間違えて映画「タイタニック2012」を見ちゃった

『タイタニック』。言わずと知れた歴史に残る映画である。一方、『タイタニック2012』という映画がある。「タイタニック2」と呼ばれることもあるが、あのタイタニックとは全くの別物。続編でも何でもない。今回はその「タイタニック2012」を見てしまった感想である。


どうして「タイタニック2012」を見ようと思ったのか。

『タイタニック2012』を知ったのは、ビデオ屋で「タイタニック」のビデオを探していた時。

なかなか見つからずに、なにを間違えたか「アクション映画」の棚を探す僕。

するとそこに「タイタニック2012」が置いてあったのだ。

「えー! タイタニックってアクション映画のくくりだったの―!?」と驚きつつ、よくよくタイトルを見ると「タイタニック2012」。

2012? タイタニックは1997年の映画のはず。

どうやら、名前のよく似た、というか、あの映画に便乗してるとしか思えない全くの別物のようだ。

パッケージは沈む船と抱き合う男女という、どこかで見たようなデザイン。

明らかにパチモン感、B級感が漂うのだが、せっかくだ。見てみよう。

『タイタニック2012』のあらすじ

注意!映画のネタバレがありますが、結末を知っても特に問題ない映画だと思います。

映画はまず、一面の銀世界から始まる。雪と氷に閉ざされた世界……。

あれ、借りる映画を間違えたかな?

と思ったのもつかの間、今度は海岸警備隊のシーン、そして、港のシーンへと移行する。どうやらちゃんと「タイタニック2012」のようだ。

2012年。それはタイタニックが沈没してちょうど100年の年だ。

その年にお金持ちの男性ヘイデン(どういう事業でお金持ちなのかは不明)は「タイタニック2」を建造し、タイタニックが出航した4月10日に同じように大西洋横断を企画する。

……つけんなよそんな名前。するなよそんな企画。

船乗りというのはずいぶん迷信にこだわると聞く。そんな沈んだ船の名前なんて……。

と思ったけど、よくよく考えたら我が国は宇宙に飛び立ちイスカンダルに空気清浄機を取りに行く宇宙戦艦に、撃沈した船の名前を付けるような国だった。

しかし、わざわざタイタニックと100年後の同じ日に合わせて航海を企画するなんて不謹慎だ!

……と思ったけど、実はタイタニック沈没直後に姉妹船であるオリンピック号に乗って、タイタニック沈没を検証する航海が行われている。

タイタニックと構造の似ているオリンピック号に乗って、「ここで沈んだのか」「ここで○○さんはこんな行動を……」などと検証して楽しんだ。不謹慎もへったくれもありゃしない。

しかしこのタイタニック2、見た感じめちゃくちゃでかい。さすが、あのタイタニックを再現しただけはある。

見た目はタイタニックによく似ているが、設備は最新鋭だ。

なんと、今回は全員分の救命ボートを乗せているという。あのタイタニック号は半分しか積んでいなかったというのに。

まあ、当たり前なんだけどね。タイタニック号の事故を契機に、救命ボートは全員分を乗せるということが義務付けられた。

それまでは救命ボートは「沈む船と、救助に来た船の間を、往復するもの」と考えられていた。だから、別に全員分の救命ボートがなくても、往復すればいい、そう考えられていたのだ。タイタニック号の時も「8時間は沈まないだろう」などという楽観的な意見もあったが、実際は2時間40分でタイタニックは沈み、それまでに救助船は間に合わなかった。

だが、オーナーのヘイデンは言う。

「デッキに積んである救命ボートはただの飾りさ。本物は船底にある」

え、船底?

救命ボートって、船底に積むものなの?

自分が船に乗っていた時のことを思い出してみても、避難訓練の終わりはいつも甲板にある救命ボートの前。船底に連れて行ってもらったことも、船底にボートがあるという話や船底に避難しろという話を聞いたことも、ない。

タイタニック号は船底から徐々に浸水していったはずなのに、そこに救命ボートを置いて大丈夫なのか?

さて、船にはヘイデンのかつての恋人で看護師のエイミーも乗っていた。このエイミーが主人公だ。

タイタニック号の出航からちょうど100年後に出航したタイタニックⅡだが、100年前とは造船技術が全然違う。レーダーで氷山も見つけられる。そもそも今回は氷山のあるような地域にはいかない。

だから大丈夫だ、と船の速度をグングン上げる船長。

100年前の事故の原因の一つじゃないかと言われてるのが、「船長が調子乗って船の速度を上げ、よけきれなくなった」なのだが……。

一方そのころ、カナダのグリーンランドではエイミーの父でヘリで海上の安全を守っているメイン大佐が、グリーンランドの大規模な氷山崩落による津波の発生の情報をつかんでいた。

とはいえ、船は実は津波に強い。東日本大震災の時も、漁船があえて沖に出ることで津波をぷかぷか浮かんでやり過ごした、などという話がある。津波の威力が増すのは浅瀬、つまり沿岸部。入江の奥に行くとさらに威力が集約されて危ないが、沖で遭う津波はそんなに怖くない。

だが、問題は津波が押し流すであろう氷山の方だという。すごいスピードで氷の塊が海の上を転がってくるわけだ。

この情報はタイタニック2にも伝えられ、船は津波を避けようとする。まず乗客たちに船底に避難するように指示が出て、次に船内放送で乗客に救命胴衣を着るようにアナウンスが流れ、パニックに陥る乗客たち。悲鳴をあげながら走り回り、転ぶ人が続出する。

いや、パニクりすぎだ! 「救命胴衣を着ろ」と言っただけで、まだ船体を放棄するとか、沈没するとか、そんな話してない。

そもそも、この時点で船にはまだ何も起きていない。これから津波が来て、運が悪かったら氷山と激突するかもしれないから、一応救命胴衣を着ておいてください、というだけの話だ。

なのに蜘蛛の子を散らしたかのように逃げ惑う人たち。

う~む、避難訓練をうけていれば「やばい事態なのかもしれないけれど、パニックを起こすほどのことではない」とわかりそうなものだが……。

さてはこいつら、避難訓練を受けてないな?

そんなはずはない。タイタニックの事故以降、24時間以上船に乗る場合は、「まず最初に避難訓練を受ける」というのは義務となったはずなのだから。やってないなんてまさかそんなことは……。

そして、ついに津波が到達し、津波に押し流された氷山がタイタニック2と激突。船底に穴が開き、浸水を始めてしまう。

沈没までのタイムリミットは3時間。だが、もしタービンが吹き飛べば、30分しか持たないという。

そしてここでとんでもない知らせが。

「船底に積んでいた救命ボートが、浸水の影響で全部壊されました!」

全部!? 全部だめになったの!?

ほらぁ。だから言ったじゃん。船底になんて積んでおくから……。

でもまだ、甲板の方の救命ボートがあるはず……。

ヘイデン「あんなのは飾りだ」

えー!? 飾り!? 役立たず!?

さて、このままでは船が沈む、となって船底に避難を始める乗客たち。

なぜ船底? どうやら、まだ使える救命ボートが船底にあるらしい。そしてやっぱり甲板にあるボートは飾りらしい。

パニックになり押し合いへし合いする乗客たち。「女性と子供を優先しろ」という、100年前と全く同じアナウンス。

このパニックっぷりを見る限り、やっぱりこいつら、避難訓練受けてないな。

ああ、なんということだろう。ヘイデンも船長も「100年前の悲しい歴史を乗り越える」と息巻いていたのに、100年前の悲劇の教訓をないがしろにしていたのだ。これじゃ初代タイタニック号も浮かばれない。いや、沈んだんだけどさ。

一方、主人公のエイミーはヘイデンとともに仲間を助けに行ったりしているうちに逃げ遅れる。

救命ボートで脱出できた乗客たち(船底がぱかっと開いて、そこから救命ボートで脱出できるのだ!)は、100年前の乗客たちがそうしたように、沈みゆくタイタニック2を見る。船はもう半分ほど水につかっている。

結構早いな。こりゃ、3時間もかからずに沈むかも。

と思った矢先、タービンが爆発! 恐れていた事態が起きたわけだ。その様子を察したヘイデンも、あと30分しか持たないとエイミーに告げる。

脱出しようとするエイミーとヘイデンだったがさまざまなアトラクション、じゃなかった、障害が待ち受けていて、なんだかSASUKEを見ている気分だ。だが、二人して身動きできない状況の陥り、そこでメイン大佐からの通信が届く。

それはより大きな津波が迫っており、この規模では救命ボートも役に立たない。むしろ、タイタニック2に残っていた方がまだ安全だ、というもの。

なんてこった! もう救命ボートは出ちまったぜ。

そうとは知らない救命ボートの乗客たちは、沈みゆくタイタニック号を見つめる。船はすでに半分ほどが水につかり……。

待って! さっきから結構な時間がたっているのに、全然船が沈んでない!

あれ、案外この船、大丈夫かも。う~む、みんなが大慌てでボートに乗り込んだ意味とは……。

そして、津波が直撃し船は転覆。そしてどんどん水が入ってくる。

ヘイデンは一つしかない潜水スーツと酸素ボンベをエイミーに渡す。自分は死ぬと覚悟して。

二人のいた部屋は完全に水没。エイミーはなんとかヘイデンを連れて脱出し、メイン大佐のヘリへと乗せるが、すでにヘイデンは帰らぬ人となっていた……。

おしまい。

……ここで終わり!? もうちょっとさあ、感傷に浸る時間とか、余韻に浸る時間とかないの!? それとも、船が沈没する映画で「浸る時間」とかNGなのか?

だが、ヘイデンは助かっても、「生きててよかったねぇ」といえる結末になったかどうかはちょっと疑問だ。

初代タイタニック号の社長、イズメイはタイタニックに乗船していたが、生還した。しかし、一番の責任者がおめおめと生きて帰ってきたということを快く歓迎する人は少なかった。

イズメイ自身も後ろめたさがあったらしく、早々にタイタニックを運航していたホワイト・ライン社の社長を辞め、隠居してしまう。イズメイの婦人いわく、イズメイの人生はあの事故で終わってしまった、とのこと。

タイタニック2も事故自体はしょうがなかったとはいえ、ヘイデンも生きて帰ったとしてもオーナーとして同じような運命をたどっていたと思う。

だって、避難訓練やってないんだもん。

「タイタニック2012」の感想

「ダメな映画を盛り上げるために簡単に命が捨てられていく」

Mr.Childrenの「HERO」という曲の歌詞だが、まさにこの映画のためにあるような言葉だ。

あまり筆舌尽くして「こんなのは駄作だ!」と吠え立てるのも悪趣味でどうかと思うが、1点だけ。

アクション映画の棚にあったのだが、アクションが薄い。

もっとも、この映画は決して予算が高くはない。制作費は50万$。日本円にして約6500万円ほど。映画には詳しくないが、一説には日本映画の製作費の平均は5000万円ほどといわれている。

ハリウッドの超大作は300億円。本家のタイタニックはこれよりも高い。泡吹いて倒れたくなる金額だ。

ハリウッドの超大作と比べて予算がないのだからアクションが薄いのはしょうがないとして、もう少し緩急があったほうがいいのかな、と思った。「息つく暇もない」というが、息つく暇はあったほうがいい。

たとえば、「天空の城ラピュタ」だと、手に汗握るアクションシーンと、ほっこり一息つくシーンが交互に繰り返されていて、それによりアクションシーンにメリハリが生まれている。

ちなみに

なんと、実際に「タイタニック2号」を建造して、同じルートを航海するという計画があるらしい。世の中には物好きがいるものである。とりあえず、避難訓練はしっかりと。

映画「タイタニック」の史実と違うところとは?

映画「タイタニック」は史実に忠実だという。監督のジェームズ・キャメロンも「ジャックとローズの部分以外は史実に忠実です」と胸を張っていた。でも、それって本当なのだろうか。これまでこのブログでは映画「タイタニック」をもとにタイタニック号沈没事故を検証してきたが、今度は「史実」という観点から事故を検証しようと思う。


タイタニック号が沈むまでの流れ

まず、タイタニック号が氷山に衝突してから沈むまでの大まかな流れを見ていこう。

1912年4月14日

23時40分 タイタニック号、氷山と衝突

1912年4月15日

0時15分 SOSをほかの船に向けて発信する(SOSという信号が使われたのは世界初)

0時45分 最初の救助ボートをおろす

2時5分 最後のボートをおろす

2時20分 完全に沈没

4時00分 カルパチア号が現場に到着、救助が始まる

これがタイタニック号沈没までの大まかな流れだ。タイタニック号が氷山に衝突してから完全に沈没するまでの時間は2時間40分。映画でも「2時間40分」だと言われていた。

衝突から沈没までのおおまかな流れは映画とそんなにたがわない。タイタニック号は16区画のうち4区画まで水が浸水しても耐えられるように作られているのだが、船長らが把握した時点で浸水は5区画にまで及んでいて、あと1時間ぐらいしか持たないということは早い段階で分かっていた。

船長は船体放棄を決断し、避難が始まるが、救助ボートに乗るのは女性と子供が優先としたために夫婦や家族が離れ離れになることとなり、混乱を生む(ただし、「女性と子供が先」というのは当時の船では当たり前のことだったらしい)。

ところが、そもそも乗客2200人に対して救命ボートは1100人分しかなく、そのうえ、救命ボートが満員になるのをまたずして海に出していたので、1500人もの人がタイタニック号に取り残され、そのまま船と運命を共にすることとなった。

これは映画「タイタニック」の後半で描かれてていたことであり、ここは実に史実通りである。

映画タイタニックはここまで史実通りだった

映画「タイタニック」ではタイタニック号は事前に氷山があることをわかっていたにも関わらずスピードを上げていた、とされているが、これも史実通りだ。

また、先ほど書いたとおり、「女性と子供優先」というのも史実通りなのだが、映画では右舷と左舷でこの扱いに差が出て、「何が何でも男性は乗せない!」という船員もいれば、「余裕ができたら男性も乗せる」という船員もいた。そのため、船内でも「あっちはもう男も乗せてるみたいだぞ!」といった情報が錯綜する。

実は、これも史実通りなのである。

また、映画の中で船員が「てめぇら、指示に従え!」と発砲し、乗客を射殺するという衝撃的なシーンも登場する。このシーンについてはモデルとなった船員の遺族や、乗客からも抗議の声が上がっている。一方で、「そういうことがあった」と記述された乗客の書簡も見つかっている。

そのほか、タイタニック号を運航していたホワイト・ライン社の社長、ブルース・イズメイが最後の最後になってこっそり救助ボートに乗り込むシーンや、タイタニック号の建造者であるトーマス・アンドリュースが、逃げれたにもかかわらず船と運命を共にしたのも史実である。イズメイは社長なのに生き残ってしまったことに負い目を感じ、タイタニック号から帰った後は会社を辞め、隠遁生活を送る。

また、氷山衝突直前のシーンで見張りの船員が「俺は氷山のにおいがわかる」などと冗談を言うシーンがある。

これはさすがに創作だろうと思ったら、実は見張りの船員が「氷山のにおいがしてきた」という発言をしており、実はそれをもととしたセリフだったのだ。

こうやって見ていくと、映画「タイタニック」は意外と細かいところまで史実通りの部分が多い。やはり「タイタニックの映画は史実に忠実」という評判は本当だったらしい。「ほんとに史実通りなの?」と変な言いがかりをつけてしまって申し訳なかった。今度、ジェームズ・キャメロンにお詫びのメロンを送らないと。

映画「タイタニック」の史実と違う部分

とはいえ、映画「タイタニック」はドキュメンタリー映画ではない。ちょっとぐらい史実と違うところもいくつかある。

たとえば、映画の冒頭で、船が沈む前に自重で真っ二つに折れたことがCGで説明されているが、実際は三つに折れている。

タイタニックは三つに折れたが完全に切り離されたわけではなく、すでに海中に没した船主に引きずられて船尾も沈んでいく。

映画の中では取り残された人たちが船と一緒に沈んでいくシーンが描かれるが、実はこの時、何人かの人たちはすでに覚悟を決めて自ら海に飛び込み、泳いで沖に浮かぶ救助ボートに乗り込んだ。

映画の中ではまるで絶叫マシーンのようなスピードで船が海中へと消えていくが、生存者の一人は「エレベーターに乗っているようだった」と語っている(当時のエレベーターが絶叫マシーンのようだというなら話は別だけど)

もう一つ史実と異なるところがあるとすれば、三等客室の乗客のシーンだろう。

映画の中でも三等客室の乗客が船の外へ出ようとするが柵で閉じ込められてしまい、椅子をぶん投げて柵を壊して外に出るというシーンがあった(史実)。逆に言うと、実は三等客室についての描写はこれくらいしかない。実際にはこのシーン以外にもドラマがあった。三等客は男女別の部屋だった。夫婦であっても、だ。そのため、避難しなければならないとなって、まずは家族のもとへ向かわなければならない。だが、男子部屋と女子部屋が結構離れていて……、などというドラマがあった。

映画で描かれなかった、カルパチア号とカルフォルニア号の物語

映画ではほとんど登場しないのだが、タイタニック号の沈没事故にはあと2隻の船が登場する。それがカルパチア号とカルフォルニア号だ。

同じ事故に関わったにもかかわらず、この2隻はその後の評価が大きく分かれている。

カルパチア号はタイタニック号の救命ボートに乗っていた人たちを救助した船だ。映画の中でもちょこっと登場する。氷山衝突から約1時間後にタイタニック号のSOSを聞いたカルパチア号はすぐさま事故現場へと急行する。全速力で進みながら船長は船員たちに、タイタニック号の乗客たちを救助・介抱するための準備を進めさせる。

氷山が無数に浮かぶ海を全速力で突き進むカルパチア号。それでも、到着までには3時間30分を要した。午前4時に現場に到着したカルパチア号は救命ボートに乗る人たちを救助し、ニューヨークへと向かう。この時の迅速な対応で、カルパチア号のロストロン船長はヒーローとなった。

これと真逆の評価を受けたのが、カリフォルニア号だ。カリフォルニア号は事故当時、氷山に囲まれて停泊していた。そして、タイタニック号のすぐ近くにいた。どのくらい近いかというと、タイタニック号の明かりが目で見えるくらいに。

それどころか、タイタニックからのろしだロケットだが飛ばされているのも見ている。見ているのだが「なんかやってるねぇ」くらいにしか思わなかった。カリフォルニア号が事故現場に到着したのは、カルパチア号による救助が終わった後で、来たはいいものの特にやることがなかった。

事故後、カルパチア号は今でいう「大炎上」をした。「のろしだのロケット弾だの見てたんだろ!? どう考えても救難信号だろ!『なんかやってるねぇ』じゃねぇよ!」という批判の嵐にさらされたわけだ。

カルパチア号とすれば「氷山に囲まれてた」という言い訳はあるにはあったが、やはり問題なのは「見える位置にいたのに、助けようともしなかった」という点だろう。証言を見ていくと「助けたいけど氷山に囲まれて動けない!」と葛藤したようにも思えない。色々見ていたにもかかわらず、「助けに行こう」とすら思わなかった。事が目の前で起こっているにもかかわらず、「なんかやってるけどあれなんだろうね」ぐらいにしか思わなかったことが問題なのだと思う。

その後、事故の原因を調査する査問員会にカリフォルニア号の船長たちが召喚された。船長はメディアに向かって、「ちょっと状況説明をするだけで、10分もあれば終わる」と豪語していた。しかし、査問委員会でカリフォルニア号側の主張(例えばそもそものろしもロケット弾も見てないよ、といったこと)は全部棄却された。査問委員会は「カリフォルニア号はタイタニック号の近くにいて、いろいろ見ていたにもかかわらず、人としてするべきことを何もしていない」と断じた。

なぜ、タイタニック号の事故は1500人もの死者を出したのか

タイタニック号にはそもそも2200の乗客に対して1100人の救命ボートしかなかった。つまり、最初から半分しか助からなかったのである。

映画の中ではその理由として「救命ボートが多すぎると見栄えが悪いから」という、ふざけんなおい!という理由が述べられていた。

それも正しいのだが、もう一つ理由があった。

タイタニック号の事故が起きた当時、どこの船も救命ボートは満足に載せていなかった。

だが、当時はそれで十分と考えていた。

船は事故を起こして穴が開いたからって、いきなり沈んでしまうわけではない。タイタニックの場合は2時間40分かかったが、もっと長い時間保っていることもある。それまでにほかの船が救助に来てくれる。救助ボートは沈みかけの船と、救助に来てくれた船の間を往復する渡し船として考えられていた。一つの船が何往復もするという考え方だった。だから、何も全員分乗せる必要はない、という考え方だったのだ。

また、査問委員会は犠牲者が拡大した理由として、乗組員たちが救命ボートの扱いに慣れていなかった点を挙げている。

1100人助かるはずの救命ボートに合わせて700人しか乗っていなかったのだ。船員たちは、ボートが定員になる前にボートを海におろしている。

だが、これはどうやら、全部船員が不慣れなせい、というわけでもなさそうだ。

脱出は女性と子供が先、ということで、夫婦の場合妻が夫を遺して先に脱出する、というパターンが多かった。夫と離れ離れになるのを妻が嫌がり、夫がそれを説得してボートに乗せる、というシーンがデッキの随所で見られた。当然、こんなことをやっていては時間がかかる。船員としては「いいからとっとと乗れよ! 一刻を争うんだぞ!」といらだって、定員になる前に船をおろしたくもなるかもしれない。

だが、「一刻を争う」という認識は、最初の方はあまりなかった。

何せタイタニックは「不沈船」と呼ばれていたのだ。事故を起こしたと聞いても、大丈夫だろうと思った乗客も多かったし、沈むにしても8時間は大丈夫、なんて説もでていた。「あんな粗末なボートに乗るくらいなら、穴の開いたタイタニック号の方がまだ安全だろう」、そう考えてなかなかボートに乗らない人さえいた。

そして、それはどうやら船員側も一緒だったらしい。船長たちは「残り1時間から1時間半」ということを把握していたが、それがすべての船員に知らされていたわけではなかった。「船があとどれくらい持つか」という予想は、船員それぞれで様々だった。

ここからは僕の推論なのだが、

①当時の救助ボートは、沈む船と助けに来た船の間を往復するのが前提だった。

②タイタニック号の残り時間の予想は人によりさまざまで、8時間は持つ、という人までいた。船員の間でも「残り1時間しかない」ということを知っている人は限られていた。

この二つから、

「船員たちは『タイタニック号はまだ数時間持つ』と考え、救助に来た船との間を往復させることを前提としてボートを出していたのではないか」という説は考えられないだろうか。

避難しろという指示が出ている以上、救助ボートを出さなければいけない。だが、タイタニック号が簡単に沈むわけがない。数時間は持つだろう。それまでに救助の船が来てくれるだろうから、タイタニック号と救助船の間をボートで往復させればいい。なぁに、あせることはない。だって、タイタニックは「不沈船」なのだから。

もちろん、全員がそうだったわけではないだろう。船員たちの事態の把握具合はまちまちだったのだから。事態を正しく把握していた船員もいたはずだ。

「史実」とは何か

以上、「史実」に基づいてタイタニック号の事故を見てきた。

ところで、「史実」って何だろう。

実は、タイタニック号の生存者の証言というのは、必ずしもすべてが整合性のとれるものではない。

たとえばスミス船長の最期にしても、「船長室にいて、船とともに沈んでいった」という人もいれば、「船が沈む直前に海に飛び込んだ」という人、さらには「海に沈んだ乗客を救助ボートに乗せた後、『皆さんお元気で』と言い残して自身は海に消えていった」なんていう証言もあり、どれが本当かわからない。

ノンフィクション作家の保坂正康氏は、こういったた証言者のうち、正しいことを言っているのはわずか1割に過ぎないという。証言者のうちの1割は悪意のあるうそつきであり、鵜呑みにしてはいけない。そして残り8割の証言者は、正しい証言をしているつもりなのだが、勘違い、記憶違い、思い違いが混ざっていて、結果的に不正確な証言になってしまうのだそうだ。

結局のところ、何が史実かだなんてそんな簡単にはわからないのだ。

最後に、細野晴臣氏の言葉を引用して終わりたいと思う。

細野晴臣。はっぴぃえんどやYMOで知られるミュージシャンだ。どうしてその人がタイタニック号に言及するのか。細野晴臣の祖父こそ、タイタニック号に乗ってい生還した唯一の日本人だからだ。

タイタニック号を扱った映画や小説、(中略)どれも、事実を扱っているにしてもそこに扱われなかった事実の方が大事だと思うんです。どれもある事実だとは思いますが、そこで起きたこととは違うんです。事実が編集されているわけですから。どの視点から事件を見ているか、ということなので。僕にとっては祖父が伝えたことが事実なんです。


参考文献

ウォルター・ロード『タイタニック号の最期』(訳:佐藤亮一)

高島健『タイタニックがわかる本』

映画「タイタニック」を船旅経験者が見るとこう映る・後編

世界的に大ヒットした映画「タイタニック」にもし自分がいたら、果たして生き残ることができるのだろうか。前回は映画の前半を検証した。映画「タイタニック」の前半は単なる「船上のロミオとジュリエット」だが、後半部分は一気にパニック映画の様相を呈してくる。もし、この船に自分が乗っていたら、果たして生き残れるのだろうか。


青い海は雄大だ。

陸地から見るのと船の上から見るのでは、海というのは全く違う。

船から見る海は360度、一面の青い海。それ以外何もない。

遥か遠く、何キロも先まで見渡せるのだが、海の青と空の青、あとは波しぶきの白と雲の白。それ以外の色はなく、陸地はおろか船の姿もない。

海は常にうねり続け、そのリズムはまるで地球の鼓動そのものだ。

それは青一色の単調なものであるにもかかわらず、ずっと見ていても飽きることがない。飽きる飽きないという次元を超越した、地球の雄大さそのものである。

海は雄大だ。だが、たまにぞっとすることがある。

もし、この海に投げ出されたら?

まず、足がつかない。よく「足のつかないプール」なんてのがあるが、あんなものの比ではない。場所によっては海底は何キロも下、山すらもすっぽりと飲み込んでしまう深さである。

そして、周りにすがるものは何もない。周囲は何キロにも、何十キロにも渡って陸地は存在しない。誰もいない。

川や浜辺でおぼれたって恐ろしいというのに、見渡す限り水しかないこんな海の真ん中に万が一投げ出されたら?

いくら歴史が流れようとも、海の上の景色は決して変わらない。古代ローマの軍艦も、コロンブスも、カリブの海賊も、ジョン万次郎も、みな同じ景色を見て来たのだ。

そして、あのタイタニック号も。

映画「タイタニック」後半のあらすじ

映画「タイタニック」の後半は、それまでのメロドラマから一転、パニック映画の様相を呈する。

そのきっかけとなったのが氷山との衝突だ。タイタニック号は氷山に衝突したことで船底に穴が開き、そこから水が侵入、沈没する。

映画では海の上にひょっこりと氷の塊が現れ、正面衝突は回避されたものの、かするように衝突してしまう。

氷の塊は見た目こそ大したことないが、氷山の一角とはまさにこのこと。水面下には見た目からは想像のつかない氷の塊が沈んでいるのだ。飲食店でもらうお冷で、氷が水面からちょっとしか出ないのと一緒だ。

どうしてタイタニック号は氷山とぶつかってしまったのか。映画の中でも「氷山の情報はつかんでいたのに何ぜぶつかったんだ?」と疑問を呈している。

wikipediaを見ると、操船ミス説、なにかの陰謀で実はわざとぶつかった説、スピードの記録を狙っていた節、果てには呪いのミイラを積んでいたからだという月刊ムーに書いてありそうな説まである。

映画の中では、タイタニック号の性能を過信し、氷山を発見してから急旋回しても十分避けられると思っていた、とされている。

氷山にぶつかり、すごい衝撃が船内を走ったわけだが、衝突からの最初の十数分はまさか沈没するとは思えない緊迫感のない状況が続く。

しかし、船長たちは実はこの時点ですでに、もはや沈没するとわかっていた。

船内をいくつかの区画に仕切った時、浸水が4区画までなら船は浮いていられるのだが、すでに5区画浸水しているため、もうだめだという。

船長は船体放棄を決意し、乗客は救命胴衣を着て避難を始める。

とはいえ、氷山衝突からあれよあれよあっという間に船が沈んで行ってしまったわけではない。映画の冒頭で、氷山衝突から完全に沈没してしまうまで2時間40分かかったという。

つまり、船室にいたまま取り残されてそのまま沈んでいった、という人は、ゼロではなかったと思うが、少数派のはずだ。

船室から脱出し、上階へと逃げることはそこまで関門ではない。

問題は船から脱出する段階である。

まず、そもそもタイタニック号に積まれていた救命ボートは、乗客の半分しか乗れなかった。しかも、その理由が「ボートが多いと見栄えが良くない」というクソみたいな話だ。

さて、当然ながらオープンデッキに乗客は殺到する。クルーは女性と子供を優先的に救命ボートに乗せる。

さすがレディファーストの国、などと言っている場合ではない。これによって起きてしまうのが家族の分断だ。

船が沈没し、救命ボートで脱出するという状況で、パパと引き離されてしまった子供たち。助かったとしても、なんと心細い状況だろうか。

デッキの上はパニックだ。救命ボートが足りないとなればなおさら。「あっちにはまだボートがあるぞ!」とか「あっちは男性客もボートに乗せているぞ!」とか様々なうわさが飛び交い、人々は右往左往する。

やがて船内の浸水が進み、多くの人が取り残されたまま、とうとう船が前方に向かって大きく傾く。滑り落ちていく人たち。船はどんどん海に沈み、ついに足場がなくなる。

が、水の入った前方の重みに船が耐え切れなくなり、ぼっきりと折れる。一時的に船の後方は浮上し、向きも平らになるが、後方と前方は完全に分離したわけではない。やがて沈む前方の引っ張られて後方も徐々に垂直に傾き始める。

傾く船体にしがみつく人たち。もはやボートは残っていないのか、あっても準備できる状況でないのか。牧師が聖書の言葉を唱えているがその声は震えている。彼もまた、天国の入り口から逃れられないサダメなのだ。

これを悪夢と呼ばずして何と呼ぶ。

そして、船は徐々にスピードをつけて海の中へと沈んでいく。主人公であるジャックとローズは船体の一番上にしがみつく。最後まであきらめないと、海面との衝突に備えるジャックとローズ。「なんか、ディズニーランドのカリブの海賊ってこんな感じだったよなぁ」と不謹慎なことを想う私。

こうして、2時間40分をかけてタイタニック号は完全に沈没してしまう。

だが、それで取り残された乗客がみな死んでしまったわけではない。海中に投げ出されるも、救命胴衣を着ていたおかげで海面に浮かぶ人たち。

だからと言って助かったわけではなかった。彼らは市民プールにいるのではない。カナダに近い北大西洋沖、氷山が浮かぶような冷たい海の中にいるのだ。それも、時刻は真夜中。冷たい海にどっぷりつかって、しがみつくものも何もない。冷たさが徐々に体力を奪っていく。

救助のボートが戻ってくるが、いくらなんでも遅すぎた。死屍累々とはまさにこのこと。冷たい海水に熱を奪われて死んでしまったのだ。

ヒロインであるローズはその中の数少ない生存者だった。彼女の言葉によると、海に投げ出されたのは1500人。そのうち生存者はローズを含めてわずか6人だという(ローズは架空の人物です、念のため)。

検証:なぜこれほどまでの死者を出したのか

タイタニック号がこれほどの死者を出した最大の要因は、やはり絶対的に救命ボートが足りなかったことだろう。最初から半分しか助からなかったのだ。

救命ボートが足らないとなると、必然的に椅子取りゲームが始まる。お遊びの椅子取りゲームですら押し合いへし合いするのに、それが命がけともなればなおさら。パニックが起きるのはもはや必然だろう。

現代の客船では救命ボートが足りないなんてありえない!……と言い切れると信じたい。

だが、それでも気になることがある。

救命ボートは半分しかなかった。

それでも半分は助かったはずである。

タイタニック号の乗客は2200人。半分なら本来1100人は助かったはずだ。

だが、実際ボートに乗れたのは700人。あとの1500人は海に投げ出され、助かったのはわずか6人だ。本来乗れるはずの400人が乗り遅れたことになる。

ちなみに、この数字は映画の中で語られているものだ。今回の記事ではこれをもとに検証する。もしこの数字そのものが間違っているというのなら、文句は僕にではなくジェームズ・キャメロンに言ってくれ。

1100人乗れるはずのボートに700人しか乗っていなかったのだとしたら、もし2200人分のボートがあったとしても、1500人しか助からなかったという計算になる。

なぜ、ボートに定員ぎりぎりまで乗れなかったのだろうか。

映画の中ではクルーが救命ボートの転覆を心配して定員から大幅に少ない人数しか乗せず、船の責任者から「定員65人のボートに70人乗せてテストしてるんだ! 定員ぎりぎりまで乗せろ!」と一括されるシーンもある。

また、デッキの上はパニックを起こしていた。これから船が沈むとなればパニックになるのも当然だが、この混乱が避難を遅らせたのではないか。

おそらく、タイタニック号の乗客は避難訓練を行っていなかったのだろう。

だから、いざ沈没となっても、これからどういう行動をとればいいのかわからない。どこに逃げればいいのかわからない。どのボートに乗って逃げればいいのかわからない。誰から順番にボートに乗り込めばいいのかわからない。

その結果、デッキの上で押し合いへし合い、ボートを求めてあっちこっちを右往左往。乗客はもちろん、クルーも冷静ではいられない。

こうやって考えると、避難訓練って大切なのだなぁ、とつくづく思う。

何が一番大事って、緊急事態が起こった際に「どうすればいいのか」を知っているということだ。

現代社会ではなんでもネットでググればすぐに出てくる時代である。都市で生活する分には知識をため込むことになんてもはや価値がない。

しかし、こういったサバイバル的な状況となれば話は別だ。しっかりとした知識を持っていることが重要になる(そもそも、海上ではネットがほとんど通じない)。

とはいえ、「知っている」だけではだめだ。いかにちゃんとした知識を持っていても、いざ一大事となった時にパニックになって「わー、どうしようどうしよう!」と言って肝心の知識が出てこないのでは意味がない。よくクイズ・タイムショックで「いやぁ、この席に座ると、普段なら答えられる問題も答えが出てきませんねぇ」などという言葉を聞くが、事故だ災害だの時の緊迫感はタイムショックの比ではないだろう。

迅速に、正しい知識を脳みそから引き出さないと、死ぬ。

正しい知識を知っているだけでなく、それを冷静に引き出すことが大切である。

客船の避難訓練

ピースボートの場合、「24時間以上船に乗る場合は乗船後すぐに避難訓練を行う」と義務付けられている。この義務がピースボートのオーシャンドリーム号だけなのか、なにかの条約で決まっているのかは、調べても見つからなかった。

避難訓練は、船に乗って一番最初にやることだ。その後も1か月に一回のペースで避難訓練が行われている。

そもそも、こういう海上の安全対策が重視されたのは、タイタニック号の事故がきっかけと言われている。

避難訓練ではどのようなことをするのか。

まず、船長から「船体放棄を決意しました」との旨のアナウンスが流れる。それを聞いたら救命胴衣を身に着けて避難場所へと向かう。

タイタニックが沈没まで2時間40分かかったように、船に穴が開いて浸水が始まったからと言って、あっという間に沈むわけではない。必要な荷物を準備し、身支度を整え、トイレをすますくらいの余裕はある。決して、走ったりしないこと。

さて、ピースボートのオーシャンドリーム号の場合、船内に3か所の避難場所、というよりは緊急時の集合場所がある。これのどれに行ってもいいわけではなく、よほどのことがない限り原則として船室ごとに割り振られた集合場所へと向かう。

集合場所に向かうとクルーがいて、学校の出欠確認のように一人一人名前を読んで、ちゃんと来ているかどうかを確認する。

そして、外のデッキに出る。目の前には救命ボートがあり、これに乗り込んで逃げるわけだが、訓練ではそこまではしない。デッキに3列になるように並んで「では、この後ボートに乗ります」というところで訓練はおしまいだ。

ちなみに、不真面目に訓練中に友達とぺちゃくちゃしゃべっていても怒られることはない。本人この身で実証済みだ。

不真面目でも避難訓練を受けておけば、映画「タイタニック」の中で描かれた「どう行動したらいいかわからない」や「どこに行けばいいかわからない」といった不安から生じるパニックは回避できるはずだし、客室ごとにボートに乗り込む場所が決まっているので、ボートを求めて右往左往する混乱も避けられるはずだ。


映画「タイタニック」のラストシーンでは、事故から84年たち101歳となったローズが、夢の中でジャックと結ばれるシーンで終わる。傍らにはその後のローズの人生を映したものと思われる写真が飾られている。旅先でだろうか笑顔を見せるローズの姿に、タイタニックの事故に巻き込まれたからと言ってローズの人生は決して悲劇的なものではなく、ジャックとの出会いを機に退屈な上流社会と決別できたローズのその後の人生は幸福なものだったことが示されており、「タイタニック」という悲劇・悪夢の中でそれが救いである。

タイタニック号の悲劇は映画の中で散々語りつくされているが、意外と忘れがちな悲劇の一つが「この惨劇には墓標がない」ということかもしれない。

事故のあった海に行っても、「ここでタイタニック号が沈みました」などという墓標はない。ただただ、青い海が広がっているだけである。

映画「タイタニック」を船旅経験者が見るとこう映る・前編

映画「タイタニック」は1997年に公開された、世界的に大ヒットした映画だ。実際の豪華客船沈没事故を描いている。子供のころにタイタニックは一度見ているが、「船旅を経験した今、この映画を見たらどう映るんだろう?」と興味を持って、ビデオ屋で借りてきた、前編195分とあんまりにも長い映画なので、今回はその前編だ。


タイタニック号沈没事故の基礎知識

映画「タイタニック」は貧乏な青年ジャックと、お嬢様のローズの恋を描く映画であるが、その舞台となるタイタニック号は実在した船で、この船が沈没してしまうというのもまた、実際にあった事件である。以前に監督のインタビューを見たときは、「ジャックとローズの恋物語以外はすべて史実に沿っている」と胸を張っていた。

タイタニック号は1912年4月10日に、イギリスのサウサンプトンをアメリカに向けて出航した。今から100年以上前の話だ。

1912年がどういう年かというと、中華民国が誕生し、夏目漱石が存命で、通天閣が完成し、「いだてん」の金栗四三がオリンピックに参加した年である。日本では明治が終わり、大正が始まった。

さて、タイタニック号である。当時は世界最大の豪華客船で、「絶対に沈まない船」と言われていた。それが1週間もたたずに沈んでしまったというのだから、笑えない。

その重さは46328t。ピースボートのオーシャンドリーム号が35000tだから、結構でかい。100年前の船だと思うとなおさらだ。飛鳥Ⅱが50000tだから、あの飛鳥Ⅱとそんなに変わらない。

100年前にこんな船が出てくれば、まさに「夢の船」である。

乗客は1500人ほど。一説には2000人以上が乗っていた、とも言われている。

その速度は23ノット。オーシャンドリームがだいたい17ノットぐらいだったから、かなり早い。

この当時、船こそが国と国とを、大陸と大陸を移動できる唯一の大型の乗り物であり、船会社はどこもそのスピードを競っていた。タイタニック号はその競争から一線を画していたというが、それでも結構早い。

タイタニック号が沈没したのはカナダ沖。オーシャンドリーム号がジブラルタルからメキシコまで2週間近く擁していることに比べると、わずか6日でカナダ沖までたどり着けるのは、結構なスピードである。

タイタニック号はこのカナダ沖の北大西洋で、氷山に衝突して穴が開き、沈没した。

衝突してすぐに沈んだわけではない。徐々に水が入って行って、映画の中では2時間40分で沈没したと語られている。映画「タイタニック」の上映時間とほとんど同じだ。

映画の中の説明では、船の前方に穴が開き、そこから水が入ってくる。おそらく3等の客室があったであろうと思われるフロアは壊滅的なぐらい水に埋まり、その水がどんどん後方へと流れていく。前方が水で満たされてしまったため、重さで前方だけ水に沈み、後方は持ち上がり、タイタニックはまるで水泳選手が飛び込んだその瞬間かのように縦になる。だが、そもそも船は縦になるように作られてなどいないのでその重さに耐えられず、ぽっきりと折れる。もう助からない。

「タイタニック」って何の映画だろう?

さて、では実際に映画「タイタニック」を見てみようとビデオ屋に足を運ぶ。

タイタニックほど有名な映画ならすぐ見つかるだろう、と高をくくっていたが、あることに気づく。

ビデオ屋では古い映画はジャンルごとに分類されている。

「タイタニック」のジャンルってなんだ?

「タイタニックはどんな映画ですか?」と聞いたら10人中8人くらいは「船が沈む映画です」と答えるだろう。

だったら、パニック映画だろうか。と思ったけど、そもそも近所のTSUTAYAには「パニック映画」というジャンルの棚はなかった。

そもそも、「タイタニック」を「お化けトマト大襲撃」みたいな映画と一緒にしてはいけないような気もする。

じゃあ何だろう。アクション映画? いや、船は沈むけど、派手なアクションで乗りり切るとかそういう話じゃなかったと思う。

それでもまさかとは思うけど、と探してみるとなんと、アクション映画の棚に「タイタニック2012」が置いてあるじゃないか!

えー、あれ、アクション映画だったのか⁉ と思ってよく見てみると、「タイタニック2012」。タイタニックは97年の映画のはず。そっくりな名前の別の映画のようだ。

ならばサスペンス映画? 確かにタイタニック号の事故にはいくつか謎はあるけれど、その謎がメインの映画じゃなかったと思う。

恋愛映画? 確かに、ジャックとローズの恋を描いた映画であり、恋愛要素は強い。

実際、恋愛映画の棚にタイタニックはあった。

ただ、タイタニックを「恋愛映画」と認識している人がどれだけいるだろうか。10人中8人はやっぱり「船が沈む映画」だと思ってるんじゃないだろうか。

映画「タイタニック」の前半部分

物語はタイタニック号の沈没から84年後の1996年、海底に沈むタイタニック号から1枚の絵が引き上げられ、それが報道されたことから始まる。

この絵をテレビで見た101歳の老婆が、タイタニック探索チームのもとを訪れる。

なんと、ローズというこの老婆は84年前、17歳の時にタイタニック号に乗っていた生き残りだという。物語は彼女の思い出話として始まる。

1912年4月10日。「世界最大の豪華客船」「不沈船」「夢の船」と様々な称号で呼ばれたタイタニック号がイギリスはサウサンプトンを、ニューヨークに向けて出港する。

その5分前、この映画のもう一人の主人公、貧乏画家のジャックが慌てて船に飛び乗る。

今だったら「5分前に飛び乗る」なんて絶対に無理だろう。新幹線じゃないんだから。

船に乗る前にパスポートの確認とか、手荷物検査とかあって、乗ったら乗ったでまずは避難訓練がある。その後出航の準備が整ってようやく出航するのだ。

ジャックは3等船室に案内される。そこには2段ベッドが二つあるだけ。ちなみに相部屋だ。

この辺はオーシャンドリーム号によく似てる。

オーシャンドリーム号の安い船室は、船室にシャワー室があるぶん、もうちょっと広いが、二段ベッドしかない相部屋、といういいではほとんど変わらない。

3等の乗客が乗るスペースではほかにも、夜に音楽とダンスでバカ騒ぎする描写などが描かれており、どことなくピースボートでの船内生活を思い出させる。

さて、映画を見て気になったのが、

船酔いで苦しむ人の姿が見えない、ということ。

僕が船に乗っていた時は、1日目は船酔いに悩まされた。

僕の感覚では、乗客の3分の1は船酔いに苦しめられていた気がする。

ところが、映画の中ではジャックもローズも、その周りの人たちも、まるで丘の上のホテルにいるかのようにくつろいでいる。

「初日」はそんな生易しいもんじゃないぞ!

もちろん、個人差があるが、酔う人は酔う。体が船に慣れていない分、症状はよりひどい。

23ノットというハイスピードで進んでいたら、登場人物の25%くらいは船酔いにやられて、死んだ魚のような眼をしていておかしくない。食事ものどを通らない。

大西洋はそんなに揺れないんじゃないか、とも考えたが、決してそんなことはない。

むしろ、大西洋は、揺れる。

ジブラルタル出航の日、地中海から大西洋に出た瞬間にいきなり揺れが大きくなったくらいだ。僕が船に乗っていた108日間の中で一番大きな時化に出会ったのも大西洋だった。船が大きく揺れ、一瞬浮いたんじゃないか、と錯覚したほどだ。

大西洋は揺れるはず。そして、初日はもっとみんな死んだ魚のような眼をしているはず。

ちなみに、僕の船酔い対策は意外にも「動き回ること」である。

じっとしていた方がよさそうな気がするが、じっとしていても船は揺れるのを止めてくれない。

自分の意志とは裏腹にゆらゆら揺れているから気持ち悪くなるのである。こういう時は歩き回ったり、音楽に合わせて踊ったりすると、自分のペースで動くため、次第に酔いが治る。科学的根拠はないが、身をもって実証済みだ。

また、映画の中ではジャックが乗船早々にイルカを発見しているが、そんな簡単にイルカは見つからない。

さて、物語はジャックとローズの出会いへと移っていく。ローズは上流社会の令嬢だったが、家は没落寸前で、そんな家を救うために親の決めた相手と結婚することに。上流社会での数十年先まで見通せる日々は退屈を通り越して絶望的で、ローズは船から身を投げようとするがそこをジャックに救われる。

次第に惹かれていく二人だが、二人の間には身分の違いという越えがたい壁が……。

要は、船上の「ロミオとジュリエット」である。確かに、「身分差のある恋物語」というのは面白いが、少々使いまわされてる感も否めない。

そしてスタートから1時間20分で、あの有名なシーンが訪れる。

セリーヌ・ディオンの歌う主題歌が流れる中、船の一番前で、ローズが両手を広げ、ジャックがそれを支えるという、タイタニックを代表するシーンだ。当時、多くの人が屋上とか遊覧船とかでこれを真似した。

客船に乗るのなら、一度はやってみたいシーンである。

だが、残念ながら、現代の客船ではこれをやることは難しい。

船の一番前には行けないのだ。

僕自身、船の一番前で「野郎ども、島が見えたぞー!」と叫ぶのが夢だったのだが、残念ながら、地球一周の108日間の中で一度もこれをすることはできなかった。

船の前方、特にブリッジ(操縦室)よりも前のスペースに行けるのは、作業員の人だけである。

スエズ運河とかパナマ運河とか、航海の中でも見どころとなるところでは船の前方がちょっとだけ開放されるが、それでも、「一番前」には近づくことすらできない。

ちなみに、この船の一番前というのはブリッジから丸見えなので、「船長にばれないようにこっそりと忍び込む」など絶対に無理だ。一歩足を踏み入れた時点で絶対にばれる。

船長をはじめクルーが居眠りでもしていれば話は別だが、そんな船は早晩沈むので、乗らない方がいい。

よしんば近づけたとして、ここでもう一つ残念なお知らせがある

船は、前方の方が揺れる。

当然、一番揺れるのは、一番前である。

そう、タイタニックのあの名シーンに必要不可欠な「船の一番前」は、船の中で一番揺れるのだ。

穏やかな波の日ならいいが、さっきも書いたように、大西洋は結構揺れる。

おまけに船の先端は波をかき切るため、波しぶきがかかる。

時化の日など、水が地上6階に相当する高さまで跳ね上がる。

これはもう、びしょぬれになる、程度では済まない。下手したら揺れと水で足を滑らせて頭を打ってあの世行きだ。

それでも、タイタニックに乗ってみたい!

さて、かの有名なシーンのところで、映画の時間軸は96年の時点へと戻る。上映時間もちょうど折り返し地点だ。

ローズが船の一番前で両手を広げてからわずか6時間後に、タイタニック号は氷山にぶつかってしまう。ここからが映画の見せ場なのだが、長いので今回はここまで。

最後に、僕のここまでの映画の感想を記そう。

ぶっちゃけ、ここまでの話は「船上のロミオとジュリエット」である。既視感が強く、どうしてこの映画がヒットしたのかいまひとつわからない。

ただ、既視感が強いのだけれど、やはり映画に引き付けられてしまう。「身分差のある恋物語」はやっぱり強い。

そして、船オタクとしてはこうも思う。

タイタニック号に乗ってみたい!

ただでさえ客船というだけで心躍るのに、20世紀初頭のアメリカの空気をたたえた船である。

1等客室はローズでなくても息が詰まってしまいそうだが、3等客室の飲めや歌えやのバカわさぎっぷりは、ピースボートで「船に終電はない!」とバカ騒ぎしていたころにそっくりだ(終電はないけどあまり騒ぎすぎると苦情が来ます)。

ああ、一度でいいから、タイタニック号に乗ってみたい。

たとえその船が6日後に沈む運命だとしても!

さて、次回はいよいよ、船が沈むクライマックスである。「船が沈む」とは一体どういうことなのか、どうすれば助かるのか、船旅経験者の目線で見ていきたい。

新宿と上野が「カオスの街」となった理由

なぜ、外国人街と風俗店街は隣り合ってるのか? これまで新宿と上野を舞台になんと3回に分けてその理由を考察してきたが、ついに最終回である。なぜ、新宿と上野だけが「カオスの街」となったのか。そのカギを握るのは、民俗学で言うところの「境界」なのではないだろうか。


これまでのあらすじ

きっかけは、西川口のチャイナタウンに行った時だった。チャイナタウンと風俗店街が隣り合っている風景を見ているうちに、外国人街と風俗店という組み合わせは多いのではないか、と考えるようになった。

東京では、新宿と上野がそうだろう。

新宿は日本最大の歓楽街・歌舞伎町があり、歌舞伎町から道路を挟んで反対側は、やっぱり東京最大のコリアンタウン、新大久保だ。

上野はアメ横内にアジアの料理を出す屋台が多い。アメ横の周辺には「キムチ横丁」をはじめとした韓国料理屋が多い一方で、風俗店街も多い。

そのすぐ北にはラブホテルが密集する鶯谷がある。さらにその北にはやはり在日コリアンが多く住む三河島がある。

外国人街と、風俗店街は確かに密接な距離にあるのだ。

その歴史をたどると、戦後の闇市の時代に行き着く。

闇市の時代では、テキヤをはじめとするアウトロー集団や、第三国人と呼ばれる在日アジア人たちが力を持っていた。

本来、アウトローはやはり町で大きな力を持つことも、外国人が日本で土地を取得して町を形成することも、難しい。だが、闇市の時代はあらゆる秩序が崩壊し、それが可能だったのだ。

こうして、闇市の時代に新宿や上野では外国人街や風俗店街へと移り変わる土壌が出来上がる。それまでの常識や秩序が崩壊し、権力の外にいたアウトローや外国人が、闇市の時代に力を手に入れたのだ。

だが、ここで疑問が一つ残る。

闇市の時代に外国人やアウトローが力を持つ。

これは何も、新宿と上野に限った話ではない。

東京のいたるところに闇市が立ち、どこの闇市でも大体状況は同じだったはずである。

だが、今、東京でも風俗店街や外国人街が密集しているのは、新宿と上野くらいである。

ほかの町では、闇市の時代に一時的に彼らが力を持とうとも、警察機能や地権者が力を取り戻すにつれ、その影響力は失われていったはずである。

だが、新宿と上野はそうはならなかった。形を変えて、外国人街や風俗店街は生き残っていったのだ。

なぜ、新宿と上野だけなのだろうか。ほかの街とは何が違ったのだろうか。

そのカギを握るのが、「境界」という言葉である。

境界がカオスをはぐくんだ

境界。すなわち、どこかとどこかの境目。

身近な境界では、敷地と公道の境目とか、自分の土地とよその土地の境目とか、県境とか、国境とか、とにかく、どこかとどこかの境目である。

民俗学の世界では、この境界はなかなか興味深い場所だ。

いまでこそ、県境はただの「行政区分の変わり目」程度の存在でしかない。

しかし、かつては「村境」というと、「この世とあの世の境」のような扱いだった。

村の外には山や森、人の住まぬ荒れ野原などが広がり、そこには妖怪や幽霊がいると信じられていた。

村の外は人の住まない世界、異界だったのである。

村人たちは、そういった村の外から魔物のようなよくないものがやってくると信じていた。

だから、村境に庚申塚のような魔よけの石仏を置いて、魔物の侵入を防いでいたのだ。

また、神社やお寺は、村と山の境目に作られることが多い。

村は人が住むところ、山は獣や物の怪の住む異界。その境目に、人が神や霊と接する場所である寺や神社を作るのだ。

それは、何も小さな村だけの話ではない。大きな都市も同じである。

たとえば、古都・鎌倉を見てみると、鶴岡八幡宮をはじめとして、多くの寺社仏閣が山沿いに建てられている。

境界から向こう側は、村の常識や秩序が通用しない、カオスな異界なのである。

さて、日本において「外国人街」は異質な存在である。また、都市部においても「風俗店街」は秩序から外れた異質な存在だ。

しかし、こういった街は、客商売をしている店が多く、都市から離れすぎると人が来なくなり、街が成り立たない。

都市の真ん中にあるには異質すぎる。だが、都市の外側では街そのものが成り立たない。

だから、都市の中と外の境界にできる。

境界には、都市の秩序や常識から外れたものをはぐくむ力が、「カオスをはぐくむ力」があるといってもいい。

実際、村境には寺や神社、魔よけなど、村の中の理から外れた、人の世ならざるものと交流できる場所として機能してきた。

怪談話や怪奇現象が起きるのも、決まってこの境界部分である。

では、「東京の境界」とはどこだろうか。

東京の境界はどこだ?

東京の境界? そんなの、東京と他県の県境に決まってるだろう。荒川とか、江戸川とか、多摩川とかを指すのだ。

と思ったあなた、それは「東京都の境界」である。

そうではなく、「都市としての東京の境界」、すなわち、『東京における、都市部と郊外との境界』はどこなのだろうか。

「ここだ!」という明確な答えはないのかもしれない。「ここからこっちが都市部で、ここからこっちが郊外です」という明確なラインはないからだ。

だが、それを探す手がかりがある。

それが「江戸の境界」である。

江戸の町というのは、今の東京都と比べると、かなり小規模だった。東京23区よりも小さい。

その境界は、東は錦糸町のあたり、西は新宿、南は品川、北は千住と言われていた。

南千住には「泪橋」という橋がある。あしたのジョーが丹下段平と出会った場所として有名だが、この泪橋とは処刑場跡地でもある。罪人はこの橋を渡って処刑場へと向かう。そして、この橋が家族との最後の別れの場所でもあり、家族は涙を流して見送ったため、どこの町でも処刑場へと続く橋は「泪橋」というのだ。

死のケガレと密接にかかわる処刑場は都市の真ん中には作れない。かといって、都市から離れすぎたら不便だ。そのため、都市の境界に作られた。

さらに、南千住は江戸最大の遊郭、吉原とも近い。境界がカオスをはぐくむというのなら、江戸の北の境界に、江戸最大のカオス、吉原があるのも納得だ。

一方、品川は江戸の南の玄関口だ。つい最近、品川と田町の間の新駅の名前が「高輪ゲートウェイ」だと発表され、「くそだせぇ!」と話題になったが、この「ゲートウェイ」は江戸の入り口だったことが由来だという。

江戸時代、品川は宿場町だった。日本橋から出発する東海道、最初の宿場町である。

江戸を出ていくものからすればまさしく江戸の出口だったし、江戸に向かうものからすればまさしく江戸の入り口である。

さて、この品川の宿場は飯盛り女がいたことで有名である。

飯盛り女とは、超簡単に言えば、娼婦だ。

品川もまた、境界であるが故のカオスを持っていたのだ。

ちなみに、終戦直後、日本にやってきた米兵を性的な意味で接待するためのRAAという施設が作られたが、その第一号ができたのも品川、大森海岸だった。

西の境界線、新宿も同様である。甲州街道の宿場町であり、やはり新宿にも飯盛り女がいた。今でも墓が残っている。

新宿も境界であるがゆえ、寺が多い。

新宿は世界一の乗降者数を誇る駅である。それは、新宿駅の改札をくぐる人が多いだけでなく、新宿で乗り換える人が多いことも意味する。郊外から都市部へと通勤通学する人たちが新宿駅で乗り換える。都市部から郊外へと出ていく人が新宿駅で乗り換える。今も新宿は東京の境界にある街なのだ。

では、上野はどうなのだろうか。江戸の境界が千住だというのなら、上野は境界ではないことになる。

だが、上野には寛永寺がある。寛永寺は江戸城の鬼門に作られ、江戸を霊的な力で守る役目を背負っている。そのすぐ北には谷中墓地があり、広大な墓場が広がっている。

上野もまた、この世ならざるものと接触できる「境界」だったのだ。

江戸の都市全体としての境界は千住だったが、都市の中でもさらに中心部と下町に分かれる。その境目こそが上野だったのではないか。

江戸が終わり東京になると、上野は境界としてさらなる役目を背負う。上野は、東北方面へと向かう列車の始発駅であり、「北の玄関口」と呼ばれていた。

終戦直後には郊外へ食糧を調達しに行った人が、上野で検閲に引っかかって没収された。この時代もやはり、上野は境界の街だったのである。


境界には、カオスをはぐくむ力がある。

かつては、幽霊や妖怪、神様のような人ならざる者、この世ならざる者との接点が境界だった。

今では「境界の向こうにはお化けが住んでいる」などと信じる人は少ないだろう。

だが、境界には風俗街のようなアウトローな街ができたり、コリアタウンのような外国との接点が生まれたりする。

それは、都市の一部でありながら、都市の常識や秩序に縛られない、境界の持つ「カオスをはぐくむ力」があるが故である。

境界には、カオスをはぐくむ何かがある。

新宿の歓楽街も上野のアメ横も、はぐくんだのは戦後の闇市だった

新宿と上野も、アジアンタウンと風俗店街が隣接している。なぜ、アジアンタウンと風俗店街は隣り合うのか。そして、なぜ、新宿と上野なのか。その理由を戦後の闇市という観点から紐解いていきたいと思う。新宿と上野は、いや、東京という町は、戦後の闇市から生まれた街なのだ。


これまで、このブログでは新宿と上野を歩きながら、以下のことを見てきた。

・風俗店街と外国人街が隣接、混在している。

・どちらの町も、江戸において中と外の境界、異界との入り口にあった。

風俗店街と外国人街の奇妙な関係 新宿編

風俗店街と外国人街の奇妙な関係 上野編

なぜ、外国人街と風俗店街が隣り合うのか。それを紐解くには、新宿と上野の歴史を見ていかなければならない。

その始まり、「戦後の闇市」の時代を。

戦後の闇市の姿

「東京の歴史を探る」という話をしたら、江戸時代から始まるのがふつうな気もする。

だが、残念ながら現代の東京に江戸の町並みはほとんど残っていない。江戸時代を彷彿とさせる建物が残っていたら、東京ももっと違った街になったろうに。

江戸時代はおろか、明治・大正の町並みすら残っていない。なぜだろうか。

いろんな要因があるだろうが、その一つが「第二次世界大戦」である。

東京大空襲をはじめとする空襲で、ほとんどの建物が焼けてしまったのだ。

新宿だ上野だといったターミナル駅の周辺も、終戦直後は建物なんてほとんどなかった。

もっとも、こういったターミナル駅の周辺は、火事になるのを防ぐために住民を疎開させて、先に建物をぶっ壊して更地にしておくという「交通疎開空地」と呼ばれる場所も多かった。

まあとにかく、終戦直後の東京は今の東京からは想像もつかない焼野原、「ほぼ更地」だったのだ。

さて、戦争が終わり、一抹の開放感はあったものの、何よりも大事なのは自分や家族の命、今日のご飯と明日のパンツである。なんとしても食糧を手に入れなければいけない。

そういった事情から、東京の駅という駅の周りには闇市が立った。露店やバラック小屋で、食料品や日用品を売っていたのだ。

しかし、なぜ「闇市」というのだろう。

「闇市」の夜「闇」とは、「非合法」という意味だ。

露天商にしてもバラック小屋にしても、不法占拠だった。法的にそこで商売する権利は何もない人たちが、勝手に居座って商売をしていた。

さらに、政府による食料統制もあったため、勝手に食料を売ってはいけないことになっていた。

闇市を取り仕切っていたのも、テキヤというアウトローな集団だった。

闇市は違法行為なんだけれど、それを取り締まっていたら、食糧が手に入らない。東京高校の教授だった亀尾英四郎や、東京地裁の判事だった山口良忠は、闇市での食料購入を拒み、餓死した。山口は日記の中で「食料統制は悪法だ」と断言しつつも、それでも法の順守を貫いた。

逆に言うと、法律を守っていたら食べ物が手に入らずに死んでしまう時代だったのだ。

警察も取り締まりを行っていたが、終戦直後の混乱期ではやはり警察機能の弱体化は否めない。

さらに言えば、警察は黙認どころか、裏で闇市を推奨していた。新宿西口の安田マーケットは、テキヤの「安田組」が取り仕切っていたが、安田組にマーケットを仕切るように依頼したのは、なんと警察署長だった。闇市は違法だが、このままでは第三国人に新宿を乗っ取られかねないと危惧した警察署長が、そうなる前にと安田組の親分に西口のマーケットを仕切るように依頼したのだ。もちろん、西口のマーケットも不法占拠だ。

それにしても、どうしてこうもホイホイ不法占拠ができるのだろうか。

いまの新宿でどこか空地があったとして、そこで勝手に商売を始めれば、必ず地権者がやってきてけんかになるだろう。

つまりは、地権者にばれなければ、不法占拠は継続できるのだ。

終戦直後、地権者はどこへ行ってしまったのかというと、たいていが疎開していた。

終戦直後の東京は誰もかれもが今日を生きるのに精いっぱい。更地になってしまった土地なんてどうでもよかった。そんなことよりも必要なのは今日のご飯、明日のパンツである。実際、新橋でマーケットを仕切っていた中国人が、新橋の土地の地権者に土地を譲ってもらえないかと頼みに地方へ出向いたところ、実にあっさりと譲ってもらえたという。土地を守るよりも、土地を売って食費に変えた方がいい、そういう時代だったのだ。服を売って、家財道具を売って、そうしてあるもの全部売って食費に替えることを「タケノコ」と呼んだ。

だいたい、東京の闇市で売られている食糧は地方から運ばれてきたものである。食事のことを考えると、わざわざ東京へ戻るくらいなら疎開先の地方にとどまったほうが、食糧が手に入りやすい。

そういった事情があるから、東京の地権者たちは戦争が終わってもすぐには帰ってこなかった。そこをこれ幸いとテキヤだの第三国人だの浮浪者だのが占領し、闇市を開いていた。

だが、それは戦後、警察機能が弱体し、地権者が帰ってこれなかった間、それまでの秩序が崩壊したつかの間にしか成立しない。闇市は昭和22年にはほとんど姿を消してしまう。このころになると警察は力を取り戻し、地権者たちも地方から帰ってくる。地権者が帰ってきて闇市を見れば、当然「出てけー!」という話になる。

そこで出ていく者もいれば、土地を買うなり借りるなり、ちょっと場所を移すなりしてそのまま残る者もいた。今の東京の繁華街の多くは、こうした闇市が残り、発展したものだ。

闇市とアメ横

上野のアメ横もそんな街の一つだ。

アメ横には終戦当時、関西からやってきた朝鮮人が多く集まっていた。また、「パンパン」と呼ばれる売春婦も多くいて、彼女たちは桜のマークに「Ueno」と書かれたバッヂを作り、連帯を深めていた。

朝鮮人たちを中心とする第三国人は、仲御徒町の線路沿いで石鹸を売っていて、その一帯は石鹸町と呼ばれていた。

この第三国人は日本人とのいざこざが多かった。上野一帯の第三国人は7割が学生だったという。

やがて、復員軍人や中国からの引揚者からなる近藤マーケットが第三国人をアメ横から追い出す。この近藤マーケットが、今のアメ横へと発展していった。

追い出された第三国人はどこに行ったのかというと、アメ横から大通りを挟んだ反対側にキムチ横丁という街を作った。

ここで重要なのは、終戦後の上野には外国人、特に朝鮮人が多かったこと、そして、彼らはアメ横から追い出されても、上野にとどまり続けたことである。

すなわち、上野は闇市の時代から、朝鮮人をはじめとするアジア人の集まる街になったのである。

闇市と新宿、歌舞伎町の始まり

「光は新宿から」。新宿の尾津マーケットを取り仕切ったテキヤの親分、尾津喜之助が掲げたスローガンだ。

新宿駅前では尾津組や安田組と言ったテキヤ集団が闇市を取り仕切っていた。

だが、戦後1~2年もすると、地権者たちが帰ってきて、闇市の時代は終わりを告げる。

さらに、小田急電鉄が新宿の開発に乗り出す。新宿は小田急の始発駅。始発駅のブランド価値を高めることによって、新宿発の小田急のブランド価値も高まる。こうした開発の波に小さな店は飲み込まれていった。

新宿西口線路沿いの思い出横丁は、レトロな雰囲気を残す場所として、連日多くの人が狭い路地に集まる。ここは、闇市の店が戦後、地権者から正式に土地を購入して残ったという、新宿でも非常にレアなケースだ。

さて、新宿、いや、東京最大の歓楽街と言えば歌舞伎町である。歌舞伎町もそうして闇市が発展したものだ。

……と言いたいところだが、実は違う。

もともと、今の歌舞伎町の一帯は武家屋敷の跡地、「大村の森」と言われる森だった。今の大久保病院の前には、池があり、花道通りは川だったという。なるほど、確かに花道通りは、まるで川のように蛇行しているし、歌舞伎町内には水の神様である弁天様が祭られている。

大久保病院自体がそもそも、コレラや伝染病を専門とする、隔離病院だった。歌舞伎町は、そういう病院を作るような、町はずれの場所だったのだ。

終戦後、この「大村の森」は駅から遠すぎて、闇市は立たなかった。一方、町会長だった鈴木喜兵衛は劇場や映画館を中心とした、浅草のような演劇の街をこの地に作ることを構想する。その中心となるのが、歌舞伎座の誘致だった。ゆえにこの地は歌舞伎町と名付けられ、開発が行われた。

だが、この計画は思うようにはいかなかった。歌舞伎座の誘致に失敗したのもあるが、やはり駅から遠すぎたというのが一番の難点だった。

一方、新宿駅前では地権者たちや警察の力がよみがえり、闇市の時代が終わった。そこであぶれた商売人たちが、新宿の北に新しい街ができたと聞きつけ、歌舞伎町で商売を始めるようになった。

やがて、1950年になると朝鮮戦争がはじまり、日本は戦争特需といって朝鮮半島で戦うアメリカ軍に物資やサービスを提供することで、景気が向上する。歌舞伎町もその影響でにぎわいを見せ始めた。

1951年には歌舞伎町内に東京スケートリンクが開業し、これがヒットする。

1952年には歌舞伎町のすぐわきに西武新宿駅が開業。さらに都電の停留所も二つ作られ、最大のネックだった「交通量のなさ」が解消された。

そして1956年には歌舞伎町の中心となる新宿コマ劇場(現在の東方の映画館)がオープン。

こうして、歌舞伎町は発展していくが、昭和30年代はまだ、今のような歌舞伎町とは違い、風俗店だやくざの事務所だといったものはなく、むしろとんかつ屋だ、お茶屋さんだ、パーマやさんだ、工務店だ、パン屋だ不動産だと、どこの町の商店街にもあるような店が並ぶ、庶民的な街だった。「ロボットレストラン」がある桜通など、職人街だったという。今でも歌舞伎町にはこういった店がまだ残っている。

このころは喫茶店ブームで、歌舞伎町にも多くの喫茶店があった。

この喫茶店の経営者には台湾人をはじめとする第三国人が多かった。彼らはもともと、西口の安田マーケットで店を構えていた人たちだ。

歌舞伎町の中では特に台湾人の果たした役割が大きく、花道通りには今でも「台湾同郷協同組合」のビルが建つ。

さて、昭和40年代になると、歌舞伎町の北側にホテルが建つようになったこの一帯は今でもラブホ街となっている。

どうしてホテルなのかというと、商品や技術がなくても、建物さえあれば商売できるから、らしい。

このころになると暴力団が歌舞伎町に増え、犯罪も増加する。ソープランドやストリップ劇場と言った、いわゆるいかがわしいお店も増えてきた。

1980年ごろになるとノーパン喫茶だののぞき劇場だのといった、もはやいかがわしさしかないお店が増える。こうして今の歌舞伎町になっていった。

歌舞伎町は鈴木喜平の想像を超える規模に発展したと思うが、たぶん、方向性は彼の想像とは全然違うと思う。

関東最大のコリアンタウン・新大久保

その歌舞伎町のすぐ来たのは新大久保のコリアンタウンがある。平日でも韓流大好き女子が集まり、遊園地のような賑わいを見せている。チーズダッカルビをはじめとした最新の韓国グルメがウリだ。

さて、どうして新大久保がコリアタウンになったのかについては、諸説ある。

そう、諸説あるのだ。東京のど真ん中、しかもここ数十年のことなのに、どうして諸説あってしまうのかわからないが、とりあえず諸説ある。

諸説その①

新大久保駅のすぐ北には1950年から2017年までロッテの工場があった。今では住宅展示場になっている。

ロッテの創業者は韓国人でロッテの工場にも多くの韓国人が集まっていた。彼らは工場の近くに住み、それがコリアンタウンのもととなった。

諸説その②

歌舞伎町には多くの韓国人が住んでいた。闇市からの流れを考えれば、歌舞伎町に多くの第三国人がいたことは不思議ではない。彼らが90年代になって新大久保に店を出すようになった。

さて、どっちの説が本当だろうか。

たぶん、どっちも本当なのだと思う。新大久保にロッテの工場があったのは事実だし、ロッテの創業者は韓国人だ。韓国人が始めた工場に韓国人が集まるのも自然なことだろう。

そして、彼らが工場の周りに住むのも自然なことだ。これが1950年代の話。

この時点で多くの韓国人が新大久保に住んでいたはずだが、今のようなコリアンタウンの姿とは程遠かったはずだ。

何せ彼らは工場の労働者であり、韓国料理屋をやっていたわけではないのだ。

そこに90年代になって、歌舞伎町内にいた韓国人たちが合流した。90年代の歌舞伎町と言えばすでに一大歓楽街となっていた。そこにいた韓国人たちは接客のプロだった可能性が高い。

彼らは新大久保に移り住み、そこに住む韓国人を呼び込むために、韓国料理の店を始めた。こうしてコリアンタウン・新大久保が完成したのだろう。

第三国人とは何か

さて、ここまで、わざと解説しなかったのだが、さかんに「第三国人」という言葉を使ってきた。

今日では耳慣れない言葉だが、これは終戦直後の在日朝鮮人・在日中国人・在日台湾人のことを指す。

彼らの大部分は強制連行で連れてこられた者たちだ。日本兵として出征した者もいる。

だが、必ずしも全員が無理やり連れてこられたのではなく、中には自分の意志で日本の学校に留学している学生もいた。アメ横の第三国人の7割は学生だったという。

さて、戦争が終わって日本人たちは、戦争は終わったけれど食べモノがない、と途方に暮れたわけだが、同じように途方にくれたのは第三国人も同じだ。

植民地支配が終わり、「祖国に帰る」という選択肢も出てきたが、そんなに話は簡単ではない。

何せ、羽田からソウルや北京に直行便が出ているような時代ではないのだ。国に帰るには船に乗らなければならない。船に乗るには汽車に乗って港に行かなかければいけない。そこまでの交通費や船代も、決してタダではない。

そうまでして祖国に帰っても、そこで楽に暮らせるという保証は何もない。終戦直後の韓国や中国も混乱していたのだ。そもそも、植民地が裕福だったら、日本はこんなに困っていない。日本が疲弊すれば、植民地も疲弊する。

加えて、第三国民は当時、日本で特権的な立ち位置にいた。GHQは第三国人を解放国民として扱った。これは、日本の法の外に置く、すなわち、「まあ、ある程度の無茶は目をつぶりますよ」ということだ。

無理して祖国に帰っても、まともに生活できる保障はない。ならばこのまま東京にとどまって、せっかく得た特権をフルに使おうじゃないか。

こうして、第三国人は一気に勢力を強めた。GHQの横流し品も優先的に手に入れられたので、商売でも日本人より有利な立場になった。特に数が多かったのが朝鮮人で、闇市の時代、日本には90万人もの朝鮮人がいたという(それでも、140万人は帰国している)。

混沌の時代、ヤミイチ

いまここで第三国人の話を詳しくしているのは、こういうことを言いたいからだ。

アジア系の外国人が日本で土地を持ち、店を構え、街を形成できる唯一タイミング、それが、あらゆる秩序が崩壊した闇市の時代である。

闇市の時代でなければ、こんなことはあり得ない。どの町にも古くからの住民がいる。そこに割って入って、あれだけの規模のコリアンタウンを造るのは不可能だ。

終戦直後、警察の力が衰え、違法である闇市が公然と開かれていた。すりやかっぱらい、強盗が横行し、町角にはパンパンと呼ばれる街娼が立っていた。そこでは、それまで虐げられていた第三国人が力を持っていた。

法律、国籍、常識、道徳、そういったあらゆる秩序が崩壊した、「生きるためなら何でもあり」のカオスな時代。

こういった時代だからこそ、本来ならよそ者であるはずの外国人たちが異国の地である東京で力を持つことができ、その後の「外国人街の形成」につながっていったのではないだろうか。

それはいわゆるアウトローたちも同様である。本来ならば警察に取り締まられるべき立場のはずが、この時代に力を持った。闇市のマーケットはテキヤの親分たちが取り仕切った。何せ、警察署長がテキヤの親分に「不法占拠で違法な品を売るマーケットをやらないか」と持ち掛けるような時代である。法律も警察も何もあったもんじゃない、しっちゃかめっちゃかだ。

こういったアウトローたちは、上野に根付き、歌舞伎町に流れ込み、やがて町が発展していくにつれて人が集まると、やくざの事務所や風俗店の経営などに乗り出していったのではないだろうか。

もともと、この記事は「なぜ、西川口に中華料理屋が増えているのか」から始まった。

西川口駅周辺に中華料理店が増えたのはなぜだ‼?

西川口に中華料理屋が増えたのも、「そこにカオスがあったから」という叙事的なセリフで説明がつく。

もともと、西葛西は風俗街として有名だった。だが、一斉摘発で多くの店が廃業に追い込まれた。その跡地に中華街ができた。

人口が多い街なら、駅周辺もにぎわうのが自然というものだ。人口が多いにもかかわらず、駅前に空き店舗、ゴーストタウンが生まれるというカオスな状況。このカオスがあったからこそ、西川口はチャイナタウンになったのだ。

……とまあ、まるでまとめみたいに話をシメにかかっているが、実はまだ、大きな謎が残っている。

それは、「なぜ、上野と新宿だけなのか」という謎だ。

何せ、闇市はそこら中にあったのだ。新橋にも、秋葉原にも、錦糸町にも、池袋にも渋谷にも、中野にも、高円寺にも、何ならとんで埼玉にも。

そして、第三国人がいたのも、アウトローだのパンパンだのがいたのも、どこも同じである。新橋のマーケットは中国人が仕切っていたし、有楽町はパンパンガ多くいた。

だが、アジアンタウンや風俗街で有名なのは、新宿を中心とする一帯と、上野を中心とする一帯ぐらいである。

数ある闇市の中で、この二つが最もカオスを色濃く残したまま現在に至っている。

なぜ、新宿と上野なのか。秋葉原や錦糸町じゃダメだったのか。

これには、「境界」が絡んでくるのだが、その答えはまた次回。

参考文献

猪野健治編『東京闇市興亡史』

戦後の闇市に関する資料として現存し広く流通した者の中には、もうこれ以上の資料は存在しないのではないかという代物。今回、なんと神保町で昭和53年に出版された初版本を発見するというミラクルに恵まれた。

七尾和晃『闇市の帝王』

新橋のマーケットを取り仕切ったある中国人を取材したもの。新橋に限らず東京全域の闇市の様子が描かれている。

石榑督和『戦後東京都闇市』

新宿・池袋・渋谷の闇市の攻防が描かれている。論文なので内容は堅め。

稲葉佳子・青池憲司「台湾人の歌舞伎町-新宿、もう一つの戦後史』

歌舞伎町の歴史と、街を支えてきた台湾人たちを取材した本。

小説「あしたてんきになぁれ」 第20話「冷凍チャーハン、ところによりカップラーメン」

あしなれ、前回までのあらすじ

ミチのカノジョ、海乃は実は既婚者だった。ミチとの交際が海乃の旦那にばれ、ミチは激しい暴行を受ける。その日の夜、舞の家で治療を受けるミチにたまきは、海乃が既婚者であることをミチは知っていたのではないか、知ってるのに「何も知らなかった」と嘘をついているのではないかとぶつける。


第19話「赤いみぞれのクリスマス」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです。

「海乃って人が結婚してるって、ミチ君、知ってましたよね!?」

たまきはいつになく強い目で、まっすぐにミチを見据えた。

暗い部屋の中、外の明かりに照らされたたまきの顔は、ほんのりと紅潮している。

「え……、知ってるって……」

ミチは半笑いをしながら、窓の外を見た。

「海乃って人が結婚してるって、ミチ君、知ってましたよね!?」

たまきはもう一度同じ言葉を、より語気を強めていった。

ミチはたまきの方を向くと、左手で鼻の下をこすりながら、ひきつった笑顔を見せた。

「し……知ってたわけないじゃん。俺だって今日初めて知って……」

「私は知ってました」

たまきの言葉にミチの指が止まった。そのまま左手はだらりと下がるものの、顔は硬直したまま、たまきを見続ける。

「え……」

「私は海乃っていう人が結婚してるって知ってました」

「いつ……」

ミチはそう言って唇をかんだ。

「……大収穫祭の次の日の朝、その……ホテルから出てきた二人にあった、あの時です」

たまきはミチの方を見ながらも、ときどき記憶をたどるように左上を見ながら、しゃべり始めた。

「あの海乃って人……、『ひきこもりはダメ』みたいなこと言って、私の頭なでたんです……。その時、私、はっきりと見ました。左手の薬指に、指輪してるの……」

たまきは言葉を選ぶように続けた。

「最初は……、見間違いじゃないかと思いました。左手っていうのは私の見間違いかなって……。でも、あの時、海乃っていう人の右手は、ミチ君と手をつないでました。私の頭を撫でたのは、指輪をしてたのは間違いなく左手だったんです……。それでも、ほんとに薬指だったかなって……。でも、あの人、別れ際に私にゆっくりと手を振ったんです。左手で。その時、指輪が見えました……。間違いなく薬指でした……」

ミチは気まずそうに、ドアの方に目をやった。

「私、もしかしてミチ君、このことに気付いてないのかなって思いました。でも、この前、ミチ君の働いてるお店に行った時、ミチ君、海乃って人とハイタッチしてましたよね……。その時も私、はっきりと見ました……指輪」

たまきは、一度下を向き、それから、ミチを再び見据えた。

「私が気付いているのに、お付き合いしてたミチ君が気付いてなかったわけないじゃないですか……!」

ミチは気まずそうに唇をなめると、たまきをちらりと見やったが、すぐにまた目線をそらした。

「知ってましたよね……!」

「……まあ」

ミチは窓の外を見ながら答えた。

「……知ってて付き合ったんですか?」

「俺が知ったのも……たまきちゃんと同じくらいのタイミングだよ」

ミチはようやく、たまきの方を向いた。

「大収穫祭の夜に海乃さんとホテルに泊まって、……そん時、海乃さんが誰かと電話してて、誰って聞いたらダンナって……。そん時まで、海乃さん指輪してるの隠してて……俺、そん時初めて、海乃さんが結婚してるって知って……」

「……じゃあ、その時、お別れすればよかったんじゃないですか?」

たまきは一度ため息をつくと、言葉を続けた。

「その時、海乃って人ときちんとお別れてしていれば、今日、こんなことにはならなかったんじゃないですか?」

ミチは、何かをあきらめたような笑顔を見せた。

「たまきちゃんってさ、誰かを好きになったこととか、ある?」

「……ありませんけど」

「じゃあ、わかんないよ」

ミチは再び窓の外を見ながら言った。

「人を好きになるってさ、なんつーか、そんな単純なことじゃねぇんだよ。そりゃ、確かに浮気はルール違反なのかもしれないけどさ、恋愛ってもっとなんつーか、尊いもんで、一度好きになっちゃったらもう、そういう次元じゃ……」

「……ごまかさないでください」

たまきはいつになく低い声で言った。その喉の奥に何か熱がこもっているのをミチは感じた。

「そんなに、恋愛って大事なんですか……?」

「そりゃ……、まあ……」

「何よりも?」

「……そりゃ、そうじゃない?」

ミチはあいまいにはにかんだ。

「そうですよね。大事ですよね。ミチ君、そういう歌うたってますもんね。志保さんや亜美さん見てても、私とそんなに年が違わないのに、二人とも大人で、やっぱりそういう経験の差なのかなって思います。そういう経験が大切なんだっていうのは、なんとなくわかります。でも……、だったら……」

時刻はすでに夜の十時を回っていた。暖房の風の音が重苦しく響いていた。

「だったら、なんでそれを、言い訳の道具に使うんですか?」

「……」

再び暖房の音。そして、たまきの声。

「そういう経験ないからわかんないとか、そんな単純じゃないとか、結局、ただの言い訳じゃないですか。自分を正当化しているだけじゃないですか。恋愛が、人を好きになることが、そんなに大切なんだったら、どうしてそれを都合のいい言いわけの道具に使うんですか? それって、大事なものの価値を、自分で貶めてるってことですよね?  おかしいですよね? おかしくないですか?」

たまきは、いつの間にか椅子から立ち上がって、ミチに詰め寄っていた。ミチはたまきから目を反らし、ぐるぐる巻かれた右手の包帯に目を落とした。

「私、ミチ君が不倫してるってわかって、なんだかもやもやして……。でも、不倫はイケナイことだけれど、私がとやかく言う事じゃないし……、それに、ミチ君がそこまであの海乃って人のこと好きなら、もうしょうがないのかなって思ってました……。もし、不倫が相手のダンナさんにばれた時、ミチ君は海乃って人をかばって、それでも、恋を貫き通すくらいの覚悟なんだって勝手に思ってました。だから、今日、ミチ君が殴られて……、『知らなかった』っていったとき……、ショックでした……。ああ、そういう覚悟はなかったんだ、って……」

「……勝手に人を、ラブソングの主人公とかにすんなよ……」

「だってミチ君、そういう歌、歌ってたじゃないですか……!」

たまきはミチの布団をぎゅっとつかんだ。

「ずっと大事にするとか、ずっと守り続けるとか……!」

「よく覚えてんな……」

「結局、そんな覚悟なんてなかったんですよね……」

たまきは、震える唇を前歯で軽く抑えた。

「ミチ君も、海乃って人も、結局、本当に大事なのは自分たちだったんじゃないですか。自分たちだけ楽しければそれでいい。今が楽しければそれでいい。それを恋愛って言葉で包んで、ふたをして……、ひきこもってただけなんじゃないですか?」

たまきはミチの目を強くにらみつけた。

ミチは目をそらしたかった。だが、そらせなかった。

「確かに、あの男の人がミチ君にやったことは、やりすぎだと思います。でも、不倫されれば誰かが傷ついたり、怒ったりするのは、当たり前じゃないですか。あなたたちもわかってましたよね? 私より経験豊富なんだから、当然わかってましたよね? 私、ミチ君も海乃って人も、それでも貫く覚悟があるって思ってました……。そう信じたかった……。でも違った……」

たまきの脳裏に、いつかの海乃の言葉が蘇ってきた。

『引きこもり?へぇ~、かわいい~』

『あれ、でも、この子ヒキコモリなの?だって、外にいるよ?』

『ダメだぞ、ちゃんと学校に行かなきゃ』

声帯がけいれんして嗚咽を繰り返す。そうやって、たまきのことばを喉の奥へ奥へ通し戻そうとする。

それでもたまきは言葉をつづける。前にもこんなことがあったような気がする。

「都合のいい言い訳をして、現実から逃げて、目をそらして、自分たちだけの殻に閉じこもって、ひきこもっているのは、あなたたちの方じゃないですか! そんな人たちに、私がひきこもりだからって、不登校だからって、なんで馬鹿にされなきゃいけないんですか⁉ 本当に逃げてるのは、本当にひきこもってるのは、あなたたちの方じゃないですか‼ なんで私がばかにされなきゃいけないんですか‼」

そこまで言って、たまきの目からポロリとひとしずく零れ落ちた。

「あなたのことも、あなたみたいな人が作る歌も、私は、大っ嫌いです!」

 

たまきは飛び出すように、寝室を出た。

蛍光灯が白い壁を照らす。たまきはソファをにらみつけると、クッションを手に取り、勢いよく寝転がった。

部屋の奥にあるキッチンでは舞が何やら作業をしていた。

「もう十時過ぎてるのでー、大声出さないでもらえますかー。近所迷惑でクレーム来ちゃうので―」

舞がわざと語尾を伸ばしていった。その言葉にたまきが飛び起きる。

「ご、ごめんなさい! 私、先生の迷惑とか、周りのこととか、全然考えてなくて……!」

「そんな必死で謝んな。大丈夫だよ、となり、空き部屋だから」

そう言って舞は笑った。

「……聞こえてました?」

「お前の声だけ、ほぼ全部」

たまきはバツが悪そうに下を向いた。

「お前あんな大声で、あんなにしゃべるんだなって、聞いてて結構面白かったぞ。録音して亜美と志保にも聞かせてやりてぇ」

「え?」

「いや、録音してないから、大丈夫だよ」

そういって舞はまた笑った。

ピーッという電子音が舞の後ろから聞こえてきた。舞は振り返ると、電子レンジのドアを開ける。

舞はテーブルの上にどんと、出来立ての冷凍チャーハンを置いた。

「さてと……、夜食のチャーハンができたわけだが、どうする? 気まずいってんなら、あたしが行こうか?」

「私が行きます。そのために、ここに残ってるんで」

たまきはそういうとチャーハンのお皿に手を伸ばしたが、すぐに

「あつっ……!」

といって手を離した。

「おいおい、気をつけろよ」

舞は笑いながら、たまきに鍋つかみを手渡した。

 

寝室のドアがガチャリと開いて、リビングの明かりが漏れこむと同時に、たまきが何かを持って入ってきた。

「お夕飯はチャーハンです」

舞がドアを閉めると、再び部屋は薄暗くなった。

たまきはチャーハンを化粧台の上に置くと、部屋の明かりをつけた。

薄暗かった部屋が一気に明るくなる。お皿からはチャーハンの蒸気が幽かに立ち上っている。

ミチは、何かを避けるかのように窓の外へと目をやった。

「……俺のこと、嫌いなんじゃなかったの?」

「大嫌いです」

たまきは即座に答えた。

「だったら、そんな奴の世話なんか……」

「それとこれとは話が別です」

たまきは椅子に腰を下ろした。

「誰かを見捨てる理由なんて、口にしたくありません」

その言葉から少し間があって、ミチが口を開いた。

「でも、さっき、海乃さんのこと、見捨てるっつーか、突き放すようなこと言ったじゃん……」

たまきはチャーハンにスプーンを突き刺したまま、まるで米粒の数を数えるかのようにじっと下を見ていた。

「……わかってる。あんなこと、言いたくて言ったわけじゃないし……」

「……たまきちゃん?」

「なんであんな冷たいこと言っちゃったんだろ……」

たまきはそのまま、石のように動かなかったが、気を取り直したかのように立ち上がると、チャーハンのお皿をミチの顔へと近づけた。

「だからミチ君は見捨てません。右手、使えないんですよね。ほら、こっち向いて口開けてください」

ミチはたまきの方を向いた。たまきはチャーハンをスプーンですくい、ミチの方に差し出す。

ミチはそれをじっと見ていた。

「食べてください。食べないと、治るものも治りません」

「海乃さんが一度だけ……、まかない作ってくれたことあるんだ……」

ミチはスプーンの先から目線を落とした。

「チャーハンを……」

「そうですか。早く食べてください」

「これ見てたら、そのこと思い出したっていうか……」

「これは違うチャーハンです」

「でも、思い出しちゃうっつーか……」

「じゃあ、牛乳でもかけますか? そうすればチャーハンじゃなくなります」

「……食うよ」

ミチはスプーンの先にかぶりついた。

「……熱っちぃ」

「知りません」

たまきは、無表情のまま、再びスプーンをチャーハンに突っ込んだ。今度は、ミチに差し出す前に、軽く息を吹きかけた。

 

写真はイメージです。

「さあ、バッターボックス、志保選手が入りました。右投げ、右打ち、打率はえーっと……」

「亜美ちゃん、ちょっと静かにしてくれない? 集中できない」

志保はバットを構えた。正面を難しそうににらみつける。

深夜のバッティングセンター。客の入りは上々で、あちこちからボールがネットに突き刺さる音や、バットによって高く打ち上げられる音が聞こえる。

志保と向かい合ったピッチングマシーンからボールが飛んでくる。そのたびに志保はぶんぶんとバットを振るのだが、当たるどころかかすりもしない。

後ろのベンチで亜美はそれを頬杖しながらじっと見ていた。

「あ~、むずかし~」

ヒットはおろか、ファウルすらあきらめた志保がベンチへと戻る。

「お前は腕だけ振ってるからダメなんだよ。こういうのはな、全身運動なんだよ。体全体でボールを前へはじき返すのがコツだ」

亜美がバッターボックスに立つ。ピッチングマシーンから、勢いよくボールが放たれた。

「せいやっ!」

亜美がバットを振ると、カンという心地よい音とともに、ボールが放物線を描いて飛んでいく。

「そいやっ!」

今度の打線は少し低めだった。

「はーい、どっこいしょ―!」

「ねえ、その掛け声、必要?」

ベンチで息を切らしていた志保が尋ねる。

「掛け声のタイミングで、バットにボールを当てるのがコツだ」

そういって亜美は、再びバットを構える。

「よいよい―よっこらせ―!」

今の掛け声は、長すぎて逆にタイミングが合わないんじゃないか。志保はそんなことを考える。一方、亜美は、志保の方を向いた。

「プロ野球選手もみんな打つときに掛け声言ってんだからな」

「うそだよ。聞いたことないよ」

「そりゃお前、スタジアムは客でいっぱいなんだ。歓声で聞こえてねぇだけだよ」

そういうと、亜美はバットをまっすぐに構えた。

「お前、知ってっか? 叫んだ方が力が出るんだぞ」

亜美はバットを持ったままぐるぐる回りだした。

「ハンマー投げの選手とかさ、こう、ハンマー振り回して、で、投げるときに思いっきり『あー!』ってさけん……」

「亜美ちゃん! バット!」

亜美は、志保が指さす方を見た。

斜め上のネットに的のようなものが設置されている。ここにボールが当たればホームラン、という事だ。

亜美が見たのは、その的に、掛け声と同時に亜美の手からすっぽり抜けたバットが、まさに突き刺さる瞬間だった。

「あー!!」

亜美が今日一番の大声を出した。

 

写真はイメージです

ミチが寝たいと言ったので、たまきは部屋の電気を消した。

たまきがカーテンを閉めるといよいよ真っ暗になったが、ミチがちょっと明るい方がいいと言ったので、たまきは再びカーテンを開けた。

薄暗い部屋の中で、イブの夜に10代の男女が二人きり、と書くと何かロマンチックなマチガイでも起きそうだが、包帯ぐるぐる巻きのミチと、毛並みを逆立てた猫のようにイスに座るたまきとでは、マチガイなんて間違っても起きそうにない。

「あのさ……」

ミチが口を開いた。

「寝るんじゃなかったんですか?」

「今日、いろいろあったから……寝付けなくて……」

「全部ミチ君のせいです。ちゃんと反省してください」

たまきはどこか無機質な声で答える。

「よくさ、母親が寝る前に子供に昔話聞かせるっていうじゃん……?」

「……そうですね。私やお姉ちゃんもお母さんに読んでもらいました」

「なんかさ、昔話知らない?」

「……知りません」

たまきはどこかあきれたように言った。

「じゃあさ、たまきちゃんの昔話聞かせてよ。っていうかさ、お姉ちゃんいるんだ? あれ、たまきちゃんってどこ出身だっけ? そういった話……」

ミチはわざと明るい口調で言ったが、それを水をかけて打ち消すようにたまきは、

「絶対に嫌です」

とだけ言った。

ふたたび静寂が部屋を支配する。

「……もしかして、私がいるの、気まずいですか?」

ミチはすぐには答えなかった。しばらく静寂を聞いた後、口を開いた。

「まあね……」

「私は舞先生から、ミチ君に何か異常があったらすぐに知らせるように頼まれてここにいます」

「でも、見られてると寝づらいっていうか……」

たまきは立ち上がると、ミチに背を向けて座りなおした。

「うん……まあ……ありがとう……」

 

電気を消してしばらくの間、ミチは横になっていたが、やがてトイレに行きたいと言い出した。たまきはその旨を舞に知らせ、舞がミチを連れてトイレに行く。

今のミチは一人でトイレに行けない。右手は包帯でぐるぐる巻きだし、満足に歩けない。

ミチはたまきが来る前から踏まれたり蹴られたりしていて、歩くたびに左足が痛いと言っていた。舞は「サイアク骨に亀裂入ってるかもだけど、まあ、しばらくおとなしくしてりゃくっつくから」とテキトーな診断をした。

ミチをトイレに連れて行った舞が戻ってきた。ミチに肩を貸しながら部屋に戻る。

「お前さぁ、いくつだよ?」

「……十七っす」

「何が見られて恥ずかしいだよ。あたしが気にしねぇっつってんだから、別にいいじゃねぇか。お前だってカノジョいんだろ? やることやってんだろ?」

ミチは少しさみしそうに、

「カノジョがいたのは……今日の夕方までっす」

とだけ言った。

「ああ、そうだったな。悪い悪い」

そいうと、舞はミチを投げ飛ばすかのように、ベッドの上に放り投げた。

「いたた……。先生、俺、けが人なんすから、もっと丁寧に……」

「けが人? 不慮の事故に巻き込まれたとかなら同情してやるけど、お前勝手に怪我して、勝手にウチ来て、あたしの仕事邪魔してんだからな。言っとくけど、あとで5000円くらいもらうからな」

「え?」

「バカ! ちゃんとした病院に入院してたら、この3倍くらいかかるからな、お前」

そういうと、舞はドアの方へと向かう。たまきは、申し訳なさそうに舞を見た。

「ごめんなさい。私が、その、おトイレの世話できないから、先生に代わりにやってもらって……」

「お、じゃあ、次はお前がミチのパンツ下ろす?」

「次もよろしくお願いします」

たまきは間髪入れずに頭を下げた。

「じゃ、あたし、隣にいるからなんかあったら言って。たまき、ミチが寝たらこっち来ていいぞ」

そういって舞は部屋を出ようとしたが、振り返ってたまきの方を向くと、

「けんかするなよ」

と言ってニッっと笑った。

「私、けんかなんてしてません」

ドアが閉まった後、たまきが不満そうに、珍しく口を尖らせた。

「先生にも聞こえちゃったのかな、さっきの話」

「全部聞こえたって言ってました」

たまきが淡々と答えた。

「そっか……知られたくなかったなぁ……」

「知りません」

たまきはミチから目をそらしてそういった。やがてミチの方を向き直ると、

「自業自得です」

とだけ付け足した。

ミチはたまきの顔をじっと見ていた。

たまきはミチの視線から逃げるように立ち上がる。

「寝るんですよね。電気、消しますね」

部屋の入り口にあるスイッチへとたまきは向う。

不意に、ミチの声がたまきの背中へと投げかけられた。

「……その目だ」

「え?」

たまきは壁のスイッチに手を触れたまま、押すことなくミチの方へと振り返った。

「海乃さんってさ……、なんつーか、ちょっとのことでは物おじしない人なんだよ……。それが何であの時、引き下がったのか不思議だったんだ……」

「あの時って……いつですか?」

「たまきちゃんが『地獄を見ればいい』っていった時」

スイッチに触れていたたまきの手が、だらりと下がった。

「あの時、海乃さん、何かにおびえるような目をして、逃げるように去ってったんだ」

「……よく覚えてますね」

たまきは下を見ながらつぶやいた。

「海乃さんらしくないなって思って、何がそんなに怖かったんだろうって。でも、わかった。その目だ。たまきちゃんのその目が怖かったんだ……」

「……そうですか」

たまきはそれだけ言うと、電気を消した。

 

写真はイメージです。

「やっぱさ、スジ通んなくね?」

亜美が缶ビールのプルタブを開けながら言った。

「城」で開かれていたクリスマスパーティは、たまきからの緊急通報でお開きになった。志保は「城」に帰ってきてからパーティの片づけを始めたが、亜美はもったいないからと言って、手を付けられることのなかった缶ビールを飲み始めた。

「何が?」

志保がごみ袋に紙コップを放り込みながら聞き返す。

「だってさ、ダンナいるのに不倫したのはあのオンナだろ? やっぱり、あいつが無傷っておかしいだろ」

「まだその話?」

志保があきれたように言う。

「そもそもさ、不倫するんなら結婚すんなよな、って話じゃん」

志保は聞き流すかのようにせっせと片づけを続けていたが、不意に手を止めた。

「……その理屈、ヘンじゃない?」

「は?」

「いやそれだと、最初から不倫するつもりの人が結婚するのがよくない、って言い方じゃない。そんな人いないでしょ? 結婚してるのに不倫するのがいけないんでしょ?」

「いや、どうせ不倫するのに、結婚するのはスジ通んねぇだろ」

「いやだから、『どうせ不倫する』っていうのが変じゃない? 最初から不倫する前提っていうのが。まず結婚して、それから不倫するのであって……」

「だから、どうせ不倫するのに結婚すんなっつってんじゃん」

しばらく、二人は見合っていた。

「……合わねぇなぁ、ウチら」

「合わない」

「たまき、早く帰ってこねぇかなぁ」

「明日にならないと帰ってこないよ。もう夜遅いし」

「誰だよ、たまき、先生の所に置いてきたの」

「亜美ちゃんだよ」

志保は再び片づけを始めた。

「……あたしはちょっぴりわかるけどな」

志保は目線を上げることなくつぶやいた。

「何が?」

「不倫しちゃう人の気持ち」

「へぇ!」

亜美が何か珍しい生き物でも見つけたかのように身を乗り出した。

「お前が? おいおい、優等生の志保ちゃんはどこ行ったんだよ」

「……そんなの、だいぶ前に死んだよ」

志保は相変わらず目線を上げずに、ごみ袋を縛り始めた。

「何? 浮気とか不倫とかしたことあんの?」

「ないけどさ……、でもさ……、『やっちゃだめ』って言われていることってさ、やりたくならない? なんて言うんだろう。背徳は甘美の味っていうか……」

亜美は、志保の話を聞きながら、煙草を灰皿に押し付けた。

「たとえそれが自分の身を亡ぼすとわかっていてもさ、背徳そのものが快楽っていうかさ、いっそ背徳に身をゆだねたくなるっていうか……」

「ハイトクうんぬんはよくわかんねぇんだけどさ」

亜美は缶ビールの残りを喉の奥に押しやる。

「夜中に太るってわかってんのに、カップ麺食いたくなるようなもんか?」

「かもね」

志保は少し寂しげに笑った。

「……もしかしてお前さ」

「ん?」

「……いや、何でもない」

亜美は空き缶をそっとテーブルの上に置いた。

「アー、なんか、マジでカップ麺食いたくなってきた」

「この時間に? 太るよ?」

亜美は立ち上がると、志保の忠告を無視して「城」を出ていく。二、三分でカップ麺の入ったビニール袋を提げて帰ってきた。

「お湯、沸かしてあるよ」

「さすが、気が利くねぇ」

亜美はカップ麺のふたを開け、お湯を注ぐ。

三分後には、湯気とともに醤油スープの刺激的な香りが、ふたを開けたカップ麺から部屋の中へと飛び出した。

この上なく愛おしそうに亜美は持ち上げた麺を眺め、ずるずるとすする。

「あ~、旨い。深夜のカップ麺ってなんでこんなに旨いんだ? 昼間のカップ麺と中身はおんなじはずなのに」

「だから、そういうことだよ。背徳は甘美なの」

「ん?」

亜美は麺をすすりながら曖昧な返事をする。

「昼間のカップ麺も深夜のカップ麺も、味は一緒。なのに深夜のカップ麺の方がおいしそうに感じるのは、背徳だから。『深夜のラーメンは太るから食べちゃだめ』って思うほど、おいしく感じちゃうんだよ。禁忌と背徳。『やっちゃだめ』って言われていることに手を出す、それ自体が快楽なんだよ……」

志保はどこかさみしげに、亜美を見ていた。

「ハイトクの意味は何となくわかったけどよ、カンビってどういう意味だよ」

「甘くておいしい、って意味」

「甘い? バカ、お前、これ、醤油ラーメンだぞ。甘いわけねぇだろ」

「フフッ、そうだね」

と志保は微笑んだ。

 

夜の十二時を回った。舞はメガネをかけ、パソコンに向かっていた。

ドアがガチャリと開いて、誰かが部屋に入ってきた。

クリスマスの夜に部屋に入ってくるのはサンタクロースだと相場が決まっているが、舞が振り向いた先にいたのは白いお髭のおじさんではなく、たまきだった。

「ミチ君、寝ました」

たまきが眠そうな声でつぶやいた。

「そうか、悪かったな。面倒な役割押し付けて」

「いえ、ミチ君を、舞先生のところに連れてきたのは、私たちですから」

「テーブルの上に菓子鉢あるだろ? そこにあるお菓子は食っていいから」

舞はたまきを見ることなく、パソコンに向き合ったまま言った。

だが、たまきはテーブルの方ではなく、舞の傍らにやってきた。

「ん? どうした?」

「あの……」

たまきは、少し下を見てから、舞の方を見た。

「今日、私とミチ君がここでしゃべってたことは、その……、みんなには、ないしょにしてもらえませんか?」

「なんで?」

舞はたまきの目を見たが、すぐにふうっと息を吐いた。

「安心しな。あたしは口が堅いことでこの辺じゃ有名なんだ」

それを着て、たまきもふっと息を吐くと、笑みを浮かべた。

「ちょっと待ってな」

舞は椅子から立ち上がると、ソファのわきへと向かった。

「最近、簡易ベッド買ったんだ」

「簡易ベッドですか?」

たまきの視線が、舞が向かっていった先に、部屋の隅っこに置かれた物体に向けられた。

「ああ、最近、トイレで倒れてたり、ベンチで泣いてたりして、そのままうちに泊まるやつが増えたからな。あたしの寝床を確保しておかないと」

そういって舞は笑った。一方、たまきはテーブルの上にメガネを置くと、ソファの上にころりと横になった。

「おい、お前はこっちだ。あたしがソファで寝るから」

舞が準備した簡易ベッドを指さす。

「いえ、私はこっちでいいです。慣れてるので」

「そんな狭いところで寝てたら、いつまでたっても背が伸びねぇぞ」

「べつにいいです」

たまきは静かに目を閉じた。

 

なかなか寝付けない。目をつむっても、どうにも寝付けない。

心のもやもやは一向に晴れない。

ミチがいつまでも嘘をついているのを見て、たまきは心がもやもやした。

もやもやしたから、思いのたけをぶつけた。

思いのたけをぶつければすっきりすると思ったのに。

なのに、なぜだろう。

さっきよりも、もやもやは深まって、しばらくは眠れそうにない。

つづく


次回 第21話「もやもやのちごめんね」

お正月を迎えたたまき。だが、クリスマスの一件が頭から離れず、もやもやしたままだった。たまきの心を悩ます一番の理由は、「なぜクリスマスの一件が頭から離れないのか、その理由がわからない」ことだった。

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

泣き声を聞いただけで虐待を疑って児童相談所に通報した結果……

児童虐待の問題が連日ワイドショーをにぎわせている。学校や教育委員会、児童相談所の対応も問題になっている。だが、児童相談所ばかり責める前に、ふと考えてみたい。虐待に対して、自分は何ができるんだろう、と。何もできることはないかもしれないが、「通報すること」が何かのきっかけになるのではないかと思い、自分の通報体験談を書くことにした。

 

児童相談所に通報した結果

「素人が虐待問題と向き合うにはどうすればいいんだろう」と考えた結果、「通報することなのではないか」という結論に行き着いた。

むしろ、通報することぐらいしかできないのではないか。

そして、実は僕は児童相談所に通報した経験がある。

児童相談所に通報するとはどういうことなのか。

通報した結果どうなるのか。

通報にデメリットはないのか。

そのことを経験者として書くことが、物書きとしての僕なりの「虐待への向き合い方」なのではないか、と思い、今回筆を執った次第だ。

というわけで、僕の体験談を話そう。

ある昼下がり、家でのんびりしていると、どこからか男の子の泣き声が聞こえてきた。

「ああ、子供が泣いているなぁ」と思ったものの、子供は泣くものだし、と気にも留めなかった。

驚いたのはその子供が泣きながら親に助けや赦しを求めたときである。

ええ、これは尋常じゃないぞ⁉ と驚きつつ、窓を開けて声の出所を探す。だが、我が家は集合住宅。「かなり近い」ということしかわからず、具体的に何階の何号室かなんてさっぱりわからない。隣のアパートかもしれない。

そのうちに泣き声はやんでしまった。「今のってもしかして虐待じゃ……通報したほうがいいのでは?」と思いつつも、「もし違ってたら、相手の家に迷惑をかけることになるし、児童相談所だってそんな暇じゃないだろうし……」と通報するのをためらって、結局何もしなかった。

「いや、その時に通報しろよ! 何ためらってんだよ!」と言われれば、言い訳のしようもない。

そして、二、三日したある日の朝。

まったく同じことがもう一度起きた。

男の子の泣き声に始まり、数日前と全く同じセリフを泣き叫ぶ。

いくら何でも二回目はさすがにアウトだ! と思った僕は、意を決して児童相談所に通報することにした。

……が、相変わらず、どこの家から聞こえてくるのかがわからない。家の外に出て場所を確かめてやろう、と思ったが、靴を履いているうちに泣き声がやんでしまった。

これではどこの家から声が聞こえてきたのかはわからない。このまま通報しても「うちの近所から泣き声が聞こえたんです。いえ、どの家かはわからないんですけど、とりあえずうちの近所です」というクソあいまいな情報しか伝えられない。

そんなクソあいまいな情報だけ通報しても、児童相談所も迷惑なんじゃなかろうか。「その程度で通報すんじゃねぇ! こっちは忙しいんだ!」と怒られるのではないだろうか。

だが、そうやって「通報しない言い訳」を重ねる自分がみっともなくなってきた。何より、男の子の尋常じゃない、泣きながら助けを求める声が頭から離れない。

もしこれを放置して、数日後に「うちの近所の○○君が虐待の末に死亡!」なんてニュースが流れた日には、悔やんでも悔やみきれない。メシものどを通るまい。

あれだけはっきり聞こえたのだから、僕以外にも近所の人が通報しているかもしれない。情報一つ一つはあいまいでも、いくつかの通報をつなぎ合わせれば、家を特定できるかもしれない。

もし、通報して児童相談所から「その程度の情報じゃどうしようもありませんね。その程度でいちいち通報しないでください」と言われても、僕が怒られれば済む話だ。

意を決して、今度こそ意を決して、児童相談所に通報した。

なんのことはない。自分が後悔したくないから通報しただけである。

電話口には若い女性の相談員さんが出た。僕は自分が見聞きしたことと、実際には何が起きているかもどこから声が聞こえたかもわからないことを伝えた。

だが、情報があいまいだからと怒られることもなく、むしろかなりいろいろ細かく聞かれた。何歳ぐらいの子供だったとか、どのあたりから聞こえたのか。

「いや、姿を見たわけじゃないんで、何歳ぐらいかと言われても、僕の想像でしかないんですけど……」と断りを入れても、「それでもかまいませんので」とのことだったので、「声を聴いた感じからすると……」と情報を伝えた。

そうして一通り自分の知っていることを話し、「もしかしたらまた連絡するかもしれません」と言われ、「ええ、かまいませんよ」と言って電話を切った。

3時間ほどして、再び電話がかかってきた。「もう少し詳しい話を聞かせてほしい」とのことだった。「ですよねー。あの程度の情報じゃどうしようもありませんよねー」と思いつつも、「これ以上知ってることないですよ」と思いつつも、何かの力になれれば、と児童相談所からの質問に答えた。

その時の印象を言えば、非常に丁寧な対応をしてもらえたため、好感を抱いている。

その後、児童相談所から連絡が来ることはなかったし、我が家の近所で虐待事件があったという話も聞いていない。あの子の泣き叫ぶ声も聞いていない。虐待ではなかったのかもしれないし、あの情報では家を特定できなかったのかもしれない。

じゃあ、通報に意味はなかったのかというと、そんなことはない。

通報をしたおかげで、僕の心のもやもやはなくなった。とりあえず、現状できることはやったわけなのだから。

「お前の心のもやもやなんかどうでもいいんだよ!」としかられそうだが、さっきも書いたとおり、最初から「自分が後悔しないため」にやったのであって、結果自分が後悔しなかったのであれば、それで目的は果たせている。

おまけに、「児童相談所に通報する」という経験が手に入った。そして、「超あいまいな情報でも、怒られることはない」ということもわかった。

だから、ほったらかしにして心がもやもやするくらいなら、通報して楽になればいいと思うし、逆に言うと、どれだけ気張っても通報することしかできない。

その時、できることがあるのなら、できることのすべてをやるべきだ。自分が後悔しないために。

児童相談所に通報するのは迷惑なことなのか

さあ、みんな、後悔しないために、怖がらずに児童相談所にどんどん通報しよう!

……とは簡単にはいかないのがこの世の中の常のようだ。

調べてみると、「泣き声を聞いた」だけで通報することを「泣き声通報」と呼ぶらしい。わざわざ名前が付くあたり、こういった通報は多いのだろう。

一方で、こんな記事も見つかった。

「泣き声通報」と児童相談所の訪問が招いた家庭崩壊の悲劇

ある日突然、「虐待」で通報された親子のトラウマ

これらの記事は「虐待なんてしていないのに、虐待を疑われて通報された結果、家庭がめちゃくちゃになった」という内容で、「不用意な通報はしないように」「大事でないなら通報しないように」という結論を暗にほのめかしているように思える。

こういう記事を読むと、「泣き声を聞いた程度で通報しちゃいけないんじゃないか」なんて気にもなってしまう。

だが、これらに記事にはいくつか問題点もある。

二つの記事はいずれも「虐待なんかしていないのに通報された」とされている。

……本当にそうなのだろうか。

もしこの記事に出てくる親が本当に虐待をしていた場合、二つのパターンが考えられる。

パターン1 「虐待していない」と嘘をつく

仮に本当は虐待をしていたとして、「まあ、ぶっちゃけ、本当に虐待してたんですけどね」と正直に答える親がどれだけいるだろうか。

野田市の事件では、父親が虐待の事実を認めなかったという。上の2つの記事の、本当は虐待していたのに正直に言っていない可能性がある。

だが、記事を読む限り、僕は次のパターンのほうが可能性は高そうな気がする。

パターン2 「虐待をしている」という認識がない

暴力をふるってはいたけど、あくまでもしつけの範囲内。そう考えていたら、「虐待をしている」という認識は生まれない。

また、「虐待とは子供に暴力をふるうことのみを指す」と思い込んでいる場合もある。

虐待とは必ずしも子供に暴力をふるうだけではない。子供を精神的に傷つけることも虐待だし、子供を放置・無視することも虐待だ。

だが、「虐待=暴力のみ」と思っていれば、このような「目に見えづらい虐待」をしていても、「虐待をしている」という認識が生まれない可能性がある。

「虐待していないのに、虐待を疑われた」というセリフの信ぴょう性は、意外と薄い。

よしんば、本当に全く虐待をしていないのに虐待を疑われたとして、その後の児童相談所の対応によって不利益が生じたとして、

それは、通報した者の責任なのだろうか。

たとえば、夜中に悲鳴を聞いて警察に通報したとしよう。ところが、警察の捜査がずさんで、冤罪事件を生み出してしまった。

これは、通報した者の責任なのだろうか。ずさんな捜査をした警察の責任であって、通報者に責任はないのではないだろうか(ただし、通報者が虚偽の通報をしていなければ、という前提だが)

そもそも聞いた悲鳴が実はテレビのドラマだったとしたら? 勘違いした通報者にも責任はありそうだが、「悲鳴を聞いた」と正直に通報しただけで、それが通報者の勘違いだと見抜けなかった警察がやはり責任を持つべきだろう。

嘘の通報でもしない限り、通報者が責任を持つ理由などない。

通報した後に起きる問題は、すべて対応に当たった児童相談所の問題のはずだ。児童相談所が、理不尽な対応をしないように改善していくべきであって、「通報するかしないか」で悩む必要など全くない。

ところが、上記の記事の中に出てくる「自称・虐待を疑われたかわいそうな」夫婦はあろうことか「誰が通報したのか」と犯人探しを始める。いじめを先生にチクられて、チクったいじめられっ子をシメるいじめっ子と発想が一緒である。

誰が通報したのか、と言えばこう答えるほかあるまい。

お宅のお子さんだよ、と。

「泣き声通報」の本当の通報者は、泣いている子供本人である。

暴力を振るわれたか、性的虐待を受けたか、精神的苦痛を受けたか、育児放棄をされたか、とにかくその子供にとって「耐えられないこと」があったから、あらん限りの声で泣き叫んだ。助けを求めた。赦しを乞うた。

そして、親はそれを受け止めなかった。

その代わり、近所の人が子供からの「通報」を耳にして、児童相談所に届けた。それだけの話である。

泣き声通報の真の通報者は、ほかでもない、子供本人なのだ。

子供の泣き声を聞いた側も「これは尋常ではない」、そう思ったから、通報したのだ。

そう思わなければ、通報なんてしない。

なぜなら、虐待の相手は近所の人間である。万が一通報したのが自分だとばれたら、どんなご近所トラブルになるかわかりやしない。できれば、厄介ごとにはかかわりたくない。そう思うのが普通ではないだろうか。

それでも、通報せざるを得なかった。それはその人の「これは尋常ではない」というレベルに引っかかるほどの泣き声だったから。

尋常じゃないくらいボリュームがデカかったのかもしれない。尋常じゃないくらい長時間だったのかもしれない。「痛い」や「助けて」「やめて」「赦して」といった、虐待を連想させる言葉を言っていたのかもしれない。

そもそも、この2つの記事の事例はいずれも、複数の通報があって動いている。たった一人のうっかりさんが勘違いで通報したのではない。複数の人間が「これは尋常じゃない」と思って通報したのだ。それを本人たちだけが「虐待じゃない」と言い張っているだけである。何をもって信用しろというのだ。

こういった「当人の言い分」だけを信用して、「安易な通報はしない方がいい」などという記事を書くことは、虐待の片棒を担ぐどころか、担いだ棒を罪のない子供に向けて打ち下ろすような行為である。

安易に「通報しない方がいい」なんて言わない方がいい。

通報することを悩む必要なんて全くない。そもそも、虐待の通告は国民の義務だ。

みっともない言い訳を積み重ねて後悔をするのはほかでもない、あなただ。

尋常じゃない泣き声を聞いた。虐待かもしれないし、勘違いかもしれない。

だが、唯一できることは通報することだけだ。逆に言えば、通報することしか僕たちはできない。

そして、通報しなければ何も始まらない。

どんなに優秀な児童相談所だって、通報がなければ虐待を発見することができないのだ。通報がなければ何もできないのだ。

虐待だと確信が持てないのなら、通報時に正直にそういえばいい。

あいまいな情報しかないのなら、通報時に正直にそういえばいい。

知っていること、知らないこと、聞いたこと、見たこと、想像でしかないこと、すべてを正直に話せば、何も恥じることなんてない。

逆に、通報時に嘘をついたり、想像でしかない部分をさも見てきたように言うと、トラブルとなった時、通報した者の責任になってしまう。正直に、とにかく正直に話すことが大切だ。

いくつか、児童相談所への通報に対して面白い記事のリンクを張る。特に、「反貧困」で知られる活動家の湯浅誠さんの体験記が面白い。僕と同じような事例で、同じように「こんな程度で通報していいのか?」と葛藤している。

児童虐待 はじめての189通報とその後に起こること

近所の家から子どもの激しい泣き声が。これって虐待…? 通報していいの?

すべての子どもを救うだけの枠組みは既にあるのだ。あとはそこに勤めるもの、そして、僕ら一人一人がどれだけ一つの命に向き合えるかである。どれだけシステムがしっかりしていても、どれだけ児童相談所の人たちが頑張っていても、僕ら一人一人が一つ一つの命と向き合うことをおろそかにしていたら、だれ一人救えやしない。

最後に、僕の好きな漫画のセリフを引用して、締めくくりとしよう。

子供に泣いて助けてって言われたら!!! もう背中向けられないじゃない!!!!(ONE PIECE 第658話より)


2020/3/22追記

千葉県野田市で起きた虐待事件の第一審の判決が出た。懲役16年の実刑判決。虐待事件の判決としては極めて重い。

判決文では被告である父親を厳しく断罪しつつも、彼もまた子育ての中で孤立していたのではないかと指摘していた。

この記事に対するコメントの中でもまれに、子育てをしている親の孤立が垣間見れることがある。

周囲のだれにも悩みを語れない。どうしたらいいのかわからない。誰に相談したらいいのかわからない。

そういった方は是非、自分から児童相談所に相談してほしい。

本来、児童相談所とは魔女狩りのように虐待を通報する場所ではない。ましてや、虐待を取り締まる場所でもない。

地域の子育てを支援し、子育ての悩みに対する相談に応じる場所、それが本来の児童相談所の役割である。

また、児童相談所以外でも、各自治体で様々な子育て支援を行っている。児童相談所以外にも子育ての相談に応じてくれる施設もある。

ぜひ、そういった施設や支援を活用してほしい。

もしかしたら、ヘンにプライドが邪魔して、そういった場所に自分から相談しに行くのはなかなか難しいかもしれない。

だが、本来の子育てとは親だけでなく、親せきや地域で行うものだ。親だけに、ともすれば片親だけに重責がのしかかることの多い現代社会の方が、長い歴史の中では異常なのだ。

誰にも相談せずに、誰にも頼らずに、親だけで子育てするというのは、俗な言葉であるが「無理ゲー」なのだ。

助けてほしい時に堂々と助けを求めることができるということ、それは弱さではない。本当に大切なもののためにプライドを捨てられるのは、その人の強さである。

どうか、誰かに通報されるような事態に発展してしまう前に、自分から勇気をもって相談してみてほしい。

僕はピースボートのエコシップ新造船を面白く思ってなかった

ピースボートのエコシップ新造船が頓挫したらしい。頓挫と言っても就航が伸びただけなのだが、事前に風潮していた計画通りにはいかなかったことには変わりない。普段ピースボートに関する記事を書いている以上、僕にはエコシップ新造船に関して何か言う責務があると思い、今回筆を執った次第だ。


エコシップに興味がない

ある日、このブログの閲覧数が2倍に跳ね上がった。

ピースボートについて書いた記事の閲覧数が跳ね上がったのだ。

「ついに私の時代が来たか!」と思ったのだが、アクセスが跳ね上がった原因はすぐに分かった。

この記事だった。

ピースボート 570億円「豪華客船」計画が“座礁”

かねてより2020年の就航を目指していたピースボートの「エコシップ」が、計画が2年延びているよ、という記事だ。なんてことはない。「他人の炎上」の恩恵を受けていただけだったのだ。「他人の炎上商法」は火元が所詮は他人だけあって、収束するのも早い。2日後にはいつも通りのアクセス数に戻っていた。アーメン。

助けると思って、もう一度炎上してくれないか、ピースボート。

さて、ピースボートが文春砲を食らった形だが、ピースボート界隈でうろちょとしている人間からすれば、実は1年ほど前からこう言ったうわさがちらほら聞こえてきていて、何ならエコシップの計画が発表された時から、なんとなくこういう落ちになりそうな気がしていたので、「どうせそんなこったろうと思った」が僕の偽らざる本音だ。

とはいえ、すでに2020年のエコシップに申し込んでいる人からすれば、「そんなこったろうと……」なんてのんきなことを言っている場合ではない。以前にも、僕のブログに「エコシップについて何か書かないのか、いや、書くべきだ」といった感じのコメントが寄せられた。

その時にはっきりと書いたのだが、僕はエコシップに興味がないから、何か語るほどの知識がない。

ところが今回、このような報道が出た。報道が出た以上、普段ピースボートに関する記事を書いているからには、いよいよもってエコシップについて何か書く責務があるのだろう。

ところが相変わらず、エコシップに興味がないから、語るほどの知識がない。上にリンクを張った記事に書かれていた以上のことは知らない。

どうしてそんなに興味がないのか。

正直に言えば、僕は、エコシップの計画がうまくいくのが面白くなかった。面白くなかったから、無意識のうちに情報をシャットアウトしていたのだ。

エコシップが面白くない

話は3年前にさかのぼる。

2015年の9月だったか10月だったか、船の中で大々的にエコシップの計画が発表された。

オーシャンドリーム号よりも大きく、豪華で、それでいてエコなのだというエコシップ。その完成想像図を見た時は、「なんだかおばけクジラみたいな船だなぁ」と思ったものだ。

これだけ豪華な船なら、今まで通り「地球一周99万円」とはいかないだろう。オーシャンドリーム号と併用するという話だったから、お金のない若者はオーシャンドリームへ、お金のある人たちはエコシップへ、というすみわけでもするのだろうか、などと考え、たぶん自分は乗ることはないだろうなぁ、と思った。

と、同時に、ある疑惑が頭の中に浮かんできた。

「もしかして、大宮ボラセンがつぶれたのって、このエコシップのせいじゃないのか?」

大宮ボラセン。僕が仲間たちとポスター張りにいそしんだ、ピースボートの支部の一つである。

2015年当時、全国に9か所のピースボートのセンターがあった。その中でも大宮はちょっと変わっていて、事務所と言いつつもマンションの一室を借りているという小規模なものだった。スタッフ二人で回していて、所属しているボランティアスタッフも少人数だった。

何より、不思議と社会で何か躓きを経験した人が集まっていた。戯れに自分の心の闇を語る回というのをやってみたら、全員何かしらネタを持っていたのだから笑えない。

大宮ボラセンは、ピースボートの出先機関や、ポスターを貼るためのというよりも、社会で躓きを経験したものの、駆け込み寺、居場所という役割が大きかった。

だが、そんな大宮ボラセンも、僕が船に乗っている2015年10月31日をもって、閉鎖してしまった。

閉鎖の話を聞いたのは、初夏の土曜日だった。大宮だけでなく船橋と札幌のボラセンも閉鎖になるとの話だった。

常々スタッフからは「いつまでも大宮ボラセンがあるとは限らない」と言われてはいた。実際、その半年ほど前に神戸のボラセンが閉鎖されていた。

だが、当時の大宮ボラセンはマンションの一室という小規模な事務所にしてはかなりの人数が在籍していた。地元の埼玉県に住む人だけでなく、東北や北陸からも、地球一周を目指すボランティアスタッフがやってきていた。

何より、ポスターの枚数的にも結果を出していた。

「いつか閉鎖になるかもしれない」ということはわかっていたが、そうならないように結果を出していたつもりだった。だからこそ、閉鎖の話は寝耳に水だった。

閉鎖の話を聞いたとき、「ピースボートも色々あって、東京の高田馬場にある本部にスタッフを集中させるため」という説明を受けた。

ピースボートの細かい内情については聞いても教えてくれないと思ったし、閉鎖のことについて文句を言う気にはなれなかった。全く納得していなかったが、誰よりも悔しいのは、大宮でボラセンをやることにこだわり続けていたスタッフの方だとわかっていたから。

ただ漠然と「やむにやまれぬ事情があって、地方のボラセンを閉鎖せざるを得なかったのだろう」と考えた。もしかしたらピースボートは存続の危機にあるのではないか、とも考えた。

だからこそ、エコシップの話を聞いたときに、椅子から転げ落ちるんじゃないかと思うくらいびっくりしたのだ。結構余裕あるじゃないか、ピースボート、と。

大宮ボラセン閉鎖とほぼ同時期に飛び込んできた、エコシップ新造船の話。

もしかして、このエコシップを造るために、大宮ボラセンは閉鎖されたんじゃないか。僕はそう考えた。

はっきり言わなければならないのが、これは僕の憶測であり、それを裏付ける根拠は何一つない、ということだ。大宮ボラセンの閉鎖と、エコシップの新造船の因果関係を、僕は証明できない。

ただ、この二つのタイミングがあまりにも近かったので、何か関係があるんではないかと思った、そして、今でもそう思っている、という話だ。

客観的に考えれば、別に問題行為ではない。ピースボートが新たな目玉となる船を造るため、地方の支部を閉鎖して、スタッフを東京に集中させた。別に何も問題ではない。ピースボート内の人事の話だし、ピースボート内の人事をどうしようがそれはピースボートの勝手である。

不利益を被ったのは我々地方のボラセンに通うものとそのスタッフぐらいだ。だが、何度も言うがピースボートの支部をどうしようがピースボートの自由である。

ただ、一方で、もっとやむにやまれぬ事情があったのならまだしも、こんなシロナガスクジラのおばけみたいな船を造るために大宮ボラセンが閉鎖されたのではないか、と考えると、なんだかばかばかしいと思ってしまったのだ。

正直に言う。面白くなかったのだ。

ピースボートがエコシップの計画を大々的に宣伝する裏で、「くっだらねぇ。頓挫すればいいのに」と割と本気で考えていた。

だから、無意識化にエコシップの話をシャットダウンするようになった。船内でエコシップの話が出るたびに、心の中で舌打ちをしていた。

自分からエコシップについて調べるとか、ましては何かを書くとか、そういう発想はなかった。エコシップについて考えるだけで腹が立ち、面白くなかったのだ。

だから、僕はエコシップについて、何にも知らないのだ。

何度も言うが、ボラセンの閉鎖にエコシップが関係しているというのは、僕の憶測である。人から見たら妄想に近いものかもしれない。

つまりは、逆恨みみたいなものである。

エコシップは頓挫したけれど……

さて、そうして僕は無意識のうちにエコシップの話題に触れることを避けてきた。

そこに来て、今回のこの報道である。

すでにエコシップ乗船の申し込みを始めてしまっていたにもかかわらず、肝心のエコシップが完成しないため、問題となっている。せめて完成のめどが立ってから乗客を募集すればよかったのに、どうして青写真描いてる段階で募集始めちゃったかなぁ、バカだなぁ、というのが率直な感想だ。

さて、エコシップ計画がうまくいくことが面白くなかった僕は、この状況にさぞかし高笑いしていることだろう。「は~はっは! 考えが甘いんだよ、バカめ! ざまぁみろ! 迷惑かけた人たちに謝れ! 土下座して土をなめろ!」と指をさしてゲラゲラ笑っていることだろう。

……それが意外にもそうではないのだ。自分からしてもこれは意外だった。

エコシップがうまくいかないならいかないで、それはそれで面白くなかったのだ。

「わざわざ大宮ボラセンつぶしてまでして作ろうとしてる船(個人的な憶測です)なんだから、やるんならきちんと完成させろよ! こんな体たらくじゃこっちも浮かばれねぇだろ!」と思ったのだ。

料理される前に廃棄される豚肉ってのは、きっとこんな心情なのだろう。

殺されて食べられてしまうのは不本意だし受け入れがたい。だが、どうせ食べられるのなら、せめておいしく食べてくれ。殺しといて料理しないなんてそりゃないだろう、という話だ。

エコシップがうまくいくのは面白くない。

かといって、エコシップがうまくいかないのも面白くない。

何のことはない。どっちに転んでも面白くなかったのだ。

どっちに転ぼうが、大宮ボラセンはもうないのだから。

どっちに転ぼうが、この事実が変わることはなかったのだ。


「大宮ボラセンがなくなる」と聞かされたのは、初夏の土曜日だった。

その日は岩槻にポスターを貼りに行った。

不思議なもので、「ボラセンがなくなる」と朝に聞かされた時点では、情報としては理解していたが、感情としては理解していなかった。

感情の理解が追いついたのはその日の昼、カレーを食べていたときだ。急に泣きたくなって、「カレー屋で泣いたら絶対ヘンな人に思われる」と必死にこらえた。

その日丸一日、ポスター貼りのために岩槻を歩きながら考えてたどり着いた結論は、「大宮ボラセンをつぶすわけにはいかない」だった。

前述の通り、大宮ボラセンは僕らにとっては、単なるピースボートの出先機関、以上の意味があったのだ。埼玉のあそこに、ああいう事務所があって、ああいう人たちが集まる場所がある。そのことに意味があったのだ。

埼玉から、そのような場所をなくすわけにはいかない。

ピースボートに抗議する、というのもほんの一瞬頭をよぎったが、すぐにその考えを捨てた。ピースボート側は、ボラスタから不平不満が出るのは承知のうえで、「閉鎖」という結論を出したはずだ。今更文句を言おうが、抗議をしようが、覆ることはないだろう。

それならば、せめて「大宮ボラセン」の記憶を、名前を、強烈に残そう。そう考えた。

「88回クルーズの大宮は熱かったな。なんか、閉鎖だなんてもったいないことをしたな」

ピースボートにそう思わせてやろうと思った。いつか、「地方のボラセンを復活させよう」となった時に、大宮の名前がそこに必ず入るように。

僕が船の中でやってたことの7割は、そういった理由によるものだ。

それでいて、僕は「いつか大宮ボラセンが復活しますように」と仏壇に毎日手を合わせて拝むだけの人間では無い。

自分が動かなければ。

重要なのは、どんなかたちであれ「そういう場所」があることだ。それは必ずしもピースボートでなくてもいい。

そしてそれは必ずしも三次元な空間でなくてもいい。自分の言葉一つが、社会に躓いた誰かの力になれれば、居場所になれれば、そう思ってこの3年を生きてきた。

……つもりなのだが、ここ最近、「本当にできているのか」と考えさせられることが多い。

去年の年末、ラブライブのアニメを見ていた。

好きな声優さんが出てるから、という理由だけだったのだが、その物語がかなり自分と重なった。

主人公たちはスクールアイドルといって、要は学校の部活のような感じでアイドル活動をしているのだが、その肝心の学校が閉鎖になってしまう。

だったら、そのアイドルの大会「ラブライブ」で結果を出して、学校の知名度を上げて入学者を増やせば、閉鎖を免れるのではないかと考え、主人公たちは奮闘する。

その結果、彼女たちはラブライブの決勝に駒を進めることとなる。

だが、それでも入学者は増えず、閉鎖という結論が覆ることはなかった。

いよいよ閉鎖が確定した時、主人公たちは「閉鎖が覆らないのなら、せめてラブライブで優勝して、学校の名前を残そう」と決意する。

もう、どんなに輝かしい結果を残そうとも、閉鎖と言いう結論が覆ることなどないのに。

なんだか、3年前の自分を見ているようで、気が付いたら泣いていた。クッソ~、ラブライブで泣く予定なかったのに~。

だが、あまりにもそっくりだったのだ。主人公たちが置かれた境遇も、「せめて名前を、記憶に残そう」と決意するところも。

同時にふと思う。

あれから3年、自分はあの日の決意に何か報いているのだろうか、と。

やるべきことはやっているつもりなのだが、本当に前に進んでいるのだろうか、と。

こういうことは不思議なめぐりあわせで、そんなことを考えた矢先に今回の報道が出てきて、また3年前のことを思い出す。

おまけに、私の20代は残り1か月をすでに切っている。人生の節目とやらを迎えることを意識すると、余計に考えてしまう。

あの日の決意に、何か自分は報いているのだろうか。

前に進めているのだろうか。

もっとできることがあるんじゃないだろうか。

もっと向き合わなければいけないことがあるんじゃないだろうか。

24歳で仕事を辞めた時「30才までは好きなことをやる」と決めた。そして、あと1か月でその30歳がやってくる。

そして、20代のラスト半年になって、3年前の自分を思い出させるような出来事が重なる。

これはもう、30代の初めは、「大宮ボラセンをなくすわけにはいかない」というあの日の決意に向き合って生きていけ、という神の啓示、と書くと大げさだが、なんだかそんなめぐり合わせな気がする。

そう考えると、「何がエコシップだよ、面白くねぇなぁ」とぶーたれてる暇なんて、実はなかったんじゃないか、などと考えてしまう。

だって、エコシップがうまくいこうが、ダメになろうが、どっちにしても「大宮ボラセンはもうない」という事実は覆らず、どうせどっちに転んでも面白くないのだから。

現状が覆らないのであれば、無理に覆そうとするのではなく、覆らない現状を前提としたまま、少しでも自分にプラスになるように持っていく。今までもそうやってきたし、そうやって生きていくしかないじゃないか。

覆らない現状に文句言う脳みそがあったら、もっと自分のやるべきことに向き合った方がいいんじゃないだろうか。

だから、僕がエコシップについてぶーたれるのは、今回が最後だ。そして、これも何かのめぐりあわせだと考え、自分のやるべきことに向き合っていこうと思う。

あと、ピースボートは迷惑かけた人にちゃんと説明して、謝りなさい。やらかしてしまったという事実も覆らないんだから。

「つまらない」と言われたアニメ『サクラクエスト』が起こした奇跡

正直、驚いている。

2017年の4月から半年間放送されていた深夜アニメ「サクラクエスト」。

その最終回に合わせて、「『サクラクエスト』がつまらないと言われ続けた本当の理由」という記事を書いた。

当時、SNSなどで「つまらない」と言われていたことに対して、「そんなことないべ」と一言いいたくて。

記事をアップした当初は意外と反響があったが、正直、放送が終わったら閲覧数も落ちるだろうと思っていた。

3か月たっても閲覧数が落ちず、「意外と持つなー」と思った。

6か月たっても閲覧数が落ちないどころが、気づいたら100以上あるこのブログの記事の中でも、閲覧数トップ3圏内を不動のものとしていた。

最終回から1年たって、さらに驚くべき現象が起きた。

「私もサクラクエスト見ました。サクラクエスト大好きです」というコメントが寄せられるようになったのだ。

もう一度言う。最終回から1年が過ぎている。

この1年、物語の舞台・間野山のモデル、富山県城端町ではいろいろと活動してはいるが、大々的なメディア展開はほとんど行っていない。

名作だと思うが、人気作でも話題作でもないと思っている。

にもかかわらず、みんなどこから発掘してくるのか、サクラクエストを見て(全25話と、アニメとしては結構長い)、サクラクエストが好きになる。

気付けばグーグルの検索にも、「つまらない」よりも上位に「続編」が来るようになった。

「つまらない」と言われたアニメが、1年たっていまだ愛されるという奇跡。その理由を探るため、1年ぶりにサクラクエストについて筆を執ることにした。

「サクラクエスト」のおさらい

まずは、アニメ「サクラクエスト」のあらすじを駆け足でおさらいする。「知っとるわい」という人、ネタバレ絶対ダメという人は読み飛ばして構わない。

物語の舞台は富山県の架空の田舎町、間野山。ここには「チュパカブラ王国」という閑古鳥のなくハコモノ施設があり、そこの「国王」、いわば観光協会の旗振り役に、とある手違いから東京のごく普通の女子大生・木春由乃(こはるよしの)が就任してしまう事から物語が始まる。

由乃は当初、東京へ帰ろうとするが、いろいろあって、間野山で出会った仲間たちとともに1年間「国王」の仕事を全うすることを決意する。

メンバーは由乃のほかに、観光協会に勤めるしおり、東京で役者の修行をしていたが夢がかなわず間野山に帰ってきた真希、しおりの幼馴染でひきこもりの凛々子、東京からやってきたITに強い早苗の5人。

5人の仲間たちが、町おこしの活動を通して、時に壁にぶつかったり、悩んだり、自信を無くしたり、様々な困難にぶつかり・乗り越えていきながら、成長し、自分の居場所を確立していく物語である。

最終回は何度見ても泣ける。泣いてしまう。

どうしてサクラクエストは「つまらない」と言われるのか

さて、ここからが本題。「つまらない」と言われたサクラクエストが、なぜ放送から1年以上たっても愛され続けるのか。

そのためにはまず、なぜ、サクラクエストは「つまらない」と言われたのかを考えよう。

その理由を探るのは意外と簡単だ。今や年間100本以上の深夜アニメが作られている(と思う)。

つまり、今や、アニメを研究する上でのサンプルには事欠かない。人気作・話題作と呼ばれるアニメをサンプルに、サクラクエストと比較していけば、答えは見つかるはずだ。

さて、様々な要因があると思うが、「つまらない」と言われた一番の原因はこれではないだろうか。

登場人物の年齢設定が高め。

ここまで年齢設定が高いアニメはそうそうない。

人気作・話題作と言われるアニメ、とくに女の子たちが主人公のアニメを見ていると、登場人物はほとんどが年齢設定が低く未成年、女子中高生だ。

そう、若い・幼い女の子の方が人気が出るのだ。だって、その方がかわいいじゃん。

だが、サクラクエストはメインキャラ5人がしょっちゅう酒盛りしている時点で、全員成人しているとみて間違いない。

この中で年齢が明かされているのは20歳の由乃だけ。ほかのキャラは推測するしかないが、1話目でしおりが由乃に対して「同年代」だと言っていたから、しおりも20~21くらいだろう。しおりの同級生である凛々子も同い年のはずだ。

そして、真希は凛々子と同じ小学校を卒業していて、凛々子曰く「たぶん1年かぶってる」。そう考えると、真希は20代後半と見るのが妥当だろう。弟の年齢から考えると、真希は25歳。その5歳下だとしおり・凛々子は20歳、由乃と同い年になる。

早苗の年齢を示唆するものは特にないが、その話しぶりからして、おそらく大卒だろう。大学を卒業してある程度社会人経験があるとなると、やはり真希と同じくらいの年齢ではないか。

他のキャラクターはほとんどが中高年。未成年のキャラなんて数えるほどしかいない。

これが、これが田舎の現実か……

しかし、いくらサクラクエストがリアリティあるアニメだから年齢設定は高めなんだと言っても、このままでは人気が出ない。ここはひとつ、地元の美少女女子中高生5人を主人公にしよう。きっと人気が出るぞ!

……とはならなかったのである。そうはしなかったのである。なぜだろう。

それは、キャラクターの性質に大きく関係していると僕は考えている。

サクラクエストの年齢設定が高いわけ

メインキャラの5人は、皆それぞれ、挫折やコンプレックスを抱えている。そのことが、年齢設定に関係しているのだ。

ひとりひとり見ていこう。

主人公の由乃は東京での就活に失敗し、間野山にやってくる。彼女は自分が「ふつう」であることに大きなコンプレックスを抱いている。個性に対して挫折しているわけだ。

由乃はもともとは田舎の出身だったが、田舎は嫌だと東京に出てくる。しかし、東京では就活に失敗してしまう。故郷を拒絶し、都市からは拒絶されたのである。

真希は間野山を出て役者の夢をかなえるため東京に行くが、夢がかなわずに帰ってくる。典型的な夢に対しての挫折だ。また、東京で夢を追うもかなわなかったことで都市から拒絶された形となる。

真希と同じ、東京からやってきた早苗だが、真希が間野山出身であるのに対し、早苗は東京出身だ。東京の会社で働いていたが、自分が病欠しても問題なく回る会社や東京の町を見て虚無感を感じ、逃げるように間野山へとやってきた。早苗は仕事に対する挫折と、都市空間に対する喪失感を抱えている。

一方、凛々子は東京には特に縁がない。彼女の場合は学校になじめず、高校卒業後はひきこもるようになる。人間関係に対して挫折を抱え、故郷から拒絶された形だ。

この4人と比べると、しおりはこれといったコンプレックスはない。彼女は間野山が大好きで、大好きな間野山をもっと知ってもらおうと、観光協会で働いている。だが、問題があるのは間野山の方だ。大好きな街なのに、どんどんさびれ、廃れ、街としての機能を失っていく。故郷がその機能をなくし、喪失していくのだ。

表にするとこんな感じだ。

挫折・コンプレックス 空間とのかかわり方
由乃 個性に対する挫折 都市からの拒絶

故郷への拒絶

真希 夢に対する挫折 都市からの拒絶
凛々子 人間関係に対する挫折 都市に対する喪失
早苗 仕事に対する挫折 故郷からの拒絶
しおり 特になし 故郷の喪失

しおりだけコンプレックスが「特になし」なのだが、これにはちゃんと理由があって、それについては後述するので、今は流しておいてほしい。

これを見るとわかる通り、それぞれのキャラクターが何らかの挫折を経験しており、さらに都市や故郷といった空間に対して、何らかのネガティブなつながりがある。

つまり、この5人の中に、視聴者に近いキャラクターが、ほぼ確実いるというわけだ。

個性に対して悩みがある人は由乃に共感するし、夢に挫折した経験がある人は真希に惹かれる。都市の中で自分はいなくてもいいと感じた人は早苗に共感するし、人見知りは凛々子に共感する。さびれた田舎に住む人ならしおりに共感するだろう。

こういうキャラクターを作ろうとなると、「美少女5人組」というわけにはいかなくなる。

田舎から東京に行くも東京から拒絶された由乃、東京で夢を追うも敗れた真希はあるていど年齢設定を高くしないと成り立たないし、仕事に対して挫折した早苗はそれなりの社会経験が必要である。

ゆるかわ美少女5人組では、サクラクエストは全く成り立たなくなってしまうのだ。

なぜそこまで「挫折」を経験しているキャラクターが必要なのか。

それこそが、サクラクエストが愛され続ける理由である。

サクラクエストのキャラクターの秘密

もう一度、いわゆる人気作・話題作の美少女キャラクターについて見ていこう。

彼女たちは単に「若い」以外にも、人気が出る要素を持っている。

かわいいのだ。

「かわいい」をより具体的に言うと、「視聴者の理想のキャラクター」という意味になる。

ビジュアル面では、美少女キャラ、セクシー系、ロリっ娘、ボーイッシュなど、性格面ではツンデレ、おしとやか、天然系、そのほかにも姉属性、妹属性と、視聴者の「見たいキャラクター」を見せる。

だからこそ、物語を離れてもキャラとして独立して売ることができる。動きもしゃべりもしない美少女フィギュアが人気なのは、そのキャラクターが買い手にとっての理想であり、その人にとっての「見たいもの」だからだ。

俗な言い方をすれば、キャラクターが物語から独立した「商品」として機能する。

だからこそ、人気が出る。

ところが、サクラクエストはそのようなキャラ展開ができない。

キャラクターのつくりからして、それができないのだ。

サクラクエストのキャラクターは、挫折を経験している。

その姿は、見る者にとっての理想・見たい姿ではない。

先ほど、挫折を経験することで、共感しやすくなると書いた。

つまり、同じ挫折を経験しているキャラクターは、まるで鏡に映った自分の姿のように見える。

これは、必ずしも「見たい姿」ではない。むしろ、挫折を経験した自分の姿、コンプレックスを抱えた自分の姿など、「もっとも見たくないもの」なのではないだろうか。

そう、サクラクエストのキャラクターたちは、アニメとしては珍しい「見たくない姿」なのだ。

なぜわざわざ「見たくない姿」のキャラクターを描くのか。

サクラクエストのキャラクターたちは、アニメの中に映し出された自分の姿そのものである。自分の分身である。

視聴者は、挫折やコンプレックスを手掛かりに、彼女たち5人のうちの、自分に近いキャラクターに自分を投影することで、サクラクエストを「自分の物語」として見ることができる。

「まるで自分の分身だ。見たくない」という思いを乗り越え、その一歩先へ、そのキャラクターを自分の分身だと認め、自分を重ね合わせることで、サクラクエストは「自分の物語」となるのだ。

実際、凛々子がメインとなる第10話・第11話を見た時は、「あれ、この脚本、僕が書いたんだっけ?」と錯覚するほど、自分を投影した。

だから、彼女たちは普通のアニメキャラと違い、物語から独立することができない。彼女たちは視聴者を物語の中に引き込み、視聴者の物語の中での分身として機能して初めて、その真価を発揮する。

そして、彼女たちが直面する困難も、決して非現実的なものではない。怒られたり、自信を無くしたり、抗いがたい力に流されたり、それは、今自分が直面している問題や、明日自分が直面するかもしれない問題とどこか共通点がある。

自分が分身が、自分と同じように困難にぶつかり、乗り越え、居場所を作っていく。自分の分身が頑張る姿に励まされ、自分本人もがんばれるようになる。自分の分身が発した言葉に、自分本人が救われることがある。

そうして、このサクラクエストというアニメは、見ている人それぞれにとって、「自分の物語」となる。自分が投影された、自分の想いや自分の人生が描かれた、自分の物語。

だから、愛されるのだ。

サクラクエストは人気作ではない。話題作でもない。

だが、名作である。愛される作品である。

サクラクエストにおける四ノ宮しおりの役割

そう、だからサクラクエストは愛されるのだ。

めでたしめでたし。

……と話を終わらせるわけにはいかない。一つ、置き去りにしていたことがある。

四ノ宮しおりだ。

メインキャラそれぞれが何らかの挫折を経験しているのに、しおりだけ「特になし」

その理由に言及しなければいけない。

なぜ、しおりだけ挫折・コンプレックスが「特になし」なのか。

ここまで書いてきたように、サクラクエストのキャラクターのほとんどは物語の中で見る者の分身となることで初めて機能をする。

ただ一人を除いて。

そう、サクラクエストの中で唯一、物語から独立できる、見る者の理想・見たいものとして機能するキャラクターこそが、四ノ宮しおりなのだ。

そもそも、深夜アニメを見る層の多くは、アニメに対して、自分の見たいキャラクターの提供を求めている。そのニーズにたった一人で応えるキャラクターこそがしおりなのだ。

実際、ファンの中でもしおり人気は高い。ゆるかわ・おしとやか・巨乳・方言女子と、物語から独立し、商品として機能する属性を備えている。

もちろん、由乃のねんどろいどがあったりと、他のキャラクターも「商品」としての機能を果たせるが(ちなみに、私が一番好きなキャラは凛々ちゃんです)、これまで見てきたように、それがキャラの本質ではないし、本来は向いていない。

そんな中で、見る者の分身ではなく、理想として、アニメオタクに向けた「商品」という役割を担えるのほぼ唯一のキャラクターこそがしおりなのだ。

だから、彼女は挫折を経験していない。挫折を経験したキャラクターは、人によっては自分の分身に見えてしまうから。

そうではなく、「理想のキャラ」に特化したほぼ唯一のキャラクター、それが四ノ宮しおりである。

もちろん、彼女一人で世のアニメオタクの人気を総取りすることなんてできない。人それぞれ、好みが違い、しおりのようなキャラが好きなオタクもいれば、特にそうでもないオタクもいるからだ。彼女一人で賄える人気には限度がある。

それでも、彼女はサクラクエストの作品とオタクの間を取り持つとりもち大臣として、ただ一人、他のキャラとは違った役目を担っているのだ。

重責だろうか。

それでもきっとしおりさんは、「だんないよ」と笑ってすますことだろう。