小説 あしたてんきになぁれ 第11話「惚気の長雨、口下手の夕暮れ」

「明日なんかどうでもいい」と援助交際で生活する少女、亜美。「明日が怖かった」と覚醒剤に手を出し、厚生施設に通い始めた少女、志保。「明日なんかいらない」と自殺未遂を繰り返す少女、たまき。3人は歓楽街のつぶれたキャバクラを不法占拠しながら暮らしている。今回は3人が出会って2か月がたったころのお話。

「あしなれ」第11話、スタート!


第10話「真夏日の犬と猫とフンコロガシ」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

長月の長雨はなかなかやまない。

雨の中わざわざ「城(キャッスル)」にやってきた舞は、「迷惑だ」と言いながらも笑いながらたまきの右手首に包帯を巻き始めた。

「ごめんなさい」

というたまきの伏し目がちな謝罪に対して舞は、

「お前が遠慮してあたしを呼ばずに自分で処置して、傷口を化膿させる方がもっと迷惑だから、切ったら必ずあたしを呼べ」

と、笑いながら返す。

「おどろいたよ~。トイレ開けたら、たまきちゃんの手首から血が流れててさ、たまきちゃんがそれ、じっと見てるんだもん」

志保はそういうとソファに深く沈み込み、本を読み始めた。お菓子の作り方に特化した本だ。

「いつぶりだっけ、リスカするの」

舞が、包帯がほどけないようにたまきの手首にしっかりと固定しながら尋ねた。

「……八月の半ばです」

「その前は?」

「……七月の終わりごろ……」

「お前が勝手に一人で処置したやつな。やっぱり、二週間に一回くらいか」

たまきは無言でうなづいた。二週間に一回、無性に死にたくなる時がある。別になにか嫌なことが二週間ごとにやってくるわけではなく、普段の生活の中でため込んだ毒素が限界になるのが、二週間という期間なのだとたまきは解釈している。

「志保、お前はどれくらい経つ?」

急に話を振られて、志保が驚いたような顔をして舞の方を見た。

「え? な、なんの話ですか?」

「クスリやめてからどのくらい経つかって聞いてるんだ」

「……一か月ちょっとですね。自己ベスト更新中です」

「……ほんとに使ってないんだろうな」

その言葉に、志保はさみしそうに下を向いた。

「……あたしのこと、信じてないんですか」

「人としては信じてるし、信じたい」

舞はたまきから手を放し、志保の方に向き合って、言葉をつづけた。

「だが、医者としては信じていない。残念ながらな」

「……ですよね」

志保は視線をとしたまま、左手で右の腕をさすった。

そこに、

「とう!」

という掛け声とともに、亜美が勢いよくドアを開けて帰ってきた。

「たっだいま~! あれ、先生、来てるんだ。さてはたまき、また切ったな?」

たまきが申し訳なさそうにうなづく。

「亜美、お前どこ行ってたんだ?」

「え? 隣町の理髪店」

亜美の答えにたまきは首をかしげたが、舞は

「理髪店? お前もそんなとこ行くんだな、つーか、そんな言葉知ってるんだな」

と言いながら、救急セットをカバンの中にしまった。

「志保~、晩飯は?」

「先生がせっかく来たから、一緒に外で食べないかって」

「マジで? おごり?」

亜美が目を輝かす。一方、たまきは憂鬱そうに体育座りをしている。極力外に出たくないのだ。

「あたしのおごりだ」

勝ち誇るような笑みの舞に向かって亜美は、

「ゴチになります!」

と、勢い良く頭を下げた。

 

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東京の街並みは遠くから見るとまるでお城みたいだ、と言ったのはいったい誰だっただろうか。城郭のような高層ビルと城壁のような雑居ビルの群れの中に、中庭のように歓楽街が広がっている。

その中の太田ビルというビルの5階にある「城」という潰れたキャバクラに亜美、志保、たまきの三人は住み着いている。不法占拠というやつだ。

一階からコンビニ、ラーメン屋、雀荘、ビデオ屋、そして「城」と積みあがっている。上に行くごとにいかがわしさが増し、3階の雀荘にはガラの悪い人たちが出入りしている。4階のビデオ屋にいたっては、店長が金髪のパンチパーマにサングラスという強面だ。

そんなわけで、まともな人間ならば5階まで昇ろうなどとは思わない。5階まで、ましてや屋上に上る人など、よほど宿に困っているか、お金に困っているか、何が困っているかもわからず死のうとしている人くらいだ。

しとしとと続く雨音の中、コンクリート製の階段を下りて、4人が階下のラーメン屋へと向かう。一列に並ぶ姿は、なんだか某ファンタジーゲームみたいだ。

「へいらっしゃーい!」

自動ドアをくぐると、野菜を炒める音を暖簾のようにくぐった野太い声と甲高い声の大合唱。店内は凸の字型にカウンター席が伸び、奥にはテーブル席が三つほど。夕飯時だが、それほど混んでない。

4人は入口で食券を買うと、カウンターに座った。亜美、志保、そして舞は食券をカウンターの一段高くなったところに置き、それを見てたまきはそっと食券を同じところに置いた。

「いらっしゃい」

カウンターの向こうから顔を出し、ニッと笑顔を見せたミチに最初に気付いたのは亜美だった。

「は?」

続いて志保が

「あれ?」

舞が

「ん?」

最後にたまきが

「あ」

と声を上げた。

「何やってんだお前、こんなところで」

舞の問いかけにミチは笑顔で

「バイトっす」と返す。

そういえば、バイト始まったって言ってたし、飲食店っぽいことも言ってたなぁ、とたまきはぼんやりと考えた。

「なんでこのビルなんだよ」

亜美が半ばあきれたように質問した。

「いや、先輩がこの上のビデオ屋で働いてて、よくこの店連れてってもらってたんすよ。そしたらバイト募集って書いてあっから、応募してみたらすんなり通っちゃって」

ミチがにやにや笑いながら答えた。

たまきは背筋がぞわぞわするのを感じた。自分の生活圏に苦手な男子が入ってくると、なんだか背中がぞわぞわしてたまらない。

ミチはたまきの方に近づくと、

「びっくりした?」

と聞いてきた。たまきは、

「……あんまり」

と返す。

「っていうかたまきちゃん、ミニチャーハンでいいの!?」

とたまきの食券を見てミチがびっくりしたような声を出した。たまきは無言でこくりとうなづいた。

「ハイ、とんこつ醤油、とんこつ醤油大、レバニラ炒め、ミニチャーハン、ギョウザ一丁!」

厨房の奥からほーいと野太い声が聞こえ、ミチも厨房の奥へと向かっていた。あとに残るはなにかを炒める音ばかり。

たまきがぼうっとしていると、亜美が隣のたまきを肘で突っつく。

「あれじゃね? ミチ、お前のことおっかけてここでバイトしてるんじゃないの? あいつ、地味な女が好みだって言ってたぜ?」

にやける亜美の言葉を、たまきはかぶりを振って否定した。

「ないです。ミチ君、バイト先に好きな人いるって言ってました」

そういってからたまきは気づいた。バイト先って、ここじゃないか。

じゃあ、ここにいるのかなと思ったの同時に、たまきの背後からするりと手が伸びてきた。

「お待たせいたしました。ミニチャーハンととんこつ醤油大です」

女性の声に、たまきは声のした方を見る。

二十歳ぐらいだろうか。茶色く柔らかそうな髪を後ろでまとめている。かわいらしい顔立ちはいかにもモテそうだ。

「みっくん」

女性が声をかけると、ミチが厨房の奥から顔を出した。

「休憩入っていいよ」

「はい」

ミチがこれまで見せたこともないくらい顔をほころばせているのがたまきの目に映った。

 

四人が店を出ると、廊下の角でたばこを吸っていたミチが、あわててタバコを傍らのバケツに放り込んだ。灰交じりの黒い水の中にタバコがひとひらポトリと落ちる。ミチは舞の顔を見て、ばつの悪そうに笑った。

「ん~、べつに未成年だからって止めやしないぞ、ミチ。お前の寿命が減るだけだからな」

舞が皮肉めいた笑顔を見せる。

「ねえねえ、ところでさぁ」

と志保が妙ににやにやしながらミチの方に近づいた。

「ミチ君が好きな女の人って、さっきの店員さん?」

「ちょ! 誰から聞いたんすか!」

志保がクルリとたまきの方を振り向き、たまきが申し訳なさそうに下を向く。

「なかなかかわいい人じゃん」

「まあ、お前には高嶺の花だな」

意地悪そうに笑う舞に対し、ミチは

「実はですねぇ……」

と含み笑いで切り出した。

「え? まさか、もう付き合ってるとか?」

「なに? ヤッたの?」

亜美まで身を乗り出してくる。

「いや、そういうわけではないんすけど……」

ミチのその回答に亜美は

「なんだ」

とつまらなそうに背負向けたが、志保は

「なになに? そういうわけではないってどういう関係?」

と目を輝かせてミチに迫る。

「……2回くらいデートしてるっていうか……、今週末も約束してるっていうか……、キスしたっていうか……」

「え―!! なにそれ! つきあってんじゃん!」

志保が、雨粒がはじけ飛ぶんじゃないかというほどの大声を出す。

「いや、ちゃんと、付き合ってくださいとか言ったわけではないんすけど……」

「いやいや、つきあってんじゃん、それ!」

「……やっぱそうなんすかね」

「ガキっぽい顔しといて、やることやってんな」

舞が感心したように言う。

「えー、カノジョ、名前なんて言うの? 学生?」

「海乃(うみの)さんって言います。二十歳の専門学校生っす」

「二十歳? 年上じゃん! 年上カノジョじゃん!」

「ええ、まあ……」

ミチは困ったように笑っているが、本当に困っているわけではないようだ。店の白い外壁に、ミチの薄い影が儚く揺れる。

「えー! よかったじゃん! おめでとう!」

「あ、ありがとうッす。あ、デートの写真見ます?」

「えー! みたいみたい!」

「おっ、カノジョ、なかなかかわいいじゃん」

「先生もそう思うッすか?」

そんなやり取りを見ていたたまきだったが、盛り上がる輪の横をすり抜けると、階段を上っていった。

なんで志保がミチにカノジョができたという話を、あんなに喜べるのかがよくわからない。

ああいう他人の幸せを素直に祝福できる人っていうのは、余裕がある人なんだろう。今現在、志保にカレシはいないはずだが、たぶん、志保はその気になればカレシを作れるのだと思う。その余裕があるから、あんなに素直に他人の祝福が祝えるのだ。

なんだかんだ言って、志保はあっち側の人間なんだと思うと、階段の蛍光灯の灯りよりも、外の暗さの方がより一層強く、ミチや志保の弾んだ声よりも長雨の雨音の方がより一層大きく感じられた。

誰が誰と付き合うとか、たまきには関係ないし、どうでもいい話だ。

 

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「城」のドアに手を書けてガチャリとドアを開ける。右手首の新しい傷がねじれて、また痛む。

鍵は亜美が持っていたはずだから、亜美は先に戻っているらしい。

「城」の中は明かりがついていて、亜美が冷蔵庫の中からビールを出して飲んでいる。亜美の「客」が手土産に持ってくるのだ。

「・・・・・・ただいまです」

たまきは力なくそう言うと、亜美から少し離れたソファに腰を下ろした。

「下、まだ騒いでんの?」

「はい」

二人は特に目を合わせることなく会話をしている。

「よく盛り上がれるよな、志保のやつ。他人のコイバナでさ」

「……亜美さんって、私のことはあれこれずかずか聞いてくるくせに、ミチ君のカノジョさんの話は、興味ないんですね」

「え? だって、あれくらいの男子が付き合うって、フツーじゃん。興味ないし。ヤッたってんなら、また別だけど」

私にとってはその「ふつう」がどれほど手を伸ばそうとも届かないものなのに……。

たまきは下を向きながら考え、ふと気づいた。

そうか。私は普通じゃないから、亜美さんは面白がって私のことをずかずかと聞いてくるんだ。

私が普通じゃないから……。

「何やってた? 下」

「……なんか、ミチ君のデートの写真見てました」

「ナニソレ?」

亜美が半ばあきれたように笑う。

「ヒトのノロケ写真見て何が楽しいの?」

「・・・・・・さあ。『幸せのおすそ分け』じゃないですか?」

「ナニソレ?」

亜美がいよいよあきれ返ったような顔をする。

「そーいや、中学のダチでウザい奴いたなぁ」

エアコンの音がせせらぎのように静かに流れる。その音を背景に亜美は話し出す。

「カレシの話ばっかする奴がいてさ、それこそ、『幸せのおすそ分け』つって。『カレシさえいればもう、何もいらない!』とかほざくんよ」

部屋の中をエアコンの音がノイジーに流れる。

「だからウチ、そいつに『なんもいらないんだったら、財布の中身全部よこせ』つったらよ、そいつ固まって、なんか言いわけ始めてやんの」

「……カツアゲじゃないですか」

今度はたまきが呆れたような顔をする番だった。

「はぁ? 先に『なんもいらない』っつったの、向こうだぞ? いらないんだったらウチが欲しいからよこせっつっただけだぜ?」

亜美はテーブルの上に足を投げ出しながら、半笑いで語気を強める。

「な~にが幸せのすそわけだよ。『すそ』ってズボンの余ったところだろ? すそなんかいらねぇんだよ。現ナマよこせっつーの」

亜美は缶ビールをあおる。

「結局、だれも幸せなんて、他人にはビタ一文渡す気なんてねぇんだよ」

空っぽになったアルミ缶をべこっと潰すと、亜美はテーブルの上に置いた。ふと、そこに置かれたチラシに目が行く。

「……なにこれ」

そこには「東京大収穫祭」と書かれていた。

「なんか、志保さんがそこでクレープ屋やるみたいです」

「クレープ屋? なんで?」

「施設の人たちと一緒にやるそうですよ」

「へ~」

亜美は興味深そうにチラシを眺めている。

「お、ライブステージとかあるじゃん。面白そ~」

「ミチ君のバンドも出るみたいですよ」

「なんだよ。みんな出るじゃん。ウチらもなんかやろうか」

「……何やるんですか」

たまきがソファの上で体育座りをしながら尋ねた。

「お笑いオンステージってのあるぞ。二人でコンビ組んで出ようぜ」

「……嫌です」

「……ツッコミ弱ぇなぁ」

 

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「あ~、むずかしい~」

トクラがおたまを片手に苛立ちを見せる。

教会の中の小さなキッチンで、志保は数人の人たちとともに、クレープを作る練習をしていた。リーダーのトクラがホットプレートの上のとろりとした生地をおたまで広げるが、なかなかきれいな円形にならない。おまけに、生地の厚さにどうしてもムラができてしまう。

「クレープ屋とか、どうやってるんだろ?」

トクラが長い黒髪をかき分けながらつぶやく。

「なんか、ヘラ使ってるみたいですよ?」

トクラのつぶやきに志保が答える。

「ヘラ?」

「なんか、竹とんぼみたいなの」

「竹とんぼ?」

トクラがホットプレートを覗き込みながら首をかしげた。

「あ~、イライラする」

ホットプレートの上には、いびつなクレープのなりそこないが置かれたまま、キツネ色の焦げ目を作っていた。

 

「トクラさんって、美人だよね~」

二十歳ぐらいの女の子がつぶやく。確か、彼女はギャンブル依存症だと言っていた。

噂のトクラ本人は、トイレに行っている。

すると、中年のおじさんが口を開いた。

「トクラさんのお母さんは女優さんだって聞いたことあるよ」

「女優さん? 誰ですか?」

志保が訪ねた。「トクラ」なんて女優、聞いたことない。

「あくまでもそういう噂。お母さんっていうのも、大物女優らしいけど、普段は芸名で活動しているらしいよ」

「ふ~ん」

「にしても、トクラさん、遅いなぁ。もう一回練習したいのに」

おじさんがトイレの方をちらりと見る。水の流れる音がして、トイレからトクラが出てきた。

「よーし! もう一回、練習やろうよ!」

「トクラさん、みんなと話してたんですけど、専用の道具を買ってきた方がいいのかなってなって、あたし、帰りにちょっとデパート行ってみようかなって……」

志保の申し出をトクラは大声で遮った。

「だいじょーぶだいじょーぶ! ねー、生地、どこどこ?」

「生地はそこにあまりが……」

志保が言い終わらないうちに、トクラは生地の入ったボウルを手に取ると、泡だて器を突っ込み、勢いよくかき回しだした。

「ああ、もうかき回さなくていいんですよ! あまり、空気は入れない方が……」

志保の言葉も無視して、楽しそうにトクラは生地を泡立てる。

 

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駅までは歩いて5分くらいのところにある。施設のある教会を出た志保は、駅へと向かう道の途中、ふと、視線を感じた。

振り返ると、トクラが歩いているのが見えた。トクラも志保を見つけると、にっこりとほほ笑む。

志保は少し歩くスピードを落とした。トクラも少し歩みを速めたらしく、すぐに志保の横に並んだ。

トクラの年は三十歳前後だろうか。並び立つと、決して小柄ではない志保よりもトクラのほうが背が高い。モデルのような顔立ちで、「女優の娘」とうわさされるのも納得ができる。少なくとも、それなりの風格があるのだ。

だが、その眼にはどこかゾッとさせるものもあった。

彼女は危険ドラッグの常習者だとどこかで耳にしたことがある。……自分もあんな目をしているのだろうか。

「カンザキさんも通いなんだ」

「あ、はい」

「電車? バス?」

「電車です。4駅先の……」

志保は繁華街のある駅の名を口にした。

「へぇ。あそこ住んでるんだ。すごいとこ住んでるね」

「い、いや、それほどでも……」

家賃を払っていないものだから、何とも言えない。

「トクラさんはどこの駅ですか?」

「私はバス」

「近いんですか?」

「まぁね」

志保もはっきりと数字を覚えているわけではないが、このあたりの家賃は高そうなイメージがある。「トクラは女優の娘」という噂の信憑性がまた一つ増した。

駅へと続く大通りはバスがけたたましく地面を揺らして走るが、人通りはあまりない。志保は、トクラの目を見ることなく、ぽつりと言った。

「……トイレの中で何してたんですか?」

「……聞くんだ」

志保はトクラの顔を見ていたわけではないが、声の感じから、トクラが笑っているのはわかった。

アスファルトに二人の影がくっきりと映される。そこだけ、光も熱も拒絶しているかのようだ。

「……トクラさんは、何のために通ってるんですか?」

「真面目だねぇ、カンザキさん」

トクラが歩みを止めたのを察し、志保も足を止める。トクラの方を向くと、相手も視線を落とし、志保の目を覗き込んでいた。

「その真面目さに首を絞められないようにね。じゃ、また」

そういうと、トクラは踵を返して、軽い足取りでバス停へと向かっていた。

 

携帯電話全盛の世の中となったが、駅前やコンビニの前、公園など、公衆電話を探そうと目を凝らせばまだまだ見つかる。

歓楽街のコンビニの前にある公衆電話に、たまきは十円玉を入れた。受話器を耳に当てながら自宅の番号を押すと、パ、ポ、ポ、と音が鳴る。

全部で十個のボタンを押すと、受話器からプルルルルと呼び出し音が流れる。

たまきは電話が大嫌いだ。自分からかけるのも、かかってくるのも大嫌いだ。

呼び出し音が途切れた。誰かの息遣いが聞こえた途端に、たまきは受話器を叩きつけるように戻すと、都立公園に向けて足早に歩きだした。

 

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「東京大収穫祭」。その言葉を見聞きするのはいったい何度目だろう。

たまきは都立公園の木立の下の掲示板に貼られたチラシを見ていた。

「東京大収穫祭」と書かれたチラシは、志保が「城」に持ってきたものと同じものだった。

そういえば、ミチがイベントが行われる場所を「この公園」と言っていたような気がする。時期は十月の初めごろ。あと一カ月もすれば、この静かな公園が人で埋め尽くされてしまうのだろう。

たまきは下を向いて、とぼとぼと歩きだした。

たまきがよく訪れる公園で開かれる祭りには、志保やミチも参加する。

身近な存在となりつつある大収穫祭だったが、きっとそこに、たまきのような人間が入り込む余地はない。

そんな風に歩きながらおもむろに顔を上げたとき、再びたまきの目に「東京大収穫祭」という画数の多い6文字が飛び込んできた。

ただし、今度はチラシやポスターのような類ではない。それは上下に揺れながら、少しずつたまきから遠ざかっていく。

それは、人の背中に書かれた文字だった。濃いピンクのTシャツの背中に、白い字で例の6文字が書かれていたのだ。

書かれていた文字はそれだけではなかった。あと4文字、「実行委員」という文字が添えられていた。

同じTシャツを着た人2人が、たまきの少し前を歩いている。どういうわけか二人とも右側を見ながら、何か話している。おそらく二十歳くらいであろう女性二人だ。

「でもさ、ここは屋台とかブースとか置く予定じゃないし、べつにいいんじゃない?」

「でも、人が来た時に、あそこが目に入ったらみっともないよ」

二人の女性は林の奥の方を見つめながら何か話している。

あの林の奥には、仙人さんたちの庵があったはず……。

たまきにしては珍しく歩調を速め、女性たちとの距離を少しつめた。

「それに、あんな林の奥だったら目立たない、っていうか見つからないって」

「ダメダメ。イベントの時はああいうところが休憩場所みたいな感じになるんだってば。人目に付きにくいからって誰も来ないとは限らないんだよ」

「でも、去年の大収穫祭の時、あの掘立小屋、あったっけ?」

「……イベントの1週間前には、もうなかったよ。でも、その前の視察ではあったよ。おととしもそうだった」

「毎年、視察の時にはあるけど、本番の時にはなくなってるってこと?」

「ホームレスなりに気を使ってるんじゃない?」

右側の女性はそう言って笑った。

「どうせ毎年いなくなるなら、戻ってこなければいいのに」

もう片方の女性も大声で笑う。

「っていうか、さっきのおっさん見た? 昼間っから酒飲んでなかった?」

「サイテー。どうせどっかいくんだったらさ、酒飲んでないでとっとと出てけばいいのにね」

「っていうか、飲んでないで、働けよ」

「ほんとそれ」

そう言ってまた笑う。笑い声も話し声も、間違いなく庵まで届いているだろう。

たまきはいつしか、彼女たちの後を追うことをやめていた。立ち止まり、その後ろ姿をじっと見ている。

ことし最後かもしれないセミの鳴き声のリズムが、たまきの鼓動と同調して、響く。

笑い声は聞こえても、後ろからでは彼女たちの表情はよくわからなかった。

追いかけていって何か言い返してやりたいが、口下手なたまきにはその「なにか」にあたる言葉が思い浮かばない。

さっき見たイベントのチラシの文字が頭にちらつく。

『みんな、来てね!』

月並みな言葉が残酷に嗤う。

仙人さんは、「みんな」の中に入っていないんだ……。

なんで? 仙人さんは、ここにはいてはいけないの?

たまきはそら豆のおじさんの顔を思い出した。おじさんは仙人にあってから、笑顔が少し明るくなった。仙人にホームレスとしての生き方を教わっていると言っていた。仙人にあっていなかったら、今頃どうしていただろう。

たまきは、カバンからはみ出たスケッチブックを見た。たまきに絵をかくことの楽しさを思い出させてくれたのは、学校の誰かなんかじゃなく、ホームレスの仙人だった。

でも、きっと良識ある大人たちは、仙人がここにいてはいけないというのだろう。初めて仙人にあった時の、どしゃ降りの中でのミチの言葉がたまきの頭の中をぐるぐると廻る。

「ここおっさんたちの家じゃないじゃん。不法占拠だろ?」

……人間は、「ただ、ここにいる」、そんな当たり前のことをするのに、誰かの許可が必要らしい。

 

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林の中を緑の落ち葉を踏み入って入ると、仙人をはじめとしたホームレスたちが数人いた。ベニヤ板のお化けのような庵の前に、折り畳み式のイスとテーブルを地面の上に置き、カップ酒で酒盛りをしている。

木陰の中をアルコールの幽かなにおいが漂う。

仙人はたまきを見つけると、笑いながら声をかけた。

「やあ、お嬢ちゃん」

「……こんにちは」

たまきはぺこりと頭を下げると、空いている椅子に座った。おじさんばかりのこの空間にも、少し慣れてきた。

「お嬢ちゃん、リンゴジュース飲むか?」

仙人は微笑みながらそう言うと、たまきにリンゴの絵の描かれたアルミ缶を差し出した。たまきはぺこりと頭を下げると、プルタブに親指を引っかける。

だが、何度やってもプルタブを持ち上げることなく、親指が外れてしまう。

「なんだ、開けられないのか。かしてみな」

仙人はたまきの手から感を取ると、ぷしゅっとプルタブを開けた。たまきはお礼にまた頭を下げると、両手で缶を持ち、飲み始めた。

少し飲んで缶を口から話すと、缶をテーブルに置き、たまきは視線を落とした。

「……怒らないんですか?」

「なににだい?」

「……さっきの人たちです」

この距離ならあの二人の会話は間違いなく聞こえていたはずだ。たまきは、自分の知り合いが馬鹿にされているのを聞いて、背筋から湯気のようなものが沸き立つ感覚と、胸の奥あたりが凍てつくような奇妙な感覚を同時に味わっていた。

「あの人たち、仙人さんたちのこと何も知らないのに、ホームレスだからってあんなふうにバカにして……」

だが、仙人はカップ酒をぐびっとあおると、はははと笑った。

「なぁに、百年たてば、歴史に笑われるのはあちらの方さ」

そう言って仙人はまた、はははと笑う。

「それに、『何も知らないのにバカにして』というのは少し違うぞ、お嬢ちゃん。何も知らないからバカにするんだ」

他のホームレスたちもゲラゲラ笑っている。

「絵を見せに来てくれたのかい? それは嬉しいが、お嬢ちゃんもあまりここには来ない方がいいぞ。さっきみたいな連中に、お嬢ちゃんも笑われてしまう」

仙人はハスキーな声で優しく言った。

「……笑われるのは、……慣れてます」

たまきは視線を上げることなく言った。

「仙人さんたちは……、お祭りのときはどうするんですか?」

「出ていくさ。わしらは、ここにはいてはいけないからな。毎年のことだ」

仙人はさも当り前のようにそう言った。カップ酒の最後の一滴をのどに押しやると、じっと自分のつま先を見つめるたまきの頭をぽんっと叩いた。

「なに、祭りが終わったら帰って来るさ。毎年のことだ」

それを聞いてたまきは視線を上げた。

「ただ、それもいつまで続くか、わからんけどな」

「……どういう意味ですか?」

「ここ数年、東京都がオリンピックを誘致しようとしとる。もし本当にオリンピックなんて来たら、わしらみたいなのはどこかに追いやられてしまうだろうさ。まあ、仕方あるまい。公園はみんなできれいに使うもの。その『みんな』の中に、わしらは入っていないのだからな。今から断食して、浮いたお金で都民税でも納めてみるか」

そういうと仙人はにやりと笑い、ほかのホームレスたちもゲラゲラ笑う。

 

林から出たたまきは、都庁を見上げた。ぶ厚い雲が日光を遮り、都庁に影を落としている。

いつかの亜美は都庁に向かって「バカヤロー!」と叫んでいたが、口下手なたまきには、今、自分の中でぐるぐる回っている感情に言葉を付けてあげることができない。

 

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長月の夕暮はなかなかくれない。不死鳥の翼のように茜に染まった空に黄金色の雲が浮かび、一日の終わりをオーケストラのように彩っている。

亜美は煙草を片手に太田ビルの屋上へと出た。太田ビルはこの歓楽街ではひときわ古く、それでいて、ひときわ高い。東を見れば歓楽街が一望、とまではいかないがとてもよく見える。一方、西の空にはいくつものビルがそれこそ城郭のように立ち並んでいる。

ふと、柵に目をやると、小さな影が東側の策によりかかっている。

その影の正体がたまきだと気付いた時、亜美は初めてたまきとあった時のことを思い出し、汗が頬を伝り胸元へと落ちていったが、よく見るとたまきは柵に背中を預けて絵を描いているだけだと気付き、胸をなでおろした。

「ビビらせんなよ、おい。また死のうとしてるのかと……」

そう言って亜美はたまきに近づいたが、たまきがまるで睨むかのように西のビル群をじっと見据えながら、たまに視線をスケッチブックに落として絵を描いているのがわかり、亜美は何も言わずに横でそれを見ていることにした。

数分してたまきは絵を描きあげた。亜美はそれを少し離れたところから見る。

「相変わらず、お前が描くと魔王の城みたいだな」

そう言った途端、たまきは描かれた紙をスケッチブックから切り離した。たまきはプルタブも一人じゃ開けられない細い腕に力を込め、自分の描いた絵をやぶきはじめた。紙のちぎれる音が雷鳴のように亜美の鼓膜を打つ。まっすぐには破けず、途中で曲がり、結局、最後まで破ききることができなかった。

亜美はあわててたまきの正面へと回り込む。

「ごめん! ウチ、なんか余計なこと言っちゃった? いや、ウチはそういう絵、好きだよ? なんか、へヴィメタのジャケットみたいじゃん?」

亜美の言葉に、たまきはまるで、たった今亜美に気付いたように大きく目を見開いた。

「え? な、何の話ですか?」

「いや、ウチ、余計なこと言ったのかなって」

「え? 何か言いました?」

二人とも、夕焼け雲のように顔を赤くしている。

「だって、せっかく描いた絵を破ってさ、ウチの言ったことが気に入らなかったのかなって」

「え? いや、これは、その……」

たまきが恥ずかしそうに視線を落とす。

「この絵は……、最初から……、やぶくつもりで描いたんです……」

「え? なんで?」

下を向くたまきの顔を覗き込むように、亜美がたまきを見る。たまきは答えない。

「意味わかんない。ねえねえ、なんで最初っからやぶくつもりで、絵なんか描いたの?」

たまきはやぶれていびつな形になった紙を見つめた。描かれている都庁、らしき建物は引き裂かれ、たれ込めている。

「……私、口下手なんで」

そういうとたまきは、紙を手に、口を堅く結んで、搭屋へと入っていった。

つづく


次回 第12話「夕焼けスクランブル」

次回、トクラが志保を、ミチがたまきを、かき乱す!

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

毎日がタダで食べ放題? ピースボート船内の食事は実はこんな感じ

人間にとって一番大切なのは食事である。旅において大切なのも食事である。旅先でどれだけ素敵な景色に巡り合おうと、船内でどれだけ素敵な仲間に恵まれようと、ご飯がおいしくなければ台無しだ。今回はピースボートの船内の食事について書こう。ピースボートの船内は、毎日が実は……。


ピースボート船内の食事ってまずい?

ネットではたまに「ピースボートの食事はまずい」と書かれた文章を見る。

何も知らないアンチが書きこんでいるのかと思いいや、昔のピースボートの食事は本当にまずかったらしい。スタッフが「確かにまずかった」と言っていたのだから。

「昔の」と書いたのは、2017年現在ピースボートが使かってるオーシャンドリーム号よりも前の船の話だからだ。

僕はオーシャンドリーム号の食事しか知らない。

そしてオーシャンドリーム号の食事は……、美味い。安心してくれ。

ピースボート船内のレストラン

まず、ピースボートの船内には三つのレストランがある。そう、三つもあるのだ。これを理解していないとこの後の話はさっぱり分からない。

まずは4階にある「リージェンシー」。4回は乗客が立ち入れる一番下のスペースで、4階で乗客が立ち入れるのはこのリージェンシーだけだ。イメージはホテルの大きな食堂や結婚式場に近いかもしれない。三つのレストランのうちで一番豪華だ。

席はスタッフが案内してくれる。逆に言うと、こちらでは選べないのだが、知らない人と話せる機会だったりもする。

残る二つは9階にある。9階の中央にあるのが「リド」。真ん中は屋根がなく、プールがあってプールの周りをいすとテーブルが囲んでいる。

もう一つが9回後方の「パノラマ」。こちらは屋内だが、外にもいくつか席がある。

9階の二つは席が自由に選べる。

これらのレストランでの食事代は、すでに船代に含まれている。船内にいる限り、食費の心配をすることは全くない。

ピースボート船内の朝ごはん

まずは朝である。

4階のリージェンシーでは和食が食べられる。ご飯に味噌汁、しゃけの切り身や玉子焼きなど「ホテルで出てくる和食の朝ごはん」を想像してもらえるといい。

一方、9回の二つのレストランでは洋食を出している。トーストにスクランブルエッグなど。こっちは「ホテルで出てくる洋食の朝ごはん」を想像すればいい。

ちなみに、どちらも食べ放題である。朝から腹いっぱい食べようとする人は少ないと思うが。

朝ごはんのこぼれ話

エジプト、スエズ運河での朝。左側にアフリカ大陸の安定陸塊、右側にアラビア半島の砂漠が見えるという、この上なく贅沢な状態で朝ごはんである。

僕は仲の良いグローバルスクールのメンバーと一緒にリド(9階の屋外)で食事をとっていた。

ただ、スエズ運河の上というのはいつもこうなのか、ハエが大量発生していた。

うっかりハエを口にしないように気を付けながらの食事が強いられていた。エジプトの人たちは大変だなぁ、と思った朝だった。

ピースボート船内の昼ごはん

さて、お昼ご飯である。

4階のリージェンシーではよく、チャーハンが出ていたのが印象に残っている。普通のチャーハンだったり、キムチチャーハンだったり。

また、寄港地に停泊中でもリージェンシーは営業している。もちろん、ただなのでお金の節約にはもってこいだ。

こういうときはおにぎりや唐揚げといったメニューが多い。リージェンシーでの昼食を待ってから寄港地を散策したこともある。

9階中央のリドは麺料理が出てくる。うどん、そば、ラーメン、タイのフォーなどなど。若者に人気だ。

9回後方のパノラマではカレーだったり白身のフライをパンにはさんだり、フライドポテトだったりと洋食系だ。

ちなみに、どれも食べ放題である。そして、どこか一つのレストランしか行けないというルールは存在しないので、余裕があるものはリドとパノラマをはしごする、なんてこともよくある。

昼ごはんのこぼれ話

リドのラーメンは人気メニューだ。日本で食べるラーメンに比べればそれほどでもないのだが、とにかく船内でラーメンが食べられる機会はそうそうないので、大人気だ。割と早い段階でなくなってしまう。

ある日、8回のフリースペースでぼんやりしていると、「地球大学」という有料プログラムの受講生二人が声をかけてきた。「地球大学」とは船で地球を一周しながら、貧困や戦争など、世界のいろいろな問題について学ぶという有料プログラムだ。彼らはまいにち2時間ほど講義を受けている。

さて、僕に声をかけた二人は「我々は今、ある社会問題についての問題提起をするために、みんなの署名を集めている」と切り出した。いったい、どんな問題を扱っているのだろうか。貧困? それとも平和? 差別問題?

彼らが取り組んでいる問題、それは「地球大学生はリドのラーメンが食べられない、これは不公平だ!」という問題だった。

地球大学生はまいにち13時まで講義を受けている。ところが、講義が終わってリドに行ってみると、もうラーメンがなくなっているのだ。

同じ食事代を払っているのに、地球大学生だけラーメンが食べられない。これは不公平だ!

だから、ラーメンの日はなるべくおかわりをせず、地球大学生の分を残しておいてほしい!

というわけで、賛同してくれる人の署名を集めている、との話だった。

僕は署名した。「確かに、おいしいラーメンが食べられないのは不公平だ」と素直に思ったのと、「お前ら、よくそんなくだらねぇ話題で署名を集めよう、という気になったな。それこそ平和とか差別とか、もうちょいましな話題あっただろ?」という彼らの心意気に感動?したからである。面白ければそれでいいのだ。

あれ以来、僕はリドでラーメンのおかわりはしていない。

ピースボートのティータイム

午後三時になるとパノラマでティータイムがある。一口サイズの洋菓子と一緒にお茶を楽しめ、いつも大人気だ。

何か打ち合わせがあるときなどは「じゃあ、ティータイムでもしながら」と呼び出すのにとても便利だ。

ちなみに、無料のうえ食べ放題である。

もっとも、僕はあまり好きじゃなく、わざわざ売店でスコーンを買って(有料)食べていた。スコーンといっても洋菓子ではない、バーベキュー味とかチーズ味とかある、スナック菓子の方だ。

ピースボート船内の晩ごはん

夕食の目玉は何と言ってもリージェンシーである。豪華客船の旅っぽい、シェフが腕によりをかけた豪華な食事を楽しめる。これは残念ながら、食べ放題ではない。

また、誕生日の人は部屋にバースデーカードが届けられて、それを持っていけばバースデーケーキが出てくる。これは本人だけでなく、一緒に来たお友達も食べられる。僕も船内で誕生日は迎えなかったが、仲間のおこぼれで何回か食べた。

ただ、人によってはそういった上品な味が口に合わず、もっと庶民的などんぶり飯が食べたい、という人もいるだろう。

そんな奴いるのかと思うだろうが、そんな奴の本人がいまこの記事を書いている。

そういう人は9階のリドに行けばどんぶり飯が食べられる。スタミナ丼や牛丼のようなボリュームたっぷりのどんぶり飯だ。

こちらは食べ放題である。

ちなみに、この時間、「なみへい」という居酒屋として営業している。お酒はもちろんいわゆる居酒屋料理が食べられ、フライドポテトやたこ焼き、ラーメン、たまに新鮮なお刺身などが食べられるが、これはすべて有料なので注意すること。

酒を飲むか飲まないかで船内の生活費はだいぶ変わってくる。

晩ごはんこぼれ話

1日目の晩ごはんは何かどんぶり飯だった気がするのだが、船酔いがひどく、満足に食べられなかった。船内では腹が減っていなくても、ご飯は食えると気に食うべし。

晩ごはんこぼれ話

さて、さっきも書いたようにリドの夕食はどんぶり飯が基本だ。また、リージェンシーでは和食が食べられる。

そのため、地球一周の108日の中で、和食やごはんが恋しくなったことはない。よく、海外旅行だと和食やごはんが恋しくなると言うが、ピースボートの船内なら毎日食べられるのだ。

恋しくなったのは、チェーン店系の料理だ。

パナマのクナ族という部族のコミュニティを訪れたツアーの帰りのバス。横浜を出港して2か月がたていた僕と友人の女子二人は、「日本に帰ったら何が食べたい」で盛り上がっていた。

僕が挙げたのは地元・大宮のラーメンとうどん(うどんは「楽釜製麺」というチェーン店のものだ)。この「日本に帰ったら何が食べたい」という話題はとても盛り上がったと記憶している。

その日の夜、夢に大宮駅が出てきた。どうやら、よほど食べたかったらしい。

これが、地球一周の108日の中で僕が唯一、「日本に帰りたい」と思ったエピソードである。

船内のその他の食事処

実は、この三つのレストラン以外にも食事をができる場所がある。全部8階だ。あと、全部有料なので注意すること。

まずは、8階中央の「カサブランカ」。昼間はカフェとして、夜はバーとして営業している。カップめんもここで食べられる。

その後ろにあるのが「ピアノ・バー」。その名の通り、ピアニストの演奏を楽しみながらお酒が飲める。

8回後方にあるのがクラブ「バイーア」。ここでもお酒とカップめんが楽しめる。

バイーアの最大の特徴は「カラオケ機器がある」ということであろう。

ちなみに、カラオケ機器は一台だけ。自分の番が来るとクラブの中央に置かれたカラオケ機の前に立って、他のお客さんに囲まれながら歌うこととなる。

それでも、船内で唯一カラオケができる場所である。このカラオケとカップめん目当てで、僕は割とバイーアに入り浸っていた。

たぶん、船内の乗客は「なみへい」派と「バイーア」派にある程度わけられると思う。

カラオケはいつも多くの人が予約するので、1日2~3曲も歌えればいい方なのだが、何かのイベントの裏とかで一回、仲間内4人ぐらいで占拠したことがある(占拠と言っても、たまたま他のお客が来なかっただけなのだが)。運が良ければそういうこともできる。

また、船内で行われたオークションで友人が「カラオケ独占権」を落札して、仲間内で本当に占拠してしまったこともあった。

さて、8階の最後方、オープンデッキではたまにバーベキュー大会が行われる。これに参加するのは有料なのだが、結構いい思い出になるぞ。

夜食こぼれ話

以前、ピースボート地球一周の船内に持っていくべき、日本で簡単に手に入るアレとは?という記事にも書いたのだが、船内でカップめんは非常に人気だ。

寄港地でもカップめんは売っているが、現地の人向けの味なので、日本人の口には合わない。特にバルセロナで見た日清のカップヌードルは、パスタ風の味付けがされているような感じだった。

ただ、このカップめんはクルーズ終盤には売り切れてしまう。自分でいくつか持ち込んでおくことをお勧めする。

立憲民主党のツイッター#選挙に行かなかった理由42人の意外な真実

立憲民主党がツイッターで「#選挙に行かなかった理由」というハッシュタグで意見を募集した。「選挙に無理していかなくてもいい」と主張してきた僕にとっても、この立憲民主党の試みは興味深い(支持するしないとは別に)。なぜ、選挙に行かないのか。このツイッターに寄せられた意見をできる限り(42人分)収集し、分析してみた。


ツイッターでお説教する奴ら

まず、最初に言いたいのが、このハッシュタグをつけて「選挙に行かなかった人たち」にお説教をする奴らがいた、という残念な事実である。

選挙に行かなかった人たちに対して「民主主義に対する理解が低い」、「発想を転換しないとだめだ」、「もっと勉強しろ」、「日本がどうなってもいいのか」、「選挙権を取り上げろ」といった意見を書く輩が数名見受けられた。

まず、彼らの読解力の無さに絶望している。「#選挙に行かなかった理由」であって、「#選挙に行かなければいけない理由」を募集していますとはどこにも書いていない。

せっかく立憲民主党が「選挙に行かなかった理由を教えてください」と言っているのに、そのハッシュタグで頭ごなしに説教を始めたら、彼らは委縮して二度と本音を話してくれなくなるかもしれない。

そんな簡単なことすら想像ができない人間が「日本の将来を考えろ」と偉そうに語っている姿は、実に滑稽である。想像力の乏しい人間が想像する「日本の将来」とやらがどの程度のものなのか、ぜひ何かのハッシュタグをつけて聞かせてほしいものだ。

確かに、彼らの言っていることは正しい。

でも、全然やさしくない。

「日本がどうなってもいいのか」というが、こういう「他人の絶望に対する理解が低い」人間がのさばり、さも自分が高尚な存在化のように振る舞い、「意識の高い暴力」を平気でふるう社会はすでにどうかなってしまっていると思う。

一つ言えるとすれば、「選挙に行かなかった理由」をやさしく受け止めようとしない人間がいくら民主主義や日本の将来について語ろうと、そんなものはちっぽけな自尊心を埋めるためのおもちゃにすぎない、ということだ。彼らはさも、自分が大局を見ているかのように語るが、結局、何も見えていない。

長々と語ってしまったが、それでは「#選挙に行かなかった理由」の分析に入ろう。

#選挙に行かなかった理由「投票しても結果は変わらない」

職場の人曰く、「どうせ自民党が勝つんだから選挙に行っても無駄」だそうです。

心理学の用語で「ハロー効果」というものがある。簡単に言えば、「人は周りに流されやすい」という傾向だ。

例えば、事前のニュースで「自民大勝」と出れば本当に自民党は大勝するし、「希望の党、伸び悩む」と出れば本当に希望の党は伸び悩み、「立憲民主党、大躍進」と出れば本当に立憲民主党は躍進する。

事実、そうだったでしょ?

「あなたの投票で事前の予想を覆そう」などというのは、かなり非科学的な発言である。

#選挙に行かなかった理由「どこに投票しても変わらない」

投票して世の仲良くなったか?公約ちゃんと守ってるのか?

いまの投票システムは国民の意志を伝えるものじゃなくて政治家を肥えさせるためのシステムだぞ

公約破ったって何の責任も取らない奴らに国民の意思が伝わるわけがない

 

ママ友さん達は、「誰に入れたらいいか全然分からないし、入れても何か変わる気がしない」という感じでした。

 

どうせよくならない。政治を身近に感じない。

 

職場の9割は非正規、生活苦しいのに変わらないとあきらめムード。

 

私の周りはどうせ変わらないというのが多かった。

 

地方在住に友人の意見です

自分の一票で変わるという実感がわかない

 

どこだって同じ

 

生活にどのようにフィードバックされるのかがわかりづらいんです

 

同じ「変わらない」でも、こちらは「選挙の結果がどうであれ、今の生活はよくならない」という意味、すなわち、政治不信である。

「そんなことないよ! 君の選択で未来を変えられるよ!」……とでも意識高い系の人は言うのだろうか。

だが、「信じていないものを信じてください」と言って信じる奴はいない。

例えば、テレビの占いコーナーで「今日、素敵な出会いがあるかも!」といったところで、占いを信じない人は信じない。「いかにこの占いは当たるか」と説き伏せても効果はない。

そんな人に占いを信じさせる方法はただ一つ、本当に占い通りに素敵な出会いが起きることだ。

一回占い通りの日があってもまだ弱いだろう。3日連続で占い通り、ぐらいじゃないとたぶん効果がない。

すなわち、政治不信の人に政治を信じてもらうには、一票が云々というお説教ではなく、「政治で生活がよくなった」という実感である。

ただ、二度の政権交代を経て「結局何も変わらない」という結論を出したのならば、これを覆すのもまた大変なことである。

#選挙に行かなかった理由「投票制度の問題」

住民票を移動できないため

 

公示日の時点で帰国後3ヶ月たっておらず、投票権がなかった

 

都内に住む親友は、選挙に行かないと言っていました。理由は住民票を実家(千葉)から移してないから面倒とのことでした。

 

制度上投票できないのならばしょうがない。ちなみに、住民票を移す手続きは、ひっこす2週間前と2週間後に2回。それをうっかり忘れたらもう移せない。期限がある意味が分からない。

#選挙に行かなかった理由「仕事の都合」

旦那の話ですけど、内航船とか外航船とかの人は無理ですよね。戦争でもなったら船乗りなんてすぐ巻き込まれるのに!

 

仕事で忙しかったです!♡

 

海外出張のため公示前に出国して、投票日までに帰国できない場合はどうしようもないですよね?

船に乗っていたら投票できない、というのは船で地球一周した経験のある僕にはとてもよくわかる話だ。

ネット投票を実施すれば、これらの問題もある程度解消できると思う。憲法改正よりもネット選挙の是非の方を議論するのが先だと思うのだが。

#選挙に行かなかった理由「体力的/距離的な問題」

私の母は今まで投票していましたが、今回は高齢(87)で体がきつくて歩いて投票所へ行けませんでした。

 

足腰の悪い80代の両親、電動車椅子で投票所へついても、体育館の中が自力で歩けない。選管に問い合わせたら「どうにもなりません」との回答。こんなことで選挙を諦めさせられているのはおかしいと思います。

 

金曜日に職場で大怪我をしました。日曜日はなんとしてでも投票所へ行こうと、上下のカッパと長靴を用意して雨脚が弱まるのを待っていましたが、終日大雨の中、慣れない松葉杖で出かけるのは危険と判断し、結果棄権となりました。

ネット投票ができたらと悔しかったです。

 

 

行きたかったのに行けませんでした。投票区から離れた病院に入院していると、選管の指定医院でない限り、不在者投票ができないそうです。総務省などにも確認しましたが、どうにもならないと言われ、郵送による投票も身障者手帳がないと不可能だそうです。

 

毎日のように寝込んで過ごし投票所にも行けない

 

投票所まで行くのが遠くて、交通手段もないし歩いて30分以上かかる。

……なぜネット投票の議論を国会でしない。憲法改正とかモリカケ問題とかよりも、明らかに優先度が高い気がする。これだけ実際に困っている人がいるのだから。

これらの意見をまとめてつぶさに思うのは、「本当は行きたかったんだけど、体力的な問題で行けなかった」ということである。「這ってでも行く」なんて口でいうのは簡単だが、実際はかなり大変なのだ。僕は、本当に這っていっている人を見たことがない。

以前、「選挙に行かないなら意志の示しようがないから、そんなやつの意見は聞く必要がない」と言われたことがあるが、その言葉がいかに視野の狭いものであるかが、これらの意見を見ると切に思う。

#選挙に行かなかった理由「選挙という制度が嫌い/無意味」

選挙自体が嫌い

自分の母がこれでした。

よくわからないから人に聞くとご近所トラブルになると言ってました。田舎なので…

 

日本の選挙は、安倍政権のような暴走政権が生まれやすく、その政権を国民が止めることが難しい制度になっている。

こんな制度の選挙では意味がない。

 

主人は現在の選挙制度に不満だから行かないのだそうです。

 

大別すれば『どこに投票しても変わらない』と同じ政治不信なのだろうが、こちらは「今の選挙のやり方では国民の意思を反映できない」という考え方だ。

こんな言葉がある。

「民主主義は最悪の方法だ。ただし、これまでの歴史の中のどの制度よりも優れた方法である」

つまり、「民主主義/選挙より優れた制度は今のところないけど、決して完璧じゃないってことを肝に銘じてね」という話だ。

選挙は最善ではあるが完璧な方法ではない。必ず、選挙では拾い切れない声が存在する。

例えば、自分の投じた一票が毎回結果に影響を及ぼさなかったとしたら、「今の選挙のシステムじゃ自分の意思は反映できないから、投票する意味がない」と考えるのも至極当然の発想ではないだろうか。

#選挙に行かなかった理由「興味がない/わからない」

都内で日本語を教えています。帰化して日本国籍を取得している人も複数いるので聞きましたが、「わからない」からでした。

 

今の私の周りの人たちが選挙に行かないのは、よくわからないから、ただただ無関心層、危機を知らない。

 

政策が多すぎるんですよ。イメージしやすい政策を掲げてほしかったです。(学生時代、選挙に行かなかった理由です)

 

勉強していないからどこがいいかわからない

 

選挙推進派が批判の槍玉にあげていたのは彼らのような人たちだろう。ここまで読んでいただければわかると思うが、「政治に無関心」という層は、どうやら選挙に行かない人たちの主流派ではないようだ。選挙推進派が「大局を見ているようで、実は何も見えていない」というのがあるていど証明できたのではないだろうか。

さて、彼らを選挙に向かわせるにはどうすればいいのだろうか。「政治に関心を持ってもらおう!」と考えたそこのあなた、ぜひ、次の項目も読んでほしい。

#選挙に行かなかった理由「軽い気持ちで行きたくない」

友達の話したことだけど、「ちゃんと勉強していないのに行けといわれて、軽い気持ちで投票したくない

 

政治の知識のないままに浅い知識で投票するのもどうかと…

 

初めての選挙の時に政治に関心がなく適当に書いたが、その党に入れたことをすぐに後悔したから。

 

政治そのものに関心があっても、正しい判断材料がなければ責任を持って投票できない。至極真っ当な意見だと思う。

各党のマニフェストを見比べるだけでひと手間である。昔、予備校の世界史の先生が「長い歴史の中で、勉強とは裕福な暇人がするものだ」と語っていた。裕福な暇人でなければマニフェストを読もうとも思わないのかもしれない。

かつて、民主党が政権を取った時にテレビのインタビューで「今まで自民党に入れていたけど、今回は民主党に入れた」とのんきに語るおじさんを見たことがある。「過去の投票に対して反省はないのか」と唖然としたのを覚えている。

同様のことは自民党が政権を奪還した時にもあった。「やっぱり、民主党じゃダメだ」。投票した責任というやつを感じないのか。

一票の重みを感じて投票に行かないのと、一票の重みを感じずに投票するのと、どちらが大罪なのだろうか。

#選挙に行かなかった理由「日本に興味がない」

日本に興味ないし

 

「まったく興味がないから」だそうです

 

「日本がどうなってもいいのか」と息巻いていた誰かさん、これが答えです。

たぶん、多くの人が「こんな無関心ではいけない/よくない」と思うことだろう。

考えてみてほしい。例えば、自分を愛してくれているとはとうてい思えない人間から「僕のことを/私のことを、愛してくれ!」と言われたら、どう思うだろうか。

たぶん、多くの人が警察にストーカーの相談に行くはずだ。

つまりは、そういうことである。自分への愛を感じられないものに愛を与える人はそうそういない。彼らが「日本に興味がない」というのは、日本が、政治や彼らの周りの人間が、彼らに関心を払わなかったことの裏返しではないだろうか。

「この国を変えたい」と思うには、「この国に自分の居場所がある」という実感が必要だ。

#選挙に行かなかった理由「生活に不満がなかった」

行かなくても生活に困らなかったから

 

「どうせ変わらない」と対極にあるようで似ている意見だ。「変える必要がない」、なるほど、それも確かに行かない理由だろう。

#選挙に行かなかった理由「政権争いにあきれている/信用できない」

「野党内でもめる」ことも理由です。

 

立候補者の演説がよいことしか言わないため、信用できない」

 

センセイと呼ばれ高そうだけどセンスの悪いスーツ着て普段は地主や業界団体としか付き合っていない脂ぎったオッサンが選挙の時だけ朝駅前で頭下げられても白ける。

 

90歳越えの祖母曰く、

昔の議員はいつも地元にいて、どんな人でどんな考えか分かっていた。常に口に出し発信していた。

それがだんだん選挙時しか町で見なくなり、見ても当たり障りのない挨拶化敵陣の批判しか言わない。

……だそうです、立憲民主党さん。

「どこに入れても変わらない」と同じ政治不信ではあるけれど、あちらが「政治は信頼できない」なのに対し、こちらは「政治家が信用できない」。要は、人としての政治家に不信感が強いわけである。

#選挙に行かなかった理由「入れたい候補がいない」

初めて選挙を棄権しました。

小選挙区は、携帯電話にNHKの受信料を付加するという自民党。政治塾に1日いっただけで立候補した地元で無名の希望。あとは共産・・・

比例は、ビラ配りしているのにもかかわらず私だけ配らない、立件の比例候補。こんな選挙は、初めてでした。

 

立候補者がいない

 

入れたい候補がいないから選挙に行かない。これまた、当たり前の話だ。

それでも白票でいいから選挙に行くべき、という意見をたまに見るが、白票にどんな効果があるのだろうか。無効票、すなわち、書き損じと一緒にされてしまうだけだ。だったら、投票に行かずに投票率を下げて社会問題にした方が効果的ではないだろうか。

#選挙に行かなかった理由「子連れの投票が難しい」

これだけ雨が続くと赤ちゃんを連れて投票所に行くのは困難

 

こういった意見がある一方、「子供を投票所に連れて行くべき」という意見もあった。

大人の投票する姿を見て育った子供は自然に投票に行くようになるのかなと思います。

 

残念ながら、この推測は的外れである。理由は簡単。子供の頃、毎回親の投票についていき、大人の投票する姿を見て育った人間がいま、この記事を書いている、ということだ。

#選挙に行かなかった理由「地域社会の問題」

ご近所の方は「町内の婦人会の人が受け付けをやっているのが嫌、プライバシーをのぞかれるのが嫌」という理由で行かないそうです。

 

たぶん、この婦人会の人たちは人のうわさをぺらぺらと喋り散らすのではないだろうか。「〇〇さんち、日曜日の昼間に投票に来てたわよ。日曜日だっていうのにどこにも行かないなんて、あれじゃお子さんがかわいそうよね~」なんて噂が立ってしまったら、もうその町では生きていけないのかもしれない。

#選挙に行かなかった理由「時間がなかった」

期日前は、朝7時に自宅を出て、大学の授業が終わって、バイトが終わると夜10時。選挙当日は、朝7時に遊びに行って、帰宅が夜21時。

月曜から土曜まで毎日15時間学業とアルバイトに励み、週に一度の休日を惜しむかのように遊び倒す。そんな彼/彼女に「遊びに行かずに投票に来い」なんて残酷なセリフは僕には言えない。

#選挙に行かなかった理由「深い絶望から」

病んでた頃はとにかく死ぬことしか頭になくて、投票に行く気など全く起こらなかった。一緒に行こうと言われるのも苦痛だった。

 

人生を諦めているから

 

社会への不満は投票へとつながるが、社会への絶望は投票にはつながらない。

立憲民主党さん、これが答えのようです

以上、42人分の声である。

巷で言われがちな「政治への無関心」というのは意外と少数、全体の15%ほどだった。

それよりも目立ったのが「政治を信頼できない、政治家を信用できない」という声だ。全体の4割ほどを占めていた。

しかも、これらの意見は「僕個人がそう思っています」というよりも「私の周りの何人かがそう言っていました」というパターンが多い。だとすると、選挙に行かなかった人の半分以上がそう感じている可能性があるということだ。

今回の選挙の「不投票率」は47.3%。この半分、つまり国民の4人にひとりが「政治は信用/信頼できない」と言っているわけだ。これは深刻である。

また、選挙のシステムの都合上、投票したくてもできなかったという声も多い。住民票の問題だったり、仕事の都合だったり、体力的な問題だったり。

こちらは全体の三分の一を占めていた。「不投票率」から考えると、国民の15%は行きたくても行けなかったということになる。

今の選挙のシステムは、どうやらやさしくないらしい。

選挙に行かなかった理由をまとめてみると、みんなちゃんと考えたうえでの結論だった、ということをひしひしと感じる。もちろん、その考え方自体が間違っている可能性はある。しかし、それでもちゃんと考えに考えた結果出した答えが「選挙に行かない」である場合が実は結構多いのだ。

選挙に行くのが面倒な奴らは選挙に行かなかった理由を考えるのもめんどくさいんだろう

 

というツイートがあったが、僕から言わせれば、選挙に行かなかった理由を考えるのを面倒くさがっているのは、こんな風に意識高い系のお説教を垂れている連中の方ではないのか。大局を見ているかのようで、実際ははなに一つ見ていないのだ。むしろ、自分の頭で考え、「選挙に行く」という常識を疑い、答えを出せる人間の方がまだ、視野が広いのかもしれない。

最後に、SEKAI NO OWARIの「Hey Ho」という楽曲の歌詞の一節を引用して終わりたい。

「君が誰かに手を差し伸べるときは今じゃないかもしれない。いつかその時が来るまで……それでいい」

無理して投票に行かなければいけない理由なんて、どこにもない。

小説 あしたてんきになぁれ 第10話「真夏日の犬と猫とフンコロガシ」

仙人に出会って少しずつ、自分の絵に対する考え方が変わってきたたまき。絵を描くことが好きだったことを思い出し、暗い絵しか描けないのではなく、自分の感情がそのまま絵に反映されることを知った。しかし、同じ日に仙人に出会い、歌を酷評されたミチはあれ以来公園に姿を見せていない……。

「あしなれ」第10話、スタート!


第9話「憂鬱のち誕生日」

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


写真はイメージです

「だから……自販機が怖いんです……」

その男性はうつむきながら言った。志保(しほ)はその男性の右目の下のほくろをじっと見ていた。

部屋の中には十数個の椅子が丸く並べられて、様々な年代の人が座っている。志保はその中でも一番若かった。男性は四十代くらいだろうか。

「自販機が目に入ると、もう条件反射というか……、お酒のことを思い浮かべてしまうんです。スーパーとかはアウトですね……。お酒を買わないように財布は妻が持っていたのですが、どうしても欲しくなって、抑えられなくて……」

男性はそこで言葉を切った。志保にはその続きがわかるような気がした。

「……お酒を万引きしてしまったんです」

志保は一瞬、男性から目をそらしたが、すぐに視線を戻した。

「……お店ではばれなかったんですが……、買ったお酒を何気なく冷蔵庫に入れてしまって……、妻にばれてしまったんです。私が依存症ってわかってから、絶対お酒を買わないようにしていたんで、うちにお酒があること自体がおかしいってことでばれて……、妻に泣きながら責められて……」

志保は右腕をさすりながら、自分の母親のことを思い出した。

男性は話を切るとうつむいて、何も言わなくなった。嗚咽が漏れてくることから察すると、どうやら泣いているようだ。

シスターが男性のそばに立つと、優しく背中をさすった。シスターが何かを囁きかけ、男性が泣きながらうなづく。

誰かがぱちぱちと手をたたいた。それにつられて他の人も拍手を始める。

別に、男性の話が特段素晴らしい内容だったわけではない。話が終わったら拍手をする決まりだ。内容ではなく、自分と向き合うことができたことが素晴らしいのだ。

「よく話してくれました。さて、ほかに話してくれる方はいらっしゃる?」

 

都心から少し離れた住宅街にその教会はある。依存症患者たちのためのリハビリ施設が教会に併設する形で、多くの依存症患者を受け入れている。

多くの依存症患者はここに入所している。「入所」と言っても教会や施設で暮らしているわけではなく、近くにシェアハウスを作り、そこで共同生活している。

ただ、中には通院という形をとっている患者もいる。そのためには医師のお墨付きが必要だ。

志保は京野(きょうの)舞(まい)という医師の管理のもと、自宅から通院しているということになっている。自宅には姉と妹がいて、親の代わりに舞が保護者代わりという「設定」だ。

実際はだいぶ違う。志保は今「自宅」に住んではいないし、志保に兄弟姉妹はいない。

「城(キャッスル)」という潰れたキャバクラで不法占拠しているなんて知れたら、速攻で強制入所だろう。

本当の住所なんて教えるわけにはいかないから(そもそも「城」の住所なんて知らない)、施設には舞の住所と連絡先を、志保の住所・連絡先として教えている。舞は「まったく、あたしにも危ない橋渡らせやがって」と笑いながら言っていた。

 

「どなたか、ほかに話しても構わないという人は?」

シスターの問いかけに、志保はゆっくりと手を挙げた。

シスターは志保を見ると、にっこりとほほ笑んだ。

「神崎さん、よく手を挙げてくれました。では、お願いします」

志保はホワイトボードを見やった。そこには今日のテーマである、「依存症と戦うことの難しさ」が青いマジックで書いてあった。

志保は、一度大きく深呼吸をした。

「あたしは、一年ほど前からドラッグを使うようになりました……。……覚せい剤です。最初はやめる気なんてなかった……。でも、学年が上がって成績も体重も一気に落ちて、付き合っていた彼とも別れて、……クスリをやめたいって思いました」

そこで志保は一息ついた。

「でも、『やめたい』と『やめよう』は違うんですよね。『やめたい』て思っているうちはやめられない……。むしろ、彼を失って、どんどんクスリにのめりこんでいったんです……」

そこから志保はしばし沈黙した。「設定」上言っていいことと言わない方がいいことを選別していたのもあったが、「言いたくないこと」「思い出したくないこと」を思い出して戸惑っていたのもあった。

再び呼吸を整え、志保はしゃべりだした。

「初めてやめようって思ったのは……、今お世話になっているお医者さんに出会ってです。その人に、病気だから治せるって教えてもらって……、それまではずっと自分を責めてばっかで……」

そこでまた志保は黙った。ここから先は言いたくなかった。

でも、ここは言いたくないことを打ち明ける場だ。何もかも「言いたくない」では、きっと自分は変われない。

……変わらなければいけないのかな。

そんな思いが一瞬、志保の頭をよぎった。

「次にやめようって思ったのは……、ここに来る少し前でした……」

志保は、つばを飲み込んだ。

「あたし、クスリ欲しさに……、財布を盗んじゃたんです……。それも、最初あたしの……友達が疑われて……」

志保は震え声で続けた。

「でも、その友達はあたしのこと許してくれたんです……。こんなあたしのそばにいたいって言ってくれて……。もう一人の友達も、警察沙汰にならないように被害者の人のところにいっしょに謝りに言ってくれて……」

そこで志保はその時起こったすったもんだを思い出して、笑い出しそうになった。少しだけ気が楽になった。

志保は顔を上げると、1人1人の目を見ながら言った。

「この二人や、面倒を見てくれてる先生を裏切らないためにも、今度こそやめようて思っています。『やめたい』ではなく、『やめよう』って思ってます」

にこやかなシスターの笑顔が目に入った。

「……ただ」

そう言って、志保は再びうつむいた。

「毎日毎日、思うんです。どうせ自分は、また裏切っちゃうんじゃないかって。今は大丈夫でも、明日になったら裏切っちゃうんじゃないかって。それが怖いです……」

最後に、志保は震える声でこう言った。

「明日が来るのが……怖いです……」

志保は目線を上げることなく、軽く会釈をして話を終えた。ぱちぱちという拍手がやけに耳障りに聞こえた。

 

ミーティングが終わり、昼食に入る前にシスターから話があった。

「十月の初めに都立公園で『東京大収穫祭』というイベントが開催されます。もう六回目で、毎年行われているから知っている人もいらっしゃるかもしれませんね。この施設では毎年、依存症への理解を社会に対して啓発する意味で、また、皆さんの社会復帰支援も兼ねて、屋台を出店しています。もちろん、強制ではないので、参加したい方だけで構いません。参加したい人は私に申し出てください。来週の火曜日には、どんなお店を出すのかといた会合を始めたいと思います」

そう言えば、志保が通っていた学校もそろそろ文化祭の季節だった。

出たかったな、文化祭。

みんな、どうしてるんだろ。学校からいなくなったあたしを、どう思ってるんだろ。

そこで志保は思考を切り替える。

マイナスなことを考えると、また、クスリが欲しくなる。

あの事件以来、もうひと月ほど、クスリを使っていない。それが施設に通っているからなのか、「城」でともに暮らすあの二人の影響なのかはわからないが、少なくとも今までで最高記録だ。

やればできる。志保は自分にそう言い聞かせると、思考を切り替えた。

東京大収穫祭には中学校の時、当時の彼氏と一緒に出掛けた。「食べ物に感謝を」をコンセプトに、いろんな屋台が立ち並び、ステージではバンド演奏やお笑いライブなどが行われていた。

屋台もいずれも近くの学校だったり、団体だったりが出店していて、ステージ出演者もアマチュアバンドや駆け出しのお笑い芸人など、予算が少なさを逆手に取った手作り感のウリのイベントだった。

何かやらないときっと変われない、という思いと、もともとイベント好きという性格から、志保はこのイベントに携わるチャンスがあるならば、ぜひやってみたいと思った。

 

写真はイメージです

テレビから聞こえる「ポーン」という正午の時報の音でたまきは目を覚ました。別にずっと眠っていたわけではない。朝、志保が出かけるタイミングで目を覚まし、おやつを少し口にした後また眠ってしまった。

ぼんやりとした頭で、テーブルの上に置かれたメガネを探す。黒縁のメガネをかけても、視界がまだぼやけている。

ぼうっと人の顔が見えた。

次第に輪郭や目鼻立ちがはっきり見えてくる。同居人の亜美だ。満面の笑顔だ。それにしても、色彩が感じられず、白黒に映って見えるのはどういうことか。

それが自分が描いて亜美にプレゼントした絵だとわかり、さらに、それが額縁、というよりはフレームに入れられ、壁に突き刺さった画鋲につるされているのだと分かった時、たまきは仰天のあまり叫び声を上げた。

きゃー!というたまきの叫び声を聞いて、衣裳部屋から亜美が飛び出してきた。

「どうした、たまき! チカンか?」

「な、な、なんであの絵、飾ってあるんですか!」

いつになく慌てふためいたたまきが、顔を真っ赤にしている。眠気はすっかり覚めたようだ。

「ん? ああ、せっかく描いてもらったから、さっき雑貨屋で額縁買ってきたんだよ」

そう言うと、志保は満足げに飾られた絵を眺める。

「キャバクラの指名ナンバーワンみたいで、いいだろ」

「……外してください」

「なんで?」

うつむくたまきを亜美がわけわからんという目で見下ろす。

「だって、ここ、亜美さんの、その……、お客さんとか、友達とか、たくさん来るじゃないですか」

「……で?」

「……いろんな人に見られるじゃないですか……」

「いいじゃん。せっかく描いたんだから、いろんな奴に見せないと」

「……いやです」

たまきは消え入りそうな声を絞り出した。

「なんだよ。なに、おしっこ漏らしたみたいな顔してるんだよ」

「……漏らしてません」

「いや、そういう顔してるって」

亜美はどこかたまきの反応を楽しむように笑っている。

「なに? もしかして、たまき、自分が絵が下手だって思ってる? 大丈夫だって。たまきの絵はプロ並みだって」

何を持ってプロ並みなのか。亜美の適当な言葉をたまきは聞き流した。画力の問題じゃないのだ。

亜美がここに呼ぶ連中はチャラかったり強面だったりの男性ばっかりだ。そんな人たちが寄ってたかってたまきの絵をじろじろ見る。考えただけでも耐えられない。

「……上手い下手の問題じゃないんです。外してください」

「なんで? いいじゃん。ウチの顔描いた絵だよ? 描かれたウチがいいって言ってるんだから、いいじゃん」

「描いた私はいやなんです」

「でも、あの絵、ウチにくれたんだろ? 所有者のウチはあの絵見せたいんだから、いいじゃん」

「でも、描いた私が嫌なんです」

「知らねーよ、描いたやつのことなんか。ウチが持ってる、ウチの顔描いてある、ウチの絵だもん。ウチに決定権があるに決まってんじゃん」

そうなのかな、とたまきは思ったが、もう言い争うのも疲れてきた。たまきはソファの上にころりと転がる。

亜美は満足げに飾られた絵を眺めている。

「ゆくゆくはさ、ここに3人の似顔絵、飾ろうぜ」

「え?」

たまきの上半身が驚いたように跳ね上がった。拍子にメガネが少しずれて、たまきは左手でそれを直した。

「3にんの・・・・・・ですか?」

「そうそう。3人の似顔絵をここにならべんの」

「……亜美さんって、そういうの好きですよね」

たまきはドアにぶら下がるネームプレートを見ながらいった。

「……でも、その似顔絵って、誰が描くんですか?」

「お前に決まってんだろ?」

亜美は何をわかりきったことをとでも言いたげにたまきを見た。

「……いやです」

「なんで?」

亜美が首をかしげる。

「ああ、志保、髪型にウェイブかかってるもんな。やっぱ、描くの難しい?」

「……志保さんを描くのは……、嫌ではないです」

たまきはうつむきがちに返した。

「じゃあ、何が嫌なの?」

たまきは答えない。

亜美は、たまきにぐいと顔を近づけた。たまきは後ずさろうとするが、壁に当たってこれ以上バックできない。両手で壁どんされているため、左右にも逃れられない。

「はは~ん、お前の考えていること、大体わかってきたぞ」

亜美に至近距離で見つめられ、たまきは視線を落とす。

「お前、自分の顔、描きたくないんだろ」

たまきは静かにうなづいた。それを見届けると、亜美は満足げにたまきを壁どんから解放した。

「大丈夫だって。お前、まあまあかわいいから。ああ、でも、もっと自然に笑えるようにならないとダメだな」

「……そういう問題じゃないんです」

たまきは静かにかぶりを振った。

「じゃあ、何が嫌なの?」

「……なにがと言われても……、とにかく嫌です」

「気のせいだって。いいじゃん。描こうよ」

「……いやです」

「いいじゃんいいじゃん」

「……いやです」

「え~、べつにいい……」

「絶対に嫌!!」

いつになく声を張り上げるたまきに、亜美が驚いたように目を見開く。たまきの方は、泣きそうな目で亜美を睨んでいたが、やがて我に返ったのか、自信なさげに視線を落とした。

「……絶対に、嫌です」

「……わかったよ」

亜美は、たまきの肩にポンと手を置くと、ドアの方へと向かって行った。

「じゃあ、ウチ、隣町の美容院に行ってくるから」

「あれ? ついこの前も隣町の美容院に行ってませんでしたっけ?」

「……そうだったな。じゃあ、どうしよう、隣町の床屋いってくる」

首をかしげるたまきを残して、亜美はどこかへ出かけていった。

 

「あ、あの、シスター」

ミーティングが終わり、志保はシスターに声をかけた。シスターは微笑みながら振り向く。

この微笑みが、なんか暖かく、なんか苦手だ。

「どうなさったの、神崎さん」

シスターの上品でよく通る声が、志保の鼓膜を震わせる。

「あの、あたし、大収穫祭、やります」

シスターは静かにほほ笑んだ。

「やってくださるの? 神崎さん、ありがとう」

シスターは後ろを振り向いた。

「トクラさん」

シスターの声に、廊下で談笑していた女性が振り返った。年は三十歳ほど。確か、彼女も薬物依存だったはずだ。いわゆる脱法ドラッグに手を出したと言っていた気がする。

「神崎さんも手伝ってくれるそうよ」

トクラは志保に向かってほほ笑むと、軽く会釈した。志保も、会釈を返した。

 

写真はイメージです

足、足、足。たまきの視界に足ばっかり映って見えるのは、たまきがうつむきながら歩いているからだろう。

「城」から都立公園までの道のりで、たまきは風景よりも地面の模様やマンホールの形の方がよく覚えている。

駅から都立公園の方に向かうにつれ、視界に見える足の数は減ってくる。

うつむき加減でスカートのすそを掴み、とぼとぼとたまきは都立公園に入っていった。

いつもの階段を見下ろすが、誰もいない。

たまきは肩から掛けたカバンをしっかりと胸の前で抱きとめると、とぼとぼと公園を一周した。

演劇の練習をする集団。水彩画を描く老人。コーヒーを飲んで仕事をさぼってるスーツの男性。照りつける日差しの中、いろいろな人が都立公園で思い思いの時間を過ごす。

たまきはまた、元の階段に戻ってきた。階段の中ほどまで下ると踊り場の木陰に腰を下ろす。スケッチブックを取り出すと、いつものように都庁の絵を描き始めた。

蝉の声がやかましい。

絵を描き始めて十五分ほどだろうか。たまきは自分の左横に気配を感じた。

「となり、いい?」

聞き覚えのある声にたまきは勢いよく振り向いた。

「となり、いい?」

そこにはミチの屈託のない笑顔があった。

たまきは無言でうなづいた。

ミチはたまきのすぐ左隣に腰を下ろした。即座に、たまきの腰が右にスライドし、二人の間には、人が一人通れそうなスペースが空く。

それを見てミチは笑うと、担いでいた黒いギターケースをおろした。太陽光を十分に吸ったケースに触れて、「あっつ!」と声を上げる。

ミチはギターを取り出し、チューニングをし始めた。

蝉の声も、なんだか最初の一音を待ちわびているようだ。

「それでは聴いてください。ミチで、『未来』」

まるでラジオのような、誰に聞かせるでもない曲紹介をしたあと、ミチはギターを奏でて歌い始めた。

「未来」。二週間くらい前にミチがホームレスたちの前で歌い、「仙人」に酷評された曲だ。それ以来、ミチはこの公園に姿を見せなかった。

それから約二週間、たまきは2~3日に一回、この公園を訪れた。何枚も何枚も絵を描いた。まるで、自分が絵を描くことが楽しい、絵を描くことが好きだというのを確かめるかのように。

一方で、公園に来るたびに言いようのない不安に襲われ、たまきはため息をついていた。

公園に来るたびに園内をぐるりと一周する。殺意のこもった日差しに照らされ、汗がたまきの頬を伝い、ハンカチでそれをぬぐう。

結局、たまきの不安は晴れることなく、たまきはいつもの階段に戻ってくる。踊り場に腰を下ろすと、なぜだかため息が出てきた。そんなことを二週間続けていた。

 

写真はイメージです

ミチのギターがストロークを奏でると、不思議とたまきの中の言いようのない不安が晴れていることに彼女は気づいた。あるのはいつも通り、「できれば死にたい」という思いと、絵を描くことへの楽しさと、言いようのない安心感である。

ミチのややハスキーなハイトーンが二週間ぶりに、階段の熱せられた空気を震わせている。

――僕の歩く今が未来になる

――夢もいつか「今」に変わる

――明日を変えなければいけないんだ

――未来が僕を待っている

ミチは「未来」を歌い終わると、「ありがとうございました」とだれに言うでもなく口にした。

ミチの歌が終わり、一瞬の静寂が訪れたが、すぐに蝉の声がそれを引き裂く。

蝉のスキャットの合間を縫うように、たまきがポツリとつぶやいた。

「……もう、来ないのかと思ってました」

「え?」

ミチの虚を突かれたかのような返事に、いったい自分は何を言ってるのかとたまきはそっぽを向いた。

「ああ、この前、俺が歌をボロカスに言われたこと?」

ミチは屈託のない笑顔を見せながらいった。

「それで俺がここ来なくなったって思ったんだ」

「だって……、この前、『死にたくなった』って……」

たまき自身、その言葉を本気にしていたわけではないが、この二週間、公園に来るたびにその言葉が頭をよぎった。

「死なねぇよ。『死にたくなった』とは言ったけど、『死のう』なんて言ってねぇし」

ミチはケラケラと笑いながらいった。

「あれ、もしかして、俺がショック受けて引きこもってるとでも思ってた? そんなだせぇことしねぇって」

引きこもり=ダサいという図式は少しショックだったが、たまきは珍しくミチの目を見て話を聞いていた。

「ちょうど、バイトが始まったんだよ。それで、仕事覚えなきゃでしばらく忙しくてさ。すっげぇ、疲れるし。ここに来る余裕なくて」

「そうですか」

たまきはもう興味がないかのように、スケッチブックに視線を戻した。

「なんのバイトか知りたい?」

「別にどうでもいいです」

「まだ教えらんないなぁ。知ったら、ぜってぇびっくりするから」

前にもそんなことを言っていたような気がする。

「ほんと、超大変でさぁ。立ちっぱなしだし、厨房熱いし、メニュー覚えんの大変だし」

何のバイトかは教えてくれないが、飲食店で間違いないようだ。

「でもさ、でもさ」

ミチはやけに嬉しそうにたまきに話しかけた。

「そのバイト先の先輩がさ、めっちゃかわいいんだよ!」

「へえ」

たまきが気のない声を上げる。

「超優しいんだ。『ミチ君、わからないことがあったら、なんでも聞いてね』って」

それは、バイトの先輩として、当たり前のことではないだろうか。そう思いつつもたまきは、自分がその当たり前のことをできる自信がなかった。「わからないことがあっても、絶対話しかけないでください」って言ってしまいそうだ。いや、それすら口にせずに、相手から逃げ回るかも、

そういえば、以前ミチは「地味な子が好み」と言っていた。その「先輩」も地味な人なのだろうか。まあ、どうでもいい話だ。

「ほんともう、厨房の天使って感じ。まあ、その人、厨房入んないんだけどさ」

たまきがぼんやりと考えている間にも、ミチはずっとその「厨房の天使」の先輩の話をしていたらしい。

「芸能人で言うとさぁ……」

と誰かの名前を引き合いに出されたが、たまきはその芸能人の名前を知らなかった。

「ほんと、先輩の笑顔見てるだけで、バイトの疲れ吹き飛ぶよ」

「疲れてないのなら、公園に来ればよかったじゃないですか」

言ってしまってから、たまきはばつの悪そうに顔をそむけた。自分だって、特に疲れてるわけでもないのに、学校に行かなかったくせに。

いや、疲れていたのかもしれない。中学の制服は鎧のように重く感じられたし、教室の扉は鋼鉄のように感じられた。

いざ、教室に入ると、毒ガスでも充満してるんじゃないかと思うくらい息苦しかった。

ふと、ミチが喋るのをやめていることにたまきは気づいた。ゆっくりと顔をミチの方に向けてみる。

ミチは視線を落とし、自分のギターを見つめていた。

「……結局、逃げてたのかもな……」

蝉の喧騒の中に、ミチはそう、ポツリと言葉を置いた。

その言葉にたまきは返事をするでもなく、ミチの方を見続けた。

「バイトはいつも夜からで……、昼間、うちでゴロゴロしてると、ギターが目に入るんだよ……。そのたんび、あのおっさんに言われたこと思い出して、ため息ついてさ。それまではアパートだからあんまり音たてないようにギター弾いて、曲作ってみたりしてたんだけど……、なんか、ギター見ると、嫌なことしか思い出せなくて……」

そう言ってミチは深いため息をついた。さっきまで「先輩」の話をしていた時の笑顔は、すっかり雲の影に隠れた。

「そういや、音楽も聞いてないな……。シャットアウトしてたんだ。途中でこれじゃだめだって思って、古本屋の二階のCDショップ行ったけど、結局何も買わなかったし、何も聞かなかったし。なんか、アーティストのポスターとかジャケットみるたびに、嫌なことしか考えなくてさ」

「……いやなこと、ですか」

たまきの問いかけに、ミチは苦笑いした。

「俺、本当にプロになれるのかなぁって」

ミチは照れるように笑いながら続けた。

「中学の文化祭で友達4人でバンド組んでさ、俺、ボーカルだったんだよ。そん時、めっちゃモテて。カノジョとかできてさ」

「カノジョとか」の「とか」にいったい何が当てはまるのか、たまきには疑問だったが、そのまま聞き流した。

「それでプロのミュージシャンになろうって思って……。かっこいいじゃん?」

炎天下の下でミチは語りながら、どこか肋骨の間を隙間風が通っているのを感じていた。

ミチがたまきの方に目をやると、普段の三割増しで生気を感じられない目でこっちを見ている。こういうのを「ジト目」とでもいうのだろうか。

ミチと目が合ったことに気付くと、たまきはさみしそうに、右手首の包帯に目を落とした。ぐるぐると手首に巻きつけられた包帯は、夏の日差しの下でうっすらと汗ばんでいる。

ミチの話に出てきたのは、「中学」とか、「文化祭」とか、「友達4人」とか、「カノジョ」とか、たまきが望もうと手の届かなかったものばかりだった。

自分がどれほど望もうとも手の届かなかったものを、ミチはあって当たり前のように話している。いや、ミチが当たり前のように抱いている「プロのミュージシャンになりたい」という夢自体、たまきが持っていないものだった。

そんなミチを、たまきは、やっぱり好きにはなれなかった。

他人が当たり前のように手にしているものが、自分がどんなに背伸びをしても決して届かないものだと分かった時、こんなにも死にたくなるものなのか。

だが、たまきがそんなことを考えているなんて、ミチには伝わっていないらしい。当然だ。地球から月を見て、月がどんなに寂しいところかなんて想像もつかないだろう。

「……やっぱり浅いか」

ミチは自嘲するように笑った。

「そんなさ、『モテたいから』とか『かっこいいから』なんて理由で音楽やってる奴が作った曲なんて、人の心打つわけなんてないよな。あのおっさんの言う通り、つぎはぎでしかなかったんだよ……」

「それでも私は……、好きですよ……。ミチ君が作る歌」

たまきはミチの目を見て、珍しくミチの目を見てつづけた。

「確かに、歌詞はどこかで聞いたことあるような言葉ばっかりでしたけど……」

それを聞いてミチが寂しそうにはにかんだ。

「でも、ミチ君が歌うと、不思議と、私でも気持ちが明るくなるというか……。やっぱり、ミチ君の歌には、何か、特別な力があるんじゃないかって……」

そこまで一気にいうと、たまきは視線を落とした。

「……すいません。私、音楽のことなんか何にも知らないのに、……えらそうなこと言って」

「いや……、うれしいよ。1人でも……、その、なんていうか、ファンがいてくれて」

たまきは、お尻を動かしてミチから少し距離を取ると、再びミチの目を見た。

「……なのに、どうしてまた戻ってきたんですか。……どうして、戻ってこれたんですか」

「来月さ、この公園で『大収穫祭』ってイベントやるんよ」

ミチは恥ずかしそうにはにかんだ。

「そのイベントでライブもあって、ウチのバンドがそれに出場することになってさ」

「……それって、すごいことなんですか?」

「いやいや全然。応募して、抽選に当たればだれでも出れるんだぜ?」

ミチはケラケラと笑った。

「で、いつまでもバックれてないで、練習しなきゃなって思って。2週間もサボってたらさ、流石に心の傷っていうの?も癒えるし」

たった2週間でへこんでたのが治った。やっぱり、ミチ君は私とは違う「あっち側」の人なんだと、たまきは街路樹の向こうの都庁を見つめながら思った。

 

ミチはギターおもむろにギターを奏でだした。

いつものミチの曲に比べると、少しスローテンポだ。

8小節イントロを奏で、ミチは歌い始めた。

 

――路地裏を歩く野良犬が一匹

――陽の光を避けるようにビルの影へ

――誰もいない公園で

――ひとり吠え続ける

 

――「僕には夢があるんだ」

――「僕には明日があるんだ」

――「僕には未来があるんだ」

――そんな風に歌ってたら、ゴミ捨て場のフクロウに笑われた

 

――夢の意味も知らないくせに

――自分が誰かも知らないくせに

――ラジオから流れてきた誰かの歌で

――知ったつもりになってただけ

――ただ吠えていただけ

 

声が伸びるところで、ミチのハイトーンな声が少し掠れる。たまきは、絵を描く手を止めてじっとミチの口元を見ていた。

ミチはポケットからハーモニカを取り出すと、吹き始めた。そういえば、前に「ハーモニカが欲しい」と言っていた気がする。

 

――いつの間にか日が暮れる

――黒猫のしっぽがゆらゆら揺れる

 

――あれほど好きだった歌も口ずさむのをためらって

――頭上のポスターを眺めては電柱にピスをかける

――ゴミ捨て場のフクロウの声と

――月の下の黒猫のしっぽと

――いつか抱きしめたウサギのぬくもりが

――潮騒のように響く

 

――夢の意味も知らないくせに

――自分が誰かも知らないくせに

――届きもしないフリスビー追いかけて

――足がもつれ転んだだけ

――ただ遊んでいただけ

 

たまきにはところどころ歌詞の意味が分からなかった。それでも、ただ明るいだけではない。今まで聞いたミチの歌では一番好きだと思った。

 

ミチがギターを弾くのを終え、たまきは、ぱちぱちと小さな拍手をした。

「この歌はいつ作ったんですか?」

「昨日」

ミチがチューニングをしながら答える。

「なんてタイトルなんですか?」

「タイトルかぁ……。そうだなぁ……」

ミチはしばらく黙っていたが、やがてたまきの方を向いて答えた。

「……『犬』」

「……それがタイトルですか……?」

「う、うん」

ミチが決まりの悪そうにたまきを見ている。

「前から思ってたんですけど……」

ミチの不安そうな目からたまきは顔をそらした。

「ミチ君って、名前付けるセンスないですよね……」

「知ってる……」

ミチが自信なさげにうつむく。

「たまきちゃんが名前付けてよ」

「え?」

たまきは目を大きく見開いてミチの顔を見た。

「たまきちゃんだったら、なんてタイトルつける?」

たまきはしばらく黙っていたが、ミチの目を見てこう言った。

「……『犬の歌』?」

ほんの一瞬、時間が止まったかのような静寂が訪れた。

そして、二人はお互いの顔を見て、同時に笑い出した。

ミチはケラケラと笑い、たまきはクスリと吹き出した。

夏の日差しの中、二人は声を出して笑った。

 

一通り笑ったところで、階段の上の方からハスキーな声が聞こえてきた。

「それにしても、『ゴミ捨て場のフクロウ』はちょっとひどいんじゃないか?」

ミチとたまきが振り返ると、そこには仙人がにやりと笑いながら立っていた。

「げ」

「きゃ」

ミチはこの上なくばつが悪そうに顔をこわばらせ、たまきは驚いた拍子に鉛筆を落とした。

「ち、違うんす。あれは、思いついた言葉をそのまま言っただけで、ベ、べつに深い意味は……」

ミチは立ち上がると、仙人に駆け寄った。

「なるほどなぁ。お前さんには、そんな風に見えとったのか」

「いや、ち、違うんす!」

たまきは「ゴミ捨て場のフクロウ」の意味が分からず、二人のやり取りを首をかしげながら見ていた。

仙人は歩みを止めることなく階段を下り続ける。

「声はよかった。メロディも悪くない」

たまきは階段の上の道を見上げる。さっきよりも顔がこわばっているように見えた。

「だがな……」

ミチの顔がますますこわばる。なんだか、たまきまで緊張してきた。

「歌詞がところどころ、なんの例えなのかわからん」

「……はい」

この前と違い、ミチは素直にうなづいた。

「表現し、伝える以上、わかりづらいのはよくないなぁ」

「……おっさんの画家がどうこうっていう話もわかりづらかったっすよ?」

二人の男は、互いに顔を見合わせ、同じタイミングで笑った。

仙人は、ミチの肩に手を置いた。アンモニアの臭いがミチの鼻腔を突いたが、ミチは顔をしかめることなく、むしろ、ほころばせた。

「ま、この前の歌に比べれば、お前さん自身の言葉で書こうとしてるってのは伝わってきた。前より良いんじゃないのか。まだまだ粗いけどな」

ミチが少し、ほっとしたように顔をほころばせた。

「ただなぁ、『ゴミ捨て場のフクロウ』はやっぱりひどいなぁ」

「すんません……」

仙人よりも少し高い位置にいるミチが頭を下げた。

「『年老いたフンコロガシ』じゃだめか?」

「え?」

仙人の言葉に、ミチが眉をひそめる。

「『ゴミ捨て場のフクロウ』の部分を、『年老いたフンコロガシ』にするのではだめか?」

「……べつにいいっすけど、フクロウよりひどくないっすか?」

「好きなんだ。フンコロガシが」

そういうと仙人は笑った。

 

写真はイメージです

「う~ん、一回整理しよ?」

その日の夕方。西日が照らす「城」の屋上で、志保が困ったように笑った。志保は施設から帰って来るなり、亜美から絵を飾る飾らないの論争を聞かされた。

「たまきちゃんは、絵を飾るのが嫌なんだね?」

「いやです」

たまきがきっぱりと言った。

「それに対して、亜美ちゃんは絵を飾りたい」

亜美が無言でうなづく。

「作者の意見を尊重すべきか……、所有者の意見を尊重すべきか……、亜美ちゃんの肖像権を尊重すべきか……」

志保は腕を組んで考えていたが、数秒して笑顔で

「わかんない」

と言った。

「でも、二対一でウチの勝ちだろ?」

「でも、こういうのって、作者に権利があるんじゃないんですか?」

二人の権利者の訴えを志保は裁判長よろしく聞いていたが、「そういえば」と切り出した。

「本で読んだことがあるんだけど、美術館ってホントは絵を展示したくないんだって」

「なんで? あいつら、絵を見せて商売してるんだろ?」

「絵を光にあたると痛んじゃうから、ほんとは人に見せたくないんだってさ」

「なんだそりゃ?」

「絵を百年残すためには、光に当てない方がいいんだよ」

亜美は腑に落ちない感じだったが、たまきはピンとひらめくものがあった。

「それです。絵が痛んじゃうんで、見せないでください」

珍しくたまきが勝ち誇ったように、亜美を見上げてる。

だが、亜美はたじろぐ様子もなくこう返した。

「なに、お前、あの絵、百年残したいの?」

「え?」

ぽかんと口をあけるたまきに、亜美が続ける。

「百年残すつもりなんだったらお前、全身描けよ。ウチのナイスプロポーションが百年後にも残ったのに」

「百年も残ったら、たまきちゃんの絵も歴史的資料として博物館に飾られてるかもね」

「え?」

たまきは、自分の絵が百年後、博物館に展示され、誰とも知らない人にじろじろ見られている光景を想像した。

「いや、もしかしたら、こいつの絵がすごい評価されてて、何億って値段になってるかもしれない」

「ありえるねぇ。それこそ、ゴッホ展みたいに、大行列ができたりして」

「え? え?」

たまきはただただ困惑している。

「そうなると、あの絵は天才画家たまき先生、十五歳の時の貴重な作品、ってことになるな。うん、保存した方がいい。どっか暗いところに大事にしまって、百年残そう」

「わあ、なんか、ロマンがあるね」

盛り上がっている年上二人に向かって、たまきは申し訳なさそうに言った。

「あの……、痛んじゃってもいいんで、今のままでいいです……」

 

つづく


次回 第11話「惚気の長雨、口下手の夕暮れ」

さ~て、次回の「あしなれ」は?

・ミチに新展開!

・志保、クレープを焼く

・たまき、怒る

の三本です。続きはこちら


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

ピースボート地球一周の船内に持っていくべき、日本で簡単に手に入るアレとは?

ピースボート地球一周の船旅は、約3か月かかる。3か月も船にいると、もはや宿泊というよりは引越しである。今回は、ピースボート地球一周の船旅に持って行った方がいいものを、筆者の経験と後悔と一緒に綴っていこうと思う。


ピースボートの船の中には売店がある

まず、何でもかんでも買い込んでいく必要はない。船の中には売店があるので、日用品は意外とそこで手に入る。文房具のような日用品だけではなく、スナック菓子やおせんべい、アイスクリームも売っている。コンビニで手に入るようなものは、だいたいこの売店で手に入るとおもう(最新の少年ジャンプは手に入らないぞ)。

僕は船に乗る前に星座早見盤を買って船に持ち込んだが(わざわざ東京の専門店にまで行った)、売店で売っていた。

しかも、星はそんなによく見えない(笑)。

地球一周にはこれを持って行け① 方位磁針

マルセイユで迷子になったことがある。いつのまにか海岸線からかなり離れてしまい、現在地もわからず途方に暮れた。

わかっていたことはただ一つ「西に行けば海に出る」。

そして、僕はどっちが西かわかっていた。方位磁針を持っていたからだ。僕は方位磁針だけを頼りに、海岸線にたどり着いた。

「方角がわかる」というのはとても大切だ。

寄港地でタクシーに乗るとき、僕は必ず方位磁針を手にしていた。

運転手さんには悪いが、万が一用である。ちゃんとタクシーが目的地に向かっているのか、言葉がわからないことをいいことに変なとこに連れてかれてないか、確認するためだ。

特に、女の子を連れている時は、用心深く方位磁針を見ていた。

最近は、スマートフォンで方角がわかるアプリがあるらしい。

地球一周にはこれを持って行け② パソコン

特に何に使う予定もなかったが、ノートパソコンを船に持っていった。

だが、船内では結構パソコンが重宝される。

例えば僕は新聞局に入って船内新聞を作っていたが、原稿を書くのにパソコンは必需品だった。

他にも、映像を編集したり、スライドショーを作ったり、何かとパソコンを使う。映像編集ソフトなどが使えると、船内でいろんな仕事を任せれたりする。

なにより、デジカメに撮ったデータをデジカメから移せる。これは大きい。

また、パソコンを持ち込む際には、必ずUSBメモリも一緒に持っていくこと。これでデータのやり取りができる。

地球一周にはこれを持って行け③ おもしろTシャツ

友達ができると、船内生活はとても楽しくなる。

しかし、人見知りで人に話しかけられない。そんな人もいるはずだ。

そんな人にぜひ持って行ってほしいのが「おもしろTシャツ」

つまりは、おもしろいTシャツだ。

僕の場合、「HOME MADE 家族のライブTシャツ」と「新日本プロレスと仮面ライダーウィザードのコラボTシャツ」がとても役に立った、こちらから話しかけなくても、このシャツに興味を持った人が話しかけてくれて、そこから友達の輪が広がったからだ。

趣味丸出しのシャツとかを持っていたら、持っていくと友達の輪が広がるかもしれない。

地球一周にはこれを持って行け④ カップラーメン

地球一周の船旅に絶対持っていくべきもの、それがカップラーメンである。

海外のカップラーメンは、日本人の口には合わない。現地の人向けの味付けになっている。

寄港地で全く口に合わないカップラーメンをすすってみるたびに、日本のカップラーメンが恋しくなっていく。

フィリピンのスーパーで日本のカップラーメンを買ったが、「輸入品」ということで日本のカップラーメンより2.5倍ぐらい高かった。

ちなみに、船内でカップラーメンは買える。いくつか種類もあり、粉末スープを入れてお湯まで注いで出してくれる。ただでさえ作るのが楽なカップラーメンで、ここまで楽をしていいのか。

夜中に目の前でカップラーメンを食べられると、その匂いと音につられて自分もカップラーメンを注文してしまう。夜食テロである。ピースボートの船内でもテロに遭遇するのだ。

しかし、このカップラーメンにも限りがある。クルーズ終盤になると、売り切れになってしまう。

そこでものをいうのが、「日本から持ってきたカップラーメン」である。クルーズ終盤になるとカップラーメンの早い者勝ちという状況になってしまうが、自分の持ち込んだカップラーメンは誰にも取られず、ゆっくり食べることができる。

もし、もう一度ピースボートに乗れるなら、スーツケースの中にカップラーメンを詰めて乗り込みたい。

番外編 地球一周の船内にとんでもないものを持ち込んだ奴がいた

ある日、自分の船室のドアを開けると、そこには衝撃の光景が広がっていた。

何と、部屋の一番奥のスペースに、ONE PIECE全巻(当時は78巻まで)がずらりと並んでいたのだ。

その場で僕は叫んだ。

「誰だ、ONE PIECE全巻持ってきたやつはー!」

どうやら、部屋メン(同室のメンバー)の一人がONE PIECE好きで、全巻部屋に持ってきたらしいのだ。

出港直前に自分のONE PIECEコレクション(当時は78巻まで)に別れを告げた僕だったが、一週間ほどで他人のものとはいえ、ONE PIECEに再会した。

この部屋メンは寛大なことに、僕を含むほかのメンバーも自由にこの本を読んでもいいということにしてくれたので、僕は108日の船内生活において、ONE PIECEだけは全く不自由がしなかった。いつでも部屋に戻ればONE PIECEが読める。ベネツィアに寄港した日にウォーターセブン辺を読むなんて贅沢なこともできた。彼には感謝しかない。

小説 あしたてんきになぁれ 第9話「憂鬱のち誕生日」

亜美の誕生日を祝うことになったたまき。たまきにできること言えば、絵を描くことぐらい。たまきは亜美の似顔絵をプレゼントしようと思ったのだが、そこには大きな問題があった。どうしても、暗い絵しか描けず、とても誕生日プレゼントなんかにはできない。たまきは、そんな自分の絵が大っ嫌いだった……。

「あしなれ」第9話スタート!


第8話 ゲリラ豪雨と仙人

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


八月十五日。正午。晴れ。

写真はイメージです

ポーンとお昼の時報がなると、テレビの向こうの黒いスーツの人たちが一斉に目をつぶった。

たまきはソファの上に横になりながら、その映像を見ていた。

テーブルの上には志保(しほ)が握ったおにぎりが置いてある。もっとも、お米を炊いたのではなく、スーパーで売っているパックのご飯を握ったものだ。志保はおにぎりをつまみながら、テーブルの上のタブレットサイズのテレビを見ていた。

志保と一緒に暮らすようになってひと月。少し志保のこともわかってきた。

志保は歴史に関心があるらしい。何日か前も朝から炎天下のもと行われていた式典を見ながら、何か歴史うんちくのようなことを言っていたが、たまきはあまり覚えていない。

正直、戦争と平和みたいなことにたまきは関心がない。

もっとも、それを表だって口にしたことはない。口にすれば「最近の若い子は」だの「平和ボケしてる」だの怒られるのは目に見えている。

まず、「最近の若い子は」と言われるのは納得できない。オトナたちが言う「最近の若い子」というのは、教室でみんなで固まってわちゃわちゃ楽しそうな層を指すのだろう。たまきは間違いなくその層には属していない。小学校のころは、そういった連中から距離を置いて1人で絵を描いていたし、中学校では教室にすら入れなかった。

そして、「平和ボケ」と言われるのはもっと我慢がならない。

生まれてこのかた十五年ちょっと、平和だなんて思ったことがない。

こんなこと言うとまた良識ある大人たちは、自分も行ったことなさそうな国の話をして、戦争がいかに恐ろしいものかとしたり顔で語るのだろう。

確かに、今の日本で銃弾が飛び交うこともなければ、空から爆弾が降ってくることもない。

多くのオトナはそう思い込んでいるみたいだが、たまきにとっては違っていた。

外の空気は毒ガスみたいに息苦しく、教室では銃弾が飛び交うように感じられてまともに顔も上げられなかった。

何より、家族から浴びせられた言葉は爆弾より強烈にたまきの心を焼き尽くした。

たまきが引きこもっていた自分の部屋は、さながらたまきにとって防空壕だった。いや、すぐ近くに家族がいたから、敵地の戦場に掘った塹壕に近かったかもしれない。

ふと、以前に志保が言っていた歴史うんちくを思い出した。

「塹壕のすぐ近くに砲弾とか落ちるでしょ。その轟音が兵士の心をどんどん蝕んでいったんだって。けがせずに戦場から帰れても、心を病んじゃった兵士が多かったみたい」

その気持ちはたまきにも分かる気がした。塹壕はぜんぜん安全じゃないのだ。

でも、塹壕の外はもっと怖い。だから、塹壕からでられない。

 

テレビの向こうでは、総理大臣のおじさんがスピーチをしている。戦後六十年以上たち、日本は平和を守ってきました。これからも平和を守っていきます。そんな感じ。

六十年以上も日本は平和だったそうだが、たまきはいまだその恩恵にあずかれていない。むしろ、爆弾でたまきを中学校や自宅ごと吹き飛ばしてくれたら、今頃どんなに楽だっただろう。

六十年続いた日本の平和なんて、守るべきもののある『しあわせな人』だけの平和だ。たまきには関係ない。

 

ガチャリと奥の部屋のドアが開き、ぼさぼさの髪の亜美(あみ)が出てきた。金髪の根元はすっかりプリンになっている。眠たそうな目で亜美はテレビを見た。

「ああ、今日、戦争記念日か」

「終戦記念日だよ、亜美ちゃん」

志保が訂正する。

「そっか~、今年ももうそんな時期かぁ」

そういうと亜美は冷蔵庫からペットボトルを出してがぶがぶと飲み干した。

亜美が終戦記念日に関心を示したことに、たまきは意外さを感じた。明日のことなんてどうでもいいと言ったはばからない亜美は、同様に過去にも、それも歴史にも関心などないのかと思っていた。

だが、亜美が終戦記念日に関心を示した理由は、どうやら歴史への興味からではなかったらしい。

「ってことは、明後日、うちの誕生日だ」

「えっ?」

志保とたまきが亜美を見た。亜美は眠気覚ましのストレッチをしている。

「そっ、八月十七日。うちの十九回目の誕生日」

そういうと亜美はにっと笑った。

「お祝いよろしく」

「あ……うん」

自分からそれ言っちゃうんだ、と志保は少し戸惑った。

亜美はすっかり着替えを済ませると敬礼をしながら、

「隣町の美容院に特攻してきます」

と言って「城(キャッスル)」を出ていった。「戦没者への敬意」なんてものは全然ないらしい。

 

亜美が出ていった「城」では二人が黙ったままテレビを見ていた。

誕生日を祝う。たまきはあまりピンとこなかった。

生まれてきてよかったなんて、一度も思ったことがない。引きこもる前は誕生日に食事へと連れて行ってもらったが、どこか形式的な印象をぬぐえなかった。

お友達を招いてお誕生会、なんてやったこともないし、呼ばれたこともない。

誕生日にあまりいいイメージはなかったけど、それと亜美の誕生日とは関係ない。日ごろお世話になっているし、たまきが使うスケッチブックも鉛筆も、亜美からもらったお小遣いで買ったものだ。何より、本人からのリクエストである。お祝いしないわけにもいかない。

でも、何をすればいいんだろう。何を買っていいかわからないし、そもそも明後日までに用意できるのか。

まず思いついたのが洋服だった。亜美は洋服が好きで、奥の部屋は半ば亜美の衣裳部屋になっている。

ただ、どんな服を買えばいいのか見当もつかない。何がおしゃれで、何がダサいのかたまきにはわからないのだ。

そもそも、亜美の着るような服が置いてある店に行って買い物ができる自信がない。

5千円。それがたまきの全財産だ。

最初、亜美と暮らし始めたときはもっと多くお小遣いをもらっていた。

だが、一カ月ほどたってわかったのは、そんなにもらっても使わない、ということだった。

食費やお風呂代、洗濯代など3人共通のものは金庫の中のお金を使う。3人共同のお金だ。

それとは別に個人が欲しいものは個人のお小遣いで買うのだが、たまきが買ったものと言えばスケッチブックと鉛筆と消しゴム、公園で絵を描くときに飲む水くらいだ。

全然お金を使わないのに持っていてももったいないので、何週間か前に「お小遣いは5千円まででいいです」と自分から申し出たのだ。

毎月一日になるとお財布の中を確認して、5千円を下回っていれば金庫の中から補充してもらう。それでも多すぎるくらいだ。

確か、財布の中にはまだ四千円以上残っている。これでどれくらいのものが買えるのか、見当もつかない。

たまきは起き上がると不安げに志保を見た。

「志保さんは……、明後日……、どうするんですか?」

「う~ん、どうしよう」

志保は両手を頭の後ろで組んでそういったが、もう答えは出ているような顔をしていた。

「ちょっと豪勢なお夕飯でも作ろうかな。確か、亜美ちゃん、ハンバーグ好きって言ってたし」

やっぱり、料理ができる人は得だ。好きな料理を作ってもらって、喜ばない人はいない。

「志保さんはいいですよね……。料理作れるから……。私なんか、できることなんにもないし」

下を向くたまきに志保が笑いながら言った。

「たまきちゃん、絵がうまいから、亜美ちゃんの似顔絵描いてあげたら?」

それは、たまきが「服を買う」よりも真っ先に思いついたことだった。だが、たまきはぶんぶんとかぶりを振った。

「私の絵……見ましたよね……」

たまきは下をうつむきながらぼそりと言った。

「みたみた!すごいうまいじゃん!」

「……見たならわかりますよね……」

たまきは、足元のくすんだピンクのじゅうたんに映る、幽かな自分の影を見ながら言った。

「私の絵……、暗いんです……」

たまきは絞り出すように声を出した。

「でも、明るく描けばいじゃない」

そのやり方がわからないから、ずっと悩んでいるのだ。

「……私の絵なんて、誕生プレゼントに向いてないんです……」

たまきの頭の中で、数日前に出会った「仙人」と呼ばれるホームレスの、しゃがれた声が再生された。

「お前さんには、世界がこんな風に見えているのか」

仙人は褒めているようだったが、とどのつまり、たまきの絵が暗いのはたまき自身に問題があるからだ。たまきが暗いからいけないのだ。

「そうそう」

そういって、志保はたまきに体ごと向き直った。

「たまきちゃんの誕生日はいつ?」

「えっ?」

たまきは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で志保を見た。

「な……、なんで誕生日なんか聞くんですか?」

「前もってわかっていた方が、お祝いしやすいじゃん」

たまきは志保に向けた顔をそらして下を向く。

一年で一番、誕生日が嫌いだ。いい思い出なんて一個もないし、人生で最大の失敗は何かと問われたら、そもそもこの世に生まれ落ちてしまったことだろう。

産んでくれ、なんて頼んでいない。だから、生まれたことを祝ってもらっても、きっとうれしくないだろう。

「いつ? 誕生日」

志保の問いかけに、たまきは聞こえるか聞こえないかギリギリのボリュームで答えた。

「……十月二十一日です……」

「……十月の二十一?」

志保が聞き返すと、たまきはこくりとうなづいた。

 

 

八月十六日。午後。曇り。

 

写真はイメージです

たまきはスケッチブックを持って、都立公園にやってきた。セミの鳴き声がいつもより一層うるさい。たまきはいつもの階段を見るが、誰もいない。

いつもこの公園に来ていたはずのミチの姿を、あれ以来見ていない。

ミチの歌が仙人に「切り貼り」とこき下ろされて以来、たまきはほぼ毎日足を運んでいたのに、ミチの姿が見えないのだ。

ミチは仙人にこき下ろされて、すっかり自信を無くしていたようだった。「なんだか死にたくなってきた」とも言っていた。

まさか。とたまきは首を振る。ミチはたまきと違う。自殺なんてするような人じゃない。

そういえば、バイトが新しく始まるとも言っていた。どんなバイトか知らないけど、きっと忙しいんだろう。

いつもの階段はほとんど影が無く、かなり暑そうだったのでたまきは別の場所を探すことにした。公園内を歩きながら思いを巡らせる。

結局、亜美へのプレゼントを何にするかはまだ決まっていない。明日の夜には、志保がハンバーグを作ってささやかな亜美の誕生パーティが開かれる。それまでに決めなければいけない。

ここに来る途中に、亜美が好みそうなおしゃれな洋服屋があったので覗いてみた。色とりどりの服やジャラジャラ系のアクセサリーが並ぶ店内を窓ガラス越しに店内を覗いていたが、おしゃれな客と目があった瞬間、たまきはくるりと背を向け、小走りにそこから逃げ出した。

なんだか、学校にいたころのことを思い出して、惨めになった。

公園内の木陰にベンチを見つけ、たまきは腰かけた。カバンを左横に下ろすと、スケッチブックとペンケースを取り出す。

左手の小さな指で、鉛筆を柔らかく握ると、真っ白なスケッチブックに向かってたまきは絵を描き始めた。

目の前には街路樹が生い茂り、その向こうから青空へと突き抜けるように都庁がそびえたつ。いつも書いている都庁だが、今日はちょっとアングルが違う。

明るく。なるべく、明るく。そう言い聞かせて鉛筆を走らせる。

なるべく影を付けないように。影はあくまでも立体感を出すため、最小限に。鉛筆に力がこもる。

三十分ほどして書き上げた絵を見て、たまきは愕然とした。

前より暗くなっているような気がする。昨日、テレビで戦争の様子を描いた絵を見たが、まさにあんな感じ。都庁は廃墟のお化け屋敷みたいだし、入道雲は爆炎みたくなってしまった。

たまきは深いため息をつく。昨日から何度も描いているが、こんな絵しか描けない。

あんなに「明るく」を意識して書いたのに、どうして前よりひどいんだろう。

やっぱり、ミチ君の歌がないからかな、とたまきは絵を見ながら思った。ミチの、どこかで聞いたような言葉ばかりを並べた、バカみたいに明るい歌は、多少なりともたまきに影響を与えていたのだろう。

たまきは、再び都庁を描き始めた。今度は「明るく」を強く意識すると同時に、ミチの「未来」という底抜けに明るい歌を脳内で再生しながら描いた。歌詞なんか覚えていないし、メロディも怪しい部分が多いが。

三十分後、たまきは泣きそうな目で自分の絵を見ていた。さっきの絵とほとんど変わらない、暗い絵がそこにあった。

今までたまきがこの公園で描いていた絵は、ミチの歌の影響でちょっとだけ明るくなった絵だったらしい。

再び、仙人の言葉を思い出す。

「お前さんには、世界がこんな風に見えているのか」

つまり、この絵がたまきが本来見ている「世界」というやつなのだろう。この絵を仙人に見せたら、今度はゲルニカを思い出したというに違いない。もちろん、技量は天と地の差という注釈つきで。

仙人に絵をほめられて以来、たまきは自分が絵を描くことが好きだということを思い出した。あれ以来、ほぼ毎日この公園に来ては絵を描いていた。また、「城」のある太田ビルの屋上でも絵を描いていた。

絵を描くことは楽しいし、好きだった。それを思い出せただけでも本当に良かった。

だが、描いた後の自分の絵を見て、その都度死にたくなる。

楽しい気持ちで描いていたはずなのに、たまきの絵は暗くなる一方だった。

絵を描くことは好きだけど、肝心の描いた絵そのものはやっぱり好きになれない。

 

 

八月十六日 夕方 夕焼け

 

 

写真はイメージです

公園からの帰り道、たまきは古本屋に寄った。

マンガが見たかった。「読みたかった」のではなく、「見たかった」。「明るい絵」がどういうものか確認したくなったのだ。

古本屋の中では大勢の人が立ち読みしていた。どちらかというと男性の比率が多いみたいだ。たまきは立ち読みの客が作った林の中を、肩身狭そうに歩いた。服がほかの客とこすれて音を立てる。

小学校のころ好きだった少女漫画が目に入り、たまきは手を伸ばす。たまきの小さな体でも届くところにあった。

ピンク。黄色。水色。

黒く細い線の集合体でしかないはずのその絵は、不思議とたまきの頭の中に次々と色彩を呼び起こす。絵全体が鮮やかなオーラを放ち、白黒の絵に色味を補完しているのだ。

子供のころは、この漫画みたいなかわいい絵が描けると信じていたのに。学校に行って、友達を作って、恋をして、夢を追いかけて。この漫画みたいな日々が当たり前に送れると信じていたのに。

現実のたまきは当たり前のことができず、学校に行けなくなった。

あのころ読んだ漫画は、学校に行けなくなった後のことなんか、描いてなかった。

結局、明るい絵というのは明るい人にしかかけないんだ。たまきはまた深いため息をついて、本を棚に戻した。

ふと、血まみれのナイフを持つ少女の絵が表紙に書かれた漫画が目に入る。

「さつじんぶ」というタイトルのその漫画の帯には、「映画化決定!」と書かれていた。

なんだか暗そうな漫画で、自分の絵に似ている。そう思ったたまきは思わずマンガを手に取っていた。

物語の内容は「さつじんぶ」なる殺人鬼の同好会が無差別に人々を襲っていく、というサスペンスホラーだった。高校生の主人公・トオルの日常は、修学旅行先のホテルで「さつじんぶ」の隣の部屋になってしまったことから一変する。次々と殺されるクラスメート。トオルは他のクラスメートと山の中を逃げるが、極限状態に陥ったクラスの不良が巨乳美少女のヒロインを乱暴してしまう。ヒロインを助けるために不良を殺してしまったトオル。呆然としているトオルのもとに「さつじんぶ」のメンバーが現れ、トオルを「さつじんぶ」にスカウトする……。

一巻はまだ数ページ残っていたが、たまきは気分が悪くなり、本をもとの位置に戻した。

あんなマンガ、読まなきゃよかったと、とぼとぼと自動ドアに向かって歩いて行った。

古本屋の一階は書籍コーナーで、二階はCDやDVDが並ぶ。

ふと、二階へと続く階段から誰か降りてきた。その人はたまきの前にひょいっと躍り出ると、九十度角度を変え、たまきに背を向けて自動ドアへと足早に向かっていった。

一瞬だけ見えた横顔は、たまきがいつも公園の階段で見ていたものだった。

ミチ君。思わずそう呼び止めようとしたたまきだったが、どうしても言うことができなかった。

呼び止めて、私は何を言うつもりなのだろう?

「どうして、公園来なくなっちゃったの」?

たまきが言おうとしたそれは、昔、たまきが学校の先生に言われた言葉だった。

 

中学二年の二学期、学校に行けなくなったたまきの家に、先生が訪れたことがあった。テーブルには先生と母親、パジャマ姿のたまきが座った。うつむくたまきに先生が問いかけた言葉が、「どうして、学校来なくなっちゃったの」だった。

そんなの……。そんなの……。

たまきは何も答えられず、ぽろぽろと泣くだけだった。

あの時、自分が傷ついた言葉と同じことを言おうとしていた。そのことに気付いたたまきは、ミチに声をかけることができなかった。

自動ドアを出て、薄暗くなったネオン街の雑踏に消えていくミチを、たまきはただ見送った。

 

 

八月十七日 午後 曇り

 

写真はイメージです

都立公園で暮らすその男の本当の名前を知る者は、公園のホームレスの中には誰もいない。白髪交じりの長髪にもじゃもじゃのひげという風貌からか、「仙人」や「仙さん」と呼ばれている。眼鏡の奥の理知的な目は、仙人というよりは中国の儒家を連想させる。

彼の仕事は廃品回収だ。基本は空き缶を拾っている。山ほど空き缶を集めて収入は千五百円ほど。空き缶でパンパンになったビニール袋を自転車の荷台にくっつけて街を走る様はフンコロガシのようだと自分では思っている。自嘲ではない。フンコロガシが糞を転がすから街はきれいになる。あえて汚れ仕事を請け負う。これは彼の矜持だ。

空き缶以外にも、金になりそうなものが落ちていれば拾う。今日はいわゆるコンビニ本を拾った。

「さつじんぶ」というタイトルのマンガのようで、表紙には「映画化決定!」と書かれている。

酒のつまみにと読んでみたが、半分ほど読んで読むのをやめた。

絵は悪くない。人物の表情もよく描けている。事件が次から次へと起こり、読者を飽きさせない展開だ。

だが、仙人は読むのをやめた。傍らのカップ酒を少し口に含み、ごくりと喉を鳴らしたところで、木立の中をとぼとぼと歩いてこちらに向かってくる少女に気付いた。

 

仙人がその少女と出会ったのは一週間前の大雨の日だ。

もっとも、彼女自身を見たのはそれが初めてではない。週に何日か、公園の中の階段に腰かけ、絵を描いているのを何度も見かけている。いつも隣に同い年ぐらいの少年がいてギターを弾きながら何やら歌っていたが、二人の間は必ず人一人通れそうなスペースが開いていて、二人が会話をしているところも見たことがなかった。

少女が自信なさげに見せたその絵を見たとき、仙人は息を飲み、目を見開き、言葉が出てこなかった。

まず思い出したのは、若かりし頃にアメリカの美術館で見たある絵だった。

夜の闇、渦巻く風、月明かりの揺らめき。色の一つ一つがカンバスに荒々しく、それでいて丁寧に塗りつけられていた。夜の風景が画家の目を通して分解され、データ化され、画家の解釈によって再構築され、卓越した技量でカンバスの上に絵具で表現されている。

「彼には世界がこんな風に見えているのか……」

若かりし日の仙人は、ため息とともに自身の想いを言葉にせずにはいられなかった。

少女の絵を見たとき、仙人は数十年ぶりに同じ言葉を口にした。

もちろん、技量はあの画家とは比べ物にならない。絵心はあるのだろうが、まだまだ繊細さに欠けている。

しかし、その少女には、その瞳に映った世界を独自の解釈で再構築する力があった。

 

その少女は仙人の前に小さな歩幅で近づいてきた。斜め掛けしたカバンからは、スケッチブックがはみ出している。

「……こんにちわ」

少女は今にも消え入りそうな声であいさつした。

「わしになにか用かな?」

仙人はやさしく目を細めた。

 

こんなにも人に自分のことを話したのは、たまきにとっては初めてだった。

とはいえ、言いたくないことは話していない。学校に行けなくなったこと。死のうと思って家を出てきたこと、潰れたキャバクラに勝手に住み着いていること。

たまきは仙人に、2か月くらい前に出会った亜美という人と一緒に暮らしていること、その亜美の誕生日が今日であること、お祝いをしたいのだけれど、何をすればいいのかわからないことなどを話した。

公園の中で花のデッサンを描いてみたが、どう描いても花に生気が見れない。でも、絵を描く以外に亜美にしてあげられることが見当もつかない。途方に暮れていたたまきの足は、自然と「庵」に向かっていた。

話を聞き終えた仙人は、一息つくと、たった一言だけたまきに言った。

「絵を描けばいいじゃないか」

しばらくの沈黙の後、たまきは力なく頭を横に振った。

「お前さんの絵は、フィンセントに通じるものがある」

「……ゴッホのことですか」

「そんな名前だったかな。あまりよく覚えておらんが」

仙人はやさしい目で笑った。

「……仙人さんが私の絵をほめてくれるのは嬉しいんですけど……、でも、私の暗い絵は人にあげるのには向いてないんです……」

たまきは泣きそうな声でそういうと、仙人から視線を逸らした。

たまきが視線を逸らしたその先には、昨日たまきが読んだスプラッタ漫画があった。表紙に描かれた、血まみれのナイフを握った、やけに巨乳の美少女をたまきはじっと見た。

仙人はそんなたまきをしばらく見ていたが、やがてカップ酒をぐびっと飲むと、たまきがじっと見つめている漫画を手に取った。

「こういうマンガを読むやつは、何を思って読むんだろうな」

仙人の言葉にたまきは首をかしげる。

「私は……あまり面白くありませんでした」

「だろうなぁ。お嬢ちゃん、自分のことが嫌いだろう?」

思いがけぬ仙人の言葉に、たまきはびくっと背を震わせ、ぱちくりと瞬きをした。

「わしも若いころはよくこんな映画を見たもんだ。殺人鬼に追いかけられる映画や、ゾンビが街を徘徊する映画……。そういうのを見て映画館を出た後は、自分が狙われたらどうしようだの、向こうからゾンビの大群が来たらどうやって切り抜けようだの、下らんことを考えとった」

仙人は、手に取ったマンガをぱらぱらとめくりながら続けた。

「そうやって、自分が幸せ者だって確認しとったんだ」

「えっ」

どういう意味だろう。たまきは首をかしげる。

「絶望に責め立てられる登場人物を、スクリーンの向こうから眺める。実に悪趣味だとは思わんか。『登場人物に感情移入してハラハラした』? 絶対に自分はその状況にはならないとわかりきっているからそんなことが言えるのだ。そして、映画館を出たらみんなこう思うのさ。私の周りには殺人鬼もゾンビもいない。家族がいて恋人がいて友達がいて、なんてしあわせな自分」

仙人の言う通りなのだとしたら、そういうマンガが楽しめない人は、不幸な人だということになる。たまきは、泣きそうになるのをこらえながら、自分のかけているメガネの黒いふちに視線を落とした。

「人というのはな、みんな自分が世界で一番不幸だとおもっとる」

仙人はぱたんと本を閉じた。

「それでいて、自分が世界で一番不幸だということに耐えられない。めんどくさい生き物だ」

たまきは怪訝な目で仙人を見つめていた。

「だから、こういったマンガを読んで、自分が一番不幸じゃないって確かめようとする。酒を飲んでいるようなもんだ」

仙人はそういうとカップ酒に口を付けた。仙人が酒を飲みこむたびに、のど仏が動くのをたまきはじっと見ていた。

仙人はカップ酒から口を話すと、ぷはぁと息を吐く。

「お嬢ちゃんの絵はそういうのとは違う。そう言う造られた暗さじゃない」

造られた暗さじゃないなら、なお一層ひどいということじゃないか。たまきはうつむいたままじっとしていた。

「その、亜美って子の絵は描いてみたのか?」

たまきはぶんぶんとかぶりを振った。

「描いてみたらいいじゃないか」

「……どうせ、暗い絵になるに決まってます」

「描いてみたらいいじゃないか」

たまきは、うつむいていた顔を上げて仙人の目を見た。

仙人はたまきをじっと見据えていた。

「描いてみたらいい」

仙人はやさしくそう言った。

 

たまきは仙人の隣に腰を下ろすと、スケッチブックを取り出した。

人の顔を描くなんて何年振りだろう。たまきは目を閉じると、亜美の顔を思い出す。

亜美さんっていつもどんな感じだったっけ。明るく描かなきゃ。なるべく明るく、なるべく明るく……。

ポンッと肩をたたかれ、たまきが目を開ける。

「お前さんはいつも都庁を描くとき、そんな風にじっと目をつむるのか?」

「……いえ」

いつもは、漠然と描きたいイメージが浮かんだら描き始める。完全にイメージが決まる前に描き始める、見切り発車だ。ちゃんとイメージが固まる前に書き始めるから、暗い絵しか描けないんじゃないのかというのが、ここ数日たまきが考えていたことだった。だから、できるだけしっかりとイメージをしてから描こうと心がけていた。

「いつもやってるように描いてごらん」

仙人はやさしく笑いながらそう言った。

「……それじゃだめなんです」

「今日の夜までに描きあげればいいんだろう? とりあえず、やってみなさい」

仙人に促され、たまきはぼんやりと亜美の顔を思い浮かべると、左手に握った鉛筆を白い紙の上に置いた。

右手でしっかりと紙を押さえ、左手をさっさっと動かしながら、亜美のことを考える。

亜美と初めて会ったのは大雨の日だった。太田ビルの屋上から飛び降りて死のうとしていたところを亜美に邪魔され、そのまま「城」に泊まることになった。翌日、どうしても家に帰れずにトイレで自殺を図ったたまきだったが、気が付くとベッドに寝かされ、傍らには亜美がいた。

そこからどうして亜美と一緒に暮らすようになったのかははっきりと覚えていない。ただ、家には帰りたくなかった。それに、たまきがどんなに断っても、亜美のずうずうしさの前に結局押し切られていたと思う。いつだって、たまきはそうなのだ。いつかの亜美の声を思い出す。

「ああ、男に強く迫られると、断れないタイプか」

男性に限らず、たまきは強く迫られると、自分の意見を言えず流されてしまうのだ。もっとちゃんと自分の意見が言えたら、家で孤立することもなかったのかな。

そんなたまきに代わって声を挙げてくれたのが亜美だった。ライブハウスで泥棒の疑いをかけられたときは、何も言えなくなってしまったたまきに代わって無実だと訴えてくれた。

ただ、亜美のそういうところはいいのだけれど、ずかずかしすぎるとこがたまきは苦手だった。たまきは「城」でじっとしていたいのにいろんなところに連れまわすし、なんのおせっかいからか、初対面のミチといきなり二人っきりにされたこともあった。

デリカシーというものがないのだ。たまきが言いたくないことをずかずかと聞いてくる。

「ねえねえ、なんで死にたいなんて思うの?」

「ねえ、なんでオトコ作らないの?」

「えー、友達なんてほっといたってできるじゃん? なんで作り方なんか聞くの?」

そのたびにたまきの心はぐさぐさと傷つく。

そんな時、亜美は決まって笑ってる。

亜美は笑っているのだが、たまきは不思議と、バカにされているとは思わなかった。

むしろ、その笑顔になんだか救われた気がして、たまきも笑い返してみるのだが、決まってこう言われる。

「あんたさ、もうちょっと自然に笑えないの?」

「……自然に笑ったつもりなんですが……」

「いやぁ、堅いよ。あんた童顔だから、もっとかわいらしく笑いなよ」

そういって亜美はまた笑う。

そんな亜美だが、たまきがリストカットしたときは、何も言わなかった。

ぽたぽたと血を流し、「またやっちゃった」と珍しく笑うたまきに対し、亜美は困ったように笑いながら、

「そっか」

とだけ言った。たまきを叱るでもなく、避けるでもなく、

「あーあー、けっこう血ぃ流れちゃってるなぁ」

と笑いながら包帯でたまきの右手首をぐるぐる巻きにして、「先生」こと京野舞へと電話をするのだった。

普段、ほっといてほしいときはずかずかと近づいてくるくせに、

一番放っておいてほしいときに、

一番かまってほしいときに、

遠すぎず、近すぎず、そんなところからにこにこ笑ってる。

怒るでもなく、嫌がるでもなく、にこにこ笑ってる。

普段は苦手な亜美との距離感も、この時ばかりはなんだか暖かかった、

 

ふと、たまきは描く手を休めて空を見上げた。

もくもくの入道雲の少し上に、丸く白いものが浮かんでいる。

月だ。たまきは名前を知る由もないが、立待月というやつだ。

たまきは描く手を止めて、月を眺める。

月がどうして生まれたかにはいろんな説があると、むかし本で読んだことがある。

いくつかある説の一つに、宇宙をふらふら飛んでいた月が地球の重力に捕まった、というのがあった。

ちっぽけな月が、青くて美しい地球に捕まり、その周りをぐるぐる回り始めたとき、いったい何を思ったのだろう。

きっと、戸惑ったんだとたまきは思う。星の数ほどある石ころの中で、なぜ自分を選んだのか、と。

それから何億年もの間、月はずぅっと地球の周りをぐるぐる回っている。月は青い地球に憧れながら、ずっとまわっている。

地球は、そんなちっぽけな月の一番近くにいる。一番近くにいて、月がきれいだと言って、笑っている。長い歴史の中では、地球からロケットを飛ばして、月に土足で立ち入っている。

月は片方の面しか地球に見せていないという。数多の隕石が落下し、ぼろぼろになった裏側は絶対に地球には見せないのだ。地球は、そんな月を、一番近いけど少し離れたところから笑ってみている。決して、見られたくない裏側にまわりこんで覗き込むことをしない。

月は、きっと地球の周りをまわることが、居心地がいいんだ。

たまきは、少し口元をゆるませて、再び鉛筆を走らせた。

 

完成した絵を見て、たまきは口を開き、目を見開いた。

仙人が横から覗き込む。

「ほう、その亜美って子は、いい笑顔の娘みたいだな」

風音が去った後、たまきはようやく言葉を発した。

「……嘘です。これ、私の描いた絵じゃないです……」

「何を言っとる」

仙人が笑いながら言った。

「お前さんが今さっき、自分で描いた絵じゃないか」

「だって……私……こんな絵……」

その絵は、亜美の胸から上を描いていた。金髪を後ろに束ね、右腕には蝶の入れ墨が躍るように描かれている。

その顔は、この上ない笑顔だった。

『なにうじうじしてるんだよ。そんなこと、どうでもいいじゃん』

そんな亜美の声が今にも聞こえてきそうな笑顔だった。

たまきは隣でやさしそうに笑う仙人を見上げた。

「仙人さんは……私がこんな絵が描けるってわかってたんですか?」

「お嬢ちゃんはこの亜美って娘の誕生日を祝いたいんだろう?」

たまきは戸惑いつつもこっくりとうなづいた。

「誕生日を祝うということは、生まれてくれてありがとう、出会ってくれてありがとうというメッセージを伝える、ということだ。そういう相手を思って描けば、絵も明るくなる」

信じられないように自分が書いた絵を見つめるたまきに、仙人はそのハスキーな声でやさしく言った。

「お前さんは暗い絵しか描けないんじゃない。見たままに、思ったままにしか描けないんだ。こんな世界嫌いだと思って描けば暗くなる。逆に、大切な友達のことを思って描けば、明るくなる」

雲の切れ間から太陽が顔をのぞかせた。風に吹かれた木の葉が互いをこすりあい、たまきの頭上でざわざわと音を立てていた。

 

 

八月十八日 午前 晴れ

写真はイメージです

「そうか」

ベンチに押しかけた仙人は、それだけ言うと深くうなづき、右手を差し出した。男も手を差し出し、がっちりと握る。

「行き詰ったら、いつでも帰ってこい」

「はい。いろいろありがとうございました」

そら豆みたいな頭をした中年の男はそう言うと、仙人に深々と頭を下げ、背中を向けて歩き出した。

すると、向こうから見覚えのある少女が歩いてきた。十日ほど前、彼にこの公園に来るきっかけを与えた少女だった。確か、たまきという名前だったはずだ。

たまきはそら豆顔のおじさんの前に来ると、小さな声でこんにちわと言った。おじさんが抱える大きなバッグを不思議そうに見る。

「……この公園を出て独り立ちすることにしたんだ」

おじさんの言葉にたまきは、

「そうですか……」

と少しさびしそうに言った。

「まあ、この街にはいるよ。この公園を出て、駅の周りで暮らすことにしたんだ。いつまでも仙さんに甘えてはいられないからね」

たまきはおじさんに何を言おうか迷っている感じだったが、結局何も言わずにぺこりと頭だけ下げて別れた。

少し歩いてからおじさんが振り向くと、たまきは仙人の前に立っていた。小柄なその体は後ろから見ると肩まで伸びた黒い髪に、かろうじてメガネの端が見える程度だ。

そのシルエットは家に残してきた下の娘に似ていて、おじさんはしばらくたまきを見ていた。

「絵は渡せたのか?」

仙人の言葉にたまきがうなづき、黒い髪がゆらっと揺れた。おじさんの位置からでは、表情までは見えない。

「どうだ? 喜んでくれたか?」

その言葉に、たまきの黒い髪がふわりと揺れた。たまきの顔を見て、仙人は満足そうにつぶやいた。

「お前さんも、そんなかわいらしい笑い方ができるんだな」

 

つづく


次回 第10話 真夏日の犬と猫とフンコロガシ

たまきが仙人と出会って二週間。公園の階段で絵を描いていたたまきの横に、二週間ぶりにミチが現れた。なぜ、道は公園に来なくなったのか。そして、なぜ再び公園に現れたのか。

続きはこちら!


クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

『サクラクエスト』がつまらないと言われ続けた本当の理由

半年にわたって放送されてきたアニメ『サクラクエスト』が来週で最終回を迎える。この半年間、Twitterで「サクラクエスト」と入力すると、常にサジェストで「つまらない」と表示されてきた。なぜ、サクラクエストはつまらないと言われ続けてきたのだろうか。


アニメ『サクラクエスト』とは?

サクラクエストのあらすじ、何度も書いてきた気がしていい加減めんどくさいから、これ見て(笑)

「サクラクエスト」第2クールを振り返って見えて来たもの

第1クールについての分析は「『サクラクエスト』の描く町おこしの本質 彼女たちが間野山に留まる理由」という記事で描いたので今回は深く掘り下げない。

ただ、第1クールの最後に描かれた、「建国祭に人気ロックバンドを呼び、イベント自体は大成功だったけど、街の活性化にはつながらなかった」という展開はものすごく重要である。

この話をターニングポイントに、間野山の町おこしの方向性が大きく変わっていった。

第1クールでは間野山彫刻のPRや映画撮影の招致、B級グルメの開発やお見合いツアーなどが行われ、その集大成として建国祭が大々的に行われた。

一方、第2クールで行われた街おこしの活動は、次の通りだ。

・へき地の集落の老人たちにインターネットを教える

・へき地の集落のためにデマンドバスを運行させる

・間野山第二中学校の閉校式を行う

・体育館を劇の練習や、教室をブックカフェブックカフェにするなど、廃校を活用をする

・寂れた商店街に吊るし燈篭を配布する

・人気の洋菓子店のために商店街の店舗を貸す

第1クールと第2クールの違い、おわかりいただけるだろうか。

第1クールは間野山という町を多くの人に知ってもらうこと、多くの人に来てもらうことを主軸として活動していたのに対し、第2クールでは間野山に暮らす人々がより暮らしやすくなるために活動をしているのである。

つまり、第1クールの活動が外向きなのに対し、第2クールの活動は内向きなのだ。

その集大成がみずち祭りである。第24話ではテレビ局が建国祭の時のように協賛を持ちかける。

その条件が、間野山の小劇団で行う予定だった劇を、テレビ局が作ったアイドルグループにやらせてほしいということ。そうすれば、テレビ局もみずち祭りを宣伝し、多くの客が集まるという話だった。

だが、観光協会の丑松会長は、その提案を完全に却下し、テレビ局を追い返す。

建国祭が「外から人を呼ぶための祭り」だったのに対し、みずち祭りは「間野山で暮らす人のための祭り」であることを、会長は重視したのだ(ちなみに、この丑松会長が50年前、みずち祭りを途絶えさせた張本人である)。

数字を捨ててでも、祭りが町の人のためのものであること、間野山がそこで暮らす人たちの居場所であることにこだわったのである。

サクラクエストから学ぶ「町おこしの本質」

そもそも、多くの人に知ってもらう、多くの人に来てもらうというのは本当に町おこしの方向性として正しいのだろうか。

メジャーな町で建国祭に似た事例がある。

千葉県浦安市だ。

浦安と言えば、誰もが知ってる東京ディズニーランドのある町である。

だが、浦安の町がディズニーランドのおかげで賑わっているとは言い難い。ごく普通の町である。

理由は舞浜駅があるからだ。あの駅があるせいで、よそから来た人は浦安の町を観光することなく、いきなりディズニーランドの目の前に出てしまう。そして、ディズニーランド内で全て食事やホテルなどを済ませ、舞浜駅から帰っていく。結果、浦安の町自体の活性化にはつながっていない(そもそも、浦安駅からめちゃくちゃ遠い)。

そんな話を親にしてみたところ、「東京スカイツリーも同じだ」と言われた。どうやら、スカイツリーのおひざ元にある押上が、当初のもくろみ程人が集まらなかったらしい。

確かに、スカイツリーもずばり「スカイツリー駅」から徒歩数秒で行くことができ、買い物や食事も「ソラマチ」の中で完結してしまう。

「注目を浴びれば、人を集めれば、町おこしは成功」というのはもはや、幻想なのかもしれない。

サクラクエストというアニメは、単に数字上の成功を追いかけるのではなく、その町で暮らす人々が、ここに住み続けたいと思える居場所に町を変えていくことが、町おこしでは重要なのではないかと問いかけているのだ。

そして、この「数字上の成功を追い求めない」というのは、サクラクエストというアニメ自体にも言える話なのである。

「サクラクエスト」がつまらないと言われ続けた本当の理由

僕がサクラクエストに最初に惹かれた理由、それは『このアニメは媚びていない』という点だった。

そう、サクラクエストは媚びていないのだ。安易な数字上の成功を求めて作られたアニメではなかったのだ。

確かに、メインは5人の女の子であるがいわゆる「百合展開」と呼ばれるものもなければ、彼女たちのかわいらしさのみに頼った展開や、エロさのみを際立てた演出もほとんどなかった(たまにはあったけど)。

そして、その周りを取り巻くキャラクターはじいさんばあさんが多い。「こんなにシニア層しか出てこないアニメも珍しい」という書きこみを見たこともある。

つまり、ビジュアル的にほとんど媚びていない。「ビジュアルで数字を稼ぐことを放棄している」ともいえる。

そして、シナリオ展開も大きな事件が起こるわけではなく、恋愛要素があるわけでもなく、地味と言われ続けた。「エンタメ要素で数字を稼ぐことを放棄してた」のだ。

サクラクエストで描かれていたのは、田舎のリアルな現実と、そこに向き合う若者のリアルな現実。夢との葛藤、アイデンティティとの葛藤、挫折と成功の繰り返し。

そんな彼女たちを取り巻く人たちも、過去に因縁を抱えていたり、さびれていく街を嘆いたり、そんな街を嫌ったり。

そんな中で、「数字上の成功を追い求めるのではなく、住民の居場所となれる町おこし」が描かれていく。

そんなアニメが、とりあえず美少女ばっかりたくさん出てきたり、とりあえずエロかったり、とりあえず恋愛要素を放り込んだり、とりあえず大事件が起こったり、とりあえずギャグを放り込んでみたり、とりあえず鬱展開になったりしたらどうだろうか。

商業的には成功できるかもしれない。

ただ、確実に「数字上の成功を追い求めるのではなく、住民の居場所となる街づくりが大切」という、半年もかけて紡いできたメッセージは薄れてしまうだろう。肝心のアニメそのものが「数字上の成功」を追い求めてしまったら。

「言ってることとやってることが違う」ということになってしまうのだ。

なぜ、サクラクエストがつまらないと言われ続けたか。

それは、安易な面白さを求めることを、安易な人気を求めることを切り捨てたため。

それは、本当にアニメが伝えたかったことをちゃんと伝えるため。

サクラクエストの各エピソードは実は、「居場所」というキーワードにつながっている。居場所とは、「ここにいていいんだ/ここで生きていこう」という想いが詰まった場所である。「縁もゆかりもないけど、縁はこれから作るもの」というセリフがあるが、サクラクエストというアニメはメインの5人がそれぞれ、仲間や街の人たちとの縁を紡いでいき、間野山に居場所を作っていく過程を描いている。

居場所を求めているのはメインの5人だけではない。50年前、みずち祭りがつぶれてしまったのは、若き日の丑松会長が、間野山を自分の居場所に変えようとして越した行動が原因だった(そのやり方が正しいかどうかは別として)。

また、蕨矢集落のエピソードも、バス路線廃止が迫り取り残されていく僻地の老人たちが、自らの居場所を守ろうとする話だった。

閉校式のエピソードは、真希が間野山で小劇団を立ち上げるというオチだった。東京に自分の夢の居場所を見つけられなかった真希が、地元の間野山でその居場所を見つけたのだ。

エリカの家でのエピソードも、間野山を居場所と思えないエリカと、間野山を居場所と感じるしおりを対比させて描いている。

そして、国王の由乃は終盤で「なぜ縁もゆかりもない間野山で頑張るのか」と問われ、「そこで必要としてくれる人がいるから」と答えた。第24話では「どこにいてもどんな仕事をしていても、自分の気持ち次第で刺激的にできる」と語っている。地元が嫌で、「普通」と言われ東京に居場所のなかった由乃が、たとえどこに行ったとしても、そこの人たちと縁を結び、全力で取り組めばその場所を自分の居場所にできるという自信を手にしたのだ。

第24話のラストで描かれたみずち祭りは、建国祭に比べれば地味なものだったかもしれない。しかし、本当に間野山に思い入れのある人たちが集まる祭りであることがうかがわれた。祭りとは、本来こういうものなんだと思う。サクラクエストというアニメは、間野山が観光地ではなく住民たちの居場所になっていく様を、そして、由乃たちが普通でも自分の居場所を築き上げていく様を描いたアニメだったのだ。

SNS全盛の昨今、ごく普通の人がフォロワー数や閲覧数、再生回数といった数字に振り回されてしまう。だが、そんな数字よりも大切なものがある。間野山という町にとってはそれが「そこで暮らす人の居場所であること」だったし、「サクラクエスト」というアニメにとってのそれは「そのメッセージをちゃんと伝えること」だったのだと思う。

目先の面白さに囚われ、数字の上での成功を求め、大切なものを見失ってはいけない。

数字より大切なものを大切にしたい人にとって、サクラクエストは決してつまらないアニメなんかではないはずだ。

 

2019/1/20 追記

サクラクエストの最終回から1年以上がたった。

驚いたことに、今でも「サクラクエスト大好きです」という方からコメントをもらう。むしろ、1年たってからの方が多い気もする。

しかも、リアルタイムで見ていた人ではなく、「最近見ました」という人が多い。

「つまらない」と言われたアニメが1年たってなお愛され、ファンを増やしているという奇跡。

サクラクエストは名作だと思うが、それにしてもなぜここまで愛されるのか。1年を経て、久しぶりにサクラクエストについて筆をとってみた。1年前には気づけなかったことを書いているので、興味のある方は是非。

「つまらない」と言われたアニメ『サクラクエスト』が起こした奇跡

旅ボッチと旅パリピ

「旅人」というとどんなイメージだろうか。高橋歩みたいな、誰に対してもフランクで、世界中のどんな人とも友達になれちゃう人? だが、旅人が全員そんな気さくなわけではない。人見知りだって旅をしていいはずだ。もっと孤独な旅があったっていいじゃないか。


旅ボッチと旅パリピ

先日、「旅祭2017」に参加してきた。

そこで感じたのが、「あれ、僕、この祭り、馴染めない」。

地球一周を経験し、「旅」というジャンルの中では否応なしに自分がもう初心者ではないのだと痛感することが多いのだが、それでも「旅」というジャンルを全面に出した祭になぜかなじめない。

なぜだろう。なんだかやたらフランクな参加者(客としてきた人も、作り手として参加した人も両方含む)を見て、僕はあることに気付いた。

世の中の旅人には、「旅ボッチ」「旅パリピ」がいる、ということに。

要は、「人づきあいが得意か苦手か」であり、僕はそれを「学校の教室の中心と周辺」と呼ぶこともある。

旅祭の参加者の大半は、みんなでワイワイするの大好き、人としゃべるの大好き、国際交流大好きという「旅パリピ」なんじゃないかと思った。これは、そのまま日本の旅人全体の比率に当てはまるかもしれない。

旅祭のステージに上がっていた「旅の達人」の中にも旅パリピはいた。

僕がアニキと尊敬する四角大輔さんなんかはもともと人と話すのが苦手だったというだけあって、大輔さんと伊勢谷友介さんの対談なんかは非常に落ち着いた、身のある者だった。また、グレート・ジャーニーを成し遂げた関野吉晴さんのトークもとても落ち着いていて、おもしろかった。

特に、大輔さんに関しては、ピースボート88回クルーズでとてもお世話になったのでよく知っている。決して旅ボッチではないが、旅パリピでもない。「孤独であること」の大切さをとても理解されている人だ。

だが、その一方で、いわゆる居酒屋トークに終始したトークをステージ上でしていた人たちも無きにしも非ずだった。

大輔さんよりも一回り二回り若い世代だろうか。内輪ネタをステージ上で繰り広げ、芸人の真似事みたいなしゃべり方をする。どうも僕にはピンとこなかった。彼らが旅パリピで、僕が旅ボッチだから、ということなのだろうか。

「旅先で友達が増える!」そんなのは嘘だ!

よく、ピースボートなんかもそうなのだが、旅人の話を聞くと、「世界を旅すると、世界じゅうに友達がいっぱいできます」と語る人を見る。ぼくの身近にもいた気がする。

はっきり言わしてもらうと、

そんなのは嘘だ!

それは、「旅パリピ」に限った話である。

日本で友達が作れない奴が、旅先で、言葉も文化も宗教も違う奴と友達になれるわけがない。

私がその証明だ(笑)。

「旅に出れば世界中に友達が増える」という甘言で旅ボッチを惑わすのは、金輪際やめていただきたい。

旅ボッチと旅パリピ、教室の中心と周辺

とはいえ、そもそも全員を旅ボッチ・旅パリピと分類できるわけではなく、グレーゾーンもたくさんいる。僕の実感では、「旅ボッチ」の域に達しているのは全体の15%ほどだろうか。「旅パリピ」が35%ぐらいだと思っているので、数にして3倍の開きがある。

半分くらいはグレーゾーンに分類される。そういう意味では旅パリピも少数派である。何も、そこまで目の仇にしなくてもいいじゃないか。

しかし、旅パリピというのは、テンションが高く、声がデカい。

その結果、常に注目を集め、いかにも旅パリピが多数派であるかのような錯覚を周囲に引き起こす。

だからさっき「教室の中心と周辺」という言葉を使った。僕はスクールカーストといった階級制よりも、中心と周辺という表現の方が実態に合っていると思う。

学校の教室にはいわゆる「イケてる人たち」と「イケてない人たち」がいる。「イケてる人たち」は常に教室の中心にいる。それは、物理的に中心にいるわけではなく、会話の中心、情報の中心、注目の中心という意味だ。そして、「イケてない人たち」いわゆる会話の輪のようなものの外側にはじかれてしまう。

例えば、同窓会とかでこんな経験をしたことはないだろうか。

A君「あの時、BとCが付き合ってたよね」

Dさん「そうそう、あったあった」

僕「なにそれ! 今、初めて聞いた……」

このように、教室の周辺部にいる人間にはあまりクラスの情報が入ってこない。情報も会話も、このA,B,C,Dのような「クラスの中心の人たち」で回されて、注目も「クラスの中心の人たち」に集まる。周辺の人たちに会話や情報が回ってくることもなければ、周辺の人たちが話題に上ることもない。

そして、この構造が、教室を飛び出して「旅」というフィールドでも同じことが起こっているのだ。

旅人同士の情報は声の大きい旅パリピ内で回ってしまい、注目も旅パリピが独占する。

結果、旅パリピの「旅とはこういうものだ!」「旅人とはこういう人たちだ!」という、一方的な視点だけが流布することになる。

その結果、旅パリピの価値観に基づいて、旅の本が作られたり、旅のイベントが作られたりする。

そうやって、気づけば「旅」に関する情報や空間がどんどん旅パリピ色に染められている。

その結果、旅ボッチは大好きな「旅」の世界の中でも、中心には行けず周辺にはじかれてしまう。

よく「旅はどこに行くかではない、誰と行くかだ」なんて言葉を聞く。これこそ、旅パリピの極みではないだろうか。

確かに、誰かと行く旅は楽しい。

だが、それが旅のすべてではない。

時には、一人の方が気楽で楽しい。そんな旅だってある。

誰かと一緒にいたって、目を奪われるような絶景を目にした時、隣に誰かがいるなんてことを忘れてしまう瞬間だってあるだろう。

だいたい、隣にいる人間が、必ずしも同じ景色を見て、同じことを感じているとは限らないのだ。

もっと、旅ボッチを、孤独な旅を、認めたっていいじゃないか。

旅祭2017 ~最果ての地、幕張~

幕張で行われた「旅祭2017」に参加してきた。旅祭には去年に続いて2年連続での参加となり、自分は去年からどう変わったのか、何も変わっていないのか、そして「旅」とはなんなのかを考えるいい機会となった。それでは、幕張で行われた旅祭2017を振り返ってみよう。


幕張到着

旅祭2017の会場は幕張海浜公園。今回、僕は初めて幕張を訪れた。

海浜幕張駅前は埋め立て地で、近未来的な街並みは、この日始まったばかりの「仮面ライダービルド」や、「宇宙戦隊キュウレンジャー」のロケ地にぴったりだ。

 

また、イオングループのおひざ元でもある。

 

さすが千葉だ。タワー・オブ・テラーまである(違います)。

 

会場はロッテの球場のすぐ隣だった。

 

だが、ここで不思議な事件が起きた。

みんな、スマホを片手に道に迷っているのだ。

なぜ、スマホを持ているのに、道に迷う?

僕なんか、これしか持ってないのに。

僕も若干迷ったが、方位磁石と、昨日見た記憶の中の地図を駆使して、大きな進路変更をすることなく、無事会場にたどり着いた。

「スマートフォンの機能を高めるより、本人の頭脳と勘を磨くべきだ」という僕の理論がまた一つ実証された。

旅祭2017 トークライブ 高橋歩×四角大輔

去年もオープニングアクトはこの二人だった。旅祭の発起人で、自由人であり作家の高橋歩さんと、ニュージーランドの湖畔で生活していて、僕がアニキと敬愛してやまない四角大輔さん。プライベートで親交の深い二人の旅人のトークからのスタートだ。

会場入りした僕は、マップを見ることなく、勘だけでトークライブのステージに直行した。

イルカの話とかハワイの話とかいろんな話が出る中、一番印象に残ったのが、「誰にでも、『理由は説明できないけど、とにかくこれがしたかった』という経験があるはず」、という話で、僕はその話を聞きながら大きくうなづいていた。

心当たりがあるからである。

ピースボート地球一周の船旅の魅力

船に乗ってから2年がたったが、いまだに船に乗った理由をうまく説明できない。たぶん、聴かれるたびに答えが変わっていると思う。

 

さて、トークライブが終わり、しばらく会場をうろちょろした後、いったん僕は会場を出て海浜幕張駅前に戻った。

仕事である、焼肉屋の取材をこなすためである。

旅祭2017 トークライブ 関野吉晴×高橋歩

取材を終えて会場に戻った僕は、高橋歩さんと関野吉晴さんのトークライブを見ることに。

関野吉晴さんは10年をかけて、南米から北米、アジアからヨーロッパ、そしてアフリカへと、人類の起源を逆にたどる「グレート・ジャーニー」を成し遂げた人物だ。

偉大なる探検家もまた、「目的や理由などなく、楽しいから旅をするのだ」と語った。グレート・ジャーニーは10年かかったが、本来ならおそらく5年ぐらいで旅を終えられたはずで、10年もかかったのは寄り道が大好きだったからだと語り、「寄り道をつないでたら一本の道になった」と言っていた。人類史上最大規模の寄り道である。

旅祭2017 MOROHA

続いてはMOROHAのライブ。1MC+1ACOSTIC GUITERという、本人たち曰く「少々毛色の違う」組み合わせだ。

今回、僕が一番楽しみにしていたのがMOROHAのライブである。旅祭2017の開催が発表され、今年は参加しようかどうしようかと出演者ラインナップを見ていた時、MOROHAの名前を発見して即効で参加を決めた。

MOROHAの持ち味は、儚いギターのアルペジオや激しいカッティングなど、既存のヒップホップのトラックとは全然違うサウンドに乗せてキックされる、まるで刃のように心に突き刺さるリリックである。

歌詞のほとんどはMC AFROの実体験に基づいており、曲の構成もまるで一つの物語のようだ。

MC AFROのあごひげから汗が滴るたびに、彼もまた身を削り、彼の人生をラップに変えて紡ぎ出していった。

と言葉で語っても伝わらないので(一応、音楽記事を書くライターです、ボク)、ぜひとも一度曲を聴いてほしい。彼らのライブを生で見れて本当に良かった。

MOROHAの歌の中で一番好きなのがこの”tommorow”である。曲中に「旅祭はいろんなトークライブがあって面白い」とふりを入れた後に、「『人生は旅だ』 そんなのはうそだ! 俺はどこにも行けないじゃないか」と歌いはじめる。

この歌の中にある「本当は一本道の迷路をさんざん迷って人は歩くよ」というフレーズは、関野さんの言葉に通じるものがある。

旅祭2017 Aqua Timez

Aqua Timezを見るのは、10年ぶり二度目である。とはいえ、10年前はライブではなくラジオの公開生放送であった。高校の帰りにいつも見に行くラジオの公開生放送。何も知らずに行ったら、たまたまその日のゲストがAqua Timezだった。

あれから10年。またAqua timezにあえたことをうれしく思う。MOROHAの歌詞で「勝ち負けじゃないと思えるところまで俺は勝ちにこだわるよ 勝てなきゃみんなやめてくじゃないか みんな消えてくじゃないか」というのがあったが、Aqua Timezは10年、やめることなく続けてきたのだ。

大ヒット曲「虹」で始まり、「決意の朝」や「等身大のラブソング」といったヒット曲を披露した。

旅祭から離れてふと思う「旅ってなんだろう?」

とまあ、さもここまで旅祭を楽しんだかのように書いたが、僕には一つの違和感が付きまとっていた。

どうも、この場になじめない。

CREEPY NUTSの『どっち』という曲がある。「ドン・キホーテにも、ヴィレッジ・バンガードにも、俺たちの居場所はなかった」という出だしで始まる曲で、ドンキをヤンキーのたまり場、ヴィレバンをオシャレな人たちのたまり場とし、サビで「やっぱね やっぱね 俺はどこにもなじめないんだってね」と連呼する。

旅祭の雰囲気はまさにこの歌に出てくる「ヴィレバン」だった。やたらとエスニックで、やたらとカラフルで、やたらとダンサブル。

突然アフリカの太鼓をたたく集団が現れたり、おしゃれな小物を売るテントがあったり、やたらとノリのいい店員さんがいたり、なぜか青空カラオケがあったり。

なんだか、「リア充の確かめ合い」を見せられている気分だ。「私たち、やっぱり旅好きのリア充だったんだね~♡ よかったね~♡」という確かめ合い。

会場で何回かピースボートで一緒だった友人たちに会い、その都度話し込んだが、彼らがいなかったら、とっくに帰っていたような気がする。

トークライブも、上にあげた通り刺激的なものもある一方、内輪ウケだけで乗り切ろうとする居酒屋トークみたいなのもあり、そんなもやもやを抱えながら夕方の会場内をフラフラと歩いていると、海岸に出れる道があることに気付いた。

海までほんの100m。海岸といってもおしゃれなビーチではなく、埋め立てによってつくられた人口の海岸である。浅瀬に沈んだテトラポッドに波が太鼓のばちのように打ち寄せる。この穴場海岸を発見した何人かはそこで思い思いの時間を過ごしていた。

久々に海を、波を体感して、船に乗っていた時のことを思いだす。夜、ベッドに寝転ぶと、波のうねりを全身で体感できる。まるで、地球の鼓動を感じているかのようだった。

そんな地球の鼓動に久々に触れ、空を見上げると太陽が輝き、海面は煌く。ペットボトルを開けると波の音に共鳴したのか、ボトルの中から「ブオーン」という何とも不思議な音が出てきた。

ここだったら、何時間でもいれる。

ああ、これこそが旅なんじゃないだろうか。

みんなでワイワイ盛り上がりたかったのではない。観光名所が見たかったわけでもない。行った国の数を誇らしげに語りたかったわけでも、ましてや土産話を誰かに自慢気に聞かすためでもない。

こんな感動を求めて、僕らは旅に出るんじゃないだろうか。

どんな感動かというと、「思いがけない感動」というやつだ。

「全米が泣いた」と書かれた映画を見に行くとか、泣ける歌を聞くとか、泣ける小説を読むとか、そんなのは僕は感動のうちにカウントしていない。

僕がここで「感動」とみなしているのは、大して期待しないで入った食堂のごはんがすごいおいしかったとか、たまたまラジオから流れてきた曲がめちゃくちゃかっこよかったとか、そういうのだ。

もちろん、別に泣きはしない。「泣く」=「感動」ではない。

では、旅人が求める感動ってなんだろうって思うと、見知らぬ街の坂を上った風景がきれいだったとか、初めての土地で何気なく見上げた夕焼けがきれいだったとか、旅先でやさしい人に出会ったとか、そういうのだと思う。

その一瞬に心を奪われたくて、僕らは地の果てを目指す。

この「地の果て」ってのは、別にわざわざパスポートを用意して、飛行機を乗り継いでいくような場所じゃなくっていい。こういった感動が味わえるなら、家から日帰りで行ける千葉の幕張だって地の果てなのだ。

旅祭2017 トークライブ 伊勢谷友介×四角大輔

そういう意味では、四角大輔さんと伊勢谷友介さんのトークライブも、思いがけない感動だった。

もちろん、伊勢谷友介という俳優は知っている。彼が社会活動をやっていることもなんとくなく知ってはいたが、詳しくは知らなかった。

伊勢谷さんは「リバースプロジェクト」という株式会社を経営している。NPOではなく株式会社。社会に貢献し、なおかつそれで利益を上げて収入を得る。そうしないと、誰もまねしようとは思わないからだそうだ。

例えば、車の捨てられるエアバックを使って、かっこいい「エアバッグバッグ」を作ったり、捨てられる野菜をつかって社食の料理を作り、収益の一部を途上国に回したり、そんな事業をしている。

伊勢谷さんの話で一番心に残っているのは、「誰しも生まれ持った使命があり、それに気づくか気づかないか」というものだった。

これも、身に覚えがある。

僕はピースボートに乗る前はボランティアセンターおおみやというピースボートの支部でせっせと乗船に向けて活動していたのだが、このボラセンが、なんと僕が乗船中に閉鎖してしまった。

『ボラセンがなくなる』と聞いた日のことは鮮明に覚えている。土曜日で、岩槻にポスターを貼りに行く日の朝だった。

最初、「ボラセンがなくなる」と言われたときは、頭では情報として理解していても、感情が追い付いてこなかった。感情が追い付いてきたのはその日の昼。お昼んカレーを食べていたら、急に泣きたくなった。

その日一日考えて出した答え「大宮ボラセンのような場所を絶対になくしてはいけない」は、2年たった今でも変わることなく、僕が小説を書く原動力となっている。

大宮ボラセンのような場所を仮想現実で再現したくて、僕は筆を執るのだ。これは、僕の「やらなければならないこと」なのだ。

クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」

旅祭とピースボート

旅祭にはピースボートもブースを出している。写真はマスコットキャラのシップリンだ。

この日は気温もそこまで上がらず、シップリンにとっては割と過ごしやすい一日だったのではないだろうか。去年は、とにかく暑かった。

ブースに近づくと見知った顔がいたから声をかけて見たりして、なじめない旅祭の中で結構助けられたブースでもある。

 

旅祭2017 ナオト・インティライミ

世界中を旅したことで知られるミュージシャンのナオト・インティライミ。旅祭に最もふさわしいミュージシャンの一人かもしれない。

そんなナオト・インティライミのライブだが歌はそんなに歌わず、むしろ旅の話ばっかりしていた。旅祭ならではである。

自身のヒット曲をメドレーにしたり、やけに短くアレンジしたりと、歌以外でも楽しませてくれる、まさにエンターティメントショーだった。

来年も旅祭に行きたいか

旅祭2017を振り返って、「来年も旅祭に行きたいか」と問われれば、答えはイエスである。

僕みたいな「旅ボッチ」は旅祭に群がる「旅パリピ」が苦手なだけであって、旅祭そのものは刺激に溢れた祭だ。

この「刺激」とは、単に「楽しい」とか「面白い」とかそういった刺激ではない。

今、自分がやっていること、すなわち、自分の旅路を振り返って、次の旅路へと歩みを進めるための刺激だ。

良い刺激、悪い刺激、選り好みすることなく様々な刺激が受けられる場所。それが、僕にとっての旅祭である。

小説:あしたてんきになぁれ 第8話 ゲリラ豪雨と仙人

「たまきはたまきのままでいいんだよ」

「あしなれ」第8話はそんな話です。


第7話 幸せの濃霧注意報

「あしたてんきになぁれ」によく出てくる人たち


数日前と比べても気温は変わらず、まだまだ天気予報では「熱中症注意」の言葉が躍る。

そんな中、たまきは相変わらず黒っぽい長袖の服を着て、公園で絵を描いていた。使うのは普通の鉛筆一本。白い紙を埋めるように、灰色の線が次々と書き込まれていく。隣には、例のごとくミチ。今日もまた汗だくになりながら、ギターをかき鳴らし歌っている。弦の弾ける音はアスファルトを震わし、ミチのハイトーンな歌声が夏の熱気に融けていく。

たまきは、この時間がどちらかというと好きだ。

絵を描いているときは、作業に集中できるため現実を忘れられる。

正直、絵を描くのは好きでもなければ、楽しくもない。ただただ時間を押し流すための作業。

だから、たまきは同じ題材を何度も描いた。絵にこだわりなどないからだ。斜め向かいに見える都庁を同じアングルから灰色の線で何度も描く。

何度描いても都庁はまるで魔王の城だし、その手前の公園の樹木は夜の樹海。白い雲でさえ、薄気味悪い煙のようにしかかけない。

そんな自分の絵が大嫌いだ。でも、絵を描くこと以外、現実を忘れることができないのだからしょうがない。

自分の絵は嫌い。でも、絵を描くことで時間を忘れることは好きだ。

そして、隣で歌うミチ。

何度も本人に入っているのだが、たまきはミチのことが嫌いだ。チャラいし軽いしいやらしいしめんどくさい。誉めるところが一個も見当たらない。

ただ一つ、彼の歌声は好きだった。ハイトーンで力強い歌声に、底抜けに明るい歌詞がよく映える。ミチの歌を聴きながら絵を描けば、こんな自分でも少しは明るい絵が描けるのではないかと期待してしまう。

歌ってる本人は嫌い。でも、彼が歌う歌とその歌声は好きだ。

プラスマイナス合わせて、どちらかというとたまきはこの時間が好きなのだ。

 

ふと、たまきはミチの方を見た。普段は並んで絵を描くことはあっても、嫌いだからほとんどたまきはミチを見ないのだが。

何とも楽しそうに歌っている。汗が音符のように滴る。大声を出してメロディに乗せることがそんなに楽しいのかな、とたまきは不思議に思う。

自分は隣で好きでもない絵を描き続けているのに、その一方でミチはこんなにも楽しそう。

ミチ君にとっての幸せってなんだろう。やっぱり、歌うことかな。

 

「ありがとうございました。『しあわせな時間』でした」

いつも通り、ミチは歌い終わると「世の中」に向けて挨拶をする。その後、しばらく休憩したら、また次の歌を歌い出す。

「あの・・・・・・」

「ん?」

珍しくたまきの方から声を掛けられ、ミチが振り向く。

「ミチ君にとって……、幸せってなんですか?」

「え?」

ミチは驚いたようにたまきを見た。

「……やっぱり、歌ってる時ですか?」

「うん」

間髪入れずにミチは答えた。

「あ、でも、今までで一番幸せだったのは、やっぱカノジョと一緒にいた時かな」

「カノジョいたんですか」

たまきが冷めた目で尋ねた。

「中学の時だけどな。流れで付き合って、しばらく遊んでたけど、自然消滅かな」

たまきには「流れ」も「遊び」も「自然消滅」もよくわからない。

「中学校、行ってたんですか?」

「え、うん」

ミチは「なんでそんなこと聞くの?」という目でたまきを見る。

「……卒業したんですか?」

「当たり前じゃん」

たまきはうつむいて、スケッチブックを見た。ぽたりと、たまきの遥か頭上の空の上から一滴スケッチブックに落ちてきた。

 

落ちてきた一滴は、すぐに山林のように降り注ぎ、やがて銃弾のように二人を襲った。さっきまで広がっていた青空は重い鈍色に染まっている。雨粒が地面にあたる音だけが二人の鼓膜を震わせる。

二人は公園の中のトイレの軒下で雨宿りをしていた。ここまで百メートルほど走ってきたが、二人ともかなり濡れてしまっていた。

たまきの黒い髪はびしょぬれで顔にぺったりと貼りつき、左目を完全に隠した。毛先から、メガネから、水滴がぽたぽたと胸のふくらみへめがけて落ちていく。たまきは胸の前でカバンをしっかりと抱きとめていた。カバンの中にはスケッチブックが半分むき出しのまま入っている。

ミチはそんなたまきをしばらく見ていたが、やがて目をそらした。茶色い髪はしょんぼりしたかのように濡れそぼっている。背中にはギターケース。Tシャツはびしょぬれで、ミチがそれを雑巾のように絞ると、雨粒と同じくらいの勢いで水が流れ落ちた。

ミチは絞ってよれよれになった裾を見る。裾はだいぶ水気が飛んだが、そこ以外はまだびしょびしょだ。

ミチはギターケースをおろすと、Tシャツを脱いだ。ミチの細くもやや筋肉のついている上半身があらわになり、たまきは顔を赤らめるとあわてて目をそらした。

「な、何脱いでるんですか?」

「だって、このままだと風邪ひくじゃん。明日、バイトの初日なんよ。たまきちゃんも脱いだら?」

ミチが冗談めかして笑い、たまきはますます顔を赤らめる。

「脱ぐわけないじゃないですか」

そう答えつつも、亜美さんだったらためらいもなく脱ぐのかな、などとしょうもないことを考えている。

ふと、雨粒の向こう側に、見覚えのあるシルエットを見つけた。

40代くらいの男が自転車を押しながら二人の前を横切ろうとしていた。荷台には空き缶でパンパンになったゴミ袋が取り付けられている。

深緑色のレインコートを着ているその男のおでこは広く、その輪郭はなんだかそら豆みたいだった。たまきは、男の輪郭に、顔に、見覚えがあった。

「あの……!」

たまきの問いかけに男が足を止めてたまきの方を見た。

数日前、「城(キャッスル)」に強盗に入ったおじさんだった。

そら豆顔のおじさんはたまきを見ると、驚いたように細い目を見開き、そして、どこか懐かしそうな笑みを浮かべ、自転車を止めてたまきの方に歩み寄った。

「……君はこの前の……」

「ん? 知り合い?」

ミチが二人の顔を見比べる。

そら豆顔のおじさんを見たら、たまきはなんだかほっとした。

生きてたんだ。

帰ったら、志保に教えよう。きっと喜ぶ。

「あのときは……迷惑かけたね」

おじさんはやさしく微笑んだ。

「……ここで何してるんですか?」

「君と一緒にいた長い髪の子に教えてもらったとおり、駅の地下に行ったんだ。そこであったホームレスの人に、ここに来ればこれからの生き方を教えてもらえるって聞いてね、お世話になってるんだ」

たまきは、目を赤らめて「さびしい」とつぶやいたおじさんの顔を思い出していた。あの時と比べて、おじさんの笑顔は少し軽くなったように見える。

「あの子にありがとうって伝えおいてよ。あの子の言葉で、だいぶ励まされたんだ」

それもきっと、志保が聞いたら喜ぶ。

おじさんは、ミチの方を見やった。

「お友達?」

一拍置いて、たまきが答える。

「……知り合いです」

こんな上半身半裸男と友達なわけがない。

「彼の方は何回かこの公園で見たことあるよ。知り合いだったんだ」

「私たち、二人とも傘持ってなくて……」

「降るなんて思ってねぇもん」

ミチが少し口をとがらせていった。

おじさんは二人を交互に眺めると、口を開いた。

「2人とも、だいぶ濡れちゃってるね。すぐそこに庵があるから、案内するよ。たき火もしてるし、ここよりはましだよ」

「イオリ?」

たまきの問いに答えることなく、おじさんは「ちょっと待ってね」といって、自転車を置いて小走りに走っていったが、やがて傘を2本持って帰ってきた。

「これ使って。すぐそこだから」

おじさんは二人に傘を渡すと、自転車を押して歩きだした。

たまきは、ミチの方を見た。ミチが不思議そうにたまきに尋ねる。

「どういう知り合い?」

「この前、ちょっと……。それより、どうします?」

「あのおっさん、どこ連れてくって言ってた?」

「イオリだって」

「なにそれ?」

「さあ……」

二人は首をかしげる。ミチはめんどくさそうに顔をしかめながら口を開いた。

「どこだかしんねーけど、あのおっさん、ホームレスだろ? ロクなところ連れていかねーって」

「でも……ここよりはましですよ、たぶん」

ミチは空から降り強いる雨粒を見る。まるで鉄柵のように、二人を公園から逃がすまいとしているようだ。

「まあ、風邪ひいたら困るしな……。たき火あるんだったら、そっち行こうか。でも、この公園、たき火禁止だぞ?」

 

「庵」とかいて「いおり」と読む。隠居や出家をしたものが住む小さな家のことで、たいていは森の中にポツンと、木漏れ日を浴びながら立つ木造の小さな離れのことを指す。

二人が連れてこられた庵は、公園の樹木に囲まれていたし、木造ではあったが、一般的な庵のイメージからはだいぶ違った。

木造は木造でもベニヤ板作り。その上にブルーシートがかけられていて、ベニヤの半分以上はそのシートに覆われている。入口は完全にシートに覆われ、人が通るところだけぽっかりと穴が開いている。その入り口は、昔、まだたまきが学校に行けたころ、教科書で見たモンゴルの遊牧民のテントを思い出させた。

大きさは、大型トラックの荷台くらい。天井はミチより少し高いぐらいか。きれいな立方体、というわけではなく、基盤となる大きな家に、中くらい、もしくはもっと小さい家がいくつもくっついている。

さながら、ベニヤ板のおばけのような風体だが、公園の最深部、木々やオブジェの死角となる場所で、積極的に探そうとしない限り、見つかることはないだろう。

おじさんは二人に少し外で待つように言うと、大きな空き缶の袋を抱えて中に入っていった。二人がどしゃ降りの中で傘を差し、外で1分ほど待っていると、おじさんが顔を出し、手招きをした。

中は薄暗く、意外と暖かかった。全体の四分の1は土間になっていて、残りはブルーシートが敷かれていた。シートの上にはちゃぶ台が置かれ、上にはカップ酒と、おつまみらしきものが置かれていた。ホームレスらしき男性が数人、その周りを囲んでいる。

光源は二つ。

一つは板張りの天井からつるされた電球だった。白熱電球というのだろうか。でも、白というよりはオレンジ色の光を放っているので、また別の名前があるのかもしれない。

そしてもう一つ。土間の奥の方にくず入れぐらいの大きさの四角い缶が置かれていた。缶の中には枝が突っ込まれていて、枝の下の方が赤々と光を放っている。たき火だ。

暖かいのはありがたいのだが、においが鼻につく。町中でホームレスの人とすれ違うとにおってくる、あの匂いだ。たまきは隣のミチの顔を見上げた。ミチは顔を少ししかめていた。

そのにおいのもとは、「イオリ」の奥にいるホームレスたちから漂っているのに間違いなかった。みな、四十歳を超えているだろうか。浅黒い肌と、白髪交じりの長い髪が対照的だった。

彼らはみな、異質なものを見る目で人のことを見ていた。中年のおじさんばかりの小屋の中に。未成年が二人入ってきたのだ。無理もない。人の視線が苦手なたまきは、少し後ずさりした。

そして、たまきはあることに気付いた。

この小屋の中で、女性は自分しかいない。

たまきはミチがわきに抱えていた彼のシャツをぎゅっと握ると、振り返って出口を確認した。

二人を案内したそら豆のおじさんが、ホームレス集団の中央にいる男に声をかけた。

「あっちの女の子の方が、前に話した女の子ですよ、センさん」

センさんと呼ばれた男は、二人をにらむように見ていた。品定めしているようでもある。浅黒い肌に長い白髪交じり、灰色のもじゃもじゃのひげ。キャップをかぶり、丸いメガネをかけている。その視線には、不思議と知性と貫禄を感じた。

ホームレスの一人が、二人によれよれのバスタオルを持ってきた。

「風邪ひくぞ。ふきな」

「ど、どうも……」

たまきはどもりながらもバスタオルを二つ受け取ると、少しきれいな方をミチに渡し、もう一方で自分の頭をわしゃわしゃと拭き始めた。服も濡れてしまっているが、こんな状況で脱ぐわけにもいかず、バスタオルを肩にかけると、たまきは焚火のそばに行き暖を取った。スカートの先からぽたぽたと水滴が地面に落ちる。

そら豆のおじさんが二人に近づくと、優しく微笑みかけた。

「雨が上がるまでここにいなよ」

「……おじさんは今、ここに住んでるんですか?」

「ああ、そうだよ」

おじさんがうなづく。

「今、センさんのところに泊めてもらっているんだ」

「センさん?」

たまきが、さっきセンさんと呼ばれていた眼光鋭い男をちらりと見る。

「そう、あの真ん中の人。『仙人』とか『仙さん』って呼ばれてるんだ」

そう言われてみると、確かに仙人っぽい。

「あの人が、この辺のホームレスのまとめ役なんだ。いろいろ面倒見てくれるんだよ」

舞先生みたいなものかな、たまきはそう思った。

たまきは仙人の方を見ると、「ありがとうございます」といってぺこりと頭を下げた。しかし、仙人は何も反応しない。

「しかし、すごい雨だねぇ」

そら豆のおじさんがテントの外を見ながら言う。その言葉に、ミチが笑いながら返した。

「まあ、よくあるゲリラ豪雨っすよ」

「いや」

重くハスキーな声が響き、たまきは声がしたほうを見た。

「わしらが若いころはこんな降り方はしなかった。地球温暖化の影響か、別に理由があるのか、いずれにしろ、異常気象だ」

声の主は仙人だった。仙人は腕組みしたまま、少し怒ったように続けた。

「異常が何年も続くと、みな異常だと思わんようになる。だが、異常は異常だ」

本当に面倒見がいい人なのかな、とたまきは思ったが、そういえば、舞もあんな突き放した言い方をする気がした。

「お前たち、見覚えがあるぞ。よく階段の上にいっしょにいるな」

仙人が再びハスキーな声で話し始めた。

「ボウズの方はほぼ毎日見るな。ギターでなんか歌っとる。お嬢ちゃんの方はたまに見るな。いつもボウズの隣で、何やら絵をかいとる」

見られていたのが恥ずかしくてたまきは下を向く。

「お前ら、付き合っとるのか?」

「あ、やっぱ、そういう風に見えます?」

「ちがいます! そういうんじゃないんです!」

「・・・・・・だろうなぁ」

仙人は顔を真っ赤にして首を横に振るたまきを見ると、納得したかのように呟いた。

「そういう風には見えんから、聞いてみたんだ」

雨はいまだやむ気配がない。それどころか雨脚は強くなり、傘をさしてもあまり役に立ちそうにない。

「ボウズ」

仙人はミチを見ると、ミチの持っているギターケースに目をやった。

「なんか歌え。いつもこの辺で歌ってるやつだ」

「え、なんで?」

ミチが少しいやそうに答えた。

「お前ら、わしらの家で雨宿りさせてもらってるんだから、わしらに何かお礼をするのが筋ってもんだろう?」

「いや、家ってここおっさんたちの家じゃないじゃん。不法占拠だろ?」

「……ごめんなさい」

謝ったのは仙人でもほかのホームレスでもなく、たまきだった。

「それに、たき火とかこういうのやっちゃいけないんじゃないの?」

どうしてそんな突っかかるような言い方なんだろう、とたまきはミチを見て、その後仙人の方を見た。しかし、仙人は表情を変えることなく口を開いた。

「なるほど。ボウズの言う通りだ。お前さんが正しい。おい、みんな、今すぐこの小屋をばらしてここから出ていこう。たき火は消しておけ。ただし、二人とも、傘は返してもらう。それはわしらの金で買った、正当なわしらの所有物だからな」

そういうと仙人はよいしょと立ち上がった。他のホームレスたちも立ち上がり、壁に手をかけ、ベニヤ板がみしみしと音を立てる。仙人はペットボトルを持ってたき火のもとへ来て、たき火に水をかけようとした。

「ちょ、ちょっと待って!」

あわてたのはミチの方だった。この大雨の中、傘を取り上げられて放り出せれてはたまらない。

「悪かったよ。歌うよ」

ミチがそういうと、ホームレスたちはみな、もといた場所に戻っていった。仙人も、にやりと笑いながら腰を下ろす。

ミチはギターを取り出すとピックを口にくわえてチューニングを始めた。チューニングしながら、隣のたまきに問いかける。

「何歌えばいいと思う? なんかリクエストある?」

たまきは下を向いて考えを巡らせたが、ミチを見上げて、自分の一番好きな曲名を伝えた。

「『未来』って曲が……私は好きです……」

「『未来』ね、オーケー」

ミチは口にくわえたピックを手に取ると、ホームレスたちの方を向いた。

「えー、ミチで『未来』です。聞いてください」

ミチは勢いよくギターをストロークすると、歌い始めた。

――青空の中、飛行機雲がどこまでの伸びていった

――あの先に未来が待っている そう信じ力強く羽ばたくよ

たまきは珍しく、ミチを見ていた。

ミチの声は力強く、ハイトーンながらも、ややハスキーなところもあった。

歌う前は渋っていたミチだが、歌い出すとなんだかんだ楽しそうだ。笑顔が焚火に照らされ、オレンジに輝いている。いつもはたまきしか聞いてくれる人がいないが、今日は他にも何人も聴衆がいる。それがミチのテンションをさらに上げているのかもしれない。

ミチ君は、本当に歌うことが好きなんだ。たまきはそんなミチがとてもうらやましかったが、なぜか口元が緩んでいる自分に気が付いた。

2番のさびが終わり、間奏に入る。間奏と言っても楽器はギターしかなく、ミチが口笛でメロディを奏でるのだが。たまきは、以前ミチが「ハーモニカが欲しい」とぼやいていたことを思い出した。

たまきはホームレスたちの方を見た。たまきより背の高いミチを見上げ続けて首が疲れてきたのもあるが、おじさんたちの反応も気になった。

おじさんたちはみな、つまらなそうにミチを見ていた。そのことにたまきは思わず目を見開いた。

曲調も決して、おじさんには受け入れられないようなジャンルじゃないはずだ。テンポはやや速いけど、ロック系の音楽が苦手なたまきでも好きだと言える曲なのだから。

――僕の歩く今が未来になる

――夢もいつか「今」に変わる

――明日を変えなければいけないんだ

――未来が僕を待っている

最後のサビが終わり、ミチがギターをじゃかじゃかじゃんと弾いて、演奏が終わった。ミチは「ありがとうございました」と言って頭を下げた。

そら豆のおじさんは微笑みながら拍手をしていた。他にもまばらに拍手があったが、大半は無反応だった。

しばらく静寂が流れる。やがて、仙人が口を開いた。

「声はよかった」

仙人は厳しい目つきのまま言った。

「メロディも悪くない。だがな、歌詞はひどい。ラジオでやっとるヒット曲の切り貼りだ」

「切り貼り?」

ミチが少し苛立ったように聞き返した。

「最近の若い者は、『コピペ』というのか?」

「あぁ?」

ミチの声に、たまきが驚きミチを見る。

「ふざけんな! 俺の歌は、パクリじゃねぇよ!」

「ミチ君……!」

たまきはミチのズボンを引っ張ったが、ミチはそれをふりほどいた。

そんなミチに対し、仙人は勤めて穏やかだった。

「別に盗作とは言っとらん」

「さっきコピペって言ったじゃねぇかよ!」

「そういう意味で言ったんじゃない。あの歌詞は、確かにお前さん自身が書いたものなんだろう。だがな、どこかで聞いたような言葉ばっかりだ。まるで、ヒット曲の歌詞を切って貼ったみたいだ。もちろん、お前さんにそんなつもりはないんだろうが、お前さんがこれまで聞いてきた曲の歌詞によく似た言葉で埋め尽くされている。違うか?」

ミチは黙ったまま仙人を見ている。

「お前さんの言葉で書いたんだろうが、本当の意味ではお前さんの言葉になっとらん。そんなんでは多少歌がうまくても、本当に人の心を打つことはできん。ま、売れる売れないはまた別の話だがな」

仙人の言葉を聞いていると、なんだかたまきまで悲しくなってきた。

ミチは肩を震わせながら仙人をにらむように見ていた。やがて、

「ホームレスなんかに何が分かんだよ……」とつぶやいた。

「ああそうだ。所詮はホームレスの戯言だ。社会の最底辺だ」

仙人はミチの言葉にも表情を崩さなかった。むしろ、少し笑っているようにも見える。

「だがな、そういったやつの心に響かないと意味がないんじゃないのか? 特に、さっきお前さんが歌ってたのは、いわゆる『応援歌』ってやつだろう? わしらみたいなものを励ませないと意味がないのではないのか? それとも、CDも買えないようなホームレスを励ますつもりなんかないか?」

仙人が喋っている間、ミチは口を堅く結んでいた。やがて口を開くと

「……おっさんのゆうとーりっす」

と力なくつぶやいた。

「……すんませんでした」

「何を謝る」

仙人は笑いながら言った。

「侮蔑と偏見は、若者だけの特権だ」

そういうと、仙人はたまきの方を見た。

「お嬢ちゃんの絵も見せてもらえんか?」

たまきは困ったように下を見た。

できれば、自分の絵なんて誰にも見せたくない。自分が好きなミチの歌がぼろカスにけなされたのだ。たまきのへたくそで暗い絵なんて、けちょんけちょんにけなされるに決まってる。

そうでなくても、絵を見られるのはとにかく嫌なのだ。何がそんなにいやなのかわからないが、今この場で裸になれと言われているような感覚だ。理由なんかない。恥ずかしいものは恥ずかしいし、嫌なものは嫌なのだ。

だけど、ミチが仙人たちの前で歌って、ぼろカスのけなされたのだ。なのにたまきが絵を見せないというのは、アンフェアである。

たまきは、肩にかけたかばんからスケッチブックを取り出した。スケッチブックの方がかばんより大きく、かばんからはみ出ていたが、たまきが身を挺して守ったおかげで大して濡れていない。

たまきは下を向きながらスケッチブックを仙人に差し出した。仙人は身を乗り出してスケッチブックを受け取ると、中を見始めた。

もういやだ。お願い。見ないで。

たまきは今にも泣きそうな顔で、ぱちぱちと燃えるたき火を見ていた。仙人に絵を渡さないで、たき火の中に突っ込んで燃やしてしまえばよかった。

たまきは、恐る恐る仙人を見た。仙人は目を見開いてたまきの絵を見つめていた。その後ろに群がるように、ほかのホームレスたちが覗き込んでいる。

もうやめて。お願い。そんなに見ないで。

 

小さいころからよく絵を描いていた。学校へ行っても友達があんまりいなかったので、休み時間もいつも絵を描いて過ごしていた。通知表で2と3が並ぶ中、図工だけは4だった。

中学に上がり、たまきは美術部に入った。美術部の仲間とは、クラスメイトよりは仲良くできた。しかし、そこでは新たな問題があった。

みんな、たまきよりも圧倒的に絵がうまかったのだ。たまきはクラスとは違う劣等感を感じざるを得なかった。

おまけにどうしても明るい絵が描けない。たまきの絵が美術部内やコンクールで評価されることなんてなかった。

 

「この絵を、お前さんが描いたのか」

仙人はそういうと顔をあげ、たまきをじっと見据えた。たまきはほんの少しだけ、仙人と目を合わせたが、すぐに下を向いてしまった。

「……はい……」

のどが自転車で轢かれて潰されたかのように声が出ない。

しばらく沈黙が続いた。たまきは、そら豆のおじさんにもう一度殺してほしいと頼みたくなった。

「都庁の絵が多いね。よく描けてるよ」

そら豆のおじさんは微笑みながらそう言った。しかし、

「いや」

という仙人の低いハスキーな声が、たまきのうなだれた頭をハンマーのように撃ちつけた。仙人はスケッチブックに目をやる。

「確かに、都庁を描いたんだろう。都庁に見える。だが、実際の都庁はこうではない。線の書き方、影の付け方、比率、そういうのが実際の都庁と違う」

たまきは、自分の濡れたスカートのすそをぎゅっと握った。水がジワリと指の間からにじみ出て、ぽたっぽたっと地面に落ちる。

「都庁の手前の木の描き方もおかしい。あの階段に腰かけて描いたんだろう。だったら、こういう風にはならない」

そう言うと、仙人はスケッチブックから目を離し、再びたまきを見た。うなだれるたまきの、メガネのふちを、さっきよりもしっかりと見据えた。

「お前さんには、世界がこんな風に見えてるのか……」

仙人の言っている意味がよくわからず、たまきは顔をあげた。仙人が真っ直ぐとたまきを見据えていたが、不思議と怖くなかった。

「……フィンセントを知っているか?」

だれだろう。たまきは首を横に振った。

「フィンセントは十九世紀のオランダの画家だ。フィンセントの絵は、風景画や静物画、自画像を描くくせに、ちっとも写実的ではない。写実的な絵が描けるにもかかわらず、だ」

仙人は、まっすぐたまきの方を見ながら語りかけた。

「絵筆の痕がはっきりとわかる荒々しいタッチだ。勢いに任せて筆を走らせ、その躍動感ごとカンバスに刻み付けている。それでいて、色の配置が絶妙だ。計算して色を置いているのか、直感で色を選んでいるのか、わしにはわからん」

そのフィンセントという画家の絵と私の絵、どう関係があるんだろう。

「きっと、フィンセントには世界がそう見えているんだろう」

そう言うと、仙人は今までで一番優しい目をした。

「お嬢ちゃんの絵を見て、フィンセントを思い出した」

 

たまきは不安げにミチを見上げて、再び仙人に視線を戻した。仙人の言っている言葉の意味が、今一つつかめない。

口を開いたのはミチだった。

「つまり、たまきちゃんの絵がフィンセントって画家の絵に似てるってこと……」

「まったく似てない」

ミチが言い終わる前に仙人が打ち消した。

「画風もタッチも全く違う。そもそも、技術に雲泥の差がある。フィンセントはプロとしての確かな技術があった。お嬢ちゃんのは、せいぜい中学校の美術部員ってところだろう」

正解すぎてぐうの音も出ない。

「だが、フィンセントの絵があそこまで人を惹きつけるのは、単に技術力の問題ではあるまい。素人目には、絵なんてうまいか下手かの二択でしかない」

仙人はたまきを見据えながら続けた。

「そうではなく、フィンセントにはああいう風に世界が見えていた。あの絵は、写実画なんだ。フィンセントは自分が見たままの世界をそのまま描いたんだ。だからこそ、いまなお高い評価を受けている」

そう言うと、仙人はたまきにスケッチブックを返した。たまきは申し訳なさそうに受け取る。

「お嬢ちゃんにも、フィンセントのような感性と表現力がある。画力はこれからあげていけばいい。そんなものよりも大切なものを、お嬢ちゃんは持っている。画力なんて、お嬢ちゃんの見ている世界を描くための道具にすぎない。むしろ、お嬢ちゃんの見ている世界をきちんと表現するために、画力を上げるんだ」

たまきは、この上なく不安げに仙人を見た。そして、ずっと気になっていたことを仙人に尋ねた。

「あの……私は……褒められているんでしょうか……」

「ああ、そうとも」

再び仙人はやさしく微笑んだ。仙人のメガネに、たき火のオレンジの暖かな光が写りこんでいた。

 

そら豆のおじさんが庵の外を見た。さっきまで泣きたいぐらいにどしゃ降りだったのに、いつのまにか雨はしとしと降っていた。これなら、傘を差せば帰れそうだ。

「その傘はお嬢ちゃんにあげよう。その代り、またお嬢ちゃんの絵を見せてくれんかね?」

「え、……は、はい」

たまきは戸惑ったように答えた。

「ボウズにも傘をやろう。新曲ができたら聞かせに来るといい」

「……またぼろくそに言うんでしょ?」

「また切り貼りだったらそうなるな」

仙人はにやりと笑いながらそう言った。

 

小雨がしとしと降る中、都庁のわきの道を二人は駅に向かって歩いていた。紺色のコウモリ傘を差したミチ。その後ろを若草色の折り畳み傘を差したたまきがとことこと歩いている。

たまきは歩きながら、ミチの背中を見ていた。絞ってよれよれになったシャツに、黒いギターケースを担いでいる。

ふと、ミチの方が大きく下がった。

「……自信失くした」

その声に、たまきはうつむいた。ミチは少し歩調を落として、たまきが横に並ぶのを待った。

「いや、実力もねぇのに、自信ばっかあったんだな、って思い知らされたよ。悔しいけどさ、あのおっさんのゆうとーりなんだよ」

二人は地下道に入った。傘をたたむ。休日の夕方近くだからか、ゲリラ豪雨の後だからか、いつもに比べて人が少ない。

「だからさ、たまきちゃんに言ってたことも、たぶん、あのおっさんのゆうとーりなんだと思う。すごいよ、たまきちゃん」

ミチの言葉に、たまきはブンブンとかぶりを横に振った。力強く振ったので、メガネが少しずれる。

「……私の絵なんか、すごくなんかないです」

「……俺さ、絵心ないし、絵の良しあしなんかわかんないけどさ、たまきちゃんはやっぱうまいとおもうよ」

「……中学の美術部レベルです」

「独特で面白いと思うし。あのおっさんみたいに何がいいとか細かく言えないけどさ」

「……中学の先生に『不気味』って言われました」

そう言いながらも、たまきは仙人の言葉を一つ一つ、頭の中で反芻していた。

褒められるなんてだいぶ久しぶりだ。それこそ、「はじめて歩いた」とか「はじめて喋った」時以来かもしれない。つまり、褒められた記憶なんてほとんどない。

中学の美術部では、決してたまきは特別な存在ではなかった。突出した技術も才能もなく、入賞するようなこともなかった。

なのに、なんで美術部に入ったんだろう?

小学校のころは、休み時間は絵を描いていてやり過ごしていた。自由帳がたまきの唯一の友達だった。

そう、「絵」はたまきにとって友達だった。誰も友達がいない教室で、絵を描いて世界と対話することがたまきの唯一の救いだった。

その時間だけが、たまきの唯一の楽しみだった。

もっと記憶をさかのぼれば、幼いころの自分が見えた。父と母、そして姉。姉が美少女アニメのお人形で遊んでいる中、たまきはクレヨンでずっと絵を描いていた。動物の絵、町の絵、家族の絵……。ずっと、ずっと、ずうっと。

「……思い出しました」

たまきがそう言って立ち止まった。ミチは2,3歩進んだところでたまきがついてこないことに気付き、振り返った。

「……私、絵を描くことが、好きだったんです」

いたくもない教室での唯一の友達。たまきは絵を描くことで時間を押し流し、なんとか学校に通っていた。でも、たまきよりうまい人なんていっぱいいて、たまきの絵は誰からも褒められない。むしろ、不気味だと顔をしかめられた。いつしか自信を無くし、「絵を描くことが好き」、そんな当たり前のことを忘れてしまっていた。

でも、たまきは絵が好きだった。

絵をほめられたことよりも、そのことを思い出せたことの方がうれしかった。そのきっかけをくれた仙人に、心の中で頭を下げた。

「……今まで、好きでもないのに絵を描いてたの?」

ミチの質問に、たまきはこっくりとうなづいた。

「ずっと忘れてました。むしろ、自分の絵なんて嫌いでした」

そう言うと、たまきはカバンを胸の前でしっかりと抱き止めた。カバンからスケッチブックが飛び出ている。

「……でも、好きになってもいいのかも……」

そう言うとたまきは、少し恥ずかしそうに笑った。

その横で、ミチは大きくため息をつく。

「いいなぁ。たまきちゃんはあんなに褒められて」

人に羨ましがられるなんて、初めての経験だ。たまきは思わず下を向く。自分の鼓動が早くなっているのがわかる。

「それに比べて俺なんて……。なんか、死にたくなってきた」

「簡単にそんなこと言わないでください!」

たまきの珍しくも強い口調に、ミチは半歩後ずさった。

『えぇ~、たまきちゃんがそれ言う?』

と、

『……なんかたまきちゃんが言うと、説得力あるなぁ』

の二つの言葉が声帯のところでぶつかって、言葉にならない。

「……私は、ミチ君の歌は、うまいと思います」

「……ありがとう。でも、うまくても、歌詞が切り貼りなんだってさ……」

そこでまた、ミチは深くため息をつく。

ふと気づくと、またたまきがついてこなかった。ミチは振り返る。

たまきにしては珍しく、たまきにしては本当に珍しく、まっすぐにミチの目を見ていた。

「私は……好きです。ミチ君の、バカみたいに前向きで明るい歌が。聞いてる間、何も考えなくていいので、……私は好きです」

「それってさ……俺……、褒められてるの……?」

たまきにしては珍しく、たまきにしては本当に珍しく、ミチの目をまっすぐ見つめながら、力強くうなづいた。

 

「はい、どうぞ」

志保がプラスチックのカップに、インスタントのスープを入れてたまきに渡した。

生暖かい風の吹く外とは違い、「城(キャッスル)」の中は冷房が効いていて、たまきは帰ってきてすぐにくしゃみをした。ようやく服を着替えられたが、志保が「風邪ひくといけない」とスープを作ってくれた。たまきはそれをふうふうと冷まして飲む。

「へえ、あのおじさん、元気だったんだ」

「はい」

志保は、たまきがおじさんに再会した話に喜んだ。

「志保さんの言葉に励まされたって言ってました」

「ほんと? よかったぁ! 気になってたんだぁ。亜美ちゃん、あのおじさん、元気だったって!」

志保は部屋の奥でソファに転がっている亜美に声をかけたが、亜美は興味がないらしく、

「ふうん」

とだけ言って携帯電話をいじっていた。

たまきは1つだけ、気になっていることがあった。志保なら知っているかもしれない。

「志保さん、聞きたいことがあるんですけど……」

「なに?」

志保は笑顔で聞き返した。ここしばらく、志保は体調がいいらしい。本当に笑顔が似合う。

志保に聞こうとして、たまきは聞きたかったことの名前をちゃんと覚えていないことに気付いた。何て名前だっけ。

「志保さん、……ピンセットって画家知ってます?」

「ピンセット?」

なんか違う、そう思いながら口にしたのだが、志保の反応を見る限り、やっぱり違うみたいだ。

「……ピンセットじゃなかったかもしれません」

「ごめん。美術史はあんまり詳しくないんだ」

たまきは、必死に仙人の言葉を思い出していた。

「オランダの人で……、十九世紀の人だて言ってました」

それは思い出せるのに、何で名前は出てこないんだろう。志保も頭を悩ませている。

「その画家がどうかしたの?」

「今日あった人が、私の絵を見て、その画家のことを思い出したって……」

「これじゃね?」

そう言ったのは亜美だった。どうやら、携帯電話で検索をかけたらしい。

「十九世紀のオランダ人の画家で、似た名前の奴いたぞ。フィンセント・ファン……」

「あ」

たまきの中で、パズルのピースがピタリとはまった音がした。

「それです。ピンセットじゃなくて、フィンセントです」

「じゃあこれだ。フィンセント・ファン・ゴッホ」

「ゴッホ?」

驚きの声を上げたのは志保の方だった。たまきも自分の耳を疑った。

「ゴッホって、あのゴッホ?」

「じゃねぇの?」

亜美は携帯電話の画面を見せた。画質の荒い「ひまわり」が出てきた。

画面をスクロールさせると、いくつかゴッホの絵が出てきた。夜空を描いた絵、海辺を描いた絵、自分を描いた絵。

絵筆の後がはっきりとわかる荒々しいタッチだ。まるで、絵筆の痕跡をわざと刻み付けたかのようだ。それでいて、計算したのか直感で選んだのかはわからないが、色の配置が絶妙だ。

そうかと思えば、本を描いた絵は細かく写実的だった。

たまきは、仙人の言葉を思い出した。ゴッホは、そういう風に世界が見えていたんだ。

「たまきちゃん、ゴッホの絵に似てるって言われたの? すごいじゃん!」

「……いや、『思い出した』って言われただけで、全然似てはいないそうです」

「それでもすごいよ! ねえ、見せて見せて!」

「あ、うちも見たい!」

たまきは困ったようにスケッチブックを見た。たまきにとって絵を見られるということは、裸を見られるに等しいことで……。

……この二人なら、べつにいいか。一緒にお風呂に入る関係だ。

たまきは少し顔を赤らめながら、スケッチブックを差し出した。二人がスケッチブックを覗き込む。

「へぇ、たまきちゃん、絵、うまいじゃん」

と志保。

「おもしろい絵だな。なんかさ、Ⅴ系のジャケットでこういう絵ない?」

と亜美。

「そういえばさ」

と亜美が切り出した。

「ゴッホって最後、死んじゃったんじゃないっけ」

「……そりゃ、十九世紀の人だもん。もう、死んじゃったよ」

「そうじゃなくてさ……、確か最後……」

「ああ」

志保が何かを思い出したように声を上げた。

「ゴッホって最後、自殺しちゃうんだよね」

そう言ってからしばしの沈黙を置いて、志保はタブーを口にしてしまったのではないかと不安げな顔でたまきを見た。

しかし、たまきは平然とした顔で、

「そこだけ……似てますね」

と言うと、いとおしげにスケッチブックを見つめていた。


次回 第9話 憂鬱のち誕生日(仮)

亜美の誕生日を祝うことになったたまき。祝いたい気持ちはあるんだけど、何をしたらいいのかがわからない。志保は絵を描けばいいじゃないかと勧めるが、たまきの暗い絵は誕生日には向いていない……。

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クソ青春冒険小説「あしたてんきになぁれ」