今、僕の中で何度目かの岡本太郎ブームがきてます。まあ、絵と言うよりは、彼の著作を読み漁る形なんですけどね。
特に、岡本太郎が民俗学にも造詣が深かったって聞いたんで、『神秘日本』っていう本を読んだんです。
岡本太郎が日本のいろんなところを旅行して、青森の恐山や東北の修験道、沖縄の御嶽などを目の当たりにするという本。
日本の民俗を、芸術家ならではの視点で観察し、表現してるんです。
岡本太郎って人は、パリにいたときに今でいうところの文化人類学を学んでて、日本の歴史や民俗に対しても知識が豊富な人です。
でも、そういった知識や理論を十分に知ったうえで、それに頼らずにおのれの感性のみでぶつかり、表現する。
読みながら、あっこれだ、って思ったんですよ。僕がやりたいのも、こういうことなんじゃないか、と。
知識や理論よりも、目の前の光景をどう切り取り、どう解釈し、どう表現するか。
最近、僕は知識を増やすことや、理論が正しいかどうかってことよりも、そういうことの方をよく考えてるんです。
もちろん、知識や理論も大事なんですよ。いい写真を撮るには、いいカメラが必要だし、カメラの使い方やテクニックなど、いろいろと知ってなきゃいけない。
でも、どんなにいいカメラを使ってても、どんなにカメラに詳しくても、レンズを向ける方向がおかしかったら、いい写真は撮れないんですよ。
で、最近の僕は、そのレンズの向け方のことをずっと考えているわけなんです。
いま、『民俗学は好きですか?』の第7集の制作が大詰めになっているんですけど、今回は「知識や理論よりも、レンズの向け方が大事」って意識が、今まで以上に出てる、って我ながら思うんですよ。
理論的に正しいと思ったことよりも、「こっちの方がロマンあってよくない?」ってことを強調しちゃったり。
数百年前の景色を、さも見たことがあるかのように書こうとしたり。
「自分が面白いと思ったことを、いかに他人におもしろく伝ええるか」、それがずっと、僕の中でのテーマなんです。
やっぱり自分は、学者や研究者じゃなく物書きなんだなぁ、とつくづく思いますね。
さっき例えでカメラの話を出したけど、最近は写真にも興味がありまして。
世の中には民俗学で扱うようなもの、古い風習とか、祭りとか、地蔵とか鬼の面とかを専門に撮る写真家、っていう人もいるんですよ。
彼らは、被写体に対しての知識はもちろんあるんだけど、やっぱり知識や理論だけでは表せない「なにか」を表現したくて、レンズを向けるんじゃないか。
そして、僕も同じなわけですよ。知識や理論だけでは説明しきれないなにかを表現したくて、筆を走らせるのです。実際にはキーボードをたたいているわけなんですけど。