばれるボラスタと一緒に回ったが、残り20枚は一人で回った。

どこがハードル低いねん! 「ポスター貼りあわない」と言って、ポス貼りをやらずに船に乗った人を何人も知っている。むしろ、「いきなりハードル高いことをさせる団体」とも言えるだろう。

③好意性

相手に親しみやすい人や、相手の好みの人を使う。

スタッフが乗客に近い距離で接したり、容姿端麗な人を使う、というものだ。

スタッフが容姿端麗かどうかは、「人の好みによるだろう」としか答えられない。ただ、おしゃれな人は多い。奇抜なファッションの人も中に入るが。

ただ、スタッフと乗客の距離が近いというのは大いにあてはまる。そこがウリの一つ、と言ってもいいくらいだ。

④希少性

「今だけ!」という限定品で釣る。

僕が乗った88回は当初「30歳未満99万は今だけ!」と言っていたが、後に「好評につきサービス継続」となった。

だが、船は年間3回地球を一周しているので、「今を逃したらもうチャンスはない」という宣伝の仕方は基本していない。

むしろ、この程度の限定品商法は、どこの企業も普通に行っている「企業努力」の一環だ。

⑤権威性

「著名人」や「専門家」の肩書を利用する。

ピースボートクルーズの目玉の一つは、ゲストとして乗船する水先案内人だ。彼らは著名人や専門家が多い。どう見ても権威性に頼っていると言える。

 

「乗船までの手法」はマインドコントロール度40%と言ったところだろうか。まったくその要素がないわけではないが、「カルト的」と断じるにはちょっと無理がある。

マインドコントロールへの道③ 5つのビリーフ

さて、マインドコントロールするには、「入会させる」だけではいくらなんでも不可能なのは自明のことと思う。

そのためには「ビリーフ」を置き換えなければいけない。

ビリーフとは、白い男性用パンツのことである。あ、それはブリーフでした。

ビリーフは、いわば「レッテル」に近い。「〇〇は✕✕だ」という認識のことだ。「ピースボートは素晴らしい団体だ」も、「ピースボートはとんでもねー団体だ」もビリーフだ。あくまでも「認識」であって、事実かどうかは関係ない。

このビリーフを自分たちに都合のいいものに置き換えられれば、マインドコントロールできるというわけだ。

では、どんなビリーフを操ればいいのだろうか。それは次の5つである。

①自己  「僕は誰なんだろう」という認識。

②理想  「自分はこうあるべき」「世界はこうあるべき」という認識。

③目標  「自分はこのように行動しなければならない」という認識

④因果  「世界はこの法則で動いている」「歴史の影にはいつも〇〇がいる」「陰謀だ!」という歴史や世界に対する認識。

⑤権威  「先生の言っていることは正しい!」という認識。

この5つを変えてしまえば、マインドコントロールできるのだ!

マインドコントロールへの道④ さあ、ビリーフを変えよう

さて、どうやってビリーフを変えていくのか。ピースボートの実態に即してみていこう。

STEP.1 ターゲットに接触する

まず、ターゲットとの接触段階である。マインドコントロール団体は、相手に合わせたメッセージを巧みに使って接触してくる。それは、次の4つの欲求に即したものだ。

①自己変革欲求  相手の罪悪感や劣等感をぬぐうようなメッセージを発信する。「君はダメ人間じゃない」といった感じだ。

②自己高揚欲求  相手の価値を認め、目的を与えてあげる。「君は素晴らしい。そんな君の能力なら、世界を変えられる」といった感じだ。

③認知欲求  相手の知らない真実を教える。コンビニ本の陰謀論みたいな感じだ。

④親和欲求  相手の孤独をぬぐう。「君は一人じゃない」「俺たちは仲間だ」といった感じだ。

どれもピースボートで言われたことがあるような気もする。③に関してはピースボートの真骨頂と言ったところだろうか。

ただ、一方でこうも言われたことがある。

「船に乗ったからって何かが変わるわけではない」

これは①②と相反する話だ。

ちなみに、乗船者が船の中でいろんなことを学んだあと、口にする言葉がこうだ。「結局、俺らに何かが変えられるってわけでもないよね」。これまた②とは反する結果だ。

STEP.2 自分たちのビリーフをアピールする。

ターゲットに接触したら、自分たちのビリーフを魅力的に伝える必要がある。

「自分を変えたい」と思っている人には「変われる変われる!」という自己ビリーフを与える。

「世界を変えたい」と思っている人には「世界を変える力が君にはある!」という理想ビリーフを与える。

「目標がない」と思っている人には「ここを目指そう!」という目標ビリーフを与える。

「これからの世界はどうなっていくのだろう?」と思っている人には「世界はこうなっている」という因果ビリーフを与える。

「誰を信じたらいいの?」という場合は「この人を信じなさい!」という権威ビリーフを与える。

どれも思い返せば、ピースボートにあてはまる気がする。

ピースボートでは水先案内人の講演会が行われる。ほとんどが著名人や専門家だ。この時点でもう、権威ビリーフである。いろんな人がゲストでくるが、中には自己ビリーフ理想ビリーフに当たる話が得意な人もいる。

因果ビリーフに関しては、ピースボートで最も取りざたされる話だろう。確かに、「平和」や「国際交流」などに関する話は多く、中には日本の歴史教科書では教えないような話も出てくる。

ただ、「因果ビリーフ」として確立するには、「世界の法則はこうだ!」レベルにまで高める必要がある。ピースボートで提供される情報はばらばらで、それらを関連づけて教えてくれるわけではない。

一方、「目標ビリーフ」に関してはピースボートではあまり当てはまらない。

STEP.3 5つのビリーフを関連付ける

5つのうち4つのビリーフをピースボートは提供する。やっぱり、マインドコントロール団体なのか。

ただ、この5つをバラバラに与えるだけではだめだ。5つをそれぞれ関連付けなければいけない。

つまり、

「自分の良くないところを改善し(①自己ビリーフ)、理想の自分になれる(②理想ビリーフ)。更なる高みを目指し(③目標ビリーフ)、世界の仕組みを知る(④因果ビリーフ)、それができるのはピースボートだけ!(⑤権威ビリーフ)」

という教義に近いものを植え付けなければいけないのだ。5つのビリーフを関連付けた物語を作らなければいけない。

この「教義」や「物語」に相当するものがピースボートには決定的に欠けている。

ピースボートは情報、すなわちビリーフは与えるが、それらを関連付けて物語を作るということを全くしない。特に、自己ビリーフ・理想ビリーフと因果ビリーフの間の関連性が全然ない。

僕自身、ピースボートの主張というものを知らない。8か月ボランティアスタッフをして、108日船に乗り、その後も事務所に顔を出しているが、「現在、公式に主張しているのは①戦争反対と②9条賛成の2つだけ」ということしか知らない。しかも、それ自体1度聞いただけで、正直これであってるかなといううろ覚えのレベルでしかないのだ。

ピースボートが乗客をマインドコントロールするには、ピースボートの思想を中心とした教義を作らねばならない。

STEP.4 ビリーフを受け入れさせる

ビリーフによる教義を作っても、受け入れてもらわなければ話にならない。聖書の内容を知っていても、それを信じるかどうかはまた別な話なのと一緒だ。

その方法としては次のようなことが考えられる。

感動や興奮を利用する方法がある。カルト教団がよく使う手法だ。ピースボートでは運動会などのイベントで感動や興奮をすることはあるが、講演会などで感動・興奮をすることはまれだ。

考えるよりも行動させる、という方法もある。ただ、ピースボートでは船の中にいるので行動がものすごく制限される。考える時間の方が圧倒的に長い。

アイデンティティを攻撃するという方法もある。罪を告白させたり、相手を攻め立てたりして、自尊心を崩壊させるという方法だ。だが、ピースボートでこの手の手法は一切行われていない。

 

このように見ていくと、ピースボートはSTEP.2で止まっていることがわかる。マインドコントロールの要素が全くないわけではないが、ただ単に情報を垂れ流すだけでは人を操ることはできない。それだけなら、相手の欲しいものをちらつかせ、「新しい生活をしよう!」というビリーフを押し付けてくるスマートフォンのCMと大して変わらない。

マインドコントロールへの道⑤ ずっとマインドコントロール!

さらに、一時的にマインドコントロールに成功しても、その状態を継続させないと意味がない。ピースボートにおいては「船に乗ってる時は平和運動に関心があったけど、船を降りたらもうどうでもいいや」ではマインドコントロール成功とはいえないのだ。

ずっとコントロール状態にするには、情報・感情・行動・生活を管理していく必要がある。

情報の管理

情報を管理するには閉鎖的な場所に置く必要がある。そういう意味では「船」はうってつけだ。

だが、地球を一周したらおろされてしまう。こちらが「まだ乗ってたいよー!」と喚いても、「いいから降りろ!」とおろされてしまうのだ。これは、カルト教団などではありえない。

情報管理の方法として、スケジュールで縛って吟味や意見交換をさせない、というものもある。また、「教義」を受験勉強のごとく勉強させるというものも挙げられる。

だが、ピースボートの船内は自由時間しかないし、勉強時間もない(英語の勉強をしている人たちはいるが)。そもそも、教義が書かれたテキストが存在しないし、何度も言う通り教義自体が存在しない。

感情の管理

感情の管理の方法では、自分たち以外を敵と思わせる方法があるが、「ピースボートの外は敵」!だなんて思ってたら、とてもじゃないがポスター貼りなんかできない。ポスター貼りが終わるころには、貼らせてくれた人たちへの感謝でいっぱいだ。

感情管理の一環で、離脱を認めずに団体に依存させる、という方法もあるが、どれだけ依存しようと地球一周したら強制的におろされるのは先ほど書いた通り。

行動の管理

行動を管理する方法としては、団体の意にあう行動をしたら褒め、意に背く行動をしたら罰する、という方法がある。

積極的に行動する人が褒められるという風土は確かにある。罰に関しては僕は聞いたことがない。

生活の管理

単調な生活を送らせ、生活を管理することで思考能力を奪う方法がある。

しかし、船では常に何らかのイベントがあるし、寄港地は刺激に満ちている。

また、恋愛を制限することで生活を管理しようとする。これも当てはまらない。どこぞのアイドルじゃあるまいし、船内は恋愛自由だ。自由すぎるほどだ。

毎日重労働を課し、肉体疲労を持って管理する方法もあるが、基本、船内生活は疲れない。むしろ、船に乗って運動しないから太る人が多いくらいだ。

 

このように見ていくと、ピースボートはびっくりするくらい教義定着の努力をしていない(そもそも教義がないのだが)。情報は与えるが、あとはほったらかしなのだ。

まとめ

確かにピースボートは左翼的な情報を魅力的に流す。しかし、それを「教義」としてまとめ、相手に受け入れさせ、定着させる要素が決定的に欠けている。これでは、テレビCMの域を出ない。

逆に言うと、この程度であっさり洗脳されて帰ってくる人は、地球上のどこへ行っても洗脳されて帰ってくるだろう。それどころか、テレビCMでも怪しい。新商品や限定品を宣伝されるままにホイホイ買ってしまう危険がある。

一方で、ピースボート側が悪意を持ってマインドコントロールしようとすれば、教義を作り、相手に受け入れさせ、定着させるだけでいいともいえる。その辺、ピースボートは気を引き締めて活動するべきであろう。

それでも「ピースボートはマインドコントロール団体だ!」と主張する人へ

マインドコントロールされている人は表情でわかるという。だから、どうしてもピースボートがマインドコントロール団体だという証拠が欲しいのであれば、船から降りてきた人の表情をチェックすればいい。

とても疲れていたり、何かにおびえていたり、敵意むき出しだったり、バカにしたような態度をとっていれば、マインドコントロールされている可能性がある。

たいていは笑顔で船から降りてくるのだが。