バズらない、突き刺され

先日、とあるイベントに出店した時のお話。

その日は10時間っていう長丁場だったんですよ。

会場は吉祥寺のパルコの地下一階。お客さんも文学フリマの時とは少し違う客層。あまり民俗学に興味なさそう。

つまり、アウェーなんです。

とはいえ、このイベントに参加するのは3回目なのでアウェーなのは百も承知だし、アウェーだけどそれなりに売れることもわかってるんです。

それでもやっぱり苦戦しました。さっぱり売れない、売れても1,2冊、そんな時間が後半は続きました。

今日はダメだなぁ、まあいい、アウェーでも学ぶことはあるさ、と半ばあきらめていた最後の1時間。そう、10時間の最後の1時間。いきなりこんなお客さんが現れたんです。

「ここに置いてあるのぜんぶ買うといくらになりますか?」

全部!?

その時は「民俗学は好きですか?」シリーズのうち、vol.5を除いた8種類がブースに並んでたんです。

「3200円です……」と答える僕。

「じゃあ、ぜんぶお願いします」

とお客さん。

ホントに全部っすか!? 今言ったとおり、3000円しますよ!?

MJじゃん! マイケル・ジャクソンの買い方じゃん!

3000円もあったら、ここからだったら特急で長野まで行けるよ?

3000円もあったら、ちょっとした飲み会に出席できるよ?

3000円もあったら、上手くやりくりすれば映画2本ぐらい見れるよ?

その貴重な3000円を私のために使うというのか?

こうして、最後の最後にして在庫は一気にはけたんです。

そして、思うんですよ。

僕が目指すべきものはこういうことなんじゃないか、と。

「より多くの人に」とか「ひとりでも多くの人に」みたいな作り方・売り方じゃなくて、「ひとりの人に深く突き刺さるものを作って、売る」なんじゃないかって。

「民俗学エンタメZINE」なんて銘打ってる時点で、興味ある人しか買ってくれないわけですよ。いきなり間口を狭めているわけですよ。マニアックなわけですよ。だったら、「より多くの人に」じゃなくて「たった一人に突き刺さる」を目指すべきでしょう。

今の世の中、やれ「フォロワー数何万人」とか、「チャンネル登録者数何万人」とか、人数の多さばかり取りざたされて、この「たった一人突き刺さるものが作れたか」は評価されにくいんじゃないでしょうか。

たしかに、「1万人の人が見たくなる動画」を作るのは大変です。

でも、「誰か1人が1万回見たくなる動画」を作るのはもっと大変。

さらに言えば、家族や友達など好みをよく知ってる特定の人に向けたものではなく、「見ず知らずの誰か1人が1万回見たくなる動画」なんて、もっと大変!

だけど数字の上ではどっちも同じ「1万回再生」です。

さらに言えば、「なんとなく見た人が1万人いたよ再生」とか、「熱心に見た人が100人いたよ再生」とか、見た人がどれだけの熱の入れようかを測る術はないわけで。

何でもかんでも数字で表せる時代だからこそ、数字では表せない価値ってものにもっと注目してモノづくりをしていきたいと思う今日この頃です。

「バズらない、深く突き刺され」をこれからのテーマにやっていこうかしら。

ちなみに、そのイベントは「吉祥寺ZINEフェスティバル」というのですが、明日もあってまた出店します。

畑は遠くなりにけり

畑を借りて二月ほどです。農園からもらったテキストとにらめっこしながら、野菜を育ててます。わからないことは農園のアドバイザーに聞いたり、ネットで調べたり……。

大人がテキストを見ないと野菜ひとつ育てられないって、それってどうなんですかね……?

だってしょうがないじゃないか。野菜作りなんて習ったことないんだから。

そう、「野菜作りなんて習ったことがない」んですよ。

小学生の時、ナスやプチトマトを育てたことはあるんですけど、2年生の時にやったっきりなので、もちろんほとんど覚えてません。

そもそも、義務教育で「技術」も「家庭科」も「音楽」も習うのに、「農業」という教科がないなんて、おかしくないですか?

もちろん、音楽を学ぶことも大事です。NO MUSIC NO LIFE。音楽なくして人生なし。

でもそれ言ったら、NO FARM NO LIFEじゃないですか。農業なくして生命なし。

学校の部活でも、演芸部とか農業部とか、あるところにはあるんだろうけど、少なくとも僕が通った学校にはなかったですよ。

ウチの中学はやたらとデカい校庭のほかに、体育館があって、球技コートがあって、武道場まであったんですよ。一個ぐらい潰して畑にしてもかまわないと思うんですけどねぇ。「プロサッカー選手がいない国」よりも、「プロ農家がいない国」の方がヤバいんだから。

それでいて、「日本の食料自給率が低い」ってぼやいてるんですよ。

だってしょうがないじゃないか。学校で農業を教わってないんだから。縁遠い職業が選択肢に入るわけないじゃないか。畑は遠くなりにけり。

畑だけじゃなくて、海もなんだかどんどん都会から遠ざかってる気がします。

浦安の方に行くと、埋め立てられて海岸線が何キロも遠くなってる上に、海岸沿いは工場だディズニーランドだで全然海にたどり着けない。「浦安物語」を読むと、あの時代はもっと海が身近に感じるんだけどなぁ。

民俗学を少しかじって思うのは、都市生活ってめっちゃ「不自然」なことをやってるんじゃないか、ということです。都市のマンションで暮らしたり、独り暮らししたり、電車に乗って通勤通学したり。歴史的にはたかだか数十年ぐらいしかやってない生活スタイルのはずなのに、なんかそれが常識みたいな感じになっちゃってる。

でも、「近所に畑がない」「ふつうに生活してると、土にも植物にも触らない」「仕事場に歩いていけない」、これってよくよく考えると、不自然なことなんですよ。

不自然だからよくない、東京は野原に帰れ! とは言わないけど、不自然なことはやっぱり不自然で、それを常識みたいな顔して生きてるのも、やっぱり不自然なことなんじゃないでしょうかね。

畑を借りました

畑を借りたんですよ。

2畳ほどの小さな区画を、月6500円で借りてます。

うちの近所にはいくつかこういう貸農園がありまして、いろいろ比較してたんですけど、地元だとここが一番安いです。

どうして安いのかと言うとその理由はカンタンで、

どの駅からも遠いんですよ。

3つある「最寄駅」、どの駅から歩いても30分以上かかるんですよ。バスを待っても30分に一本。

ただ、ウチからは自転車で10分ちょっとで行けちゃう。

これはいい場所を見つけたぞ。

もう少し探す範囲を広げればもっと安いところもあるけど、そこだと交通費やらお昼ごはんやらが通うたびにかかって、結局お金がかかっちゃう。

今度借りた畑なら、自転車でも歩きでも行けるから交通費はかからないし、うちでで昼ご飯を済ませてからでも十分作業できる。おまけに指導員の人までいるので、基本は自分の自由にやりつつも、不安なところは相談できる。この前は肥料の撒き方を教わりました。

そもそも、地元に貸農園がいくつかあって、比較して選べるって時点で恵まれてるなぁ、と思います。

都心だとたぶんこうはいかない。貸農園どころか、畑そのものがないんだから。

ウチの地元は首都圏のベッドタウンとしてかなりの人口を抱えてるけど、少し郊外へ行けば農地がたくさんあるんです。

とくに、畑に行く途中で大きな道路を二つ横切るんですけど、二つ目を横切ると景色は一気に畑だらけになって、心も自然と農作業ムードに切り替わるんですね。

おまけに、家から畑まで行く道中にコンビニもスーパーもあって、郵便局まであるので、なにかと便利。

あろうことか農園の目の前はホームセンターなんです。もはや、便利オブ便利。欲しいものは全部ここで買えちゃう。

まあ、いまのところは、農園の備品で間に合ってるんですが。

そんなこんなで、いまはスナップエンドウくんとイチゴちゃんを育ててます。

畑に行くのは週に一度。2畳ですから。

葉っぱの状態をチェックして、余分なつるが伸びてきたらちょん切って、雑草が生えてきたらひっこ抜いて、土が乾いてきたら水を撒いて。害虫に悩まされて。アリが這い回り、蜘蛛が顔をのぞかせる。空を見上げれば白い雲があり。

農園からもらったテキストとにらめっこしながらやってます。

どうも僕は、「次の作業工程がある」というのが楽しくてたまらないみたいです。これはZINE作りも一緒です。

子供のころから畑仕事をやってみたいなぁ、って気持ちはどこかにあって、今日まで潰えることがなかった、そういうことです。

正直な話、欲しいのは野菜や果物よりも、それを育てる技術の方なんです。「農地さえあれば、何とか生きていけるよ」と言えるくらいの。お稽古事を始めた、と考えれば、月6500円は安いものです。

「数年後に畑を処分したい。タダでいいから引き取ってくれ」という都合のいい方がいらっしゃいましたら、是非ともご連絡を。

小説 あしたてんきになぁれ 第38話「地図ときどき異界、ところにより二丁目」

前回登場した謎のコワモテおじさんこと「ママ」。はたしてその正体とは? 「あしなれ」第38話、スタート!


第37話「イス、ところにより貯水タンク」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


画像はイメージです

「よっ、ただいま」

「おかえりー」

「……おかえりです」

亜美が外出から帰ってきて、志保とたまきが返事をする。「城」のいつもの光景だ。

「今日はどこ行ってきたの?」

と、志保が本を読みながら訪ねる。

「ん? まあ、隣町の床屋だよ」

と、亜美はたまきの方に目をやった。

いつもなら、かなりの高確率でたまきはタオルケットをかぶって寝っ転がっているのだけど、今日はほとんど顔を上げることなく、何かかきものをしてる。テーブルの上にはスケッチブックよりも少し大きめの紙。その上にたまきは鉛筆で、絵というよりはなにか図面を描いている。

「ん? おまえ、なに描いてんだ? スゴロクでも作ってるのか?」

「……まあ」

亜美はたまきの描く図面をのぞき込んだ。改めてみてみると、何かの地図のようだ。ところどころ、地名も書かれている。

「これ、この辺の地図か?」

「……まあ」

たまきは地図を描きながら言った。「城」のある歓楽街とその周辺、半径一キロほどの範囲の地図だ。もちろん、正確な地図ではない。小学生が町探検の授業で作るような、簡素なものである。距離感も適当なのだろう。

亜美はたまきの描く地図をしばらく眺めていたが、やがて、地図の中にところどころバツ印が書かれていることに気づいた。

「へぇ~、おまえもだいぶ、この辺のことわかってきたじゃねぇか」

「どうゆうこと?」

「このバツ印はな、ウチらのグループのナワバリの店を指してんだよ、ちがうか?」

「違うと思うけど」

と答えるのは、描いている当人ではなく、志保だ。

「たまきちゃんがそんな地図作るわけないじゃん。それにさ、歓楽街からだいぶ離れた線路上にもバツ印があるけど、そこもナワバリなの? 違うでしょ?」

「じゃあ、何なんだよ」

志保は読みかけの本を置いて立ち上がった。

「バツ印は全部で七個あるから、この七つのポイントをすべてまわると、何か願いが叶うとか」

「マズいじゃねぇか。コイツの願いなんて、死なせてくださいの一択だろ。却下だ却下」

「じゃあ、印を線で結ぶと図形が現れて、呪文を唱えると封印された恐怖の大王が現れるとか……」

「おまえ、頭いいんだからさ、もっとジョーシキで考えろよ」

常識のない奴に常識を諭されたのが気に食わないのか、志保は黙ってしまった。だが、そこでたまきが突然立ち上がり、

「それ、いいアイデアです」

というと、鉛筆でバツ印同士をつなぐ線を描き始めた。

「ほら、あたしの言った通りじゃん!」

「いや、どっからツッコめばいいんだ、これ……?」

もちろん、たまきはナワバリの地図を作っているわけでも、禁断の魔法陣を描いているわけでもない。地図に描きこまれたバツ印は、ここ数週間でたまきが発見した、「鳥のラクガキ」である。

歓楽街のビルの隙間に一つ。

歓楽街から離れた高架下に一つ。

ビルの屋上に二つ。

そして、歓楽街のそばを通る大通りに一つ。

さらに、大ガード下の天井に一つ。

最後に、線路をまたぐ大きな橋の橋げたに一つ。

ほかにもまだまだまだ未発見のラクガキがあるのかもしれない。

ラクガキの場所に何か意味があるのではないか、と思ったたまきは、地図を書いてそこにバツ印を打ってみたわけだ。さらに印と印をつなげてみたりしたのだけれど、今のところ、特に法則らしきものは見つからない。

共通してることがあるとすれば、どれもこれも、「よりにもよってなんでこんな場所に」と思うような場所にばかりあるということだ。

ラクガキするには狭すぎるビルの隙間だったり。

3メートルあるフェンスの向こう側だったり。

ビルの屋上の、立ち入るのが難しい場所だったり。

そこからさらに十日ほどかけて、たまきにしては珍しく、たまきにしては本当に珍しく、毎日外に出てラクガキを探し回った。そして、たまきは3つのラクガキを見つけた。

ひとつは、駅前と歓楽街の間を通る、十車線くらいある大通りだった。地下道に入る階段の壁に描かれてあったのだ。

問題は、その壁がその十車線ぐらいある車道に面していた、ということだ。

車がバンバン通る中で、ラクガキをするのはかなり難しいんじゃないだろうか。

その次に見つけたのは、大ガード下の天井だった。

歓楽街を出てすぐのところに、線路の下をくぐる大きな通路がある。そこの天井を見上げたところに、鳥の絵が描かれていた。

これまた、どうやって描いたのかわからない。もちろん、脚立でも持ち込めば可能だけど、人通りの多いこの通路でそんなことしたら目立ってしまう。

この二つのラクガキは、「不可能ではないけど、描こうとしたら目立つよね」という問題がある。ラクガキは誰にもバレずにこっそり描くものだ。

一番不可解なのが、線路をまたぐ大きな橋の、橋げたに描かれていたものだ。つまり、鉄道会社の完全な敷地内である。高架下のフェンスのむこう側とはわけが違う。そこに誰か入り込んでいるとバレれば、怒られるでは済まない。電車が止まってしまう。電車を止めてしまうと、みんなに迷惑がかかるだけでなく、とんでもない損害賠償を請求される。とくに、ラクガキのあった駅は日本の鉄道の大動脈だ。そこに立ち入って電車を止めたとなると、請求される金額はきっと、目玉が飛び出て帰ってこないくらいのレベルだろう。

世俗に疎いたまきが何で電車事情にだけ詳しいのかというと、もちろん、「線路に飛び込んだらどうなるのか」いろいろと調べてみたことがあるからである。駅のホームに立って電車が来るたびに、「いま、飛び込んだらどうなるんだろう」とぼんやりと考えてみるのだけれど、調べた範囲では、どうやらスマートな死に方ではないようなので、なるべく線路には飛び込まないようにしよう、とたまきは思っている。あと、たまきを跳ね飛ばすことになる運転手さんにも、なんか申し訳ない。

わからないことだらけの「鳥のラクガキ」だけど、わかっていることもある。

それは、すべて同じ人が描いたんじゃないか、ということだ。もっとも、絵のタッチからたまきが何となくそう思っているだけなのだが。根拠は、と聞かれても、お絵かき好きのカン、としか言いようがない。

もうひとつ、たまきはこのラクガキは女性が描いたような気がしているのだけど、それもやっぱり、なんとなくそう思ってるだけである。

 

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喫茶「シャンゼリゼ」の扉が開いた。

「いらっしゃいませー」

と笑顔で応対した志保はすぐに、

「あれ、先生?」

と驚きの声を上げた。扉を開けた客は、舞だったのだ。舞は「よっ」と片手を上げた。カジュアルな格好で、リュックサックを背負っている。

「どうしたんですか?」

「いやなに、仕事で近くに来たついでに、そういやおまえのバイト先はこの辺だったと思い出して、立ち寄ってみたのさ」

「あ、席、案内しますね」

志保は舞を席へと案内する。

舞は席に座る前に、椅子をしげしげと眺めていた。

「あの……椅子がどうかしましたか?」

「あ、いや、イスを片手でぶっ壊した知り合いのことをちょっと思い出してな」

「え?」

「いや、そんなことより、おまえさ、バイト終わるの、何時だ?」

「えっと、あと1時間ほどですけど」

志保は時計を見ながら言った。もう夕方である。

「そのあと、なんか予定ある?」

舞はメニュー表に目を落としながら訪ねた。

「買い物して帰りますけど……」

「じゃあさ、1時間、この店で待ってるからさ、バイト終わったら一緒に買い物行かないか? ちょっと話したいことあるんだよ」

「話?」

「……悪い話じゃないよ。ちょっと頼み事っていうかさ、ま、おまえまだ仕事中だろ。その話はあとで。あ、とりあえず、紅茶よろしく」

志保は怪訝な顔をしながら、キッチンに注文を伝えに行った。悪い話じゃないというけど、用件が見えてこないのはやっぱり不安だ。

「あのお客さん、知り合い?」

と尋ねてきたのは、田代である。

「うん、お世話になってるお医者さんなんだ。なんか、あたしに用事があるみたいで、バイト終わったら一緒に帰らないかって」

「え?」

田代が不安そうな顔をした。志保の事情を知ってるだけに、知り合いの医者が用があってわざわざ訪ねてきたとなると、表情も曇る。それを察した志保は付け加えた。

「お医者さんって言ってもね、体のこととかだけじゃなくて、生活のこととか、メンタルのこととか、いろいろお世話になってるの。あたしだけじゃなくて亜美ちゃんもたまきちゃんも。ここのバイト受けるときも協力してもらったし、ほかにも、まあ、いろいろと。まあ、先生も悪い用事じゃないっていうし」

と言いながら志保は、こんなにお世話になってるんだから、そろそろ舞に何かお返しでもしないとまずいような気がしてきた。

「悪い話じゃなきゃいいんだけどさ……」

と田代。

その様子を、舞は水を飲みながら横目で見ていた。

「ふーん、あれかぁ……」

舞は田代のもじゃもじゃ頭を見つめ、志保の顔に目をやった。

 

画像はイメージです

志保たちや舞が暮らす歓楽街は、南北を大きな道路に挟まれている。その北側の大通りに近い場所に、韓国をはじめとしたアジアの食料品を売るスーパーマーケットがある。スーパーと言っても、コンビニより少し大きいくらいなのだけど。

舞はバイトの終わった志保を連れて、その店に来ていた。それぞれの夕食の買い物である。

「このお店、よく来るんですか?」

志保が周りをきょろきょろしながら聞いた。志保にとってこの店は来るのが初めてだ。それどころか、今さっきまでこんな店があることすら知らなかった。

「ああ、近いからな」

確かに、舞の家からは歩いて5分もかかるまい。

「まあ、あたしもそんなしょっちゅうは来ないけどな。でも、何にも献立が思い浮かばないときとかは、ここに来て、なんじゃこりゃ! ってものを買ってみるんだよ」

そう言いながら舞は唐辛子のような木の実が描かれた袋を手に取り、

「なんじゃこりゃ?」

と言いながら、カゴに入れた。

「それ、どんな味がするんですか?」

「さあ、知らない」

「……知らないのに買うんですか?」

「海外のレストランとか行ったら、全く聞いたことのない料理をわざと注文するのが、好きなんだよ。いったいどんな料理が出てくるんだろう、ってな。肉料理だろうと思って頼んでみたらパスタだった、とか、そういうことが起こるしな。あと、日本じゃぜんぜん知られてない家庭料理が出てきたりとか」

「それで口に合わなかったらどうするんですか?」

志保のカゴにはまだ、一つも商品が入っていない。

「それはそれで、海外のいい思い出だ」

そういうと舞は、香辛料らしき瓶を無造作にカゴに放り込んだ。

「先生って、海外によく行くんですか?」

「そうだな、仕事で行くこともあるけど、プライベートでも年に一回は行ってるな。友達と行くことが多いけど、アジアとかだと一人でフラッと行くこともあるな。ああ、そうだ、新婚旅行もドイツだった。そんで、離婚した時の傷心旅行が韓国だ」

「いいなぁ。あたしも海外行ってみたいなぁ」

「海外行ったことないのか。意外だな。留学とかホームステイとかしてそうな感じだけど」

「興味はありますけど……」

志保はそこで黙ってしまった。

思い返せば、海外どころか、家族旅行の思い出すらほとんどないのだ。

「あの……先生……それで話って……?」

「ん?」

舞はしばらく、何を聞かれたのかわからないような顔をしていたが、

「そうだった。お前に用があるんだった。すっかり忘れてたよ」

と笑いながら言った。

「忘れるような話題なんですか?」

「まあ、あたしに直接関係のある話じゃないからなぁ」

舞はポリポリと頭をかいた。

「知り合いに頼まれてさ、誰かバイトしてくれる奴いないかって頼まれたんだよ」

「バイト、ですか?」

「そうそう。なんでも、簡単な事務と、簡単な接客と、ちょっとした力仕事。まあ、雑に言えばお手伝いってやつだな」

「あたしに、力仕事……ですか?」

志保は怪訝な顔をしながら、自分の腕を見た。少し骨が浮き出ている細い腕は、一般的な十代の少女よりも明らかに華奢に見える。

「いや、最初はな、男子を何人か紹介してやったんだよ。でもな……」

そこで舞は一度言葉を切った。

「バイトを探してる知り合いってのが、ゲイバーのママやってたやつなんだよ」

「え、ゲ、ゲイバー?」

「おまえさ、『二丁目』って聞いて、何のことだかわかるか?」

「は、はい。聞いたことくらいは……」

歓楽街の中で『二丁目』と呼ばれる区画は、なぜかゲイバーが多い、という話は聞いたことがある。お店にも、『二丁目』にも行ったことはないけれど。志保たちが住むところとは少し離れているのだ。

「ママ、ああ、その知り合いのことな、ママはずっと二丁目で働いてて、まあ、今もそうなんだけどさ、力仕事があるっていうから男子を何人か紹介したんだけど、みんな三日でやめてくんだよ。ママにビビって。別にママが何かしたってわけじゃねぇ。ハナッからゲイとかに偏見持ってるんだ。別にゲイだからって男ならだれでも見境ない、なんてことないのにな」

「……それで、あたしなんですか?」

「だって、男子を紹介しても、三日以内で逃げてくんだもんよ。これがホントの三日坊主ってやつだな!」

そういって舞は笑ったが、志保がぜんぜん笑ってないのを見て、笑うのをやめた。

「で、男子がだめなら女子で、というわけだ。ママに聞いたら、ちょっとした力仕事ってのは、部屋の掃除や片付けの手伝いらしいから、まあ女子でもイケるだろ。ということでおまえら三人を思い浮かべたんだけどさ、亜美に『簡単な事務』が務まるとは思えないし、たまきが『簡単な接客』をしてるのは想像がつかねぇ。それでもう、おまえしか残ってないのよ」

「あ、あの……」

「お、なんか質問か?」

「あたし未成年なんですけど、そのお店ってあたしが働いても大丈夫なんですか……?」

志保は不安げに尋ねたのだが、舞は

「ああ、だいじょーぶだいじょーぶ」

とあっけらかんとして答えた。

「年齢、性別、学歴、前科、一切問わずだ。お仕事ができる体力があればそれでよしだ。宗派も問わねぇってさ」

「しゅうは?」

「キリスト教徒だろうが、イスラム教徒だろうが、無宗教だろうが、一切不問だ。おまえ教会が主宰する施設に通ってるけど、それでもぜんぜんオッケーだとよ。むしろ、ふだん仏教と関わりのない人ほど来てほしいってさ」

舞はインドの香辛料を手に取りながら言った。

「仏教? え? 宗教施設なんですか?」

「え?」

舞が手に取った香辛料をいったん置いた。パッケージには、ゾウみたいな姿をしたカミサマが描かれている。

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「ゲイバーのママだとしか……」

「そうだよ。ゲイバーのママが、店をやめて出家して、寺の住職やってるんだよ。で、お手伝いが欲しいからって」

「お寺? でも、二丁目で働いてるって……」

「そうだよ。二丁目にある寺だよ」

舞は、いったん置いた香辛料を、やっぱりカゴの中に入れた。

「あれ? 最初に言ってなかったっけ?」

 

写真はイメージです

駅から大通り沿いに東に向かって十分ほど歩くと、「二丁目」と呼ばれる区画に入る。この一角は、いわゆるゲイバーやオカマバーと呼ばれる店が集まることで知られている。どうしてこの一角にそういうお店が集まるのかについては、志保は何にも知らない。ただ、そういう場所があるということだけは知識として持っている。

舞に連れられて志保が二丁目にやって来たのは、翌日の午後だった。ゲイの人向けの雑誌が置いてあるお店を見かけたときは、なるほど、ここがウワサに名高い二丁目か、とちょっと感心した。

ただ、テレビのバラエティで見るオネェタレントみたいな人たちが街を闊歩している、というわけでもない。怪しげな看板が多いわけでもない。志保の印象としてはいたって「ふつう」の街だ。夜になったら少しは風景が違うのだろうか。

ただ、昼間に訪れるとなんだかこの街はまだ眠っている、そんな印象を受けた。やっぱりいわゆる「夜の街」って奴なのだろう。

それよりも、志保の印象に残ったのは、寺の多さだった。

ビル街の中にいくつかお寺が立っている。東京の都心では、すっかり近代的なビルにお寺の看板がついていて、え、ここが寺?と思うことも多いのだけれど、二丁目には昔ながらのお寺が、狭い区画の中に数軒残っている。墓地も健在だ。

二丁目の中心にある公園に差し掛かった時、志保は少し足を止めて、あたりを見渡してみた。志保の周りを、ビルに囲まれて三軒ほどのお寺が取り囲んでいる。周りをお寺に囲まれるなんて、京都とかに行かないとないことだと思っていたけれど、こんな都心の真ん中で見れるとは。

「おーい、なにしてる。こっちだ」

その中の一つの寺の、裏口らしき門の前に舞が立って、手招きしていた。門の脇には控えめに「行真寺(ぎょうしんじ)」と書かれている。

 

行真寺の裏口から志保は境内に入った。この裏口というのは墓地の脇にあるもので、昼間だけ解放している。基本的には墓参りに来る人用の出入り口なのだけど、中には大通りへの抜け道としてこの裏口から入って墓地を通り抜けていく不届き者もいる。

並ぶ墓石は見たところ、どれもある程度は風化していて、この墓地とお寺の年月の古さを感じさせる。中には、刻まれた文字が完全に風化してしまって読み取れないものもあった。

「昨日も話したけど、おまえの事情であたしが知ってることは、ぜんぶママにきのう電話で話したから」

「あ、はい、わかってます」

昨日の別れ際に、志保は舞から、事情を「ママ」にすべて話すことの許可を求められた。舞いわく、ウソや隠し事が通用する相手ではないので、最初から志保の事情を伝えておいた方がいい、というのだ。

「大丈夫だ。ママはおまえの事情を知ったって、悪いようには扱わないから。むしろ、味方になってくれると思うぞ」

「は……はい」

志保は話題を変えようと、あたりを見回した。墓地の出口が近いのか、墓参りに使う手桶が並んだ台がすぐ横に見える。

「この辺りって、ビルも多いのに、お寺もいっぱいありますよね。なんでなんですか?」

「寺?」

今度は、舞があたりをきょろきょろと見まわした。

「そういや、この辺、やけに寺が多いな。気にしたことなかった。なんでなんだろうな」

その時、前方から下駄の音がした。

「ここはあの世とこの世の境目なのよ」

見ると、そこに袈裟姿の住職が立っていた。舞の言う「ママ」に違いない。

スキンヘッドの頭はいかにも僧侶っぽいのだけれど、なんだかごつごつしていて岩肌みたいだし、顔も眼光鋭く、見る者を威圧する。

「コワモテおじさんだ」と、志保は心の中でつぶやいた。

「ママ」こと住職は、かつかつと下駄を鳴らしながら二人の方へ近づいてくる。そして、舞の方を見ると、

「ヤダー! 舞ちゃん、久しぶりじゃなーい!」

と、さっきよりも1オクターブ高い声で話し出した。

「……先週も会ったじゃねぇかよ」

「そうだったかしら」

「そっちは忘れてても、ママが片手で椅子をぶっ壊した衝撃映像、あたしは一生忘れないからな」

「ああ、そんなことあったわね。そうそう、あれで十万も払ったのよねぇ」

住職はなんだか遠い過去を懐かしむような眼をしている。

「それに、おとといも昨日も、電話で話してるじゃねぇか」

「そうだったわね。それで、その子が話してたバイトの子?」

「そうそう。名前は志保。名字は、ええっと、神林だったっけ?」

「神崎です。神崎志保です」

「志保ちゃんね。アタシ、ここの住職をしてる知念厳造よ、よろしくね」

「すごい名前……」と志保は心の中でつぶやいた。

「まあ、お店やってた時の『キャサリン』って名前で呼ばれることも多いけどね。そっちで呼んでくれてもいいわよ」

「それもまたすごい名前……」と、志保は危うく声に出しそうになった。

「あ、あの、それで、バイトの面接とかは……」

「ああ、いらないいらない」

知念住職がにこやかに答えた。

「舞ちゃんの紹介、っていう時点で、それなりに信用ある子だろうから、面接はパスよ」

「その全員が逃げ出してるけどな」

と舞が笑った。

「あ、あの、舞先生と住職さんは、はどういうお知り合いで……?」

その問いかけに、知念住職がクスリと笑った。

「舞ちゃん、『先生』って呼ばれてるの?」

「別に、おかしくないだろ?」

「ふーん」

と、知念住職は再び、遠い過去を懐かしむような眼をした。

「関係性はカンタンよ。アタシがお店やってた時に、舞ちゃんがお客として通ってた時からよ」

「え?」

志保が舞を見る。

「職場の先輩に連れられてたまに行ってた、だ。通った覚えはない」

と舞は発言を一部否定した。

「あら、何年か前に、仕事も結婚生活もやめちゃったときは、一人で通ってたじゃない」

「そ、それで、仕事内容なんですけど……!」

なんだかそれ以上聞いちゃいけない気がして、志保は話題を変えた。

「週に何回か、お掃除とかしてもらうわ。境内の落ち葉を掃除するだけでも大変なのよ。それと、月に何回か、お葬式とかお通夜とか法事とかあるから。そのお手伝い。弔問客の対応だったり、お香典の管理だったり、葬儀場の設営だったり。頼むのは簡単なお手伝いばかりだから、慣れれば大丈夫よ」

「全員が慣れる前に逃げ出したけどな」

そういって舞が笑う。

「お給料は日給で三千円。お葬式の時は手当とかつけるつもりだけど、あんまり出せなくて、ごめんなさいね。その代わり、短時間だし、日にちも志保ちゃんの都合優先でいいから。ほかにもバイトしてるって聞いてるわよ」

「あ、はい、大丈夫です」

「他に質問は?」

「え、えっと……その……」

志保は一瞬ためらったが、続けた。

「さっきの『あの世とこの世の境目』というのはいったい……」

もしかしたら、ここは現実世界と異世界の境界線で、このお寺があることで異世界からの侵略を防いでいるんじゃ……、という考えがほんの一瞬だけ志保の頭をよぎったけど、そんなわけないかとすぐに打ち消した。

「この街はね、江戸の西側の玄関口なのよ」

知念住職は周りを見渡した。境内の木々のむこう側に、少し遠くのビルの色鮮やかな看板が見える。

「江戸の街=今の東京都、というわけじゃないのよ。江戸の町はもっと小さいわ。今の23区よりも小さかったの。だいたい山手線沿線と同じくらいかしら」

「え、そうだったんですか?」

江戸と東京は一緒だとなんとなく思っていた志保にとって、江戸の町の範囲なんて、考えたこともなかった。

「『江戸っ子』なんて江戸城が目で見える範囲で生まれ育ってないと名乗れないのよ。この街よりも西側は、江戸じゃないの。ふつうの農村よ。今では住宅街だったり商店街だったりデパートが建ってたりする場所が、ただの農村だったなんて、想像つかないでしょ?」

「はい……。のどかな場所だったんですね」

志保が生まれ育った町も、位置的にそういう場所だったのだろう。

「昼間はのどかでいいけれど、夜は怖いわよ。街灯とか全くないんだから。家はまばらにしかないし、荒れ地や沼地、雑木林なんかもあるの。そういう場所におばけが出るかもしれない、と昔の人が考えても、全然不思議じゃないわよ」

「確かに……」

「江戸という都市の外側は、自然は豊かだけど、夜になったら怖い場所。だから、江戸の玄関口であるこの場所は、あの世とこの世の境目ってわけ。そういう場所には、お寺や神社が多いのよ。ご先祖さまや神様を祀るには一番いい場所だったんでしょうね。ここに来れば、亡くなった人に会えるかも、って。新しいものばっかりの街だけど、意外とね、昔の人の想いの残滓がどこかに残っているものなのよ」

志保は周りを見渡した。大都会の中で、ここだけ時間が止まっているようにも思える。

 

画像はイメージです

気づけば五月も半ばである。

いつもの都立公園も先月は桜が咲き誇っていたが、すっかり花も散り、地に落ちたハナビラすら姿を隠した。木々の葉っぱは日々その青さを色濃くし、一方で足元に目を向ければ、色とりどりの花々が、桜の次の主役は私たちだと言わんばかりに咲き乱れる。

たまきが「庵」の前を訪れると、仙人が椅子に腰かけてカップ酒を飲んでいるのが見えた。

「あの……」

たまきが声をかけると、仙人もすぐに気づいた。

「おや、お嬢ちゃん」

仙人はたまきを見た後、その背中にあるリュックに目をやる。

「また絵を見せに来たのかい?」

「まあ、そうなんですけど……、今日はちょっと違って……」

たまきは申し訳なさそうに、仙人の横に置かれた椅子に腰かけた。

「あの、この絵なんですけど……」

そういってたまきはスケッチブックの一番最後のページに描いた絵を見せた。

仙人は一瞥して、すぐに口を開いた。

「これは、お嬢ちゃんの絵ではないな」

そこに描かれていたのは鳥の絵だった。たまきが模写したあの鳥のラクガキだ。

「これは、ほかの人が描いた絵を、私が描き写したやつで……、その、仙人さんはこの絵をどこかで見たことはないですか?」

「どこかというのは?」

「……この公園だったり、町の中だったり……壁とか電信柱とか、その……」

「なるほど、ラクガキというわけか」

「……まあ」

たまきの返事を聞くと、仙人は静かにかぶりを振った。

「見たことはないな。すくなくとも、記憶にはない。ラクガキならあちこちで見るが、こういう絵があったかどうかはちょっと思い出せんな」

「そうですか……」

「ところで、そっちの紙は何だい?」

仙人は、たまきのリュックから飛び出した、丸まった紙の筒を指さした。

「これは……」

たまきは紙を広げた。それは「城」の中で描いていた、ラクガキを見つけた場所の地図だった。

「ほう、これは面白い」

と仙人がのぞき込む。

「この辺りはよく通るが、こんなラクガキがあったかどうかは覚えてないな。わしが気付かんかったものをお嬢ちゃんがこんなに見つけたということは、この絵とお嬢ちゃんの間には、何か通じるものがあるのかもしれんな。きっとこの絵は、お嬢ちゃんのことを選んだんだよ」

そう言って仙人は笑い、カップ酒に口をつけた。

 

画像はイメージです

とぼとぼと歩いて、たまきは歓楽街に帰ってきた。いつもの薄群青のパーカーを羽織っているけど、だいぶ暖かくなってきたから、そろそろいらなくなるかもしれない。

いつぞやのゲームセンターの脇の道を歩いている時だった。不意に小さななにかが飛び出し、たまきの前を横切った。

ネコだった。白地に黒のぶち猫が、道路の脇で立ち止まり、たまきの方を見ていた。

野良猫だろうか。歓楽街で野良猫を見るのは珍しいことだ。

「こ、こんにちは……」

と、たまきは話しかけてみた。

ネコはじっとたまきを見ていたが、

「みゃお」

と鳴くと、建物と建物のわずかな隙間の間に入ってしまった。

たまきはネコの後を追って、隙間をのぞき込んだ。

人一人がギリギリ通れそうな隙間があり、壁にはラクガキがびっしりと描かれている。

そこは、例のラクガキをたまきが初めて見た場所だった。猫はちょうど、鳥の落書きの真下にたたずんで、たまきの方を向いていた。そうしてたまきの姿を確認すると再び

「みゃお」

と鳴いて、隙間のさらに奥に、ねこねこと歩き出した。

「ついてきな、お嬢さん」

そんな風に言われた気がした。

たまきは、猫の後をついて隙間の奥へと歩き始めた。なんだか、どこかの童話みたいだ。

 

東京の街はまるでお城みたいだ、と言ったのは誰だっただろうか。

でも、たまきにとって東京の街のイメージは、それはシンデレラ城のようにきらびやかなお城ではなく、ジャングルの奥地に取り残された廃墟の城だった。百万の人が住む廃墟、それがたまきにとっての東京だ。

そして、今歩いているような建物の隙間は、まさに人が暮らす廃墟そのものだった。光はわずかだけ。目に映るもののほとんどが灰色だ。空き缶、ポリ袋、何かの配管、室外機。どこかの工事の音。ほんの数十歩引き返せばいつもの場所に戻れるのに、この世の果てに迷い込んだ気分だ。

「みゃお」

ネコの鳴き声が聞こえて、たまきは立ち止まった。

だけど、猫の姿は見れない。

その代わり、たまきの目に映ったのは、あの鳥のラクガキだった。

たまきは思わず息をのみ、ラクガキに軽く触れた。

少しひび割れている。今まで見つけたラクガキの中で一番古いのではないか、なんだかそんな気がする。

もしかしたら、誰かがここにラクガキを描いてから、たまきが見つける今この時まで、誰の目にも触れることがなかったのではないか。それこそ、ジャングルの奥地でひっそりと眠り続ける古城のように。

『きっとこの絵は、お嬢ちゃんのことを選んだんだよ』

先ほどの仙人の言葉がふと、たまきの耳の奥をくすぐった。

 

つづく


次回 第39話「お葬式、ところによりバスケ」

お寺でバイトを始めた志保、そして、あいかわらずラクガキ探しをするたまき。あのキャラの過去にも少し触れるかも? 続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

「買い替える」なんて考えない

どうも僕は「やめる理由が見つかるまで延々と続ける性格」のみたいです。

たとえば、中学生の時に初めて携帯電話を買ってもう20年近くになるんですけど、

これまで持った携帯電話の台数は、3台。つまり、機種変は2回だけ。

今のスマートフォンが使い始めて3年だから、その前の2台は平均して7,8年使った計算になります。

どうしてそんなに機種変しないのかと言うと、「壊れなかったから」「使えたから」、つまり、「機種変しなきゃいけない明確な理由がなかったから」

逆に、じゃあなんで機種変したのか。1回目の時はなんで機種変したのかもう覚えてないけど、2回目はつい3年前なのではっきりと覚えてます。ガラケーの通話機能が使えなくなったからです。電話なのに電話できないのはさすがにマズいと思って変えたんです。

そういえば、小学校の頃は1年生の時に買ってもらったスーパーマリオの筆箱をずっと使ってました。理由はもちろん「まだ使えたから」。

そしてなんと、そもそも今この文章を書くのに使ってるテーブル、これが小学校に入るときに買ってもらった学習机なのです。なんと、もう四半世紀使っているということに、今気づきました。

今使ってるベッドは中学校に入るときに買ってもらったやつだから、これまた20年以上同じベッドで寝起きしていることになります。

どちらも、いまだに立派に原形をとどめてます。買い替えるための明確な理由がないから、買い替えない。それだけ。

趣味はラジオを聴くこと。ラジオを受信できるウォークマンをスピーカーにつないで聞いてます。まさに今も、ラジオを聞きながら書いてます。

10年前に買ったウォークマンなので、あちこち壊れ始めていて、実は移動しながら使うと接触が悪くなって音楽がよく聞こえません。

動かすとまずいんだけど、ずっとテーブルの上に置いていればちゃんと使える、ということでウォークマンなんだけどウォークすることなく使ってます。

いつ買い替えるんだと聞かれればもちろん、「完全に音が出なくなった時」。

新機種が出たとか、新商品が出たとか言われても、「へぇ~」と聞き流してます。

こうやって振り返ってみると、そういえばそもそも買う時に「いつか買い替える」ということを前提にしていないなぁ。

ボールペンや消しゴムのような明らかな消耗品は、さすがにそのうち買い替えるだろうと思って買うのだけれど、そうでなければまず「買い替える」という発想がそもそもない。

とはいえ、別に一生使い倒してやろう、という覚悟があるわけでもない。

本当にただただ、「買い替える」という発想がないだけなのです。

やめる理由が見つからない

ZINE作りを始めて、今月で5年目に入りました。

でも、文学フリマに初めて出店したのは2020年の11月(コロナ禍まっただ中!)だったので、実感としては「デビューしてまだ3年たってない」って感じです。

この一年で、僕のことを知ってくれる人も少し増えたように思います。「縁ができたな!」というやつですね。

ちなみに、去年一番驚いたのは、文学フリマで、ファンだという女性から差し入れでカールをもらったことです。カールはもう、関東では手に入りづらいのよ……。

なんだかんだで4年間、飽きもせずやって来たことで、見えてる景色が少しずつ変わってきてるのかな、とちょっと実感しかけているいるところです。

ホントにちょっとずつですけど。

そしたらこの前、学生時代の友人が僕のことを「続けてることがスゴイ」と言ってくれたんですよ。

なるほど。確かにそうかもしれない。

続けている、続けられる状況にあるっていうのは、確かにそれだけですごいことなのかもしれない。

僕の実感としては「やめる理由がなかった」と言うのが正直なところ。1冊作るたびに「次も作ろう」と思えるし、文学フリマなどのイベントに出ればちゃんと反響がある。売上も、実力と工夫次第でまだまだ伸びていくという実感がある。

なにより、ZINEを置いてるお店や、ZINEを売るイベントをいくつかまわっていくうちに、それまで行かなかった町、知らなかったお店、出会わなかった人に会うようになる。

「ネタ切れ」とか、「反響がない」「全然売れない」「ここが限界だろう」、みたいなやめる理由がいまのところ見つかってないから続いている、って感じです。

すくなくとも、カネになるならないはあまり関係ないですね。儲かったってやめる人はやめるだろうし。もうやめたいんだけどカネになるから続ける、っていうのもなんだかなぁ。

ZINEにかぎらず、僕の場合なんだってやめる理由が見つからないうちはずっと続ける性格なのですが、その性格が「続ける才能」ってヤツなら、案外そうなのかもしれません。

続けることもまた一つの才能。そういえば、地球一周に向けてポスター貼りをしていた時も、そんなことを言われました。一度は地球一周を志しても、船に乗るまで半年ぐらいある中で、その意思を継続できる人って意外と少ないんだ、と。確かに僕は一度も「やっぱり地球一周はやめよう」と思ったことはなかった。「ポスター貼りもうヤダ!」は何回かあった気がするけど(笑)。

さて、その友人が、この春から海外に出向することになったんです。それも、数年間。

その話を聞いて、思ったのです。

「私も、まだまだ暴れ足りない」と。

もっともっとワクワクすることをしたい。

友人は海外に行く。僕も負けてられない。ワクワクに関しては負けたくない。謎の意地の張り合いです。

きっと僕は、どんな人生を歩んでいたとしても、必ずこう思うのでしょうね。「もっとワクワクすることをしたい」と。

だから、まだまだまだまだ止まんないよ。

スマホを捨てよ、海に潜ろう

ゼンカイのあらすじ

ゼンリョクゼンカイでスマートフォンを忘れたノックさん。気づいた時には時すでに遅し。電車はドンブラコと最寄り駅から離れていく。しかし、スマートフォンがないことで、日常のちょっとした考える時間、すなわちシンキングダイムの重要性に気づくのだった!

「考えること」の大切さを繰り返し説いてきた哲学者で文筆家の池田晶子さんは生前、テレビもネットもやらなかったそうです。インターネットで世界中がつながっても、ガラクタのような情報が増えるだけだ、と。たしかにそうかもしれないですね。

それよりも、思索の世界に入り込めば何時間でも楽しめる。だから彼女にはテレビもネットも必要なかったのだとか。

なーんとなくわかる気がしますね。彼女の場合「自分とは何か」「善悪とは何か」「宇宙はなぜ存在するのか」なんて哲学的なテーマをいくつも持っていて、それについて考えることでいくらでも時間を費やせた。いわば、頭の中に膨大な「思索の海」を抱えていて、どこまでもどこまでも潜っていけた。

問題はこの「思索の海」は日ごろから「考えること」をしていかないと、水が溜まっていかないということ。

ふだんから考えることをしないで、テレビやスマートフォンばっかり覗いていると、水が全然たまりません。プールぐらいの浅さのところを潜って、すぐに底をついておしまいです。

そんなんだから急に「おうち時間」なんて言われると何していいかわからなくなるわけです。

意識的にオフラインの時間を作って、何か考えてみたり、逆に無心になって何も考えなかったり、そういう時間が必要なんです。四六時中スマートフォン片手に、社会情勢やらトレンドやらの最新情報をチェックしてる人が賢くて偉い、なんてことはないんですよ。むしろ、「思索の海」に水が溜まってないのにバカスカ情報だけ取り入れてる人の方がバカなのかもしれないですよ? 水槽に水が全然ないのに魚を放流しまくってるようなものですから。

だいたい、ネットでデマに踊らされてる人ってのは、むしろ普段からスマートフォンをいじくって色んな情報を見てるはず、の人ですから。知識や情報量の多さが人を賢くするわけではないんです。

まあ、テレビやスマートフォンに比べると、読書やラジオはそういうオフライン時間にオススメかもしれません。映像がない分、想像力を働かせる必要があるから、知識や情報を吸収しつつ、ちゃんと考える時間も取れる。

テレビが普及し始めた時に「一億総白痴」なんて言われて、そんなことあるまいと思ってたけど、イヤあんがい、少しずつそうなっていたのかもしれませんね。

スマホを忘れただけなのに

スマートフォンを忘れて家を出てしまった。気づいた時にはもう遅い。駅の改札をくぐってしまったうえ、駐輪場に自転車を入れてしまったから、いまから出すと100円かかってしまう。

仕方ないので、そのまま電車に乗った。夜まで帰れない予定だし、今日はこちらから電話だのLINEだので連絡を取る用事があるのだけれど、いまから取りに帰るとお金も時間もかかるのだから、仕方ない。

それに、令和になった今でも、駅前を中心に意外と公衆電話は残っている。問題ない。

しかしこうやってスマートフォンを手放してみると、その分、スマートフォンをのぞき込む人の姿が目に付く。歩きスマホだったり、スマートフォンで音楽を聴いてたりで、こちらに気づかずにぶつかりそうな人もいる。2台同時に操る猛者まで見た。

それに引き換え、こちとらちょっとのスキマ時間にSNSを見ることもできない。いや、普段からあまりスマートフォンを触らないようにしているのだけど、それでも日ごろけっこう触ってしまっていたんだなぁ、と気づく。

いったい、僕たちは一日にどれほどの時間をあのうっすい板切れごときに費やしているというのだ。ほんの10年前まで存在もしなかったくせに。

スマートフォンに触れないとなると、暇な時間は「考えること」しかできない。作りかけの新作の原稿を考えたり、前に読んだ漫画の内容を思い出したり、保留にしていたことを考え出してみたり……。

けっこう楽しいじゃないか。人間は考えるアシなのである。考えることは楽しいのだ。

もしかして、人類はスマートフォンによって、こうした日常のちょっとした「考える時間」を奪われているんじゃないのか。

ネット検索ができないから、気になったことはずっと気になっている。

グーグルマップが見れないから、自分で道を思い出すしかない。

天気予報が見れないから、空模様から予測するしかない。

ところがスマートフォンがあると、こういう「ちょっとした考える時間」がどんどん奪われていく。

よくない。これはよくない。特に、大人になると、ほかにいろいろ考えなければいけないことが出てきて、ただでさえ「自由に考えられるちょっとした時間」が減っていくというのに、残った時間までも板切れごときに吸い上げられるなんて、時間のピンハネじゃないか。

最近、回転ずしやでの迷惑行為が世間を騒がしていて、「こんなことして動画をネットに挙げれば炎上するって、ちょっと考えればわかるでしょ?」と思うけど、もしかしたら今の子供たちはその「ちょっと考える」ための時間を、大人が作ったスマートフォンに奪われているんじゃないか。大人が子供たちから時間を吸い上げておいて、『よく考えろ』もないもんだ。

そんなことを考えながら、お昼ごはんを買おうとファミリーマートに入る。

するとなんと、レジの上にモニターがあって、そこで映像が延々と流れされていたのだ。

レジを並んでいる十数秒間を退屈しないように、なんだろうけど、冗談じゃない。「レジを並んでいる十数秒間にちょっと考える時間」まで奪うつもりなのか!

実際、映像が流れて、音まで出ていると、どうしても思考を止めてそっちを見てしまう。よくない。これは実によくない。

これからどんどんデバイスが発達してどんどん便利になると、そのぶん、どんどん「ちょっとした時間」が奪われていくんだろうなぁ。

人間は考えるアシだ。だったら、考えなかったら、ただのアシじゃないか。これを俗に「悪しきこと」というのです。

飲み会がしたい

飲み会がしたい。

思い返せば、コロナが始まるよりもさらに前からもう、満足のいく飲み会をやれてないんじゃないか。

別にお酒が飲みたいわけじゃない。そもそも、もう何年もお酒を飲んでない。禁酒しているんじゃなくてお酒に全く興味がないだけ。そんなくだらないものに費やすお金があるなら、僕は一個でも多くのから揚げを食べたい。

どんちゃん騒ぎして記念写真を撮りたいわけでもない。僕はほとんど自分の写真を残さない。過去の写真を全く見返さないから、撮るだけ時間の無駄と思ってる。「記念写真とろーよー」という声がかかったら、僕は確実に逃亡する、っていうか、逃亡したことがある。

思い出話に花を咲かせたいわけでもない。これまた、記念写真を見返すことと同じくらい時間の無駄だと思ってる。せっかく久しぶりに会って、今この時ではなく昔の話をしてるってなんなんだそれは。

恋バナに花を咲かせる、もあんまり興味がない。人のプライベートには首を突っ込まない主義だ。いま目の前にいる本人の話が聞きたいのであって、いま目の前にいない恋人の話なんてどうでもいい。

オタク話はまあ面白いんだけど、ちがうんだ。そういう飲み会をしたいんじゃないんだ。

これから何をやりたいか、何を企んでいるか、何に今ワクワクしているか、そういうお互いの頭の中にある設計図、宝の地図をぶつけ合う、そういう飲み会を、もう何年もやってない。

別に、実現できそうもない夢でもいいの。「宝の地図」なんて、どうせそんなもの。簡単に手に入りそうなら、それはもうお宝じゃない。

どんなに忙しくても、どんなに貧乏でも、余命いくばくもなくても、「宝の地図」を描くだけなら自由です。

ドデカすぎて実現まで10年近くかかりそう、そんな途方もない夢をぶつけ合って笑いあう、そんな飲み会がしたいんだ。いや、飲み会じゃなくていい。酒に興味がないから、食事会でいい。からあげの店でいい。

やっぱり、一番聴いてて楽しいのは、人の愚痴でも、のろけ話でも、思い出話でもなく、

今の冒険の話、次の冒険の計画、やっぱこれに尽きるでしょ。

冒険のさなかの失敗話、冒険のさなかに出会った人、冒険の自慢話。聴いてて楽しいのも、話してて楽しいのも、やっぱりそれだろ。

頭の中の宝の地図をぶつけ合う、そういう飲み会がしたいのです。

ファンタジスタはいらない

サッカーW杯のカタール大会が終わってしばらくたちますけど、今回はなかなか興味深かったです。

結果的にはアルゼンチンが優勝したけど、10年ぐらいたってカタール大会ってどんなだっけと言われた時に、きっと僕が思い出すのは、メッシでもエムバペでもなく

「モロッコ、すごかったなぁ」

だと思います。

日本もドイツとスペインを下して死のリーグを抜け出し、クロアチアとPK戦にもつれこんだ。

まあ正直な話、日本代表なんて勝とうが負けようがどうでもいいんですけど(僕にとっては32か国ある出場国の一つに過ぎない)、ただ、今回の日本代表はなかなか興味深いんですよ。

スターが、いないんですよ。

もちろん、点を取った選手は注目されやすいですけど、誰か中心になって突出して活躍した選手がいるかと考えると、特にいない。

大会後の報道を見てても、メディアによく出るのは、キャプテンの吉田とか、ベテランの長友や権田とか、森保監督とか、要はしかるべきポジションの人が代表して出てるくらいで、それこそメッシやエムバペ、ポルトガルのクリロナみたいな、その国を代表するようなスターやエースは特にいない。

これが何を表しているかというと、「ひとりの天才の力・個の力で勝ったんじゃなくて、チーム全体の力で勝った」、ってことなんですよ。

ドイツ戦もスペイン戦も、相手と対等に渡り合えたかと言ったらそう言うわけじゃない。やっぱり相手の方が上手くて、ボールぜんぜん取れなくて、攻められ続けてるんだけど、なんとか耐え忍んで、1失点で押さえて、少ないチャンスをものにして勝つ。

つまり、守備が決壊していたら絶対にできない勝ち方なんです。守備って一人のスーパースターやファンタジスタにような個の力でどうにかなるものじゃなくて、戦術、約束事、全員が連動する、そういうことが大事なんです。守備が上手くいったということは、チーム力が良かったということ。一人のスーパースターがドリブルで切り裂いてシュートをねじ込んだ、そういう勝ち方じゃなかったはず。

快進撃を見せたモロッコだって、一人で点を取りまくった天才がいたわけじゃない。チームとして強かった。実際、守備はめちゃくちゃ硬かったです。

結局、天才メッシを擁するアルゼンチンが優勝して、「メッシはすべてを手に入れた」って言われてますけど、僕はむしろ「10代のころから天才と言われ続けたメッシですら、ワールドカップを制するのにここまで手間取る、サッカーは一人の天才の力でどうこうなるスポーツじゃない」という風に映りました。

でも、この「一人の天才の力ではどうにもならない」こそチームスポーツの醍醐味じゃないですか。選手それぞれに得意不得意があって、それぞれの選手がそれぞれのポジションでそれぞれの特技を発揮して勝つ。

一人で何でもできるんだったら、そもそもチームスポーツである意味がない。一人でやればいいじゃん。そういう競技もいっぱいあるよ。

オシム監督なんて、「ファンタジスタはいらない」とはっきりと言ってました。実際、オシムサッカーは全員が連動してチームとしてかつ、そういうサッカーでした。

なんだか最近、その辺がおろそかになってる気がします。チームスポーツなのに、個人の力ばっかり注目される。

一人が何本シュートを打とうが何本ホームランを打とうが、チームが勝てなきゃゼロと一緒。チームの勝敗だけが評価のすべて。個人の記録を競うスポーツじゃないんです。

個の力が必要以上に誇示されるようになってきた、そんな時代になってきたと思うのは、僕だけですかね。

そんな時代だからこそ、日本やモロッコのようなチームが健闘したことに意義があると思うのですよ。